1)評論家の加藤清隆氏は以下の動画において、日本が核武装は現実的に無理だと結論している(追加補足1)。その一方で、日本の安全の危機は、1)中国の軍事的脅威が益々増大していること;2)米国が世界の警察官の地位を降りる可能性が高いことにより、大きく増大すると言っている。
核大国の中国の脅威から日本を守る方法として、核兵器を持つ第七艦隊を借り受けることや、米国との間に核兵器のシェアリングを秘密協定として結ぶこと、などを提案している。ヨーロッパでは、ドイツ、イタリア、オランダ、(トルコ)、ベルギーと米国が秘密協定を結んでおり、それを真似るというのである。
https://www.youtube.com/watch?v=QgZ4YUBeah4
しかし、核シェアリングは幻想だという指摘もネットにはある。http://obiekt.seesaa.net/article/111838149.html 実際、核兵器の管理は米国が行うのだから、核シェアリングと日米安保条約の間に有意の差があるかは疑わしい。ただし、米国への余分な支払いは相当な額になるだろうと思う。
2)これと関連してすでにブログで述べたように、米国の核不拡散政策教育センター(NPEC)に提出した「日本の戦略兵器計画と戦略:未来のシナリオと代案」という報告書が公開されている(Japanese Strategic WeaponsPrograms and Strategies)。その論文の一部を紹介する。著者はProject 2049 Institute というシンクタンクのIan Easton(補足1)である。
日本の戦略と戦略兵器計画と題して、3つの軍事オプションについて述べている。それらは、1)小さいスケールでの核開発;2)大きいスケールでの核開発;3)通常兵器の改善、である。ただし、これらのシナリオは日本が防衛の姿勢と予算においてかなりの変化の意思を示すことを条件としている。日本は長い間の政策の慣性により、僅かGDP1%の防衛予算を維持しようとする可能性もあるが、それとは無関係に日本の防衛環境は確実に、そして致命的なところまで(fatally)悪くなるだろう。理由は加藤清隆氏の動画にあるのと同じである。
更に、米国が東アジアから撤退の方向に向かったとしても、更に、何かの危機により同盟が毀損されるような状況下でも、同盟関係を維持する意思を日本が持つこと、中国や北朝鮮(以下中国等)が大きな軍事的脅威であり続けること、安全保障において合意に至らず、更に、両国の要求に屈するという選択を取らないことなどが条件として、この論文は書かれている。
3)日本にとって一つの魅力的な戦略は、最小限抑止力として、そして抑止に失敗した場合、抑制的な報復攻撃のための小さいスケールでの核開発である。そして、出来るだけ早期に米国の核の傘の中に組み込まれることが、その場合の日本政府の目標となるだろう。それは、中国等に対する抑止と日米同盟の強化の両面に寄与することを期待してなされる。
詳細に目標設定や兵器の大きさや数、考慮すべき中国などの防衛システムなどの記述がある(補足2)。その中で興味があったのは以下の記述である:日本には長距離クルーズミサイルや弾道ミサイルなどを持たないので、また最初の世代の核兵器はそれらに相応しく小型化されているとは考え難いので、差し当たり航空機による攻撃を考える筈である。現在のF-2爆撃機(米国F-16を変形国産化したバージョン)では、中国の防空網を突破できない。F-15sの大編隊(a large fleets)と囮のドローン(無人機)でも、損失は大きい。2020年には新型のF-35統合打撃戦闘機(joint strike fighter)を2飛行中隊持つだろうし、それに独自に開発しているF-3ステルス戦闘機により、状況は相当改善される。
予算についての記述もあり、28-84個の核兵器(5-20 kiloton)を保持するのに、5-10年間に40-90億ドル程度を要すると書かれている。また、新しく核兵器を持ったときの近隣諸国の受け取り方や行動に対するインパクト、特に米国と国際社会の反応を測り、核開発の情報を戦争抑止力が最大になるように、そして、政治的“blowback”が最小になるように情報を流すことになる。日本がどのようにして、戦略的目的(中国等の攻撃抑止と米国の理解)を実現するかについては、計画の情報を公開しないと予想は困難である。(補足3)
その他のオプションの説明後、付録として核保持のプロセスに関する予想物語が書かれている。そこに書かれた核兵器開発のスケジュールについてだけ簡単に引用する。
