1)芥川龍之介の「藪の中」の真理については、以前からいろんな解釈がなされ、どれも反論の余地があり、真相はわからないことになっているようだ。(A) 最近「藪の中」の解釈について、諸説を紹介しながら、自身の考えを記した記事を見つけた。以下の集英社関連のサイトである。(B) 著者は植島啓司という人で、関西大教授をされていた方のようである。(C)
実は私も、全く独自に藪の中の真実を考え、ブログ記事を書いた。今でもそれが唯一矛盾のない解釈だと思っている。以下に植島氏の記事を横に置きながら、自説の補強を兼ねて議論したいと思う。(D)
(A) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%AA%E3%81%AE%E4%B8%AD
(B) http://shinsho.shueisha.co.jp/column/aikake/080421/index.html
(C)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E5%B3%B6%E5%95%93%E5%8F%B8
(D) https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2017/10/blog-post_14.html
私のブログ記事での解釈の要点は以下の通りである。三人の証言の内二人の証言が一致する部分と、1人だけ語っている部分での「事実」は正しいとする。また、三人以外の人の証言も特に理由がない限りそのまま信じて良いとする。
私が考えた鍵となる仮説の一つは、「真砂を見た時から、多襄丸は出来るのならずっと自分の側に置きたいと強く思った」である。(補足1)真砂を暴行する前に、武弘を殺さなかったのは、抵抗がなければ二人の命は助かると思わせるため、そして、最終目標を意識したために自分を全く粗暴なる人間と思わせたくなかったからだと考える。
暴行した後、多襄丸は真砂を慰めて自分の妻にしようとする。(補足2)それを聞いて、真砂は「二人の男が生きたままでは、自分の恥を他人が知っていることになる。それは死ぬより辛い」という。その時、真砂は既に二人の男から逃げることを考えていたと思う。男勝りで聡明な真砂には、人生を目の前のつまらない二人の男のところで終わらせたくなかったのである。
遺跡の埋蔵物を安値で買い取って大儲けしようと考えた夫の武弘も身の程知らずだが、都の上流階級の美人を妻にしたいと思う多襄丸も、バカで身の程を知らぬ男である。しかし、多襄丸は真砂の言葉を聞いて、決闘して勝って真砂を手に入れようと盲目的に考える。武弘の縄をといて、決闘が始まったとき、真砂はサッと逃げる。多襄丸といえども決闘中は真砂を追いかけるわけにはいかない。真砂の提案の狙いは、そこにある。武弘を突き殺した多襄丸は(補足3)、真砂は人を呼びに行ったと思い、早々と追いかけ捕まえることを諦め、金目のものを奪って逃げた。
真砂の言葉の真意を理解しない武弘は、真砂を心の底から憎む。そのように考えると全ての謎が解ける。それが先に引用した私のブログ記事の内容である。先ず簡単に上記マークした筋書きの根拠を、補足1−3として以下に書く。(最初は読み飛ばしてもらっても良いと思う。)
—————————————————補足(1−3)——————————
(補足1)武弘を縛り付けるという手間のかかる方法をとっている。これまでの多襄丸の暴行と同じパターンなら、斬り殺して藪の奥に遺棄するだろう。真砂をできるだけ刺激したくないという考えが最初からあったのである。検非違使に問われた放免も、女好きの多襄丸は、昨年も女と童を襲って殺したようだと証言している。多襄丸も、卑しい色欲だけなら、縋る女を蹴飛ばして逃げれば良いと証言している。
(補足2)この部分は、武宏の死靈のことばにある。それは、多襄丸の上記証言、そしてこの話の全体から間違いないと思う。
(補足3)武弘を殺したのは多襄丸である。武宏に刃物が突き刺さる瞬間、武宏の死靈は自分1人になったときと言い、真砂は自分と夫武弘が残されたときと言う。この二人の何方かの証言が正しいとすると、多襄丸は刃物が刺さった場所を知らない筈である。しかし、多襄丸はハッキリと胸を突き刺したと証言している。それ以外のこの場面の解釈は、後で触れるように不自然である。
