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人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2015年4月30日木曜日

韓国は安倍総理の米国議会での演説において、一体何に謝罪しろと言っているのだろうか?

1)第二次大戦中、旧日本軍は戦地に売春施設を設置したことは確かだろう。そして、それが軍の移動に従って売春婦(従軍慰安婦)と伴に移動したこともまた、確かだろう。韓国を含めた当時の日本各地から(注:次のセクションをご覧下さい)そこで働く女性が集められたことも事実である。そこでの女性の立場は、給与が支払われたものの、悲惨な状況であったことは想像に難くない。従軍でなくとも、希望して売春宿で働くことを選んだ人は、あの時代でも殆どいなかっだろう。人さらい(営利目的でヒトを誘拐する者)の横行、親族による子供の売買など珍しくなかった時代、経済的理由で止むなく慰安婦になったのだろう。しかし、官憲等による慰安婦の調達(強制連行)等はなかったことは、最近ようやく定説となった。 http://www.sankei.com/world/news/141127/wor1411270003-n1.html

また、韓国もベトナム戦争の時、ベトナム人慰安婦を用いたことも明らかにされている。http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 その目的も旧日本軍と同じで、戦地での性犯罪を防ぐ為だったと言われている。従って、韓国に日本を批判する資格はないと思うが、その点彼らはどう考えているのだろうか。確かに悲しい出来事であり、慰安婦にならざるを得なかった方々は非常に気の毒であると思う。しかし、経済的誘惑など問題にせず、慰安婦に絶対にならないと本人と親族が伴に強く決めた場合、強制連行がなかった以上、ならなくて済んだ筈である。貧しい時代しかも戦争下という極限状況の下のことであり、現代人にとってその状況を想像することは難しい。

この件、韓国の非難を考慮して、過去の日本のリーダー達は何度もお詫びをしている。一方、韓国と日本は1965年に平和条約(日韓基本条約)を既に締結している。更に、多額の経済協力金を韓国は受け取り、過去を清算した筈である。それから半世紀経った現在、なおも繰り返して、我々日本人のトップリーダーに跪くことを要求するのは傲慢だろう。もはやそれは過去の問題ではなく、現代に生きる我々日本人への新たな敵対行為だと言わざるを得ない。

2)韓国を日本が植民地支配したと言うが、実際には韓国は日本に国際法上合法に併合されたのである。つまり、韓国は日本の植民地ではなく日本の一部だった。その証拠に、日本の四国や中国地方に存在していない帝国大学が、韓国に設置された。日本の一部としてインフラ整備なども積極的に行なわれ、西欧諸国の植民地支配とは異なる。現在の朴韓国大統領の父親も旧日本軍の将校だった。http://ja.wikipedia.org/wiki/朴正煕 西欧型の植民地であれば、そこの人間が宗主国の軍の将校になるだろうか?それらの事実を抜きにして、”植民地”という言葉を使って日本統治を批判するのは如何なものか。

実際、国際連盟の調査団も、満州国は日本の傀儡政権が統治していると判断をしたが、韓国が日本の一部だったことには何もクレイムがなかった筈。確かに、日本から来た朝鮮総督が韓国を統治したことは、韓国人のプライドを害したと思う。しかしそれも日韓基本条約締結で、解決済みであると思う。

更に、安倍総理は米国議会で演説したのであり、日米関係に焦点をあてた内容だった筈である。そこに、明示的に韓国への謝罪がなかったという理由で、非難するのは理解に苦しむ。(5/1午前7時、編集)

タンポポの 綿毛に過去の 勇姿なし
Dandelion! Time flies

2015年4月28日火曜日

二つの政治体制(エリック・リー氏の講演)について:

4月25日(3日前)の記事で、エリック・リー氏の二つの政治体制の物語(Atale of two political systems 2.1M views Jul 2013、 http://www.ted.com/talks/eric_x_li_a_tale_of_two_political_systems/transcript?language=ja)を紹介して、そこから民主主義について考えた。そこではエリック・リー氏のこの講演を傾聴に値すると書いたが、その内容、特に中国現体制の評価については注意して読む必要があると思う。

