1)ヤフーブログが廃止されることになったので、その整理をしている。そこで、過去に書いた記事でこのサイトに書かれていない記事をみつけたので、補足とともに再録する。その記事とは、「慰安婦問題の元凶の吉田清治に「背乗り」の疑いがある?」である。
ここで“背乗り”とは、ある人間を殺して、工作員がその人間になりすますことである。ウィキペディアにもその解説がある。https://ja.wikipedia.org/wiki/背乗り
全くの孤独な人間が対象なら、その人を殺してなりすませば、背乗りは成功する。しかし、その人に家族があり、親族があれば、背乗りを完全犯罪とするには、次々と家族と親族を殺す必要がある。そのような大規模な背乗りが、全容解明には至っていない尼崎事件だという説がある。下の再録記事に引用があるので、ご覧いただきたい。
この「背乗り」は、元々ソ連の情報機関が古くから用いた方法だという。しかし、北朝鮮情報機関もよく使う方法であり、日本人拉致にも背乗りを目的としたものが多い。日本で工作活動を行うほか、韓国に入国するためのパスポートを得るためである。そのような目的の場合、周囲に気付かれないよう身寄りのない人が狙われやすいだろう。
2)再録:「慰安婦問題の元凶の吉田清治に「背乗り」の疑いがある?」(今回、少し編集しました。)
今朝、恐ろしい記事を見つけた。それは、従軍慰安婦問題を大きく宣伝した吉田清治は、“背乗り”で半島系の人物がすり替わった人物の可能性疑いが濃いという話である。背乗りとは警察や公安の専門用語で、「工作員が他国人の身分・戸籍を乗っ取る行為」を意味する。つまり、孤立して突然消えても話題にも成らない人物を殺して、その人間になりきって工作活動を行うのである。https://samurai20.jp/2014/09/comfortgirl-5/
吉田清治は、日本軍の兵士としてサービス中に、チェジュ島で慰安婦狩りをしたという証言をし、また、それを文章に書いて発表し、慰安婦問題を朝日新聞と協力して作り上げた人物である。この証言が、ニューヨーク・タイムズ紙などの海外メディアだけでなく、国連人権委員会のクマラスワミ報告に引用され、日本の侮辱に用いられた。
これらの記事や報告は未だ取り消されていない。この件についての総括は一昨日の姉妹サイトでおこなった。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2017/07/comfort-women-of-empire.html
この時の吉田清治が、日本人「吉田清治」のなり済ましであり、あのような内容の本を書き、証言をしたのは半島人スパイであると考えるのなら、非常に分かりやすい。その指摘は夕刊フジという新聞で行われたという。(2014/9/8) その内容は、それをブログ記事にした方のサイトをご覧いただきたい。https://samurai20.jp/2014/09/comfortgirl-5/
ここでもう一つ注目したいのは、詳細が解明されていないある大量殺人事件が上記背乗りの可能性があるという。つまり背乗りは最近でも行われているし、今でも起こる可能性があるというのである。
その事件とは、2012年大きく報道されたの尼崎事件である。8名が殺害され、3名が行方不明だとされている。これは一族の乗っ取りを企てた事件であるが、主犯格の女が留置所で自殺したので真相は闇のなかである。
https://www.youtube.com/watch?v=TXK9Yl7mFr4
このような背乗りが実行可能なのは、日本語を流暢に話す朝鮮半島などの人間である。尼崎事件でも韓国籍の人間が多く絡んでいるが、詳細は上述のように主犯格の人間の死亡もあって解明されていない。解明された部分の詳細は、ウィキペディアに書かれている。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BC%E5%B4%8E%E4%BA%8B%E4%BB%B6
2019年4月26日金曜日
2019年4月25日木曜日
「日本に本当の国家主権はあるのか?」というチャネル桜の議論について
1)チャネル桜では、「日本に本当の国家主権はあるのか?」という番組を作り、youtubeで公開している。出席者は小堀桂一郎、加瀬英明、古森義久、馬淵睦夫、西岡力、室伏謙一、浜崎洋介の七氏である。1時間目までを聞いた範囲では、問題点を裾野から広く捉えていないと感じた。https://www.youtube.com/watch?v=e6Rivki3O9k
最初の各自の主張を簡単に述べる段階で、概ね以下の結論に達している。憲法9条第二項に「国の交戦権はこれを認めない」とある。また、国際ルールである主権国家体制の下では、戦争は外交の延長上にある。憲法の上記規定とこの国際ルールを並べれば、日本はまともに外交ができない国、つまり明確な国家主権を持たない国であることは明らかである。
一方、戦後から現在まで75年間、その憲法を守ろうとする日本国民の意思がある。つまり、憲法改正案が国会に未だ一度も出されていない。それらには、全ての出席者が同意しているようである。しかし、そこからの議論はあまり建設的ではないと感じた。
日本が国家としての体をなしていないと指摘することの他、その原因をもっぱら第二次大戦後のGHQの日本統治と日本のメディアに求めている。彼らが、日本国を骨抜きにした結果、このような体たらく日本が出来上がったのだというのである。そのような把握の結果として、小堀桂一郎氏らは骨抜きにされる前の日本を復活させることを考え、司会の水島社長も天皇を中心とした国家体制の復活を主張するのである。
過去の政治に何の反省もないのなら兎も角、あの戦争はやってはならない戦争であったことを承知しているのなら、その原因追求が先だと思う。それをしないで、憲法を改正して戦争のできる国にするというのは、少なくとも、日本に住む日本国籍の人たちの総意ではないだろう。上記2名の他も、憲法9条第二項の破棄と天皇元首制の復活という考えには反対意見は出なかった。
恐らく、比較的若い浜崎氏や室伏氏など、2、3名は、天皇元首制に意見があるだろう。もしそうなら、何故小堀氏が天皇制の復活を言った時、それは違うと反論を出さないのか?その通りだとも、それは違うとも言わない。この議論を避ける文化が、日本の最大の問題点だと私は思う。
2)過去の戦争は間違いであった。その間違いには理由がある。その理由を十分考えもしないで、現在の日本に国家主権がないから、過去の体制に戻るべきだというのは自殺行為である。
“明治維新”の当事者である薩長や岩倉具視など下級貴族たち(一世)の成した近代化は評価できるだろう。しかしその後、日本の国家体制に進化がなかったのが、第二次大戦での大敗に結びついたと私は思う。日本という国は、多くの指導者たちの模索と議論で、つまり自分の力で、徐々に変化する能力に欠ける国である。そのことに気づくべきだ。
それは、いまだにチャネル桜のこの三時間番組に、加瀬秀明やら小堀桂一郎といった老齢の方々が、もっとも大きな権威で登場していることと相似的である。これは、米国ウェスティングハウス社を子会社化し、その結果東芝を倒産の危機に追い込んだ中心人物が、高齢であるにも関わらずその後日本郵政の社長に就任し、やはり海外企業の買収を指揮し巨額(4000億円)の損失を出す結果を招いたこととも、相似であると思う。何故、このようなことが日本で起こるのか?https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51771
明治初期の改革には天皇の助けが必要だった。そこで、錦の御旗を偽造し、同盟諸藩の有力大名にまで暴力をチラつかせて、薩長の若手と京都の下級貴族らが結託して権力を掌握した。次に、その天皇から乳離れする段階を、次の世代が達成すべきだったのだが、組織の健全な新陳代謝が行われなかったから出来なかったのだろう。
つまり、日本は、欧米諸国の東アジア進出の時代を、江戸時代の地方に育った優秀な人材を中央に集結することで乗り切ることができた。(補足1)そのために制定したのが大日本帝国憲法であった。しかし、世界が急激に変化するなかで、その憲法を改正してそれに適応することが出来なかった。それが、日本没落の原因だと思う。この番組の出席者は、その事に無頓着に昭和以降の議論をしている。
3)明治憲法の第3条「天皇は神聖にして侵すべからず」や第11条「天皇は陸海軍を統帥す」などは、それらは明治維新の時に天皇を利用して、国家を統一する必要性から導入されたものだろう。(補足2)昭和天皇は、実際には自ら国家の政治において指揮をとったわけではない。しかし、上記2条文などを保持する限り、天皇の権力の不正な利用を狙う連中が出てくるのは当然だろう。(226事件や軍の暴走など)
軍の暴走は権力の横取りであり、それを防止できなかったのは政府中枢が無能だったからである。その原因究明とそれに基づく政治制度改革などを疎かにして、天皇を国家元首にする憲法改訂は日本の自殺行為だと思う。つまり、憲法改正よりも、拉致問題よりも、何よりも優先すべき問題は、政府に如何にして優秀な人材を集めるかを考え、その改革を急ぎすることである。
その問題のまとまった議論は今後に残すが、何度かこのブログでも書いたことを繰り返す。選挙区を道州制にして、一票の格差を完全撤廃する。この選挙制度改革は、地方の利権と中央政府の政治との間に距離をとることを主目的とする。更に、中央政府の機能を外交や治安などの限られた分野に限る。道州政府が成長すれば、互いに切磋琢磨することで、日本は活気付くだろうと思う。今回はこの点の指摘だけにする。
最後に一言だけ追加したい。それは、上記問題等いろんな問題を考えた時、何時も「日本には議論の文化がない」という基本的問題にたどり着く。其の議論なき文化の国、閉鎖的な組織の国から、議論のある開かれた組織の国への脱皮が如何にして可能になるかを考えるべきである。
日本においては、凡ゆる機関の中枢は閉鎖空間を成している。それら組織の人事は、万世一系の天皇家と同じように、人脈で継承されていく。そこには仕事の評価とその人事への反映などの組織改革のメカニズムは殆ど働かない。それが現代の成長なき日本の姿でもあると思う。これが上に述べた東芝の他、シャープ、日産自動車などの没落の図式と同じだろう。(補足3)
議論のない文化圏では、人を外面(学歴、家柄、人脈)で評価し、内面の能力や仕事上の実績を積極的には評価しない(評価できない)。それが改まらない理由は、内面を評価するには、対話と議論が必要であり、そして、対話と議論は評価する側も評価される危険性があるからである。外面を評価されて中枢に座る連中が、そのシステムになれば危険に晒されるのである。
補足:
1)江戸時代は封建制度という地方分権の政治制度をとっていた。その中で自立心が強かったのが、薩摩や長州という外様大名の国だった。薩長は生き残りの方法として、京都の貴族との連携もしっかりとっていた。薩摩と島津家、長州と三条家などである。この地方分権的幕藩体制を遅れた制度だとして中央集権化したのが明治維新と現在の日本である。21世紀は、逆に地方分権を真面目に考える時であり、その場合は移動範囲が大きく取れる時代なので道州制が適している。道州の優れた人材で中央政府を作るべきだと思う。
2)明治憲法の第3条に「天皇は神聖にして侵すべからず」や第11条「天皇は陸海軍を統帥す」などの条項(絶対君主的規定)は、暴走する軍に利用されたが、それらは明治維新の時に天皇を利用して、国家を統一する必要性から導入されたものである。江戸時代、明らかに日本の統治者は江戸徳川であったので、その幻影を払拭するために、偽造した錦の御旗とともにこのような規定が必要だったのだろう。
3)東芝の没落の大きな原因は、米国ウェスティングハウス社の買収の失敗であった。その時の失敗の責任者である筈の西室泰三氏は、何故か日本郵政の社長となったのか?その西室氏率いる日本郵政がオーストラリアのトール・ホールディングスの買収により、4000億円という巨額損失を計上する結果となった。その責任はうやむやにされたという。
最初の各自の主張を簡単に述べる段階で、概ね以下の結論に達している。憲法9条第二項に「国の交戦権はこれを認めない」とある。また、国際ルールである主権国家体制の下では、戦争は外交の延長上にある。憲法の上記規定とこの国際ルールを並べれば、日本はまともに外交ができない国、つまり明確な国家主権を持たない国であることは明らかである。
