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人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2017年11月29日水曜日

62年間安全保障に関する政綱を実現出来なかった自民党は解党すべきである

1955年二つの政党の合併により自由民主党が立党された。その時の国民への約束として定められた政策目標が自民党の政綱である。 https://www.jimin.jp/aboutus/declaration/100285.html

その第6項目に、「独立体制の整備」がある。

平和主義、民主主義および基本的人権尊重の原則を堅持しつつ、現行憲法の自主的改正をはかり、また占領諸法制を再検討し、国情に即してこれが改廃を行う。世界の平和と国家の独立及び国民の自由を保護するため、集団安全保障体制の下、国力と国情に相応した自衛軍備を整え、駐留外国軍隊の撤退に備える。

佐藤健志氏は、改訂後の日米安保条約には、どちらか一方が解消の意思を示してから一年後、安保条約は消滅することを考え、遅きに失した感があるものの、その準備、つまり駐留外国軍隊の撤退に急ぎ備えるべきであると言って居る。 https://www.youtube.com/watch?v=FpGVxVgHCp0&t=955s

しかし、62年前から憲法改正と自衛軍保持を国家の必須要件と考えてきた政党が、そして、ほとんどの時間を与党として日本政治に君臨してきた自民党が、なぜその国民に対する約束を守らなかったのか?

もし国民の同意など得られそうにないというのなら、そして、その政綱が尚正しい方向だと思うのなら、一旦解党して自分たちの国民を説得する能力の無さ、無能さを恥じて、政治家をやめるべきではないのか。

高校や大学の授業でも、教師が本当に理解できていないことは、生徒に伝えられない。しかし、教師が本当に理解しているのなら、解説の方法を何通りか変えることでなんとか伝達できるものである。

つまり、自民党の政治家が、政綱の上記項目について62年間かかっても国民の理解を得られないとしたら、それは借りものの言葉を並べ立てて、政綱なるものにつくり上げたからであり、その本当の意味をかれら自民党議員も理解していないのだ。

その程度の国会議員からなる政党なら、62年間幻の政策を看板にしてきた大罪を、解党と政治家の辞任という形で償うべきである。

自前の立派な毛布を手配しているという空約束のリーダーを信じて、国民は借り物の毛布で長期間暖をとってきた。そのため、その毛布が借り物だったことも、外の寒さがどの程度であるかということも、今や判らなくなって居るのだ。

一旦裸になって、幾らかの凍死者をだしても、外の空気に触れるべきかもしれない。それを大寒波の来る前にやっておけば、自前の毛布を手配するべきだという空気が湧き上がり、ふさわしいリーダーがその中で選ばれるだろう。

日本の総理大臣は、核の脅威に対応できる安保体制を「具体的」に目指すべき

北朝鮮は大陸間弾道ミサイルの実験を今日未明に行った。安倍総理は、「政府としてはミサイルの動きを完全に把握し、危機管理に万全の態勢をとった」と強調した。そして、国際社会に制裁等の必要性を指摘し、「我が国はいかなる挑発行為にも屈することなく、圧力を最大限まで高めていく。引き続き、強固な日米同盟のもと、高度の警戒態勢を維持し、国民の命と平和な暮らしを守り抜く」と述べた。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171129-00000013-asahi-int

言葉尻を捉えるようだが、ミサイルの動きを完全に把握することが、何故危機管理に万全の態勢を採ったことになるのか、さっぱり分からない。用意万端、迎撃ミサイルを配備しても、そんなもので撃ち落とせるかどうかは運次第である。迎撃システムは抑止力にはならない。米国からイージスアショアを買うなんて補完的対策でしかない。

日本政府としては、国際社会と米国を頼みにするという表明以外に何も無いようだ。彼ら西欧人は、日本の上記のような言葉を聞いた時、すぐに「God helps those who help themselves」という言葉が頭に浮かぶだろう。そして、日本も北朝鮮の様に核兵器保持を始めることになっては大変だ。ここは、日本に調子を合わせて、「北朝鮮の核兵器保時を断固ゆるしてはならない。その為にあらゆる角度からの国際協調で、北朝鮮に圧力をかけるべきだ」と言って、日本の“国際協調とやらの音頭”に唱和しよう」というのが、本音だろう。

核兵器の脅威から日本を守るには、核兵器による抑止力しかない。迎撃ミサイルを持っても、電磁パルス攻撃には対抗できないし、単弾頭ミサイルや多くのミサイルの同時発射などを考えると、完全な防御は日本のGDP全てを費やしても無理だろう。ギャングのマシンガンに対抗するために、防弾チョッキや盾をもって対抗するようなものだ。

しかし、現在の米国の支配層(その番頭役が、キッシンジャーやCSISなどの戦略機関)は、北朝鮮の核兵器を容認しても、日本の核兵器は容認しないだろうと考えられている。そのような日米関係では、独自核武装は無理だろう。しかし、北朝鮮や統一朝鮮が核兵器を保持して、日本の最大の敵国となる環境には日本は耐えられない筈である。

日本の総理大臣たる者、それをどう避けるのか、具体的に模索すべきである。今回、折角北朝鮮がその機会を呉れているのだから、国際協調で北朝鮮に圧力をかけるための音頭を取るという類の馬鹿げたことよりも、日本に対して米国が持つ同盟の意志をこちらも強い意思を持って、確認すべきである。その第一段階として、例えば北朝鮮が核兵器の小型化と中距離弾道ミサイルへの搭載が確認された時点で、米国が日本において核兵器の共有に応じるという文書(安全保障条約の付則)に両首脳が署名するなどが考えられる。

更に、オーストラリアなど環太平洋諸国を対象にNATOと同じような条約に発展させることも考えられる。この種の考え(太平洋安全保障条約)には米国は反対であった。しかし、日本は「今回の事態を含めて現在の東アジア情況は、地域の安保体制を根本的に再考する時期だ」と表明すべきであると思う。

勿論、その件だけを考えて、イエスとノーの間の議論では拉致があかない。そこで、少なくとも日本には広い選択肢があることを米国にも示すべきである。つまり、ロシアとの北方千島領域での大規模な経済協力構想、更に中国との一帯一路構想への積極的関与などである。それらは、日本が独立国であり様々な選択肢を考えているという米国や世界各国に対するメッセージになると思う。

繰り返しになるが、現在の状況で、「政府としてはミサイルの動きを完全に把握し、危機管理に万全の態勢をとった」とか、「強固な日米同盟のもと、高度の警戒態勢を維持し、国民の命と平和な暮らしを守り抜く」というだけでは、日本国の総理としては不十分だと思う。また、そのような議論が国会で発生しないということは、日本の国会はまともな知性のあつまりだとは思えない。総理には、出来れば独立国としての姿勢を示しうる人物に、少なくともそれを目指してその出発点に立てる人がなるべきである。(午後3時40分編集)

2017年11月28日火曜日

日馬富士の暴行事件:相撲協会は刑事事件をもみ消すな

日馬富士が貴ノ岩に暴行した事件で、日本相撲協会は独自調査をしたいようだ。危機管理委員会というのがあるそうで、今回の事件を相撲協会の危機と捉え、その対策を練るらしい。http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3223316.html

しかし、障害事件の捜査や調査は警察が行い、司法が犯罪性の有無と、それがあれば犯人の量刑を判断することになる。それ以外が独自調査するのは、警察の依頼が無いのなら、警察に対する干渉(妨害)になり慎むべきである。相撲協会は何故、その様に考えられないのか不思議である。

この事件は、仕事がオフの時間帯に、外で起こったことである。関与したのが相撲協会に所属する人間である以外は、本来相撲協会とは直接的には無関係な事件である。その種の事件が起これば、相撲協会が打撃を受けるだろうが、起きてしまった事件はどうしようもない。

相撲協会は、関係者の処分を何れ検討するだろう。また、力士の教育プログラムなどを、事件を参考に再検討したいかもしれない。そのためには、事件の詳細が必要だろう。しかし、それは司法の判断が出た後に、司法機関から情報提供を受ければ良い。

また、その事件に関する相撲協会の調査に協力しないとして、貴乃花親方を叱責するような発言を、横綱審議委員会の北村とかいう委員長がしていた。これも、全くおかしい。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171127-00000223-sph-spo

繰り返しになるが、刑事事件の捜査は警察の仕事であり、相撲協会の仕事ではない。横綱審議委員会が日馬富士の処分などを議論して、相撲協会に進言するのは、警察が捜査し、司法が判断した後であるべきだ。その原則に沿って、第三者の聞き取り調査を拒否している貴乃花親方を叱責するのは、行政と司法の基本をわきまえて居ない。

これは想像だが、相撲協会は事件の詳細を警察より早く知り、現場にいたモンゴル出身の力士たちに口裏を合わさせて、事件を小さく治めたいのだろう。それは、警察への妨害行為であり、法の下の平等を無視したとんでもない行為である。

大相撲は国技だという法的根拠はない。仮に国技だとしても、日本相撲協会は治外法権を持つ筈はない。この件に関する日本相撲協会や横綱審議委員らの騒ぎ方は、無知と思い上がりが原因である。

2017年11月25日土曜日

世界の宇宙旅行計画とロケットの性能&アポロ計画との比較

1)BBCニュースによると、2016年の宇宙事業全体の規模は、金額で約36兆円だったという。その大半(75%)は現在私企業が行っている。http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-41383244

利用目的としては、通信、偵察、気象など本来政府が行うべきインフラ的なものが大きいだろう。更に、各種実験や天文学的観測などもあるが、最も大きな影の目的は軍事だろう。(補足1)私企業と言っても、政府の支援があってこそ可能なのであり、実態は私企業としての完全な自立を前提としない官民連携事業だろう。

しかし、上記考えに真っ向からチャレンジする計画がある。それは民間人を対象にした宇宙旅行ビジネスである。それは或いは影の目標を隠すための隠れ蓑かもしれない。兎に角、すでに数社が計画を発表しており、2-3年の内に民間人の宇宙旅行出発のニュースが世界に配信されるかもしれない。

尚、国際宇宙ステーション(ISS)を利用した宇宙飛行は既に、億万長者数名が体験しているという。ロシアの宇宙ロケットで従来の宇宙飛行士のように訓練をして、ISSに滞在する。費用として数十億円支払ったらしいが、これはビジネスと従来型の国営宇宙開発の中間的性質のものだろう。日本の代理店はスペーストラベル社である。http://spacetravel.jp/tours/orbital/

以下、民間人を対象にした宇宙旅行ビジネスを紹介する。

① 南アフリカ系の起業家イーロン・マスクのスペースX社(米国)は、火星移住計画構想を発表して話題になった。https://matome.naver.jp/odai/2135409072033199001また同社は、2018年中に月周辺に2名を送る計画だという。http://www.bbc.com/japanese/39111989

どうもこの会社の計画は過大宣伝というか、話題になることだけを狙っているような気がする。まともな理系の感覚を持った人間は、火星移住計画が21世紀前半に実行可能であるとは決して考えないだろう。また、月周辺への宇宙旅行は、NASAの協力で可能になったと書かれている。従って、月周回旅行が実現できないときに、NASAから十分な協力がなかったと言うつもりだろう。(補足2)

尚、別のニュースでは、「スペースXのイーロン・マスクCEOは野心的な期限を設定しつつもそれを守らないことで知られる」と書かれている。https://www.cnn.co.jp/fringe/35108421.html

② 一方、アマゾンのCEOで富豪世界一を争うジェフ・ベゾスのブルー・オリジン社(米国)も宇宙旅行を2019年4月までに実現する計画である。(すぐ上の①のサイト参照)100kmを超える宇宙空間に人を運び、頂上付近で弾道軌道に移り、無重力状態などを体験させたのち、帰還するという。6人ひと組みで宇宙に向かうという。運賃一人当たり25万ドル合計150万ドルでは、採算がとれないだろうが、最初の試みとしては理解できる。 http://sorae.jp/030201/2016_03_13_bo.html

③ 英国のコングリマットであるヴァージン・グループは、宇宙旅行のためのロケット(宇宙船)SS2を開発し、高度100kmを超える宇宙空間(補足3)への旅行の予約を取っている。料金は20万ドルで、名簿には日本人の名前(平松庚三、山崎大地ら)もある。SS2はグライダーに似た形を持ち、母船から発射されて滑空で帰還すると考えられる。(ウイキペディア参照

最初の旅行は、2018年末までに実現する予定らしい。これも、6人一組みで宇宙に向かうそうである。日本の代理店もあるので、関心のある方は、以下のサイトを見て欲しい。http://www.club-t.com/space/

尚、日本の私企業にこの種の野心的な試みがない。日本の企業の生命力というか発展する力の限界を感じ、ちょっと残念である。堀江貴文氏のチャレンジがあるが、宇宙ビジネスへの参加の試みはまだ非常に低いレベルにある。

2)ロケットの性能と月旅行の可能性:

以下に用いる略号をリストします。 :低高度地球周回軌道LCO;静止トランスファー軌道:GTO;RLG=LCOへの打上可能重量とGTOへの打上可能重量の比

スペースX社は、国際宇宙ステーションへの補給に自社の「ファルコン9」ロケット(直径3.66m、高さ70m)を使っているので、宇宙開発には実績がある。このロケットは中規模二段ロケットで、打ち上げ後に垂直着陸で帰還し、再利用可能なことで話題になった。LCOには28トン、GTO(補足4)には使い捨ての場合8.3トン、再利用する場合は5.3トン運ぶことが其々可能である。

一方、ブルー・オリジン社は「ニュー・シェパード」や「ニュー・グレン」といったロケット打ち上げシステムを開発している。これらも垂直着陸機能を持つと言われ、再利用によりコスト低減を図る。着陸帰還するのは第一段目である。ニュー・グレンは大型ロケット(直径7m,高さ95m)で、LCOに45トン、GTOに16トン運ぶことが可能だと公表されている。http://sorae.jp/030201/2017_03_08_glenn.html

SS2は既に述べたように、滑空で帰還すると思われるが、月旅行などを対象としていないので、ここで比較の対象にはしない。また、宇宙旅行のサービスはないが、日本の宇宙開発事業団(JAXA)最大のロケットH2B型(直径5.2m、高さ56.6m)の性能を見と、LCOに19トン、GTOに8トン打ち上げ可能である。

