2022年5月31日火曜日

ダボス会議でのジョージ・ソロスとヘンリー・キッシンジャーの講演について

元米国務長官のヘンリー・キッシンジャー氏が、ダボス会議でウクライナ問題の現実的解決法を提案した。これについては、25日のブログに紹介した。つまり、「ウクライナは、ロシア侵攻の日以前に支配下に無かった領域をロシアに割譲すべきだ」とダボス会議で発言したのである。(補足1)

 

キッシンジャー氏の考えは、「平和は諸国の力の均衡の結果としてもたらされる」という現実主義の考え方をロシアとNATOという二つの極を持つヨーロッパに適用した場合、ウクライナは緩衝地帯の宿命から逃れられないという地政学的考察に基づくのだろう。そのFreddy Grayという英国の方の解説を25日のブログ記事に紹介した。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12744727488.html

 

ダボス会議の出席者は、その講演の数時間後に同じ問題に対する全く異なる提言を、ジョージ・ソロス氏から聴くことになった。ソロス氏は、ウクライナにおける2004年と2014年の政変に深く関わってきたこと等、米国の政治に深く関与して来たことで知られる世界的投資家である。(補足2)

 

Wall Street Journal(以下WSJ)の25日の社説記事によると、ジョージ・ソロス氏は「世界の文明を救うためには、ウクライナのロシアに対する戦いを勝利に導かねばならない。そのためにウクライナが必要なもの全てを西側諸国はウクライナに提供しなければならない」と講演で喋ったのである。(補足3)https://www.wsj.com/articles/dueling-approaches-to-world-order-war-ukraine-putin-russia-china-davos-kissinger-soros-foreign-policy-peace-11653509537

 

 

2)Wall Street Journal のオピニオン:

 

この二人の発言について、上記WSJの社説(オピニオン)が以下のように解説している。

この二人のナチスから米国に逃れたユダヤ人移民によるこの戦争の解決方法提案は大きく異なるが、事態の把握という点ではおおむね一致している」。

 

二人が一致している点: 米国の価値と利益は、欧州の平和擁護を米国の外交の主目的とする。そして、二人は自分自身をヨーロッパ文明の擁護者であると考えている。また、この件が世界のシステムショックを与え、長期の軍事的混乱となることを恐れている。更に、米国にとってロシアは二番目の問題であり、長期的に中国との関係が最重要課題だとしている。

 

両者の具体的処方が大きくことなるのは、彼らが守るべきと考える秩序と文明の側面が異なることによる。
 

ソロス氏の考えはバイデン政権のと同じである。
 

二人の意見が異なる点:

 

ソロス: 今般の世界政治の動向を民主主義と全体主義の抗争と捉え、プーチンのウクライナへの攻撃は、国際秩序の基礎原理に対する攻撃であり、その排斥が必須だと考える。もし、プーチンの企みが通れば、 国際政治は「強きは出来ることを何でも行い、弱きは苦しみに耐えるのみ」というジャングルの法則に支配されることになる。

 

これに対してキッシンジャー氏の現実論的考えは、ソロス氏の理想主義からずっと遠い。

 

キッシンジャー: 世界には多くの異なったタイプの国家が存在する。米国がやるべきは、力のバランスを築き上げ維持することである。力の均衡は、我々と同盟国の自由をより小さいコストと危険性で守ることになる。

 

ロシアと中国を民主主義に改宗させる使命は、我々(米国)に無い。我々は、ライバルである大国の権利と利益を認め(尊重し)なければならない。平和維持のために、ロシアがヨーロッパの国家制度の重要な一員であり、未来においてもそうあり続けることを認識しなければならない。

 

WSJの社説は、どちらも完全に上手く行くという方法ではないとして、史実を引用して解説している。最後に、今後の世界の困難について述べている。

 

ウクライナは、西側、経済、そして軍事からの多大な支援なしには、長い戦争と戦うことはできない。ウクライナが生き残りの戦争に持っているすべてを費やすとき、その通貨はどうなるのか? 米国もEUも十分な経済援助など出来ないだろう。世界中で食糧不足や飢餓を引き起こし、政情不安が世界に広がったとき、欧米諸国は対応出来るだろうか?


 

3)私の考え:

 

WSJの社説氏は、ジョージソロス氏を恐れているのか、結論を誤魔化している。これまでの米国のウクライナへの関与、つまり2004年のオレンジ革命や2014年のマイダン革命と呼ばれる政変から一貫してウクライナの政変を支援してきたのは、米国のジョージソロス氏らが支持する勢力であった。(補足4)

 

その最終段階で、世界を第三次大戦の惨禍に導いてでも、ウクライナにロシアを叩かせようとするのがソロス氏の考えであり、その正当化が上記弁明である。キッシンジャー氏は、世界の惨禍を避けるために、それを諦めさせる提言を行ったのである。二人の考えは併立させて議論するものではない

 

つまり、ロシアが全体主義国家かと言えば、そうではない。投票で大統領を選ぶ国であることには、米国と変わりはない。そして、財閥が政治的な力を持つことや、諜報機関を動かして政敵を排除することもあるという点も、米国と同じである。
 

米国の現政権は、上記ソロス氏のモデルに基づく「プーチン・ロシアの殲滅こそ世界平和の条件である」と言う思想を、同盟国に強要しているのである。

 

補足:

 

1)この考えは、バイデン政権の考え方から遠く且つ非常に大胆な提言なので、びっくりした。ただ、キッシンジャー氏はトランプ政権誕生後暫く相談役だったので、考えてみれば全く意外という訳ではない。なお、以下に引用するWSJの記事はこの領土割譲の範囲を2014年以前の支配域(クリミヤとドンパス地域の一部)としている。