一方、戦後から現在まで75年間、その憲法を守ろうとする日本国民の意思がある。つまり、憲法改正案が国会に未だ一度も出されていない。それらには、全ての出席者が同意しているようである。しかし、そこからの議論はあまり建設的ではないと感じた。
日本が国家としての体をなしていないと指摘することの他、その原因をもっぱら第二次大戦後のGHQの日本統治と日本のメディアに求めている。彼らが、日本国を骨抜きにした結果、このような体たらく日本が出来上がったのだというのである。そのような把握の結果として、小堀桂一郎氏らは骨抜きにされる前の日本を復活させることを考え、司会の水島社長も天皇を中心とした国家体制の復活を主張するのである。
過去の政治に何の反省もないのなら兎も角、あの戦争はやってはならない戦争であったことを承知しているのなら、その原因追求が先だと思う。それをしないで、憲法を改正して戦争のできる国にするというのは、少なくとも、日本に住む日本国籍の人たちの総意ではないだろう。上記2名の他も、憲法9条第二項の破棄と天皇元首制の復活という考えには反対意見は出なかった。
恐らく、比較的若い浜崎氏や室伏氏など、2、3名は、天皇元首制に意見があるだろう。もしそうなら、何故小堀氏が天皇制の復活を言った時、それは違うと反論を出さないのか?その通りだとも、それは違うとも言わない。この議論を避ける文化が、日本の最大の問題点だと私は思う。
2)過去の戦争は間違いであった。その間違いには理由がある。その理由を十分考えもしないで、現在の日本に国家主権がないから、過去の体制に戻るべきだというのは自殺行為である。
“明治維新”の当事者である薩長や岩倉具視など下級貴族たち(一世)の成した近代化は評価できるだろう。しかしその後、日本の国家体制に進化がなかったのが、第二次大戦での大敗に結びついたと私は思う。日本という国は、多くの指導者たちの模索と議論で、つまり自分の力で、徐々に変化する能力に欠ける国である。そのことに気づくべきだ。
それは、いまだにチャネル桜のこの三時間番組に、加瀬秀明やら小堀桂一郎といった老齢の方々が、もっとも大きな権威で登場していることと相似的である。これは、米国ウェスティングハウス社を子会社化し、その結果東芝を倒産の危機に追い込んだ中心人物が、高齢であるにも関わらずその後日本郵政の社長に就任し、やはり海外企業の買収を指揮し巨額(4000億円)の損失を出す結果を招いたこととも、相似であると思う。何故、このようなことが日本で起こるのか?https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51771
明治初期の改革には天皇の助けが必要だった。そこで、錦の御旗を偽造し、同盟諸藩の有力大名にまで暴力をチラつかせて、薩長の若手と京都の下級貴族らが結託して権力を掌握した。次に、その天皇から乳離れする段階を、次の世代が達成すべきだったのだが、組織の健全な新陳代謝が行われなかったから出来なかったのだろう。
つまり、日本は、欧米諸国の東アジア進出の時代を、江戸時代の地方に育った優秀な人材を中央に集結することで乗り切ることができた。(補足1)そのために制定したのが大日本帝国憲法であった。しかし、世界が急激に変化するなかで、その憲法を改正してそれに適応することが出来なかった。それが、日本没落の原因だと思う。この番組の出席者は、その事に無頓着に昭和以降の議論をしている。
3)明治憲法の第3条「天皇は神聖にして侵すべからず」や第11条「天皇は陸海軍を統帥す」などは、それらは明治維新の時に天皇を利用して、国家を統一する必要性から導入されたものだろう。(補足2)昭和天皇は、実際には自ら国家の政治において指揮をとったわけではない。しかし、上記2条文などを保持する限り、天皇の権力の不正な利用を狙う連中が出てくるのは当然だろう。(226事件や軍の暴走など)
軍の暴走は権力の横取りであり、それを防止できなかったのは政府中枢が無能だったからである。その原因究明とそれに基づく政治制度改革などを疎かにして、天皇を国家元首にする憲法改訂は日本の自殺行為だと思う。つまり、憲法改正よりも、拉致問題よりも、何よりも優先すべき問題は、政府に如何にして優秀な人材を集めるかを考え、その改革を急ぎすることである。
その問題のまとまった議論は今後に残すが、何度かこのブログでも書いたことを繰り返す。選挙区を道州制にして、一票の格差を完全撤廃する。この選挙制度改革は、地方の利権と中央政府の政治との間に距離をとることを主目的とする。更に、中央政府の機能を外交や治安などの限られた分野に限る。道州政府が成長すれば、互いに切磋琢磨することで、日本は活気付くだろうと思う。今回はこの点の指摘だけにする。
最後に一言だけ追加したい。それは、上記問題等いろんな問題を考えた時、何時も「日本には議論の文化がない」という基本的問題にたどり着く。其の議論なき文化の国、閉鎖的な組織の国から、議論のある開かれた組織の国への脱皮が如何にして可能になるかを考えるべきである。
日本においては、凡ゆる機関の中枢は閉鎖空間を成している。それら組織の人事は、万世一系の天皇家と同じように、人脈で継承されていく。そこには仕事の評価とその人事への反映などの組織改革のメカニズムは殆ど働かない。それが現代の成長なき日本の姿でもあると思う。これが上に述べた東芝の他、シャープ、日産自動車などの没落の図式と同じだろう。(補足3)
議論のない文化圏では、人を外面(学歴、家柄、人脈)で評価し、内面の能力や仕事上の実績を積極的には評価しない(評価できない)。それが改まらない理由は、内面を評価するには、対話と議論が必要であり、そして、対話と議論は評価する側も評価される危険性があるからである。外面を評価されて中枢に座る連中が、そのシステムになれば危険に晒されるのである。
補足:
1)江戸時代は封建制度という地方分権の政治制度をとっていた。その中で自立心が強かったのが、薩摩や長州という外様大名の国だった。薩長は生き残りの方法として、京都の貴族との連携もしっかりとっていた。薩摩と島津家、長州と三条家などである。この地方分権的幕藩体制を遅れた制度だとして中央集権化したのが明治維新と現在の日本である。21世紀は、逆に地方分権を真面目に考える時であり、その場合は移動範囲が大きく取れる時代なので道州制が適している。道州の優れた人材で中央政府を作るべきだと思う。
2)明治憲法の第3条に「天皇は神聖にして侵すべからず」や第11条「天皇は陸海軍を統帥す」などの条項(絶対君主的規定)は、暴走する軍に利用されたが、それらは明治維新の時に天皇を利用して、国家を統一する必要性から導入されたものである。江戸時代、明らかに日本の統治者は江戸徳川であったので、その幻影を払拭するために、偽造した錦の御旗とともにこのような規定が必要だったのだろう。
3)東芝の没落の大きな原因は、米国ウェスティングハウス社の買収の失敗であった。その時の失敗の責任者である筈の西室泰三氏は、何故か日本郵政の社長となったのか?その西室氏率いる日本郵政がオーストラリアのトール・ホールディングスの買収により、4000億円という巨額損失を計上する結果となった。その責任はうやむやにされたという。
2019年4月24日水曜日
アポロが月に人を送ったというのは嘘:現職宇宙飛行士の婉曲話法による白状
米国のアポロ宇宙船が、アームストロング船長らを月に送り、月表面に星条旗を立ててその写真を撮ったことになっている。その後、彼らは月軌道上の母船に帰り、そして無事地球に帰還したというのである。
私はブログ記事で、科学的証拠と簡単な力学的考察を示し、それは嘘だと論理的に説明した。一番重要なポイントは、宇宙飛行士がくっきりと"月面上に残した靴あと”である。月面には、水など表面張力の大きな液体がない。真空中に砂が堆積した月面で、あの様なクッキリとした靴跡などできるわけがないのだ。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2016/12/11.html
(くっきりとした靴跡が水の表面張力でできるメカニズム:https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2018/07/blog-post_11.html)
その記事投稿後一年ほどして、現役のNASAの宇宙飛行士が、現在では月に行く技術はないと語ったのだ。その動画が何箇所かにアップされているので、ぜひ聞いてもらいたい。
https://tocana.jp/2017/12/post_15397_entry.html
https://www.disclose.tv/nasa-astronaut-admits-we-dont-have-the-technology-to-go-to-the-moon-316389
これらの動画の中で、現職の飛行士のDon Pettit氏が「嘗てあった月旅行の技術は、既に失われてしまった」と語っている。そんな大事な技術を継承していない筈はない。もともと無かったのだ。その言い方は、NASAおよび米国政府から仕返しされないための工夫だろう。つまり、この"月旅行の嘘"を包みこむごまかしは、ちょっと知性を注げば、溶けてしまうオブラートのようなものである。それを承知で、Pettit氏は言っているのだ。
アメリカは技術開発とその維持管理を殊の外大事にする国家である。例えば中国との知的所有権を巡る争いは、現在係争中の問題である。そのアメリカが、大事な月旅行の技術を失う筈がない。もともと無かったのだ。
アポロ計画は、当時の大統領ケネディーがソ連と対抗するために、国家の威信を掛けて開発を号令した軍事研究開発である。それを無くす筈など絶対にない。
Pettit氏が、動画最後の場面で火星を対象にした宇宙開発の話を持ち出している。それは問題発覚を先送りする、NASAの時間稼ぎに配慮したのだろう。
(編集あり、18:45)
私はブログ記事で、科学的証拠と簡単な力学的考察を示し、それは嘘だと論理的に説明した。一番重要なポイントは、宇宙飛行士がくっきりと"月面上に残した靴あと”である。月面には、水など表面張力の大きな液体がない。真空中に砂が堆積した月面で、あの様なクッキリとした靴跡などできるわけがないのだ。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2016/12/11.html
(くっきりとした靴跡が水の表面張力でできるメカニズム:https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2018/07/blog-post_11.html)
その記事投稿後一年ほどして、現役のNASAの宇宙飛行士が、現在では月に行く技術はないと語ったのだ。その動画が何箇所かにアップされているので、ぜひ聞いてもらいたい。
https://tocana.jp/2017/12/post_15397_entry.html
https://www.disclose.tv/nasa-astronaut-admits-we-dont-have-the-technology-to-go-to-the-moon-316389
これらの動画の中で、現職の飛行士のDon Pettit氏が「嘗てあった月旅行の技術は、既に失われてしまった」と語っている。そんな大事な技術を継承していない筈はない。もともと無かったのだ。その言い方は、NASAおよび米国政府から仕返しされないための工夫だろう。つまり、この"月旅行の嘘"を包みこむごまかしは、ちょっと知性を注げば、溶けてしまうオブラートのようなものである。それを承知で、Pettit氏は言っているのだ。
アメリカは技術開発とその維持管理を殊の外大事にする国家である。例えば中国との知的所有権を巡る争いは、現在係争中の問題である。そのアメリカが、大事な月旅行の技術を失う筈がない。もともと無かったのだ。
アポロ計画は、当時の大統領ケネディーがソ連と対抗するために、国家の威信を掛けて開発を号令した軍事研究開発である。それを無くす筈など絶対にない。
Pettit氏が、動画最後の場面で火星を対象にした宇宙開発の話を持ち出している。それは問題発覚を先送りする、NASAの時間稼ぎに配慮したのだろう。
