2020年2月2日日曜日

日本再生の近道は国民に国家意識を創生することである

1)日本人の国家意識欠如

 

日本がまともな主権国家になるには、国民に国家意識が芽生えることが何よりも大事だと思う。数年前に、「保育園落ちた。日本死ね。」とSNSか何かに書き込んだ人がいて話題になった。その時、「日本が死ねば、あなたもあなたの子供も死にますよ」とテレビでコメントする人は、全くいなかった。日本国民に国家意識が欠如している証拠である。

https://www.huffingtonpost.jp/2016/03/14/hoikuenochita-blog-_n_9457648.html

 

日本国民の殆は、何かの式典のときに「国歌」を歌うが、何か後ろめたいことがあるかのように小声で歌う。何故か? それは日本国民が、日本国とその歴史に誇りを持てないからである。それは米国のWGIP (補足1)が原因だという人が多い。では何故、それを覆すような歴史の総括を日本政府はしないのか? 何故、何時も歴史認識に問題があると世界から言われ続けるのか?

 

大相撲に外国人力士を大勢入れて、長年最高位をモンゴル人に独占されても、大相撲は国技だと言い張る無神経。更に、その言い分を認めて、公益法人として税金を免除する政府の無原則な姿勢。更に、優勝力士の表彰式で日本の国歌を演奏し、モンゴル人力士も義理か無言の要請を受けてか分からないが、口パクで歌っている振りをしている。それに違和感を感じないのが、日本国民一般の実情である。(補足2)

 

このような情況下で、日本国民に国家意識を持てというのは無理な注文かもしれない。しかし、「日本国が滅んでも良いのでしょうか?」と問えば、100%絶対に駄目だと答えるだろう。殆どの日本人は、まるで出来の悪いわが子に対するように、日本国に愛着を持っている。少なくとも江戸時代から日本人の家系にある私には、それが良く分かっている。

 

国家意識の再生は、天皇を利用すれば簡単かもしれない。しかし、戦前のように全体主義的になっては大変である。現在の安倍独裁政権は、日本の大都市に賭博場を作ることを、国会でも殆ど何の反対も出さないで決めてしまった位だから、何をするか分からない。(補足3)そのように、国家意識を強制するようなことになっては、天皇家は滅びるだろう。それは日本国民の本意ではない筈である。

 

2)政治改革の方法について:

 

日本再生には、世界の何処にあろうとも、日本国民が日本国を誇りに持つと大声で宣言できるようでなくてはならない。義務教育から、現在の日本人の国家意識を改めなくてはならない。そのためには、日本は近代の歴史をレビューし、責任あるものは責任を追求し、被害を受けた者にはその保障をするべきである。 そうすれば、国家意識は創生されるだろう。

 

国家意識の再生ではない。日本人には国家意識など無かったからである。つまり、日本人には、人類皆兄弟的な考えが根強くあった。昭和天皇の開戦時の歌、「四方(よも)の海 皆同胞(はらから)と 思う世に なぞ波風の 立ち騒ぐらむ」は、それを示している。この歌は、明治天皇が日露戦争の時に詠んだ歌である。

 

このような歌を、国家元首が詠むようでは、戦争は始めるべきではないし、始めてしまえば勝てる訳がない。そのように指摘した人が居たと、これまで聞いたこともない。これがこの国の現状である。

 

日本国民の一人一人が一度、この日本文化というぬるま湯から出て、ユダヤの民が味わったような一人の寒さ厳しさを、人が生きる原点として、想像の世界でも良いから確認すべきである。そして、他人及び自分の考えや行動を、議論と評価の対象にしなくてはならない。

 

1952年の講和条約後に、そのように新しい日本として再出発しておれば、日本を話が通じる国として、国際社会が認めただろう。その場合、日本の指導者として相応しくなかった、或いは、致命的な間違いをしたと裁決された人たちは、「戦争における犠牲者としての名誉」(補足4)は剥奪されただろう。

 

日本人の欠点は、非論理的な点である。論理的にあの戦争を総括することなしに、再び民族としての団結を取り戻そうとするのは間違いである。つまり、右翼系の人たちが持つ「あの戦争で死んだ人達は、皆日本の為を思って一生懸命にやったのだから、皆犠牲者だ」という考えは間違いである。(補足5)