アポロ計画の時のサターンV型ロケット(直径10.1m,高さ110.6m:11282)だが、LCOに118トン、月周回軌道には47トン、其々打ち上げる能力があるという。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3V この47トンという数字だが、LCOへの118トンの打ち上げ能力から考えて、大きすぎるように思う。しかし、月着陸船が約15トンで、司令船と機械船の合計重量が約30トンなので、この数字以上なければ月着陸は不可能である。https://moonstation.jp/faq-items/f509

以上のロケットに関して、その打ち上げ能力を少し見てみたい。注目したいのは、LCOへの打上可能重量とGTOへの打上可能重量の比(RLG)である。そのRLGは、ニュー・グレンでは2.815(=45/16)、ファルコン9では2.75(=22.8/8.3)、H2Bでは2.375(=19/8)である。ところが、サターンVではそのデータは見つからなかったが、GTOへ運ぶよりも月周回軌道に運ぶ方が数十パーセント大きなエネルギーを要することを考えると、上記各社の値よりかなり小さな比が推定される。

3)エネルギー的考察:

地球の重力により1kgの物体が地上で受ける引力は、F=MG/R^2(^2は二乗の意味;F=9.8kgm/s^2)で与えられる。Gは万有引力定数、Mは地球の質量、Rは地表の地球中心からの距離は6400km(地球の半径)である。従って、地表面での1kgの物体の持つ位置エネルギーは、上式を無限遠方から6400kmまで積分すれば良い。簡単に-MG/Rが求まる。(補足5)

向心力=引力の式なども用いると、LCOに打ち上げた時に得る荷物の力学エネルギーは、1kgあたり0.5MG/Rであり、GTOに打ち上げる場合は凡そ0.85MG/R、静止軌道に打ち上げるのに0.925MG/R(補足6)、月の近くまで運ぶにはほぼMG/R必要であることがわかる。

現在各国が用いているロケットでは、RLGが2以上であるので、荷物に与える力学エネルギーを単位質量あたり70%増加させる(GTOに載せるため)ためには、積載する荷物を半分以下にしなければならないということになる。

その理由は以下の様に考えられる。ある軌道に荷物を打ち上げるには、荷物とロケットの両方が軌道に乗らなければならない。それは陸上輸送でも何でも同じである。ロケットを使い捨てにする場合でも、荷物に燃料を使い切ったロケット本体をその軌道に持ち上げるエネルギーも必要となる。

同じ単位質量あたりの力学的エネルギーを荷物(質量mで、()内は軌道を表す)と最終段のロケット本体(質量M)に与えると考えると、
RLG = m(LCO)/m(GTO)=1.7+0.7(M/m(GTO)) ———--(式1)
となる。(補足7)つまり、ロケット本体が質量ゼロの場合、RLG値は1.7となるが、ロケット本体がm(GTO)と同じなら2.7となってしまう。これが、上記多くのロケットでRLG値が2以上になる理由だろう。

月まで運んで周回軌道に乗せるには、地球の引力と月の引力が釣り合う峠を越える必要がある。そこまでの段階で単位質量の荷物が得る力学エネルギーは0.97MG/R位だろう。其処で、機械船、司令船、月着陸船が連結された形でロケット最終段から切り離されたとすると、更に減速して月周回軌道に入る時には、荷物1kgあたり必要なエネルギーはMG/R位になるだろう。(補足8)

つまり、LCOへの打ち上げ重量の118トンや、現在のロケットでそこから GTO軌道に上げるだけで搭載可能重量が40%程度に減少することなどを考えてみると、47トンはGTOへの搭載重量だろうと考えてしまう。つまり、サターンVで月周回軌道に乗せる重量は47トンには届かないだろう。また、月着陸船が用いたとされる、垂直下降して着陸する技術は、最近ようやくスペースX社やブルー・オリジン社が開発して可能になった。それが40年前に月でできたと考えるのは、楽観的すぎるとおもう。

アポロ計画の成果はデッチ上げである可能性が極めて高い。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2016/12/11.html

1)NASAの職員が語る宇宙開発の目的:http://toyokeizai.net/articles/-/13923 しかし、十分納得力のある内容とは思えない。
2)スペースX社から上記のような依頼があれば、NASAには断る理由がない。何故なら、アポロ計画で既に月に飛行士を送って、無事帰還させたことになっており、月周回は技術的には遥かに簡単な筈だからである。もし申し出を断れば、アポロの成果が捏造だったと認めることになる。
3)高度100km以上の上空は宇宙と見なされている。そこを外国のロケットが通過しても、領空侵犯には当たらない。(因みに、北朝鮮の東北上空の通過は、領空侵犯ではない。トランプ大統領の言うように迎撃していれば、北朝鮮に非難の口実をあたえただろう。)
4)静止軌道は高度36000kmの円軌道だが、遠地点が高度36000kmの図(1)の楕円軌道を静止トランスファー軌道(GTO)と呼ぶ。そこから、遠地点でロケット噴射をして速度を増せば、静止軌道に近づく。
5)従って、地球の引力圏から脱出させるには、MG/Rだけの運動エネルギーを与えれば良い。地球の重力加速度gは9.8m/s^2がわかっているので、v^2=9.8m/s^2*2*6400000m(*は積を表す)より、11.2km/sが得られる。これが宇宙速度である。また、36000km上空の軌道では、v^2=9.8m/s^2*2*(36000+6400)kmから静止軌道上での速度3.07km/sが得られる。
6)この場合、凡そMG/R*(1-6.4/42.4)にそこでの並進速度のエネルギー(小さい)を足し算した値となる。静止軌道の地球中心からの距離は42.4kmとした。更に、静止軌道上に上げるには、MG/R(1-3.2/42.4)となる。これは、静止軌道を回転する運動エネルギーを加算した結果である。従って、静止軌道に打ち上げるに必要なエネルギーは0.925MG/Rとなる。
7)LCOに荷物(重さ: m(0)+m(GTO))を運ぶ際、燃料が空になった最終段(重量(M))も運ぶだろう。GTOに乗る時も燃料が空になった最終段は同じだが、荷物の重量はm(GTO)だけになるとする。同じロケットで打ち上げるので、その両方でエンジンから投入されるエネルギーが等しいとすると、(式1)が得られる。
8)逆推進の際、姿勢制御が大事である。その為には、位置情報と姿勢に関する情報を正確に取得することが必須である。弾道軌道で月の近くまで来る間に、姿勢は軌道に沿っていないだろう(ロケットにはライフルの銃弾の様に軸方向の回転が加えられていない)。同じことが、地球帰還の際にも言える。上図の様に、NASAの計画では地球周回軌道に乗らないで、帰還することになっている。無理だろう。(補足8は翌日朝追加)

2017年11月22日水曜日

日馬富士の暴行事件について(2)

1)日馬富士が貴ノ岩を暴行した事件が話題になり、そのプロセスで依然として古い相撲協会の姿や、外国人力士の特殊性が徐々に明らかになっている。今放送中のテレビ放送のスクランブルでも話題になっているが、その中で、今回の事件はモンゴル人力士の間の派閥抗争的な面があるという新聞報道が紹介されていた。

貴乃花が現役で活躍した時期を最後に、大相撲の上位番付はモンゴル勢に占拠されている。そして、時々モンゴル勢の土俵上などでのマナーが問題になる。(補足1)それらは、大相撲を真面目に考える人には、看過できないだろう。つまり、現在大相撲は単なる人気格闘技になっているのである。その一方で、大相撲は日本古来の神事であり、その継承を使命としているが故に、日本相撲協会は公益法人となっている。

例えば、優勝力士の表彰での君が代斉唱の際、モンゴル人力士に”口パク”をやらせている。この木に竹を継ぐという状態は、相撲協会のあり方にも見られる。昔ながらの年寄制度で、引退後の力士の面倒を見るのは、限界がある。才能のある力士候補生の入門を国内で求めるには、昇進できなかった若者の再就職制度を考える必要がある。(補足2)

それらの改革を真面目に考えている代表的人物は、相撲協会内では貴乃花親方である。現在の執行部は、何もかも中途半端な状態で、古い体質のままに発展途上国や経済的に落ち込んだ東欧などから外国人を入れることで、なんとか大相撲を維持している。異なる文化の異国にあって、しかも数世紀前の古い体質のままの社会の中で生きる外国人には、ストレスも多いだろう。その様な大相撲の矛盾が、一点に集中したのが今回の事件の様な気がする。

この相撲協会にとってのピンチは、問題点を考えるチャンスでもある。その際、たたき台となる意見を出せるのが貴乃花親方だろう。時期巡業から貴乃花親方を外すなど、相撲協会は将来を考える時に欠かせない人物を除外する方向に進んでいるのは、情けない。

2)元に戻って、今回の事件の背景と動機について考察してみる。 動機は、何処か別の場所で下位力士との飲み会で、貴ノ岩が「もう、あの人たち(日馬富士や白鵬)の時代は終わった」という意味の言葉を喋り、それを聞いた力士が白鵬ら伝え、それに対して白鵬らは怒りを募らせていたというのである。(補足3)その話を翌日聞いた貴ノ岩は横綱に謝罪したと言われているが、それで治らなかったのだろう。

その後開催されたモンゴル人力士の懇親会で、日馬富士が説教をはじめたが、それを最優先しないで携帯にかかってきた電話をとって貴ノ岩が話をし始めたのが、横綱には生意気に映ったというのである。この部分だけを取り出して、前回ブログ記事を書いたが、それは一般論として正しいと議論だと思うが、この件の議論としては不十分であった。

同郷のよしみで集まった会合は、同窓会やクラス会的なものである。(補足4)そこには本来仕事場での上下関係は持ち込むべきではない。そのような現代的な考え方が、貴ノ岩にあったのではと想像する。しかし、それは古い大相撲の常識ではなかったのだろう。横綱と平幕の地位の差は、24時間中天地の差となって、力士を支配するのかもしれない。それに反発する貴ノ岩の考えは、合理的に考える貴乃花親方の考えが影響したのかもしれない。それは、モンゴル勢の中で浮いた存在であるとの指摘と一致している。

また、この件で貴乃花親方が何も語らないのも、その合理的判断が働いた結果だろう。つまり、暴行や障害事件の処理は、警察と司法であり、相撲協会ではない。相撲協会だけに、先ず協会で話し合って、収拾がつかない場合は警察の出番になるという、ローカルなルールを認めれば、「法の下の平等」という近代国家の大原則に反する。

3)貴乃花親方の相撲協会改革に期待する: 貴乃花親方が相撲協会に先ず被害の状況を報告すべきだったという池坊保子氏(相撲協会評議員)の意見がテレビ(スクランブル、ゴゴスマ)で紹介されていたが、この発言の趣旨は理解できない。その理由はすぐ上に書いた「法の下の平等」である。このような前近代的な意見しか言えない、不勉強な人間を評議員にすることに相撲協会の古い体質の一因があるのだろう。

また、スポーツ評論家の玉木氏は巡業中の出来事なので、巡業部長の貴乃花親方は責任追求されるべきだと言っていた。更に、守るべきは大相撲であるといっている。この人も池坊氏と同様に、法律も法治国家の原則も何もわかっていないレベルの人間である。巡業中だからと言っても、業務以外の時間はプライベート時間であり、その時間に街に出て生じた事件の第一の処理は、関係者個人と警察である。その後、第二の処理、つまり相撲協会でこの種の事件の防止や今回の協会としての処分を考えるのは、その結果が出たのちである。

日本の伝統としての大相撲を守るべきだと玉木氏は言うが、大相撲の古来の伝統はすでに破壊されている。つまり、異なった文化圏に育った外国人力士を大勢入門させ、その段階で相撲協会は伝統から営業優先に変化したのである。現状では、日本相撲協会の公益法人の資格を取り消すべきだと私は思う。税金を支払い、一般の法人として再出発すべきだろう。

もちろん、モンゴル人力士は優秀であり、現在では大相撲にはなくてはならない存在であるだろう。大相撲が国際的関係においても重要な役割を担っている可能性もある。日本相撲協会が国際化を含めて相撲のあり方とその組織の近代化を同時進行的に進めることができるのなら、公益法人としての役割を別の形で担うことができると思う。そのために、今回の事件を十分咀嚼してもらいたいと思う。それが出来ると思われる理事を拒否するようでは、相撲協会に将来はない。

補足:
1)プロレスの様に格下で弱いと思われる相手にも拘らず憎悪の感情を表に出した粗い相撲、懸賞金をガッツポーズで受け取る仕草、勝負が付いた後のダメ押しで相手を土俵下に突き落とすこと、などが指摘された。しかし、これは入門時の教育とその後の指導でなんとかなる問題だろう。
2)貴乃花親方は再就職の為の教習施設を考えていると昨日のテレビ放送で、あるコメンテーターが発言していた。
3)週刊誌にモンゴル人力士に派閥があるという記事が載ったと言う。貴ノ岩は他派閥の若い人に喋ってしまったのかもしれない。(全くの推測だが)
4)今回の事件の背景に、プロ格闘技に対する貴乃花親方の考え方があったのだろう。親方は、同じモンゴル出身力士であっても、互いに真剣勝負で明日にも戦う可能性があるのだから、本場所前に懇親会を開いて仲間意識を醸成するのは好ましくないと考え、貴ノ岩のその会合への出席に反対だったという。その様な考え方と、それに対してモンゴル勢の意見が割れていたこともこの事件の一因かもしれない。
その点について、野球界で活躍した長嶋一茂氏は、「真剣勝負で戦うことを前提に観客は相撲を見るのだから、その前に宴会を開いて仲良くしているのを知れば、相撲ファンは白けるだろう。プロ野球でも、シーズン中はそのようなことはしない。」と何処かで言っていた。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171117-00000045-dal-ent(このサイトは長島氏の発言を十分反映していないのですが、適当なのが見つからないので差し当たり引用します)

2017年11月19日日曜日

安倍総理のお友達優遇政治にウンザリ:基本的な問題と大きな問題

1)加計学園問題は、全国で獣医師が余っているにも拘らず、そして、その獣医学科の新設計画が不十分であるにも拘らず、安倍総理のお友達がその学園を経営しているという理由で新設認可をした疑いが濃いことである。

かなり前になるが、獣医師は足りているし、なぜ三流理科大の経営者に獣医学部新設をさせる必要があるのか、さっぱりわからないという趣旨の記事を書いた。(2017/5/24; 6/14の記事参照)

森友問題では、森友氏の処分は刑事罰まで進展しそうだが、それは森友氏とVIPとの友達関係がそれほど強くなかったからだろう。

安倍総理の支持する人たちは、弁護に詭弁を弄している。高橋洋一氏の下の発言もその一つである。学科の新設認可に関して、石破4条件を閣議設定したのだが、その4条件の成立可否に関する挙証責任が認可側にあるとして、加計学園側を支持しているのである。http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170722/soc1707220007-n1.html