 

2)ウクライナへの上記関与の他、ここ2−3年のホンジュラスから米国へ向かう不法移民キャラバンを支援してきたのが、ソロス氏のオープンソサエティ財団(open society foundations)である。

 

3)この喋り方は、ジョージ・ソロス氏が今回のロシアつぶしの主人公に聞こえる。その通りであることが知れても、構っておれないという位の熱(傲慢さ)を感じる。

https://www.youtube.com/watch?v=VaSwl8B_A7Q (5月30日の及川氏)

 

 

4)ソ連時代には、ウクライナはロシアとともにソ連の中核を為した国である。そして、NATOが対ソ連の軍事同盟として創られ、現在は対ロシアの軍事同盟である。それらを考えれば、2004年のオレンジ革命、2014年のマイダン革命などと呼ばれるウクライナの政変から今年224日までのウクライナでの軍備増強は、NATO(主に米国)とウクライナの反ロシア勢力が結託した、ロシアに敵対するフロントラインの構築に他ならない。

 

この事情は、29日に「豊島晋作のテレ東ワールドポリティックス」で、帝政ロシアの時代からのヨーロッパの歴史を振り返る形で解説されている。

https://www.youtube.com/watch?v=9j_-bJnp3Z8

2022年5月25日水曜日

キッシンジャー元米国務長官が「ウクライナはロシアに領土を譲るべき」と発言

冷戦期の米国務長官(ニクソン&フォード政権時)だったヘンリー・キッシンジャー氏が今年のダボス会議で表題のような驚くべき発言を行った:

 

ウクライナはロシア支配地域の割譲という代価を支払ってもロシアとの和平を進めるべきである

https://www.youtube.com/watch?v=sC5GNKNkEr4(補足1)

 

 

そして:

思考の上だけの話では境界線を戦争前の現状に戻るべきだろう。 それを超えて戦争を追求することは、ウクライナの自由ではなくロシアに対する新たな戦争である。(補足2)

Ideally, the dividing line should be a return to the status quo ante. Pursuing the war beyond that point would not be about the freedom of Ukraine, but a new war against Russia itself.

 

この発言を紹介したあと、このCBN Liveの動画の司会者は、解説者として招いた「The Spectator(英国の雑誌)」の副編集長Freddy Gray氏に、「キッシンジャーのこの発言は重要ですか?」と聞いた。

 

F. Gray氏は、以下のように話をした。(前半部分のみ簡略化して引用します。)

キッシンジャーはヨーロッパにおける力の均衡の重要性をよく理解している人である。」「ヨーロッパ諸国政府の間で明らかにこのような大きな話が進んでいる。つまり、もしロシアが熟考の上で撤退したのなら、彼らを罰すべきなのかどうかなどである。

 

鷹派の英国は「プーチンにこの件で対価を与えるべきではない」と反対するだろうが、当事者双方が戦争を止めたくないとしても、この戦争をやめさせるべきだとしたら、その英国の主張は間違っている。つまりヨーロッパでの国境の安定(つまり力のバランス)を考えた場合、ウクライナは中立であるべきである。キッシンジャーはこのようなことを言っているのであり、かなり良い考えであると思う。

 

あのキッシンジャーがダボスでこのような話をしていることに驚き、更に、英国の雑誌編集者米国のメジャーなテレビ局が運営するサイトで、このような現実的な話をしていることにも驚く。

 

もちろん常識的な話なのだが、グローバリストの国の、その中心に居た人物キッシンジャーによる発言だったので驚いたのが一つ。それを米国の会社の運営サイトで英国の雑誌編集者が、話の中核部分を彼らの母国での政府と完全に独立して話ができていることに驚いたのがもう一つの理由である。この情況下でも英米では(日本と違って)言論の自由が存在したのだ。

 

日本のテレビ局やそれらが運営するネット動画等で全くこの種のまともな話が聞けないのは、日本が米国の一部の思想に完全支配された全体主義の国だからだろう。なお、「ウクライナは中立をまもるべきだった」は、私のこのブログサイトでの一環した主張でもある。(補足3)

 

補足:

 

1)このキッシンジャーの発言を知ったのは、「ニューヨークサバイバル」の動画を視聴した時です。https://www.youtube.com/watch?v=mMsK8G8j95Q

 

2)戦争前の現状とは、クリミヤとドンパス地域(ミンスク合意の時に自治を与えるべきとされた地域)をロシアが領有するということになる。

 

3)「ゼレンスキーはウクライナの地政学的運命を受け入れ、NATO非加盟を宣言すべき」

https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12730387626.html (36日)

「ウクライナの件:ウクライナは武装中立の立場をとるべきだった:」

https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12728559999.html (224日)

 

 

 

2022年5月19日木曜日

沖縄返還50周年と戦後日本の平和教について:

15日、沖縄返還50周年の記念式典が開かれた。中日新聞16日の記事によると、沖縄の玉城知事は、「復帰にあたって政府と共有した「沖縄を平和の島とする」との約束が、なお達成されていない」と訴えた。

 

この日、東京でも日比谷公園から銀座を行進するデモがあった。この沖縄の基地負担軽減を要求するデモのもう一つのスローガンは「命どう宝(命こそ宝)」であった。沖縄から駆け付けた沖縄平和運動センターのリーダーは戦争反対をマイクで語った。(補足1)

 

島民の1/4が死亡したという沖縄戦の責任は明らかに当時の大日本帝国政府にある。沖縄戦だけに限られたことではないが、戦争被害を受けた民間人に対する補償は本来大日本帝国を引き継いだ日本政府の責任で行わなければならない。(補足2)https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1210792.html

