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人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2013年11月30日土曜日

日中関係の改善へ努力すべきー尖閣問題(V)ー

 中国の防空識別圏設定により、対中国関係が緊迫しつつある。現在、米国を始め多くの国により中国の強圧的な姿勢に批判が出ている。そして、その国際世論に気を良くして、政府首脳はかなり強気である。安倍総理、岸田外務大臣、小野寺防衛大臣などは、「一方的な防空識別圏の設定には応じられない、領土と国益を断固として護る」とお決まりの発言をしている。しかし、昨日の投稿文に指摘したように、この日中緊張状態の出発点にある野田政権の時の尖閣諸島国有化に関連して、野中広務元自民党幹事長が中国で次のような趣旨の発言をした。「田中角栄総理は周恩来首相(元を省略)と会談した際、尖閣諸島の領有権を明確に日本の領有としたかった。しかし、そのような合意がどうしても得られなかったので、棚上げと言う形で日中共同宣言を何とか出す事が出来た」と田中元総理から直接聞いたということである。また、日中の間に未解決の問題を残す事が、将来日中が接近することを防止するために米国が仕組んだことであるという説もある。野中氏は優れた政治家であると以前より思ってきた。その彼が、今回の日中間の緊迫した情勢を日本の危機として捉え、その危機を乗り越える為の鍵として、田中角栄と周恩来とが裏で確認した「尖閣諸島領有権棚上げ」を使う時であると言っているのだろう。
 現在、中国は世界最大の人口を擁し、経済規模は世界第二位であり、世界一の米国債保有国である。また、かなり付き合い難い国であるものの、アジアで唯一国連の常任理事国、且つ、核兵器を持つ軍事大国である。その存在感は、残念ながら日本より遥かに大きい。そして、尖閣で日本の自衛隊と軍事衝突したとした場合、日本は局所的な勝利を得るかもしれないが、それは日本国の破滅の第一章であるに過ぎないのではないだろうか。国際的には疑問の余地があると看做されている(注1)、「尖閣諸島が日本固有の領土である」という主張に、国の命運を託すことは愚かな選択だと思う。今回は棚上げの為の国有地化であったという線で話を収めるべきではないだろうか。(注2)
 歴史を振り返った時に、軌道を換える事がその後不可能になる分岐点がある。それが今の様な気がする。(注3)切掛は石原前都知事の尖閣諸島の東京都による買い上げであり、石原氏のその後の計画が日中の争いの火種になると考えた野田前総理の国有化宣言である。これらは恐らく、中国当局による企みの始まりだった可能性がある。東京都の所有のままであれば、中国の反応を見て国が出る幕もある。しかし、国が前面にでてしまったため、尖閣諸島を挟んで直接中国と対峙することになった。中国に騙されて国有化したのかもしれないが、何れにしても、野田氏の非常に愚かな決定であった。(前ブログに記した通りである。)今となっては、出来るだけ損害の少ない形で、中国に矛を収めるチャンスを多少の犠牲を伴っても作るべきである。それが、直前の敗戦国、軍事力を奪い取られた国、非常任理事国、そして、非核保有国の採るべき態度である。他国は最終的に自己の利益で動く。第二次大戦のおり、全くあてにならない日ソ中立条約に(和平へ向けた)一縷の望みを託した愚かなことを繰り返してはならないと思う。もちろん日米の絆は日ソ中立条約とは比較にならないが、米国の経済は既に苦境にあり、世界の警察としての役割は果たせないかもしれない。中国が格好を気にする間は、国際世論もそれなりにあてになるが、中国も経済的に苦境に向かいつつある今、格好を気にしなくなると、日本は独自で裸で重武装の中国と向かい合うことになる。そんな覚悟があるのかと、日本政府に聞きたい。

注釈:
1) 国連の常任理事国の一つが「疑問点が残る」と言えば、その疑問点は国連では解消されない。国連以上の国際的権威が無い以上、「国際的に疑問の余地がある」と言える。田中宇氏のブログでは、英国のBBCは今回の中国が新たに設定した防空識別圏の問題を報道したが、淡々と事実のみを報じたという。完全な第三国は論理ではなく、利益で動く。
2) 日本が尖閣諸島を失うことは沖縄全体を失うことであるという、韓国の学者の論文 が出されているとのことである。その根拠は、沖縄はサンフランシスコ講和条約で米国の信託統治領となったので、国連加盟国である日本に沖縄を返還する条約は国際法違反であるというもの。しかし、米国は沖縄を戦時占領の継続の形で統治し、国連に信託統治の手続きをしていないので、その論文の説はあやまりだというブログもある。 この辺りの議論まとめた文章があれば知らせて欲しい=募集=。 3)中国による尖閣上空に対する防空識別圏設定の時点で、その分岐点は過ぎているかもしれない。 ==以上は元理系研究者の文章です。専門家の方の批判等歓迎致します==2013/11/30 am 9:30