(編集あり、18:45)
2019年4月19日金曜日
小野田寛郎氏のルバング島からの帰還:あるブログ記事への反論を兼ねて
——— マカラ二アン宮殿での投降式は茶番だったのか?———
追捕: 本文中の在米の方のブログ記事はヤフーから以下のサイトに引っ越しをした様ですので、そちらを参照ください。(2020/11/30)
https://ameblo.jp/chuka123/theme-10111394390.html
1)1974年3月、旧日本軍将校の小野田寛郎氏がルバング島ジャングルから約30年ぶりに日本に帰還し、マスコミにより大々的に報道された。敗戦から29年近く経過しての投降帰国は、日本国内では熱烈な歓迎となった。しかし、小野田氏の無事の母国復帰を複雑な気持ち、もっと正確に言うと、怒りをもって知った人はルバング島に多かっただろう。
何故なら、小野田氏らのグループは潜伏中に多数の人を銃撃し、そのうち30人を殺したからである。この小野田氏の帰還劇を評価する際に重要なこの出来事は、当時の厚生省により隠され、国民に広く知られることはなかった。当局は、多くの国民にはその事実を受け止める準備がなされていないと考えたのだろう。
一昨年、NHKが新たに公開された外交資料を元に、 小野田氏のケースを考察する番組を作った。ETV特集「小野田元少尉の帰還:極秘文書が語る日比外交」(2017年3月4日(土) 午後11時00分(90分) )である。https://www.youtube.com/watch?v=b5b98Wm5kiI (NHKは著作権を持ち出して、youtubeに消去させるようなことはしないでもらいたい。)
そこでは客観的事実と小野田氏の証言をそのまま用いて番組を作っている。しかし、その解釈を良としないブロガーが、小野田氏および日本政府の姿勢を批判する記事を書いた。私は、その記事にコメントを書いた。その最後の文章を紹介する:
平和な情況下、つまり、全ての対人行為が法的に解決可能な環境下にある方たちに、極限状況とその下にある人を非難する資格などない。勿論、議論する自由はある。
コメントを書いたものの、その時はこの件について、新聞記事の表題以上の知識はほとんどなかった。今、上記NHKの番組とそのブロガーの記事を読み、ほぼ理解できたので私の推理をブログ記事として書く。
上記ブロガーとは、ヤフーブログで活躍中のハンドル名chuka氏である。その記事とは以下のもの:
https://blogs.yahoo.co.jp/kiko10da/folder/593269.html
更に、関連する記事として、
https://blogs.yahoo.co.jp/kiko10da/18856784.html および、
https://blogs.yahoo.co.jp/kiko10da/15409065.html がある。
このブログ記事では、小野田氏のルバング島での30年間をわかりやすく箇条書きに整理している。恐らく、小野田氏の著書「たった一人の30年戦争」、及び、そのゴーストライターの津田信氏の本「幻想の英雄」などを参照し整理したのだろう。その一部を(補足1)に紹介する。詳細は、直接上に紹介のサイトを訪問していただきたい。
上述のようにそのブログ記事では、小野田氏および日本政府の姿勢を強く批判している。そして、日本政府が寄付した3億円の迷惑料をマルコス大統領への賄賂だとしている。私の推理では、それらは全く間違いである。以下にその理由として、主にNHKの番組で与えられた情報を引用して説明する。
2)文章が長くなるのを避けるため、番組の内容の概略は一部を除いて紹介しない。小野田氏や鈴木氏などの「氏」は、引用時には省略する。
先ず、上記のNHKの番組から、救出の最後の場面を簡単に紹介する。
小野田がグアム島から帰還した1972年、小野田の唯一の部下であった小塚金七がフィリピン警察軍により撃たれ死亡する。事件後、厚生省は小野田の兄姉、同期生ら大勢を引き連れた捜索隊を現地に派遣する。捜索は翌1973年4月まで三回にわたって行われたが、小野田は最後まで姿を現さなかった。(ウィキペディアの「小野田寛郎」の項にも書かれている。)
その後、鈴木紀夫が単身島に渡り、小野田を一人で捜索する。鈴木は、日本人が一人で捜索すれば、小野田の警戒心が和らぐ筈だと考えていた。(補足2)山中にテントを張り、小野田が現れるのを待った。
テントを見つけた小野田は、立ち上がった鈴木に銃を向けた。鈴木は、「日本人だ」と言ったので、「自分は小野田だ」と返答した。その時、鈴木に小野田は、「谷口少佐の命令があれば山を出る」と約束する。
この場面と情況が、以下の推理を思いつく大きなヒントになった。小野田氏の本心を以下のように推理する。
小野田氏は、既に戦争が終わっていることを大分前に知っていただろう。最初の捜索隊がルバング島に行った時(1952年)には、敵の謀略の可能性が高いと思っただろうが、その数年後競馬放送を聞いたりしていた頃には、戦争は終わっているが、捜索隊に身を任せることは危険であると思うようになっていた可能性が高い。つまり、既に何人も島民を殺していたので、無事帰還が叶うとおもわなかったと推測する。(補足3)
更に、1973年からの捜索の時には、殺されずに投降することは可能だと思うに至ったと、私は推測する。しかし、その頃には、自分はどのような顔をして日本に帰れば良いのか分からなくなっていたと思う。グアム島から帰還した横井庄一氏は、自給自足で生活をし、発見されても住民に殺される危険性は小さかった。そして、帰還の際には「恥ずかしながら、帰って参りました」という言葉で、なんとか自分の心理と折り合いがついた。
しかし、小野田氏の場合は、情況が全く異なる。戦争後の数年間は、戦争は続いていると思ったとしても不思議ではない。その戦場諜報員としての活動中に、島民を何人も殺している。
小野田氏の場合、戦争が終わり自分も投降すれば帰国できる可能性が高いと気が付いた時には、「恥ずかしながら」では帰国出来なくなっていた。それまで、自分達が国家の為(と考え)、任務として行って来たこと、更に、その後は自分達が生存のために行って来たこと、それらの行為は平穏な世界の物差しでは重罪であり、自分たちは重罪人に該当するのである。
大規模捜索隊に投降する場合には、その瞬間に、重罪人の顔から、一人の普通の1945年8月の旧陸軍少尉の顔にならなければならない。それは不可能である。
しかし、一人で近くにテントを張っていた鈴木紀夫氏とは、全く何の前提条件もなく話すことができた。その結果、20年ほどの自分たちの活動を完全否定することなく、当時の日本に帰国したときの自分の姿に接続する方法を探すことができた。それが、上官の命令があれば投降し帰国するということである。(補足4)
その儀式の重要性を理解できない人は多いだろう。しかし、上官命令による投降の儀式は、小野田氏にとって十分に命がけの儀式だったと私は思う。(補足5)更に、マルコス大統領によるマラカニアン宮殿での盛大な投降式は、フィリピンでの犯罪を許すための儀式であった。
この二つの儀式に小野田氏は救われたのである。上官の命令解除による投降は、軍人としての本来の姿ではある。平穏な世界に慣れた人には、敗走28年の後のこれら儀式は取って付けた欺瞞のような印象を持つだろう。しかし、必死で生きた28年は長くもあり、一瞬のようでもある。それが人の時間の特徴だと私は思う。
小野田氏が、その道を選ぶことができたのは、そして、それによりマルコス大統領の深い考えを導きだしたのは、神の配慮なのかもしれない。
その結果、小野田氏は英雄として日本に迎えられた。NHKの放送にあるように、帰国後の予定は政府により決められた。小野田氏が一番望んでいた戦友の墓参りは後ろに廻されてしまった。一人の諜報活動を任務とする少尉に過ぎない小野田氏にとって、その英雄としての待遇は心地よいものではなかった。それで、一年後のブラジルに移住するのである。
以上が私の推理である。何か間違いがあれば指摘してほしい。最後に、一言追加したい。小野田氏に殺された30人を含めて、怪我などの被害を受けたルバング島の100人の方々への補償が、日本政府により(フィリピン政府の協力を得て)なされなかったことも残念である。この問題は、「外交問題としての小野田氏帰還」を書く場合には、触れたい。
追補:
1)(4月20日午前7時)小野田氏は自分の行動を正当化するために多くの嘘をついただろう。しかし、戦争が終わったと気づいた時、投降は命がけだったのだろう。1949年に小野田グループから逃げた赤津元一等兵が生きて日本に帰還したことを知った時、自分のミスに気付いた筈である。つまり、赤津氏の判断が正しかったのである。小野田の判断ミスの結果として、島田氏、小塚氏の部下2名が射殺されてしまう。おそらく、彼らの遺族の方々は手放しで小野田氏の日本帰還を喜べない筈である。その意味では、重罪を背負って生きていたのだろう。
その様な小野田氏を批判する気持ちは十分わかるのだが、その資格は多くの人にはないだろう。無条件でその資格を持っているのは3名のグループ構成員たちだけだろう。気になるのが、その一人赤津勇一氏が日本に帰って国会で証言し、且つ、1972年の捜索に加わりながら、ほとんど日本国内で発言の機会が与えられなかったことである。その点について、何か明らかになれば、私も小野田批判側(同時に日本政府批判側だろう)に廻る可能性がある。
参考文献の追加:斎藤充功著、「小野田寛郎は29年間、ルバング島で何をしていたのか」(学研パブリッシング 2015)
2)上記の件についての秀逸なブログ記事を見つけました。この記事は私の上記推論を支持していると思います。「実録小野田少尉② 赤津勇一一等兵 消された存在」です。 https://blogs.yahoo.co.jp/phuchan_n/18243192.html
(一部編集、補足4と追補2の追加;21日早朝)
補足:
1)小野田氏の残留兵としての28年:
・ 小野田グループ4名は、1945年には投降勧告のビラを見ている。12月には2度目のビラに、山下奉文名による降伏命令をみる。
・ 1946年2月には、拡声器により日本語で投降を呼びかけに応じて、3月下旬までに日本兵41名が投降している。
・ 1949年に小野田グループの赤津一等兵が投降した。そこで小野田、島田、小塚の3人が未だ潜伏中であることがわかる。
・ 1952年(この年、フィリピンとの賠償交渉が始まった)フィリピン空軍の飛行機に乗って島の上空を旋回し、拡声器で元陸軍中佐が呼びかける。3名の家族から託された手紙や写真を載せたビラをまいた。
・ 辻豊朝日新聞記者がフィリピン軍の協力で島に入って懸命に呼びかけた。日本の歌を歌い、上半身裸になって「この白い肌を見てくれ。日本から来た日本人だ」と叫んだが、小野田はそのすぐそばにいて見ていたが無視。
・ 1954年5月7日 共産系反政府ゲリラ討伐の演習をしていたフィリピン軍レンジャー部隊に、小野田グループ3人が部隊に発砲。応戦したレンジャー部隊の弾にあたり、島田伍長が即死。小野田、小塚の二人は逃亡。
・ 島田伍長の遺体確認のために厚生省の係官と小野田少尉の長兄、小塚一等兵の弟が島に入り、呼びかけや、ビラ撒を行ったが誰も出てこなかった。
・ 1959年小野田敏郎(寛郎の長兄・医師)、小塚福治(実弟)らを含む救出隊が島内で徹底的な捜索を開始。しかし、二人は現れなかった。
・ 同年11月 日本政府、フィリピン政府が共同で「小野田元少尉、小塚元一等兵はすでに死亡したものと認め、今後は日本兵が現れたという情報があっても一切取り上げない」と表明。
・ 1972年1月横井庄一氏がグアム島から帰還。
・ 同年の10月 小塚金七氏がフィリピン警察軍により撃たれ死亡する。警察軍出動の原因は、小野田・小塚が収穫したばかりの陸稲に火をつけたことだという。
これらは抜粋であるので、最初に引用のサイトのリストは、ウイキペディアの記述やNHKで放送された番組などよりは相当詳しい。
