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人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2024年8月28日水曜日

日本国を戦争に巻き込まない為に知るべきこと:尖閣も北方4島も日本固有の領土ではない


1)中国人がNHK国際放送で尖閣は中国の領土であると放送したことについて: 

8月19日、NHK国際放送(ラジオ)の中国人男性スタッフがラジオ国際放送とラジオ第2の中国語ニュースの生放送で、靖国神社での落書き事件の原稿を読み上げた後、中国語で「尖閣諸島は中国の領土」などと発言した。さらに英語で「南京大虐殺を忘れるな。慰安婦を忘れるな」など、計約20秒にわたり原稿にないコメントをしたという。

 

 

NHK党立花孝志氏が、NHKの会長などによるこの件の責任問題に関するコメントや謝罪はなかったことに対して疑問を提示している。この行為は、NHK関連機関の中国人スタッフによる中国政府機関からの指示の下での諜報行為(テロ)と考えるのが普通の感覚だろう。

 


また8月26日、中国軍用機が日本の領空を初めて侵犯した。中国報道官は領空侵犯の意図はなかったと言っているが、ある種の観測気球的な領空侵犯だったのかもしれない。何れにしても、このところ日中関係はかなりギクシャクしている。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240826/k10014559931000.html

立花孝志氏は、従前どおり平時の感覚でNHK攻撃の為に取り上げたように聞こえたのは少し残念である。現在世界は第三次世界大戦の中にあるという人もいる。そのような広い視野と緊張感で国際問題を考慮する必要があると思う。

尖閣問題は、中国からの侵略(現在実効支配していると日本政府が主張している)があり自衛隊がその阻止に動けば、米国も日米安保条約の第5条を根拠に日本支援に動くことになると言われているので、日中戦争の潜在的発火点として警戒すべきである。(補足1)https://www.sankei.com/article/20240401-4CMXW32DVJKEBHGIR5BHVQH4PU/

中国はここ数年間、経済的に大きな困難に直面することになった。更に、習近平主席の権威が徐々に弱まりつつある現在(8月20日の記事参照)、中国の民意を束ねるために尖閣占領に動く可能性がある。その際、日本が徹底的に抗戦することになれば、日本はウクライナ化する危険性が高い。

 

ただウクライナとの違いは、国連の敵国条項に中国が言及したときに、ウクライナのようには外国の支援が期待できないと予想される点である。日本は最悪滅びる可能性さえあると思う。


2)「尖閣も北方4島も日本固有の領土である」というのは米国の為のプロパガンダである。

これらの島々が日本の領土とはすぐには言えないのは、両方とも第二次大戦で日本が降伏した際に領有権を剥奪されたからである。日本の領土であると再度言うには、二か国間の講和条約にその旨がしっかりと書かれている必要がある。

それにも関らず、日本政府がこれらの島々が日本の領土であると公的に示しているのは、日本が米国の属国であり、日本政府が米国の東アジア戦略の為に100%協力し、領土争いを演じているからである。

尖閣領有権問題

第二次大戦で負けた日本は、連合国に沖縄などの南方の島々を奪われた。つまり、それ以前に日本が釣魚島で鰹節を作っていたと言う事実は、領有権を主張する上で全く意味がない。このことすら分かっていない人が議員にも多い。

その時、日本は沖縄とその周辺の島々を米国から返還されたのではないのかと言い出すとしたら、彼らは米国が連合国すべての意思を代表して、沖縄と周辺諸島を日本に返還した訳ではないことを理解していないのである。


尖閣問題について、鄧小平が「将来のもっと知恵のある人たちに任せよう」と発言して、両国が尖閣諸島の領有権について棚上げにしたと言われている。この時、沖縄や小笠原の領有権について何も言わなかった日本側を、鄧小平は心の中で嘲笑していただろう。

 

つまり、日中平和友好条約締結時に沖縄と小笠原の領有権を明確にしておくべきだったのである。そのための中国への対価として尖閣諸島はうってつけだったのだ。この時、全ての島々を対象に領有権を確定しなかったのは、自民党政府の日本国民に対する大罪であると思う。

繰り返しになるが、サンフランシスコ条約で日本が放棄した島々の領有権は、米国の一存では日本に返還できないのである。これまでは、米国の軍事力が世界を睥睨していたから、中国はあまり強く主張しなかっただけである。

以下にこの件について過去行った議論を引用しておく。以下の二つの記事は相補的なので、是非二つともお読み頂き、コメントなどいただければ有難い。
https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466515268.html
ameblo.jp/polymorph86/entry-12466515270.html

北方領土問題

北方4島の領土問題については、例えば以下の記事に詳細に書いている。国後島と択捉島がサンフランシスコ講和条約で放棄した南千島に該当することは、戦後の国会で西村条約局長が答弁した通りである。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466516752.html

仮に日本が放棄したつもりがなくても、第二次大戦においてソ連が占領したことは事実である。従って、その占領が卑怯であると考えるのなら、日露平和条約交渉でその旨主張することは可能である。

 

鳩山一郎内閣の時、日ソ共同宣言が出されているが、この時歯舞と色丹は条約締結後に日本に譲渡するとなっている。この共同宣言は国会での批准を経ており、条約とみなすことが可能で、安倍総理時代にプーチン大統領との間で話し合ったときも、プーチンはそのような考えを示している。

 

ただ、最近のロシアに対する敵対政策の結果、この話は反故となった様だ。

 

これらの事実に反して、独立行政法人「北方領土問題対策協会」(補足2)は、北方4島は日本固有の領土だとして以下の様に主張している。

1855年2月7日、日本とロシアは平和的、友好的に日露通好条約(下田条約)を結び、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境をそのまま確認しました。それ以降も、北方領土は一度も外国の領土になったことがない、わが国固有の領土です。
https://www.hoppou.go.jp/problem-info/know/3min.html

この独立行政法人は、江戸時代の条約を採用して、第二次大戦を無視しているのである。それを指摘すれば、恐らく「日本はソ連と不可侵条約を締結しており、それを無視し北方領土に侵略したソ連の行為は国際法違反であり、無効である」と言い張るのだろう。

この独立行政法人は、国際法が絶対的な権威と権力の下にあると言いたいのだろうか?それなら、日本政府はなぜソ連の違法占拠を国際司法裁判所に訴えて、取り戻さないのか? 日本国民が「神が持つ帳簿に、北方4島は日本の領土だと登記されている」という馬鹿げた主張に騙される或いはごまかされるとすれば、日本国が滅びても仕方ないのだろう。

