2022年1月29日土曜日

日銀の円安政策で今後も日本人は食っていけるのか?

日銀黒田総裁の円安政策は、日本の輸出企業の急場凌ぎには役立ったが、その後の日本経済の停滞脱却を邪魔しているのでは無いのか? 本来の企業努力をせずに、不採算の原因を放置し、新たな投資に向かわずに収益は溜め込み、伝統的人事からも脱却できずに来たのが、総体としての日本の低迷ではないのか?

201212月に野田佳彦から安倍晋三に首相が交代し、その経済政策の一環として、黒田東彦日銀総裁(20133月から)による大規模な金融緩和が行なわれた。デフレの日本経済を一応救ったのだが、「物価上昇率の目標2%」(円安誘導の口実)は、2022年現在まで達成できなかった。

 

確かに2010年以降、円高不況の中にあり貿易収支もほぼ一貫して赤字であった。

https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_eco_balance-trade

 

製造業が外国企業に国内外で負ける様になると、収入の減った国民は益々節約して、デフレに苦しみうようになる。そこからの脱却には、企業は生産性向上や新規製品の開発等により、国際競争力をつけなければならない。

 

その為には、不採算部門の整理(補足1)、生産性向上の為の設備投資、新製品開発のための研究投資などがなければならない。それらは並行するもので、不採算部門の整理がなければ、その他の投資は出来ない。
 

不採算部門の整理には、余剰人員の解雇が必要だが、それには解雇された人たちの新しい職場への再就職が可能でなければならない。そこで日本の低い労働流動性が問題になる。つまり、日本の会社経営や労働慣行などの文化が、経済構造の改革をやりにくくしているのである。以上から、このデフレの問題は財政増加などのマクロ経済政策だけでは解決しない。(補足2)

 

一方、輸出で利益を得なければ、一定量の食糧、原材料、エネルギーなどの輸入が出来ない。デフレで給与も上がらないので、国民は消費において益々防衛的になる。不況に備えて貯蓄をする遺伝子を強く持っている日本人に、インフレを持ち込むことは至難である。これまで政府の財政支出で、帳尻を合わせてきたが、それも限界に近くなっていた。

 

国内だけで経済が回る国なら、企業の供給能力は通常減退することはほとんどないので、一時的な不況からの回復などの目的に限らず、必要な額だけ政府が紙幣(国債でも良い)を発行して使えば良いだろう。(MMT理論)このような財政出動による経済回復を主張する人に、元内閣参与の藤井聡氏と経済評論家の三橋貴明氏がいる。日本は、自国で経済は回らないので、通貨発行量増大による国内物価の上昇の他に、相当な円安からのインフレが重なる

 

食糧やエネルギーを輸入しなければ4−5000万人程度しか生活できない日本は、輸出産業を育て、その輸出で得た金でそれらを調達しなければならない。年間5兆円程度の食糧の輸入と20兆円程度のエネルギー源の輸入をしなければ、日本の政治と経済は維持できないので、これ以上の円安は非常に不利である。

 

因みに、竹田恒泰氏はテレビで屡々(先週の「そこまで言って委員会」でも)、日本のgdpに占める貿易収益は0.2%程度であり、日本の経済は貿易依存ではないと言ってきた。しかしそれは根本的に間違いであるのは、上の議論で明らかである。しかし、同席していた元経済産業省官僚で、内閣にも関係してきた石川和男氏は、これについて全く議論しなかった。(補足3)

 

これら日本のマスコミの間違った主張を好んで放送する体質と、日本の議論を忌避する文化は、共に日本病の中心的病原である。

 

 

2)円安地獄

 

日本の通貨は現在非常に弱くなっており、途上国であった国々に負けようとしている。その結果、日本は食糧の国際入札で中国に買い負けているという。これ以上の円安が進むと、日本人は満足に食えなくなるのだ。

 

日本の通貨は「最弱通貨」と呼ばれて久しい。ドル弱含みでも円がそれを上回るほどに弱い。日銀で言えば白川方明総裁時代(20082013年)の2000年代の円高(主に民主党政権)と2010年代の黒田東彦総裁時代(2013年~)の円安(いわゆるアベノミクス)でどちらが正しかったかは難しいところだが、緊縮財政と国債買い上げ(当初は金融緩和のはずだったのに……)による円安が現在の買い負けの一因であることは確かである。(下のnewsポストセブンの記事より引用)

https://news.yahoo.co.jp/articles/9d90b806b9f27fa6033160652cc84a1fd51526e2

 

冒頭の図にある通常の為替レートでは上記意見を理解には役立たない。何故なら、2000年からの20年間、対ドルレートは120円前後で変化していないからである。


しかし、この20年、米国の消費者物価は約50%増加している。それでも同じ対ドルレートだということは、実質的に円の価値が2/3になったということである。

(米国の物価=>https://ecodb.net/country/US/imf_cpi.html) 

 

このように他国の物価なども考慮した実質的な為替レートを実質実効為替レートという。日本円の実質実効為替レートの変化を下図(左)に示す。その右の図は、いくつかの国でのこの1年間の実質実効為替レートの変化である。

 

 

これを見れば、何故中国人が東京近郊のタワーマンションを買い漁り、インタビューした報道記者にその理由を「日本の不動産は安いから買うのです」と語る理由がわかるだろう。そして、上記Yahoo!ニュースにある食糧を買い負けする日本の実態が理解できるだろう。

 

20年以上続いているデフレ不況は、当初円高不況だったかもしれないが、2000年からは日本企業の国際競争力の減少が不況の原因だと言うことがわかるだろう。この点について、経済評論家の野口悠紀雄氏が以下の様に指摘する。

 

物価上昇率が低い日本では、自動的に円高になっていかなくてはいけない。ところが産業界の声に応えて政策当局が為替市場に介入して無理やり円安に抑えてきた。95年頃から実質実効為替レートが下がってきているのもそのためだ。

 

この問題は財政出動で解決できないのは自明である。内閣参与の藤井聡氏と経済評論家の野口悠紀雄氏が公の場で日本経済の問題点について議論すれば、1時間でどちらが正しいか明らかになる。日本の為には経済評論家を名乗る者は、その地位を賭けて議論すべきである。

 

既に上に書いたが、この議論の無い日本文化は、日本病の中心的病原である。https://times.abema.tv/articles/-/10012645

 

 

補足:

 

1)日産がルノーにより買収され、カルロス・ゴーン氏が日産の経営を立て直した。彼は国内の完成車工場3拠点を閉鎖するなどの大ナタを振るった。傘下部品メーカーの保有株を売却して「系列解体」を断行するなど、日本の文化に無い改革を行った。

 

2)経済評論家の三橋貴明氏や安倍内閣で内閣参与だった京大の藤井聡氏らが、まるで財政拡大で簡単にデフレ脱却ができるようなことを言ってきた。(https://president.jp/articles/-/46005?page=1)私は、その主張に非常に違和感を感じてきた。

因みに、労働流動性の改善の鍵は、同一労働同一賃金の実現である。

 

3)エネルギーの半分が民需だとしても、現在の為替レートで合計15兆円を輸出入や金融収支などで稼がなければ、日本人は生きていけないのが現実である。それには、輸出産業の国際競争力を維持し、円の価値を守らなければならないのである。テレビ番組「そこまで言って委員会」での「日本のGDPに占める貿易収支は、わずか0.2%であり、日本は貿易にほとんど依存していない」という竹田氏の意見は間違いだが、それより腹立たしいのは、それについて経済評論家の須田慎一郎氏が明確な反論をしなかったことと、上記元経済産業省の官僚が黙っていたことである。
(1/29/5:00 編集後、最終稿)

2022年1月26日水曜日

借り物の歴史を歩んだ末の呆然自失:ある人生相談と東大前傷害事件

119日の読売新聞「人生案内」の欄に、自分は他人との比較でしか幸不幸を判断できない。そんな自分が嫌になるという相談が寄せられていた。家庭環境、学力、学歴、男女関係、容姿、身体能力など他人と比較して、優れている人が居れば嫉妬が収まらず、自分より劣った人を見つけて優越感を満たすというのである。

