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人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2016年12月9日金曜日

日本国憲法とお経について:日本語の欠陥に関連して

1)日本語は、論理的な議論に向かない言葉である。その論理展開の不自由さを埋め合わせるように日本語に生じたのが、言葉に予め価値や意思などを含ませることである。つまり、単語一つで意思、感情、そして情報の伝達をある程度行うのである。例えば、一人称主格は英語ではI(私)だが、日本語では私の他に、俺、僕、拙者、小生、我、我輩など10数個の単語がある。その中から一つを選択した段階で、元々の意味の他に背景や感情などを伝達するのである。

単語に価値とか善悪を暗に含ませることは、日常会話でも普通に行っている。もちろん、善や悪の様に価値の尺度を直接示す言葉は英語でも何語でも存在するが、そういうことではない。例えば、「女」という単語には悪を、「女性」という単語には善悪とは無関係という価値(辞書にない共通の感覚)を植え付けているのである。

それは、NHKニュース等でよく聞く以下の文章を見ればわかる。「昨日、50歳の女が隣家に押し入り、65の女性を暴行し、全治3ヶ月の怪我を負わしました」の文章で、“女”という単語と“女性”という単語は、入れ替えることはできない。何故なら、上記のように女は悪い方に使うと決まっているからである。女という単語を使って、女性の意味を表すには「女の人」と人をつける。「人」は一般に善良なる社会人を意味するからである。従って、「人でなし」は悪い人であり、善良なる性質を失った人のことである。

辞書に記述されない価値や善悪などの意味を言葉(単語や文章)に含ませるのは、日本語に独特だと思う。この言葉の使い方は、論理展開なしに情報伝達が行えるので意思伝達の効率を上げることになる。なぜなら、「あの女」で始まる言葉を聞く人は、話手がこれからその女の人を非難することが予め解るからである。

2)この便利さは同時に危険性でもある。つまり、一旦社会に受け入れられた言葉に、人々は金縛り状態に陥ることが往往にしてあるからである。例えば現在の日本国憲法を考えてみる。用いられた単語とそれによる文章に付随した絶対的価値のため、憲法前文や9条第一項を変更することは、日本国民にはできないのである。

前文の2節目の最初の文章は、美しい単語、「平和」、「崇高」、「理想」、「公正」、「信義」などで飾られている。それらは議論を通して定められたルールではなく、ただ拝むだけの対象でしかない。憲法9条第一項も同様に、読経のように唱えるのには美しいが、論理は滅茶苦茶である。(補足1)

もう一つの日常的な例をあげる。11月中旬になるが、帰省して父親の法事に参加した。そこで何時ものように坊主は仏壇の前で経を読む。般若心経から始まり、その他に二つ念入りに読むのだが、参加者は全てその意味を知ることはない。ただ仏壇に向かって座り、こうべ(首)を垂れているだけである。頭の中では、それぞれが全く別のことを考えているに違いない。

このように、文章を聴きながらその意味を考えずに拝む習慣は、議論や討論の習慣とは同居しない。その結果、日本人に出来る議論に似た行為は、口論と喧嘩だけになってしまったのではないだろうか。

経でも憲法でも、その言葉の意味ではなく、その言葉自体が有難いのである。それを象徴する出来事として、玉音放送がある。大日本帝国(補足2)が、天皇の決断により連合国側の示した降伏の条件(ポツダム宣言)を受け入れることになった時、天皇陛下の言葉が全国放送された。多くの国民はその意味がわからなかったが、土下座して有難い天皇陛下の言葉を聞いたのである。(補足3)

3)その日本語の特徴を巧みに利用する連中が永田町にも大勢いる。強行採決という言葉がよく新聞にも掲載されるが、それを与党の横暴であると考えている人も多いだろう。しかし、「民主主義」を標榜する国家なのだから、一定の議論の後、議長の判断で採決するのは「強行」ではない。「強行採決」は「強行」という悪い意味を「採決」にかぶせることで、選挙民にあたかも与党の法案採決をまるでゴリ押しであるかの様な印象を与えるために、野党の誰かが発明したのだ。(補足4)

「陰謀論」或いは「陰謀」もそのような類の言葉である。これらの言葉にも強い負の価値が付随している。そこで、ある二つの勢力間に政治的企みがあった時、どちらかの企みに対して「陰謀」という烙印を押すことに片方が成功すれば、そこで差し当たり勝負は決する。陰謀は悪だから支持を失うからである。

