ポジショントークとは、論理や科学的根拠を無視し、或いは歪めて、自分の方に利益誘導する発言のことである。最近マスコミで見られる発言や記事の99%はポジショントークであるかのような印象をうける。この種の捏造や偽造の類いは、ありとあらゆる出版物や発言映像などにも見られる。我々が独自の考えを持つ為には、浄水器のような精巧な情報浄化フィルターを持たねばならない。ここでは地球温暖化説が、巧妙に作られたポジショントークである疑いが濃いということを少し詳しく、そして日本政府の発言について数行書く。
補足:9月14日追加、地球温暖化については8月26日(2014)の記事に別途詳しく検討しましたので、そちらをご覧下さい。
地球温暖化の説明に使われる図をグーグル検索で見ると同じような説明文と数値が見られる。それは、記事を書いた人が違っても、基本的な説明の出所が同じだからだろう。温室効果ガスがないと、地表温度がマイナス19度になるが、温室効果ガスの効果でプラス14度になっているという。その図を一つ下に引用する。(著作権表示がなかったので、合法的だと思う)そして、今後空気中の二酸化炭素が増加すると、気温の上昇が加速し海面上昇などによる被害が出ると言うのである。気温上昇により空気中の水蒸気濃度が増加するので、その水蒸気による温室効果が加わり、二酸化炭素増による直接効果以上に温暖化するという。また、海面上昇も極地の氷の融解の他に、気温上昇による海水の熱膨張の効果も加わるそうである。
この図では、地球の熱が温暖化ガスにより遮蔽されて温度低下を防いでいるように書かれている。しかし、太陽から地球表面に届くエネルギーの変動についての記述がない。地球まで届く太陽光は、上空の雲で反射及び散乱され無かった太陽光であり、その雲の発生量は宇宙線の量により支配されている。宇宙線量は、太陽活動(黒点の数や面積で評価されている)により変化し、それが地表温度の重要な決定因子であるという。この説は広く知られており、最近のテレビ放送(たかじんのそこまで言って委員会)でも、丸山茂徳東京工業大教授により紹介された。また、今や二酸化炭素による温暖化説に学問的根拠がないことは地球物理学者の間では常識であると紹介されていた(一月頃のブログ参照)。
下の図が、国立研究所による紹介された地球表面温度のグラフである(最初引用したサイトから転載)。
この氷河期と間氷期の約10万年毎の繰り返しにおいて、現在は間氷河にあり、今後氷河期に向うことを示している。このグラフでは更に、過去の間氷期では現在の温度よりも気温が高かった時期があることも注目される。
我国は未だに、二酸化炭素による地球温暖化説を信用して、それを政策に反映させているのは何故だろうか?それは我日本国が、この説の元々の出所である英米の支配下にあるからだと思う。日本国は、英米のポジショントークをオーム返しするしか生きる道がないのだろう。
そして、今回のウクライナの件も同様である。クリミヤ自治共和国独立とロシアによる併合の批難は、クーデターにより作られた現在の臨時政権が正統であることを前提にしている。ロシアの軍事力による国境変更批難は、英米のポジショントークである様に見える。そして同様の意見を持つ人も多いにも拘らず、総理や官房長官は英米の主張をオーム返しのようにテレビカメラの前で繰り返している。一旦正統な政府が崩壊すれば、その下にあった自治共和国がその法律に従って住民投票を経て独立宣言することは、全く正当な行為である筈である。英米や日本は、その次のロシアによる併合を問題視しているが、それはクリミヤ国とロシアとの合意でなされたのなら問題は無い。つまり、問うべきは、住民投票がロシア軍の圧力下でなされたかどうかのみである。しかし、テレビで見る限り、クリミヤでの多数の住民は歓喜の声を上げていたように見える。また一部に、ロシア非難の口実に、ソ連時代元々の住民であったタミル人を追い出したことに言及する人が居る。彼らには、現在から未来を議論する時に、歴史問題を持ち出すのは国際法上当然のことなのですか?と聞きたい。
