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人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2018年4月30日月曜日

朝鮮南北会談の実況中継をプロデュースしたのは誰か?

1)金曜日の朝鮮南北会談は、テレビの実況中継として世界に流された。その結果、今回の北朝鮮問題の中心は、北朝鮮の非核化というより、南北に分断された朝鮮民族の統一問題であるという印象を、世界中の人の心の中に植えつけた。民族の統一については、誰も異論を挟む余地がないので、北朝鮮の非核化の問題を比較的軽く見る環境ができたように思う。

実況テレビ中継で感動の場面として世界に流すというアイデアは、一体どこの誰から出たのだろうか。まるで、ドキュメンタリードラマのプロデューサーが背後に居るような感じである。私は、プロデューサーはアメリカであり、トランプ大統領だと思う。テレビの力を最もよく知って居るのは米国であり、中でもテレビ番組の人気司会者だったトランプである。

北朝鮮に4月初旬に渡って詳細な打ち合わせをしたのは、CIA長官のポンペイオであり、その人は現在の国務長官である。その時には、米朝会談の打ち合わせを行ったと報道されているが、そこで朝鮮南北会談とその役割についても詳細に打ち合わせたのではないだろうか。

今回の朝鮮南北会談では、今更話し合うことはあまりない。すでに盧武鉉と金正日の間でもなされているが、実行が伴わなかったのである。また、非核化の話は米国抜きで話しても意味がない。そこで、米朝会談をできるだけやり易い様に、その前座の役割を果たすべくプロデュースすることが、米朝韓3ヶ国の間で決められたのだろう。

何も知らないで、拉致問題を取り上げる様にトランプに頼みに米国に行った安倍総理は、まるでサーカスのピエロ役のように見える。何故なら、佐藤博志氏が言うように、拉致問題は日本政府が拉致被害者を北朝鮮から奪還することで解決すべき問題だからである。https://www.youtube.com/watch?v=okgi0XRx3to

非武装であれ何であれ、独立国を名乗る以上、自国民を拉致されたことは国家の恥である。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43635118.html 「返して下さい。お金は出しますから。」と拉致した国に頼むのは異常である。更に、第三国に「北朝鮮に、返す様頼んで下さい」と泣き言をいうのは、もはやお笑いの領域としか言いようがない。

日本外交は「拉致問題に拉致されている」と思う。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2018/04/blog-post_18.html

2)米朝会談の後の記者会見で、トランプ大統領により「朝鮮戦争の終結、平和条約の締結、それに北朝鮮の非核化」が、大成功というアナウンスとともに宣言されるような気がする。非核化の重要性は南北会談の演出により相対的に低く抑えられたので、北朝鮮には核兵器を隠すことが可能な査察制度が盛り込まれるか、或いはどこかに努力目標的な項目が入ると思う。兎に角、米朝会談は大成功を演出することが何よりも大事なのだから。(補足1)

統一朝鮮が、本当にできるかどうかは定かではない。遠分は連邦的な国家を唄いつつ、二つの独立国のまま進むだろう。トランプの米国は、韓半島から撤退するだろうから、この時がそのチャンスである。

韓国は、親中国の国として北朝鮮と仲の良い兄弟国として再出発を目指す。しかし、経済的に困窮することになり、国内で不満が鬱積することになる様な気がする。そこから韓国が、どの様に進むか分からないが、困難な時代に入る様な気がする。

トランプはオバマの8年間何もしなかったと、北朝鮮の核問題での無策を非難したが、自分のやることも、数年後には非難されることになる様な気がする。 以上、素人の推測です。

補足:
1)このような考えと全くことなる考え方を、元ウクライナ大使の馬渕睦夫氏が出しておられるので、引用しておく。https://www.youtube.com/watch?v=PPXdqIf48WM

2018年4月29日日曜日

北朝鮮がついに朝鮮戦争に勝利するという見方:素人の戯言

眠れぬままに、以下のような話を夢想してしまった。読まれる方は、素人の戯言と思って眉につばをつけてからにしてください。

1)現在の背景:

今朝のテレビ番組報道プライムサンデーで、評論家の武貞氏や中部大の細川氏らが、北朝鮮問題を三つの要素に分解して考察した。北朝鮮の非核化の問題、東アジアの緊張緩和の問題、それに朝鮮統一の問題である。それらは相互に関連していて、同時解決しか出来ない難問だというのが、その時の結論だったと思う。

