2014年10月21日火曜日

尊敬できない大臣をもつ国民の不幸:大臣はテレビタレントではないのだ

 ここ数日大臣の辞任問題がマスコミをにぎわせている。一昨日のブログ記事に続いて、若干議論を追加したい。

 小渕優子氏(元経済産業大臣)の政治資金の使い方には疑問点が多数あり、辞任は当然である。しかし、松島氏(元法務大臣)の辞任にはビックリした。選挙区の祭りで団扇を配って、自分の政治活動を宣伝する事位、追求する側の蓮舫氏もやっていた。ただ、その厚紙を手に持つ取手部分をつけなかった蓮舫氏が追求も受けず、松島氏が配布したのには取手が付いていたことで、その団扇のようなものに商品価値が生じ、選挙資金規制法にひっかかるのだという。どうせ、官房が独自に辞任勧告したのだろう。どちらにしても、そんなことは証拠書類と告発状を検察にわたして、後は政策の議論に時間を使うのが本来の議会のありかただと思う。

 別の方向から見れば、松島大臣の辞任は、内閣の自信の無さを表わしている。つまり現内閣は、”社会はもっと女性を重用すべきである”との持論を、女性5人を大臣に指名することで実行に移して人気を得たかったのだが、その浅はかな考えが裏目にでたのである。
 もっとも大臣なんて、官僚が協力してくれれば紙を読めば良いだけなので、現状の政治では誰でも何の問題もない。むしろ相対的に優秀な政治家が大臣として来た時、官僚に嫌らわれて目に見える失敗をするだろう。そのような内閣の実態は、初級漢字が読めない人でも大臣が勤まっていることで解る。
 本来、国会議員や大臣などの政治家は、国民から尊敬されなければならない。失礼だが、小渕優子さんの何処に、国民が畏敬し尊敬する姿を見つければよいのか? 地元事務所の職員を直接指導している姿すら想像出来ないし、実際していなかったのだろう。神輿にのるお姫様では、それを大臣として仰がなければならない国民に失礼だろう。

 官僚連中の手のひらで踊るだけの大臣(注1)なんてどうでも良いし、その交代劇の報道を、テレビニュースやニュース解説、バラエティー番組の大半の時間を消費する馬鹿さを、国民は理解すべきだ(注2)。また、たまに見るテレビの国会中継で、例えば何何委員会というのを視聴しても、本来の行なわれるべき議論より、関係のない政治スキャンダルの暴露合戦をして、時間を費やしている事が多い。それをテレビ中継するのも無駄だし、それを視聴するのも時間の無駄である。

 兎に角この国のあらゆる組織が、そのトップが議論を引っ張るような健全な姿になっていない。各省庁のトップは、(官僚からもらった)思い付きを企画案らしい形の文書に作り上げさせ、それを国会で喋るだけの存在である。省庁の担当者と議論して、その政策の有用性やら弱点欠陥などを議論する事は(知識などに差がありすぎて)出来ないだろうし、官僚も責任を取る必要がないと考えて、いいかげんに数値をあわせて立案するのだろう。

 その良い例が、企業に太陽光発電させて、電力会社に高値で買い取らせる制度の失敗だろう。10年で設備投資の元金が回収できて、あとの10年の売電料金はそのまま利益になるなんて、そんな制度を作ればどうなるかが議論もされていなかったし、予想もできなかったのだ。内閣官房の政治家たちと具体的な政策案として文書に纏める官僚達の、発想力の無さ(注3)を証明している。
 残念ながら大臣などの政治家のレベルは年々低下し、国民は政治家をバカにし始めている。本来国家の為に働くべき官僚は、国民からは税金を無駄使いする犯人と思われ敵視されている。この国の将来は危うい。

  注釈:
1) この国には民主政治などない。官僚独裁の国家である。その官僚連中も専門的知識と実力に乏しく、米国などの同等の地位にある者とは比較にならない。つまり、なんとか霞ヶ関を小さくし、出来れば最初から官僚を目指している東大法学部卒という発想力のない人たち(注2参照)から政府機能を取り戻すべきである。
2)この種のスキャンダルの報道が、娯楽番組となっているとしたら、本当に情けない事である。
3)官僚や官僚卒の政治家には東大法学部出身者が多い。職業を意識して法学部を選ぶ人に発想など期待できるのだろうか。文系の法学部は、理系では数学科に相当する。どちらも感覚よりも論理を優先する世界の学問を対象とする。法学部卒を第一選択肢にする人に、政策立案には必須の、社会や人間に対する鋭い感覚なんて期待できないのかもしれない。

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