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人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2022年2月28日月曜日

ウクライナ危機:核戦争の危機は未だ存在する

今日の日本時間午後、ベラルーシとウクライナの国境付近で、ウクライナとロシア間の停戦の話し合いが条件なしで行われる。この一回の話し合いで合意に至る可能性は、ゼレンスキー大統領の話すように低いだろう。https://news.yahoo.co.jp/articles/7aead1a13e66dedd3e33562c1a24b34f2f3cce83

 

両方とも非常事態中の心理にあり、しかも既に莫大な損害を出しているので、冷静に考えれば纏まる話でも合意に至るのは困難である。この戦争を誘発した米国は、既にプーチン体制の脆弱化は約束されており、十分な成果を得ているのだから話をまとめる努力をすべきである。

 

そんな中で、ロシアのプーチン大統領(以下敬称略)は、核抑止部隊に高度警戒態勢を命令した。ロシア側は、恐らくウクライナ東部のドネツクとルガンスクの独立を認めることを、最低限の目標として会議に臨むのではないかと思う。ウクライナはそれを受け入れない可能性が高いだろう。

 

プーチンは、それが受け入れられなければ合意できない。何故なら、完全にロシア市民の支持を失い、大統領の椅子に留まれない可能性が高くなるからである。そこからの二つの選択肢:一つは、話合いを継続出来る人物に大統領の席を譲り渡すことで、もう一つは独裁を強めることが考えられるが、その両方とも受け入れ難い。(補足1)

 

核抑止部隊にかけた命令は、その弱い立場を表している。一般に、弱い立場の者ほど、恐ろしい選択をする。キエフを簡単に制圧できなかったことと、欧米によるSWIFTからの除外は、プーチンを危機的情況に追い詰めている。

 

どの国でも、トップの弱さの自覚は、恐怖の独裁や残虐行為の深層に存在する理由である。それは自身の名誉も命も、トップの椅子の上にしか無いからである。これは、24日に始まったウクライナ侵略の結果ではなく、国境付近に10数万の兵士を配置したときからのことだろう。

 

米国バイデン政権が「侵略するのなら今だ」と言わんばかりのプロパガンダを行ったのは、そのプーチンの情況を知ってのことだったのだろう。これがウクライナを侵略した本当の理由だと私は思う。①強いロシアとそれを率いる大統領を演じる必要があったのだ。(補足2)

 

つまり、人口の半分に近い人がロシア語を母語とする兄弟国のウクライナが、反ロシアに作り上げられた情況を前にして何もできない弱い大統領のイメージは、それだけで支持を下げる要因だと、プーチンは自覚しているだろう。(補足3)

 

欧州は、そのことと弱い立場ほどより過激になることを十分に考えるべきである。世界を核の犠牲にしないためには、大量破壊兵器を大量に持つ国を過度に追い詰めないことである。

 

一般に大陸の人たちは、自分と相手を対立させて話し合う形式は得意だが、自分と相手を同時に思考の枠に入れることが苦手だろう。つまり、彼らは個人主義の国の民であり、日本人のように自分の立場を離れ、集団の中に自分を置いて思考する習性を持っていない。(補足4)

 

両方に一定の成果を割り振る形で交渉しなければなかなか纏まらない。それが出来るのは、米国である。この戦争を止められるのは、戦争に導いた当事者の米国バイデン政権である。

(これは素人の意見であることを承知ください。;18:00編集、①の文章を追加。)

 

 

補足:

 

1)後者は、これまで批判してきた共産党独裁と変わらない体制であり、プーチン自身が批判してきたことである。 例えば、1021日ロシアのソチで第18回バルダイ・クラブ討論会の年次総会で、会議に出席したプーチン大統領は、スピーチの中で「西欧社会は極左の社会主義イデオロギーに侵食されている、1917年のレーニン革命時のロシアで起きたことと大差はないと言っている。https://www.youtube.com/watch?v=ZAN9A8GzbGk440710

 

2)昨日のテレビ番組「そこまで言って委員会」でも、プーチンのウクライナ侵略の意図がわからないと専門家たちが言っていた。それは、今回の侵略がロシアの利益になるとは思えないからだろう。ウクライナがNATOに入ったとしても、ロシアにとって軍事的脅威が格段に増加するとは思えないという。確かに、核ミサイルがラトビアに置かれてもウクライナに置かれても、モスクワへの到達時間はほとんど変わらない。

 

3)この記述は随分ロシア寄りだと思われる方が多いかもしれない。そのように思う方は一度以下の記事を全て熟読してもらいたい。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12726626308.html

 

4)西欧文化の刑事裁判では、弁護士に犯人の立場で弁護を精一杯行い、検事は権力と被害者の立場でこれも精一杯告発する。裁判官はその両方を聞いて、犯行を法の記述にはめ込む。日本の伝統的方法は例えば大岡裁きであり、最初から双方の立場を並行して思考の中に置く。

2022年2月27日日曜日

ウクライナ戦争が世界大戦になることへの心配:米国金融資本家を母体とするバイデン政権の企み

追加2:欧州連合(EU)と米国などは26日、ウクライナに侵攻したロシアをSWIFT(国際銀行間通信協会)から排除することなど、対ロ追加制裁を発表した。

 

 

これで世界は同時不況に陥る可能性がたかい。月曜日の株価は軒並み崖落ちだろう。世界経済を破壊して、再構築をしようと言うのだろう。いよいよ、グレートリセットなのだろう。ただ、彼らにユダヤ資本家は、株を売り逃げしているだろう。

ーーーーーーーーーーーー(10:46, 以上追加)ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ウクライナへのロシア侵攻がより深刻な方向に向かっている。非常に心配なのだが、ここは熱くなった空気を冷やすことが第一である。追加制裁(SWIFTからのロシア排除)は、第三次世界大戦に導く可能性がある。

 

追加1:キリスト教圏なら、報復について聖書がどう書いているか知っている筈だ。SWIFTからロシアを除外するというのは、ユダヤ教徒の発想だ(10時)

 

私は全くの素人であるが、この戦争の前から、①米国の一部グローバリストがWEFと協力して、世界をリセットするための導火線ではないかと心配してきたつまり、世界の敗戦革命のようなグローバルで巨大なリセットである。

 

ゼレンスキー大統領はイスラエルに仲介を頼んだということだが、それがうまく行かなければ、ドイツやフランスが動き出すべきである。或いは、インドが良いかもしれない。今となっては頭を冷やして、キリスト教徒なら”敵のために祈れ”などの言葉を思い出して、停戦を実現してほしい。このままだと、熊よりもっと恐ろしい竜が暴れ出す可能性がある。

 

イケイケどんどんと、プーチン憎し&米国バイデン支持の方々(日本の)の頭を冷やす意味で、以下のリブログを行う。2019年10月15日投稿のものである。(そこに跳ぶ前に!、最後まで読んで欲しい)
 

2)新しい情報:

 

この記事を投稿しようとした時、及川幸久氏のyoutube動画をみた。そこで及川氏は米国の元記者の方のブログを引用して、米国の元財務長官顧問( former Assistant Treasury Secretary)のPaul Craig Roberts博士の言葉を紹介している。

 

そのサイトは、以下のものである。

 

そこには、ウクライナのゼレンスキー大統領が、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国に高度な自治権を与えること、つまり②ミンスク合意の実行を、米国が妨害したことが語られている。

 

それのみならず、Roberts博士は③「オバマーバイデン政権は、明らかにその地域で戦争を引き起こそうとしている」(”The Obama/Biden Administration is clearly pushing for war in the region”)と言っている。

 

これを読んで、再び上記下線部分(①の部分)の心配が頭をよぎる。

 

誰かが昨日、テレビ放送で言っていた:

バイデンが2月初めから言っていた「米国はウクライナに兵を出さない」とか、「小さい侵略の場合は米国はあまり大きな制裁はしない」とか言っていたことは、「朝鮮戦争」のとき、アチソンが朝鮮半島は米国の防衛の外にあると線を引いて表明したこととそっくりだ。

 

そして、イラク戦争に関するブッシュ発言やナイラ証言も思い出す。

 