2013年11月28日木曜日

参議院選の無効判決についてー一票の格差は何倍程度まで許されるか?ーー

 今日(11月28日)のニュースによると、広島高裁岡山支部で、 7月の参議院選挙が無効であるとの判決があった。 一票の格差が4倍以上とあまりにも大きいのがその理由であり、当然の判決だと思う。民主主義の国で、表題の「一票の格差は何倍程度まで許されるか?」という疑問文が存在しうる国は、日本以外には無いのではないか。少なくとも西欧先進国には無いと思う。地方自治体の区分けを超えて、出来るだけ一票の格差を小さくすべきである。上記質問文に関連して良く言われるのは、「地方の声を国政に生かすには、一票の格差が多少あっても仕方が無い」というものである。今回の件を報道するテレビニュースでも、このような意見を吐く参議院議員が映っていた。この詭弁に騙されてはならない。地方の声も都会の声も同じ重みを持つのが民主主義政治である。
 一つの国で、地方と都会の役割分担があるのは確かである。山間地は、都会に住む人の水源であるので、治山治水事業は大切である。田園地帯を維持することは、食料生産という意味で当然大切である。しかし、それらは田舎の人だけが考えることではなく、都会の人も当然考えるべきことであり、実際に考えていると思う。国民が国政に参加する時に、都会の人を軽く扱い田舎の人を重視する根拠は何処にも無い。考えられる理由は、田舎選出の現職議員達そして彼らが主に所属する政党のエゴイズムのみである。
 国政の課題には、治山治水や農業など第一次産業の他、教育、経済、国防、外交、など多くの分野に課題が山積している。英知を集めてこれら諸問題を解決するには、都会の知性も田舎のそれ同様に大切な筈である。一国の機能全てを考えて、都会の人も田舎の人も、政治に参加する場が国政選挙である。従って、田舎の人の一票は都会の人の一票に等しくなくてはならない。もし、田舎無視の国政になるとしたなら、その報いは都会の人を含めて国民全てに及ぶのである。
 戦後の国政においては、田舎選出の議員の所為とばかりは言えないが、熊やイノシシしか通らない国道建設や、役立たないダムなどのコンクリート工事などで、国民の貯金を国債で吸い上げ使って来た。また、多くの田園地方において、狭小な田畠を統合不可能な形で、補助金を使って(中小農家の所有のままに)温存して来た。このような国政の歪みが、一票の格差と無縁では無い筈である。最高裁判事らは、今回の岡山高裁支部の件が上告された際には、不要な行政への諂いを止め、真に三権分立の原則をプライドをもって貫くべきである。(注2)
注釈: 1)http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131128/k10013403131000.html。 2)最高裁が、2012年の衆議院選挙の一票の格差に関する訴訟において、「違憲状態(選挙結果は有効)」と「違憲(つまり選挙が無効である)」とを使い分け、当選した議員の職を護った。このような非論理的な判決文を書くことが可能なのは、恐らく出来の悪い日本語のせいかもしれない。日本語の問題ではなく、日本文化の問題だと言う反論があるだろうが、私は、両者は同根であると思う。

2013年11月26日火曜日

日中の緊急事態に対応出来ていない政府

ーーー中国の強引な防空識別圏設定は、安倍政権の“空威張り”に終止符を打つ時だろう。ーーー
(以下は、元理系研究者が素人から見た感想を書いたものです。批判、コメントは歓迎します。)