更に、竹島問題についても第二次大戦とその戦後処理の問題として既に議論している。(「竹島は100%日本領土」は浅はかな結論=及川氏のyoutube動画:https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12658433723.htm

 

 

終わりに:

 

3つの領土問題:尖閣諸島、北方四島、竹島のそれぞれ領有権が明確ではないとする問題は、米国が東アジア戦略の足場に日本を利用するための道具であることを理解する必要がある。つまり、これらの島々が日本固有の領土であると多くの日本人が誤解してくれれば、この周辺でのトラブルの種となって、米国軍を日本とその周辺に置く根拠となるからである。

 

自民党でも右派に見える人たちの中に、米国グローバリストのために動く議員が多いので、国民は彼ら或いは彼女らに警戒するとともに、この領有権問題とその本質について知る必要がある。

 

特に、世界経済フォーラムなどのグローバリスト機関によってyoung global leadersなどの称号を貰った人たちには警戒すべきである。(世界経済フォーラムを紹介したウィキペディアの記事参照)

彼ら或いは彼女らは、北方4島は日本固有の領土であると言い出したら、警戒すべきである。

 

同様に、尖閣は日本固有の領土と言い出しても同様である。彼ら或いは彼女らは、日本国民の命よりも、彼らが尊敬するグローバリストの親玉の仕事に協力し、出世したいだけである。ウクライナのゼレンスキー大統領と同じである。

 

補足:

1)中国が尖閣防衛と言い出して尖閣に軍を上陸させたとき、米国は安保条約5条を理由に日本に協力しようと日本側と相談するだろう。その時、丁度その時、中国は「これは国連の敵国条項(国連憲章53条)の適用である」と言えば、米国は引っ込むのではないだろうか。

 

2)平成十四年法律第百三十二号「独立行政法人北方領土問題対策協会法」平成14年は、森政権の跡を継いだ第一次小泉内閣の時である。この一つの事実だけで、小泉氏が長期政権を誇った理由は、米国に盲従することだったことがわかる。



編集: 8月29日、北方領土問題のところの一語変更(日露平和条約=>日露平和条約交渉)

2024年8月21日水曜日

サル痘ウイルスの致死性向上させて空中散布?!


金子良知氏の「ビル・ゲイツ氏が"MPOXウイルス"を空中散布!?」と題したyoutube動画は、現在の日本国民がおかれた危険な情況について、主にウイルスとワクチンの方向から解説している。

視聴必須の動画として紹介しておきたい。

 

単なる陰謀論ではないかという意見を言う人物は、赤い楯の人たちが連携を進め作り上げたグローバリスト組織の陰謀を隠したい人たちである。彼らは秘密の組織を使って世界の無知なる国と大衆に対して陰謀を働いているのだ。諜報機関や秘密組織の活動を語ることは、今や生き残る戦いなのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=lKP880lLowQ

 

 

その中から、非常に重要ないくつかのことをリストする。

1.WHOの事務局長はいったい誰が決めているのか? テドロス氏が何時の間にかWHOトップになったことと、クラウス・シュワブが世界のリーダーたちを若干31歳の若さで集めることが出来るようになったことの不思議と類似点。

2.サル痘ウイルスの致死性を高める改質実験が、あのファウチ博士の研究機関に7年前に承認されていたという話。しかしそれは実施されなかった。(私:それはトランプが大統領になってしまったからなのか?)

3.レプリコン・ワクチンは米国で開発された(Arcturus Therapeutics Inc.米国ジョイントベンチャー)が、米国で実用化されないで日本に持ち込まれたこと。それと新型コロナウイルスの改質実験が米国から武漢P4研究所に移されたことの類似点

4.レプリコン・ワクチンは日本以外では承認されていない。それを承認したのは、自民・公明政権は、日本を米国の奴隷にしている確たる証拠なのだ。その自民・公明政権下での憲法改正は、日本をウクライナ化する為の準備であり極めて危険である。

5.総裁選ではトップを岸田から河野太郎(私:或いは上川陽子)にしたい米国グローバリストたちが高市早苗の票を割るために押し込んだのが何時の間にか出てきた小林鷹之という人物。彼らはすべて日本&日本国民などどうなってもよいと考えている人物。

 

以上。これは単なる覚書です。

2024年8月20日火曜日

中国で政変か? 李強首相 反の反習近平姿勢

追補:

 

2日前に習近平主席は、中国のオリンピック代表団と面会し、あいさつをしている。

 

 

この動画中の習近平の映像は鮮明であり、あいさつの様子も影武者とは考えられない。そういう訳で以下の記事中の私の推論は削除します。北戴河会議の意見も、独裁が完了したとすれば無視できると考えるべきなのでしょう。(8月24日追加)

 

 

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中国関係に詳しい中国出身の石平氏が、8月初旬に開催された北戴河会議で中国共産党長老たちによる習近平批判が起こった可能性があるとyoutube動画で語っている。北戴河会議とは、毎年この時期に中国共産党の長老たちが中国北部の海岸近くのこの街で避暑をかねてあつまり、中国の政治等について話し合う会議である。 https://www.youtube.com/watch?v=mWcWhCvQ71s

 


在米の中国人の方からの情報によれば、習近平がこれまで進めてきた戦狼外交やコロナ対策などを含め、全面的に批判されたようだ。ウクライナ戦争においてロシアを支援し欧米と対立したことが不況の原因になったなどとして、何でもかんでも習近平の責任とされたようである。

北戴河会議で決議された8項目には、個人崇拝のとりやめ、香港の自治の尊重、台湾との平和維持、ウクライナ戦争におけるロシア支援の中止などが含まれているという。

北戴河会議は非公式会議であり議論の内容は発表されないので公開情報で確認できないが、李強首相主宰の国務院全体会議において習近平批判がなされたとのヤフーニュースでの記事(現代ビジネスの報道)は、上記北戴河会議に関する情報を裏付けている。https://news.yahoo.co.jp/articles/533a04a7f21e0f2a55497d70de63609900e0ae7e

この件との関連で、これまで多くの中国情報を発信してこられた妙佛さんが、最近習近平は病気になったのではないかとyoutube で話している。ベトナム首相訪中の記事に、ベトナム要人との写真での習近平が(意図的にボヤ化したのか、それとも合成なのか)鮮明に映っていないというのである。https://www.youtube.com/watch?v=4qIWWiaFmkc

 


もし習近平が何か重い病気なら、北戴河会議で長老たちが習近平批判をする際の障害は無かっただろう。今後の中国の政治が、習近平政権以前の形、つまり中国共産党中央政治局常務委員会(所謂チャイナセブン)での合議制で動く可能性が大きいという気がする。