それは、中国の現体制が現在の西欧民主主義体制と並ぶものであり、今後そこからより高いレベルへ進化する方向にあると考えるリー氏の高い評価は、現時点では疑問だということである。そして、今後20年程度経過しないと現体制の延長上に中国があるかどうかは判らないと思う。

その根拠であるが、リー氏はあたかも、現在の中国共産党内において互いに能力を競うことによって昇進者が決り、最も能力の高いものが主席にまで辿り着くという体制が出来ているかのように書いているが、その評価は高すぎると思うのである。

現在主席の周近平は、多くの候補者の中から能力に関する競争で勝ち残りトップになったのではなく、命を賭けた戦いで勝ち残ったという方が正しいと思う。つまり、平和な環境下での競争ではなく、ルールも何もない生存競争的な政治闘争の中での勝ち残りだろう。

勿論、習主席の改革により、今後法と正義の下での競争原理が国家のエリート集団に持ち込まれ、国家のトップまで公正な競争で決定される様になる可能性があるが、現時点でリー氏の言う二つのMetanarrativesという括りで、民主主義と(中国の現体制の基礎となった)共産主義という政治体制を論じるのは間違いだろう。そして、リー氏が高く評価する中国の体制が、将来に亘って成立し得ると判断される時には、中国のエリート集団は共産党員という名称では無くなっていると思う。

既に指摘したように、中国の共産党大会でも“起てうえたる者よ、今ぞ日は近し
。さめよ我がはらから、暁は来ぬ
。暴虐の鎖たつ日、旗は血に燃えて、海をへだてつ我等かいな結びゆく。いざ戦わんいざ、ふるい起ていざ
。あゝインターナショナル、我等がもの。(英語の歌詞も主旨は同じ)”の歌を演奏して、共産党大会などの公式の会合を開く

一方、寒村の民衆は飢えていても、共産党幹部は何十億円にも上る財産を築いて、米国に逃げる用意をしている。その矛盾を抱えている事実に近くで接する一般市民なら、或いは中国の広報担当でないのなら、あの様な発想の話は出来ないだろう。

2015年4月27日月曜日

東アジアでの勢力図を、中国v.s.日米という形でより鮮明に描くのは賢明ではない

===東アジアでの国際的勢力圏を、日本側から中国v.s.日米という形で鮮明にするのは賢明ではないのでは?そして70年談話では、村山談話を過去形に変えて明示的に引用したらどうか。=====

国際的な勢力図における東アジアでの境界線が、凡そ日本列島、琉球列島と中国との間を通るだろう。その境界線がより鮮明になる様に外交戦略をとることが、将来の日本の安全保障を考えた場合、有利なのか不利なのか熟慮すべきであるが、安倍総理はその答えを得ているのだろうか。最近の安倍総理の姿勢を見ると、中国と日本の間の溝を敢えて深める戦略をとっている様に見える。ニクソン大統領の時の様に、突然に”a bridge over troubled water"が架かることに、十分注意が必要だと思う。

米国議会での演説が気になるが、恐らく、バンドン会議の時と同様、先の戦争での東アジアにおける侵略と植民地支配を明示した反省の言葉は無いだろう。中国と韓国はそれを問題視しているので、仮に未来志向で平和と安定に寄与したいと言ってみても、上記勢力圏の境界が深くなるだけだろう。

村山談話などで先の戦争に関する反省は述べている。従って、再度反省の言葉を現在形で入れる必要はないだろうが、「東アジアにおける侵略と植民地支配に反省を述べた村山談話を、現政権も受け継ぐことに代わりはない」という具合に、地域を特定せずに過去形で言及すること(注1)が良いと思うが、如何だろうか。

韓国の併合は、植民地支配とは全く異なることである上に、第二次大戦とは直接関係がない。侵略かどうかは、立場によるので明示的に述べる必要はないと思う。また、戦時中の犯罪行為も平和友好条約や基本条約で解決済みと考えるので、明示的に言及する必要は無いと思う。