石破4条件は、(1)新たな分野のニーズがある;(2)既存の大学で対応できない;(3)教授陣・施設が充実している;(4)獣医師の需給バランスに悪影響を与えない、の4つである。この4条件の内この部分が欠けていますと、新設不許可の理由として、文科省が示さなければならないのか、それとも申請側が4条件全てに合致していますと、示さなければならないのか、というのが挙証責任の問題である。

前川前文科省事務次官は、申請者側にあると発言したが、高橋洋一氏がそうではなく、文科省側にあるという意見であり、それが上記ZAKZAKの記事内容である。その中で、高橋洋一氏は、我々国民を馬鹿にしたような理屈をあげている。

それは、「4条件の挙証責任は文科省にはないという立場だ。実際、前川喜平・前文科事務次官ほか、文科省関係者はそう主張する。しかしこれは誤りだ。文科省の学部新設の認可制度は、憲法で保証されている営業の自由や職業選択の自由を制限するので、挙証責任は所管官庁の文科省にあるのだ。」というものである。

トンデモナイ屁理屈としか言いようがない。大学設置を何かの商売と混同しているようだ。大学の運営は、国家から巨額の支援金が支払われる公益事業である。申請者がこのように条件にあっていますと立証するのは、当然である。いい加減な申請書を出して、どこに不適合があるか立証しろと居直る権利は、総理の友達だとしてもない。

最近の報道では、その申請書類も相当酷いもので、その4条件に合っていないという例もかなり挙げられている。例えば、その獣医学部の“目玉施設”では、通常生体を用いるところをぬいぐるみを用いて実習するのだという。 http://news.livedoor.com/article/detail/13898064/ 高橋洋一氏には、この記事を見て、反論してほしいものだ。

そういえば、内閣官房参与という職を、お友達の失業対策に使っているという疑惑もある。その種の問題を取り扱う正規職員(大臣等)は、官房参与に任せて遊んでいれば良いということだろうか?兎に角安倍総理の権力があれば何でもできるという考え方は、どこか隣の国のトップのやり方に似ている。内閣を構成する人や、評論家までイエスマンに成り下がっている。https://news.yahoo.co.jp/pickup/6261662

2) 加計問題や森友問題は、安全保障などの問題に比べて小さい問題である。しかし、日本国の政治のあり方(安倍政治のあり方)という、根本に対する問題である。この件、優れた政治評論家である馬渕睦夫氏などでも、大きな問題に目が眩むのか、何の疑念もないと言い放つ。

どんな大きな装置でも、ネジの規格が合わなければうまく組み立てられない。日本においては、公平性は政治と日本国民全との間を繋ぐネジのようなものである。森友問題と加計問題は、その国民と政治を繋ぐネジが古いアジア的なコネなのか、日本や欧米のような法令に基づく公平性なのかに疑念を抱かせる問題である。ネジが混在していては、大きな装置である国家全体の政治が組み立てられなくなると思う。それがコネなら我々庶民は政府に対して、そっぽを向くだけだ。

最高裁は、行政のすることに違法性や違憲性の判断をすることのない、サラリーマン的判事が構成しているので、この国では司法は正常に機能していない。それも、最も近い国とよく似ている。(2017/10/24の記事参照) だから、国会で追求するしか方法がない。

安全保障という大問題を持ちながら、くだらない議論をしなければならないのはこの国の不幸である。

2017年11月18日土曜日

日本が普通の国になるためには、不当な米国の日本敵視を無くさなければならない

1)米国が、西太平洋地域での覇権を失うとすれば、現在の米国の属国的な位置から静かに逃げる道を探さなければならない。もし、米国が不死鳥の様に、太平洋地域で覇権を維持出来ると考えた場合、そして、日本が米国と同盟関係を深化させることで、この地域で日米同盟を命綱的にして生き残る方針なら、その鍵になるのは米国と日本の相互理解が今までとは違った次元に深まるかどうかである。

また、仮に日米同盟を当てにしないで、生存を図る場合でも、米国と友好関係を保ちながら独自の軍事力を整備し、国家としての体制を作り上げることが大切なステップであると思う。しかしながら現在、親米国の日本は、米国にとっては仮想敵国であると思う。米国の中枢は、たとえ朝鮮が核武装しても、日本だけに核武装はさせないと考えている。つまり、キッシンジャー&ニクソンの訪中のときの密約は未だ健在だとおもわれる。(http://blog.nihon-syakai.net/blog/2007/10/493.html

米国在住の国際政治の専門家である伊藤貫氏は、2013年夏の西部邁氏との討論で米国国務省のアジア担当官の半数は、日本の憲法改正にすら反対していると言っている。https://www.youtube.com/watch?v=DLrGGEymC8Q (24分以降)その後、安倍総理や日本への印象が変化した可能性はあるが、核保持に反対する態度は変わっていないと思われる。

上記動画の中で、例えば中国と米国で太平洋を二分するという話になった場合、日本は単なる搾取の対象となる可能性大だそうである。それは、日本とロシア(ソ連)に挟まれた朝鮮の様であり、ドイツとロシア(ソ連)に挟まれたポーランドの様でもある。伊藤氏の発言によれば、米国の覇権が東アジアに残る可能性は殆どゼロであり、日本の環境は当にその方向に進んでいる。

何れのシナリオでアジアの歴史が進行するとしても、日本は近代史の総括を行い、世界の歴史認識とこれまでの日本の歴史認識のズレを客観的な視点でレビューしなければならないと思う。勿論、国が違えば歴史認識が違うのは当然である。しかしその違いは、「国家が自国の尊厳を維持し、今後の繁栄を目指すのは当然である」という観点から、他国が理解可能な範囲になくてはならない。

つまり、世界に主張可能な歴史認識を持てば、少なくとも話の通じる相手であると認識され、普通の国家となる障壁は低くなるだろうと思う。しかし現状では、日本の保守勢力の歴史認識は自分勝手なものであり、且つ、野党勢力の歴史認識は全く売国奴的であるので、何れも日本国が世界に主張すべきものではないと思う。

2)日本が世界の中で生きていく為には、世界の標準的な歴史認識の方法を持ち、それを前提にして普通の国としての要素を持つことが必須である。それら要素は、経済力、軍事力、それに固有の文化と価値観である。(上記動画での西部邁氏の解説参照)それは、一人の独立した人間の要素と同じである。しかし、現在の政権政党右派の歴史認識は、我が国国民一般のものとはずれていると思う。そして、それは江戸時代までの伝統的文化や価値観に根ざしては居ないと思う。

右派民族主義者達は“明治維新”は日本の歴史的快挙であり、その結果西欧の国民国家と同じタイプの国家が出来上がったと主張するだろう。しかし実際は、 “明治維新”の主人公である薩長土肥の武士たちと下級貴族らが天皇を利用してクーデターを起こし、新しい貴族階級を形成して作った専制の帝国主義的国家であった。そこでは、国民は国家を担うという意志のないままに、強制的に兵士として駆出された。(次のセクション参照)

つまり、暗黒の江戸時代の戸を開け、やがて新貴族になる人たちによって行われた政変を一種の市民革命であると考えるのは偽造史観であり、それを作り上げ守り通したのは、現政権までの150年間日本政府の中心にいた上記新貴族とその子孫たちであると思う。(補足1)

中国侵略からの“大東亜戦争”は、欧米列強からの防衛と大日本帝国の生存空間の拡大であったのは事実だろうし、それを現在の価値観で非難するのは可怪しいだろう。ただ、それを「西欧の植民地主義をアジアから排して、大東亜共栄圏を構築することであった」と主張するのは、説得力に乏しいと思う。そして、そのような計画は、右派の人たちの主張と違って、国民の総意に基づいたわけではなく、当時の軍事独裁政権が作成したものである。

歴史を後から裁くのは、愚かなことであると一般に言われる。それは、歴史は事実と事実をつなぐ物語であり、その物語の書き方は主観的であるのは当然であることと、判断ミスまで裁くのは神以外は不可能であるという主張が根拠だろう。その部分について裁くのは確かに愚かなことである。しかし、事実を偽って書いた歴史を裁くことは、まったく正当な行為である。

歴史認識問題で最も象徴的なのは、靖国神社に対する姿勢である。大陸侵攻も、痛々しい敗戦も、伴にその軍事独裁国家の中心人物たちが主導したのであり、その責任を負うべきである。靖国神社には、その本来責任者として弾劾されるべき人たちが軍神として祀られている。上記明治の新貴族に由来する民族主義者達(=上記右派民族主義者)が何と言おうと、普通の日本人の感覚なら、軍神として祀られる優先順位は将軍が最上位であり、佐官、尉官が続き、兵士は最下位である。従って、靖国参拝は、戦争責任者である将軍たちを崇拝すると解釈されるのは当然である。(補足2)

米国が日本との同盟を、属国と宗主国との同盟から普通の国の間の同盟に(考えを)変換する際の最大の障害は、日本の明治以来の支配層とその延長上にいる現在の上記民族主義的勢力だと思う。彼らの多くは現在、米国との同盟関係を実利の面から支持するだろう。しかし、同時に彼らはより深いところで、米国を敵視している。米国が日本を不審感を持って眺めるのは、その右派勢力から与党勢力に広がる民族主義的傾向であると思う。

つまり、日本が世界の中で生きていく為には、保守主義者一般と右派の薩長土肥歴史観に基づく民族主義者たちの区別化、つまり、分断が大切なステップだと思う。そして、新しい上記民族主義者以外の保守勢力をつくることが大事だと思う。

3)日本人に帝国を担う意識はなかった:

西欧諸国では、王族支配に反発して市民戦争を経験し、その結果として国民国家の実体と概念を対で得たが、日本はそうではない。江戸時代には、殆どの日本人は地元の殿様(=王)の下で、革命の気配など一切なく暮らしていたのである。幕末の政変は、薩摩と長州の両藩と京都の下級貴族が中心になって行った倒幕(クーデター)であり、国民が立ち上がった訳ではない。彼らは、外国の力(英国)と知識を、幕府よりもそれ(フランス)を有効に利用することに成功した。(補足3)

明治以降、日本列島の住民は、天皇の臣民という形で大日本帝国の国民として訳も分からない内に入れられた。支配層民族主義派は、それをあたかも市民革命の結果獲得したかの様に記述し、歴史の捏造をしたであった。明治維新を下級武士達が達成したという、“下級武士”という表現もその為に用いただろう。実体は、身分は兎も角、殿様の高い評価を得た武士たちであり、殿様の意思が全く働かない訳ではなかった。実際、長州の殿様は、彼らの立案した方針を「そうせい」と命令形で承認していたので、“そうせい候”と呼ばれていた。

つまり、国民国家が前提の「戦争も外交の延長である」という西欧の政治思想など国家の“主人公でない国民”に理解出来る筈はない。米国の支配者たちが考える、或いは考えたい、原爆が軍事独裁の全体主義国家を退治するために使われたという論理も、同様に理解出来るはずはなく、原爆による被災を単に天災の一種と感覚的に把握しているのである。それは、昨年広島でオバマ米国大統領と原爆被爆者との間の抱擁が証明している。その感覚は現在でも全く変わっていない。あの光景は、被災者と米国は直接の敵ではないことの一つの証明である。

つまり、日本国民の多くが「戦争だけは避けなければならない」と考えているのは、単に平和主義を採っているからだと考えるのは間違いである。そもそも国家を自分たちが構成しているという意識などなく、国家が行う外交と自分たちの生活の間の関係についても、現実的にシミュレートする頭脳の活動は全く無いのだ。つまり、戦争は上記のように日本国民にとって天災と同じであり、自分たちの意思が反映した結果だとは考えていない。(補足4)

一方、日本の上記民族主義者、つまり右翼の人たちはそうではない。彼らは、明治の政変を国民国家の創生と捉え、明治維新と呼ぶ。明治の政治を立憲君主制とし、議会は民意を繁栄したもので、過去の戦争遂行も全て日本国民の総意と考えている。そして、東京裁判で戦争犯罪人とされた全ての人の名誉回復に努力し、彼らの全てを靖国神社という国営慰霊施設を兼ねる神社に祀った。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2013/08/blog-post_29.html

日本の政権与党と政治評論家のかなりの人々は、この民族主義的な人たちを多く含んでいる。彼らは、靖国神社に参拝することを義務と考えているのである。しかし、それは米国が主張する対日戦略の“正当性の全て”を否定することになる。そのように米国が日本の政権与党を構成する人たちととそのブレイン達をを考える限り、米国は真の同盟国として日本を受け入れないだろう。

(以上は、理系人間のメモです。批判等歓迎します。)

補足:

1)現在の安倍総理や麻生副総理、その祖父に当たる岸信介と叔父の佐藤栄作、戦後長期政権を担当した麻生の祖父の吉田茂など、薩長土肥の侍の子孫である。勿論、これは事実の列挙であり、現在の安倍政権を批判している訳ではない。

2)右派民族主義者たちは、靖国神社を国家を守るために命を捧げた兵士たちを祀る施設であるという。しかし、敗戦に至る指揮をとり、兵士の命を消耗品の様に扱った人たちを何故祀るのかという問には、まともに答えない人が殆どである。更に、その時の国家は、日本列島の住人を真に代表したものではないにも拘らず、「日本列島の住人全てとその住処」と同一視している。

3)日本にとって幸運なのは、諸外国にとって日本は侵略する魅力に乏しい上に、軍事力としての武士は勇敢だったことである。その武士団と武士が構成する優秀な官僚団は江戸時代までに作られたものである。江戸時代を低く評価して敎育するのは、明治のクーデターを美化するためである。

4)従って、大日本帝国と当時の国民との関係は、支配者と被支配者の関係であった。敗戦後、米国マッカーサー将軍を簡単に受け入れたのは、国家の敵将であっても、国民にとっては支配者の交代に過ぎないからである。現在でも国家に対する関心は薄く、国政選挙は単に芸能人やスポーツ選手の人気投票の感覚か、幾分意識の高いレベルの国民でも、議員となるべき人間をその能力ではなく、日常生活の中でその人物の行動を想像して、より好ましい“人格”を目安にして選んでいる。

