2021年7月31日土曜日

新型コロナは単なる“はやり風邪”扱いになりつつある

既にブログの何処かに書いたように、英国では新型コロナに関する様々な規制は撤廃され、単なる“はやり風邪”扱いになった。その根拠としてジョンソン首相は、既にワクチン接種が進んでいるとか何とか言っているが、実際はデルタ株はたいして重症化しないと考えているのだろう。

 

つまり、英国では毎日、感染者が3−5万人程出るが、重症者や死者数が少ない。その少ない死亡者数の原因は、ファイザー社などのmRNAワクチンが効いていることではなく、デルタ株の性質(つまり弱毒性)によるようだ。限られた範囲での統計だが、ワクチンの接種はデルタ株の感染にも重症化防止にもほとんど効かないという結果を、英国当局が発表している。そのデータ解析は、7月12日のブログ記事の中で紹介した。

 

シンガポールも、多数の感染者を出しているものの、6月下旬「感染者数の集計をせずに重症患者の治療に集中する」と宣言、新型コロナウイルスを季節性インフルエンザのように管理する戦略に切り替えた。

 

 

そして、カナダ人ニュース(youtube動画)が紹介しているように、カナダアルバータ州もそのような対応に切り替えたようだ。ここでも「ワクチン接種が進んでおり、重症者が多量に出る事態は防げる」とか何とか言っている様だが、デルタ株の元々の低い重症化率を念頭に入れているのだろう。

 

 

 

の動画の中で、ワクチン接種を完了した人に感染者が続出しているという、米国CDC(疾病予防管理センター)の発表が紹介されている。更に興味深いのは、下に示したマサチューセッツ州Barnstableカウンティのデータである。

 

サンプル数が469人(全感染者数)と小さいのだが、7月の感染者をワクチン接種との関連で分類した結果がグラフに示されている。それによると、ワクチン接種完了者が感染者数の74%を占め、その郡(カウンティ)ワクチン接種率70%程度であることを考えると、ワクチン接種完了者の方が不完全接種者や非摂取者よりも感染率が高い位である。

 

また、ワクチン接種に重症化率を下げる働きがあったとも言えない。死亡者5名の内、ワクチン接種完了者が4名を占めるからである。確かなのは、現在西欧から世界に広がっているデルタ株は、感染力が非常に強いものの重症化率が低いことである。

 

ここで、日本は今後どうすれば良いかという問題が残るが、それには今のところ答えはない。これまで日本では、感染者数が非常に低かったので、西欧と同じように考えることは出来ない可能性がある。

 

 

従って、日本も、独自にCDCが示したような(感染者数、重症者数、病原ウイルス株)とワクチン接種との関係等を調査すべきである。もともと日本では感染者数、重症者数が少ないので、これらのデータが得られたのなら、不要な規制撤廃が早期に実現出来るだろう。現在の過大視する新型コロナの危険性と、ワクチンに過剰に依存する対策は、日本の国力を低下させ、日本を途上国に落とす危険性があると思う。

 

世界はコロナとともに生活する方向に確実に進んでいる。つまり、新型コロナはただの風邪になりつつある。日本も、コロナに対する認識は、リアルタイムで改訂することが重要である。米国の製薬会社と米国民主党政府は、世界をワクチン漬けにすることを企んでいる可能性があるので、十分警戒すべきである。

 

イスラエルではワクチンの三度目接種を始めたようだが、それが何のためなのか解らない。ワクチン会社に協力する意味なのか、今後流行る毒性の強い新型コロナを予想しているのかも解らない。新型コロナを利用して、世界政治の大変革を考えている勢力(ダボス会議の世界経済フォーラムなど)があるが、かれらと新型コロナの流行の関係もあるのか無いのかわからない。

 

世界は混乱の方向に向かっている。日本は、米印豪日の協力体制を育てることに努力するべきだが、米国民主党政権に盲従するのは危険である。参考になるかどうかわからないが、以下の動画も引用しておく。https://www.youtube.com/watch?v=U3nd9NTA6Yc

==終わり===

(15:50 デルタ株に対しては、日本人に多い白血球の型による免疫が効きにくくなるとの指摘の記事を最後に追加)

2021年7月26日月曜日

中国の日本核攻撃脅迫動画(II)(詳細を掲載しない新聞は解約せよ!)

中国共産党政権は、1964年に核実験に成功したとき、世界に対して核武装していない国には核兵器を用いないと約束した。しかし、その約束はその他の約束同様、彼らを拘束するものではない。最近、日本に対する先制核攻撃を考えるべきという動画が、2000万人の登録者を持つ軍事関連のネットチャンネルで公表され、閲覧数200万を超えているようだ。

https://www.youtube.com/watch?v=ZuUBerXLl2c

 

そして、無条件降伏した日本を、中国、ロシア、北朝鮮とで分割統治し、更に沖縄を琉球として独立させるというのである。この日本に対する宣戦布告的な動画は、日本の大手新聞では全く無視されているが、DEEP MAXさんのyoutube で10日前に報道された。https://www.youtube.com/watch?v=AGj9Rip1ooE 

 

この件、かなり詳細な内容がNewsweekに、遠藤誉さんにより紹介されている。

 

 

この中国による動画はいくつかのバージョンがあるようだが、その一つを遠藤修一という方が、オリジナル動画に日本語字幕をつけたバージョン(別の方の作成)を紹介している。この動画を何回か観て、その内容を十分咀嚼することをお勧めしたい。

 

注目すべきは、繰り返しになるが、その中国版の動画サイトが2,000万人の登録者をもち、その動画が200万回再生されていることである。中国の民意がその日本攻撃を許容していることに、全ての日本人は震えるほどの恐怖を持つべきだと思う。

 

 

(削除される可能性があります)

 

これらの中国の動きは、最終的には、①習近平政権が崩壊するか、②台湾を武力侵攻し、その際に米国と日本が共同で台湾防衛にあたれば、日本に核攻撃することで日米両国を沈黙させるの、どちらかの形で決着すると考えるべきだろう。麻生副総理(補足1)の中国挑発発言に中国は切れたようだ。

 

核兵器は使う兵器ではなく、もっぱら威嚇のために存在すると考えるのは甘い。もっぱら威嚇のために存在すると誰もが考えるのなら、威嚇にも役立たない筈である。米国が日本に対して使ったことを考えると、過去に国の全領域が日本に侵略され、20万人以上が南京で虐殺されたと信じているとすれば、中国にイザとなれば躊躇はないだろう。

 

このような事態になっても、日本の問題がコロナとオリンピックだけのように見えるのは、ブログ記事を書く側として虚しい。

 

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追加: 河南省鄭州市でのダム放水による大量死により、中国共産党は窮地に陥いる可能性がある。現在誤魔化し報道を行っているが、それが出来ずに中国人民の不満が蓄積したとき、それを打ち消すには他国への軍事行動しかないとなれば、上記恐怖のシナリオの可能性が一層増す。

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補足:

 

1)麻生発言:

 

 

麻生グループの麻生副総理は、あのユダヤ商社ジャーディン・マセソン商会の、横浜支店長のひ孫(養曾祖父;祖父の吉田茂が吉田健三の養子)にあたる。吉田茂は、そのマセソン側の手先として、日本を米国の属国とする計画に従事した。そんな歴史を検証し反芻しないで、麻生氏を日本の総理大臣や副総理大臣にして来たのが日本国民であり、その詳細を検証も報道もしないのが日本のマスコミである。

(16時50分、大きく編集しました。不十分な文章だったことお詫びします。)

2021年7月25日日曜日

ワクチン・パスポートは人類絶滅への切符?

新型コロナのデルタ株により、欧州や米国でも再度大流行の兆しが出てきた。そこで頭の硬い連中は、ワクチンを全国民に強要することで、パンデミックを抑えようとし始めている。それは世界をワクチンに耐性を持つウイルスの培養器にすることになる。

 

 

その先頭にあるのが、フランスのマクロン政権のようだ。そして、今朝視聴した及川さんの動画によると、英国も含めて、全ヨーロッパでその動きが出始めているという。この全体主義的動きは、短絡思考の指導者(つまりリベラル)が率いる国で強まるだろう。そして、それが全世界に広がる事になった場合、人類が集団で死の海に入水自殺する様なことになる可能性がある。

ワクチンなどの先進医学のなかった時代までは、疫病の大流行が起こった時、耐性の低い人は亡くなるが、丈夫な人が生き残って人類の絶滅を防いできた。その歴史から学ぶことなく、「その病気に強い人も弱い人も、肉体の頑強な人も虚弱な人も、老いも若きも、全てが平等に命を主張でき、それを現代医学が完全に保障すべきだ」と考えることは、本当は不平等且つ危険な考え方だと思う。(補足1)

ワクチンは、老人や基礎疾患を持つ人達など命の危険を感じる人たちだけが打てば良い。健康な若者は、ワクチンを打たなくても重症化しないのだから、打つ必要はない。仮に、ワクチンを打たなかった老人や極めて虚弱なひとたちが、若者から感染して死亡したとしても、それは自然の摂理である。自然の偉大さを前に、人類は一歩引くべきである。それが保守の考え方であり、東アジア(西欧カブレの大国を除く)の考え方だろう。

 


このワクチンパスポートというキナ臭い考え方の近くに、マイノリティ(コロナに弱い者)の権利をマジョリティ(コロナに強い者)の権利に優先することで、全体を均一な権利の世界にすることを看板に掲げる自信過剰な連中が居る。どうやら、マクロン仏大統領もその一人のようだ。

この全体主義というのは、実は全体の福祉を考える主義ではなく、現在マイノリティである一部の支配層の福祉を最優先する考え方である。かれらが最大の力をもつようになっても、上記逆差別の考え方を替えないだろう。(補足2)それは共産主義政権が莫大な犠牲を出して証明したことであり、今尚ダメ押しの証明をしている。

デルタ株については、英国政府の厚生担当部門が、重症化率も致死率も低いと、緻密なデータ分析を用いて明らかにしている(上に引用のサイト)。それが毎日4−5万人の感染者を出しながら、様々な新型コロナ関連の規制を撤廃する理由だった筈である。

何故、今更、ワクチンパスポートを言い出すのか? 