上記(②と③)は、1月29日の記事にあるように、バイデン民主党政権は背後の所謂ネオコンの指示の通りに、ロシアをウクライナ侵攻させるべく挑発していたことを強く示唆している。

(10時冒頭に一文追加;16時、2箇所編集)

ーーーーー終わりーーーー

 

 

2022年2月24日木曜日

ウクライナの件:ウクライナは武装中立の立場をとるべきだった

この問題への私の考えは、13日に書いた通りである。米国民主党政権とその背後の勢力には、反ロシアの戦略と、西欧諸国が反中国で団結しないようにする二つの目的があるのだろう。つまり、西側は、ロシアと中国の二正面作戦が十分な形で取れないので、今回の対ロシア紛争は、中国に対する援軍になる。

 

更に、米国民主党とその背後の勢力は、中間選挙での不利を挽回するために、このようなシナリオを書き、ロシアをその方向に追い込んだのだろう。ウクライナの大統領は、それが分かりながら、愚かな選択をした。

 

英国は米国と同様の勢力が支配していると考えられ望み薄なので、ドイツを始めEU諸国には、米国に盲目的に追従しないでほしいものだ。日本の岸田政権には期待できないのが残念だが仕方ない。

 

この件、既に13日に書いているので、これ以上かかない。その代わり、私の考えに近い話を、武田邦彦氏が、元自民党議員のyoutubeサイトで話しているので、それを引用する。

 

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=9M4UIEc1fcM

 

ウクライナがとるべき戦略は武装中立だと思う。ロシアと欧米とに挟まれた地政学的位置を考えれば、親露をとっても親米をとっても、争いの場となる。それはウクライナ国民にとって不幸である。自主独立の姿勢をとるべきで、米国民主党ネオコンの策略にはまるのは愚かである。

 

元自衛隊の用田和仁陸将の意見が釈量子さんのチャンネルにあったのでこれも引用する。用田元自衛隊陸将は、日本が非常に危険なことになる可能性を指摘しておられる。その通りで、この件二年以上前に書いた通りである。「日本は領土問題を棚上げしてでもロシアと平和条約を締結すべき」

 

 

 

2022年2月21日月曜日

世界支配を完成しつつある人たちとそれに刃向かう人たち

今回は、既に見た人も多いと思うが 一本のyoutube動画を紹介したい。林千勝さんの動画で、米国など世界の金融資本主義を支配する権力者たちが世界政治を支配しているという内容のものである。これまでこれ程の衝撃的な内容の動画を見たことがない。

 

その話は一冊の本に書かれている。それは、ビル・クリントンの大学時代の恩師である Carroll Quigley と言う方が書いた“Tragedy and Hope: A History of the World in Our Time” という本である。この動画は、youtube から取り消される可能性があるので、視聴は早い方が良いだろう。

 

https://www.youtube.com/watch?v=t6HSmOayJwI

 

 

そこで林氏が語っている“Tragedy and Hope”の内容の一部を、抜粋して紹介する。

 

抜粋:

 

金融資本主義の権力者には遠大な目的があった。それは各国の政治体制と世界全体の経済を支配することができる個人の手による世界的な金融統制システムを構築することに他ならない。このシステムは頻繁に行われれる私的な会議や会合で得られた秘密の合意によって、協調して行動する世界の中央銀行によって統制されることになっていた。

 

このシステムの頂点はスイスのバーゼルにある国際決済銀行である。この銀行は民間企業である世界の中央銀行が所有し管理する民間銀行である。世界の主要な中央銀行のトップは、それ自体が世界の金融における実質的な権力者ではない。むしろ彼らは支配的な投資銀行家の技術者であり、代理人である。支配的な投資銀行家たちは、中央銀行のトップを育て、そして彼らを倒すことができる。世界の実質的な金融権力は、これらの投資銀行家が握っていたが、彼らは主に自分達のプライベートバンクの舞台裏に留まっている。(途中略)

 

各国の政治体制や世界の経済を支配することができる民間の手になる世界的な金融支配システムは、実在する。それは地球上で最も強力な権力者たちによる超極秘のグループである。彼らは現在、巨大なくもの巣のような複雑なネットワークを介して、あらゆる主要な国際機関、あらゆる主要な多国籍企業、国内外の主要な銀行、あらゆる中央銀行、地球上のあらゆる国民国家、あらゆる大陸の天然資源、そして世界中の人々を支配している。

 

この自己増殖するグループは世界中の政府指導者、消費者、人々を操ることができる精巧なコントロールシステムを開発した。彼らは古代ローマ帝国に匹敵する世界帝国の建設にむけて最終段階に入っている。しかしローマ帝国のように一部だけではなく、全世界を支配することになるだろう。このグループは億単位の男性、女性、子供の苦しみに責任を負っている。第一次世界対戦、第二次世界対戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争などの責任は彼らにある。(以下略)

 

小沢一郎の著書「日本改造計画」に始まり、最後はロバートケネディジュニアの著書を紹介している。どれも非常に興味深い、しかも深刻の内容である。最後の本は、今回のパンデミックとの絡みで同じ勢力の活動について語っている。(23日編集あり)

2022年2月20日日曜日

ジョン・レノンと親鸞に共通の思想

前回記事に米国在住のchukaのブログさんからコメントをもらった。その一つ目への返答の付録が以下の文章である。前回記事では、何か問題が生じ、当事者間で話をしているが解決にほど遠い場合、それが単に解釈の差なのか、元々立場(=思考の枠組)に違いがあるのかを明らかにすることは問題解消の上で非常に大事であるという内容を、原点から記述したつもりである。

 

今回は、特に親鸞の歎異抄(唯円の著作)の中の言葉「善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや」についてのコメントに対する返答の意味も兼ねて、親鸞がこの言葉を口にした時の「思考の枠組」がジョン・レノンが「イマジン」を作詞したときのものと同じであることを示す。原点から出発して話を展開するので、まどろこしいと思われるかもしれないが、ご容赦を。

 

1)善と悪の起源は共同体社会にある

 

「思考の枠組」はパラダイムとほとんど同じ。話の中での基本的条件、設定する仮定や基本的概念一組である。言葉を用いて論理を展開する前にそれを定義しないと、途中で話が通じなくなる。もちろんデフォルトの思考の枠組が多くの場合存在する。

 

多くの基本的概念は、人種や時代を超えて共通である。それは、“心理学や精神病理学からの人間の発想の共通性”ということとも関連しており、その共通性は人間の生存とその基本的形式と関係していることから生じると思う。従って、個人に関する思考の多くは、通訳を入れれば外国人でも通じる。

 

ここで原点(原始時代の人の立場)に戻って考える:

人間は群れを作って生きる。何万年も前になるだろうが、その群れが大きくなり複雑化して、社会(=共同体)と呼ばれる様になる。言葉は、運命共同体である社会の中で、農作物の生産から敵との戦いまでの範囲で、情報交換のために作られ進化したというのが私の考えである。それが、私の「言葉の進化論」である。

 

言葉の進化論(3): 善悪に見る言葉の壁https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12484224705.html

 

2)基本的概念である損得と善悪の分離

 

ABの二者択一の問題において、好ましい方がAなら、Aが得であるという。この損得は、個人にとっても共同体全体にとっても、同様に用いられる。上記言葉の進化論では、共同体社会が大きく複雑になったとき、新たに善と悪という概念が発生したと考える。

 

共同体に対して「得」となることを形容する言葉が「善」であり、共同体に対して「損」となるのが「悪」である。つまり、個人の損得と運命共同体である社会全体としての損得が、明確に乖離してしまったので、新たに善悪という概念が必要となったのである。損得は個人から社会全体に対して共通の概念であり、より基本的である。

 

それにも拘らず、通常、「損得」に対して「善悪」を優先するのは何故か。

それは、言葉はそもそも社会の存続と隆盛のために存在するからであり、そして人間の生存にとって社会を作ることが必須だからである。

 

人間が個人で瞑想・思索するとき、本来社会のものである言葉を借りて思索すると言って良い。原点にまで戻れば、「善悪」は個人の心の中では本質的ではなく、社会の方に顔を向けた時だけ(本来は)意識する概念である。(補足1)

