2022年4月15日金曜日

東大入学式での河瀬直美氏の祝辞とその議論とについて

 

東大入学式に於ける映画監督河瀬直美さんの祝辞が批判されているようだ。相手にしていない人も多いのだろうが、一流大教授の批判であるから、一言書こうと思う

 

河瀬監督のウクライナ戦争についての言及:

 

「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか? 誤解を恐れずに言うと「悪」を存在させることで、私は安心していないだろうか?

(全文は補足1参照)

 

 

これに対する反応だが、慶應義塾大学の細谷雄一教授は、「ロシア軍がウクライナの一般市民を殺戮している一方で、ウクライナ軍は自国の国土で侵略軍を撃退している。この違いを見分けられない人は、人間としての重要な感性の何かが欠けているか、ウクライナ戦争について無知か、そのどちらかでは」と”厳しく”批判した。

 

東京大学の池内恵教授もTwitter上で、「侵略戦争を悪と言えない大学なんて必要ないでしょう」とツイートしたという。

https://news.yahoo.co.jp/articles/df7f783e908c159bcbaf4c5ec8282d90c32709e5

 

この二人の有名人は、「侵略戦争=悪」「戦争での民間人殺害=悪」という公式をロシアによるウクライナ侵略(TV報道の内容)に適用しているのだが、それはこれから東京大学に学ぶ若者に対する教育的な態度には程遠い。

 

公式をその適用範囲も碌に考えないで当てはめるのなら、中学生でも出来る。それに、この件に関するテレビ報道は客観性に欠けるかもしれない。更に、少なくともこの20年ほどの歴史的経緯を考えれば、この件に関する理解が変わる可能性もある。それらの配慮の跡が、これらの反論にはまったく感じられない。

 

これらの大学の先生たちも、公式を覚えそれを適用する教育を受けてきた末に、大学の先生になったのだろう。こんな人たちが一流大学の教育者であり続けることが可能な国に明るい未来などある訳がないと思う。(そもそも、大学の先生がこの問題に意見するなら、まともな文章にすべき)

 

善悪は宗教的概念である。キリスト教圏の善悪とユダヤ教圏の善悪が異なるように、何処でも成立する善悪の物差しなど存在しない。慶応大の細谷氏に「戦争で民間人を殺害することは悪である」の理由を問えば、国際法の公式集に書いてあるからというのだろう。しかし、世界の政治は国際法を基準に動いてはいない

 

前記事にも引用したのだが、ユダヤ教のラビ(つまり先生)である、米国サイモン・ヴィーゼンタール・センター(補足2)のアブラハム・クーパー副館長が、新潮社編集部の取材で広島と長崎への原爆投下について語った以下の言葉が「その冷酷な現実」を示している。「率直にお話ししますが、個人的に言うと、私は原爆投下は戦争犯罪だと思っていません」(「新潮45」2000年12月号)

 

細谷氏は、現実の世界政治に大きな政治的影響力を持つこの組織の幹部の方のこの発言を消化吸収して、何か教訓を得ることが出来るのだろうか? このような発言を聞いて、それを現実の国際社会において日本に何ができるのか、考えることが出来るのだろうか?

 

水耕栽培のレタスのように、現実の世界から離れたところで教育をうけ、そのまま大学の先生になれば、このような愚かな批判をすることになるのだと私は思う。だいぶ前(2019年12月)に、日本の低迷に関連して「日本の景気低迷と情実人事」という表題で書いたことである。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12556307937.html

 

2)ウクライナ戦争について:

 

ウクライナ戦争の歴史的経緯については、ロシアによる侵略が始まる凡そ10日前に書いている。そこに、NATOのウクライナへの拡大をゼレンスキーがあきらめれば、或いは欧米がウクライナをNATOに加盟させないと言えば、戦争は防げたと書いた。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12726626308.html

 

ロシアがウクライナに侵攻した日に、そのニュースを聞いた後、「ウクライナの件:ウクライナは武装中立の立場をとるべきだった」という表題の記事の中に、今回の戦争の真相と思うところを書いた。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12728559999.html

 

戦争の真相は、ウクライナの国民の命を用いて、プーチンのロシアを崩壊させるとともに、それを長引かせて、中間選挙で何とか勝とうと考える民主党の大統領一派の企みであると考えている。それは国際政治評論家の伊藤貫氏(在米)の考えと同じである。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12735014774.html

 

ただ、ウクライナの大統領に雇われたユダヤ人ゼレンスキーにNATO加盟を諦めさせることなど、最初から無理な話だったのだろう。彼らにとっては、自分たちの新しい世界秩序の建設のためには、広島長崎で行ったような民間人殺害だけでなく、ウクライナで民間人が数万人殺されても、計算範囲内の小さい出来事なのだろう。

 

3)河野氏の祝辞について

 

この件、河瀬直美さんと上記大学の先生方との議論があれば、大変おもしろいことになると思う。議論の文化が定着していないのが、この国の政治的経済的低迷の原因として最大のものである。

 

河瀬氏は、上記発言に続いて「自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要がある」と新入生たちに訴えたと記事に書かれている。この方も左翼の愚かさに頭脳が侵略されているのだろうかと、最初は思った。

 

そこで河瀬直美氏の祝辞全文を読んでみた。そして、全体としてはなかなか良い内容の祝辞だとわかった。後に引用した②の次に、日本がこの戦争から学ぶべきことを付け加えれば良かったと思う。

 

この祝辞では、金峯山寺というお寺の方との会話を引用している。

 

「金峯山寺には役行者様が鬼を諭して弟子にし、その後も大峰の深い山を共に修行をして歩いた歴史が残っています。節分には「福はウチ、鬼もウチ」という掛け声で、鬼を外へ追いやらないのです。この考え方を千年以上続けている吉野の山深い里の人々の精神性に改めて敬意を抱いています。」

 

この寺の紹介の後に、①と②の言葉が続いている。私は、この寺の管長の方との会話が、“この世界の全てが夫々の役割を果たすことで調和が保たれている”という仏陀の視点に沿ったものであり、今回のウクライナ戦争に対する議論に円滑に接合させるのは無理だと思う。その失敗が、上記のようなネットでの攻撃に繋がったのだろう。(補足3)

 

このウクライナ戦争で我々が考えなければならないのは、この件を考察して日本が今後の外交にどのように反映するかである。この日本を第一に考えるべきだとテレビで言ったのは、私の視聴の範囲では、あの一時期政治家だった杉村泰三さんだけであった。

(11:30, §3を加筆修正;18時小編集あり)

 

 

 

補足:

 

1)河瀬直美監督の祝辞を批判する国際政治学者らのツイートは以下のサイトにある:

https://news.yahoo.co.jp/articles/df7f783e908c159bcbaf4c5ec8282d90c32709e5

尚、河瀬氏の祝辞の全文は、以下のサイトにある。

https://www.j-cast.com/2022/04/13435229.html?p=all

 

2)サイモン・ウィーゼンタール・センター( Simon Wiesenthal Center)は、ロサンゼルスに本部を置き、ユダヤ人大量虐殺の記録保存や反ユダヤ主義の監視を行い、国際的影響力を持つ非政府組織である。

 

3)仏さんがあの世の入り口で、この世で殺人を犯した者に「人の世での苦労も、為した悪も合算すれば、全ての人間に大差はない。お前も極楽往生じゃ」と仰せになるとして、その論理をこの世の出来事にそのまま適用するのは間違いである。仏様には仏様の論理、この世にはこの世の論理があるのだ。つまり、お寺の管長さんの仕事上の言葉を、現実界の出来事に用いるべきではない。

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