ワクチン業界だけでなく、世界の情報と経済を牛耳る連中からの圧力があるのだろうか? マクロンも服従する、世界から国境を無くして、人類共同体を作ると豪語する人たちである。彼らは、金とHe理屈(補足3)の力を利用して、歴史をゼロから書き換えようと考えているようだ。

 

 

 

新型コロナをグレートリセットのチャンスであるなどと言って、主権国家体制を破壊しようとする、例えばWEF(世界経済フォーラム)を主催する連中の圧力は、そんなに強いのだろう。 

補足:

1)一神教の国の人たちは、聖書を幼少の頃より学んだ筈なのだが、その最初の物語も十分に学ぶことが出来ないようだ。知恵の木の実を食べたアダムとエバの物語である。自分の知恵で全てを解決出来ると考えることは、人類絶滅の原因であるという意味の話である。

2)逆差別から逆がとれても、それを撤廃する動きを見せないのが彼らの特徴である。自分たちの弱点は、全体主義で克服して、自分たちの強い点だけで勝負するというずる賢い人たちである。ピアニストの中村紘子さんが、著名なピアニストであるホロビッツから聞いたと話として紹介されたことば「世界のピアニストには三種類しかいない。ユダヤ人とホモと下手糞だ」が、私の頭に沈着して離れない。彼も蛮族の一人のようだ。{ピアニストという蛮族がいる (中公文庫)}

 

3)グレートリセットという言葉は、シェアホルダー資本主義からステークホルダー資本主義への移行と言えば聞こえは良いが、歴史を原点に戻って書き換えるという意味であると私は解釈する。それは自分達以外の下手な連中から、マイノリティや弱者を巻き込んで権力を奪い取り、栄光の歴史を取り戻したいのだろう。

 

 

2021年7月23日金曜日

東京オリンピックの開会式は中止すべき

オリンピック関係者の人選が非常に杜撰だったことが、次々と明らかになっている。その最後の極めつけが、オリンピック開会式の演出を担当した元お笑いタレントの小林賢太郎である。敬称は今回用いない。小林賢太郎は、過去にユダヤ人大量虐殺を笑いのネタにしていたことが、ユダヤ人の団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)」からの抗議により判明した。

 

それを受け、組織委員会の橋本会長が小林の解任を発表した上で謝罪した。

https://news.yahoo.co.jp/articles/6cf28bd75ce9dbd09cab4b5d06a83c886f0ab66d?tokyo2020

 

そして、菅総理も記者会見で、この小林処分についての妥当性に言及したが、開会式は行うと明言した。菅総理は、この件の国際的重要性が全く分かっていない。小林を解任したのなら、彼が演出責任者として作り上げたオリンピック開会式は中止すべきである。

 

日本の人たちは(筆者も日本人の一人だが)、謝罪という言葉の意味がわかっていない。もし、その謝罪が、小林が開会式の演出を担当する資格がなかったという意味なら、開会式は中止すべきである。それは建築士の資格が無い人物が設計した建築物なら、その建設工事は中止させるべきであることと同じである。

 

SWC1995年、雑誌マルコポーロを廃刊に追い込んだことで知られている。その国際的影響力は非常に大きい。日本のオリンピック担当者や菅首相は、SWCによるこの抗議を深く考えていない。小林を解雇して、謝罪の言葉を口にすれば、それで良いと思っているフシがある。本当に謝罪する気持ちがあるのなら、開会式は中止すべきである。

 

SWCは何故21日になって、この抗議を発表したのか、菅総理らは考えるべきである。この抗議をタイミングを見て行うことが、おそらくずっと以前から決められていただろう。21日を選んだのは、担当者を替えて演出をやり直す時間的余裕が無くなったタイミングだからである。つまり、演出をやり直したという「言い訳」が不可能なように、21日に抗議してきたのである。

 

つまり、日本国民を代表する日本政府の、ナチスによるユダヤ人ホロコーストに対する姿勢を確認する作業として、今回の抗議が行われたのだ。この程度の企みの意味すら、菅総理とその周辺は読めていない。

 

ユダヤ人の人脈は、現在アメリカ及び世界の政治を支配している。表の世界では誰もそのことには触れないが、影では常識として語られている。その人達の広報機関的なところからの抗議であるから、それなりに慎重に対応すべきであった。

 

それに付け加えるべきことが二つある。

 

 日本の笑いの文化は下劣である。漫才でよく見られる、相手役の頭を叩く動作で笑いを取ることはその代表である。それを含めて、日本のテレビの中で放送される「お笑い」は、下品の羅列である。個人の尊厳を軽視することを笑いの種にすることは、イジメに通じる。

 

その流行をつくったのが、あの安倍元総理お気に入りの吉本興業である。そのひとりがダウンタウンの浜田雅功と松本人志のコンビであり、恐らく今回の小林もその一人だろう。

 

 刑事罰に相当しない場合、日本のほとんどの人は、加害者側の謝罪は、被害者側の許容とセットであると思っている。そして、許さない場合には、和を破壊する狭量な奴だと、非難の矛先が反転して被害者に向かう。

 

悪事を成した場合、謝罪と対を成すべきは、償である。それが個の尊厳が確立した国際社会の常識だと私は思う。

 

2)公益財団法人東京オリンピック委員会と公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック組織委員会(このセクションは、7月23日午前5:30追加した)

 

東京五輪・パラリンピック組織委は22日、23日の五輪開会式を予定通り実施するとの声明を発表した。組織委のコメント全文:

 

「本日、小林賢太郎氏を解任したことを踏まえ、改めて開会式の演出内容を精査しましたが、演出内容は様々な分野のクリエーターが検討を重ねて制作したものであり、小林氏が具体的に一人で演出を手掛けている個別の部分は無かったことを確認しました。開会式については、予定通り実施する方向で現在準備を進めています」

 

 

これが、日本という国のあり方である。小林を解任したことは、単に言葉だけのことであり、何もなかったかのように式典は行われる。解任というより、単に仕事を早く切り上げたか、現場からリモートに換えただけだろう。報酬も通常通り支払われるだろう。

 

ところで、ウィキペディアによると、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会のトップは、橋本聖子である。副会長は山下IOC会長ほか6名、そして実際上のトップはどうも専務理事、事務総長の武藤敏郎という元財務官僚のようだ。他に、常務理事1名と理事35名の名前がある。

 

同組織委員会のHPを見ると、全体が半分黒塗りでクリックしても組織の全容は見ることができない。事務総長とか書紀長のような人が組織の実質的トップであるのは、共産党支配の中国と同じなのだろう。

 

 

 

理事35名のうち、20名が開会式の中止か簡素化を要望しても、何の効果もないのも、中国共産党政権と同じである。勿論、ウイグルなどでの人権無視の国と同等の組織なのだから、SWCの抗議も届かないのだろう。

ーーー 終わり ーーー

2021年7月20日火曜日

小山田圭吾氏のイジメ問題から日本文化を考える

東京オリンピック・パラリンピック(オリパラ)の音楽担当の小山田圭吾氏が、学生時代に障がい者とみられる同級生をいじめていた過去を批判され、辞任に追い込まれた。この件、テレビなどで話題になっている。https://news.yahoo.co.jp/articles/51ddc6ee572c946cc3eca3ab6b7d8070e699fe68
 

組織委員会の武藤事務総長が「小山田氏の謝罪の言葉を理解した。彼は十分に謝罪し反省しているので、このまま仕事を続けてもらいたい」という趣旨の発言をしたことについて、橋下徹氏はテレビ番組で「小山田氏の留任には、これまでどういった反省を示す行動をしてきたか示す必要性がある。それもなく、五輪で彼の音楽が流れることは日本の恥である」と語った。

 

 

 

結局、小山田氏の辞任により、この問題は一応決着した。しかし、日本という国の国際的評価は元には戻らない。この問題の本質は、小山田氏個人と日本オリンピック委員会だけの問題ではない、日本文化の問題である。日本のマスコミでは、この問題の本質がほとんど議論されていない。

 

最初に指摘したいのは、この若い頃のイジメというか刑事犯罪が何故当時明らかにされず、処罰もされなかったのか? 発覚しなかったとすれば、それは恐らく、周囲の人間が自分に同様のイジメが来るのが恐ろしくて、何も言わなかったからだろう。それは日本人の支配者に対して従順で、反抗する気概のない姿であり、日本人及び日本文化の欠陥である。

 

もし、発覚していても大きな問題として、警察まで話が行かなかったとしたら、それは学校が問題をもみ消したからだろう。学校のトップ周辺がことの本質と重大さがわかっていなかったのだろう。何れにしても、このイジメが明らかになり、学生時代の小山田氏が罰せられるべきだった。

 

もし、学校で周囲が健全に反応していれば、青年期に小山田氏は矯正されていただろう。事後でも小山田青年が刑事処罰されていたなら、その後に更生の機会が与えられた可能性がある。
 

その機会が与えられなかったことで、日本社会は彼の高い音楽の才能を有効に利用することが出来なくなったのである。それは日本社会にとっても、小山田氏にとってもかなり大きな損害となったのだ。これが今回の内容の全てであるが、次のセクションで、原理的な面からこの問題を議論する。


 

2)イジメは文化の問題である:

 

イジメは、異質な者を集団から排除する行為である。それは、集団で生きる人間や動物に見られる。イジメを先頭に立って行う(或いは指揮する)のは、群れのボス的存在である。自分の集団を、自分の思う通りの「従順で良い状態」に保つためである。
 

そのイジメが国家単位で行われるのが、独裁国家の姿である。法輪功の人たちやウイグルの人たちがイジメの対象であると言えば、何処の国かわかるだろう。それと同じ体質を日本も持っているのである。それが言い過ぎなら、「イジメを排除するメカニズムを日本文化は持っていない」と言い換えても良い。

 

小山田氏を辞任に追い込むまでの場当たり的なオリ・パラ委員会の対応を見て、西欧諸国による反日本の感情は、影に隠れて益々大きくなっただろう。そして、その件のファイルは、日本叩きの道具コレクションとして、深く引き出しに仕舞い込まれた筈である。

 

報道された障害者へのイジメは、非常に凄惨である。それをむごいと感じるのは、私たちの多くが、ボスにより統治される側の感覚を持っているからである。その感覚を持たない人は、それが非効率な因子を群れから排除する当然の行為と見なすのだろう。そのような人物の姿が、社会の表に現れるところが、日本社会の劣悪な一面であり、背後にある日本文化の後進性である。
 