 

日本国民が国家意識を創生した後には、「指導者としての資質に欠けた者は、国政に参加すべきではない」、そして「相応しい能力を持っていると自信を持つ者は、その能力を国家のために役立てるべきである」の両方に賛成する人が殆どとなるだろう。

 

3)現状からの脱却

 

現在、地域の利権を国政で実現しようとする類の政治家が与党におおい。最近の例では、現与党幹事長は、和歌山のために捕鯨再開を実現した。それは、地域の利権を実現するとともに、非常に仲の良い国家の意向を汲んで、或いはサジェストにより、動いた結果だろう。それは、インド太平洋構想における重要なパートナーであるオーストラリアが、日本に対して悪い印象を持つように仕向ける策略の一環だとも考えられる。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2018/12/blog-post_21.html

 

兎に角、国政から地方の利権は排除されるべきである。そのために、ドブ板選挙から脱却しなくてはならない。(補足6)地方の利権から国政を開放するためには、道州制選挙区と一票の格差撤廃の実現が必要だと思う。それは小さな政府の実現にもつながる。勿論、比例代表制は廃止する。同州制は、元大阪維新の橋下徹氏が唱えていた。その時よりも大分前に、大前健一氏も道州制を提唱していた。

 

優れたアイデアが無いわけではない。それを国民が勇気を持って選択しないだけである。国民に国家意識を再生させて、政治的主体性を獲得させるべきである。それが遠回りに見えるかもしれないが、日本国再生への近道である。

 

 

補足:

 

1)War Guilt Information Programは、日本人に戦争責任を自覚させるための占領軍司令官マッカーサーが実行したプログラムである。身近な例では、ウィキペディアなどの記述が参考になると思う。

 

2)日本には、日本人は天皇家を中心にした大家族であるという考え方がある。例えば、神谷宗幣(日本会議の主要メンバー)という方が書いた本「本当の日本」には、“日本にルーツのある日本人は、歴史をたどると必ず天皇家の一族に繋がっている”という記述がある。更に、日本人には「人類皆兄弟」的な考え方がある。これは、あの笹川良一氏の著書のタイトルである。これらの考え方から脱却することが、日本人に「合理的思考に基づく国家意識」を再生させる重要な一歩だろう。

 

3)安倍総理には、自分には何でも出来ると思い込みがあるようだ。自分が親中姿勢をとれば、日本国民も親中になると思い込んでいるのだろう。自分は、友達が大学を作りたいと言えば、作ってあげられる。自分は、強姦犯でも無罪にできると思いこんでいる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%A8%88%E5%AD%A6%E5%9C%92%E5%95%8F%E9%A1%8C

https://news.livedoor.com/article/detail/13187244/

 

4)日本でも世界でも、犠牲者や犠牲者候補のマイノリティーに特別な権利が与えられるようだ。この人工的錯乱は、米国の一部から世界に伝染している。

 

5)本来なら戦争責任者である筈の者たちが、戦争の犠牲者である一般戦死者が祀られるべき靖国神社に合祀されている。それを可能にしているのが、日本人は皆頑張ったという戦争責任を他に押し付ける思想である。そこでは、戦争をまるで天災のような感覚で処理している。天災だから、マッカーサーは救助隊の隊長のように錯覚された。退任のとき、20万人が“英雄”を米国に見送ったのである。国際社会は本質的に野生の支配の世界であるから、日本が敗戦国になった責任は、日本人が取らなくてはならない。その原点に立たなければ、天動説と地動説を間違えるような結果になる。

 

「日本人は皆家族である」的な考え方で、嘗ての戦争責任者を許す思想は、右翼系に多い。その代表が、櫻井よしこ氏である。「櫻井よしこさんの靖国参拝に関するコラムを読んで解った事」:

https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2013/08/blog-post_29.html

 

6)どぶ板選挙は、国会議員が地域の有力者とその人脈により選出され、その国会議員は地域に有利な政策を誘導するという政治形態の根幹を為す。それは、中川一郎の自殺を論じた記事に書いた。

https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2018/01/blog-post_20.html

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