2.ウクライナ戦争への影響:


ウクライナとロシアの戦争では、中国の支持がロシアにとって大きな力となってきた。その中国において政変が起き、北戴河会議での決議にあるように中国がロシアを支持しないで欧米との関係を正常化させようと努力すれば、ロシアは苦境の陥る可能性があると思う。

 

特に、米国ネオコン政権がチャンスとみて東アジアからロシアを挑発する可能性も出てくるかもしれない。そうなれば、日本にとっては危機が近づくことになるだろう。最近米韓は、大規模な合同演習を半島で始めたようだ。何か(たとえば北朝鮮の挑発)起こらなければよいが。。

 

(以上、速報です。)

2024年8月18日日曜日

自分の言い分をストレートに相手に言えない日本人、相手の言い分が十分に聞けない日本人


日本人の言語文化について以前何度も議論した。先日も「日本人はトルーマンが言う様にサルなのか:日本は異質な言語文化に気付くべき」という題目で、似た議論を行った。そこで、私の日本の言語文化についての文章に概ね同意する以下のコメントを頂いた。それを紹介させていただく。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12863111153.html

 

A氏による日本の言語文化に関する議論に対するコメント:


日本には「察する文化」があると。人と人の間に言葉を置いて、後は相手が察する。多分、これが「空気を読む」になるのでは。そして最後に「忖度」で纏めるのでは。

過去にイギリス人、ニュージーランド人と話し合いをしたのですが、最初に結論を述べて後から理由を説明。日本は全く逆だったのがショックでした。


私が、日本人はストレートに相手に向けて話すのではなく、二人の間の空間に言葉を投げて地面にワンバウンドしてから相手に届くように話すという説明を、もっとよく使われている分かりやすい表現でコメントして下さったように思う。上記コメントを私風に解釈して以下示す。

小学校などで「他人の立場にたって考えなさい」という言葉をよく聞かされたように思う。相手に何かを話す場合も、相手の立場や考え方を十分考慮して話しなさいという意味である。それは同時に、その話を聞いた人は、その話を話し手のことを考えた上で受け取らなければならないことを示している。

日本人の会話はそこで終わるのが普通である。相手のことを考えての発言であり、それを受けて話し手の立場を考慮しての返答なのだから、それ以上続ける必要はない。ただ問題は、予め二人が居た世界・場所から動く必要性も理由もない。二人は永遠不滅の自分の世界に生きることになる。

コメントの二番目の文節は、西欧人の会話は全く逆であり、自分は自分の立場と価値観で話をする。自分の考えや都合を自分の言葉で話すから、結論をストレートに相手に話すことになる。それを受け取った側は、自分と相手の立場や都合の違い、考え方の違いをその言葉の往復で知ることになる。

西欧人の会話はそこから始まる。その違いの原因は何か、その違いを埋め合わせる必要性、そして必要ならその方法などについて、双方が考えることなるのが普通だろう。



 

これも何度も引用した話だが、嘗て経営不振に陥った日産と資本提携したルノーが社長として日産に送り込んだのがカルロス・ゴーン氏である。彼は、フランスと日本における会社での会話の違いに言及し、以下のように言った。「フランスでは社長が何か発表すると、そこから社内で議論が始まる。しかし、日本ではそこで社内での議論が終わる」と。

フランスでは社長が、俺の将来設計はこんなに素晴らしいと幹部社員に話すと、社員はそれぞれ自分の考え方からそれを批判する。社長は、場合によっては自分の浅はかな考えに恥じ入ることもあるだろう。しかし日本では、社長の話を有難く拝聴して、会社が社員ともども奈落の底に落ちたことも多い。

その様な一つのケースが、東芝が米国の原発企業のウエスティングハウスを買収したのちに経営が傾いたことである。その時の決断は、社長の西室泰三氏によってなされた。ただ、このケースを検索すると、プレジデントオンラインという雑誌のページが出てくるが、無料で見れる範囲には当時の社長の名前は出てこない。これも日本文化の特徴或いは欠陥である。

 

 

 

因みにウエスティングハウス社は、破産申請の後、米国のある会社に買い取られ、現在も存在する。その日本支社のHPの最初のページを是非見てもらいたい。

 

 

西室氏はその後、日本郵政の社長になり、トールホールディングズというオーストラリアの物流会社を買収する決断をし、大損害の原因となった。日本では名前や家柄と学歴が人事を決める。日本の言語文化ではそれしか人事の方法がないからである。

以上をまとめると、日本の対話には弁証法的機能が働かないということになる。弁証法とは、テーゼとアンチテーゼの対立を、議論の範囲を広げるなどの工夫でそれらが統合されるような命題に導く方法である。日本にはその前提となるテーゼとアンチテーゼを提出するような、普通の西欧型会話がない。 それが日本病の一症状である。
 

終わりに:

前回及び前々回のブログ記事に対する一般の方の評価が非常に低いのは、「自分はトルーマンなどにプラスの面など見たくない。彼は日本人を大虐殺した張本人であり、天敵のような人物であると思う」からだろう。しかし、その考えに拘泥していてはトルーマンの真実がわからない。

 

トルーマンがわからなければ、その背後の強力なユダヤ系資本の政治的存在に気づかないのである。一旦日本人であることを離れ、その発想の限界を超えることで、正しいトルーマン像が得られると思う。同じことが、日本におけるグローバリスト対反グローバリストの対立図式である。

 

日本の今後の歴史に現れるのは、グローバリスト盲従か、反グローバリスト的姿勢を貫き経済的破滅に陥るかのどちらかだろう。弁証法的議論、プラトン「対話篇」にあるような議論が皆無なのが日本の言語文化の遺伝子的欠陥である。アンチテーゼを全否定し、日本中が固まったのが、あの戦争に突っ込んだ日本の本質である。
 

15:05 表題を変更

2024年8月15日木曜日

ポツダム宣言受諾までの経緯と東京への三発目の原爆投下計画


日本国が21世紀を生き残り、国民の平穏で人間らしい生活を確保するためには、尊厳ある独立国としての日本を作り維持する必要がある。その為にはこれまでの歴史を正しく再評価し、現在世界の政治環境や日本の位置を確認することが必須である。

今年も所謂終戦の日を迎えたが、その大戦の経緯についても国民はあまり知らないだろうし、学校教育でも全く教えられていない。そこで、ポツダム宣言受諾の経緯や原爆投下との関係などを調べてみることにした。以下はそのまとめである。