 中国の尖閣諸島上空を含む広い範囲における防空識別圏の設定は、日中関係を急激に険悪な情況に持ち込んだ。中国の強引な敵対行為は、相当な計算があってのことだろう。先ず中国は、キャロライン・ケネディー氏の駐日大使として赴任を、米国が日中関係には本格的に介入しないというシグナルとして受け取った可能性があるのではないか。そして、米国が日中間に軍事衝突が起こったとしても、中国批判はしても、決して軍隊を差し向けることはないだろうという読みが、或いは合意が、あるのかもしれない。
 安倍総理は日中間の関係に関して、「(尖閣諸島問題で冷え込んだ)日中間の対話に向けて、日本側の扉は常に開かれている」という意味の発言をされている。この言葉は、1)尖閣諸島は日本固有の領土であり、従って尖閣に関する領土問題は存在しない;2)日中関係の冷え込みの責任は、一方的に中国にある;3)従って、日中関係改善の端緒は中国が開くべきである;を意味している。この言葉は、言い換えれば、日中関係の改善は一方的に中国側の軟化という形でしかあり得ないというものである。しかし、1)に関して、野中広務氏は証言している。日中国交回復は田中角栄と周恩来が署名した共同宣言の形でなされたが、その時に「尖閣諸島の領有権問題の存在の確認とその棚上げについて秘密裏に話し合われたことを、田中角栄氏から直接聞いた」ということである。当時自民党の実力者であった野中氏の証言であるから、安倍総理は直接野中氏から話を聞くべきだったのではないか。このような情況で、挙げた拳の下ろしどころがない中国は、今回、中華思想で染まった自分の本来の姿勢を礼儀作法無視で日本に向けたのだと考えられる。
 外交は、そしてその延長上にある戦争は、自分の正当性と実力を念頭において、綿密な計画とともに行なうべきである。日本に中国と正面から戦争する実力がないのは、核兵器の有無を考えただけでも明らかである。更に、野中広務氏の証言が事実なら、日中間の冷え込んだ関係の責任の一部は日本側にもある可能性もあり、もうすこしソフトに対中姿勢を採る必要があったのではないだろうか。
 私は、石原慎太郎氏が尖閣諸島の東京都による購入を昨年4月に発表したとき、 野田前総理が国有化を言いだすのではないかと危惧した(注1)。 また、昨年9月野田前総理が国有化発表した際には、中国政府と打ち合わせ済みでなければ、めくら蛇を怖じずだと、 同じくヤフーの知恵袋に投書 した(注2)。素人の感覚で書いたのであるが、その通りに日中関係が変化したことを見ると、専門家であるべき野田前政権の面々は、外交音痴であったことを証明していると思う。私は、安倍政権には日中友好を政策の一つの柱にしてほしかった。そしてそのように 昨年11月に投書した(注3)。 しかし、安倍さんはそのような方向には舵を執らなかった。そして、今回の安倍政権の対応をみていると、そのレベルは前政権と同程度ではないかと危惧する。例えば今夜、菅官房長官は、民間航空機は中国に運行計画所を提出しないように要請した。民間航空機は乗客の安全を最優先するのが当然であり、そのような要請は無責任且つ愚かな行為である。中国は、スクランブルをかけて、台湾向けの航空機に搭乗した乗客乗員は、死の恐怖におびえることになるだろう。捨て身作戦で行くのなら、先ず自分が政府専用機にでも搭乗して、中国が新たに設定した防空識別圏を通過して台北に向かうべきである。
 私は、今後尖閣問題は、野中広務氏を政府に迎えて、命懸けで中国と交渉にあたってもらうのが良いと思う。小沢一郎氏が補佐役で同行すれば最善かもしれない。小沢氏は命懸けの仕事はしないかもしれないが、実力を発揮するかもしれない。

注釈:(上記サイトが上手くreferできないので、アドレスを示します。)
1)http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n64498 2)http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n116087 3)http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n132341
(2014/11/26)
追記、尚この文章は、ヤフーの知恵ノートとして投稿しています。最終編集日時はそこに示されています。(12/01)

2013年11月23日土曜日

秘密保護法案の危険性と国家が秘密を持たないことの危険性

 昨日の中日春秋に秘密保護法案の危険性が指摘されている。佐藤内閣の時代に中国が核実験に成功した時、日本が潜在的核保有国(注1)を目指すことが、政府により検討された。そして、核と宇宙技術の平和利用の陰に、潜在的核保有国という刃をしのばせることになったと指摘している。その経緯を元官僚らの証言を元に、この新聞が連載記事を組んだということである。そのような官僚の証言は、この秘密保護法案が成立すれば得られなくなることを、この記事を書いた中日新聞の重鎮は憂いているのである。しかし、政府は将にその様なインテリジェンスを防止する為にこの法案を作成したのであり、明確且つ説得力のある安全保障政策を対案として示さないで、単純に批判することはどうかと思う。同新聞の同じ一面に、「国民主権に逆行、デモ参加者怒り」と題して、この法案に反対するデモを報じている。議論が国会で行なわれており、そして、我国は間接民主主義の国であるから、「国民主権に逆行」という批判は成り立たないことを、この新聞編集者は知っている筈である。
 米国を始め多くの西欧諸国は、民主主義の名を語りつつ、民衆の知らない部分を政府が持つ制度を備えている。民主主義が衆愚政治に堕落する危険性は、戦前ドイツで民主的に全体主義国家に導いた人、そして日本でもワンフレーズで選挙を大勝利に導くような人、が現れたことにより実証されている。古代ギリシャで出現した民主主義が、一度衆愚政治として評価を落した事実や、古代中国で「由らしむべし、知らしむべからず」という言葉が政治の基本であると信じられた時期もあったことなども、民主主義の欠点を示していることを、我々は忘れてはならない。
 この記事を書いた方は、国際政治は将にダイナミックなものであり、悠長な議論の為の議論の末に問題を先に送る日本の様な国の政治を受け入れてくれないことなど、想像できるのだろうか? もし隣国が拡大主義をとるのなら、日本国も相応の準備をプロフェッショナルな議論を通して、また、同盟諸国との連携のもと執ってもらいたいと思う。全てを国民に知らせてから決断する政治では、専門家の議論は国民の感覚的反対とワンフレーズ政治家との連携により破壊される危険性を持つ。もちろん、適用範囲を限定すること、数十年後(30年が望ましい)に全てを明らかにして、歴史の検証に晒すこと、等を条件にすべきだと思う。そのように修正して国会で議決してもらいたい。(注2)
 尚、国際政治において、それぞれの機関や国家が掲げているスローガンと、本当の狙いに差がある場合が多い。宇宙開発は明らかに兵器開発が主目的であり、宇宙の資源開発や自然科学研究などはその隠れ蓑であることは常識である。資源開発としてはコスト的に採算が合わず絶望的だし、宇宙(たかが数百キロ上空)で行なう科学実験などほとんど茶番である。(注3)また、最近話題の地球温暖化問題も、発展途上国の資源消費を減少させるという隠れた目的で始められたが、国際舞台で途上国の発言力が次第に増すに従い、途上国が先進国から技術供与や資金援助を奪い取るということに、隠れた目的が変化して来ているということである。一方、地球温暖化を専門的に論ずるべき科学者の中には、地球は小氷河期に入りつつ在るという意見を出している人も多いが、それに耳を傾ける政治家は殆どいない。(注4)