今回のイジメの問題は、この人道的或いは人権的に許されないという議論で終わる場合が多いだろうが、その人道的な配慮の本当の目的は、社会全体の効率を最大にすることであり、それは社会の構成員全体の問題であることを理解すべきである。

 

この原理的理解がないと、単に健常者が憐憫の情をもって障害者を観察し、優越感に浸るための障害者福祉になってしまう。この感覚で福祉を眺めている人は、多いかもしれない。しかし、それらの人々にも「あなたとあなたの家族は今後も障害を持たないと安心しているのですか?」と問うことで、時間軸を長くとれば、障害者福祉は自分の問題でもあることに気付かせることが出来るだろう。

 

更に、身体上の障害などでのイジメや差別が、社会にとって大きな損失になるという常識を持たねばならない。手足に障害があっても、他の部分で優れた才能を持つ人間は大勢いる。それらの能力を社会全体として活かすことで、社会つまり国家全体の実力アップを図るべきなのである。その多面的に実力を評価して、適材適所に人を配置できないのが、日本の経済的そして政治的低迷の原因である。

 

それは障害者だけではない。外見が醜い人、運動が出来ない人、美的センスのない人、病気の人、老人、名家の出身でない人、学歴の低い人等々、外見や経歴などだけで、つまり獣に近いヒトの視点において劣っているだけで、社会の各分野の中心からなるべく排除したいという力学が働くことが、日本の国家的問題である。(補足1)

 

つまりそのレベルの人間が、それら各分野のトップに居ることが、日本の劣悪な社会環境を物語っているのである。人間社会の多くの側面から、そして長期の時間軸でみて、人を評価することが先進国として存在する必要な因子である。原始的な排除の力学があちこちに生きていることが、日本社会の弱点であると私は思う。

 

3)西欧の姿勢について

 

洋画に「レ・ミゼラブル」というのがある。みすぼらしい(miserable)逃亡中の犯罪者に、神父が一夜の宿を提供したのだが、その男はそこで銀の燭台を盗もうとした。翌朝、それを見つけた神父は、主人公のその男を強く叱責するのではなく、許して当座の生活費の足しにと、確か、その燭台を与えるのである。
 

それから、数十年を経て、その主人公がある都市の市長(補足2)となって、善政をしくという話であったと記憶する。聖書に「人を裁くなかれ、己自身が裁かれないためである」という言葉がある。神の視点で見なければ、その人物の全体像は見えないという意味である。

 

西欧諸国、キリスト教圏の人たちは、人としての尊厳を維持することが、人間として生きる必須条件とみなす。したがって、理由なくある個人の権利や尊厳を害する行為はしないだろう。それを見て放置した場合に自分の尊厳を害する場合には、放置しないだろう。
 

また、社会での仕事の範囲と個人の私的範囲を明確に意識しており、仕事上での上司の指示には従うが、仕事を終われば上司と部下の上下関係は維持されない。その労使関係は、適材適所の原則、労働の流動性確保、同一労働同一賃金などの原則を実現する上で重要である。日本文化の特質を何も考えないで、それらの原則を確立しようと云うのは、馬鹿げている。
 

勿論、西欧一神教の国の文化では、異教徒は敵である。そして、敵に対する態度は、日本人のそれとは比較できない位残酷かもしれない。その文化の違いを熟知することは、国家の安全保障を立案するには大切である。(補足3)
 

西欧の一神教は、何をすべきか、何をすべきでないかについて、明確に示している。それは神との契約である。それを模して、法やルールが存在する。諸外国から、日本は、ルールが明確でない、言葉も未発達(補足4)で訳の解らない感覚が支配する国と思われているだろう。

 

今回の小山田氏のイジメ問題から、最近の白鵬の相撲に関する日本相撲協会の訳のわからない批判(補足5)まで、ルールが存在するのか存在しないのか、解らないケースを数えればきりがない。https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202107190001121.html


 

 

補足:

 

1)この多面的な能力評価がなく、人材の適材適所が達成できないところに、日本経済低迷の原因があるという指摘があり、その意見を取り入れて記事にしたことがある。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12564206453.html

 

2)大陸の映画が描く当時の都市は、国家に匹敵する。従って、市長の権限は現在の日本の市長の比ではない。
 

3)主権国家はゆるい社会を形成しているものの、その間の関係は基本的には野生の関係にある。国家間のイジメやスカシは、常に存在する。それらを防止する善悪の概念は、野生の世界には存在しない。

 

4)最初に引用したヤフーニュースの記事の出だしは以下の文章である。

東京五輪・パラリンピック組織委員会は19日、雑誌で障がい者とみられる同級生をいじめていた過去を告白していたことを問題視されていた五輪開会式作曲担当のミュージシャン小山田圭吾氏の辞任を発表した。

この文章では、告白したことが問題であり、告白しなければ良かったという意味になる。関係代名詞がないなど、日本語の欠陥が良く現れた文章である。基本動詞にも、同音異義語が山程あるなど、日本語の欠陥など、数え上げれば切りがない。 それでも、日本語は美しいと云う人が大勢おり、俳句や川柳などの人気が非常に高い。日本文化を議論するとしてもその原点(つまり日本語)が共有できない状況にある。

 

5)ルールに従った相撲なら問題は全くないというのが、私の意見である。それは相撲をスポーツとして見ているからである。勿論、相撲は神事であるという側面があり、それ故に日本相撲協会は公益法人なのだろう。もしそうなら、何故外国人を大勢いれるのか?何故、日本人全体(全てが伊勢神道の信者ではない)からお金をとるNHKが高い放映権料を支払うのか、根本から明確にしてもらいたい。

2021年7月19日月曜日

歴史を修正しようと考える理想主義者の愚

民族(或いは人類でも)にとっての歴史は、個人にとっての過去の人生に似ている

 

前回の記事で、過去の歴史を掘り返すことに慎重であるべきと書いた。タイムマシンが無い以上、我々は過去を教訓に、過去を乗り越えて生きなければならない。それは個人でも国家でも同じである。そして、ポジティブな経験でも、ネガティブな経験でも同じである。

 

過去を掘り返すことは、未来への教訓とする場合にのみ意味があるのだが、その時、ポジティブな経験を破壊してしまうことや、現在を破壊してしまう可能性がある。過去を振り返るのには、それをそのまま受け入れるだけの度量と知性がなくてはならない。

 

誰でも人生において、あの時、ああすれば良かったと思う経験が多い。それを後悔するだけなら、過去は振り返らない方が良い。それは、その後の経験の良い部分はそのまま継承し、悪い経験のみ取り消す仮想的な自分の人生を想像する愚挙であることに気づかなければならない。

 

現在、多くの民族は国家という共同体を作って生きている。それを人類の世界の中で、主権国家という概念で捉え、その間での付き合いで“人類社会(国際社会)”を形成している。それは、西欧が創り出した政治文化である。勿論、「主権国家とその社会」の中に、一人前の構成員として入っているのは世界の未だ一部であるが、徐々にその方向に残りの民族も進むことが出来るだろう。

 

人類は、その枠組みを維持して今後も生きるべきだと思う。それが保守の考え方だろう。

 

2)主権国家の破壊者:グローバリストの陰謀

 

現在、主権国家体制を嫌う人たちもいる。それは長期に亘って国を持たなかった民族であり、その恩恵を受けずに世界中に散らばった人たちである。かれらの苦難の歴史は、彼らを鍛え、彼らに優秀な頭脳と自由な発想をもたらした。

 

かれらは、神を持っていたが、自分たちだけの教訓も積み重ね、神を超えた。神とは所詮人が作った民族のリーダーに過ぎないことを既に知っている。神から解き放たれた人たちには、自分(と家族)以外は信じる対象ではなく、利用する対象に過ぎない。

 

そして、世界を自分たちの支配下に置こうと考えた。その基地として選んだのが、英国であり、次に米国、そして中国へと移動する筈だっただろう。ただ、中国は独自の文化を持ち、かなり異質であり、手こずることになった。

 

彼らグローバリストの武器は理想論である。少しだけ頭の良い連中を利用するのに、理想論は都合が良い。その民族を利用するときに邪魔になるのは、本当に頭の良い少数である。それらの障害を抑え込むには、数で勝る理想論の信奉者を作り上げて、操れば良い。かれらは大衆のリーダーとなる筈だ。

 

理想論は便利だ。頭の中だけで作り上げる事ができる。その理想論に染まった者たちは、簡単に過去から自分たち民族の悪を拾い出して、その国のリーダーを追放し、その離散の民の人たちやその信奉者(グローバリスト)の手先となり、主権国家である自国の破壊のために働くだろう。

 

米国は、たっぷりある過去の血なまぐさい出来事を掘り返せば、簡単に壊れるだろう。しかし、中には手強い者も居る。

 

青年期までに頭を型にハメ込まれなかった者は、経験を積むと手強くなる。所謂プロ(或いは専門家)は、頭も体もバランスを欠いているので隙だらけだが、あのカードゲームと同じ名前の人物は、素人だけに手強い。こどもの頃の正常な感覚を70過ぎても持っているのだ。

 

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P.S. 午前三時に目が冷めた。そこで浮かんだのが上の話である。皆さんのコメントに期待する。

その切っ掛けは、HARANO TIMESさんの動画を見たからかもしれない。その動画は、2027年のパラレルワールドにタイムトラベルした人の物語である。

 

上記動画にコメントを書いた。

私のハンドル名は、Moh Korigori。Mohと言っても毛沢東の親戚ではありません。

 

2021年7月17日土曜日

世界史は混乱の中に入るのか? 捏造の歴史と今後の世界の政治文化

岡田英弘著「歴史とは何か」には、「歴史は物語である」と書かれている。物語(歴史)の著者は、その歴史の舞台である国或いは地方を統治した者である。アジア最古の歴史書である司馬遷の史記は、前漢の武帝の指示により書かれた物語である。同様に、日本書紀は天武天皇の指示により書かれた大和朝廷の物語である。それら歴史書では、前者では漢、後者ではヤマト朝廷の正統性が主張されている。

 

そして外交は、これまでの両国家の物語としての歴史(或いは改竄した歴史)を前提にして行われる。"真実の歴史"を明らかにし、それを主張するのは学者の仕事であるが、それをそのままリアルタイムで政治の舞台で主張することは、プロパガンダと見做され、陰謀論という言葉で逆襲される場合が多いだろう。

 