2)厚生省の組織した捜索隊は、陸軍中野学校で諜報員として教育された小野田氏を、スピーカーと肉親による日本語の呼びかけを大々的に行うという、単純な発想で救出作戦を立てた。それは、小野田氏を救出する為だろうが、救出作戦を大々的に実行すること自体が目的のようにも思える。一方、鈴木青年は、小野田氏の心理を考えて捜索方法を考え実行した。似たケースが昨年夏にあった。山口県周防大島町で行方不明になった2歳前の子供を、地元消防は350人規模で捜索したが発見出来なかった。それを一人のボランティアが、子供の心理を考えて方向を決めて捜索した結果、20分ほどで発見したのである。
3)NHKの番組によると、小野田氏がルバング島を再訪した際、そのルートを島民関係者と相談して決めた。そこで当時30代だった父親を殺された人の地域の訪問を打診されたその人の長男は、NHKの取材者に「自分には小野田を見た時、自制する自信がなかったので、断った」と発言している。
4)それは平時の感覚では、非常に狡猾&卑怯なやり方である。
5)映画「レミゼラブル」のラストシーンである。教会で強盗を働いたジャンバルジャンを何十年間追いかけるのが、ジャベール警部のライフワークとなった。しかし、ジャベール警部はその犯行の際、教会の神父がジャンバルジャンを許したことを十分考えなかった。30年ほどの捜査だったと思うが、最後にジャンバルジャンに手錠をかけることは出来た。その際、ジャンバルジャンとの会話の後、これまで確信できなかったが、それが意味のないことだと明確に知る。数十年の自分の仕事が空虚になったジャベール警部は、ジャンバルジャンの手錠を外して、自分自身は運河に身を投げることになった。
https://ameblo.jp/chuka123/theme-10111394390.html
1)1974年3月、旧日本軍将校の小野田寛郎氏がルバング島ジャングルから約30年ぶりに日本に帰還し、マスコミにより大々的に報道された。敗戦から29年近く経過しての投降帰国は、日本国内では熱烈な歓迎となった。しかし、小野田氏の無事の母国復帰を複雑な気持ち、もっと正確に言うと、怒りをもって知った人はルバング島に多かっただろう。
何故なら、小野田氏らのグループは潜伏中に多数の人を銃撃し、そのうち30人を殺したからである。この小野田氏の帰還劇を評価する際に重要なこの出来事は、当時の厚生省により隠され、国民に広く知られることはなかった。当局は、多くの国民にはその事実を受け止める準備がなされていないと考えたのだろう。
一昨年、NHKが新たに公開された外交資料を元に、 小野田氏のケースを考察する番組を作った。ETV特集「小野田元少尉の帰還:極秘文書が語る日比外交」(2017年3月4日(土) 午後11時00分(90分) )である。https://www.youtube.com/watch?v=b5b98Wm5kiI (NHKは著作権を持ち出して、youtubeに消去させるようなことはしないでもらいたい。)
そこでは客観的事実と小野田氏の証言をそのまま用いて番組を作っている。しかし、その解釈を良としないブロガーが、小野田氏および日本政府の姿勢を批判する記事を書いた。私は、その記事にコメントを書いた。その最後の文章を紹介する:
平和な情況下、つまり、全ての対人行為が法的に解決可能な環境下にある方たちに、極限状況とその下にある人を非難する資格などない。勿論、議論する自由はある。
コメントを書いたものの、その時はこの件について、新聞記事の表題以上の知識はほとんどなかった。今、上記NHKの番組とそのブロガーの記事を読み、ほぼ理解できたので私の推理をブログ記事として書く。
上記ブロガーとは、ヤフーブログで活躍中のハンドル名chuka氏である。その記事とは以下のもの:
https://blogs.yahoo.co.jp/kiko10da/folder/593269.html
更に、関連する記事として、
https://blogs.yahoo.co.jp/kiko10da/18856784.html および、
https://blogs.yahoo.co.jp/kiko10da/15409065.html がある。
このブログ記事では、小野田氏のルバング島での30年間をわかりやすく箇条書きに整理している。恐らく、小野田氏の著書「たった一人の30年戦争」、及び、そのゴーストライターの津田信氏の本「幻想の英雄」などを参照し整理したのだろう。その一部を(補足1)に紹介する。詳細は、直接上に紹介のサイトを訪問していただきたい。
上述のようにそのブログ記事では、小野田氏および日本政府の姿勢を強く批判している。そして、日本政府が寄付した3億円の迷惑料をマルコス大統領への賄賂だとしている。私の推理では、それらは全く間違いである。以下にその理由として、主にNHKの番組で与えられた情報を引用して説明する。
2)文章が長くなるのを避けるため、番組の内容の概略は一部を除いて紹介しない。小野田氏や鈴木氏などの「氏」は、引用時には省略する。
先ず、上記のNHKの番組から、救出の最後の場面を簡単に紹介する。
小野田がグアム島から帰還した1972年、小野田の唯一の部下であった小塚金七がフィリピン警察軍により撃たれ死亡する。事件後、厚生省は小野田の兄姉、同期生ら大勢を引き連れた捜索隊を現地に派遣する。捜索は翌1973年4月まで三回にわたって行われたが、小野田は最後まで姿を現さなかった。(ウィキペディアの「小野田寛郎」の項にも書かれている。)
その後、鈴木紀夫が単身島に渡り、小野田を一人で捜索する。鈴木は、日本人が一人で捜索すれば、小野田の警戒心が和らぐ筈だと考えていた。(補足2)山中にテントを張り、小野田が現れるのを待った。
テントを見つけた小野田は、立ち上がった鈴木に銃を向けた。鈴木は、「日本人だ」と言ったので、「自分は小野田だ」と返答した。その時、鈴木に小野田は、「谷口少佐の命令があれば山を出る」と約束する。
この場面と情況が、以下の推理を思いつく大きなヒントになった。小野田氏の本心を以下のように推理する。
小野田氏は、既に戦争が終わっていることを大分前に知っていただろう。最初の捜索隊がルバング島に行った時(1952年)には、敵の謀略の可能性が高いと思っただろうが、その数年後競馬放送を聞いたりしていた頃には、戦争は終わっているが、捜索隊に身を任せることは危険であると思うようになっていた可能性が高い。つまり、既に何人も島民を殺していたので、無事帰還が叶うとおもわなかったと推測する。(補足3)
更に、1973年からの捜索の時には、殺されずに投降することは可能だと思うに至ったと、私は推測する。しかし、その頃には、自分はどのような顔をして日本に帰れば良いのか分からなくなっていたと思う。グアム島から帰還した横井庄一氏は、自給自足で生活をし、発見されても住民に殺される危険性は小さかった。そして、帰還の際には「恥ずかしながら、帰って参りました」という言葉で、なんとか自分の心理と折り合いがついた。
しかし、小野田氏の場合は、情況が全く異なる。戦争後の数年間は、戦争は続いていると思ったとしても不思議ではない。その戦場諜報員としての活動中に、島民を何人も殺している。
小野田氏の場合、戦争が終わり自分も投降すれば帰国できる可能性が高いと気が付いた時には、「恥ずかしながら」では帰国出来なくなっていた。それまで、自分達が国家の為(と考え)、任務として行って来たこと、更に、その後は自分達が生存のために行って来たこと、それらの行為は平穏な世界の物差しでは重罪であり、自分たちは重罪人に該当するのである。
大規模捜索隊に投降する場合には、その瞬間に、重罪人の顔から、一人の普通の1945年8月の旧陸軍少尉の顔にならなければならない。それは不可能である。
しかし、一人で近くにテントを張っていた鈴木紀夫氏とは、全く何の前提条件もなく話すことができた。その結果、20年ほどの自分たちの活動を完全否定することなく、当時の日本に帰国したときの自分の姿に接続する方法を探すことができた。それが、上官の命令があれば投降し帰国するということである。(補足4)
その儀式の重要性を理解できない人は多いだろう。しかし、上官命令による投降の儀式は、小野田氏にとって十分に命がけの儀式だったと私は思う。(補足5)更に、マルコス大統領によるマラカニアン宮殿での盛大な投降式は、フィリピンでの犯罪を許すための儀式であった。
この二つの儀式に小野田氏は救われたのである。上官の命令解除による投降は、軍人としての本来の姿ではある。平穏な世界に慣れた人には、敗走28年の後のこれら儀式は取って付けた欺瞞のような印象を持つだろう。しかし、必死で生きた28年は長くもあり、一瞬のようでもある。それが人の時間の特徴だと私は思う。
小野田氏が、その道を選ぶことができたのは、そして、それによりマルコス大統領の深い考えを導きだしたのは、神の配慮なのかもしれない。
その結果、小野田氏は英雄として日本に迎えられた。NHKの放送にあるように、帰国後の予定は政府により決められた。小野田氏が一番望んでいた戦友の墓参りは後ろに廻されてしまった。一人の諜報活動を任務とする少尉に過ぎない小野田氏にとって、その英雄としての待遇は心地よいものではなかった。それで、一年後のブラジルに移住するのである。
以上が私の推理である。何か間違いがあれば指摘してほしい。最後に、一言追加したい。小野田氏に殺された30人を含めて、怪我などの被害を受けたルバング島の100人の方々への補償が、日本政府により(フィリピン政府の協力を得て)なされなかったことも残念である。この問題は、「外交問題としての小野田氏帰還」を書く場合には、触れたい。
追補:
1)(4月20日午前7時)小野田氏は自分の行動を正当化するために多くの嘘をついただろう。しかし、戦争が終わったと気づいた時、投降は命がけだったのだろう。1949年に小野田グループから逃げた赤津元一等兵が生きて日本に帰還したことを知った時、自分のミスに気付いた筈である。つまり、赤津氏の判断が正しかったのである。小野田の判断ミスの結果として、島田氏、小塚氏の部下2名が射殺されてしまう。おそらく、彼らの遺族の方々は手放しで小野田氏の日本帰還を喜べない筈である。その意味では、重罪を背負って生きていたのだろう。
その様な小野田氏を批判する気持ちは十分わかるのだが、その資格は多くの人にはないだろう。無条件でその資格を持っているのは3名のグループ構成員たちだけだろう。気になるのが、その一人赤津勇一氏が日本に帰って国会で証言し、且つ、1972年の捜索に加わりながら、ほとんど日本国内で発言の機会が与えられなかったことである。その点について、何か明らかになれば、私も小野田批判側(同時に日本政府批判側だろう)に廻る可能性がある。
参考文献の追加:斎藤充功著、「小野田寛郎は29年間、ルバング島で何をしていたのか」(学研パブリッシング 2015)
2)上記の件についての秀逸なブログ記事を見つけました。この記事は私の上記推論を支持していると思います。「実録小野田少尉② 赤津勇一一等兵 消された存在」です。 https://blogs.yahoo.co.jp/phuchan_n/18243192.html
(一部編集、補足4と追補2の追加;21日早朝)
補足:
1)小野田氏の残留兵としての28年:
・ 小野田グループ4名は、1945年には投降勧告のビラを見ている。12月には2度目のビラに、山下奉文名による降伏命令をみる。
・ 1946年2月には、拡声器により日本語で投降を呼びかけに応じて、3月下旬までに日本兵41名が投降している。
・ 1949年に小野田グループの赤津一等兵が投降した。そこで小野田、島田、小塚の3人が未だ潜伏中であることがわかる。
・ 1952年(この年、フィリピンとの賠償交渉が始まった)フィリピン空軍の飛行機に乗って島の上空を旋回し、拡声器で元陸軍中佐が呼びかける。3名の家族から託された手紙や写真を載せたビラをまいた。
・ 辻豊朝日新聞記者がフィリピン軍の協力で島に入って懸命に呼びかけた。日本の歌を歌い、上半身裸になって「この白い肌を見てくれ。日本から来た日本人だ」と叫んだが、小野田はそのすぐそばにいて見ていたが無視。
・ 1954年5月7日 共産系反政府ゲリラ討伐の演習をしていたフィリピン軍レンジャー部隊に、小野田グループ3人が部隊に発砲。応戦したレンジャー部隊の弾にあたり、島田伍長が即死。小野田、小塚の二人は逃亡。
・ 島田伍長の遺体確認のために厚生省の係官と小野田少尉の長兄、小塚一等兵の弟が島に入り、呼びかけや、ビラ撒を行ったが誰も出てこなかった。
・ 1959年小野田敏郎(寛郎の長兄・医師)、小塚福治(実弟)らを含む救出隊が島内で徹底的な捜索を開始。しかし、二人は現れなかった。
