1)豊洲移転の中止とその地下を掘り返しての微量有害物質の無理やり検出は、無駄なことを大衆の拍手をあびながらやっているように見える。築地市場から引っ越すべきかどうかを環境基準で決めるのなら、平等に築地の地下もほって何か有害物質が検出されないかどうかチェックすべきではないのか。築地の地下に汚染が無いという確信があるのか? 豊洲もどこもかしこも、もっと深く掘って徹底的に調査しなくて良いのか?例えば微量の有機水銀が出るかもしれないではないか。
小池氏のパーフォーマンスのために連日テレビは非科学的な放送を行っている。地下の水を飲むわけでもないのに、リッターあたり10mg程度のベンゼンがふくまれていたとして、なにが問題なのだ。もちろん、検出されないに越したことはないが、現実的対応という政治の要諦を忘れているように思う。それで無知な都民を興奮させて、なにをしようというのか?
あんな量のベンゼンなど、深く掘ったところの地下水から検出されたとしても、現実問題として食の安全に無関係だ。我々は合成有機物の中で生きている。医薬、消毒薬、農薬など、微量ではあるが、環境基準に匹敵するくらいのそれら有機物がいたるところにスポット状にあるだろう。小池氏のやり方を正しいとすれば、現在人が住んでいる工業地帯の地下水を至るところでチェックすべきでは無いのか? 全国の全ての箇所で深く掘って地下水を徹底的にチェックせずに、日本国が安全だと言えるのか?
もちろん、そんなことは常識外れである。安全基準は何かをする上での目安と考えるべきで、現状安心して生活している場所を明確な理由なしに調査するのは、時間と経費の無駄だからである。そして、比較的な安全を目指すべきであり、絶対的な安全を目指すべきでは無い。そんなことはわかっている筈だ。環境基準の1.4倍のベンゼンを含む地下水が地中深く掘って出てきても、だまって蓋をすれば良いのだ。おそらく同程度のベンゼン水が地表に現れることはないだろうからである。
豊洲市場は、比較的安全、比較的便利に水産物市場の機能を果たすことを目的に作られたと思う。それは既に終わったことであり、改めて移転を中止したり、取りやめたりするには、新たに生じた相応の危険性の指摘が必要である。地下を8回も掘って環境基準の1.4倍のベンゼンが検出されたことなど、その理由にはならない。ベンゼンを甘く見るのはいけないが、何とかトキシンほど怖がる必要はない。冷静で他に迎合的でない専門家の意見を聞くべきである。
誰もその水を飲むわけではないし、市場で取り扱う品物にその地下水が触れることはない。ポピュリズムに走り、それに喝采を送る日本の世論に恐怖を感じる。第二次大戦の日本やドイツを見る思いだ。
2)現実的対応について、例を挙げる。
交通法規というのがある。それに従って、いたるところに最高速度が規定されている。しかし、その速度を守る人はほとんどいない(補足1)。もし、法定速度を守れば、朝夕のラッシュ時には渋滞が方々で起こるだろう。
名古屋の名古屋第二環状自動車道という道路がある。そこは、外見高速道であるが、最高速度は時速60kmである。しかし、インターチェンジ近くを除き、そして、渋滞していない場合には、60km/hで走っている車はない。普通に90km/h程度で走っている。数十回通ったが、一度も速度取り締まりのパトカーに出会ったことは無い。
道路は自動車をスムースに比較的安全に流すことを目的に作られている。法を守らせることを目的につくられているのではない。もちろん、守れない法定速度をそこに設定する行政の怠慢は攻撃されるべきであるが、そこを通行止にする必要はない。
我々は体内に放射性元素も持っている。カリウム40や炭素14のような天然に存在する放射性同位体がある。体重60kgの人体で、カリウム40で4000ベクレル、炭素14で2500ベクレル、の天然の放射能があると言われている。http://www.yonago-kids.com/radio-3.html
そんな話は誰もしない。徒らに恐怖を煽ることになるからだという。しかし、それは知らせるべきである。なぜなら、原子力発電所から事故で放出された放射能を恐れるのなら、正しく恐れなければならないからである。上記内部被曝と比較して数値的に同程度の外部被曝なら、よほど害がないことをしるべきである。
この数年、原発からみの放射能の話がたくさんマスコミに流れたが、上記内部被曝の話やラジウム温泉の話などは、ほとんど聞かなかった。二三度専門の医師が、一定の放射能は体に良いという意見を述べていた。その際、ラジウム温泉の話をしたと思うが、まともに受け取る人はいないという雰囲気の中で放映されていた。空気の支配する日本国では、空気が情報を遮断するという恐ろしさがある。
一昨日のブログで、そんなことより、北朝鮮の核の脅威が日本全体を生活環境を「不適」にしている。その問題を考える方が先ではないのかと書いた。生物は多くの危険の中で生きている。生きるということは危険と日々戦っていると言っても良い。それらの危険と比較して、地中深くの地下水中にとけた14ppmのベンゼンは大きな危険だろうか? そう考えるべきなのだが、無知な人は日々危険と戦っているという自覚がないから恐ろしい。
補足:
1)時々速度取り締まりが行われている。その場合も20km/h以上の速度超過が取り締まりの基準のようだ。そのため、最高速度が40km程度のところが取り締まりの対象に選ばれる。渋滞を起こしてはいけないので、朝夕ラッシュ時には行われないだろう。法定速度というのがあるということを知らしめるために行っているようだ。
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人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか
1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題 日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...
2016年9月30日金曜日
2016年9月29日木曜日
ジニ係数:日本は所得の分配において平等な国ではない
「日本は、人は経済的に平等であるべきだ」という文化を持つ国だという幻想が、日本人に残っていると思う。しかし、現実は先進国としては非常に不平等な国であることを指摘したい。
ジニ係数というのがある。下図がその説明の為の図である。図の横軸に世帯の所得順に並べた人口の 割合を全体を1.0に規格化してとる(つまり、右端の1.00は国民全員を意味する)。そして、縦軸に所得の合計額をやはり同様に規格化してとる。つまり、ある横軸座標での曲線の値(y座標)は、その横軸座標までの人口の所得を積算した値をとり、国民全体の所得で割り算した値となる。最高値はやはり1.00(つまり国民所得の全体)となる。そのグラフは統計の方で、ローレンツ曲線と呼ばれるものの一つである。
この図では[Aの面積]/([Aの面積]+[Bの面積]) の値をジニ係数という。所得の均等配分の場合はグラフは45度の直線となり、[Aの面積]は従ってゼロである。完全不均等配分の場合、所得順に並べた場合の最後の一人だけが国家の所得の全てをとることになり(Bの部分がゼロ)、ジニ係数は1となる。図のケースでは、グラフは丁度円弧にしてあり、ジニ係数は0.57(あるいは57%)になる。そして、貧困層は富の半分を86.6%の人たちが得る一方、残りの半分を富裕層の13.4%の人たちが受けとる。
もちろん、一般にはこの円弧のような単純な形にはならないが、多くのケースではこの円弧の部分の出っ張りが変化した形になる。上記ケースよりひどい所得の配分の国は、南アフリカ、レソト、ザンビア、ホンジュラスなど9カ国。それに近い0.5を超える国の数は、香港、パナマ、ブラジルなど合計21カ国である。
このジニ係数の世界平均は0.395であり、日本はそれより少し低い0.379であり、世界73位である。しかし、この値は多くの西欧諸国に比較して大きい。他国の値を見ると、台湾は0.342、韓国は0.311、ドイツは0.27、ノルウエーやスウエーデンとなると0.25以下となる。結論として、日本は先進国としては富の分配において不平等な国だということになる。
何故、このようなことになったのか? 将来このような格差を解消できるのか、議論してほしいものである。尚、http://top10.sakura.ne.jp/CIA-RANK2172R.html#mapのデータを利用させてもらった。
ジニ係数というのがある。下図がその説明の為の図である。図の横軸に世帯の所得順に並べた人口の 割合を全体を1.0に規格化してとる(つまり、右端の1.00は国民全員を意味する)。そして、縦軸に所得の合計額をやはり同様に規格化してとる。つまり、ある横軸座標での曲線の値(y座標)は、その横軸座標までの人口の所得を積算した値をとり、国民全体の所得で割り算した値となる。最高値はやはり1.00(つまり国民所得の全体)となる。そのグラフは統計の方で、ローレンツ曲線と呼ばれるものの一つである。
この図では[Aの面積]/([Aの面積]+[Bの面積]) の値をジニ係数という。所得の均等配分の場合はグラフは45度の直線となり、[Aの面積]は従ってゼロである。完全不均等配分の場合、所得順に並べた場合の最後の一人だけが国家の所得の全てをとることになり(Bの部分がゼロ)、ジニ係数は1となる。図のケースでは、グラフは丁度円弧にしてあり、ジニ係数は0.57(あるいは57%)になる。そして、貧困層は富の半分を86.6%の人たちが得る一方、残りの半分を富裕層の13.4%の人たちが受けとる。
もちろん、一般にはこの円弧のような単純な形にはならないが、多くのケースではこの円弧の部分の出っ張りが変化した形になる。上記ケースよりひどい所得の配分の国は、南アフリカ、レソト、ザンビア、ホンジュラスなど9カ国。それに近い0.5を超える国の数は、香港、パナマ、ブラジルなど合計21カ国である。
このジニ係数の世界平均は0.395であり、日本はそれより少し低い0.379であり、世界73位である。しかし、この値は多くの西欧諸国に比較して大きい。他国の値を見ると、台湾は0.342、韓国は0.311、ドイツは0.27、ノルウエーやスウエーデンとなると0.25以下となる。結論として、日本は先進国としては富の分配において不平等な国だということになる。
何故、このようなことになったのか? 将来このような格差を解消できるのか、議論してほしいものである。尚、http://top10.sakura.ne.jp/CIA-RANK2172R.html#mapのデータを利用させてもらった。
2016年9月28日水曜日
社会の中で困難な状況に生きる人にかけられた罠
1)人間の感覚は変化を察知するようにできている。その変化が短時間で生じると、強く感じそれに対して強く応答する。逆に時間当たりの変化率が小さいと、最終的に大きな変化であっても気がつかないことも多い。因みに、この時間変化の割合(勾配)を時間での微分と言う(補足1)。これは人間だけでなく、カエルでも他の動物でも同じだろう(補足2)。その事実を十分頭の中に叩き込んでいないと、状況変化についていけないことになる。
カエルなどの場合は、温度とか食料の有無などの生命維持に関係した外部環境変化が自分の周りの変化だが、人間の場合は社会の中での自分の置かれた環境変化が主な自分の周りの変化となる。従って、その変化は複雑であり、客観的な記述も困難である。
環境の変化に対応できない例として頻繁にマスコミに流れるのは、一流のスポーツ選手や芸能人が、その絶頂期の華やかな時代から急激に人気や収入が下降する場合がある。その時、薬物に依存したりしてその状況変化に対応できないという話が、屡々報道される。またもっと一般的な例では、全ての人は老化して死を迎えるプロセスにおいて、バリバリと働いていた頃の状況と比較してその差を強く意識し、その後の人生を暗くする事態に陥りがちである。客観的にみて相当恵まれていると言える場合でも、下り坂の場合には何事にも意欲を失うこととなり、その結果、更に下り勾配を急激にする結果となる。
その時の罠の一つは、自分の下降しつつある人生の情況を含めて、全ての現実から逃避することである。アルコールや薬物に嵌る人も多いだろう。全国にあるゴミ屋敷の主も、現実逃避の結果だろうと推測する。もう一つの深刻な罠は、現実を改善するのではなく、自分の優位を他との比較において探し出そうと精を出すことである。
2)この様な情況からの克服法は、変化に捕らわれずに現実を直視し受け入れること、或いは同じことだが、原点に戻ってそこから(その視点から)これまでの全体を改めて見ることだと思う。虚心坦懐に自分のおかれた情況とこれまで歩んだ道を振り返り、それの延長上に現在の自分があり、その全てが「自分の生」であると理解したとき、そのまま受け入れることが出来る可能性が大きくなるだろう。また、受け入れるしかないと覚悟が決まるだろう。そして、その理解と受容の上に、次に取るべき行動を考えるべきだと思う。
ここで原点とは、世界には自分と“自分を取り巻くその他”があり、実在すると確実に言えるのは自分だけであるということである。従って、自分の主は自分自身であり、自分をこの世界でどう行動させるか(自分がどう行動するか)が、唯一自分に課せられた問題である。ギリシャ時代に偉い哲学者が「無知の知」と言ったが、そこから人間の認識は現代まで一歩も進まず無知のままである。神がこの世を作り賜うたという人(その教徒は神であるというかもしれない)もいたし、神は死んだという人もいた。また、現代科学が「万物は素粒子から作られている」という理論に到達したとしても、それも真理とは言えず仮説という偉大な想像に過ぎない。
事実の第一は、「考えることのできる自分が、現状さしあたり生物としての時間を過不足なく、そして美しい地球という星に存在する」ということである。それ以外は、絶対というものは何もない。それは近似的に、仏教でいう「空」という概念だと思う。「生き、考え、行う」のは自分自身であり、決して他者ではない。(補足3)。それが、「煩悩即菩提」の境地なのだろう。
他と比較して自分の待遇が悪ければ、良くしろと主張するのは当然である。しかし、自分の待遇がわるいことに囚われてはならない。ゴミ屋敷の主人も薬物依存症の人も、その囚われ人だと思う。その場所には鍵もなにもない。自分の足で簡単に歩いて出られるのにも関わらず、囚われ人になっている自分に気づいていないのだろう。
3)西洋人は彼らの宗教と関係して、多くのことを真実の中に組み込み、その成り立ちと運動のメカニズムを解明して成功した。それは、原点に留まっていた東洋人に比べて、偉大な科学技術文明を築いた。それは、誤解を恐れず書けば、偉大な賭けに勝利したようなものであると思う。その賭けに後出しジャンケンのように参加して、東洋人を含めて人類全てが利益を得た。
西欧人はこれまでの成功体験から、客観的という言葉を安易に使う。法と正義という言葉も簡単に受け入れる。全て存在の上で確かなのは自分だけであるという、彼らの祖先に当たる偉人の言葉を忘れている。法も正義も、権威と権力を備えた絶対者がいなければ、何の意味もない。