兎に角、最近のポジショントークはひどすぎると思う。他人の”ことば”を信用することが、社会を作って生きる人間の原点である筈。ポジショントークはこの原点を破壊する行為である。
2014/3/30(7:30 初稿投稿;午後5時頃一部加筆し、日本語を修正)
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2014年3月30日日曜日
2014年3月29日土曜日
捏造について
捏造とは実際には無かったことを事実のように仕立て上げることである。ある何かに関して捏造疑惑が持ちあがれば、その時点では、“捏造”も“事実”も殆ど同程度に危うい存在であることになる。
最近捏造が話題になることが多い。現代のベートーベンやスタップ細胞なども、その“捏造疑惑”によってテレビのワイドショーに大きく貢献した。また、より深刻な例としては、袴田事件における検察の証拠捏造(疑惑)がある。これは今後上級審での判断をあおぐことになるが、私の直感では捏造は間違いなくあったと思う。袴田“元死刑囚”には、本当に気の毒なことであり、我々は捏造の被害者でなく、且つ、この社会の構成員である以上、捏造をした側の一員にとして出来るだけの償いを袴田さんと彼の家族にしなければならないと自覚すべきだろう。上級審もいさぎよい決断をしてほしいものである。この種の捏造疑惑を出来るだけ少なくする様に、最新技術を導入するなどして犯罪捜査の技術向上に努めるべきである。しかし、それでもこの種の事件はある程度の確率で今後とも出現するだろう。人には真実を知る十分な能力に欠けることが背景となり、常に捏造の罠にはまってしまう危険性があるからである。また、100%の人が納得するだけ十分な証拠がある事件の容疑者だけを有罪とするのなら、司法は成り立たないだろうし、社会の枠組みは崩れるだろう。そして、そのような”絶対”を期するのなら、裁判において検察側、弁護側、裁判官の3つもの機能の必要性はない。
ここで特に言及したいのは、マスコミ報道によく現れる、“社会の根幹に拘るので、公機関によるこの種の捏造事件は、絶対あってはならない”という趣旨の意見である。私は、この発言に、マスコミに生きる人たちの知性の無さ、或いは、無責任さを感じる。(注1)それは、「現実に、我々は捏造(と偽造)の中に産まれ、そして、生きている」、或いは別の表現を用いれば、「捏造と真実の明確な区別のできない社会空間に生きている」からである。
捏造を善きこととして肯定しているのではない。袴田事件では、証拠捏造した検察の人間が特定出来れば、厳罰に処すべきである。しかし、その捏造と処罰のプロセスは、どこか借金しなければ生活出来ない人の借金とその中の一部の人の破産処理に似ている。つまり、日々辛うじて生きている我々と(注2)、その為に存在する我々の社会が、捏造によって辛うじて体裁を保って来たのではないか?ということである。そのしわ寄せが袴田事件であり、そしてその他表に出ない多くの捏造を含めて、それらの犠牲により我々は安心や平和という住処を安普請的に建築し、生きているのだと思う。個人内部での様々な自己完結型の捏造は問題が少ない。しかし、社会における捏造は、社会が一つの生命体でなく、多くの個人により構成されているので大きな問題である。個人は、独自の意識を持ち、夫々が生きる権利を主張出来る存在であるからである。社会全体の動きの中で生じた捏造(注3)により被害を受けた個人は、突然津波に飲み込まれるような不条理の中で苦しむことになる。それ以外の幸運な人間は、出来るだけの償いをしなければならないと思うのである。そして、その不運は明日の自分の姿かもしれない。(注4)
我々が生まれたのも、神が創造した“愛”の結果である。その“愛”も多くの場合、勘違いか捏造或いは偽造の産物に過ぎない。つまり、愛は本来他者を大切に思う感情であるが、自己の欲望と利益を他者に求める為の物乞行為を、愛として捏造する場合も多い(注5)。また、我々の国家の歴史を記した、日本書紀や古事記も多くの捏造を含む書物であると考えられる。(注6)そして、“万世一系”の天皇を頂く2674年の歴史を捏造し、その偽りの誇りの中でナショナリズムを醸成している。英米から輸入した民主主義も、その本来の形は“人民の意志”を社会の裏で捏造し、それに人民(市民、有権者)が気付くことの無い様に工夫された、極めて複雑な政治体制かもしれない。これらの捏造を「捏造はあってはならない」と切り捨てるのは、それを人々の生活を保ったままで減少させる努力をせずに、自分だけ安心安全の地に逃亡する行為だと思う。
