2021年11月30日火曜日

中国という恐ろしい国家の矢面に日本はできれば立つべきではない

11月に入って複数の欧米からの議員団が台湾を訪問して蔡英文総統と会談し、民主主義を守るための連携強化を世界に示している。112526日には米国下院議員団6名が台湾を訪問した。この米国議員団の台湾訪問は今月2度目で、今年3度目である。Taiwan Today の記事参照

 

これに強く反発した中国は、戦闘準備パトロール(combat readiness patrol)を行ったとロイターは報じている。戦闘準備パトロールとは、恐らく、具体的に部隊を組織して戦闘準備を行ったという意味だろう。https://www.reuters.com/world/asia-pacific/taiwan-is-force-good-senior-us-lawmaker-says-trip-taipei-2021-11-26/

 

そして28日からは、バルト三国の議員団が台湾を訪問した。三国の中でもリトアニアが注目される。「駐リトアニア台湾代表処」を開設するなど、台湾との外交関係を大きく前進させているからである。(補足1)

 

その勇気あるリトアニアの姿勢を応援する"声”が大きくなっているようだ。これに対して中国は反発し、リトアニアとの外交関係を大使級から代理大使級に格下げすると発表した。両国は89月、大使を互いに召喚している。https://www.yomiuri.co.jp/world/20211121-OYT1T50104/

 

何時も見ている及川幸久氏のyoutube動画も、これらの議員外交を紹介している。そして、日本の国会議員団も勇気を持って台湾を訪問すべきと言っている。それは、国会議員団なら日本の政治主体ではあるが、行政府の訪問ではないので、大きな問題になり難いと考えてのことである。及川氏は、「バルト三国もやっているのだから、それ位のことは出来ない筈はない」と言っている。

 

 

 

 

この動画に私は以下のような主旨のコメントを書いた。(すこし変形しました。括弧内はここで挿入したもの)

 

日本の議員団は訪台すべきではない。何故なら、日本に(国民の総意を背景にした)軍隊も核兵器もないからだ。先ず、憲法を改正し軍隊をもち、米国から核武装に同意を得ることだ。しかし、米国(トランプ以外)は日本の核武装に決して同意しないだろう。(補注:https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466516141.html; )

 

現状のままでは(吠えるだけで)身動きが取れない中国は、日本の与党議員を含む議員団が訪台すれば、それを口実に日本を第一の攻撃目標に設定する事ができる。そして、最初に尖閣をとるだろう。そこで、日米安保条約が幻だったことを日本は知ることになる。日本は議員内閣制であることも忘れるべきではない。

 

日本人は戦争というものを完璧に忘れている。その緊迫感の欠如が、上記及川氏のような発言を誘発するのだろう。

 

戦争は恐ろしい、特に超限戦を唱える大国に向かう際には、想像力も働かして十分シミュレーションすべきである。日本には現状十分な対抗能力が無いのだから、国民を含めて意思統一して準備をし、その上で避けられなければ命がけで戦うしかないだろう。それだけの覚悟をして、最初の一歩を踏み出すべきだと思う。

 

そのためには先ず、ウイグルの人たちの話や法輪功の人たちの話を聞いて、中国の属国となった場合の悲劇を知り、広く国民が議論すべきである。https://www.youtube.com/watch?v=wamQ2Zvn5VM

 

2)もう少し広い視野での議論

 

リトアニアの勇気ある強い対中姿勢は称賛に値する。しかし、リトアニアは小さい国であり、中国が対抗手段をとるとしても、国際社会から非難を受けるだけで、得るものはあまり無いだろう。それにNATOとEUの両方に加盟しているので、背後の勢力は大きい。それらを前提にして計算の上での行動だと思う。(補足1も参照)

 

一方日本国だが、中国政府は歴史的な敵対国として国民に教育しており、中国の砲身が常に向けられている国である。リトアニアの行動と本質的には同じでも、日本がそれを行えば中国の反応は数十倍以上大きいだろう。

 

更に、日本は明治維新以降の新興先進国であり、英米とは対等な同盟国であったことはない。(補足2)韓国同様、西側からのスケープゴートとなり得る民主国である。西側民主国にとっても、中国にとっても、問題の擬似的解決が日本の犠牲で可能になるかもしれない。そのシナリオ(補足3)を日本人は想像するべきだと思う。

 

尚、中国共産党政権をここまで大きな存在に育てたのは、米国(トランプ以外)である。中国が危険な龍となったのなら、その対策は米国が中心になって行うべきである。日本は、相当の準備と覚悟を持って、具体的行動として、反民主主義と人権無視政策を批判する民主国側の反中国の戦略に参加協力すべきだと思う。

 

及川氏が、日本の国会議員団も勇気を持って台湾を訪問すべきと言っているが、国会議員は余分な勇気など持つべきではない。国会議員がすべきは、第一に日本国民に現在の流動的な国際関係について知らしむること、第二に日本国の21世紀を通しての存立確保の手段を、国民が事実と論理で組み上げるまで、その作業のリーダーとなって働くことである。

 

リトアニアなどがとったのと同じ類の勇気ある行動は、日本国民の場合は命がけで行わなければならない。勇気ある行動は、それに伴う危険を熟知して、成功するとの目論見をもってこそ発動すべきものである。

 

(12月1日午前6時;最終稿とします。)

 

補足:

 

1)リトアニアのこの行動は、英米、フランス、ドイツなどと申し合わせて行っている可能性が高い。その背景を読むことをしないで、”リトアニアの勇気ある行動”という具合に単独行動のように考えるのは単純だと思う。

 

2)明治維新は、薩長が英国の支援(或いは指示)で、フランスをコンサルタントとする幕府と戦った内戦である。太平洋戦争での日本の没落は、米国の支援でロシアの脅威を退けたにも拘らず、満州利権で米国を無視したことなども主原因の一つである。日本は、欧米の近代史の発展の中で迷った家畜のような存在といえば言い過ぎだろうか? 大日本帝国はその歴史を隠している内に、日本国民も日本政府も殆ど自国(主権国家、民主主義などを含めて、西欧の政治文化の全て)を本質的に理解せずに、現代に至っていると思う。欧米民主国は、極東の民主主義を12歳以下であり(マッカーサーの言った通り)、道に迷って犠牲になる”切りしろ”(或いは、生贄の羊)と考えているだろう。

 

3)米中双方は、軍事的に衝突をした場合、短時間で(犠牲に耐えられず)問題の根本的解決を諦め、準安定状態(二極構造の世界)を受け入れるだろう。欧米の中国に対する人権尊重の主張もその時点で無くなり、中国の一帯一路構想も消滅する。そこで漸く、冷戦時代の米ソ関係のような準安定な世界が出来上がるのではないだろうか。

2021年11月29日月曜日

地球環境問題:化石燃料からの大気中CO2が本当に地球温暖化の主要原因なのか?

はじめに: 

 

この50年の地球大気の温暖化(地球温暖化という事が多い)は事実である。しかし、その主原因が化石燃料消費による大気中二酸化炭素(CO2)の増加であるという学説は未だ定着していない。更に、例えば今後の20年間、大気温度が0.5度上昇したとしても、化石燃料消費を大幅に削減しなければならないかどうかは分からない。

https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2014/08/blog-post_26.html


 

今日は以上の問題点に関連して、2,3の興味あるデータを紹介したい。

A: 藻類や菌類を含めた植物による光合成で固定・吸収されるCO2の量は、約4500億トンという話が一つ。そしてこれは335億トン程度の、年化石燃料消費で発生するCO2の量よりはるかに多い。そしてもう一つは、B:宇宙線が減少すれば地球は温暖化するという地球物理学者の説である。


 

ACO2の収支について

 

化石燃料からのCO2の増加が最近の地球温暖化の原因になっていると主張するなら、CO2の収支に関連する天然及び人工のプロセスについて、定量的に考察しなければならない。

 

先ず、CO2の産生だが、全世界で化石燃料の消費により一年で335億トン(2018年)のCO2放出されると文献に示されている。https://www.jccca.org/global-warming/knowleadge04 その他に、火山活動、動物の呼吸などでCO2が発生するが、それは大した量ではないだろう。
 

次に大気圏及び水圏からのCO2の吸収だが、草木や藻類による光合成により固定化(吸収のこと)される二酸化炭素の量は年間2580億トンであると、ウィキペディアに書かれている。https://en.wikipedia.org/wiki/Biological_carbon_fixation 

 

また、欧州分子生物学機構の研究雑誌 (EMBO reports)に掲載された総説「炭素固定:科学者たちは、気候変動を緩和するために大気からCO2を回収する自然の能力を利用する方法を模索している」と題する論文がある。そこには、植物の光合成系が "年間4500億トンのCO2固定を行っている”と書かれている。https://www.embopress.org/doi/full/10.15252/embr.201847580
 

更に、水中カルシウムによる炭酸カルシウムなどでの固定化も相当あるだろう。地球上の石灰岩が植物起源の炭素が岩石となったものであることも考えれば当然である。(ウィキペディア参照)

 

これらを考えれば、自然現象としてCO2を大気中から取り除く能力は、人間が発生させるCO2の量よりはるかに大きい。世界の海や淡水に棲む藻類などが大量にCO2を固定化(つまり吸収)することを考えれば、植物の光合成やその人工的類似反応で、余分のCO2を吸収することは先進国の技術投資でかなりのレベルで出来るのではないだろうか。

 

たとえば、東京湾岸では大量のCO2が植物により吸収されているという東京海洋大学の報告がある。この沿岸の植生を利用したCO2吸収は、現在の地球環境問題の一つの具体的解決策だろう。このようなCO2吸収を全世界で合算すれば、相当大きな値になるだろう。

https://www.kaiyodai.ac.jp/topics/news/201703140900.html

 

CO2削減対策のために発展途上国に年間1000億ドルの援助(COP26の決定事項参照)をするよりも、その金を先進国でのCO2固定化の試みに投資する方がよほど実りが多いだろう。(補足5)兎に角、植物による毎年4500億トンという巨大なCO2吸収を前にして、335億トンの化石燃料の消費で人類が危機にあると言うのは何か変である。
 

世界の一般市民に向けてCO2による気候変動を大きく宣伝するのなら、IPCCは上記CO2の収支などを分かりやすく定量的に説明すべきである。


 

B宇宙線が減少すれば地球は温暖化する
 

宇宙からくる放射線(宇宙線)の量が、地球表面の温度を決めるという説があり、それが科学者の間で一定の支持を受けている。それは、宇宙線が大気中を通る時に大気分子をイオン化し、それを核として雲ができ、その雲が太陽光線を反射するというプロセスである。

 

