2021年4月14日水曜日

開かれた民主国と閉じた独裁国との戦い:中国と米国等欧米との対立

1)開かれた本来の米国と理想論(共産主義)で閉じられた中国との戦い

 

人間社会は、家族、大家族、地域集団、更には、国家やそれがつくる国際社会へと成長してきた。この成長は、もとの構造を包含する形で大きく複雑化する様式で進行した。そして現在でも、家族は依然として、もっとも小さな人間関係の単位であり、社会構造の単位でもある。

 

この成長の段階で、古い単位から、権利の一部が上部の組織に譲り渡され、それがその上部構造を造るための素材となった。欧州でのこの社会の組み上げは、構成要素である人間の権利とその主張の自由を出来るだけ確保する形で成された。(補足1)

 

その西欧型社会の枠組に挑戦する国として登場したのが中国である。この中国の本性を明らかにしたのは、トランプ外交の成果であると、伊藤貫氏は下の動画で教えている。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12654696184.html

 

昨年中国共産党政府は、香港、ウイグル、チベット、内モンゴル等で、人民の権利と自由を蹂躙した。その中国政府の振る舞いに、民主主義の世界は揺れ続けている。尚、そこで侵害されたのは、基本的人権であり、西欧において、社会構造を造るために譲り渡された権利ではない。

 

これら二つの社会では、構成員個人が社会に返上した権利が、大きく異なる。つまり、①共産党支配の独裁的な国家を為す中国では、平時においても基本的人権はない。一方、②個人あるいは大衆に開かれた国家中枢を持つ米国など民主国では、国家非常事態宣言が出ても尚、基本的人権の返上は抑制的になされる。

 

②の形態の特徴は、国家がつくる国際社会にも同じモデルを採用する点であり、国際社会の形態やルールに関する議論は、弱小国を含めて多くの国に開かれている。「善意」を信じる人達であれば、弱小国でも国際社会の中で存在し得るという安心感がある。

 

しかし、①の中枢は独裁政権であるから、国際社会の秩序を論ずる際に、他の弱小国家には議論が開かれていない。つまり、中国共産党政権のさじ加減により、弱小国の運命が左右される。この中国という国家のDNAは、弱小国相手の所謂「借金漬け外交」、他国要人に対する性や金銭によるトラップ、更には、多くの国を相手になされる戦狼外交などで、最近より明確になった。(補足2)

 

この世界史的な混乱は、この中華文明と共産党独裁思想とで作られた社会構造と、それ以外の日本、韓国、台湾などを含む欧米型の社会構造との間の、東アジア(西太平洋)での、地球規模の人類社会再編のプロセスである。このことは、「人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか」と題して、昨年10月5日の本ブログで、一度議論した。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12629638596.html

 

この争いの出発点は、政治と経済を分離して対中国外交を展開した、米国のニクソンとキッシンジャーの対中国政策:開放的な西欧文明が作り上げた繁栄する社会に、独裁的閉鎖的な共産党中国を、招き入れたことである。多数の羊が棲む牧場に幼い狼を敢えて招き入れたキッシンジャーの狙いは何なのか、人類への復讐なのか、聖書の予言の実現のためなのか?

 

共産党支配の中国と米国との密接な協力を、今だ主張するキッシンジャーという人物には、底知れない利己主義と恐怖を感じる。中国を巨大化してどこに導こうとしているのだろうか。バイデン政権が、この路線に戻らないことを期待したい。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12667547842.html

 

ニクソンはその後「フランケンシュタインを育てたかも知れない」と気づいた。昨年8月に書いた文章において、その補足3に書いた。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12617932531.html

 

 

2)開かれた社会とは何か?