例えば、ウクライナのクーデターとその後起こったクリミアの独立とロシアへの併合が国際的な問題になった時、米国がヤヌコビッチ大統領を倒すべく陰で動いたとの指摘を、日本の評論家や政治家は陰謀論の烙印を押すことで封印した。そして、米国に追従し他のG7諸国と歩調を合わせてロシア制裁に動いた。(補足5)

日本では、テレビで活躍の対米追従型の元外交官の方々が、その封印作業に大きな役割をしたと思う。その陰謀論と烙印を押された意見は、例えば馬淵睦夫氏らによりyoutubeなどで紹介されるのみで、一般のテレビ放送や新聞の報道には決して登場しなかった。

つまり、陰謀論という烙印は真実に目を向けさせないための道具として屡々用いられる。日本ではそれが極めて有効であり、米国のマスコミに話題に上ることでも、日本のマスコミには決して現れないケースが多々ある。今回の米国大統領選でトランプ氏が勝利したが、新しい体制になればロシアとの関係が見直され、上記の件も陰謀論の烙印が剥がされるだろう。

かなり以前から、アポロ宇宙船が本当に月着陸を果たし、船員が月の地面を踏んだのだろうかと言う疑惑がある。「アポロ宇宙船により人間を月に送ったという話は、米国の壮大な捏造である」との疑惑についてのyoutube動画に私もコメントをした。

そこでも、「米国の捏造ではないか?」という議論は陰謀論に分類され、日本では忌み嫌われている。NHKはその説に陰謀論の烙印を押すことに協力する内容の放送を、非常に粗雑な実験と論理で行った。すでに書いた様に、私は月の地面の残されたと言うくっきりとした靴跡と、アポロ13号乗組員が機械船の爆発事故の後、月着陸船に乗って無事帰還したことの両方に疑問を持ち、現在捏造疑惑の方を支持している。

元々善悪の衣を着た言葉の他に、凄惨な出来事を経験した人たちに悪の衣を着せられた言葉がある。例えば、「原子力」と「核」である。広島と長崎で原爆が投下されたことにより、一般市民はこれらの言葉に強い負の意味を感じることになった。前にも書いたが、論理的思考に慣れない人々は、まるで原爆が無差別殺人の犯人のような感覚から離れられないのである。それを利用して、ノーベル賞をもらった人がいる。(補足6)

(18:30加筆編集)

補足

1)9条第一項は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」である。希求すれば実現するので、武力の行使は不要である。万が一希求したにもかかわらず実現しなければ、我が民族の希求に誠実さが伴わなかったことを意味する。その場合、我が民族は滅んでも仕方あるまい。

2)自国の名に大をつけるところから、この国の言葉はどこか変である。

3)朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク 朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ 抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所 曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス 日常語と全く異なる言葉で、ポツダム宣言受諾と日本が戦争に至った理由を話された。しかし、その意味が理解できなかった人が多かったというのも分かる。http://news.livedoor.com/article/detail/10471284/

4)日本の主たる野党は、マッカーサーにより反日政党として育てられたという見方が存在する。

5)元外交官の馬淵睦夫氏や外交評論家の田中宇氏らは早くから米国の介入を紹介していた。最近、オバマ大統領がそれを認めたということが、以下のサイトに述べられていようだ。 https://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2015_02_03/282671141/

6)核兵器が大量無差別殺人をしたので、核兵器が憎い。そこで、「核兵器は持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則を堅持すると言って、人気を得てノーベル平和賞に輝いた人がいた。しかし、「核兵器を日本に打ち込ませず」の言葉はないし、その言葉はむしろ上記三原則と対立する。あの方は、日本人の言語感覚をよく知っていて、それを用いて自分の地位を築き、結果として日本民族を裏切った卑怯者である。

2016年12月6日火曜日

安倍総理の真珠湾訪問を支持する

1)安倍総理は、12月26,27日に真珠湾攻撃の犠牲者を慰霊する式典に、日本の総理大臣で初めて出席することになった。これは新しい時代には、歴史に区切りをつけて新しい外交をおこなうという知恵を、改めて世界に示す(補足1)ことになると思う。