 

実例として、成人式で帰郷した際、高校の同級生は難関大学に通っている人が多いので劣等感に苛まれたが、中学の同級生にあって優越感に浸ることができましたという体験を話している。この相談に対し、ある精神科医が以下のように答えている。

 

いつも優越感を抱けるように努力するのではなく、「価値判断そのものを意識的に止めること」に努めることです。大事なのは、相手を意識せず、一生懸命にやること。一人で自分の道を歩むことです。あなたにもそのような生き方を進めたいと思います。(回答の中心部分を抜粋、編集、引用)

https://www.yomiuri.co.jp/jinsei/20220118-OYT8T50083/

 

この悩みは、程度の差があっても、多くの人が共有すると思う。優れた才能を持ち、体型と容姿に優れ、力強く前を向いて歩く人を羨ましく思った経験は、恐らく95%以上の人が持つのではないだろうか。能力の優れた人と見られている人も、自分の無能を嘲笑う人物に怯え、その人を消し去りたいと思っているかもしれない。

 

上記回答の「大事なのは相手を意識せず、一生懸命にやること」は、自分自身の問題に集中してはどうですかの意味だろう。しかし、質問者からの「他人に負けた自分に、一体何が出来るのでしょうか」という嘆きの言葉が聞こえて来そうな気がする。また、「一人で自分の道を歩むことです」には、「それがどこにあるのかわからないのです」という言葉が返されるだろう。

 

多分、この質問者には、どこかの大学に入学し、学べることをしっかりと学び、就職して家庭を持つなどの当面の課題は見えている筈である。しかし、それが自分が満足できる道ではなく、一流の大学に入り、一流の仕事に着き、相当の収入を得て結婚するなどの“一流人生パターン”しか、頭の中に無いのだろう。

 

上の回答には、それを捨てさせる程の力はないだろう。何故なら、人と比較して優越感をもったり劣等感に苛まれたりするのは、人の大事な本能のひとつだからである。(補足1)他人との比較の本能を捨てては、人間を捨てることになる。捨てるべきなのは、後生大事に抱えているその一流人生パターンである。

 

 

問題は、この一流人生パターンの正体を理解したとき解決するかもしれない。それを明らかにするのが本稿の主題である。ただそれは難問の類に入るので、どこまで説得力のある文章が書けるかは分からない。

 

1)高度成長期の人生パターン

 

この“一流人生のパターン”への強いこだわりは、東アジア(中国、韓国、日本)に共通している。それは、低い経済力の国から外国の政治経済科学文化を輸入して、短時間に高度成長を成し遂げた国の若者が憧れる共通の人生パターンではないだろうか? その人生パターンは、経済を担う人材の育成を急ピッチで進めなければならない国家と、貧しさからの脱却が第一の目標である国民の視点が一致した時に生じたものであり、現在でも国民の多くが共有しているだろう。

 

高度経済成長が終わったあとも暫く、国民はそのパターンの価値基準から解放されない。今後は発想が豊かな人、感性に富んだ人が必要であるという時代になっても、暫くは定型の一流人生パターンから若者が抜け出せない時期が続くのである。

 

この東アジア共通の症状の原因は、高度成長は自分たちが達成した歴史ではなく、借り物の歴史だということである。それを解消するには、先ず自分達の歴史の詳細を再検討することだろう。一方、西欧諸国にはこのような社会問題化の発生は無いだろう。何故なら西欧は、古くはギリシャの哲学に始まり、ニュートン以来の近代自然哲学(科学;補足2)、ワットの蒸気機関に始まる産業革命などの近代文明に至るプロセスを自前の歴史の中に持つからである。

 

そして、例えば近代技術を結集した工場のベルトコンベアーの前で働く人の心情も、西欧では自分たちの問題として昔から考えている。チャップリンのモダン・タイムズはその結果生まれた名作である。多くの均一な工業製品を能率的に作るには、ベルトコンベアの前に人を配置するのが良い。その場合、その並んだ人の頭も均質化してしまうのでは? その危惧も、近代工場建設の後、直ぐに考えただろう。

 

西欧の近代化は、キリスト教による均質な善人の集合からは生じず、宗教改革やルネッサンスという個としての人間の復興(ギリシャ文明などの復活)の結果であり、国民を強く支配下におく中世〜近代の東アジアには産まれる筈のない歴史である。その事実を真摯に受け止め、自分たちの歴史の中に、西欧近代文明を解析的に接続しなければ、日本の将来はない。

 

2)個の確立が近代西欧文明には不可欠:

 

西欧の歴史は、ユーラシア大陸西部で、地理的文化的に広い分野の中で進行した。多くの地域で、変化の種が生まれ、それが広い地域で磨かれて成長した。科学はギリシャの哲学に始まるが、英国での力学から、独仏伊などヨーロッパ全域が参加する形で量子力学などの現代科学に発展した。ちなみに、量子論は半導体工学の土台である。

 

近代の科学と技術の歴史も、政治の歴史も、同じヨーロッパという舞台で相互作用的に進行した。その中で、個としての人間の復活があったと思う。個の主張と社会との協奏関係樹立が、西欧近代文明だと思う。例えば力学の発展は、学会というソサエティーの中でのニュートンやフックなどの「個の主張」の協奏の産物である。(日本化学会は、Japan Chemical Societyである。)

 

民主主義の要素として、個の自立と主張があることは周知である。つまり、民主主義の定着には、民主主義という政治制度の導入だけでなく、個の自立と主張の文化が背景として不可欠なのである。市民革命を経験しない場合、その定着には何か別の市民革命に類似する役割がなくてはならないだろう。(補足3)

 

この膨大な積み忘れた荷物を持つ日本がまともな近代文明の国となるためには、近代史の総括を、西欧の歴史を参考にして行うべきだと思う。その仕事には、大学こそ先頭に立つべきなのだが、現状その大学への入学が重荷となり、個人が潰されそうになっている。それがこの読売新聞の人生相談欄に投稿した青年であり、東大前で殺傷事件を起こした名古屋の私立T高校の生徒である。

 

文部科学省の天下り機関となった大学では荷が重すぎるのなら、大学の完全私立化、完全に法だけで決定する私学支援という形で、大学制度を改革すべきだろう。更に、大学は各自の入試を廃止し、授業についていけない学生を、学期毎に退学処分すれば良い。そのような授業をする自信の無い教授は、大学を去るべきだ。T大入学などではなく、T大卒(そして各大卒)にブランド力を持たせるべきだと思う。

 

3)東大前での高校生による殺傷事件

 

「生きるのは自分だ」という本来の人間の精神(自然或いは野生の人間)を取り戻さず、“資本主義的高度経済社会の家畜”(文明の家畜)の価値観で洗脳されたままの人が多いのは、東大前での殺傷事件のコメントを見てもわかる。(補足4)

 

この事件、悍ましく腹立たしいのだが、寂しく悲しくも感じられる。程度の差があっても、その憧れを抱きつつ教育を受けて就職し、真面目に働いた結果が今日の日本を築いたのだから。「今はもうその時代は終わった。これからは、自分で自分にあった人生パターンを生きて、21世紀の成熟した日本を築き上げなければならない」と言っても、彼は「そんな話は学校で聞いていない」とつぶやくだろう。

 

この17歳の若者は、「勉強がうまくいかず事件を起こして死のうと」思ったと供述したという。それに対して、「何とゆがんだ考えか。1年先の受験を思い悩んだのか。それでも人を傷つけるなど言語道断だ」と怒るのでは、問題の在処がわかっていない。https://nordot.app/855205736528478208

 

当の本人は、ただ呆然と一流人生パターンの上に残った人たちを羨む眼差しでいるのみだろう。(補足5)もし幼少期から自分の頭を使って生きている親の姿を見ていれば、つまり、小学校或いはそれ以前から多様な人間の姿を学んでいれば、多くの人はモダン・タイムズ風の均一価値観の人材養成システムのバカらしさに気づくだろう。

