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人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2018年10月30日火曜日

世界は混乱の時代にはいろうとしているのか?(ブレジンスキーの二つの発言をヒントにして)

馬渕睦夫氏が紹介したブレジンスキーの言葉は非常に興味深い。その言葉の意味は、①「米国の政治を握ってきたのはユダヤ系社会であり、その手法は簡潔に言うと、”マイノリティーの権利をまもれ”という政治活動であった。つまり:米国での黒人やヒスパニックはマイノリティーとして、政治的に軽視されてきた。知恵があり、マイノリティーの一つでもあるユダヤ社会が、その少数派の権利確保という名目で運動を組織化し、米国を牛耳ることに成功したというのである。  https://www.youtube.com/watch?v=Z85BnnOPmZ4&t=412s

この発言は、The Choice、Global Domination or Global Leadership、「選択:世界の支配者又は世界のリーダー」という題名の本に書かれているらしい。邦訳は、「孤独な帝国アメリカ」として出版されているが、現在アマゾンでも入手不可能である。

ブレジンスキーのもう一つの発言は、何度もこのブログで紹介している。それも馬渕睦夫氏のyoutube動画で知ったのだと思う。それは:②「この100年間に、人類史上初めて、大衆が政治的に目覚めた。これまでの時代では百万の人々をコントロールする事は簡単だったのです。しかし今日では、百万人をコントロールするよりも百万人を殺す方が限りなく簡単なのです。」 

上記発言は不真面目に言っているのではない。おお真面目に人類の将来を予測して言っているのである。それは、これまでの世界のリーダーであった勢力が、これら目覚めた人類を代表する100万人を支配することは非常に難しということである。元の動画を現在でもみることも出来る。 https://mizu888.at.webry.info/201310/article_146.html

この動画で紹介されている、Strategic Vision という著書には、多分この発言と関係したことが書かれているのだろう。この100万人は、当然一つの勢力ではあり得ず、別々の利益を代表していると考えられるので、世界は混乱の時代に入るしかない。ブレジンスキーは多分、そのように言いたいのだろう。この本は2012年に出版された。5年後の2017年に死亡しているので、余命いくばくもないことをしりつつ、上記発言をしたのなら、一層重みを感じる。

これら二つの発言を一緒に聞いたとしたら、その意味はもっと明確になる。「この100年間に世界の支配者となったユダヤ系勢力も、最早政治に目覚めた人たちを支配することは不可能である。大衆の群れとなった世界は、今後混乱の時代に入るだろう。」旧約聖書の時代の話には、異教徒や、羊の群れという言葉がよく出てくる。それらの話を思い出すと、「殺す方が簡単だ」という発言は、それほど特別ではなくスムースに耳に入るだろう。

ブレジンスキーの話の中で、世界的勢力として出てくるのは、ロシア、中国、ヨーロッパ諸国などである。日本は「ひ弱な花」だから、言及の必要はないだろう。それに、「世界は政治的に目覚めている」とは言うものの、日本は例外である。朝日や毎日は、必ずしもブレジンスキーの方向とも言えないが、未だにしっかり日本の人の目や耳を塞いでいるのだから。

橋下徹氏の考え: https://www.youtube.com/watch?v=ETfxKDLVaCU

2018年10月28日日曜日

「自己責任論」を封圧する朝日と毎日 : 恐ろしい左翼系メディアの日本崩壊工作?