2016年には核開発プログラムは萌芽的段階であるが、事態の急変で2019年の新年のセッションで日本のNSC(国家安全保障会議)は匿名の投票の結果、急ぎ核開発に着手することを決める。約5ケ月後に、11 kilotonの核爆弾を配置する。日本北部の町につくられた兵器庫にF35ステルス戦闘機に搭載するとして保管される。その20ケ月後には35の核爆弾を作り上げる。しかし、これらは核実験を経ていない。
航空自衛隊は、模擬爆弾を用いた演習を行う。そして2022年になり、第二世代の潜水艦発射型の核クルーズミサイルの開発に着手するかどうかの決断の時となる。
4)私の感想:長い論文であり我々素人には読みにくい。大事なのは、どのシナリオを取るかは、日本の政治の決断だけで決められる訳ではないことである。各種情況が影響して、歴史一般に言えるように後になっても明確な理由付けは困難だろう。
この論文は全体的にレベルが高いと判断し、これにより、実験を経ない核兵器の小規模配置でも、2年以上の年月を要すること、それもF-35 ステルス戦闘機を用いて、なんとか多少の抑止効果が期待できることが分かった。そして、ミサイルに搭載できるものは、3年後の第二世代の核兵器開発でスタートすることになるということが書かれており、非常に参考になる。最近、石原慎太郎 氏や青山繁晴氏らが、原爆など1日でできると豪語しているが、如何に日本のマスコミの表舞台が貧弱かを証明していると思う。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42752874.html
米国から核兵器の設計などとノーハウが譲渡されれば、もっとも話は簡単である。共和党の政権でないと無理だろうと思う。ヒラリークリントンが大統領になった場合、あのキッシンジャーが戦略顧問になるとどこかで聞いた(モーニングサテライトか?)。その場合は、日本の防衛環境は最悪になるのではと危惧する。もちろん、素人の考えであり、全く的外れかもしれないが。
追加補足:
1)加藤氏はNPTの脱退は国連からの脱退を意味するから、日本の核保持は無理だと言っている。しかし、それは米国の政権次第だと思う。過去には、佐藤政権のとき核兵器付きでの沖縄返還が提示されたという。(片岡鉄哉著、「核武装なき改憲は日本を滅ぼす」、35頁)ただし、中国からの強い圧力はある。トランプ氏が米国大統領になれば、その話が出る可能性があると期待している。
補足:
1)Project 2049 Instituteの紹介文によると、Ian Eastonはアジアの安全保障問題の専門家。元米国海軍分析センター(Center of Naval Analyses)の中国分析家。2013年夏、日本国際問題研究所の短期フェロー(Visiting Fellow)。2005-2010に台湾在住で、アジア太平洋平和協会(the Foundation of Asia-Pacific Peace Studies)などに勤務。論文は以下のサイトに掲載されている。
http://www.npolicy.org/article_file/Easton_Japanese-Strategic-Weapons-Scenarios_draft.pdf
2)以下のような記述がある。After a period of detailed study, Japanese planers might notionallyselect eight important targets around Beijing and six in greater Shanghai. なぜ8カ所や6カ所が出てくるのかは、明確には読み取れなかった(恐らく書かれていない)。
3)この部分の原文: It is difficult to see how Japan could effectively achieve itsstrategic aims of deterring Chinese and North Korean attacks (and attractingAmerican support) if Tokyo did not make its nuclear program public to thegreatest extent military and security considerations allowed; although a highdegree of ambiguity might be desirable for political reasons.