・ 同年11月 日本政府、フィリピン政府が共同で「小野田元少尉、小塚元一等兵はすでに死亡したものと認め、今後は日本兵が現れたという情報があっても一切取り上げない」と表明。
・ 1972年1月横井庄一氏がグアム島から帰還。
・ 同年の10月 小塚金七氏がフィリピン警察軍により撃たれ死亡する。警察軍出動の原因は、小野田・小塚が収穫したばかりの陸稲に火をつけたことだという。
これらは抜粋であるので、最初に引用のサイトのリストは、ウイキペディアの記述やNHKで放送された番組などよりは相当詳しい。
2)厚生省の組織した捜索隊は、陸軍中野学校で諜報員として教育された小野田氏を、スピーカーと肉親による日本語の呼びかけを大々的に行うという、単純な発想で救出作戦を立てた。それは、小野田氏を救出する為だろうが、救出作戦を大々的に実行すること自体が目的のようにも思える。一方、鈴木青年は、小野田氏の心理を考えて捜索方法を考え実行した。似たケースが昨年夏にあった。山口県周防大島町で行方不明になった2歳前の子供を、地元消防は350人規模で捜索したが発見出来なかった。それを一人のボランティアが、子供の心理を考えて方向を決めて捜索した結果、20分ほどで発見したのである。
3)NHKの番組によると、小野田氏がルバング島を再訪した際、そのルートを島民関係者と相談して決めた。そこで当時30代だった父親を殺された人の地域の訪問を打診されたその人の長男は、NHKの取材者に「自分には小野田を見た時、自制する自信がなかったので、断った」と発言している。
4)それは平時の感覚では、非常に狡猾&卑怯なやり方である。
5)映画「レミゼラブル」のラストシーンである。教会で強盗を働いたジャンバルジャンを何十年間追いかけるのが、ジャベール警部のライフワークとなった。しかし、ジャベール警部はその犯行の際、教会の神父がジャンバルジャンを許したことを十分考えなかった。30年ほどの捜査だったと思うが、最後にジャンバルジャンに手錠をかけることは出来た。その際、ジャンバルジャンとの会話の後、これまで確信できなかったが、それが意味のないことだと明確に知る。数十年の自分の仕事が空虚になったジャベール警部は、ジャンバルジャンの手錠を外して、自分自身は運河に身を投げることになった。
2019年4月12日金曜日
大富豪の社会機関としての役割
1)米国のフォーブスが発表している世界の長者番付によると、世界一の富豪はアマゾンの創業者ジェフ・ベゾスで、総資産は1310億ドルだと掲載されている。約15兆円であり、ウクライナのGDPを超える。この資産額は、米国の一人当たりGDPを6万ドルとすると、250万人分の年収に相当する。
https://johoseiri.net/world_richman/
同ランキングによると、20位までに入っている米国人の資産合計は、ほとんど100兆円にもなる。それはインドネシアのGDPにほぼ等しい。この巨大な資産は、要するに保有する株などの金融資産がほとんどだろう。例えば、ジェフ・ベゾスは78.88百万株のアマゾンの株を保有するが、2019年の3月1日の株価1671ドルを用いれば、ほぼ上記資産額となる。 https://www.investopedia.com/articles/insights/052816/top-4-amazon-shareholders-amzn.asp
これは米国の富豪の極一部であり、トップ500迄に入っている300人近いビリオネアの全資産の合計は、この数倍に近くなり日本のGDPと比較出来る額となるだろう。
この金融資産の限られた個人への局在化は、資本主義社会の通常だとしても、どこか異常に見える。もし、人間は生まれながらに平等であると実感できる社会を理想だとすれば、そこからの離脱は極端である。更に、それらの資産を保有する(支配下に置いている)個人が、それを自分の個人的実力によると勘違いした場合、更に、それにより他人を支配できると考えた場合、社会全体が不安定化するだろう。
恐らく、上記億万長者たちは、上記の勘違いをしていないだろう。社会の一機関として、自分の地位が存在し、その機関の金融資産として上記額が帳簿に記載されていると考えているだろう。米国の投資家で有名なウォーレン・バフェットは毎年数千億円レベルの寄付を行っている。多くの資産家は、寄付をすることを義務のように感じている様子を、単に偽善と考えるのは僻み根性だろう。
ただ、会社の経営者や会社への投資を業としている者にも、更にそれ以外の分野で富豪となった人たちにも、勘違いしている人が大勢いる可能性があるだろう。その誤解を、ノーベル賞学者でもすることは、ある意味で驚きである。(補足1)また、2-3年前に話題になった隣国のナッツ姫を思い出せば、この勘違いは、社会とその教育を歪める迄になっている事がわかる。
2)現在までに作り上げられた社会的メカニズム、物理的施設、知的な財産などに、近未来社会で起こす経済活動の権利としての金額の札を付けたのが、金融資産である。未来社会に於いて、その資金を使う予定者と金額が決まっているという点で、金融資産は、現在の社会が全体として未来の社会に対して借金をし、それを特定に人(資産家)に分配した帳簿上の金額ということになる。
仮に、何らかの異変が人類に生じて書類が全て消失すれば、それらの殆どは消滅して、物理的構造物である建物や、自動車や製造機などの機械が残るだけである。突然人類が幻を見て、勤労意欲や記憶を無くした様な場合でも、その約束された経済活動が出来ないため、激しいインフレが発生し金融資産は実質的に殆ど消滅するだろう。それは極端な例だが、不安定な心理が恐慌を生む可能性が、資本主義社会の一つの欠陥である。(補足2)
金融資産は現在の社会の未来からの借金であるから、その運用は、社会の経済活動を円滑にするためにされなければならないと思う。上記ビリオネアたちは、その責任を担っていると考えるべきである。それが、経済発展と文明進展の二人三脚が成立する条件である。尚、巨大な隣国ではそれが成立しているかどうかが、日本にとって大きな不安要因である。
日本の明治以降の創業者は、実際にそのように考えただろう。松下幸之助や本田宗一郎などの名言が、それを示している。例えば、本田宗一郎は「会社は個人の持ち物ではない」という考えをもっており、身内を入社させなかったという。(ウィキペディア参照)
日本が社会全体にエネルギーを蓄積できた背景には、多くの会社創業者が本田宗一郎と同様に、帳簿上自分の資産である会社を、社会或いは国家の公機関と考えたことがあるだろう。多くの企業の不正を見ると、現在の日本にその面影は探さなければ残っていないのかもしれないと思う。
このような考えを、ホンダの創業者のように自由な思考の結果として得ることは、普通困難である。従って、過去の偉人の言葉を学び、それが自分の言葉となるように、その偉人の人生を追体験する類の道徳教育が大事だろう。そのような道徳を持たない資本主義社会は、将来崩壊するだろうと思う。
3)上記の考えは、資産は負債を具体的な存在に割り振ったものに過ぎないという考え(貸借対照表の考え)に基づいている。その根源には、国家或いは中央銀行の負債が、一定の根拠として存在するだろう。
一定の根拠というのは、株価と保有株数の積を資産として計算するが、上記資産の計算に想定される株は、市場に出ていない株がほとんどだからである。つまり、市場で売買される部分以外については、中央銀行が発行するお金(中央銀行の負債)が直接的に対応していないだろう。これが信用収縮の大きな要因だと理解している。
金融資産が未来からの借金だとすれば、その運用は公の仕事に見えてくる。米国のビリオネアたちの多くは、その責任を果たしているだろうと思う。それが、グローバル化経済の中の先進工業国の中で唯一、2-3%の経済成長率を誇っている理由だろう。
この点をもう少し考えてみる。
経済活動の計画と実行を全て国家で行うというシステムが共産主義社会である。そこでは、政治的に重要な限られた特定の人物が、国家(社会)の経済活動の計画と管理までを閉鎖的空間で行う。その計画経済がうまく行かないのは、人間の能力が有限であり、巨大化した社会システムを一人で運転する技量は無いからである。(補足3)
従って、共産主義を取り入れた国家の全てが、経済的困窮を極める結果となる。一方、資本主義社会では、人(自然人)の他に株式会社や財団法人などの法人が、経済活動を分担する。その人事は、会社と社会の利益を指標にして、間接的だが社会全体が決定する。そしてこの、“間接的オープンシステム”しかありえないというのが、常識となっている。(補足4)
資本主義社会では、多くの会社等が経済活動を分担する。例えば株式会社の経営は、数人が人生のある期間をその任務にあてる。その人材を割り振るのが、会社の人事である。最初に述べた米国のビリオネアたちは、会社の経営者として、或いは、投資先として、正しい人事(業績の上がる会社)が決定出来る会社を選ぶことで、直接的或いは間接的に会社の経営に関わっている。
その力の根拠が、彼らのその会社の株式など金融資産である。その経営判断が正しいかどうかは、会社の業績という形で社会が判断することになる。その最終判定は、消費者が行う。このオープンなシステムは完璧ではないが、何重にも補完的であり、人間のシステムとしては最高だろう。
この会社の経営と評価の構造が、資本主義社会の発展を可能にした。一つは創業者を含めた投資家による四半期毎の疑似リアルタイムの会社運営の監視、もうひとつは消費者による業績の最終判定である。
米国では会社経営監視の上記2つのメカニズムが機能しているが、日本では、投資家が会社経営に口を出すことが非常に少ない。それでは、会社の経営を決める2つのメカニズムのうちの一つが無いことになる。消費者の最終判定のみが残り、それが具体的に働いた結果が、例えば東芝の経営危機などである。もう一つがあったなら、東芝、日産、シャープなどの経営危機は無かっただろう。
((以上は、理系人間が極めて好意的に米国の資本主義を評価して文章にしたもので、社会学的裏付けはありません。))
補足:
1)企業人では、以前話題にした身の程を知らない人のケース、芸能人やスポーツ関連で富豪のレベルに達した有名人なども含まれる。彼らが要求する特許料は、確かに現行制度からは要求可能である。しかし、かれらは社会の機関としてそれらの資金を持つ立場には無い。単に、自分自身や子孫の消費のための資金として、例えば、「26億円では少なすぎる」と言うのは強欲だろう。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43581020Q9A410C1EA2000/
https://www.mbs.jp/news/kansainews/20190410/GE000000000000027328.shtml
2)この値札の額は、社会の経済活動が順調に進むという雰囲気により大きく異なる。それを信用(クレジット、credit)という言葉を用いて表す。資本主義社会の一つの弱点は、このクレジットが特別な理由なしに大きく毀損される危険性である。
3)中国の毛沢東は経済の舵取りに大失敗をする。鉄の生産こそ、経済発展のために大事であると考えて、製鉄の知識のないままに号令をかけた。その結果、粗悪な鉄の生産を溜め込むのみで、大不況になる。それが大躍進運動である。そして政治の実権を劉少奇にわたしたのだが、自分の権威失墜を恐れて権力奪回を図ったのが、文化大革命である。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2013/10/wild-swans.html
4)計画経済政治が何故歴史に登場したのか分からない。そんな思想が部分的に世界を支配するまでになったことは、不思議である。社会主義的政治が、高性能のAIを利用して徐々に実現すると考える人は、現在かなりいるだろう。ベーシックインカム制度がその出発点として存在するかもしれない。
同ランキングによると、20位までに入っている米国人の資産合計は、ほとんど100兆円にもなる。それはインドネシアのGDPにほぼ等しい。この巨大な資産は、要するに保有する株などの金融資産がほとんどだろう。例えば、ジェフ・ベゾスは78.88百万株のアマゾンの株を保有するが、2019年の3月1日の株価1671ドルを用いれば、ほぼ上記資産額となる。 https://www.investopedia.com/articles/insights/052816/top-4-amazon-shareholders-amzn.asp