2017年11月16日木曜日

日馬富士の暴行事件について:言葉の暴力と身体的暴力

1)ここ二三日、一番話題に上っているニュースが、横綱日馬富士の貴ノ岩に対する暴行事件である。モンゴル出身力士の懇親会で、貴ノ岩が非常に失礼な言葉を横綱に対して浴びせたことが暴行に至った原因のようである。法的な処罰は、違法行為を行った日馬富士が受けることになるだろう。

この事件はテレビなどで頻繁に放送されているが、その捉え方は、相撲協会の隠蔽体質だとか、相撲協会や所属部屋の親方の責任や謝罪などに、拡散している。しかし、この件は個人的犯罪であり、今後責任問題に関係するのは、基本的には被害者と加害者の二人と、法的処分をする国家だけだと思う。相撲ファンや相撲部屋の親方の介在する余地はあまりないと思うし、そのように問題を広げるのは日本の悪習であると思う。

今朝のとくダネ!でも、司会を補佐する人間が、親方が相撲ファンにまだ謝罪していないことを問題視していたが、そもそも親方に謝罪する義務など全くない。モンゴルでも報道されており、一部にはモンゴル人の横綱が多いので、日馬富士を追放する陰謀だと言う意見を紹介しているものもあると報道されていた。兎に角、報道機関というのはどの国でも、煽って視聴率を稼ぐことばかり考えているようだ。

この国では、組織に属する人間が個人的な事件を起こした時でも、組織のお偉方が揃って頭を下げる場面がよく放送される。そのようなテレビ放送を見る度にうんざりした気分になる。普通、謝罪とは責任を認めることであり、責任を認めることはそれに対する償いの義務を負うことと捉えるだろうが、この国では問題を小さく治めるために謝罪するのである。(補足1)

この件も、手続きに従って処分をして、あとは当事者に任せることで十分だと思う。そして、今後相撲で頑張って欲しいと思う。彼ら当事者にサジェストするとすれば、今後閉鎖的な場で、アルコールは飲まない方が良い。

また、横綱もそれ以下の地位にある相撲取りも普通の人間であり、大相撲を殊更神事と考えることは時代錯誤的だろう。相撲協会が、それらの刑事事件を隠蔽することがあったとしたら、それは無くすべき古い体質だが、それを殊更相撲協会全体の問題と考えることもまた無くすべき別のタイプの古い体質である。

2)この事件だが、一方的に日馬富士の方に非があったとは言えないと思う。つまり、貴ノ岩の言葉の暴力が、日馬富士の物理的暴力となって返されたのだろう。言葉のやり取りが、傷害事件に発展したことは、彼ら二人には本意ではなく不幸なことだったと思う。

似たケースで思い出すのは、セレブ達が集まったパーティー(米国)で、デビ・スカルノ夫人によるフィリピン大統領の孫娘だったミニー・オスメニャに対する暴行事件である。https://matome.naver.jp/odai/2139040955692250701

デヴィ夫人は喧嘩の原因として、「ミニーが自分を娼婦(Whore)呼ばわりしたため」と主張したという。失礼な発言をした方はその瞬間はスッキリするだろう。しかし、それを許さないでシャンパングラスで相手を殴ったデヴィ夫人の気持ちも分かる。

現在の法制度では、そのような発言があったとしても、それを処罰する法令はない。しかし、言葉であっても、個人の尊厳を汚した人間には処罰が加えられるべきである。その場合、自分の尊厳を守る意味で国家による処罰を覚悟して、相手を殴るしか処罰の方法はない。

つまり、肉体的な暴力は絶対にいけないが、言葉の暴力はやりたい放題ではない筈である。勿論、喧嘩両成敗が正しいのだが、現行制度でも暴力を振るった方が刑事罰を受けることで、解決すれば良いと思う。ただし、その後加害者に関係する組織が他の罰を加えるには、慎重に考えることが条件である。

日馬富士と貴ノ岩のケースで説明すると、日馬富士がうける処罰は、貴ノ岩の痛みと怪我と九州場所からの欠場という損害とバランスが取れれば良いということである。それ以外のところに、大きな痕跡を残さない様にすべきだと思う。相撲協会が受ける損失など計算できない部分の責任も、事件化した日馬富士が負うべきだろうから、相撲協会が出場停止などの処分をするだろう。それだけをルールに従ってすることが、相撲協会の仕事だと思う。

因みに、言葉の暴力は現在ハラースメントという範疇に入れられている。ハラースメントだけでは法的に罰することは難しい。法的に罰せられない悪事は、普通、社会から例えば人事面での冷遇などの法的でない処分を受ける。

閉鎖空間では、そのような処分が期待できないので、ハラースメント的暴言が炎上的に連続して、最終的に物理的犯罪に至る場合が多いと思う。従って、トラブルが考えられる人の集まりは、閉鎖空間に閉じ込めないで、出来るだけオープンな空間を利用することだろう。

言葉でのハラースメントとそこから発生する上記のような事件は、完全に無くすることは不可能である。従って、言葉は場合によっては相手の尊厳を汚す暴力となること、従って、個人的な話題に関しては、相手の情況などを考えて慎重にするべきであることなど、年少時によく敎育すべきであると思う。

勿論、社会についての基礎を敎育すべきことは言うまでもない。それらは、現在の社会は独立した個人によって成り立っていること、個人の間の信頼は社会のインフラであること、言葉でも身体的なものでも、暴力はそれらを破壊することである。

(以上、17日早朝に加筆修正しました。オリジナル・バージョン(11月16日)は、https://ameblo.jp/sakizakimademo/entry-12328800176.htmlに残します。)

補足:
1)この国では多くの場合謝罪と許しがセットになっている。従って「こちらがしっかり謝罪したのに許さないあいつはけしからん」という、会話が成立する。

2017年11月14日火曜日

米中の覇権の中で日本はどう生きるか:問題点の整理

1)あるブログサイトに青木直人著「田中角栄と毛沢東」の紹介記事を見つけた。印象的なのは、日中国交回復の際の毛沢東と田中角栄との会談の様子である。すこし長くなるが、それを紹介したい。

毛沢東から招かれた時、田中角栄は護衛官抜きで、大平正芳、二階堂進とともに会った。護衛官は、一緒に行くことを主張したが、田中は「ここまで来れば煮て食われようと、焼いて食われようと、いいじゃないか」と云って、ニッコリと笑った。

毛沢東の家でのやりとりは以下のようである。相手の品定めかも知れないが、雑談的な話の後毛沢東は「田中先生、日本には4つの敵があります」と切り出した。「四つの敵」という言葉は、中国を訪問する前に行われた外務省のブリーフィングで、何度も聞いていた言葉だったから、田中は内心くどすぎると思った。「アメリカ帝国主義」、「ソ連修正主義」、「日本軍国主義」、「日本共産党宮本修正主義」の「四つの敵」は、中国革命外交のキーワードだった。(補足1)しかも、日本の軍国主義については、中国訪問の当日からさんざん説明し、中国側の理解も得たはずのテーマである。

だが、毛の口から出た「四つの敵」は田中の想像を裏切るものだったのである。指を折りながらその4つをあげた。「最初の敵はソ連です。」それから、アメリカ、ヨーロッパ、そして最後に、中国の名をあげた。(補足2)毛沢東は、田中に本音のレベルの話ができる能力をみて、それをぶつけたのである。

そして、世界中を敵に回して負けたヒットラーと東條英機を馬鹿な男と評し、「あなた方は、もう一度ヒットラーや東條の選んだ道を歩むのですか。よく考えなければいけません。世界から孤立して、自暴自棄になって自滅するのですか。アメリカ、ソ連、欧州、そして中国、この四つを同時に敵にまわすのですか」と言った。

その先の会話をブログのオーナーは推理している。「今後の世界は、アメリカ、ソ連、欧州、中国が基軸になる。この4大国は歴史的に見ても相容れず、今後とも協調しつつ対立していくだろう。そこで日本はこの4大国とどう関わり合うか、それが問題である。4大国全てと仲良くできそうにない。どちらかの陣営と連合する以外に生き延びる事ができない」と。http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/phirosophy_higekisei.htm

2)毛沢東の指摘は、ソ連がロシアに変わったとしても、本質的に正しかった。日本を取り巻く情況は、現在もその時の情況と全く変わっていない。キッシンジャーが「ジャップめ」といって、日中国交樹立を悔しがったことがよく知られているが、それも毛沢東の予言した範囲内であった。しかし、その本当の意味を探らず、単にキッシンジャーを「反日ユダヤ人」ときめつけて納得して済ませている人が多い。(補足3)

日本は、田中角栄がアメリカに潰されてから、アメリカを選択したかのようにアメリカ追従を続けているが、アメリカはそのようには受け取っていない。米国に本音を聞けば、「日本が我々アメリカと組んでいると思ったとしたら、思い違いだ。日本は、単にアメリカの属国として甘えているだけだ」と言うだろう。日本経済の長期低迷を失われた20年というが、政治的には田中以降でも失われた40年である。

上記、毛沢東が田中に言った問が、北朝鮮問題を契機に45年後のこんにち、日本の喉元に突きつけられたナイフの様に不気味に姿を現した。2006年の北朝鮮の最初の核実験のときに、米国ライス国務長官が飛んできて「日本は米国が守る」と発言した時にも、目の良い人にはそのナイフは明確に見えた筈である。そして、そのライス長官の言葉を「日本は、米国の属国(敵国)にすぎません。決して、核武装はさせません」と翻訳できた筈である。

このままでは、米国が何と言おうと、米国の覇権ラインが近いうちに第二列島線まで後退するのは必至である。そこで日本のとる戦略は、米国に協力して米国圏のフロンティアになるか、北方から降りてくるロシア圏のフロンティアになるか、中国圏に入るか、それとも十分な独自防衛力を持ちどの勢力圏にも入らないか、その四つの道の中の一つだろう。しかし、どれをとってもかなり困難である。なかでも自主独立は、毛沢東の指摘通り殆ど不可能である。

国際正義と信義に基いて、非武装中立を貫くという選択は、よほどの幸運に恵まれなければ成立しないだろう。それを訴える政党やその支持者が、今でも日本に1/3位は存在する。地球上での争いは常に存在しているが、日本がその争いから避けられる位置に今後とも座り続けるという可能性はないだろう。

田中角栄なら、毛沢東の言葉を心に刻み、差し当たり米国への依存を減らすべく独自防衛の道を模索しただろう。何れかの領域の中で生き残ると決断しても、独立国としての一定の体裁を整えなければ、そこへの移行は不可能だからである。属国のまま存在し続けることもまた不可能である。属国は家畜と同様であり、売られるか、屠殺されるかしかない。日本はアメリカの愛玩動物であると思うほどの馬鹿は、流石に居ないだろう。

3)米中露の覇権が錯綜する西太平洋地域において、自主独立が許されるのならその単純さは魅力的である。しかし、上に述べた様に、そして、毛沢東が45年前に予言したように、まわりの大国に妨害され、自主独立の必須条件である独自核武装など日本には許されないだろう。(補足4) 何れにしても、米中の反対を巧みに躱しながら、憲法9条の改正から、再び国家としての威厳を取り戻す位は実現しなければ、日本に将来はないと思う。

その次に、将来の米中露の西太平洋地域における力のバランスがどのようになるかについて、日本は考えなければならない。もし、真の意味での日米同盟が構築され、且つ、日本の協力があれば、①米国が今後とも西太平洋地域で覇権を維持出来ると考えるのか;或いは、②米国は何れ第二列島線まで20年位の間に後退するのかの予測を立てる必要がある。それには、米国の能力と意思の両方を読まなければならない。

①の場合、現在の延長線上で考えれば、米国に協力して米国覇権のフロンティアになることが、活性化エネルギー(つまり超えるべき峠の高さ)が最少の道である。しかし、その場合、日本が米国と同盟関係を本質的なレベルまで深化させることが可能かどうかについて、考察する必要がある。つまり、米国が日本を仮想敵国から永久除外し、真の同盟国と考えることができるかどうかである。それは、米国が日本での核兵器の共同管理に同意できるかどうか、或いは、日本の核武装に同意出来るかという問題とほとんど同意である。

真の日米同盟には、歴史問題の克服が必要である。日本は、中国や朝鮮と歴史問題を抱えているので、相互理解が困難だと言う言葉は頻繁に聞くだろうが、日米の間の歴史問題についてはテレビや新聞ではあまり語られない。しかし、日米同盟の深化を達成するための日米間での歴史問題の克服は、中国とのそれよりも遥かに困難だと思う。

歴史問題を簡単に言えば、それは終戦前の半年間に行われた都市部空襲、中でも原爆投下に関して、日米両国間に存在する不幸な歴史である。更に、東京裁判という形での米国の日本に対する復讐劇とその判断の正当性を押し付けた戦後占領政治は、両国間関係に消し去る事ができないほどの傷を残した。それは現在、日本では乗り越えられている様に見えないことはない。しかし、米国在住の政治思想家の伊藤貫氏によると、池田内閣以降、日本政府は忘れた振りをし、経済を優先する道を選択しただけだと説明している。https://www.youtube.com/watch?v=Xx_tsuvu9i4(補足4)

②のケースでは、西太平洋の覇権を埋めるのは中国である。この場合、中国の覇権内で日本が生きる道を探し出さなければならない。そして、米国覇権内の属国的身分から、どのような身分で中国の覇権内に移動するかが問題である。その際、米国は日本から吸い取れる利益は全て吸い取ろうと努力するだろう。もし、米国が②のケースを想定しているのなら、その対日政策は既に始まっているかもしれない。

以上、問題点の整理をしたが、夫々についての考えについては、今後出来れば書いていきたい。

補足:
1)http://www.econfn.com/iwadare/page157.htmlにその4つの敵が解説されている。田中角栄は、毛沢東に本音をぶつける気にさせたのだった。
2)中国にとっては、第一の敵はアメリカ、そして、ソ連、ヨーロッパ、インドとなっただろう。
3)http://www.mag2.com/p/news/250663/2
4)伊藤貫氏の「核武装なき憲法改正は国を滅ぼす」という本に記載されているとおり、自主独立には核武装は必須である。
5)伊藤貫氏と西部邁氏の討論、「国家に必要な3つの要素」において、経済力、軍事力、価値観をあげている。価値観とは、国民が持つ形而上の価値、或いは哲学と言えるだろう。人間に必要な形而上の価値としての、独立心(independence)、尊厳或いは自尊心(degnity)、完全性(integrity)を現代の日本人忘れていると分析している。

2017年11月13日月曜日

「国際間は野生の原理が支配」を安倍総理はわかっているのか?