この効果は常に存在し、それが減少することで、地球が温暖化するのである。平均としての雲の量を、宇宙線の量が決めるというのは、スベンマルク効果として知られている。

 


 

上図は2007年までのスベンマルク効果について、ネットから拝借したものである。https://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=340555 

以前からこの考え方が、地球温暖化及び寒冷化の有力な説として、2014年からブログに紹介してきた。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2014/01/blog-post_23.html

 

非常に不思議なのは、上記記事に引用した丸山茂徳東工大教授(補足1)の動画や赤祖父俊一アラスカ大教授(補足2)の動画が削除されていることである。両者とも地球物理関係の学者であり、彼等の意見を真正面から論破しなければ、この問題を人類の危機として、世界の政治活動に反映するべきではない。(補足3)

 

この銀河宇宙線が大気温度に大きな効果を持つという一つの証拠が、2019年に神戸大により示された。 宇宙線が増加した78万年前の地磁気逆転の途中に、雲による“日傘効果”がシベリア高気圧を強化して、冬の季節風が強まったとする証拠を見つけたのである。これは、銀河宇宙線が地球の気候変動に影響する証拠の一つである。ただ、この種の論文はIPCCに無視されているだろう。(補足4)
 

それと関連して、小惑星衝突によって地球が寒冷化し、その結果恐竜が絶滅したとする説がある。地球大気中にチリがばら撒かれ空中に浮遊した結果、それを核にして雲ができ地球表面を覆うことで、地球が凍りつくのである。同様の効果は火山爆発によっても生じる。例えば、フィリピンのピナツボ火山の爆発(1991年)に伴って火山灰が大量に降り注ぎ、地球が0.4度程寒冷化したという

 

 

 

おわりに:

 

20世紀までの人類の歴史では、「力は正義なり」とバランスをとるように「ペンは剣よりも強し」という考え方が存在した。その“ペンと剣の戦い”の結果として現在文明と科学や民主主義という現代文化が形成された。しかし、21世紀に入り、“金(金融)”という毒ガス的なものが、“ペンと剣”を背後から羽交い締めにした結果、“ペンと剣の戦い”は昔ばなしのように現実の世界から消え去った。

 

その結果、人類は「科学と民主主義」という20世紀の奇跡的文化を失いつつある。それは左翼思想と世界経済を牛耳ている金融資本家とが結びついた結果である。その21世紀の新しい支配者として浮上した勢力の中心的な武器が、地球温暖化問題である。著名な科学者たちがこの問題で異端者となる図式は、まさに象徴的な現象である。

 

現在世界に蔓延しているものとそれの誇大宣伝は、もう一つの武器なのかもしれない。

 

補足:

 

1)丸山茂徳氏は、「地球温暖化「CO2犯人説」は世紀の大ウソ」など多くの本をこのテーマに関連して書いておられる。

2)赤祖父俊一氏は、著書「正しく知る地球温暖化 誤った地球温暖化論に惑わされないために」で、現在進行中の地球温暖化の大部分は、地球の自然変動である可能性が高いと主張されている。

3)最近、渡辺正東大名誉教授も、“地球温暖化騒動”を人類に対する陰謀として告発する本を書いておられる。

4)地球環境研究センター(CGER)の野沢徹氏(現在岡山大)がこの問題について一般市民の質問に答える形で言及している。温暖化の科学 Q12 太陽黒点数の変化が温暖化の原因? - ココが知りたい地球温暖化 | 地球環境研究センター; この方は、このような効果はこの20年、明確に観測されていないと言っている。

2021年11月27日土曜日

5G通信による健康障害について

はじめに

 

携帯電話がスマホと呼ばれるようになり、通信方法が3Gから4G、5Gと世代が新しく成るに従って、日常生活に欠かせない道具となっている。5Gや6G通信が用いられる様になると、乗用車の自動運転なども可能となり、それを含めて新しい一連の産業へ発展する可能性がたかい。

 

しかし、通信手段の世代があたらしくなると、それに伴って、用いる電波が高周波となり、人類は新しい電波環境にさらされることになる。高周波電波では電波塔の受け持ち範囲が狭くなるので、住宅地を含めて蜜に電波塔が立てられることになる。その場合、スマホなどからの被害の他に、電波塔近辺での電磁波被害が深刻になる可能性がある。

 

そこで、高周波電波の健康問題について考えてみた。

 

1)携帯が使用する電波、4Gと5G 

 

G通信が用いる電波は、700MHz3.5GHz(補足1)の範囲にある。5G通信では二つの領域の高周波が用いられる。一つは、3.7〜6GHzの周波数帯であり、もう一つは2730GHzの周波数帯である。更に6Gとなると、100GHz以上の電波帯も用いられる可能性がある。

https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r02/html/nd112320.html
 

高速且つ大容量の通信を行う上で、高周波帯への移行は不可欠なのは分かるのだが、人体との相互作用も増加する可能性があるので、健康被害が出ないか心配である。その理由は、我々の身体は水が主成分であり、そして、水は高周波電波と強く相互作用するからである。携帯電話の電波でも、数10GHz帯以上の周波数で出力が大きくなると健康被害は深刻になるだろう。

 

ただ、現在のところ、携帯電話などの受送信機器による健康被害は無いという論文が多い。例えば、WIREDという米国の雑誌社のネット記事によると、“熱以外に健康リスクは存在しないというのが学会のコンセンサスであり、FCC(補足2)やその他の規制当局は、その観点から、無線機器が放出できるエネルギー量に制限を設けた”とある。

 

そしてその記事は、ある毒物学者の意見「体温は自分自身の活動により常に1℃ほど上下しているので、1℃以内の温度上昇を心配する必要はないというのが一般的な見解です。これは細胞レヴェルでも同じ話です」を引用している。https://wired.jp/2020/01/09/worried-5g-health-effects-dont-be/

 

ここで、産業界や政界と科学者との癒着の例が、最近の地球規模の世界政治の中で見られることが気になる。産業界や政界にとってマイナスになるような研究は抑え込まれるだけでなく、科学論文の捏造まで行われているように思える例が見られる。(補足3)この高周波電波の健康被害についても、そのような傾向にあるのではないかと心配になる。


 

2)高周波による被害の例:

 

通信に用いる電波の周波数が上がると、何が問題なのか? それは上にも書いたように、我々は水からできていることで、高能率にそれら電波を吸収することに関係する。確かにマイクロ波と呼ばれる数GHzの電波は電離性がないのは事実だが、電波を浴びた人体の水を含む組織が、局所的で微小だがGHzで振動し、加熱される。そして、その加熱の程度が数百Hz(音の周波数)から数Hz(言葉の周波数)で変調を受ける。否定的な科学者も居るが、原理的には被害は十分考えられる。

 

このような場合、原因不明の健康被害の実例からアプローチするのも大事だと思う。その一つは、最初ハバナで、更にモスクワ、ハノイなどで、CIA担当官に発生した不思議な頭痛、耳鳴り、脳損傷などであり、ハバナ症候群と呼ばれる被害である。その後、ホワイトハウス周辺、バージニアなどで国防総省や国務省の職員にも発生している。
 

米政治専門紙ポリティコは同日、ハバナ症候群の原因について、米当局者がロシアなど外国政府による電磁波攻撃だとの見方を強めていると報じた。国務省の委託を受けた専門家委員会は昨年12月、マイクロ波など「指向性パルス高周波エネルギー」が原因の可能性が最も高いとする報告書をまとめた。

 

このマイクロ波などというのが、5Gと6G通信で使われる予定の電磁波である。周波数が高くなるほど指向性が強くなるので、パルス的なマイクロ波発振器は武器としても使用できるだろう。今年10月(202110月)、バイデン大統領は、この症状を示す被害者が治療を受けやすくするための法案に署名し、成立させた。https://www.yomiuri.co.jp/world/20211016-OYT1T50236/2/ 
 

この他、極弱い電波でも渡り鳥が方向感覚を無くするなどの現象、更に、5G送信の実験を行ったところ、電波塔の近くの鳥が数百羽も死亡した、などが報告されている。(補足4)

 

3)マイクロ波と水の相互作用:

 

最後に簡単にマイクロ波帯〜遠赤外線の電磁波と水との相互作用に関するデータを山形大学のサイトから紹介する。http://www.cml-office.org/research/TDR/microwaveoven.html

 

 

上図は、水による2GHz10THz(波長15cm0.03mm)までの電磁波の吸収係数である。横軸は周波数で、109乗が1GHz1012乗が1THzである。縦軸は吸収係数で、単位は任意単位(arbitrary units)だが、10 GHzのマイクロ波は、1mmの水の膜で完全に吸収されることから、およその検討を付けてもらいたい。(補足5)

 

尚、水がマイクロ波を高い能率で吸収するのは、三角形の形をした水分子(H-O-H)において、酸素が少しマイナスに、水素が少しプラスに電気的に分極していること、そして、その水分子が互いに水素結合で強く相互作用することによる。因みに、この水素結合のネットワーク形成が、水の特異な性質:大きな表面張力、摂氏4度から0度まで、冷却すると体積が増加する性質、などのの原因である。

 

(15:50、マイクロ波発振器の武器としての応用についての記述を追加;)
 

補足:

 

1)周波数としてHz(ヘルツ)が用いられる。ヘルツは電波の場合、電界が1秒間に振動する回数を表す。昔は同じ意味で、サイクルという言葉が用いられた。
 

2)FCCFederal Communication Commissionの略で、アメリカ合衆国の米国連邦通信委員会のこと。

 

3)新型コロナの流行は世界に大きな影響を及ぼしている。例えば、世界経済フォーラム(WEF)などグローバリストの中には、これを利用して新しい政治フレームを作ろうという考えが出されている。また、製薬会社は、ワクチン接種で巨大な利益を得ている。そんな中、これまで別の病気で使われていた安価なヒドロキシクロロキン(HQ)が有効であるとの報告が各地で出されたが、それを打ち消すように、HQは非常に有害であるとの研究論文が一流医学誌LANCETに発表された。 その薬を使わないようにとWHOや各国政府から声明が出されたのち、その論文はデータに誤りがあったとして、著者により取り下げられた。同様の動きが、イベルメクチンにもあった。後者については、本当に有効なのかどうかも分からない情況であるが、それは、畜産用の薬を用いてしまったり、用量を間違えたりした事故が多かったことも影響している。https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-58838971

 

4)20181019日〜113日までの間にオランダのとある公園で、合計337羽のムクドリと、2羽の鳩が死亡しているのが見つかった。解剖の結果、唯一考えられる原因は、近くの駅で実験していた5G基地局から発する電磁波であるという報道があった。https://www.chiropotes.com/latesttech/article201912101/
 

5)これは、約10HGzのマイクロ波を用いる電子スピン共鳴分光の実験における常識である。

 


 

2021年11月20日土曜日

「人間の本姓は試練に耐えられない」のか?:中国共産党政権の行方に関する予言

香港民主派系の「ニュース最前線」というyoutube動画サイトに、「人間性は試練に耐えられない」という表題の論説があった。副題:【冗談じゃないよ】中共 新たに「偉大な指導者」を導入しようとしていますが、これは中国人が一度通った道です。再び過ちを犯すのでしょうか?”