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2016年4月28日木曜日
本音と建前の二重らせん(2)
1)本音と建前について、これまで何度か考えてきた。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/12/blog-post_6.html そこでは、本音がそのまま大手を振って公(おおやけ)に出てくると社会は崩壊すると書いた。しかし、本音が建前という社会の“骨組み(制度)”にうまく組み込まれなければ、同様に住みにくくなる(補足1)。米国など先進国の政治では、民主主義という建前がうまく本音を組み込み、全体の政治を作っている。本音、つまり現実主義と、建前、つまり既存論理優先(理想)主義とが、互いに持ちつ持たれつの関係にあって、合意点を見出しているのだと思う。
間接民主主義の政治では、政治家が差し出すメニューのなかから、選挙民が選択をする。メニュー作り(補足2)は選挙民が直接関与しない形で行われるが、選挙民の本音が組み込まれなければならない。メニューの中にないものは選択できないので、民主主義といっても直接民主主義とは異なりかなり制限された形である(補足3)。従って、大衆の空気が政治を支配し、政治が暴走することは少ない。
2)建前というが、上述のように二重螺旋的に本音とともに存在するものである。社会全体としての最大幸福を実現すべく、本音を論理的に整理して社会のルールとする。その際、個人の本音の一部は切り捨てられる。しばしば、この切り捨てられた本音の一部を過大視してこだわる人が多い(補足4)。つまり、命の保証、財産の保証、そして個人の自由の確保は、すべて本音の最も重要な部分である。「これらの確保は当然であり選挙民がもはや考えるべきことではない」というのは傲慢であり、歴史的悲劇の原因となる。
上述のように政治では、本音は現実主義に近く、建前は理想主義に近い。本音を建前の中に如何に収容するかという、現実主義と理想主義の戦いが、本来の政治のダイナミックな姿だと思う。日本では言語やそれを用いた論理に弱いため、教条主義に走りやすい。非武装中立と非核三原則という建前に、本来現実主義政党である筈の自民党までが縛られていては、将来は暗い。
東アジアの軍事専門家のIan Eastonが、最近、米国の核不拡散政策教育センター(NPEC)に提出した「日本の戦略兵器計画と戦略:未来のシナリオと代案」という報告書が公開されている。そこでは、日本のこれからの核戦略が3つのシナリオで予測されている。その内の二つは核開発を行う戦略である。日本の現実主義は米国に丸投げなのだろうか? http://www.npolicy.org/article_file/Easton_Japanese-Strategic-Weapons-Scenarios_draft.pdf
3)政治だけでなく、文化においても本音と建前の二重螺旋を意識し、時代に即応した文化の創造へ活かすべきだと思う。今日このようなことを改めて書くのは、日本の「本音」の建前への組み込みが政治だけでなく、文化においても全く稚拙だと思ったからである。
最近、不倫騒動をテレビが独占したことがあった。宮崎議員や乙武議員らの騒動は、社会をつむじ風のように騒がせて過ぎ去った。かつて、石田純一の「不倫は文化」という発言があり、それも消化不良のままに忘れ去られた。
進化論的心理学によれば、人間の心理も環境への適応のために進化してきており、その変化は現在進行形であると考える。それは進化という非常に遅いプロセスであるため、現在の我々の行動を支配する「心理」は、未だに原始時代の狩猟生活に適合したものとして、取り残されているのだ。
石田純一の発言が、ボスが大家族を支配している旧石器時代の社会に適合した我々現代人の心理から出た本音であるなら、それも社会は建前としての制度の中に何らかの形で取り込まなければならない。日本には全くないが、しかし米国にはそれらしい制度が定着しているようである。それは、不倫そのものではなく、婚外子に対する養子制度である。
婚外子の養子制度をしっかり持つことが、現代社会がこの件への対応として為すべきことなのだろう。当然のことながら、不倫を文化として認めることは既に出来上がった社会制度(これまでの建前)により、否定されたのである。
良く知られている様に、i-Phoneやマックブックなどでデジタル文化の一翼を担うアップルの創業者、スティーブ・ジョブズは養子であった。彼の生みの親は女子大学生だった。養子先を予約するシステムがあり、二番目に名乗りを上げた夫婦が育ての親になった。育ての親は、養子の条件となっていた大学進学に向けて精一杯努力したが、ジョブスはそれ程の価値を大学に見出せず退学する。その後、講義に紛れ込んで習得した知識などで、アップルの創業者となった。
現役の女子大生が、生まれた子供を養子に差し出すまでは理解できたが、それに「大学進学させること」という条件をつけることができるシステムを持っていることに、改めて米国の凄さを感じた。