 

そして若者は、それを拒否して自分で大切な筈の自分の人生を歩むだろう。自然に帰れば目的は自ずと見える。日本の心優しい人は、「あなた方は未だ敗者ではないのだ、二番目でも良いのだ」と言って、慰めるかもしれない。しかし、その慰めは本質的解決にはむしろ邪魔になるのだ。

 

「人を個人として見る視点」を、日本の人たちは未だ獲得していない。そして、人は集団の中にあってこそ人間になるという思想に縛られているのである。成人式には振袖を着て、卒業式には羽織袴を着るという若い女性の姿が大半なのは、誰かの思いつき(これもベルトコンベイヤーの一部)にその他の千万人単位の女性が載せられたのである。その光景を不自然だと感じる人がほんの一握りという、日本の惨状である。

 

個としての視点とは、自分がこの肉体の主であり、それ以外の人間や自然は、その背景に過ぎないという思想から生じる。日本は、自己主張を蔑み、集団の中への埋没を良しとする家畜文化を維持している。個の解放の鍵への言及はタブーとなっている。日本人は、本当の和は混乱の結果産まれるということが分かっていない。多様性の中にこそ民族生存の鍵があるという考え方が分かっていない。

 

近代文明は、「飢え、戦争、災害」という有史以来の3大問題から人を解放した。生物としての人は、人類の将来に向けての生存を目的にプログラムされている。従って、これらの問題が解決されたとき、人遺伝子は満足である。つまり、その時(近現代)の準備を生物である人は持っていない。それを人間の知恵で、文明の中に築き上げねばならない。

 (翌朝、編集して最終版とする; 社会科学の素人ですので、議論歓迎します。)

 

補足:

 

1)生物である人間が、自分と他人を比較して優劣の判断をするのには、二つの理由がある。一つは、生物界で群れを作って生き残る為に、優れたリーダーを選ぶこと、そしてリーダーの下に結集することである。もう一つは、一部重なるのだが、良い子孫を残す生殖のためである。自分が群れの中で一番優れた能力を持つのなら、その群れのリーダーにならなくてはいけない。他人が自分より優れているのなら、そのリーダーの指示に従って群れの生存を図る必要がある。他人との比較、優越感や劣等感は、この生物としての人間の遺伝子の発現である。

 

2)日本では科学技術という言葉で、近代文明の担い手に言及する。しかし、西欧の自然科学はアリストテレスの自然哲学などギリシャ時代に誕生したが、その応用である近代の産業技術は、産業革命以降が主なる発展の時代である。この2000年を一瞬で飛び越えて、日本など東アジアは近代文明を輸入した。それを象徴する例を挙げる:アトムはギリシャ哲学のデモクリトスが作った概念だが、原子は明治時代に作られた翻訳語である。もちろん、東アジアには長い技術の歴史は存在する。火薬や紙などの発明は中国の方が早いという反論は、アメリカを発見したのはアメリカ原住民であるという話と同じである。つまり、近代技術はそれら中国の発明の延長上には無い。

 

3)日本では大正デモクラシーを押し潰して、軍国主義に走った。軍国主義が悪いとはいえない場合もあるだろうが、昭和以降に民主主義の獲得はこの歴史の総括と理解が国民になくてはならない。

 

4)東大理3から、一流の医者或いは医学者になる一流のパターンが、幻の中に遠ざかることに気づいた名古屋の私立高校生が、東大前の歩道で3人を刺傷した事件があった。その少年(17)が、事件時に現場周辺で自分の高校名や偏差値を叫んでいたという。

https://news.yahoo.co.jp/articles/1befac98e24225b7ea7c3d4b175ddfd969bbf969

 

5)この視点でテレビ報道の「東大王」なるクイズ番組とその参加者を批判した記事が茂木健一郎氏により書かれている。その記事の通りである。https://news.yahoo.co.jp/articles/938eb65dff2d6933cc55092185431b9ea03f7fab

2022年1月24日月曜日

ウクライナの危機は日本の危機?

米国国務省は、在ウクライナ大使館員とその家族の国外退去を月曜日にでも始めるようにと命じたようだ。(補足1)ロシアのラブロフ外相と米国ブリンケン国務長官の話し合いは今後も続くものの、国務省は最悪の事態を想定しているようだ。

 

https://www.youtube.com/watch?v=qRU_4ovEOcM

 

大変なことになりつつある。

 

ウクライナを反ロシアにするため、米国は以前から働きかけている。2014年、選挙で選ばれた親ロシアのヤヌコビッチ政権がクーデターで崩壊し、新たに親米政権が打ち立てられた。当時副大統領だったバイデンが対ウクライナ政策を担当しており、このクーデターに米国の関与があったと考えられている。ロシアに圧力を掛けるためであり、そして弱体化させるためである。

 

この政変は、ヤヌコビッチの汚職がひどいので国民の不満が爆発した結果だという風に日本では理解されているが、それは真の姿ではないだろう。このあたりの関係は、大前研一さんが解説しているので、引用する。https://president.jp/articles/-/53674

 

今回の騒動は、昨年秋、ウクライナとロシアの国境付近(ロシア側)にロシア軍が10万人ほど結集したことで我々が知ることになった。ロシアの目的は、ウクライナのNATO加盟の動きを牽制するためである。ウクライナがNATOに加盟すれば、そこに配備される米軍のミサイルの脅威にロシアが曝されるからである。これは、米国とロシアをひっくり返せば、ケネディ政権の時のキューバ危機にそっくりである。

 

ウクライナのNATO加盟は、2014年から計画されていたことだろう。そして、バイデン政権が昨年秋に何か新たな動きを始めたのだろう。現在、対中国で西側自由主義圏が結束しているときに、何故ややこしいことをバイデンは始めるのかと思う人が多いだろうが、バイデン政権は本来中国の味方であり、対中強硬姿勢はかなりの部分”見せかけ”の可能性が高い。(補足2)

 

実際、バイデンは119日、「ロシアによるウクライナ侵攻が「小規模」なら西側諸国の対応も小規模にとどまる」と発言し、ロシアのウクライナ侵攻をむしろ勧めているようにも見える。つまり、バイデン政権は、“悪人プーチン”に責任を押し付ける形で、紛争を引き起こそうとしているのだろう。https://www.bbc.com/japanese/60078342

 

プーチンがウクライナに軍を派遣した場合、ウクライナの米国大使館員の命が危なくなるので、早めにウクライナから逃げた方が良いというのが、今回の大使館員の退避である。プーチンは、この米国の動きからウクライナがNATOに加盟して米軍兵器を導入する事態が益々近づいていると感じるだろう。つまり、この動きもプーチンのウクライナ侵攻を誘う一環と考えられる。

 

米国支配層は中国よりもロシアが憎い。それは米中国交回復の時から明確である。表で中国を非難しながら、裏ではどう助けるかを考え、このような作戦を思いついたのかもしれない。上記動画にあるように、ウクライナ政府は米国の反応は過剰であるという声明を出している。このことからも、紛争を起こしたいのは、ウクライナやロシアではなく、米国バイデン政権だと解る。

 

今回の騒動の裏に、ロシアによる工作があるという考えを英国が発表しているが、それはその通りかもしれないが、英国から米国の作戦に対する援護かもしれない。兎に角、全てロシアが悪いという類の理解では、日本は外交を誤ると思う。

 

ロシアは現在、中国の味方のように見えるが、実際は潜在的敵国である。従って、米国が中露の連携を断つような顔をして、中国の味方をするチャンスである。それは、属国の日本を中国にプレゼントし、東アジアから撤退するという米国の筋書きで考えれば、日本の危機が近いことになる。

https://www.youtube.com/watch?v=T9tqsZUpNmU

 

2)余計な話として追加

 

因みに、バイデン政権の背後に何か強力な勢力が動いているようだ。その一つはグローバリストたちだが(ジョージソロスという個人レベルではなさそうだ)、彼らは伝統的なWASP主導の米国の息の根を今止めようとしているように見える。