1)政府は、海外であれ国内であれ、国民保護に一定の尽力をするのは当然である。ただし、それは一定の範囲内、且つ、公平でなくてはならない。シリアで拘束され、今回解放された安田さんの件で、“自己責任論”を主張する人で、それを否定している人は皆無だろう。範囲があるのは、有限の資源・資金しか国は持たないからである。

国家の命令で行った行為の責任は、国家がとる。その最終的な形は、国家賠償である。戦死した兵士に軍人恩給がでること、勤務中にその業務が原因で死亡した国家公務員に出される賠償も、それが国家の責任においてなされた業務の結果なので当然である。(補足1)それ以外の国民の行為は、すべて自己責任で行われる。それについては、昨日ブログ記事として書いた。

安田さんのシリアでの取材も、アルジェリアにおいてプラント建設に従事した日揮の関係者の活動も、同様である。日揮の関係者10名は殺されたが、安田さんは生きて帰国できたのは幸運だった。https://sanpoturedure.blog.so-net.ne.jp/2013-01-25-9

日揮の方々は、当然自己責任の原則でアルジェリアに入っている。今回のケースで一点異なるのは、政府が退避勧告を出していた地域に、安田さんはその勧告を無視して入ったことである。従って、政府の通常の業務としての邦人保護活動の対象になるのかどうかさえ疑わしい。しかし、同じ日本国民として見過ごすわけにはいかないというのが、おおかたの意見だろう。ただ、テロリストに対して数億円の国民の税金を支払った上での解放だったとしたら、スキャンダルの一つになり得る。

  2)安田さんの開放について、政府はおそらくかなりの金銭的負担をするだろう。カタールが身代金として支払った3億円を、後々何らかの形で日本政府が支払う筈だからである。日本で自己責任論を巡って騒ぎが大きくなれば、政府はカタールと改めてその秘匿の交渉をする可能性があるが、もしそれがなければ、内閣官房機密費など隠れた予算が使われる可能性が高いと思う。

それは元毎日新聞記者の著名人であり、その配偶者の助命嘆願の様子もテレビで報道されていたことと関係しただろう。一般の無名の人間が海外で同じ様な目にあったとしても、そのようなことはしてくれないだろう。そのような裏があったとしても、それは政府を形成する政治家の判断であり、安田さん自身とその家族の方々は、この件で負担に思う必要など一切ない。

一般人の中には、そのような裏の可能性を敏感に察知している人も多いと思う。そのため、安田さんの拘束は、自己責任で退避勧告の出た地域に出かけた結果であり、自己で責任を負うべきだという意見がネット上で多く出された。多くは個人的且つ無名の声である。それに対して、大手メディアが介在する形での有名人の反論が、まるで消防士の火消しのようにネット上に出されている。毎日新聞などが、有名人のナイーブな反論を掲載するのは、その反論の最終的な責任を彼らに押し付けるためである。

その報道パターンから、左翼の言論封圧を想像する。この国の異常にレベルの低い言論空間は、言論弾圧などの事態に容易に進むことを示しており、一種の恐怖を感じる。例えば毎日新聞は(ヤフーニュース:毎日新聞10/27、21:19配信)、そのプロパガンダをアルピニストの野口健さんのツイッターを利用して行っている。

「邦人保護は国にとっての責務。事が起きてしまえば『自己責任だから』では片付けられない」「使命感あふれるジャーナリストや報道カメラマンの存在は社会にとって極めて重要」など。(補足2) https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181027-00000073-mai-soci

しかし、毎日新聞は社説「シリアで拘束の安田さん:先ずは無事な解放を喜ぶ」の中で、以下のように書いているようだ。以下の動画中に表示された記事から、その社説の一部を再録する。https://www.youtube.com/watch?v=MPjiv3P6Jew

政府が「退避勧告」を出しているような危険地帯での取材には周到な準備が必要だ。危険を察知する状況判断も重要になる。安田さんが海外で武装勢力に拘束されたのは2004年のイラクに続いて二回目だ。最初の開放時には自己責任を追求する意見もあった。安田さんはトルコで謝意を示す生命を発表した。映像を見る限りしっかりした口調だ。邦人保護や戦場巣材で共有すべき教訓はないか。帰国後、是非話してほしい。

新聞社としての公式見解として、“最初の開放時には自己責任を追求する意見もあった”という表現で、日和見的に自己責任論を述べているのである。公式にはまともな見解を社説として出しながら、著名人の意見を使って大衆の中のまともな意見を封圧し、その他の大衆を愚かなる方向に導いているのである。