日本なら、その様な大器を公園のトイレに置き去りという形で失っていたかもしれない。人の命が大切だという本音中の本音を、そして、一定数の非嫡出子でしかも養子に出す以外に助けることができない命があるという現実を、社会がそのシステムの中に組み込むことが出来ないのである。それは、本音を論理的に展開して建前としての文化の中に組み込む能力が日本社会に欠如しているからである。
その原因なのか結果なのかわからないが、“公の空間”が社会に定着していないことを指摘したい。つまり、公空間がないので、「万機公論に決すべし」と言っても、公論など戦わす場所がないのである。社会に公の空間がなければ、本音と建前の二重螺旋も自前のものは成長しないし、持てないのである。現在機能しているほとんど全ての制度は、従って、輸入品である。
補足:
1)本音と建前の意味が、若干日常的に用いられる場合の意味と違うかもしれません。建前とは、ルールやルールで定められた制度の意味、本音とは、現実的な要求の意味で其々用いている。
2)米国では多くのシンクタンク(戦略国際問題研究所、ハドソン研究所など)が政策決定に間接的に係わっている。更に、幾つかのインテリジェンス機関があり、いずれも選挙民の直接関与はない。これらが優秀であり、且つ、政治のシステムのなかに有効に組み込まれていなければ、民主主義は成立しない。
3)選挙民が直接意思を表明する機会として、デモがある。しかし、それは議員の意見に反映することはあっても、直接の因果関係はないし、あってはならない。(一部の選挙民のデモが政治に直接影響した場合、平等の原則が崩れる)
4)託児所に落選したとき「日本死ね」と書き込むのは、切り捨てられた本音の“相対化”ができていないことが原因である。日本が死ねば、自分と愛する子供の命の保障も全くないことすらわからないのである。自前の、本音を建前の中に組み込むシステムを持たないため、現在持っている制度についても理解できていないのである。そこでは、本音がそのまま大手を振って公(おおやけ)に出てくると社会は崩壊すると書いた。しかし、本音が建前という社会の“骨組み(制度)”にうまく組み込まれなければ、同様に住みにくくなる(補足1)。米国など先進国の政治では、民主主義という建前がうまく本音を組み込み、全体の政治を作っている。本音、つまり現実主義と、建前、つまり理想主義とが、互いに持ちつ持たれつの関係にあって、合意点を見出しているのだと思う。
間接民主主義の政治では、政治家が差し出すメニューのなかから、選挙民が選択をする。メニュー作り(補足2)は選挙民が直接関与しない形で行われるが、選挙民の本音が組み込まれなければならない。メニューの中にないものは選択できないので、民主主義といっても直接民主主義とは異なりかなり制限された形である(補足3)。従って、大衆の空気が政治を支配し、政治が暴走することは少ない。
2)建前というが、上述のように二重螺旋的に本音とともに存在するものである。社会全体としての最大幸福を実現すべく、本音を論理的に整理して社会のルールとする。その際、個人の本音の一部は切り捨てられる。しばしば、この切り捨てられた本音の一部を過大視してこだわる人が多い(補足4)。つまり、命の保証、財産の保証、そして個人の自由の確保は、すべて本音の最も重要な部分である。「これらの確保は当然であり選挙民がもはや考えるべきことではない」というのは傲慢であり、歴史的悲劇の原因となる。
上述のように政治では、本音は現実主義に近く、建前は理想主義に近い。本音を建前の中に如何に収容するかという、現実主義と理想主義の戦いが、本来の政治のダイナミックな姿だと思う。日本では言語やそれを用いた論理に弱いため、教条主義に走りやすい。非武装中立と非核三原則という建前に、本来現実主義政党である筈の自民党までが縛られていては、将来は暗い。
東アジアの軍事専門家のIan Eastonが、最近、米国の核不拡散政策教育センター(NPEC)に提出した「日本の戦略兵器計画と戦略:未来のシナリオと代案」という報告書が公開されている。そこでは、日本のこれからの核戦略が3つのシナリオで予測されている。その内の二つは核開発を行う戦略である。日本の現実主義は米国に丸投げなのだろうか? http://www.npolicy.org/article_file/Easton_Japanese-Strategic-Weapons-Scenarios_draft.pdf
3)政治だけでなく、文化においても本音と建前の二重螺旋を意識し、時代に即応した文化の創造へ活かすべきだと思う。今日このようなことを改めて書くのは、日本の「本音」の建前への組み込みが政治だけでなく、文化においても全く稚拙だと思ったからである。
最近、不倫騒動をテレビが独占したことがあった。宮崎議員や乙武議員らの騒動は、社会をつむじ風のように騒がせて過ぎ去った。かつて、石田純一の「不倫は文化」という発言があり、それも消化不良のままに忘れ去られた。