政治や司法において捏造を産むのは、我々が期待する、平和、安全、機会均等などの社会の諸機能と、個人の生活や権利という、二つ実体の持つ価値が、同時に毀損することなく実現できるのかどうか、という根本的な問題に関係していると思う。この広い範囲で、不正を防ぐ或いは最小限にするメカニズムを完成するには、個人と、社会、もっと広く国際までの範囲で耐えうる論理的思想を、政治や司法において実現することが不可欠である。つまり、日本語という非論理的な言葉を用いていることや、人治国家である東アジアの政治体制の危うさを、十分自覚することが特に我国では大切であると思う。
社会における捏造は極力少なくすべきである。つまり、上記表現での"平和と安心という住処の構造"を強化すべきである。しかし捏造や捏造的なものを、完全に無くすることが可能であると考えるのは幻想であり、常に捏造の危険性に対して緊張感を失ってはならないと思う。
注釈: 1) 同じ様な感覚を、政治問題における所謂左翼の方々の意見を聞いた時に持つ。
2)人は内部でいろんな捏造や誤摩化しにより、心の平安を保って生きていると思う。多くの”納得”は真実の徹底的追及を放棄して自分が痛むことを防いでいる。そのプロセスの中には必ず或る種の捏造が存在すると思う。
3)社会の安定は、社会に一定以上の信用が無ければ成立しない。そして信用が不足しそうな場合、ここでは国家の司法の、”世の中の正義を護ると言う信用”が不足した場合、事件解決の(捏造を積極的にする訳ではないが)圧力が生じるのだと思う。他にも、国の政策では官僚達が立案し国会議員が審議する振りの後、採決して決めている。あたかも民意によって国が運営されているように民主主義を捏造し、社会の安定を保っている。また、戦争時には国家あっての個人であるという国家主義を国民の頭の中に捏造して、徴兵した。そのための道具が靖国神社ではないだろうか?古来、下級武士を神社に祀った例等無いとおもうが。。
4) ちょっと仏教的臭いがする理解です。
5) 自分の利益を考えて、他者を大切に思うことを、愛と感じる場合が多い。しかし、本当の愛は、自分の利益に無関係に他者にむけられたいつくしみの感情だと思う。或いは、本物の愛(アガペー)は、人にとっては夢想か誤解の類いかもしれない。
6) 岡田英弘著、「歴史とは何か」(文春新書)参照。私には非常に優れた学者に感じられるこの著者は、一般の理解と異なって古事記を日本書紀を元にして、書き換えられたものと解説している。
最近捏造が話題になることが多い。現代のベートーベンやスタップ細胞なども、その“捏造疑惑”によってテレビのワイドショーに大きく貢献した。また、より深刻な例としては、袴田事件における検察の証拠捏造(疑惑)がある。これは今後上級審での判断をあおぐことになるが、私の直感では捏造は間違いなくあったと思う。袴田“元死刑囚”には、本当に気の毒なことであり、我々は捏造の被害者でなく、且つ、この社会の構成員である以上、捏造をした側の一員にとして出来るだけの償いを袴田さんと彼の家族にしなければならないと自覚すべきだろう。上級審もいさぎよい決断をしてほしいものである。この種の捏造疑惑を出来るだけ少なくする様に、最新技術を導入するなどして犯罪捜査の技術向上に努めるべきである。しかし、それでもこの種の事件はある程度の確率で今後とも出現するだろう。人には真実を知る十分な能力に欠けることが背景となり、常に捏造の罠にはまってしまう危険性があるからである。また、100%の人が納得するだけ十分な証拠がある事件の容疑者だけを有罪とするのなら、司法は成り立たないだろうし、社会の枠組みは崩れるだろう。そして、そのような”絶対”を期するのなら、裁判において検察側、弁護側、裁判官の3つもの機能の必要性はない。