今日はこの記事を紹介します。

 

https://www.youtube.com/watch?v=KR8AT9vP9yY

 

1)「人間性は試練に耐えられない」のか?

 

デンマークのフィンセンという老齢のノーベル賞授賞の医学者が弟子選びのとき、ハリーという人を弟子にしようと考えたが、その候補がある意味退屈な医学研究に耐えられるか心配になった。そんなフィンセンの様子を見たアシスタントが、別の人に高額給与で彼に誘いをかけさせるテストをしたらどうかと持ちかけた。

 

しかし、フィンセンはその申し出を断り、「道徳的な高みにたって人間性を試すようなことはやめるべきだ」と言ったという。貧しい家庭に生まれたハリーがお金に対する欲望を持たない訳がないからである。結局、フィンセンの弟子になったハリーはその後デンマークでは有名な医学者になった。

 

その後のある時、自分の人間性を試そうとしなかったフィンセンの話を聞いて、老齢となったハリーは涙を流したという。そして「もし先生が私の性格をテストするための疑似餌として、高額報酬の別の話をされていたら、私は間違いなくその罠に嵌っただろう」「母は病気で治療が必要だったし、兄弟は私が学費を出してくれることを待っていたからだ。そのようなテストをされていたなら、先生の弟子になれず、これまでのような成果は得られなかっただろう」と語ったという。

 

その他にいくつかの同様の話を掲載し、「人間は、もともと“善と悪”“矛盾と複雑さ”を本質として持っている。良い結果を期待して人間性を試すと、ガッカリすることが多く、それが普通である」「人間性の本質はテストに耐えることができない。従って、わざわざテストなどしないで下さい」と結論する。

 

人間性を花瓶にたとえ、「花瓶の丈夫さをテストすると、最終的に花瓶の破片を手にすることになる」と結論する。ある人の人間性を前にして、それが良いものであれ悪いものであれ、高尚なものであれ下品なものであれ、先ずはそれを認めて向き合う(急には何もしない)ことが大事である。これは友人、リーダー、或いは国の機関の何れであっても、真実である。

 

この話は実に説得力がある。私は、イエス・キリストによる同じ内容のことばを思い出した。「人を裁くな、自分が裁かれないためである」

 

2)中国中全会と習近平政権の中国統治のあり方:

 

ここで話は、急にリアリスティクな方向に大きく転回する。中国共産党の六中全会の歴史決議と今後の習近平政権の中国統治についての話である。どんなに壮大で高尚なテーマを掲げても、人間性の本質に抵触するような方針は、最終的に挫折するだろうと予言している。

 

これまでの歴史決議(1945年のは毛沢東による、そして1981年のは鄧小平による)は内部闘争の結果として行われたが、それと比較して、今回の歴史決議は内部抗争が終わっておらず、その激化の始まりに過ぎないという大きな違いがある。もう一つの違いは、過去の二つの歴史決議は敗北から勝利へと向かう転換点で成されたが、今回はその逆である。

 

これまで中国の政治経済は、体制内のあらゆるレベルで、暗黙の了解の下でのレントシーキングにより動いて来た。つまり、これまでの政治は、民間が政府や官僚組織へ様々な形の働きかけを行い、それにより得られる超過利潤(レント)を民と官で分け合うことを駆動力として機能してきた。

 

しかし、習近平が政権を取ってからこれまで、悪を裁くという名目で多くの人が逮捕された。新華社によると、90万人の党員が除名され、40人以上の中央委員とその補欠が地位を失った。これまでの政治を動かす暗黙の了解が、習近平により破壊されたのである。

 

法治国家ではないので、その後新たな暗黙の了解が出来上がるまで、誰も何も出来ないというのが現在の状況である。各層の官僚は、自由な裁量に委ねられる部分から利益が得られるのだが、それが分からない今、多くは働かず決断せず他人を観察することで、問題解決を後回しにしている。

 

生じた問題は、いちいち北京に報告し、その指示を待って解決することが多くなった。官僚社会における“集団的横たわり主義”である。これは、過ちを最小限にする方法ではあるが、社会の効率は著しく低下させるのである。

 

習近平政権が目指す政治は上述のように法治主義ではない。高尚な人間をモデルにして、人間の本姓についてのテストに合格したものを採用し、壮大な図式を描いてそれを目標にしている。それは(鄧小平以降の)これまでの中国共産党政権のあり方とは完全に矛盾する。現在、中共のトップは毛沢東と同じ道を歩もうとしているのだろうか?

 

終わりに:

今回は、の上記動画の内容を、自分なりに整理して紹介しました。話の順序は動画のものとはすこし異なる可能性があります。その点ご了承ください。(終わり)

 

2021年11月17日水曜日

国民から自分たちの素性を隠す日本政府(竹島、歯舞色丹は日本領ではない)

初めに:

 

2年ほど前に書いた以下に再掲の記事を、この24時間以内に読まれた方がいる。そこで自分も読み返してみた。ボケが進んだのか、このSCAPINに言及したことをわすれていた。極めて重要な内容なので、再掲することにした。ここでもう一度表題の件、主張したい。

 

日本が外国の干渉で歴史が歪められたのは、明治維新に始まる。西鋭夫著「新説・明治維新」、そして、原田伊織著「明治維新という過ち」にあるように、明治維新は“吉田松陰と長州テロリスト”が、英国の書いたシナリオで成し遂げた。従って、大日本帝国は彼らの革命政権が天皇家を乗っ取り、日本国民を騙して創り上げられた国家である。

 

その延長上にある現在の日本政府は、従って英国とロスチャイルド系大資本の傀儡政権の本質を払拭出来ていないのである。

 

その後の戦争も、日本独自の大陸侵略戦争のように見えるが、その背後にそれを操り、協力的な姿勢の米国と米国ユダヤ資本が存在した。大日本帝国がロシアを破ったのは、戦費を工面した米国のジェイコブ・H・シフなどユダヤ系資本と(彼らが既に隠然たる力を有していた)米国政府が、日露の講和までお膳立てをした結果であった。

 

その事実をまともに理解しなかった大日本帝国政府は、彼等のシナリオから著しくズレた行動をとったため、飼い犬に噛まれた主人の強烈な仕置として起こったのが、所謂太平洋戦争である。その悲惨な歴史の残物が竹島・北方4島に関する領土問題である。

 

この領土問題は、日本が近隣諸国とまともな外交関係が築けないように仕掛けた米国の罠だと言われている。このような自国の歴史を全く知らない国民、知ろうとしない国民に、参政権を与えて良いのだろうか?

 

ーーーー 以下、再掲記事 ーーーーー

 

1)韓国による竹島占領は、李承晩ラインの設定により始まる。しかし、それは2本の連合国最高司令官司令(SCAPIN)の延長でしかない。一つは、「若干の外かく地域を政治上行政上及び行政上日本から分離することに関する覚書」として1946年1月の連合国最高司令官司令677号(SCAPIN-677)である。その第3項には以下のようである。

 

3 この指令の目的から日本と言ふ場合は次の定義による。

日本の範囲に含まれる地域として:

日本の四主要島嶼(北海道、本州、四国、九州)と、対馬諸島、北緯30度以北の琉球(南西)諸島(口之島を除く)を含む約1千の隣接小島嶼;

日本の範囲から除かれる地域として:

(a)欝陵島、竹島、済州島。(b)北緯30度以南の琉球(南西)列島(口之島を含む)、伊豆、南方、小笠原、硫黄群島、及び大東群島、沖ノ鳥島、南鳥島、中ノ鳥島を含むその他の外廓太平洋全諸島。(c)千島列島、歯舞群島(水晶、勇留、秋勇留、志発、多楽島を含む)、色丹島。

 

つまり、このSCAPIN-677により、日本の行政範囲から竹島、歯舞群島、色丹島などが除外されたのである。また、「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」として、SCAPIN-1033が出され、所謂マッカーサーラインが引かれた。その第3項にリアンクル岩礁の12海里内に立ち入っては行けないと書かれているという。

 

そのマッカーサーラインがサンフランシスコ講和条約(1952/4/28)で消されることを考えて、李承晩がそのまま独自に宣言したのが、李承晩ラインである。日韓基本条約締結により李承晩ラインは廃止され、それに代わって日韓漁業協定が締結された。李承晩ラインの廃止までの13年間に、韓国による日本人抑留者は3,929人、拿捕された船舶数は328隻、死傷者は44人を数えた。

 

拓殖大学客員教授の濱口和久氏のニュース記事「韓国の仮想敵国は日本?」(2014年11月28日)によると日本政府は、李承晩ラインの問題を解決するにあたり、日本人抑留者の返還と引き換えに、韓国政府の要求に応じて、常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として収監されていた在日韓国・朝鮮人472人を放免し、日本国内に自由に解放し在留特別許可を与えた。

https://web.archive.org/web/20141214163339/http://www.data-max.co.jp/politics_and_society/2014/11/24120/1128_hmg_1/

 

2)自民党政府の日本国民に対する二枚舌

 

先ず、以上を整理する。

竹島はGHQの指令(SCAPIN-677)により日本行政区域から除外された。そして、日本漁船の操業出来る区域の境界線として、マッカーサーラインを示した。(SCAPIN-1033) それらが、サンフランシスコ講和条約で廃止され、竹島が日本領土となることを恐れた李承晩は、マッカーサーラインをそのまま韓国の主権が及ぶ範囲として決定した。それが李承晩ラインである。

 

講和条約後も、日本は口先で竹島の領有権を主張したが、それにも関わらず、韓国に拿捕された漁民の日本側への引き渡しと引き換えに、日本の刑務所に服役中の重大犯や常習犯472人を釈放して、日本国内に住まわせた。

 

従って、以下のように筆者は結論する。

①日韓での拿捕された日本漁民と日本国内刑務所で服役中の朝鮮・韓国人犯罪者との引き渡し交渉での合意、②竹島区域に関して、SCAPIN-677の指令と異なった合意がサンフランシスコ講和条約でなされなかったこと、及び、③日韓基本条約において竹島が日本領であるとの合意がなされなかったこと、以上①—③により、実質的に日本政府は竹島を韓国領土として認めたことになる。

