2020年2月29日土曜日

専門化と機能体組織:日本国が機能体組織として脱皮しなければ滅びるだろう

1)専門化が進む社会

 

歴史上、専門家の能力が最も高いのは現代である。近代文明(補足1)の誕生と発展により、科学や技術の分野だけでなく、全ての面で専門化が進んだからである。それは、個人の知的な活動だけでなく、対人活動、身体的活動にまで至る。例えば、スポーツは一般民全ての余暇活動から、資本主義経済と連携することで、それを職業とする人たちが現れた。

 

日本では最初、プロ野球、プロボクシングなどの職業的スポーツが現れた。その後、陸上、水泳、体操などまで、プロ的になった。そのスポーツの専門家の能力は、一般民とは桁違いである。例えば、体操の最高難度は1960年代のC難度だったが、現代はHやI難度まである。

 

経済や政治の分野も、専門化が活躍することになった。会社は最初共同体的な組織であったが(補足2)、資本主義経済の発展により、機能体組織(補足3)として高機能化&拡大しなければ、生き残れなくなった。そして、専門家が活躍するようになった。

 

各部門に高度な専門家を配し、高機能化を実現した会社のみが、世界の経済界で生き残るのである。そして、人事、金融、技術、生産、研究、市場開拓、営業(理系素人なので、詳しくはわかりませんが)などと各部門の専門化とそれぞれの深化が進むだろう。

 

日本の低迷は、多くの世界的となった株式会社でも、元々の共同体組織としての性格が抜けないこと、その結果、各部門の実質的な専門化が進まないことなどが原因だろう。そのことをネット記事にかいたのが、米国在住の冷泉彰彦氏(ペンネーム)の指摘である。その記事の題名は、「もはや笑うしかない。日本の生産性をダメダメにした5つの大問題」である。その冷泉氏の記事について、私なりに解釈したのが1月3日の記事である。

 

要するに、競争空間が日本国内から地球全体に広がったことにより、会社などの社会組織に、①機能体組織化への圧力がかかること、つまり、専門への細分化と組織全体としての高機能化の圧力がかかるということである。上記社会学の言葉を用いると、②共同体組織のままに留まり、機能体組織に脱皮できないということである。

 

その背景にあるのは、日本の人間関係を最重要視する文化だろう。その結果、指導者もその部下も個人の決断も個人の主張も出来ないのである。みんな仲良く「和を以って尊(とうとし)と為す」の古代の箴言(或いは宗教)から、自由になれないのである。

 

 

2)国家こそ、機能体組織として高度化しなければならない

 

我々日本国民にとって、株式会社よりも大事な組織がある。日本国という組織である。日本国の低迷は、経済だけでなく、政治においてこそ議論され、改革されなくてはならない。その日本国の組織は、日本の会社同様、十分に機能体組織として進化していない。このままでは、羽化しないアゲハの幼虫のように、蛹のまま厳しい環境の中で死ぬだろう。

 

日本国という組織は、当然、行政、司法、立法の国家組織と日本国民全体で構成される。問題は、魚で言えば頭の部分、国家組織の改革である。魚は頭から腐るのである。(補足4)

 

日本を、共同体的組織として組み替えたのは、明治の薩長政府である。江戸の時代、国の機能体化は一定のレベルに進んでいた。しかし、黒船到来をチャンスと見た統幕勢力により、破壊された。彼ら薩長勢力が用いたのは、天皇を利用した共同体化である。(孝明天皇は最後まで、江戸幕府の能力を信頼し、薩長を嫌った。)

 

「日本国民は全て、天皇の臣民として、団結しなければならない」という思想(国家神道)を柱に用い、国家権力の装置である日本軍のために、「日本軍人となることは、天皇により近い存在となり、名誉なことである」と国民に教育した。(明治憲法第11条、天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス)

 

戦死したとしても、それは名誉の戦死であり、天皇の臣下として靖国神社に祀られるのだというのである。国民の多くは漠然と、日本民族は天皇の臣民として共同体をなし、それが日本国という組織であると今でも思っているだろう。

 

天皇は日本のシンボルとして相応しい。しかし日本が、戦前の天皇を中心にした共同体組織の性格を何時までも引きずっていては、グローバル化の世界で日本国は衰退を続け、近い将来滅びるだろう。

 

国家の近代化とは、共同体的性質の払拭であり、汎ゆる方向での高機能化を含む機能体組織化の徹底である。それを実現するには、国家による明治以降の歴史の再評価と、国家のあるべき姿の理解を目的に、広く知性を集めて議論することが必須だろう。

 

ここで、民主主義という政治制度と、国家の高度な機能体組織化は両立するのかという問題が重要である。2、3日の間にその問題を考えたい。

(編集:12:00)

 

補足:

 

1)近代とは普通、市民革命後の欧州に生じた主権国家体制を指す。しかし、ここでは近代文明を、産業革命後の技術の発展と資本主義の採用に伴った社会のあり方と定義する。主権国家体制は、恐らくこの定義による近代文明の産物だろう。

 

2)会社は、最初家内工業として出来たケースが大半だった。例えば、世界的企業のパナソニックは、1917年に松下幸之助が大阪府の借家で電球用ソケットの製造販売を始めたのが最初である。当時は幸之助の妻と義弟の井植歳男(後の三洋電機の創業者)の3人で営業していた。英国の会社でも、何とかブラザーズという名前の会社が多かったのは、その歴史を示している。

 

3)ドイツの社会学者Ferdinand Tönnies(フェルディナント・テンニース1855–1936)は、近代文明によって社会組織が大きく且つ複雑になると、利益や機能を第一に追求する機能体組織(Gesellschaft)が人為的に形成されていくという社会進化論的モデルを出した。古代からの地縁や血縁などで深く結びついた社会を、共同体組織(Gemeinschaft)と呼ぶ。

 

4)家長と、彼に忠誠を誓った人たちによる政府を持つ隣国には、明るい未来はないだろう。また、日本の安倍内閣に対しても、辻元清美議員は「鯛は頭から腐る」という言葉で、その家族や友人に利益誘導する姿勢について指摘した。安倍総理の森友学園、加計学園、桜を見る会などに関する疑惑、検事総長の定年延長などは、辻元議員の指摘が正しいことを示唆している。

https://ksl-live.com/blog29891

 

2020年2月28日金曜日

新型コロナウイルスによる社会全体の被害は、行政の良し悪しに大きく依存する

新型肺炎COVID-19に対する行政が取るべき対策について、少し書いて見たい。先ず指摘したいのは、日本の行政が一般に警戒心が薄いことである。昨日の安倍総理の全国に向けた要請も、必要性と効果を熟慮して出されたものではなく、多分に選挙対策的(つまり口先介入的)である。

 

例えば、学校を3月始めから休みにした時、どのような効果や影響があるかについて、広視野での考察がなされていない。テレビでは、学校を長期休暇にすれば、子供は遊び廻って感染し、それを家庭に持ち込む危険性が増加すると言っていた。更に共稼ぎの夫婦の家庭の場合、子供を家に放置すると、何かと問題が起きそうである。

 

それを考えてか、大阪府の松井知事は、その期間中に子供を濃厚接触しない状態で、府下の学校が預かると発表している。橋下徹氏が知事になって以来、大阪維新の会の行政はしっかりして居ると思う。

 

今朝、地区の回覧がグループの長を務める人から回ってきた。たまたまだが、今年の回覧は最初に私の家の新聞受けに入る。それは、25日の日付の市長の新型肺炎対策についてのメッセージであった。先ず、28日になって一般住民に緊急回覧ではなく通常の回覧として回された点で、緊迫感の無さが分かる。

 

その回覧には、前回ブログ記事に書いたように、「感染力や重症化に関しては過度に心配する必要はないとされていますが、市民の皆様には、通常の風邪やインフルエンザ等の対策と同様、手洗いやアルコール消毒、咳が出る場合にはマスクの着用等、感染予防対策にご努力いただきますようお願いします。」という市長のメッセージが書かれていた。

 

「通常のインフルエンザ等の対策と同様」では、このウイルスへの対策としては全く不十分である。認識不足であり、市長は反省してもらいたい。

 

ここで、一つの動画を紹介したい。それは中国人医師のこの病気の特徴を述べたものである。掴み所がなく、非常に危険なこの病気の正体と、それに社会全体の対策について語られて居る。

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=nvmORGDDCKQ

 

最初の中国人医師は先ず、このCOVID-19ウイルス病は、個人間で症状にばらつきがあり捉えどころがないので、乱破ウイルスと呼んで居ると話している。感染しても症状が出にくい人がいて、潜伏期間にも1−24日という広い範囲に散らばっている。そして、感染力も非常に大きいので、熱も咳も出ずに出歩いた人が病原ウイルスを広げてしまう可能性が高い。

 

そこで感染した人に重篤化する人もいるし、自分が病原ウイルスをばらまいたことに気が付かないうちに治ってしまう人もいる。全員検査する訳にはいかないし、検査の信頼性にも揺らぎがあるので、社会全体としての危害が大きい。

 

「PCR検査は信頼性が低いのは、この新型ウイルスが出てから発明されたことも関係している」と言う部分は、恐らく誤訳を含むだろう。PCR検査はずっと前から遺伝子操作を伴う研究で用いられ、犯罪操作などでも多用されていたからである。

 

発症前の検査での陽性になる確率の40−50%という発言も、恐らく、サンプルが含むウイルスの濃度が極めて低いことが原因だろう。PCR検査自体の問題というよりも、検査プロセスつまり、従来の検査マニュアルに問題があるのだろう。

 

従って、PCR検査においては、サンプリングの方法、検査における反応の増幅回数(検査時間)など、新型コロナ用に特別のマニュアルを急ぎ作る必要がある。つまり、低濃度でウイルスを保有している保菌者からの感染が考えられるので、ウイルス検出の精度を高める必要がある。

 

そのためには、喉からだけでなく鼻孔からのサンプリングも行い、複数回のPCR検査で結論を出すという工夫なども必要だろう。

 

また、CT検査で肺炎の症状を見落とす場合もあると言っている。このCOVIT-19は、免疫暴走による多臓器での様々な病変の結果無くなる人も多いという。常識をあてにした対応を戒めている。

 

3日間症状がなく二度のPCR検査で陰性を条件に退院した後も、14日間自宅で自己隔離が必要だと言っている。

 

二番目の医者は、風邪、インフルエンザ、新型肺炎の違いを解説している。新型肺炎では、発病後3日間症状は軽く、それ以降徐々に重くなり、二週目に重篤化するという。そして、肺炎と呼吸困難、そして多臓器不全を起こす。だから、本当に怖い病気だと言っている。

 

余談だが、これほど行政機関の成績をテストする機能を持つ感染症は、これまで無かったと思う。

日本の新型肺炎(COVID−19肺炎)流行は7月には収まるだろう

新型肺炎(COVID−19肺炎)の特徴

 

COVID-19肺炎が世界に広がっている。新型なので当然だが、その病気の詳細はわかっていない。関心事は、夏に収まるかどうかである。私の考えは、一応収まるだろうということである。ただ、秋に再燃した場合、ワクチンなどが用意できているかどうかが、次の年の被害に重要なファクターとなるだろう。

 

この病気の特徴として、最初は微熱と倦怠感のような症状で病院を訪れるようである。しかし、咳や痰があまりないようだ。大凡一週間後に症状が急変し、従来の肺炎と異なり両側の肺が同時に冒され呼吸が困難になる。

 

中国・武漢市で多くの患者を診察し、自身も新型コロナウイルスに感染し克服した余昌平医師によると、発症当時は発熱もあまり高くなく、風邪の症状(咳、クシャミ、鼻水)も殆どなかった。入院して3日後、発症して6日後、突然呼吸が困難となり5日間立ち上がることすら出来なかったという。

 

これらの特徴を、医療従事者が共有することが、患者の見落としを少なくする上で重要である。しかし、この重症で死亡率もインフルエンザの10倍以上のCOVID−19 肺炎に対して、未だに普通の風邪程度だという俗説が流布されている。2月25日付だが今日(28日)回覧されてきた書類には、市長の「感染力や重症化に関しては過度に心配する必要はないとされていますが、市民の皆様には、通常の風邪やインフルエンザ等の対策と同様、(以下省略)」というメッセージが書かれていた。認識不足である。

 

政府の方針、重症者を中心に対策を考えるのは、非常に愚かである。以下のデータが示すように、早期発見、早期隔離及び治療を原則とし、その有効性に疑問があるのなら、ドイツや英国の高い治療実績を視察すべきである。

 

死亡率について:

 

このCOVID-19の特徴は、高齢者と寒い地域に死亡者が多いことである。それが、現代の楢山節考という小説の題名を用いて言及した理由である。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12577306468.html

 

これについて考えるとき、非常に参考になるのが、米国ジョーンホプキンス大のCoronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSEというページである。そこには、各国(中国は各地方毎)での検知感染者数、死亡者数、治癒者数が掲載されている。

https://gisanddata.maps.arcgis.com/apps/opsdashboard/index.html#/bda7594740fd40299423467b48e9ecf6

 

本日午前7時現在、日本ではダイヤモンド・プリンセス号での感染者を除いて、189名が感染し、3人死亡、22人が回復している。韓国では、(1766名感染、13人死亡、22人回復)、イタリア(528、14、40)、ドイツ(26、0、15)、英国(15、0、8)である。中国河北省(65600、2641、 23400)、中国重慶(576、6,384)、タイ(40、0、22)、シンガポール(93、0、62)、マレーシア(23、0,18)、台湾(32、1、5)

 

注目されるのは、死亡者と回復者の比である。感染者の数は、政治的に抑えられている国があるだろうから、あまり参考にならない。勿論、死亡者数も単なる細菌型肺炎として処理されている地方もあるだろう。それらを考慮して、ここで取り上げるデータは、①タイ、シンガポール、マレーシアで死亡者が0で、回復者の割合が高いということである。一方、②韓国では回復者に対する死亡者の割合が50%以上ある。③既に書いたように、ドイツや英国での高い治癒率である。(補足2)

 

①と②から、COVID-19肺炎も、通常のインフルエンザ同様、温暖な地域では流行(補足3)しないということである。③から、早期に発見して隔離し、先進治療をすることで、高い治癒率が期待できるということである。早期発見、早期治療はどの病気でも治療の原則である。

 

以上から、日本でも7月には新たな感染者が出ず、長期療養の人は残るだろうがほぼ終息するだろう。オリンピックは開催可能だと思うが、その結論を5月に出さないといけないのなら、一年延期となる可能性が大きいと思う。

 

補足:

 

1)この流行という言葉が嫌いだ。英語の   epidemicという言葉の方が良い。ここで、epiはcommonを表し、demoは大衆を表し、形容詞の「ic」からなり、通常病気を対象に使われる。しかし、流行はそのような意味がなく、ファッションも病気も同様に使われる。日本語の貧困の一例である。

 

2)更に、治癒者数の感染者数に対する割合も、症状の重さの指標となるだろう。ただし、感染者数に政治的力が作用していない場合という前提がつく。ドイツの完璧な押さえ込みは、ドイツは完全な先進国であることを示して居る。

 

3)イランでの高い死亡率は、原因として、内陸部はさほど暖かくないのかもしれないこと、医療サービスが低い可能性、などが考えられる。また、中国と日本のデータは信頼性に乏しいので、参考にならない。

 

追補:あてにならない中国政府筋による患者数の発表 (2月28日、午後8時35分追加)

 

中国のデータ、特に武漢での患者数や死者数の政府発表データは当てにならない。それは、武漢から若者が現状を報告する動画を紹介した記事にも書いた。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12571289335.html

更に、最近の中国の報道機関による調査でも、明らかになりつつある。中国の経済誌「財新」や北京の日刊紙「新京報」の報道は、当局発表に疑問を呈している。後者は、新華社の発表とは違って、「中国疾病予防管理センターは最新の研究の中で、2019年12月31日以前に15人の死亡と104人の感染があったことを確認している」と伝えている。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200228-00000004-courrier-int

2020年2月27日木曜日

日本は大災害に対応できない:新型肺炎無策と日本政治の貧困

まえがき:

 

前回、政府が新型肺炎(COVID-19肺炎)対策をしなかったことを、安倍政権の綱渡り的外交を中心におくモデルを建てて考えた。そのモデルを先ず説明する。

 

つまり、安倍内閣が中国と米国の間に入って、経済政治摩擦の決着に協力出来ると夢想し、中国に近寄ることになった。その結果、中国の習近平主席を国賓として日本に招聘して、中国の国際的地位の向上に協力することを決定した。(補足1)しかし、その思いつきによる約束を実行すれば、中国というしたたかな国に利用されるだけだという親米右翼に攻撃され、安倍氏自身の考え方も揺らぐことになった。

 

青山繁晴議員のように、真っ向から習近平主席の国賓招聘に反対する人も現れ、それ以前の右派の評論家たちの強い反対意見もあって、方針転換すべきだと真剣に考えるようになった。ただ、ここでそれを日本側から言い出すには、安倍総理の退陣が前提だろう。

 

そうこうしている時に、新型肺炎の流行が発表された。このまま流行が拡大すれば、中国側から周主席の訪日中止の申し入れがあるだろうと思うようになった。その申し入れを実現するには、中国での大流行、或いは、日本への飛び火が必要だろう。ところが、中国は直ちに完全な隔離政策をとり、患者数が横ばいになってきた。

 

新型肺炎の日本での流行は、安倍氏にとっては神風である。その神風が止んでしまえば、自分も自分がトップである日本国家も救われないと考えた。それが、前回ブログ記事で書いた安倍内閣の新型肺炎に対する無策のモデルである。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12577898468.html

 

今朝、中国人の方のyoutube動画をいくつか見た。その中の一つがハンドルネーム「チャイチャイ」という方の動画である。そこでは、やる気の感じられない新型肺炎対策の理由は、準備に多額の資金を使った東京オリンピックを中止したくないので、新型肺炎の流行が進んでいるという数字を政府は発表したくないからだという解釈である。

 

 

似たような話が他にもある。それは、新型肺炎流行防止のために、中国からの入国の完全停止をしていないのは、中国そして諸外国からの観光客の入国を、経済対策アベノミクスの中心と考えているからだという分析である。両方のモデルとも、既に破綻していると思う。何故なら、それらの目的のためには新型肺炎を早期に抑え込む方が理にかなって居るからである。

