2019年7月4日木曜日

議論なき国家の直情的な対韓国経済制裁:今回の国家的決断は広い視野での議論を経由していないのでは?

現在西欧文化圏にある国々が世界の中心的プレイヤーであるのは、議論の文化を持つからである。西欧はギリシャの昔から、議論を通して優れた知恵を育てる方法を知っている。その代表的成果が科学である。現代科学は、西欧の自然哲学者(科学者)が議論し、それを長期にわたり継承し積み上げた結果である。

日本は幕末から明治初期に掛けて、西欧政治文化を輸入して大きな成功を収めた。しかし、その方法論の底にある哲学を継承せず、明治の元勲亡き後は、議論の無い闇の坂道を転げ落ちたと思う。

韓国への半導体製造のための原料禁輸措置を知り、その日本の国家的決断が、広い視野の中での議論の結果として出されたのだろうかと言う疑問が心に浮かんだ。

1)ある問題が生じたとする。中心的な人物がその解決法を提出したとしても、大抵は最善策からは程遠い。それを優れた知恵にまで高めるには、別の視野を持つ人が議論に参加し、最初の意見の部分的否定と新しい方法の提出があるべきである。その議論に参加する人が多いほど、幅広い視野から優れた知恵が育つ可能性が高い。

日本には残念ながら、そのような議論の文化がない。日本における至上の価値は静寂である。慎み深い人や“有徳の人”は、意見を述べて静寂を破ることを慎む。(”世間を騒がす”は、拙い行いの形容となっている。)その為、人物の評価は極めて困難であり、人事は主に出自、学歴、家柄などの肩書でなされる。そして、ある人の意見の重要性は、その内容よりもその固定化された肩書による。その結果の検証も議論がないので成されない。

したがって、有力者の発した言葉は重く、その分身の如く受け取られる。それは言霊文化の背景でもある。一つの意見に対する反論は、そのままその意見の主に対する人格攻撃に近くなる。そのため、ほとんどの人は言葉で何かを主張することや、人の意見を批判することを危険な行為だと考える。

  日本が、20世紀の前半に国家が一度ほとんど滅んだのは、その議論を避ける文化の所為であると私は考えている。この場合、その議論の舞台は御前会議である。

2)日本は当時、重要な国策を天皇が臨席する御前会議で決定していた。そこで、天皇はほとんど自らの意見を出すことはなかった。御前会議で天皇に何らかの役割があるとすれば、議論(口論から闘争に発展する可能性が高いので)を抑制することにあったと私は理解している。そして、御前会議が終われば、原案に修正がほとんど成されずとも、重さを大きく増す。

「和を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ」が、御前会議における天皇の視線による指示であっただろう。決して、「万機公論に決すべし」では無かった筈である。それが外交の場面でどれだけ不利か、知的な人なら直ぐに分かるだろう。もし後者なら、天皇は自らも発言した筈である。発言しない有力者の出席は、他の出席者の議論には有害無益である。

今回の対韓国経済制裁は、G20の会合で議長国としての総理発言に矛盾するだろう。(補足3)自由貿易の重要性とか開かれた国際関係とかを強調しながら、数日後に自分の言葉を否定するような外交は、日本に対する信頼感を減じる可能性が高い。その経済制裁という手法は、トランプ流に似ている。日本は、世界一の経済大国、世界一の軍事大国、そして国際決済通貨を発行する世界のリーダー米国の大統領の真似はすべきでないと思う。

しかも、現在の米国大統領は明らかに多極化の世界を目指している。トランプは、日本に米国の核の傘も、安保条約も、対米輸出の利益も、これまで通りには許さない方向に日米関係を導くだろう。その近い将来を念頭に、今回のようなドラスティックな外交政策は疑問である。

今回の対韓国のフッ化水素などの禁輸措置の準備は、政府の一部で綿密に成されただろうが、所詮狭い視野の下での議論しか経ていないだろう。勿論、条約の意味も理解しない隣国による日本資産の差し押さえは暴挙である。しかし、それに対抗して、全世界のサプライチェーンを不安定化する類の経済制裁は、世界から非難を浴びるかもしれない。そして、自国の国際的信用を毀損するという大きな損害が伴う可能性が高いと思う。

3)このような唐突な決定は、過去にもあった。小泉内閣のときの強引な皇室典範改訂の動きもその一つである。あの議論ではなく権威付けのためだけの有識者会議を思い出せば、日本の病根を見るような気になる。元東大総長が座長を務めたが、彼は工学を専門とする日本文化に全く無知な人間であった。

最近、IWCから撤退して商業捕鯨が開始された。食の文化に干渉する諸外国の姿勢は、不合理である。そして、捕鯨禁止運動の活動家らは、恐らく豪州などの食肉関係者の支援で動いている可能性がある。しかし、そのプロパガンダは、今や世界世論のなかで相当な地位を得ている。正論を翳しても、多勢に無勢である。

それを無視しての、IWCからの脱退は、一人の広い視野で外交を考える能力を持たない地方出身の有力議員の仕業だろう。ほとんど日本人全体にとって価値のないローカルな利益のために、日本全体が大きな損をすることになる。 https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2018/12/blog-post_21.html

善悪を争い、感情にうったえるのではなく、利益を考えて戦略的に外交を行うべきだと、ある本に書いてある。一人の有力者の個人的感覚や利害が、それが如何に善悪と論理に叶っていても、損得を広範な議論で評価した後でなければ日本外交に採用してはならないと思う。

補足:

1)明治の革命のとき、五箇条の御誓文が明治天皇により出された。その第一条「万機公論に決すべし」は、この議論の文化を継承すべしという戒めである。残念ながら、それは元勲の死後空文化した。
2)議論の文化に乏しい民族の中では、歴史上の有徳の人も、その後の研究で評価がひっくり返ることが多い。徳川綱吉や水戸光圀などがその例である。
3)WTOに提訴された場合、安全保障の観点からの措置であるとWTOで説明するだろうが、その理屈が通るだろうか?
もちろん韓国の徴用工問題に関する姿勢は、日韓基本条約と付属する協定に違反する。しかも、徴用工が奴隷的な扱いを受けたと嘘を前面にだした非常に悪質なものであるから、日本側の「安全保障的観点からの措置である」と言う考えは支持する。しかし、その実施には反対である。多勢に無勢の現状では、正論は通らない。折角韓国の学者が、国連で「軍艦島での徴用工は厚遇されていた」と事実を話してくれたのだから、もっとその線でのプロパガンダを積極的に行うべきであった。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190701-00000587-san-pol

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