 

例えば、バイデン政権は米国に大量の不法移民を招き入れる政策をとっているように見える。その光景は、我那覇真子さんがメキシコ国境で取材し、動画で流している。

 

 

最近のHaranoTimesの動画は、その不法入国を目指すキャラバンを、米国に到着するまで国連が面倒を見ていることを報じている。本当に恐ろしい動きが国際社会の表面にまで現れているのだ。

 

 

 

(11:30 編集あり;15:30 動画引用追加と少し編集)

 

補足:

 

1)FOX は国務省が命じたと報道し、CNNなどは大使館から要請があったと報道している。報道機関を色分けする場合、これは良くわかる傾向である。

 

2)米国バイデン政権の対中国の動きは複雑である。台湾を応援するように見えているが、その裏でオバマ政権の時の国務長官のケリーがしっかり中国と話し合っている。ケリーの義理の息子(デバン・アーチャー)とバイデンの息子(ハンター・バイデン)は、ウクライナと中国を舞台にして投資会社をつくり、多大のお金をウクライナと中国から受け取っている。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12536039832.html

2022年1月20日木曜日

新型コロナ対策のチグハグ

政府の新型コロナウイルス対策を議論する有識者会議「基本的対処方針分科会」の尾身茂会長は19日の会合後に取材に応じ、繁華街への人出を減らす「人流抑制」から、飲食店などの「人数制限」へ対策をシフトすべきだとの考えを示した。

https://mainichi.jp/articles/20220119/k00/00m/040/105000c 

 

この考えを受けて、岸田総理も「人流抑制から人数制限へ」と発言している。

 

ここで確認しておくべきは、人流制限にしろ人数制限にしろ、感染者からそれ以外の人への感染伝搬をどう防ぐかを議論していることである。(補足1)従って、上記方針変更が、オミクロン株における感染様式の変化と整合性がなければならない。

 

本稿の主旨は、オミクロン株が空気感染とも言える微細な唾液粒子によるエアロゾル感染(補足2)が、主なる感染経路であるとの科学的な報告と、今回の政府の方針転換は整合性がないことの指摘である。

 

 

人の流れがあっても大声を出さなければ問題ないと言えるのは、デルタ株以前の感染についてこそ言えることである。つまり、大粒の唾液粒子を介する感染なら、濃厚接触者(補足3)から感染が出る筈であり、隔離すべきは感染者と濃厚接触者ということになる。

 

また、サブミクロンサイズの微細粒子相手では、マスクの効果はマスクの種類に大きく依存するので、マスクをしていれば安心という通説には警告を与えるべきである。実際、どうして感染したのか不思議であるという証言が感染者から多く聞かれている。

 

この微細コロイド粒子を介する感染については、一昨年の7月に詳細に議論した。ここでは声を出すだけで、微細コロイド(エアロゾル)粒子が放出されることなど、科学的研究についても紹介している。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12614123518.html

 

更に、オミクロン株では濃厚接触者に限らず感染するとした場合、濃厚接触者のところで線引きをして隔離の対象とし、同じ空間に居た大勢の人に制限を加えないという対策では、デルタ株以前のような効果は見込めない。同じ空間に居た全ての人を隔離するのでは、直ぐに我々の社会がその機能を喪失してしまうだろうと言うのなら、欧米のように濃厚接触者の隔離を諦めるべきである。

 

 

同様に、空気感染に近いタイプの感染症防止を念頭に対策するのなら、「人流制限に意味がなく人数制限に意味がある」という主張は成立しない。人数制限すべきなら、人流制限もすべきである。

 

もし、オミクロン株の被害がそれほど大きくならないで最終的にパンデミックが終るのなら、それはこれら日本政府の対策によるのではなく、一重にオミクロン株の弱毒性のおかげと言える。つまり、政府の対策は、ほとんど経済活動の弱体化と米国製薬会社等への利益運搬に寄与するするだけだろう。

 

2)旧型ワクチンの接種を推進する理由は何か?

 

冒頭に紹介した記事によれば、政府分科会は、ワクチン接種証明や検査の陰性結果を基に行動制限を緩和する「ワクチン・検査パッケージ」を停止する国の方針を了承した。尾身氏は、停止する理由を「オミクロン株で(ワクチンの)感染予防効果がかなり低くなっている」と説明した。

 

そして、パッケージ再開の条件は、ワクチンの3回目接種が進み「当初と同じようにワクチンが非常に有効だとわかったときだ」とした。これらの発言もふざけた話である。

 

今回、3回目接種に用いる予定のワクチンは、オリジナルなウイルスのスパイクタンパクを鋳型にして作られている。この古いタイプのワクチンによる感染予防効果がかなり低くなっていると把握しているのなら、このワクチン接種を推し進める理由は何なのか? 

 

3回目のワクチン接種は、ワクチンの副作用とオミクロン株への効果をできるだけ明らかにしたのちにしてもらいたい。これでは国民の多くが、これまでのような効果が期待できないにも拘らず、米国のワクチン製造会社への忖度もあって接種を進めるのだろうと思うだろう。

 

(16:00、補足3の追加、2、3の文章の小さい修正)

 

補足:

 

1)この当たり前のことの確認から、議論を開始する必要があるという正にその点が、政府と政府有識者会議の不十分な体制を証明している。

 

2)感染者一人が話すことで、エアロゾル状のウイルスを含んだ微粒子が放出され、それが部屋の中に広がる。同室の人は数メートル離れていても、同じ空気を吸うだけで感染の危険性がある。必ずしも濃厚接触が感染の条件ではない。アクリル板を用いた飲食店などでのシールドや、アクリル性のHフェイスガードは、感染防止の意味が従来株に比較して相当減少することも十分考えるべきである。

 

3)念のため、濃厚接触者の定義を書いておきます。(16:00に追加)
・患者と同居あるいは長時間の接触(車内・航空機内等を含む)があった者
・適切な感染防護(マスクの着用など)なしに患者を診察、看護もしくは介護をした者
・患者の気道分泌液もしくは体液などの汚染物に直接触れた可能性のある者
・その他:手で触れることのできる距離(1 メートル)で、必要な感染予防策なしで患者と 15 分以上の接触のあった者

 

2022年1月14日金曜日

日本は超保守的な国なのか:形骸化した成人式

日本では、一度出来上がった社会の枠組みを変更するのが非常に困難な国である。超保守的或いは超惰性の国のようである。誰かが現行制度を替えたらどうかと発言した場合、既に集団の一部には定着した制度なので、発言者はその反発を受け、結果として集団全体から疎外される。それが解っているので、最初から誰も何も言わない。(補足1)

 

提案は、個人の思いつきから出るのが普通である。しかし、その開始やその行事の枠組みの決定には、そしてその変更、廃止などにも同様に、集団での思考と決断が必要である。しかし、日本では集団での思考が極めて苦手である。その結果、一旦始まれば、その後不満があちこちから聞こえても、その枠組みから出られないのである。(補足2)


具体例をあげると、表題の成人式がある。戦後、人生での区切りを若者の意識してもらうために、つまり通過儀礼的な役割を考えて、どこかの地方公共団体が導入した行事だという。

 

古来その類の儀式として「元服の儀式」が存在するが、それは家庭で個別に行う。明治以降、徴兵検査が通過儀礼的役割を果たすことになり、日本帝国において集団としての活力の基礎となった可能性がある。戦後、スピリッツが抜けたような日本になったが、未来の日本を担うは若者が軟弱になってはならないとして、どこかが始め全国に広がったのだろう。

https://toyokeizai.net/articles/-/323616?page=2

 

しかし、現在、成人式は通過儀礼的な区切りとしての役割を終えている。若者には、入社試験(面接)や入学試験などと、その後の入社式や入学式が存在する。従って、式用の着物などを用意する親や、式典を行う地方公共団体が、多大の経費をかけてまで成人式を続ける意味など無い。