注釈:
1) 他国からの核兵器攻撃の脅威に晒され、国家存亡の危機にある時に、短期間に核兵器を作る能力を保持する国
2) もちろん、このような法案でも何でも、政治家が高度な知識と経験を有していることが基本的要件であるが、その点の不安は非常に大きい。従って、両手を上げて賛成という訳ではない。政治家の質の向上には先ず、一票の格差を小数点2桁まで是正することが民主政治として必須である。更に、詳細な危険性についての議論は, 田中秀征氏によりなされている。 行政機関の長が秘密の指定を行なうとのことであるが、その機関を具体的に書いてもらいたい。選挙で選ばれた機関の長以下のレベルが指定するのは、民主主義の原則に反する。
3) 無重力の影響などの実験が披露されているが、想像を超えるような面白い成果はない。物を浮遊させる実験は、強力な磁石と物質の反磁性を利用して地上で行なうことが出来る。その成果が、実際に科学雑誌に投稿されていた。この分野では、地球周回旅行が唯一例外的に、将来のビジネスとして成立するかもしれない。
4) http://dailycaller.com/2013/11/01/is-global-cooling-the-new-scientific-consensus/ 等でそのように書かれている。(田中宇氏の記事より孫引き)
==2013/11/23投稿;11/24修正===

2013年11月18日月曜日

株式についての一考察

 数年前までの私の株式に対する理解は、「株主総会に出て発言する権利と配当を受ける権利を示した証書」という程度であった。そして、配当の株価に対する割合や優待券が気になった。しかし、株価が高くなれば売って利益を得られる位のことは解るが、有名な米国アップル社や日本のガンホーエンターテインメントのように配当を出さない会社の株価が、何によって決定されるか今一つ理解出来なかった。その後、ある会社のある時点での相対的株価は、株価利益率(PER)、株価純資本比率(PBR)そして、総資本における純資産の比率、事業の将来性などにより、決まることまで理解が進んだ。そして、最近になって漸く、国全体の財政や金融政策を含む経済(マクロ経済)において、株式市場はお金のプールのような役割を果たしていること、そしてそれが重要な株価決定因子であることが解った。同様の役割をするものに金や不動産などがある。(注1)
 以上のような理解で株式に対する投資を考えてみると、現在の様に株式が高値を付けているのは、各国の中央銀行がお金の発行額を増やしていることが原因であることが解る。例えば米国は2008年のリーマンショック以来、通貨量を約4倍に増やしており、現在株価は史上最高値である。そして、経済指標が良くなると連銀(FRB)が量的緩和(QE)を早期に止めるのではないかという思惑から、株価が下がるという事態になっている。景気が良くなりそうだから株価が騰がる通常の法則が成り立たないという、異常な状態になっているのである。一方、日本は昨年までは殆ど通貨量を増加させていないが、昨年10月からの1年間に約40%増やしたので、株価は約2倍程度に増加した。しかし、未だに2007年の高値には達していない。前日銀総裁の時に、米国の様に量的緩和が出来なかったのは、既にゼロ金利であり、紙幣への需要がなかったためである。つまり、金を出しても日銀の当座預金が増加するだけで、企業への貸し出し=>企業の投資=>経済成長のサイクルが回らないと考えたからである。そしてこの考え方をとる人(例えば野口悠紀雄氏など(注2)、大勢いる)はアベノミクスには批判的である。この場合、余分なお金は株や不動産に流れて、所謂バブル状態になる。
 我々一般人はこのような情況下で今から株式市場に参加することには、かなりの危険が伴うことを承知しておかないといけない。株価は来年には日経平均で2万円になるかもしれないが、外国のファンドの空売りによる株価暴落の事態も覚悟しなければならない。(注3)バブル崩壊の時には、機関投資家はいち早く市場から逃げ、一般投資家が取り残される場合が殆どである。そして、機関投資家が外国人ならば、資金は外国に移動し(つまり日本の富が流出し)、日本人ならば銀行を通して最終的には日銀の当座預金として積み上がる筈である。最近NISAというのが話題になっている。これは一定額の株取引を無税にするという特別な証券会社の口座であり、一人一口座開設できる。政府は、株式譲渡や配当に関する所得税(分離課税)をこれまでの10%から20%にするのと同時にこのNISAを始めるのは、明らかに、株式市場に我々の少ない預金を吸い上げようとする企みである。

