2018年10月15日月曜日

日本は米国に学ぶべき:開かれた組織とそれが構成する全体としての社会

1)米国の強みとして感じる重要な点は、社会における各組織が、外からの批判や評価を当然受けるものとして存在し、各組織がその批判を受けることで、外つまり全体の中で適切な位置を占めるように調整されること、そして各組織が、そのような感覚&調整機能を持っていることだと思う。(補足1)

昨日の朝、西鋭夫というスタンフォード大学Hoover InstitutionのFellow(補足2) の方のブログで、「時代遅れの教授会」という記事を読んだ。http://www.prideandhistory.jp/topics/000822.html

米国では、大学での講義の評価を学生が行い、そこで高い評価を得た教授は土地の新聞に紹介され、年俸も上がると書かれている。また、米国では大学新聞の学生記者が教授会を傍聴でき、審議内容を記事にできる。

それに比べて、日本の大学では教授会は閉鎖的で、自らの特権を守る組織となっている。その結果、日本の教授職は、業績評価なし、勤務態度の監査なし、学生による授業内容の審査なしで、一度雇われると終身クビにならない職業である。そのように書かれている。 日本の大学教授は、“学問屋”とでも言うべき職業である。世界の研究者が作り上げた学問を切り売りする商売である。「何々屋」とは、本来の仕事のあり方とは無関係に、その地位と収入を得ることを最優先にする人種のことである。代表的言葉として、「政治屋」がある。

数年前に、サンデル教授の講義風景が日本で放送され、話題になった。そこでは、教授からの質問に学生が答えるという形で、活発な議論が展開されていた。一方通行の日本の講義とは大きくことなり、双方に相当のエネルギーが必要になってくる。それだけ、濃い内容の授業が展開されていた。

2)日本は、東アジアの諸国同様に、遅れた社会の国である。幕末に西洋特に英国から、先進的な考え方を国家構築の思想として受け入れたが、それが徐々に消えていった。それは単に、中世の日本に戻っただけであるが、羽ばたくチャンスを逸して大きな幼鳥のままの状態のように見える。

それぞれの分野の職人たちは、その職人の組合だけが社会であり、その外には開かれていない。国会議員にとっては政治屋の作る世界だけが彼らの社会であり、選挙は単に“禊ぎ”であるからドブ板選挙が最善。それが終われば、政治屋社会のルールに従って権力を奪い合う競争に興じるのみである。

日本経済の中心の経団連という世界も、登り詰めたサラリーマン社長たちの親睦会のレベルなのだろう。官僚たちの世界も、何もかも、日本の組織はかなり閉鎖的な社会を形成している。そこは、ローカルなルールが支配している。亡くなった方を批判して申し訳ないが、西室泰三氏のように東芝を潰す原因を作った経営者が、その失敗にも拘らず、日本郵政の社長に何故成れたのか?(補足3)

大日本帝国時代の軍隊も同様である。ローカルな組織内のルールで動いて居たのだろう。その中の関東軍も同様だろう。暴走は必然であった。

そのような自分たちの将来を知っている大学の学生も、入学試験を終われば、あとは寝て暮らせば良いと心の奥底では感じている。たしか佐藤優氏だったと思うが、日本は学歴社会ではなく、入学歴社会だと言っている。そのような学生時代を自嘲気味にうたったのがデカンショ節だろう。(補足4)

補足:

1)生体内の各組織は当にそのようにできている。つまり、ホルモンは全体の情報を各組織に知らせ、それを受けて組織が全体の中でのふさわしい機能を果たす。

2)https://www.hoover.org/fellows?expertise=160に掲載されている。明治維新に対する解釈など日本の近代史についての啓蒙活動を展開しておられる。

3)米国ウェスティングハウス社を買収したものの、そこの経営で手腕を発揮するような人材は東芝に居なかったので、大赤字を出してしまう。その失敗にも拘らず日本郵政の社長に抜擢され、そこでもフランスかどこかの会社を買収し、巨額の損失をだしている。 https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2015/07/the-wall-street-journal.html

4)デカンショ節は民謡(丹波篠山デカンショ節)から、第一高等学校(後の東大)に始まり、全国の学生歌となったようだ。デカンショは、デカルト、カント、ショウペンハウエルを短縮したもので、半年三人の哲学者について勉強すれば、あとの半年は寝て暮らすという内容。要するに、名門大学に入学しただけで、あとは遊んで暮らして卒業を待つという大学生の生活を自嘲気味に歌ったのだろう。それが学生に受けた理由は、理想の学生生活ではないが、その後の人生において学生生活での勉学があまり意味を持たないということだろう。それは、大学で修得した学問など誰も評価しないことを意味する。その当時から、あの敗戦までの日本の歴史は決まって居ただろう。

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