 

実際、TVは、女性は華美に振袖を着ること(補足3)、男性の一部はとんでもない行動でマスコミを賑わせることなど、末期の混乱状況を写し出している。同窓会の機会を提供することは若干のプラスだが、成人式に通過儀礼的な働きなど考えられない。その経費を子供が稼いで賄うのなら兎も角、全て親が持つのでは、社会に出たのちの覚悟を毀損する意味しかない。

 

しかし、一旦出来た社会の枠組み(制度)を廃止する能力は、日本社会には乏しい。その制度等の意味、コストやメリットなどを原点から考えて、中止するとか最良のものに適宜変更していくという意志と知恵は、社会のどこからも発生しないし、存在しないのだ。

 

2)自己無撞着化されていない日本の構造:(補足4)

 

ここで、リトマス試験紙の色変化から、大きな系全体を議論するのを真似て、視野を大きく拡大する。以上の日本社会の特徴は、明治に移植された近代西欧的機能社会或いは機能集団が十分に機能していないと総括できるかもしれない。

 

江戸時代までは、日本の文化は自身の歴史的背景と資源(文化的、人的)を基に、発展してきた。その社会の機能と構造は、独自に自己矛盾を自然に解消するように変化してきたと思う。

 

しかし、明治初期になって、西欧の文化が突然移植され、西欧の機能社会を真似て国全体が再編された。ただ、その社会に残る矛盾点の解消をするメカニズムをコピーし忘れたのではないだろうか。それは集団の中で議論する文化である。

 

江戸時代の日本は、武士による専制政治を採用しており、社会の枠組みなどを考えるのは武士の仕事であった。その文化が、武士個人を幼少より儒教的な素養を身につるように、命を賭けて組織の各層においてふさわしい役割を果たすように、教育した。

 

明治以降、それらの江戸までの文化とその機能社会における役割が十分考察されずに廃棄され、西欧の国民国家制度が導入された。四民平等は良いが、農工商に社会での役割を果たす様に、教育がされただろうか? 国民国家というがそれは嘘で、国民の命を消費財のように使う独裁国家ではなかったのか。 

 

この問題は、出来ればもう少し丁寧に考察したいのだが、現時点では、日本は積極的に社会の変革が出来ない“超保守的な国”となっていることの指摘で終わりたい。その結果、本来機能体として組織されるべき集団が、機能不全に陥っていると思う。

 

社会に自己変革のメカニズムが無くなれば、個人のレベルでも積極性に欠けるようになる。安全最優先で冒険を忌避するデフレ文化が定着し、それが日本の低迷の原因のようにも思う。余談だが、企業の創業者たちは、能動的である。米国のイーロンマスクや日本の前澤友作は、”宇宙旅行”をしたのが良い例だろう。(補足5)

https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202201070000255.html

 

人間は社会をつくり、互いに協力して生きなければならない。この機能不全をもっと重大なことと受けとめ、社会において能動的に生きる文化を築くことを考えなければならない。特に知的な層に属する人たちは、その責任を負う。リターンが少ない(或いは負のリターンを受けるかも)のは事実だろうが、そして責任の回避と他へのなすり付けは可能かもしれないが、国全体が枯れてしまえば自分たちも生活できないのだから。

(翌日午前、編集あり)

 

補足:

 

1)これは憲法改正という国家の大問題において既に明らかな事実である。この文章の集団の一部が何を意味するか考えると、ここのケースでの組織の矛盾が明らかになるだろう。
 

2)根本的な日本の文化的欠陥として、議論がまともに出来ないことがある。20日ほど前にもこの点について議論した。(https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12717842129.html)

これまでの似たテーマの投稿を列挙する:

「沈黙の文化と言論の文化」(https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466514546.html);

「二つの宗教:自分が生きる為の宗教と他人を支配する為の宗教」(https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466516112.html):

「言葉の進化論(1~3)シリーズ最後の文:「善悪に見る言葉の壁」

https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12484224705.html

 

3)女子のほとんどが、成人式では振袖にふわふわの襟巻き、卒業式では羽織袴で、夫々着飾るのほとんどである。このような日本女子の、貧困な発想、貸衣装会社か和服屋の策略にむざむざと嵌った情けない姿には、非常に残念というか、腹立たしささえ感じる。

 

4)無撞着とは辻褄があっていることの意味。撞着とは、前後が矛盾することである。

 

5)国際宇宙ステーションから帰還した前澤有作氏の感想の言葉には実感がこもっている。「正直、無重力をなめてましたね」&「地球の1Gが、こんなに威力があるんだと再認識できました」という言葉である。アメリカの「アポロ11号」のニール・アームストロング船長が残した「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」という言葉のインチキ臭さと対照的である。もし、実際に月面を歩いたなら、一歩目が十分には出ないだろう。地上での歩行パラメータが入力されている人間の脳の司令では、重力が1/6の月面ではよろける筈である。

 

 

それに、無重力環境で足の筋肉が萎えている筈。日本は西欧(特に米国)の嘘をつく文化には未だ毒されていないことが救いである。

2022年1月9日日曜日

専門家の責任とは?岸田首相は、核戦略の議論は死んでもしないのか

専門家と素人の区別とは何だろうか?普通、自分のアイデンティティの中心にその分野があると意識するとき、その分野の専門家を名乗る。人間の能力にはそれほどの差がないのが普通であるから、一般に専門家のその分野での情報の量と基礎知識は、素人のそれらよりはかなり上である。

 

素人が時として勝るとすれば、それは発想の豊かさと、それと重なる部分もあるが、専門に囚われないことである。専門に囚われないとは、悪く言えば、つまりそこで少し過ちを犯しても、大したことではないと考えられる気楽さである。その一方で、専門家なら、ここぞと言うときには実力を見せる義務がある。人間が、それぞれ専門を持ち、協力して社会を作り生きていくのだから、当然である。

 

例えば、筆者の場合、物理化学の研究者であった。従って、ブログを書いている立場上、その近接分野で疑問が出されたのなら、なにか書く責任を感じる。その様な訳で、月面着陸の捏造説が話題に出たとき、自分の考えを複数の記事として書いた。そのひとつが、「日常生活と表面張力について:掃除や砂場遊びなど」という題のもの。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466516473.html

 

もし、そこで書いた論理に間違いがあると誰かが科学的に正しく指摘したなら、私はブログを止める。専門とは、たとえ退職したあとでも、そのように考えるべき立場である。一方、「素人ですが、自分の考えを書きます」という但し書きは、間違っていてもそのような責任を負う立場ではないという意味である。

 

2)岸田首相の非核三原則堅持の発言

 

今日のテレビ番組「THE PRIME」を途中から観た。その番組のレギュラーコメンテーターである橋下元大阪市長が、「もし19458月の段階で日本が核兵器を持っていたなら、広島と長崎に原爆を落とされずに済んだだろう」という言葉と共に、岸田首相に投げかけた質問が、「日本政府は、核戦略の変更について議論しないのですか」というものだった。

 

岸田首相の言葉は、「外交には色んな手段があり、核廃絶の理想を重視して、非核三原則を堅持する」、したがって、「今の処、議論する予定はありません」という主旨の答えだった。

 

北朝鮮が実戦小型核を持ち、先日「超音速ミサイルの実験に成功した」と発表した。また、中国は何千発という核ミサイルの照準が日本に合わされていると言われている。上記橋下徹氏の質問は、それら日本を取り巻く軍事情勢と台湾有事を危惧する政治情勢を背景にして首相に投げられた。

 

下線部は、「核兵器を保持することが、戦争を防ぐためにもっとも有効な戦略である」という考えを想起させるための発言である。橋下氏の質問は、その考えを首相に想起させた上で、「今が核戦略の変更を話し合うべき時期ではないでしょうか」というものである。そして「この”直球的”質問から逃げないでください」という言外の意味も含ませている。

 

日本の首相は、「逃げてはプロ政治家の名折れですぞ」と宣言されたのちの“直球的”質問にも「審判が“ボール”という筈だから、バットは振りません」と宣言するのである。つまり、議論する必要も予定もないと言うのである。