ここで、細川氏が先日の朝鮮南北会談で、北朝鮮の非核化の問題をほとんど議論せずに残して、統一の問題を中心にしている様に見えるが、それはおかしいと指摘した。私は咄嗟に、それは米朝会談での合意を派手に大きくするためであり、朝鮮南北会談と米朝会談の両方が、米国、韓国、北朝鮮の三者で念入りに計画されているからだろうと思った。

トランプ大統領の米朝会談の成り行きに対する余裕のある姿勢は、それを示している。つまり、日本は何も知らないが、既に結論は出来上がっていると思う。その筋書きは、例えば次のようになると想像している。北朝鮮は完全で不可逆的な核兵器廃絶を行う、駐韓米軍はそれと協奏的に韓半島から撤退する、そして、朝鮮戦争の終結宣言と平和条約の締結を行う。

時期としては2年以内位にして、トランプ大統領の次期大統領戦での勝利を確実にする。査察は米軍が直接担当し、非常にずる賢く核兵器の一部を残した場合は、発見困難なレベルにする。米国は、査察で嘘をつかなくて済むし、北朝鮮(統一朝鮮)には、”諸外国から核兵器保持の疑いの目を持たれるタイプの核抑止力”が残る。イスラエルのレベルの非核化である。

2)今回の話し合いから朝鮮戦争が終結すると仮定したとき、その進行を例えば異星人が客観的且つ完全に観察したのなら、その概略を以下のように記述すると思う。

「朝鮮戦争の最終勝利のために北朝鮮が開発してきた一連の核兵器が完成した。そこで、韓国軍を含む国連軍側はその脅威に屈して、平和裡の北朝鮮側による朝鮮半島の統一に合意する模様である。」

勿論、朝鮮戦争で北朝鮮を潰すだけなら、米軍側の軍事力をもってすれば簡単だろう。しかし、韓国、日本、米軍とその家族などに多大の犠牲がでる。北朝鮮も多大の犠牲が出るだろうが、北朝鮮の命の値段は、独裁の発展途上国故、圧倒的に低い。

それを考慮に入れた場合、韓国と日本での損害の大きさが膨大となり、北朝鮮との核兵器を用いた戦闘再開は、米国および韓国側が不利となる。そこで米韓は、名誉ある白旗を揚げると考えるべきだろう。その膨大な賠償金を、韓国と何故か日本が、“経済援助”という名前で支払う。

日本が、北朝鮮の核問題という視点からだけこのケースを眺めているのであれば、それはトンチンカンな歴史認識である。馬渕睦夫元ウクライナ大使は、この問題を含めて東アジアの軍事的(&外交的)緊張は、米国に責任があると言っている。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42622974.html

米国は、朝鮮戦争の休戦協定で合意された、高いレベルでの和平会談を60年以上怠った。その米国に、朝鮮戦争をこれまで引っ張ってきたことと、その結果としての北朝鮮の核武装の責任がある。

文在寅大統領は、韓国にいるが北朝鮮の代表のような立場なのだろう。前回のブログでサジェストしたように、北朝鮮の核兵器は文在寅韓国大統領にとっては、米国を朝鮮半島から追い出すための道具であるとみなせるだろう。

また、統一後にも核兵器を温存し、対外抑止力に利用したいという考えをもっているだろう。その考えを隠しながら、文在寅は米韓首脳会談や日韓首脳会談を行なっているのだろう。トランプもそれでも良いと考えているのだろう。米国と何よりも自分に都合が良いのなら。

3)非常にゼロに近い確率で、危険な話だが、別の韓半島統一のシナリオもあり得ると思う。それは、トランプ大統領の方針に米国内での反対が強くなった場合、そしてそれにトランプが引っ張られ、北朝鮮攻撃を考えるケースである。

上に紹介の番組で、元自衛隊の佐藤正久氏から、在日米軍が北朝鮮攻撃を行うと言っても、その際に日本政府の同意が必要だろうという話があった。また、そのような時には、文在寅は米軍に半島から撤収する様に要求するだろう。その時点で、朝鮮半島は北朝鮮主導で統一されると思う。

そこでは、文在寅の奥の手は、金正恩を大統領にして自分は首相になるという手法である。ドイツのように実質的に行政に携わるのは首相であり、大統領は国家元首として、俯瞰的な立場をとる。