「法と正義」を信じることは、「権威と権力」を前提としているので、法と正義を前提に生活することに慣れた人には、「権威と権力は、どこにあるのか?」と疑問に感じる感覚が萎えている。その結果、多くの人にとって自分が自分の主ではなく、「法と正義」が主であると勘違いしてしまう。そして、「法と正義」を勝手に設定し利用する悪しき人々の罠に嵌っている。
人間は社会を作って生きている。そして、教育の段階で「自分を自分の主人としてはいけない」という滅私を強いられる。しかし、滅私は社会の罠である。一員として自分の意思で社会に参加しているという知識と自負がなければ、まともな社会人ではないと思う。
補足:
1)ある量や強度の微小時間での変化をその時間で割り算した値をその量や強度の微分係数という。その量や強度をグラフにした場合の勾配のことである。正しくは微分係数と書くべきだが、略して微分と書いた。
2)「アハムービーとゆで蛙理論と日本の対米従属姿勢」という題で、世界の趨勢と逆行してまで、ズルズルと対米従属姿勢を深める政府の姿勢を批判した。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42950672.html
3)仏教の素人なので、偉そうなことは言えないが、この“独力で行う”というのが、仏教の本質だと思う。そう考えると、阿弥陀信仰の浄土真宗は仏教ではないということになる。
カエルなどの場合は、温度とか食料の有無などの生命維持に関係した外部環境変化が自分の周りの変化だが、人間の場合は社会の中での自分の置かれた環境変化が主な自分の周りの変化となる。従って、その変化は複雑であり、客観的な記述も困難である。
環境の変化に対応できない例として頻繁にマスコミに流れるのは、一流のスポーツ選手や芸能人が、その絶頂期の華やかな時代から急激に人気や収入が下降する場合がある。その時、薬物に依存したりしてその状況変化に対応できないという話が、屡々報道される。またもっと一般的な例では、全ての人は老化して死を迎えるプロセスにおいて、バリバリと働いていた頃の状況と比較してその差を強く意識し、その後の人生を暗くする事態に陥りがちである。客観的にみて相当恵まれていると言える場合でも、下り坂の場合には何事にも意欲を失うこととなり、その結果、更に下り勾配を急激にする結果となる。
その時の罠の一つは、自分の下降しつつある人生の情況を含めて、全ての現実から逃避することである。アルコールや薬物に嵌る人も多いだろう。全国にあるゴミ屋敷の主も、現実逃避の結果だろうと推測する。もう一つの深刻な罠は、現実を改善するのではなく、自分の優位を他との比較において探し出そうと精を出すことである。
2)この様な情況からの克服法は、変化に捕らわれずに現実を直視し受け入れること、或いは同じことだが、原点に戻ってそこから(その視点から)これまでの全体を改めて見ることだと思う。虚心坦懐に自分のおかれた情況とこれまで歩んだ道を振り返り、それの延長上に現在の自分があり、その全てが「自分の生」であると理解したとき、そのまま受け入れることが出来る可能性が大きくなるだろう。また、受け入れるしかないと覚悟が決まるだろう。そして、その理解と受容の上に、次に取るべき行動を考えるべきだと思う。
ここで原点とは、世界には自分と“自分を取り巻くその他”があり、実在すると確実に言えるのは自分だけであるということである。従って、自分の主は自分自身であり、自分をこの世界でどう行動させるか(自分がどう行動するか)が、唯一自分に課せられた問題である。ギリシャ時代に偉い哲学者が「無知の知」と言ったが、そこから人間の認識は現代まで一歩も進まず無知のままである。神がこの世を作り賜うたという人(その教徒は神であるというかもしれない)もいたし、神は死んだという人もいた。また、現代科学が「万物は素粒子から作られている」という理論に到達したとしても、それも真理とは言えず仮説という偉大な想像に過ぎない。
事実の第一は、「考えることのできる自分が、現状さしあたり生物としての時間を過不足なく、そして美しい地球という星に存在する」ということである。それ以外は、絶対というものは何もない。それは近似的に、仏教でいう「空」という概念だと思う。「生き、考え、行う」のは自分自身であり、決して他者ではない。(補足3)。それが、「煩悩即菩提」の境地なのだろう。
他と比較して自分の待遇が悪ければ、良くしろと主張するのは当然である。しかし、自分の待遇がわるいことに囚われてはならない。ゴミ屋敷の主人も薬物依存症の人も、その囚われ人だと思う。その場所には鍵もなにもない。自分の足で簡単に歩いて出られるのにも関わらず、囚われ人になっている自分に気づいていないのだろう。
3)西洋人は彼らの宗教と関係して、多くのことを真実の中に組み込み、その成り立ちと運動のメカニズムを解明して成功した。それは、原点に留まっていた東洋人に比べて、偉大な科学技術文明を築いた。それは、誤解を恐れず書けば、偉大な賭けに勝利したようなものであると思う。その賭けに後出しジャンケンのように参加して、東洋人を含めて人類全てが利益を得た。
西欧人はこれまでの成功体験から、客観的という言葉を安易に使う。法と正義という言葉も簡単に受け入れる。全て存在の上で確かなのは自分だけであるという、彼らの祖先に当たる偉人の言葉を忘れている。法も正義も、権威と権力を備えた絶対者がいなければ、何の意味もない。
「法と正義」を信じることは、「権威と権力」を前提としているので、法と正義を前提に生活することに慣れた人には、「権威と権力は、どこにあるのか?」と疑問に感じる感覚が萎えている。その結果、多くの人にとって自分が自分の主ではなく、「法と正義」が主であると勘違いしてしまう。そして、「法と正義」を勝手に設定し利用する悪しき人々の罠に嵌っている。
人間は社会を作って生きている。そして、教育の段階で「自分を自分の主人としてはいけない」という滅私を強いられる。しかし、滅私は社会の罠である。一員として自分の意思で社会に参加しているという知識と自負がなければ、まともな社会人ではないと思う。
補足:
1)ある量や強度の微小時間での変化をその時間で割り算した値をその量や強度の微分係数という。その量や強度をグラフにした場合の勾配のことである。正しくは微分係数と書くべきだが、略して微分と書いた。
2)「アハムービーとゆで蛙理論と日本の対米従属姿勢」という題で、世界の趨勢と逆行してまで、ズルズルと対米従属姿勢を深める政府の姿勢を批判した。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42950672.html
3)仏教の素人なので、偉そうなことは言えないが、この“独力で行う”というのが、仏教の本質だと思う。そう考えると、阿弥陀信仰の浄土真宗は仏教ではないということになる。
2016年9月25日日曜日
対北朝鮮問題:韓国と日本の対応
1)韓国政府は24日、大統領府で開いた政策点検会議で対北朝鮮政策の見直しを行った。政策点検会議は国政の重要政策を練り直すのが目的で、朴政権は2013年3月以来、2度目としている。24日の会議には関係省庁の閣僚や次官が出席。朴大統領は冒頭、「国際社会と力を合わせ、北核問題を解決する」と訴えた。
(以上http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160924-00000090-asahi-int)
朴大統領は従来、人道支援や対話などを通じて北朝鮮との信頼醸成を図る「韓(朝鮮)半島信頼プロセス」を提唱してきたという。原子力安全や気候変動など協力しやすい課題から地域対話を始める「東北アジア平和協力構想」も掲げ、日中ロなどとの協力を模索してきた。しかし、今年2度核実験をしたことなどを考え、朴大統領はもはや北朝鮮は核廃絶の話し合いに出てこないと断じた。そこで、今後は制裁強化に動き出したらしい。また、8月末から9月初めにかけて起きた北朝鮮東北部での大規模水害に対し、人道支援は行わない方針だという。
一方、安倍総理はキューバを訪問して、兄弟国の誘導で北朝鮮に核兵器放棄を働きかけようとした。しかし、そんなことカストロ大統領はするわけない。パーフォーマンスとまとものな外交政策との区別がついていないのではないだろうか? そもそも、日本には北朝鮮の核に対する脅威などないのだ。まともな議論など、テレビでも聞いたことがない。
テレビでは高畑母子が話題になった後は、豊洲(築地市場の引っ越し先)の施設の下が盛土されていないとかいう下らない問題に斬りかかる、女剣士の姿を楽しんでいる。希薄なベンゼンなどより、北朝鮮の核兵器の方がはるかに恐ろしい。
2)日本の北朝鮮への対応と同様、韓国の北朝鮮に対する対応も不思議だ。北朝鮮を韓国も日本も国家として認めていないのに、何の対話をどこの国とするのだろう?両国の制裁と対話の間の往復運動は、子供がブランコに乗っているようで、頭の中には何もないのだろう。
以前から、何度も書いてきた。最初に書いたのはブログではなく知恵袋への投稿だった。http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n62832?fr=chie_my_notice_note_good この時には、日本国が一人前の国になることが先決だという趣旨でかいた。その後、朝鮮戦争の終結、平和条約の締結、北朝鮮の承認などが、拉致問題も核問題も解決する鍵だろうとかいた。
何度も同じことを書くのは嫌だが、敢えて繰り返す。
朝鮮戦争の休戦から60年以上たっているが、終戦にはなっていない。つまり、敵国であった米国や韓国は、北朝鮮が国連に加盟して久しいにもかかわらず、未だに北朝鮮の征服を諦めたということになっていないのだ。それにもかかわらず、何が「韓(朝鮮)半島信頼プロセス」だ。何もかも正直に言ったらどうか?
朝鮮戦争を終り、国境確定して講和条約を締結すること;そして、日本も日朝基本条約を締結して、韓国と同様に経済支援金(賠償金相当)を支払い、北朝鮮の経済発展を支援すること;などを引き換え条件にすれば、北朝鮮は核兵器の開発を放棄しただろう。今となってはそれも困難かもしれないが、それしかない。
現在の異常な北朝鮮の姿は、米国とその保護国ら(つまり、日本と韓国)がその存在を認めなかったからだと思う。なぜ、60年以上たっても、朝鮮戦争を終戦として、北朝鮮の体制をみとめないのか?
アジアに混乱の種を残したいという米国のエゴに原因がある。マッカーサーが本気で朝鮮戦争に勝とうとした時、司令官を更迭されたことに関係があると思う。その証拠に、マッカーサーは怒って議会で「日本の戦争は自衛の戦争だ」と証言している。
北朝鮮が中国にたいして持つ不満は、米国との仲立ちとなり、朝鮮戦争の終戦と韓国、米国、日本との関係正常化などの道を開いてくれないことだと思う。六カ国協議とは、ピストルを持った怖い人を含めて5人の警官が一人の男、怪しげな身なりの男を取り囲み、”命の保障をしないが武器を捨てろ”というようなものである。
こんな変な会議は歴史上他にないだろう。朝鮮戦争の当事国のみで講和を話し合うのが全ての出発点の筈なのに、米国がそれを誤魔化す為に作った会議だと思う。それに乗じて、或いは、主目的は日本と韓国に核開発させない為に作った会議なのかもしれない。
北朝鮮核問題は、米国が解決する気になりさえすればそれほど難しくなかったのだ。北朝鮮の承認で米国は一体なにを失うのか?世界に混乱をおこして、利益を得ようとするのは時代遅れだ。もう21世紀なのだ。
3)蛇足: 小泉さんが拉致問題解決しかけたとき、ブレーキをかけたのは米国だと私は勘ぐっている。多分、北朝鮮を承認して経済協力を約束すれば全てが解決すると直感的に考えたのだろう。しかし、米国の一言でサッと身を躱したのだろう。女性天皇容認を考えたが、悠仁親王の誕生でサッとその案を撤収したのと似ている。知に欠けるが直感力だけは天才的な人だと思う。
このあたりの真相は明らかにされていない。現在の世界の上層部は、混乱の中で権力を得たものたちなので、それが解決しては足元が揺らぐかもしれないと恐れているのかもしれない。テレビでは終始いい加減なことを言っている。
朴大統領は従来、人道支援や対話などを通じて北朝鮮との信頼醸成を図る「韓(朝鮮)半島信頼プロセス」を提唱してきたという。原子力安全や気候変動など協力しやすい課題から地域対話を始める「東北アジア平和協力構想」も掲げ、日中ロなどとの協力を模索してきた。しかし、今年2度核実験をしたことなどを考え、朴大統領はもはや北朝鮮は核廃絶の話し合いに出てこないと断じた。そこで、今後は制裁強化に動き出したらしい。また、8月末から9月初めにかけて起きた北朝鮮東北部での大規模水害に対し、人道支援は行わない方針だという。
一方、安倍総理はキューバを訪問して、兄弟国の誘導で北朝鮮に核兵器放棄を働きかけようとした。しかし、そんなことカストロ大統領はするわけない。パーフォーマンスとまとものな外交政策との区別がついていないのではないだろうか? そもそも、日本には北朝鮮の核に対する脅威などないのだ。まともな議論など、テレビでも聞いたことがない。
テレビでは高畑母子が話題になった後は、豊洲(築地市場の引っ越し先)の施設の下が盛土されていないとかいう下らない問題に斬りかかる、女剣士の姿を楽しんでいる。希薄なベンゼンなどより、北朝鮮の核兵器の方がはるかに恐ろしい。
2)日本の北朝鮮への対応と同様、韓国の北朝鮮に対する対応も不思議だ。北朝鮮を韓国も日本も国家として認めていないのに、何の対話をどこの国とするのだろう?両国の制裁と対話の間の往復運動は、子供がブランコに乗っているようで、頭の中には何もないのだろう。
以前から、何度も書いてきた。最初に書いたのはブログではなく知恵袋への投稿だった。http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n62832?fr=chie_my_notice_note_good この時には、日本国が一人前の国になることが先決だという趣旨でかいた。その後、朝鮮戦争の終結、平和条約の締結、北朝鮮の承認などが、拉致問題も核問題も解決する鍵だろうとかいた。
何度も同じことを書くのは嫌だが、敢えて繰り返す。
朝鮮戦争の休戦から60年以上たっているが、終戦にはなっていない。つまり、敵国であった米国や韓国は、北朝鮮が国連に加盟して久しいにもかかわらず、未だに北朝鮮の征服を諦めたということになっていないのだ。それにもかかわらず、何が「韓(朝鮮)半島信頼プロセス」だ。何もかも正直に言ったらどうか?
朝鮮戦争を終り、国境確定して講和条約を締結すること;そして、日本も日朝基本条約を締結して、韓国と同様に経済支援金(賠償金相当)を支払い、北朝鮮の経済発展を支援すること;などを引き換え条件にすれば、北朝鮮は核兵器の開発を放棄しただろう。今となってはそれも困難かもしれないが、それしかない。
現在の異常な北朝鮮の姿は、米国とその保護国ら(つまり、日本と韓国)がその存在を認めなかったからだと思う。なぜ、60年以上たっても、朝鮮戦争を終戦として、北朝鮮の体制をみとめないのか?