 

日本の首相は、言うまでもなく、国政の専門家である。この国際政治のプロ日本筆頭が、この直球ど真ん中を見逃すのは、許せない。日本人がそれを許すのなら、3度目の核爆発による被害者もおそらく日本人だろう。上記譬え話において、審判とは何を意味するか、金を払って観戦のために球場に入った客とは誰なのかは、言うまでもないだろう。

 

(10日16時、言語の修正あり)

 

2022年1月5日水曜日

日本は先進国に留まるべき:途上国に戻るのは飢餓列島になる危険性がある

日本は今、激しい「食料戦争」の渦中にあるという。NEWSポストセブンというメディアが、著作家の日野百草氏の或る商社マンから聞いた話を掲載している。その商社マンは、「国の通貨が安いまま戦うのは厳しい。牛肉など多くの食糧で買い負けている」と言ったという。

https://www.news-postseven.com/archives/20220101_1717680.html?DETAIL

 

政治経済に関心が薄かった頃、円高は避けるべき悪い状況であるとの感覚で、円高不況という言葉で使われていたという記憶がある。その感覚では、1223日の経団連の会合に於る日銀総裁の言葉、「為替が円安に動くと、経済と物価をともに押し上げる基本的な構図に変化はないとして、プラスの効果のほうが大きい」は、素直に納得できる。

 

しかし、現在の日本においては、円安誘導で経済を維持する手法は発展途上国の経済モデルであると思う。そして、高度成長期の日本に固執する知恵のない人たちに迎合する金融政策だと思う。このままでは日本には、若い新鮮な頭脳による新規技術や新規産業の波は起こらず、円安で食糧戦争に敗戦することになる。円安に動くと、輸入品の価格上昇で、日本人は食糧やエネルギーの値上がりで生活が大変になるのである。

 

今の日本社会の、文化、慣習、制度のままで、現在の経済レベルをできるだけ維持するには円安誘導は理解できる。その延長上にあるのが、三橋貴明氏や元内閣官房参与の藤井聡氏らのMMT容認論である。(補足1)それは日本の経済や財政を破壊すると思う。

 

1)輸出依存の日本

 

資源も土地もない日本が、現在の人口を養うのは、外国との貿易無くしては不可能である。その日本国の基本問題の抜本解決を目指したのが、明治の改革と大陸進出である。しかし、世界経済の拡大と同期した国際政治の大きな渦を読み違え、最終的に米国に叩かれた。(補足2)その事実と歴史を先ず思い出すべきである。

 

現在、日本人がこの狭い日本で豊かな食住生活が可能なのは何故か? それは日本の工業製品の国際競争力が比較的高く、その輸出で得た外貨で食糧が輸入出来るからである。つまり、日本の経済は基本的に輸出に依存しており、その競争力を維持する視点から、日銀総裁が円安を歓迎するのである。

 

蛇足かもしれないが、その点をもう少し説明したい。日本が得意の何かを製造し、それを外国に輸出して外貨つまり米ドルで代価を受け取る。(補足3)その米ドルを、商社などが日本円で買取る。 その米ドルで食糧、原料、エネルギー源などを買い付けるのである。日本の経済はこの①、②、③の順番で回るプロセスをエンジンにして、回っているのである。このプロセスの始まりは、①の輸出である。つまり、日本経済は輸出あるいは貿易に死活的に依存している

 

人気テレビ番組「そこまで言って委員会」などで元皇族の人が、日本の経済は貿易依存ではなく内需依存であると頻繁に発言してきた。それは、上記理由から間違いであると言って良い。単にGDPの構成の中の(輸出–輸入)の金額が1%前後であることを、誤解しての発言だろう。

 

本当の内需依存形の国は、上記順番に無関係に国の経済を維持できる国である。米国では現状で、生活用品の全てを国内で確保できる。一方、オーストラリアやカナダのような国は、現状は貿易に依存しているが、20年程度あれば、全てを国内で調達可能になるだろう。(補足4)

 

しかし、日本の貿易依存は、食糧とエネルギーの入手にかかわるもので、それらを諦めることは死を意味する。同じ貿易依存でも、その違いを知るべきである。日本では同じ状況を、「食の安全保障」と政治の一項目のように言っているが、最初に書いた日本の歴史を考えれば、最大且つ中心的な政治の課題である。

 

2)日本国民は、自国経済が円安に進み、貧しい途上国へ向かうことを自覚すべき

 

国の貿易依存性を記述するパラメータには、貿易依存度と輸出依存度がある。前者は輸出と輸入の合計額の対GDP比であり、後者は輸出額のみのGDPに対する割合である。既に述べたように、輸出−輸入がGDPの構成要素として入る。(補足5)

 

輸出は、輸入で得た外貨で行うので、通常両者の金額は近い。従って、GDPの計算の際に、それらの金額は互いに消し合い、一見その寄与は小さいように見える。しかし、貿易額全体(輸出+輸入)の対GDP比の推移は、その国の経済の性格を見る上で一つの重要因子である。米国は上に述べたように、何でも国内で調達できる国であり、18%と先進国中最低である。

 

その他の先進国では、ドイツ66%、イタリア45%、フランス41%、英国34%と日本の25%よりかなり大きい。エネルギーはほぼ完全に、そして食糧は60%を海外に頼る日本が、先進国では、何でも国内で調達できる米国の次に小さい世界184位の貿易依存度である。(貿易依存度ランキング)

 

発展途上国で資源などの少ない国では、貿易依存度は高くなり得ない。それは輸出しなければ輸入ができないからであり、資源の少ない途上国には輸出するものが少ないからである。そこの国民は、常にある程度飢えており、人口は長い歴史の中で飽和状態になっているのが普通である。

 

これらから、食糧戦争での円安による敗戦は、途上国型の国に日本は近づきつつあることを示しているのではないだろうか。つまり、かなり屁理屈的で円安誘導に対する批判を回避して、やっと輸出ができる国になりつつあるのではと、日本の将来を憂う次第である。

 

3)輸出と輸入の70年間の変化:

 

下に日本の輸出入額の推移を示す。このグラフから、日本経済の変化を読み取ることができると思う。

1980年ころまでは、輸入額が輸出額を上回ることもあるが、ほぼ同じ額である。急増する輸出入は、荒廃の中から欧米先進国のレベルに急速に近づく日本の姿が想像される。輸出で得られた外貨は、全て輸入に使われた時代である。それらは、食糧やエネルギーの他、インフラや工場設備などの物品輸入だった可能性が高い。(上図の下のグラフ)

 

1985年ころから輸出が輸入をかなり上回っており、円高にするように外国からの圧力が強い時代である。1980年代、日米の自動車貿易戦争が熾烈になり、日本車がハンマーで叩きわる場面がテレビで報道されたこともあった。https://www.webcartop.jp/2018/12/307898/(図上のグラフ)

 

リーマンショック(2008年秋)の翌年、輸出入が大きく落ち込み、元のレベルへの回復には数年を要した。2013年から2020年まで、輸出入の額はほぼ一定であり、輸入が輸出を上回ることも多くなった。(図上のグラフの右端部分)日本製品の国際競争力が低下したことを如実に示している。

 

日本経済の国際競争力の全容は、資本収支や金融収支なども見る必要があるだろうが、傾向の理解には上の図の理解で可能だろう。つまり、日本の工業は国際競争力を失う途上にあり、今後更なる円安に進む危険性が高い。そして、最初にある商社マンの言葉として引用したように、食糧やエネルギーの確保が、円安で困難になることが想像される。

 

日本が中国などの発展してくる途上国と競争して、これ迄同様の生活水準を維持するには、国民すべてが、戦後60年までの慣性に頼っては生活ができないことを自覚し、非効率な社会慣習、例えば社会での低い労働流動性や会社や役所に於ける情実人事など、の解消を実現する必要がある。デジタル化も必要だが、先ずはそれが遅れる原因、その原因を放置する慢心でカバーした怠惰を追放すべきである。

 

4)財政支出拡大は日本経済を救うのか?

