2014年7月30日水曜日

佐世保の高校での殺人事件:生徒に対してすべき説教

 佐世保での高校一年生女子による残忍な殺害事件は、友人で同級生でもある女学生が被害者であったこと、及び、遺体の切断を行なったことなど、非常にショッキングな事件であった。
 その後、その女学生が所属していた学校で、生徒に命の尊さを改めて説く(注釈1)、先生方の愚かさも、何時もながらがっかりする出来事であった。ガザ地区で千人の子供を含む市民が、邪魔者として殺されている現実が報道され、テレビで視聴している子供達に、どのように命の尊さを説くのか?テレビの前に居るであろう一般市民を意識して、括弧つけても仕方ないだろう。
 すべき説教は:
1)自分の命が、他人にとって殆ど価値がないと看做されることが、非常に低い確率であるが現実に起こりうること。
2)社会の安全と人々等(注釈2)の間の信頼感は、国にとって非常に大きな財産であり、日本国は未だ、その点において、世界のトップにあること。
3)最後に、その信用度の高い日本社会を守るのが、現在の政治の責任(注釈3)であり、未来の君たち若者であることである。
 「命の重さは地球より重い」というフレーズを繰り返しても、現実には、紙のように軽く扱われることが起こる以上、頭には何も残らない。
  補足:
1)道徳としての命の尊さは、儒教のおしえ”己の欲せざる所は人に施す勿れ”として、既に小学校などで教わっている。また、法的な意味では”全ての国民は自由と安全を享受する権利を有すること(憲法11, 12条)”として恐らく中学校で教わっている。ただ、最後の箇条書きの2)”安全が国家の財産であること”は、あまり教わっていないが、社会として非常に大切なことである。
2)人々等とは、人々、法人、行政などを指す。 3)この事件、犯人の女子生徒の異様性に、異なる文化を感じる。ひょっとして、家畜などを屠殺解体を普通の事として行なう文化の下で育ったのではないだろうか。この件は当初から書くべきかどうか迷っていたが、今朝決断した。政治の責任の注釈としたのは、将来の移民受け入れに関する議論を意識したからである。

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