2020年10月19日月曜日

選択的夫婦別姓を制度化すべきか?

1)「グッドラック」での議論:

 

今朝のテレビ番組グッドラックで、選択的夫婦別姓にするかどうかの議論があった。(9:00~9:30頃) この問題は、家族制度の問題として、社会の安定性などにも配慮して考えるべきであり、池内ひろ美氏と橋下徹氏の議論は要点を欠いていた。

 

番組では、池内ひろ美氏が夫婦別姓の家族が増加した場合の社会的デメリットとして: ①子供が親の異なる姓を名乗るので、イジメの対象になる可能性があること、②夫婦別姓なら離婚へのハードルが下がること、③日本の文化が失われること(補足1)、などがあげるところからスタートした。橋下氏と司会の立川志楽氏が、それら全てに反論する形で進んだが、時間が短く中途半端に終わった。

 

しかしである、それらは問題の核心では無いと思う。考えるべきは、人間の繋がりの第一が親子関係と夫婦関係であること、その人間関係のユニット(つまり世帯)が集合して社会を形成することである。そのような文化の中で、夫婦同姓と選択的であれ夫婦別姓が、社会の平和と安定性にどのような影響が出るかを考えるべきである。

 

社会形成以前には、厳しい自然の中で、家族や大家族が個人とその生活を護るための組織として、中心的役割を持っていた。地域社会から国家レベルの社会が形成されることで、家族で解決する問題の一部は国家が受け持つことになったが、それでも社会のユニットとして、「家族がひと塊りとして存在すること」が、社会の安定と発展に寄与する。(補足2)

 

番組コーナーの終わり直前に出た池内氏のことば、「家族はチームであり、チームの名前は一つである」という意見が問題の核心である。何故、その言葉から議論が始められなかったのか。

 

2)私の選択的夫婦別姓反対論:

 

1組の男女が結婚して、子供をもうけ家庭を築くのが、人生の典型的なパターンである。それは、民族が代々続く世代のバトンタッチで継続されるからである。バトンタッチを円滑に進めるには、相性のあった男女が結婚すること、子供をもうけること、誕生したこどもを夫婦が協力して、強く逞しく、そして賢く育てることが大切である。

 

その家族が団結して強いチームとなることが、子供の誕生と養育の基本であると思う。姓は英語でファミリーネーム(家族の名前)ということでも分かるように、家族の団結を象徴するのが姓である。その姓の役割を軽視する選択的夫婦別姓制度は、家族の団結の弱体化や不健全化から、社会の不健全化、不安定化を進めることになるだろう。

 

もちろん、社会の単位として、家族よりもっと基本的単位として個人がある。その個人の権利や生活に支障をきたす場合、離婚など家族の崩壊があってもやむを得ない場合がある。だからと言って、離婚が増加すること、結婚の意味を軽視することを、制度面から加速するのは賢明ではない。

 

離婚は、家族の崩壊につながることは必然である。家族の崩壊数の増加は、社会の治安と安定にマイナスになることも必然だろう。政治的大改革(革命など)の必要性がない社会なら、社会の不安定化は、社会全体の生産性や創造性の低下に繋がり、国家の衰退に繋がる。

 

選択的なのだから、同姓にしたい夫婦は同姓にすれば良いとか、別姓がいいと思う夫婦は別姓にすれば良いではないかという、橋下徹氏と立川志らく氏の思考は非常に浅いと思う。

 

補足:

 

1)日本文化の例として、各戸に掲げられる表札や、墓参りの習慣と暮石に刻む姓などが取り上げられていた。

 

2)家族の団結、及びその時間的世代的継続として、家系がある。その構成員の繁栄を考えることは、何千年かの人類史の中で大切にされてきた。その意味を深く考える前に、軽々に時代にそぐわないという理由で放棄することは、革新派の浅知恵の可能性がたかい。

 

追補: 中国では父親の姓を代々継承するように思う。結婚しても、女性は姓を変えないようだ。蒋介石の妻は、宋美齢であり、孫文の妻宋慶齢など三姉妹は中国近代史に足跡を残したことで有名である。

(追補、補足1は、午前11時35分に追加)

 

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