同じ地域でも王朝が交代すれば、新たな歴史が出来上がる。そこで過去の歴史を持ち出すことは、現王朝により犯罪として裁かれるだろう。王朝は、彼らが正統とする歴史の延長上で政治を行う。地下にゴミが埋まっていても、それを掘り返すことに専念していたのでは、森友学園の建物は永遠に建設できないのと似ている。(補足1)

 

この現状に至った経緯を、素人ながら考えてみたので以下に記す。西欧で出来た19世紀の政治文化は、過去の遺物であることを知るため、そして同時に、現在とその延長上に出現するだろう政治文化について考えるためである。

 

1)西欧の主権国家体制下に出来上がった戦争文化の発生について

 

主権国家間の戦争は、自国を善とし敵対国を悪とする、善と悪の戦いである。この戦争のモデルは、国民が戦争参加する上で必須である。有史以来かなり長い期間、戦争での決着は相手側の人間を完全に殺すか奴隷にすることで着けられただろう。その場合、勝った方が善となり、負けた方は悪ということになり、勝者の歴史は自然と正史として定着する。これが「力は正義なり(Might is right)」であり、「勝てば官軍」の意味である。

 

この戦争のあり方(戦争文化)が、徐々に変化したのは、経済構造の変化による。(補足2)農業や工業の発達により、国家も巨大化し権力の移動のサイクル、つまり歴史サイクルが長くなった。また、文明の発展は、限られた能力の人間に様々な仕事を要求し、それが必然的に仕事の専門化と分業の原因となる。異なるタイプの人々が協力して社会全体を支えることになる。

 

戦争はそれを専門とする兵士が行う。政治は政治家が行う。畜産は、畜産専門の農家が行う。家畜の屠殺と解体は専門とする肉屋が担当する。その結果、社会を構成する大部分の人々は、血なまぐさい現場から離れることになる。戦争間の期間も長期となる一方、個々の戦争は大規模になり、悲惨な光景を見ることになった。それに嫌悪感を感じるのは、本来社会をつくり協力して生きる存在の人間なら当然である。

 

近代史の主舞台である西欧では、皇帝たちは婚姻関係を結ぶことで自国の安定を考えた。

そして同じキリスト教という文化の基盤を持つこともあって、人道を重視するようになる。そのような結果として出来たのが、19世紀の西欧における戦争文化だと思う。(補足3)

 

主権を互いに認める国家群のなかで、戦争の決着に影響をしないような悲惨な事態は避けるという事前の約束が、1899年のハーグ陸戦条約である。捕虜虐待の禁止や一般市民の殺傷禁止などのルールが戦争に持ち込まれた。そして、19世紀から20世紀の初めまでの西欧では、「戦争は外交の一形態」(クラウゼヴィッツの戦争論)という”戦争文化”が出来上がった。

 

戦争は勝敗が着いたと当事国が判断した所で講和を行い、敗者が勝者に紛争の原因となった利権を渡すことと、一定の賠償金を支払うことで決着をすることになる。多くの場合、仲介国があって、このような講和が実現しただろう。この情況は、個人を構成員とする社会と似た、主権国家間の社会“国際社会”の発生である。国際的権力はないものの、条約という権威だけの社会が出来上がっていたということになる。

 

2)西欧の戦争文化の退化と破壊:

 

その戦争文化の部分的な破壊は、“国際政治経済”に西欧以外が多く参加したことが誘引となったのだろう。あらたな参加者は、ヨーロッパから遠いアジアと呼ばれる地域(トルコより東)や米大陸の人たちである。民族としては、流浪の民として世界に散らばったユダヤ人や極東に生きるモンゴリアン(蒙古人、中国人、日本人)たちだろう。

 

経済が金本位制(或いは銀本位制)での成長を終え、紙幣と云う“金(gold)の預り証”が取引を仲介する金融資本主義の時代になると、金融取引に長けた人たちが大きな力を持つようになった。17世紀に出来上がったと言われる主権国家体制だが、次第にその主権の一部を返上して国際条約を締結する時代に入る。以上の世界経済の変質(貿易や国際金融の進展)は、世界史の舞台を西欧からアジアや米大陸を含む世界全体に拡大した。

 

西欧という狭い範囲でのキリスト教文化は、遠く離れた野蛮人の地に向かうことで、神通力を失う。異教徒は元々敵だが、野蛮人はそれ以下であり、強姦、強殺、アヘン漬けの対象になったのだろう。“化外の地”では、人間は手錠を外された獣に先祖返りするのは、洋の東西を問わない。

 

その結果、これまで欧州限定で成立していた戦争文化は変質し、①国際関係の原点は野生の原理であること、②歴史はそれまで生き残った戦勝国の成功の物語であること、③講和は自国の戦争モデルの放棄であること、が世界の戦争文化となり、人類の政治文化は原始時代に向かって大きく退歩したと思う。そこでは真実は主役から完全に沈み、「力は正義なり」の野生のルールがそのままの意味で主役として復活した。

 

 

3)講和条約の意味を日本人はもっと深く考えるべき

 

それでも敗戦国の国民が全員殺されたり、奴隷になったりする時代までは未だ戻っていない。現状、戦争が決着すれば、敵も味方も、講和条約により新しい出発点に就く。講和条約の本質は、戦勝国のモデルが嘘を含んでいるとしても、それを正史として採用し、戦敗国は自国の作ったモデルを放棄することである。

 

講和条約後の敗戦国は、未来志向で新たな出発をしなければならない。勿論、歴史の検証を自国で行うことは可能である。しかし、それは歴史家の仕事であり政治家の仕事ではない。講和条約で一端受け入れた勝者の歴史はキャンセルできない。それを政治家が主張すれば、過去の戦争をもう一度やり直さなければ成らなくなるからである。

 

日本と同じ敗戦国のドイツが、安定な戦後外交を構築できたのは、ナチスを殲滅したからである。それはドイツにとって決死の決断であり、そして何よりも旧体制に関係した人たちとその周辺にとっては、新しいドイツで生きることは苦痛を伴う服従とでも云うべき毎日だった筈である。

 

数年前に、ナチスの収容所で門番をしていた93歳の老人が有罪の判決を受けて服役した。この件を5年前に「ドイツの狡賢さと日本の愚かさ」と題して記事を書いたが、それはドイツが20世紀後半に復活した「力は正義なり」の原則に改めて屈服したということだろう。

 

日本は、その屈従を味合う機会を奪われた。この戦後処理は、苦痛を伴うので歓迎できる訳がないが、再出発には必須のプロセスである。それはドイツのメルケルが来日したときに安倍総理に進めたことであった。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466514445.html

 

上記引用の記事を書いたとき、それを報じた韓国のメディアの厚顔さに呆れたのだが、もし他国が言ったのなら、筆者はその時点でもそれに耳を傾けたかもしれない。この日本が独自に戦後処理をする機会を奪ったのは、米国占領軍と吉田茂以下の日本の支配層であった。米国はそれにより、日本を再起不能にする事ができるが、吉田茂はそれに協力した売国奴ということになる。

 

その結果、日本は、あの戦争体験をまるで天災のように感じることで過去に葬りさった。それが広島の原爆慰霊碑の「あやまちは繰り返しませんから」という訳のわからない言葉の意味である。日本人にとって、靖国に参拝しないことが罪深きことではない。あの戦争の処理をやり過ごしたことが罪であり、そして何食わぬ顔で靖国に参拝することの罪深さに、全ての日本人は気づくべきである。

 

戦争の再評価をしないで、当時の戦争を指揮した人物の子孫たちが、未だに日本の政治を支配している。そして、台湾有事のときには集団的自衛権で日本も参戦せざるを得ないだろうと言い出す始末である。(補足4)そして、それへの不満であらわれたのが、直前に紹介したブログ記事「中国の対日本先制核攻撃論」である。https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2021-07-05/QVSOPEDWRGG201

 

最近youtubeで国際問題を語る及川幸久氏やHaranoTimesさんらの動画を観る時、合間に、日本の右派の方々による近代史の解釈変更を主張する出版物の宣伝が非常に頻繁に入る。それらは、林千勝氏、藤井厳喜氏、西悦夫氏などによる「国際共産主義に毒されたFルーズベルトが、卑怯な手段を用いて日本を戦争に誘い込んだ。それが太平洋戦争の真実である」と記述する出版物の宣伝動画である。

 

勿論、この考え方は米国でフーバー大統領の著作「裏切られた自由」に書かれているモデルを含む。しかし、それは米国では正史として受け入れられている訳ではなく、依然としてFルーズベルトは米国の英雄である。日本の場合、降伏とその後の講和の段階では、当時の軍事政権に対する絶対悪という連合国側つまり米国側の評価を受け入れて講和した。差し当たり、その講和を重視すべきであり、それが日本が国際社会で生き残るために必須だろう。

 

差し当たりとは、この歴史の検証は米国の仕事であり、日本の仕事ではないということである。つまり、日本側がFルーズベルトの罪を主張出来るのは、米国側の歴史見直しがあったときである。真実が大事なのではない。日本人にとっては、日本の安全と平和が大事なのである。

 

エピローグ:「力は正義なり」から「金は正義なり」への世界の変化

 

真実が世界を制覇する時代が来るだろうか? これまでの歴史が、捏造の歴史であることを発見してしまった以上、古代からの歴史を再検討しなければ、まともに「真実は軍より強し、ペンは剣よりも強し」の時代は来ない。

 

実は現在、我々の世界は「力は正義なり」から「金は正義なり」へと既に変化しているのである。そして、それとバランスを取るように現れたのが、米国で生じた真実こそ大事だという運動である。所謂「キャンセルカルチャー」運動である。

 

キャンセルカルチャーを奉じる人たちは、栄光の米国建国の歴史も否定する。その運動は、誰かが米国を完全に乗っ取るためである。それを企んでいるのは「金は正義なり」を心底から信じている人たちである。彼らが、理想主義者という少し頭の足りない人たちを利用して、兵士として用いるために作り上げたのが、キャンセルカルチャーである。アルファベット三文字の運動も同じ人達による。彼らは、「金は正義なり」を奉じる人たちのサーヴァントでありソルジャーである。soldierの語源には、金のために働くの意味があるので、頭が足りないというのは筆者の誤解かもしれない。

 

この先、世界の戦争文化が、更に野蛮化する恐れは十分にある。上記soldierの雇い主が後押ししてきたのが、国際共産主義運動であり、その結果が、欧州にあった戦争文化の完全破壊であり、核兵器による人口削減計画の出現である。日本やインドがその犠牲にならないことを願いつつ、この文を閉じる。