これは米国の富豪の極一部であり、トップ500迄に入っている300人近いビリオネアの全資産の合計は、この数倍に近くなり日本のGDPと比較出来る額となるだろう。
この金融資産の限られた個人への局在化は、資本主義社会の通常だとしても、どこか異常に見える。もし、人間は生まれながらに平等であると実感できる社会を理想だとすれば、そこからの離脱は極端である。更に、それらの資産を保有する(支配下に置いている)個人が、それを自分の個人的実力によると勘違いした場合、更に、それにより他人を支配できると考えた場合、社会全体が不安定化するだろう。
恐らく、上記億万長者たちは、上記の勘違いをしていないだろう。社会の一機関として、自分の地位が存在し、その機関の金融資産として上記額が帳簿に記載されていると考えているだろう。米国の投資家で有名なウォーレン・バフェットは毎年数千億円レベルの寄付を行っている。多くの資産家は、寄付をすることを義務のように感じている様子を、単に偽善と考えるのは僻み根性だろう。
ただ、会社の経営者や会社への投資を業としている者にも、更にそれ以外の分野で富豪となった人たちにも、勘違いしている人が大勢いる可能性があるだろう。その誤解を、ノーベル賞学者でもすることは、ある意味で驚きである。(補足1)また、2-3年前に話題になった隣国のナッツ姫を思い出せば、この勘違いは、社会とその教育を歪める迄になっている事がわかる。
2)現在までに作り上げられた社会的メカニズム、物理的施設、知的な財産などに、近未来社会で起こす経済活動の権利としての金額の札を付けたのが、金融資産である。未来社会に於いて、その資金を使う予定者と金額が決まっているという点で、金融資産は、現在の社会が全体として未来の社会に対して借金をし、それを特定に人(資産家)に分配した帳簿上の金額ということになる。
仮に、何らかの異変が人類に生じて書類が全て消失すれば、それらの殆どは消滅して、物理的構造物である建物や、自動車や製造機などの機械が残るだけである。突然人類が幻を見て、勤労意欲や記憶を無くした様な場合でも、その約束された経済活動が出来ないため、激しいインフレが発生し金融資産は実質的に殆ど消滅するだろう。それは極端な例だが、不安定な心理が恐慌を生む可能性が、資本主義社会の一つの欠陥である。(補足2)
金融資産は現在の社会の未来からの借金であるから、その運用は、社会の経済活動を円滑にするためにされなければならないと思う。上記ビリオネアたちは、その責任を担っていると考えるべきである。それが、経済発展と文明進展の二人三脚が成立する条件である。尚、巨大な隣国ではそれが成立しているかどうかが、日本にとって大きな不安要因である。
日本の明治以降の創業者は、実際にそのように考えただろう。松下幸之助や本田宗一郎などの名言が、それを示している。例えば、本田宗一郎は「会社は個人の持ち物ではない」という考えをもっており、身内を入社させなかったという。(ウィキペディア参照)
日本が社会全体にエネルギーを蓄積できた背景には、多くの会社創業者が本田宗一郎と同様に、帳簿上自分の資産である会社を、社会或いは国家の公機関と考えたことがあるだろう。多くの企業の不正を見ると、現在の日本にその面影は探さなければ残っていないのかもしれないと思う。
このような考えを、ホンダの創業者のように自由な思考の結果として得ることは、普通困難である。従って、過去の偉人の言葉を学び、それが自分の言葉となるように、その偉人の人生を追体験する類の道徳教育が大事だろう。そのような道徳を持たない資本主義社会は、将来崩壊するだろうと思う。
3)上記の考えは、資産は負債を具体的な存在に割り振ったものに過ぎないという考え(貸借対照表の考え)に基づいている。その根源には、国家或いは中央銀行の負債が、一定の根拠として存在するだろう。
一定の根拠というのは、株価と保有株数の積を資産として計算するが、上記資産の計算に想定される株は、市場に出ていない株がほとんどだからである。つまり、市場で売買される部分以外については、中央銀行が発行するお金(中央銀行の負債)が直接的に対応していないだろう。これが信用収縮の大きな要因だと理解している。
金融資産が未来からの借金だとすれば、その運用は公の仕事に見えてくる。米国のビリオネアたちの多くは、その責任を果たしているだろうと思う。それが、グローバル化経済の中の先進工業国の中で唯一、2-3%の経済成長率を誇っている理由だろう。
この点をもう少し考えてみる。
経済活動の計画と実行を全て国家で行うというシステムが共産主義社会である。そこでは、政治的に重要な限られた特定の人物が、国家(社会)の経済活動の計画と管理までを閉鎖的空間で行う。その計画経済がうまく行かないのは、人間の能力が有限であり、巨大化した社会システムを一人で運転する技量は無いからである。(補足3)
従って、共産主義を取り入れた国家の全てが、経済的困窮を極める結果となる。一方、資本主義社会では、人(自然人)の他に株式会社や財団法人などの法人が、経済活動を分担する。その人事は、会社と社会の利益を指標にして、間接的だが社会全体が決定する。そしてこの、“間接的オープンシステム”しかありえないというのが、常識となっている。(補足4)
資本主義社会では、多くの会社等が経済活動を分担する。例えば株式会社の経営は、数人が人生のある期間をその任務にあてる。その人材を割り振るのが、会社の人事である。最初に述べた米国のビリオネアたちは、会社の経営者として、或いは、投資先として、正しい人事(業績の上がる会社)が決定出来る会社を選ぶことで、直接的或いは間接的に会社の経営に関わっている。
その力の根拠が、彼らのその会社の株式など金融資産である。その経営判断が正しいかどうかは、会社の業績という形で社会が判断することになる。その最終判定は、消費者が行う。このオープンなシステムは完璧ではないが、何重にも補完的であり、人間のシステムとしては最高だろう。
この会社の経営と評価の構造が、資本主義社会の発展を可能にした。一つは創業者を含めた投資家による四半期毎の疑似リアルタイムの会社運営の監視、もうひとつは消費者による業績の最終判定である。
米国では会社経営監視の上記2つのメカニズムが機能しているが、日本では、投資家が会社経営に口を出すことが非常に少ない。それでは、会社の経営を決める2つのメカニズムのうちの一つが無いことになる。消費者の最終判定のみが残り、それが具体的に働いた結果が、例えば東芝の経営危機などである。もう一つがあったなら、東芝、日産、シャープなどの経営危機は無かっただろう。
((以上は、理系人間が極めて好意的に米国の資本主義を評価して文章にしたもので、社会学的裏付けはありません。))
補足:
1)企業人では、以前話題にした身の程を知らない人のケース、芸能人やスポーツ関連で富豪のレベルに達した有名人なども含まれる。彼らが要求する特許料は、確かに現行制度からは要求可能である。しかし、かれらは社会の機関としてそれらの資金を持つ立場には無い。単に、自分自身や子孫の消費のための資金として、例えば、「26億円では少なすぎる」と言うのは強欲だろう。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43581020Q9A410C1EA2000/
https://www.mbs.jp/news/kansainews/20190410/GE000000000000027328.shtml
2)この値札の額は、社会の経済活動が順調に進むという雰囲気により大きく異なる。それを信用(クレジット、credit)という言葉を用いて表す。資本主義社会の一つの弱点は、このクレジットが特別な理由なしに大きく毀損される危険性である。
3)中国の毛沢東は経済の舵取りに大失敗をする。鉄の生産こそ、経済発展のために大事であると考えて、製鉄の知識のないままに号令をかけた。その結果、粗悪な鉄の生産を溜め込むのみで、大不況になる。それが大躍進運動である。そして政治の実権を劉少奇にわたしたのだが、自分の権威失墜を恐れて権力奪回を図ったのが、文化大革命である。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2013/10/wild-swans.html
4)計画経済政治が何故歴史に登場したのか分からない。そんな思想が部分的に世界を支配するまでになったことは、不思議である。社会主義的政治が、高性能のAIを利用して徐々に実現すると考える人は、現在かなりいるだろう。ベーシックインカム制度がその出発点として存在するかもしれない。
2019年4月6日土曜日
インド太平洋構想の一角を日本が担うことを、米国支配層は許すだろうか?
以下は、国際政治に全くの素人の理系人間が、想像を逞しくして書いた記事です。注意してお読みください。個人的なメモですので、責任はとりません。
1)馬渕睦夫元ウクライナ大使の動画が指摘すること:
2019年は、日本にとって決断の時である。それは、日本がインド太平洋構想の一角を担うか、中国の影響圏に入るかの選択である。 ペンス副大統領の昨年10月の演説は、中国に対する米国の姿勢を明確にしたものだが、日本は上記課題を突きつけられて居ることに気づかなければならない。しかし現在のところ、日本政府はその決断ができないでいる。下に引用の馬渕大使の動画の前半は、このように要約できるだろう。https://www.youtube.com/watch?v=L0w0FYLvmhk
その動画後半の話は、新入国管理法の問題とアイヌを先住民と認定する法案についての危険性に言及している。前者の問題点として、来年4月には30万人以上の単純労働者が外国から日本に入ることになり、彼らは日本に治外法権的な区域を作るだろうと、指摘している。
また、後者も今後様々なマイノリティーの権利拡大という、政治的混乱の切掛を作るという点で非常に大きな問題である。これらの問題に関しては、既に色んな形ですでに本ブログでも議論している。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/02/blog-post_7.html
本記事のテーマは、安倍総理がいち早く打ち出した「インド太平洋構想」の中核的存在に日本がなることを、米国支配層は嫌う可能性が高いかもしれないとの推測である。上記後半の二本の法案が何故非常に急ぐ形で国会に出され、自民党の賛成により成立した真の理由は、多くの政治評論家にとって謎である。馬渕大使も、その謎に答えられていない。
これら二つの法案を並べると、直ぐに気がつくのだが、アイヌで代表されるマイノリティーの権利拡大の図式が、その後、琉球人の権利拡大、更に来年から続々と日本に入ってくるイスラム圏、中華圏、小乗仏教圏の人たちの権利拡大に利用される可能性がたかい。つまり、その導入を指示した勢力の最終目標は、日本国と日本文化の完全破壊である。
兎に角、元々5-6の民族の混合である日本人の中に、既に完全に同化しているアイヌ民族を、殊更分離して法整備ことには、遠い目標がある筈である。
2)馬渕氏の分析では、インド太平洋構想への参加は安倍総理の正しい外交であり、後者の日本の内政でのゴタゴタは安倍総理とは無関係であるとしている。そして、後者内政問題は自民党政治家に危機感がないからであり、安倍安定政権の上にアグラをかく自民党議員たちの認識不足が原因であるとしている。
しかし、この認識は間違いだと思う。安倍総理自身の賛同がなければ、これら重要な法律二本があのようにスムースに成立する筈がない。「自民党議員たちの気の緩みが、あの重要法案二本がスムースに成立した理由だ」というのは、言語感覚からしておかしい。
繰り返しになるが、私は、上記二本の法律は、安倍総理も少なくとも外見上は積極的に賛成したと思う。
上記二本の法律は、上述のように日本文化の破壊工作であり、それをなし得るのは安倍総理の意思か、安倍総理を操る存在の意思だと考えるべきである。以前のブログでは、中露韓の反日同盟の戦略の一環だと捉えたが、その場合は自民党の中に強力な反対意見くらいは出る筈である。私は、米国の深層に位置するユダヤ支配層による、日本と日本文化破壊の最後のチャプターと考える方が自然だと思う。
