2023年4月24日月曜日

民主主義という幻想と新民本主義の提案

追補: 以下の文章で用いた総意という単語に誤解がありました。総意は総合的な合意の意味で用いたのですが、全員一致の意思の意味に受け取れるようです。何事においても国民全員一致はあり得ませんから、本筆者の頭の中には、「全員一致」=総意という定義は最初から存在しませんでした。つまり、以下の「総意に基づく決定」とは、「少数意見の切り捨てではなく、議論を尽くし多数決で決定」という意味です。という訳で、以下の文章中の総意=>合意と解釈してください。この点を指摘いただいた読者の方に感謝します。この点を指摘いただいた読者の方に感謝します。

 

1)政府の嘘で成り立つ米国型民主主義

 

日本や欧米は主権在民を謳う国であり、民主主義政治を採用している。なお、主権在民とは国家統治の権威が国民に存在することを意味し、民主主義は国家権力の行使が国民の総意に基づいてなされる政治制度を意味する。

 

しかし、この政治制度で国が長期に平和を維持できると考えるのは幻想であることが現在明らかになってきた。これまで一応安定を保ってきたのは、本当の支配者が別に存在することと、その支配者に国を不安定化させる理由がこれまで無かったからである。

 

この民主主義国の現実を明確に示しているのが、現在不安定化しつつあるアメリカと欧州各国の姿である。例えば、アメリカが国内政治とは全く無関係なウクライナの政治に介入し、ロシアを不倶戴天の敵として作り変えたのは直接米国民の為を考えてのことではない。(ウクライナ戦争については:https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12726626308.html コメントとhttps://ameblo.jp/polymorph86/entry-12727350115.html を参照)

 

この民主主義の特性に関連して、渡辺惣樹さんが「国民を欺く方法:政府戦時に嘘をつく理由」という表題で語っている。(補足1)https://www.youtube.com/watch?v=5OuDZ3hceds

 

 

これらの国々の政治の特徴は、政府が国民に様々な嘘をつき、マスメディアがその手助けを行うことでその本質をごまかすことである。本当の支配者が別に存在し、国民の意思とは別の目的で国家の運営を行うという真実の姿を国民から隠すためである。

 

フランスもドイツもウクライナも、国家機関のトップを選挙で選ぶ民主主義の体制をとっている。しかし、その国民たちが今のような戦争やその拡大の可能性を受容する筈はない。

 

この戦争は歴史の偶然ではなく、ソ連崩壊の時から明確に計画された方針により引き起こされた戦争である。民主主義のリーダーと目されてきた国の関与が明確になっている。それは2014年の政変に於ける現国務副長官の関与やその音声が明確に示している。(詳しくは上に引用の本ブログサイトの記事と以下の遠藤誉さんの記事参照https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20220506-00294750 )

 

この地域での内戦や動乱の全てに責任があるとは言えないだろうが、20世紀の後半から彼ら真の支配者が利益のために、それらに大きく介入したことは事実である。東欧やアラブの諸国に民主主義制度が持ち込まれたが、それらの国家の安定のためではなく混乱のためである。

 

日本の民主主義も、更に民主主義そのものにも、本質的な欠陥があると今では考えられている。この件、5年以上前に本ブログでも一度議論している。久しぶりに以下に再考察する。5年前の文章は最下段に引用する。


 

2)国民の総意で国家が運営できるという妄想:

 

人間の能力の分布は分野においても程度においても非常に大きく、この文明社会建設の要所を担った者は極めて少数の知的或いは感覚的に優れた人たちである。一般大衆は現在の高度文明社会の受益者であってもその構造や統治の技術に於いては低いレベルの理解しかない。

 

この無知なる大衆の一票で国家の運営者を選び、この複雑で高度な文明社会の舵取りが出来ると思うのは幻想にすぎない。また、そのような政治家で構成される国家機関が、高度な諜報を駆使する専制国家との競争と協力の中で、正しい選択をする能力があると考えるのは間違いである。

 

上に引用した渡辺惣樹さんの動画によれば、民主主義国家を標榜する欧米や日本では、見えない所で知的で組織された支配者が、彼らの利益の為にそれらの国々の政府を動かしている。そして、夫々の政府は国民を嘘でだまし、その事実を胡麻化しているのである。

 

その支配者の本拠地となった国は、外国の脅威を事件の捏造とプロパガンダで誇張して国民に伝え、国民の税金と国の若者の命を消費することで利益を得てきた。日本のような衛星国も、益々不安定化する今後の世界にあって、国民の命が危険に晒される危険性が高い。

 

中国や全世界の経済危機も作られたもの、或いは未必の故意によるものである可能性が大きく、その結果として台湾危機の可能性が高くなっている。(補足2)真の支配者の意向のままに動く現日本政府は、愚かにも、積極的にそれに参加する様に見える。その構図では、ウクライナ戦争でのゼレンスキー氏と台湾危機の岸田氏が相似形となる。

 

しかも、それが国家の防衛の名で進められようとしていることを、国民は自分たちの命がかかっているのだから、知的にある程度優れた者は義務として、真剣に知恵を絞って考えるべきである。そしてその結果を、周知する努力をすべきである。

 

そこから逃れる方法は、現段階では理想論かもしれないが、その真の支配者から政治権力を取り戻すことである。そのうえで、世界の現状を正しく認識して、我々国民の利益のために国政及び外交を再考する。そして、他国の利益のために命を差し出すようなことは避けるべきである。

 