 

(19:00 編集あり)

 

補足:

 

1)安倍総理の時代の一大スキャンダルである。その解決もろくに出来ないのが日本という国である。

 

 

 

2)生物のこれまでの進化は、突然変異で生じた様々な変化のなかで、生存に適したものが生き残るという自然選択説で説明できる。それがダーウインの進化論である。社会の構造変化の理論は、食物、衣類、住宅や乗物などの生産技術の進化とそれに伴う経済構造(下部構造)が、上部の政治構造(上部構造)の変化の原動力になるという思想である。これは史的唯物論の基本的考え方であり、カール・マルクスの著作『経済学批判』の序文に書かれた理論である。

 

3)これも筆者自身による仮説であり、何処かの書物からとったものではない。

 

4)この麻生副総理の言葉を知ったとき、厚かましいにも程があると思った。一般人が云うのなら兎も角、これを麻生氏や安倍氏が云うべきではない。彼らは、戦後の政界に居てはならない人物達である。何故なら、彼らは吉田茂や岸信介の孫であり、その七光で政界に入った人物だからである。

 

日本は、中国の先制核使用に備えよ

中国のネットにおいて、日本に対する先制核使用攻撃を主張する動画が現れ、直ぐに200万回も再生されたのち、共産党のオフィシャルサイトに再度現れた。この件を報じるDEEP MAXさんの動画を共有したいと思う。

 

 

中国による日本に対する先制核使用の可能性については、中国の少将であった朱成虎の発言として何度も引用している。その際の朱による発言は、世界の人口削減のために、人口密集地であるインドや日本を核攻撃するという話であった。

 

中国人のアイデンティティは、以下に引用する記事に書いたように、中華思想にある。

 

 

この中華思想と暴力的な中国共産党政権は、非常に相性がいいのである。それが、中国で最後まで共産党政権が続く理由であり、習近平皇帝が今後も中国を支配する理由である。

 

我々日本人はもっと真剣にこのことを学ばないと、そして伊藤貫さんや西部進さんの討論で現れたように、そして、片岡鉄哉著の「核武装なき「改憲」は国を滅ぼす」などを勉強して、急ぎ核武装すべきである。

 

ここで参考のために、2015年8月6日の原爆の日に書いた記事を再録する。

 

原爆記念日に考えたこと:日本の今後と核兵器

20150806()

 

 

今日は広島に原爆が落とされた日である。原爆により14万人の一般市民が殺された。この大量虐殺(man slaughter)は、ナチスのユダヤ人虐殺と同じ類いの犯罪である。原爆資料館にある「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という碑文は、この人類の歴史の一頁に関する無理解、更に、この事実を隠す意図すら感じさせるものである。

 

この件、人類の歴史上類を見ない犯罪であるにも拘らず、また、日本がその被害者であるにも拘らず、その様な評価を口にすることを禁じる“空気が日本を支配”しているようである。その結果、核兵器への不思議な拒否反応が存続するだけでなく、「核や原子力という言葉」自体に対して、まるで祟りを恐れる様に忌避する感覚が日本人を支配している。

 

この日本人の核兵器アレルギー現象は西欧人には非常に不思議だろう。何故なら、それは、例えば、強盗に親族がピストルで射殺されたという理由で、その遺族がピストルアレルギーになる様な現象だからである。論理的思考が働けば、今後そのような悲劇を避けるべく、自分達はピストルを持とうというのが普通である。

 

昨夜のNHKのテレビ番組、クローズアップ現代でも、生存者の被害情況等の聴き取りや、被害現場と資料の保存などに話が及ぶのみで、「何の為に、原爆被害について記憶を新たにしなければならないのか?」についての言及や議論は皆無であった。原爆投下の事実とその経緯や原因・誘因などについての論理的解析は、まるで宗教的タブーの領域にある様な感じである。

 

核兵器は上空から投下され、巨大なエネルギーで町を破壊したこともあり、日本人の多くにとって、それを落した犯人とそれを落させた犯人が意識の外に遠ざかり、原子爆弾を悪魔の意思が臨在した存在、例えば地震や大嵐と似た感覚で把握されているのだろうと思う(注釈1)。

 

現実的でかなりの能力をもった政治家の反応は違っていた。1957年に岸信介総理が、そして1964年には佐藤栄作総理が(注釈2)、核武装の必要性について言及している。しかし、その後の1967年の小笠原の返還交渉に当たっての国会での論議の際に、野党の反対を避け円滑に話を進める為に佐藤総理が非核三原則を米国に主張する旨答弁した。それ以後は、表の舞台で核武装の必要性について言及した政治家は非常に少ない(注釈3)。

 

核兵器は21世紀の国際政治の方向を決定する(注釈4)最重要な武器である。それは、世界が再び経済的に行き詰まる時に、威力を発揮するだろう。2008年米国情報機関により発表された”グローバルトレンド2025”は、「世界人口は現在(2008)の68億人から2025年には80億人になるだろう。この人口増加の為に、食料・エネルギー資源・水資源などの獲得競争がおこり、各国のナショナリズムが強くなり、大国間の衝突や紛争に発展するかもしれない」と予測する。

 

“自滅するアメリカ帝国(2012,文春新書)”の中で著者の伊藤貫氏は、その頃、ナショナリズムの悪夢を人類は再び体験するかもしれないと書いている。最大の経済と軍事力を持つ国を隣国に持つ日本は、どう生き残るだろうか?そして、この問題の鍵となるのが中国が大量に持つ核兵器である。

 

ナショナリズムの高揚が敵性民族の非人間化をもたらしたのが、ナチスの犯罪であり原爆投下であった。そのような事態が、世界政治の多極化、人口増加、資源不足、経済低迷、ナショナリズム高揚、西欧的規範の消失(注釈5;国際法など)により、再び我々人類を襲う可能性が高いのである。問題にたいして何の対策もとれないとしたら、広島と長崎で原爆の灼熱地獄の中で死んでいった20万人以上の同胞の犠牲を全く無駄にすることになるのだ。

 

私は昨日一冊の本を発注した。それは日高義樹著の「日本人の知らないアジア核戦争の危機」である。その日高氏は最近もう一冊重要な本を書いている。その「アメリカが日本に昭和憲法を与えた真相」のおびには、“平和憲法は日本への報復だった”と書かれている。

 

伊藤貫氏の著書の中に、最も重要な核兵器の歴史における働き(或いは効果)が記されている。それは、「第一撃で破壊されない核兵器を数発持つ国は、全ての核保持国からの攻撃を避けることが出来る」という点である。つまり、50年後或いは100年後に生き残る可能性の高い国は、日本ではなく北朝鮮であるということである。

 

注釈

1)この言語感覚は、日本に独特であり、アニミズム的宗教が支配していることが原因であると思う。自分を取り囲む物の内巨大なもの、例えば山や海、更に大木や大河などに魂や神の臨在を感じるのである。そして、一般に日本人は言葉にも臨在意識を持つ。不幸なことを口にすると、それが実現してしまうことを恐れる。そして、『縁起でもない事を言うんじゃない!』と言って叱られた記憶が誰にでもあるだろう。その支配力は論理よりも強いのだ。

 

2)1963年に核兵器の独占を目指した米英ソの3国は部分的核実験防止条約を提案し、池田内閣はいち早くそれに調印したが、中国やフランスは調印しなかった。そして、1964年に中国が核実験に成功し、日本は中国からの核兵器の脅威にも晒されることになった。佐藤栄作総理の発言はこの時のものである。

 

3)その数少ない一人、核武装の必要性を公にしていた自民党の俊才中川昭一氏は不思議な酩酊会見の後、死亡した。孫崎亨氏(“アメリカに潰された政治家たち(小学館2012)”の著者)に何か特別な理由はあるのか、聞きたい気持ちである。

 

4)国際政治の方向を決定する、核兵器の最も重要な性質は、第一撃で破壊されない核兵器を数発持つ国は、全ての核保持国からの攻撃を受けないだろうという点にある。つまり、ナショナリズムの嵐の中で生き残れるのは核保持国だけかもしれない。

 

5)国際法は西欧の政治文化の中で出来上がった。多極化で中国など西欧以外の国がヘゲモニーを執る様になると、そのような文化と無関係な行動をとる。戦争は、クラウゼビッツの説く形ではなくなり、モリオリ族の悲劇が再び戦争の形になるかもしれない。

2021年7月13日火曜日

新型コロナδ株に対するファイザー社等のワクチンの効果(2):

追加情報:(7/13/8:00)

英国での新型コロナ規制を19日ほぼ全面解除する計画を予定通り実施することを、ジョンソン首相は12日確認した。

 

上の記事には、「英国ではインド由来のデルタ株が広がっており、英国政府は、このペースが続けば1日当たりの感染者が夏の間に10万人を超える可能性があると認めている。そして、英国政府は、ワクチンによる「免疫の壁」構築に期待を寄せる」とある。

 

しかし、下の解析では、ワクチンを接種してもしなくても、δ株の被害は非常にすくない。つまり、英国政府が「免疫の壁に期待する」と言ったとしているのは、この記事を書いた人物或いは機関の嘘か、英国が米国及び米国の製薬資本に気を使っているだけだろう。英国政府の本音は、「デルタ株は恐ろしく無い」であると思う。

ーーーーーー 以上追加情報終わり ーーーーーーーー

 

元の記事:

今朝の記事では、具体的な数字に関してあまり書けなかった。そこで、英国から出された報告書16~17ページのテーブルを抜粋して掲載し、δ株に対するワクチン効果について、少し追加したい。

https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/1001009/Variants_of_Concern_VOC_Technical_Briefing_18.pdf

上のテーブルは、今年2月1日から6月21日までの英国における新型コロナδ株の感染数、救急受診数、死亡数である。それらは、大きな行見出しとなっている。夫々が更に、全体、50歳以下、50歳以上の3行に分かれて、人数が示されている。

 

4行目の大見出し、Cases with an emergency care visitsexclusion)は救急受診数だが、()内のexclusionは、救急受診と同時に検査でコロナ陽性と分かったケースは除いていることを示す。他の重い病気で受診し、たまたま陽性が判明した場合を取り除くためである。それを含めた数などは、元のテーブルを見ていただきたい。

 