日本の経済界が安い労働力調達という要請を政府にしたのは事実だろう。更に、アイヌ先住民認定の法律は、方々の人権団体などから強い要請があったのだろう。その両者が深層で、ある勢力の明確な戦略に順って、連携して居ると考えるのである。
3)ブレジンスキーが言ったように、マイノリティーの権利拡大は米国の価値観として育てあげられ、それを足場にしてマイノリティーであるユダヤの民が米国の支配層となり得た。(補足1)移民の拡大も、自由と平等の国である米国の価値観に沿うもので、それが現在の米国を作り上げた。ホンジュラスから米国に向かった難民を支援する人が誰かを見れば、明らかである。(補足2)
米国資本がこれまで進めてきたグローバル化とトランプは戦って居るように見る人も居るが、トランプは親ユダヤの姿勢を貫いて居る。トランプは反グローバル化ではなく、米国身勝手主義に過ぎない。したがって、米国支配層の実態もその姿勢も、変化はしていないだろう。
理系人間の一人が、想像逞しくして考えた米国の大戦略が、日本を中国に近づけ、東アジアの高い知性を有するモンゴロイドの領域全てを、まとめて衰退のゾーンにすることなのである。反論期待したい。
安倍総理は、上記二本の法律制定に関して圧力を掛けてきた米国に嫌気が差し、中国寄りの姿勢をチラチラと示して居るのではないだろうか。親ロシアの姿勢も、同様の動機かもしれない。馬渕氏は、安倍総理とトランプ大統領を、反グローバリズムの姿勢を連携してとっている政治家と評価しているが、それは間違いだと思う。
(下線部修正、 2021/12/21)
補足
1)これは、昨年10月30日に書いた記事「世界は混乱の時代にはいろうとしているのか?(ブレジンスキーの二つの発言をヒントにして)」に書いたことである。アイヌを先住民族として認める法案は、この米国ユダヤ支配層の「マイノリティーの権利拡大」の考え方に近い。
2)今回の新入管法は、「新たにホンジュラスから米国に向けて出発した移民キャラバンは日本に無関係か?」で書いたことだが、その移民を支援するユダヤ慈善団体Hiasの考え方に近い。
2019年4月4日木曜日
ある米軍用プロパガンダ映画とその解釈について
私から見てそのプロパガンダ映画の内容は、当然のことだが滅茶苦茶である。ただ、そのブログ記事(ハンドル名:chukaさん)では、そのプロパガンダ映画における日本文化の解釈を引用し、一定の評価を与え解説されている。今回は、その方のブログ記事の中で紹介された部分について、その誤りを指摘したい。以下に、chuka氏のブログ記事からの引用部分を緑字イタリックで示し、その後ろに私のコメントを書く。
この映画での武士道というのは権力奪取の道であり、その手段として奸計・裏切を常習とするとなっている。そして日本の歴史は武士階級が政権を握って以来、この熾烈な権力闘争のりピーとである、というのだ。
chukaさんは、この武士道の見方をユニークだとして引用されているので、一定の評価をされているのだろう。しかし、「武士道とは、奸計・裏切を常習とする権力奪取の道である」というのは、とんでも無い解釈である。武士道とは、儒教的な考えを柱にして、主人に仕える道である。諜報活動とそのための裏切りも、CIAやMI6並に行うだけである。(補足1)
天皇は、大昔は宗教および武力の覇者であったが、明治以前は太陽神の子孫として単なる宗教的継承者に過ぎなかった。
これも誤解であり、江戸時代でも天皇は現在の英国王室のような「君臨すれども統治せず」に近い。何故なら、江戸の将軍は、天皇より征夷大将軍の称号を受けて初めてその地位を得ていたからである。因みに江戸幕府とは、征夷大将軍の率いる軍の基地(城)の意味である。
日本人は八百万の神を拝んで暮らしてきた。それは今日も変わっていない。天皇家というのも庶民にとっては諸々の神の一つに過ぎない筈である。
これも誤解である。神が八百万も存在する筈はない。自然神が、様々な所に現れるというだけである。富士山を拝むのも、御嶽山を拝むのも、実は同じ自然神を拝んでいるのである。神を一つ二つと数えることなど、本来の神道ではしないだろう。(補足2)天皇は神ではない。神道の筆頭神主であり、カトリックで言えばローマ法王に相当する。
戦争中、「天皇陛下万歳」と言って玉砕したという反論があるかもしれないが、万歳とは長寿繁栄を願う言葉であり、神に対する呼びかけではない。天皇に父祖の神への祈願をお願いしているという意味である。
キリスト教は多神教を認めない、また神の前では人間は平等、を信徒に厳しく要求する教えであるから、日本的な宗教観が破壊されるという事もあって豊臣秀吉と徳川家康がキリシタン弾圧に走り、鎖国を強行した。
これも間違いだと思う。キリスト教ではキリスト教信者でない人間を、まともには人間と認めない。それはイスラム教でも同様である。上記chuka氏の考えの通りなら、西欧の国王は全てキリスト教を信じるわけにはいかない。
また、秀吉がキリシタンを弾圧したのは、キリスト教の人種差別的思想が日本文化と相性が悪いからである。つまり、秀吉がキリシタン弾圧に踏み切ったのは、イエズス会の“連中”が日本の薩摩などの悪党から調達した婦女子を、東南アジア方面に“輸出”することに加担したからである。(https://ja.wikipedia.org/wiki/バテレン追放令)
李氏朝鮮も日本と同じく鎖国を続けたが、開国後日本によって併合され滅亡した。
これも誤解が多い表現である。動画では、19世紀末の東アジアに関して、「清国は開国したが、日本は鎖国を続けた」という語りがあった。それも、とんでも無い誤りである。清は、英国などの好きなように料理されただけである。更に、上記のchuka氏ブログ内の李氏朝鮮の滅亡だが、日本の所為だけにしないでもらいたい。
日清戦争と日露戦争の原因は、ロシアの南下から日本を防衛するための戦争である。朝鮮が独立国としての体裁を整えていれば、日本が場合によっては大敗することを覚悟して、日露戦争など始めなかっただろう。(補足3)その日本を見て、東アジアでの野心を具体化しようと考え、積極的に協力したのが米国である。その一環として締結された密約が、日本が朝鮮を併合し米国がフィリピンを植民地化するという桂タフト協定である。
このような複雑な国際史の背景を無視して、李氏朝鮮の滅亡を日本の所為にするのは、単純明快だが、日本側にとっては迷惑な話である。
chukaさんの記事では、最後にもう一つの動画について(https://www.youtube.com/watch?v=3TY6tnNGORU)の解説も追加されているが、それについては後ほど必要があれば、コメントを追加する。
補足:
1)武士道では、卑怯な態度を嫌う。一対一の戦いを好むのは、背後から敵を襲うことを卑怯だと考えるからである。「敵ながらあっぱれ」という言葉は、敵軍の戦士が実力を発揮した(つまり、自軍にとって大きなマイナスにつながった)時に送る言葉であり、裏切りや奸計が躊躇なく用いられる戦争文化の国には、そんな言葉などある筈がない。 また、1942年3月、インドネシアスラバヤ沖回線で撃沈された、イギリス軍艦の漂流乗組員422名の救助を命じ実行させた海軍軍人工藤俊作は、紛れもなく日本海軍軍人である。
2)多神教という言葉は、ほとんどの場合、神が多くの表現をとって(多くの神体に)現れるという意味だろう。神体とは神が宿る存在であり、神体が神自体ではない。そう考えると、古事記などに出てくる神話はインチキ臭い。それとの関わりで言えば、伊勢神道は本物の神道あるいはオリジナルな神道ではない。優秀な歴史家である岡田英弘氏は、古事記は偽書であるという立場をとる。
3)李氏朝鮮は、清国の属国であり、軍事に無関心であった。19世紀末、ロシアが南下して脅威となったので、朝鮮は清国にロシアとの戦いを強制されたが、ロシアに簡単に負ける。その後、王妃の閔妃を中心に親露派が勢力を増し、それに反対する勢力により閔妃は殺害されるなど、朝鮮の政治は混乱する。ロシアが強いと見た高宗は、一時期ロシア領事館に住み込んで、朝鮮の政治をする始末であった。このような朝鮮の状況を、上念司は強盗(ロシア)などに親近感を感じるストックホルム症候群という言葉で形容した。)武士道では、卑怯な態度を嫌う。一対一の戦いを好むのは、背後から敵を襲うことを卑怯だと考えるからである。「敵ながらあっぱれ」という言葉は、敵軍の戦士が実力を発揮した(つまり、自軍にとって大きなマイナスにつながった)時に送る言葉であり、裏切りや奸計が躊躇なく用いられる戦争文化の国には、そんな言葉などある筈がない。 また、1942年3月、インドネシアスラバヤ沖回線で撃沈された、イギリス軍艦の漂流乗組員422名の救助を命じ実行させた海軍軍人工藤俊作は、紛れもなく日本海軍軍人である。
新元号決定に大島つむぎ宣伝員のパーフォーマンスなど必要なのか?
国民を馬鹿にする政府なのか、そもそも政府が馬鹿なのか?
新元号が令和と決定された。そのニュースと伴に、テレビでは何時の収録かは知らないが、今上天皇と次期天皇である皇太子の言葉が紹介されていた。そこでは「象徴としての天皇」という言葉が繰り返された。元号を議論する前に、このような天皇のあり方を模索されてきた天皇陛下と皇后の美智子妃殿下には、国民の一人として心から感謝申し上げたい。
4月1日には、エイプリル・フールという西洋からのモノマネ慣習が影を潜めて良かったが、新元号の決定というエイプリル・フール的馬鹿騒ぎに困惑させられた。新元号は、有識者と言われる人たちから案を出してもらい、それらに対する意見を、衆参両院の正副議長、全閣僚会議、最後に「元号に関する懇談会」で聞いた後、臨時閣議で決定される。
日本独特の「元号」をカレンダーに用いることは、言うまでもなく、天皇の在位と直結した制度である。しかし、何処にも新天皇の意見を聴くというプロセスはない。この元号制度と現在の国家のあり方の矛盾に対する意見など、新聞にもテレビの報道などにも、出てこない。
それを象徴するのが、最後に意見を聴く場である「元号に関する懇談会」のメンバーである。医学生理学の山中伸弥氏、国際政治学者を自称する元NHKアナウンサーの宮崎緑氏などである。宮崎緑さんには悪いが、何故彼女があのような場に座るのかわからない。大島紬に詳しいからなのか?
宮崎緑さんが、国民の前、或いはテレビやyoutubeなどの画面で、国際政治の何かを語ったことがあるのか?もし国際政治の分野から、そして同じ宮崎を名乗る人から意見を聞くのなら、世界を見ている宮崎正弘氏の方が適当だろう。 https://www.asahi.com/articles/ASM3Y2PD6M3YUTFK004.html
これらのプロセスと時間及び経費をかけて、セミの抜け殻のような元号を制定するのが、不思議の国日本の姿である。これだけのプロセスで、関係者がどのような発言をしたのか、その資料は一切公表されずに最後はゴミ箱から焼却炉に消える。
新元号が令和と決定された。そのニュースと伴に、テレビでは何時の収録かは知らないが、今上天皇と次期天皇である皇太子の言葉が紹介されていた。そこでは「象徴としての天皇」という言葉が繰り返された。元号を議論する前に、このような天皇のあり方を模索されてきた天皇陛下と皇后の美智子妃殿下には、国民の一人として心から感謝申し上げたい。
4月1日には、エイプリル・フールという西洋からのモノマネ慣習が影を潜めて良かったが、新元号の決定というエイプリル・フール的馬鹿騒ぎに困惑させられた。新元号は、有識者と言われる人たちから案を出してもらい、それらに対する意見を、衆参両院の正副議長、全閣僚会議、最後に「元号に関する懇談会」で聞いた後、臨時閣議で決定される。
日本独特の「元号」をカレンダーに用いることは、言うまでもなく、天皇の在位と直結した制度である。しかし、何処にも新天皇の意見を聴くというプロセスはない。この元号制度と現在の国家のあり方の矛盾に対する意見など、新聞にもテレビの報道などにも、出てこない。
それを象徴するのが、最後に意見を聴く場である「元号に関する懇談会」のメンバーである。医学生理学の山中伸弥氏、国際政治学者を自称する元NHKアナウンサーの宮崎緑氏などである。宮崎緑さんには悪いが、何故彼女があのような場に座るのかわからない。大島紬に詳しいからなのか?