 

保守合同で出来た自民党政府は、この戦争責任の問題を放置するとともに、米国への完全従属の方針を立て現在に至っている。本来なら、日本政府は戦争責任をこれまでの大日本帝国の解体を経る形で果たすべきだった。会社で例えれば、債務の弁済を含めて破産処理すべきだった。

 

日本政府は、これまでの政治体制をそのまま引き継ぎながら、明治から戦争までの歴史を隠匿秘匿するという卑怯な方法で戦後処理を誤魔化し、その後の日本国民の将来を奪った。その経緯はもう10年もすれば明らかにされるかもしれない。

 

2)大日本帝国政府の戦争責任と日本政府の戦後処理の責任

 

米国の占領後一年経たないうちに、米国は急いで日本国の憲法改正に着手した。憲法草案の議決がなされたころ、皇室典範改正の議論も始まった。その時、三笠宮崇仁親王は、天皇に生前退位の道を開くべきだという意見書を枢密院に提出した。

 

この意見書はその提出された時期などから考えて、昭和天皇は退位すべきという意味があったと思う。実際、当時そのような議論もあって混乱した末に、現在の皇室典範となったようだ。https://blogos.com/article/200237/

 

昭和天皇には、実質的には戦争責任は無かったものの、道義上は責任をとって退位すべきだった。そして、新しい日本は新しい天皇の下で、中国侵攻や日米開戦に反対した人たちを中心に作り上げるべきだった。それが上記大日本帝国の破産処理と、新日本の再建である。

 

それを妨害したのは、米国であった。後継有力者を公職追放し、米国に隷属する者だけを日本の政治組織に残した。その結果かどうか知らないが、ユダヤ系資本に協力した長州や土佐出身の人物が明治以降から継続して日本の政治を牛耳ることになった。

 

勿論、その中には戦争遂行の中心的人物も含まれた。例えば、長州出身の岸信介である。岸は、満州関東軍の若手リーダーの満州三介の一人である。

 

そして、実質的に戦後最初の首相となった吉田茂は、実父が土佐出身で板垣退助の腹心だったという。吉田茂の養父は、明治維新の中心的存在であるジャーディン・マセソン商会の横浜支店長の吉田健三である。この事実が全てを象徴している。

 

昭和の大戦争の戦争責任をうやむやにして、吉田茂の内閣は新憲法や新皇室典範など、現在のクラゲのように背骨も頭もない日本を作り上げた。従って、この戦争での敗戦により実質的に日本が滅んだことになるだろう。

 

3) 昭和天皇が戦後のある時期(例えば新憲法制定後)に退位されたとしたら:

 

もし、三笠宮殿下の提言を受け入れた形の皇室典範が出来ていたら、現在の上皇様が40年ほど早く皇位を継承されていただろう。そこでは昭和天皇の道義上の戦争責任が議論され、同時に戦争の経緯と実質的責任者が明らかにされた可能性が高い。

 

そうなれば、学校での日本史の教育も、近代史を完全に含めた形でなされることになる。それは最終的に天皇が、日本神道のトップとしての存在に戻り、現実の政治の表舞台から去る切っ掛けとなるかもしれない。しかし、そこから新しい日本が生まれた筈だと思う。

 

上皇様が譲位の意思を4年前に明確にされ、その意志を通されたのは、この三笠宮殿下の意思を継がれた可能性があると思う。(補足3) 上皇様は、沖縄を11回訪問されたこと、サイパン島への慰霊の旅、朝鮮王と皇室の関係に言及されたことなど、昭和の戦争に至るまでの日本の歴史に対して、皇室としての責任を果そうとされてきたと思う。

 

上に想像した新しい日本であったなら、遅くとも戦後50年を経過するまでには、戦争責任の明確化とともに新しいまともな日本が再建され、沖縄の基地問題を含めた戦後補償も、不十分だろうが実現していただろうと思う。

 

4) 平和教について

 

以上を念頭に、沖縄及び日本全体が現在持っている「平和という概念」に対する誤解について少し書いておきたい。 

 

我々生物界に生きる存在としては生存競争が日常であり、戦争から暫く解放された状態である平和は、本来異常な、つまり常と異なる状態である。(補足4) 戦争が異常な状態であると考えると、国家の形態についても国民の義務についても、正常な思考力を失う。

 

つまり平和は、本来、日常として存在し難い事態であるが故に、希求すべきものである。それは我々の人体も、他の人間以外にも細菌からウイルス迄の敵と戦いながら生存を続けていることと同じである。それらへの防御力を無くしては、我々も国家も生存が危うい。

 

最初に引用した沖縄県の玉城知事の言葉や、沖縄平和運動センターの方の発言は、この国家としての正常な防衛力さえも否定する考え方に聞こえる。どこか外国の意思の代弁でなければ、戦後の異常な平和信仰の所為だろう。

 

玉城知事も認めておられる現政権の日本を前提に考えれば、沖縄の米軍基地の存在のお陰で、沖縄を含む日本の安全が担保されているからである。もし、上記のようにまともな日本国が再建されていたなら、そして仮想敵国として中国が現在の形で存在するなら、沖縄は日本軍の基地の島となっていただろう。何にしても、玉城知事の平和とは大きく異なるように思う。

 

この戦争こそ人類史における普通の状態であるとの考え方に於いては、個人の命を至高の宝として考えるのではなく、西郷隆盛が征韓論を唱えた時主張したように、自分の命も尊い目的のためには犠牲にするという考え方が再確認される必要がある。ウクライナ戦争でも、国を守る為に外国から祖国に戻って戦った人たちが大勢いた。彼らは明治の日本の武士に似ている。