 

上記動画に加えて今朝は、武漢と重慶の団地で暮らす人達の様子を写した動画を見た。中国の方々は自分の考えを躊躇なく動画配信している。人間としてのおおらかさに、日本人は学ぶべきである。私は、このチャイチャイさんの動画にコメントを書いた。それを中心にして、新しい分析を書きます。

 

1)中国の方の動画に触発され、新しいモデルを考えた:

 

今回の新型肺炎に対する無策の原因は、日本特有の官僚独裁の政治にある。官僚は政治的判断は出来ない。従って、政治的決断が最も必要な危機的な場面で、政治不在の事実が明らかになるのである。それは、過去の地震の際に何度も経験してきたことである。この日本の政治家の責任は、日本国民の責任でもある。肝心なときに怒らないのだ。

 

新型肺炎無策の責任は、官僚に政治を丸投げしている日本政府の責任である。一言で言えば、以下のモデルは官僚が大きな政府をつくり、権益拡大に励む習性が原因だが、それは官僚のDNAのようなもので、本来その部分のDNAは、政治が剪定すべきものである。

 

感染症研究対策に関する国家予算の配分の権限は厚生労働省にあるだろう。その配分を厚労省の縄張り内にできるだけ大きくすることが、官僚たちの利益を大きくする。従って、感染症に関する国家の大事においては、その中心となって国立感染症研究所が活躍しなければならない。患者として苦しんでいる人よりも自分たちの利益を優先するのが、日本でも中国でも政府上層の常である。

 

そして、国立感染症研究所がPCR検査などを独占して、それをマスコミなどの報道に乗せることが省益及び退役官僚の利益と直結する。民間や各地方の衛生試験所などに任せれば、自分たちの縄張り(国立感染症研究所)が狭くなってしまうのである。24日からPCR検査を地方の衛生試験所でもできるように方針を変えたが、民間業者を採用するまでには至っていない。

 

勿論、ダイヤモンド・プリンセス号での感染拡大を防ぐのに、神戸大の岩田教授のようなよそ者を参加させれば、官僚とその下部組織である国立感染症研究所の勢力が陰ることになる。(多分、どうせ大した流行にならない筈だという甘い考えが最初にあったと思う。)

 

何故、そのような官僚の横暴が国家組織の中でまかり通るのか? その第一の原因は、政治家は官僚たちのシナリオのままに動いたり答弁したりするしか、能力がないことである。そして、個人や私的機関の自由な活動を制限する権力行使の危険性と新型肺炎の大流行による国民の大損害を比較するという類の、政治的決断などが出来る能力など最初から持っていない。

 

一般に政治家は、地方の名家の家業であり、その仕事は中央集権の日本にあって、国家予算を地方に運ぶパイプ役になっている。従って、国会議員らは日本全体の政治を考えるのではなく、交付金を要求する地方からの代議員に過ぎない。その結果、国家の政治は官僚の狭く浅い発想で進められる。

 

2)まともな政治家を産むには:

 

政治家が国家全体を考えるタイプに変えるには、地方の利権と中央の政治を明確に分ける必要がある。そのために地方分権と道州制の導入、その前段階として選挙区のみの道州制を導入すべきである。

 

それにより、「どぶ板選挙」つまり、思想やビジョンよりも、個人的な繋がりに頼るタイプの選挙から、日本の将来に対するビジョンを有権者の前で競うタイプの選挙に変更すべきである。「どぶ板選挙」で進む日本政治の貧困については、「中川一郎の死の謎(2)とドブ板選挙」で議論した。 https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2018/01/blog-post_20.html

 

小さい政府の実現には、政治家が広い地理的及び人的空間から選別されることにより、政治的能力を獲得し、官僚を使って仕事をする本来の政治を実現することが第一歩である。そして、国会を能力が試される厳しい場とすべきである。議員や大臣が官僚メモに頼った国会答弁をする習慣を完全排除すべきである。

 

日本国民はチャイチャイさんの言うように、不甲斐ない行政府に対して怒るべきだが、日本には正当な怒りでも、それを蔑視する文化がある。それは、日本の金言となった言葉「和をもって尊と為す」に象徴される文化であり(補足3)、馴れ合い政治を推奨する文化である。

 

3)官僚独裁政治の存在理由:

 

西欧社会は、近代文明を生み出す中で得た、科学的合理性とキリスト教の精神という乖離した思考を、そのまま本音と建前という形で、複眼思考の形式としたと思う。理想論で政策や戦略を組み上げながら、現実論での実行性を保つ政治手法である。そして、他国には理想論を単独で武器として用いるのである。それは、西欧での与野党での争点にはならない。何故なら、理想論と現実論はともに国益実現に止揚されるべき思考だからである。

 

日本は、そのトリックを知らないため、日本国憲法の前文:「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(補足4)などという、非現実的な文章を建前論として棚上げする知恵を獲得しなかった。その結果、理想論の野党と現実論の与党という、両方とも単眼思考の人たちにより国会が占められた。そこでは、国益のための議論ではなく、「口論や喧嘩の類の議論」が行われることになった。

 

野党議員は、理想論を振りかざして現実政治を攻撃する愚で飯を食う。その一方で、与党議員は、国民を理想論の高原に残したまま、ひたすら現実を隠蔽するフェンスとなって、野党議員の口撃をかわしている。野党議員も元々問題解決をする能力などないので、適当に仕事をしている振りができれば満足である。

 

そして、政治屋のフェンスの裏で、現実的作業をしているのは官僚である。政治家がしてくれるのは、現実を隠すフェンス役と書類は短期間に廃棄して良いというルールを作ってくれる位である。もうとっくに日本国民は、チャイチャイさんの仰るように、この政治に対して怒るべきなのだが、日本文化は正当な怒りでも、それを蔑視する「和の文化」がある。何時も同じ結論だが、日本文化は若い世代が変えることが出来る。若い方の活躍に期待したい。

 

補足:

 

1)この考えは、イランと米国の間に入って、両者の対立を収めようと努力したことと同様の考えである。普通のセンスなら、そんなことは不可能だと分かるのだが、安倍総理には自分の立場や能力を客観的に見る能力もないのだろう。日露外交、日朝外交など全てにおいて、包装だけ立派な空箱のような外交である。

 

2)日本の停滞は、官僚たちが自分の天下先確保などのために大きな政府にしたのが原因である。日本の政治は、無能な政治家と一定の能力を持つ官僚が握っているが、選挙で選ばれない官僚は、政治家に国会などでの議事進行に協力する形で、政治家に恩をうることで、実際の権力を独占してきた。

 

3)怒りは思考の結果生まれる。しかも、集団で怒らないと政治的力とならない。つまり、思考と議論の文化が必要である。下らない訳の分からないお経を、おとなしく聞いて、しかも多額の金を支払うような人々にそれを要求しても無駄かもしれない。

 

4)日本国憲法の前文と似た文章が国連憲章の前文にもある。「寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ...これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した。

2020年2月26日水曜日

新型肺炎(COVID-19)は神風なのか?安倍総理の新型肺炎に対する無策と日中関係

1)安倍内閣の新型肺炎ウイルスに対する水際作戦は、実質的にはなにも無かった。その不作為の故意(補足1)の理由がわからないので、一昨日の記事では、安倍内閣にその流行に対する期待があるという、自民党幹部たちの“ヒソヒソ話”について書いた。

https://kovlog.net/possibility-biological-weapon/

 

上記記事では、内閣の片隅で「新型肺炎流行を安倍内閣延命の神風」と内閣長老らがコソコソ話していると書いてあるが、私は「新型肺炎流行を周近平訪日中止の為の神風」と安倍総理が密かに考えていると想像した。

 

日本政府が新型肺炎の流行に期待しているなんて、信じられないだろう。しかし実際に、保健所は、新型肺炎が体調不良の原因だと十分疑われるケースでもPCR検査を拒否している。今朝の記事に書いたように、責任者の指示がなければ、その姿勢を改めるべきだという類の議論は起こらない。それが日本の弱点である。(補足1)

 

具体的な数字をあげると、韓国では25日夕型の時点で一週間に7800件程のPCR検査を実施しているが、日本では数百件にとどまっている。(2月26日中部地方5チャンネル、グッドラック、午前9:10ころから放映)つまり、日本政府は疑わしい者にPCR検査を実施して、正しく人命第一の治療をしたくないのだ。(補足2)

 

ここで神風の話を続ける。安倍内閣が新型肺炎の蔓延を望むのは、中国側から今回の周主席の訪問は中止しましょうという発言を期待しているからである。安倍政権は、“何らかの事情”で親中姿勢に舵を切ることになったが、流石に習近平の国賓招聘はあり得ないと、総理自身が考えるようになったのだと思う。しかし、自分の立場からは、中止を申し出られないのだ。

 

しかし、中国政府はそれでもそのような筋書きを簡単には許さないだろう。人民日報の記事には、以下のような耿報道官の声明が掲載されている。日中友好の雰囲気を盛り上げて、日本政府側から変な申込み(つまり、習近平招聘の中止)が来ないようにしているのだろう。

 

感染が拡大して以来、日本政府と日本国民はすぐに中国へ支援の手をさしのべ、中国に貴重な支持と支援を与えてくれた。中国は日本の友情を心に刻み、大切にする。今は日本国内の感染状況が中国国民の心を動かし、私たち中国国民はまるで自分のことのように感じている」(人民日報日本語版、2月22日号)http://j.people.com.cn/n3/2020/0222/c94474-9660817.html

 

25日の人民日報では、別の報道官(趙立堅報道官)が上記よりは遥かにクールな声明をだしているので、上記は耿報道官による最後の任務として発言した、安倍総理への「ゆめゆめ習近平訪日中止など考えるではないぞ」という警告なのだろう。

 

2)今後の安倍総理に望むこと:

 

日本政府の責任は、国民の生命と財産の保全である。安倍総理は、新型肺炎の対策を具体的に出し、日本の総力を注ぎ込んで抑え込むべきである。大相撲の春場所の中止、プロ野球など開幕を後ろにずらすことなど、大勢が狭い場所に集まることを、新型肺炎流行の終息の目処がたつまで禁止すべきである。

 

更に、感染者は隔離するようにし、そのための法整備などをすべきである。隔離施設としては、誰かが言っていたと思うが、過疎地域の再開発を兼ねる形で行うのが良いと思う。住民の合意は、相応の経済的利益で得れば良い。更に、今回の新型肺炎流行により冷え込んだ経済を支えるために、大型補正を考えるなどの対策も、当面、財政赤字など気にする必要なく実施できる筈である(MMTを元内閣参与などが言っている位だから)。

 

その結果、新型肺炎がおさまり、中国の習近平国家主席を国賓で呼ぶことになれば、日中両民族間の友好関係樹立という視点で、進めるべきである。あくまで、中国国民と日本国民の友好関係を全面に出し、現在の政権間の協力という短い視野の合意はしないのが良いと思う。

 

一旦動きだした習近平主席の国賓としての招聘は、余程のことがない限り、最早中止するわけにはいかないだろう。少しだけでも日中両国民の間の理解を進める方向に利用すべきである。天皇主催の晩餐会でのスピーチには、そのような視点に相応しい内容を盛り込んでもらうべきである。それは共同声明の摺合せの時点で交渉できる筈だと思う。

 

なお、下記のサイトでは、及川幸久氏は習近平主席のスピーチを予測している。私は、このようなスピーチにはならないと思うが、一応リファーしておく。

https://www.youtube.com/watch?v=4wSOKFHJt7U&t=542s

 

兎に角、新しい時代の日中友好を謳うという未来志向のものにするべきである。更に、共同声明において「法治の原則、自由と人権を重視して、両国は国際社会で名誉ある地位を目指す」ことを確認するべきである。現在の中国政府が人権侵害を犯しているのなら、その件について火の粉をかぶらないように、すべきである。

 

現在の時点で、習近平の国賓招請の中止を日本側から言うのは、最初から何も話が無かった場合よりも、日中政府間と日中国民間の両方の関係を数段悪くする。それは、朝鮮有事なども考えると、非常に危険である。

 

国際情勢は動いている。中国も一年前の中国とは違うだろう。国際環境は、簡単には、20世紀の冷戦時代の形には戻らないだろう。日本国は独り立ちして、中国とも米国の背後からの支援や指示のない環境で付き合う必要がある。

 

そこで、できるだけの自由度を確保するために、日中両民族間関係の改善は「本来」悪い話ではない。もし、現政権により痛い目に合うのなら、できるだけ早い方が民族生き残りのためには良いだろう。

 

 

補足:

 

1)安倍政権の昨日発表の方針、及び23日書いたように、厚労省の指針における一般患者にPCR検査をする際の限定条項にある。そこには、「渡航歴や患者との接触歴などから、都道府県が必要と判断した場合に検査が行われる」と書かれて居る。欧米なら、このルールは改めるべきで、現場の医師の判断に任せるべきだという議論が、厚労省のどこかから発生する筈である。日本では、そのような業務マニュアルにない発言は、業績を稼ぐための目立つ行為であり、組織の和を乱すものだと周囲から白い目で見られるのである。

 

2)新型ウイルスに効く薬などないのだから、早期にPCRテストしても意味がないという意見が出されていた。(上記テレビ番組)しかし、陽性になれば、その患者を隔離できるし、例えばHIVの薬などが効く場合も確認されており、治療にもプラスである。

新型肺炎(COVID-19)にたいする日本政府の無策と日本国民の平和ボケについて

安倍内閣の新型肺炎ウイルスに対する水際作戦は、実質的になにも無かった。その不作為の故意の理由がわからないので、前回の記事では、安倍内閣にその流行に対する期待があるという、自民党幹部たちの“ヒソヒソ話”について書いた。https://kovlog.net/possibility-biological-weapon/

 

その記事は、新型肺炎を安倍内閣延命の神風と書いていたが、私は「新型肺炎流行を周近平訪日中止の神風と考えている安倍総理」を想像した。

 

そのような政府の不作為を許しているのは日本人の民意である。それについて書いた文章を紹介したい。25日のヤフーニュースにあった静岡大の楊海英という方の記事である。ニューズウィーク(多分日本語版)の3月3日号に掲載予定の記事らしい。(スマホで見つけたのだが、パソコンで探したが見つからなかった)

 

新型コロナウイルスが猛威をふるい始めてから、10日間ほど米国を調査旅行した時の体験談である。米国では、外でマスクをする習慣がなく、マスクをして街なかを歩くと、病院から抜け出してきたと思われるらしい。その一方、帰りの飛行機の中では、日本人たち乗客のほとんどが、マスクをしていたことに驚いたと書いている。

 

米国の人は、世界で最も清潔な国の日本が、何故中国について世界第二位の感染者数を出したのか関心を持っていたという。その謎を解く一つのヒントを筆者は成田に着陸する時に体験する。

 

機内アナウンスで英語と日本語で、「豚コレラ流行のために肉製品の持ち込みは禁止されている」そして、「一昨年からアフリカの一部でエボラ出血熱がはやっているので、体調に異常を覚える人は名乗り出るように」とアナウンスしたが、新型肺炎には一切触れ無かったという。

 

たまたまその客室乗務員の隣にいた楊氏が疑問をぶつけると、「マニュアルにないので、放送できません。上からそのように指示されています」と応えたという。入国手続を終えて荷物の到着を待つ間の税関当局の注意喚起も、機内放送とほぼ同じだった。好奇心に強く動かされたのだろう、楊氏は動植物検疫センターに行き、「新型肺炎の感染に対して何故注意の放送をしないのか?」と聞いた。答えはやはり「上司の指示がない」だったという。

 

このような話を聞くと、安倍政権の水際対策の失敗の理由として、最初に書いたような神風に期待している安倍政権とか、その神風を団扇であおいでいる安倍政権を考えるよりも、あってはならないことだが、単にこの日本人の平和ボケに安倍政権も罹患していたことを、考えるべきかもしれない。

 

この日本文化の特徴については、何度もこのブログに書いてきた。日本文化は、民族を高度に家畜化する文化である。個性を伸ばす教育をと言いながら、6才で小学校に入学すると、皆6年生になるまでランドセルを背負って通学させる。それは空気中を伝搬する無言の強制を察知する能力と従順であることの教育である。中学生になってランドセルから開放される姿は、昆虫の脱皮のように見える。

 

社会の中では目立たないことが善であり、沈黙が金である。予め決められたルートを通って、全員が同じように振る舞うのが、日本文化における本来の姿である。何があろうと、上の方から指示がなければ動けない。

 

上が動かないのだから、新型コロナウイルスだろうが原爆だろうが、全て大いなる自然の神の完全なる意思なのだろう。従って、黙って耐えるしかない。私は、人間は部分的に「社会の家畜」であると思う。そして、その考え方に基づけば、日本人とは究極の家畜集団である。

 

もし、日本社会の頂点にある内閣のトップが優秀なら、安定で平和な社会ができるだろう。しかし、もし優秀な飼い主を日本人が獲得出来ない(選挙制度を改めるべき!)としたら、日本民族は迷う羊の群れに等しい。明治後期から昭和前記にかけて、実際そのようだった。

 

敗戦後、新しい飼い主としてマッカーサーのアメリカが現れたときから、国際社会の中で日本民族は安定した。しかし、トランプは、割の合わない飼い主なんか嫌だと言い出した。そこで、安倍総理は習近平にすり寄った。日本人は、トップがその意思を示せば、下は何もできない。我々日本民族は、習近平が日本羊は食用ではなく、観賞用だと言ってくれることに期待するだけだろう。

 

嫌なら、明確に嫌だと言え! 

2020年2月24日月曜日

社会主義とインターネットによる直接民主主義(素人の夢想)

今朝、及川幸久さんの動画を見た。米国の次期大統領選挙で、バーニー・サンダースが民主党候補になれば、トランプの再選が危ういかもしれないという話であった。サンダースの後ろで応援しているのが、オカシオ・コルテス(Alexandria Ocasio-Cortez)という30才の女性下院議員である。伴に、社会主義者である。

 

 

バーニー・サンダースの公約は大学授業料の無償化、医療費の無償化、そして最低賃金15ドル(時給だろう)である。非常に良い政策であり、是非米国はサンダースを新大統領に選んで、冒険をしてもらいたいと思う。及川さんは何時ものように、手短に且つ要領よく素晴らいい解説をしてくれている。それらを、検索したデータや私の考えと伴に紹介したい。

 

1)高い大学授業料と医療費を無償化する?