今回わかったこととしては、終戦時の米国大統領のトルーマンはそれほど残忍な人物ではなく、むしろ3発目の東京への原爆投下を避ける努力をした可能性が高いことである。その点では、大統領がF・ルーズベルトから交代したことは、日本には不幸中の幸だっただろう。

 

その一方、日本政府の指導者であった「最高戦争指導会議」のメンバー:鈴木貫太郎総理大臣、東郷外務大臣、阿南陸軍大臣、米内海軍大臣、梅津参謀総長(陸軍)と豊田軍令部総長(海軍)のうち、東郷外相以外、特に陸相と軍の最高幹部2名は、無責任にも停戦合意に反対し本土決戦を主張した。

 

また、毎日新聞の「笑止! 米英蔣共同宣言、自惚れを撃破せん、聖戦飽くまで完遂」など、新聞全てが本土決戦を煽る記事を書いた。そして広島と長崎への原爆投下となった。

 

その事実を今一度日本国民は思い出すべきである。



1)米軍は1945年11月までに8発の原爆投下計画を持っていた

終戦時の米国大統領ハリーS・トルーマンは、F・ルーズベルト政権の第四期目の1945年1月20日に初めて副大統領になり、大統領の死亡後1945年4月12日に大統領に昇任した。従って、対日戦争の大部分について決定権を持たなかったし、日米戦争全体についての責任も大きくはないだろう。

日本への原爆投下計画は軍高官によって話し合われ、1945年10月中に8発までの投下が予定されていた。そして、トルーマンから軍に出された原爆投下の命令も、特に2発だけに限るという類の限定が付いていなかった。(補足1)

原爆は全く新しい原理に基づく爆弾であり、政治家も軍人もどのようなものか十分には理解していなかった。(補足2)トルーマンはこの新型兵器を準備出来次第投下するという命令を出したのだが、広島と長崎への投下とその結果を見て初めて、その絶大な軍事効果と残忍性を知っただろう。

常に戦いの場にいた軍は、原爆の圧倒的効果を知れば知る程、もっと多く且つ早く投下すべきであると考えた。また、同様に考えた米国連邦議員も多くいたようだ。

 

しかし、トルーマンは広島での原爆投下の成功に大喜びしたものの、長崎への投下以降、徐々に良心の呵責に苛まれていたようである。前回記事にいただいた在米の方のコメントあったトルーマンの言葉をここで再録させてもらう。

I know that Japan is a terribly cruel and uncivilized nation in warfare but I can't bring myself to believe that, because they are beasts, we should ourselves act in the same manner.

「日本が戦争においてはひどく残酷で野蛮な国であることは知っているが、彼らが野獣であるからといって、私たち自身も同じように行動すべきだとは到底信じられない。」(グーグル翻訳)

ウィキペディアのハリー・S・トルーマンの項を見ると、この言葉に似た文章が書かれており、その記述から考えて、これはトルーマンの友人で当時上院議員だったリチャード・ラッセルの「原爆をもっと落とすべきだ」に対する反論だと思われる。

居住地への原爆投下は、近代西欧の戦争の歴史の中で生まれた戦時国際法に違反するホロコーストであり、ナチス・ドイツがユダヤ人を対象に行ったのと同じタイプの非人道的な殺戮である。それもあって、原爆投下の命令を出したことに対してトルーマンは徐々に憂鬱になっていったと思われる。

 

本稿に書いたトルーマン像には不満を持つ人たちも多いだろう。実際、前回ブログの挿図として引用したトルーマンの言葉や、上に引用した文章にも日本人は野獣であるという表現がある上、以下のような人種差別主義者トルーマンの記事も存在する。

 

 

歴史的事実を見て、しかも今でも白人の中では黄色人種差別は、ある意味で自然な感情である(補足3)ことなども考慮して書いたのが本稿の文章である。この部分に強い嫌悪感を感じる方は下の付記をお読みいただきたい。

 

以下本筋から外れた付記:

黄色人種も黒人も白人も、生きていかねばならない。肌の色の違いから顔のつくりから、差別感情が生まれるのは自然である。それだからこそ、人類は経済的には交流し政治的には夫々が独立して、国家を運営するのは一つの知恵だと思うのである。人々に人種や性別などでの区別(や差別)を犯罪のように考えさせ、人々や国家の間に不満や怒りというエネルギーを蓄積させるのは、一部の国際グループ(グローバリスト、米国に於いてはネオコンやDSなどの背後に居る人たち)の戦略である。その巧妙な罠に掛かってはならない。



2)ポツダム宣言拒絶と東京への三発目の原爆投下の可能性

日本は無条件降伏したのかしなかったのかについては、今日でも議論される。一般に停戦の話し合いでは、双方が条件を出し合って合意点を探す形が多い。その意味では、7月26日に発表されたポツダム宣言には、日本側に条件を出す権限をほとんど認めなかったので、無条件降伏と言える。

 

ただ、停戦の話の中でその中心にあるのは国家の存続であり、日本では特に天皇制の維持である。ポツダム宣言をよく読めば、天皇の地位を保障するという条件を言外に滲ませる形になっている。(補足4)更に、日米の話し合いの中で出されたバーンズ回答が天皇制を前提とする回答であり、天皇制の維持についての日本側の希望を汲み取ることの確認とも取れる。

 

開戦時の駐日大使ジョセフ・グルー(当時国務次官)などのほか、トルーマン自身も天皇制を廃止するといった強引なことはやらない方針をもっていた。米側は、天皇制維持を停戦条件としても良いとさえ考えていたようだ。

ただ、無条件降伏はF・ルーズベルトの一貫した姿勢であり、ルーズベルトの死後大統領になったトルーマンは、副大統領の期間が3ヶ月と短く経歴的にも外交からは遠かったこともあり、大統領就任後早々にルーズベルトの無条件降伏路線を踏襲すると言明した。

 

日本側だが、序論にも書いたように当時実権を握っていた「最高戦争指導会議」のうち外相以外は、ポツダム宣言などは黙殺すべしという考えだった。

ポツダム宣言を無視または拒否することで、またマスコミも軍の姿勢を熱烈支持することで、多大の犠牲を強いられ戦争終結を望む国民の意思を無視した。ただ、その日本軍と政府の姿勢は、米側も織り込み済みであり、それが原爆投下の口実となった。
 

大日本帝国政府にとっては、日本人一般は統治の対象であって日本国形成の中心では無かった。


都市空襲や沖縄戦で40万人の死者を出しても、更に原爆で国民が無慈悲に20万人ほど殺されても、陸相、参謀総長、軍令部総長らは、8月10日の“御前会議”においても尚、ポツダム宣言に対して様々な条件を付けて回答することを主張した。