勿論、真の支配者は、隷属者を手放そうとはしない。しかし、遷移状態の今、真の支配者も弱点を晒すようになっている。何よりも必要な条件は、目覚めた人たちが多数になることである。

 

民主主義国家で非核三原則という檻の中で、捕らわれの猫のような状況にある限り、先の展望はない。先ずは、吉田茂から佐藤栄作までの卑怯な連中を歴史のなかで否定することが急務だろう。伊藤貫氏は、その枠から出るように日本在住日本人を嗾けている。


3)新民本主義の提案:

 

国は、国民の福祉向上のために諸問題を解決する機能体であると同時に、国民すべてが独自の私空間を持ちながら協力して生きる共同体でもある。共同体の原則は、構成員全ての権利と意思の尊重である。しかし、国民の協力なくしては国が崩壊するし、国が崩壊しては国民の生活も不可能となるので、国民には公共の福祉を優先するという義務が課される。


多くの国がこの地球上で、争いと協力の渦巻く中で、“生きている”。知的に優れた極一部の人達が、この文明社会の各種機関の運営を善意に基づいて行わなければ、その国は停滞し独裁国家などとの競争に負けて滅亡する危険性が高い。

 

つまり、国を平和裏に安定に運営する必須条件は、上記知的に非常に優れた人たちが、高貴なる責任(noblesse oblige)を心得てこの社会を統治することである。

 

これらの条件を満たす国(社会)の在り方を以下少し考える。以前、「人間社会の動物モデル」(補足3)と題したブログ記事にも書いたが、国家機関は全ての細胞を統制する権力を持つ脳に相当する。政府官僚(脳細胞)は手足や内臓(会社や各種団体等)の働き無くしては生きていけないということを自覚している。つまり、頭脳が指令を出す権威は、動物全体の細胞全てが持つ。

 

この統治の権威と権力の(正しい)分離が、全ての国民のための国の生き残りの必須条件である。国家運営の権威は国民すべてに存在するが、権力行使はそのうちの一部委員に譲り渡し、その委員が受け持ち部分の意見を吸い上げて政府機関を作り上げるのである。この形を民本主義というのなら、民本主義には将来性がある。それは吉野作造が作った言葉(補足4)だが、これはその現代版である。

 

具体例を言えば、日本国籍を取得後日本在住三世代目以降の人で、一定の資格試験を経て人口の0.1%程度を政治委員として選定する。それらの人々に政治の全てを委任するのである。国会議員への立候補者も、彼らの中から選ぶ。その政治委員に一般市民から意見を吸い上げる義務を与え、一般市民のリコールが成立すれば解任されることとする。

 

中国の政治制度(補足5)との違いは、政治委員が国民から一代限りの代表として選ばれる点、そして国民のリコールで解任される点であるが、最も大きな違いはこれまでの文化の違いだろう。つまり、「公」という価値観を持つ日本なら、仮にリコールがなくても、中国のようには腐敗はすすまないだろう。

 

全国を1万区程度に分割し、一つの区を10人程度の政治委員で担当する。彼らの中から出た立候補者から、選挙で下院議員を100名程度選ぶが、誰に投票するかは区の政治委員の投票で決める。上院議員は別途、会社の創業者や学術の分野で顕著な実績を挙げた人物を、例えば下院の選挙で選ぶ。

 

これに対して、別の方法を元ウクライナ大使の馬渕睦夫氏が提唱している。それは、古来からの天皇制を君民共治の政治と解釈して、江戸以前の天皇制へ戻ることである。しかし、それは時代錯誤というものだろう。https://www.youtube.com/watch?v=y3R5z6yk7c8 

 

 

補足:

 

1)渡辺惣樹さんは、主権者の国民をごまかさなければ、統治者が好きなように政治、特に戦争できないと言っている。

 

2)多くの戦争の背後に不況がある。第二次大戦もその背後に世界大不況(1929年から)があった。今後、世界はこれまでの大規模な金融緩和の結果、山のような大量の不良債権を発生し、信用収縮とインフレの苦を味わうことになると考えられている。

 

3)国には、様々な分野で半ば独立した機能体が存在する。会社や教育機関、その他の団体である。国はそれらを束ねて、その上に政府組織を持つ。政府組織が脳なら、各分野は動物の器官に譬えられる。そのように考えて作ったのが、国家の動物モデルである。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12588475327.htmlhttps://ameblo.jp/polymorph86/entry-12588961158.html

 

4)吉野作造は、本当は民主主義を推奨したかったのだと思う。しかし、天皇を君主として国家が出来上がっている以上、民本主義としか言えなかったのだろう。ここでは、その揚げ足をとって、天皇を君主に戻さずに、民主主義を大きく変更する際の看板に使っただけである。素人の議論なので、批判をいただきたい。

 

5)中国のような専制国家では、知的に優秀な人材が支配層をなし、その中で競争と選択により最も優秀な統治能力を示したものが執行部を形成する。これが中世的独裁にならなければ、国際競争においては民主主義国よりも有利である。中国では国家の幹部が世襲制で維持されておらず、支配層(共産党と呼ぶが共産主義組織とは必ずしも言えない)は一般からも選ばれる。現在の中国は、中世的独裁国に変貌する可能性があり、それは中国共産党政権の崩壊の始まりとなるだろう。

 

以下に、20179月に書いた記事を再録する。政治を大衆に任せて良いのか? | Social Chemistry (ameblo.jp)

 

(15:45、補足4を追加;翌朝、語句修正;4/26/7:00 冒頭に追補)



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