 

補足:

1)この時の発言は中日新聞によると以下の様だった。「政府はいま台湾有事を叫び、台湾に近い沖縄が戦場になるのは当然だと(首相経験者が)いう。何度むしけらのように私たちの命を奪うのか。戦争しないで解決する方法はあるでしょう。悲劇に見舞われた沖縄は何を言っても戦争反対だ」

 

2)軍人に対する補償は、一応遺族年金という形でなされた。しかし、都市空襲などで被害を受けた人に対する補償は全くなされていない。民間人虐殺は国際法違反であり、補償すべきは米国であるという考えがあるが、政府は講和条約のときに日本国民の一切の権利を放棄をした(サ条約19条)のだから、米国に代わって補償すべきである。https://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/docs/19510908.T1J.html

 

3)上皇様の譲位の意思に関しては、皇室典範の改正をせず特例法の制定という形でごまかした。それに共産党を含め全ての野党が賛成したことから、戦後日本は与野党合作であることが分かる。何故なら、米国CIAのお金が与野党に渡されていた。

 

4)人類は科学技術の発展により、農業生産性の著しい改善を行った。それにより、この地球上の可住人口は飛躍的に増大し、その結果平和は日常であるとの信仰が世界に広まった。その信仰も終わりに近づいている。それに対処する為の口実作りが、1972年のローマクラブの指摘した成長の限界であり、その後所謂グローバリストらが喧伝している地球環境問題である。それらを理由に、世界の覇権を握った人たちにより何らかの形での、世界人口削減計画が進められるだろう。グレートリセット構想や今回のウクライナ戦争などは、その一環であるのではと私は考えている。

 

上は、この100年間の世界の人口を示した図である。急激な世界の人口増加は、それ以前の厳しい生存競争から一時的に解放されたことを意味する。近代の西欧文明が科学の飛躍的発展及び産業革命と不可分なので、異常(つまり幸運)な平和と幾何級数的な人口増大をもたらした可能性が高い。つまり、21世紀のこれからの時代は、人類は再び地球史的にノーマルな生存競争の時代に入る可能性がたかい。

 

その本来の厳しい自然のルール時代を、異常な時代と考えて備えをしない民族は、先進国でも淘汰され滅びる可能性が高い。悲しい現実である。

(18時40分、小編集あり)

2022年5月15日日曜日

日本の弱点と日本の文化について

日本の弱点の一つは、会社や国家などの機能体組織を作り上げ、日本文化の中でそれを能率的に維持運営できないことだろう。そして、その結果なのだろうか、組織の運営には構成員の間に情の関係を築き上げ、共同体的にすることが大事だと考えられているようである。

 

つまり、日本では機能体組織と共同体組織の峻別がなされないのである。それを表す現象の一つが、人生の最重要な式典のように行われる入学式や入社式である。これらは基本的には米国など欧米には無い様である。https://www.careermart.co.jp/blog/blog/archives/5834
 

恭しく入学式に臨むのは、日本においては入学がその学歴の全てを決めるからだろう。それ故、前期2年間は晴れて遊ぶことが出来るのである。何故なら、卒業は約束されたことだからである。同様に、会社への入社を労使が伴に祝うのだから、職歴は完成し、その後の終身雇用は当たり前である。(補足1)

 

日本においては大学のレベルが低いとか、雇用の流動性が低いことを議論するのなら、それらの儀式を廃止してからにしたらどうか。契約社員という身分を法制化し、会社の終身雇用の文化を維持するのなら、同一労働同一賃金なんて主張するのは愚かである。
 

会社を情で雁字搦めにしてしまっては、様々に変化する環境に順応して運営ができる筈がない。経営が傾きつつあるとしても、不要部門の整理ができないのは当然である。経営危機になった日産自動車をカルロス・ゴーンが立て直した方法は、日本人経営者にできなかった不採算部門の非情な整理だったと語られる。この件、2019年のブログに書いた。

https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12556307937.html

 

不採算部門を切ることが非情なのは、切られた従業員が失業するからであり、その従業員が同程度の待遇で再就職することが、日本では非常に難しいからである。それは、日本社会では雇用の流動性が十分でなく、従って同一賃金同一労働の原則も無いからである。(補足2)

 

つまり、日本の労働者は労働の対価として給与をもらっているのではなく、その会社の忠臣として食い扶持をもらっているのである。この封建社会のままで、新しいグローバルな資本主義社会に適応できる筈がない。これは日本全体の問題である。こんな当たり前のことが分かっていないのだ。 

 

お前が分かっているのなら、専門家なら誰もが分かっている筈だと思う人がほとんどだろう。検索した結果、日本経済研究センターの方の記事が見つかった。内容をちょっと眺めただけだが、雇用の流動性の重要性にまでは触れているが、日本文化の上記特性について全く触れていない。https://www.jcer.or.jp/j-column/column-saito/20160523.html

 

雇用の流動性の重要性は、人材派遣の会社「パソナ」の竹中平蔵氏もテレビ番組で時々言っておられるのだが、既に売国奴とラベルされているので非常に遠慮気味である。

 

グローバリストの竹中氏は確かに売国奴的に見える部分もあるが、まともな議論は傾聴すべきだし、それ以外については正面から竹中氏と議論すべきである。普通の日本人は議論が非常に苦手なため、売国奴とラベルをして集団の力で葬り去ろうとしている風に見える。​​https://kinyu1.com/post-3178/

 

次に、この問題を日本の言語文化から考えてみる。

 

