2016年7月18日月曜日

有力な意見を一つしか持てない日本の悪い文化

日本では、中心となる勢力の意見が唯一正当性を持つ考えである。それで日本全体が一致団結しなければならない。そこから外れる人間は非国民となる。

昨日の「そこまで言って委員会」で、中国がテーマになっていた。日本人コメンテーターは、AIIBの失敗や中国経済の崩壊のシナリオを、中途半端な知識しか持たないくせに宗教の様に信じている。それは日本の正当な予測だからである。唯一ゲストの中国人実業家の宗文州氏の話に説得力があった。“中国経済は発展鈍化するが、健全であり崩壊しない。それは、経済の中心は共産党政府ではなく、たくましい中国人個々の活動により支えられているからである”というのである。

その考えに沿って、成長が鈍化する直前に中国株を売り払い、今年5-6月に買い戻したという。「皆さんと違って、僕は喋るのが仕事ではない。自分のお金で投資して、稼ぐのが仕事である。視聴者の皆さんは、僕の言ったことを記憶して検証してほしい。」と発言した。番組の中ではこの強烈なパンチとでも云うべき宋氏の言葉はコメンテーターの中に何の反響も呼ばなかった。そして、コメンテーターにはなんの反駁能力もないことが、その後の番組の流れが証明していた。この正鵠を得た意見を取り込むことを、日本の事情が許さないようである。(補足1)

日本では、中国は敵対国であるから、“その経済や政体が崩壊することが好ましい”という希望的観測が、主なる勢力の方向を向いた人々の間で反響して、“その経済や政体は崩壊する”に変化するのである。この希望的観測が現実的観測に変化する現象は、中国問題だけにあてはまるのではなく、日本の(政治)文化そのものである(補足2)。また、その前提である“中国は敵対国である”も同様に、日本の中で(より正確には、米国支配下の日本の中で)、醸成された精製された政治テーゼの可能性が高いことに、人々は気づいていない。

西欧の多くの国では、常に正解を挟んで選択肢を二つ以上置く。プラトンなどギリシャ文明からの伝統かもしれないが、一人では正解に近づけないことを西欧文明は知っているのである。日本では対立する意見は、メジャーな勢力が抹殺するのが常である(補足3)。再び中国問題に戻って例をあげれば、AIIBの顧問になる予定の鳩山由紀夫氏は、お笑いの種である。その意見を一度は真面目に聞こうとする人も番組もメジャーな勢力の中には全くない。笑うのは、意見を聞いてからでも遅くはない。

補足:
1)この意見を番組ではほとんど無視することで、コメンテーター達の名誉をかばった。辛抱氏は当否を知りつつ、日本の主なる勢力の分析を守ったのである。この番組が面白くなくなった理由の一つは、この司会者が番組を支配する放送局重鎮の意向に従順だからだろう。
2)古い例を挙げる:真珠湾攻撃は一部成功であり一部失敗であった。この失敗部分は、メジャーな勢力が好まないために忘れ去られた。真珠湾には空母は一隻も居なかったのである。しかし、真珠湾で大勝した日本は破竹の勢いで進むという希望的観測が日本を支配した。その希望的観測は虚しく、ミッドウエイで4隻の空母を失う大敗をする。しかし、ミッドウエイでの大敗は当初陸軍には知らされなかった。(「永遠のゼロ」より)
3)20世紀の初め、美術界は黒田清輝が支配したようだ。昨日の日曜美術館では、吉田博の版画が黒田清輝の支配する日本美術界で受け入れられなかったという話があった。以前、フランスで有名なレオナールフジタ(藤田嗣治)が帰国しても黒田清輝の支配する美術界に受け入れられず、再びフランスに戻ったという話を聞いた。独裁がこの国の文化のようである。

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