 

最近のテレビでは、財政拡大が日本経済を成長に導くという議論を多く聞く。その主導役には元内閣官房参与の藤井聡京大教授や経済学者の三橋貴明氏を中心にしたグループが居るだろう。(補足6)

 

日本は円建て国債が発行可能なので、国はそれで財政を拡大し需要不足を解消するべきであると主張する。それによって経済の循環が正常になり、デフレが解消され、他の西欧諸国なみに成長するという考えである。私は、その危険な方法でも、日本経済は嘗ての活力をとりもどさないと思う。

 

日本の低迷は、技術力の低迷や、新規投資をする知恵と勇気の欠如であり、国民一人一人の実力の無さに起因する。日本の会社でも、有能な経営者が新鮮且つ精緻な思考で会社を引っ張れば、高い生産性と収益性を実現し、結果として高い給与を出している。補足に例を上げる。(補足7)

 

例えば、自動車会社日産の経営が傾いたのは、経営者が採算の取れない部門を整理する能力が無かったからだと言われ、実際フランスルノーから送られたカルロス・ゴーンは、定石通りに行って黒字化を果たした。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12556307937.html

 

つまり、日本の低迷は横並びと長幼の序などを重視する日本文化にある。そこに手を入れる工夫をしないで日本経済の復興はない。有能な政治家の出現が必要だ。それには、現内閣に60%ほどの支持を与える日本国民の政治に於ける関心と参加が、現在以上格段に向上しなければ無理な様に思う。

 

最後に参考にした文献を追加しておく。

世界の貿易依存度:https://www.globalnote.jp/post-1614.html

日本の低過ぎる輸出依存度:https://www.jftc.or.jp/shoshaeye/angle/angle2007078.pdf

 

補足:

 

1)米国民主党左派のバーニーサンダースの経済ブレインであるケルトン教授は、MMT (modern monetary theory) 理論を提唱している。それは、自国通貨で借金(国債)ができる国は、財政赤字や政府債務の大きさを気にせず、継続的に財政出動できるという理論である。多くの学者はその考えに賛同していないのは、物価の上昇がすぐ起こると予想するからだろう。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12500444209.html 

 

2)日本の右派は、「ロシアが朝鮮半島を占領して、次のターゲットとして日本を狙う。そこで対露防衛のために、無防備で防衛意識の無かった李氏朝鮮を足場にすべく半島へ進出した。その結果、中国清と衝突したが、それに勝利することが出来た。米国の黙認を得て朝鮮を併合した後、満州を独立させた」のように主張するかもしれない。しかし、本当の意図は、日本人が満足に食っていくための領土拡大だったと思う。そして、ロシアの極東進出も満足に食っていくためだった。これらの戦争の本質は、生物界の生存競争である。

 

3)現在の貿易における決済通貨は、米ドルである。それは米国の国力と、米国金融を支配するユダヤ資本の成果である。それを脅かすことは、個人では死を、国家では米国による成敗を意味する。イラク戦争とイラクが石油決済をユーロにしたことの関係は、米国による月旅行の捏造等とともに、日陰の世界での常識である。そして、日陰の世界の方が日の当たる世界よりも大きい。

 

4)オーストラリアやカナダも現状では、パソコンや自動車などの工業製品は輸入に頼っている。資源や農産物を輸出して得た外貨(米ドル)がなければ、それらは現状入手できない。その意味では、貿易に依存している。しかし、それはその方が便利だからであり、死活的な国家の問題ではない。

 

5)ここで、資本や金融の収支が十分なプラスなら良いなどと、無責任な茶化しを入れないでほしい。日本の一流会社は既に4割ほど、外国の所有である。尚GDPは、民間消費(C) + 民間投資(I)+政府支出(G)+輸出(X)-輸入(M)で表される。貿易額は、輸出−輸入の形でしかGDPに算入されないが、GDPを一定額以上に保つエンジンの役割を持つ。

 

6)彼らは、一昨年に米国左翼の学者ニューヨーク州立大のステファニー・ケルトン教授を日本に招き、財政赤字はそれほど気にする必要がないという彼らの考えの裏書をさせている。しかし、ケルトン教授のMMT理論は、米国でも正統な経済学からは遠いし、長期には成立しないだろう。

https://www.nicovideo.jp/watch/so35413400

 

7)東証一部上場のキーエンスという会社がある。株価総額が17兆円をこえる会社に成長した、FA(FA=工場自動化)センサーなど検出・計測制御機器大手である。株価総額では、日立製作所の3倍に近い会社である。平均年収(給与)が1750 万円ほどで、30才の時の年収が1500 万円をこえる。

 

 

2022年1月2日日曜日

人類はAIの高度利用に耐えられるか?2020ダボス会議でのある講演について

ユヴァル・ノア・ハラリ は、イスラエルの歴史学者。ヘブライ大学歴史学部の終身雇用教授 。著書の「サピエンス全史」は世界的ベストセラーである。彼の2020ダボス会議での「How to Survive the 21st Century」という講演がyoutube上で公開されている。ここで、その感想(批判)を書く。

 

ハラリは、AIの高度利用による文化的政治的な弊害を説明し、それを避けるには地球規模の国家間の協力拡大が大切だと主張している。地球規模の国家間の協力拡大を主張する際に、その反対としてトランプのナショナリズムに言及しているので、それはダボス会議を主催する「世界経済フォーラム(WEF)が主張するグローバリゼーション」の実9践・実行を意味するだろう。

 

このグローバリゼーションという言葉には注意が必要である。それは”グレートリセット”を含む政治的グローバリゼーションと同じ趣旨のものであり、WTOIMFを中心にこれまで進められた経済分野に重心を置いたグローバリゼーションに留まるものではない。

 

なお、トランプのナショナリズムは、米国を支配する金融資本やその影響下にあるネオコンが主導するグローバリゼーション勢力から、米国の政治的実権を取り戻す運動である。それに対する米国“ネオコン”側は、両勢力間の戦いに何が何でも勝利し、トランプ側(つまり米国を建国したWASP側と現在の共和党主力側)から米国を完全に奪いとり、米国をグローバル世界の中心にしたいのである。

 

彼らの背後にある世界金融を支配する勢力は、20世紀前半の世界共産主義革命を第一次グローバリゼーションとすれば、第二次グローバリゼーションを目指している。現在、それを主唱して国際的に活動している人たちの欧州での中心に、世界経済フォーラム(WEF)が存在し、WEFが毎年主催している会議がダボス会議である。

 

そこに招待されたユヴァル・ノア・ハラリが、WEFの応援として行ったのが、今回の講演である。そのような背景を知らないと、結論部分が十分理解できないだけでなく、トランプはトンデモない政治家だということになってしまう。講演前半部分での、世界がデジタル独裁国とデジタル植民地国に二分される可能性、伝統的な人類文化の基礎にある哲学の破壊などは新しい話題だが、誰もが感じていることだろう。

 

この2020年に行われた講演を知ったのは、最近HaranoTimesにより字幕をつけた動画がyoutubeで公開されたからである。https://www.youtube.com/watch?v=MKQb6prbdt8 英語に堪能な方は、WEFが公開しているものがオリジナルであり観るのに良いだろう。

 

WEFの公表している動画:

 

 

以下に少し感想を書く。筆者は、国際政治の素人であることをお断りしておきます。

 

デジタル独裁の可能性:

 

AIによる個人の監視と行動の制御は、大きな問題である。しかしこの最初の段階は、既に中国で現に行われている。社会信用スコアによって国民一人一人の行動の自由度を決定するシステムである。

 

社会に貢献する行為にはプラスの点、逆に社会を乱すような行為にはマイナスの点を付け、合計点が社会信用スコアで、それが個人の行動の自由度が決める。例えば、マイナスX点からは航空機チケットが買えないなどである。

 