朝日新聞のこの件での大衆誘導としては、10月24日の「羽島慎一モーニングショー」でのテレビ朝日の玉川徹氏の意見や、gooニュース7月12日21:30配信の記事中の石川智也氏の意見を、一昨日のブログで紹介し批判した。

補足: 補足1)テレビ朝日の玉川徹氏の、10月24日の「羽島慎一モーニングショー」での発言は、軍人が捕虜になった場合の責任と今回のケースでの責任を同一視している。

補足2)”企業戦士”たちも、それから社会で活躍するその他全てのひとも、社会にとって重要な部分を背負っている。そのような意見を言うのなら、「職業に貴賎なし」と別のところで言うべきではない。

2018年10月27日土曜日

海外での邦人保護についての私の考え

昨日のブログに、安田純平氏の拉致被害について議論した。そこで、以下のように書いた。

「退避勧告が出された地域に取材に入ったので、拉致被害にあったことの責任は自分にある。ただ、個人の自由として退避勧告が出た地域に取材に入る権利は存在する。その権利まで否定するニュアンス(補足1)で自己責任という言葉を使っているのなら、それは間違いである。」

上記表現には多少誤解を招く部分があるので、もう少し書き足したい。一般論として、言うまでもなく、外国は日本の法令の適用外地域である。従って、外国に入国した後の旅行者の権利義務は、その国の法令によって決められる。

外国にいる日本国の外交官の仕事も、日本国民の生命保護などの為にするべきことが規定されているだろうが、保障までは不可能である。外国政府には、パスポートに書いてあるように、政府が設定した関門を、障害なく通過できるように配慮してもらうのが関の山である。つまり、外国での滞在は、最終的に自己責任でしなければならない。

今朝の読売系のテレビ放送「ウエイク」で橋本五郎解説員が、「日本政府はどの様な手段でも駆使して、邦人の保護をしなければならない」と言っていた。私は、この方は何もしらないか、大嘘付きだと思う。そんなに親切にはしてくれないのが普通である。(補足2)

更に、日本国内でも命の保障を含めて、基本的人権を享受する権利を示した条文は、日本国憲法第3章以外にはないと思う。(補足3)しかし、それは国家権力が、基本的人権の享受を妨げないという意味であって、一般国民の間のトラブルや天然災害を対象にしたものではない。(補足4)

国家は、発生した人権侵害の排除、捜査、侵害者の処罰はするだろうが、人権侵害を防止できなかったことの責任は取らないだろう。ある人に対する人権侵害を完全に予防するためには、その他の人間の自由を束縛することになるからである。

補足:

1)「人騒がせな」という非難や、「お騒がせして申し訳ありませんでした」という謝罪は、この自由と矛盾する。

2)私の経験(1987年)を書く。ソ連のノボシビルスクでの学会に参加するために、モスクワで迎えを待ったのだが、夜が近づいて来るのに迎えが来なくて困った時、大使館に連絡した。そのとき「あなたのパスポートは何色ですか?」と問われた。「赤色です」と答えたところ、「公用パスポートではないので、コチラとしては何ともできません」と撥ね付けられたことがあった。

3)憲法第11条:国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。憲法に記載がなくとも、自然権として基本的人権は当然存在すると考える場合も多い。

4)刑法第199条に「人を殺したるものは、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する」とあるが、それは罪人を罰する法律であり、人の命の保障を示した法律ではない。更に、人を殺すことは悪であるという道徳を示したものでも、更に、人を殺してはならないという宗教的指示でもない。単に、裁判官に対する指示である。

2018年10月26日金曜日

安田純平氏のシリア取材に関する自己責任論

カメラマンの安田純平さんが、シリアでイスラム過激派に拘束されてから3年以上経過し、今月になって解放され帰国した。安田氏は、政府から退避勧告が出されていた地域に、勧告を無視して取材に潜入し、過激派に拘束された。このことを根拠に、拉致被害は自己責任であるという説がネット上に多く出された。また、それに「反論する主張」も多く出されたようだ。それらが噛み合った議論になっていないようなので、ここで考える。(補足1)