ここで特に言及したいのは、マスコミ報道によく現れる、“社会の根幹に拘るので、公機関によるこの種の捏造事件は、絶対あってはならない”という趣旨の意見である。私は、この発言に、マスコミに生きる人たちの知性の無さ、或いは、無責任さを感じる。(注1)それは、「現実に、我々は捏造(と偽造)の中に産まれ、そして、生きている」、或いは別の表現を用いれば、「捏造と真実の明確な区別のできない社会空間に生きている」からである。
捏造を善きこととして肯定しているのではない。袴田事件では、証拠捏造した検察の人間が特定出来れば、厳罰に処すべきである。しかし、その捏造と処罰のプロセスは、どこか借金しなければ生活出来ない人の借金とその中の一部の人の破産処理に似ている。つまり、日々辛うじて生きている我々と(注2)、その為に存在する我々の社会が、捏造によって辛うじて体裁を保って来たのではないか?ということである。そのしわ寄せが袴田事件であり、そしてその他表に出ない多くの捏造を含めて、それらの犠牲により我々は安心や平和という住処を安普請的に建築し、生きているのだと思う。個人内部での様々な自己完結型の捏造は問題が少ない。しかし、社会における捏造は、社会が一つの生命体でなく、多くの個人により構成されているので大きな問題である。個人は、独自の意識を持ち、夫々が生きる権利を主張出来る存在であるからである。社会全体の動きの中で生じた捏造(注3)により被害を受けた個人は、突然津波に飲み込まれるような不条理の中で苦しむことになる。それ以外の幸運な人間は、出来るだけの償いをしなければならないと思うのである。そして、その不運は明日の自分の姿かもしれない。(注4)
我々が生まれたのも、神が創造した“愛”の結果である。その“愛”も多くの場合、勘違いか捏造或いは偽造の産物に過ぎない。つまり、愛は本来他者を大切に思う感情であるが、自己の欲望と利益を他者に求める為の物乞行為を、愛として捏造する場合も多い(注5)。また、我々の国家の歴史を記した、日本書紀や古事記も多くの捏造を含む書物であると考えられる。(注6)そして、“万世一系”の天皇を頂く2674年の歴史を捏造し、その偽りの誇りの中でナショナリズムを醸成している。英米から輸入した民主主義も、その本来の形は“人民の意志”を社会の裏で捏造し、それに人民(市民、有権者)が気付くことの無い様に工夫された、極めて複雑な政治体制かもしれない。これらの捏造を「捏造はあってはならない」と切り捨てるのは、それを人々の生活を保ったままで減少させる努力をせずに、自分だけ安心安全の地に逃亡する行為だと思う。
政治や司法において捏造を産むのは、我々が期待する、平和、安全、機会均等などの社会の諸機能と、個人の生活や権利という、二つ実体の持つ価値が、同時に毀損することなく実現できるのかどうか、という根本的な問題に関係していると思う。この広い範囲で、不正を防ぐ或いは最小限にするメカニズムを完成するには、個人と、社会、もっと広く国際までの範囲で耐えうる論理的思想を、政治や司法において実現することが不可欠である。つまり、日本語という非論理的な言葉を用いていることや、人治国家である東アジアの政治体制の危うさを、十分自覚することが特に我国では大切であると思う。
社会における捏造は極力少なくすべきである。つまり、上記表現での"平和と安心という住処の構造"を強化すべきである。しかし捏造や捏造的なものを、完全に無くすることが可能であると考えるのは幻想であり、常に捏造の危険性に対して緊張感を失ってはならないと思う。
注釈: 1) 同じ様な感覚を、政治問題における所謂左翼の方々の意見を聞いた時に持つ。
2)人は内部でいろんな捏造や誤摩化しにより、心の平安を保って生きていると思う。多くの”納得”は真実の徹底的追及を放棄して自分が痛むことを防いでいる。そのプロセスの中には必ず或る種の捏造が存在すると思う。