アジアに混乱の種を残したいという米国のエゴに原因がある。マッカーサーが本気で朝鮮戦争に勝とうとした時、司令官を更迭されたことに関係があると思う。その証拠に、マッカーサーは怒って議会で「日本の戦争は自衛の戦争だ」と証言している。
北朝鮮が中国にたいして持つ不満は、米国との仲立ちとなり、朝鮮戦争の終戦と韓国、米国、日本との関係正常化などの道を開いてくれないことだと思う。六カ国協議とは、ピストルを持った怖い人を含めて5人の警官が一人の男、怪しげな身なりの男を取り囲み、”命の保障をしないが武器を捨てろ”というようなものである。
こんな変な会議は歴史上他にないだろう。朝鮮戦争の当事国のみで講和を話し合うのが全ての出発点の筈なのに、米国がそれを誤魔化す為に作った会議だと思う。それに乗じて、或いは、主目的は日本と韓国に核開発させない為に作った会議なのかもしれない。
北朝鮮核問題は、米国が解決する気になりさえすればそれほど難しくなかったのだ。北朝鮮の承認で米国は一体なにを失うのか?世界に混乱をおこして、利益を得ようとするのは時代遅れだ。もう21世紀なのだ。
3)蛇足: 小泉さんが拉致問題解決しかけたとき、ブレーキをかけたのは米国だと私は勘ぐっている。多分、北朝鮮を承認して経済協力を約束すれば全てが解決すると直感的に考えたのだろう。しかし、米国の一言でサッと身を躱したのだろう。女性天皇容認を考えたが、悠仁親王の誕生でサッとその案を撤収したのと似ている。知に欠けるが直感力だけは天才的な人だと思う。
このあたりの真相は明らかにされていない。現在の世界の上層部は、混乱の中で権力を得たものたちなので、それが解決しては足元が揺らぐかもしれないと恐れているのかもしれない。テレビでは終始いい加減なことを言っている。
2016年9月24日土曜日
科学と技術の融合について
1)科学技術という言葉は誤解を招きやすい。元々科学と技術は一体の関係にはない。科学は、自然や自分自身を含めてこの世界の成り立ちや本質を考える哲学の一部であり、従って、役に立つとか役に立たないとかという価値観には馴染まない。一方、技術は人間や社会に役立つ新しい物やシステムを作ることや、その効率を高めることを目指す。勿論、人間は自然の中に生きるのだから、科学的知識は技術開発の基礎になる。(補足1)
自然科学は、ギリシャ文明においては哲学の中に含まれており、自然哲学という呼び方がなされていた。(補足2)当時の哲学はあまり分化が進んでいなかった為、プラトンの弟子であるアリストテレスは、所謂哲学(存在、認識、倫理など)の他に広範な自然科学的考察を行っている。
知識が高度になるに従って哲学の分化が進み、各分野の専門家が生まれた。それら専門での発展とそれらの統合により、人類は高度な文化を築いてきた。そのプロセスの中で自然哲学は、自然科学と呼ばれるようになった。そして体系的な自然科学の知識を基礎に、技術開発を目指す専門家も分化のプロセスで生まれたのだろう。(補足3)ここで大事なことは、「専門的知識の恩恵を社会が受ける場合、その専門の社会に於ける位置づけを正しく行う能力をその社会のリーダーが持たなければならない」ということである。
2)科学が現在の姿まで高度に発展したのは、技術開発を念頭においたのではなく、哲学の一環として行われたからである。「真実と論理に絶対の価値を置く人の集まり」を作ることで、緻密に科学的成果を積み上げるシステムを、利益とか愛憎の渦巻く人間の世界の中に作った。この科学の遺伝子が混沌とした人間界に生まれたのは奇跡だと思う。もし、利益や人間関係が科学的議論の過程で入り込むようなことになれば、科学の萌芽は生まれなかっただろう。「学問の自由」という概念も、政治や経済などの現実の人間界の侵略を、聖域としての学問(科学などの哲学)を守るためにできたのだろう。
一方技術の基本的発明は、中国で始まった。火薬や紙などの発明である。しかし、中国で高度な技術の発展がなかったのは、科学がなかったからだと思う。それは、役に立つことを直接考える姿勢では、大きな技術開発の流れ(遺伝子)を作れなかったことの証明である。
科学と技術が分化し発展の軌道に乗ったのち、産業革命後の“近代科学技術文明”の発展プロセスにおいて、両者は蜜月関係とでも言えるほど近くなった。その結果、一般には科学技術として一括りに理解されてきた。科学者に向かって「あなたの専門はいったい何の役にたつのですか?」と聞く場面をテレビでよくみる。科学と技術の本質的違いが一般に理解されていないのは、マスコミや政治の分野の人たちが理解していないことが原因だろう。(補足4)
3)純粋に哲学として発展した科学だったが、科学技術と一括りにされて経済や政治という利益や権力の世界と密に接触し、自然哲学としての科学の遺伝子も働かなくなり、進むべき方向も歪められた。科学の進むべき方向は、政府の支出する予算や企業が出す寄付金により決められることになったのである。
そして、科学の発展は人類の知の拡大であるから、それを国家が援助するのは当然であり、できるだけの予算をつけるべきであると考えられてきた。また、新規技術の開発は国家経済に必須であるから、その援助も国家の方針としてなされてきた。そして、科学のことがよく分からない一般大衆を代表する政治家たちにより、技術開発の一貫として科学の支援が行われた。
哲学が古代ギリシャにおいて、貴族社会により支援されたことと対照的である。貴族には知を愛する(哲学:phil= 愛する、sophy=知)感覚があっても、一般大衆には何時の時代でも利を愛する気持ちしかない。科学と民主主義は相性が悪いのである。
つまり、科学と技術という本来人間が別の姿勢で向かうべ領域を、政治と経済が乗っ取り融合した結果、両分野は政治と経済の意図する方向に大きく発展したのだと思う。ノーベル賞はその流れに棹さすのではなく、加速する役割を果たしたと思う。(補足5)
経済が資本主義の発達により、株式会社という名の法人(つまり資本)は自然人を支配するようになった。株式会社は資本の論理で動き、決して自動的に自然人の幸せを目指すものではない。それは昨今の急激なグローバリズムの”副作用”が示している。グローバリズムは本来巨大資本の意思で始まったことであり、国家の壁で囲まれた各国民のために始まったのではない。資本による科学の乗っ取りも同様である。昨今の“科学的”成果が将来人類にもたらすものが、発展なのか破壊なのか良くわからなくなったと思う。
例えば、遺伝子工学や一旦分化した細胞を初期化する技術の発展は、生と死の関係を変えつつある。あたかも、死の克服が人類の究極の課題かのような錯覚を人々に与えてしまったと思う。また、宇宙空間での現象の科学的解明とか、宇宙の謎の解明とかいう科学の名でなされる膨大な事業は、科学というより国家が進める軍事技術開発である。科学技術の発展と人間の未来について、真剣に考える時期である。
補足:
1)大学では、技術は工学部において、そして、科学は理学部において研究される。
2)理学博士の称号を持つものは、ph. D. (Doctor of Philosophy;つまり哲学博士)を名乗る場合がある。
3)古代ギリシャのアルキメデスは、科学者であると同時に技術者であった。アルキメデスの原理で有名である。
4)9月11日のそこまで言って委員会で、ゲストのロボート・ゲラー氏が、「先生の研究は何に役立つのですか」と聞かれて、説得力のある答えができなかった。「基礎科学なので」というところだけで十分なのだが、それでは納得してもらうのは困難であった。その場面では“特別に”ギクシャクした会話が交わされていた。質問の主は素人であったが、その他の出演者は政治評論家など一応の知識人レベルにあると見做される人たちであったが、このやり取りに口を挟める者はいなかった。
5)イグノーベル賞というのがある。昨日のNHKでその候補として紹介されていたのが、総合大学院大学の助教の「カラスに方言があるか」という研究である。予算が集められずに苦労している研究者の姿は、この興味ある科学的課題が政治や経済の意思から遠いことを示している。ノーベル賞のパロディーといわれるが、本来の科学的興味に近いのはイグノーベル賞の方かもしれない。ノーベル賞の受賞基準である「人類の役に立つ研究」は、決して自然哲学の視点ではない。
自然科学は、ギリシャ文明においては哲学の中に含まれており、自然哲学という呼び方がなされていた。(補足2)当時の哲学はあまり分化が進んでいなかった為、プラトンの弟子であるアリストテレスは、所謂哲学(存在、認識、倫理など)の他に広範な自然科学的考察を行っている。
知識が高度になるに従って哲学の分化が進み、各分野の専門家が生まれた。それら専門での発展とそれらの統合により、人類は高度な文化を築いてきた。そのプロセスの中で自然哲学は、自然科学と呼ばれるようになった。そして体系的な自然科学の知識を基礎に、技術開発を目指す専門家も分化のプロセスで生まれたのだろう。(補足3)ここで大事なことは、「専門的知識の恩恵を社会が受ける場合、その専門の社会に於ける位置づけを正しく行う能力をその社会のリーダーが持たなければならない」ということである。
2)科学が現在の姿まで高度に発展したのは、技術開発を念頭においたのではなく、哲学の一環として行われたからである。「真実と論理に絶対の価値を置く人の集まり」を作ることで、緻密に科学的成果を積み上げるシステムを、利益とか愛憎の渦巻く人間の世界の中に作った。この科学の遺伝子が混沌とした人間界に生まれたのは奇跡だと思う。もし、利益や人間関係が科学的議論の過程で入り込むようなことになれば、科学の萌芽は生まれなかっただろう。「学問の自由」という概念も、政治や経済などの現実の人間界の侵略を、聖域としての学問(科学などの哲学)を守るためにできたのだろう。
一方技術の基本的発明は、中国で始まった。火薬や紙などの発明である。しかし、中国で高度な技術の発展がなかったのは、科学がなかったからだと思う。それは、役に立つことを直接考える姿勢では、大きな技術開発の流れ(遺伝子)を作れなかったことの証明である。
科学と技術が分化し発展の軌道に乗ったのち、産業革命後の“近代科学技術文明”の発展プロセスにおいて、両者は蜜月関係とでも言えるほど近くなった。その結果、一般には科学技術として一括りに理解されてきた。科学者に向かって「あなたの専門はいったい何の役にたつのですか?」と聞く場面をテレビでよくみる。科学と技術の本質的違いが一般に理解されていないのは、マスコミや政治の分野の人たちが理解していないことが原因だろう。(補足4)
3)純粋に哲学として発展した科学だったが、科学技術と一括りにされて経済や政治という利益や権力の世界と密に接触し、自然哲学としての科学の遺伝子も働かなくなり、進むべき方向も歪められた。科学の進むべき方向は、政府の支出する予算や企業が出す寄付金により決められることになったのである。
そして、科学の発展は人類の知の拡大であるから、それを国家が援助するのは当然であり、できるだけの予算をつけるべきであると考えられてきた。また、新規技術の開発は国家経済に必須であるから、その援助も国家の方針としてなされてきた。そして、科学のことがよく分からない一般大衆を代表する政治家たちにより、技術開発の一貫として科学の支援が行われた。
哲学が古代ギリシャにおいて、貴族社会により支援されたことと対照的である。貴族には知を愛する(哲学:phil= 愛する、sophy=知)感覚があっても、一般大衆には何時の時代でも利を愛する気持ちしかない。科学と民主主義は相性が悪いのである。
つまり、科学と技術という本来人間が別の姿勢で向かうべ領域を、政治と経済が乗っ取り融合した結果、両分野は政治と経済の意図する方向に大きく発展したのだと思う。ノーベル賞はその流れに棹さすのではなく、加速する役割を果たしたと思う。(補足5)
経済が資本主義の発達により、株式会社という名の法人(つまり資本)は自然人を支配するようになった。株式会社は資本の論理で動き、決して自動的に自然人の幸せを目指すものではない。それは昨今の急激なグローバリズムの”副作用”が示している。グローバリズムは本来巨大資本の意思で始まったことであり、国家の壁で囲まれた各国民のために始まったのではない。資本による科学の乗っ取りも同様である。昨今の“科学的”成果が将来人類にもたらすものが、発展なのか破壊なのか良くわからなくなったと思う。
例えば、遺伝子工学や一旦分化した細胞を初期化する技術の発展は、生と死の関係を変えつつある。あたかも、死の克服が人類の究極の課題かのような錯覚を人々に与えてしまったと思う。また、宇宙空間での現象の科学的解明とか、宇宙の謎の解明とかいう科学の名でなされる膨大な事業は、科学というより国家が進める軍事技術開発である。科学技術の発展と人間の未来について、真剣に考える時期である。
補足:
1)大学では、技術は工学部において、そして、科学は理学部において研究される。
2)理学博士の称号を持つものは、ph. D. (Doctor of Philosophy;つまり哲学博士)を名乗る場合がある。
3)古代ギリシャのアルキメデスは、科学者であると同時に技術者であった。アルキメデスの原理で有名である。
4)9月11日のそこまで言って委員会で、ゲストのロボート・ゲラー氏が、「先生の研究は何に役立つのですか」と聞かれて、説得力のある答えができなかった。「基礎科学なので」というところだけで十分なのだが、それでは納得してもらうのは困難であった。その場面では“特別に”ギクシャクした会話が交わされていた。質問の主は素人であったが、その他の出演者は政治評論家など一応の知識人レベルにあると見做される人たちであったが、このやり取りに口を挟める者はいなかった。
5)イグノーベル賞というのがある。昨日のNHKでその候補として紹介されていたのが、総合大学院大学の助教の「カラスに方言があるか」という研究である。予算が集められずに苦労している研究者の姿は、この興味ある科学的課題が政治や経済の意思から遠いことを示している。ノーベル賞のパロディーといわれるが、本来の科学的興味に近いのはイグノーベル賞の方かもしれない。ノーベル賞の受賞基準である「人類の役に立つ研究」は、決して自然哲学の視点ではない。
2016年9月20日火曜日
日本のマスコミは反日本国民である:南沙諸島の紛争について
時事通信の昨日の記事によると、中国外務省は「南シナ海問題での日本の姿勢は、アジア地域で益々孤立する結果になるだろう」と日本に警告している。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160919-00000091-jij-cn
中国外務省の陸慷報道局長は19日の定例会見で、稲田朋美防衛相が南シナ海問題で中国を批判し、海上自衛隊と米海軍の共同巡航訓練を行う方針を示したことを受け、「日本はますます孤立する状況の下、うそもいとわず、自国の観点を関係国に押し付けようとしている」と強く非難し、南シナ海への日本の「介入」をけん制した。
陸局長は南シナ海問題に関する7月以降の東南アジア諸国連合(ASEAN)側との交渉の成果を誇示し、「地域の国家は何が自国の根本的利益かを最終的に理解し、適切に問題を解決することに同意した」と強調。「日本は大きな流れがはっきり見えていないか、あるいは直視したくないのだろう」と批判した。
以下に私の考えを書く: 米国は、今後軍事的に世界の警察官から一般国家へ後退する姿勢をとるのは確実である。その状況下で、日本は中国と正面から米国の犬となって吠えるのは、得策ではない。今回の南シナ海での日本の姿勢はまさに、アメリカの犬として行動しており、安倍内閣の対米追従姿勢は非常に危なっかしいと思う。
マスコミは、客観的立場からこの安倍内閣の姿勢を報道すべきだが、それが全くなされていない。例えば、今回のハーグ仲裁裁判所の決定のある部分について日本では十分報道されていないのではないか。それは太平島に関する裁判所の判断である。
今回中国が領有権を主張している南沙諸島の最大の島である太平島は、日本が戦前支配していた島であり、現在台湾が実効支配している。島には淡水が湧きでており、森もある。また、空港もあり人も200人ほど住んでいる。写真で見る限りどう見ても島である。その島を含めて、岩礁であると判断した今回の裁判をそのまま支持することは、どう考えてもおかしい。 http://www.jiji.com/jc/v4?id=foresight_00186_201607190001