野生の原理は、強いものが残り弱いものは滅びるという生存競争の原則である。そこには善悪や正邪はない。国家間は、本質的にその野生の原理が支配している。国際法という申し合わせは、「法」ではない。「法」には、権威と権力が背後になければならないからである。

つまり、北朝鮮が日本国民を拉致したと、国際法違反だとか言って騒いでいる連中は、本当は何も分かっていない。自国民を守れなかった日本国が悪いのであり、取り返すべく戦わなかった日本国が悪いのだ。約束違反だという場合の根拠とすべき、日朝条約もない。国連憲章に違反すると言っても、国連軍は動いたか?動きはしない。つまり、国連は仲良しクラブに過ぎないのであり、国際法を法たらしめる権威も権力もないのだ。 

日本国民だけでなく、政治家(外国の意思で動く人を除く)も殆どが、その原理原則が判っていないようだ。政治家で、何かあると国際法を持ち出す連中は、それが判っていないことを白状しているのだが、同様に判っていない人間には気づかれないだけである。 

安倍総理が「北朝鮮へ圧力と制裁を」と国際舞台で各国首脳を説得しているのは、日本政府の発言として非常に違和感がある。それは、米国指導部の総意として、日本政府に核兵器を装備した独自軍を持っても良いという意思表示をし、それを予め国際的に明らかにしていないからである。(補足1) 

もし、米国が言うように北朝鮮が中距離核ミサイルまでを持っているのなら、日本国に北朝鮮軍とまともに戦う力などない。日本国民の1000万人が殺されても良いという覚悟を持って、米国の下働きをしているのだろうか。安倍総理はその点を十分承知していないのではないかと、国民の一人として危惧する。

トランプ大統領が、「日本は武士の国だから自分で北朝鮮を叩く可能性がある」と中国向けに言った。しかし、新聞などでは、これが重大発言のようには取り上げられていない。もし、米国が中距離までの核ミサイルを北朝鮮が既に配備していると考えているのなら、その発言は日本国民の米国への期待を裏切るものである。 

それらのことを総合すると、馬渕睦夫氏がチャネル桜などで言ってきたことは間違いだということになる。つまり、トランプは日本にとって歓迎すべき大統領ではない。そして、トランプの下で働いている様な安倍総理の発言は、日本の総理としてふさわしくないことになる。 

今回、あまり長い文章を書く気がしない。以下に引用の伊藤貫氏と西部邁氏の討論の動画を見て欲しい。伊藤貫氏の本、例えば「核武装なき憲法改正は日本を滅ぼす」(正確ではないかもしれない)などを既に読まれた方にも、推薦する。

伊藤貫「米国は中国人朝鮮人が核をもっても日本人だけは絶対ダメ」と題する動画: https://www.youtube.com/watch?v=2JV_UPDjW0U&t=651s それに伊藤貫氏の出演する同じシリーズの動画: https://www.youtube.com/watch?v=Xx_tsuvu9i4 など、勉強になる。

補足(追加:11月14日早朝)
1)ルトワック氏か誰かが、(アメリカの利益を考えて)核武装ではなく敵基地攻撃能力が大事だとテレビか何かで言っていた。しかし、それを日本人は信じてはならない。核武装は使わなくても効力を発揮するが、敵基地破壊能力は使わなくては何の効力もない。その効力の差は、前者が人民に直接恐怖を与える能力があるからだ。

2017年11月12日日曜日

米中の覇権争いと北朝鮮問題、日本の今後

1)世界には、現在二つのタイプの争い(又は戦争)がある様に見える。内戦或いは部族間闘争的なものと、覇権の戦争(争い)である。覇権の争い(以下覇権戦争)は、世界の幾つかの大国(覇権国)が、その経済圏や軍事圏の中に他国を組み込む際の争いと定義できると思う。勿論、明確に分けられないので、覇権戦争が部族間の争いとして表面に出ることもある。

覇権国間の戦争は冷戦として進む事が多いが、戦闘になれば大きな被害を覇権の境界領域で引き起こす可能性がある。北朝鮮の問題(紛争?)も、覇権戦争である朝鮮戦争が出発点であり、その延長線上で考えなければならない。何度も書いてきたが、日本の報道はその視点を無視したものが殆どであり、それは日本にとって致命的かもしれない。朝鮮半島の次は日本がその舞台となる可能性が高いからである。今回その視点で、朝鮮の部分をまとめてみたい。

改めて覇権戦争を定義すると、それは世界の幾つかの国家を舞台とする安全保障や物質及び金融経済の利益を巡る覇権国の影響範囲を巡る争いである。北朝鮮を囲む3つの覇権国は、中国、米国、ロシアである。(補足1)その中で、ロシアは現在若干オブザーバー的であり、北朝鮮問題に関係が深い主な二つの覇権国は、当然、中国と米国である。

米国が引いた覇権の境界(覇権ラインと呼ぶことにする)は、韓国、沖縄、台湾、フィリピンの西側の線であり、中国がさしあたり引いている目標とする覇権ラインは、所謂第一列島線であり、上記の東側である。北朝鮮の問題は、朝鮮戦争の続きだが、それを切っ掛けにして、この覇権ラインが現在のものから、アチソンラインに移るプロセスが始まると思うのである。
北朝鮮と韓国の対立の構図は、主に米国が第二次大戦後、東アジアを覇権の範囲と考えて作ったと考えられる。(補足2)アチソン国務長官の米国の防衛ラインは上の左図の赤い線であるという発言(補足3)で、金日成が南進したのが朝鮮戦争が始まり、最終的に現在の国境(休戦ライン)で休戦状態になった。休戦協定では確か3ヶ月以内に、高いレベルの平和条約の話し合いを始める様に要請するとなっていたが、米国はそれを無視した。

休戦から約22年経過した時、国連総会は1975年に朝鮮戦争の休戦協定を平和条約に置き換え、国連軍を解散することが望ましいと決議した(ウィキペディア参照)。国連軍というが、実質的には米軍であるので、北朝鮮は国家体制の承認を米国に要求したが、米国はイエスとは言わずに、北朝鮮問題を温存した。

米国は覇権の及ぶ範囲(以後覇権ラインと呼ぶ)の維持のために、朝鮮戦争の再開に備えるという口実で、米韓軍事同盟と在韓米軍が置かれ、毎年米韓軍事演習が繰り返されてきた。北朝鮮も強力な米韓軍に対抗して、朝鮮戦争再開に備えなければならない。それが、北朝鮮の軍備拡張の理由である。その軍備拡張に、中国やソ連は協力してきた筈である。

2)米国は、最近の急激な世界経済の膨張に伴い、覇権の及ぶ範囲を縮小せざるを得なくなった。(補足4)一方、中国は、その経済発展により覇権ラインを拡張しつつある。その結果、米国が東アジアに設けた、従来の覇権ラインが崩れ、中国の覇権ラインは近いうちに第一列島線(アチソンラインの少し東;九州から琉球諸島が線上にある)まで来るだろう。中国が目指すのは最終的に第二列島線である。小笠原諸島からグアム近辺に走る線である。(補足5)

北朝鮮の軍事的発展と米国との対立も、その様相は複雑であるが、その流れの中にある渦のようなものだと思う。つまり、中国覇権の朝鮮半島全体の包み込みプロセスの中にある。韓国は既に、中国圏に入る準備は出来ている様に思うし、沖縄に対しても中国は街宣車を走らせて、工作を進めている。沖縄県知事と韓国大統領は、同じくらい親中国の姿勢である。
上の図は、世界のGDPシェアを示している。1994年では中国は無視しうる経済規模だったが、20年後、日本のGDPは全く変化しなかったが、中国のGDPは20倍程になった。米国のGDPは3倍程に成長したが、それでも世界シェアは相当減少した。

この大きな世界経済の変化が、今回の覇権移動プロセスにあると思う。もう20年ほどすれば、日本はどのようになるのだろうか。政府は無策であり、マスコミは日本破壊工作と思われるような下らない議論と放送をし続けている。

3)複雑な北朝鮮問題のレビュー:

鄧小平(在位:1978/12/22~1989/11/9)の資本主義の導入により、中国と米国との関係が緊密化したために、中国にとって米国や韓国は取引の相手国となり、距離が近くなった。孤立感を徐々に深めて行った北朝鮮は、毎年の朝鮮戦争再開をシミュレーションした米韓軍事演習に脅される中で、当然の選択として核兵器の開発に向かった。中国やソ連(&ロシア)は、見えない様に応援しただろう。巨大な核抑止力を持っている両国に、北朝鮮の核兵器はそれほど大問題ではない。それに、独裁国家にとって、命の値段は(市民のそれも)安価である。

核兵器開発は、核拡散防止条約(NPT)を脱退したのちは可能な筈であるが、それは非核保有国(韓国や日本など)にとって脅威なので、国連でNPT脱退を思いとどまるようにと決議された。(国連決議825号;1993年)その後、地域の安定を害するとの理由で国連は国連憲章第7章に基づいて、北朝鮮に対して核兵器開発中止と制裁を決議する。(国連決議、1695、1874、2375など)(補足6)

米国は北朝鮮の核開発を止めさせるべく経済的及び軍事的圧力をかけた様に見えるが、本当は支援してきたのかもしれない。米朝枠組み合意(1994年)は、明らかに北朝鮮の核開発にプラスになっている。東アジアでのトラブルとそれに対する米国の関与は、米国の東アジアでの覇権を世界に確認させるプロセスとも考えられるからである。6カ国協議も、その為の儀式と考えれば、分かりやすい。

中国は、国連決議に違反する北朝鮮に対し、あからさまな支援が徐々にし難くなった。現在まで北朝鮮を支援してきたのは、所謂中国の江沢民派である。同派が勢力を持つ、瀋陽軍区(現在は北部戦区)の人民軍上層部は、北朝鮮利権とそれに伴う私的利益を手中に収めてきたのは想像に難くない。

金正日までは、その中国江沢民派との協力体制が出来上がっていたのだが、その次の金正恩になった時、そのパイプ役になっていた叔父の張成沢の存在が大きくなり、金正恩は自分の地位つまり命の危険を感じたと思う。

何故なら、金一家がトップを継承するのなら、長子相続の原則から、金正男が本来の相続者でなくてはならないからである。中国とのパイプ役の張成沢が金正男をトップの座におき、自分が権力を掌握しようと考えたとしてもおかしくはない。

その猜疑心もあり、金正恩は張成沢を排除するとともに、核武装を完成して国家として強い権力を持つという強績をあげ、それで自分の地位を確立したいと考えたのだろう。しかし、張成沢の粛清とそれによる中国との太いパイプの喪失、そして、国境を接する中国瀋陽軍区の人民軍上層部が徐々に習近平の支配下の者に移行するに伴い、益々孤立化を深めることになる。

その様に考えれば、金正恩のこれまでの姿勢は至極当然であり、マスコミで宣伝されているような、野蛮とか暴君という批判は全くあたらない。

4)独裁国家でも、そのトップは民衆の支持がなくては安泰ではない。自分の確かな実績をつくりたいのは、一帯一路構想やAIIB(アジアインフラ投資銀行)で中華圏の拡大を目指す習近平も同じである。一帯一路構想では、西欧諸国からも金を集めたAIIBの融資で、周辺国、例えばカザフスタン、などのインフラ整備を行い、中国の雇用と企業利益、更に、それらの国の富の収奪を考えているだろう。人民元で融資し、工事費用を人民元で回収するということは、元の基軸通貨化の最初のステップと考えられる。その構想は、非常に良くできていて、日本の行政など比較にならないレベルの戦略的能力を中国政府は持っていることを示している。

習近平にとっては、江沢民派は中国国内での大きな対抗勢力であった。その勢力圏の瀋陽軍区と北朝鮮を自分の勢力圏におさめるために、北朝鮮との関係改善も当然重要事項として考えている筈である。その一方で、経済的関係が深い米国の敵となった、金正恩を支援することは難しいだろう。

しかし、金正恩と米国、韓国、日本などが対立し消耗することは、第一列島線までの覇権域をさしあたりの目標にしている習近平にとっては大きな利益である。そう考えると、中国の北朝鮮問題に対する関与の仕方が見えてくる筈である。北戴河会議で結論されたという、“米国と北朝鮮を消耗させる様に放置する”方針を貫くのである。(今回のトランプ=習近平会談)

差し当たり、アチソンラインまでを習近平は目標とするだろう。その中国側には、韓国も台湾も尖閣諸島も含まれる。その際障害になるのは、台湾の政権と日本の政権である。更に、独立色を強めている北朝鮮の金正恩である。韓国の政権は現状で、直ちに中国の勢力圏に入りうるので、全く問題ではないと思う。(補足7)

米国の覇権は第二列島線まで後退するのは必至である。それは米軍がグアム島へ移転する計画を進めていることからも明らかである。https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM27H3O_X20C17A4EAF000/ そのような情況下で、米国も北朝鮮とまともに軍事衝突することは、避ける筈である。韓国まで中国の覇権内に入る将来を考えれば、現在の休戦ラインの維持に努力するのは無駄なことだからである。

5)日本に対する核兵器の脅威は、北朝鮮の核兵器だけに限らない。しかし、日本列島が中国の勢力圏と接する時、日本が米国の覇権ラインの維持に努力するのなら、米国はそれを助けるだろう。もし、その気がないのなら、何れ中国が言うように米中で太平洋を二分することになるだろう。つまり、第二列島線まで中国が支配するのなら、それに日本も主体的な行動をとらないのなら、敢えて北朝鮮の核兵器を取り除くために、米兵の血を流すことはないだろう。

そこで日本のとる戦略が問われる。口先だけで、米国と一緒に戦うと言ってみても、米国に対する説得力はない。米国が日本を仮想敵国から永久除外し、真の同盟国と考えることができるかどうかであり、日本がそれにふさわしく振る舞うかどうかである。もし真の同盟国になれば、核兵器の日本での共同管理に米国が同意し、中国の太平洋への進出は暫くはアチソンラインで止まるだろう。その時、朝鮮(統一朝鮮?)の歴史問題を持ち出した脅迫も、何の効果もなくなるし、米国本土の慰安婦像は全て撤去されるだろう。

日本が米国の真の同盟国になると口先で言っても、権力の中枢にいる人間が靖国神社に参ることを義務だと考えている現状では無理だと思う。つまり、明治以降の歴史のレビューが必要だと思う。それは、天皇を政治利用した明治の日本のシステムとそれを改めることが出来なかった支配層の所為で、日本が軍事独裁国となり東アジアの支配に突き進んでしまったことを誤りだと評価することである。それができれば、日本と米国の同盟関係は新しい段階となるだろう。それは、政権与党が民族主義者と別れることを決断しなければならない。