金正恩はスイスで近代国家を知っており、知恵も相当にある人だと思われる。そこで量子力学のトンネル効果のように、統一朝鮮をロシアに似た体制に移行させるのである。金正恩が大統領になることで、中国やロシアに安心感を与えることができる。

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2018年4月28日土曜日

南北首脳会談、今後の半島と東アジア

1)作日の南北朝鮮首脳会談は、北朝鮮の非核化について具体的に何も言及せず、期待はずれだった。

「核のない朝鮮半島の実現を共通目標にする」とか、「統一に向けた定期的な会談を開催する」などというセリフは、発表しない方がましなくらいである。何故なら、朝鮮半島の非核化を目標にするということは、現在北朝鮮が核保有国であることを南北首脳は前提としているからである。

非核化を世界にアピールするつもりなら、5年以内に廃絶するとか、最低でも具体的には米中等との会議で議論するとかいう言葉がなければならない。金正恩の朝鮮半島の非核化の論理は、オバマ大統領の核廃絶運動と同じ論理である。

安倍総理のコメントは、平和へ向かう宣言であるので一応評価し、「今回の会談、米朝首脳会談を通じ、北朝鮮が具体的な行動を取ることを強く期待している」と述べた。

中国の習近平は、中華圏が釜山まで拡大する話なので、無条件に評価するのは当然である。トランプ大統領の反応は一件だけ見つかったのだが、何も言っていないに等しい。

Donald Trump, who is due to meet Kim Jung-un in the coming weeks, hailed the end of the Korean war. “Good things are happening, but only time will tell,” he tweeted. South Korea praised Trump for bringing the two leaders together.

要するに「良いことが起こっているように見える。しかし、真に何が結果として起こるかは時間がたたなければ判らないだろう」と言っているにすぎない。今朝の7時のNHKニュースを今見たが、メルケル氏と並んだ会見場での発言は上記と同じである。

ちなみに、櫻井よしこさんの話によると、米国のCSIS(戦略国際問題研究所)のマイケル・グリーン(Michael Jonathan Green)が、米朝会談が行われない可能性が40%、会談が行われても殆ど何の結果も出ないのが40%、会談が行われて結果が出た振りをするのが18%だと分析しているという。 https://www.youtube.com/watch?v=V7dx8lvYScg&t=644s

今回の共同声明を聞いたら、マイケル・グリーンという人は、上記予想が自信から確信にかわったというかもしれない。しかし、CSISなどは、従来の米国政府なら、政策への影響力が大きかったかもしれないが、現在では全くわからない。

櫻井さんの言葉では、ムーン・ジェインは憲法改正を考えている。6月の地方選挙の時に、憲法前文から「韓国は自由民主の秩序の国である」という文から、「自由」を取るという改正を考えているという。韓国を人民民主主義の国としても良いと考えているようである。

この東アジアの重大で流動的な時に、日本の国会はセクハラ問題に揺れている。野党は(そして与党の反安倍派の一部も)、外国の支配下にあることは今や明白だろう。中心的人物は外国と密接な関係にあったり、ピンクトラップやマネートラップにはまっている人間の可能性もあると思う。

マスコミも同様である。ここで、朝鮮の南北首脳会談で拉致問題への言及がなかったというのが評価の中心的項目なのだから。

2)原点に戻って考える:

原点に戻れば、朝鮮半島の住民は「日本列島の民族」と同様の意味で、一つの民族である。彼らが統一する方向に動くのは至極当然の話である。そして、これまで多くの犠牲を払うことになった20世紀の外国支配から逃れる手段として、核兵器を持ちたいと思うのも当然である。(補足1)

上記引用のyoutube動画で、櫻井さんはムーン・ジェインが憲法改正を考えていると言っている。6月の地方選挙の時に、憲法前文の「韓国は自由民主の秩序の国である」という文から、「自由」を取る改正を考えているらしい。韓国を人民民主主義の国としても良いと考えているようである。南北統一こそ、最優先課題であるというのだろう。

その路線を進むのなら、韓国は今後特に経済的に大変になるだろう。北朝鮮との統一を具体的に考えることは、韓国からの富の流出を意味するからである。これから、韓国民の同意を得ることは、一時の熱狂が過ぎれば困難を極めるだろう。何か重大なことが今後起こる可能性すらあると思う。