一行目の列見出しだが、3 列目は全感染数、4列目は最近4週間の感染数(cases with specimen date in past 28 days)である。最近のケースは死者数には結びついていない場合をかなり含むので、伝染のステージを示すためだろう。α株など、既にピークを過ぎた株の死亡率などと比較する場合は、伝染のステージを揃えて比較する必要がある。第5列以降は、ワクチン接種に関する分類毎のデータを示す。

 

2)データの説明

 

ここでは、上のテーブル全部を(10行9列)の行列として、データの位置を示す。

例えば、2回ワクチンを打った50歳以下の人の、感染者数5600人(3行、8列)、一度は救急受診した人数exclusion)173人(6行、8列)、死者数2人(9行8列)である。上記緑色の数値を一列に並べて(5600, 173, 2)と表すと、50歳以下のワクチンを打っていない人の場合は、(70664, 2543, 21)となる。同様に、50歳以上の2回ワクチン摂種した人では、(5234, 264, 116)、ワクチンを打たなかった50歳以上では、(1267, 144, 71)となる。

 

このデータでは、ワクチン接種の人数が分からないが、ワクチンの効果の大凡は分る。それは全人口の60%621日ころまでに少なくとも一度ワクチン接種を終えているということと、全死者数の内、ワクチン接種者の占める割合を元に考えれば良い。

 

デルタ株感染で死亡した人(今年2月〜621日)257人中、少なくとも一回のワクチン接種者は163人(8行6〜8列の数値の和)で、割合は63.4%である。これはワクチン接種率より大きいので、ワクチン接種に死者数を減らす効果は無いことになる。

 

50歳以上の年代では、全死者数231名のうちワクチン接種者は68%である。感染者の内、ワクチン接種者の割合は、79.7%なので、この場合もワクチン接種して直ぐに効果が出ると仮定した場合でも僅かな効果しかないことになる。

 

同様に、救急受診の割合を見ても、ワクチン接種の効果はほとんどない。以上から、年齢を問わず、δ株感染後の重症化率に対するワクチンの効果はほとんどないというのが、結論である。

 

ワクチンがδ株への感染を減少させる可能性はある。しかし、最近の英国の毎日の感染数は35000人ほどであり、それは今年1月の一日感染者数の最大値の半分以上であるから、δ株の感染力が数倍になったのなら、一定の効果があったことにはなる。しかし、現在の日本政府が期待するように、実際の感染数をゼロ近くにする程の効果は無いだろう。もし、日本の流行が今後δ株が主となるのなら、ワクチン接種よりも治療法、例えば富山大の発明したモノクローナル抗体の実用化やイベルメクチンの利用などを考えるべきだろう。

 

α株、β株、δ株などの死亡率等の比較は、元報告の図3に年齢層に分けないでしめされている。その数値は、夫々1.9%, 1.4%, 0.2%である。闘病中の人が多いことも原因の一つであるが、デルタ株は三種の株の内、致死率が相当低い。δ株は、感染力は強いが、重症化率は相当低いのだろう。

ーーー 終わり ーーー

2021年7月12日月曜日

新型コロナδ株に対するファイザー社等のワクチンの効果(速報)

昨日のカナダ人ニュース(youtube)は、δ株に感染した場合の致死率、それに対するワクチンの効果等について速報&議論していた。(補足1)資料は、最近の英国の発表した以下のデータである。 https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/1001009/Variants_of_Concern_VOC_Technical_Briefing_18.pdf

 

結論としては、δ株での致死率は、①50歳前では0.02%程度であり、ワクチンを接種しても低くならなかった。②50歳以上の年代では、ワクチンを打たない場合の致死率は5.6%、ワクチンを2回打った場合が2.2%であった。つまり、50歳以上でも致死率という点では、完全には程遠い接種効果だった。

 

救急受診(emergency care visit)率の場合、50歳以下では、ワクチンの効果がほとんどない。50歳以上の人で既にコロナ感染が確認されている人で、救急受診の割合は、ワクチン非摂取の人で11.36%、摂取した人では1回摂取でも2回摂取でも5%であった。救急受診と同時に新型コロナ感染が確認されたケースを入れると、これらの数字が、それぞれ23.8%8.3%1回摂取では7.2%)となる。(補足2)

 

非摂取の人には、ワクチン摂取出来ない理由として、重い副作用が予想される体質なども考えられる。その様な事情(病的因子)も考えると、感染した場合に救急受診率や死亡率が高いのは当然だろう。したがって、ワクチン非摂取の人のδ株コロナによる救急受診率(前節の23.8%と8.3%)そして死亡率(5.6%)は、最大限の見積もりであり、実際にはそれより小さい筈である。

 

2)上記データを日本人にそのまま当てはめるのは危険である:

 

最近の論文に気になる話として、新型コロナの変異株、δ株(インド)及びε株(米カリフォルニア)が、日本で大流行するのではないかというニュースが流れている。東大らの研究コンソーシアムG2Pの研究によると、これらの変異株は日本人の60%が持つHLA-A24細胞免疫から逃避する能力を得ているというのである。https://www.cell.com/cell-host-microbe/pdf/S1931-3128(21)00284-5.pdf (https://www.nature.com/articles/s41586-021-03398-2

 

つまり、日本人の持つ白血球の型が、アルファ株などのこれまでのコロナウイルスに対する免疫に対してかなりの効果を発揮していたのだが、その恩恵をデルタ株では受けられないというのである。そのようなファクターを考慮すると、上記英国で公表されたデルタ株のアルファ株よりもむしろ小さい致死率や、感激的ではないワクチン接種効果の結論は、そのまま日本には当てはまらない可能性が高い。つまり、現時点では、ワクチンは受けておいた方が無難だろう。

 

 

補足:

1)カナダ人ニュースの速報には、誤解を招くものがかなりあるように思う。そこでコメントを書いた。このyoutube動画を見られた方は、是非以下の私の書き込んだコメントをお読みください:

 

 

興味あるデータ紹介ありがとうございます。しかし、解釈は今ひとつです。重症の基準を入院治療とおっしゃったのですが、救急治療の間違いでしょう。それに高齢者はワクチン接種率がたかく、死亡率は2回打った人で2.2%、ワクチンなしで5.6%です。ワクチン2回打っても、死亡率が2.2%なので、やはりδ株は恐ろしいです。

 

2)緊急受診と同時にデルタ株感染が確認されたケースには、新型コロナではなく心臓発作や脳内出血などの病気での搬送も考えられ、それをコロナによる入院又は死亡という統計に入れる場合が多いが、それはコロナの被害を過大評価することになる。そこで、この英国のデータセットでは、そのケースを除外した数字と算入した数字の両方を掲載している。

 

(8:30〜9:00;救急搬送=>救急受診に変更などの編集あり)

ーーーーー 以上 ーーーーー

2021年7月10日土曜日

自治会運動は脱皮させ、ネットを利用した町内政治組織にすべき

日本独特の組織として、町内自治会組織がある。会員のほとんどは、現状、ゴミ集積場の掃除等の回り持ち以外は、必要性を感じる事が少なく、その他の様々な行事への参加には積極的ではなく、同組織の役員になることを考えれば忌避感覚の方が大きいだろう。今日の自治会活動は、恐らく過去の地縁共同体の活動を模倣する形で都会の団地などに持ち込まれたのだろう。
 

20世紀後半、資本主義経済の発展により生活様式が急変し、更に今日も様々な要因で変化し続ける社会の中で、昭和初期までの地縁共同体を模倣する現状は、何かに積極的に踏み出すことを嫌う、現状維持にバイアスが掛かる日本文化が背景にあるのだろう。
 

今回のブログ記事では、地縁共同体組織の過去の姿を原点にして、現代の大都会近郊での自治会活動のあり方、日本の政治文化への影響とその可能性などについて、素人ではあるが、これまでの体験を基に、考察・提言してみる。実態と違う地域(特に都会とその近郊)がある場合は、指摘していただけると有り難い。


 

1)昭和初期までの地域共同体のあり方:

 

日本の町村部での地域共同体の活動は、日常生活と密接に関係する面と伝統継承の面があっただろうが、明確な区別はできなかったと思う。例えば祭りは、現代的視点からは伝統継承となるが、当時の感覚では日常生活の必須の部分とも言える。

 

地域共同体活動には、当然参加すべきもの(半ば強制的作業)と任意で参加するものがあった。当然に参加すべきものには、火事や葬式のときの協力、道路改修や水路補修などの共同作業(普請)や祭祀などがある。

 

任意参加の活動に、結(ゆい)や講(こう)などがある。結は、労働力の相互貸借で、例えば田植えのように一家で短期間に行うのが難しい作業をする上で必須だった。地域共同体内に於いては、個人の能力差を無視し平等に貸借をするという暗黙の了解があった。(補足1)
 

地域共同体には、共有地(入会地)もあった。薪炭・用材・肥料用の落葉を採取した山林や、屋根を葺くカヤや肥料用の草類などを採取する草刈場などである。(ウィキペディア「入会地」参照)
 

この頃でも、共同体の団結は万全ではなく、犯罪や裏切りなどで共同体から差別待遇を受ける者が出ることもあった。それが村八分(80%)である。村八分(ウィキペディア等参照)は、特定の個人或いは一家を、上記付き合いの中の大部分(八分、つまり80%)から除外する決定であった。(補足2)

 

現代ではイジメの代名詞としても用いられている村八分だが、それは「不埒な奴(一族)だが二分(20%)の付き合いは残してやる」という処分である。その二分に、火事の際の共同消火作業、葬式での共同埋葬作業などがある。


 

2)貨幣経済の発達後の人間社会:

 

貨幣の一般化により、人間が生きる上でのあらゆる場面での物品やサービスは、その供給側の人を特定せずに手に入れることができる様になった。更に、資本主義経済では、その供給側が株式会社などの組織になることで、その物品等の製造の大規模化・効率化と品質・価格の競争が起こり、経済活動の地理的範囲が拡大することになる。(補足3)
 

経済の発達は、共同体での「結」や相互に行われていた住民間の協力を、サービス業として経済システムの中に包含し、これらの住民間の協力が不要となった。金銭の介在する契約行為となることで、個人と個人の助け合いに於ける心理的束縛感から開放されることになる。
 