進化論的心理学によれば、人間の心理も環境への適応のために進化してきており、その変化は現在進行形であると考える。それは進化という非常に遅いプロセスであるため、現在の我々の行動を支配する「心理」は、未だに原始時代の狩猟生活に適合したものとして、取り残されているのだ。
石田純一の発言が、ボスが大家族を支配している旧石器時代の社会に適合した我々現代人の心理から出た本音であるなら、それも社会は建前としての制度の中に何らかの形で取り込まなければならない。日本には全くないが、しかし米国にはそれらしい制度が定着しているようである。それは、不倫そのものではなく、婚外子に対する養子制度である。
婚外子の養子制度をしっかり持つことが、現代社会がこの件への対応として為すべきことなのだろう。当然のことながら、不倫を文化として認めることは既に出来上がった社会制度(これまでの建前)により、否定されたのである。
良く知られている様に、i-Phoneやマックブックなどでデジタル文化の一翼を担うアップルの創業者、スティーブ・ジョブズは養子であった。彼の生みの親は女子大学生だった。養子先を予約するシステムがあり、二番目に名乗りを上げた夫婦が育ての親になった。育ての親は、養子の条件となっていた大学進学に向けて精一杯努力したが、ジョブスはそれ程の価値を大学に見出せず退学する。その後、講義に紛れ込んで習得した知識などで、アップルの創業者となった。
現役の女子大生が、生まれた子供を養子に差し出すまでは理解できたが、それに「大学進学させること」という条件をつけることができるシステムを持っていることに、改めて米国の凄さを感じた。
日本なら、その様な大器を公園のトイレに置き去りという形で失っていたかもしれない。人の命が大切だという本音中の本音を、そして、一定数の非嫡出子でしかも養子に出す以外に助けることができない命があるという現実を、社会がそのシステムの中に組み込むことが出来ないのである。それは、本音を論理的に展開して建前としての文化の中に組み込む能力が日本社会に欠如しているからである。
その原因なのか結果なのかわからないが、“公の空間”が社会に定着していないことを指摘したい。つまり、公空間がないので、「万機公論に決すべし」と言っても、公論など戦わす場所がないのである。社会に公の空間がなければ、本音と建前の二重螺旋も自前のものは成長しないし、持てないのである。現在機能しているほとんど全ての制度は、従って、輸入品である。
補足:
1)本音と建前の意味が、若干日常的に用いられる場合の意味と違うかもしれません。建前とは、ルールやルールで定められた制度の意味、本音とは、現実的な要求の意味で其々用いている。
2)米国では多くのシンクタンク(戦略国際問題研究所、ハドソン研究所など)が政策決定に間接的に係わっている。更に、幾つかのインテリジェンス機関があり、いずれも選挙民の直接関与はない。これらが優秀であり、且つ、政治のシステムのなかに有効に組み込まれていなければ、民主主義は成立しない。
3)選挙民が直接意思を表明する機会として、デモがある。しかし、それは議員の意見に反映することはあっても、直接の因果関係はないし、あってはならない。(一部の選挙民のデモが政治に直接影響した場合、平等の原則が崩れる)
4)託児所に落選したとき「日本死ね」と書き込むのは、切り捨てられた本音の“相対化”ができていないことが原因である。日本が死ねば、自分と愛する子供の命の保障も全くないことすらわからないのである。自前の、本音を建前の中に組み込むシステムを持たないため、現在持っている制度についても理解できていないのである。そこでは、本音がそのまま大手を振って公(おおやけ)に出てくると社会は崩壊すると書いた。しかし、本音が建前という社会の“骨組み(制度)”にうまく組み込まれなければ、同様に住みにくくなる(補足1)。米国など先進国の政治では、民主主義という建前がうまく本音を組み込み、全体の政治を作っている。本音、つまり現実主義と、建前、つまり理想主義とが、互いに持ちつ持たれつの関係にあって、合意点を見出しているのだと思う。
2016年4月24日日曜日
田中角栄は天才か小物か
1)石原慎太郎氏が田中角栄は天才だとする本を書いた。一方、最近買った本のタイトルには、「田中角栄こそが対中国売国者である」(鬼塚英昭、成甲書房、2016/3)と書かれていた。天才か小物かは、科学者でも政治家でもその業績を分析すれば解ることである。鬼塚氏の本には、中国の周恩来は「田中角栄を小物と断じた」と明確な根拠とともに書かれている。(以下「頁」はこの本での記述箇所を示す)
その証拠とは、日中国交回復を決めた後、周恩来は田中角栄に「言必信、行必果」という孔子の言葉を色紙に書いておくったことである。この孔子の子路篇については、インターネットにも多く書かれている。http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/classic/rongo013_2.html