注釈:
1) もちろん何となくそのような役割があることを感じては居たが、理解というレベルではなかった。因に、株や不動産特に人の住まない都心のマンションなどに、お金のプールとしての役割を持たせ、且つ、それらがお金の受け皿となっていると知りつつ中央銀行が莫大な量的緩和を行なうことは、金融を不安定な状態にすると思う。紙幣は需要に従って発行し、その量は金利などによって調節するのが本来の姿だと思う。ゼロ金利でも金が出て行かないのは、経済界に活気が無い為で、それには別の薬が必要だと思う。尚、円高は政治に信頼がなく国民が貯金に励み、その金が国内に滞留して海外へ流れないことが原因で、これも量的緩和でなくて別の薬が必要だと思う。11/28に追加:安倍=黒田金融政策が成功したように見えているのは、円安になって輸出企業の賃金などの国内コストが、低下した為である。
2) 例えば:http://astore.amazon.co.jp/noguchionline-22
3) 日本の株への外国人の投資額は40%近い。過去、グリーという会社の株が2800円近いとき(H24/1)から、モルガンスタンレーやドイツ銀行などの外資系ファンドは空売りを始めた。その結果株価は暴落し、現在は当時の株価の1/3以下になった。これらのファンドが、グリーの将来に暗雲をいち早く観測して空売りのチャンスをつかんだのである。その当時、日本のアナリストのグリー評価は依然高かった。現在、グリーの株価は業績低迷に拘らず徐々に上昇しているのは、ファンドの空売り解消の買いが一因である。これらのファンドは大もうけした筈であるし、私を含め情況に詳しくない(同社のPERやPBRを知っていても)一般人は大損をすることになったのである。それに、インサイダー取引、株価操作など、法の網にひっかからないだけで、日常茶飯事であると感じている。
ーー 最近、大学時代の同窓会に参加し、そこで株が話題になった。そこで、ちょっと私の考えなどを書きました。(11/25修正)ーー