 

韓国の竹島領有権主張を認めた上で竹島領有権を主張することは、相手国の悪行を日本国民に喧伝することで、日本に外交権がなかったことを隠すためである。サンフランシスコ講和条約後も、日本が憲法を改正して独立国にならなかったのは、米国と日本を統治している大日本帝国の生き残りが、自分達のために結託したからである。

 

同様のことが歯舞群島や色丹島の領有権の主張にも言える。SCAP-677でそれらの島々は、日本領から外された。それらの日本返還を明確に述べた日ソ共同宣言(1956/12/12)に署名し、批准しながら、平和条約締結を諦めたのは米国の外務省(米国ではどういう訳か国務省と呼ぶ)のトップであったダレスの恫喝による。

 

吉田茂はサンフランシスコ講和条約締結(1952/4/28)直後に、憲法改正すべきだった。それをしなかったのは、私の想像では、明治維新の際の薩長土肥政府の中で出世した自分たちとその一族、仲間たちの名誉を守るためだったのだろう。敗戦の総括がなされれば、彼らは国賊として裁かれることになるからである。(補足1)

 

政府の鳩山一郎は、1954年に総理大臣に就任している。憲法改正には、吉田茂の自由党や日本社会党の支持がなければ不可能である。日ソ共同宣言とその後の平和条約への道を創ったのは功績だったが、ダレスの恫喝を受けて、その後12月23日総理大臣を辞任している。米国国務省による妨害が、日本とソ連(ロシア)との平和条約締結を妨げたとして、プーチンロシア大統領も明言している。つまり、日本は独立国としてのソ連外交が出来なかったのである。

https://www.huffingtonpost.jp/2016/12/18/putin-dulles_n_13703530.html

 

それにも関わらず、自民党日本政府が北方4島や竹島を日本領土として主張するのは、米国の属国としての日本の地位、それを選択した自分たちの売国的政策を隠すためである。そのために、悪役となったのが韓国でありロシアである。それが、世界各国が、日本は過去の戦争の結果を認めていないと言って攻撃する理由の一つのだろう。

 

3)結論:

 

以上、多少皮肉な見方なのかもしれないが、日本国民は未だ自分達の国家をもっていないということになる。そして、米国政府の下で占領政治を続けているのは、薩長土肥の日本帝国の生き残りである。

 

その体制維持の為に、中央集権体制を維持している。国会議員は、実質的に中央政府からの御用聞き、或いは、地方からの陳情屋に過ぎない。その国会議員という職業を維持するために、一票の格差が2倍以上の小選挙区制という選挙制度を堅持している。

 

つまり、150年前に決定した小さな区割り(県という)から、その地方に国家から与えられる利益と直結した形で国会議員を置くのである。国家から与えられる利益が、自民党以外の人物が国会議員になれば無くなってしまう場合、その県から選ばれる議員は必然的に自民党所属議員となる。単なる御用聞きなので、知識も知性も不要であり、世襲制の方が中央政府支配層には有利である。

 

この所謂55年体制は、官僚が政治を立案し主に行うことで、一応体裁を整えてきた。従って、外務大臣は外務省の意見で動くのだが、外務省は米国の指示を第一に優先する。そのために、外務次官経験者が駐米大使に就くことが慣例となっていた。

いろいろ、補足すべきことはあるが、今日はこの当たりで話を終わる。

 

補足:

1)吉田茂は、1878年高知県出身の竹内綱の5男として生まれ、1881年(明治14年)8月に、旧福井藩士で横浜の貿易商(元ジャーディン・マセソン商会・横浜支店長)・吉田健三の養子となる。養父・健三が40歳の若さで死去し、11歳の茂は莫大な遺産を相続した。(以上ウイキペディアより抜粋)

2021年11月15日月曜日

捏造の歴史の中で政治的に生きる智慧を着けるべき:真実がお金の支配下に入った現代 

以下は、今年の夏に書いたものに少し手を入れて再度公表する記事である。小さなミスがあり、評価が低かったようなので、読み返し修正した。これがわからない人は。。。

 

日本人よ、この碑文をよく味わえ これが人類の近未来だと思って、対策を考えよ

 

ーーーーーーー

岡田英弘著「歴史とは何か」には、「歴史は物語である」と書かれている。物語(歴史)の著者は、その歴史の舞台である国或いは地方を統治した者である。アジア最古の歴史書である司馬遷の史記は、前漢の武帝の指示により書かれた物語である。同様に、日本書紀は天武天皇の指示により書かれた大和朝廷の物語である。それら歴史書では、前者では漢、後者ではヤマト朝廷の正統性が主張されている。

 

そして外交は、これまでの両国家の物語としての歴史(或いは改竄した歴史)を前提にして行われる。"真実の歴史"を明らかにし、それを主張するのは学者の仕事であるが、それをそのままリアルタイムで政治の舞台で主張することは、プロパガンダと見做され、陰謀論という言葉で逆襲される場合が多いだろう。

 

同じ地域でも王朝が交代すれば、新たな歴史が出来上がる。そこで過去の歴史を持ち出すことは、現王朝により犯罪として裁かれるだろう。王朝は、彼らが正統とする歴史の延長上で政治を行う。地下にゴミが埋まっていても、それを掘り返すことに専念していたのでは、森友学園の建物は永遠に建設できないのと似ている。(補足1)

 

この現状に至った経緯を、素人ながら考えてみたので以下に記す。西欧で出来た19世紀の政治文化は、過去の遺物であることを知るため、そして同時に、現在とその延長上に出現するだろう政治文化について考えるためである。

 

1)西欧の主権国家体制下に出来上がった戦争文化の発生について

 

主権国家間の戦争は、自国を善とし敵対国を悪とする、善と悪の戦いである。この戦争のモデルは、国民が戦争参加する上で必須である。有史以来かなり長い期間、戦争での決着は相手側の人間を完全に殺すか奴隷にすることで着けられただろう。その場合、勝った方が善となり、負けた方は悪ということになり、勝者の歴史は自然と正史として定着する。これが「力は正義なり(Might is right)」であり、「勝てば官軍」の意味である。

 

この戦争のあり方(戦争文化)が、徐々に変化したのは、経済構造の変化による。(補足2)農業や工業の発達により、国家も巨大化し権力の移動のサイクル、つまり歴史サイクルが長くなった。また、文明の発展は、限られた能力の人間に様々な仕事を要求し、それが必然的に仕事の専門化と分業の原因となる。異なるタイプの人々が協力して社会全体を支えることになる。

 

戦争はそれを専門とする兵士が行う。政治は政治家が行う。畜産は、畜産専門の農家が行う。家畜の屠殺と解体は専門とする肉屋が担当する。その結果、社会を構成する大部分の人々は、血なまぐさい現場から離れることになる。戦争間の期間も長期となる一方、個々の戦争は大規模になり、悲惨な光景を見ることになった。それに嫌悪感を感じるのは、本来社会をつくり協力して生きる存在の人間なら当然である。

 

近代史の主舞台である西欧は、17世紀に所謂主権国家体制を作り上げ、皇帝たちは婚姻関係を結ぶことで自国の安定を考えた。そして次第に、その主権の一部を返上して国際条約を締結する時代に入る。西欧諸国は、同じキリスト教という文化の背景を持つこともあって、人道を重視するようになる。そのような結果として出来たのが、19世紀の西欧における戦争文化だと思う。(補足3)

 

主権を互いに認める国家群のなかで、戦争の決着に影響をしないような悲惨な事態は避けるという事前の約束が、1899年のハーグ陸戦条約である。捕虜虐待の禁止や一般市民の殺傷禁止などのルールが戦争に持ち込まれた。そして、19世紀から20世紀の初めまでの西欧では、「戦争は外交の一形態」(クラウゼヴィッツの戦争論)という”戦争文化”が出来上がった。2028年、パリ不戦条約が締結され、最大61カ国が参加するまでになった。

 

戦争は勝敗が着いたと当事国が判断した所で講和を行い、敗者が勝者に紛争の原因となった利権を渡すことと、一定の賠償金を支払うことで決着する。多くの場合、仲介国があってこのような講和が実現しただろう。この情況は、個人を構成員とする社会に似た、主権国家間の社会“国際社会”の発生である。国際的権力はないものの、条約という権威だけの社会が出来上がったということになる。

 

2)西欧の戦争文化の退化と破壊:

 

その戦争文化の部分的な破壊は、“国際政治経済”に西欧以外の多くの国々と民族が参加したことが原因となって起こったのだろう。あらたな参加者は、ヨーロッパから遠いアジアと呼ばれる地域(トルコより東)や米大陸の人たちである。民族として代表的なのは、流浪の民として世界に散らばったユダヤ人や極東に生きるモンゴリアン(蒙古人、中国人、日本人)たちだろう。

 

産業革命以降の経済規模の拡大もあり、経済体制が金本位制(或いは銀本位制)から紙幣と云う“金(gold)の預り証”が取引を仲介する資本主義の時代になると、金融がその中で大きな力を有するようになった。そして、金融取引に長けた人たちが最初経済において、そして次第に政治において大きな力を持つようになった。この世界経済と政治の変質(貿易や国際金融の進展)は、世界史の舞台を西欧からアジアや米大陸を含む世界全体に拡大した。

 

西欧という狭い範囲でのキリスト教文化は、遠く離れた野蛮人の地に向かうことで、神通力を失う。異教徒は元々敵だが、野蛮人はそれ以下であり、強姦、強殺、アヘン漬けの対象になったのだろう。“化外の地”では、人間は手錠を外された獣に先祖返りするのは、洋の東西を問わない。

 

その結果、これまで欧州限定で成立していた戦争文化は変質し、①国際関係の原点は野生の原理であること、②歴史はそれまで生き残った戦勝国の成功の物語であること、③講和は自国の戦争モデルの放棄であること、が世界の戦争文化となり、人類の政治文化は原始時代に向かって大きく退歩したと思う。そこでは真実は主役から完全に沈み、「力は正義なり」の野生のルールがそのままの意味で主役として復活した。

 

3)講和条約の意味を日本人はもっと深く考えるべき

 

それでも敗戦国の国民が全員殺されたり、奴隷になったりする時代までは未だ戻っていない。現状、戦争が決着すれば、敵も味方も、講和条約により新しい出発点に就く。講和条約の本質は、戦勝国のモデルが嘘を含んでいるとしても、それを正史として採用し、戦敗国は自国の作ったモデルを放棄することである。

 