 

この損得と善悪の間は、社会が大きく複雑になるほど、つまり時代を下るに伴って、大きく乖離するようになる。それは以下の状況を考えればわかる。

 

ある共同体と別の共同体の間で生存競争が生じたとき、善悪を個人の損得に優先しなければ、その群れ(共同体)は敵に負けて全員命を失う。そこで、複数の群れが共存する社会に生きる状況下では、善悪が損得に優先して個人のこころの中にまで植え込まれた群れ(共同体)が生き残る。

 

その善悪を崇高な概念として人の心に植え込むのが、宗教の役割である。つまり、敵と戦って命を失うことは個人にとって最大の損だが、所属する共同体にとっては最高の善となるのである。しかし、善を優先して戦死する個人は浮かばれない。そこで宗教は天国と地獄を発明したのである。

 

この偉大な発明により、現世では社会的な概念に過ぎない「善」が、個人においても最高の人生の物差しになり得る。人は言葉により人間として生まれ変わり、善を積み上げて天国に生まれ変わるのである。これがキリスト教などヤハウェ神の宗教の本質だろう。

 

言葉の進化論は、このようにして、言葉は社会、人、宗教が三重螺旋的に発展するプロセスで作られ進化したという仮説である。

 

3)親鸞とジョン・レノンはトリックを見破った

 

親鸞の言葉は、「本当に苦しいのなら、善悪を忘れても良いですよ」というのが本質だろう。しかし、完全に善悪や天国と地獄に洗脳されている衆生を救うには、その言葉のセットをそのまま使う必要がある。他力を信じて南無阿弥陀仏と唱える者は全て極楽往生する。それが弥陀の本願であると教えた。

 

親鸞は、善悪に最高の価値を置く“トリック”を見破っていた。つまり、わたくしは親鸞は無宗教だったと思う。それゆえ、躊躇うことなく多数の妻を娶ることも出来たのだろう。

 

ビートルズの歌曲にイマジンというのがある。Imagine there’s no heaven. It’s easy if you try. No hell below us. Above us, only sky. (天国の地獄も無いと想像してごらん。難しいことでは無いから)そして、Imagine there’s no countries. Its isn’t hard to do. Nothing to kill or die for.(国なんて無いと想像してごらん。難しくないから。そのために殺したり、殺されたりすることなんか無い。)

 

 

 

 

恐らく、ジョン・レノンは、小野洋子との付き合いの中で、仏教特に親鸞のことばに学んだのではないだろうか。(補足2)

 

つまり、通常(デフォルト)の思考の枠組みでは善悪を絶対的な概念として取り入れるが、親鸞やジョンレノンが上記のような言葉を口にするときには、それらが取り外し可能であることを示しているのである。

 

(編集あり、11時45分;最後の文は16時に追加)

 

補足:

 

1)個人の生存が共同体社会の存続とは無関係だと感じる時、つまり、平和が続き社会が安定化して暫くすると、人は善悪の縛りを鬱陶しく感じ、自由になろうとする。宗教的道徳的には堕落する。

 

2)親鸞は、現在の感覚では極限の貧困の中で、ジョン・レノンは豊かさの浸透の中で、神や仏の虚構を見破ったのだろう。ただ、ジョン・レノンは、国家の意味を過去に遡って知っていたのだろうか? 

2022年2月17日木曜日

「思考の枠組」の違いにより生じる対立:ウクライナ問題

前回、米国は世界平和のためにこれ以上NATOの東方拡大をすべきでないと言う趣旨の文章をアップした。そこでその理由を詳細に説明したが、米国在住の方よりコメントをいただいた。それは正論であるが、議論の立場に違いがあるように感じて、返答した。そこから今回議論を始めようと思う。(補足1)

 

コメントの概要は以下の通り:

プーチンの侵略は、ナチスドイツの戦争責任を追及したニュールンベルグ裁判における戦争犯罪にあたる。プーチンはウクライナの意思と主権を全く無視し軍でウクライナを包囲しNATO が永久に拒否しなければウクライナに侵入すると脅かしている。過去の経緯はどうであれ、国連憲章違反。

プーチンのロシアは治安維持法下の日本のような独裁国になっている一方、ウクライナの一般市民は民主主義資本主義を基本原則とする西側につきたいという意思は当然のことです。

 

これに対する返答の要旨は:

思考の枠組みを国連中心の現在の国際政治の枠組みとした場合、chukaのブログさんのおっしゃる通りです。従って、現実の外交においては、日本政府はロシアのやり方を批判します。それは西欧諸国も同様だと思います。今回、この思考の枠組みについて触れなかったのは、拙かったと思います。

 

つまり、現在の国際政治の頂点にある米国民主党政権の論理では仰る通りだが、もう少し原点の方から議論すればロシアにもロシアの言い分があると書いたのが前回記事である。そこで、前提となる「思考の枠組」について予め触れなかったのは、拙かった。

 

今回は、上記返答における「思考の枠組みの違いで生じた噛み合わない議論」について、説明したい。必要なら次回以降に、ウクライナ問題に適用してみたい。

 

1)思考の枠組の例1: 親鸞の言葉

 

”思考の枠組”とは、論理的に話を展開するための諸前提のセットである。思考や議論において何らかの矛盾が発生したとき、これまでの思考の枠組を再設定することで矛盾が解消する場合が多い。尚、思考の枠組の設定指針がわかる様に代表的な人物等で表現したものが、“XXの立場”である。

 

抽象論だけでは分かりにくいかもしれないので、具体例をあげる。思考の枠組を代えることで、とんでも無い意見が崇高な言葉に変化する場合がある。親鸞の「善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや」である。現代語では、「善人でさえも極楽に行けるのだから、悪人が救われるのはいうまでもないことだ」となる。

 

この言葉は、善人とは社会の規則を守って生きる人の意味だが、悪人と言われる人たちから“善人”を形容すれば、自分勝手に作った規則で富を独占し、善人面する人たちということになる。これは、親鸞による全ての衆生を仏にするという弥陀の本願の一表現だろう。

 

食糧が全人口の95%しか養う分しか無い状況に追い込まれた社会では、何が起こるだろうか? 言うまでもなく、食糧の奪い合いが起こるだろう。その社会が、武力によって秩序が維持されている状況であれば、富者が食糧を独占し、貧者は飢え死にするだろう。通常、法或いは掟は常に富者により定められているからである。

 

その状況下で「生きると言う点において全ての人が平等である」という前提で、食糧分配の方針を議論できるだろうか? 不可能である。親鸞が生きた時代は当に、そのような状況の社会だったと思う。そのような状況下で、飢えた赤児を抱えた男が、富者の家に押し入り財或いは食糧を強奪した罪で捕らえられたとする。その者は悪者とされ、打首となるのは必定である。社会の秩序とは、そのようにして護られる。

 

刑死する前に、悪事を為した故に「あの世」で地獄行きを宣告されることを心配する罪人に対して、親鸞が「善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや」と言ったとしたなら、それは誰もがなるほどと思うだろう。つまり、激烈だと思われた親鸞の言葉は、「生きると言う点において全ての人が平等である」という「思考の枠組」で、あらゆる神や宗教に囚われずに、自分の思想を説明しただけなのだろう。(補足2)

 

現在の社会でも、例えばマスコミで報道される分析などは、ほとんどの場合、多数或いは一番金と力のある者が都合よく作った「思考の枠組」の下に作られた話である。それに洗脳された一般民は、その枠組みの存在にすら気がつかない。

 

2)思考の枠組の例2:文化圏での限界

 

真実追求の議論において、「思考枠組の転換」が重要なより一般的な場合を挙げる。弁証法的に問題を解決する場合である。Aの立場とBの立場が議論でぶつかる場合、ABの立場を融合した新しい立場(つまり新しい思考の枠組)で問題を整理することで、矛盾を解消できる場合が多い。そのプロセスを弁証法では、止揚と呼ぶ。(補足3)

 

裁判でこの考えを説明すると、弁護士は犯罪人の立場、検事は検察側の立場から、精一杯証拠を探し出し論理を駆使して議論する。最後に裁判官が、両方を融合する立場、つまり拡大した思考の枠組で、全ての証拠を一組の論理で組み立てて結論を出す。裁判は弁証法を利用している。