3)社会の安定は、社会に一定以上の信用が無ければ成立しない。そして信用が不足しそうな場合、ここでは国家の司法の、”世の中の正義を護ると言う信用”が不足した場合、事件解決の(捏造を積極的にする訳ではないが)圧力が生じるのだと思う。他にも、国の政策では官僚達が立案し国会議員が審議する振りの後、採決して決めている。あたかも民意によって国が運営されているように民主主義を捏造し、社会の安定を保っている。また、戦争時には国家あっての個人であるという国家主義を国民の頭の中に捏造して、徴兵した。そのための道具が靖国神社ではないだろうか?古来、下級武士を神社に祀った例等無いとおもうが。。
4) ちょっと仏教的臭いがする理解です。
5) 自分の利益を考えて、他者を大切に思うことを、愛と感じる場合が多い。しかし、本当の愛は、自分の利益に無関係に他者にむけられたいつくしみの感情だと思う。或いは、本物の愛(アガペー)は、人にとっては夢想か誤解の類いかもしれない。
6) 岡田英弘著、「歴史とは何か」(文春新書)参照。私には非常に優れた学者に感じられるこの著者は、一般の理解と異なって古事記を日本書紀を元にして、書き換えられたものと解説している。
2014年3月26日水曜日
米国と中国による、日本から潜在的核保有能力を奪う計画
定年後の毎日のかなりの部分は、パソコンとテレビに奉仕することで成り立っている。そして、多くのニュースを視聴して、その報道の傾向に言及するという、現役時代には考えられなかったことが可能になった。今日のニュースで繰り返し報道されているのは、STAP細胞における不正事件、日米韓の首脳会見、マレーシア航空の失踪事件である。殆どの関心のある人が既に知っている問題を延々と放送し、深く考えねばならないことは殆ど話題に上らないという感じをうける。
例えば、24日のBBCのニュースでは(注1)、安倍総理とオバマ大統領の間で、米国から購入したプルトニュームを返還することに同意したと報じられている。これは中国の脅威になるとして、中国が強く要請していたようである。記事ではgrave concernという最大の関心を表す言葉で中国の関心を表現している。この件を持ち出したオバマは、テロリストに渡ると危険だからという言い訳を用いているが、本当の狙いは日本の潜在的核保有能力を奪いとる戦略の一環にある。オバマ氏がオランダのハーグでG7会議に出席するのと同期して、ミッシェル夫人は中国を訪問中である。そして、今回のオバマ氏による中国が最も喜ぶことの日本への強制は、日米の関係よりも日中の関係を重視する方向に今後米国は動くことを強く感じさせる。(注2)ヒラリーが次期大統領になるころには、日本の情況は非常に深刻なものになっているかもしれない。
原発全廃と簡単にいうが、それは、エネルギー問題(注3)の他に、この潜在的核保有能力の放棄を意味することである。そして、それは今後の日本にとっての最大の脅威である中国が何よりも歓迎することなのである。
1972年に成長の限界と言う本がローマクラブから出され、その続編が1992年に出版された。それは地球の資源と面積を考えた場合、どの程度の人間が、どの程度の期間、どの程度のレベルで生活できるかを議論したものである。これらの本の出版と地球温暖化説の出現の関係を全く考えない人は、政治家には向かないと思う。つまり、発展途上国のCO2発生を先進国と同程度の増加率に押え込むことで、資源枯渇の時期を延ばそうとしたのである。(注4)そのもくろみは見事に外れて、中国から、先進国こそエネルギー消費を削減するべきと主張された。何れ、有限な地球と人口の増加は、必ず世界的な争いを引き起こすだろう。その際に特に中国にとって邪魔になるのが、日本の政治が世界において強力な指導性を持つことと、日本が潜在的核保有国であること(或いは核保有国になること)である。
おそらく、22世紀に残る人口構成は、核保有国が優先的になるだろう。
注釈:
1) http://www.bbc.com/news/world-asia-26716697
2) 上記ニュースでは最初日本はこの提案に抵抗したと書かれている。(The Abe administration was reported to have resisted initial approaches from the US to hand it back.)