南シナ海での紛争は、シーレーンの問題はあるが、それより前に領有権の問題であり、日本はその裁判の当事国ではない。したがって、日本は将来アジアの一員として国家の生きのこる道を考えるのなら、客観的な姿勢をとるべきである。当事国のフィリピンが中国に一定の配慮をしている状況で、日本のみが強硬に対米追従をするのは馬鹿げている。
日本のマスコミは、「中国が沖ノ鳥島は岩礁であり島ではないと主張している」と報道してきた。この主張の背景にあるのは、仲裁裁判所による太平島を岩礁だとする判断である。私の見てきたテレビニュースなどでは、沖ノ鳥島に対する中国の主張をこの背景に言及した形で放送した局はなかった。日本のマスコミは客観的に報道しないだけでなく、日本政府(つまり米国政府)の視線のみを意識し、事実を曲げて報道する。日本のマスコミは親米であり従日本政府であるが、反日本国民である。
中国外務省の陸慷報道局長は19日の定例会見で、稲田朋美防衛相が南シナ海問題で中国を批判し、海上自衛隊と米海軍の共同巡航訓練を行う方針を示したことを受け、「日本はますます孤立する状況の下、うそもいとわず、自国の観点を関係国に押し付けようとしている」と強く非難し、南シナ海への日本の「介入」をけん制した。
陸局長は南シナ海問題に関する7月以降の東南アジア諸国連合(ASEAN)側との交渉の成果を誇示し、「地域の国家は何が自国の根本的利益かを最終的に理解し、適切に問題を解決することに同意した」と強調。「日本は大きな流れがはっきり見えていないか、あるいは直視したくないのだろう」と批判した。
以下に私の考えを書く: 米国は、今後軍事的に世界の警察官から一般国家へ後退する姿勢をとるのは確実である。その状況下で、日本は中国と正面から米国の犬となって吠えるのは、得策ではない。今回の南シナ海での日本の姿勢はまさに、アメリカの犬として行動しており、安倍内閣の対米追従姿勢は非常に危なっかしいと思う。
マスコミは、客観的立場からこの安倍内閣の姿勢を報道すべきだが、それが全くなされていない。例えば、今回のハーグ仲裁裁判所の決定のある部分について日本では十分報道されていないのではないか。それは太平島に関する裁判所の判断である。
今回中国が領有権を主張している南沙諸島の最大の島である太平島は、日本が戦前支配していた島であり、現在台湾が実効支配している。島には淡水が湧きでており、森もある。また、空港もあり人も200人ほど住んでいる。写真で見る限りどう見ても島である。その島を含めて、岩礁であると判断した今回の裁判をそのまま支持することは、どう考えてもおかしい。 http://www.jiji.com/jc/v4?id=foresight_00186_201607190001
南シナ海での紛争は、シーレーンの問題はあるが、それより前に領有権の問題であり、日本はその裁判の当事国ではない。したがって、日本は将来アジアの一員として国家の生きのこる道を考えるのなら、客観的な姿勢をとるべきである。当事国のフィリピンが中国に一定の配慮をしている状況で、日本のみが強硬に対米追従をするのは馬鹿げている。
日本のマスコミは、「中国が沖ノ鳥島は岩礁であり島ではないと主張している」と報道してきた。この主張の背景にあるのは、仲裁裁判所による太平島を岩礁だとする判断である。私の見てきたテレビニュースなどでは、沖ノ鳥島に対する中国の主張をこの背景に言及した形で放送した局はなかった。日本のマスコミは客観的に報道しないだけでなく、日本政府(つまり米国政府)の視線のみを意識し、事実を曲げて報道する。日本のマスコミは親米であり従日本政府であるが、反日本国民である。
2016年9月16日金曜日
核5大国は、包括的核実験禁止条約に取り組む前にすることがあるだろう
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160916-00000517-san-int
【ニューヨーク=上塚真由】米国やロシア、英国、フランス、中国の核保有五大国は15日、9月で採択から20年となった包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効に取り組むとした共同声明を発表した。声明では、爆発を伴う核実験の一時停止継続を確認し、他国にも同様の措置を要求。今世紀に入り、唯一、核実験を強行する北朝鮮を牽制した形だ。
例えば、遠くない過去において、国際法を順守しなかった国々が、核保有5大国の中に複数存在したこと、そして、それらの国々が核兵器の大量保有を維持していることを考えると、今後も核5大国の核の脅威に多くの周辺国は怯えなければならないことになる。また、言うまでもなく、国連がこれら核5大国に独占的権利を与えている以上、国連は世界政府的な体制樹立には役立たない。
従って上記提案は、北朝鮮の核の脅威を利用して、核5大国とその他弱小国との二分化を完成する画策であると見なしうる。 因みに、北朝鮮の核の脅威を取り除くには、制裁や脅迫では上手く行くはずがない。却って問題を複雑且つ解決困難にし、最後は核5大国による国際法に反した強行手段で解決することになるのだろう。
それよりも、北朝鮮と米国や中国という朝鮮戦争の当事国が戦争を終決し、米国、日本、韓国などが北朝鮮を承認し、そのプロセスと同時進行的に北朝鮮に核兵器放棄を迫るべきである。その約束ができたのなら、核5大国は強力な力で約束実行を迫ることができる。
もし、20年前にそのような方向に舵を切っていたなら、このようなことにはならなかった。これらの責任はすべて、核5大国の一つ米国にあると思う。朝鮮戦争の当事者でありながら、北朝鮮との直接的な話し合いを持たずに、当事国でない日本などを入れた6カ国協議という訳のわからない組織に丸投げしたのは、何か別の目的があったのだろう。
兎に角、核5大国がそれにふさわしい責任を完全に果たすのでなければ、他国の核実験を禁止する権利はない。それは、国際法を完全に守る体制、世界の法治体制、核の脅威からすべての国家を守る体制などを、この5大国が中心になって完成してからの話の筈である。 南シナ海での核5大国の一つによる国際法に反する行為を放置しておきながら、何を言っているのかと言いたい。
核保有五大国が共同声明 爆発を伴う核実験の停止
(産経新聞 9月16日(金)11時10分配信)【ニューヨーク=上塚真由】米国やロシア、英国、フランス、中国の核保有五大国は15日、9月で採択から20年となった包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効に取り組むとした共同声明を発表した。声明では、爆発を伴う核実験の一時停止継続を確認し、他国にも同様の措置を要求。今世紀に入り、唯一、核実験を強行する北朝鮮を牽制した形だ。
コメント:
上記共同声明は根本的におかしい。それは、核実験や核保有を考えなくても”すべての国が核攻撃に晒されることは無い”と、完全に且つ具体的に約束され後(それが明確になったのち)に出されるべきであるからだ。その約束は、①核5大国の核兵器廃絶、又は、②核兵器の国際的軍事組織への移管などの、世界政府的体制が整う、などの条件が成立しなければ現実的ではない。例えば、遠くない過去において、国際法を順守しなかった国々が、核保有5大国の中に複数存在したこと、そして、それらの国々が核兵器の大量保有を維持していることを考えると、今後も核5大国の核の脅威に多くの周辺国は怯えなければならないことになる。また、言うまでもなく、国連がこれら核5大国に独占的権利を与えている以上、国連は世界政府的な体制樹立には役立たない。
従って上記提案は、北朝鮮の核の脅威を利用して、核5大国とその他弱小国との二分化を完成する画策であると見なしうる。 因みに、北朝鮮の核の脅威を取り除くには、制裁や脅迫では上手く行くはずがない。却って問題を複雑且つ解決困難にし、最後は核5大国による国際法に反した強行手段で解決することになるのだろう。
それよりも、北朝鮮と米国や中国という朝鮮戦争の当事国が戦争を終決し、米国、日本、韓国などが北朝鮮を承認し、そのプロセスと同時進行的に北朝鮮に核兵器放棄を迫るべきである。その約束ができたのなら、核5大国は強力な力で約束実行を迫ることができる。
もし、20年前にそのような方向に舵を切っていたなら、このようなことにはならなかった。これらの責任はすべて、核5大国の一つ米国にあると思う。朝鮮戦争の当事者でありながら、北朝鮮との直接的な話し合いを持たずに、当事国でない日本などを入れた6カ国協議という訳のわからない組織に丸投げしたのは、何か別の目的があったのだろう。
兎に角、核5大国がそれにふさわしい責任を完全に果たすのでなければ、他国の核実験を禁止する権利はない。それは、国際法を完全に守る体制、世界の法治体制、核の脅威からすべての国家を守る体制などを、この5大国が中心になって完成してからの話の筈である。 南シナ海での核5大国の一つによる国際法に反する行為を放置しておきながら、何を言っているのかと言いたい。
2016年9月14日水曜日
グローバリズムという米国の夢の挫折
グローバリズムは米国の夢であり、同時に、人類の夢だったのかもしれない。世界が真の意味で平和になるには、地球市民を善良なる人に教育し、自由でオープン且つ物質的に豊かな社会を世界に広めることが必要である。そうすれば、この地球上の人類が世界共通のルールで統治されることになる。
ある政治的にも経済的にも突出した国家が世界を支配すれば、それが実現するかもしれない。その様な国家として最も相応しいのは、米国である。日本も日本人も、戦争に敗れた相手国ではあるが、その明るい未来に向けて進む米国を、憧れと尊敬の念を持って眺めてきたと思う。その米国を牛耳ってきたのは、ロックフェラーなどの金融資本であり、グローバリズムは彼らが米国を動かして実現しようとしたのは事実だろう。
政治評論家の馬淵睦夫氏は、ロックフェラーの回顧録に「自分がグローバリストと呼ばれるのなら、それを誇りに思う」と書かれていると指摘している。また、共和党の政治顧問であった「キッシンジャー元国務長官は、ニクソンに忠実だったのではなく、ロックフェラーに忠実だった」と言っている。資本主義の旗頭が、グローバリズムの旗頭だったという訳である。
資本主義社会の発展は、必然的に世界を一つの経済活動の場に統一する方向に向かう。そして、国々の間に張られた境界を、人と資本の流通において開けば、必然的に少数の資本家が世界の資本主義経済を支配するようになるだろう。ロスチャイルドやロックフェラーがそれらの筆頭である。政治と経済は社会の生命力の両輪であるから、必然的に彼らの思想であるグローバリズム(=グローバル資本主義)が英米を始めその影響下に入る国々の政治に反映されるだろう。それは、民主主義という無知なる大衆が主権を持つ政治形態の必然だと思う。その政治バターンをアジアやアラブに移植すれば、グローバル国家建設は夢ではないと思ったかもしれない。
しかし、世界は広い。国の面積を人口に比例した世界地図を見れば、英米中心の世界に住んできた上記資本家たち、その世界こそ地球のほとんどであると信じてきた日本人たちも、広大な中国とインドを抱き込んだグローバル国家を作るのは至難の技であると、最近になってようやく気づいたのではないだろうか。
その足踏み状態を、評論家の田中宇氏は「隠れ多極主義」の人たちが米国を牛耳っていると考えている。しかし、それは単極化&均質化という難題に挑戦してきたグローバリストたちが、なかなか成功の方向に進まない姿を見間違えたのだろう。異質な国である中国、更には、アラブやアフリカなどへの資本主義の移入は、グローバリストの思惑に反して、それらの国々の政治的発言力を増し、世界を多極化に導くことになる。
資本主義は、移入された国において自身を最適化する柔軟な性質を持つので、英米では民主主義との相性が良かったとしても、アジアやアフリカでは別の政治体制と相性を良くする方向に変化する。中国では「賄賂と共産党独裁国家」という体制に馴染み、世界の多極化の旗頭に育て上げた。
そして、世界は再び、混乱の入り口にある。
馬渕睦夫氏が米国の金融資本を悪の権化のように言うが、それはちょっと違うと思う。彼らユダヤ資本は、ロックフェラーの言葉として馬渕氏が引用したように、誇りをもって人類の為にグローバリズムを実現しようと考えたと思う。自分たちの利益と人類の夢が共通であったうちは良かったのだが、それが実現には遠いと思われる事態になるに従って、悪や陰謀という言葉が使われるようになったのだろう。
以上が、素人である筆者の考えである。
http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/16/population-map_n_7995854.htmlより引用
ある政治的にも経済的にも突出した国家が世界を支配すれば、それが実現するかもしれない。その様な国家として最も相応しいのは、米国である。日本も日本人も、戦争に敗れた相手国ではあるが、その明るい未来に向けて進む米国を、憧れと尊敬の念を持って眺めてきたと思う。その米国を牛耳ってきたのは、ロックフェラーなどの金融資本であり、グローバリズムは彼らが米国を動かして実現しようとしたのは事実だろう。
政治評論家の馬淵睦夫氏は、ロックフェラーの回顧録に「自分がグローバリストと呼ばれるのなら、それを誇りに思う」と書かれていると指摘している。また、共和党の政治顧問であった「キッシンジャー元国務長官は、ニクソンに忠実だったのではなく、ロックフェラーに忠実だった」と言っている。資本主義の旗頭が、グローバリズムの旗頭だったという訳である。
資本主義社会の発展は、必然的に世界を一つの経済活動の場に統一する方向に向かう。そして、国々の間に張られた境界を、人と資本の流通において開けば、必然的に少数の資本家が世界の資本主義経済を支配するようになるだろう。ロスチャイルドやロックフェラーがそれらの筆頭である。政治と経済は社会の生命力の両輪であるから、必然的に彼らの思想であるグローバリズム(=グローバル資本主義)が英米を始めその影響下に入る国々の政治に反映されるだろう。それは、民主主義という無知なる大衆が主権を持つ政治形態の必然だと思う。その政治バターンをアジアやアラブに移植すれば、グローバル国家建設は夢ではないと思ったかもしれない。
しかし、世界は広い。国の面積を人口に比例した世界地図を見れば、英米中心の世界に住んできた上記資本家たち、その世界こそ地球のほとんどであると信じてきた日本人たちも、広大な中国とインドを抱き込んだグローバル国家を作るのは至難の技であると、最近になってようやく気づいたのではないだろうか。
その足踏み状態を、評論家の田中宇氏は「隠れ多極主義」の人たちが米国を牛耳っていると考えている。しかし、それは単極化&均質化という難題に挑戦してきたグローバリストたちが、なかなか成功の方向に進まない姿を見間違えたのだろう。異質な国である中国、更には、アラブやアフリカなどへの資本主義の移入は、グローバリストの思惑に反して、それらの国々の政治的発言力を増し、世界を多極化に導くことになる。
資本主義は、移入された国において自身を最適化する柔軟な性質を持つので、英米では民主主義との相性が良かったとしても、アジアやアフリカでは別の政治体制と相性を良くする方向に変化する。中国では「賄賂と共産党独裁国家」という体制に馴染み、世界の多極化の旗頭に育て上げた。
そして、世界は再び、混乱の入り口にある。
馬渕睦夫氏が米国の金融資本を悪の権化のように言うが、それはちょっと違うと思う。彼らユダヤ資本は、ロックフェラーの言葉として馬渕氏が引用したように、誇りをもって人類の為にグローバリズムを実現しようと考えたと思う。自分たちの利益と人類の夢が共通であったうちは良かったのだが、それが実現には遠いと思われる事態になるに従って、悪や陰謀という言葉が使われるようになったのだろう。
以上が、素人である筆者の考えである。
http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/16/population-map_n_7995854.htmlより引用
米国による北朝鮮攻撃の可能性
数日前の記事と同じような文章を書きます。高島康司氏の記事:http://www.mag2.com/p/money/14171?l=qux0596bfd を見つけたからです。