追記:5)は、日本が根本から変化すれば、米国の対日姿勢が変化すると仮定した場合です。その目星がつかなければ、9日のブログに書いた様にロシアとの関係強化しか、日本に道は残されていないかもしれない。(18:30)

補足:

1)世界には主に4つの覇権国家がある。それらは当分の間、真に独立した国家(群)として存在する。それ以外の国は、それらの中の勢力圏の中になければ、安定的に存在できない。それらは、ソ連、アメリカ、ヨーロッパ、そして中国ではないだろうか。
2)朝鮮戦争が、初代大統領に据えた李承晩の韓国と金日成の北朝鮮の間の戦争であり、それに国連軍及び中国人民軍が介入したのなら、休戦協定には形だけでも韓国軍将軍の署名がなくてはならない。しかし、韓国の将軍の名前はない。それは、国連軍の名を借りて、米国が戦争を乗取ったのか、或いは元々米国の戦争だったからではないだろうか。(最初の図参照)
3)アチソン国務長官のこの発言はうっかり言ってしまったと言う説もあるが、わざと言ったと考える方が分かりやすい。つまり、米国は朝鮮戦争を起こし、そこの現場に居座り、ソ連や中国という共産圏の見張り台を作りたかったのである。
4)覇権国は、経済圏の中心でもある。米国はその中心にふさわしく、国際決済通貨の米ドルを発行している。決済通貨は、米国中央銀行FRBの負債として発行される。FRBはそれに相当する資産(多くは米国債)を国内に保有しなければならない。世界経済が膨張すれば通貨への需要が増大し、その信用を維持するだけの経済力を持つことは困難になる。さらに、黒字国は正常な為替を維持するためには、資本を流出させることが重要だが、それに答えているのが主に米国債である。IMFが加盟国から出資を受けて、それに対応する債務証書として特別引き出し権(SDR)を分配している。それを通貨と考えれば、世界通貨的ではある。しかし、世界国家の財務省としての格がなければ、無理だろう。
5)数年前の中国漁船団によるサンゴ乱獲騒動は、小笠原諸島までの距離感を得るための演習だった可能性が高いと思う。
6)国連決議1695は、非常任理事国の日本が中心になってまとめた決議。国連憲章第7章により、制裁を含めた決議にする予定だったが、中国とソ連が拒否権を行使すると主張したため、制裁は含まれなかった。その後、決議1718,1874など制裁を含む決議がなされた。最新のは、2017年9月の2375号である。日本が中心的に活動していることに、日本国民は注目すべきである。
7)韓国の文在寅大統領は、北朝鮮を混乱なく抱き込んで、中国の友好国である統一朝鮮を作りたいのだろう。しかし、それも至難である。北朝鮮は、韓国をまともな交渉相手とは見做さないだろうし、韓国は併合の対象であっても合併の対象ではない。韓国政府の解体と韓国内での多大の犠牲を覚悟できないのなら、米国側につくしかない。

2017年11月10日金曜日

キッシンジャーの最後の仕事?

トランプ米国大統領のアジア訪問の峠は、中国の習近平との会談であった。そこでは、日本で偉そうに見えたトランプも小さく見えたのは私だけだろうか?あの歓待に目がくらんだのか、あれだけ中国の悪口を言っていたのに、今度は習近平に完全迎合である。I don’t blame chinaだそうだ。

孫娘が中国語で歌い踊る録画を人民公会堂の晩餐会でスクリーンに映し出し、晩餐会では、メラニア夫人はチャイナドレスで登場したという。まるで、朝貢しているみたいだ。

宮崎正弘氏のメルマガでは、「習近平を徹底的に持ち上げ、面子を立てて譲歩を引き出せと助言したのは、おそらくキッシンジャーであろう」と書いている。どういう譲歩なのだろう。習近平は、トランプとの共同記者会見でも明確に北朝鮮との対話路線を強調している。トランプのこれまでの姿勢が総崩れのように見える。

以前書いたように、日本人はユダヤ人に比較的親近感を持って居ても、キッシンジャーを始めとするユダヤ人は日本人には敵対心を持っているだろう。おそらく、第二次大戦に至るプロセスの中での満州での事件、シモン・カスペの誘拐殺人事件を始め、ヒトラーと同盟関係にあったことなどが原因だろう。杉原千畝を持ち上げるのは、日本帝国全体としてはユダヤ人を大切に扱った歴史を隠し矮小化するためだろう。

  キッシンジャーの反日姿勢を始め、米国支配層の根本にある反日姿勢は、そこに原因があるのかもしれない。トランプの陰に、ユダヤ人のクシュナーという娘婿の姿がちらつく。

イヴァンカが日本に来た理由がわからないといった評論家がいたが、それはクシュナーを始め、一族の中国での親密な姿勢を一部中和する意味だろう。イヴァンカが訪韓すれば、その意味が消えるので、敢えて訪韓しなかったのだろう。トランプを始め米国は、韓国はやがて北朝鮮の一部になることを黙って見ていると決めているのかもしれない。その前の一稼ぎのセールスが、アジア訪問の唯一の実質的成果なのだろう。

習近平の中国は、「新しい大国関係」を演ずるためにも、米国と安易な妥協を拒否した。トランプはやがて失脚すると思う。今回の中国訪問の様子では、無能だと決めつけられても当然である。キッシンジャーの最後の仕事は、トランプを潰すことだったかもしれない。

これは、全くの素人のメモなので、適当に読み飛ばしてください。

2017年11月9日木曜日

米国も中国も北朝鮮問題を外交の武器にしている:日本にはロシアとの関係強化しかないかも

中国は、北朝鮮問題に対して何か効果的なことをやる予定はないだろう。それは北戴河会議で、北朝鮮と米国との間は消耗戦をさせると決めたことに沿っている。米国も北朝鮮の攻撃など、自分からはやりたくはない。

トランプ大統領の「北朝鮮の脅威に適当な対処がなければ「武士の国」である日本が自ら事に当たる可能性もある」と言ったという報道はそれを示している。韓国は勿論のこと、ロシアも北朝鮮を応援するが、制裁などすることはないだろう。  http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2017/11/blog-post_7.html

つまり、日本だけが北朝鮮の核兵器のターゲットになりうる存在である。北朝鮮にとって、日本を脅すことに関しては何の躊躇もいらない。日本は平和ボケで、核兵器の意味すら知らない。日本人の多くは、核兵器を持つことは、戦争をして、核反撃で被爆(殺される)することだと考えている。国民の多数を支配しているのは、論理ではなく言霊だからである。 

米国はかなり北朝鮮の核兵器の小型化技術やICBMへの搭載技術などの進展情況を掴んでいるだろう。まだ、弾道ミサイルに搭載するほどの技術を得ていない可能性もある。北朝鮮危機は、トランプのBig Stickなのかもしれない。トランプ大統領は、米国からアジアに来た兵器のセールスマンなのかもしれない。習近平は商談ではこちらが上だと言わんばかりに、28兆円の商談で応じた。 

北朝鮮は、米国の現在のレベルの脅しで非核化なんか同意する筈がない。空母がウロウロしていても、何もしないことは分かっている。米国からリークされている可能性すらあるだろう。このままでは、立派な核保持国が半島に出来るだろう。 

唯一それを防ぐ可能性があるのは、日本の核兵器開発である。(日本人は、伊藤貫氏の本を勉強すべきだ。)その計画が具体化しそうになると、米国は中国と協力して圧力をかけ、日本に核保持の断念を強制するだろう。トランプも、日本と日本の政治家を馬鹿にしている。それを日本のマスコミは隠している。 

「中国の核が世界を制す」(伊藤貫)と、日本は朝鮮(統一)と中国のATMになるだろう。暗唱番号は、慰安婦と南京大虐殺など「歴史認識問題」である。恐らく、それらを避けようと思えば、唯一残された道は、ロシアとの関係強化だろう。つまり、日本がロシアカード(補足1)を保持すると米国が思えば、上記のシナリオが変わる可能性もある。

  中国とロシアは永遠の友好国たり得ないのは、地政学的に明らかである。米国は、イスラム圏とロシアを敵に廻すには中国と宥和的に成らざるを得ない。中国が日本を敵視する限り、米国は日本にとって永遠の同盟国たり得ない。(補足2)そして、これまでの70年間、米国は日本を隷属させることしか考えなかった。中国が日本と本質的に友好国になるとしたら、革命後だろうがその確率は小さいだろう。 

従って、日本にとって対米国&対中国の対策としては、当分ロシアカードしか残されていないのだろう。(補足3)ロシアが日本に対して真摯な態度をとるのなら、過去を乗り越えて関係を構築する共通のメリットがある。それは北方諸島の帰属問題を、日ソ共同宣言を遵守することで解決することだと思う。

補足:
1)ロシアカードと言う言葉が外交的に特別な意味を持つかもしれない。ここでは、ロシアとの関係強化を武器にすると言う意味で使う。
2)米国は日本と先の大戦の時に、忘れられない大罪を犯してしまった。それが過去に送られることを願っているだろう。それには二つのシナリオがある。いずれも、日本にとっては悲劇的なものである。詳細は想像してほしい。

3)それは、非常に危険な道である。そんな道しか残さなかったのは、戦後の吉田茂内閣以来の米国追従策以外、何も考えなかったのが原因だろう。
(最終編集11/10/18:15; 変更が多くなり申し訳ありませんでした。)

2017年11月8日水曜日

学校でのイジメなどの社会の病気は、個人を傲慢にした戦後教育が原因だろう

1)同朋大名誉教授の中村薫氏が中日新聞(11/7;12版15面)に無量寿経を引用する形で、最近、人間関係で互いに緊張感が不足していると書いている。お経の言葉は「汝、起ちて更に衣服を整え合掌恭敬して、無量寿仏を礼したてまつるべし。」である。

中村氏は、この言葉を引用し「互いに衣服を整え、緊張感を持って、一人ひとりが、互いの人格を敬い合う人間関係の樹立が大事だ」と説いている。

「権力におぼれ、自分たちの主張を無理やり通そうとする国会議員。また、当選のためなら無節操に党を変わる議員など、襟をただした緊張感が足りないのではないか。家庭においても、嫁姑だけでなく、親子など家族同士で憎しみあうことが増えた。」と。

なるほどと思って、ネットサーフを始めた。そうすると、このことばは有名であり幾つかの解説を見つけた。下に紹介するのは、真宗大谷派専念寺の釈祐耕住職の解説である。

お釈迦さまが、長い大無量寿経を正しい姿勢で聴聞していた阿難尊者に「あなた、それでいいですか」と注意された言葉だという。真剣に聞いているつもりでも、仏さまを忘れて、いつの間にか自分が勝手に解釈した世界に座り込んでしまう人間の習性に、「起ち上がりなさい」とおっしゃった言葉だという。 http://www.sennen-ji.jp/moty/archives/news/20160101085848.html

2)最近、個人が公の空間に出ても、独居の時と同じ感覚で、緊張感をなくし唯我独尊というか、傲慢になっているように見える場合が多い。また、現代の日本社会に、“自分らしさ”を発見し、それを前面に出して生きることにこそ然るべき人生であると考える風潮がある。そして、そのプロセスに対して“自分探し”という表現が屡々用いられる。

これら個と社会の関係において、個を過剰に評価し尊重する風潮は、個の放任となり、現代の多くの“社会病”の原因となっていると思う。これは日本だけでなく、世界的な傾向かもしれない。(補足1)

しかし、人間は高度な社会を造って生きており、そこでは野生において個が持つ要素の内、多くを社会に委ねている。そして個の要素は、個が持つべき社会に規制された部分とそれ以外の個性として広がりのある部分に分けられる。この標準的な部分をキッチリと持つ様に育った人間を紳士(淑女)と呼ぶのだろう。

初等及び中等教育で大事なのは、社会で生きられるように、社会に貢献できるように、社会に規制された部分を身につけることである。それにプラスして、個性を伸ばすこと、そしてそれを社会の成長に活かせる様に、自分を作ることだと思う。(補足2)

その為に、初等教育においては先ず敎育すべきは、緊張感をもって先生の授業を受けるという姿勢である。中等教育までは、社会の仕組みとその中で生きるという人としての初歩を徹底教育すべきである。個性を伸ばす部分では、上記社会の成り立ちと教育の目的とともに、教えるべきである。

3)イジメについて:

そのような敎育をしておれば、学校におけるイジメなどあまり起こらないだろう。新しい知識を教わるという緊張感が学校の雰囲気を支配しておれば、その緊張感は生徒の「自分勝手」を封じる筈である。

学校のクラスルームは当然のことだが、一つの社会である。その社会への貢献、社会の成長と防御などを、生徒が自ら実践するのが、義務教育での必須であるのなら、社会の崩壊であるイジメを無くすることは、教育の一環に含まれる筈である。

自分を抑え、過去の人類が築いた叡智に学ぶ姿勢を持った人間は、自分を見る目と同時に社会を見る目ももっているだろう。その基礎知識を身に着けた人間には、その社会の欠陥や不足と同時に自分の適正も見えている筈である。

「自分探し」とは、自分を知ると同時に自分の生きる社会を知ることである。従って、社会を十分学ばない者には、自分のあるべき姿など永遠に見えないだろう。(補足3)

4)現代社会は、個人が襟を正す姿勢を奪ってしまった。その原因は、恐らく戦後英米文化を誤解して導入したのが一因だろう。その原因の一つに戦後の占領政策も大きな要素だろう。何故なら、上記社会に適合し、社会に貢献し、社会を防衛する姿勢は、日本古来の姿勢であり、日本が再び大国として復興しない様にそれを徹底的に破壊したのが、WGIP(戦争犯罪情報プログラム;war guilt information program)だと思う。

自由、平等、そして人権は、近代西欧社会の大事な概念だという。しかし、それらはあくまでも社会の中の自分について、権利の側面を言ったに過ぎない。それを最大限に主張し、義務の部分を無視する様に育てられたのが、日本社会党などの左翼政党である。それをGHQは支援したことはよく知られている。(補足4)

社会の中に生きることを運命付けられた人間には、当然社会に於ける義務を負う。個人の自由は、社会のルールに従い、社会を防衛すること、他人の自由を尊重するという義務を知る人間のみの権利である。平等も、社会のルールが定める平等であり、個人が平等・不平等の決定権を持つ訳ではない。人権についても、現在の世界では国家あっての人権であるから、社会国家の安定に寄与する個人のみのものである。(補足5)

