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人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2015年1月31日土曜日

イスラム国による日本人人質を使った脅迫事件:安倍さんは予想していたかも

 後藤さんが人質にとられ、家族に身代金要求があったことなどは、外務省が承知していたことである。外務省の一部には、今回の安倍さんの中東訪問は良くない結果を招くかもしれないとの危惧があったらしい。しかし、安倍さんは日本国首相である自分の行動を、際立たせるチャンスだと言って、出かけたという。

 あのようなイスラム国を刺激する様なことや、イスラエルとの強固な関係を印象付ける会見などを行なったのは、日本国民に自衛隊が海外で活動する必要性(日本国民を海外において自衛隊を使って救い出す必要性)を痛感させるためだったかもしれない。つまり、集団的自衛権行使を可能にする為の法改正を円滑に行なうことが目的だったかもしれない。

 すべて、安倍さんと米国が予想したとおりかもしれないとすると、国民が何も知らず何も観ないうちに、国家が何処か知らない所に動くのが、戦前から一貫したこの国の政治なのかもしれない。ここ数日、衰えた頭を使って文章を書いて来たが、アルツハイマーの防止には役立つものの、何の意味もなかったのかもしれない。
ーーー以上は、週刊誌記事を読んだ後の、素人の妄想であるーーーー  

2015年1月29日木曜日

イスラム国の忌々しい企み = 3−4段階の綿密な計画の可能性

後藤さんの解放交渉の期限が切れ、非常に深刻な状況に見える。
イスラム国が湯川さんと後藤さんを人質にして、日本に交渉していたのは230億円との引き換えだったが、期限切れを理由に湯川さんを殺害した。そして、残された後藤さん解放の条件として、24時間以内にヨルダンで自爆テロを企んだリシャウィ死刑囚の釈放を出して来た。回答が遅れると、24時間以内に捕虜になっているヨルダン軍のパイロットを先ず殺すというのだ。そして、交渉の相手を日本からヨルダンに切り替えた。

これは忌々しいが良く出来た策略である。つまり、後藤さんがリシャウイ死刑囚と交換出来た場合、そのパイロットが人質としてのこる。次の段階として、日本にそのパイロット解放を条件に数百億円の支払いを要求するのだ。そして、交渉相手が再び日本になる。この場合、後藤さんが人質ではなく、ヨルダン国と日本との外交関係が”人質”となる。これは相当重く、確実に数百億円の金が見込める。

更に、気になるのはリシャウイ死刑囚とイスラム国の間に、非常に重要な関係があるのか、今一つわからないことである。昔のリーダーの姉妹のような関係だというが、もし、その関係が比較的軽いのなら、リシャウイ死刑囚は再び自爆テロをヨルダン以外の国で強要される可能性がある。そうなった場合、ヨルダン、イスラム国、そして、日本の間の国家間関係全てが、イスラム国により大きく楔を打ち込まれることになる。その場が、ヨルダンの場合は、日本とヨルダンの関係が破壊できるかもしれない。私の意見は、最初からテロに屈しないことが、最善だろうということである。

2015年1月27日火曜日

戦略的思考の無い国日本:伊藤憲一著の「新・戦争論」を参考にして

===以下は表題の本などを読んで、個人の意見として書いたものです。====

伊藤憲一氏は「新・戦争論」(注1)の中で、クラウゼビッツの戦争論(1832年出版)の中の言葉、「戦争とは他の手段を以てする政策の延長に過ぎない」(第一編24-26、日本語訳本44頁)を引用し、国家の政治戦略の中に外交戦略と並行した形で軍事戦略をもたねばならないと書いている。昭和初期の日本では、軍閥が政治家の上に君臨し(注2)、その結果、日本国は国家戦略論不在の状態で戦争に入り、悲劇的な敗戦に至った。

国家の重要問題などを考える際に、二つの思考の枠組みがある。それらは、「法政的思考、観念主義、戦術的アプローチ」と「戦略的思考、現実主義、戦略論的アプローチ」である。日本人の思考を支配しているのは前者であり、その結果日本人は、例えば「日本の船が太平洋を安心して航行できるのは、米国太平洋艦隊があるからではなく、国際法が航行自由の原則を規定しているからである」などと考える傾向が強い(第一章)。

戦前はともかく現在も、政治家を含めて殆どの日本国民は、戦略的思考があまり得意ではないと思う。例えば、現在の総理大臣は、日本国は独立国であるという面子(だけかも知れないが)を何処かに置き忘れ、“米国と協力した形での積極的平和外交”を看板に掲げている。他国の手先になって自衛隊を使うことは、35年以上も前に三島由紀夫が、市ヶ谷の自衛隊駐屯地で配布した檄文(注3)の中で激しく攻撃したことである。

また、過去の自民党政権は、空しく国会議員や内閣の椅子を占拠して、憲法改訂の機会を逃し、交戦権の裏付けのない外交を「金のバラマキ」という形で行なって来た。朝日や毎日などの新聞社も大きな障碍になったかもしれないが、日本社会党による「平和憲法による軍国主義復活阻止の論理」など、国の将来を思いつつ下野する覚悟があれば、論破出来る筈である。しかし、自民党政府はそこまでやらなかったし出来なかった。そのような無能な与党が国会を抑えていることは、もし軍国主義が興ればそれを抑えることも不可能なことを示している。つまり、野党を自認する日本社会党の”平和憲法護持”の主張は、自民党や国民にとっての憲法改正のための資格試験として正しく働いたと言える。