講和条約後の敗戦国は、未来志向で新たな出発をしなければならない。勿論、歴史の検証を自国で行うことは可能である。しかし、それは歴史家の仕事であり政治家の仕事ではない。講和条約で一端受け入れた勝者の歴史はキャンセルできない。それを政治家が主張すれば、過去の戦争をもう一度やり直さなければ成らなくなるからである。

 

日本と同じ敗戦国のドイツが、安定な戦後外交を構築できたのは、ナチスを殲滅したからである。それはドイツにとって決死の決断であり、そして何よりも旧体制に関係した人たちとその周辺にとっては、新しいドイツで生きることは苦痛を伴う服従とでも云うべき毎日だった筈である。

 

数年前に、ナチスの収容所で門番をしていた93歳の老人が有罪の判決を受けて服役した。この件を5年前に「ドイツの狡賢さと日本の愚かさ」と題して記事を書いたが、それはドイツが20世紀後半に復活した「力は正義なり」の原則に改めて屈服したということだろう。

 

日本は、その屈従を味合う機会を奪われた。この戦後処理は、苦痛を伴うので歓迎できる訳がないが、再出発には必須のプロセスである。それはドイツのメルケルが来日したときに安倍総理に進めたことであった。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466514445.html

 

上記引用の記事を書いたとき、それを報じた韓国のメディアの厚顔さに呆れたのだが、もし他国が言ったのなら、筆者はその時点でもそれに耳を傾けたかもしれない。この日本が独自に戦後処理をする機会を奪ったのは、米国占領軍と吉田茂以下の日本の支配層であった。米国はそれにより、日本を再起不能にする事ができるが、吉田茂はそれに協力した売国奴ということになる。

 

その結果、日本は、あの戦争体験をまるで天災のように感じることで過去に葬りさった。それが広島の原爆慰霊碑の「あやまちは繰り返しませんから」という訳のわからない言葉の意味である。日本人にとって、靖国に参拝しないことが罪深きことではない。あの戦争の処理をやり過ごしたことが罪であり、そして何食わぬ顔で靖国に参拝することの罪深さに、全ての日本人は気づくべきである。

 

戦争の再評価をしないで、当時の戦争を指揮した人物の子孫たちが、未だに日本の政治を支配している。そして、台湾有事のときには集団的自衛権で日本も参戦せざるを得ないだろうと言い出す始末である。(補足4)そして、それへの不満であらわれたのが、直前に紹介したブログ記事「中国の対日本先制核攻撃論」である。https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2021-07-05/QVSOPEDWRGG201

 

最近youtubeで国際問題を語る及川幸久氏やHaranoTimesさんらの動画を観る時、合間に、日本の右派の方々による近代史の解釈変更を主張する出版物の宣伝が非常に頻繁に入る。それらは、林千勝氏、藤井厳喜氏、西悦夫氏などによる「国際共産主義に毒されたFルーズベルトが、卑怯な手段を用いて日本を戦争に誘い込んだ。それが太平洋戦争の真実である」と記述する出版物の宣伝動画である。

 

勿論、この考え方は米国でフーバー大統領の著作「裏切られた自由」に書かれているモデルを含む。しかし、それは米国では正史として受け入れられている訳ではなく、依然としてFルーズベルトは米国の英雄である。日本の場合、降伏とその後の講和の段階では、当時の軍事政権に対する絶対悪という連合国側つまり米国側の評価を受け入れて講和した。差し当たり、その講和を重視すべきであり、それが日本が国際社会で生き残るために必須だろう。

 

差し当たりとは、この歴史の検証は米国の仕事であり、日本の仕事ではないということである。つまり、日本側がFルーズベルトの罪を主張出来るのは、米国側の歴史見直しがあったときである。真実が大事なのではない。日本人にとっては、日本の安全と平和が大事なのである。

 

エピローグ:「力は正義なり」から「金は正義なり」への世界の変化

 

真実が世界を制覇する時代が来るだろうか? これまでの歴史が、捏造の歴史であることを発見してしまった以上、古代からの歴史を再検討しなければ、まともに「真実は軍より強し、ペンは剣よりも強し」の時代は来ない。

 

実は現在、我々の世界は「力は正義なり」から「金は正義なり」へと既に変化しているのである。そして、それとバランスを取るように現れたのが、米国で生じた真実こそ大事だという運動である。所謂「キャンセルカルチャー」運動である。キャンセルカルチャーを奉じる人たちは、栄光の米国建国の歴史も否定する。

 

その運動は、誰かが米国を完全に乗っ取るためである。つまり、真実がお金の支配下に入ったことを意味する。(それを企んでいるのは「金は正義なり」を心底から信じている人たちである。彼らが、理想主義者という少し頭の足りない人たちを利用して、兵士として用いるために作り上げたのが、キャンセルカルチャーである。

 

アルファベット三文字の運動も同じ人達による。彼らは、「金は正義なり」を奉じる人たちのサーヴァントでありソルジャーである。soldierの語源には、金のために働くの意味があるので、頭が足りないというのは筆者の誤解かもしれない。

 

この先、世界の戦争文化が、更に野蛮化する恐れは十分にある。上記soldierの雇い主が後押ししてきたのが、国際共産主義運動であり、その結果が、欧州にあった戦争文化の完全破壊であり、核兵器による人口削減計画の出現である。日本やインドがその犠牲にならないことを願いつつ、この文を閉じる。

 

 

補足:

 

1)安倍総理の時代の一大スキャンダルである。その解決もろくに出来ないのが日本という国である。

 

 

2)生物のこれまでの進化は、突然変異で生じた様々な変化のなかで、生存に適したものが生き残るという自然選択説で説明できる。それがダーウインの進化論である。社会の構造変化の理論は、食物、衣類、住宅や乗物などの生産技術の進化とそれに伴う経済構造(下部構造)が、上部の政治構造(上部構造)の変化の原動力になるという思想である。これは史的唯物論の基本的考え方であり、カール・マルクスの著作『経済学批判』の序文に書かれた理論である。

 

3)これも筆者自身による仮説であり、何処かの書物からとったものではない。

 

4)この麻生副総理の言葉を知ったとき、厚かましいにも程があると思った。一般人が云うのなら兎も角、これを麻生氏や安倍氏が云うべきではない。彼らは、戦後の政界に居てはならない人物達である。何故なら、彼らは吉田茂や岸信介の孫であり、その七光で政界に入った人物だからである。

 

5)2020年の米国大統領選挙、2021年の新型コロナ肺炎(covid-19)を利用する人たちによるランセット(Lancet)など有名医学誌におけるインチキ論文や声明の発表などが、これを実証している。

2021年11月12日金曜日

バブル崩壊のメカニズムから世界の政治まで考える

1)バブルとは何か:

 

バブル経済とは、政府の放漫財政や中央銀行の金融拡大策等により、大きな余剰資金が特定の分野或いは経済全体での投資に向かった結果、資産価格が異常に上昇し、それらが将来不良化する可能性が高くなった状態である。経済格差の大きい国で、余剰資金もバブルも生じ易いだろう。

 

例えば中国では、民間からの投資の大きな部分が不動産業界へ向かった結果、不動産価格が異常に高くなった。一方米国では、株が異常に高く評価されている。これらの価格は、何れ崩壊するとの予測があり、夫々バブル状態だろう。

 

ダイヤモンド・オンライン(Diamond online)から借用 https://diamond.jp/articles/-/190362?page=3

 

ある分野がバブル経済的になった場合、それが広く認知されたとき、そのバブルは崩壊する。その分野の財貨にバブル期の価格を設定することで成立していた債権は、一部償還不能となり所謂不良債権化する。それが銀行などの経営悪化にまで及ぶと、金融危機となる可能性がある。サブプライムローンの破綻によるリーマン・ショックがその例である。

 

例えばビットコインやイーサリアムなどの仮想通貨の価格高騰は、最初の段階からバブル状態だろう。仮想通貨は、国家など権威ある主体の債務として発行されたものではないし、価格のゆらぎが大きいので、貨幣としての条件を欠いている。

 

貴金属などの様な希少価値もないので、高い価格での取引は海外送金など別の目的が関係しているのだろう。それらの使用が低調になれば、価値はなく成ると思う。(補足1)ただ、価格が上がることを信じる人が確実に増加すれば、投資目的としても一定期間存在するだろう。ビットコイン残高が企業などのバランスシートに記載されていることはあまりないだろうが、総価値がビットコインだけでも140兆円になっているので(2021/11/10、価値が崩落した場合には相当の経済的混乱が生じる可能性があると思う。

 

2)現在の米中のバブル

 

 中国の不動産バブル:中国では、結果的に人の住まない高層団地が大量に出来、「鬼城」と呼ばれている。不動産が値上がりするという信仰(補足2)から、業界は高層マンションをドンドン作り、多くの人々が住むわけでも無いのに値上がりを見込んで買い込んだ結果である。

 

不動産は今後有望ではないという話が何処かで生じ、それが説得力をもって国中に広まると、不良資産化する筈である。中国の不動産業界はバブルの中心にあることは間違いないだろうし、急激かゆっくり制御されたものかを別にすれば、その崩壊は確実だろう。

 

共産党独裁の国なので、政府は価格を凍結する力を持っているようだ。しかし、売買が止まり、その結果現金不足に陥り、止まった工事の再開も社債の返済も容易ではないようだ。恒大集団などの大手でも倒産は時間の問題で、中国経済全体でかなりの収縮(補足3)がおこるだろう。https://news.yahoo.co.jp/articles/2dcb3f074da550e16fe670b3f2e4651110530fa4

 

 米国での株式バブル:

 

米国では、株式に余剰資金が大量に投資され、ナスダック上場の株式では、平均の株価利益率(PER;年間純益を発行株式全体の時価で割った値)が30をかなり超えるまで値上がりしており、バブル的である。https://www.wsj.com/market-data/stocks/peyields 因みに、日本で上場されている225の代表的企業(日経225)の平均は、14.45119日)である。https://nikkei225jp.com/data/per.php (補足4)

 

ここで何か重要な国際関係に異常を生じたり、将来不安が大きくなったりすると、株価は暴落する。それにより破産する個人や法人が多くなれば、バブル崩壊である。

 

もし、非常に高いインフレからの防御として、資金が株投資に逃げた結果の株高なら、その他物資の高いインフレのあと、株価のバブル的上昇も関心を失うかもしれない。つまり、全ての物価上昇の先駆けとしての株高だったということになる。(この種の資金逃避を、業界ではインフレヘッジと呼ぶ。)

 

米国政府におけるバブル(国債)

 

米国は世界の基軸通貨発行国であるので、世界からの原材料などの輸入が自国通貨で出来る。米国政府は、予算の一部を国債で賄い、中央銀行(FRB)から手に入れたドルで給与を支払い買物も世界中からできる。そして、諸外国への様々な介入(支援、軍事介入など)にも使われている。その結果、米国は多額の赤字を抱えるようになった。