真珠湾攻撃についてはいろんな歴史的解析が存在するが、それは歴史学の問題であり、現在の政治の問題にしてはならないと思う。米国には奇襲攻撃されたという言い分があり、日本には、米国の制裁に耐えかねて先制攻撃をせざるを得なかったとか、米国は無線を傍受して正確に日本の攻撃を予め知っていたとか、の歴史家の分析がある。しかし、それは講和条約という形で、互いに乗り越えた筈の過去である。

今回の安倍総理の知恵ある決断は現実的なものであり、理想主義的な勢力(原理主義者)からは非難を受ける可能性がある。理想主義者というのは、人間の知恵や能力の限界とか複雑な世界の中に生きている現実などを十分考慮せず、言語に用意された論理とそれによる思考で”正しい方法”を導き出せば、全て解決できる筈であるし、されねばならないと信仰する勢力である。

日中国交回復の際に、周恩来が田中角栄に贈った色紙の文章は、「言必信、行必果、脛脛然小人也」(論語、子路編)の最初の6文字であった。この由来から、周恩来は日本をそして田中角栄の外交をどう見ていたかが理解できると以前のブログで書いた。それは、鬼塚英昭という人の書いた「田中角栄こそが対中国売国者である」(成甲書房、2016/3)という本から学んだこと(あるいは受け売り)である。

上記子路編の言葉は、孟子の中の文章「孟子曰、大人者言不必信、行不必果、惟義所在」という言葉と対をなしている。その訳は、「大人(たいじん)は言うことを必ずしも実行しない。またやっている事業を必ずしも貫徹しない。ただ、義のあるところに従ってなすだけである」である。 http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42762695.html(今年4月24日のブログ)

安倍総理は、日本国民に対する義を果たすことが大人(たいじん)のなすべきことであり、それは現在と未来の日本の国民に、安全と繁栄をもたらすことであると思っておられる筈である。一旦政治的に乗り越えた筈の歴史に、政治の舞台で拘泥するのは愚かである。今我々のもつ歴史書は真実を抽出して体系化したものであると、信頼を置くのは士(学者)のやることであり、大人のすることではない。

2)トランプ氏が次期大統領になって、日露交渉におけるロシアのプーチン大統領の態度が急変した。そのことについては、ウリュカエフ大臣の逮捕のニュースの翌日にブログに書いた。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43056082.html

その後、徐々に日露の交渉が暗礁に乗り上げる可能性が高いとか、二島返還も実現しないだろうという分析がなされるようになった。こちらの方は歴史を乗り越えていないので、過去の歴史を振り返り日本の言い分を交渉に反映させるべきだと思う。

この件、日本の世論を引っ張っている新聞などは、二島とか四島とかいう問題をあまりにも重視しすぎである。これは、大国である米国、中国、ロシアの三国の間に挟まれて、非核保有国である日本の将来の生きる空間を如何に確保するかを、第一に考えて交渉に臨むべきことなのである。日露問題は、日中問題であり、日米問題でもあるのだ。

政府筋は否定するのが当然であるが、今回の安倍総理の真珠湾での慰霊祭への参加決断は、この日露交渉の難航を予想したことも一つの大きな動機だと思う。また、次期大統領のトランプ氏と会談を早々と行うなど、オバマ大統領にとっては決して愉快なことではなかった筈である。その気持ちを払拭する意味や、オバマ大統領の広島訪問に対する返礼の意味も込めて、もうすぐ退任されるオバマ大統領への表敬が最大の動機だと思う。非常に優れた決断だと思う。

補足:
1)書くまでもないが、過去の歴史を歪曲した上で、対日本外交に利用している韓国、朝鮮、中国に対して、”歴史と正しく向き合うこと”とはどういうことかを教えることになると思う。

2016年12月3日土曜日

歌謡曲の詩と日本に残る封建的精神

1)今朝の阿川佐和子さんのトーク番組のゲストは梅沢富美男さんだった。そこで、梅沢さんの好きな曲として紹介されたのが、小椋佳の作詞作曲の「少しは私に愛を下さい」だった。https://www.youtube.com/watch?v=p5vsCdyaIII その歌(詩)が興味深く、ここで私の感想とともに紹介したい。

少しは私に愛をください。全てをあなたに捧げた私だもの。
一度も咲かずに散ってゆきそうなバラが鏡に写っているわ。少しは私に愛をください。
たまには手紙を書いてください。いつでもあなたを想う私だもの。
あなたの心のほんの片隅に私の名前を残して欲しいの。たまには手紙を書いてください。
みぞれの捨て犬、抱いて育てた優しいあなたを、想い出しているの。
少しは私に愛をください。