周恩来は、その中の「言必信、行必果、脛脛然小人也」から上記言葉をとったのである。それは、「士」とはどういう人かと「士の資格」を問うた子貢に対して、孔子が言った言葉である。士は古代中国では支配階級の最下層であり、それも最低の士を定義した孔子の中の言葉を田中角栄に送ったのである。
それについて新聞は、「周総理から田中首相に、“言えば必ず信ずる。行われれば必ず果たす”と揮毫した書が送られ、田中首相も“信は万事の元”との所信をしたためてお返しした」(毎日新聞)と書いた。新聞は言葉の意味を解説せず、中国の完全な言いなりの日中国交回復を、田中角栄の偉大な業績とする「正史」の完成に協力したのである。
儒教は共産主義と相容れない思想である。周恩来は、その中から「君である中国に仕える小物の日本首相」という意味を込めて、「言必信、行必果」という言葉を色紙に書いたのである。因みに、孟子の中に「孟子曰、大人者言不必信、行不必果、惟義所在」という言葉がある。その訳は、大人(たいじん)は言うことを必ずしも実行しない。またやっている事業を必ずしも貫徹しない。ただ、義のあるところに従ってなすことだけがその原則なのである。
この言葉も、当然秀才の周恩来の頭の中にあったはずである。それと対比すれば、周恩来の意図は明確である(117頁)。この孟子の文章の中の“義のあるところに従ってなす”の「義」は、日中共同声明の二条と三条に照らしてみると、台湾との友好関係は守るということだと解る。台湾との日華平和条約を破棄し、共産党の支配する中国の一部として認めたことは、池に落ちた人を棒で叩くことに等しい。米国の対中国国交回復とは根本的に違うのである。(補足1)
2)当時の中国経済は、大躍進運動の失敗や文化大革命で疲弊の極限にあった。ニクソンとキッシンジャーが中国と国交を結んだ際、中国が唯一外貨を稼げるのはアヘンの密売であったという。キッシンジャーは、そのアヘンの密売に協力することで中国経済に協力したと書かれている(64頁)。中国は、日本との国交回復を早く済ませ、日本の経済協力を得ることに焦っていたのである。
米国のニクソン大統領は、経済の方でブレトンウッズ体制を崩したことと、政治の方で共産中国と国交回復するという発表をしたことで二つショックを世界に与えた。米中国交回復は歴史の必然であったが、日中国交回復も同様だと思う。ニクソンショックで狼狽えた、時の佐藤栄作総理大臣は急ぎ自民党幹事長の保利茂の書簡を訪中する美濃部亮吉東京都知事に手渡すが、取りつく島もなく拒絶される。
その一方、朝日新聞社長の広岡知男を通して、水面下で田中角栄と交渉していたという。野党の中では、共産党(ソ連の下にあった)は嫌われていたが、社会党や公明党は相当日中国交回復に向けて動いていたようである(92頁;113頁)。
実際、田中総理訪中一ヶ月前に、中国アジア貿易構造研究センターが日立製作所、富士銀行、三井物産、出光興産などの首脳を集め、稲山嘉寛新日鉄会長が団長となって訪中している。その経済協力として、おそらく最大のものは新日鉄が中心となり進められた、上海の宝山製鉄所の建設だろう(補足2)。これは日中回復の2年後の調印であるが、何も知らない日本政府(佐藤政権の時)をよそ目に、準備は着々とに進められていたことになる。何という情けないことだ。日本の新聞やNHKなどの報道機関は、いったい何のために存在するのだろうか?
補足:
1)ベトナム内戦を中国に任せること、それと引き換えに米兵向けのヘロイン納入を認めることだった(63頁)と書かれている。台湾については、米国は台湾法を制定しており、それは事実上の台湾との間の軍事同盟となっている。
2)この製鉄所は、山崎豊子著の「大地の子」の主な舞台の一つとなった。文庫版第二版から稲山の名前が屡々現れる。
その証拠とは、日中国交回復を決めた後、周恩来は田中角栄に「言必信、行必果」という孔子の言葉を色紙に書いておくったことである。この孔子の子路篇については、インターネットにも多く書かれている。http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/classic/rongo013_2.html
周恩来は、その中の「言必信、行必果、脛脛然小人也」から上記言葉をとったのである。それは、「士」とはどういう人かと「士の資格」を問うた子貢に対して、孔子が言った言葉である。士は古代中国では支配階級の最下層であり、それも最低の士を定義した孔子の中の言葉を田中角栄に送ったのである。
それについて新聞は、「周総理から田中首相に、“言えば必ず信ずる。行われれば必ず果たす”と揮毫した書が送られ、田中首相も“信は万事の元”との所信をしたためてお返しした」(毎日新聞)と書いた。新聞は言葉の意味を解説せず、中国の完全な言いなりの日中国交回復を、田中角栄の偉大な業績とする「正史」の完成に協力したのである。
儒教は共産主義と相容れない思想である。周恩来は、その中から「君である中国に仕える小物の日本首相」という意味を込めて、「言必信、行必果」という言葉を色紙に書いたのである。因みに、孟子の中に「孟子曰、大人者言不必信、行不必果、惟義所在」という言葉がある。その訳は、大人(たいじん)は言うことを必ずしも実行しない。またやっている事業を必ずしも貫徹しない。ただ、義のあるところに従ってなすことだけがその原則なのである。
