2021年3月18日木曜日

同性婚禁止は違憲という地裁の判断:文明の崩壊(II)

昨日、「人類に奇跡的に生じた文明のマトリックス(母体)が、現在崩壊しつつあると書いた。(

補足1)文明のマトリックスの最も基礎的な部分に「人類は、共通の言語と共通の価値観を持つ」という信頼がある。

 

文明のマトリックスを支える3つ基本的概念(座標軸)として、人権、経済、政治がある。科学の発展とそれを背景にした技術の発展、更に、それに適合する政治経済のシステムを成長させた文明の力が、その枠を外に広げたのである。傲慢になった人たちは、これらの軸の意味を勝手に歪め、そのマトリックスを破壊する方向に進みだしたようだ。

 

“バベルの塔”の話は、現代において現実化してきたと思う。世界中の人々は、殆ど同じ概念を持ち、翻訳さえすれば話が通じると思ってきた。しかし、基本的概念から異なる言語を話す人が、現れてきたようだ。言葉の乱れは、乱世の始まりである。


1) 同性間の婚姻届を受理しないのは、憲法違反であるという病的な判決(補足2)

昨日、札幌地裁において、同性の二人が結婚を届け出ても役所が受理しないのは、憲法違反であるという判決が出た。訴状などによると、原告側は「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」すると定める憲法24条について、「婚姻の自由を定めた条文で、同性婚を禁じてはいない」と主張しているようだ。ヤフーニュース

この裁判の原告側は、どのような論理で、この“同性婚(同性間の婚姻)”を法的に主張をしたのか理解不能である。また、札幌地裁の裁判官はいったい何故、この病的な論理を受け入れて、このような判決を出したか。裁判においては、法律解釈を伝統的言葉を用いて行うべきである。

原告が、彼らが考えるように、同性婚を主張するのなら、憲法改正を主張すべきである。それなら、まだわかりやすい。

言うまでもないが、両性とは、異なる二つの性の意味である。婚姻は、男女が生活を共にすることの契約であり、多くの割合で子供を産み育てることになる。婚姻届は、例えば婚姻の事実に基づいて権利を要求するために行い、行政側はその権利を付与するための基礎的データとして、それを受理するのである。以下、すこしその点を確認する。

2)婚姻の意味から考えてみる

同じ伝統や習俗を持ち、一定の地域に棲む人達が団結して、民族を形成した。その民族の構成員が共同で、政治と経済とその基盤を護る為に作ったのが、国家という組織である。民族という共同体に、国家という機能体の骨格を形成(これを建国と云う場合が多い)し、それらを合わせて、例えば“日本国”と呼ぶことになる。(追補)

婚姻とその結果として子供を産み育てることは、この“日本国”を世代を超えて維持するために必須である。次世代を育て、「世代間協力」の環を継続する意味で、婚姻には一定の権利付与が国家により実施される。例えば、税制においては、配偶者控除や扶養控除などが設けられている。そして婚姻届は、そのような行政上の権利を主張するために行うことである。

従って、同性婚は個人的に公表するのは自由だが、同性婚に上記のような権利を得る論理的根拠が無いのだから、婚姻届を提出する意味は無い。同じ理由で、行政にもそれを受理する意味はない。因みに、権利の主張をしないのなら、男女二人が生活を共にすると私的に契約しても、それを届ける必要はない。同性婚に関する上記の記述も同様に考えれば良い。

「行政上の権利の主張をする為ではなく、同性の二人で、社会を構成する”世帯”を共有することの主張を公にしたいのだ」という意見があるかもしれない。しかし、それは異常な主張である。国家行政は、個人や世帯の宣伝の為の組織ではない。

独身で暮らす自由を謳歌するが、婚姻で受ける権利はほしいという我儘を受け入れる機能は、行政には無い。

追補: この国家形成のプロセスは歴史的なものではなく、国家の概念からモデル化したものである。「国家の三要素は、領土・人民・主権である」というだけの国家の定義では、人民が奴隷状態の国家と、市民革命を経た国家に区別はない。上記は、民族が主役の国家の形成モデルである。
(19日早朝、追補を加えた)

補足:

1)このシリーズ(I)を昨日の記事とします。

 

 

 

2)この判決を出した裁判官は、弾劾に値する。正常に日本語を用いる能力を失っていると思うからである。憲法15条の1に、国民の権利として、公務員の選定や罷免の権利があると書かれている。憲法78条には、「心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない」とあるが、この裁判官の心身は故障していて、職務を執ることが不能なように見える。

 

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