 

米国の大学授業料は非常に高い。年間400万円以上(平均で年間36900ドル)だと言う。及川氏は、自分の感覚ではもっと高いと思うと言っていた。多分、アイビーリーグなど名門大では、もっと高いのだろう。その授業料を、日本のように(相当の年収があっても)親は支払わない。それが米国の文化だという。

 

それでも、米国の大学進学率は高い。短大を含めた世界ランキングでは、米国は世界第二位であり、94%にもなる。http://top10.sakura.ne.jp/IBRD-SE-TER-ENRR.html 実力社会の米国では、学力をつけることは死活問題であるので、当然の数値だろう。それを可能にしているのが、政府保障の学生ローンである。

 

政府保障なので、学生は簡単にローンで金を借りることができる。従って、大学も十分な授業料を設定できるのである。米国の美しい大学キャンパス、その中で教授たちは良い給料をもらい、十分な準備をして授業に臨み、学生に最高の知識と考え方などを教えるのである。ローンさえ無ければ、素晴らしい大学生活である。

 

大学卒業後には、学生に多額の借金が残る。丁度、日本の住宅ローン位の感じだろう。通常40才代まで残るローンを、サンダースが大統領になれば、直ちに国が面倒を見るのだそうだ。40代までの若い人たちの票を地引網で根こそぎ獲得する可能性がある。

 

それに米国の高い医療費には定評がある。現在、米国ではインフルエンザが猛威を奮っているが、下層階級にとっては簡単には医者にかかれないという事情が絡んでいるようだ。例えば、急性虫垂炎で入院治療すると、750万円かかるという記事もある。医療費で破産する人も多いらしい。https://halmek.co.jp/travel/c/preparation/254

 

オバマ元大統領は国民皆保険を目指した。しかし、保健でも何でも強制されることを嫌う個人主義の米国文化には適合せず、トランプが大統領になって一部廃止された。如何なる保健でも、平均すれば保険制度の維持や事務手続きなど、余分な経費がかかるので、一人あたりの受益額よりも負担額の方が大きい。米国中間層は、それを嫌がるのだろう。

 

これら高額の大学授業料や医療費は、保健やローンなどを設定して対応するよりも、全廃するのが全体として安上がりである。社会主義が将来の人類の政治システムとして、大きな地位を占める理由の一つもそこにあるだろう。社会主義政権は大きな政府となるというのが定説だが、小さくなる場合もあるのだ。

 

 

2)新しい社会主義とネット時代の直接民主主義:

 

北欧型社会主義を目指すというのが、サンダース上院議員の方針だという。社会主義は独裁になり、独裁は国家を崩壊させるという過去の歴史による呪縛をどう乗り越えるのか? インターネットの時代の社会主義という考え方、つまり、オープンに政策を批判し提言する方式が採用されれば、小さな国家組織の社会主義国ができる可能性がある。

 

以下はサンダースの意見とは無関係に新しい社会主義のあり方を夢想してみる。この社会主義は資本主義と対立しない。以下は、素人の戯言として読み飛ばしてもらっても良い。何れ、独立した記事にしたいが、何時になるかわからないので、ここに書く。それはネット時代の直接民主主義である。

 

国民の意見をビッグデータとして積み上げ、その評価・分析をオープンなシステムで行う。そこでは過去において知恵ある意見を出したものの意見が、大きな重みをつけられて、分析システムの中央部分に投入されるようにする。それら全ての意見のベクトル的合成が得られた時点で、それを元に国民の代表者が政策立案を行う。そのサイクルを二三度繰り返して行政を遂行するのである。

 

何か新しく起業する場合でも、起業システムに提言を出す。それをオープンな評価の場(サイバー空間)に出して、議論の対象とする。この議論において、新規起業の方向と予算が決定され、その立案に功績のあったものに、ICO (initial coin offering) 或いはIPOにおいて、その会社の持ち分が与えられる。この方が、企業経営においても独裁的な経営方針で破産する危険性を防止できるだろう。これらの情報処理には、AIが大きな役割をするだろう。

 

この時、外国からのサイバー攻撃が大きな問題になるだろう。従って、国内だけに接続された“政治的国内ネット”を作り上げるのが良いかもしれない。一家に一台、従来のインターネットとは別に国内独立ネットに接続するマシンを持つのである。例えば、日本なら、二つの光ケーブル網を平行に走らせて、一つを国内ネット専用に利用するのである。

 

 

3)MMTについて:

 

上記、オカシオ・コルテスが主張するMMTは、バーニー・サンダースの経済アドバイザーのニューヨーク州立大学のステファニー・ケルトン教授などが1990年代から主張しているものである。つまり、社会主義政策を行う時、お金は必要なだけ政府が発行すればよいではないかという考えである。

 

クラシックな経済学者や実業界からは批判が出ているが、MMTにはそれなりの合理性があると思う。MMTの考え方は、一定以上のインフレにならない限り、財政を新たに発行した政府通貨により行っても良いという説である。中央銀行が通貨を仕切っている場合、国債を直接中央銀行に買い取らせて、その金を財政支出に使えば良いというのである。

 

この件、経済評論家の三橋貴明氏や京大工学部教授で内閣参与だった藤井聡氏が、政府の財政拡大策を支持するために提唱していた。上記ケルトン教授の講演会も開催していたと記憶している。しかし、私は素人ながら、MMT理論は日本には適用できないとブログに書いた。何故なら、日本は食料もエネルギーも外国に頼っているので、円売りが生じた時、耐えられない可能性が高いからである。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/08/mmt.html

 

MMTの考え方は、政府が放漫財政に陥らなければ、採用しうると思う。再び以下は、素人の戯言として読み飛ばしてもらって良いのだが、私の夢想した考えを書く。財政の健全性や政府の予算案に対して、オープンなネット評価システムを用いるのである。

 

これは行政に直接民主主義を取り入れる一方法である。ビットコインのマイニングのように、有効な評価を提出したものに対して、税金控除というメリットを与えるのが良いだろう。

 

一般に、MMTの採用には、自国通貨たての国債が発行できる国、一定以下のインフレであることなどの条件があるというが、それだけではないと私は思う。国家としての信用がある国、自国だけで最低限の経済生活が維持できる国でなくてはならないだろう。その候補の第一が米国である。オーストラリアやカナダなどの英連邦諸国も可能だろう。

 

通貨には信用が必要である。日本のような大勢の知恵の集積の結果として、国家の方向が決められない国、組織の上下で議論や情報の円滑な伝達のない国では、放漫財政になって通貨価値の急落が起こる可能性がある。その時、日常生活に必須の食料やエネルギーが外国から入手できなくなるような国では、MMTは無理である。

 

(以上です。議論や玄人によるお叱りの言葉を期待します。)

新型肺炎COVID-19に警戒心の薄い安倍内閣

現在、中国本土では新型肺炎(COVID-19)患者の急増を防止できている。しかし、それは大都市の隔離や厳しい外出規制があってのことであり、それが緩和されると、再び大きく増加しかねない。日本でも、現在ほとんど全域に感染者がばら撒かれた状況であり、丁度武漢の1月中旬ころの情況に似ているという意見もある。

 

日本国内の感染者数は、検査を完璧に行えば、恐らく1000人を越えるレベルにあるだろう。しかし、厚生労働省のPCR検査をなるべくしないという方針により、数字そのものは150名足らずである。現在の安倍内閣の対策は、言葉だけであり、今後万を越える感染者が日本で発生するだろう。おそらく、80歳以上の老人が選択的に殺されるだろう。現代版楢山節考の世界が、もうすぐ日本に現れる可能性がある。

 

このような考え方は、中国でのこのウイルスの蔓延に対して流布された説を真似たものである。勿論、老人処分としてウイルスをばら撒いたというのは、いかがわしい説であることは言うまでもない 。https://kovlog.net/possibility-biological-weapon/

 

1)安倍内閣のCOVID-19肺炎対策:

 

今日の対策会議で安倍総理は、「効果的な感染拡大防止策を講じ、①患者増加のスピードを抑制することは、今後の流行を抑える上で極めて重要だ」と強調した。同時に「患者数が大幅に増えた時に備え、②重症化防止を中心とした医療提供体制を早急に整える必要がある」と語った。ただ、これらは具体性の無い発言であり、会議も短く緊迫感が感じられない。

 

その証拠に、安倍首相の発言①は、現在行なって居る対策と矛盾している。ダイヤモンド・プリンセス号で医療業務に携わった医師や看護師に対して、ウイルス検査(PCR検査)をしないという方針をとっており、それは①に矛盾する。中国では、COVID-19 患者の治療に当たった医者も、感染し死亡する例も多く出て居るからだ。https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20200223/1000044479.html

 

更に、厚労省の指針における一般患者にPCR検査をする際の限定条項も上記①に矛盾している。そこには、「渡航歴や患者との接触歴などから、都道府県が必要と判断した場合に検査が行われる」と書かれて居るが、現在の日本では、中国渡航歴やCOVID-19肺炎患者との接触などと関連付けられない人も感染している。https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/dengue_fever_qa_00004.html#Q4

 

安倍政権は、感染者の検出を抑えることで、大流行を期待しているとしか思えない。まえがきに書いたように、現代版の楢山節考的政策は、確かに将来の年金支払額を削減できるだろう。しかし、そこに至る前に、日本と世界が大不況になり、若者の命さえ大量に失うことになるだろう。この考えが最初頭に浮かんだのは、中国から出されたのを記憶していたからである。(補足1)

もっと説得力のある解説があった。その一つは、新型肺炎の蔓延は、桜を見る会などでの野党の攻撃をかわすことができ、憲法改正も可能になるかもしれないという考えである。もう一つは、これが本命かもしれないが、中国発のウイルス汚染の拡大阻止に必死にならざるを得ないので、習近平の訪日を断る口実に利用したいという考え方である。このまま感染が拡大すれば、習近平も怖くなって日本に行きたくないと言い出す可能性すらある。政府与党に、武漢肺炎を神風と呼んでいる人もいるのは事実だろう。https://www.news-postseven.com/archives/20200219_1542661.html

 

もう一例をあげると、上記厚労省指針(下のサイト)に、検査結果が判明するまでの期間は状況によりますが、1日から数日かかりますと書かれて居る。しかし、現在多く用いられて居るPCRは、結果は平均すれば2−3時間程度で、早ければ数10分で出る。装置も200万円ほどであり、昔用いられた時間を要する電気泳動法などは不要である。上記下線の部分のように、大げさに言うのはおかしいのではないか。

 

私は素人だから、研究で用いる場合と診断で用いる場合の差など詳細はわからない。実際にPCR検査を行っている人は、政府に睨まれるなどの不利益があっても、発言すべきである。(補足2)

 

現在行うべきは、できるだけ発病者と感染者を洗い出し、隔離することである。それが大流行を阻止する最も緊急の課題のはずである。それが全くわかっていない筈はない。 ②重症化防止を中心とした医療提供体制を早急に整えることなどは、患者数を数倍程度に抑えることができれば、従来体制の単なる拡大であり、首相が改めて言うほどのことではないと思う。 

 

繰り返すが、感染の段階こそ重視すべきである。新型ウイルス疾患にたいして、重症化防止を中心とした医療提供体制として、現状存在する方法以外にあるのなら、どのように体制を整えるのか?具体的に言うべきだ。

 

2)大流行阻止の方法は中国に学ぶべき:

 

政府は天皇の一般参賀をとりやめた。新型肺炎の流行を抑える意味では、賢明であった。ただ、今後季節は冬から春になり、大相撲春場所、プロ野球やサッカーの試合など、数千人から数万人を長時間一箇所に集めることが多くなるだろう。しかし、このまま何のブレーキもかけなければ、大流行する可能性がある。

 

感染者数が増加し続けた場合、それらを中止すべきではないのか? 勿論、それらは私的な活動であるので、その開催などに干渉するのは、厚生労働省だけの判断では出来ない。そのための法整備が必要なら、内閣全体で議論し準備すべきではないのか? しかし、今の所、そんなことを考えている気配は、現政権には全くない。

 

中国は、大都市をほとんど完全に隔離するなどの対策をとって、感染者数増加を防止している。武漢から1000km離れた重慶でも、各家族から代表者が2日に1回の割合に外出(必需品の購入などのため)が制限されている。許可証の発行とその提示により認めるというレベルの厳格な対策を取って居る。その対策に学ぶべきだが、頭の片隅にもないのだろうか?

 

 

同じyoutuberの以下の動画は、上記の方の最新版である。発病前の伝染を念頭において対策することなど、日本の対策と諸外国の対策との違いにふれている。 https://www.youtube.com/watch?v=WfvuE0s2SUQ (<=最新版)

 

以上を要約する。

現在、水際作戦は失敗に終わり、中国の方との接触などと関連つけられない患者が多く発生している。今すべきは、できるだけ完全に、感染者と発病者を特定し、隔離することである。先ず、上記厚労省の指針を改めて、少しでも可能性が疑われる人のPCR検査を、個々の医者の判断で行うようにすべきである。そして場合により検討すべきは、野球や相撲など大規模な興行の禁止、及び、そのための法整備である。

 

 

補足:

1)中国国内の政治は複雑である。習近平政権に敵対する勢力が、習近平の追い落とし工作のために、このウイルスをわざと漏らしたという考え もある。此方の方が人口削減策などより可能性としては高いだろう。

2)政府に睨まれた泉佐野市の例を見ればわかるが、安倍内閣は帝国主義的性格を持つ。森友問題、加計問題、桜を見る会、国会でのやじ問題などから考えて、自分は何でもできるという感覚をもっているのだろう。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200206-00070259-gendaibiz-pol

(旧稿に頂いたコメントも取り入れて、全面的に書き換えました。2月24日10時30分;;2/25/6:00 イントロの最後の文章を改良)

2020年2月23日日曜日

新型肺炎との戦いの第2ラウンド: 気になること

中国武漢市で発生した新型肺炎(COVID-19)の脅威の全体像を世界は未だ把握していないだろう。中国の大都市隔離政策は、感染者増に一定の効果を示しているが、中国の体力にも限界がある。それを見越した動きが、先ずロシアに現れた。

 

ロシア政府が新型コロナウイルス(covid19)の感染拡大をおそれ、2月20日から、すべての中国人の入国を禁止し始めたという。中国人の入国を完全に禁止したのは世界で初めてで、中国敵視の米国でも14日間の検疫を条件に中国人の入国を許可している。(国際政治評論家の田中宇氏のブログ:http://tanakanews.com/200220virus.htm

 

プーチンのロシアが考えているのは、①中国政府が経済活動再開せざるを得ず、国内諸都市の封鎖を解除し、周辺諸国にやってくる中国人も少しずつ再増加すること、そして、それにより②本格的に新型肺炎が世界にばら撒かれる危険性が高い、などである。

 

これ以上経済活動の再開が遅れると、中国共産党の統治の正統性が失われかねないので、習近平は無理をして封鎖解除・経済再開を進めているという。実際、人民日報によれば、外交部(外務省)の耿爽報道官は19日、「中国の関連当局は目下、新型コロナウイルスによる肺炎の影響を最大限に軽減しており、条件を整えた一部の在中国外資系企業はすでに続々と企業活動や生産を再開している」と述べたという。

 

つまり、新型肺炎との戦いは、ボクシングで言えば漸く第一ラウンドが終わったばかりである。日本も第二ラウンドとして、中国と日本の往来を「14日間の隔離をおいてから、許可する方式」(これまでのアメリカ方式)を採用すべきだろう。

 

これからの感染抑制には、国家としての体力がものをいう。経済活動は国にとっては呼吸の様なものである。感染抑制に備えた一定以上の人や物の移動制限は、国家を窒息させるので、政情不安を避けるには活動再開以外にない。疫病と経済活動の制限の間でバランスをとる政策を取らざるを得ない。それを民衆は理解できるだろうか?