2013年11月15日金曜日

小泉元首相の無責任反原発宣言

 文芸春秋12月号に、山田孝男氏(毎日新聞専門編集委員)による小泉元総理の反原発の提言とそのマスコミに語る経緯が掲載されている。小泉氏の原発反対の根拠は核廃棄物の保存場所が無いことである。要約すると:1)核廃棄物の放射能の半減期が10万年位あるので、それ以上の長期に亘って廃棄物を保管する必要がある;2)日本は地震国であり、その地盤は安定しておらず、10万年間安全に保管する場所はない;3)廃棄物の保管場所が無い限り、原発はゼロにしなければならない、という論法である。一見明確な論理のように見えるが、少し考えればずさんな論理であることに気付く。また、小泉氏は原発推進から原発ゼロ派に換わったのは、大震災が契機であるとしている。しかし、上記論法は、東日本大震災による原発事故とは本来無関係である。巧妙に震災による事故と反原発を結びつけるやり方は卑怯である。私は、動機不純を感じる。(注1)
 上記3つの命題であるが、先ず1)の核廃棄物の半減期については科学的なもので、疑問の余地はない。2)の前半、「日本は、地震国であり地盤は安定していない」についても、場所により差があるものの、大陸に比較して地盤は安定していないだろう。しかし、それ以降の論理は、直線的で幼稚である。地盤が安定しているフィンランドでも、10万年間、最初の保管形態のままで、廃棄物が漏れ出ない保証などない。著者が、小泉氏の意見に対する補足として、「現在の技術で、十万年持ちこたえる構造物が作れるのか。そもそも十万年の耐久性を夢想すること自体ナンセンスではないのか」と書いている。その通りである。つまり、彼らは単純に一度コンクリート詰めしてトンネル内に放棄し、10万年以上放って置くと思っているのである。私は、当然一定期間毎のチェックとメンテナンスが前提とされていると思う。例えば「100年毎のチェックと数百年毎の補強」などのメンテナンスを予定している筈だと。そう考えれば、日本においてもフィンランドにおいても、その保管の方法に大差はないだろうし、フィンランドで出来るのなら、日本でも保管は可能な筈である。核廃棄物のガンマ線は1m程度のコンクリートでブロックできる。数百年後人類が死滅していなければ、優秀なロボットが出来ている筈であるから、数百年に一度、新しいコンクリート容器にロボットを使って入れ替えるなどの方法で、永続的に保管できるのではないか。
 著者が「潜在的核武装能力を失うと、国の独立が脅かされませんか?」と問いを投げかけたところ、小泉氏は「もともと核戦争なんか出来ないのだから。核武装なんて脅しにならない」と簡単に切り捨てている。この無責任さには呆れる。インドやパキスタンが核武装し、北朝鮮が核武装にこだわるのは、国体護持のためである。日本国民は北朝鮮や中国の核におびえてないというのだろうか? 
 現在、日本や世界の経済が順調に見える人も多いだろう。しかし、米国の通貨発行量(マネタリーベース)はリーマンショック後に4倍近くなっており、世界中の国もそれを模倣して、通貨安競争になっている。(通貨安競争の終着駅は、国民の富の収奪である。)米国だけでなく、世界中の国が、深刻な財政問題を抱えている。また、経済発展と不可分の関係にある貧富の差は、中国や米国だけでなくあらゆる国の政治を不安定にする可能性がある。例えば、株価が上昇し続けて一見景気が良さそうな米国では、食料配給に頼る人が10年間でほぼ倍増し、5000万人近い数に上っているとのことである。(注2)原発といった個別の比較的小さな問題よりも、国家の経済(そして世界の経済)こそ、最もその国を(そして世界を)危険で不安定な状態にするのである。
 世界規模の戦争は起こり難いだろうが、東アジアだけといった地域限定的な戦争が起こる可能性があると思う。私は、核兵器保持国において経済混乱がピークに達した時、その国をそのような状態に落し込んだとして、核兵器を強力な外交の道具として用い、日本国を支配するかもしれない。その際、日米の同盟などのメッキは簡単に剥がれるだろう。そして、“平和裏に”例えば多量の移民を送り込み、そこで要職に就かせる形で富の略奪をおこなうかもしれない。或いは、一気に核攻撃をして、豊かな列島をevacuateし、そこに数年後移民として乗り込んでくる可能性もある。世界の人は小泉氏が夢想するほど優しい人ばかりではない。(注3)数百年後、この地球上に生き残る国は、核兵器保持国だけになるかもしれない。
注釈:
1)週刊新潮、10月17日号、22ペイジ参照(週刊新潮、10月17日号、22ペイジ)
2)例えば:http://tanakanews.com/131111ushunger.htm を参照。
3)最近読んだ、ワイルドスワンに書かれている、毛沢東の大躍進運動や文化大革命の様子にはショックを受けた。人は、動物以上に残酷になれる動物なのである。

2013年11月8日金曜日

家庭薬のネット販売と楽天社長

 家庭薬がネットで販売されるようになるが、暫くは劇薬を含む数品目に関しては、その中に含まれないことになった。前面解禁でないことに不満をもった楽天の社長が、政府の産業競争力会議の委員(注1)を辞任すると発表して話題になっている。
 この三木谷氏の反応には違和感を覚える。産業競争力会議は規制緩和を一つの旗印にしているが、何でも規制を無くせば良いというものではない。毒物及び劇物取締法では、医用薬品に含まれるものの取り締まりは薬事法に任せることになっている。従って、薬事法を改正する場合は再度毒物及び劇物取締法との関係を考慮する必要がある。例えば、ネット販売では全国の薬店から並行して同じ薬品を購入することが出来るので、一人の人間が大量に単一の薬を入手することが容易に出来る。その場合、家庭薬の不適切使用だけでなく不正使用も念頭において、薬事法の改正を考えるべきだと思う。つまり、対面販売では抵抗を感じても、ネットでは不正使用の為の買い付けであっても心理的バリアーはなくなるのである。薬のネット販売にはこのような微妙な問題が存在するにも拘らず、自分の会社の営業に影響する為か、腹を立てて委員を止めるというのは、まともな動機とは思えない。更に、この薬品販売における規制緩和は、産業競争力向上に殆ど関係がない。(注2)
 産業競争力の向上には、新しい技術や製品の開発、新しい需要の開拓(人生における新しい楽しみ方の提案)、優秀なる人材の育成、各社製品のブランド力の向上などを如何に図るかかが大切である。インターネットの利用促進も確かにその中にあるが、それについてはその負の側面を議論出来且つ利害関係に無い人の議論が重要であると思う。

注釈:
1) 経済に関する民間人を委員にして、国の経済に関する重要な決定に関与させることは、民主主義の原則に反するように思う。それは一つには利益誘導を彼らが行なう可能性があるからであり、もう一つには、国民一人一人が同じ重みで政治に関与するのが民主主義の原則だからである。
2) ネット販売をゆるして、産業競争力をつけるのは楽天やアマゾンなどネット企業である。一方、薬店などは競争力を削がれる。売れるものの量は、不正使用などが無ければ殆ど変わらないので、何処に日本国の産業競争力と関係があるのか解らない。