2)日本の言語文化
 

日本では、人々は議論を嫌う。議論をする目的を共有できないからである。既に上に書いたように、日本の会社と雇用者の関係は、封建領主と臣下の関係に似る。領主との関係が最も重要な生存の条件なら、人々が集まって議論をすることを嫌う。 

 

議論は謀反を企むのなら兎も角、現在の主人に仕え続けるのなら、殆ど必要がない。例えば単なる健康集会のような集まりでも、独裁の隣国では謀反(反乱)の企みとして、取り締まりの対象とされた。法輪功に対する人権侵害は周知の通りである。

 

人が集まって議論するのは、市民社会が出来上がった以降のことである。人々が市民革命を経験していない日本では、そのような文化が定着していない。会社が機能体集団なら、社員の仕事上の対話は、双方向に自由であるべきだが、日本社会はそのような言語文化を持たない。それは日本語の構造からも明らかである。

 

例えば、相手に呼びかける時の代名詞は、現在の日本語では(XXさん、XX君、あなた、あなた様、おまえ、貴殿、先生、部長など相手の地位)など、様々である。更に、述語も複雑な敬語表現があり、普通には習熟困難な程である。その組織で最も大事なのは、儒教的な上下関係であることの反映である。

 

日本語に比較して英語などでは敬語表現は殆どないし、二人称代名詞もyouだけである。(ドイツ語には二つあるが、会話の双方向の流れに影響する程ではないだろう。)機能体組織は、西欧の長い歴史の中での産物であり、従って西欧言語もその社会と整合性を持つのだろう。

 

また、機能体としての本来の構造は、各部門を夫々相応しい専門家が担当し、各部門間の情報交換は予め決められた手順に従ってなされるべきである。その意味では、情報伝達の相手を意味する代名詞は、あなた(英語のyou)が最もふさわしい。それ以外の情報を含む代名詞を意識して避けるべきだろう。

 

以上のようなスムーズに会話ができるようなツールとして、言語は進化しなければならない。その為には、相手の立場(人事上の上下や上流下流の関係)の確認と本文内容は、文章の中で独立を保つべきだろう。機能体組織を作ると同時に対話のプロトコルは作り上げなければならないと思う。(補足3)

 

つまり、近代社会においては、その機能体組織は多層構造と多系列構造を持つ。日本文化がそれを妨害するなら、日本にはこの国際社会において発展することは不可能である。もし、言語環境で何とかなるのなら、言語を例えば英語に交換すべきである。

 

実際、過去にそのような主張がなされた。初代文部大臣森有礼が、また、終戦直後に尾崎行雄が英語を国語にすべきだと主張したことがある。また志賀直哉は、国語をフランス語に代替せよと主張したことがある。その詳細は未だ調べていないが、関心のある方はウィキペディアの引用文献を検討されたい。

 

また、国際的と自認する日本企業の中には、公用語として英語を用いる会社がいくつか存在する。それは恐らく、外国とのコミュニケーションだけが目的ではないだろう。

 

補足:

 

1)欧米で入学式や入社式が行われていないとすれば、その理由として以下のような考えが存在すると思う。それらの儀式を行うとした場合、個人的に感慨を味わう意味があっても、組織としては意味が小さい。その後の数年間の実績の方が遥かに大事だからである。その確認が全くない状況下で、仰々しく式典を開く理由はない。勿論、それら学校や会社が共同体組織ではないと考えた場合の話である。

 

2)非情に首切りをやれと言っているのではない。不採算部門が容易に整理できる文化を社会が持つべきだと言っているのである。つまり、入社が封建領主へ仕えることではなく、自分の技量を提供して、その代金として給与をもらうという文化を作れば、労働の流動性も同一労働同一賃金も自動的に達成される。会社に入社式の廃止、学校には入学式の廃止を指導するべきである。「先ず隗より始めよ」 である。

 

3)事務的な通信には、「時下益々ご清栄の段、謹んでお慶び申し上げます」などの意味不明の前書きが添えられる。それは手続きとしては良いと思う。ただ、その後ろの本文には、意味不明の言葉は徹底的に避ける手順(プロトコル)を作り上げるべきと考える。

 

以上、素人の文章です。ご批判等歓迎します。


2022年5月8日日曜日

米国の代表的嘘:月面着陸の嘘

ヤフーブログから引っ越して3年になる。読者も入れ替わっているので、以前書いた記事の中から“お勧め”を紹介することにしました。今回は、アポロ月面着陸の嘘である。証拠の一つは、月面は真空でありあのようなクッキリとした靴跡はできないという科学的結論、もう一つは月面では歩くには相当の訓練を要するだろうという科学的予測である。勿論、証拠は最初のものだけで十分だと思う。
 

1)アポロ11号の飛行士が月に残した靴跡の嘘

砂粒子を集めて塊状にするには、粒子間を埋めて多数を集める液状物質が必要である。月面は真空であり、水が存在しない。したがって、真空状態の月面では砂はサラサラであり、あのように押し固めたような靴跡はできない。水に代わる物質も存在するとは思えない。

例えば、ブリタニカのサイトにはクッキリとしたオルドリン飛行士の残した靴跡の写真が掲載されている。深く踏み込んで出来た靴跡だが、真空中にも関わらず、靴をあげても崩れていない。月面で撮影した写真だというのなら、それはインチキである。https://www.britannica.co.jp/blog/apollo/

水を一切含まない微細粒子状の砂を用いて、真空で実験すれば、あのような靴跡などできないことが分かる筈。水分など低分子量の物質は蒸発して無くなっている筈だからである。また、一旦靴跡が出来たとしても、重力ですぐに崩れる。勿論、靴跡とわかるような凸凹は砂地に残るだろうが、くっきりとした靴の突起跡は残らない筈である。