宮崎緑さんが、国民の前、或いはテレビやyoutubeなどの画面で、国際政治の何かを語ったことがあるのか?もし国際政治の分野から、そして同じ宮崎を名乗る人から意見を聞くのなら、世界を見ている宮崎正弘氏の方が適当だろう。 https://www.asahi.com/articles/ASM3Y2PD6M3YUTFK004.html
これらのプロセスと時間及び経費をかけて、セミの抜け殻のような元号を制定するのが、不思議の国日本の姿である。これだけのプロセスで、関係者がどのような発言をしたのか、その資料は一切公表されずに最後はゴミ箱から焼却炉に消える。
2019年4月1日月曜日
「刺青」(谷崎潤一郎の小説)の感想
「刺青」は谷崎潤一郎の最初の小説だという。原稿用紙20枚にも満たない短編であるが、小説の面白さを教えてくれる作品だろう。谷崎は明治19年生まれであり、活動時期は20世紀であったが、小説の描く時代は絢爛たる町人文化の江戸時代だろう。私の理解した概略とその感想を書く。
物語の概略:
主人公清吉は、豊国国貞のような浮世絵師を目指したが、その目的は達せずに刺青師となった男である。自分の刺青師としての能力の限りを尽くして、それに相応しい美女の背中に女郎蜘蛛の刺青を入れるという物語である。その思いに駆られて数年の後に、清吉の命を懸けるほどの欲望に相応しい美女を見出す。しかし、その際見えたのは駕籠の簾のかげから溢れたように見える素足だけであった。
以下のように書かれている。小説家の文章とはこのようなものかと思わせる描写である。
その女の足は、彼に取っては貴き肉の宝玉であった。拇指から起って小指に終る繊細な五本の指の整い方、絵の島の海辺で獲れる薄紅色の貝にも劣らぬ爪の色合い、珠のような踵のまる味、清洌な岩間の水が絶えず足下を洗うかと疑われる皮膚の潤沢。
その時は後を追うものの見逃してしまうのだが、半年ほどして、色街の芸者の使いとして、羽織の裏地に何か絵を描くようにという依頼の手紙をもって清吉を訪ねてきた。そこで、清吉はその娘の深層に眠る心理を呼び覚ますために、二つの巻物を見せる。欄にもたれて生贄の男を眺める紂王の寵妃の絵巻物と、多くの男たちの屍骸を見つめて居る女と凱歌を歌うような小鳥の群を描いた「肥料(こやし)」と云う巻物である。
娘の心に自分の本性を知る切掛を与えた後に麻酔を嗅がして、清吉は仕事に取り掛かる。 丸1日程して、娘の背中に女郎蜘蛛の刺青ができあがる。(補足1)その仕事を成し終えた清吉の心は虚となるが、その一方で、娘の背中に彫られた女郎蜘蛛が命を得るかのごとくに、麻酔から覚めた娘の苦しみの中でうごめく。
その後湯に浸かり、彫り込まれた色を肌に馴染ませて、刺青は完成する。その苦痛に耐えることで、刺青として彫り込まれた女郎蜘蛛と娘は一体となり、座敷に出る前の娘を紂王の寵妃の末喜の様な女に変身させた。
帰る前にその女は言った。
「親方、私はもう今迄のような臆病な心を、さらりと捨ててしまいました。———お前さんは真先に私のこやしになったんだねえ」と、女は剣のような瞳を輝かした。その耳には凱歌の声がひゞいて居た。(補足2)
以下感想文:
1)この小説を読み、最初はくだらないことに命を掛ける姿を見た気持ちになった。そして、次に私的な世界にのみ生きるタイプの人間が、生活に余裕ができた時、どのように自分の生命を消費するのだろうかと考えた。
その人間の本性の現れ方は、時代背景などにより変化するだろう。この小説は、江戸時代の町人文化の中に生きる、私的な世界に沈んだ人間の究極の姿を描く名作だと思うことになった。並外れた才能と美貌が出会い、私的な小さな世界を追求する姿を描いているのだと思う。(補足3)
江戸時代、この国には拡張の余地はなかった。文明も、そして、それにより拓かれる文化も、飽和状態であった。そのような世界では、多くの人は私的な世界に入り込み、原始的な姿に戻るのだろう。つまり、この小説はエロティシズムの中で、人生の全てを消費する文明社会の中での原始的人間の姿を描いている。
足先だけを見て、その美しい女性の全身を知ることができる清吉の姿は、研ぎ澄まされたエロティシズムの結果である。そして、女郎蜘蛛を背中に持ち、今後、世の中の男どもを餌食とする女の姿も同様である。勿論、それらは小説の世界でしか書けない話なのかもしれない。優れた小説家が、狭い江戸町人文化の片隅を見事というか、誇張して描いていると思う。
人間には他の動物にない想像力や自分の姿を見る目が備わっている。更に、有史以来数千年以上の間に作り上げた社会と文化を持っている。それらを表現のキャンパスにして、原始的な生物としての人間の生態を描くのなら、この小説のような世界となるだろう。
2)現代人は、江戸時代の人と比較して、遥かに大きく広がった空間を持っている。しかし、その文化は停滞的であり、多くの人に何らかの形でより文化的方向に前進する社会の姿は見えていない。つまり、江戸時代の町人文化のような停滞感や成熟感があるのではないだろうか。
彫り師の清吉と、女郎蜘蛛を背中に持つ女の世界は、江戸時代を背景に描かれた世界である。一方、高度に発達した資本主義文明の中で、停滞し腐敗の領域に入ろうとしている文化の下、類似の世界がある様に思える。テレビなどで、芸能界の隅の薬物と性で象徴される退廃した世界を垣間見る時、そのように考えてしまう。
この小説は、停滞した文明化社会の中で、人が生命としての本質に戻った時、どのような姿になるかに関して、一つの例を提供している。これは単に、一つの小さい世界に住処つまり巣窟(英語のnest)を求める人間の姿なのかもしれない。(補足4)
上に原始的な姿に戻ると書いたが、それは人間の本来の姿ではない筈と思いたい。人が単に知的能力に優れた哺乳動物(アニマル)でないのなら、原始的な姿=本質的な姿、ではない。人の本来あるべき姿は、隣の人や見ず知らずの人にも親和力を持つ「人間」という文化的な姿である。
もしそれが、仮の宿の仮の姿であるとしても、(補足5)それにこだわることに人間としての義務がある。私はエホバ神の信者ではないが、創世記の始めの方に「神は自らの姿に似せて人を作り賜うた」という記述を印象深く記憶している。それは、単なる知的なアニマルであるだけでは人ではないという戒めである。
(前日一旦投稿しましたが、不十分な内容だったため、書き直しました。2019/4/2)
補足:
1)丸一日麻酔の下で刺青をするようなことは実際にはあり得ない。しかし、そこに拘る解説をネットでみたが、それは小説の読み方ではないと思う。以前、芥川龍之介の藪の中を評した際、法医学を持ち出して小刀を刺したのは多襄丸ではないという議論を紹介したが、それも同様に滑稽である。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2018/08/iii.html
2)この文章中の「こやし」は、清吉が娘に見せた2本目の巻物の画題「肥料」である。
3)人間が文化的存在だとすれば、そのような人間の姿は停滞した社会の中での大いなる無駄を表している。
4)この小さい世界を住処とする人の性質は、又吉直樹著の芥川賞作品「火花」にも描かれている。4年前に、この作品の感想文を書き、「漫才」も一つの文化のフロンティアであり、そこを住処と決めて生きる人の姿を描いていると、高く評価したことがある。 https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2015/08/blog-post_18.html
5)「仮の宿」という言葉は、曽野綾子さんの本の題名からお借りしました。
物語の概略:
主人公清吉は、豊国国貞のような浮世絵師を目指したが、その目的は達せずに刺青師となった男である。自分の刺青師としての能力の限りを尽くして、それに相応しい美女の背中に女郎蜘蛛の刺青を入れるという物語である。その思いに駆られて数年の後に、清吉の命を懸けるほどの欲望に相応しい美女を見出す。しかし、その際見えたのは駕籠の簾のかげから溢れたように見える素足だけであった。
以下のように書かれている。小説家の文章とはこのようなものかと思わせる描写である。
その女の足は、彼に取っては貴き肉の宝玉であった。拇指から起って小指に終る繊細な五本の指の整い方、絵の島の海辺で獲れる薄紅色の貝にも劣らぬ爪の色合い、珠のような踵のまる味、清洌な岩間の水が絶えず足下を洗うかと疑われる皮膚の潤沢。
その時は後を追うものの見逃してしまうのだが、半年ほどして、色街の芸者の使いとして、羽織の裏地に何か絵を描くようにという依頼の手紙をもって清吉を訪ねてきた。そこで、清吉はその娘の深層に眠る心理を呼び覚ますために、二つの巻物を見せる。欄にもたれて生贄の男を眺める紂王の寵妃の絵巻物と、多くの男たちの屍骸を見つめて居る女と凱歌を歌うような小鳥の群を描いた「肥料(こやし)」と云う巻物である。
娘の心に自分の本性を知る切掛を与えた後に麻酔を嗅がして、清吉は仕事に取り掛かる。 丸1日程して、娘の背中に女郎蜘蛛の刺青ができあがる。(補足1)その仕事を成し終えた清吉の心は虚となるが、その一方で、娘の背中に彫られた女郎蜘蛛が命を得るかのごとくに、麻酔から覚めた娘の苦しみの中でうごめく。
その後湯に浸かり、彫り込まれた色を肌に馴染ませて、刺青は完成する。その苦痛に耐えることで、刺青として彫り込まれた女郎蜘蛛と娘は一体となり、座敷に出る前の娘を紂王の寵妃の末喜の様な女に変身させた。
帰る前にその女は言った。
「親方、私はもう今迄のような臆病な心を、さらりと捨ててしまいました。———お前さんは真先に私のこやしになったんだねえ」と、女は剣のような瞳を輝かした。その耳には凱歌の声がひゞいて居た。(補足2)
以下感想文:
1)この小説を読み、最初はくだらないことに命を掛ける姿を見た気持ちになった。そして、次に私的な世界にのみ生きるタイプの人間が、生活に余裕ができた時、どのように自分の生命を消費するのだろうかと考えた。
その人間の本性の現れ方は、時代背景などにより変化するだろう。この小説は、江戸時代の町人文化の中に生きる、私的な世界に沈んだ人間の究極の姿を描く名作だと思うことになった。並外れた才能と美貌が出会い、私的な小さな世界を追求する姿を描いているのだと思う。(補足3)
江戸時代、この国には拡張の余地はなかった。文明も、そして、それにより拓かれる文化も、飽和状態であった。そのような世界では、多くの人は私的な世界に入り込み、原始的な姿に戻るのだろう。つまり、この小説はエロティシズムの中で、人生の全てを消費する文明社会の中での原始的人間の姿を描いている。
足先だけを見て、その美しい女性の全身を知ることができる清吉の姿は、研ぎ澄まされたエロティシズムの結果である。そして、女郎蜘蛛を背中に持ち、今後、世の中の男どもを餌食とする女の姿も同様である。勿論、それらは小説の世界でしか書けない話なのかもしれない。優れた小説家が、狭い江戸町人文化の片隅を見事というか、誇張して描いていると思う。
人間には他の動物にない想像力や自分の姿を見る目が備わっている。更に、有史以来数千年以上の間に作り上げた社会と文化を持っている。それらを表現のキャンパスにして、原始的な生物としての人間の生態を描くのなら、この小説のような世界となるだろう。
2)現代人は、江戸時代の人と比較して、遥かに大きく広がった空間を持っている。しかし、その文化は停滞的であり、多くの人に何らかの形でより文化的方向に前進する社会の姿は見えていない。つまり、江戸時代の町人文化のような停滞感や成熟感があるのではないだろうか。
彫り師の清吉と、女郎蜘蛛を背中に持つ女の世界は、江戸時代を背景に描かれた世界である。一方、高度に発達した資本主義文明の中で、停滞し腐敗の領域に入ろうとしている文化の下、類似の世界がある様に思える。テレビなどで、芸能界の隅の薬物と性で象徴される退廃した世界を垣間見る時、そのように考えてしまう。
この小説は、停滞した文明化社会の中で、人が生命としての本質に戻った時、どのような姿になるかに関して、一つの例を提供している。これは単に、一つの小さい世界に住処つまり巣窟(英語のnest)を求める人間の姿なのかもしれない。(補足4)
上に原始的な姿に戻ると書いたが、それは人間の本来の姿ではない筈と思いたい。人が単に知的能力に優れた哺乳動物(アニマル)でないのなら、原始的な姿=本質的な姿、ではない。人の本来あるべき姿は、隣の人や見ず知らずの人にも親和力を持つ「人間」という文化的な姿である。
もしそれが、仮の宿の仮の姿であるとしても、(補足5)それにこだわることに人間としての義務がある。私はエホバ神の信者ではないが、創世記の始めの方に「神は自らの姿に似せて人を作り賜うた」という記述を印象深く記憶している。それは、単なる知的なアニマルであるだけでは人ではないという戒めである。
(前日一旦投稿しましたが、不十分な内容だったため、書き直しました。2019/4/2)
補足:
1)丸一日麻酔の下で刺青をするようなことは実際にはあり得ない。しかし、そこに拘る解説をネットでみたが、それは小説の読み方ではないと思う。以前、芥川龍之介の藪の中を評した際、法医学を持ち出して小刀を刺したのは多襄丸ではないという議論を紹介したが、それも同様に滑稽である。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2018/08/iii.html
2)この文章中の「こやし」は、清吉が娘に見せた2本目の巻物の画題「肥料」である。
3)人間が文化的存在だとすれば、そのような人間の姿は停滞した社会の中での大いなる無駄を表している。
4)この小さい世界を住処とする人の性質は、又吉直樹著の芥川賞作品「火花」にも描かれている。4年前に、この作品の感想文を書き、「漫才」も一つの文化のフロンティアであり、そこを住処と決めて生きる人の姿を描いていると、高く評価したことがある。 https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2015/08/blog-post_18.html
5)「仮の宿」という言葉は、曽野綾子さんの本の題名からお借りしました。