 

この「思考の枠組」を意識することは解決に至るプロセスにおいて重要だが、この弁証法的プロセスでは、立場A と立場Bを包含する以上の広い立場を取り得ないことの意識も重要である。それらが共に、偏見の下に存在した場合、そこから外へ思考の枠組を設定できない。

 

つまり、裁判ではその文化圏の外に思考の枠組設定はできない。従って、韓国の裁判には日本文化の下では理解不能なことが多い。例えば、親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法などは、韓国の論理の限界を示す。日本のように単一文化単一民族の国でも、日本文化という思考の枠組の存在に気がつかないことがほとんどである。

 

異なる国家間の対立の場合、上記のように問題解決できない場合が歴史上多かっただろう。その場合でも、戦争により決着をつけるというのが、西欧でできた拡大版の思考の枠組である。この(クラウゼヴィッツの戦争論)論理で考えた場合、戦争の後で裁判をするという東京裁判などは茶番以外の何物でも無い。米国中心のやり方は、西欧文化の延長上には無い。

 

日本には、明治の時代に出来上がった天皇制という思考の枠組に囚われている人が、知識人のなかにも非常に多い。右派の方々、百田尚樹から馬渕睦夫さんまで、天皇制に強くこだわっている。現在、民族主義への過剰なこだわりは日本の破滅に至ると私は思う。天皇制は維持する方が良い、もっと軽くエレガントに維持できるなら。

 

3)思考の枠組の例3:米国の場合

 

米国のように複雑な民族構成の国では、立場の違いは明白であり、思考の枠組の拡張による問題解決法に気付いている人が多いだろう。ただ、狡猾な一派がマスコミを支配することで、形だけの立場二つ(つまり民主党と共和党)を作り上げ、「立場の違い」の論争を作り上げ利用してきたと思う。

 

レーガン政権の時、彼らは支配力強化のために、マスコミの公共性を廃止し自由化を実行した。マスコミを支配し国民を洗脳するためである。例えば水野道子氏は、「レーガン政権の通信政策における希少性と萎縮効果」(メディアと文化第3号)で以下のように書いている。

https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/media/public/200703/Newworks2007.htm

 

連邦通信委員会( FCC) は、電波の寡占にともなう表現の画一化を避けるため公正原則という規則を制定した。 公的に重要な争点に妥当な放送時間を割き、対立する見解を公正に報道するという義務を放送事業者に課したものである。

 

周波数帯の希少性が多メディア・多チャンネル化による電波を利用した表現手段 の増加で解消され、さらに公正原則が放送事業者の表現手段に萎縮効果を与えるということを根拠に、1987 年レーガン政権下の FCC は公正原則を廃止した。(短縮のため原文を少し編集)

 

その4年後のソ連崩壊(1991年)で、米国の一極支配の世界が出来上がった結果、彼らの一派はイラク戦争、カラー革命やアラブの春などを背後で操りながら、世界の金融のドル支配、産軍共同体の利益拡大などに邁進したのだろう。(補足4)

 

その一方、米国市民には誤魔化し続けた。それが可能となったのは、当に、このレーガンの改革があったからであり、上記狡猾で世界の富の多くを持つ一派が、メディアを支配し、「自由、人権、民主主義という近代人類の共有する価値」という幻の思考の枠組を作り上げて、一般市民の洗脳に利用したと思う。

 

最初は、既に述べたように、共和党と民主党という二党の議論で、弁証法的に真実を確認するという形で米国を牛耳ってきた。しかし近年、インターネットなどで、新聞やテレビ以外の情報の流れが大きくなり、より知的な保守の人たちにはその支配の構造が理解された為、民主党を主な足がかりにすることになったのだろう。

 

その後、民主党支援団の中から、とんでもない論理が現れる。例えば、 BLMCRT critical race thory; 補足5)である。上記狡猾な人たちの戦略も限界に近づいたのである。そんな中、民主党応援団の一角だったCNNがトランプ支援に回るという可能性が指摘されている。

 

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=FLWnq-XZMn0

 

 

補足:

 

1)本文は文系学問には素人の筆者が、自分の知識の整理のために書いたものです。ここで用いる「思考の枠組」「立場」などの用語は、理系出身の筆者が勝手に用いたもので、社会科学で用いるものとは異なる可能性が大だと思います。その点ご了承ください。

 

2)法然の弟子である親鸞は、浄土真宗の開祖であるが、青年の時に比叡山に修行のために入山する。天台宗の道場である横川中堂で修行するのだが、その苦行に疑問を感じて下山する。比叡山の思考の枠組に囚われている多くの青年修行僧であったなら、浄土真宗は生まれなかっただろう。

 

3)多くの文化系の人には、釈迦に説法だが一応書いておく。1970年代の学生運動盛んなころ、活動家がテーゼ(立場A)、アンチテーゼ(立場B)、アウフヘーベン(止揚; 解決)と鸚鵡のように繰り返し言っていたのを記憶している。活動家が関心を寄せたマルクスの唯物弁証法は、歴史の進展を矛盾の発生(つまり、ABの対立)と解消(矛盾の止揚、アウフヘーベン)の形で理解する思想であると私は理解している。

 

4)イラク戦争では、イラクのフセインが原油取引をユーロで行うことを考えた。それでは米ドルの支配が揺らぐので、サウジアラビアと協力して米ドルでの原油取引決済を維持し、その一方でフセインのイラクを罠にかけて、戦争に巻き込んだ。

 

5)米国に移住した一部の有色人種に属する人たちは、「米国は白人が支配し、白人が富を蓄積してきた。従って、白人たちが積み上げた富の1/4位は、有色人種に無条件で分配されるべきである」と発言する人もいると、誰かがyoutubeで言っていた。そこですこしgoogleで調べると、確かにその類の議論が出てきそうな気がする。引用の記事を読んでもらえればわかる。https://diamond.jp/articles/-/248160このCRTを持ち出す人たちは、平然と米国の法律に反することを言っている。それは思考の枠組みを原始の状態からの議論ができるまで広げてこそ成り立つものである。

2022年2月13日日曜日

ウクライナ危機について:米国はNATOの東方非拡大を約束すべき

ロシアのウクライナ侵攻の可能性が心配されている。しかし、プーチン露大統領は実際にウクライナ侵攻するつもりはないし、侵攻は得ではないと言うのが、大多数の見方である。一言で以下の文章の結論を言えば:米国がNATOの東方非拡大を約束すればプーチンは兵を引くだろうから、1990年の国務長官の発言のとおり、NATOの東方拡大を止めるべき。https://news.yahoo.co.jp/articles/fd8419415de12d4b2a9fd356d376f5e4104d5831(補足1)

 

1)今回のウクライナ危機の概観:

 

今回のウクライナの件は、ウクライナのゼレンスキー大統領が2014年のミンスク合意を無視しようとしたことが、プーチンの国境への軍隊配備を誘発したと言える。ミンスク合意とは、2014年のウクライナ危機後の安定を取り戻す交渉で、ウクライナ東部ドンパス地方に強い自治権を認めることを全欧安全保障機構(OSCE)が中心に纏めたものである。https://www.dir.co.jp/report/research/economics/europe/20220210_022836.html

 

その合意の履行に関して、独、仏、露、ウクライナが10日(2022/2/10)、ベルリンで高官級協議を開いた。https://news.yahoo.co.jp/articles/5db434f0b011d3887f8478ac43c509d2b67ad537

しかし、その履行がなかなか困難なのは、ロシアの要求通りにすればウクライナが東西に割れる可能性をウクライナ政府が心配するからである。

 

ロシアがウクライナへ侵攻する姿勢を示すのは、隣国ウクライナのロシア敵視の軍事同盟であるNATOへの加盟を阻止するためである。元々ウクライナとロシアは非常に近い関係にあり、ロシアには必要な国でもある。そこに、米国の核ミサイルが並ぶことだけは阻止したいのである。

 