北朝鮮がまた核実験を行った。日本のメディアは全て、暴挙だといって非難している。「北朝鮮のキム王朝にとっては、国家存亡をかけての実験であり当然である」という、他社とは異なった視点の記事を書くマスコミが一社くらいあっても良い筈だ。なぜそんなに声を揃えて同じことをいうのか。彼らは、長良川の 鵜のように取材先で飲み込み、メディア上に吐き出すという機械作業をするのみであり、知性の欠片も感じられない。
北朝鮮に対して、圧力をかけることしかしてこなかった米国のこれまでの対応は、戦争を望んでいるように見える。日本が太平洋戦争に入る時に似ている。オレンジ計画を懐に忍ばせながら、ワシントン条約からくず鉄禁輸、そして石油禁輸という具合に日本を締め上げたのは、米国支配層が日本と戦争がしたかったからなのだ。
日本のマスコミは本当に無能というか、国民を裏切っているというか、大本営(現在は、米国政府の傀儡)発表しか流さない。昔も今も同じだ。北朝鮮を米国が攻撃することになっても、そして、日本が集団的自衛権行使の法整備の結果必然的に巻き込まれることになっても、前日まで何も報道しないだろう。日本国民は新聞など全て解約すべきだ。
だれも米国が北朝鮮を攻撃しないと思っているだろうが、それは甘い希望的予測だ。その可能性がかなりあることは、最初に引用した高島氏の記事を読んでもわかる。また、私もすでに別サイトで言及している。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42946569.html
兎に角、核兵器の小型化とSLBMへの搭載が済めば、米国もうかうかと攻撃できなくなる。カリフォルニアが火の海になるからだ。あの国家(つまり、北朝鮮政府)が生存のために、核兵器開発を行うのは当然である。世界一の軍事大国といまだに戦争状態にあるのだから。そして、その超大国は講和の話し合いを拒否して、訳のわからない6カ国協議とかに丸投げして知らん顔なのだから。更に、国連を利用して、経済制裁の輪を作っているのだから。
アメリカが東アジアに混乱を残しておくことが、戦後戦略の一環だったことは別に馬淵睦男夫さんの本を読むまでもないだろう。それが、朝鮮戦争を終結しない理由だろう。北朝鮮を承認せずに残し、韓国には朝鮮半島統一を国是として刷り込むのである。また、日本に対しては北朝鮮との講話を妨害している筈(補足1)。昔の日韓基本条約の内容、(韓国が半島の唯一の政府であるとする条項)にも干渉しているだろう。小泉政権のときの拉致被害者奪還ができなかったのは、米国の干渉だと思うが、隠されている。小泉さんはその話を、墓場にもっていくだろう。
国後択捉は、サンフランシスコ講和条約で日本が放棄した千島に入らないと、インチキ地理学を日本に刷り込んだのは、ロシアと日本を近づけさせないためだ。尖閣の領有権に言及しないのも、日中双方で争うのを、高みの見物するためだ。戦後、李承晩という半日分子を隣国の大統領にしたのも米国だ。因みに、ウクライナで親露政権をクーデターで潰すのにも深く米国は関わっている筈だ。(田中宇さんのブログ参照)
ベトナムのトンキン湾事件を出すまでもなく、戦後世界の混乱は米国の戦略(金儲けの種)だった。ネット社会になって、政治に詳しい人が激増し、米国の悪巧みを隠すことができなくなり、そういううるさいのは、暗殺したほうがいいとブレジンスキーが漏らしたことでも解る。https://www.youtube.com/watch?v=Gc9rsvBIh9U
その人は、現オバマ大統領の外交顧問なのだ。同じ類いの人間に、共和党側のヘンリー・キッシンジャーがいる。政治の世界では、現実主義者というらしいが、恐ろしい人たちだ。
補足:
1)北朝鮮との講話が、唯一拉致被害者全員を取り戻す方法なのだ。それを拉致被害者の会はわかっていない。圧力をかけることで、帰って来ると思っているのだろうか?不思議な人たちだ。それに、国交関係の無い国が自国民を拉致するのを防止できなかったのは、日本政府の 失政であると攻撃しないのも変だ。
日本は北朝鮮と国交がなく、しかも、北朝鮮の敵国である米国や韓国の同盟国であること、更に、北朝鮮の同胞やスパイが大勢いる国である。日本国民を拉致から守る十分な体制をとってこなかったこと、拉致という事実が判明しても、攻め入って取り返そうとしなかったことを、何故彼ら拉致被害者家族は攻撃しないのだ。
北朝鮮がまた核実験を行った。日本のメディアは全て、暴挙だといって非難している。「北朝鮮のキム王朝にとっては、国家存亡をかけての実験であり当然である」という、他社とは異なった視点の記事を書くマスコミが一社くらいあっても良い筈だ。なぜそんなに声を揃えて同じことをいうのか。彼らは、長良川の 鵜のように取材先で飲み込み、メディア上に吐き出すという機械作業をするのみであり、知性の欠片も感じられない。
北朝鮮に対して、圧力をかけることしかしてこなかった米国のこれまでの対応は、戦争を望んでいるように見える。日本が太平洋戦争に入る時に似ている。オレンジ計画を懐に忍ばせながら、ワシントン条約からくず鉄禁輸、そして石油禁輸という具合に日本を締め上げたのは、米国支配層が日本と戦争がしたかったからなのだ。
日本のマスコミは本当に無能というか、国民を裏切っているというか、大本営(現在は、米国政府の傀儡)発表しか流さない。昔も今も同じだ。北朝鮮を米国が攻撃することになっても、そして、日本が集団的自衛権行使の法整備の結果必然的に巻き込まれることになっても、前日まで何も報道しないだろう。日本国民は新聞など全て解約すべきだ。
だれも米国が北朝鮮を攻撃しないと思っているだろうが、それは甘い希望的予測だ。その可能性がかなりあることは、最初に引用した高島氏の記事を読んでもわかる。また、私もすでに別サイトで言及している。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42946569.html
兎に角、核兵器の小型化とSLBMへの搭載が済めば、米国もうかうかと攻撃できなくなる。カリフォルニアが火の海になるからだ。あの国家(つまり、北朝鮮政府)が生存のために、核兵器開発を行うのは当然である。世界一の軍事大国といまだに戦争状態にあるのだから。そして、その超大国は講和の話し合いを拒否して、訳のわからない6カ国協議とかに丸投げして知らん顔なのだから。更に、国連を利用して、経済制裁の輪を作っているのだから。
アメリカが東アジアに混乱を残しておくことが、戦後戦略の一環だったことは別に馬淵睦男夫さんの本を読むまでもないだろう。それが、朝鮮戦争を終結しない理由だろう。北朝鮮を承認せずに残し、韓国には朝鮮半島統一を国是として刷り込むのである。また、日本に対しては北朝鮮との講話を妨害している筈(補足1)。昔の日韓基本条約の内容、(韓国が半島の唯一の政府であるとする条項)にも干渉しているだろう。小泉政権のときの拉致被害者奪還ができなかったのは、米国の干渉だと思うが、隠されている。小泉さんはその話を、墓場にもっていくだろう。
国後択捉は、サンフランシスコ講和条約で日本が放棄した千島に入らないと、インチキ地理学を日本に刷り込んだのは、ロシアと日本を近づけさせないためだ。尖閣の領有権に言及しないのも、日中双方で争うのを、高みの見物するためだ。戦後、李承晩という半日分子を隣国の大統領にしたのも米国だ。因みに、ウクライナで親露政権をクーデターで潰すのにも深く米国は関わっている筈だ。(田中宇さんのブログ参照)
ベトナムのトンキン湾事件を出すまでもなく、戦後世界の混乱は米国の戦略(金儲けの種)だった。ネット社会になって、政治に詳しい人が激増し、米国の悪巧みを隠すことができなくなり、そういううるさいのは、暗殺したほうがいいとブレジンスキーが漏らしたことでも解る。https://www.youtube.com/watch?v=Gc9rsvBIh9U
その人は、現オバマ大統領の外交顧問なのだ。同じ類いの人間に、共和党側のヘンリー・キッシンジャーがいる。政治の世界では、現実主義者というらしいが、恐ろしい人たちだ。
補足:
1)北朝鮮との講話が、唯一拉致被害者全員を取り戻す方法なのだ。それを拉致被害者の会はわかっていない。圧力をかけることで、帰って来ると思っているのだろうか?不思議な人たちだ。それに、国交関係の無い国が自国民を拉致するのを防止できなかったのは、日本政府の 失政であると攻撃しないのも変だ。
日本は北朝鮮と国交がなく、しかも、北朝鮮の敵国である米国や韓国の同盟国であること、更に、北朝鮮の同胞やスパイが大勢いる国である。日本国民を拉致から守る十分な体制をとってこなかったこと、拉致という事実が判明しても、攻め入って取り返そうとしなかったことを、何故彼ら拉致被害者家族は攻撃しないのだ。
2016年9月10日土曜日
強姦致傷の容疑者(俳優の高橋裕太)の無罪放免は、要するに合法な売春の一形式ということか?
高畑裕太容疑者が無罪放免された。被害者との示談が成立したということらしい。この件、どうも納得が行かない。刑事事件として告発があり、逮捕されたのだから、最後まで裁判するべきである。確かに親告罪的だから、被害者が表に出たくないのはわかる。それなら、民間で弁護士などを雇って示談交渉すれば良いではないか。(補足1) http://bylines.news.yahoo.co.jp/sendayuki/20160910-00062041/
上記弁護士の手記には、強姦致傷罪は親告罪でないという記述がある。従って今回のケースでは、検察側が犯罪性の立証が困難と判断したことになる。検察側は、もちろん被害者側の状況説明などの協力がなければ公判を維持できないだろう。その気が示談金で揺らいでしまうのなら、被害者側は何故告発したのか?
民事訴訟の場合には示談で訴訟の取り下げはあり得るが、刑事事件が示談金で消滅することは無い。何故、裁判の前に被害者と加害者の直接接触をさせたのだ。被害者が告発の意思を示談金で無くしたのなら、後ろに怖い人を用意していないため、その代わりとして警察や検察を利用したことになる。被害者は、そう解釈されても良いのか。
示談金が支払われたので無罪放免するのでは、その強姦もどきは合法的高級売春と同じことになる。金を手にした側も、金を支払った側も罰せられない。警察や検察を利用したことに対する、”被害者”から国庫への支払いが必要だろう。
法律に詳しいのが居れば、反論してくれ。
補足:
1)これも合意の上で行為をした後、背後から怖い人が出てきて脅迫する行為と似ている。
上記弁護士の手記には、強姦致傷罪は親告罪でないという記述がある。従って今回のケースでは、検察側が犯罪性の立証が困難と判断したことになる。検察側は、もちろん被害者側の状況説明などの協力がなければ公判を維持できないだろう。その気が示談金で揺らいでしまうのなら、被害者側は何故告発したのか?
民事訴訟の場合には示談で訴訟の取り下げはあり得るが、刑事事件が示談金で消滅することは無い。何故、裁判の前に被害者と加害者の直接接触をさせたのだ。被害者が告発の意思を示談金で無くしたのなら、後ろに怖い人を用意していないため、その代わりとして警察や検察を利用したことになる。被害者は、そう解釈されても良いのか。
示談金が支払われたので無罪放免するのでは、その強姦もどきは合法的高級売春と同じことになる。金を手にした側も、金を支払った側も罰せられない。警察や検察を利用したことに対する、”被害者”から国庫への支払いが必要だろう。
法律に詳しいのが居れば、反論してくれ。
補足:
1)これも合意の上で行為をした後、背後から怖い人が出てきて脅迫する行為と似ている。
日本の高い自殺率に対する一考察
ここ数年ある程度減少したものの、日本は非常に自殺率の高い国であることに間違いはない。そこで、すこしその原因などについて考えてみることにした。
ウイキペディアの記事によれば、日本の人口10万人あたりの自殺者数は18.5人であり、OECD加盟国では旧共産圏を除いて、韓国(28.7)についで二番目の高い水準にある。自殺率が必ずしも国家の経済力と単純には関係しないことは、ギリシャ(3.8)、スペイン(5.1)やメキシコ(4.2)などの自殺率が低いことから明らかである。大きな理由の一つは、これらキリスト教圏の神(エホバ神)が自殺を禁じているからだろう。その結果か原因かわからないが、これらの国々の様子をテレビなどで見ると、日本にくらべて楽観的な人が多いような印象をうける。(補足1)
自殺が人生における選択肢の中に無いとすれば、逆説的だが、生きる上で大きな手助けとなると思う。人は生涯に苦しい時期を何度も経験するだろう。それらには自分に避ける手段などなく、運命的或いは遺伝的な原因による場合も多いだろう。その場合、自分という存在を否定する道も選択の中に入れる場合と、神による創造には無駄などあり得ないと自分の存在価値を考えるのとでは、生きる勇気の上に大きな差が出るだろう。
また、仏教圏であるタイ(11.4)やミャンマー(13.1)の方が、日本や韓国よりも経済的に豊かではないにも拘らず、自殺率がかなり低い。これも、敬虔な仏教徒の心の目には、弥陀の救いが見えているのなら、生きる勇気が湧くだろうと考えればわかるような気がする。
一方、神や来世(天国、極楽、etc)は、夢想の産物だとしか考えない場合、現世で取り得る手段は広がるだろうし、現世で大きな経済的“利益”が得られるかもしれない。その目に見えるものしか信じない性格が脳を染めれば、目に見えるものにたまたま恵まれなくなった人には、生きる空間が無くなる(補足2)。神と天国(極楽)の無い国、それが韓国や日本の精神的風土だろう。
補足: 1) キリスト教でも仏教でも、先進国では宗教は単に儀式的なものに変質しつつあるように思う。特に高い教育レベルにある人ほど、その傾向は強いだろう。また、その国家に特有のトラブル(例えば人種や宗教の混在などによるもの)を持つ場合、当然自殺率が増加するだろう。 2)
ウイキペディアの記事によれば、日本の人口10万人あたりの自殺者数は18.5人であり、OECD加盟国では旧共産圏を除いて、韓国(28.7)についで二番目の高い水準にある。自殺率が必ずしも国家の経済力と単純には関係しないことは、ギリシャ(3.8)、スペイン(5.1)やメキシコ(4.2)などの自殺率が低いことから明らかである。大きな理由の一つは、これらキリスト教圏の神(エホバ神)が自殺を禁じているからだろう。その結果か原因かわからないが、これらの国々の様子をテレビなどで見ると、日本にくらべて楽観的な人が多いような印象をうける。(補足1)
自殺が人生における選択肢の中に無いとすれば、逆説的だが、生きる上で大きな手助けとなると思う。人は生涯に苦しい時期を何度も経験するだろう。それらには自分に避ける手段などなく、運命的或いは遺伝的な原因による場合も多いだろう。その場合、自分という存在を否定する道も選択の中に入れる場合と、神による創造には無駄などあり得ないと自分の存在価値を考えるのとでは、生きる勇気の上に大きな差が出るだろう。
また、仏教圏であるタイ(11.4)やミャンマー(13.1)の方が、日本や韓国よりも経済的に豊かではないにも拘らず、自殺率がかなり低い。これも、敬虔な仏教徒の心の目には、弥陀の救いが見えているのなら、生きる勇気が湧くだろうと考えればわかるような気がする。
一方、神や来世(天国、極楽、etc)は、夢想の産物だとしか考えない場合、現世で取り得る手段は広がるだろうし、現世で大きな経済的“利益”が得られるかもしれない。その目に見えるものしか信じない性格が脳を染めれば、目に見えるものにたまたま恵まれなくなった人には、生きる空間が無くなる(補足2)。神と天国(極楽)の無い国、それが韓国や日本の精神的風土だろう。
補足: 1) キリスト教でも仏教でも、先進国では宗教は単に儀式的なものに変質しつつあるように思う。特に高い教育レベルにある人ほど、その傾向は強いだろう。また、その国家に特有のトラブル(例えば人種や宗教の混在などによるもの)を持つ場合、当然自殺率が増加するだろう。 2)
北朝鮮の戦略:米国の東アジア政策と日本&韓国
1)北朝鮮は先日、3発のミサイルを日本海の日本の経済水域内に発射し、そして昨日、これまでで最も大きな核爆発の実験を行った。このことに関して、政府首脳は「遺憾の意」「断じて許すことはできない」などの言葉で非難したが、いつも通りであり、何のリアクションも結局ないのだろう。「断じて許さない」という言葉は、何の処罰する手段を持たないで言うセリフではないことを、我が安倍総理はご存知なのだろうか?