昭和初期、資本主義経済の発展により、高学歴化と既住地域の外へ向けての住民大移動が起こった。先進国特に米国向けの輸出産業の急激な発展は、日本の貨幣価値の上昇をもたらし、食料などの第一次産品の価格低下と輸入増の原因となった。それは、農林水産業を前提に出来た日本の地方の集落に大きな変化を生じ、都市部への人の流出と過疎化及び地域共同体の破壊を引き起こした。

 

戦後のベビーブームとも重なって、大型団地が日本全国の都市近郊各地につくられた。大規模化する株式会社のほとんどが大都市周辺に社屋や工場を持ち、多くの人材をその周辺に住まわせることになった。年功序列で終身雇用の給与所得者(補足4)は、住宅手当の充実などもあって、住宅ローンでそれら住宅の分譲を受けることになる。
 

この傾向は、運命共同体的であった大家族(補足5)の解体にも波及し、生じた核家族も非常に脆くなる。家族は自然に存在する最後の共同体であるが、それも破壊される方向にある。保険制度の拡充と介護や保育への資本主義システムの進出で、老後と育児のパターンが変化しつつあるので、近い将来、家族の絆はほぼ無くなるだろう。

 

実際、母子の絆さえ軽く放棄できる母親もいることが、最近のニュースでも報じられている。(補足6)もし、そのような母親が、資本主義社会で何かと有利なら、その種の女性が種の選択で生き残り、ホモサピエンスの特性として残るのが男女の性の本能のみとなる可能性がある。それは、社会の崩壊と人類の絶滅を意味する。


 

3)自治会活動の壁

 

貨幣経済は、貨幣の交換という形で取引が円滑に進むことを利用して、金融資本主義経済へと発達した。円滑な取引で帳簿に残るのは、貨幣の移動残高であり心理的負担の残余はない。人と人の関係は、取引の前後でほとんど何も残らない。
 

人はお金を使うとき、通常は私的な空間に居る。そしてお金を受け取るとき、仕事の現場(社会の公空間に居るとき)であることが多い。資本主義経済はその区別を可能にした。私的な空間では、だれもが心理的に伸び伸びと出来る。4,6時中共同体を構成するような鬱陶しいことには、私的空間においては忌避するのが当然である。

 

人間は大きな社会を作って生きるので、多様な人格と能力の分布が存在する。社会の公的な空間(社会の部品として生きる時間)から私的な空間に戻ったとき、相性の合う人との共同生活なら望むところだが、相性の合わない人との作業はごめん蒙りたいと思うだろう。資本主義経済の発達は、人材の多様化を益々必要とする一方、明確な私的空間と時間を人に与える。
 

動物としての人(ホモサピエンス)も、環境に応じて進化するので、個性の多様化が進み、集団全体に協調性を要求することは、無理になってくる。つまり、人は住居に帰って他人との関係から開放され、その開放感を喜ぶ。老齢になって、供給側に位置することがなくなっても、気を使う関係を持ちたくはないと思うのは、当然だろう。団地でペットを飼う人が多いのも、人よりも犬や猫を相手にしたいという気持ちの現れだろう。
 

自治会活動が大きな壁を持つことは以上の考察から明らかだろう。この壁を打ち破るのは、自治会の役員ではない。自治会の主人公である構成員一人一人である。若い頃、心理的負担を負いつつも、会社など勤務先での人間関係を維持したのは、生活のためである。もし、自治会活動が自分達の生活に必須なら、人は再びその心理的バリアを超える気持ちになるだろう。しかし、必須でないのなら、それを超えて参加する必要はないと思うだろう。


 

4)現代の自治会組織のあり方:地方自治体の下請け組織

 

現在の自治会活動は、回覧と掲示板を維持すること、標語を作ったり掲示したり、旗にして立てるなど、経費とエネルギーを浪費している。それは恐らく、絶対に必要だと考えられる活動方針が見いだせないままに、地域コミュニティを復活させようとする姿だろう。ここでコミュニティと書いたのは、日本人のほとんどが共同体という意識で参加していないからである。

 

 

最初の議論に書いたように、村八分の際にも残す葬式や火消しの業務まで、行政が担当している現在、自治会活動に於いて過去の地域共同体の活動をモデルにすることに意味はないのである。全く新しい自治体のあり方を創出するのでなければ、このような非効率且つ住民のエネルギーを浪費する形の活動は廃止すべきである。

 

その他に、地方政府(地方自治体)の下請けとして、苦情や陳情の中継をやったり、福祉組織の下請けをやったりしている。自治会組織を利用して、上から情報を間欠的に流すだけなのは、非常に効率が低いと思う。

 

ただ、不思議なのは住民加入率の非常に高いことである。私の参加する自治組織でも加入率はほぼ100%である。近隣の自治組織でも同様であることを、先日の集会で知った。それは村八分の恐ろしさを知っているからかもしれない。
 

5)自治組織:インターネット閲覧環境の全戸への普及と、国際政治を語る場にすべき

 

国政が、政治屋を家業とする人たちにより支配されている今日、社会の変遷とそれによる危機的状況においても、対応が全く出来ていない。そればかりか、自分たちの既得権益維持のために国民の多くを思考や議論のない集団とすること(愚民化)が、未だに彼らの政策である。(補足7)
 

この愚民化政策を、現在の自治会活動は地方自治体と一緒になり追認しているように見える。問題点を根本から考察し解消すること無くして、自治会活動という名目で、不平不満運動の萌芽を摘み取っているのである。組織を作った場合、十分な実績が挙げられないなら、その組織は廃止すべきである。それは次の発想力のある組織の誕生を妨げるからである。
 

前のセクションで、もし自治会活動が自分達の生活に必須なら、人は再びその心理的バリアを超える気持ちになるだろうと書いた。現在の日本の危機を本当に知ったのなら、自治会は政治を考える中心になるだろう。会員の多数が、日本という国家が自分達の生活に必須の共同体であることを知り、蜉蝣のような実体のない国家からの脱却が可能になるかもしれない。そのために相互扶助的にインターネット閲覧環境の全戸への普及を実現し、自治会の場を政治を語る場として用いるべきである。

 

日本の危機とは、隣国の植民地となることである。自国を守る権利を放棄したような憲法を持ち、隣国に多数の核ミサイルの照準をあわされていても尚、日本国とその国民は眠り続けているのが現状である。人権無視の19世紀型の大帝国を西に隣国として持ち、日本人は平気で居ることが不思議である。現在同盟関係にある米国は、西太平洋から抜け出る筈である。

 

目覚まし代わりに、例えば、2005年の中国人民解放軍少将の朱成虎の発言を見れば良い。そこには中国共産党の本質が語られている。「世界の人口は無制限に迅速に増加している。今世紀中に爆発的増加の極限に到達するはずだ。しかし地球上の資源は有限なのだから、核戦争こそ人口問題を解決するもっとも有効で速い方法である」と語っている。そこで、攻撃の的になるのは、人口が密集する日本やインドであるとも語っているのである。

 

 

 

朱はその後中国での地位を下げるどころか、むしろ挙げているのである。ウイグルやチベットの惨状を知らず、ユニクロの服を着、今治タオルを利用する人たち、太陽光発電を設置して電気代を稼いでいる人たちは、自分たちの命を削って、その一部をもらっていることに気づくべきである。

(20時0分表題一部変更;11日早朝、全体的に編集最終文書とする)
 

補足:

 

1)この地域共同体の実態は、筆者が幼い頃見聞きしたことである。20数戸の集落には神社と寺院が一箇所づつあり、その維持管理は共同で行っていた。講や結の実態も見てきた。「講」としては伊勢講と愛宕講があった。伊勢講では、毎年だと記憶するが、伊勢神社に集落の代表を送るために、経費を毎月集め積み立てていた。勿論、愚痴などが漏れ出ることはあるだろうが、それを飲み込むことは共同体内での義務である。
 

2)村八分は現代の視点では人権侵害的であり、学校などでのイジメと似ている。ただ、地域共同体が閉じた私的社会と見做しうるなら、そこには独自ルールがあって然るべきである。日本国憲法にある、公共の福祉を人権に優先する規定と同じ主旨とも考えられる。つまり、地域共同体を破壊に導く行為は、厳しく罰せられるのである。
 

3)組織を形成する側と資金の供給側も、別々の人物或いは組織で構成され、その間に株券が介在することになる。株券での出資の条件は配当金の受け取りであり、債権での出資の条件は利息の支払いと担保の設定である。これらプロセスで金融業が発展することになる。
 

4)大規模化する株式会社のほとんどが大都市周辺に社屋や工場を持ち、多くの人材をその周辺に住まわせることになった。年功序列で終身雇用の給与所得者は、会社による封建的支配体制とも考えられ、江戸時代の武士の雇用形態に似て日本文化に円滑に融合した。大企業の下に都市部が広がる地域が、企業城下町と呼ばれることになる。
 

5)大家族の繋がりは、大陸特に遊牧で生きる人々の中で重要である。日本では、貴族や王族が権力維持のために大家族の繋がりを大事にする以外は、それほど遠くまで強いつながりの大家族は無い。ここでの大家族は、祖父母、父母、子、孫程度の、大家族でも小さいタイプである。
 

6)卓球選手だった福原愛さんは、台湾に男女2子を置いて、離婚し日本に帰った。事情もあるだろうが、その事情が人間界にある憎愛のレベルなら、母子愛の低下と観るのが普通だろう。
 

7)愚民化政策の代表は、戦後の歴代自民党政権が行った歴史の隠蔽である。未だに日本では嘗ての戦争までの近代史の総括がなされていない。戦後最初の歴史隠蔽の企みが、第一級の戦犯の議論を封じるために行った、多くのBC戦犯の赦免と靖国合祀である。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12655760953.html


 

2021年7月4日日曜日

中国に乗っ取られたのか? 日本の右翼

上島嘉郎氏のオフィシャルチャンネル(youtube) での「大英帝国を乗っ取り世界を支配した一族の物語、Rothchild」と題する動画を見た。この動画は、ユダヤ資本の近代史と現代における位置付について偏見に満ちた記述をしている。この動画を流す人たちは、表題のように日米の間に楔を打ち込みたい人たちの為に働いているように見える。

 

 

これは、看板の写真で分かるように林千勝氏による近刊書「The Rothchild」の宣伝動画である。そして動画の最後の方に林千勝氏自身が登場する。この宣伝動画のように「The Rothchild」という本が書かれているのなら、この本こそ“本物の陰謀論”ではないだろうか。https://www.youtube.com/watch?v=EKzATYoKoZY
 