1)退避勧告が出された地域に取材に入ったので、拉致被害にあったことの責任は自分にある。ただ、個人の自由として退避勧告が出た地域に取材に入る権利は存在する。その権利まで否定しているニュアンスで自己責任という言葉を使っているのなら、それは間違いである。

先ず、”自己責任論”に反対する意見を少し拾ってみたい。テレビ朝日の玉川徹氏は、10月24日の「羽島慎一モーニングショー」で、紛争地帯に飛び込むフリージャーナリストの役割の大きさを力説。安田さんを「英雄として迎えないでどうするんですか」と主張した。

更に、「そもそも、ジャーナリストは何のためにいるんだ。民主主義を守るためにいるんですよ」と力説した。また、「たとえて言えば、兵士は国を守るために命を懸けます。その兵士が外国で拘束され、捕虜になった場合、解放されて国に戻ってきた時は『英雄』として扱われますよね。同じことです」と主張する。 https://news.nifty.com/article/domestic/society/12144-111222/

勇気ある行動でプロとしての仕事に従事したことは、賞賛に値するだろう。ただし、過激派に拉致されたことは失敗だったことも、明白な事実である。その失敗に、日本政府を自分の意思で巻き込んだとしたら、それは賞賛を大きく減少させるだろう。 このケースは、捕虜から解放された兵士のケースとは全くことなる。特に戦前の徴兵された兵士は、国家権力に従って、国家の為に命をかけて働かされたのである。今回のケースは国家のために働いたのではない。安田氏に敬意を示すとした場合、それは私的な取材活動において示した、プロ意識と勇気に対する敬意である。取材活動は社会の機能の一部を果たす重要な役割だが、そのような重要な役割は立派に働いている社会構成員の全てがそれぞれの分野で担っている。

「そもそも、ジャーナリストは民主主義を守るためにいるのだ」というのは、「ジャーナリストは」と助詞の「は」を用いる限り、思い上がった言葉である。上記のように、商社マンであれ、警察員であれ、医師であれ、会社の研究開発員であれ、学校の教師であれ、全ての職業人は、この国に異なった分野でこの国の繁栄と安全維持のために働いているのだ。(補足2)

2)更に、gooニュース7月12日21:30配信の記事に、朝日新聞記者の石川智也氏の意見が掲載されている。その記事の中での石川氏の意見を下に再録する。

石川:アメリカやイギリスのジャーナリストに聞いても、安田さんのような行動を称賛する声はあっても、迷惑をかけたなんて声が大勢を占めることはないと言うんですよね。後藤健二さんがISに殺害された当時、アメリカのオバマ大統領(当時)は「勇敢に取材してシリアの人々の苦境を外の世界に伝えようとした」と声明で称えました。(補足3)

一方で、日本は自民党の副総裁が「どんな使命感があっても蛮勇だ」と言ったり、2004年にイラクで高遠菜穂子さんたち3人が拘束された際にも、現都知事が「危ないところにあえて行ったのは、自分自身の責任だ」と言っています。政治家がこういう言葉を流布させてメディアが乗ってしまい、拘束された本人ばかりか家族や関係者に批判が行くことは極めて日本的だなと思います。 https://news.goo.ne.jp/article/jwave/entertainment/jwave-165226.html

この意見も、事の経緯と分析を全くしないで、訳のわからない批判をしている。

オバマ大統領(当時)は、後藤健二氏の勇気ある取材活動を讃えたのは当たり前である。後藤健二氏の家族以外は、後藤氏の批判などしていない筈である。拉致されたのは明らかに後藤氏にとっては失敗であった。その失敗は自分の命を失うことに繋がったが、誰にも負担をかけていない。自己責任で紛争地に取材に出かけたのは、勇気ある行動である。それを賞賛するのは、当たり前である。(補足4)