日本や韓国は益々危険な状況に追いやられている。米国は、朝鮮戦争の当事者として、北朝鮮や中国と講和できる立場にありながら、それをしないで東アジアを混乱と危険の地域に誘導してきた。米国の戦略は明らかである。日ソの間に、「北方4島は日本固有の領土という、心理学的“刷り込み”を日本に行うことで」くさびを打ち込み、韓国には「朝鮮統一」という“刷り込み”で、朝鮮戦争を永久化することである。
その米国の対北朝鮮政策は、日本や韓国を同盟国としながら、論理的必然として両国の安全を脅かす方向に働いている。本当は、日本や韓国は米国の同盟国でもなんでもなく、将来はともかく現状は“家畜国”のようなものだろう。もちろん“ペット”ではない。
北朝鮮がずっと主張してきたのは、米国と直接対話することで体制維持を図ることである。それのどこに米国にとっての大きな困難があるのか? 六カ国協議とかいう訳のわからない組織を作って、米国はそれを拒否してきた。六カ国協議というのは、北朝鮮の核兵器の脅威を利用して、日本や韓国に核開発をさせない為に作った体制であるという説が有力だ。日本も韓国も核を持つように計画することが北朝鮮に核放棄を迫る立場と論理的に矛盾するからである。
2)しかし米国は知っている。あらゆる国家にとって、核兵器保持が22世紀に生き残るために必須の条件だということを。北朝鮮がそれを見事に証明するだろう。また、中国が南シナ海に軍事基地を建設し、そこで核兵器搭載の多弾頭型SLBMを積んだ潜水艦の補給を行う。それで、中国は米国と並ぶ軍事大国としての地位を確立し、22世紀への生き残りと経済的繁栄の基盤を得ることになる。( 元は国際決済通貨となるだろう。)
中国の近くで、唯一深さのある海域は南シナ海であり、原潜基地の場所としてふさわしい。それが、国際法を無視してまで、岩礁を埋め立てて軍事基地を作る理由である。日本政府はその中国の戦略を知っていても国民に隠し、中国を”国際法無視する無頼漢国家”として宣伝している。その基地が完成したのち50年ほどで、世界は南シナ海を中国の領海のように思い込むだろう。それまでは、米国や日本(残っていれば)などの五月蝿い国を、宥めたり脅したりしながら耐える戦略だろう。
米国も、中国がアジアの盟主となることを認めざるを得ないので、近くで番犬の役割をする国家が欲しいと思っている。その考えに沿う国家として、韓国はおそらく役立たない。何故なら、簡単に 親中国国家として、昔の朝貢国の地位に落ち着くからである。しかし、日本は中国侵略の歴史があり、中国との関係が米国との関係と入れ替わることは無いと読んでいると思う。
使用人の位置にある者を置くには、常に敷地内に武器を持たせないで置く必要がある。それでも、ドストエフスキーの小説ではないが、主人を殺す可能性が最も高いのは使用人である。同じ人間なら、決してその地位に甘んじて一生を棒にふることをよしとしないからである。つまり、決して日本を“人間、つまり一人前の国”にしてはならないのだ。
それは米国支配層にとって、北朝鮮に核兵器を認めても、決して曲げることのできない国是だろう。もちろん、米国は複雑な国なので、これまでのジャパンハンドラーたちが全員いなくなれば、政策も変わる可能性がある。トランプ氏は、それを証明している。
強調したいこと: 「断じて許さない」は、罰することのできる相手に対してのみ、言うことのできる言葉である。
日本や韓国は益々危険な状況に追いやられている。米国は、朝鮮戦争の当事者として、北朝鮮や中国と講和できる立場にありながら、それをしないで東アジアを混乱と危険の地域に誘導してきた。米国の戦略は明らかである。日ソの間に、「北方4島は日本固有の領土という、心理学的“刷り込み”を日本に行うことで」くさびを打ち込み、韓国には「朝鮮統一」という“刷り込み”で、朝鮮戦争を永久化することである。
その米国の対北朝鮮政策は、日本や韓国を同盟国としながら、論理的必然として両国の安全を脅かす方向に働いている。本当は、日本や韓国は米国の同盟国でもなんでもなく、将来はともかく現状は“家畜国”のようなものだろう。もちろん“ペット”ではない。
北朝鮮がずっと主張してきたのは、米国と直接対話することで体制維持を図ることである。それのどこに米国にとっての大きな困難があるのか? 六カ国協議とかいう訳のわからない組織を作って、米国はそれを拒否してきた。六カ国協議というのは、北朝鮮の核兵器の脅威を利用して、日本や韓国に核開発をさせない為に作った体制であるという説が有力だ。日本も韓国も核を持つように計画することが北朝鮮に核放棄を迫る立場と論理的に矛盾するからである。
2)しかし米国は知っている。あらゆる国家にとって、核兵器保持が22世紀に生き残るために必須の条件だということを。北朝鮮がそれを見事に証明するだろう。また、中国が南シナ海に軍事基地を建設し、そこで核兵器搭載の多弾頭型SLBMを積んだ潜水艦の補給を行う。それで、中国は米国と並ぶ軍事大国としての地位を確立し、22世紀への生き残りと経済的繁栄の基盤を得ることになる。( 元は国際決済通貨となるだろう。)
中国の近くで、唯一深さのある海域は南シナ海であり、原潜基地の場所としてふさわしい。それが、国際法を無視してまで、岩礁を埋め立てて軍事基地を作る理由である。日本政府はその中国の戦略を知っていても国民に隠し、中国を”国際法無視する無頼漢国家”として宣伝している。その基地が完成したのち50年ほどで、世界は南シナ海を中国の領海のように思い込むだろう。それまでは、米国や日本(残っていれば)などの五月蝿い国を、宥めたり脅したりしながら耐える戦略だろう。
米国も、中国がアジアの盟主となることを認めざるを得ないので、近くで番犬の役割をする国家が欲しいと思っている。その考えに沿う国家として、韓国はおそらく役立たない。何故なら、簡単に 親中国国家として、昔の朝貢国の地位に落ち着くからである。しかし、日本は中国侵略の歴史があり、中国との関係が米国との関係と入れ替わることは無いと読んでいると思う。
使用人の位置にある者を置くには、常に敷地内に武器を持たせないで置く必要がある。それでも、ドストエフスキーの小説ではないが、主人を殺す可能性が最も高いのは使用人である。同じ人間なら、決してその地位に甘んじて一生を棒にふることをよしとしないからである。つまり、決して日本を“人間、つまり一人前の国”にしてはならないのだ。
それは米国支配層にとって、北朝鮮に核兵器を認めても、決して曲げることのできない国是だろう。もちろん、米国は複雑な国なので、これまでのジャパンハンドラーたちが全員いなくなれば、政策も変わる可能性がある。トランプ氏は、それを証明している。
強調したいこと: 「断じて許さない」は、罰することのできる相手に対してのみ、言うことのできる言葉である。
2016年9月8日木曜日
本気で自殺を考えた人が4人に1人いる?—ある統計への疑問—
1)自殺を考えたことがある人の割合が、4人に1人であるというショッキングなニュースが、日本財団の調査結果として報じられた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160907-00000106-mai-soci
朝日新聞の記事:(http://www.asahi.com/articles/ASJ975JVJJ97UTFL00J.html?iref=com_rnavi_srank )
調査は今年8月2~9日にインターネットで実施。約4万人の回答を、2015年国勢調査(速報値)の年代、性別、都道府県別の人口比に合わせて分析した。その結果、「1年以内に自殺未遂を経験した」と答えた人は0.6%で、全国では53万人(男性26万人、女性27万人)と推計された。半数以上が20~30代だった。理由は、健康問題や家庭問題、経済生活問題が多く、二つ以上重なることがきっかけになっていた。
更に、
「本気で自殺したいと考えたことがある」という人は25.4%、このうち6.2%は現在も自殺を考えていると答えた。若いほど割合が高かった。一方、身近な人の自殺を経験したことがある人も5人に1人いた。
以上が報じられたニュースの概略である。この調査は、重要だが微妙な個人的情報に関するものであり、正確な数値データとするには、慎重なデータ収集と厳密な解析が必要である。従って、一般に報道するのは、最低限の節度として、学術論文として受理された後であるべきだと思う。その際、情報収集の方法とその分析方法について、専門家の審査を経るからである。
2)そのような“難癖”のようなことを言うのは、気になる点が幾つかあるからである。例えば、回答者をどのように選択したのか(インターネットで実施したというが、インターネットにアクセスできる人のみを対象にしたのか)、質問を択一式で行ったのか、回答回収率(回答拒絶率)はどの程度かなど、正確度を判断する上に重要な情報がほとんど無い(補足 1)。従って、どの程度信頼性がある数値データなのか全く判断できない。
またこのような微妙な情報を得るには、鍵となる言葉の意味を、調査対象に明確に伝達しなければならない。例えば上記文章では、質問者が定義している「本気」「身近な人」「自殺未遂」などの意味を、回答者に正確に伝達できているのか疑問が残る。(補足2)
上記ニュースでは本気で自殺を考えたことがある人が25.4%いるが、最近1年間に「自殺未遂を経験した人」は0.6%である。一方、確実な数値として存在するのは、実際に自殺した人として統計されている0.0185%である。(ウィキペディア参照)
25.4%とか0.6%という数字は、最終的に自死に至った0.0185%に比較して相当大きい値である。データ収集や処理の段階で数値を膨らませるようなことがなされている可能性を感じるのは私だけだろうか?
回答は質問の仕方に依存する。例えば、択一式のアンケートで回答を得たのなら、選択肢に灰色領域を含ませれば、そこに誘導される人はかなり出る。もし、回答を数値データ化する段階で、灰色領域と黒色領域を合算する様なことをすれば、かなり数値は動くと思うのである。
この種のショッキングなニュースを流すのなら、もっと慎重にしてほしい。何か、組織としての意図を感じるのは、日本財団(旧日本船舶振興会)に対する偏見だろうか。
補足:
1) インターネットにアクセスできる人は、年代が高くなるほど人知的な人が多いだろう。択一式の質問の場合、微妙な気持ちは回答に反映しない。更に、回答したく無い人ほど、深刻に自殺を考えている可能性がある。
2) アンケートがどの程度真剣なものかにより、回答内容が影響される。「本気」「真剣」という言葉の意味が、正確に回答者に伝わる必要がある。「本気で自殺を考えたことがある」と答えた人の割合が若い人ほど多いのは不自然である。高齢者にも若い頃があったのだから、そして、本気で自殺を考えた記憶など簡単には消え無いからである。
(朝日新聞からの引用:©マークがなかったので、引用させてもらいました。)
朝日新聞の記事:(http://www.asahi.com/articles/ASJ975JVJJ97UTFL00J.html?iref=com_rnavi_srank )
調査は今年8月2~9日にインターネットで実施。約4万人の回答を、2015年国勢調査(速報値)の年代、性別、都道府県別の人口比に合わせて分析した。その結果、「1年以内に自殺未遂を経験した」と答えた人は0.6%で、全国では53万人(男性26万人、女性27万人)と推計された。半数以上が20~30代だった。理由は、健康問題や家庭問題、経済生活問題が多く、二つ以上重なることがきっかけになっていた。
更に、
「本気で自殺したいと考えたことがある」という人は25.4%、このうち6.2%は現在も自殺を考えていると答えた。若いほど割合が高かった。一方、身近な人の自殺を経験したことがある人も5人に1人いた。
以上が報じられたニュースの概略である。この調査は、重要だが微妙な個人的情報に関するものであり、正確な数値データとするには、慎重なデータ収集と厳密な解析が必要である。従って、一般に報道するのは、最低限の節度として、学術論文として受理された後であるべきだと思う。その際、情報収集の方法とその分析方法について、専門家の審査を経るからである。
2)そのような“難癖”のようなことを言うのは、気になる点が幾つかあるからである。例えば、回答者をどのように選択したのか(インターネットで実施したというが、インターネットにアクセスできる人のみを対象にしたのか)、質問を択一式で行ったのか、回答回収率(回答拒絶率)はどの程度かなど、正確度を判断する上に重要な情報がほとんど無い(補足 1)。従って、どの程度信頼性がある数値データなのか全く判断できない。
またこのような微妙な情報を得るには、鍵となる言葉の意味を、調査対象に明確に伝達しなければならない。例えば上記文章では、質問者が定義している「本気」「身近な人」「自殺未遂」などの意味を、回答者に正確に伝達できているのか疑問が残る。(補足2)
上記ニュースでは本気で自殺を考えたことがある人が25.4%いるが、最近1年間に「自殺未遂を経験した人」は0.6%である。一方、確実な数値として存在するのは、実際に自殺した人として統計されている0.0185%である。(ウィキペディア参照)
25.4%とか0.6%という数字は、最終的に自死に至った0.0185%に比較して相当大きい値である。データ収集や処理の段階で数値を膨らませるようなことがなされている可能性を感じるのは私だけだろうか?