 

そんな中、東郷外相ただ一人だけは、天皇制維持のみを条件とするべきだとした。議論では結論が出せず(補足5)、結局天皇の”聖断”によって東郷案で返答することになった。

 

そして、“「天皇統治の大権を変更する」要求が含まれていないという了解の下に受諾する”という回答が、スウェーデンとスイスに向けて送信されるとともに、直接米国へも電信で送られた。

この回答が、米側でも議論された。1945年7月に国務長官になったジェームズ・F・バーンズは、日本側が条件をつけたことに怒り、既に言及した「天皇及び日本国政府の国家統治の権限は連合軍最高司令官に従属(subject to)する」というバーンズ回答となった。その電報を日本側は12日に受信した。

この「subject to」を軍部は隷属と読み、再照会を主張したが、その後、8月13日午前2時に駐スウェーデン公使岡本季正から、バーンズ回答は日本側の申し入れを受け入れたものであるという報告が到着し、8月14日の御前会議での天皇の決断となり、同日スイス公使から連合国側への受諾通知となった。

その結果、東京への原爆投下はなされなかった。この原爆投下を避けるためと8月8日のソ連の参戦の効果を抑えるために、日本側とのポツダム宣言受諾条件についての往復があったのだろう。それは、ジョセフ・グルーらの努力もあるが、最終的にはトルーマンの決断によるものだろう。

 

無条件降伏を渋る日本政府に対し明確な無条件降伏をさせるには、三発目の東京への原爆投下が非常に有効だった筈で、もしF・ルーズベルトが大統領を続けていたら、原爆を続けて投下していただろう。(ポツダム宣言自体もなかった可能性が大である。)

 

従って、以上の経緯は、トルーマンは軍部の原爆投下の継続要求を如何に退けるかに苦心した結果だと考えられる。実際、National Geographic誌の日本語版2020年8月9日の記事に以下のような内容の文章がある。

 


「1945年8月15日に日本が降伏するわずか数時間前、米国時間では14日、英国の外交官を前にトルーマン大統領は沈痛な面持ちで、第3の原爆投下を命令する以外に「選択肢はない」と漏らしていた。戦争があと数日続いていたら、第3、そして第4、第5の原爆投下の可能性は著しく高まっていた。


補足:

1)近代史研究家の林千勝氏が2023年8月のZAKZAKという雑誌に、差し当たり8発の原爆を日本人ホロコーストに使用するという計画が高官により立てられていたことについて、資料を明示して書いている。

8月13日 原爆投下実務の責任者であるジョン・ハル大将(戦後の琉球総督)と、ライル・シーマン大佐(グローブス将軍の補佐)との電話会議記録(ジョージ・C・マーシャル図書館保管)は以下の通り。

①(広島・長崎への)2発の原爆の効果は絶大だった。②8月19日に3発目投下可能。
③9月に4・5発目投下可、④10月に6~8発目投下可能。⑤

2)O. Hahnと F. Strassmannがウランとトリウムの核分裂を発見し完成した論文をドイツのNaturwissenschaftenに投稿したのが1938年12月22日、出版されたのは1939年1月6日であった。その後1939年1月中ごろ、Meitner とFrischは核分裂により大きなエネルギーが放出されることを記した論文が英国のNatureに投稿され、2月11日に出版された。その後ドイツと米国でそれを利用した核兵器の製造競争となった。日本も、理化学研究所の仁科芳雄博士らが中心になって開発競争に参加していた。国家プロジェクトであるマンハッタン計画が1942年9月にスタートし、作り上げられたプルトニ ウム型原爆の最初の実権は、1945年7月16日にニューメキシコ州の砂漠の中で行われ、完成したファットマンは24日後に長崎への投下された。基礎現象発見から爆弾投下まで6年8か月というきわめて短い時間であった。

 

3)私自身もカナダのバンクーバーに在住中、売店で買い物をしたときに店員が釣銭を直接手渡すのではなく、手のひらに落下させたことを鮮明に覚えている。そのほか、街中では差別を感じることが多かった。

 

4)ポツダム宣言12項の「連合国の占領軍は、これらの目的が達成され、日本国民の自由に表明された意思に従って平和志向で責任ある政府が樹立され次第、日本から撤退するものとする」は、日本国民が天皇制を日本の当然の姿と考えている情況を考えれば、天皇制維持を間接的に表明したものであるとも考えられる。

 

5)何度会議をやっても口論だけでまともな議論にならないことや、沈黙を保つこと(つまり黙殺)も日本では戦術の一つとなることが日本の言語文化の特徴である。そのことは前回記事でのもう一つの主題だった。(前回記事参照)

 


 

2024年8月11日日曜日

日本人はトルーマンが言う様にサルなのか:日本は異質な言語文化に気付くべき

グローバル化が進み相対的に地球が狭くなったこともあり、あちこちで民族間或いは国家間の不協和音が響くようになった。それらは広い意味での生存競争であり、日本国もこれまでの受動的な姿勢から転換して能動的・戦略的に動く能力を持たなければ、21世紀を生き残ることは困難だろう。

 

その為には、日本の近代史再評価:つまり明治からの英国と米国を支配下に置く国際金融資本に翻弄された歴史の再評価と、日本および世界の現状を独自に観測・分析することが必要である。それらを基に各国との独自外交を戦略的に立案すべきである。

 

その道は遠い。江戸時代には持っていた諸外国に対する独自分析の能力を明治以降に失ったからである。それ以前に持っていた武士たちエリートの現実主義から、文明開化という掛け声とは裏腹に日本独特の大衆文化に退化したのではないだろうか。先ずは、世界各国も理解可能なレベルに価値観やモノの見方を回復することが必要だろう。

 

世界との交流が盛んになって以来、日本は異質な文化の国と言われてきた。それは、陰では日本人は何を考えているのかわからない人たちという意味であり、明治以降の外国文化の輸入とそれらの不消化が招いた知的混乱の結果ではないだろうか。知的でない国家の一つの特徴は、外には融和的で内には隠ぺい的であることである。その悍ましい情況から日本は這い出る必要がある。

 

その日本の異質な文化を指摘する文章は多い。その中の一つを表題だけだが以下に紹介する。一部同意する部分もあるが、同意しかねる部分もあり、内容の議論はここではやらない。

外国人が見抜いた「日本」を「変な国」にさせている「3つの原因」…日本を支配する「フィクション」

 