——————————————————————————————————
2)兎も角、上記上島氏の書いたものを読みすすんだ。しかし、その内容は納得のいくものではなかった。例えば前編三節(主題と論争)の最後の部分にこのような記述がある。
ここで注意したいのは、多襄丸の「白状」、真砂の「懺悔」、武弘の死靈の「物語」を、それぞれ同じ平面で捉えることは出来ないということである。多襄丸の「白状」は、検非違使の前だが、真砂の「懺悔」は清水寺でのもので、いくら告白しても罪に問われることはないのである。さらに、武弘の死靈の「物語」となれば、それがどこで語られたにしろ、武弘自身によるものでも、死靈の手によるものでもなく、あくまでも巫女の口から出たものでしかないのである。
上記文章の最初の文で言いたいことはその通りだと思う。しかし植島氏は、武弘の言葉を語る巫女の言葉を、「死靈の手によるものでもなく、あくまで巫女の口から出たものでしか無い」と切り捨てている。これでは、登場人物などとの巫女との関係、巫女の宗教的立場などが説明されていない以上、小説から省いても何ら問題はないことになる。私は、これにはびっくりである。
小説を書いた人と読む人の間には、一定の約束が予め存在すると思う。非常に稀なケースでは、その約束を後で読者は知ることになる場合もある。つまり、よく読めばその約束が作者から明確な形で渡されているのである。典型例は、芥川著の地獄変である。そこでは、語り手が堀川の大殿の人格をまるで自分が従う主のように記述している。その語り手の歪んだ記述に気がつかなければ、地獄変は理解不能な作品となる。
この藪の中では、そのような約束はない。こまごまとしたことは一切なかったとするのが、この短編を読む際の約束だと思う。小説を読むときの約束について、素人ながら少し考えたので、最後のセクションに以下書くことにする。
兎に角、この小説では事件の当事者三人は、都合の悪いことは隠すか嘘を言っている。そして、もし武弘の霊が語る事ができたなら、多襄丸や真砂と同様に生前の武弘の立場にたって真実と嘘を混ぜて話すだろう。小説の作者は、その言葉を巫女の言葉として記述しているのである。それを認めないで、巫女も女であるという類の捉え方をするのなら、その必要性に説得力が無くてはならない。例えば、それが鍵となって、全ての謎が解けるというような場合である。
3)このセクションでは、最初のセクションで述べた私の解釈の概略に、付け足しをする。少し重複することになるが、それは許してもらいたい。
私の前回のブログ記事では、「真砂は武弘について満ち足りぬものを感じていた」と推測し、それを全体の話の筋を解く主なる鍵と考えた。(従なる鍵は既述の、「真砂を見た時から、多襄丸は出来るのならずっと自分の側に置きたいと強く思った」である) その情況証拠は、一つには真砂は生き残ったことである。当時の文化の詳細は知らないが、恐らく①「女の操は命を懸けて守るべきだ」という強い道徳的要請があった可能性が高い。②真砂は何故生き残る道を必死に探ったのか?これがこの小説の重要な部分だと思う。
私は、真砂は武弘の女房として十分幸せではなかったからだと解釈する。恐らく軽蔑すらしていただろう。その軽蔑の感情は、事件の中で修復不可能なまでに大きく膨らむ。その結果、19歳でこのまま死んではなるものかと、男勝り(母親の証言)の真砂は考えただろう。それは武弘の理解を遥かに超えて居たはずで、相互不信は憎しみになって証言にあらわれている。
武弘が、隠した古墳の埋蔵物を安く譲りたいという多襄丸の話に簡単に乗ってしまったことは、常日頃の夫への不満を一層深くしただろう。そして、自分は道脇で待ったのである。その結果が、盗人に騙されて木に括り付けられて、自分の女房を守れないでいる。その時、真砂は真に武弘を軽蔑しただろう。
①の道徳に囚われている武弘であれば、多襄丸に暴行されるままであり、ことが終わった後も多襄丸と話をする真砂を蔑みの目で見たことが容易に想像できる。元はと言えば、武弘が馬鹿げた儲け話を信じて泥棒の罠に嵌ったからではないのかと、真砂は思うだろう。それが、目の光として鋭く相手を射る様子は想像に難くない。