 

ここで西欧が作った開かれた社会について少し書きたい。それは、米国を含め西欧社会も瞬間的には忘れることがあるので、注意が必要である。

 

開かれた社会とは、理想論を排する社会である。理想論に支配された社会は、彼らの理想以外の考え方を排除する。(補足3)人間の浅知恵では、理想モデルを立てても、何時かはその理想がとんでもない間違いに繋がる可能性が高い。

 

20世紀の共産主義がその典型である。勿論、開かれた社会では、21世紀後半?には共産主義の考えが必要になる可能性は残っているという主張も可能である。尚、理想論が社会を支配するとき頻繁に現れるのは、標語やポスター、短い言葉の繰り返しである。

 

それらは、民衆を洗脳するために用いられる。その段階では、その理想論を導き出した時の努力も経緯も忘れ去られ、それが宗教となって人を縛るのである。

 

一方、開かれた社会とは、理想を持たない社会であり、日々至らない部分を洗い出し、改良する社会である。そこで最重要なのは、事実の把握である。モデルは、足らない要素の洗い出しや、その改良とその戦略を立てる際に用いられる。

 

この開かれた社会を用いることで成功した実例を紹介したい。それは、科学の社会である。科学会では、最優先されるのは実験データである。ニュートンの法則やアインシュタインの理論も、完全なものとしては受け入れてはならない。全ての法則は仮説としての地位しかない。(補足4)

 

開かれた社会とは、文字通り反対論も受け入れて議論の対象にする社会である。そこで最高の地位があるのは、真実或いは事実である。開かれた社会の天敵は捏造や偽証、つまり嘘である。従って、政治的プロパガンダは、理想主義者の用いる手段であり、開かれた社会からそれを見れば極めて卑怯な政治手法である。言論の自由や学問の自由は、開かれた社会の鉄則である。

 

開かれた社会のもう一つの敵は無知である。「無知の知」は知を獲得する能力を言っているのであり、無知ではない。知と無知の区別にも関心がないのが、本当の無知であり、開かれた社会を無防備な社会とする。

 

3)健全な保守への期待:

 

 開かれた社会の主要なる政治思想は、所謂“保守”である。何故なら、保守は過去の歴史から学び、現在を考えるからである。故きを温ねて新しきを知る(温故知新)は、中国の論語の中にある有名な言葉である。それに加えて、新しい現象も良く観察して、政治に活かすべきである。

 

安易に理想論に走るのは、破滅の基である。カール・マルクスの言葉「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」は理想であるが、あまりにも安易な理想論である。人の欲望は無限であり、更に、その無限の欲望は、他人の権利侵害をも含むのである。

 

人は善良なる面を持つと同時に、邪悪な存在でもある。その人間の本質を深く考慮しない理想論は虚しい。日本社会は、中国同様本質としては、開かれた社会ではない。この点については今後議論したい。(14時20分;15:00編集あり)

 

補足:

 

1)この社会構築のモデルから、家族の崩壊を論じることも可能であると思う。つまり、社会の構造を、権利の返上という面から考えた場合、その様式は政治や経済、及びそのための人の行動様式などと密接に関係する。それらが国家の枠組みに影響するのなら、それは同時に家族にも影響する。

 

2)習近平政権になり、一帯一路構想やAIIBの設立などを経て、この中国の性質が明らかになった。中国はその社会構造に関して、欧米とは全くことなった思考の枠組みを持つことは、法輪功弾圧、ウイグルジェノサイド、南シナ海の岩礁の軍事基地化などで明らかである。自らの国際法無視を文化の違いだとして片付ける姿勢は、西欧文明に譲歩する姿勢がないことの表明である。

 

3)理想論とは、英語のidealismであり、頭の中での考え(思いつき)や論理のみで世界を論じることである。理想は、最上という意味ではなく、“頭で組み上げられた”くらいの意味。このアイデアルと理想的(=最高)の間の語感の違いは重要である。

 

4)ナノ(10億分の1)からサブナノメートル()の世界での電子の振舞に対する記述法を得たことが、近代科学技術の基礎となった。ほとんどの化学反応やナノの世界での物質の性質の説明は、量子力学を用いて始めて可能である。しかし、量子力学は直感的には理解が困難であり、言語上は矛盾を含む。それがアインシュタインが、量子力学の基本である確率波などの理論に強烈に反発した理由である。量子論の出発点が、アインシュタインが発見した光電効果だったことは、非常に教訓的である。言語は、我々の棲む巨視的世界を記述するには適切だが、ミクロの世界では通用しないのである。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/74308?page=3 

この教訓は、巨大化した世界の社会構造を考える上でも重要である。人間に与えられたチャンスは、この開かれた社会という構想にこだわることにあると思う。

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