それら多くの文章において、日本社会には何かが欠けていると指摘するが、正鵠を得たものは少ない。そこで山本七平氏の著作などを参考にして考えた結果、私は日本に欠けているのは真面な言語文化であると思うに至った。(補足1)以下にそれについて書いてみる。根本的に異質な日本を少しでも解明できたらと思う。

 

 

1)社会の中の個人、或いは世界の中の日本: 軋轢の解消には何が必要か

 

所謂民主主義の国では、個人は社会が持つ規則と基準を十分に知って行動する必要がある。そのような国での個人と社会の関わりは、一般に二つのプロセスの繰り返しである:①社会から受ける何かについて個人が自分の価値観やモノの見方(以下価値観等)で評価・判断し、それに対して個人が何らかの反応をする、そして②社会がその反応を受け取り、何らかの応答をする。


上記①のプロセスではその人物が意識する社会の持つべき規則と基準(以下価値観等)が大きくかかわり、②のプロセスでは社会制度が前提とするその“価値観等”に依存する。個人と社会の“価値観等”に大きな重なりが(つまりほとんど同じで)無ければ、個人の不満が益々増大するか、彼らが社会から過激な措置を受けてしまうなどを原因として、社会が平穏でなくなる。

 

もう7-8年前のことになるが、「保育園落ちた、日本死ね」というSNSでの書き込みについて、国会において少子化対策との絡みで議論されたことがあった。この件なども、社会と個人の係わりに関して、個人の持つモノサシ(価値観等)と国家或いは社会の持つモノサシに大きな違いがあったことがその原因だろう。 

 

この書き込みをした人には社会と個人である自分との関係を十分に理解していない。保育園以外の多くの面で、この社会から受けている恩恵の具体的な姿が全く見えていないのである。自分の不満をどのように行政に反映するかの知恵もない。このような空疎な個人と社会(国)の関係は、日本社会を不満の空間にしている。

 

社会に溢れた標語には、実際的且つ具体的な指針や方法はなく、実際に問題を抱える人たちから見れば揶揄われているように感じるかもしれない程、知恵の欠片もない。 https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466515058.htm


サブタイトルの疑問に対する解答は、上記①と②のプロセスからのフィードバックを論理的に処理し、その中で得られる筈の解決法とそれを進める戦略を集団思考で作り上げ、実施することである。日本には、そのような社会と個人の関係を改善するという基本的な政治が欠けている。標語ポスターや幟だけでは問題は解決しない。

 

国際世界の中で、核廃絶を主張したり、平和外交を主張する日本国の姿は、このような標語看板を掲げる日本人の姿と同じである。ここから日本と世界の係わりに話の枠を拡大する。

 

一つの文化で特徴つけられた国或いは民族と世界との相互作用も似たようなモデルで考えることが出来る。個人=>日本 社会=>世界と夫々置き換えれば、あとはほぼ近似的に上記のモデルが成立する。既に書いたように、世界とは日本が密接な関係を持つ国々であり、現在強大な金融や軍事の力を持ち、世界史的な大変革を行う意思を持つグローバリストが支配的な欧米を含む世界である。

 

上に「価値観等」や「モノサシ」という言葉を用いたが、もっと一般的に文化と言いかえた方が良いだろう。日本語では文化という言葉が深く理解されていないので、個人と社会の問題についてモデルを上に示したのである。それを世界の中の日本を考えるために以下利用する

 

“モノサシ”が微妙に違うことは、「言葉とその定義」が微妙に違うことであり、この部分は言語習慣或いは言語文化と言い換えることもできる。つまり、現代の世界における日本の困難は、言葉或いは概念が世界と異なり、互いに話が通じないことである

 

その結果、日本人は何を考えているのかわからないとか、日本人はサルであるという類の侮蔑的な表現が裏で用いられている。下の写真は、米国大統領トルーマンの日本評価を示している。実際にトルーマンが日本人をこのように評価したかどうかは分からないが、日本人への原爆投下の経緯などを考えると、世界の裏街道ではこのような話がまかり通っていることは事実だろう。

 

 

 

ここでもう一つの具体例をあげる。

 

片岡鉄哉 著“核武装なき「改憲」は国を滅ぼす”に、ニクソンとキッシンジャーが当時の総理大臣である佐藤栄作に、日本も地域の大国として核兵器を保持すべきではないのかと言ったことがあると書かれている。しかし佐藤は、日本ではそのような合意は得られないとして断り、千年に一度のチャンスを逸したのである。キッシンジャーは、その佐藤を何を言っても通じない愚鈍な人物だと評価した。

 

佐藤栄作は秀才として知られた岸信介の実弟であり、東大出身の人物である。その彼に話が通じないとキッシンジャーが語った。それは、日本人の持つ言語文化と西欧の論理的にできた言語文化に根本的な違いがあるということを意味すると思う。

 

この逸話は何度も日本の核武装を論じる際に用いてきたのでこれ以上は深入りしない。今回はこのような奇異な現象の根本をより深く追求するために、以下日本の言語文化の特徴、あるいは世界から見た異常さを考える。

 

 

2)日本における特異な言語文化

 

山本七平の議論で秀逸だと思うものに、日本語についての記述がある。その表現は分かりにくいと思う人も多いだろうが、(私の理解では)要するに日本人は言葉を人と人の間に投げかけるというのである。それは最初の写真に示した様に、街角に様々な評語が並んでいることとも関係がありそうである。(補足2)その一方、欧米では言葉は明確に対峙する人物に向けて発する

 

日本では、言葉を目の前の人物に対して発する場合でも、相手を直撃しないようにまるで届くまでにワンバウンドするような言い方をする場合が多い。4年前の記事:「日本にあふれる優しいことばと厳しい現実」の中で、以下のような文章を書いている(少し改変)。

 

日本人は嘘つきだという西欧社会の評価は、この特殊な言語空間の中に日本人が生きていて、しかも、世界の全ての人も同じであると信じていることによる。あの京都の「茶漬けでも召し上がって」(補足3)も、おそらく空体語(空間に投げかけられた建前のことば)に類するものである。

 

それを発せられた情況から考えて、「そろそろお帰りになったら如何」の意味だと受け取り、現実的なことば(実体語)と受け取らない芸当が即座に出来るのは日本教の信者、つまり、日本人だけである。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12567855407.html

 

つまり、「茶漬けでも召し上がって」と相手から言われたなら、その言葉を一度ワンバウンドさせて、つまり情況を含めてよく考えてから受け取らなければならない。それが日本文化の中の「思いやり」の実態である。日本人ならほとんどのケースで「有難うございます。お言葉だけを頂戴して今回はこれで失礼します」となるからである。