多襄丸の証言の内、妻を暴行するまではほぼ正しいだろう。何故なら、小説ではその部分について他の人物の証言が書かれていないからである。ただ、悪党の多襄丸が武弘を事前に殺さなかったのには、既に述べた様に最初から出来るだけ穏便に当初の目的を遂げ、その後真砂をそのまま連れ去ろうと考えたのだと思う。捕まった後の証言では、殺すことになった動機を真砂の言葉があったからだということで、死罪を免れようと考えただろう。
自分が殺したと言ったのは、最初から自分以外に殺す人間は居ないとだれもが思うことを承知していたので、そこで嘘をついても検非違使の心象を悪くするだけだと思ったからだろう。決闘場面を殊更大げさに、二十三合目に相手の胸を刺したと言っている。本当は4−5回太刀を交わした後、突き刺しているのだろう。
真砂は①の道徳があるにも関わらず、②何とか生き残りたいと可能性を探った。男にも劣らぬ勝ち気な女という実母の証言通り、短時間で冷静になり一計を案じる。「眼の前で戦って欲しい。勝った逞しい方とその後添い遂げたい」と多襄丸に持ちかける。真砂は、多襄丸は受けるに違いないと思ったのである。それは、多襄丸にも真砂にも、勝つ方は最初から分かっていたからである。戦いが始まったときに逃げるのが、真砂の策略である。多襄丸が見抜けなかったのは、都の貴族の女性を女房にするという自分には本来あり得ない話が目前に来たと思い込んだからである。
盗人の多襄丸が居ないと確信したのち、現場を確かめに行き、その時自分の小刀を拾った。心中をする筈だったというのは、それらを隠すための嘘の懺悔である。その時、夫は深手を負い、既に死んでいるように見えたが、実際はまだ意識があったようである。誰かが胸の刃物を抜き取ったというのは、自刃したという嘘を隠すためである。多襄丸に突き刺されたのなら、もともと刃物は胸には残らないからである。
武弘は、伝統的道徳である、①に従わず、こともあろうか決闘させて勝ち残った方に添い遂げるというとんでもないことを言う真砂を軽蔑し憎む。しかし、元は自分の不甲斐なさが原因であることも自覚している。そこで、蔑みの目で真砂を見た件については隠した。そして、憎しみに震える心は、真砂の「どちらか生き残った一人と添うという言葉(生き残るための真砂の策略)」を、「あの人(縛られた武弘)を殺してください」という言葉に換える。
武弘の死靈は、多襄丸が夫を裏切る提案をした真砂を蹴り倒して、武弘に「あの女をどうする?殺すか助けるか?」と聞いたと言う。それは果たせなかった妻への復讐心が作り上げた物語だろう。その後、真砂が一声叫んで逃げたが、多襄丸は捕まえそこねたと言う。しかし、同時に追いかけて捕まえる事ができないというのは多襄丸にしては不自然である。
この当たりの武弘の死靈のことばは、真砂への憎しみで満ちた気持ちによる嘘である。それは、真砂が暴行されても自害もしようとせず、更に決闘して生き残った方と添い遂げるという、夫の自分を見捨てる提案を多襄丸にしたからである。そして、その後どこかへ逃げてしまう。一手に悲惨な結末を押し付けられた不条理に耐えられなかったに違いない。
4)この小説は、男の幼稚さ、女の強かさを描いた作品だろう。武弘は、多襄丸から持ちかけられた大儲けの話に目がくらんだ。そして、自分たち夫婦を危機に陥れたのである。多襄丸は身の程も知らず、都の貴族の美人を自分の女房に出来ると考え、自分が数分前にしたことも思考の外に押しやり、真砂の策略に乗ってしまう。
一方真砂は、下らない男どもから逃れて、自分の人生を19の歳からやり直す気持ちが、心の何処かにあっただろう。清水寺で懺悔するのだが、そこで最後に「観世音菩薩もお見放しなすったのかもしれません」と言っている。上野はこの部分を議論した高田瑞穂の「藪の中論」(1976年)の中の言葉を取り上げている。
“何故「お見放しなすったに違いありません」と言わなかったのか。まさに夫が死んだのだからもはや自分は死ぬ必要が無いと言わんばかりではないのか。彼女のいきることへの執着を感得せざるをえないというのである。”
それを指摘しながら、高田は武弘の自殺説をとっているという。武弘は真砂に対して憎しみの気持ちでいっぱいの筈である。その溢れるような憎しみは、自殺を阻害することはあっても、自殺に導くことはない。憎しみは人に新たな生きる目標を与えるからである。(補足1)