 

政情不安を、それら二つのバランスの調整で克服するのは困難である。そこで考えるのは、外に敵をつくることである。台湾海峡での軍事行動を恐れた米国は、セオドア・ルーズベルト号を派遣している。米国等の中国系による新聞、Vision Timesによると、台湾海峡において中国軍機と米軍機との示威的飛行が行われているという。この件、テレビ等では報道されていないのは、日本のマスコミの怠慢である。https://www.visiontimesjp.com/?p=4614

 

(鳴霞さんのこの動画は、台湾環境での米軍の動きを報じている。)

 

また、北朝鮮の動向について、殆ど報道されていないのだが、非常に不気味である。12月に米国に対して脅迫の言葉を発した後、金正恩は沈黙を保っている。正月の演説もないし、誕生日(1月8日)の行事もない。

 

中国との長い国境を持つ北朝鮮でも、COVID-19肺炎が流行していると思われる。その脅威と経済危機の脅威で、世界中でもっとも苦しいのは、北朝鮮だろう。体制崩壊と半島混乱の可能性も考えられる。

 

日本はこれら全ての脅威に備えなければならないが、今の安倍政権では無理だろう。大変な一年になりそうである。北朝鮮問題については、李相哲龍谷大教授がyoutubeに動画をアップし、解説している。動画の紹介をしておく。

(youtubeが制限しているようなら、直接下のアドレスをクリックすれば見えるかも)

 

https://www.youtube.com/watch?v=myxEJZ3jiGE  追補(am 6:00): 北朝鮮でのコロナウイルス肺炎についての李相哲氏の解説:https://www.youtube.com/watch?v=e-lHPDhjKM4(EOF)

2020年2月22日土曜日

新型コロナウイルスに対する安倍政権の失敗: 日本売りとその理由

1)円安が示すもの

 

最近の安倍政権は、本来の無能をさらけ出し、それを国際的に宣伝することになった。その最も顕著なケースは、新型コロナウイルスに対する対応の失敗である。それは、日本の脆弱性に対する確信を、諸外国に与えたようである。その結果もあって、日本の通貨である円は売られている。

 

この問題をわかりやすく解説しているのが、及川幸久氏のyoutube動画である。この中で、及川氏は日本の経済収縮をデフレという言葉で指摘している。(補足1)あの2019年度第三期の6.3%という大きなマイナス成長と、新型肺炎の対応失敗は、安倍政権とそれを生み出した日本国の脆弱性を、国際経済界に確信させたようだ。

 

https://www.youtube.com/watch?v=NWxaH62QcWc

 

本ブログでは、最近、殆ど全てをこの種の問題に費やしている。それらを要約すれば、日本の汎ゆる組織が、専門家が各部門で仕事をする体制を築き上げていないという指摘である。1月3日の記事に指摘したように、その大元にあるのが、日本に対話の文化が無いことである。(追補1)

 

この文化的欠陥も、政治家が“政治家としての専門的能力”を持って仕事をすれば、徐々に克服される筈である。そしてそれ以外に、日本が国際社会の中で発展し、先進国としての地位を保つ手段はない。

 

2)ダイヤモンド・プリンセス作戦での大敗

 

今回のクルーズ船のダイヤモンド・プリンセス号において、大勢のCOVID-19肺炎感染者を出したのは、日本の安倍内閣及びその下にある厚生労働省の責任である。厚生労働省に専門的能力がなかったことによる。そのような厚生労働省を作った責任は、安倍内閣にある。

 

その原因を象徴的に示したのが、神戸大岩田教授による専門家としての指摘に対して、一顧もしなかった厚生労働省の姿勢である。岩田教授は、船内は危険なゾーンと安全なゾーンの区分けができていないと指摘したが、厚生労働副大臣の橋本岳氏は、その意味を理解せずに「清潔ゾーンと不潔ゾーン」の張り紙の写真を反証のつもりでネットに投稿した。https://www.huffingtonpost.jp/entry/gaku-hashimoto_jp_5e4e1c0ec5b6a8bbccb8b038

 

岩田氏は、youtube動画で、区分けをしているという厚生労働省の官僚に対して、「危険ゾーンなどの言葉の定義は何ですか」と画面で質問した。勿論、厚生労働省の官僚には応えられる筈はない。この象徴的な言葉が、全てを表している。専門家とは「言葉を定義に従って用いる」人種だからである。(下の補足2参照)

 

折角、感染症対策の専門家が、知恵を活用しましょうと名乗りを挙げ、患者で溢れるダイヤモンド・プリンセス号に乗り込んで呉れたのである。それを活かすことのできなかった厚生労働者の役人と、現場の副大臣の力量の無さが、低迷する日本を象徴している。繰り返す:近代社会の組織では、専門家が各部門を受け持ち、その能力を十分活かす形にするように、組織のトップが舵取りをするのである。この文化が定着していない我が国が、世界から売られるのは残念ながら当然である。(1月3日の記事参照)

 

3)専門家と素人の違い

 

専門家と素人の違いの区別は、上記のように①言葉を定義とともに用いるということで可能となる。更に、その姿勢としては、ある分野の専門家は他の分野の専門家に対する敬意を持つ。(補足2)その前提が成立するためには、②専門家を名乗る人たちが、それに値する能力と知識をもたなければならない。日本はこの②の条件も成立していない。

 

「最初の言葉を定義とともに用いる」という点について、少し説明する。例えば物理に知識のある者が「力」という言葉を、学問の場で用いれば、それは「(質量を持つ)物体に対して加速度を与える能力」という定義を承知している筈である。質量や加速度という言葉の意味や単位を聞いて、まともに答えられない人と対話は成立しない。感染症対策の分野で、「安全ゾーン」という言葉にも、一定の定義が必要だろう。

 

それを知らないで、不潔ルートと清潔ルートの張り紙をするだけで、その区分けができていると強弁する副大臣は、自分が専門的知識を何も持たないことを自から暴露したことになる。専門的知識を持つ者なら、「その定義は何ですか?」という岩田教授の問に対して、兜の緒を締め直す筈だからである。

 

次に②の条件が日本で成立していないことだが、それも副大臣は自ら示した。この厚生労働副大臣は、慶応大学という日本の私立大ではトップクラスの大学と大学院を卒業したという。しかし、専門家の意見に対して聞く耳を持たなかったのである。

 

大学院の卒業生だということは、その学問分野の専門的知識を有するという証明書である「学位記」を授与された者ということである。しかし、彼は他の分野の専門家の言葉にたいして、敬意をはらわなかった。その学位記は専門家としての能力を証明するものではなかったことになる。https://www.onedrop-cafe.com/hasimotogaku/

 

勿論、現代は金と力の時代であるから、恐らく金を積めば、米国の大学も同様の学位記を発行する可能性がある。しかし、その額はものすごく高いだろう。また、米国ならその表看板は直ぐに剥がれから、実害はないだろう。専門家として仕事をする場合、数日のうちに実力のなさが暴露されるからである。

 

日本で仕事をする場合、専門家である必要性は大学と研究所以外には無い。(補足2)既に指摘したように、この国の組織一般(研究機関、特に理系研究機関を除く)では専門家が各部門を担うという体制が取れていないからである。それは、日本の内閣にも当てはまるのである。正に、それを証明したのが今回の出来事である。

 

(上記は、公人の名前を出しての批判だが、個人攻撃ではない。)

 

追補1:何度も書いたが、日本には議論はなく、あるのは口論である。「沈黙は金、能弁は銀」であり、通常の議論には銅でも鉄でもない。つまり、日本の文化の中で言葉は、単に依頼や不平の伝達に用いられるだけであり、議論に用いられることは殆どない。

 

(2月23日早朝、再度編集、追補1追加)

 

補足:

 

1)日本は消費増税によりデフレ・スパイラルに入ったようである。しかし、消費増税はピストルの引き金であり、火薬ではないだろう。本質は、日本の汎ゆる組織の効率化が、西欧のようには進まないことにある。それが本稿の主題である。同様の議論を日本の会社を対象に既に行っている。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12564206453.html

 

2)自然科学は、人間が自然を理解する為のモデル(或いは「モデルと理論」)の集積である。ある分野のモデルは、他の専門分野のモデルと整合的に繋がってこそ、正しいモデルとなる。従って、専門家としての仕事を全うするには、例えば論文審査などを通して、同じ専門或いは隣接する専門の人たちの議論に耐えるモデルを構築する必要がある。専門家(他人)に対して敬意をもつのは、真実を掬い取る際の危うさを知っているからである。つまり、自分の提出したモデルが真実であるという保証の無い世界の住人だからである。自分の専門が孤高の存在であると感じている人やそのように発言する人は、天才かその分野の専門家ではないだろう。

 

3)経済を除く文化系の諸分野では、国際交流が無い場合が多く、大学でも専門家が教鞭をとっているか怪しい。例えば、東大の憲法学の教授は、日本政府の体制や日本国民の生命の安全とは無関係に、非武装中立の憲法を護持すべきだと主張している。

2020年2月19日水曜日

日本の不思議2:よそ者にしか現代日本の弱点は見えない

日本は不思議の国である。そして、日本文化にドップリ漬かった人には、その不思議さがわからない。よそ者の視点で書きなぐったのが、この表題の記事である。(補足1)

 

1)大動脈の詰まった患者を見ても、病の本質が理解できない医者:日本の政治家

 

17日からの一泊旅行で、義祖父の49日の法要に参加した。約350kmのドライブであるが、3回ほど休憩をとって5時間ほどかかる。ほとんどは高速道路を走り、休憩は新型コロナと寒いのとで、ほとんど車のなかでとった。

 

不思議に思った最初は、何故、1万円近い通行料を支払うことになるのかということである。往復で2万円ほど取られ、1kmあたりで計算すると30円にもなる。ガソリンは約65リットルだとしても、その消費量は1kmあたり15円ほどであり、その内の5円(リットルあたり53.8円)は揮発油税である。

 

ガソリンへの税金は1957年に施行され、高速道路の建設など道路整備に使われた。日本の大動脈である名神、東名、中央などの高速道路網と新幹線などの交通インフラは、日本の高度成長の礎となり、且つ、財政政策の基本形となったと思う。(素人なので、思うという語尾をつける。)しかし、先進国の仲間入り後は、この種の税と通行料は廃止すべきである(あった)。

 

物流の大動脈に、高額の通行料や揮発油税などでブレーキを掛けて、大きな政府を維持している。それが日本の政治の実態である。現在の安倍内閣は、空っぽの頭の大臣たちで構成され、官僚の人事まで握って中央集権を維持している。(補足2)

 

その内閣が景気浮揚策として探し出した結果が、大都市周辺にカジノを作るという政策である。重病の患者の顔が暗いから、モルヒネで明るくなってもらうという医者と同様である。

 

2)坊主による読経という意味のない儀式

 

2月18日の午前、浄土真宗のお坊さんが来て、位牌に何々院何々居士という戒名を筆書きし、仏壇に納めた。その後、経文を書いた小冊子を各人に配布し、読経が始まった。本には、誰も理解しない、阿弥陀とか南無阿弥とかを含む漢語らしき文章がならぶ。このお坊さんは、親鸞の思想など理解していないことは、葬式のあとの食事の時、ちょっとした会話でわかっている。

 

それでも親族の出席者は、何も考えずに、ひたすら時間のたつのを待っている。読経が終わり、墓に遺骨を納めて、全てが終わった。その後、食事に同席する時間的余裕がないので、帰路についた。

 

スマホに目的地を入力すると、しっかりと道案内をしてくれる。その現代文明の集大成と、坊主の無意味な読経におとなしく付き合う人たちの対照は、井上陽水なら一つの歌謡曲に作り上げるほどに印象的である。(補足1)

 

幼い頃からの経験なら、どのように不思議なことでも、それを(頭脳の)知的活動の対象にしないのが普通の(日本)人なのだろう。私は幸か不幸か、普通ではない(abnormal;補足3)。不思議なことは、ちょっと確かめて見たい性分なのである。

 

親鸞は、「善と悪の別は、日々安全に且つ一定の豊かさの中で暮らす人だけのものである」と、善悪の本質を見抜いた。それは比叡山での修行中の師匠や同輩たち、そして、自分の肉体を含めた自然界や当時の人間界の観察と、法然との会話などから得た結論だろう。その結論と程遠いのが、現在の浄土真宗である。この49日で、その確認をした。


 

浄土真宗は人間個人のための宗教である。それは社会の維持のためというよりも、社会の恩恵から遠いところに居る人間のためのものである。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12574303117.html

 

2月11日のブログ記事「疫病と世界史: 帝国の交代は疫病によって起こる」において、引用した動画にあったた”災害があまりにひどくなると、人々は一切の宗教的感情を失い、神を失う”という言葉について書いた。ここでの神とは、一神教の神であり、皇帝など社会のリーダーの象徴でもある。

 

親鸞は、鎌倉幕府(1192)ができる時、19歳だった。(補足4)親鸞が浄土真宗を拓いた時の時代の人々は、正にそのような境遇だったのだろう。11日の記事で書いたように、宗教には「人を束ねる宗教」と「自分の死(生)をみつめる宗教」の二つがある。仏教は後者である。

 

現在の日本は、人々は社会の恩恵の中にどっぷり漬かって生きている。「葬式は孫の祭り」であり、その時の坊主の役割は、単に「らしく」振る舞うことである。https://cminority.exblog.jp/11286577/ 

 

現代は、豊かな時代だが本質を喪失した時代であり、人々は何かを明確な目的もなく探す時代である(井上揚水の「夢の中へ」の歌詞)。やがて、その本質を失った社会(世界)からの報復で、辛苦の時代に入るだろう。現代はまさにその入り口である。

 

(13時最終版)

 

補足:

 

1)井上陽水は、日本の生んだ最高の作詞作曲歌手(シンガーソングライター)だと思う。幼い頃のよそ者(父親の転居)の意識と鋭い感性が、本質をえぐるような歌詞と素晴らしい曲を作り出した。勿論、社会に背を向ける姿勢には反対だという意見は正論としてありえる。しかし、正論に対して反正論が出せない民族に発展はない。日本の本質は、よそ者にしか見えないし、改革もよそ者にしかできないのだろう。  

たとえは、「夢の中へ」という歌詞のサイトを引用する。現実と夢の対立の先に、未来があると示唆しているように思う。http://j-lyric.net/artist/a00071f/l008f3e.html

 

2)中央集権化は、安倍内閣が作った内閣人事局で更に強化された。中央集権化と内閣低脳化により、大型クルーザー船を新型コロナウイルス培養装置にした。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E9%96%A3%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E5%B1%80

 

3)abnormalのabは離別を意味する。normalのnormは標準や正規を意味する。日本語の「異常」は、その言葉自体に大きなマイナスの意味を含ませている。多分英語のabnormalにも悪い感覚が付随しているだろう。社会での標準化が、言葉の本質として含まれることを示している。それは、言語と社会の平行進化説(私の説)を支持している。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12573093932.html

 

4)源頼朝が1192年にひらいたのが鎌倉幕府である。武家が国を治める時代の始まりだった。1192年を「いい国、1192」として覚えるのが、中高生の常識である。教科書にあるのは、知識の乾物である。乾物のまま受け取り、乾物のまま入試で渡す。その後、頭には何も残らないのが、現代の教育である。

2020年2月17日月曜日

世界政治の現場において真実の占める席はない

1)真実のか弱い叫び

 

国際政治学者の藤井厳喜さんが、遺伝子工学にも知識のある台湾の林博士と討論している動画が配信された。その中で、林博士は今回の新型ウイルスの特徴は、人工的につくられてものであるとしか考えられないと主張している。SARSとAIDSの両ウイルスの特徴を持った生物兵器だというのである。

 

この意見は最初イスラエルの研究者から出て、ワシントン・タイムズが取り上げ話題になった。それは及川幸久氏の動画で1月末に紹介されたと思う。その一つを紹介したことがある。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12571133490.html 

 

同じ説の紹介のようだが、藤井厳喜さんからのものは初めてかもしれない。

今日は、この説の紹介が目的ではなく、この説も「トンデモ説」「陰謀論」的な扱いで終わるだろうという予告である。

 

 

そこで、この動画のコメントとして、以下のような文章を投稿した。

 

 おっしゃる通りだろうけど、それは政治的に握りつぶされるだろう。真実と政治の何方が強いか? 昔は真実だったかもしれないが、今日では政治である。米国の秘密、9.11や月面着陸、の真相バラマキを(中国は)やらない代わりに、今回の新型ウイルスを武漢P4研究所が作ったという説は、闇に葬ろうということになるだろう。ワシントン・タイムズが出した説を、すぐにワシントン・ポストが捏造疑惑として葬ろうとしたのは、この情報戦争の端の一片だろう。金や武力で真相を捻じ曲げることは、現代では常に行われていることである。山口組と稲川会が折り合いを付けるとき、真実が座る席はその場に無いだろう。

 

2)「真実」の地位喪失

 

真実の絶対的地位が大きく毀損されたということは、人は互いに情報交換するための言葉を失ったことを意味する。(補足1)世界は、共通の言葉を失い、争いの中で消滅することになるだろう。

 

「善悪なんて、教会に言って喋れ。世の中は力だ、金だ!」それが現代であり、現代とは真実の敗北した時代である。そして、人間界を支配するのは「政治」になり、その政治というのは単に”誤魔化す技術の集大成”に過ぎない。現代は高貴なる人の世界ではなく、半分原始の時代を思い出した俗人の世界である。我々俗人の棲む世界は、残念ながら、「誤魔化し誤魔化される世界」である。

 

例えば、その昔キリスト教圏では、神の「真実の言葉」が支配しただろう。(補足2)その言葉の中心部分に善悪があったと思う。しかし、近代になってキリスト教が廃れてしまった西欧(補足3)では、善悪と真実は分断され、「真理こそ開放された人間の宝」という時代を迎えた。その真理の探求を専門家が行うことで、高度な科学として集大成した。ずる賢い者たちが、その成果を利用して技術を作り、自分たちが先ず豊かになり、その伝搬により人間界全体が豊かになった。

 

この順番は、それ以降現代まで変わらない。近代経済学とリンクして、資本とその増殖という形をとっているだけで、個人が富を独り占めしていることに変わりない。経済学の言葉は、資本を握るものに便利であり、一般俗人には分かり難くするためかもしれない。

 

その結果、真理の集大成である科学も古めかしい価値として、葬り去られることになった。ノーベル賞とは、技術の世界で評価された科学の端くれであり、科学の本質を葬り去る手段となった。「科学技術」とは、異質なものをくっつけた、金と力の世界での誤魔化しの言葉である。

 

補足:

 

1)ここで共通の言葉というのは、共通の言語文化という意味である。例えば、善と悪という言葉は、どの国の言語であっても翻訳すれば、共有できた。しかし、現代ではそれが不可能になった。

 

2)私は古代神道(自然崇拝)信者であり、キリスト教徒でない。神道には経典がないので、仏教かキリスト教しか引き合いにだせない。仏教の本質は「色即是空」であり、宗教というより悲観論的哲学であると思う。そこで、キリスト教を引き合いに出した。批判等コメントは何でも歓迎します。

 

3)「神は死んだ」と言ったのはニーチェだが、ニーチェは言いにくいことを言う勇気があっただけである。勇気がない人は、それを秘密にしているだけである。

 

 

2020年2月16日日曜日

日本の不思議について:心に思いついたままに記す

1)薬代の不思議

 

このブログの管理者(筆者)も高齢になり、年に数回病院に行く。その時、投薬を受ける毎に何時も思うのが「薬代の不思議」である。薬局から受け取る領収書に付属する代金の内訳を見ると、薬そのものよりも、棚から出して袋の中に入れて患者に手渡すだけの部分に大きなコストが計算されているからである。

 

個人情報を抜き取られる可能性もあるが、その不思議に思う部分を書く。3日前に病院へ行き、薬局から投薬を受けた。その代金のうち、薬剤料は35%以下であった。その他の名目は、調剤技術と薬学管理である。調剤技術とは、棚からアルミ箔でパックされた錠剤を取り出して、必要量を数え袋に入れることである。薬学管理とは、恐らく投薬量が適正範囲にあるかどうかをチェックする位のことだろう。(補足1)それだけで、何故2000円を越える金が必要なのか、さっぱりわからない。

 