つまり、自由、平等、人権などの言葉を使う時に、社会の中の自分という視点で、それらの言葉が理解できていることが必須である。紳士淑女は個の主張においては謙虚であり、社会や国家を守るという意思と勇気を持つ筈である。(補足6)ただ、戦前の国粋主義は、国家は個人の為にあるという第一原則を無視しているので、論外である。つまり、国民全員が積極的に政治に参加し、政治家のレベルをあげることが大事である。(11月9日6:50編集)

補足:

1)世界がポピュリズムの方向に向かっていることは、それを示している。
2)戦前の国の為に身を捧げるという戦時敎育の反動と言えるだろう。しかし、長い歴史と高度な文明を持つ社会では、個人の社会への貢献なくしてはそれを維持できない。能力に限界のある個人は、自分探しよりも社会の構造やダイナミックスを学び、そこに自分を適応させる作業こそ急ぐべきことである。
3)ドイツの政治家、ワイツゼッカーの言葉「過去に目を閉ざすものは、現在に対しても盲目である」は有名だが、「世界に目を閉ざすものは、自分に対しても盲目である」とも言えるだろう。自分とは、時空4次元空間の中の原点であるから、これらは当然である。
4)GHQ民政局が、社会主義政党を支援したことはよく知られている。(ウィキペディアの55年体制参照) また、米国における社会主義者の進出、マッカーシーによる赤狩りについては文献も多い。
5)この社会、それを包含する形での国家に対して、それらを害する行動をとるものに人権はない。
6)紳士であることを目指す意思を個人に植え付けることが、教育の目的である。札幌農学校のクラーク博士の言葉を引用して、ヤフーの知恵袋に質問の形で投稿したものを引用します。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1155470071

2017年11月7日火曜日

日本は北朝鮮問題の正面に立つのは間違いである:米国と中国に任せるべき

1)トランプ大統領の東アジア諸国訪問の大きな目的の一つは北朝鮮問題であり、もう一つは対外貿易不均衡の解決だろう。その二つは、密接に関係していることは、日本に米国製軍需品を買うべきだというトランプ発言で明らかである。

大事なことは、北朝鮮の核兵器は日本にとって脅威でも、米国特にその支配層にとっては脅威ではないことを日本は知るべきである。その結果、北朝鮮の核兵器は米国にとって足枷というより、日本を始め近隣諸国との折衝の武器となっている。

そのような理解に基づけば、日本は外交関係において主な交渉窓口を米国だけとするのは非常に危険だと思う。今朝のテレビ「スッキリ」において、ロバート・キャンベル氏が言っていたように、安倍総理が機嫌よくトランプ大統領と話をして、北朝鮮問題は米国に協力しておれば大丈夫だと思っていても、中国へ行き習近平主席と話し合った途端に日本での話がひっくり返る可能性がある。

トランプ大統領は8,9月に北朝鮮が日本列島を超えて打ち上げたミサイルを日本が迎撃すべきだったと語ったという。https://jp.reuters.com/article/idJP2017110401001904 また、最近のAFPの報道によれば、「トランプ大統領は11月2日、中国に対し、北朝鮮の脅威に適当な対処がなければ「武士の国」である日本が自ら事に当たる可能性もあると警告した」という。http://www.afpbb.com/articles/-/3149247

つまり、北朝鮮を非核化させるための攻撃は日本や中国にやらせて、日本にはそのための武器を売りつけ、中国は消耗させたいということである。それは、「アメリカ第一」で国際政治を進める米国にとっては確かに賢明な方法かもしれないが、東アジア諸国にとっては迷惑な話である。何故なら、何度も本ブログで書いている(下にも書いた)ように、朝鮮戦争の終結責任、そして終結が遅れたための北朝鮮の核武装に対する責任は、米国にあるからである。

2)中国共産党の最高機関である中国共産党全国代表大会(中共党大会)が、今年10月に開かれ、新しいチャイナ7が選ばれた。李克強を除く5人の中央政治局常務委員のうち、江沢民派だったのは韓正一人だが、現在韓正氏も習近平に忠誠を誓っているという。(補足1)

その中共党大会の2ヶ月程前に、北戴河会議という長老を囲む秘密会議が慣例に従ってひらかれた。通常、そこで中共党大会での決議事項の原案が決まる。その内容について、元警視庁通訳捜査官の坂東忠信氏が、あるネット記事の内容として紹介している。 https://www.youtube.com/watch?v=4wJc3Mb5dGU&t=3213s

その信憑性についての判断は慎重でなければならないが、以下のようなものである。
1。ロシアとの関係強化し、ロシアにヨーロッパや日本など他国を近づけるな。
2。北朝鮮と米国との間は消耗戦をさせろ。飛び火してこない様にしろ。
3。インドとは今はあらそうな。

以上は実際に北戴河会議で話あわれたかどうかと関係なく、中国の姿勢として合理的であり、従って信憑性が高いと感じられる。

夫々、非常に重要であり、東アジア外交の鍵となるような項目である。ここでは、短期的に北朝鮮問題を考えるために注目すべきは2。で、中国は北朝鮮問題に積極的に関与したくないと言うことである。北朝鮮への制裁決議があっても、制裁する振りだけは十分するが、実質的には殆ど何もしないことなど、今までの中国の対応を考えると、2。は一環した中国の姿勢だと合点が行く。

この件を考える上で、朝鮮戦争の歴史を振り返ることが必須である。つまり、国連総会は1975年に朝鮮戦争の休戦協定を平和条約に置き換え、国連軍を解散することが望ましいと決議した(ウィキペディア参照)。国連軍というが、実質的には米軍であるので、北朝鮮は国家体制の承認を米国に要求したが、米国はイエスとは言わずに、北朝鮮問題を温存した。

もし、韓国を休戦協定に参加させ、その後平和条約に休戦協定を書き換えておれば、今日のような事態には至ってなかっただろう。従って、今日の北朝鮮問題は米国が解決する責任があった筈である。

中国や最近ではロシアも、北朝鮮が核大国化するのに協力したのは確かだろう。中国の動機は、上記2。にあるように、北朝鮮問題を大きくして利用することだろう。ロシアも北朝鮮に味方し、且つ、日本と協力して千島開発をするなどして、西太平洋に覇権を拡大したいのではないだろうか。

東アジアにある4つの核保持国の内、一つが制御不能だというのなら、残りの3つの核保持国がその解決に当たるべきであり、日本と韓国はその責任の外に有る筈である。それにも拘らず、日本を巻き込もうとしているトランプ米国大統領とそれに協力する安倍総理の方針は、日本国を崩壊させる最初のステップとなる可能性がある。

ここは、石破茂氏が言うように日本が核技術を持つなり、核兵器を持つなりして、独自に北朝鮮の核の脅威には屈しない体制を築くべきだという姿勢を周辺諸国に示すべきである。http://www.sankei.com/politics/news/171105/plt1711050026-n1.html そのためには、外交の表舞台では中国やロシアとも、もう少し親密な関係を築くべく演出すべきだと思う。

補足:
1)5人は、栗戦書67、汪洋62、趙楽際60、王滬寧62、韓正63である。夫々についての詳細は、ニューズウイークの記事にある。李戦書は古くからの有人で、王滬寧は前政権時から中枢で仕事をしてきた知恵袋的存在だという。中国に詳しい川添恵子氏は、この二人が習近平の両腕だと表現していた。同氏によれば、趙楽際は、習近平の祖父と趙楽際の祖父の兄弟が関係深い間だという。また、韓正は江沢民はだったが、北朝鮮利権がなく、習近平に忠誠をちかっていると言う。 http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/10/post-8767.php

2017年11月6日月曜日

「アポロ計画陰謀論のウソ」はウソか?:ある閲覧数の多いブログ記事について

「アポロ計画陰謀論のウソ」と題するインチキブログがあったので、紹介する。https://matome.naver.jp/odai/2147856572723596101 政治的目的で書かれているようで、理系人間の私からみれば、説得力など皆無である。それでも、(アポロ計画、陰謀論)でグーグル検索すると、ウィキペディアの記事の次に出て来るので、敢えて反論する気になった。因みに、私はアポロ11号で人が月に送られて帰ってきたというのはウソであると思うので、その根拠を下の記事としてまとめた。 http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2016/12/11.html

ここで議論するnaver.jpというサイトにある記事では、怪しげな論理を使いアポロ計画で宇宙飛行士は月面に立った筈だと訴えている。箇条書きに、可怪しい(可笑しい)と思う点について少しだけ指摘しておく。

1.ブログ記事の表題「アポロ計画陰謀論のウソ」は、何か変である。アポロ計画は米国の巨大国家プロジェクトであり、陰謀ではない。

2.「今、月に行けない理由は、膨大な資金が必要だからである」と書いている。アポロ計画の予算は250億ドルで、それは現在の貨幣価値で1350億ドルになると試算し、それだけ高額な予算がかかるので、今では月に行けないというのである。しかし、アポロ計画の費用の殆どは、技術開発の費用の筈である。そこで集積された技術を再現して一度だけ月に行くのなら、アポロ計画の予算の数%の資金で可能だろう。こんな誤魔化しをするのは、政治的動機で書いたからだろうと思う。 (補足1)

3.宇宙飛行士が月着陸をしたという発表がウソであるという主張を始めたのは、“地球は球ではなく聖書にある通り平である”と主張するキリスト教の一派であると書いている。

この“アポロ計画で月に人が立った”というのは捏造であるという説で、まともに取り上げるべき最初のものは、ロケット開発の会社に勤務していたビル・ケーシングの本(1976年)だろう。そして、重要なのはそれを取り上げ且つ独自の情報を収集して「人の月面着陸は捏造である」と論じたBBCの放送である。

 ここで記事を終わっても、上記サイトの記述が科学的議論の対象たり得ないことが分かるだろう。また、ダラスでアポロ計画を始めたケネディ大統領が暗殺されたが、その時にケネディ大統領は宇宙人の存在について演説の中で喋る予定をしていたという。その意図について10月27日の本ブログに書いたが、それは「アポロ計画」を知る重要なヒントになると思う。

4.月面に残されたくっきりとした靴跡の問題については、「水も空気も存在しない月面の砂(レゴリス)は、粒が細かい上に侵食を受けていないため丸まっておらず、地球の砂に比べて非常に固まりやすい性質がある」と書いている。

月の砂“レゴリス”で実験した様な記述である。筆者が飛行士なら、その特殊な砂を1g程持って地球に帰る。何故なら、あのような靴跡は、砂粒子表面の界面張力と水の表面張力の両方が、働かなくては出来ないと考えるからである。それら界面張力の働きにより、水を介して密に接触した二つの砂粒子が容易に離れられないからである。

仮に砂粒子が丸まっていなくても、あのような靴跡は出来ない。これは物理化学的考察である。反論があるのなら、同じく物理化学的にすべきである。また、砂を靴で踏みつけた時に静電気が発生すれば、それは靴跡を崩す働きをするだろう。

5.https:www. flick.com/というアドレスにあるアポロ計画の書類を紹介している。何故、NASAのアーカイブを紹介しないのか。NASAのホームページのかなり下の方のディレクトリにアポロ計画の成果が紹介されている。しかし、データの数、写真の数は非常に貧弱であり、人類初の月面着陸という誇るべき成果にふさわしくない。

6.バン・アレン帯については、ロケットで無事通過できる可能性があると思うので、私は議論しない。

7.アポロ宇宙船の着陸跡の写真を紹介している。それに十分説得力があるのなら、アポロ計画での発表を疑う議論はなくなるだろう。しかし、写真の捏造など、だれでも出来る。また、「月の石」についての議論で、表面に微小なクレーターらしきものが見えると書かれている。しかし、このブログの筆者が屡々引用しているウィキペディアで「月の石」に関する説明を見たが、そこにはそんな写真はない。

尚、上に紹介した私のブログ記事では、NASAの発表した画像にある地球の半円形の像と、着陸地点で建てた星条旗の旗の影の長さが矛盾することを示した。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2016/12/11.html

補足:
1)ペンス副大統領は今年(2,017年)10月に、再び人を月に送ると表明した。http://sorae.jp/030201/2017_10_06_nasamoon.html アポロ計画後21世紀に入ったばかりの頃に一度、米国は再び月に人を送ると発表したが、中止になった。今回は是非やってもらいたい。1960年代に蓄積した知識が本物なら、予算的にも技術的にも簡単に行ける筈だ。

改憲反対集会とその中での元最高裁判事のスピーチ: 情けない日本の姿

11月3日は憲法公布から71年目にあたる。中日新聞26面(12版)によると、国会周辺で憲法9条改定に反対する集会が開かれ、元最高裁判事の浜田邦夫氏も9条改憲反対のスピーチをした。

この記事によると:
“集会では、「憲法の番人」である最高裁の判事だった弁護士、浜田邦夫さんも壇上に立ち、「民主主義、立憲主義、法の支配を守るため、国民一人一人が勇気を持って発言していくことが重要」と主張。「改憲の検討自体は反対しない。しかし、安倍政権の独裁的手法を認めるわけにはいかない。安倍政権が目指しているのは、戦争ができる普通の国。戦前の日本に戻るコースだ」と訴えた。”

この新聞は何を考えて「憲法の番人」なる言葉を、最高裁の形容に用いているのか?最高裁は長沼ナイキ事件で、自衛隊は憲法に違反するかどうかが問われた時、“統治行為論”という屁理屈で憲法判断を避けた。憲法判断を避ける裁判所をどうして「憲法の番人」と呼べるのか? (筆者は最近、最高裁の憲法判断を避ける姿勢を批判したばかりである。10月24日と 10月30日の記事参照)

この記事によれば、浜田邦夫氏は2001-2006年に最高裁判事を務め、退官後の2015年の参議院公聴会で、集団的自衛権行使容認を違憲と指摘。それに関して、「民主主義の危機に黙っていられなかった」と語ったと書かれている。

この元判事は、全く我が国と国民の安全など考えていない。何故なら、現在の日本は「民主主義、立憲主義、法の支配」を守らず、核ミサイルを我が国に向けて、「日本列島を海に沈めることもできる」と脅す国と、それよりも巨大でもっと恐ろしいかもしれない独裁国を隣国に持っていることなど、念頭にあるとは思えないからである。この元判事には、現在の憲法を堅持し、それに従った外交でどのようにして国民の生命と安全を守れるのか、答えて見ろと言いたい。