そのロシアとウクライナ関係を示唆する出来事が最近あったようだ。全ロシア将校協会がウクライナ侵攻に反対する書簡を書いて公開したという。このままではロシアとウクライナが永遠の敵同士になり、更にロシアの存立が危うくする政策だとして反対しているというのである。(補足2)

 

元々プーチン支持のロシア軍の将校たちが、ウクライナとロシアの関係を心配しているのである。何故、元々非常に近い関係にある両国を裂き、ウクライナも東西に割くようなことを米国は企むのか。

 

米国クリントン政権、或いはその背後の勢力に、ウクライナをNATOに加入させることで、ロシアとの間に楔を打ち込み、両国を混乱に持ち込み、それに乗じて利益を得ようという考えがあったのではないだろうか。

 

2)NATO の東方非拡大を一旦考えた米国が、何故それを撤回したのか。

 

東ドイツが民主化されて統一ドイツができる時、アメリカのベーカー国務長官がゴルバチョフと会談した。その際、NATOを東方へ拡大しないことを約束したという記録が残っている。それにも拘らず、その後米国大統領になったクリントンがそれを反故にしたのである。今こそ、バイデン政権はそれを世界平和のために提案すべきだと思う。https://nsarchive.gwu.edu/document/16117-document-06-record-conversation-between

 

そもそもNATOはソ連を対象につくられた軍事同盟である。それにも拘らず、ソ連崩壊後も縮小されなかったことが不自然である。ミンスク合意の履行をウクライナに迫るよりも、NATOの東方への拡大をこの辺りで止める決断を欧米はすべきだろう。

 

NATOは軍事同盟であり、世界最大の軍隊を持つ組織である。ロシアは現在“危険な思想”の国ではないのだから、それをロシアの隣国ウクライナに持ち込むのはおかしい。(追補1)そのプーチンの思想だが、米国民主党のものとはかなり異なるのは確かである。しかし、危険ではない。

 

aプーチンは主権国家を大事に考え、そのベースとして秩序ある伝統的家庭の形を大事にする。欧州各国は、もう少しプーチンの思想に理解を示すべきであると思う。異常なのは米国民主党の思想である。国境は明確でなくても良いとして、中南米から大量に不法移民の入国を結果的に許したり、家族もバラバラで良いとする左派の考えは世界を混乱に導くと思う。

 

https://www.youtube.com/watch?v=glOGf4spm78

 

異なる思想を認め合うのが自由主義なら、ロシアはロシアの思想をもっても良いのでは無いのか? 勿論、プーチンが大ロシアの再興を考えているとしたら、警戒は当然のことである。しかし、現状拡大しているのは、NATOの方でありロシアではない。 

 

仮に、米国が個人の自由と人権を大事にする民主主義のリーダーなら、民主化の途上にあるロシアを敵対視するNATOは、例えば今後30年間、暫定的に東方非拡大とすると言っても良いのではないのか。

 

この米国の不思議な政策については、ソ連崩壊後の政治経済を勉強しないと分からない。素人ながら少しネット検索してみた。(本文章は、素人が自分の考えを作り上げるために書いたと理解いただきたい。)

 

 

3)オレンジ革命とウクライナ危機 (補足3)

 

ウクライナの2004年大統領選挙は、親ロシアのヴィクトル・ヤヌコビッチと親欧米のヴィクトル・ユシチェンコの戦いとなった。この選挙の前には、ユシチェンコの暗殺未遂事件があった。ダイオキシン類が食事に混入していたとされている。ひどいニキビ顔になったユシチェンコは同情票をもらって、選挙に望んだのだが、ヤヌコビッチに負けるという結果になった。(補足4)

 

ユシチェンコ側は、ヤヌコビッチが当選したのは不正選挙のせいだと主張し、大規模なデモが展開された。最高裁の裁定(判決ではない)により再選挙の結果、5244でユシチェンコが勝ち、大統領に就任した。これをオレンジ革命と言う。それは、東欧のカラー革命と言われる一連の政変の一つである。(補足5)この大規模デモを応援したのが、米国民主党の背後に居ると思われるユダヤ人資本家のジョージソロスである。

 

しかし大統領となったユシチェンコはウクライナ経済にテコ入れが出来ず、汚職を放置するなどで人気を無くし、2010年の選挙では結局ヤヌコビッチが大統領になった。その後2014年、上に書いたように、ヤヌコビッチの汚職などの腐敗を民衆が追求して大規模な暴動が起こり、ヤヌコビッチはロシアに逃げた。この暴動を支援したのが、ソロス財団だというのである。

 

更に、紛争を引き起こした側の一角に米国CIAの発注により軍事会社Academi (Black Water)が派遣した民間兵士が居たという説がある。つまり、英国のDaily Mail配信のニュースによれば、ドネツクなどでその民兵が武器をもって街を闊歩する様子が撮影され、ロシア側からその件が発表された。

 

彼らは記章をつけていないので、政府の兵士ではない。集まった民衆の中からBlack Water と言う声を聞くと、そそくさと去る様子が映されているとのこと。ロシアのTVもこの傭兵を米国から派遣された者として報じたので、Daily mailはその点をBlack Waterに問い合わせたが、返答がなかったと記事には書かれている。

https://www.dailymail.co.uk/news/article-2576490/Are-Blackwater-active-Ukraine-Videos-spark-talk-U-S-mercenary-outfit-deployed-Donetsk.html

 

以上総括すれば、今回だけでなく、ソ連崩壊後の東方のゴタゴタには米国の影がある。更に付け加えれば、2014年、米国大統領府でウクライナを担当していたのが現在の大統領バイデンである。その際バイデンの息子のハンターや当時国務長官だったジョンケリーの娘婿などが、ウクライナのオリガルヒ(ガス会社が中心にある)から巨大利権を獲得した疑惑がウクライナ疑惑である。

 

この辺りは、浜田幸一という国際政治学者の見方のようで、及川幸久氏もこの見方を採用して動画を配信している。ウクライナの政治にちょっかいを出したのは米国の方なのだから、この際、NATOの東方非拡大を約束すべき。https://plaza.rakuten.co.jp/sun7249/diary/202202060004/ 

 

 

4)ソ連崩壊後の経済:東欧に新興財閥を作って経済乗っ取る企み

 

米国がNATOの東方非拡大を反故にしたのは、米国政府とネオコン勢力が旧ソ連の東欧諸国の政治と経済を自分達の支配下におきたかったからだろう。NATOという欧州にとって最重要な軍事同盟を維持することで、欧州でのリーダーシップを維持し、それを強固な“足がかり”として利用している疑いがある。

 

ソ連の崩壊後に、旧ソ連は15の独立国となった。そこでの国有企業の個別化と民営化には、経営者や雇用者などの明確化や債務・債権の整理が必要だし、銀行との金融関係なども作る必要があるだろう。政府の企業支配が薄れ、財閥支配に移る過程で不正が多くなされただろうことは想像に難くない。

 

ロシアでは、エリツインの時代の10年間で、新興財閥(オリガルヒ)の支配する市場経済の国に代わっていたが、その結果生じたオリガルヒの多くはユダヤ系であった。それは、おそらくIMFの関与で育てられた新興財閥なのだろう。https://www.kyodo-cpa.com/report/2009/0401_225.html

 

1991年のソ連解体後、ロシア大統領に就任したエリツィンは、ソ連の経済体制を一気に資本主義化し、世界の市場経済に組み込むべく取り組んだ。それに協力したIMF(国際通貨基金)は、ロシアに対する外貨貸付をてこに資本主義化と多国籍企業のロシア進出をアレンジした。上記文献は、その基本を以下のように書いている。

 

① 市場経済の導入すなわち国有企業の民営化による新興財閥の育成と多国籍企業の進出促進

② ロシア国家財政の赤字圧縮を理由とした年金福祉制度の後退、補助金等の打ち切り

 

このロシア経済を西側に開くプロセスで、ルーブル安とハイパーインフレが進むのは必定である。そして、ロシア人は文無しになり、ほとんどの資産は高い通貨の国、つまり米国人系の所有になった。IMFや米国中央銀行のFRBはユダヤ人の下にあるので、新興財閥の多くはユダヤ人のものとなったのだろう。

 