 

その結果、世界の国々に米ドル建債権が(金以外の)外貨準備として蓄えられたが、米国の借金に返済を迫る(国債を売る)必要は無かったし、その様子も見せなかった。しかし、米国の覇権縮小により世界が多極化すると、米ドルの権威も低下し、世界経済は多くの決済通貨で廻ることになる。その場合、米国債保有国は、蓄積されてきた米国債の売却を考える様になる。米国にとっては悪夢のような事態である。

 

つまり、基軸通貨としての役割が終ると、世界での米ドルの必要量は減少し、米国債も安定資産ではなくなる。そして、多額の米ドルや米国債は、どれかの決済通貨の購入に使われるので、ドルの価値が暴落することになる。それを防ぐために、米国政府はデフォルト(破産)を計画している可能性がある。

 

実際、米国議会では債務上限の認可を渋っており、デフォルトの危険性が日々増している。そのような時、債務の一部放棄を世界中の債権国に求めるだろう。日本は米国の属国として、債権放棄の割合が高くなり、外貨準備の大半が紙くずになる可能性が高い。(補足5)https://www.jetro.go.jp/biznews/2021/10/13e1e4fed3d39af6.html

 

その時、日本は代わりに大きなものをもらう必要がある。それは日本の核武装とそれによる本当の意味での独立国としての再出発である。その時が、核武装の唯一のチャンスである。それを逃せば、日本は米国が去った東アジアで、共産党政権下の中国の属国となるだろう。

 

 

 

中国に併合された場合は、うるさい日本人は世界へ臓器提供予定者として登録される可能性がある。法輪功信者より日本人が提供者として優先される可能性もあるだろう。https://www.afpbb.com/articles/-/3230764

 

 

3)日本ではバブルが起こらないのはなぜか?

 

日本でも放漫財政は相当なものである。テレビなどで「政府の借金が1200兆円にのぼり、GDP200%以上である」という話はよく聞く。日銀が国債を買い上げて民間に現金を放出しても、かなりの部分が銀行預金となり日銀の当座預金に積み上がっている。それをマスコミは報道しない。

 

日銀が預金準備率を超える当座預金にマイナス金利をつけても、預金金利をマイナスにしない”国民思いの銀行”のお陰で、お金は安心して銀行に眠る事ができ、「危険がゼロではない株式投資などに向かわなくてすむ」。(補足6)多額の剰余金を抱えた企業も、大損を怖れて投資はしない。日本郵や武田と同じ失敗をしたくないからである。

 

企業は、新規投資、従業員給与の引き上げ、更には株主への配当、全てに消極的である。銀行も安定志向で新規貸出よりも、国と大企業への債権の金利などで、経営しているのだろう。それらの結果、不良債権の出現は最小に抑えられている。国民と企業が”必死”でバブルを抑えている裏で、国家だけ放漫経営を満喫しているように見える。

 

最近の海運業界の代表的企業の株価利益率(PER;補足4)は、なんと1.7~1.8 (日本郵船が1.8、商船三井が1.7; 予想配当はおよそ株価の10%以上)である。鉄鋼業界でも、日本製鐵やJFEなどの大手のPER3−4倍(配当も夫々株価の6.68.2%とものすごく高い)である。それでも株価はこの指標が示すレベル以上には上がらないのだ。

 

個人は、不動産投資や株式投資に向かわない。米国や中国と違って、比較的貧富の差が大きくないのが理由の一つであるが、日本国民の現金への信頼がつよく、安全安心への信仰が出来上がっていることも大きな原因のようだ。そして、消費物資などでインフレが起こらないのは、製造業、運送業、小売業などが真面目に働いているので、経済全体で価値の粗密が発生していないからだと考える。

 

無駄に金を使わない清貧性、株式投資など博打的なことはやらないという堅実性、現金と預金の価値が揺らがないので、キョロキョロする必要がなく、みんなで協力してバブル発生を防止しているようにも見える。一つには、国民の間での価値観の均一性が高い結果だろう。しかし、米中の状況から考えて、もうすぐ大インフレを輸入するだろう。

 

4)近現代史と貨幣経済

 

ある商品を、本来の低価値を知りながら少しづつ買い取って値段を上げ、価格上昇を信じるように他人に暗示をかけた後、徐々に売る。人気が頂上に達した頃に、自分の資金を引き抜いて多額の利益を得る。その後、その価格が暴落して多くの人が大損をする。短期で大金持ちになるには、大抵、合法と違法の境目にあるこの種のやり方である。この手法は、資金力がある程成功率は高くなる。

 

世界経済のレベルでこの手の経済危機が生じたのが、リーマンショックではなかったのか? 何もかも承知の上で、サブプライムローンに高い信用評価を着けて、大損と大儲けの人を対で作ったのでは無かったのか。そして、この類推で話を延長すれば、経済が浮き沈みを繰り返す度に、同じ巨大資本グループがポンプでお金を吸い上げるように富を築き上げて来たのが、近現代の経済危機の実態ではないのか。

 

この逆のパターンも歴史的に有名な話として定着している。ナポレオンがドーバー海峡に近づいた頃、公債を売り続けて“英国は彼に支配されることになるだろう”と(噂をばら撒いて衆人に)思わしめ、多くの人が売り急ぐように仕向けた。そして、底値付近で静かに買い戻して巨万の富を得たのがネイサン・ロスチャイルドである。そして英国ロスチャイルド家が、英国での貨幣発行券を得るようになる。スエズ運河の買収にも協力して、覇権国時代の英国に貢献したのも事実だろう。

 

その後米国で金融と政治で力を得た彼ら一族は、ウイルソン大統領の時代にFRB(米中央銀行)を設立させ、米国の貨幣発行権を得る。そして、米国の近現代における世界覇権が築き上げられた。日本の隆盛と敗北も、英米両国における彼ら一族の資金活動の中で生じたことである。この近現代史を知らずして、日本人は彼らの手先となった人たちに未だに日本の政治を任せているのである。

 

(13日6:00am、全体を再編集しました。既に読んで頂いた方にお詫び申し上げます)

 

 

補足:

 

1)例えばビットコインは、世界の国々で売買可能であり送金に便利である。中国でBCを買って在外家族に譲渡すると、家族はその国のマーケットで売れば、瞬時の送金となる。そのような利用が盛んになると、当然ビットコインを買う人が増えて、価格が上昇する。更に、ビットコインを受け入れる店があれば、それを使って買い物も可能となる。価格が上がることを信じる人が確実に増加すれば、投資としても一定期間成立するだろう。

 

2)恐らく、そのような実体を放置したのは、その地方を管轄する地方政府だろう。中央に大きな経済発展のデータを報告して、自分の地位向上に繋げたいという利己主義が働いた結果だろう。人の住まない団地でも、大量に作って売れれば、GDPは増加するからである。

 

3) 経済主体の資産の単純合計が縮小するという意味である。①ある会社Aが持っている資産が不良資産で価値ゼロだと分かると、その資産額とそれに対応する金額がバランスシート(BS)の左右から消えることになる。会社の自己資金がプラスならその会社のBSの縮小という形で治まる。しかし会社Aの自己資金でも不足となると、会社は倒産し債権者により切り売りされる。そして、出資者や社債を買っていた人に被害が及ぶ。そのような繰り返しで、(債権、債務)の対で何社かのBSの縮小が起こるだろう。因みに、それが銀行の倒産にまで及ぶと、金融危機と呼ばれる事態となる。

 

4)株価利益率は、発行済株数と株価の積と会社が得た純益1年分の比である。(国によって定義が多少異なる可能性がある)企業の運営評価の一つの指標である。尚、株価に対する配当の割合は、預金の場合の金利に相当する。定期預金金利が0.1%以下の日本では、株価が安定であれば株式投資の収益率は、預金の数十倍から数百倍になる。

 

5)日本が米国債の一部放棄を求められるのは理不尽だと怒る人が大半かもしれない。しかし、「払えないものは払えん」と米国は云うだろう。日本はこれに対抗する手段がないので、核武装の認可と技術支援のいくつかをもらうのが最善である。その一方、国によっては「腕尽くでも取ってやる」というだろう。その場合、戦争を始めるのは愚かなので、債権放棄の割合を小さくすることで折り合いを着けるだろう。国際関係とは、本質的に野生の関係なのだ。

 

6)危険性ゼロの追求は、この国と国民が米国制の育児籠の中にいたからなのだろうか?非常に美しく見え、病気のようにも見える。それは新型コロナ肺炎の流行に対しても、同様である。感染ゼロを目指す神経症のような努力は、少女のように美しくもあり、COP26に現れたスウェーデンの女性のように醜くもある。

 

 

2021年11月6日土曜日

日本語と日本文化について

以下の文章は、HPに載せていたものです。HP閲覧は非常に少ないので、ここに再掲します。古い内容を含むので、それには追補を入れました。長いですが、是非お読み下さい。

 

1)英語(西欧語)と日本語の比較

 

日本語の特徴は、西欧語である英語との比較で考えると解りやすい。私は、日本語に比較して英語は情報伝達においてより効率的な構造になっているように思う。先ず、英語において、関係の深い概念を表す単語は、音を共有するように出来ている。

 

例えば、glee, gree, glory, ground, gorgeous, giveなどGodgood以外にもgで始まる単語には、”良い”意味のものが多い。一方、 jam, junk, jealousy,jitter,jape,jerryなどja, ji, jeなどで始まる単語にはあまり良い意味のことばがない。(補足1)

 

音に意味の情報が含まれることは、会話において情報(や感情)交換の能率を上げることになる。また、多音節の単語では、音節が漢字の部首の役割をするので、アルファベット26文字で多くの言葉を表しうる。agricultureという単語は、agricultureから成り立っているが、agriは大地という意味、cultureは耕すという意味がある。「農業=大地を耕して作物を作る」が、agricultureという意味だろう。

 

その他、contemporarycombinationのような単語に出てくる、comconである。これらは同じという意味であり、comeは話してと聞き手が同じ場所になるよう、移動するという意味である。他に、re (繰り返す)、trans(変換)、inter(間)などたくさんの漢字でいえば部首がある。これらを記憶することは、漢字を覚えるより遥かに簡単な筈である。

 

会話は、口から発した音を介して行い、そして、これら“英語の部首”はその音と意味が一対一で対応しているから、会話の効率が高い(もちろんNative Speakerにとっての話であるが)。一方、日本語で用いる”漢字”は表意文字であり、その漢字で表された熟語が会話の中に現れると、音から単語への変換に時間と頭脳を使う必要がある。