注釈:
1)村山談話の内、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」の、最後の”表明いたします”を過去形にして、”。。という村山談話での反省の言葉を将来に亘って引き継ぐ”と70年談話に入れては如何と言う趣旨。

==理系人間の戯言だという批判でも結構です、根拠と伴に頂ければ幸いです。==

2015年4月26日日曜日

若者の間での凶悪犯罪を考える:感情を共有出来ない人の増加

1)今朝のテレビで、痛ましいあの事件が報道されていた。ある少女が知人である少女を、金銭トラブルを理由に男性数人を使って殺し、土中に埋めたという、千葉での事件である。最近この類いの事件が増加している。

この種の事件の報道に触れる時何時も思うのは、犯人と被害者の間に殆どコミュニケーションが成立していないことである。何故なら、数万円か数百万円か知らないが、殺人及び死体遺棄の加害者と被害者になる程の事ではないので、話が通じれば何らかの別の解決法があった筈だからである。

金銭トラブルから互いに感情的になり、殺人に至ったのだろうが、その直前まで犯人側のいらだちが被害者にほとんど伝わっていないのだろう。また、犯罪行為の際、被害者側の悲惨な状況や恐怖が、その1/1000も犯人側に伝わっていない(注1)。それは、少なくとも同じ場所を共有する人同士なら、見ず知らずの間でも感情を共有するという人間本来の性質が、この若者達には存在しないことを示している。言葉を用いることが出来、且つ、感情が共有できる人間として生まれていながら、言葉を失ったライオンとシマウマの様な存在になっているのだ。

2)一般的に、言葉でコミュニケーションをとる場合、その前提として、同じ物理的且つ言語的空間に、自分達は居るという確認がなされる必要がある。それは、人間同士であるという確認、そして、コミュニケーションの目的の確認である。通常それは、両者の間に生じている雰囲気で言葉を用いずに自然進行的になされる。雰囲気或いは日本人がよく用いる“空気”は、感情の共有の別の表現である。

人は社会を作って生きる動物であるため、人と人の間には無条件に親和的感情が存在し、それを背景にして会話、つまり、コミュニケーションをとる。つまり、コミュニケーションを始める必要十分な条件は、この人と人の間に存在する親和的感情だと思う。もちろん、争いの際も悪意を持ったコミュニケーションが当事者間でなされるが、それはそれまでに積み上げた善意のコミュニケーションがあったから存在しうるのである。もし、最初から人と人の間に悪意だけが存在するのなら、例えば、他人は縄張り争いの相手でしかないのなら、言葉による応酬はなく、出会った瞬間から物理的攻撃が始まる筈である。

この人同士の感情の共有は、あらゆる文化的活動の必須条件であると思う。ドラマを観て、ある場面で貰い泣きをし、別の場面で主人公と同じ怒りを感じるのでなければ、文学も何も存在しないだろう。その感情を共有する能力を先天的に欠いているのが、サイコパスだと思う。ニューヨークでも10万人くらいサイコパスの人がいるというのだから、それに近い心理構造をもった人はそれ以上いるだろう。サイコパスの人にとっては、他人は自分の利益の為にしか存在する資格はない。

感情を共有する性質の導入は、幼少期から少年期に育児や初等教育の過程でなされると思う(注2)が、その段階で十分訓練がなされない場合、サイコパス的な人が増加するだろう。それが最近苛めなどが増加している本質的な原因だと思う。どの様にして、正常化するかは、次の機会に考えることにする。

注釈:
1)戦場などでの相手を殺さなければ、自分が殺されるという状況ではない。加害者と被害者の立場では、加害者には想像力などが働く程度に十分な心理的余裕がある筈である。
2)少年期には残酷な性質が誰にでも残っている。従って、苛めは心理的未成長な子供に起こる現象であると思う。

アゲハとさつきの間のコミュニケーション? 今朝撮った写真である。