回答は質問の仕方に依存する。例えば、択一式のアンケートで回答を得たのなら、選択肢に灰色領域を含ませれば、そこに誘導される人はかなり出る。もし、回答を数値データ化する段階で、灰色領域と黒色領域を合算する様なことをすれば、かなり数値は動くと思うのである。
この種のショッキングなニュースを流すのなら、もっと慎重にしてほしい。何か、組織としての意図を感じるのは、日本財団(旧日本船舶振興会)に対する偏見だろうか。
補足:
1) インターネットにアクセスできる人は、年代が高くなるほど人知的な人が多いだろう。択一式の質問の場合、微妙な気持ちは回答に反映しない。更に、回答したく無い人ほど、深刻に自殺を考えている可能性がある。
2) アンケートがどの程度真剣なものかにより、回答内容が影響される。「本気」「真剣」という言葉の意味が、正確に回答者に伝わる必要がある。「本気で自殺を考えたことがある」と答えた人の割合が若い人ほど多いのは不自然である。高齢者にも若い頃があったのだから、そして、本気で自殺を考えた記憶など簡単には消え無いからである。
(朝日新聞からの引用:©マークがなかったので、引用させてもらいました。)
2016年9月6日火曜日
世界は多極化の方向にある:日本は米国の作った戦後枠組みから叩き出される前に独力で出るべきである。
1)G20の前の日に米国オバマ大統領と中国習近平主席の会談が行われ、南シナ海の問題、韓国への迎撃ミサイル配備、北朝鮮問題などが3時間に亘って話し合われた。夕食会などを含めて、両首脳が接触した時間は4時間だという。
読売新聞で詳細に報道されたのは、地球温暖化問題に関するパリ協定であった。(9/4第14版1面)しかし、パリ協定合意は用意されたものであり、議論など不要だっただろう。時間をとって話合われたのは、中国が南シナ海で岩礁を埋め立てて領土とし、そこに軍事基地を建設している問題だろう。明確な国際法違反のこの行為をどこの国も国際機関も止められ無い以上、国際法による秩序は破壊されたと言って良い。元々、話し合いの余地など無かったのであり、話が長引いたとしたら、オバマ大統領の苦情を周主席がひたすら聴くのに徹したということだろう。
オバマ大統領が南シナ海の話しを厳しい表情で持ち出したとき、習主席は笑顔で聞いていたと新聞(読売新聞、9/4第14版、7面)には書かれていた。それは、米国の関与できる範囲は限られ、中国は独自の考えを押し通せるという自信の現れである。
オランダの国際仲裁裁判所の判決が中国の主張を完全に退けており、習近平政権に大きな打撃を与えたという論調が多い。しかし、上記記事を見る限り、中国は南シナ海の支配を完了するまで淡々と工事を続けるだろう。国際法といっても、法としての権威などないのだから(補足1)。
これらから言えることは、世界は多極化し、アジアの極は中国であるということである。中国主席の米国大統領に対する余裕のある態度は、それを自覚しているからである。今朝のニュースによると、フィリピン大統領がオバマ大統領に対して暴言をはき、二人の間で予定されていたニ国間首脳会議は中止となったという。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160906-00000002-jij_afp-int フィリピン大統領による米国大統領への暴言は、世界の多極化を明確に証明している。確実に時代の歯車は回っているのである。
2)国家間の問題の善悪は限りなく強弱に近いのは、歴史の証明するところである。米国も、多極化する世界を徐々に受け入れるだけであり、アジアにおいては中国が“棍棒外交”をするようになるだろう。日本も悪の烙印とそれに伴った他国からの仕打ちは、軍事力が弱ければ甘受するしかない。
ところで、G20後の安倍総理との習主席との会見は、20分の予定で組まれ、実際には32分間行われたという。30分という時間は何かを話会うという時間ではないだろう。しかし、両国に懸案となる事項がないかといえば、大ありである。
習主席の考えは、南シナ海問題と同じであると思う。尖閣問題についても“苦情は聞くが話し合う気はない”ということだろう。尖閣問題も南シナ海問題も米中の問題でない部分は、中国にとって話合いの対象ですらないと思っているのだろう。
おそらく、尖閣問題についてもオバマ米国大統領とは何らかの具体的現実的な話合いはあっただろう。しかし、米国も南シナ海問題ほど関心はないと思う。(補足2)オバマ大統領との会談で、尖閣の問題は対日問題というよりも、単に時間の問題(スケジュールの問題)という思いを、周主席は一層強めただろう。安倍総理との間の32分という短い首脳会談の時間はそれを示していると思う。
オリンピック閉会式前後に、尖閣周辺への米国戦略爆撃機の展開は、米国の保護国的な日本に対するできる限りの“思いやり”であり、中国を牽制する意味はあるが、実際上の頼みにならないと思う。 https://www.youtube.com/watch?v=Xp4aJaWsmDw
3)安倍総理が日ソ関係の改善を模索するのは、「戦後regimeの脱却」という基本路線上当然の方向であり、米国は不快感を示すだろうが、世界の多極化を必然的方向と考えている以上、それ以上は何も言えないだろう。
4島一括返還という考えは、まさに戦後regimeの中にある考え方であり、日本国民は千島を講和条約で放棄した事実を再度反芻すべきであると思う。日本の将来に残された道は、米国に隷属するという“戦後の枠組み”から脱却することが出来るのか、或いは枠組みから叩き出されるのかの間の選択であると思う。後者の道には、厳しい中国との外交が待っていると思う。
補足:
1)国際法に権威があるのは、弱小国に対してのみである。法の権威は、罰を与える力によって与えられる。中国を罰する力が世界に無い以上、国際法に中国を縛る権威はない。
2)原子力潜水艦の基地を深度のある南シナ海につくるという中国の計画(推測)は、米国に対する直接的脅威となるからである。
(以上は、素人のメモです。)
読売新聞で詳細に報道されたのは、地球温暖化問題に関するパリ協定であった。(9/4第14版1面)しかし、パリ協定合意は用意されたものであり、議論など不要だっただろう。時間をとって話合われたのは、中国が南シナ海で岩礁を埋め立てて領土とし、そこに軍事基地を建設している問題だろう。明確な国際法違反のこの行為をどこの国も国際機関も止められ無い以上、国際法による秩序は破壊されたと言って良い。元々、話し合いの余地など無かったのであり、話が長引いたとしたら、オバマ大統領の苦情を周主席がひたすら聴くのに徹したということだろう。
オバマ大統領が南シナ海の話しを厳しい表情で持ち出したとき、習主席は笑顔で聞いていたと新聞(読売新聞、9/4第14版、7面)には書かれていた。それは、米国の関与できる範囲は限られ、中国は独自の考えを押し通せるという自信の現れである。
オランダの国際仲裁裁判所の判決が中国の主張を完全に退けており、習近平政権に大きな打撃を与えたという論調が多い。しかし、上記記事を見る限り、中国は南シナ海の支配を完了するまで淡々と工事を続けるだろう。国際法といっても、法としての権威などないのだから(補足1)。
これらから言えることは、世界は多極化し、アジアの極は中国であるということである。中国主席の米国大統領に対する余裕のある態度は、それを自覚しているからである。今朝のニュースによると、フィリピン大統領がオバマ大統領に対して暴言をはき、二人の間で予定されていたニ国間首脳会議は中止となったという。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160906-00000002-jij_afp-int フィリピン大統領による米国大統領への暴言は、世界の多極化を明確に証明している。確実に時代の歯車は回っているのである。
2)国家間の問題の善悪は限りなく強弱に近いのは、歴史の証明するところである。米国も、多極化する世界を徐々に受け入れるだけであり、アジアにおいては中国が“棍棒外交”をするようになるだろう。日本も悪の烙印とそれに伴った他国からの仕打ちは、軍事力が弱ければ甘受するしかない。
ところで、G20後の安倍総理との習主席との会見は、20分の予定で組まれ、実際には32分間行われたという。30分という時間は何かを話会うという時間ではないだろう。しかし、両国に懸案となる事項がないかといえば、大ありである。
習主席の考えは、南シナ海問題と同じであると思う。尖閣問題についても“苦情は聞くが話し合う気はない”ということだろう。尖閣問題も南シナ海問題も米中の問題でない部分は、中国にとって話合いの対象ですらないと思っているのだろう。
おそらく、尖閣問題についてもオバマ米国大統領とは何らかの具体的現実的な話合いはあっただろう。しかし、米国も南シナ海問題ほど関心はないと思う。(補足2)オバマ大統領との会談で、尖閣の問題は対日問題というよりも、単に時間の問題(スケジュールの問題)という思いを、周主席は一層強めただろう。安倍総理との間の32分という短い首脳会談の時間はそれを示していると思う。
オリンピック閉会式前後に、尖閣周辺への米国戦略爆撃機の展開は、米国の保護国的な日本に対するできる限りの“思いやり”であり、中国を牽制する意味はあるが、実際上の頼みにならないと思う。 https://www.youtube.com/watch?v=Xp4aJaWsmDw
3)安倍総理が日ソ関係の改善を模索するのは、「戦後regimeの脱却」という基本路線上当然の方向であり、米国は不快感を示すだろうが、世界の多極化を必然的方向と考えている以上、それ以上は何も言えないだろう。
4島一括返還という考えは、まさに戦後regimeの中にある考え方であり、日本国民は千島を講和条約で放棄した事実を再度反芻すべきであると思う。日本の将来に残された道は、米国に隷属するという“戦後の枠組み”から脱却することが出来るのか、或いは枠組みから叩き出されるのかの間の選択であると思う。後者の道には、厳しい中国との外交が待っていると思う。
補足:
1)国際法に権威があるのは、弱小国に対してのみである。法の権威は、罰を与える力によって与えられる。中国を罰する力が世界に無い以上、国際法に中国を縛る権威はない。
2)原子力潜水艦の基地を深度のある南シナ海につくるという中国の計画(推測)は、米国に対する直接的脅威となるからである。
(以上は、素人のメモです。)
2016年9月5日月曜日
日本の報道機関:大本営発表しか流さない
G20が中国杭州で開かれている。日本での報道は少なく、しかも型どおりのものだけであり、世界の動向が気になる者が日本にはあまりいないのかと思ってしまう。例えば安倍総理はどのように空港に到着したのか、どのような迎えがあったのか、どこで初めて中国側の誰と握手をしたのか? そのようなところに、中国の現在の様子と日本への姿勢が現れると思う。
ワシントンポスト紙は、オバマ大統領が空港に着いた時、飛行機の出口に階段を取り付ける車が来ず、大統領は専用機の低い位置から階段を出して降りたと報じた。さらに、大統領の前に着いた外交官(protocol officers)がG20開催のための施設に入る時、中国側の当局者に止められ、「大統領はもう一時間くらいで到着するのだ!」と激昂する場面があったという。https://www.washingtonpost.com/world/obamas-china-visit-gets-off-to-rocky-start/2016/09/03/a188b2c6-71df-11e6-b786-19d0cb1ed06c_story.html(補足 1)
両国の関係は、表舞台で笑顔を作って握手する両首脳よりも、このような裏舞台での様子に反映されるのである。
一方、日本の報道は、安倍総理がどのように中国に迎えられたのか、ほとんど報じられていない。昨日のテレビニュースでも、全体写真のどの位置に安倍総理が位置しているのかが良くわからなかった。そのニュースでは、同時に伊勢志摩サミットで安倍総理が真ん中に立っている写真が目立つように紹介されていた。今朝の読売新聞でも、淡々と表面的なことのみ書いている。
日本の報道で問題なのは、外国での日本の位置が低いとか、日本の当局者が冷遇されているとか言った、ネガティブな情報を封じる傾向が強い。報道機関は見たまま、聞いたままを報じるべきであり、余分なフィルターをかけるべきでない。
ネットでおおよその知識を持っている私は、テレビ報道や新聞報道などほとんど信じないし、見たいという気などおこらない。日本の報道姿勢は、太平洋戦争の前後の時と全く同じではないのか?
補足:
1)YOUTUBE上で、この件中国側の言い分まで紹介されていましたので、引用しておきます。https://www.youtube.com/watch?v=WgHpGlydOwg(5日19:00、追加)
ワシントンポスト紙は、オバマ大統領が空港に着いた時、飛行機の出口に階段を取り付ける車が来ず、大統領は専用機の低い位置から階段を出して降りたと報じた。さらに、大統領の前に着いた外交官(protocol officers)がG20開催のための施設に入る時、中国側の当局者に止められ、「大統領はもう一時間くらいで到着するのだ!」と激昂する場面があったという。https://www.washingtonpost.com/world/obamas-china-visit-gets-off-to-rocky-start/2016/09/03/a188b2c6-71df-11e6-b786-19d0cb1ed06c_story.html(補足 1)
両国の関係は、表舞台で笑顔を作って握手する両首脳よりも、このような裏舞台での様子に反映されるのである。
一方、日本の報道は、安倍総理がどのように中国に迎えられたのか、ほとんど報じられていない。昨日のテレビニュースでも、全体写真のどの位置に安倍総理が位置しているのかが良くわからなかった。そのニュースでは、同時に伊勢志摩サミットで安倍総理が真ん中に立っている写真が目立つように紹介されていた。今朝の読売新聞でも、淡々と表面的なことのみ書いている。
日本の報道で問題なのは、外国での日本の位置が低いとか、日本の当局者が冷遇されているとか言った、ネガティブな情報を封じる傾向が強い。報道機関は見たまま、聞いたままを報じるべきであり、余分なフィルターをかけるべきでない。
ネットでおおよその知識を持っている私は、テレビ報道や新聞報道などほとんど信じないし、見たいという気などおこらない。日本の報道姿勢は、太平洋戦争の前後の時と全く同じではないのか?
