2016年5月22日日曜日

戦後の自民党政治(55年体制)と二大政党制の必要性:そこまで言って委員会での議論に対する感想

1)“そこまで言って委員会”で戦後の政党政治を振り返っていた(22日午後2時20分まで見た、名古屋地区)。戦後の政治を振り返って、55年体制が長く続いたのは何故か、日本は二大政党制が良いか、一大政党制がよいかなどとか、民進党と自民党の二大政党制はどうか、などについて喋っていた。

先ず、「戦後55年体制が長く安定に続いたのは何故か」という問題がとりあげられた。それに対しては、筆坂氏やざこば師匠の言った「経済最優先の自民党の政策で、安定した経済成長の下、国民が生活に不満が少なかったから」が妥当な答えだと思う。その答えになんとなく違和感を感じる竹田恒泰氏が、「経済最優先の路線をとる一方、国家の基本的な構造を完成するには必須の、独自防衛力の整備や憲法改正を置き去りにしてきた付けに今、苦労している(補足1)」と指摘した。この指摘も、「日本でまともな二大政党制ができなかった原因」と関係が深いと思う。

つまり、日本で二大政党制が育たなかった最大の原因は、中選挙区制などではなくマッカーサーによるパージであり、その点を参加者の方々は見逃していると思う。それまで政治に携わってきた人たちの多くは、東京裁判とパージとにより政治や行政(公務員)の舞台から追放されたのである(補足2)。残された鳩山一郎などの僅かの党人政治家たちは、マッカーサー支配下で力を持つ官僚政治家の吉田茂と吉田学校の生徒たちに合流するしか、政治参加する方法がなかったのではないだろうか。

官僚政治の基本は上層部の大筋の決定に従って、円滑に効率的に業務を進めることである。従って、大きな国家の骨組みのような問題は、官僚のそして官僚政治家たちの視野の外にある。そして、保守合同後54年間だらだらとした自民党支配の政治が続いたのだろう。その結果、国民から日本国家の骨組みである防衛や憲法を考える機会を奪い、完全に視野の外に遠ざけてしまうという、大きな負の遺産を残したのだ。

鉄は熱いうちに打てという格言の通り、後になればなるほど日本は、米国の属国としての政治体制からの脱却が困難になったのである。吉田茂は、その点をあまりにも甘く見ていたのではないだろうか。佐藤栄作に至っては、国家の骨組みをどう再生するかなどについては、視野の外にあったのではないかと疑う(補足3)。

2)二大政党制を目指した小選挙区制は小沢一郎氏が中心になって1994年に実現したが、形だけでは意味がない。生まれつきの政治屋である小沢氏は、選挙に勝つためという視点のみで候補者を選んだため、政治家の質を急激に低下させてしまった。小沢ガールズと小泉チルドレンというふざけた用語をマスコミはどのようなつもりで流行らしたのだろうか?

この政治家の質の低下を解決するため、中選挙区制に戻すべきであると竹田氏は言っていたが、既に低下してしまっている政治家の質は急には上がらない。政治家の質の向上には、なによりも国民の政治参加の意識(国家への貢献の意識)の向上が必要条件であるが、戦後70年の間にほとんど消滅してしまい、急には回復しない。私は、国会議員の定員を1/4にし、且つ一院制(定員は、現在の衆議院の1/2)にするくらいの荒療治が必要だと思う。

今年は、米国の大統領選挙の年である。「米国の若者の血をなぜ中東やアジアで流す必要があるのか?」有力候補者となったトランプ氏がこの“原点に存在する大きな問題”を指摘するのは、今世界の政治が大転換しようとしている証である(補足4)。「日本も韓国も核武装すれば良い」この発言も日本の防衛という国家の骨組みを考える上で、原点に存在する問題に対する指摘である。日本の正統派的な政治評論家は、彼の意見を馬鹿げたものだと言ってきたが、それは完全に間違っていると思う。

日本の国民の政治意識は、テレビにまともな政治評論家の顔をして出演しているこれらの人たちによって原点から遠いところ、つまり「米国への完全依存」、に連れられ閉じ込められている。今こそ原点に帰り、国家の問題をゼロから考え、日本国の将来を考える能力ある人たちを、もっと国会に送りこむべきである。

大事なことは、国民全てが国家あっての日常生活であることを学ぶことである。それが、政治の原点である。国難を前にして、町内会から市民会館レベルでの討論を、各地方自治体の主催で広範に行うのも一案として良いと思う。

3)因みに、二大政党制が機能するには、理想主義(米国では民主党)と現実主義(同じく共和党)の二大政党で議会が構成されなければならない。社民党やそれと合併する可能性の大きな民進党は、そのどちらにも入らないのである。自民党は1955年にこの理想主義政党と現実主義政党の両方が合同した。つまり、本来の多数派を形成する政治家は全て自民党政治家になってしまったのである。

党内与党と野党を含む自民党の一大政党制しか、戦後日本は採用できなかったのである。現在、安倍内閣という、久しぶりにまともな政権が成立しているので、当分は安倍さんにがんばってもらうしかないだろう。(5月23日7時に校正)

これは素人のメモです。適当に読み飛ばしてください。

補足:
1)録画していないので、発言通りではなく内容を思い出して出演者の意見として「」内にいれて示しています。
2)1946年の選挙での候補者でみると、民政党の追放は壊滅的で、274人のうち264名が追放された。鳩山の自由党は43人のうち、先ず30人が追放された。しかし、鳩山の自由党は第一党になったが、そこで鳩山自身も追放されたのである。鳩山は1951年に復帰(片山鉄哉、日本永久占領 96頁)
3)非核三原則という後世まで日本の外交戦略を縛る愚かな発言をし、ノーベル賞というプライベートな利益を追求した姿勢は許し難いと思う。
4)これまで政治を動かしていたのは、一般国民ではなかった。しかし、インターネットの普及と格差拡大が、一般国民に政治意識を向上させた。米国の旧勢力は現在危機感を抱いている。それが、話題になっているブレジンスキー氏の過激な発言となったのだろう。https://www.youtube.com/watch?v=Gc9rsvBIh9U

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