この言葉も、当然秀才の周恩来の頭の中にあったはずである。それと対比すれば、周恩来の意図は明確である(117頁)。この孟子の文章の中の“義のあるところに従ってなす”の「義」は、日中共同声明の二条と三条に照らしてみると、台湾との友好関係は守るということだと解る。台湾との日華平和条約を破棄し、共産党の支配する中国の一部として認めたことは、池に落ちた人を棒で叩くことに等しい。米国の対中国国交回復とは根本的に違うのである。(補足1)
2)当時の中国経済は、大躍進運動の失敗や文化大革命で疲弊の極限にあった。ニクソンとキッシンジャーが中国と国交を結んだ際、中国が唯一外貨を稼げるのはアヘンの密売であったという。キッシンジャーは、そのアヘンの密売に協力することで中国経済に協力したと書かれている(64頁)。中国は、日本との国交回復を早く済ませ、日本の経済協力を得ることに焦っていたのである。
米国のニクソン大統領は、経済の方でブレトンウッズ体制を崩したことと、政治の方で共産中国と国交回復するという発表をしたことで二つショックを世界に与えた。米中国交回復は歴史の必然であったが、日中国交回復も同様だと思う。ニクソンショックで狼狽えた、時の佐藤栄作総理大臣は急ぎ自民党幹事長の保利茂の書簡を訪中する美濃部亮吉東京都知事に手渡すが、取りつく島もなく拒絶される。
その一方、朝日新聞社長の広岡知男を通して、水面下で田中角栄と交渉していたという。野党の中では、共産党(ソ連の下にあった)は嫌われていたが、社会党や公明党は相当日中国交回復に向けて動いていたようである(92頁;113頁)。
実際、田中総理訪中一ヶ月前に、中国アジア貿易構造研究センターが日立製作所、富士銀行、三井物産、出光興産などの首脳を集め、稲山嘉寛新日鉄会長が団長となって訪中している。その経済協力として、おそらく最大のものは新日鉄が中心となり進められた、上海の宝山製鉄所の建設だろう(補足2)。これは日中回復の2年後の調印であるが、何も知らない日本政府(佐藤政権の時)をよそ目に、準備は着々とに進められていたことになる。何という情けないことだ。日本の新聞やNHKなどの報道機関は、いったい何のために存在するのだろうか?
補足:
1)ベトナム内戦を中国に任せること、それと引き換えに米兵向けのヘロイン納入を認めることだった(63頁)と書かれている。台湾については、米国は台湾法を制定しており、それは事実上の台湾との間の軍事同盟となっている。
2)この製鉄所は、山崎豊子著の「大地の子」の主な舞台の一つとなった。文庫版第二版から稲山の名前が屡々現れる。
2016年4月22日金曜日
NHK放送を見ない人に受信料支払を強制するのは違憲だ
放送法64条は、「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない」と規定している。ここで協会とは、NHK(日本放送協会)のことである。民間放送を受信するのにも同じ装置を用いるので、この法律は民間放送のみを見てNHKは見ないでおきたいという自由がないか、或いは受けないサービスに対しても契約を強要することになる。(補足1)
日本国憲法第十三条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定している。つまり、何を見て、何をみないかという自己決定権を含めて、個人の自由は公共の福祉に反しない限り最大限尊重されるのである。
また、日本国憲法第二十九条は、「財産権は、これを侵してはならない」と書かれている。そして、第二項は、 「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める」で、第三項は、「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」と、それぞれ定めている。
つまり、NHKが受信できるテレビを持つ限り、「私はNHK放送を見ません」と宣言しても受信料を奪い取られることになるので、その「私はNHK放送を見ませんと宣言すること」が“公共の福祉に反する”のでなければ、放送法64条は、自己決定権を保障する憲法13条に違反するか、或いは、受けないサービスに無理やり金を支払わされることになるので、財産権を保障する憲法29条に違反することになると思う。
この問題を上記憲法13条や憲法21条の表現の自由との関連で論じた文章が弁護人の代表からブログにて公開されている。http://www.azusawa.jp/comit/20091219.html 因みに、憲法21条とは表現の自由をうたった条文である。
しかし、不思議なことに裁判では、上記主張は認められていないのである。その理由を、この問題を網羅的に議論したサイト(http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n24263)にあったので、そこから引用する。この文章が正しいという保証はないので、そのつもりで読んでもらいたい。