補足:
1)YOUTUBE上で、この件中国側の言い分まで紹介されていましたので、引用しておきます。https://www.youtube.com/watch?v=WgHpGlydOwg(5日19:00、追加)
2016年9月3日土曜日
日ソ平和条約締結に期待
1)昨日、安倍総理大臣とロシアのプーチン大統領との首脳会談が、ウラジオストックで行われた。日ソ平和条約の締結について話し合われたようだ。また、11月にペルーで会談を行い、更に、12月にはプーチン大統領の日本訪問も決められたようである。
戦後70年にもなって、平和条約が締結されていないのは異常であるので、是非懸案の問題で双方が歩み寄り、平和条約締結を実現し、今後の両国の経済や文化での交流を進めてもらいたい。
昨日のBSフジのプライムニュースでもこの件が話し合われていた。そこで、これまでクリミヤ併合の件で西欧と歩調を合わす必要があったために、日ソ間の話し合いは一時中断していたが、西欧での出来事と東アジアの出来事は別に話しを勧めることが可能になってきたと専門家の指摘にあった。
それは、米国がシリアのイスラム国に関してロシアと協力することにしたのと同様の論理であるという。クリミヤの件も、ウクライナの政権転覆を、米国を中心に西側が画策したという説もあり、日本は欧米と共同歩調をとるという姿勢を表向き崩す訳にはいかないが、完全に縛られることはないと思う。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/03/blog-post_22.html
日本が完全に米国に手足をもぎ取られているような状況からの脱出を、なんとか外部要因だけでなく日本独自のエネルギーも加えて、実現すべきであると思う。
そのためには、米国の支配層をなす人々に、日本国民は米国に対して好意があっても、敵意など微塵もないことを理解してもらいたい。しかし、残念ながら米国の支配層には、日本を信じていない人が多いと思う。(補足1) 彼ら資本家たちとそのブレインたちは、自国民を含めてほとんどの人を信じていないのかもしれない。
米国大統領顧問のブレジンスキー氏の次の発言、「政治的知識をつけた100万人を説得するより、殺す方が簡単である」を思い出す。 https://www.youtube.com/watch?v=Gc9rsvBIh9U https://www.youtube.com/watch?v=Se-6QCQmQmU
2)何故、何度も首脳会談を続ける必要があるのだろうか? 日中共同声明(1972年)から平和条約締結(1978年)までに要した期間が6年ほどなのに対して、日ソ共同宣言(1956 年)から、60年近く経っても尚平和条約に至らないのは何故なのだろうか。
昨日の上記放送で、武見敬三議員は、米国の干渉をその理由の一つとしてあげていた。つまり、北方4島の日本領有を米国が支持していることである。尖閣諸島の場合は、米国は領有権については二国間で決定されるべきであるとして、日本の領有権を支持していないが、同じく戦後の線引きである、国後と択捉に関しては日本領有権を支持している。
一方、日本はポツダム宣言受諾により、千島列島の領有を放棄している。国後と択捉が千島列島に含まれないという主張は、地図を虚心坦懐に見た場合無理があると思う。今や常識であるが、武見議員のいうように米国が東アジアに混乱の種として領土問題を残したのである。
米国の属国(ブレジンスキー氏は保護国と言った)としての位置から、少しずつ脱却しなければ日本の将来はない。それは米国自身が属国的な国々、アジアでは日本や韓国、を放棄する方向に動くからであり、その時、日本の防衛環境が極めて厳しくなる可能性が高いからである。そのような意味で、日ソの平和条約締結と東シベリア開発の経済協力は非常に大切な政治課題であると思う。
3)日中関係改善への期待:
日本国が本当の意味で独立国になった時、中国も今とは違った風に見えるかもしれない。インターネットや人の行き来により、中国との間のわだかまりが解消すれば、東アジア共同体ができる可能性がある。本当の日本の安全は、そこにあるように思う。そのために、日本は近代史を徹底的に研究すべきであると思う。
日本の官僚機構は、敗戦時にほとんどの史料を焼却したという。それは、日本擁護論に走る所謂右の方々の話には嘘が多く含まれていることを暗示している。それと、反日の左の方々の話の両方を捨て去り、原点から出発して日本の歴史を再検討すべきであると思う。
補足:
1) 米国の支配層には、日本に原爆を投下したこと(人道と国際法に反する行為)が、日本人以上にトラウマとして残っているのかもしれない。日本はそれを乗り越えて、これまでの米国の支援に十分な評価をしていると思う。日本人は、島国のせいもあり、人を恨まない人種である。
戦後70年にもなって、平和条約が締結されていないのは異常であるので、是非懸案の問題で双方が歩み寄り、平和条約締結を実現し、今後の両国の経済や文化での交流を進めてもらいたい。
昨日のBSフジのプライムニュースでもこの件が話し合われていた。そこで、これまでクリミヤ併合の件で西欧と歩調を合わす必要があったために、日ソ間の話し合いは一時中断していたが、西欧での出来事と東アジアの出来事は別に話しを勧めることが可能になってきたと専門家の指摘にあった。
それは、米国がシリアのイスラム国に関してロシアと協力することにしたのと同様の論理であるという。クリミヤの件も、ウクライナの政権転覆を、米国を中心に西側が画策したという説もあり、日本は欧米と共同歩調をとるという姿勢を表向き崩す訳にはいかないが、完全に縛られることはないと思う。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/03/blog-post_22.html
日本が完全に米国に手足をもぎ取られているような状況からの脱出を、なんとか外部要因だけでなく日本独自のエネルギーも加えて、実現すべきであると思う。
そのためには、米国の支配層をなす人々に、日本国民は米国に対して好意があっても、敵意など微塵もないことを理解してもらいたい。しかし、残念ながら米国の支配層には、日本を信じていない人が多いと思う。(補足1) 彼ら資本家たちとそのブレインたちは、自国民を含めてほとんどの人を信じていないのかもしれない。
米国大統領顧問のブレジンスキー氏の次の発言、「政治的知識をつけた100万人を説得するより、殺す方が簡単である」を思い出す。 https://www.youtube.com/watch?v=Gc9rsvBIh9U https://www.youtube.com/watch?v=Se-6QCQmQmU
2)何故、何度も首脳会談を続ける必要があるのだろうか? 日中共同声明(1972年)から平和条約締結(1978年)までに要した期間が6年ほどなのに対して、日ソ共同宣言(1956 年)から、60年近く経っても尚平和条約に至らないのは何故なのだろうか。
昨日の上記放送で、武見敬三議員は、米国の干渉をその理由の一つとしてあげていた。つまり、北方4島の日本領有を米国が支持していることである。尖閣諸島の場合は、米国は領有権については二国間で決定されるべきであるとして、日本の領有権を支持していないが、同じく戦後の線引きである、国後と択捉に関しては日本領有権を支持している。
一方、日本はポツダム宣言受諾により、千島列島の領有を放棄している。国後と択捉が千島列島に含まれないという主張は、地図を虚心坦懐に見た場合無理があると思う。今や常識であるが、武見議員のいうように米国が東アジアに混乱の種として領土問題を残したのである。
米国の属国(ブレジンスキー氏は保護国と言った)としての位置から、少しずつ脱却しなければ日本の将来はない。それは米国自身が属国的な国々、アジアでは日本や韓国、を放棄する方向に動くからであり、その時、日本の防衛環境が極めて厳しくなる可能性が高いからである。そのような意味で、日ソの平和条約締結と東シベリア開発の経済協力は非常に大切な政治課題であると思う。
3)日中関係改善への期待:
日本国が本当の意味で独立国になった時、中国も今とは違った風に見えるかもしれない。インターネットや人の行き来により、中国との間のわだかまりが解消すれば、東アジア共同体ができる可能性がある。本当の日本の安全は、そこにあるように思う。そのために、日本は近代史を徹底的に研究すべきであると思う。
日本の官僚機構は、敗戦時にほとんどの史料を焼却したという。それは、日本擁護論に走る所謂右の方々の話には嘘が多く含まれていることを暗示している。それと、反日の左の方々の話の両方を捨て去り、原点から出発して日本の歴史を再検討すべきであると思う。
補足:
1) 米国の支配層には、日本に原爆を投下したこと(人道と国際法に反する行為)が、日本人以上にトラウマとして残っているのかもしれない。日本はそれを乗り越えて、これまでの米国の支援に十分な評価をしていると思う。日本人は、島国のせいもあり、人を恨まない人種である。
2016年9月2日金曜日
電気メーカーは何故NHK放送が受信できないテレビを製造しないのか?
1)NHK受信料を何故支払わなければならないのか、不満に思う向きは多いと思う。最近、「ワンセグ受信機でもNHKに受信料を支払わなければならないか?」について、判決があった。判決は受信料を支払う義務はないというものだったが、NHKは控訴するようだ。それに関して、高市総務大臣が、ワンセグと言えども受信料を支払う義務があると発言したようだ。
放送法64条には次のように書かれている。
協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会(=日本放送協会つまりNHK)とその放送の受信についての契約をしなければならない。
従って、地上波や衛星放送のテレビでも、NHKが映らないテレビを製造販売すれば、よく売れると思う。どうせ、日本のメーカーは世間体を気にして、そのようなテレビを作る度胸などないだろうから、外国メーカーにチャレンジすることを勧めたい。(国内でも、アイリスオオヤマならやれるかもしれない)
2)受信料に関する疑問の根源にあるのは、NHKの放送はくだらないことである。大河ドラマでも、明治以降の近代史については一切やらない。しかし、今の日本人に最も必要な歴史知識は、まさに明治維新以降の近代史であり、関心も高いと思う。
明治維新は、薩長の若き英才たちを中心にして、尊王攘夷の考えから出発して少ない犠牲者で幕府を倒し、その後の数々の改革により近代的な国民国家を独自につくりあげたと、一般には理解されている様だ(司馬史観という。補足1)。しかしそれは、真っ赤な嘘だろう。武士という特権階級を、武士を使って破壊することなど、独自に出来る筈がない。
英国が薩長をけしかけて行わせたという考えが有力だろう。そのあたりの理解が、日本の昭和史と戦後史の理解には必要だと思う。また、日本人が自分の民族の歴史を正確に知る上に、近代史のレビューは必須であると思うし、国民は大いに興味がある筈である。
NHKが、信長、豊臣、家康の時代ばっかり放送するのは、そこが面白いのではなく、近代史を放送したくないという現在の政府の愚民政策の影響だろう。 また、現在の政府は、維新を担った薩長下級武士の末裔が多い。さらに、言い難い別の理由もあるのだろう(補足2)。
また、NHKニュースは政府の代弁者のようであり、国民が世界の情報に触れるという役割を全く果たしていない。例えば尖閣での中国の動きについても、政府の流した情報をそのまま放送するのみである。中国公船が尖閣領海において、中国漁船を取り締まっている(実効支配を示す)ような光景が見られたと外国が放送しても、NHKは一切放送しない。
国民から受信料を取っている放送局なら、政府が遠慮して言えないことでも、堂々と国民の視点で放送すれば良い筈である。とにかく、NHKは相撲放送以外はくだらない。受信料を支払う値打ちのない放送局である。どうしても受信料を取りたいのなら、テレビ受信税として徴税する方向で法改正すべきである。
補足:
1)現在の歴史書でも、司馬史観は否定されている。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42241483.html しかし、外国特に英国の影響が決定的であったという記述はそれらにもない。しかし、貧しい長州による近代兵器の調達は、薩摩援助だけではないだろう。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42160759.html
2)日本国の根本的な政治体制に関わる問題を含むと思う。 (9月3日朝、編集)
放送法64条には次のように書かれている。
協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会(=日本放送協会つまりNHK)とその放送の受信についての契約をしなければならない。
従って、地上波や衛星放送のテレビでも、NHKが映らないテレビを製造販売すれば、よく売れると思う。どうせ、日本のメーカーは世間体を気にして、そのようなテレビを作る度胸などないだろうから、外国メーカーにチャレンジすることを勧めたい。(国内でも、アイリスオオヤマならやれるかもしれない)
2)受信料に関する疑問の根源にあるのは、NHKの放送はくだらないことである。大河ドラマでも、明治以降の近代史については一切やらない。しかし、今の日本人に最も必要な歴史知識は、まさに明治維新以降の近代史であり、関心も高いと思う。
明治維新は、薩長の若き英才たちを中心にして、尊王攘夷の考えから出発して少ない犠牲者で幕府を倒し、その後の数々の改革により近代的な国民国家を独自につくりあげたと、一般には理解されている様だ(司馬史観という。補足1)。しかしそれは、真っ赤な嘘だろう。武士という特権階級を、武士を使って破壊することなど、独自に出来る筈がない。
英国が薩長をけしかけて行わせたという考えが有力だろう。そのあたりの理解が、日本の昭和史と戦後史の理解には必要だと思う。また、日本人が自分の民族の歴史を正確に知る上に、近代史のレビューは必須であると思うし、国民は大いに興味がある筈である。
NHKが、信長、豊臣、家康の時代ばっかり放送するのは、そこが面白いのではなく、近代史を放送したくないという現在の政府の愚民政策の影響だろう。 また、現在の政府は、維新を担った薩長下級武士の末裔が多い。さらに、言い難い別の理由もあるのだろう(補足2)。
また、NHKニュースは政府の代弁者のようであり、国民が世界の情報に触れるという役割を全く果たしていない。例えば尖閣での中国の動きについても、政府の流した情報をそのまま放送するのみである。中国公船が尖閣領海において、中国漁船を取り締まっている(実効支配を示す)ような光景が見られたと外国が放送しても、NHKは一切放送しない。
国民から受信料を取っている放送局なら、政府が遠慮して言えないことでも、堂々と国民の視点で放送すれば良い筈である。とにかく、NHKは相撲放送以外はくだらない。受信料を支払う値打ちのない放送局である。どうしても受信料を取りたいのなら、テレビ受信税として徴税する方向で法改正すべきである。
補足:
1)現在の歴史書でも、司馬史観は否定されている。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42241483.html しかし、外国特に英国の影響が決定的であったという記述はそれらにもない。しかし、貧しい長州による近代兵器の調達は、薩摩援助だけではないだろう。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42160759.html
2)日本国の根本的な政治体制に関わる問題を含むと思う。 (9月3日朝、編集)
2016年9月1日木曜日
小池新都知事はポピュリズムに走っている
小池さんには期待した。しかし、最初からポピュリズムに走った。昨日、築地市場の移転を延期したことに対する批判を、報道のあり方という角度から書いた。
http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42952573.html
延期の理由(補足1)が、食の安全確保とか言うが、延期してどのように確保されるのか明確ではない。その第一歩、一月の地下水のチェック(補足2)を待たずに移転した場合、どのような食の危険があるのか、わからない。前の記事で書いたように、一般の水道水を使い(補足3)、新しい鉄筋コンクリートの建物の中で作業するとして、既にほとんど取り除いた筈のベンゼンなどの微量の土壌汚染物質が、市場の魚を危険な程度に汚染するメカニズムが私にはわからない。(小池知事が延期を決めた理由:http://mainichi.jp/articles/20160831/k00/00e/010/266000c)
小池さんは、単に見直すという 行為の為に延期したのだろう。どのような知識と能力があるのか知らないが、営々として積み重ねてきたこれまでの都知事3人の努力を就任後一ヶ月足らずで否定するのは、根拠を明確に示すのでなければ傲慢である。食の安全を確保するという漠とした理由は、その根拠にならない。(補足4)
土壌中に微量でもベンゼン等が存在すれば、このようなルートで市場の魚肉を食に適さないレベルまで汚染するという、具体的な危険性を示す必要がある。
また、オリンピックやパラリンピックへの影響をどう抑えるかについて、具体的に検討されていないのも不安である。ベンゼンの幽霊を恐れて、国際公約であるオリンピックに支障を来してはならない。
漠と政治不信を深めている都民の前で、カッコよく記者会見する姿は、都知事に必要な資質ではない。あのような中身のないパーフォーマンスを演じる姿は、以前テレビで観た小池キャスターの姿である。そこから、政治家として成長していないのではないかと考えてしまう。
補足:
1)小池氏が移転延期の第二の理由としてあげた、経費が35%ほど当初予算から増加したことや、第三の理由としてあげた情報公開されていないということは、移転を延期する理由にはならない。どちらも、移転後調査して責任追求することができる。
2)これまで既に7回ほど水質チェックをしている。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160831-00000140-mai-soci 移転延期したばあいでも、豊洲市場の経費は1日700万円かかるという。損害だけは具体的で、食の安全とやらの評価は全く具体性がない。
3)豊洲市場で地下水をくみ上げて(多分海水だろう)、それを魚や市場どこかを洗浄する為に用いるのなら、問題は別である。しかし、そのような話は上記サイトやテレビの会見では全く無かった。
4)市場の各ブースの面積は広くなったが、間口が180cmから150cmに狭くなったという。これが不便だという意見を、”ひるおび”かなにかのTV番組が紹介していた。これは豊洲移転の具体的なマイナス面であるが、それは知事が会見であげた理由の中にはなかった。
延期の理由(補足1)が、食の安全確保とか言うが、延期してどのように確保されるのか明確ではない。その第一歩、一月の地下水のチェック(補足2)を待たずに移転した場合、どのような食の危険があるのか、わからない。前の記事で書いたように、一般の水道水を使い(補足3)、新しい鉄筋コンクリートの建物の中で作業するとして、既にほとんど取り除いた筈のベンゼンなどの微量の土壌汚染物質が、市場の魚を危険な程度に汚染するメカニズムが私にはわからない。(小池知事が延期を決めた理由:http://mainichi.jp/articles/20160831/k00/00e/010/266000c)
小池さんは、単に見直すという 行為の為に延期したのだろう。どのような知識と能力があるのか知らないが、営々として積み重ねてきたこれまでの都知事3人の努力を就任後一ヶ月足らずで否定するのは、根拠を明確に示すのでなければ傲慢である。食の安全を確保するという漠とした理由は、その根拠にならない。(補足4)
土壌中に微量でもベンゼン等が存在すれば、このようなルートで市場の魚肉を食に適さないレベルまで汚染するという、具体的な危険性を示す必要がある。
また、オリンピックやパラリンピックへの影響をどう抑えるかについて、具体的に検討されていないのも不安である。ベンゼンの幽霊を恐れて、国際公約であるオリンピックに支障を来してはならない。
漠と政治不信を深めている都民の前で、カッコよく記者会見する姿は、都知事に必要な資質ではない。あのような中身のないパーフォーマンスを演じる姿は、以前テレビで観た小池キャスターの姿である。そこから、政治家として成長していないのではないかと考えてしまう。
補足:
1)小池氏が移転延期の第二の理由としてあげた、経費が35%ほど当初予算から増加したことや、第三の理由としてあげた情報公開されていないということは、移転を延期する理由にはならない。どちらも、移転後調査して責任追求することができる。
2)これまで既に7回ほど水質チェックをしている。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160831-00000140-mai-soci 移転延期したばあいでも、豊洲市場の経費は1日700万円かかるという。損害だけは具体的で、食の安全とやらの評価は全く具体性がない。
3)豊洲市場で地下水をくみ上げて(多分海水だろう)、それを魚や市場どこかを洗浄する為に用いるのなら、問題は別である。しかし、そのような話は上記サイトやテレビの会見では全く無かった。
4)市場の各ブースの面積は広くなったが、間口が180cmから150cmに狭くなったという。これが不便だという意見を、”ひるおび”かなにかのTV番組が紹介していた。これは豊洲移転の具体的なマイナス面であるが、それは知事が会見であげた理由の中にはなかった。
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