このユダヤ人オリガルヒの多くを追放したのが、2000年に第2代の大統領となった元KGB(国家保安委員会、米国のCIAに相当)出身のプーチンである。そのプロセスで、プーチンはユダヤ系資本と敵対するようになった。つまり、ユダヤ人財閥といえども、ロシアの国家主権は奪えない。そこで、プーチンは上記のような理不尽を国家主権を用いて、(理不尽に)解消したのだろう。

 

ウクライナも同様に、オリガルヒ支配が続き、結果として国民は貧しい状態が続いている。現在の大統領のゼレンスキーも、喜劇役者からドンバス(=ウクライナ東部地区でロシア人が多い)戦争(2014年から続いている)の終結とオリガルヒの汚職・腐敗によるウクライナ国家への影響を阻止することを公約に掲げて当選したという。

 

地政学的にロシアの喉仏にあたる位置を米国の支配下に置くことは、世界を不安定にすることは明白である。仮に、ユダヤの資本家たちが期待するように、ロシアが消滅するにしても、それには非常に長い時間を要する。それまでは、ロシアが数万発の核ミサイルを持って暴発しないようにすべきである。これらの問題は、中露同盟という最悪の結果を招く危険性を避ける意味でも重要である。

 

以上で今回は終わりたい。あまりにも複雑で手に負えないというのが実感である。

 

一言付け足し:ソ連解体の時の核兵器の多くがウクライナにあり、そのロシアへの移送という決断をウクライナがしたのだが、それと絡めて今回のウクライナ危機を論じる人がいる。

  ロシアの卑劣な裏切り。正直者が損をしたウクライナ危機の真相 - まぐまぐニュース!

勿論、ウクライナが核を大量に保有していたなら、現在全く違った事態にあるだろう。しかし、今回の事態の原因ではない。

(午後5時に編集;14日早朝少し編集、()内を追加; この記事は間違った助詞の使い方がおおいので、後日修正しました。オリジナルはグーグルブログ)

 

追補:

1)日清日露は、日本の隣国までロシアの脅威が近づいたことが原因である。ロシアの反応は、同様のモデルで理解可能である。キューバにソ連軍が近づいたとき、ケネディは海上封鎖して、それを防いだ。隣国への核兵器配備の可能性を排除するのは、自衛権行使の範囲だろう。

 

補足:

1)引用のNewsSocraの記事は分かりやすい。この時の経緯と、NATOのそもそもの役割を考えて、今後の東欧の安定のために、東方非拡大を決断すべきであると思う。

 

2)最近、このウクライナ問題に詳しい政治評論家の北野幸伯氏が、この緊張状態がプーチンの下手な戦略による可能性を示唆するメルマガを配信した。(北野氏のメルマガ)それによると、ロシアのイヴァショフ元上級大将が率いる全ロシア将校協会が、ウクライナ侵攻に反対するプーチンに対する書簡を書いて公開したようだ。元々、プーチンを応援してきたこの協会が、ウクライナへの侵攻は、ロシアとウクライナを永遠の敵にする可能性があり、更に、ロシアの存立を危うくする政策だとして反対しているというのである。

 

3)この表題は、元駐ウクライナ大使の天江喜七郎という方の文章の表題を借りた。この文献ではウクライナ大使の視点から、オレンジ革命と2014年の政変は一連の流れの中にあると指摘している。

http://www.eb.kobegakuin.ac.jp/~keizai/v02/data/pdf/201509amae.pdf

 

4)2004年の9月の週末友人とダーチャ(郊外の別荘)で食事をしたあと、中毒になり死線をさまようことになる。ダイオキシン類による中毒とされているが、真相は明らかにされていない。直接のきっかけである食事まで特定されながら、真相は闇の中というのはいささか合点がいかない。補足1に引用の元ウクライナ大使は、「外国諜報機関による毒殺未遂説や自作自演説などが噂されたが、真相は未だに闇の中である」と書いている。噂の外国の諜報機関とはC●●のことではないのか?

 

5)更に、補足1で引用の天江氏の論文に、「オレンジ革命は自然発生的な面と、事前によく計画され実行に移された面の両面があるように思う」と書かれている。更に、ユシチェンコの配偶者が米国国際開発庁に勤務していた米国人であったことから、その結婚が「反ユシチェンコやロシアなどから米国の情報機関の政略と受け取られたようだ」と書いている。

 ーーーおわりーーー

2022年2月9日水曜日

日本の保守系を支配する明治の文明開化の思想

明治以降の日本人は、外の世界(“海外”)を先進的であるという前提で政治を考えて来たようだ。西欧から新しい良い文化を取り入れて、日本に残る古い悪い江戸文化を放逐するという思想は、明治政府の自国民向けプロパガンダであった。その文明開化の時の世界観が、未だに日本人及び日本人政治家を陰から支配している。(補足1)

 

明治から昭和の時代まで、日本の伝統文化に拘る人たちを批判する言葉が「時代遅れ」であった。「ハイカラ」は昭和40年代ころまでは、老齢の方からよく聞いた言葉である。今でもハクライの腕時計をして、ハクライの自動車に乗るハイカラ生活が、ステータスシンボルとなっている。(追補1)

 

この世界感では、西欧が世界の主人公で日本はその配下、アジアやアフリカの諸国は野蛮人の世界である。この世界秩序の国民感覚を、矯正することなく未だに利用しているのが、日本の与党自由民主党である。

 

坂口安吾の堕落論にある「切腹もせず“くつわを並べて”法廷にひかれる老年の将軍たちの壮大な人間図」という記述は、日本人の西欧諸国(正確には米国)に対する劣等意識が日本の諸大臣や将軍に明確に“刻印”されているように感じさせる。東京裁判の光景は、謀反を誅伐する側とそれを受ける臣下の姿に見える。(追補2)

 

この景色は、裸になったまま「謀反のための武器など何も持っていませんし、持つつもりも未来永劫ありません」という、吉田茂のマッカーサーに対する態度から現在の対米隷属外交まで、一貫して日本の政治・外交として続いている。

 

2)日本の戦後政治:

 

戦後復興の後、20世紀の最後の10年から現在まで、日本は長い停滞の中にある。その陰鬱なる空気の中で、最近の右側の政治評論家(チャネル桜の討論会に参加する人たちなど)は、太平洋戦争の責任は米側にあるというプロパガンダをばら撒いている。

 

彼らは、東京裁判史観は間違いであると言いたいのだろうが、その主張は当に東京裁判史観の俎上にある。その光景は、キーナン判事の「guilty」 という言葉に対して、石原慎太郎など右系の政治家や政治評論家のほとんどが、「not guilty」と言い返しているだけである。

 

坂口安吾の言葉で言えば「堕落して、底まで落ちた」筈なのに、未だに落ちた崖に向かって何やら叫んでおり、まるで這いあがれるなら這い上がりたいという風情である。

 

先日、どこかの TV局の朝の番組で、レギュラーコメンテーターの橋下徹氏が石原慎太郎氏の逝去を悼むコーナーの中で、石原氏とは一時期日本の政治を変えるべく統一会派を作ったが、結局分裂することになったと話している場面があった。

 

その対立とは、未だに戦前から戦後の境に位置する断崖を眺めて、こんな崖を落ちる筈がなかったという石原慎太郎と、世界は反対側に広がっていると道を探す橋下徹の対立であったようだ。その橋下徹の街頭演説を映す動画を見つけた。

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=ExWt5iboDko

 

この二人の意見の違いを日本国民全員が考えるべきである。つまり、どん底に落ちたのなら、そのチャンスを生かすべきである。坂口安吾の堕落論をそのように読むべきである。

 

自民党の政治家は、優れた知性を持つものほど、石原慎太郎と同じ意見を共有するだろう。しかし、それは明治以来の文明開化の考え方から抜け出られない人たちの姿である。私は以前から、橋下氏の対中姿勢を批判したことがあるが、それ以外一貫して彼を支持してきた。

 

3)反知性が支配する自民党:

 

知性に優れていない自民党政治家は、キッシンジャーが「日本人(の政治家)は愚鈍で、まともな議論など出来ない連中なので、私の関心の外にある」と評した通りの連中である。このセリフがキッシンジャーから出た理由は、先日公開された伊藤貫さんの動画に詳細に述べられているのでご覧いただきたい。

