2020年8月16日日曜日

中国の暴挙を批判することが内政干渉に当たるとして、批判されるべきことなのか?

今日朝のTV番組「ザプライム」で、香港警察によるジミーライやアグネスチョウ(敬称略)らの逮捕に関して、日本の官房長官が遺憾を表明した件、内政干渉になるかどうかの議論があった。

元大阪府知事の橋本徹さんは、日本の安全保障に関係する形で、意見表明すべきであると主張して、官房長官の遺憾表明に否定的であった。その一方、甘利元経産大臣と櫻井よしこさんらは内政干渉には当たらないと言っていたと記憶する。

この件、中国のやり方は汚いと表明する自由は、どこの政府にもある。それが内政干渉に当たるかどうかといえば、当然当たるだろう。しかし、そんな内政干渉はお互い様である。日本も中国も干渉しながら、国際社会で生きている。社会を作るということは、国家が作る国際社会でも、互いに干渉するということである。

内政干渉を、国際法にふれる内政干渉だと定義しても、同じことである。権威ある司法と権力を伴った法の執行機関が無い限り、押し問答になるだけである。

橋本さんは、北方領土問題を出して、それに中国が意見表明したらどうか?と言って、甘利さんらの考えへの反論としていたが、的ハズレである。当然、「国後は日本の領土でない」と言う自由は中国にある。(補足1)しかし、それで中国は一文の得にもならないから言わないだけである。

中国ではウイグル人を収容所にいれて虐待していることは広く知られる。それを批判することも、内政干渉である。中国はそれに怒ることも自由である。しかし、国際社会の一員として、互いの利益関係を維持することを希望するから、中国はその損得を考えて「(懲罰や教育はあっても)虐待はない」とシラを切ることにしているのだろう。

現在は、欧米が確立した主権国家体制(ウエストファリア体制)下にある。それは、主権国家間に、個人のプライバシーのようなもの(国家の独立性)と、社会のルール(国際法;補足2)のようなものを認めようということである。ただ、普通の社会と同様、”プライバシー(国内事情)”にも法や道徳に触れるプライバシーもある。それは非難されて当然である。

つまり、ウイグルでの異民族虐待(中国が言う矯正教育)や、香港での人権の異様な束縛(事後法による処罰など;補足3)は、国際社会で法に触れる"プライバシー(国内事情)"にあたる可能性がある。

日本政府も日本人も気をつけるべきは、その欧米の国際政治文化(つまりウエストファリア体制)には、国内で個人の行為を対象に存在する"権威ある法と権力の下の執行機関"の、強制力を伴ったルールはないことである。(補足1)

従って、夫々の国家は基本的に野生の関係にあることを自覚すべきである。つまり、中国は自国の支配下の人民を1億殺害しても、それを裁く権力はどこにもないだろう。日本人を原爆で皆殺しにして、その後で移住しても、それを処罰する事はできない。(補足4)

その場合に、他の国ができるのは、中国は恐ろしい国だと考えて遠ざかることだけである。勿論、美国がそれだけでは済まされないと思い、中国を爆撃する自由(野生の自由)は存在するが、それは得にならないのでやらないだろう。いや、やらないと確信する。核兵器などで防衛を考えなかった愚かな国民だと言って、済ませるだろう。

補足:

1)北方4島は日本固有の領土というのは、間違いである。日本政府が日本国民に嘘をついていると言って良い。このことは既に議論した。 https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/01/blog-post_30.html

2)国際法には、ハーグ陸戦条約やパリ不戦協定として整備され、現在はそれらを包含する形で国連憲章が存在するだろう。司法として、国際司法裁判所など、法の執行機関として国連軍があるように見えるが、機能しないのは周知の通りである。

3)人権問題は最重要に考える人が多いだろう。しかし、基本的人権には「公共の福祉に反しない限り」という限定が掛かる。それは日本国憲法でも同じである。ただ、事後法での裁きは、完全に違法だと思う。

4)朱徳(元人民解放軍元帥)の外孫の朱成虎空軍少将は、人口密度の高いインドや日本は、核兵器で一度絶滅させる方法もあると、公の席で発言している。これを聞いた古森義久は、背筋が寒くなったと言った。(ウイキペディア参照)

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