陰謀論の特徴は、誤魔化しと矛盾を多く抱えていることである。それは、理不尽な議論を用いて、ある組織や個人を攻撃するのだから、当然である。

 

実際、この動画ではいろんな矛盾がある。日露戦争の際に、ユダヤ資本(米国ヤコブ・シフ)が、日本に年利6%(補足1)で関税収入を担保にするという「屈辱的な条件」(A)で日本に資金を貸し付けたと語っている。屈辱的な条件というが、それはユダヤ資本家の責任ではない。それに「貸し付けた」というユダヤ資本家の能動態で書き記すことで、貪欲なユダヤ人という印象を与えようという意図が見える。

上図は、上記動画中の写真である。文章は語りの内容であり、筆者の意見ではない。この動画が削除されることを考えて、図を借り挿入した。

 

その一方で、日露戦争当時は国際金融が驚くほど発達していたとも語っている。つまり、市場の原理で金利などの条件が決まり、ロンドンでは日本側の条件では公債の引受先が見つけられなかったのである。ここで挿入される高橋是清に同行した深井英五の語りは、前後の話と何の論理的繋がりもない。単に、ヤコブシフに対して腹黒い人物という印象を視聴者に与えるために入れたのだろう。

 

米国に出向いた高橋是清が漸く公債売却に成功したのは、ヤコブ・シフが引き受けて呉れたからだった。シフは、欧州市場では考慮されなかった何らか別の因子を考慮したのか、日本に対する格別の好意があったのかの、どちらかで購入を決定したのだろう。最後に少しこの点に触れるが、恐らく米国が狙う満州利権が絡んでいたのだろう。(追補1)

 

兎に角、それらの内の一つがなければ、日本はロシアのシベリア南下に抵抗でき無かっただろうし、戦争をしていれば、日本は負けていた筈である。その悲劇的シナリオから逃れられたのは、シフが日本公債を引き受けてくれたお陰である。何故、素直にそのように語らなかったのか? それは、仮にその本が陰謀論の類でなければ、視聴者を騙して本を買わそうという意図があるからだろう。

 

その前半部分の最後に、①結局基本的には資本主義の論理です(B)と言っている。資本の論理なら、その論理で日本側も公債の引き受け手を募集し、ロスチャイルドもその論理で公債を引き受けることになる。何処に、②屈辱的条件」(A)なる言葉で形容される売買が発生するのか? 本動画は何かに付けて、この手のインチキが多く組み込まれている。


 

2)「ロスチャイルド」=陰謀論?

 

これまで歴史を述べる際に、ロスチャイルドの名を出すと、必ず陰謀論と言われる。(6:50それは、力を持ちすぎたロスチャイルドが、世間からの攻撃を避けるために、3つの戦略:①表にでないこと、②関節的に統治する、③マスコミを支配する、を実行したことと関連している。
 

つまり、ロスチャイルド」に言及する政治や歴史解説の全てに対し、マスコミを用いて陰謀論のレッテルを貼り排除した(C)のである。具体的には、ロスチャイルドは、CFR(外交問題評議会)を設立し、影に隠れて米国を関節的に支配し、マスコミを支配下に置いたのである。

 

ここで、怪しげな議論が挿入される。戦前の日本では、当然のことのようにロスチャイルド家のことが良く知られ、一般市民すら井戸端会議で話題にしていたと解説する。ところが戦後は、ロスチャイルドやロックフェラーへの言及は厳しく統制の対象となったと話す。

 

その結果、戦後日本ではロスチャイルドのことを話したり、書いたりする人は、陰謀論の誹りを免れなかったと結論している。これも、近現代史に対する日本人の無理解を一方的に占領軍の責任に帰する暴論である。

 

どの国でも、多くの国家群の中で生き残る位置を確保しなければならない。国民にその現実に対する理解と意志があれば、もし仮に占領軍が井戸端会議までも検閲していたとしても、退去した翌日にはユダヤ金融資本の企みが話題になっていた筈である。
 

12:10ころから、19世紀以降、ロンドン・ロスチャイルド家が戦争、恐慌、革命を自ら仕掛け、裏で操り、大混乱の度に莫大な利益を得てきた(D)ことが分かります」と語り、そして、本書ではお金に忠実なロスチャイルド家が引き起こして来た数々の事件をお金の流れで丹念に読み解いていくと語る。

 

上記下線部分(D)が、上の「 結局基本的には資本主義の論理です(B)という言葉と完全に矛盾する。(補足2)

 

以上のモデルを紹介しながら、これまでのロスチャイルド家についての書籍は、曖昧な根拠に基づく所謂陰謀論の類、もう一つはロスチャイルド家自身によるもので、ファミリー史や伝記(自伝を含む)の二つのタイプに分類できるFと話す。(1230) このようにこれまでの本を評価するのなら、(F)上記(C)と矛盾する。
 

そして、この林千勝氏の「The Rothchild」は一次資料と論理に基づいた本であると紹介している。林千勝氏の「The Rothchild」がほとんど初めての(F:陰謀論か伝記)に含まれない本であるといいたいのだろう。
 

3)この新本紹介の目的は?

 

冒頭に書いたように、この新本の解説動画は、矛盾する言葉を距離を離して随所におき、米国を支配するユダヤ資本に対する敵意を視聴者に植え付けることを目的としてつくられていると感じる。最近のディレクト出版のyoutube上での本の宣伝、例えば西悦夫氏による明治維新(ユダヤ資本が関係)の解説など、日本と英米の近代史に於ける英米批判本の宣伝が異常に多い。(補足3)
 

今は、日米が結束して、自由と民主主義を護るべきときである。その時に、何故、米国の政治に関して支配的なユダヤ資本家に悪い印象を与えるよう努力するのか?その背後に中国の影を感じるのは私だけだろうか? 
 

ネイサン・ロスチャイルドが、ナポレオン戦争のときに英国公債の空売りで大儲けして、英国の貨幣発行権を得たことは事実だろう。しかし、ロスチャイルド一派がナポレオンを動かしたのではない。更に、日露戦争の日本発行の公債でも儲けたかもしれないが、ロスチャイルドが日露戦争を引き起こした訳でもない。従って、上記語りD)は真実ではない。この林千勝氏の本の紹介する動画は、陰謀論を振りまいている。それは林氏の「The Rothchild」の内容なのだろうか?

 

最後にある林千勝氏自身の話、「日本は現在国難にあり、その克服に欠かせないのがこの世界の構造とその100年ー200年の近現代史に対する理解である」という考えに、私は全く賛成である。そして、この林氏の本に対する期待を前の記事の余録に書いた。

 

しかし、林氏の言葉とこの動画の語りの中にある「現在の言論は、ユダヤ資本が米国や世界の支配を試みてきたという議論を一切無視している」というのは言い過ぎである。多くの本が、世界歴史と現代政治のユダヤ資本家の関与に触れている。
 

日露戦争でのヤコブ・シッフの話や、冒頭にある米国の外交問題評議会(CFR)とロスチャイルドの関係などは、例えば鬼塚英昭氏の「20世紀のファウスト」の第一章の冒頭にも書かれている。

 

それらを貶せる位に、林千勝氏の本が実証的かというとそうは言えないだろう。何故なら、この誇大広告的な宣伝動画でも、日露戦争のときに日露両国から公債を買ったユダヤ資本家が、最初から儲けが高い確率で約束されていたことのように話すが、そんな見通しなど欠片も解説されていない。
 

日本或いはロシアが敗戦で公債償還不能になった場合、その部分をどのように回収するのか、全体的な帳尻に関する記述が(結果だけでも良いのだが)全く話されていない。実際には、その公債は市場に放出され転売される。ユダヤ資本家の行ったことは、証券会社がソフトバンクの劣後債を売りつけるのと同じ類のことである。

 

この動画では、ユダヤ資本をまるで気味悪い悪魔のように話しているが、当時の日本にとってヤコブシフは恩人であった。高橋是清の努力もあって、ロンドンでは十分なお金を調達出来なかったのだが、十分な低利で外債を引き受けてくれたのである。この外債に関する研究は、二宮宮國という方により論文発表されている。https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/mnimura19.pdf

 

最初のセクションで書いたように、米国ユダヤ資本のお陰で、日本はロシアの植民地に成らなくて済んだ。そして日露戦争で勝利となった1905年、日本は南満州鉄道を米国鉄道王のハリマンと共同経営するという協定を結んだ。

 

ところが、ポーツマス条約からの帰路日本で大歓迎されると思った小村寿太郎に対して、日本の世論はロシアから賠償金が取れなかったことで非難轟々だったのである。それで萎縮した政府は、桂ハリマン協定を反故にした。日本の味方になってくれた英米と、その背後に居たユダヤ資本家に対して、日本は恩を仇で返したのである。(追補1参照)

(7月4日午前5:45、補足2を追加、更に動画での語りの内容をイタリックにした;

同日後円7時半、追補1追加、最終稿。)
 

補足:

 

1)現代の若い人たちは、金利6%がびっくりするほどの高利だと思うだろう。しかし、私の住宅ローンは最初7%ほどの高利であった。更に、「今となってはユダヤ人に一体いくら支払ったのか分からない位です」と云う。この「解らない位です」というのは、分からないのは当事者なのではなく、語り手なのだろう。これもインチキ語法である。

 

2)資本主義の論理とは、どんなことをやっても金が儲かれば良いという思想ではない筈である。それは、国家の下の資本主義という経済システムの論理であり、国家を超える無法者の論理ではない。法治主義も人権重視主義も捨て去るのなら、それは犯罪者の論理となる。

 

3)最近、youtubeの政治や歴史の動画を見ると、この大阪のDirect 出版の宣伝が必ずと言って良いほど入る。そして、戦後の米国による占領政策による日本の左傾化や歴史認識の欠落が警告するように主張される。それは何処かの国の日米の連携を剥がす戦略のように、私には見える。

 

追補:

1)何故日本は日露戦争を戦うことになったのか? 背後にロスチャイルドが居るという説がある。明治維新そのものも、香港の英国とその背後のユダヤ人(英国ロスチャイルド)が計画したという説が有力なので、そのあたりを「The Rothchild」はどのように記しているか興味がある。このブログ記事の目的は、宣伝用の動画があまりにもインチキを含むことの指摘であり、読んでいない「The Rothchild」を貶したわけではない。念の為追補とします。