2020年6月2日火曜日

世界が向かうべき新しい政治レジームについて:

はじめに:

 

4月に国と国家のあり方について考えるとして、二つほど記事を書いた。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2020/04/blog-post_12.html

その継続の準備として、5年前の記事を再録する。全く忘れていたのだが、その議論の目標は今年4月の記事と同じである。そこでは、民主主義を捨てた中国の政治が議論されていた。

https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2015/04/blog-post_79.html

 

つまり、米国型の民主主義社会が一つの政治の型なら、習近平独裁前の貴族支配の帝国も一つの政治の型であると考えている。どちらも現在、行き詰まりつつある。中国は富の独占(政府幹部)と人権無視、米国は衆愚政治と一部による富の独占(資本家)である。

 

それらの発展融合型の政治体制が作れるのなら、それは世界が向かうべき新しい政治レジームではないだろうか。それを考える為の材料として、上記5年前の記事を再録する。

 

民主主義は中国に不要か?

 

中国は最近、世界経済を牽引していく存在であることを主張している(注1)。人口は世界第一位でありGDPは米国に次ぐ第二位であるから、どのように動いても、世界に与える影響は大きい。ただ、その動きはトップ一人の頭脳の作用に大きく依存するという点で、民主主義国家を標榜している英米中心の世界に不気味に思われている。中国の動きを予測することは、西欧民主主義の視点では困難だからだろう。

中国は共産党一党独裁国家であり、党大会ではあの“立て飢えたるものよ”で始まるインターナショナルを演奏する国である。また、共産党宣言には、暴力革命も辞さないと書かれている。それらを放棄していない限り、中国の未来を眺める視野には、暴力的な世界(アジア)制覇までも含まれているかも知れないと疑うのである。つまり、民主主義政治とともに発展した西欧の近代的科学技術文明は、一党独裁の統一世界(アジア)を誕生させる栄養剤かもしれないと恐れる。勿論、そこでは漢民族は特別の位置を持つ。日本に過去の戦争の歴史を反芻せよというのなら、中国も自国の上記政治制度とそれが周辺国に恐怖感を与えていることを、十分反芻すべきであると思う。

以上は幾分民主主義国家の視点から観た中国像かもしれない。一方、在米中国系の投資家・評論家のエリック・X・リー氏は、国家主席に習近平がついて以来、中国の国際的地位が向上したのをみて、「いつの日か、民主主義が正当で効果的な唯一の政治的ガバナンスの形態だという考えが終わりを迎えた日としてみなされるかもしれない。」と講演で述べた。

http://www.ted.com/talks/eric_x_li_a_tale_of_two_political_systems/transcript?language=ja 

(最後のjpをenに入れ替えると元の英語の文章が表示される。) 

 

リー氏の講演では、共産主義と民主主義はともに20世紀に現れたMetanarrativeであるという話から始まる。metanarrativeは(metaな物語の意味(注2))、正統(ortho)ではない“全体的総合的な話”の意味であり、多くは批判的に用いられる。そして、20世紀の後半、共産主義という大きなモデルが行き詰まった様に、民主主義というもう一つのモデルも現在行き詰まっていると言う。

共産主義と民主主義は両方ともmetanarrative(s)という指摘は、私的な解釈だが、二つの主義は単なる政治システムの”骨組”に関する大きな話のレベルの概念であり、現実には、各国の民族性や文化に依存した”脳、筋肉、腱、神経”などを取り付けて、夫々違った政治システムが相応しいをとっているのだろう。民主主義が上手く働かないというのは、既にチャーチルが言った通りであるが、その言葉を西欧社会はその後反芻していない。リー氏の講演を聴いて、民主主義の欠点をどう克服するかを考えるべきだろう(注3)。

リー氏の主張を更に解釈すれば、「どの地域でも夫々独自の政治的発展があってしかるべきであり、中国はMetanarrative的な“共産主義社会”を直線的に目指して失敗した時代から、中国独自の“地に脚のついた”一党独裁体制となり、それが実績とともに現実的体制として確立した」、そして、「その体制は中国独自であるが故に、他国に輸出される訳ではない」と言いたいのだと思う。

“民主主義国家では、選挙で行政の担当者を選ぶことに対して、中国では能力で要職につく人を採用し、能力を競わせることでより高い地位に相応しい人材を選ぶ。政権の柔軟性、透明性、合法性を確保する機能を合わせ持つこと(注4)で、世界史にもう一つの統治メカニズムとして定着しつつある。一党独裁国家は権力が少数の手に掌握されることで統制がきかず腐敗が広がるという考えも、正しく無い。現在、中央政治局の25名の医院のうち、太子党出身者は5名であり、中央委員会の構成員も一般家庭出身者が増えている”と主張する。

リー氏の考え方は、傾聴に値すると思う。何故なら、同じ統治メカニズムを用いて世界に広がった組織がある。それは普通の株式会社である。株式会社の社長或いはCEOへの道は、中国での国家元首の選び方とよく似ている。逆にもし、会社のCEOを社員の選挙で選んだ場合どうなるか?その会社は恐らく、競争相手に完敗し潰れるだろう。

勿論、会社は強大な国家による法規制の下、巨大な経済の中の存在である。一方、国家は強力な法規制が無い環境下、相対的に狭い地球の中の存在である。両者の組織上の比較は、その骨組みだけにしても慎重でなくてはならない。しかし、会社経営のスタイルで国家を運営されては、民主主義の建前を維持する日本を含め西欧諸国は、中国との競争に勝てないかもしれないと思う。民主主義というmetanarrativeから出発して、日本のような官僚独裁ではなく別のシステムに発展させるべきである。(注5) 

注釈:


1)アジアインフラ投資銀行の開設など。


2)metaの意味はortho, meta, paraという3つの接頭語を理解することで可能になる。orthoは真或いは正、metaは中間、変化、総合、paraは不正、不規則などを意味する。あるorthoから、新しい orthoに移る際、中間的に現れるのが metaであり、異常で将来消え去るのがparaと考えればよいと思う。


3)実際には各国いろいろな変形した民主主義を用いている。日本は官僚独裁性を民主主義でくるんだシステムをもっている。安倍政権になってから、その姿勢が強まったと、国際政治評論家の田中宇氏は指摘している。(田中氏最新のブログ記事参照)チャーチルはひょっとして、何かのシステムを包むには民主主義は最良であると言いたかったのかもしれない。


4)上記リー氏の講演の中に、例えば次の様な記述がある。”政治学者のフランシス・フクヤマは 中国の体制を 「呼応する権威主義」と呼びました。 厳密には違いますが 的を得た捉え方と考えます。 中国で一番大きな 世論調査会社があるんですが 最大手のクライアントは どこだと思いますか? 中国政府です。” つまり、”政策は調査した民衆の要求も考慮して決定し、それを実行する際に独裁的に進める”ということになる。


5)国政政治家に立候補するための資格制度を設けるのも一つだろう。会社経営や地方行政などでの実績や政治経済社会などに関する基礎知識において一定のレベル以上の者に、立候補資格を与えるのである。

 

 (2015/4/25/15:45語句修正と注3の追加;4/26/7:00一部本文修正、注釈追加)

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