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=OCllWXHAuW8

 

アイゼンハウワーとニクソン、その下のキッシンジャーらにより、日本に核軍備をし真の独立国となって、世界の大国の一員として動いたらどうかと打診されながら、「単なる使用人の私には、そんな大それたことは出来ません」と言わんばかりに固辞した佐藤栄作。 彼以前と以後の政治家は、全て明治維新以降の散切り頭の連中である。

 

彼ら与党政治家は、伊藤貫さんの言葉を借りれば、馬鹿でなければ真の「売国奴」である。

 

追補:

 

1)街中には、フランス語、イタリア語、スペイン語など名前が多い。サンマルシェ、アピタ、ピエスタなど。現役の時、上から降りてくる文書にやたらとロードマップ(長期計画、あるいは戦略)やシナジー(共同、調和、相乗など)などの言葉が多かった。馬鹿かと思いつつ無視した記憶が蘇る。このような名称をつけるのは、欧米のものを無批判に良いと思う”ハクライ信仰”の結果である。何故なら、意味がわからないアルファベット名称の方が、外の先進的世界から来たように見えるからだ。

 

2)戦争は国家と国家が命運を賭けて戦うことであり、懲罰(裁判)で終わるのは異常である。戦死することはあっても、刑死する理由はない。何故、殺されるとしても、裁判の形式を拒否しなかったのか? 国を率いた者たちの最後にしては、非常に情けない姿である。吉田茂から現在まで続く自民党の対米従属の日本は、かれらが作った。何故、その彼ら刑死した指導者たちを靖国神社に合祀したのか? 自民党幹部らの靖国参拝は、敗戦時の首相以下閣僚に対する尊崇の念を捧げるためであり、対米従属を堅持する誓いの儀式である。

 

補足:

 

1)明治維新は、ユダヤ系資本家と英国の支援で動いた薩摩や長州によるクーデターであるとの解釈が正しいだろう。その延長上に現在の日本政府が存在する。長州出身者が圧倒的に日本政界に多いのはそのせいである。このことが過去の本ブログのメインな題材の一つであった。

 

(2/10/6:00; 編集)

2022年2月7日月曜日

坂口安吾の堕落論について:

1)堕落論の内容と感想:

 

坂口安吾は、敗戦直後の日本人と日本が急速に米軍の支配下に順応する姿を見て、この堕落論を書いた。そして、堕落は人間本性への回帰であると喝破する。そこから、日本文化の中の幾つかの規範を取り上げ、それらは本性への回帰を防止するための防波堤のようなものであったと分析する。

 

例えば、武士道の忠君という規範は、忠君ならざる武士の弱さへの防波堤として作られている。多数の助命嘆願を排して赤穂浪士を処刑したのは、彼らの堕落した将来の姿を想定し、彼等の名誉を守る老婆心のためだったと言うのである。そして、元来日本人は最も憎悪心が少なく永続しない民族であることの裏返しとして、日本の武士道の規範を捉えている。

 

戦争末期、日本全土は凄まじい破壊の現場であった。そこでは、その中で生き延びる人たちはただ必死であっただろう。その運命に従順な人たちの姿は美しかったという。そして著者は、その人々を従順にして美しく見せる破壊を「偉大な破壊」と呼んだ。(補足1)

 

その運命に従順な美しい人の姿も、戦争が終われば堕落して泡沫のように消える。特攻隊の勇姿も、東京裁判の法廷に切腹もせず“くつわを並べて”法廷にひかれる老年の将軍たちの壮大な人間図も、等しく人間の姿である。

 

「日本は戦争に負け武士道は滅びたが、堕落という真実の母体によって始めて人間が誕生したのだ」「生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有り得るだろうか」などの言葉は、著者の人間讃歌でもある。

 

この倒錯した人間讃歌は、人間の生が著者の言葉では語れるほどの小さな存在ではないことを表している。著者は言う、「歴史という生き物の巨大さと同様に人間自体も驚くほど巨大だ」と。

 

以上が、坂口安吾の「堕落論」の話の筋と私の直接的感想を融合させて簡潔に書いた。

 

2)総合的感想

 

私は、「言葉の進化論」において、言葉は共同体社会の形成とその拡大・進化とともに発達したというモデルを提出した。従って、人間が進化する文明の中で、生きぬくために進化したのが現在の言葉である。文化は人間の生の一表現であり、それとともに言葉も現在の形になったと考える。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12482529650.html

 

従って、現在の言葉を用いた「人間の生」の表現も、現在の文化の下での表現に過ぎない。普遍的な「人間の生」の表現は、一つの言葉では不可能である。そのもどかしさのなかで上記の”偉大な破壊の中を生き抜く人の姿”とか”壮大な人間図”が、坂口安吾に「人間の生は堕落するのが本来の姿である」とか「歴史という生き物の巨大さと同様に人間自体も驚くほど巨大だ」と書かせ、同時に「私は生という奇怪な力にただ茫然たるばかりである」と言わしめるのだと思う。

 

別の言葉で表現すれば、日本の文明・文化の中で生きる人間の姿や「堕落」と表現される人間の生の本質への回帰は、巨大な「人間の生」の日本文化への投影に過ぎない。忠君の武士道を体現する武士の姿や、「二夫に見まみえず」の節婦も、日本の文明社会で発生した言葉での記述である。それらも、一つの投影に過ぎない。

 

「日本は負け、そして武士道は亡びたが、堕落という真実の母胎によって始めて人間が誕生したのだ」この文章中の人間の誕生とは、原点に回帰した人間という意味である。異なる文明の下では、人はこの原点から出発して別の文化という衣を着て、そこでの(文化的)人間となるのである。

 

(2月8日6:00編集、まえがきとその補足を削除、セクション2の第3節以降の「現在の文化」を「日本の文化」に変更、最後の分の「人間」を「(文化的)人間」に変更;16:00 語句の一部を変更、最終稿とする。)

 

補足:

 

1)この歴史を巨大な生き物と見る見方は、日本人独特かもしれない。日本人は分析的に見るのではなく、総体を感覚的に見る見方に慣れている。それは、アニミズム的な神道(御嶽信仰、白山信仰などの古いタイプの神道)の国の特徴だろう。それが、あの原爆碑の言葉から慰安婦問題へのあいまいな態度を理解する鍵だろう。

 

2022年2月1日火曜日

人類文化を終焉に導く二つのプロセス:家族と主権国家の破壊

 

以下の話は素人の妄想的な考えかもしれない。現在進行している世界史的混乱の一つのモデルである。そのように理解して、お読みください。(この文章は1月30日に下書き保存したものです。その後編集したので新しく投稿します。30日の下書きは破棄します。)


 

1)国家のロープモデル:個人を束ねて国家を形成するプロセス


 

人類が高度な文明を形成し、ローカルな争いを克服し、国家という共同体を作り上げた。このプロセスは、個人をまとめて地縁共同体や法人などの機能共同体を作り、その連合体として国家を形成する多重のプロセスと言える。(補足1)

今回、このプロセスを、個人を短い綿の繊維に喩え、それを紡いで糸にし、更にそれを束ね何重かに撚ってロープを作り上げるプロセスに喩える。ここで、ロープの縦方向は時間を表す。このオリジナルなモデルは、直感的にこの社会の成り立ちを理解するのに役立つと思う。

 

この短い繊維を何種類かの力(自然な高分子間の親和力や繊維間の摩擦力)で集めてロープにするプロセスは、高々50年程度しかない政治的生命の個人を、個人の尊厳や自由を維持する形で多数束ねて国家を形成するプロセスと相似的だと思うのである。

 

人間は、長い歴史を通して、個人とその家族を基本的単位とし、集団を作って生き延びてきた。互いの力を足し合わせることで生存上有利になるという群れを作る動物の本能を基にし、群れの構成員の知恵と力を集めて、このような集団形成の文化を作った。その近代までの発展型と言えるのが、現在の主権国家体制である。

 

この主権国家からなる国際社会を、否定する動きが現在生じている。その危機的状況をどう考えるかというのが本稿の主題である。


 