 

 

3)日本の外交不在

 

この言語文化は日本が他国とまともに付き合う場合非常に厄介である。外国は発せられた言葉は直接受け取るのであり、日本の言語文化など想定しない。勿論、観測気球的に言葉を発する場合も外交の場面では多々あるだろう。しかし、日本人は”おもてなしの言葉”と混同して、相手方の真意を見誤る可能性がある。佐藤首相が核武装を断ったのは、ニクソンとキッシンジャーの言葉を観測気球と解釈した可能性もある。(補足4)

 

また、この言語文化は日本における対話の習慣と議論により真実を追求する文化の成立を阻害した。つまり日本を「沈黙は金」の空間にした。その結果、人々は歴史を議論し劣悪な歴史家の洗脳をうち破ることが出来ず、上に引用したトルーマンの言葉にあるように、家畜のように時の権力に従順となったのである。

 

その結果だが、日本には「命」とか「平和」といった非常に重要な概念が、個人の視点でのみ語られている。つまり、平和=命であり、戦争=死である。核兵器=死であり、したがって命を確保するには核廃絶しなければならないとなる。この幼稚さは、日本が真っすぐに言葉をやり取りすることで可能となる集団思考できる言語文化を持たないことに原因がある。

 

その結果、本当の知識や知恵は、正統の中には存在せず異端の中でしか出てこないのである。以下の西鋭夫(にしとしお)教授の言葉も異端であるが、真実である。西教授は言う。「ヒロシマとナガサキはもうウンザリです。」「東京など都市空襲でも何十万人と殺された。(ヒロシマとナガサキだけに注目するのは、)原爆で殺された人たちの方がランクが上なのか」「核兵器廃絶? いったい誰が廃絶するんじゃ」https://www.youtube.com/watch?v=40polpr56Kk

 

 

 

このような現在では異端の中に埋もれた(無理やり現在の米国盲従権力により埋められた)言葉を掘り返し材料にして、しっかりとした思考ができる国にならなければ、日本はなくなるだろう。

 

以上半分ほどしか書けませんでしたが、今回はこれで終わります。

 

 

補足:

 

1)勿論、その指摘は明治初頭にはあっただろう。その一つに、時の文部大臣森有礼が国語を英語にした方が良いと主張した。それに対して志賀直哉はフランス語にすべき主張したという。これらの発言はいささか短絡的であり、深い思考の末の真面目な話ではないだろう。詳細はウィキペディアなどの「国語外国語化論」を見てもらいたい。

 

2)街かどの標語は、人と人の間の空間に投げられ、その空気をその標語の主張で充満させるために建てられる。この空気の存在が日本の言語文化の特徴と言える。この空気は、個人間の対話にも言葉が人を直撃しないように介在する。その結果、言葉は曖昧になり、厳密な議論は不可能となる。

 

3)京都のお茶漬けの話は半分本当である。ただ、その言葉をそのまま受けて客が帰らなければ、お茶漬けを出す覚悟が必要である。ウィキペディアには話の元にある落語の解説がある。「京の茶漬け」参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E3%81%AE%E8%8C%B6%E6%BC%AC%E3%81%91

 

4)当時の歴代民主党大統領は、日本には核兵器は永遠に持たさないと考えていただろう。従って、観測気球の可能性があるのは当然である。しかし、日本が日露戦争当時の米国の覇権に協力する考え方の人物が多い様なら、日本に核兵器を持たせて中ソと対決姿勢がとれるだろう。しかしその後

米国は中国との関係を改善し、中ソの間に楔を打ち込む戦略をとった。その米国の様子を見て、田中角栄首相は日中国交正常化に踏み切った。キッシンジャーは「ジャップめ」と叫んだという。

 

2024年8月4日日曜日

ここ100年間の着実なグローバリストたちの活動とそれに反対する人たちに今できること

以下は、元理系研究者思い込みかもしれません。適当に読み飛ばしてください。

 

現在、世界はグローバリスト対反グローバリストの戦いの中にあると考える人が多い。グローバリストとは、米国民主党とRINO(名ばかり共和党)のネオコンたちがフロントで、その本体は英米欧のユダヤ系大資本家を中心とする金融エリートとその協力者たちである。グローバリストは普通名詞のように聞こえるが、ここでは特定のグループを指す固有名詞である。(補足1)
 

マイノリティである彼らは、団結と資本力、更にはマイノリティの権利を拡大するという左翼的思想を用いて黒人やその他のマイノリティを取り込み、彼らの政治勢力とする。(補足2)彼らの目的は、彼らと彼ら以外のマイノリティの一部、そして彼らが取り込んだマジョリティの一部とともに共産党独裁に似た世界帝国の建設を目指すことだと推定される。

マジョリティに対して協調と宥和の姿勢を持たないマイノリティには、彼らに一定の忍耐を要求するマジョリティの中にあって、平和な日常を実現することは難しい。従って、生きる空間の地球規模への拡大化であるグローバリズムは、かれらと相性が良い。その上でかれらが地球上で主要な政治勢力になり得たとしたら、父祖の宗教文化:大イスラエル構想の実現も同時に達成できるので、彼らにとって猶更素晴らしい。

 

 

1)米国の世界戦略

 

米国のグローバリストたちの中心に位置する人たちは、第一次大戦後、当時の大統領ウィルソンに様々な装置を作らせることに成功した。第一に連邦準備銀行FRB、つまり米国の中央銀行である。ロスチャイルド家の開祖が「通貨発行権と管理権を私に与えよ。そうすれば誰がどんな法律を作ろうがどうでも良い」と言ったという。この言葉は、自分たちが通貨発行権を得れば、政治を支配することができると言う意味である。

 

第二に国際連盟である。グローバリズムの拠点として機能させる装置であるが、米国は加盟しなかった。つまり、グローバリストたちは、民主党はともかく共和党は十分に掌握していなかったことを示している。その後暫くして、12年間の長期政権を誇るフランクリン・ルーズベルト(民主党)が大統領になると、グローバリストたちの米国政治掌握が進んだ。

 

米国民が望んでもいない第二次世界大戦への参加は、謀略により大日本帝国を巻き込むことで実現した。それまでにソ連での政争に敗れたトロツキー一派の残党も米国政治に参加し、米国支配の大きな助けになった。このころから、共和党にも保守の仮面をかぶった左翼グローバリスト(ネオコン)が参入し力を持つようになったのだろう。

 