安倍政権は独裁的手法を用いると言って非難しているが、それも全くおかしい。何故なら安倍政権は、選挙で選ばれた国会議員たちにより、法に従って作られた政権だからである。3日前にも、我々日本国民により10日程前に新たに選ばれた国会議員たちにより、安倍晋三氏が再度総理大臣として適任だと確認されている。それをまるで民主主義に反する政権の様に言うのは、小学生の論理さえ持ち合わせていないか、他国の利益のために発言しているとしか思えない。

集団的自衛権行使を可能にするという憲法解釈も、国民が信任している内閣のものである。それに反対しているのなら、今回の選挙でも自民党が勝利をおさめる筈がない。

昨日の集会で、「安倍政権が目指しているのは、戦争ができる普通の国。戦前の日本に戻るコースだ」と訴えたそうだが、「戦争ができる普通の国」を目指すことのどこが悪いのか?(補足1)普通の国になるのがいけないというのは、異常な国のままでいてほしいということだろう。また、普通の国に戻ることが何故戦前の日本に戻ることなのか?何も考えないでいい加減なことを大衆の面前で喋らないでほしい。ボケているのなら、家に居ろと言いたい。

兎に角、最高裁判事がこのような人から構成されていては、まともな機能は果たさないのは当たり前だろう。非常に寂しく悲しい気持ちになる。

補足:
1)ワシントンの米戦略国際問題研究所の上級顧問である、著名な戦略家のエドワード・ルトワック氏は、「戦争にチャンスを与えよ」(訳本は2017年4月出版)と言う本を書いた。20世紀の前半までは、この本の主張でもある、「戦争は外交の一環である」という考え(クラウゼウィッツの戦争論)が世界の標準だった。そして現在でも、戦争ができる軍事力は、戦争を避ける軍事力でもあるという厳然たる事実に変わりはない。日本人の「戦争だけはしてはいけない。そのためには非武装が良い」という全くナイーブな考えなど世界に通用しない。全ての日本人は、中国の李鵬首相(当時)がオーストラリア首相が訪中の際(1993年)に言った言葉「日本は取るに足らない国である。30年程したらだいたい潰れるだろう」を反芻すべきである。

2017年11月2日木曜日

二つの宗教:自分が生きる為の宗教と他人を支配する為の宗教

宗教には表題に書いた二つのタイプがあるようだ。また、代表的な宗教は、二つの側面を持つようだ。以下は先日宗教について書いた文章の続きである。(22:45 大幅に編集しました。)

1)日本人にとって身近な宗教である神道を考えてみる。神道での二つの宗教とは、オリジナルな神道と伊勢神道(筆者の命名)である。オリジナルな神道は、自然に対する畏敬の念がそのまま宗教になったものであり、所謂アニミズムに属する。何度も取り上げて恐縮だが、深沢七郎の小説「楢山節考」の中に出てくる楢山信仰がその例である。高い山を神格化し、そこに参ることが死出の旅の始まりであるという宗教である。楢山参りは、人生設計の中にしっかりと組み込まれている。

神道を信じることは、人として生まれた自分も自然の一部であり、自然は全体として調和的に存在し動いていると信じ、感じることだと思う。それは、草木、昆虫、動物から、岩、山、川、海、空に至る自然全てに対して畏敬の念を持つことであり、日本古来の文化となって定着していると思う。

一方伊勢神道は、世界を創造した神とその子孫である天照大神の信仰である。それは、天照大神の子孫である天皇家に対する忠誠を、人々の間に醸成するという政治的意図を伴っている。原始的アニミズムに分類されるオリジナルな神道と比較して“先進的”と言えなくもない。(補足1)

伊勢神道は、天皇を国家の象徴とし国民団結の旗頭とする意味があり、それは日本人がこれまで国家を維持し生き残る上で、大きな役割を果たしただろう。しかし、靖国神社を建立し兵士を鼓舞する方向に伊勢神道を用いたのは、結果として宗教へ頼り過ぎたのではないかと思う。そして、先の大戦での大きな犠牲は、知恵と戦略に欠けた為政者の無責任の結果であることを、後の戒めとして再確認すべきだろう。その為政者まで合祀したのは、時の宮司の国民に対する裏切り行為だと思う。(政治家の靖国参拝を支持する櫻井よしこ氏を批判した文章:https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/41369336.html)

現在の何かとグローバル展開される世界において、伊勢神道は日本民族の故郷であるが、そこに拘っていては日本に生きる道はないと思う。
それとは次元のことなる、他人を支配する宗教も多く発生している。それらは邪教というべきだろう。それについてはここでは触れない。

2)世界最大の宗教神は、エホバ神(ヤハヴェ神)だろう。それを信仰する宗教は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教である。それらに於いても、濃淡の差はあるが上記の性質が“二つの側面”として存在するだろう。つまり、人が生きる為の知恵が集積された本として、聖書を見ることができる一方、特にキリスト教において、後述のように政治的に利用されやすい側面があると思う。ユダヤ教やイスラム教も、同じ宗教の人たちを率いるという政治的側面があると思う。

旧約聖書は創世記で始まる。その創造神話は、自然と人間に対する極めて深い理解が背景になければ書けないので、本当に神のことばかもしれないと思う程である。人に、それらの本質を教えてくれる、知恵の書であると思う。そして、ユダヤの歴史の部分は、やはり民族の団結を意識したものだと思う。

イエス・キリストの“ことば”は、ローマの支配下にあった人々に生きる勇気を人々にあたえただろう。そのイエス・キリストの言葉を用いて新約聖書を編纂し、新しい宗教として組織化し、強い勢力となるようにまとめ上げたのが、パウロだろう。(ウイキペディア参照)

キリスト教の一派であるイエズス会が、ローマ帝国の宗教を世界に広めたのだが、それは世界各地の植民地化プロセスの最初の役割を果たした。それはまさに宗教の政治利用だった。キリスト教は“愛”の宗教だと言われるが、他国の人や政治を堕落させる武器ともなるのだろう。(補足2)

その辺りについては、ニーチェのアンチクリストの翻訳書の一つを読んだ感想として、以前書いたことがある。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43225234.html

3)宗教は広い範囲に広がれば広がるほど、同時に政治的色彩が強くなるだろう。アニミズムの範囲の神道は、個人や集落や部族のものであるが、伊勢神道は日本国全体を制覇すると同時に、政治的色彩を強くしたと思う。それと同じく、キリストの教えもパレスチナの宗教、ローマ帝国の宗教、そして世界の宗教と対照範囲が広がるが、それぞれの段階で政治的色彩が強くなったのではないだろうか。

人間の歴史を通して、大衆が満足した時代は少ないだろう。厳しい現実の中で、絶望的な将来に向かって希望を与える言葉が、結果として二枚舌になってしまうのは不思議ではない。パウロは、「神は世の中の弱い者を、世の中の愚かな者を、軽く見られている者を、お選びになる」と言った。それは大衆の心を掴むが、神がいない以上、現実は「神は自ら助くるものを助く」(God helps those who help themselves.)ということになる。

上記パウロの言葉は、人間社会の大多数を占める下層に、上層に位置する人間の否定を教えたのである。その考えには政治的意図が含まれていると考えられる。おそらく意図的に挿入された政治的要素だろうし、世界に広がった理由の一つだろう。言葉で飾る民主主義とキリスト教は、非常に親和性があると思う。

民主主義の価値観である、自由、人権、平和、正義といった言葉で、世界を統治できるのなら理想的である。しかし、現実は利益をどうあげるかで動いているのである。そのメカニズムを熟知した世界の国々は、理想論を表にだして、現実論で動くという国際政治を採用している。それは同じ人間の中に同居している以上、二枚舌と言わなければならない。それが世界の標準であるということを理解しないナイーブな国の代表が日本である。

補足:
1)学者は、アニミズム的宗教を原始宗教に分類する。その分類に従えば、伊勢神道は先進的ということになる。時代が進み、人の集合(社会)の単位が、大家族、部族、国家と大きくなるに従って、宗教も政治的側面を持つことになる。時の経過を進歩と呼ぶ習慣に従って、アニミズムを原始的と呼ぶだけである。それは“学問的偏見”の一つだろう。
2)母親の愛は、幼い子供を育てるが、成長したあとは子供を堕落させる恐れがあるのと同様である。

2017年11月1日水曜日

孝明天皇を祀る官営神社がなかったのは何故なのか?:孝明天皇暗殺説と明治天皇すり替え説

政治を考える上で、国家の成り立ちの経緯を理解することは非常に大事である。現在とるべき政策は、将来の日本の方向を考えて定めるのだが、その為に必須なのは現在の日本が十分理解されていることである。しかし、それは日本国だけの事ではないかもしれないが、時の権力は国家の歴史を隠し、国民から正常な歴史感覚と政治における理解力と判断力を奪っている。

日本の近代を知る上で、明治維新の理解は非常に大事である。しかし、そこに大きな歴史の捏造が行われたのでは無いかという疑いが浮上している。(補足1)2年前に、それまでに読んだ本などから、明治維新について整理しブログ記事として書いた。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42241483.html

今回焦点を当てるのは、愛知県知多郡武豊町にある寂れた神社、玉鉾神社である。そこは、薩長に協力した下級貴族(岩倉具視など)に暗殺されたかもしれない、孝明天皇を祀る神社である。孝明天皇は、薩長の下級武士たちが中心となった倒幕運動において、最も邪魔な存在であった。(補足2)その創建に至る話は異常に思え、孝明天皇暗殺説や明治天皇すり替え説をサポートする情況証拠のように思えるので、ここで紹介したい。

異常だと思うのは、孝明天皇を祭祀する神社を新政府は作らなかったことであり、作ることを妨害し、そして出来た神社を冷遇したことである。新政府側が孝明天皇を祀ったのは、1940年(昭和15年)になってからであり、しかも平安神宮の祭神に加えるという形だった。それと対照的なのは、明治天皇の祭祀である。明治神宮が創建されたのは、大正9年11月1日であり、それは天皇没後8年、皇后の没後6年のことである。

孝明天皇を祀る神社が無いことを悲しんだのか、一民間人である旭形亀太郎という人が創建を願い出た。旭形亀太郎は、幕末の文久3年に宮中警備隊長になり、蛤御門の変では玉座の守備にあたった人である。(補足3)長い間の運動で漸く正式に許可されたのは、明治32年のことであった。ただし、祭祀されているのは孝明天皇だけではなく、神話時代の神が含まれているとのことである。https://ameblo.jp/zonebalance/entry-12085958158.html

玉鉾神社をグーグルマップでみると、まともな駐車場も無く、アクセスも悪いように思う。元天皇の神社であるにも拘らず、神宮と呼ばれない寂れた神社である理由は、その維持管理に国家から何の援助もなかったからだと思われる。

明治中期以降、日本の神社は社格制度で分類され、それに従って一部は国家から支援をうけた。その社格による分類は、官社、諸社、無格社である。官社は神祇官が祀る官幣社と地方官が祀る国幣社に分けられ、夫々に大、中、小に分類されていた。その中で、玉鉾神社は最低の無格社だった。無格社に支援金は出ない。(補足4)

武豊町のホームページには何の紹介記事もなく、http://www.town.taketoyo.lg.jp/contents_detail.php?co=cat&frmId=874&frmCd=4-2-10-0-0 武豊町史の中に他の神社の詳細な記事と比べて、ほとんど何も書かれていない。詳細な記述を避けていると思うのは考えすぎだろうか。http://www.geocities.jp/kamankara/text/documents/d-tak.html#玉鉾神社

これらのことを知れば、今まで不思議だったことの説明が簡単に出来ることに気づく。その一つは、明治政府に皇室祭祀の主導権が移されると、南朝関係者を祀る神社の創建・再興や贈位などが行われるようになったことである。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8C%97%E6%9C%9D%E6%AD%A3%E9%96%8F%E8%AB%96 そして、後醍醐天皇の建武の新政の立役者である楠木正成の像が、現在の皇居(北朝の子孫の宮殿)外苑に設置されている理由も、はっきりと分かる。この件については、以下のブログにかなり書かれている。http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2015-05-24

明治天皇の即位は満年齢で14歳の時である。皇子であったときと即位した明治天皇の体格に大差があるという指摘をする記事も多い。また、何故素早く東京遷都をしたのかという疑問も、すり替え説をとれば簡単に説明できる。孝明天皇が実父でないなら、それを祀る神社を作らず、作らせず、またできた神社を厚遇しない理由も、簡単に説明可能なのである。

明治維新と呼ぶに相応しい日本の夜明けなど無かったのではないのか?江戸時代は暗黒の時代などではなかったのだろう。そして、未だに明治から昭和の時代の負の遺産が、現在の四面楚歌の日本の情況を作っているのではないのか。江戸時代は、考えてみれば、今より遥かに地方分権社会であった。(補足1)

補足:

1)「明治維新の過ち」を書いた原田伊織氏は、近代史の総括なしに日本の未来はないと言っている。そして、世界は江戸システムに向かっていると書いている。http://manet.murc.jp/thinktank/rc/quarterly/quarterly_detail/201702_16.pdf 

2)孝明天皇は江戸の官僚組織を頼りにした。そこで、薩長下級武士たちや岩倉具視などの下級貴族は、病気で数日休んだ天皇とその皇子を暗殺し、代わりに長州の田布施地方出身で長州力士隊の一人(大室寅之助)を明治天皇に仕立て上げたという説がある(有力である)。孝明天皇の毒殺説は、半島一利著「幕末史」も支持している。その本の中に、英国外交官だったアーネスト・サトウの日記には、天皇が暗殺されたと明記されているとある。(幕末史、p260)ただ、半藤氏は明治天皇になる筈だった睦仁親王については何も書いていない。

3)旭形亀太郎は力士隊に属し、蛤御門の変で玉座を護った功績により、孝明天皇より天杯等を賜った。下記サイトに、日本相撲協会の『日本相撲史中巻』に、「旭形亀太郎の盡忠」という見出しで、旭形亀太郎について記載しているとある。 https://www.degucci.com/%E5%A4%A7%E7%AB%8B%E8%80%85-%E6%97%AD%E5%BD%A2%E4%BA%80%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%81%AE%E5%B0%BD%E5%BF%A0%E3%81%A8%E7%8E%89%E9%89%BE%E7%A5%9E%E7%A4%BE/

4)なお、太田龍著「天皇破壊史」という本には、伊藤博文が玉鉾神社に弾圧した旨の記述がある。(P108)他に文献として、落合莞爾著、「南北朝こそ日本の機密」などがある。 http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2015-05-24