3) 高い天然ガスの輸入の為に、日本が経常赤字国になり、そして双子の赤字の国になる危険性が増す。重大な問題の一つである。
4) そのようなことを正面から云う人は殆どいない。これは、上記「テロリストにプルトニュームが渡らない様に、米国に返還せよ」という表向きの理由は、本当の理由でないことと同じである。ただ、大衆は表の人形劇だけみて、裏舞台で操っている人、その劇を企画した人を思い出さない。民主主義とは、しっかりした裏舞台を持つ西欧諸国にとって、世界を支配する便利なイデオロギーである。
例えば、24日のBBCのニュースでは(注1)、安倍総理とオバマ大統領の間で、米国から購入したプルトニュームを返還することに同意したと報じられている。これは中国の脅威になるとして、中国が強く要請していたようである。記事ではgrave concernという最大の関心を表す言葉で中国の関心を表現している。この件を持ち出したオバマは、テロリストに渡ると危険だからという言い訳を用いているが、本当の狙いは日本の潜在的核保有能力を奪いとる戦略の一環にある。オバマ氏がオランダのハーグでG7会議に出席するのと同期して、ミッシェル夫人は中国を訪問中である。そして、今回のオバマ氏による中国が最も喜ぶことの日本への強制は、日米の関係よりも日中の関係を重視する方向に今後米国は動くことを強く感じさせる。(注2)ヒラリーが次期大統領になるころには、日本の情況は非常に深刻なものになっているかもしれない。
原発全廃と簡単にいうが、それは、エネルギー問題(注3)の他に、この潜在的核保有能力の放棄を意味することである。そして、それは今後の日本にとっての最大の脅威である中国が何よりも歓迎することなのである。
1972年に成長の限界と言う本がローマクラブから出され、その続編が1992年に出版された。それは地球の資源と面積を考えた場合、どの程度の人間が、どの程度の期間、どの程度のレベルで生活できるかを議論したものである。これらの本の出版と地球温暖化説の出現の関係を全く考えない人は、政治家には向かないと思う。つまり、発展途上国のCO2発生を先進国と同程度の増加率に押え込むことで、資源枯渇の時期を延ばそうとしたのである。(注4)そのもくろみは見事に外れて、中国から、先進国こそエネルギー消費を削減するべきと主張された。何れ、有限な地球と人口の増加は、必ず世界的な争いを引き起こすだろう。その際に特に中国にとって邪魔になるのが、日本の政治が世界において強力な指導性を持つことと、日本が潜在的核保有国であること(或いは核保有国になること)である。
おそらく、22世紀に残る人口構成は、核保有国が優先的になるだろう。
注釈:
1) http://www.bbc.com/news/world-asia-26716697
2) 上記ニュースでは最初日本はこの提案に抵抗したと書かれている。(The Abe administration was reported to have resisted initial approaches from the US to hand it back.)
3) 高い天然ガスの輸入の為に、日本が経常赤字国になり、そして双子の赤字の国になる危険性が増す。重大な問題の一つである。
4) そのようなことを正面から云う人は殆どいない。これは、上記「テロリストにプルトニュームが渡らない様に、米国に返還せよ」という表向きの理由は、本当の理由でないことと同じである。ただ、大衆は表の人形劇だけみて、裏舞台で操っている人、その劇を企画した人を思い出さない。民主主義とは、しっかりした裏舞台を持つ西欧諸国にとって、世界を支配する便利なイデオロギーである。
2014年3月23日日曜日
従軍慰安婦問題再考について:削除とその理由
昨夜書いた慰安婦問題に関する意見は削除します。その中身はこのサイトに残します。http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n263889
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