真空下でなくても、砂が乾燥していて、その他親水的(補足1)な液状成分を含まなければ、状況は同じである。微粒子が特別の形状を持っていても、粒子間に凝集力が生じないので、あのような靴跡は出来ない。あのNASA(米国航空宇宙局)が公表した靴跡の写真は、アポロ11号の月面着陸がインチキだったことを明確に証明している。


砂地でクッキリとした靴跡ができるのは、水の表面張力の助けがあってのことである。水の表面張力とその働きの詳細は、以前に分かりやすく解説した。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466516473.html
 

なお、気温が零度をかなり下回るとき、積もった雪を握っても固まらないのも、同じ理由で説明される。札幌の雪まつりでは、水を撒いて雪の粒子間に水を含ませてから、雪像を作る。

2)月面歩行の嘘:
 

地表で歩行を覚えた人間には、月面での歩行は慣れるまで相当むつかしい筈。何故なら、人間の歩行のリズムは、重力に支配されているからである。月面では重力が地表面の1/6であるため、月面で歩くには幼少期から頭脳に書き込まれた歩行のパラメータを完全に書き換えなければならない。


人間の歩行は、下図に示すような基本的には二重の振り子運動である。支点から25㎝の振り子の周期は、地表では約1秒である(補足2)が、月面では約2.46秒となる。そうすると、歩行の1周期(2歩)が、地表で1.2秒だとすると、月面では約3秒となる。この歩行のパラメータに慣れるには、相当の時間を要する筈。


下に引用の動画サイトはアポロ乗組員の月面での活動を映している。この52分30秒~53分20秒の歩行を見てもらえば、多少ジャンプがあっても、”月”での歩行の様子が見える。その振り子運動の周期は1秒ほどであり、動画が地表面で撮影されたことが分かる。

https://www.youtube.com/watch?v=S9HdPi9Ikhk
 
また、宇宙飛行士の言葉として、この歩行に慣れることの困難さについての話がどこにも残されていないのも、撮影が地表でなされたという証拠だろう。

 

二つの振り子の一つは大腿部であり、もう一つは脛の部分の振り子である。ただし足底で地面に触れることや、膝は後方にしか自由に動かないなど違いもあり、力学の方で議論される「二重振り子」とはかなり異なる。(ウィキペディア参照)

 

歩行における上記二つの振り子運動の位相は、90度ほどずれている上、膝部分の振り子運動の支点が上下に振動する。非常に複雑だが、振り子と同様に重力の影響を受ける点だけは自信を持って言える。

 

人が歩行に振り子運動を採用しているのは、出来るだけ歩行で消費するエネルギーを節約するためである。(補足3)昔居間にあった柱時計の振り子でも、その運動の継続にはほとんどエネルギーを消費しない。重力エネルギーと運動エネルギーを交換しながら、歩行は続き、摩擦などにより消費するエネルギーを最小限に抑える様になっているからである。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12495888028.html 

 

以上、私が議論可能な部分を議論した。ロケット工学の方からの議論も昔の記事で議論している。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466516151.html

補足:

 

1)シリカ、アルミナ、酸化マグネシウム、など砂の成分はほとんど親水性である。

 

2)歩行の1周期(2歩)が1秒で歩幅が70㎝なら、1分で840m歩くことになる。不動産屋の広告で歩いて何分と書かれている場合、1分80mが単位だという。25㎝は短いようだが、重心と支点の距離であり、足の長さが90㎝程度なら、ここに2つの振り子を配置すれば、同程度の値が出るだろう。

 

3)歩行の二重の振り子運動の概略について、一つだけ記事が見つかったので、ここに引用しておきます。詳細な解析も工学の研究者によりされているのだろうが、ネット検索では見つけられなかった。

2022年5月5日木曜日

ディープステートと言論を封殺するための陰謀論というラベル

元ウクライナ大使の馬渕睦夫氏が、世界の覇権国である米国の政治は、Deep State (隠れた組織, DS)に支配されていると主張している。最近では林千勝氏の著書「The Rothschild」などにおいて、近代史におけるユダヤ資本の大きな働きが解説されている。

 

ディープ・ステート(DS)は、トランプ前大統領によってもその任期中を含めて、米国政治の影の支配者のように言及された存在である。具体的には、ロックフェラー家(補足1)やロスチャイルド家などと関係の深い資本家など米国の富豪が、米国の外交問題評議会(CFR)などの組織や大統領勅任の官僚上層部を動かしていると言うのである。(SES, Senior Executive Service=>https://www.lec-jp.com/h-bunka/item/v251/pdf/200505_26.pdf

 

この陰から米国政治を支配するというDSモデルは、一般には陰謀論として退けられているが、馬渕大使や林千勝氏らは、それが現実であると様々な資料を基に主張している。陰に隠れることで、失脚しないことと責任転嫁が何時も可能になり、長期的・計画的に彼らに都合の良い政策を進めることが可能になるという。(補足2)

 

直接支配では如何に完全な独裁体制を実現しても、2回ほど代替わりがあれば体制は傾く。代替わりで家が傾くことは、普遍的な人間社会の法則でもある。(=>「三打目売り家と唐様で書き」と川柳として 詠われている)

 

このユダヤ系資本による世界支配の方向は、主権国家体制の世界を崩壊させることのようだ。別表現では、政治経済のグローバル化推進である。世界統一政府が実現すれば、主権国家間の利害の衝突としての戦争を無くすることが出来ると、その目的を推測する人が居るが、それは単純な理想主義者の考え方である。

 