第二次大戦後、米国が活動の中心となったグローバリストたちは、世界を支配する時代を迎えたと思っただろう。その世界戦略において、東ヨーロッパ、中東、東アジアの三か所を拠点とするようになった。米国ネオコン政権は、ユーラシアを支配することは世界を支配することだと考えているようだ。このことを国際政治評論家の伊藤貫氏は、米国の中東政策の解説の中で言及している。https://www.youtube.com/watch?v=fTXHt0irDKE

 

尚、東ヨーロッパの軍事力はウクライナ戦争で明らかになったようにソ連(ソ連崩壊後はロシア)を潰すため、中東での戦力はその土地でイスラエルを盟主とするため、東アジアの戦力はソ連と中国など共産圏を監視するためだろう。

 

世界の広い範囲でその様な軍事戦略にそって軍事を展開することは、米国は一つの独立国であるという前提では理解不能である。従って米国の近現代は、世界の金融を支配する人たちが核となり、その経済圏の中で発展した国々と協調し、彼らの計画にそってグローバルな政治経済体制を築くプロセスだと理解される。

 

その様に考えると、ロシアがソ連共産党の崩壊後に共産党政権がつぶれたのだから欧州の自由主義経済圏の中に歓迎される筈と考えることは、元々ロシア側の希望的観測に過ぎないということになるだろう。(補足3)

 

共産主義でユーラシア大陸の一部、ロシアや中国を色分けすること自体も、彼らグローバリストたちの100年間の世界戦略の中の出来事だった可能性が高い。つまり、その地域の国を崩壊させる為に赤く塗りつぶした可能性がある。最終的にはスターリンに追い出されたが、ロシア革命には外部から参入したユダヤ人たちが活躍したという事実もその推測を支持しているように思う。

 

 

2)冷戦から最終戦争へ

 

米国がこのような明確な世界戦略を持ってロシアを消滅させるべく戦ってきたのが“冷戦”なのだろう。ソ連が崩壊したときには、ほぼ7割方対ロシア作戦は成功したように思っただろうが、スリムになったものの立派にロシアは生き返った。そこでロシアから分離されたウクライナを利用して、新たな作戦を立てて“ロシア潰し”を実行したのがウクライナ戦争だろう。

 

その様に考えれば、ウクライナ戦争も朝鮮戦争やベトナム戦争も、類似した図式で理解可能だろう。彼らグローバリストにとっては、共産主義が問題なのではなく、ロシアが問題なのである。 

 

東アジアでは中国がロシアの次のターゲットだろう。特に習近平政権になって中央集権化がす進行し、グローバリストたちとの協調は考えられなくなったと思う。実際、米国のユダヤ系資本家でグローバリストの中心的人物のジョージソロスは、ダボス会議で2度にわたって習近平批判の演説を行っている。

 

 

グローバリストたちがトランプを嫌っている事は言うまでもない。トランプは反グローバリストとして米国一国繁栄主義(MAGA)を政権構想の中心においているからである。嘗て彼らの計画するグローバリズムに反対した大統領は何人もいただろう。ベトナム戦争を早々に止めようとしたJFケネディや、ベトナム戦争の北爆の秘密暴露を許したR・ニクソンなどもその中に入る。ニューヨークタイムズの記事によれば、北爆はトンキン湾事件というヤラセに対する報復という形で開始されたのである。

 

彼らはいずれも殺されるか殺されかけるかして、結局ほぼ一期で大統領の座からおろされることになった。三期大統領の椅子に座ったF・ルーズベルトとは真逆の人物たちである。ニクソンはカナダで殺されかけるが無事帰国しているのだが、ウォーターゲート事件で失脚することになる。(補足4)

 

このようにグローバリストの世界戦略とこれまでの100年ほどの世界の近現代史と重ねると、グローバル帝国の建設の企みは、着々と進行してきたことが分かる。そのエネルギーが世界の金融経済のなかから供給され、現在の世界の政治経済システムと密接に関係している。 

 

この100年間(初代マイヤーロスチャイルドの5人の息子たちの時代からの200年間というべきかも)、長期に亘って目論んできた世界帝国建設の戦略は、泥沼を渡るキャタピラー車のように困難があっても一定方向へ進んできたように思う。この歯車のような時代の動きを単純に逆転させることは非常に困難だろう。ほぼ80%ほど進んだ現在の段階で気づいたとして、遅すぎるのではないだろうか?

 

G7各国の首脳たちは、かなりのところまでこのグローバリストの戦略とその進行を知っているだろう。そこで屈服したかのように、従順な姿勢を示している。日本のこれまでの経済的繁栄も、この近代史の中の歯車として存在しているのである。そして1945年の敗戦以降、吉田茂の敷いた路線上をもくもくと進んできたのが自民党率いる日本であった。

 

最早手遅れの感じがしないでもないが、明治以降の近現代史を真面目に研究し、教育する以外に日本がまともな国になる道はないだろう。

 

 

補足:

 

1)昨今の世界の混乱をグローバリスト対反グローバリストの戦いというモデルで考えている人は世界に多いと思うが、グローバリストの正体についてはあまり明確にはされないことが多い。グローバリストをここでのように明確にすれば、陰謀論として退けられる可能性が高い。彼らグローバリストは、陰謀論という言葉を防御装置に用い正体を隠している。彼らがエネルギーを得るのは、世界の基軸通貨である米ドルに関する金融政策と、それを利用した金融工学だろう。彼ら金融エリートたちにとっては打ち出の小づちの様なものだろう。

 

2)マイノリティの一つでもあるユダヤ社会が、その少数派の権利確保という名目で運動を組織化し、米国を牛耳ることに成功したと、政界の重鎮だったブレジンスキーが回顧録の中で書いているという。https://www.youtube.com/watch?v=Z85BnnOPmZ4&t=412s

 

3)米国のジャーナリストであるタッカーカールソンによるインタビューで、ロシアのプーチン大統領は冷戦後のロシア政権はこれで自由主義経済圏に仲間入りして、欧州諸国と同等に扱ってもらえることを期待したと語っている。そしてNATOの東方拡大は、その必要性が消失したのでなくなると期待していたのである。しかし、私には今日のウクライナを使ったロシア潰しは、その時点から着実に進められた様に見える。
 

4)米国の大統領辞任劇を見ていると、殴り合いが日常的な土地において、その片方を暴行罪で告発することを許せば、何時でも望むように政治家の取捨選択が可能になるのではと思ってしまう。最近の4年間の米国の対トランプ裁判から、ウォーターゲート事件もCIAの日常をすこし延長して作り上げた可能性?と思う。

 

(10時15分、最初の一文修正;8月5日午後2:50本文を編集し、最終稿とする)