上記、新・戦争論は、世界から戦争が無くなる可能性が高いという結論で終わる。それは、経済的なグローバル化から政治的なグローバル化により、国家が独立性を失いつつある。それは、国家=国民=民族という等式で表わされるナショナリズムの時代がおわりつつあることを意味する。そのような環境になった現代、日本は”口先平和主義”でなく、”積極的平和主義”に舵を切るべきであるというのが、伊藤憲一氏の考え方である。

ただ、日本では「戦略論」が長い間タブーであり、2007年の時点で、日本全国の全ての大学において「戦略論」という講座はなかったという。その時点で、戦略論の学祖であるクラウゼビッツのクの字もふれない大学教育が行なわれているのは、世界中でも日本だけだ(新・戦争論、第一章)そうである(注4)。

私は、日本が積極的平和主義に舵を切ることは、現状では無理だと思う。大学教育で戦略論を学んだ政治学を専攻する学生が日本中に広く分布し、日本の憲法改正に隣国が賛成するような国際環境を醸成する智慧、つまり戦略を持つ政治家が、その中から何人も生まれるまで待つべきだろうと思う。

注釈:
1)「新・戦争論」新潮新書、2007年刊:この小さい文庫本は、一貫した論理により書かれた素晴らしい本だと思う。
2)「大日本帝国憲法第11条 天皇は陸海軍を統帥す」による。

3)NHK教育テレビ「日本人は何をめざして来たか:三島由紀夫」(2015/1/24放送)檄文は、http://www.geocities.jp/kyoketu/61052.html参照
4)クラウゼビッツの戦争論が芙蓉書房から出版されたのは2001年であるが、この本の表紙には、「訳:日本クラウゼビッツ学会」と書かれている。バイブルではないにも拘らず、このような学会が存在することも不思議な現象に見える。
補足:上記本は内容が濃く勉強になることが多く含まれていますので、再度感想文を書くつもりです。

2015年1月25日日曜日

ヨルダンに捕われている捕虜と後藤さんとの交換に日本政府は全力をあげて欲しい

新しいネット画像がイスラム国側から配信されたようである。それによると、湯川さんは既にイスラム国に殺害された様である(注1)。そして、イスラム国はこれまでの身代金要求を取り下げ、ヨルダンに捕われているイスラム国の女性を開放すれば、後藤さんを開放するという新たな提案をしてきたらしい。

テロに屈しないという安倍総理の意向は判らない訳ではない(注2)が、後藤さんは戦地記者であり、これまで中東の取材に関して多大の貢献をしてきたことも考慮し、この提案にそって開放を実現すべくヨルダン政府に依頼交渉すべきであると思う。後藤さんは、イスラム国やイスラムテロに関する有用な情報源を持っておられるかたであり、ヨルダンに捕われている女性との交換は互いに等しい価値の交換であり、仮にその条件で後藤さん解放が実現したとしてもテロに屈したことにならないと思う。

交渉ルートの確認を含め、ヨルダン政府にこれまで以上の協力をお願いすることになるが、是非実現してもらいたい。ヨルダンと日本は関係が良好であり、実現出来る可能性があると思う。

注釈)

1)人質一人あたり1億ドルという、これまで噂されていた人質解放と引き換えに支払われていた額を遥かに越える高い敷居を設けたのは、安倍総理の対イスラム国支援の為の拠出金にあわせたのが一つの理由である。もう一つの理由は、元々日本政府が飲めない(つまり、世界の笑い者になったダッカ人質解放の件を思い出させる)ことを承知の上でこの額を出したのだろう。
 つまり、湯川さんはずっと前に殺害されていたのだろう。そのため、最初に流された動画は二人が別々に撮影されており、それに背景を合成した、不自然なものであった由であると思う。イスラム国は最初から、今回の新しい条件をかんがえていたのではないだろうか。

2)時事放談で、ジェラルド・カーチス氏は「ISISは世界の脅威である」と言っていた。”奴らは人間ではない、悪魔だと”という立場をとって駆逐の対象と見るのは、米国が過去に日本に対して向けた眼である。中東地域で中立的立場をとってきた日本は、そのような単純な見方をする必要はなく、「何故そのテロが発生したのか」について、もっと時間を遡って(歴史的経緯)考えるべきであると思う。彼らイスラム国の指導者達とて、平和に暮らしたい筈である。
 このような考え方はナイーブだと一蹴されるだろう。何もかも全くことなるが、私は2013/7山口県で起こった、放火殺人事件を思い出す。 http://bylines.news.yahoo.co.jp/usuimafumi/20130726-00026781/

補足:以上は、あくまでも一般市民としての意見です。ヨルダンの立場にたてば、少なくとも1:2(後藤さん+ヨルダン人パイロット)でないと合意は困難な様です。イスラム国が要求している女性は、夫とともに自爆テロを行なって、彼女は未遂に終わったといいます。夫が主犯であったとしても、ヨルダンにとっては1:1交換は困難な取引だと思います。(8:30補足)