世界統一政府というが、広大な地域を支配する政府にウクライナのような腐敗が蔓延らない筈はない。それは米国の政治経済を考えれば、想像がつく筈。それに、彼らが考えるグローバル化の目標は、単に世界統一政府の実現ではなく、ユダヤ民族が支配する世界統一政府の実現である。

 

その政治では、「政治的に目覚めた100万人は、説得するよりも殺す方が早い」という元米国大統領補佐官のブレジンスキーが外交問題評議会(CFR)カナダ支局での講演で言ったように、決して民主主義を採用しないだろう。https://mizu888.at.webry.info/201310/article_146.html

 

実際、第一次グローバリゼーションは、共産主義革命であったし、今回起こるかもしれない第二次グローバリゼーションも4月30日の記事の後半に書いたように、社会主義革命であると思われる。元々、既に述べたように、民主主義で世界を単一政府で統治することは近い将来には不可能である。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466516667.html

 

 

2)離散民の生き残り法:

 

上記のような世界政府を目指す思想は、先々で虐待された離散の民(ディアスポラ;補足3)の歴史を考えれば当然かもしれない。ディアスポラ(の民)がその先々の社会で生き残る際の命綱は、自らの家族とその延長としての人の繋がりである。その繋がりは宗教や血縁で維持される。(補足4)

 

少数民族の彼らがそれ以上に一定の政治的勢力を得るには、その国のメジャーな勢力を弱体化し、そのシステムを自分たちに有利な形に変更することが必要だろう。更に、新たな勢力の成長を妨害することも大事だろう。

 

その方法も、ブレジンスキーの言葉にある。彼らユダヤ人たちは、マイノリティ(少数派)の権利確保という名目で、黒人やヒスパニック等と連携して運動を組織化し、米国を牛耳ることに成功したというのである。 https://www.youtube.com/watch?v=Z85BnnOPmZ4&t=412s

 

マイノリティが平等以上の権利を確保するには、必然的にある程度の社会の混乱を必要とする。つまり、完全に平穏な社会においては、メジャーな人種がひと塊の大きな政治勢力になり、その体制が固定化されるからである。それは、例えば水が凍る(結晶化)とき、自然に不純物を排除するメカニズムに似ている。

 

異なる民族の間では言葉や慣習などの文化が違うので、どうしても誤解や争いが生じやすい。ユダヤの大資本が、世界がこのまま主権国家体制で固まることを本能的に嫌うのは、多くの民族が主権国家として固まれば、彼らディアスポラの入りこむ隙間が無くなるからだろう。(補足5)

 

 

3)マイノリティの権利確保の具体的方法

 

離散民は、彼らの住む土地では普通マイノリティである。従って、彼らの政治的手法の第一は、マイノリティの権利拡大の論理をその土地において主張し定着させることである。

 

このマイノリティの権利拡大の論理を作り上げる方法として、ポリティカルコレクトネス(PCの追及がある。その風潮は、既に米国から世界に拡大している。新世界秩序(New World Order)が近い将来実現するとすれば、現代版の踏み絵として、益々厳格に魔女狩り的に使われる可能性がある。

 

PCは、世界の民族文化のほとんどと衝突し、主権国家体制の時代に作られたメジャーな文化とも衝突するだろう。象徴的な例として、性的マイノリティの権利確保の運動が、性転換した元男性が女子部門の重量挙げなどに参加する道を開いたことが挙げられる。https://www.yomiuri.co.jp/olympic/2020/20210802-OYT1T50336/

 

BLM運動も、マイノリティの権利はマジョリティの権利よりも重視されなければならないという逆差別運動として生まれた。そして、所謂キャンセルカルチャーもその運動の中で生まれ、南北戦争の英雄から名誉をはぎ取ることになった。それは「既存の価値観や権威を破壊してやる」という彼らマイノリティの自信或いは思い込みの産物ではないだろうか。

 

これらの従来の秩序を破壊する行為の中には、差別を無くするという視点を利用した社会の混沌化の企みがあるように思う。上述のように平穏な社会に楔を打ち込む隙間を生じさせるためである。

 

この異常な風潮を定着させ強化する方法として、マスコミの独占とそれらによるプロパガンダがある。その中で、自分たちマイノリティの考え方と異なる思想を追放する為の方法の一つが、マジョリティ重視の言論に対する「陰謀論」というラベリングである。

 

感覚の優れた人がディアスポラの民の計画に気付いて指摘しても、提出された証拠を明確ではないと決めつけ、そして陰謀論というラベルを貼り付けることで、無知な大衆の嘲笑とともにゴミ箱に捨てさせるのである。

 

陰謀論の代表として標的になっているのが、上記Deep State (陰の政府)である。その深さは、世界各国の政治からマスコミ迄を現地の一般民が気付かない形で支配するレベルに達しているようだ。

 

今回のウクライナ戦争でも、ロシアの一方的な企みとしてマスコミ全社が報じている異様さに気が付かない日本人がほとんどである。岸田政権と現在の駐日米大使の剛腕もあってか、そのモデルの浸透は、ほとんど完璧だろう。

 

もし、将来新世界秩序という統一権力が誕生し、そこに生き残ったと仮定した場合、彼らに反する行動は、今回のロシアのようにことごとく100%の悪として裁かれる。真珠湾攻撃も9.11と同じように扱われ、天皇もヒトラーのように扱われ、少しでも日本民族の言い分が現れたら、踏みつぶすように弾圧されるのだろう。(補足6)

 

彼らの仕組みをあばく能力を持った人物を葬り去る方法の一つとして、数多くの罠を設けることも行われているようだ。その罠の一つは、荒唐無稽な説を公の空間にばらまき、それに引っかかった人物を陰謀論者としてラベルするのである。

 