 

つまり、元の日本語、つまり「和語」はわずか110程の音節からなる原始的な言語であり、そこに漢語(音節400、四声で4倍になり1600)を持ち込んだため、同音異義語が多くなったのである。そのため、日本語の会話では誤解を生じるなど不便なことが多い。

 

更に、英語にあって日本語や中国語にないものも多い。そのひとつに、冠詞がある。冠詞は論理的な議論において重要な役割をすると思う。Oranges contain much vitamin C. (オレンジはたくさんビタミンCを含む);Put the orange in the blender.(オレンジをミキサーの中にいれる。); I picked up an ornage on the way back home. (帰り道、オレンジ一個拾った。)の3つの文章で、日本語では全てオレンジと書かれているが、英語の冠詞が違うように、意味がことなるのである。最初は、オレンジ一般を複数形で示し、二番目は手元にあるオレンジを、3番目はたまたま落ちていたオレンジを表す。この夫々のオレンジの違いを英語は明確に冠詞でもって区別しているのである。

 

我々冠詞に馴染みのない者は神経を使って、冠詞を選択する必要があるが、現地の人(native speaker)は殆ど思考なしに自然に正しい冠詞を選んで口にだす。この差は、情報伝達の能率だけでなく、頭脳の思考回路そのものに、言語を覚える過程で差ができるのではないかと思う。(補足2)

 

 また、英語の文章では主語が明確であり、動詞が主語の次に現れることで、大まかな情報が直ちに聞き手に伝わる。日本語における遠慮がちに語尾にでてくる、肯定と否定の情報が、主語の次にくるので、誤解が少ない。つまり、会話において相手の言葉がI don't think で始まると、次に出てくる考えに反対だなということが聞き手に直ぐわかる。日本語では、「私は。。。。。だと思わない。」と最後まで、思うのか思わないのかという最も大切な点が判らない。(補足3) 

 

それだけならまだしも、「私は」が消えて、「。。。というか、そんな具合に、思うこともないではない。」なんて、訳の判らん文章が会話の中で頻繁に出てくる。(補足4) その他にも、英語には特別な接続詞(because(”何故なら”という複合語), since(ーーという事情により), although(ーーではあるものの)、など)で文節を短く出来ること、関係代名詞や関係副詞、時制に置ける完了形の存在などがある。これらは流れの良い日本語に訳す場合に、翻訳がむつかしい。

 

上述のように日本語では表意文字である漢字が中心的位置を占めている。漢字の数は万とあり、漢字に関する習熟度で知性を計る様な愚かな事が、中国では科挙において行われ、日本では現代も漢字検定やテレビのクイズ番組などで行われている。

 

何故、漢字が大きな位置を占め、且つそれが同音異義語をたくさん生じるなど、日本語に正しくフィットしていないのか? それは、オリジナルな日本語(和語)は、上でも書いたように、文字を持たない小さな体系の言語であったことが原因だと思う。そこに、大きな言語体系の漢語が輸入され、同音異義語がたくさんできたのだ。(補足5)

 

このオリジナルな日本語は小さな言語体系であったことは、外来語が簡単に日本語の中に定着する(更に、混乱させる)ことでも証明される。アジェンダ、マニフェスト、ロードマップ、シナジー、etc. このような外来語に翻弄されている現状をどうするのか? 明治時代の国語改革を真似て、もう一度何らかの対応をとるべきではないだろうか。

 

2)日本語について我流解釈

元々、日本語を使う人々は、強く結びついて集団をなし、個性を抑えて合意を形成し諸作業を行ってきたのではないかと思う。つまり、日本語はそのような(普通農耕社会という)社会の為の言葉として出来上がったと思う。話し相手を強く意識するため、相手との関係で一人称主語が多数あり、且つ相手との会話の内に軌道修正が容易な様に、語尾が曖昧になっている。そのような会話によって、その集団は一定時間後、全員が同じ意思、つまり、集団の意思をもつことになるのである。

 

一人称で「我こそは」&「である」と明確に且つ断定的に言えば、集団での意思統一は難しい。全員一致で動く社会の次の段階として、現代の民主主義社会がある。これは、「多数の意見に、少数の異なった意見のものが従って協力する」という体制である。現代日本では、この方式は当然のように受け取られているが、実は口先だけのことであり、本当は定着していないのである。

 

この民主主義体制は、社会にかなりハイレベルのルールが出来て始めて可能な意思統一の形式である。つまり、少数の異なった意見を排除した場合、その少数の構成員には屈辱感が、多数のものには優越感が生じる。それらを、協力作業の前に昇華解消させるには、この「民主主義という社会のルール」にたいする高い価値を構成員全員が共有する必要がある。

 

いきなり民主主義(ギリシャのデモクラシー)が社会に出来る訳が無いので、集団で行動する人の社会に、言語が(神によるのではなく)発生したとするなら、日本語のような言語の方が自然であると思う。西欧の第一人称の主格(つまり "I") が明確に文章に用いられる言葉は、むしろ不自然である。

 

西欧社会は、よく言われるように家族単位の狩猟集団が集まって社会化したと考えれば、一瞬判った様な気になる。しかし、家族単位ならゴリラと変わらず、複雑な言語など不要である。私には、この良く出来た言語を創ることなど、人類の知性がずっと今のレベル程度であったなら、出来そうにないと思う。

 

従って、その発生の謎は非常に興味ある問題であり、解くことが不可能な位の難問であると思う。

 

追補(2021/11/6)この時点ではこの難問は解けなかった。しかし、その後、言語の進化論(IIII)として20196月に新しいモデルを作った。勿論、この仮説には不十分な部分が多いがまず間違いないだろう。

https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12482529650.html

 

先日、「ことばの進化論」という本があるのを知り、早速アマゾンから買ったが、その大部分は「動物の鳴き声からどのように言葉が発生したか」という部分の仮説であった。(Derek Bickerton, “Roots of Language, 1981. , Languages and Human Behavior, 1996; 筧寿雄ほか訳、「ことばの進化論」、勁草書房、1998年)

ただ、この種の議論では、日本語と日本文化を他国とその国の文化と比較する際には参考にならない。この言語と文化の違いを主題にしたのが、「ソシュールの言語学」である。

丸山圭三郎「ソシュール言語学入門」については、感想を2018年に記事にしている。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466516354.html

 

 

3)日本の文化と西欧の法治システム

 

日本の国民性そして日本の文化は、日本語と不可分である。日本では、集団の意思を統一するのに、会話により“場の空気"を醸成し利用する。そして、上述のように日本語はそのような目的に合致するように作られている。この様な”文化”を持った国では(補足6) 西欧的制度である民主主義やその為の三権(立法、司法、行政)分立制度などが定着し難いと思われる。

 

法の原点が「神との契約(例えばモーセの十戒)」であるとすれば、まともな人格神を持たないこの国では法治国家というシステムを支える権威はなく、上手く機能しない。(補足7) ) 上で議論した「社会のルールに対し、高い価値と権威を社会の構成員が共有する」ということは、この神との契約という形を模倣して定着したものだからである。

 

日本ではどうか?「赤信号皆で渡れば怖くない」「黄色は進めの信号のようである」など、ドライバーもルールを守っていない。ルールに権威はないから、罪悪感は全くない。一方、どうせルールなど厳格に守る筈はないのだからと、守れない交通ルールを平気で放置している。(補足8) そこには、法にたいして高い価値を共有する態度は全く見られない。

 

また、町の中に、「ゴミは自分で持ち帰りましょう」「クリーンな町***」などという(誰を相手に何の目的で掲げているのか判らない)大小様々な美観を損ねる看板が見られる。(補足9) この「しましょう」形式の看板は、”場の空気”(日本の空気)を確認しているつもりなのである。

 

国民は子供ではないのだから、また、そのようなものを見ても人格が変わるような人は日本にも居ないのだから、ゴミを捨てる者は捨てるし、捨てない人は看板の有る無しに拘らず捨てないだろう。従って、そんな無駄は(市役所の人は仕事をしたいのだろうが)止めるべきだと思う。

 

小沢一郎氏の著書の中に、「グランドキャニオンに「これ以上近づかないで置きましょう」と書いた看板とか、日本ではある筈の『転落防止の柵など』が然るべき場所にない」という記述があった。その挿話の意味するところの解説から出発して、民主主義には個人の自立が必須であるということが書かれている。昔はこの人も志が高かったのだろう。しかし、小沢氏の日本の似非民主主義に対する基本的分析は非常に重要であると思う。

 

我が国が、そして我々が、名誉ある地位を国際社会において築くには、我々の社会において「和を以て尊しとせず、真理をそしてルールを以て尊しとなす」(つまり、各個人が真理と思うことに従って、独自行動すること。その当否は、必要とあれば法によって決められる。)という価値観を創ることが必要であると考える。

 

文明は既に頂点にあると思われる現在、真理とルールに対する尊厳を確立することは、一神教の国でなくても”幼少期の教育”を能率的に行えば可能である。しかし、それ以降の教育では不可能であると考える。

 

今後の日本の発展には、せめて主語と述語を明確に用いて論理的に喋り、自立した個人が”もやもやした場の空気”を排除して、社会に参加する様な国になるよう、幼少期から教育することが大切であると思う。

 

そうなれば、中学生の凄惨な苛め事件など発生する筈が無い。また、能力のない者は、如何にコネを駆使しても高い地位に登ることはなくなるだろう。特に仕事をしなかったが、問題を起こさなかったというレベルの人の出世は無くなるだろう。韓国の後塵を拝することになった経済における低迷も、同じように日本語と日本文化にその原因の一端があると思う。

 

 

補足:

 

1)一時、Japanという言葉は音が悪いから、Nipponに変える方が良いという意見が雑誌などに出ていた。”じゃ”が蛇や邪のように、漢字でもあまり歓迎しない単語に用いられているので、この”音に意味が含まれること”は特別なことではない。その特徴が英語では明確であるが、日本語ではそれほど明確では無いという程度の問題である。同じJで始まる単語でも、Joyが良い意味であり、音も柔らかく感じる。恐らく、JAJUJEなどは広範囲の周波数成分を持ち、雑音と同様に不快な感じを与えるから、嫌な意味の単語に割当てられたのだろう。

 

2)一時期話題になったハーバード大のサンデル教授の授業が、東大で行われた。テレビに映された、米国の学生に比べて非常に貧弱な回答しか出来ない日本の学生の姿を思い出す。

 

3)これは、「後の文章をどういうかによって意味が正反対になることもあるので、日本語の構造の弱点としてあげる理由にはならない」という意見もあるだろう。しかし、自分の意思を相手に伝達する自然な流れはどちらかという議論をしているのである。I go to schoolの方が「私は学校へ行きます」よりも、聞き手から見れば話し手が兎に角いなくなるということが能率的に伝達されるのである。