勿論、複数の病院に掛かり複数の薬袋を貰う場合、薬手帳から同時服用の危険性を指摘することなどもあるかもしれない。しかし、その危険性があるのなら、それは本来処方箋を書く段階でチェックすべきことだろう。

 

将来的には、医薬管理ソフトを開発して、自動的に医師の前のパソコン画面に出すようにすべきことである。データ入力が大変だが、原理的には極めて簡単なソフトだろう。現在でも、たまに微妙な問題が生じるのなら、病院内で薬剤師と医師の間で打ち合わせをすべきことである。

 

 

2)医薬分業の不思議

 

上記薬剤医薬分業は最初占領軍により導入されたとウィキペディアには書かれている。大分前のことになるが、その医薬分業が行政に取り入れられ、病院内での投薬はほとんど無くなった。その代わり現れたのが、病院の門前にある薬局である。

 

当時、医師による過剰な投薬を防止する意味があると言われて居たと記憶するが、門前薬局で投薬を受けるのでは、そんな意味などないだろう。背後で収益が合算されることなど明々白々である。不利益を被ったのは患者だけである。それまでは病院内で受け取っていた薬を、門を出て再び受付に処方箋を出して待たなければならない。別の薬局に日時を改めて行くのはもっと面倒である。

 

時間の浪費の上に、処方箋発行料、調剤技術料、薬学管理料などの項目別のどこかで、医療費が増加しただけではないのか。それは、数時間前に投稿した記事にあるように、健保組合の財務内容も悪くするだろう。

 

一般に分業は、一つの仕事を二つ以上に専門分けすることである。対話に乏しい文化の日本では、人々の意識改革(その為の文化的進化)が無いとつなぎ目のところで不都合を生じやすい。(補足2)しかし、この医薬分業の問題は、今後医師の仕事も薬剤師の仕事も合わせてAIの仕事となることにより、日本でも解消されるだろう。

 

ただ問題は、日本の大学教育のシステムがそれに追随していないことである。

 

3.日本の教育行政の不思議:

 

私が薬を受け取る薬局には、6−7人くらいの人が働いている。大半が薬剤師だとすると、人材の無駄使いではないのか? 数日前に薬を受け取った時、聞いた言葉は「この薬は安全ですから安心してください。筋肉が痛くなったなら中止してください」という言葉だけだった。それが上記薬学管理料の中身だろう。

 

その言葉で不安になった私は、帰宅後にネットで調べてみると、副作用として筋肉痛の他に便秘があると書かれている。そして、服用後2日後にネット記事の通り、便秘になり服用を中止した。次回までにもう一度、副作用を確認するつもりである。

それは兎も角、「6年の教育過程のなかで、薬学を学び、それを現在の仕事に生かしていると言えるか?」そう聞いてみたい気持ちで、毎回薬袋を受け取っている。

 

現在日本の大学の最難関学部は医学部である。その他の理系学部の難易度に大差はないが、大雑把に言ってその次にあるのが薬学部である。現在、薬学の知識量が増加した。しかし、上述のようにそれらは近い将来、パソコンのソフトに置き換えられ、大幅に集約化されるのではないのか。

 

それだけではない。医者の仕事も、様々な数値化或いは画像化された診断結果から、多分20年後くらいにはAIで代用可能になるだろう。そのような分野に、世間で言う秀才たちを集中的に割り当てるのは、民族(国家)としては愚策ではないのか。日本国にはそのような余裕は無い筈である。

 

優秀な人材を選び出して教育し、国家或いは民族の将来にとって必要な知的財産の蓄積が出来るようにしなければならないが、日本の教育機関はそのようには機能していない。そして日本の政治は、そのように日本国民を啓発する工夫を全く行って来なかった。

 

兎に角、日本にまともな政治などない。立法や司法も西欧の猿真似以上のものではない。その病根は、日本には哲学がないことである。日本では、philosophyを普通哲学と訳する。しかし、philosophyという単語の語源など、知らない人が殆どである。哲学の欠如、これが何時も到着する日本の弱点の原点である。

  追補(16:30)米国からのコメントと返答の要約:
コメント(要約):米国では、医者に処方箋を書いてもらい説明を受け署名し、患者の薬局にemailで送る。処方箋の医薬品の値段は皆同じで、法により薬局には薬剤師を置く義務がある。
返答(要約):この文章は、薬剤師が要らないという指摘ではない。門前薬局は廃止し、医薬分離の利益が患者に向かう形でないと意味がない。医者の処方箋にクレイムをつける薬剤師などいない現状では、病院で薬をもらう方が良い。

補足:

 

1)日本では、分かりにくい表現で請求しても誰も質問しない。日本は、政界だけでなく広く忖度の文化に染まっている。忖度の文化とは、対話の無い文化の別名である。その文化に付け込んで、訳の分からない項目で料金をとるのが日本の公的性質の強い機関の習慣である。しかし、窓口の人には聞きにくい。窓口の人が困る可能性が高いと感じる場合、質問できないのである。今は請求しない自治体も多くなったが、運転免許更新の際にとられていた交通安全協会費もその一つである。

 

2)ある一つの目的達成のために、専門分けして高度な手法を作り上げるのは、西欧文化の特徴である。その根源にあるのは、自然も無数の部品からなる複雑な機械だという認識であり、その思想の大元には、自然は神により創造されたとする創造神話がある。その思想から、自然科学が発展し、現代の機械技術文明に生み出された。科学、つまりscienceは、分けることを意味する。https://www.etymonline.com/search?q=science

 

在米のあるジャーナリストは「日本の生産性をダメにした5つの大問題について」という記事で、日本の会社に元気がないのは、西欧が専門分けして会社の運営を高度化した手法を、日本が上手く取り入れられなかったことだと指摘した。私はその記事に着目して、先月の記事で更に遡って、補足1)にあるように日本文化が対話の文化では無いことに原因があると指摘した。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12564206453.html

複雑な健康保険制度を整理統合すべき

現在、日本国民全てが健康保険制度の恩恵を受けている。しかし、その健康保険制度は複雑且つ不合理であり、私は整理統合すべきだと思う。

https://www.hokenmarket.net/carna/detail/post192.html

 

その動機となる私の体験から書く。国家公務員であった私は、現役時代かなり高額の掛金を共済組合に支払っていたが、本人家族共その恩恵にあずかることは少なかった。掛金から受けた保険金を差し引いて、退職した時まで積み立てていたなら、かなりのレベルの国産車一台分位の支出超過だろう。労使折半だと考えると、更に高級車が頭に浮かび、非常に腹立たしい。

 

しかし、現在は国民健康保険であり、今でも支払額が受ける額をかなり超えているが、死亡するまでにかなりの負担を国保に与えることになるだろう。従って、地方自治体には感謝しなければならないだろう。現役時代に老父母などを扶養していた人は別にして、多くの人がそのように感じているだろう。

 

健康保険制度に対し、一人が腹立たしさと感謝の両方を持つのは、日本の健康保険制度が非常にいびつだからである。

 

組合連合会の発表によると、全国にある健康保険組合(健保組合)の1,394組合(2018年度末)のうち約4割が赤字だという。これら健保組合財政悪化の主要因は、高齢者医療費の大幅な増加であるという。その結果、我々団塊の世代は、今後現在のようには保健による支援を受けられないだろう。

 

日本の行政は何もしない。内閣のメンバーは漢字がろくに読めないレベルの人の集合であり、その下の官僚たちは自分たちの権益と天下り先のことしか考えていない。こんな国家にたいして、国民が国家意識を持たないという意見をブログ記事に書くのは、矛盾しているという批判は正論だろう。

 

2020年2月14日金曜日

武漢コロナウイルスは生物学兵器がもれたのか?(3)

1)日本の取るべき手段:

 

昨日、新たに4人の国内感染者が出た。その内の高齢の方一人が死亡した。死亡者が最近明らかになったタクシー運転手の義理の母だというが、感染に至る接触の詳細は、昨日感染が公表された和歌山の外科医同様、明らかではない。死者が出たことと、感染経路が明らかでない市井から新たな感染者がでたことで、日本での新型肺炎ウイルスに関する情況は新たな段階に入ったと言える。

 

また、横浜に着岸しているクルーザーからは40人以上の新たな感染者がでた。検査の範囲を広げれば、感染者数はどんどん増加する。既に書いたように、このクルーザーは速やかに離島に移動させ、乗客乗務員を仮設住宅等に分散収容し、人口密度を下げるべきである。クルーザー乗船者経由の国内伝染を防ぐためにも、新たな感染者の発生をできるだけ防ぐべきである。米国の大学が掲示する感染者数などのリアルタイムデータは、その条件を考えれば、信頼できる値ではない。https://gisanddata.maps.arcgis.com/apps/opsdashboard/index.html#/bda7594740fd40299423467b48e9ecf6

 

PCR検査が数千人のクルーザー乗船者ですら満足にできないのが現状である。従って、実際の感染者等の数は中国で数十倍、日本でも10倍程度或いはそれ以上になるだろう。現在、日本政府が取らなければならない措置は、中国から或いは中国を経由した人の全面的な入国拒否である。中国の飛行機乗り入れを早急に禁止すべきである。これら劇的な措置が経済的に極めて重大な影響があるとして取り得ないのなら、その旨国会等での議論を経て、明確にすべきである。

 

この新型ウイルスの感染力は極めて強い。後で引用するが、鳴霞氏が引用するように、SARSよりも強力なウイルスである。その一つの特徴として、発病前の患者からの感染力が相当強い。従って、感染経路は接触、飛沫の他に、空気感染も重要だろう。中国がエアロゲル感染という新しい言葉を作ったのは、それを既によく承知しているからである。日本の感染例でも、発病前の人から感染しているので、接触感染や飛沫感染だけだとは考えにくい。

 

この未知のウイルスのタンパク質には、藤井厳喜さんの解説によると、他のウイルスなどのアミノ酸配列がそのまま挿入されていると言う。つまり、人工的に創られた可能性が強いのである。

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=9RUjmdbXop8

 

もし、これが武漢のP4研究所で開発され、反共産党の考えを持つ人による意図的な放出、或いは、何処かに輸送(輸出、横流し)する際の事故的放出であれば、その対処法は中国政府が知っている筈である。上記エアロゲル感染も、消極的に白状した事実の一つだろう。つまり、あの都市の交通遮断による封鎖、重慶での厳格な外出禁止措置、収容所風の病院建設など全ては、共産党独裁政権の強引な手法というより、既に保持していた手引書による科学的な措置である可能性が大きい。

 

つまり、日本でもかなりの流行する可能性が大きくなってきたが、今後の対処法は中国に学ぶべきである。外出はなるべく控えて、一家からは2日に一度以下にし、外出先の用件は予定表に従って、最小限の立ち寄り場所で済ませて帰宅し、玄関先で手と靴底をアルコール消毒するのである。自分が感染者でなければ、既に米国政府筋が言っているように、マスクはそれほど有効ではないだろう。(補足1)


 

2)中国の情勢:

 

習近平の保身:「月刊中国」を編集する鳴霞さんのブログでは、習近平は既に北京中南海から西山という中国人民解放軍指揮センターに引っ越したという。武漢での肺炎ウイルスの件で政権が不安定になり、暗殺をおそれてのことである。この武漢ウイルスの件による新しい政治動向は、中国で新たな段階に入ったようである。日本はこの動きを注視して、速やかに行政に反映しなければならない。

 

遺体袋:同じ動画で、中国政府は100万枚の遺体袋の製造命令を出したという。つまり、死者が出た場合は、防禦服に身をかためた人が、遺体を速やかに遺体袋に入れて火葬するのが、遺体からの感染を最小限にするからだろう。日本もこの方法に学ぶべきである。更に武漢では、野原に穴をほり、そこに遺体を投げ入れて焼却しているという。(11分ころ)この動画で言及されたその他の情報は補足2参照。


 

https://www.youtube.com/watch?v=8obpix2EORQ&t=1068s

 

都市封鎖の禁止命令:更に、同じ動画で、習近平は州や都市の封鎖(封柵)が中国経済の崩壊につながるので、それを中止する命令を出したという。州の判断による封鎖は、それら各州が(軍閥時代にあったように)独自の政治的動きと解釈されるという。今回の命令は、ウイルスの伝搬を防ぐ為の封鎖を解除するという意味だけではなさそうである。ウイルスの出所などについては、今後明らかになるだろう。それは、米国政府が正式に医学会に、その出所解明を依頼しているからである。しかし、それとは独立に、習近平政権が倒れれば経済が崩壊し、中国は内乱状態になるだろう。それが日本や世界にとって利益になるとは思えない。

 

世界の中で、中国経済は既に大きくなりすぎており、崩壊からの再建という形での民主化は、世界にとって非常に危険である。つまり、中国の共産党独裁から民主化への移行は、中国人自身の手によりなされるべきであり、疫病に大きな歴史的役割を与えてはならないと思う。

 

台湾侵攻の可能性:この都市の封鎖解除命令と伴に注目されるのは、中国三軍が台湾海峡で(このウイルスによる国難の最中に)軍事演習したというニュースである。

 

https://www.youtube.com/watch?v=qyoiptkc9P4&t=677s

 

この演習は、米国に見せるためだと鳴霞氏が言っているが、そうではないだろう。習近平は、崩壊しかけた政権に再度向心力を回復する方法として、台湾侵攻を試みる可能性がある。今回の演習はそのためのものかもしれない。他に見せるためだというのなら、それは中国国内の反習近平勢力が対象だろう。

 

それは丁度、F.ルーズベルトが世界恐慌から立ち直れない米国に、向心力を回復するために対日参戦をした歴史と相似である。

 

 

3)人民解放軍による大規模ハッキング:

 

日本や米国の親中勢力は、人民解放軍のハッキング部隊が違法に入手した個人情報を武器にして、育てられた可能性がある。トランプ政権以前の米国政治や現在の日本政治において、どのように考えても理解できない親中政策がある。与党最高幹部が、中国を日本の親戚に喩えるなどもその一例である。https://news.nicovideo.jp/watch/nw6510830

 

それが、個人情報を基にした中国の脅しによる可能性(あくまで可能性の話である)があると指摘されている。その場合の重要な証拠(情況)となるのが、最近米国により発表された中国人民解放軍兵士による大規模ハッキングの件である。

 

この話は、先程の鳴霞さんの動画にも触れられているが、より分かりやすい解説が及川幸久さんの動画でなされている。2月10日米国司法省が、2017年米国信用情報会社、エクイファックスに対するハッキング事件で、中国人民解放軍第54研究所のハッカー4人を特定し、起訴したという。

 

https://www.youtube.com/watch?v=--wnwn4Usn4

 

このファッキングで、米国人の半分、1億5000万人の個人情報が抜き取られたという。この事件が深刻なのは、それを用いた政治工作が米国で為された可能性があるからである。及川氏は、米国よりも遥かに対策がぬるい日本では、そのような工作は容易なことであると指摘している。

 

何やら最近中国寄りの姿勢が鮮明になっている日本政府と与党政治家との関係が連想される。米国のようにまともな政治家でも、その手の工作に落ちるとしたら、日本の政治屋ならその10分の1の労力で、彼らの手に落ちるだろう。中国共産党政権は手段を選ばない。政治的変数から、国民の中の知識人層の意見や野党勢力の意見などを取り除くことが可能なので、恐ろしいような手段も躊躇なく選択できるのである。

 

勿論、最近のネット社会では、最下層の人民一般の意見は無視できない。中国の習近平政権が切羽詰まって、外国侵攻を考えるとしたら、現在の日本の親中政策は、それを幾分封じる働きをするだろう。人民の支持を得にくいからである。

 

(午前8時30分、10時30分最終編集)

 

補足:

 

1)西欧は本音と建前を峻別して用いる。建前は、誰でも見ることが出来る形で公式発表される。しかし、本音は公式にはなかなか出さない。しかし、本音は公式というタグが付いていないが、分かるように出される場合が多い。この新型ウイルスの生物兵器説は、その本音の部分で西欧では常識となっているという。

 

2)武漢の病院が、2ヶ月で35万元の給与で掃除夫を募集しているという。この破格の給与が意味することは明白である。また、中国全土から1万名の医師が武漢に派遣されたことも報告している。重要なこととして、潜伏期間40日説を中国が出したという話が紹介されている。更に、患者の中で変異する可能性を藤井氏は言及している。

 

3)カナダの有名な医学研究者がアフリカで死亡したというニュースも報じている。また、新華社通信が「習近平は武漢に行きましょう」という表題のニュースを流したという。人民日報(政権側)と新華社は仲が悪いことが分からないとこのニュースを材料にできない。新華社は、習近平を挑発しているという。

2020年2月11日火曜日

疫病と世界史: 帝国の交代は疫病によって起こる

ある歴史家のyoutube動画を見つけた。「感染症の世界史」という題名で、世界史に残る大疫病として、ペロポネソス戦争中にアテネで発生したペストを紹介している。(補足1)スパルタとの戦争で劣勢になったので、ギリシャの指導者ペリクレスが市民を城内に非難させることにした。その結果城内の人口密度が非常に高くなり、衛生状態が悪化したことがその大災害の原因らしい。

 

https://www.youtube.com/watch?v=ViYHqQIsahc&t=93s

 

その疫病とアテネの様子を記述したトゥキュディデスの戦史から、その地獄絵図的情況が紹介されている。結局その疫病により、アテネの人口の1/3が死んだという。

 

「戦史」の中から、興味ある内容が紹介されている。「災害があまりにひどくなると、人々は一切の宗教的感情を顧みなくなる。その結果、葬式の習慣も無くなる」というのである。そのような大災害の中では、人の社会を作る為に存在する精神活動の表の部分が剥がされてしまうようだ。

 

そこからこの歴史家は、二つの重要な話をしている。その一つは、ギリシャの大衆は秩序を放棄して衆愚と化したが、知的貴族は哲学を作り上げたことである。神々から”開放”されたことで、唯物論に目覚めたことがその原因だという。デモクリトスの原子説など“自然科学の基礎となる哲学”を作り上げたのである。

 

もう一つは、「古い帝国がその神々とともに消滅し、新しい帝国が新しい神々とともに生まれる」という歴史解釈である。ローマでも疫病(アントニヌスの疫病)が発生し、人口(5000万人)の10%が死ぬ。そこで、古い神々が滅び、キリスト教が広まることになる。この歴史家は、同じ論理で、中国における仏教の発展、日本の神道についても語っている。(この次の話)