2)主権国家形成のミクロなメカニズム

 

個人の自由を最大限保持するには、政治的に安定な社会が自然の力(人間とその集団に内在する力)を利用することにより作られるべきである。つまり、強力な外部からの力で個人を束ね国家を形成することは、個人の恐怖心を利用すれば可能かもしれないが、それは人間が自然な姿で集合し出来上がった民主的な国家とは全く異なる。つまり、上記集団形成の原点を否定する。
 

上記国家のロープモデルを拡張して、宗教、王室、皇室、更には民主主義のような思想を心鋼として置くモデルが可能かもしれない。心綱とは、ロープの中心に置く芯であり、それを数本のストランドを巻きつけて高い張力に耐えるロープが作られる。米国では建国の精神がこれにあたり、これらは憲法に書かれることが多い。

 

 

これら宗教や思想等は、民族間の戦いの歴史のなかで一定の役割を果たし、その民族の文化と不可分の場合、国家の心綱(モデルではロープの心綱)となり得るだろう。

 

しかし、外部からの侵略により樹立された王室などの場合、国家を強圧的にまとめる外部の力となり得ても、心綱とはなることは非常に困難である。更に、集団の文化の中から出来上がったとしても、私利私欲や外部の勢力により変質した場合、更に文化の変化によりもはや一般大衆と親和的でなくなった場合も同様である。(補足2)

 

蛇足かもしれないが以上まとめる:

 

個人とその家族等から国家という大きな共同体を作り上げることは、系を束ね撚ることでロープに仕上げるプロセスに喩えられる。国家の中に、糸に例えられる家族あるいは大家族がしっかり存在し、それらが集まって規模の小さい何本もの地縁あるいは利益で結びついた共同体を、そしてそれらを更に束ねて国家を形成しなくては、人は個の尊厳と自由を最大限維持したまま、長期の富と安全とを手にできない。

 

● ここで集団を形成する力について少し考える。

 

個人は短い綿毛に過ぎないのだが、それが糸になるとき、複数の綿毛の間に力が働いている。①家族の縦の繋がりを維持する力である。次の段階(ヤーンと言われる撚り糸)として、②地域共同体や会社組織などを形成する力が働く必要がある。それらが国家を形成するには、更に別種の力が必要になる。それは主として、③法にその政治組織を記載し、それを支持する国民一般の支持である。

 

大きな人数の集団である国家を形成するとき、何段階かの力を用いるのは、個人の尊厳と自由を最大限確保するためである。もし、一段階の力、例えば共産主義国家のような中央政府の強制力を用いれば、当然個人も個人が一定数集合した共同体組織も、強い同じ方向の規制をうける。それは、個人や会社等共同体の自由を疎外し、活動の能率を著しく害するだろう。
 

共産主義の国にも家族を作る力①は当然存在する。むしろ純化され強化されている可能性がある。しかし、②や③の力は形骸化しているだろう。中国を例にあげると、法を準備するのも解釈するのも、共産党幹部であり、一般国民の意向とは無関係である。時として、家族の力①をも破壊する力を有する。
 

 法はどうあるべきか?

 

国家を形成するには、法の支配が大事である。しかし、法の制定だけで、法に従う心がなければ国家の長期安定は保障されない。法に従う意志は、法の目的を理解しなければ生まれない。法の理解には、最終的な国家形成(譬え話では、ロープの形成)の目的、つまり群れを作る原点を意識し承知しなければ生まれない。
 

現在、世界に存在する安定な主権国家は、その構成を維持するための権威と権力が分散的に働いている筈である。中央だけに強力な政治権力を置いた国では、個人などの自由を束縛している故、それらが力を得れば非常に不安定になるだろう。仮に、国家中枢を入れ替えて、民主主義の国だと新たに宣言したとしても、上記ヤーンやストランドに例えられる部分が、民主国家の形に準備されるには、かなりの時間を要するだろう。(補足3)
 

以上から、現在の人類は一つの権力と一つの権威で、長期安定的に地球規模の政治的枠組みをつくることは不可能である。それは、地球は均一な空間ではないし、そこで生き続けた人間は夫々の文化と一体化しており、思想も行動様式も大きく異なるからである。
 

暴力的に束ねることができても、そこでの人間は地獄を味わうだけだろう。


 

3)現在の世界政治:

 

最近の世界の政治を見ると、地球環境問題を作り上げ、世界統一政府を樹立する方向を示しているものの、実際には人類を混乱の中に放り込む企みが進んでいるように見える。「地球環境を守る」を宗教化し、それを上記のロープモデルにおける心綱に設定しているのだろう。しかし、十分理解できる程度に科学的根拠が用意されていないので、心綱にはなり得ない。この動きの真の姿は、左翼による世界統一の試みだろう。
 

この左翼による革命は、ロシアを中心にして試みられた(マルクス・レーニン主義で世界を統一)が、それは悲惨な個人の人生を積み重ねて、結局失敗に終わった。そこで、異なった看板“ステイクホルダーのための資本主義”で世界を束ねようとしているが、それは国家資本主義(中国型共産党独裁)の別表現だろう。そのシステムは、長期に亘って人々に地獄の経験を強要したのち、最後は失敗すると思う。

 

現在生きている人間に対して地獄を見せず、出来るだけ安定な世界を樹立するには、今暫くは(100年程度)西欧の歴史が生み出した主権国家体制の延長線上以外にはないと思う。つまり、人類が真に目指すべき世界政府は、多くの主権国家を、その形態の多くを保存したままに束ねる、新たな思想と権威が作られなければ成功しないだろう。
 

つまり、現在の主権国家体制の緩やかな連合としての世界を、全世界的な国家資本主義で再編するには、これら現在の世界を構成する要素を全て破壊しなければ出来ない。彼ら世界帝国を目指す人たちは、二つの方向からこれを進めているように見える。
 

一つは、現在国際社会を構成する要素としての主権国家を破壊することである。現在、国境の意味を否定する試みがなされている。例えば、難民移民の国境を超えた移動を容易にすること、国際関係を国内関係に優先することなどである。(補足4)

 

最終的には、上記モデルの分散された力①〜③の全てを解消する必要がある。実際、国家資本主義を目指す人たちは、その運動を展開していると思う。例えば新しい資本主義、ストックホルダー資本主義からステークホルダーの資本主義への変更は、②の力、株式会社の破壊を意味する。

 

もう一つは、これまでの世界を作り上げた文化の破壊である。それは家族という縦系の解体など上記①の力の解消とも関係する。(補足5)それは、性差別の禁止、性的マイノリティーの差別禁止、子供と親の縦の関係を社会が奪うなどの方法で進めている。文化の破壊としては、彼らが米国で主張している所謂キャンセルカルチャーもその表現の一つだろう。

 

もし、人類が今後塗炭の苦しみを逃れることができるかは、これらの悪質な企みを排除することができるかに係っていると思う。

 

(17時に編集)


 

補足:

 

1)そのプロセスは農業から工業などの産業の発展により人の生活の利便性向上と活動範囲の増大と並行して進んだ。このあたりの理解は、下部構造が上部構造を規定するという唯物史観の論理を適用すると容易である。

 

2)日本の天皇は正にこの心綱であった。しかし、明治維新の時に著しく上記モデルのヤーンやストランドを規定する力として利用され、著しく変質した。戦後は、GHQにより江戸以前よりも細くされた。皇室の在り方は、このようなモデルで考えると分かりやすいかもしれない。

 

3)アラブの春などの米国が介入して作り上げた民主国家は、このモデルによればうまく機能しないのは当たり前である。それを承知の上での米国の演出だろう。

 

4)新しい資本主義を主唱する団体の幹部となっている竹中平蔵氏が、国内の問題よりも国際的な約束を守ることの方が大事であるとテレビで発言したことがある。抵抗なくこの言葉が出るのは、国境の意味、国家主権の意味を過小に考えている証拠だろう。

 

5)この問題は大きくて深刻である。又の機会に考える。“米国人驚愕「子が親の介護する日本」深刻な盲点”という記事が東洋経済に掲載された。https://toyokeizai.net/articles/-/417586