日本は敗戦から78年目の8月を迎えた。7月9日は長崎に原爆が投下(補足1)され、皇居では深夜御前会議が開かれた。(ウィキペディアには、7月10日午前0時3分開始とある)そこでの会議の様子を紹介した動画が、百田尚樹さんにより提供されている。
この御前会議の参加者は、昭和天皇を筆頭に、陸軍参謀総長、海軍軍令部総長、陸軍大臣、海軍大臣、外務大臣、枢密院議長、総理大臣(司会)である。その他、随伴者として書記官長などが居た。ポツダム宣言を受諾すべきかどうかの決定を行う会議である。
ポツダム宣言受諾は最終的には8月14日の全閣僚が出席する御前会議で決定されるのだが、その内案を作り上げるためである。(補足2)議論の詳細は紹介されていないが、受諾賛成が外務大臣、海軍大臣、枢密院議長の3名、反対が陸軍大臣、陸軍参謀総長、海軍軍令部総長の3名であった。
その二時間程の会議中、昭和天皇は一切口を挟まなかったので、その対立は全く収まる気配がなかった。そこで、司会役の鈴木貫太郎内閣総理大臣の判断により、天皇の「聖断」を仰ぐことになった。
天皇が会議において一切口を挟まなかった理由を、百田尚樹氏は「天皇が会議に口を挟めば、立憲君主制の国体が崩れて、絶対君主制になってしまうと昭和天皇は考えられていた」と 解説している。
しかし、この解説はちょっとおかしい。大日本帝国憲法第一条には、天皇が統治すると明確に書かれている。この会議は天皇が決定するために軍と外交の責任者に意見を聞くために開催された。会議出席者の意見が大日本帝国憲法の記述する輔弼行為であり、それを受けて、天皇が憲法の規定通りにポツダム宣言受諾を決定したのである。
昭和天皇が会議において議論に参加しなかったのは、その強い影響が参加者の意見を歪めてしまう危険性を考えたからである。
個人が十分に独立した人格を持ち、発言と行動の自由が保障されなければ、政治権力は集中する。明治当初は、天皇の地位もそれほど高くなかったのだが、昭和の大日本帝国では実質的に絶対君主のように高くなっていたのだろう。
その実質絶対君主が無理やり立憲君主制の利点を生かすため(所轄大臣の輔弼を意味ある形にするため)に、天皇は会議での議論に参加しなかったのである。(#)
この会議が終わるころ、参加者全員が涙を流すか、或いは号泣したと百田さんは話す。その解説を聞きながら、日本人の本質がわかったように感じた。その性質は、実はほとんど全ての人間が持っているのだが、日本人において非常に顕著なのだ。
つまり:人間は本質的に家畜である。犬や猫のような愛玩的家畜となって、個人の枠の中だけで自由に振る舞いたい。その方が楽だからだ。その時本会議の参加者たちの全面を支配したのが、その人間の一側面である。その涙が、その瞬間だけだろうが、彼らの重い責任を流してくれたのだ。
日本人の殆どの人たちは、天皇の家畜となり、天皇に愛されたい。そして、天皇に神のような力があれば、日本国民すべての生活と将来は保障されるだろう。昭和天皇は見事にその役を引き受けたのだろう。
補足:
1)日本が降伏しない場合、米国はその次の原爆を用意していた。年内に恐らく2-3発投下されただろう。3発目の原爆はどこに落とされる予定だったのか【東京、新潟、皇居】 - YouTube
2)天皇が考えをまとめるために開いたのが8月9日~8月10日御前会議であり、それを告知したのが8月14日の御前会議だろう。全閣僚がオープンに議論して、その結果を参考にして天皇が決断するという会議の在り方に程遠い。
(編集 9:10; 8月11日早朝、#までの2つの節を編集;8月19日7時、本文最後の方に青地で“日本人において非常に顕著なのだ”を追加し、あと一カ所微修正)
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