例えば、東日本大震災が人工地震でもたらされたという説や、UFOや宇宙人についての風説もそのような罠かもしれない。更に、ジョージアガイドストンも、そこに何らかの意味を汲み取るような人物が現れたら、陰謀論のラベルを貼り付け、大衆によりゴミ箱に捨てられるように仕向けるための装置なのかもしれない。(補足7)

 

 

補足:

 

1)ロックフェラーの会社に資本参加することで、ロスチャイルド系資本との協調体制が作られていると考えられる。例えば最近の記事としては: https://jp.reuters.com/article/zhaesmb15177-idJPTK814146220120530

 

2)陰に隠れて政権安定を図る方法は、日本の天皇家も採ってきた。幕末期に薩長はそれを熟知して、天皇の陰に隠れる形で新政府を作り上げた。更に、その新政府の陰に居たのは香港のユダヤ系資本のジャーディンマセソン商会であり、その配下のトーマス・グラバーとその支配下の坂本竜馬であった。

 

3)以前の記事にそのようなディアスポラ的民族として、ユダヤ民族のほかに華僑があげられる。彼らは経済的に成功すると、現地で政治的にも大きな力を持つようになる。それは、離散民族は現地の政治により影響を受けやすいので、政治に大きな関心を持つからである。

 

4)ユダヤ人であるウクライナのゼレンスキー大統領は、イスラエルの国会でオンライン演説を行った。そこでの最初の言葉は、「兄弟姉妹の皆さん」であった。そして、“なぜ、あなた方の武器(ミサイル防空システム『アイアンドーム』)を受け取れないのか”と、直接的に武器の提供を要請した。兄弟である私を助けるべきであると訴えたのである。https://news.yahoo.co.jp/articles/1e47b8d6609334f337455295b2b8164da483038a

 

5)平和になると、元々親和力を持つ同族の人たちが、共通の基盤を作り政治的にも団結する可能性が出てくる。ある種の思想により、その国の政治を伝統的な形からその理想的(或いは空想的)な形に導くには、政治的に温度を上げる必要がある。つまり、混乱の中からでしか新しい秩序は生まれないからである。そうでないと、安定の底をたどる保守主義では、破滅への道まで政治がロックインされる可能性が高いからである。
 

6)米国サイモン・ヴィーゼンタール・センター(補足2)のアブラハム・クーパー副館長が、新潮社編集部の取材で広島と長崎への原爆投下について語った以下の言葉が「その冷酷な現実」を示している。「率直にお話ししますが、個人的に言うと、私は原爆投下は戦争犯罪だと思っていません」(「新潮45」200012月号) 。

 

7)ジョージアガイドストーンの設営もその一つだろう。世界の人口を5億人以下に保つというこの石碑の文章は、この非常に立派なつくりとともに、陰謀を匂わせる。その数値に具体的な由来は全く無いだろう。

 

 

 

2022年5月3日火曜日

岸田首相の憲法改正に対する姿勢を批判する

産経新聞の記事によると、自身の党総裁任期中の改憲実現を目指す岸田首相は「改憲は党是だ。憲法は施行から75年が経過し、時代にそぐわず、不足している内容もある。ぜひ改憲したい」と改めて決意を表明したと言う。

 

https://www.youtube.com/watch?v=4T5seT1Y1Aw 

 

憲法改正の内容だが、自民党内では改憲4項目(9条への自衛隊明記・緊急事態条項・参院選「合区」解消・教育の充実)として決定されているようだ。https://www.jimin.jp/kenpou/proposal/

 

先ず私は、改憲が党是と言いながら75年間改憲論議を国会でしてこなかったのだから、自民党は解散すべきであると言いたい。そして、そのような政党に過半数の議席を与えている日本人に不幸が襲うのは当然の帰結であるし、まさにその方向で世界の政治は動きつつあることを非常に心配する。

 

ここでは、日本にも未だ失地回復の余地があると仮定して、以下、自民党と岸田氏の憲法改正に関する姿勢を批判する。先ず、上記4項目だが、国家の根幹をなす防衛軍と緊急事態の二つの条項は必須である。ただ、何故参議院選挙の制度と教育問題という各論的な項目を一緒に取り上げているのか?

 

自民党は、最初からやる気がないのか、二つの各論的なところで賛成票を稼ぎたいという不純な動機によるのかどちらかだろう。何方にしても、これらの問題を75年間放置した政党の本性を表している。

 

兎に角、以下の動画を見てもらいたい。

 

 

岸田首相は、この中で「国会での議論をしっかりとバックアップしてもらう。これが大事だと思いますが、あわせて国民のみなさんに働きかけてもらい憲法改正に対する機運を盛り上げていく」と昨年11月(多分首相になった直後)に話した。

 

この日本語では、何が国会での議論をバックアップするのか、国民が何に働きかけて、憲法改正の機運を盛り上げるのか分からない。また、そもそも憲法改正或いはその議論は、雰囲気を盛り上げて行うことだという岸田首相の理解には驚く。

 

自民党の憲法9条の改正案(上に引用の自民党サイト参照)は、第一項と第二項をそのままにして、自衛隊の存在を第三項に書き込むのだそうだ。しかし、「国際紛争を解決する手段として武力の行使を放棄する」のなら、何故自衛隊が必要なのか?

 

憲法9条は、これまでの近代の政治文化である「主権国家体制」を完全否定するもので、政治のグローバル化が達成されたのちの世界統一国家における、各自治州(ここでは日本州)の基本法にふさわしい。ただ、それでもその前提に世界国家の警察機構がある筈。

 

ウクライナ対ロシアという主権国家間の戦争を見ながら、このような愚かな憲法論議はない。

 

補足:

 

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。