3)ジャーナリズムは近代国家において第四の権力と言われる報道の一角を担う重要な仕事である。取材活動はその中のデータ収集という基本的で重要な役割である。ただ、上述のように、社会の機能を分担する重要な役割は、立派に働いている社会構成員の全てが担っている。そしてそれらは、民間ベースで行われることであり、公的活動ではない。その意味では、安田氏らの取材活動は、他国の領海近くに遠洋漁業で出かけた漁船員と似ている。その国に領海侵犯で拿捕されたとしても、法に定められた手続きにより召喚を求めるだけであり、政府に取り返す責任はない。

繰り返すが、退避勧告を無視して私的判断で潜入した以上、政府に身辺警備をする責任はない。また、誘拐されたとしても政府には最終的に救出する責任はない。その政府の本来の活動範囲で、救出が可能となった時のみ救出されるのである。この点は、北朝鮮に拉致された人たちとは根本的に違う。北朝鮮による日本国内での拉致被害は、日本政府の責任である。北朝鮮を非難するが、日本政府を批判する声がほとんどないのは不思議である。

過激派に殺された湯川遥菜氏と後藤健二氏は、自己責任でジャーナリストとしての仕事に身を捧げた。それは賞賛されることはあっても非難することなど論外である。同じように安田氏の取材行為も賞賛されるべきである。ただし、それは自己責任の下で行われた行為であるとした場合である。

初めから、避難勧告地域にその勧告を無視して出かけ、拘束されたのは自己責任の範囲である。そして、政府が法に定められた範囲の行政および外交活動として、自国民である被拘束者を救うべく行動することも、また当然である。

今回のケースは、数億円の身代金がカタールから出されたと一部で報道された。国際政治に利用された可能性があると、AERAdotの記事は書いている。 https://dot.asahi.com/dot/2018102400082.html?page=1

もしそうなら、そして、そのカタールの行為により、日本政府の外交まで今後歪められるとしたら、安田氏の件が政治に与えた影響はかなり大きい。そのように安田氏が自己の判断で誘導したのなら、非難されても当然である。(補足5)ただし、日本政府が民意に迎合すべく、多額の税金を使って安田氏の救済に動いたとしたら、それで非難されるべきなのは、日本政府である。

補足:

1)後藤健二氏がイスラム国に拘束された事件、安倍総理は後藤氏に渡航中止を3回求めていたことを明かしたという。それにも関わらず、世耕官房副長官は「我々は自己責任論には立たない」と言ったと、以下のサイトに「自己責任の罠」という表題で紹介されている。私にはこの世耕氏の言葉の意味が理解できない。単に二世議員の政治屋的発言だろう。この件は深い意味があれば後で、議論の対象にしたい。https://www.excite.co.jp/News/society_g/20150205/Litera_843.html

2)ジャーナリズムも社会の中に存在する多くの私的活動の一つである。特別に扱うべきだとする理由はない。「ジャーナリストは民主主義を守るためにいる」という、思い上がった態度は批判されるべきである。 それは、「目や耳が、情報を集めるから人を守るのだと言って、腎臓や肝臓をバカにする」ようなものだ。

3)自己責任で、社会を支える重要な仕事に果敢に向かった点は、高く評価されるべきである。しかし、拉致されあとの解放が、国際政治や国内政治に影響をかなり与えたとすれば、その部分はプロとして失敗だったと思う。その政治への影響が、良い方向に働く可能性もあるが、それはこの場合問題ではない。

4)政府が退避勧告を出したとしても、自己責任でそこに出向く自由がある。それを批判するとしたら、個人主義という西欧の法体系で作られている日本の制度を知らないことになる。

5)安田氏が助命嘆願を政府に自己判断で求めたとすれば、それは自己責任の原則を破ったことになる。その部分は、非難させても仕方がないだろう。