このシステムでは、ネット接続した監視カメラやマイクを用いて、個人毎に行動と言動を集積している。これに、学歴、家系、宗教、趣味や嗜好などの個人データを加えてAIで解析すれば、個人評価だけでなく行動制御まで可能でなるだろう。更に、マスコミ等を利用した大衆扇動により、個人は自分の意志で政権側のこのシステムを支持するだろう。つまり、個人ハッキングの完成である。

 

政敵にも用いられるので、このシステムを一定期間支配下に置けば、容易に国内で独裁体制が完成するだろう。更に技術が進んで範囲が世界規模になった場合、他国の指導者からその国全体にまでこの支配が及び、デジタル独裁国が世界を支配する可能性がある。

 

無意味階層、デジタル植民地の発生

 

中程度の訓練を要する仕事の多くは、AIにより自動化される。この技術文明の発展に着いていけなくなった人たちは、「不要な人間」という階層をつくる。彼らと大きな力をもったエリート層の間に分断が発生する。ここで、不要層を大問題のようにハラリは言う。

 

「嘗て人間は搾取と戦わなければならなかったが、21世紀には不適合との戦いが問題となる。不適合者になることの方が被搾取者となるより、ずっと悪い」と。しかし、少なくとも先進国では、労働時間の短縮とベーシックインカム制などの所得の再分配制度で問題を目立たなくするだろうから、ハラリの上記言葉ほどの大問題ではないと思う。

 

技術文明についていけない国々は、現在の延長上では、破産するかデジタル独裁国の植民地となるだろう。世界を支配する少数のデジタル独裁国とデジタル植民地との間の世界の分断は、この近未来世界のモデルにおける最悪のケースである。

 

この事態を避けるには、グローバリゼーションが必要だとハラリは言う。このハラリの本講演での結論は我々民主主義を維持したい側として、正しいだろうか? 

 

ハラリは言う。「グローバリズムと言っても、世界政府を樹立したり、国の伝統を捨てたり、国境を開いて移民を無制限に受け入れる事ではありません。むしろ、グローバリズムとは、世界のルールを遵守する事を意味します。それぞれの国の独自性を否定するものではなく、国家間の関係を規制するだけのルールです。」

 

ここでのグローバリゼーションの説明は、民主主義国の主張する範囲を逸脱しない。しかし、同時にこのレベルのグローバリゼーションなら、米国トランプ(当時)大統領も支持するだろう。ハラリは、ダボス会議の主催者がトランプに向ける本物のマシンガン(主権国家体制を破壊するグローバリゼーション)を真似た模型のマシンガン(現状の経済のみでのグローバリゼーション)で、トランプを射抜く振りをしているのかもしれない。

 

そのような事情なので、ハラリの主張は矛盾に満ちている。その第一に、そのタイプのグローバリゼーションでは、この問題は解決しない。何故なら、世界には公然と世界のルールを無視する国々が多く存在するからである。それは中国であり、残念なことに時々米国もそのようになる。(ハラリが中国による国際ルール無視をoverlook (見過)しているという指摘は、HaranoTimesさんがその字幕付き動画で行っている。)

 

建国以来のメジャーな人たちが支配する伝統的な米国は、民主国家のリーダーと言えるかもしれないが、マイナーなその他の人たちを束ねて、米国を足場に世界の金融と経済を支配する人たちの下にある米国は、彼ら自身のルールで動いていると思う。

 

そのような現状では、19世紀までに欧州で作り上げられた主権国家体制とハーグ陸戦条約や第一次大戦後のパリ不戦条約で出来上がった国際秩序を維持して、この近代西欧の国際政治文化(及び西欧の価値の文化)の範囲内で努力することが最善であると私は思う。

 

それは、全ての国にはその国の歴史が存在し、その発展段階はそれぞれ異なるからである。世界が主権国家体制を堅持すれば、おくれた国々もデジタル植民地とならないで、独自のタイムスケールで発展が可能である。

 

③文化あるいは哲学の崩壊と人間のあらぬ方向への進化

ハラリは、生物としての人間の未来についても以下の様な指摘をする。

全てをAIが決定する時代になると、人間の智力ではそれに追随できなくなる。そして文明の進展の方向を人類は自分たちの哲学で照らせなくなる。また、40億年この自然に順応することで進化してきた人類は、新しいAIが作り出す環境に適合するように進化し、バイオ技術もそれに参加して、思いやりや芸術的感性、精神的な深みに欠ける人間が生まれる可能性がある。(補足1)

しかし、この問題は別に機会があれば考察することにして、本ブログ記事の結論を急ぐ。


④ ハラリの誤魔化しは、WEFへの忖度なのか?

ハラリは、世界の国々が夫々異なった発展段階にあることを完全に無視し、”グローバルな協力”こそ世界を救うと言っている。そしてその対極に米国大統領(ここではトランプだろう)を置き、彼はその協力体制を破壊する側にあるとして、その言葉を引用して批判する。

「米国大統領などは、ナショナリズムとグローバリズムの間には避けられない矛盾があり、自分達はナショナリズムを選択すると言っている。しかしこれは危険な間違いです。21世紀には、自国民の安全と未来を守るために、外国人と協力しなければなりません。優れたナショナリストは、グローバリストでなければなりません」と。(Harano Timesの動画22分30秒から)

この部分は多くの意図的な歪曲を含む。トランプは決してグローバルな協力を否定していない。ただ、自国民の安全と未来を守るため必要なのは、外国との協力であっても、外国人との協力とは言わないだろう。トランプは、国境を股いで自由に行われる人と人のレベルの協力を含む形でのグローバリゼーションには反対している。上記「外国人」(foreigner)というハラリの言葉を、英語で確認してほしい。

一部繰り返しになるが、世界は200程度の独立国で構成され、各独立国は夫々の歴史と文化に基づき独自の法と独自の慣習に従って統治されている。各国は自国の事情の許す範囲で国を開き、他国と国際的なルールに従って協力し、国の繁栄と紛争防止に努める。節度のないグローバリゼーションは、世界を混沌に導くだけであり、決して安全な世界を形成に役立たない。

ハラリは、世界史をダボス会議のために歪めて記述している。それが「私たちは既に、人類が歴史上生きてきた暴力的なジャングルから脱出しました。何千年もの間、人類は常に戦争が絶えないジャングルの法則の下で生きてきました。ジャングルの法則とは、近くにある二つの国は、来年にはお互いに戦争を始める可能性があるというものです。」(Harano Timesの動画の25分あたりから)という言葉に表れている。

この誤った世界に関する理解が、ハラリのグローバルな協力が世界を救うという講演内容の前提である。これに賛成する国際政治の学者や評論家は皆無だろう。ハラリ自身が信じてはいないだろう。はっきり言って、大嘘である。

世界はいまだにジャングルの世界であり、その中の比較的安全な場所に、民主主義が城を築いている。(補足2)その証拠に、中国が別の独立国と言える台湾を今年攻撃するかどうかと言われている。更に、ロシアがウクライナのNATO加盟を妨害するため、ウクライナに侵攻する可能性が示唆されている。

ハラリは、一体どこの世界のことを言っているのだと、腹立たしい気持ちにさえなる。

(1/3/6:05、小編集;1/4/6:06、表題の変更;17:00 編集、②のカッコ付きの文章を以下のように変更:(ハラリが中国による国際ルール無視をoverlook (見過)しているという指摘は、HaranoTimesさんがその字幕付き動画で行っている。)そして、これを最終稿とする。)

 

補足:

 

1)このAIの背後には少数の人間がいる点が直接的には言及されないのが、この講演のインチキというか、プロパガンダ的な理由である。アルゴリズムを作り、パラメータを入力しなければ、AI搭載の何かは動作を始めない。

 

2)中国の朱成虎が、「将来日本やインドは核兵器で潰して、地球上の人口削減すべきかもしれない」と言ったという。(ウイキペディアの朱成虎参照)これが何でも有りで国際条約なんか紙切れだと一部の幹部が豪語する中国共産党政権の超限戦である。