 

 

 

2)この動画を見ての雑感

 

以上のモデルは、私が数日前に書いたブログ記事「人類は、高度に発展した文明に適合する社会を作れるだろうか? 社会と言葉及び文化の同時進化」と非常に近いと思う。そこで単なる思いつき的に書いた「宗教と言語の同時発生」の部分以降は、この「疫病の世界史」と同様、ジャレド・ダイヤモンドの「銃・病原菌・鉄」に提供された歴史の見方を用いている。

https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12573093932.html

 

非常に興味深いのは、”災害があまりにひどくなると、人々は一切の宗教的感情を失い、神を失う”ということである。つまり、歴史上有名な大部分の宗教は、人々を団結させ社会を成長させるために存在したということである。

 

ここで自説を紹介する。それは、宗教にも2種あるということである。それをここでは「人を束ねる宗教」と「自分の死をみつめる宗教」と呼ぶ。上記帝国を背負う宗教には、キリスト教やイスラム教、マニ教やゾロアスター教などがあり、帝国の興隆衰退と同期する。しかし、その性質は、元々の仏教(原始仏典にある)など「自分の死をみつめる宗教」には、当てはまらないだろう。

 

日本に大きな政変が起こらず、2000年間天皇制が定着したのは、日本人が伊勢神道という人を束ねる宗教とともに、親鸞の仏教のような自分の死を見つめる宗教の二つを持ち、人の精神世界において互いに補完的に働いたからだろう。つまり、他の政治と結びつく形の宗教、イエズス会のカトリックなどを、寄せ付けなかった。

 

比叡山の僧兵が滅んだのは、兵士が持つべきは「人を束ねる宗教」なのに、仏教を看板にしたことだろう。日本の古来の神道は、伊勢神道とはことなり、自然を母とし、死により自然に帰るという宗教だと思う。

 

話は飛ぶが、現在中国の武漢で進行している新型肺炎の大流行も、ペロポネソス戦争中にアテネで発生した疫病同様、衛生状態の悪化が原因だろう。そのミニモデルが、横浜に停泊中のクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」で、大勢の感染者が出たことである。封鎖が疫病による災害を増幅するのである。昨日の記事で提言したように、伊豆諸島の何処かに仮設住宅を建設して、そこに移住してもらうのが最善だろう。

 

更に話を飛ばして元に戻ると、中国での政変と結びつく可能性も、考えられるかもしれない。武漢だけでなく、多くの大都市を封鎖する中国の対コロナウイルス戦争の戦略は、ギリシャの歴史に学んでいるとは言い難い。

 

補足:

 

1)歴史書の記述plagueを、ペストと訳しているが、plagueの意味には疫病という意味もあり、トゥキュディデスの「戦史」に記述されたその病気の症状から、天然痘という説が最近では有力だという。

2020年2月10日月曜日

新型コロナウイルスの伝染は短期終息しない可能性が高い(追補あり)

新型コロナウイルスの伝染は短期終息しない可能性が高い

 

 

このウイルスとそれによる病気のデータが一番多いのは中国であり、現在この病気について一番良く知っているのは中国保険部だろう。その中国が武漢から遠く離れた都市でも、外出制限を厳しくしだしていることに注意が必要である。

 

例えば、武漢から1000km離れた重慶でも、2月8日ごろから、各家庭の中から二日に一度しか外出の許可証をもらって、買物に行けないという。そして、中国だけが可能なのかもしれないが、リアルタイムで感染者の発生位置の地図をネット配信しているようだ。その程度の厳重な管理がなされているのが中国大都市の現状である。

 

 

 

一方、日本では感染率、更にこの病気での致死率が低いということで、それほど神経質にならないでも良いのではないかという論調の意見も聞かれる。未知な病気に対決しているという緊迫感のない対応では、禍根を残す事になりかねないと思う。(https://www.youtube.com/watch?v=w6mgfVX2ApA&lc=z23nh52hgviwulsxb04t1aokggxqa0r3e0dhfvlczwgybk0h00410 でのmoh korigoriのコメント参照)

 

今日、横浜に接岸しているダイヤモンド・プリンセス号での感染者数が3桁になり、そのウイルスの伝染力の高さが証明されてきている。テレビで中国保険部が、このウイルス肺炎はエアロゾル感染で広がると発表したと言っていた。つまり、この新型肺炎は空気感染(エアロゾル感染を含む)で広がるのだ。空気感染や飛沫感染と分けて、エアロゾル感染なる言葉を新たに定義する必要などないと思う。菌或いはウイルスがホコリなどに付着して空気中を彷徨い、それを吸った人に感染するのである。患者が以前に居た室内で、同じ空気を吸っただけでも感染するという点で、通常の空気感染と同じだからである。(補足1)

 

もし、エアロゾル感染の意味が、患者が排出した飛沫がゾル化し、患者が居なくなっても暫くの間だけ浮遊する比較的大きな粒子で感染することだというのなら、通常の空気感染よりもマスク着用はかなり有効だろう。各自が漏れの少ないマスク着用を心がけるべきだろう。マスクの中でも、N95というタイプのものは、非常に有効だというから、外出を余儀なくされる方は、入手すべきだろう。(補足2)

 

また、上記のような感染なら、クルーザーのような限られた空間に多くの人を閉じ込めるのは、感染していない人でも新たに感染する確率が非常に高くなる。従って、例えばオーストラリア政府などが行っているように、離島の一部に仮設住宅を建てて収容するなど(そこに数人ごとに分けて収容する)、人口密度を下げる方法を考えるべきである。少なくとも、新たに換気装置をつけるとか、頻繁な換気に心がけるべきである。

 

追補:ここでは空気感染を重視すべきと書きましたが、その後の専門家の意見から、やはりその可能性があまり大きくないに訂正します。つまり、非常に小さい飛沫でも感染するというのが、中国のエアロゾル感染という考え方だと思います。(2月15日)

https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20200215-00163137/

 

補足:

1)エアロゾル粒子の大きさとか、患者から排出後の病原体残存期間などで分類可能だろうが、そんな分類はあまりされていないと思う。要するに、患者が咳などで排出する飛沫よりも小さく、空気中に相当期間浮遊し、患者の居ない空間でそのウイルスを含んだ粒子を吸収すれば感染するということである。両方とも、ウィキペディアの「感染経路」の中の、飛沫核感染にあたる。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9F%E6%9F%93%E7%B5%8C%E8%B7%AF

 

2)結核は空気感染すると言われる。その空気感染とは、菌が患者の呼気に排出されて、それにより感染するのではない。やはり咳やクシャミにより排出された唾液などに混じった菌とホコリなどが乾燥後も浮遊し、それを吸って感染するのである。https://jata.or.jp/rit/rj/nakajima.html なお、微粒子が多数空気中に浮遊する状態をエアロゾル(Aerozol)というのであり、単位体積あたりの個数などの定義は無い。(エーロゾル或いはエアロゾルについては、岩波「理化学辞典第三版」による。)

2020年2月8日土曜日

武漢コロナウイルスは生物学兵器がもれたのか?(2)

中国関連の評論家の河添恵子氏は、武漢肺炎ウイルスは武漢P4研究所から何らかのルートで漏れ出たものである可能性が非常に高いと、西欧では考えられていると言っている。つまり、武漢市の対応が遅れたのは、北京が隠蔽の方向を選択し、情報の公開の許可を出さなかったからだというのである。

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=FnH_8iNbc28

 

河添氏は、新設の病院もプロパガンダのためのものだろうと言っている。少なくとも病室一つは設備を完備して、様子を世界に配信するためだろう。この種の考え方は対中国では常識的だが、日本のテレビはその考え方で情況を紹介しない。新聞にも裏にありそうなことは何も書かれない。日本も中国同様、情報が封鎖されている国のようだ。以下は、ちょっとだけ検索して出てきた欧米系の報道である。

 

ガーディアン紙によると、Zhou Xianwang(武漢市長)は、中国中央電視台のインタビューに答えて、初期の段階で適切な情報公開と適切な対応を行わなかったと非を認めている。そして、世論が望むなら辞任しても良いとしながら、「地方政府が情報を完全公開するには中央の許可が必要である。(許可を求めたが)中央の姿勢は他の件に比べて厳しいものだった。」と指摘した。

 

Zhou Xianwang wore a mask for protection as he told the Chinese state broadcaster CCTV: “We haven’t disclosed information in a timely manner and also did not use effective information to improve our work.”

He said he would resign if it helped with public opinion but pointed out the local government was obliged to seek permission before fully disclosing information about the virus, and that their response had since become “tougher than others”.

https://www.theguardian.com/science/2020/jan/27/china-coronavirus-who-to-hold-special-meeting-in-beijing-as-death-toll-jumps

 

上記河添氏の動画にあるように、中央政府が恐れたのは、生物兵器として開発していたウイルスが何らかの形で漏れた可能性であり、それが事実でありその詳細が世界に知れ渡ることだろう。その場合、習近平政権が非常に厳しい情況に追い込まれるからと推測される。

 

シンガポールの英字新聞のThe straits timesも、上記武漢市長の表明を紹介したあと、武漢市共産党幹部Ma Guoqiangの意見として、「もっと早く封鎖措置をとっていれば影響が小さく抑えられただろう」を掲載している。

https://www.straitstimes.com/asia/east-asia/wuhan-mayor-says-containing-virus-still-a-severe-complex-task

中央政府も、その意見に同意しているが、武漢の市長をトカゲの尻尾切りに使うための準備だろう。

 

米国WALL STREET JOURNALも同様に、上記の武漢市長のコメントが、李克強首相が市内に到着して感染した患者や医療従事者に会ってから数時間後に、州のテレビネットワークで放送されたと書いている。

https://www.wsj.com/articles/chinas-premier-tours-virus-epicenter-as-anger-bubbles-at-crisis-response-11580109098

 

最初に武漢でこの病気の蔓延を指摘した医師8名は、当局により拘束され、その一人は中国の英雄として、亡くなった。(この件の及川氏の動画:https://www.youtube.com/watch?v=uTU0EEf1mOc)今日の妙佛DEEP MAXではこの辺を上手く解説している。

 

 

今日は気分が優れないので、中途半端だが、ここで文章を閉じる。

 

補足:

生物兵器は今後の国際紛争において、非常に有力な武器となるだろう。うまくやれば、自然発生の病気として、一つの島国の人間を完全に殺してしまう事が可能である。鍵は、強い伝染力と高い致死率、そして外部環境で簡単に死滅するウイルスだろう。半年もすれば、ウイルスは完全に無くなり、移住も可能になる。核兵器ならどこが攻撃したかは明白だし、国際的非難の嵐に耐えなければならない。それに、半減期が長い放射性物質が移住を困難にする。

朱 成虎(しゅ せいこ )は、国防大学教授で中国解放軍少将だが、日本人などを将来核兵器により全滅させることも考えるべきだと言った人である。朱さんは、同様の目的達成の武器として今は別のものを考えているだろう。朱氏はその後失脚していない。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E6%88%90%E8%99%8E

 

我々が思い出すべきは、南北のアメリカ大陸の原住民の殆どを殺した西欧の武器は、銃や大砲ではなく、生物兵器として機能したコレラなどの病原菌だったことである。(ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」)

2020年2月7日金曜日

(再録)自ら進んで恵方巻き屋の餌食になる人たち

以前、3年前の節分に以下の文章を書いた。「今日は」を「2月3日は」と読み替えていただきたい。読み返してみて面白いので再録する。補足は今回新たにつけた。

 

1)今日は節分で豆まきをする日だが、それに加えて恵方巻きの日だそうだ。この変わった新しくできた風習が短期間に広がるような国は日本だけだろう。恵方巻きの風習は、あるコンビニ店が1998年に初めてから急激に広がったという。(ウィキペディアの恵方巻きの項参照)日本中で、ある方角(恵方)を向いて巻き寿司に黙ってかじりつく姿を想像して欲しい。なんと滑稽な光景だろうか。由緒ただしく”恵方巻き”を行う方法は以下のサイトにある。http://xn--365-4k4bodqhlg.com/archives/575.html

 

今日のスーパーマーケットのチラシ(読売新聞に添付)は3枚あったが、その全てに恵方巻きの宣伝が大きく掲載されていた。数年前まではこのようなことはなかったと思う。日本では、近隣が何かをやりだすと、同じことをやらないと不安になるらしい。この風習を奇異に感じるのだが、そのようなひねくれ者は少数派だろう。

 

2)ずっと前の話だが、大都会の公務員住宅に住んでいた頃、子供の体格などを考えてナップサックで通学させたことがあった。交通事故などの危険性がランドセルでは高くなると考えたからである。2ヶ月も経たないうちに、周囲から変な家だと思われたらしく、ある家の奥さんから嫌味を言われた。子供のいじめに繋がっては大変と思い、ランドセルに変えざるを得なかった。何もかも横を睨んで決めるこの国の異常さを示す一例であると以前どこかに書いた。

 

私は、恵方巻きや豆まき、その他の多くの日本の風習に疑問というか不快感を持っている。この種の風習が短期間に広がることに滑稽というより気味悪さを感じる。それは、誰かがある説を唱えると、日本人の多くがそれに容易に従属することを示しているからである。「まあ国民が揃って楽しむことを一つ創り出したのだから、良いではないか」という言葉は理解できるのだが、それはその他の場面で自立した個人の姿が見られる場合に限られる。

 

なぜ横並びになんでもしたがるのか?それは、自分の感覚や能力に自信がないからだが、それを獲得すべく努力する切迫感も持ち合わせていないのだ。そして、現状を受け入れるとか、あるいは周囲に合わせておくと言う“楽な道”を選択する。この国では、目立たないことが徳であり得なのだから。

 

“楽な道”の選択が可能なのは、一応豊かな環境に育ったからである。そして“切迫感がない”のは、その豊かさは祖父などの世代が血を流して得た豊かさであることなど知らないからである。近代史を一切教育されていないので、今の青壮年は世界の厳しさを理解していないのである。

 

自分に能力や感覚がないのなら、それを付けるべく努力すべきである。何もかも、一から自分の考えを組み上げようとするのが、自立した成人の姿である。こちらが恵方だと見知らぬ怪しげな人が自信ありげに言っても、その根拠を自分で考えるべきなのだ。豊かな時代が終われば、その恵方には罠があるかもしれないのだから。(補足1)

 

3)私は無神論者ではない。しかし、既存の宗教を信じる者でもない。ただ、太陽や地球、そして、そこに生きる様々な生物の存在は奇跡であると思う。時間、空間、物質、そして何よりも自分という存在すら自分では理解できないのだから、絶対神の存在など否定できるわけがない。しかし、神が存在したとしても神は我々個人には無関心だと、私は思っている。

 

その一方で、自分以外の人たちが幻影ではなく、自分と同じ人間だとするなら、他の人たちが作ったことは自分にとって判断可能な範囲に含まれると信じる。歳徳神(恵方などを決める)とか古くからあるものでも、人がなんらかの都合で作ったと思われる神や、日本の多くの人格神など全てが、くだらない幻だと思っている。

 

賽銭を投げ入れて、木像や建物に手を合わすだけで、あるいは巻き寿司をある方向に向かって食べただけで、何か良いことが期待できるわけがない。ただし、それを考案した人には間違いなく、金銭的な利益が転がり込む。そんなことをして、そのようなことを企んだ人たちに利益をもたらして、悔しさや腹立たしさを感じないのが情けない。

 

この世界には、自分たちの企みを達成するために適当な情報を流し、巧みに世論を動かそうとする人が多くいる。「注文の多い料理店」(補足2)なら、気付くかもしれない。しかし、注文の数を巧みに減らした料理店なら、我が国の人たちは進んで餌食になるだろう。

 

恵方巻きなんか小さいことでどうでも良いのだが、一言書きたかっただけである。 

 

補足:

 

1)娘が卒業式のとき、殆どの女子学生は袴を着て出席した。父親の私は、それに反対した。多くの同級生が袴で出席する中、娘はスーツで出席することになった。この頃、成人式や卒業式でその種の馬鹿げた習慣が広がっている。私は、そのような”日本文化”が大嫌いである。

 

2)注文の多い料理店は宮沢賢治の有名な短編小説。注文の多い料理店は、森の妖怪が道に迷った漁師を食べるために用意した幻のレストランである。「注文の多い」という言葉には二通りの意味がある。空腹の漁師はそこに入り、泥を落としたりクリームを体にぬるなどの下準備をする。多少変だと思いつつも、それらが格式の高い料理店に入る準備だと相手が期待したように誤解して前に進む。最後の「塩を全身に塗り込んで下さい」という「注文」のところで、自分たちが妖怪の料理店のための材料だと気付くが、手遅れである。食事室の手前で、ナイフとフォークをチラリと見て泣き出してしまう。最後のところで、逸れた猟犬が戻ってきて助けられるのである。

 

2020年2月6日木曜日

人類は、高度に発展した文明に適合する社会を作れるだろうか?(1):社会と言葉及び文化の同時進化モデル

人類は、高度に発展した文明に適合する社会を作れるだろうか?(1)

ーーー 社会と言葉及び文化の同時進化モデル ーーー

 

人類は、その文明の石器文明、鉄器文明、機械文明、電子文明という発展に伴って、その社会を部族、民族、国家、国際社会と拡大且つ複雑化させてきた。人の文化とその表現のための知性や言葉の発展が、この文明の発展と平行して進んだとするモデルを考えてみる。そして、その文明の発展、社会構造の発展複雑化に、文化の発展が追随できなくなったところで、文明の崩壊が起こるのではないかと考えた。ここで、文明の発展を物質的豊かさ及び生活の利便性向上と定義し、文化の発展を、文明の発展により高度且つ複雑化した社会で生きる上での精神世界の複雑高度化と定義する。

 

先ず、社会と個人の接点にある二つの自分、本音と建前(それらの定義)、の議論から始め、今回は民族社会の発生と進化について書いてみる。この分野に属する啓蒙書で読んだのは、ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」くらいだが、ここで書くような議論は無かった。また、言語の発達と社会の発展とを関連付けたような議論は、岩波の科学の特別号「言語の起源(2004年7月号)」には無い。(批判など歓迎します。)

 

1)本音と建前について:

 

人は普通、本音と建前を持つ。本音は個人の私的な空間の中心に存在してその意思と直結した自分(の考え)であり、建前は社会に向けた“表向きの自分(の考え)”である。例えば、「マイノリティーの権利尊重」という考えは、建前として主張して(或いは受け入れて)いるが、それは本音と必ずしも一致しないだろう。しかし、自分もマイノリティーになる可能性があり、そうなった時(そうだと気づいたとき)、その建前の重要性に気付くだろう。

 

両者を比較した場合、建前の方が、普通、論理的整合性が維持されている。それは、建前が主に先人の賢者たちにより形成され、幼少期から受けた教育により植え付けられているからである。従って、建前は社会の構成員(の多く)により共有される。一方本音は、自分の個別の事情や欲望から離れない“リアルタイムの自分”なので、その正当性をその文化の中で主張することが困難な場合が多い。

 

人は自己の生物としての本来の行動に抑制を掛けて、社会を作って生きている。生物としての欲望には予定表はない。しかし、自分も受け入れている社会の要請或いはルールは、予定表に従って行動するように規制する。後者を肯定する建前と、リアルタイムの自分に支配された本音との間に、乖離があるのは当然である。

 

その社会の要請とは、社会を構成する多くの人の本音を、秩序を保って達成するためのものである。多くの人がリアルタイムの本音の自分に支配されて行動すれば、社会は崩壊し、結局自分の基本的要求さえ永遠に満たされなくなるだろう。(補足1)

 

最近、「建前と本音の二重らせん」という表題の原稿を再録し、建前は嘘の羅列ではなく「社会の基礎としての地位」であることを再確認すべきだと書いた。勿論、本音は自分の個人としての権利の主張と不可分であり、社会の中でも自分が行動する上での動機やエネルギーの源泉である。建前と本音は生きている個人において「二つの自分」(補足2)として保持されるべきであり、融合して単眼的になってはならない。

https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/07/dna.html

 

今回は、社会の成長を進化論的に考えて、それと本音や建前の変遷について考察してみる。

 

2)民族社会の発生と成長

 

人間は社会を形成して豊かに生きている。人々は、その社会の文化と文明に学び、専門的な能力を身につける。自分が専門的に身に付けた能力を用いて多数の他者に恩恵を与え、それと引き換えに、異なる多くの分野において、他のメンバーの専門的能力から恩恵を受ける。

 

社会が、どれだけの専門分野に細分され、夫々がどれだけ深い知識と高いレベルの技術を要するかは、社会の発展の程度による。社会の発展過程と要求される文明と文化の関連について以下少し考えてみる。

 

太古の時代の小さい群れ(原始的社会)は、力の強いボスがリーダーとなる単純な大家族的構造を持つだろう。そこでは強い力を示すことで、その群れのリーダーに相応しいとメンバーから信頼される。それは類人猿の世界のリーダーシップのあり方だろう。言葉の無かった時代、人もこのような群れ或いは社会で生活していただろう。

 

農耕などにおける技術の発展や、鉄製の武器の出現などにより、人の集団は、部族から民族となって大きく且つ複雑化する。集団が大きくなることは、二つの面から部族の生存に有利である。その一つは、多くの活動を分業することで、それぞれの専門のレベルが高くなることである。もう一つは、大きな武力を持てることである。(補足3)

 

部族・民族間には野生の戦いの原理が働き、たとえ部族内のメンバー間に殆ど付き合いの無い関係にあっても、相互扶助の原理が働く。つまり、自分の民族に属する人なのか、対立する民族の人なのかで、対応が全く異なるべきである。構成員が自分の民族の為に行動する際には、リーダーが作った民族のルールに従わなければならない。その結果、人は内なる私の空間と、外の社会的空間(公的空間)の両方を持つことになる。私的空間では本音に戻れても、外では公のルール(建前)を大事にしなければならない。

 

この段階では、部族或いは民族のリーダーは、他の部族や民族との競争を勝ち抜いて生きる方法を、戦略として言葉で示し、部族全体でそれを実行する必要がある。言葉の発生と進化は、この小さな部族から大きな民族への成長・生き残りと同時進行的に生じたと私は考える。それは、①言葉の支配者が、部族や民族のリーダーであることを意味する。このような考え方を示したのが、昨年6月中頃の記事「言葉の進化論」である

https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/06/blog-post_18.html

 

言葉に魂を感じるのは、或いは言霊が存在するのは、上記モデル①の証拠の一つである。現在の言語学は、言葉の進化に関しては五里霧中状態である。言葉は、定義を緩くすれば動物も持っている。問題は、言語の進化である。言語は、社会のリーダーが主導権を持って改良し、社会の高度化(組織化)の要請により進化したという本稿での考え方は、何処にも無いだろう。

 

3)社会による神の創造:

 

聖書の記述にあるように、神がこの世の創造を言葉に従って行ったのである。つまり、この社会との関係における自然界や人間界の全てを命名し、それらの相互のあるべき関係などについて、神が記述したのである。神とはその民族のリーダーのことである。多くの神話などでは、世界は混沌のなかから生じたという考えが多い。しかし、混沌から秩序は生じない。(補足4)

 

その部族或いは民族のメンバー間の関係や生き残り戦略などは、言語で体系化されて文化の一部となる。その文化の重要なコアの部分を言語で表現したのが道徳と倫理であり、それらは後世になって宗教と呼ばれる。従って、宗教と言葉は不可分である。(この不可分の関係が壊れ、宗教が言葉から分離したとき、宗教は堕落を始めるだろう。)

 

宗教は、上位下達の社会秩序形成の方法である。優れた文化を築き上げた民族は、分かりやすい論理的な言語と体系的で優れた宗教を作り上げた筈である。優れた宗教とは、その宗教を信じる人々の集団を大きく成長させる宗教である。

 

以上の理解は、言葉が神から授けられたと考える聖書の世界観と整合性がある。つまり、聖書の記述は、その宗教と言葉が本来一体として存在したことを示している。ただ、宗教的に統合された民族の社会から、複雑な組織とルールを持つ国家にまで社会が高度化したとき、旧来の宗教や聖典ではその運営ができなくなる。その矛盾の一定の解決は、宗教改革とかユダヤ教=>キリスト教のような宗教のバージョンアップによって為されただろう。

 

現代、国家の上に、もう一重の国際社会が出来つつ在る。所謂グローバル化は、人類がもう一重の国際社会を“重ね着”する代わりに、これまでの国家という社会を破壊して社会の拡大を図る。それはこれ迄の国家単位の文化も破壊するだろう。国際文化など、多くの人種の絶滅が無ければ出来ないだろう。世界の破壊が始まる筈である。それを期待する人たちの謀略だろう。この問題については次回考える予定である。

 

 

補足:

 

1)これは、犬と人間の関係も同様である。犬は「待った」という命令を聞いて、自分の食欲を抑制する。その秩序ある関係構築の結果、飼い主は犬との信頼関係を確認し、犬は日々の食料や自分の住処を獲保できる。犬は建前として、飼い主の「待った」を、本音よりも上位に置くことで、人と犬との“社会”を保存出来る。

 

2)建前としての自分は、外向きの自分であり、ニコラス・ハンフリーが書いた「内なる目」により創造される。この外向きの自分、つまり建前という衣を着た自分だからこそ、外つまり社会に出て活動できるのである。現在、二つの自分の融合はかなり進んでいる。それは本音重視が自然であるという主張が、マイノリティーの権利という樹一種の主張の一般形として現れた。同性結婚やLGBTが、まるでノーマルな人間のように社会に登場したのはその一例であり、それらは社会崩壊の兆しである。

 

3)日本で分業を大きく進めたリーダーとして織田信長が挙げられる。信長は、僧侶から武力を取り上げて宗教家に専念させ、農民を戦に徴兵せず農業専業とさせ、傭兵として武士を育てた。更に、楽市楽座など、社会の規制を緩和して経済発展を目指した。既得権益を持つ者に暗殺されたが、以後、その考えは豊臣秀吉や徳川家康に継承された。

 

4)世界の始まりを混沌と考える人が多い。そこに秩序が生じ、世界が出来と言うのである。https://www.kokugakuin.ac.jp/article/83479

しかし、それはあまりにもひどい簡略化である。言葉とそれによる世界の創造とは、人間社会の創造とその際に創られ成長した言葉(と文化)による世界の理解である。それには、民族を拡大し維持するという膨大な民のエネルギーと、それを指揮した天才的なリーダーの例えば数万年の努力が無ければならない。

2020年2月5日水曜日

再録)“内なる目”について:意識の発生&善と理想主義の系譜

この10日ほど、「人類は高度に発展した文明に適合する社会を作れるだろうか?」というテーマで考えています。その一環として、「社会の進化論と言葉及び文化の進化のモデル」について、2,3日中にこの欄にアップロードする予定をしています。この問題と関連が深い本に、ニコラス・ハンフリーという動物行動学者が書いた「内なる目」という本があります。過去に書いたその感想文を再録します。この内なる目は、人が「本音と建前」という「二つの自分」に分裂する原因であり、その「本音と建前」の分裂は厄介なことではなく、人が社会を作る基礎能力だからです(これについては2,3日中にアップします)。

 

以下再録部分:

 

1)人間は「自分」という意識を持つ動物である。その意識とは何なのか、何処で生じるのかなどについては、ほとんど永遠の謎である(補足1)。ニコラス・ハンフリーは、意識を“自分の心の中を観察する能力”と解釈し、それを“内なる目”と表現した。“内なる目”は出版された本のタイトルでもある(補足2)。つまり、自分の心の動きを見ることが、意識ということになる。

「意識を持つ動物にとっては、あらゆる知的動作には、それに関与する思考過程の“自覚”が伴い、あらゆる知覚にはそれに付随する感覚が、あらゆる情動には感情がともなうだろう」とハンフリーの本には書かれている(補足3)。自分という意識は、自分を外から眺め、且つ、自分の心の中をも見ることになる。内なる目は自分の全てを内部から見るため、ごまかすことは出来ない(フィルターは掛けられるが、それについては後述)。

2)人間は自殺する唯一の動物である。その根本的原因の一つは、人間は、自分とその心の動きまでも観察対象にする“内なる目”を持つことだと思う。
 人間の心には、自分とそれを取り巻く世界のイメージが投影される(補足4)。そこには重要なものは大きく、そうでないものは小さく、また、好ましいものから悍しいものまで、“色分け”されて投影されるだろう。つまり、人によって独特のフィルターがかかっているのである。通常、“内なる目”で観測された(追補参照)自分の像は中心に大きく存在する。その自分の像が耐えられないくらいに、醜悪且つ大きくなり、投影面からはみ出してしまう時、人は生き続けることが出来なくなるのだろうと思う。 

例えば犬や猫のような動物の場合、脳の中に投影した世界の図には自分は存在せず、自分は単に世界を覗く窓である。これが人間と、明確に自分という意識のないこれら動物との大きな差である。それは決して知能における差ではない。動物にも人並みの知能を持つものもいるかもしれない。因みに、コンピュータが記憶&計算能力では世界一の人間の頭脳よりも上であることを、最近の囲碁ソフトの世界チャンピオンに対する勝利が証明した。

この“内なる目”と自分の頭脳で再構成した自分と自分を取り巻く世界の投影図の中には、当然多くの人も存在する。“内なる目”は、他人の像とその動きを把握することが、社会生活をする人間にとって生存上有利であるため、進化の過程で生じたとハンフリーは考えたのである。つまり、”内なる目”は他人の心のシミュレーションのために生じたのである(補足5)。或いは、“内なる目”が生じた為にある種の猿が人間に進化した(補足6)とも言える。 

3)社会が成立する原理は個人が“利他”の精神を持つことであり、生物が生存する本能は“利己”の追求である。利他の精神を持ち、且つ、利己の本能と共存させることを可能にするのが、高度な知能と“内なる目”である。つまり、社会の構成員の全てが、内なる目で他人の考えと行動をシミュレーションすることにより、社会の中での利他を自分の利益、つまり“利己”、に転化するのである。  たとえば、自分が他を利する行動をとったとして、他の社会構成員が利己的にその恵みを受け取るだけなら、社会は壊れてしまう。従って、利他的行動は他人の考えと動きをシミュレーションしながら、行う必要がある。それが“内なる目”というシミュレーション装置が、高度な社会生活をする上で必須である理由である。

その複雑なシミュレーションを互いに繰り返して社会で生きる中で、発生した概念が“善”であり、それを元に多くのルールが積み重ねられ“人間文化”となったと思う。“善”の定義と行動の物差しとしての応用は、複雑なシミュレーションなしに社会を安定に維持できるので便利である。しかし、その一方で人間のシミュレーション能力を衰えさせる危険性がある。 

従って、“善”は人工的な概念(約束)であり、生命にとって本質的な“悪”(利己を追求すること)とは、本来真正面から対立する概念ではない。また、社会における善の体系を中心に置く政治姿勢を“理想主義”というが、それは従って“現実主義”とは真正面から対立する概念ではない。つまり、政治家にとっての原点は本来、現実主義であるべきである。 

4)“内なる目”は、醜悪なる他人だけでなく醜悪なる自分にも向けられることが多いかもしれない。醜悪な、つまり、利己的な行動は生命に本質的だからである。それを善良なる姿に変えるには、つまり社会を維持すべく紳士的(人工的(artificial))に生きる(補足7)には、エネルギーを要する。 

そのエネルギーを減少させるために、ある人はその“内なる目”に後天的な(学習の結果としての)フィルターをかけるだろう。また、ある人はそのフィルターを真っ黒にすることすらできるかもしれない(補足8)。地理的なある範囲での宗教や文化の存在は、その地域の人が独特のフィルターを”内なる目”に持つと言い換えられる。

また学校などは、教育とか暗示という言葉で形容されるフィルターを構成員に与える為の機関という面もある。例えば、軍隊における訓練などでは、”内なる目”には、極めて偏ったフィルターが掛けられるだろう。この“内なる目”という心理学的な考え方は、人間と社会を考える上で非常に便利な人間の意識のモデルである。

追補:(2016年5月15日の翌日の編集)


内なる目と意識では、意識の方が概念として広い領域を持つだろう。しかし、ここでは同一視して総合的に「内なる目」を用いる。二番目のセクションからは、ハンフリーの本を参考にして、独自の考えを書いた。

補足:

1)意識は魂の作用と考え、物質界の存在である人体と霊界の存在である魂を考える人も多い。もしそうなら、人間の意識を使って霊界が物質界に作用を及ぼすことが可能となる。現代その考えは否定されていると思う。ニーチェの言葉として、「ツアラトストラ」の第一部に「自分はどこまでも肉体であって、それ以外のなにものでもない。そして魂とは、肉体に属するあるものを言いあらわす言葉にすぎないのだ。」という文章がある。
2)内なる目、ニコラス・ハンフリー著、垂水雄二訳、紀伊国屋書店(1993); 原著はNicholas Humphrey著、“The Inner Eye”, 1986.
3)ここで、知覚と感覚を分けている。信号が脳におくられて、なんらかの感情を伴って感覚となり、思考のプロセスとともに、内なる目の対象となるのだろう。例えば、人間は何かが手に触ったという知覚を持つ。その信号は脳に送られて、手を引っ込めるとか、触ったものに攻撃を加えるとかの動作となる。しかし、刺激を受けて、それを知能で解析して行動するだけなら、その解析のプロセスを内なる目で見る必要はない。脳の視覚野に損傷を受けた人や猿は、“見たという感覚”なしに見て、その知覚情報を利用する。(pp68-72)
4)「内なる目により、心の面に自分をふくめ世界の像が投影される」という考えは、ハンフリーの本にはありません。本稿のオリジナルです。
5)チンパンジーやイルカの一種は、鏡に映る自分の像をみて、他の個体ではなく自分であると理解できる人間以外では例外的動物である。しかし、自分のこころの動きまで観察対象にはできないだろう。
6)“内なる目”は、進化論的心理学と呼ばれる分野の一つの成果である。
7)人工的とは紳士的と言い換えても良い。紳士(淑女)とは社会生活を営む人間が、生物としての本性を抑えて“内なる目”に美しく映る姿の人間である。社会とは本来無力な人間が地球上に君臨すべくつくられた人工的な構造である。そこでの人の振る舞いはアート的(artificial)でなくてはならない。ナイーブ(naïve)に振る舞えば、社会は破壊されるからである。
8)典型例を挙げる。https://www.youtube.com/watch?v=Gc9rsvBIh9U この動画は、内なる目に真っ黒なフィルターを掛けた、米国の知性の姿である。

2020年2月3日月曜日

国の崩壊は歴史の嘘から始まる

1)池上彰スペシャルに出演の李英薫元ソウル大教授

 

昨夜(2月2日、午後8時)の「池上彰スペシャル:日曜THEリアル」という番組は、冷静に日韓関係をみてみましょう」“歴史のウソ”指摘の韓国人編集者を直撃というサブタイトルで放送され、その一部を見た。番組では、「反日種族主義」という本の著者で編者でもある、元ソウル大学教授で現在李承晩学堂校長の李英薫氏にインタビューを行っていた。

 

その本は、李教授ら元研究者達が韓国が、まともな国に脱皮するために命の危険を感じながら書いた。李教授は、その延長上の活動として、youtube動画「李承晩TV」で、韓国近代史について放送している。その紹介を昨年10月4日の記事に書いた。日本語字幕を付けてアップロードしたのは、チャンネル桜である。

第一回:https://www.youtube.com/watch?v=WCxIQCBdj34

第二回:https://www.youtube.com/watch?v=wkDmu22L-NU

 

民族の歴史は、事実の集積ではなく、民族にとって大事な事実を、つなぎ合わせた物語である。(補足1)その中に、多くの辻褄合わせ的な嘘を含むことが多い。しかし、嘘が主題になっては、その民族自身の将来を危うくするのである。李教授達の視点は、日本人の知識人たちにも要求される視点である。最近の二つのブログ記事にも書いたように、日本人も嘘で歴史を塗り替えてきたことに変わりはないからである。

 

国家崩壊の危機が、日本の場合は静かに、韓国の場合は急激に進行していると思う。韓国は反日を基礎にして国家を作ってしまったこと、一方の日本は、基礎のない“国家とは呼べないレベルの国家”を作ってしまったことが、それぞれの原因である。