私なら、その生きる執念はどこから来るのかということを、夫婦関係を含めて再考察の材料にする。植島氏の論文の後半部分{特に3)と4)}も、全く理解に苦しむ。
5)植島氏の文章で引用されている多くの方々の解釈は、オリジナルで読んで見たいと思う。ただ、引用された部分では、それぞれ重要なことを見過ごしていると思う。その一つ重要な点を指摘したい。それは、上に少し書いたように、小説にも暗黙の了解として、普通の読み方が在ると思うのである。それを無視して、不要な詮索をしても何にもならないと思うのである。
例えば、上野正彦という方の法医学の立場も取り入れた議論を紹介している。それは胸元を突き刺した場合、その刃物を直ぐに取り除けば、血が飛び散る筈であるという話から、多襄丸殺害説を否定している。しかし、胸を突き刺しても、動脈を切ったり、心室に穴を開けたりするとは限らない。それに、武弘も服を着ており、200ヘクトパスカルの圧力で血が飛び出てきても、服に遮蔽され野原の四方に飛び散らないのではないか。ちなみに、一般の水道水の圧力は数千ヘクトパスカルの圧力で送水されている。パスカルとはN(Newton)/m^2である。http://mizumawari.biz/blog/3rd-floor
また、法医学など専門知識を動員して解釈するべきだとすれは、作者芥川龍之介に法医学の知識も要求することになる。それを言い出すと、小説など書けなくなる。中心的でない部分は、作者の意図を汲み取るような読み方が望まれると思う。例えば、「藪の中」のなかで、地理の知識があれば揚げ足をとることも出来る。
旅法師の証言では、夫婦は当日山科を関山(逢坂の関)の方に向かって進んでいる。何故武弘と真砂は、都から若狭に向かう(真砂の母親の話)途中で、関山つまり逢坂の関に向かう必要があるのか?多襄丸が一緒だという話などない。その点を誰も議論していない。
京都から若狭に向かうには、通常は二つの道を通るだろう。所謂、鯖街道と呼ばれている道である。それらは逢坂の関とは無関係である。それをどう説明するのか?大津に出て、琵琶湖沿いに滋賀県高島町経由で若狭に至る道はあるが、それは大変な遠回りである。何か用事があったのか?しかし、そのような詮索をしないのが、小説の読み方だと思う。
最初に植島氏が取り上げた「藪の中」の考察は、その後の議論の火付け役となった中村光夫の分析である。その中では、中村光夫は「この作品の中の最も重要なテーマは、強制された性交によっても、女は相手の男にひきつけられることがあるのかということ」だと論じているという。別分野の小説と混同して議論しているのだろうか?
また、植島氏の後編3)で取り上げている芥川のメモや、生前三角関係にあったなどという話は、作家を論じる場合にはあり得るが、作品を論じるときには特別の事情がない限りあり得ないと思う。小説は、それ自体で閉じた世界を作る必要がある。その評価や議論で用いるのは、作者が言及しなかった時代背景などだけだろう。
植島氏の文章で「藪の中」についての議論として引用されたのは、以下の通りである。人と発行年などのみ記す。
中村光夫、(『「藪の中」から』、すばる、1970年6月);
福田恆存、(『「藪の中」について』、文学界、1970年10月):
大岡昇平、(『芥川龍之介を弁護する』、中央公論、1970年12月);
高田瑞穂、(『「藪の中」論』、芥川龍之介論考、1976年);
駒沢喜美、(『芥川龍之介「藪の中」』、1969年);
海老井英次、(『芥川龍之介論攷—自己覚醒から解体へ』、1988年)
補足:
1) セクション4の補足1: 溢れんばかりの憎しみは、人を強く生きようとさせる。それは真砂の生きる意思であり、同時に武弘から自殺する気持ちを奪いさるだろう。場違いだが、隣国が日本憎しを宣伝するのは、国民の団結と現体制の維持が目的である。国家に強い生命力をもたせるためである。また、山口県光市の母子殺害事件では、犯人憎しの感情がその夫を強くし、生きる勇気を与えたと思われる。非常に有能な方に憎しみを与えた犯人は、その時点で負けることになったのである。
2018/8/24
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