「控訴人らは,控訴人らが放送受信料の支払を免れようとすると,必然的に民放のテレビ番組の視聴を妨げられ,民放のテレビ番組を視聴することにより情報を取得する自由を侵害される旨主張するが,法32条(現64条)及び放送受信規約9条(https://pid.nhk.or.jp/jushinryo/kiyaku/nhk_jushinkiyaku_260401.pdf)は,放送受信契約の締結及び被控訴人の放送を受信できる受信機を廃止しない間の放送受信料の支払を義務づけるだけであって,民放のテレビ番組を視聴することを制限するものではない。したがって,控訴人らの上記の主張は理由がない。」
このような訳のわからない判決文を書く裁判官は、現在の権力におもねることで、職業としての裁判官の地位にへばりつく自分をどう感じているのだろうか(補足2)。もっとも、自衛隊が軍隊でないし、交戦権は認めないという憲法を持ちながら、自衛隊を用いて集団的自衛権を認めるという法律を通す国だから、さもありなんと言えなくもない。
補足
1)このNHK受信料不払いの問題は、有料放送が行っているように受信契約をした人だけが放送を受信できるようにすれば、簡単に解決する。しかしそうすると、ほとんどの人が受信契約をしないことがNHK関係者はわかっているのだと思う。
2)この判決文は訳がわからない。NHKが映らないテレビで民放が映るようなテレビが存在しなければ、これは屁理屈である。
日本国憲法第十三条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定している。つまり、何を見て、何をみないかという自己決定権を含めて、個人の自由は公共の福祉に反しない限り最大限尊重されるのである。
また、日本国憲法第二十九条は、「財産権は、これを侵してはならない」と書かれている。そして、第二項は、 「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める」で、第三項は、「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」と、それぞれ定めている。
つまり、NHKが受信できるテレビを持つ限り、「私はNHK放送を見ません」と宣言しても受信料を奪い取られることになるので、その「私はNHK放送を見ませんと宣言すること」が“公共の福祉に反する”のでなければ、放送法64条は、自己決定権を保障する憲法13条に違反するか、或いは、受けないサービスに無理やり金を支払わされることになるので、財産権を保障する憲法29条に違反することになると思う。
この問題を上記憲法13条や憲法21条の表現の自由との関連で論じた文章が弁護人の代表からブログにて公開されている。http://www.azusawa.jp/comit/20091219.html 因みに、憲法21条とは表現の自由をうたった条文である。
しかし、不思議なことに裁判では、上記主張は認められていないのである。その理由を、この問題を網羅的に議論したサイト(http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n24263)にあったので、そこから引用する。この文章が正しいという保証はないので、そのつもりで読んでもらいたい。
「控訴人らは,控訴人らが放送受信料の支払を免れようとすると,必然的に民放のテレビ番組の視聴を妨げられ,民放のテレビ番組を視聴することにより情報を取得する自由を侵害される旨主張するが,法32条(現64条)及び放送受信規約9条(https://pid.nhk.or.jp/jushinryo/kiyaku/nhk_jushinkiyaku_260401.pdf)は,放送受信契約の締結及び被控訴人の放送を受信できる受信機を廃止しない間の放送受信料の支払を義務づけるだけであって,民放のテレビ番組を視聴することを制限するものではない。したがって,控訴人らの上記の主張は理由がない。」
このような訳のわからない判決文を書く裁判官は、現在の権力におもねることで、職業としての裁判官の地位にへばりつく自分をどう感じているのだろうか(補足2)。もっとも、自衛隊が軍隊でないし、交戦権は認めないという憲法を持ちながら、自衛隊を用いて集団的自衛権を認めるという法律を通す国だから、さもありなんと言えなくもない。
補足
1)このNHK受信料不払いの問題は、有料放送が行っているように受信契約をした人だけが放送を受信できるようにすれば、簡単に解決する。しかしそうすると、ほとんどの人が受信契約をしないことがNHK関係者はわかっているのだと思う。
2)この判決文は訳がわからない。NHKが映らないテレビで民放が映るようなテレビが存在しなければ、これは屁理屈である。
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