 

4)最近、石川九揚著「二重言語国家・日本」(中公文庫)という本を見つけた。この本には同意出来ない部分も多いが、日本語の成立に関して詳細な考察があり、非常に参考になる。この本の34ペイジに、「欧米の講演や講義は、そのままテープを起こしただけで(つまり、書き下しただけで)一編の論文をなすが、日本語では相当加筆・削除し、文の前後を入れ替えたりすることによって、辛うじて文章の体裁をなす。また、日本人は話が向こうへ飛んだり、戻ったりで右往左往し、講演が下手だと言われているが、この理由のひとつは、主語概念の甘い主題提示方式であることや公私の分裂、また中国語のように大量の語彙をもたないため的確に言うことができず、比喩と留保の連続によって言葉を成り立たせるしかないという話し言葉の文体の未成熟にあろう。そして、また書字中心型の日本語においては文体が書き言葉の方に漏れ、話し言葉の文体未確立を放置してきた」という記述がある。この前半部分の分析はほぼ的確だと思う。ただ、講演は話し言葉で行うのだろうか?という疑問が残る。なお、表題の二重は、漢語と和語の二重を指す。

 

5)正統と言う漢字をワープロで出そうとすると、政党、正当、製糖、製陶、正答、征討、青鞜、などたくさんの同音異義語が出てくる。亢奮、昂奮、興奮、となるとどこか違うのかなあと思う。公正、更正、厚生、更生となると違いを明確に言える人は少なくなる。このような表意文字を山ほど持つとき、言葉に対する基礎的な理解も失われる。例えば、看護師や薬剤師など偉い方が医師の他に病院には居られるので、一人の士に過ぎない理学博士の私は姿勢を低くして病院に行くことになる。保護責任者遺棄罪と言う罪は、保護責任者を遺棄する罪でなないのです。再生可能エネルギーというのは、廃熱からエネルギーを再生して、少ない燃料で無限のエネルギ-を得ることではありません。熱中症というのは、何かに熱中する病気ではありません。

 

6)留学から帰って名古屋に来たとき、小学校に入学する子供にランドセルはおもいし、値段も高いので、リュックザックに教科書を入れて通わそうとしたことがあった。とたんに、どこかから非難らしきものが聞こえ、やむなくランドセルにもどした。中元や歳暮、バレンタインデイのチョコレート、キリスト教的結婚式、節分の恵方巻きなどの乱雑に発生した習慣も、日本以外では考えられないのではないだろうか。

 

7)八百万の神は、ここで言う(一神教の)神ではない。この世の何かを司る神であるが、生命の危険に対する不安、将来への不安など、何かに縋りたい人の想像により出来たもののように思う。聖典がないのだから、ただ祈るための存在でしかない。その神に権威などはなく、単に何かを祈れば実現してくれるような、祈る人の身勝手を投げ込むための巨大なバスケットにすぎない。

 

8)名古屋に名二環という都市高速風の有料道路がある。そこに勝川から西名古屋まで良く通るのだが、何と、制限速度60kmである。渋滞以外の場合、ここを60km/hで走っている車を私は見た事がない。大体80-100km位が普通の速度である。

 

9)伊勢道を数度往復したが、南伊勢との分岐を過ぎたところで、「次のサービスエリアが最後のトイレです」という看板を見つけた。確かに有り難いが、ちょっと過ぎたおせっかいではと思った。

オリジナル:2012年夏、編集:2012.10.31;再編集再掲:2021.11.6

2021年11月5日金曜日

日本の保守系を支配しているのは未だ尊王攘夷思想である

1)智に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される

 

日本人は論理の展開が苦手である。その挙げ句、屁理屈、理屈家などの言葉で、論理と屁理屈の区別を拒否する人が多い。その日本人を逆方向から見た場合、日本人に俳句好きが多いということになるのかも知れない。俳句の世界では、作品に論理の要素が少しでもあると徹底的に貶されるようだ。

 

最近、プレバトというテレビ番組で俳句が人気だが、それは先生役の夏井いつき氏の俳句添削と番組盛り上げの高い能力もあるのだが、日本人に俳句大好きが多いことが主因だと思う。それは、俳句の世界が論理ではなく感覚の世界だからである。論理展開が苦手な日本人は、感覚や感情を「人間的だ」として大事にするのだ。

 

ただ、俳句が得意な人は、論理展開が下手という訳ではない。例えば、夏目漱石は、正岡子規との付き合いが深く、俳句も相当上手かったようだ。その漱石の小説「草枕」の出だしが、有名な「智に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角(とかく)に人の世は住みにくい――」という文章である。

 

この智が、論理であり、「智に働けば角が立つ」は、論理を用いれば日本人に嫌われるという意味である。(https://core.ac.uk/download/pdf/59179041.pdf この雑誌の45頁参照)

夏目漱石は英国留学で、個人主義と論理の世界を体験して来たことが、日本社会を眺める目を養うことになったのだろう。

 

2)日本の保守を支配する尊王攘夷思想

 

近代社会の運営と改善には、社会の不効率、不平等と不善を調査分析し、その改善の方法等を議論しなければならない。それには多数の人物によるデータの持ち寄りと議論が必要である。

 

近代政治は、社会を公と私の二つの空間に分け、私の空間では「個人」の自由を保障し、公の空間では「個人」にルールによる束縛を強制する。そのため、日本の伝統である“世間”を公空間に持ち込んでは、近代社会を作り、その基礎の上に近代政治を構築することができない。“世間”とは、公と私の二つの空間に分けられていない、感覚と情に支配された「智の働かないドロドロした社会」である。

 

このことが未だに分かって居らず、世間の中にどっぷり浸かっているのが日本人である。漱石の時代から100年以上経ってもなお、日本社会は「智に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される」社会なのである。その根本原因として、全ての国民は家族的でなくてはならないという、信仰のような幻想が日本の雲の上に広がっているのである。

 

そのメカニズムを一言で言えば、未だに尊王攘夷思想が日本の保守系の人の頭脳を占領していることだろう。政治の世界で論理を追求すれば、必ずぶち当たる厚い壁として存在する。尊王とは、日本国民は一つの大家族であるという幻想である。いつもテレビ番組「そこまで言って委員会」で、竹田恒泰氏が「仁徳天皇とかまどの煙の話」(補足1)を持ち出して主張する宗教である。

 

 

攘夷とは、思想的に日本の伝統と論理が衝突する場面で、古来の伝統を最優先する姿勢である。それは、例えば、以下の動画の馬渕睦夫元ウクライナ大使の日本維新の会に対する批判(19分30秒あたりから)と日本共産党に対する批判(20分ころから)を聞いて貰えばわかる。

 

 

 

「構造改革派とは、要するに日本を開くことだから、それが保守である筈はない」とか、「共産党は日本の風土ではキリスト教同様外来思想だから1%を超えられない。しかも皇室を認めないのだから、ダメなんです」と言っている。日本の風土(!?)を最優先して、国際関係に高度に依存して日本が存続出来ると信じておられる。米国のディープステートについて明らかにしてこられたのは、この日本風土最優先の視点からかもしれない。優秀な元外交官でも、個人の力はこの程度である。がっかりである。

 

3)一つの小さな体験

 

10月末の衆議院選挙では、選挙立会人の役割を担うことになった。始めての経験である。朝、645分までに選挙会場に入り、その後13時半まで小学校区の市民代表二人が選挙に立ち会う。後半は、別の二人が担当し、選挙を監視するのである。

 

そこでの体験だが、面白い光景を見た。もう一人の方は常連らしく、投票が終わった一人ひとりに「お疲れ様です」と云うのである。会場の市職員も同じように、まるで一音節のように短時間でスムースに「お疲れ様です」と発声していた。私も最初はその真似をしようとしたのだが、舌がもつれるので、止めることにした。

 

そして、「選挙民は選挙権の行使に来たのであり、行政の要請に応じたのではない」という「智」が頭に浮かんだ。しかし其れを云うと角がたつので、ぐっと飲み込んだ。

 

「智に働けば角が立つ」のは、「智」は社会を良い部分と悪い部分に分断するからである。そして、社会の悪い部分や非効率な部分の否定は、社会に「波風」を立てて全体の和を損なうのである。和を最高の徳と考えて易き方向に流されたのが、現代日本のテイタラクなのだが、それに気づく人は1%もいないだろう。

 

波風を立てぬように息を潜めて2600年、日本人は議論をすると舌がもつれて、口論のようになってしまう。そして、日本語は論理展開に便利なようには進化しなかったのである。

 

4)終わりに:(補足2)

 

言葉は人の精神の中に突如として発生したのではなく、人間が集団を為して社会を形成し、それが国家と呼べる様に成る過程で発生し、進化したと考える。社会の能率を上げ、運営が容易なようにするには、階層構造を持ち込み専門化と分業を実現しなければならない。

 

それがスムースに機能するためには、各階層間や各専門間で言葉による円滑な情報交換(議論)がなければならない。その要請の汲み上げと人間集団間の淘汰つまり戦争などの争いが、同時進行的に起こると考えた。スムースな情報交換とそれにより複雑で大きい社会(国家)を作り上げた集団(社会、国家)が生き残り、失敗した社会は滅びただろう。それが私の「言葉の進化論」の要点である。

 

ただ、島国など自然の要塞に恵まれた社会は、競合する相手が次々と代わって現れなかっただろう。そして、日本語は、日本社会とともに未発達の状態で時間が経過し、その間に漢語をとりいれた結果、言語がパッチワーク状態になったのだろう。

 

因みに、動物としての人間も、言語や社会と伴に進化(文明への家畜化)したと考えられる。この人間、社会、言語の相互依存的な進化のモデルは、「文明により改造、家畜化される人間」という2015年の記事の延長として2019年に書いた。

https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2015/03/blog-post_36.htmlまたは

https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466514310.html

(12:50 編集あり;7日5時45分、youtube動画が引用されていなかったので追加しました。そして、その部分に文章も少し追加)

 

補足:

 

1)仁徳天皇は、ある時民家からかまどの煙が出ていないことで、民が炊く米を持っていない事に気づいた。そこで、宮廷の雨漏りを修繕し、見すぼらしい衣を新しくしたいという后の主張を退け、3年間税を免除した。そして、かまどの煙が再び出るようになったという民話。

 

2)言語の発達(進化)のメカニズムについて、言葉の進化論という題で、2019年の6月に記事を合計4本書いた。そのうちの一つで解説を行った。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12482800585.html 更にその要約が、このセクションである。