上記youtubeのサイトでは、小椋佳のほかに来生たかおと井上陽水が歌っている。女性が独立した人格を持たないほどの男女の従属関係を悲しく歌っている。この歌だけでなく、同種の歌詞は人気ある歌謡曲として多く存在している。例えば、都はるみの歌ったヒット曲「北の宿から」でも、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」でも、心が移った男性と従順にもそのあとを追う女の心が歌われている。そのような関係に対して両性に一定の理解がなければ、この歌詞は人気の出る歌として成立しない。女性が心底嫌うのなら、これらの曲はヒット曲とはならなかっただろう。(補足1)

2)ブレジンスキーの本に「ひ弱な花」がある。その中で、日本に残る封建的人間関係を論じている。そして、仕事場での人間関係を見て「既成の権威に対する服従がかなり徹底しており、高度な階層的秩序が広く容認されている」と指摘している。外国人には特徴的に見えることでも、当の日本人には普通にしか見えないので、未だにその慣習というか文化に変化はない。

非常に極端な人間関係を歌った上記のいくつかの詩を、伝統的権威に対する従順な日本人の姿を描いていると見るのはおそらく正しいだろう。上記の歌は、それを男女間のものとして歌ったものであるが、その精神は主従の関係にどっぷりと浸かる日本的人間関係のものである。

一例として、非常に閉鎖的な日本の労働市場を考えて見る。その根本に、「忠臣は二君に仕えず」という封建思想の変形された集団心理が存在していると考える。そして、学校(大学)を卒業後に入社した学生は、終身雇用の制度によって、会社との間に擬似的な主従関係を築くのである。その労使の関係が崩れつつあるが、依然としてそれ以外の労使関係としては、最も原始的なものしか存在しない。

このような労使関係での賃金は、成果とその報酬という関係で決まらない。その代わり、労働者は年齢とともに変化する生活経費を雇用者から受けるのである。つまり、年功序列とは主従関係の賃金体系であり、決して近代的な労使関係のそれではない。

補足:
1)女性が心底嫌うのなら、男性もそのような関係は好ましくないと考えるはずである。一般に男女の関係は、グループが生き残るプロセスの中で、仕事の分担と同時にできたと考えられる。たんなる好き嫌いの問題ではなかった筈である。

2016年12月1日木曜日

北朝鮮に対する国連安保理の制裁決議について

ニュースによると、北朝鮮の5回目の核実験を受け、国連安全保障理事会は30日午前(日本時間同日深夜)、6度目となる新たな制裁決議案を全会一致で採択した。この制裁は、北朝鮮の主要な外貨収入源である石炭輸出に上限を設定した内容で、疲弊する北朝鮮経済に打撃となると考えられている。そのほか、鉱物資源の禁輸や、船舶などの北朝鮮への輸出禁止、金融制裁、などを強化する内容である。

読売新聞によると、米国は中国に対して制裁の強化を呼びかけ、決議案を日本や韓国と協議の上で書いたという。両国とも、米国のいいなりにしか行動できないのが情けない。それが国際社会の掟なのだろうか?

この様な出口を塞いで制裁強化する姿勢では、北朝鮮の暴発を催促するようなものであると思う。米国は、北朝鮮を攻撃する口実として、日本の三沢あたりへ核ミサイルを打ち込むか、韓国に対する奇襲へと仕向けているのではと疑ってしまう。ベトナムのトンキン湾事件や日本による真珠湾攻撃と同じパターンである。 

もしそうなれば、その後、米国の核の傘の値段は暴騰し、日本や韓国から富の収奪ができる。米国の軍需産業の需要も増加して、景気浮揚の一つのエンジンになるのだろう。多少の人的被害は構わない。その大半が日本人や韓国人なら尚更だ。そんな考えが頭の片隅をよぎる。

何度も同じことを書くが、北朝鮮が一貫して要求してきたことは、現体制を認めることである。従って、朝鮮戦争を終結して米朝平和宣言の様な形で国家としての存在を認めれば、北朝鮮は核開発に向かわなかっただろう。それをせずに、制裁に次ぐ制裁で追い詰める手法は、75年前に日本国に対して行った冷酷な姿勢によく似ている。

このテーマでの最近の投稿: http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43008331.html