イノシシ一匹に大騒ぎする警察

 昨日、岡山市の住宅街にイノシシが現れ大騒ぎになったという。パトカー17台、署員や市職員ら計約70人が捕獲に当たる一方、同署が付近の幼、保育園や小中学校計15校園に連絡し、巡回を強化したとのこと。(注1)また、取り押さえるまでに警察官2人が怪我をした。テレビ(とくダネ!)で放送されていたので、その場面をみたのだが、まるで、大きなスケールの鬼ごっこのように見えた。司会していた小倉さんのコメントは、「住宅街なので麻酔銃などが使えなかったのだろう」というものだった。
 このTV放送での場面や山陽新聞のインターネット・サイトを見て、イノシシ一匹に大騒ぎするこの国を、私は情けない国であると思った。包囲したあとチャンスを見て射殺すればおわりである。住宅街とはいえイノシシに噛まれて怪我をしても尚、警察官が拳銃を使えない国を他の国の人々はどう思うだろうか。また、このような下らない話題をテレビのトップニュースや新聞で報道する国をどう思うだろうか?
 最近、林業や山間地での農業を生業とする人が減少し、イノシシやニホンザルは人に対する警戒心をなくし、時々住宅街に出没している。その度毎に、このような大騒ぎが報道されている。イノシシやニホンザルに対する右往左往は大した問題ではない。多くの日本国民もきっと、遠くない過去に凶悪犯を目の前にしながら、取り逃がした幾つかのケースを思い出しただろう。何故、何も言わないのだ、人々は。
  注釈: 1)http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2013110712555882/

2013年11月4日月曜日

無責任な小泉元首相の講演

 小泉元総理は原発ゼロを言いだし、自分の存在を誇示している。テレビニュースによれば、昨日も十分な知識を有しない大衆を相手に、原発ゼロをあたかも安倍政権の政策を批判するような調子で講演している。現政権の政策をまともに理解もしないで、自分の拡声器が大きいことを利用していい加減な発言を繰り返している様に見える。真に日本を原発を廃止してもやって行ける国にしたいのなら、先ず、自分がその道筋を論文にまとめて新聞社か出版社に持ち込んで、公表すべきである。知識を積み、政治家として十分質の高い形で意見を持った上で、一流の専門家を各分野から招いて、“原発ゼロシンポジウム”とでも名付けて議論する場を開いたらどうか。数年前に総理大臣を行なった人間なら、それ位のことをしてから自分の意見を表に出すのが、国民に対する礼儀ではないのか。
 以下にその他、小泉氏の姿勢に対する疑問点を挙げる。
第一に、誰も原発全廃に反対などしていない。全廃の時期の問題で議論しているだけである。
原発に頼らないで、この国の経済が回って行くのなら、そして、エネルギー源を自然エネルギーに転換できるのなら、反対するものは殆どいない。太陽光発電を1.0 kWh当り10円(天然ガスによる火力発電)で出来るのなら、全て太陽光発電にすれば良い。風力発電や潮流発電なども同様にコストを下げる方法が研究されているが、未だに35円を切っていない。円安誘導で漸く国際競争力を取り戻しつつ在る国内製造業者は、電力料金の上昇によるコスト増大で再び競争力を失う。日本は貿易で利鞘を重ねなければ生きて行けないことが解らないのか?
第二に、聖域なき行政改革はその後どうなった?まだ政治に関与したいというのなら、自分が言いだしたことをやり遂げてからにしたらどうか。途中で投げ出すくせに、偉そうなことを言うなといいたい。
第三に、原発燃料の廃棄物の処理は、小泉氏が宣伝する程、困難でないかもしれない。また、核燃料廃棄物の問題は、原発全廃してもしなくても存在することを問題視していない。深く地中に保存することは、現在の技術だけでも可能だろう。放射性物質というだけで恐怖を抱くのは非科学的態度である。(注1)また、希釈した燃料廃棄物をガラス状に固めたものを海溝に放棄する方法も大前研一氏が提案している。海溝でプレートとともに地中深く潜ってしまえば、放射能が無くなるまでは少なくとも地表に出てこない。
注釈: 1)100兆ベクレルのガンマ線放射物質でも1メートル程度の厚さのコンクリートで取り囲めば、漏れてこない。アルファ線やβ線はアルミフォイルでとまる。紫外線をたっぷり浴びた顔をしながら、放射線を魑魅魍魎のように恐れるのは滑稽である。