 

李元ソウル大教授達は、事実から目を背けた歴史教育は、その国を滅ぼすという危機意識により「反日種族主義」なる本を、韓国人の為に書いたのである。昨日放送の番組では、その李教授に対して知的でない対応をしていた。日本の戦争責任についての発言を期待して、インタビュアーがマイクを向けたのである。そのとき、李元教授は毅然と「日本の戦争責任については、日本人が考えるべきである」と返答した。

 

2)嘘は国を滅ぼす

 

嘘の歴史は国を滅ぼす。つまり、嘘が国家の基礎となっていては、世界の歴史が大きな地殻変動的時代を迎えた時、その国は滅びる可能性が大きい。国が滅びるということは、民は国家の保護を受けられず、命の危険にさらされるということである。それは、先の戦争末期の満州や樺太南部、朝鮮北部などでの日本人入植者の辛苦でも証明されている。(補足2)

 

日本は1945年に完全に滅んだ。それは、明治の時代の歴史を嘘で塗り込めたからである。(補足3)ただ、民は戦後命の危険にさらされなかった。それは、米国という先進国に支配されたこと、更に、「国が滅んだ後の民の命の危険」を、既に米国に”前払い”していたからである。大都市空襲と二発の原爆投下である。

 

民の犠牲としては十分だと見た米国は、残りの民には融和政策を、国家機構は換骨奪胎を行い属国化した。そして、1952年のサンフランシスコ講和条約後、日本は独立を許された。しかし、日本は独自に属国から普通の国になれなかった。

 

このことは、明治の国造りが独自のものでなかったことを証明している。いわゆる明治維新が、司馬遼太郎の「坂の上の雲」にかかれたような、独自の国造りであったのなら、そのプロセスを記憶した日本民族の遺伝子が、普通の国造りの為に直ぐに働いた筈である。

 

日本国民に危機が迫っていることは、右派も左派も理解している。しかし、左派は右派の攻撃に終始し、右派は「先の戦争はルーズベルトが戦争したかったからである」というところで歴史を遡ることを止め、鬼の首をとったかのように自慢している。愚かである。(誰が対米戦争を始めさせたのか?:https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2017/08/blog-post_14.html

 

日本に嘘の歴史を植え付けたのは言うまでもなく、薩長の倒幕勢力である。その末裔が、いま尚政権の中枢にある。韓国には、歴史捏造を自省する李教授たちが現れた。しかし、日本には同程度にインパクトのある知識人はあらわれていない。

 

補足:

 

1)岡田英弘著「歴史とは何か」(文春新書)参照。故岡田英弘先生の歴史観は、奥さんの宮脇淳子氏により受け継がれている。偉大な岡田博士は、宮脇淳子の夫ということで知られていたというから、日本という国は救いがたい。https://togetter.com/li/1115877

 

2)ウズベキスタンにあるナヴォイ劇場が、日本人捕虜により作られたという放送を最近のテレビ(2月1日そこまで言って委員会)で見た。そこでは、日本人の名誉にかけて、立派に仕上げるのだという捕虜の中心人物の言葉や、地震で周囲の建造物が殆ど瓦礫になったときにも全く破壊されなかったことなどから、「流石に日本人の技術は素晴らしい」と賛美する方向で番組が進行していた。ネット記事でもその類の記事が多い。(例:http://everfree01.com/archives/2097https://www.youtube.com/watch?v=g9IuY4h0kdQ

しかし、日本人捕虜が参加したときには建物本体はほとんど出来ていて、主な仕事は大理石による床貼り、外壁工事、電気工事など「仕上げ」であり、基礎や本体工事を行ったわけでな無いとウィキペディアにかかれている。民族の辛苦を学ぶべき事例も、日本人賛美の材料になっている。最近のテレビ番組には、日本に技術を学びに来る外国人などを題材にしたものが多い。それらは、行き詰まった国に棲む民の見る幻影なのだろう。記憶の塗替えは、韓国の元慰安婦の人たちだけでなく、日本人の問題でもある。

 

3)これについては、2015年の記事に書いた。
https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466514404.html

明治の倒幕劇の背後に英国があることについても若干触れた。
https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/08/blog-post.html

 

2020年2月2日日曜日

日本再生の近道は国民に国家意識を創生することである

1)日本人の国家意識欠如

 

日本がまともな主権国家になるには、国民に国家意識が芽生えることが何よりも大事だと思う。数年前に、「保育園落ちた。日本死ね。」とSNSか何かに書き込んだ人がいて話題になった。その時、「日本が死ねば、あなたもあなたの子供も死にますよ」とテレビでコメントする人は、全くいなかった。日本国民に国家意識が欠如している証拠である。

https://www.huffingtonpost.jp/2016/03/14/hoikuenochita-blog-_n_9457648.html

 

日本国民の殆は、何かの式典のときに「国歌」を歌うが、何か後ろめたいことがあるかのように小声で歌う。何故か? それは日本国民が、日本国とその歴史に誇りを持てないからである。それは米国のWGIP (補足1)が原因だという人が多い。では何故、それを覆すような歴史の総括を日本政府はしないのか? 何故、何時も歴史認識に問題があると世界から言われ続けるのか?

 

大相撲に外国人力士を大勢入れて、長年最高位をモンゴル人に独占されても、大相撲は国技だと言い張る無神経。更に、その言い分を認めて、公益法人として税金を免除する政府の無原則な姿勢。更に、優勝力士の表彰式で日本の国歌を演奏し、モンゴル人力士も義理か無言の要請を受けてか分からないが、口パクで歌っている振りをしている。それに違和感を感じないのが、日本国民一般の実情である。(補足2)

 

このような情況下で、日本国民に国家意識を持てというのは無理な注文かもしれない。しかし、「日本国が滅んでも良いのでしょうか?」と問えば、100%絶対に駄目だと答えるだろう。殆どの日本人は、まるで出来の悪いわが子に対するように、日本国に愛着を持っている。少なくとも江戸時代から日本人の家系にある私には、それが良く分かっている。

 

国家意識の再生は、天皇を利用すれば簡単かもしれない。しかし、戦前のように全体主義的になっては大変である。現在の安倍独裁政権は、日本の大都市に賭博場を作ることを、国会でも殆ど何の反対も出さないで決めてしまった位だから、何をするか分からない。(補足3)そのように、国家意識を強制するようなことになっては、天皇家は滅びるだろう。それは日本国民の本意ではない筈である。

 

2)政治改革の方法について:

 

日本再生には、世界の何処にあろうとも、日本国民が日本国を誇りに持つと大声で宣言できるようでなくてはならない。義務教育から、現在の日本人の国家意識を改めなくてはならない。そのためには、日本は近代の歴史をレビューし、責任あるものは責任を追求し、被害を受けた者にはその保障をするべきである。 そうすれば、国家意識は創生されるだろう。

 

国家意識の再生ではない。日本人には国家意識など無かったからである。つまり、日本人には、人類皆兄弟的な考えが根強くあった。昭和天皇の開戦時の歌、「四方(よも)の海 皆同胞(はらから)と 思う世に なぞ波風の 立ち騒ぐらむ」は、それを示している。この歌は、明治天皇が日露戦争の時に詠んだ歌である。

 

このような歌を、国家元首が詠むようでは、戦争は始めるべきではないし、始めてしまえば勝てる訳がない。そのように指摘した人が居たと、これまで聞いたこともない。これがこの国の現状である。

 

日本国民の一人一人が一度、この日本文化というぬるま湯から出て、ユダヤの民が味わったような一人の寒さ厳しさを、人が生きる原点として、想像の世界でも良いから確認すべきである。そして、他人及び自分の考えや行動を、議論と評価の対象にしなくてはならない。

 

1952年の講和条約後に、そのように新しい日本として再出発しておれば、日本を話が通じる国として、国際社会が認めただろう。その場合、日本の指導者として相応しくなかった、或いは、致命的な間違いをしたと裁決された人たちは、「戦争における犠牲者としての名誉」(補足4)は剥奪されただろう。

 

日本人の欠点は、非論理的な点である。論理的にあの戦争を総括することなしに、再び民族としての団結を取り戻そうとするのは間違いである。つまり、右翼系の人たちが持つ「あの戦争で死んだ人達は、皆日本の為を思って一生懸命にやったのだから、皆犠牲者だ」という考えは間違いである。(補足5)

 

日本国民が国家意識を創生した後には、「指導者としての資質に欠けた者は、国政に参加すべきではない」、そして「相応しい能力を持っていると自信を持つ者は、その能力を国家のために役立てるべきである」の両方に賛成する人が殆どとなるだろう。

 

3)現状からの脱却

 

現在、地域の利権を国政で実現しようとする類の政治家が与党におおい。最近の例では、現与党幹事長は、和歌山のために捕鯨再開を実現した。それは、地域の利権を実現するとともに、非常に仲の良い国家の意向を汲んで、或いはサジェストにより、動いた結果だろう。それは、インド太平洋構想における重要なパートナーであるオーストラリアが、日本に対して悪い印象を持つように仕向ける策略の一環だとも考えられる。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2018/12/blog-post_21.html

 

兎に角、国政から地方の利権は排除されるべきである。そのために、ドブ板選挙から脱却しなくてはならない。(補足6)地方の利権から国政を開放するためには、道州制選挙区と一票の格差撤廃の実現が必要だと思う。それは小さな政府の実現にもつながる。勿論、比例代表制は廃止する。同州制は、元大阪維新の橋下徹氏が唱えていた。その時よりも大分前に、大前健一氏も道州制を提唱していた。

 

優れたアイデアが無いわけではない。それを国民が勇気を持って選択しないだけである。国民に国家意識を再生させて、政治的主体性を獲得させるべきである。それが遠回りに見えるかもしれないが、日本国再生への近道である。

 

 

補足:

 

1)War Guilt Information Programは、日本人に戦争責任を自覚させるための占領軍司令官マッカーサーが実行したプログラムである。身近な例では、ウィキペディアなどの記述が参考になると思う。

 

2)日本には、日本人は天皇家を中心にした大家族であるという考え方がある。例えば、神谷宗幣(日本会議の主要メンバー)という方が書いた本「本当の日本」には、“日本にルーツのある日本人は、歴史をたどると必ず天皇家の一族に繋がっている”という記述がある。更に、日本人には「人類皆兄弟」的な考え方がある。これは、あの笹川良一氏の著書のタイトルである。これらの考え方から脱却することが、日本人に「合理的思考に基づく国家意識」を再生させる重要な一歩だろう。

 

3)安倍総理には、自分には何でも出来ると思い込みがあるようだ。自分が親中姿勢をとれば、日本国民も親中になると思い込んでいるのだろう。自分は、友達が大学を作りたいと言えば、作ってあげられる。自分は、強姦犯でも無罪にできると思いこんでいる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%A8%88%E5%AD%A6%E5%9C%92%E5%95%8F%E9%A1%8C

https://news.livedoor.com/article/detail/13187244/

 

4)日本でも世界でも、犠牲者や犠牲者候補のマイノリティーに特別な権利が与えられるようだ。この人工的錯乱は、米国の一部から世界に伝染している。

 

5)本来なら戦争責任者である筈の者たちが、戦争の犠牲者である一般戦死者が祀られるべき靖国神社に合祀されている。それを可能にしているのが、日本人は皆頑張ったという戦争責任を他に押し付ける思想である。そこでは、戦争をまるで天災のような感覚で処理している。天災だから、マッカーサーは救助隊の隊長のように錯覚された。退任のとき、20万人が“英雄”を米国に見送ったのである。国際社会は本質的に野生の支配の世界であるから、日本が敗戦国になった責任は、日本人が取らなくてはならない。その原点に立たなければ、天動説と地動説を間違えるような結果になる。

 

「日本人は皆家族である」的な考え方で、嘗ての戦争責任者を許す思想は、右翼系に多い。その代表が、櫻井よしこ氏である。「櫻井よしこさんの靖国参拝に関するコラムを読んで解った事」:

https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2013/08/blog-post_29.html

 

6)どぶ板選挙は、国会議員が地域の有力者とその人脈により選出され、その国会議員は地域に有利な政策を誘導するという政治形態の根幹を為す。それは、中川一郎の自殺を論じた記事に書いた。

https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2018/01/blog-post_20.html

2020年2月1日土曜日

日本版CIA(諜報機関)を作るべきか?

1)イントロと問題提起

 

先程の朝日放送系(名古屋テレビ)で放送されていた「正義の味方」(2月1日午前9:30-11:00)で、日本のスパイに対する脆弱な体制について議論していた。その最後の部分で、山田敏弘という評論家が日本にもCIA的諜報機関を作るべきだと主張していた。同番組に出席の評論家、宮崎哲弥、藤井聡、高橋洋一らもその考えに賛同していた。

 

私は、それより先に日本国にはすべきことが在ると思う。それは、国民の中に「まともな国家を持つ意思」を育てることである。その運動が、学校や町内会レベルまで波及するように、国会が火付け役をすべきである。野党は、桜を見る会などのスキャンダルを追いかける姿勢から抜け出て、与党をその議論に巻き込んでもらいたい。無理な注文かもしれないが。。。

 

今の安倍政権が強力な諜報機関を持てば、その情報を、政敵を排除するために悪用するだろう。従って、そのような両刃の剣的システムを持つ前に、国民の「国家意識の向上」を出来るだけ早く実現し、その後まともな政治体制を手に入れるという順番で、改革すべきだと思う。そうしなければ、日本の中国化が起こるだろう。つまり、マッカーサーが言ったように「12歳の民主主義しか持たない国」には、諜報機関は内向きに使われる可能性が高くなるのだ。(補足1)

 

米国のような、大人の民主主義政治を持つ国でも、諜報機関であるCIAは、選挙で選ばれた大統領の方に刃を向けた。その所為もあって、トランプ大統領はCIA元高官の機密情報へのアクセス権を剥奪することにしたという。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3433227020082018EAF000/

 

米国政府高官は、退任後も後任への助言などのために、機密情報へのアクセス権を持つことが慣例になっていたという。元CIA長官のブレナン氏は、機密情報へのアクセス権の剥奪は「言語道断の権力の乱用だ」と厳しく批判した。その批判は、民主的に選ばれた行政のトップに対する根拠を欠いた反抗である。

 

「言論の権利に対する侵害だ」(http://www.news24.jp/articles/2018/08/16/10401554.html)というが、言論の自由が基本的人権の一つだとしても、公益に逆らっては要求できない。元高官と言えども1国民は、正統に選ばれた国家のトップの決定が不満なら、司法に訴えるか従うかの選択しか許されない。政治的プロパガンダはすべきでない。

 

それよりも、BBCが報じたトランプ大統領の反論の方が、説得力がある:

「これまで、情報機関や法執行機関の長を務めた人物については、特別な見識を有する問題について後任からの相談に応じられるよう、また職責への礼儀としても、機密情報へのアクセス権限を保持することが許されてきた。どちらの理由も、ブレナン氏が機密情報のアクセス権限を保持することを正当化しない」

https://www.bbc.com/japanese/45204454

 

2)基本からの考察

 

現在の国際政治は、世界政府が無い以上、本質的には野生の原理が支配している。つまり、国際条約は法の権威を持たない。その中で、国家が主権を守るために、諜報活動が行われている。英国のMI6、イスラエルのモサド、ソ連時代のKGB、米国のCIAなどが特に有名である。その活動は、先日のソレイマニ将軍暗殺など、時として国際法を無視して行われている。(補足2)

 

これらの海外向けの諜報機関と協調する諜報活動が国内でも法を無視して行われている筈である。英国のMI5はよく知られているが、各国も公安警察などの名で呼ばれている組織が、それを担当しているだろう。それは国民の権利の侵害を最小限に抑えて行われなければ、公益性の主張ができないだろう。

 

日本のように諜報の意思に乏しい国は、つまり、一人前の主権国家となっていない国は、諜報機関を作れば必ず国内の政敵追放に使われるだろう。(補足3)その力を握った者達が、ある外国の支配下にあれば、どうなるか?それを考えれば恐ろしい。つまり、日本では言論の自由が無くなり、中国のような国家が出来上がるだろう。(補足4)

 

日本に欠けているのは、繰り返しになるが、国民における国家を担う必要性の自覚と実行する覚悟である。それを得れば、本来野生の原理の支配する“国際世界という海”に浮かんだ日本国という船が、海賊たちに襲われて沈没しないように、一定の手段と装備が必要だと国民の殆どが同意する筈。

 

その為の情報を集めるのが諜報機関であり、力の行使を担当するのが国軍である。それを持つ宣言として、直ぐに憲法を改正することになるだろう。それらのプロセスは、自然な流れでなくてはならない。いきなり諜報機関が必要だとか、憲法改正が必要だとか言うのは、子供がピストルが必要だと言うような類の議論である。

 

(編集 14:10;14:50;15:25)

 

補足:

 

1)国民に国家を担う意識が発生すれば、憲法改正は自然に実現するだろう。諜報機関を作れば良いというのが、安易な考えであることを教えてくれる例があったので追加する。韓国のパク・チョンヒ大統領は、国家の主権を確立するために核武装を考えた。それを良く思わない外国勢力が、KCIA (韓国の諜報機関)を動かして、朴正煕を暗殺させた。

 

2)国際法が完全に有効なら、そもそも戦争などは起こり得ない。勿論、国際間のトラブルは起こるだろうが、それらは国際的な警察機関と国際的な司法機関が裁く筈である。そのような世界政府的な体制には、国際連合は脱皮できないだろう。

 

3)現在米国上院で行われているトランプ大統領を対象にした裁判は、まさに、この権利の乱用に関するものである。そのような手続きを完備している米国の民主主義は、流石だと思う。

 

4)国家の対面を優先する中国は、武漢など湖北省の住民の安全よりも、病気の流行を抑えることに国家権力行使の目標を置いている。その結果、武漢は新型肺炎ウイルスの「閉鎖された培養器」のような状態になっている。それを大きな業績のように言うWHOのトップの言動は、中国の諜報機関の活動成果の一つだろう。因みに、戦前の日本でも国内諜報機関(英国のMI5に相当か?)が、一般国民の戦争に反対する声を弾圧する機関となった。特高警察である。(補足1の朴正煕の例も参照)