2013年11月2日土曜日

再び体罰について=体罰と暴力の違い

 今年の一月、大阪の桜ヶ丘高校バスケット部での体罰について、本ブログでも書いた。(注1)その中で、日本の文化として教育者と披教育者の間でのビンタ程度の体罰が、1)当事者間に了解(暗黙の了解も含む)があり、従って、2)その場で私憤が無ければ、許容されていると書いた。
 本日中部地方で放送された“激論コロシアム”というTV放送で、体罰の問題が議論されていた。しかし、なかなか要領を得ない議論に終わり、結論を得なかった。その中で、”体罰は悪というには、体罰と善悪の定義が必要だ”という言葉が戸塚ヨットスクールの校長からあったが、その中身についての議論がなかった。その点について、少しここで書く。
 もっと解りやすい譬え話を用いると:病院で外科医が手術台に患者を縛り付け、ナイフで開腹することは、暴行や障害にはあたらない。それは、病院において医者と患者という当事者間で、それらは病気を治す目的で行なう行為であるという同意があったからである。(注2)従って、了解の範囲にない手術で患者が不利益を被った場合は、業務上過失が問われる場合もある。ここで、“病気の治療”を“教育或は矯正”に置き換えれば、学校での体罰事件を考える上にヒントになると思う。例えば、戸塚ヨットスクールで、30年以上も前に体罰事件が立件されたのは、そこが学校と病院の中間に位置するからであると思う。しかし、戸塚ヨットスクールは今も存在し、病気とは言えないまでも”病的”と父母により判断された生徒が、更生のために在籍していることが、社会的に一定の機能を果たしていることを証明している。戸塚校長により体罰を無くすることで、更生までの期間が延び、経費的にも親の負担が増加することになったという。これらを考えあわせると、上記病院の譬え話が学校での体罰のあり方を考える良いヒントになると思う。
 以上から、体罰が暴力とは異なるところに、”教育”及び”先生と生徒という上下関係”を用いて定義出来ると思う。
つまり、生徒は一人前ではなく、潜在的に持つ全ての人権を顕在化出来る存在ではないとする。親権者と教育者(機関)との間の同意に基づいて、生徒にたいする先生による一定の範囲での物理的罰(体罰)が許容される。私憤は、一時的に生徒と先生の関係を破壊するものであるから、それに基づく物理的力は暴力と看做される。この様に定義すれば、大阪桜ヶ丘高校で起こった悲劇をどのように処理するか、そして避けるべきかについて考察することが容易になる。つまり、40発にも及ぶ平手打ちは、一定の範囲を超えるので、私憤に因ると判断され暴行として処罰する。また、教育者と披教育者という“当事者間の関係”を事前に解消すること(桜ヶ丘高校のケースではバスケット部からの退部)を、学校の他の職員(上司)や両親が仲介すべきだったと言うことになる。
 尚、教育基本法では体罰を禁止している。従って、上記は理想論かもしれない。荒れる教室で授業が体を為さないとしても、教育者の責任ではなく立法府の責任ということになる。そして教育熱心な先生も、行政からお叱りを受けるので、怠けた方が利口である。社会的トラブルの責任は最終的には政治にあるということになる。(11/2投稿、11/3; 11/4改訂)

注釈:
1)http://island.geocities.yahoo.co.jp/gl/mopyesr 2)手術前に書面で同意を明確にすることが多くなった。

反原発で飯を喰う人々

 園遊会で山本議員は天皇陛下に反原発の趣旨で手紙を手渡した。この件の議論は既に、「天皇陛下の政治利用を試みたので、議員辞職ものだ」という表向きの結論を得ている。しかし、私は、山本氏は本気で天皇陛下を政治利用して、”早期原発廃絶”を実現しようとしたのではないと思う。そもそも山本氏の頭には政治など無く、在るのはマスコミなどで自分の存在を誇示し、次も割の良い”参議院議員という職業”を確保することだけだと思う。その目的の為に”反原発”及び”天皇陛下の政治利用”を利用したのである。つまり、山本氏の発言「マスコミが騒ぐから逆効果である」は嘘で、思った通りマスコミが騒ぎ、成功したのである。
 元総理の小泉氏やマスコミで活躍の中部某大学の武田氏も、似たタイプの”反原発派”であると私には感じられる。反原発で騒げば、ある程度の票やある程度の人気が採れるのである。ただ、山本氏とはレベルが違う。小泉氏は反原発の狼煙を挙げるために、先ずフィンランドの核廃棄物処理施設を見学に行ったのだから。また、武田氏は原子力の元専門家であり、原子力発電のアキレス腱をつくことにかけては他の追随を許さない。因に、武田氏はテレビでのコメンテーターという職業に慣れ親しみ、素人ながら生物学や精神医学などの勉強もして、積極的に素人学者的発言をしている。
 このタイプの活動が出来る人は、利己主義者でなくてはならない。私の人物を嗅ぎ分ける嗅覚(自分では優れていると思っている。)はそう訴えている。