ここで今回の上記共同宣言に戻って考えると、非核化は米国の朝鮮半島からの撤退を期待した言葉であり、本心からの言葉でないことは議論する余地がないことが分かる。韓国は、南北統一の暁には核保有国としての朝鮮を希望しているのである。そこで日本は、その朝鮮半島の動きに対して英米の旧来の戦略に協力し、そのフロンティアを受け持つ形で、何時までも全面的に反対するのは愚かなことである。

日本も原点に戻って考えれば良い。つまり、トランプが大統領就任前に言っていたように、戦術核レベルの核武装をして、北朝鮮とも外交関係を開き、戦後処理を米朝基本条約締結という形で行うべきである。そして、中国とも毛沢東が田中角栄に期待したように、善隣友好の関係を構築するべきである。

20世紀前半の日本の大陸での振る舞いは、元々19世紀後半での英米仏との厳しい外交、ロシアからの圧力というか恐怖から来たものであり、西欧諸国の東アジアへの戦略的展開の中で、アジアで唯一の独立国として藻搔いた結果である。その結末は、日本にとっても非常に不幸で不本意な結果に終わった。

それは、日本の真摯なレビュー(反省を含めた科学的復習)で、朝鮮はともかく中国は理解する筈だと思う。それは、ロシアや西欧諸国も同様だろう。そして、日本の問題は日本が真の独立国になることであり、他国の核付き統一を不安視して全面反対するのは、正常な方向ではない。

勿論、憲法上だけでも非武装を宣言する日本が、核武装の朝鮮半島と平和共存はあり得ない。

3)結局、欧米の考え方もそのようになる可能性がある。つまり、トランプの米国も完全な非核化を諦めるだろう。

米朝会談を前にして、ポンペイオやボルトンの人事は、単に脅しのための人事だと思う。トランプに北朝鮮を攻撃する理由は、今一つない。米国本土が核攻撃を受けるとは考えていない。それは金正恩を知れば知るほど、明らかになっている。(補足2)

核の拡散は、誰が何をやろうが自然に進むし、元々トランプは核拡散を重視していなかった。コンドリーサ・ライスなども北の核を容認する方が、問題を大きくしないで済むので簡単だと考えてきた。

元ウクライナ大使の外交評論家である馬渕睦夫さんは、後ろ楯を失った金正恩に残された道は、全面降伏しかないようなことを言っている。素人の私が反論するのは烏滸がましいのだが、そのようにはならないと思う。https://www.youtube.com/watch?v=CJCBDAMf3ME

追加:(18時)マティス国防長官は、北朝鮮問題を楽観していると言っている。つまり、トランプ大統領がボルトンだハリスだと言って、虚勢を張っても国防長官が全くやる気のない本音を暴露している。日本は圧力一辺倒で行けば、最終的に東アジアで孤立するだろう。 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180428-35118511-cnn-int

安倍さんのやり方は全く馬鹿げていると思う。馬渕元大使は、大統領立候補時代のトランプを虫眼鏡で拡大して見ているのだろうか?金正恩はリビアのカダフィの二の舞だけはしたくないと考えているだろうし、その考えが彼を守るだろう。

(以上、素人ですから戯言の可能性もあります。プロの評論家の皆さん、実力を見せてください。)

追加(2):(20:30) 上のように書きましたが、玄人の意見を発見しました。佐藤健志さんが、チャネル桜で上記とほとんど同じようなことを話しておられます。Mohkorigoriというハンドルネームで、ちょっとコメントも書きました。https://www.youtube.com/watch?v=okgi0XRx3to

補足:

1)つまり、文在寅は北朝鮮の核兵器を利用して、米国から自由になることを考えている可能性が高い。
2)ただ、北朝鮮との軍事衝突は完全にないと言い切る自信は素人の私にはない。トランプ大統領は太平洋艦隊司令長官のハリスを駐韓大使にするという。それを文在寅の韓国は受けるのだろうか? http://www.sankei.com/world/news/180425/wor1804250020-n1.html

2018年4月27日金曜日

南北朝鮮首脳会談の共同声明は期待はずれだった

今日の南北朝鮮首脳会談は、北朝鮮の非核化について具体的に何も言及せず、期待はずれだった。安倍総理は、そのようには言わずに、「今回の会談、米朝首脳会談を通じ、北朝鮮が具体的な行動を取ることを強く期待している」と述べた。

ちなみに、櫻井よしこさんの話によると、米国のCSIS(戦略国際問題研究所)のマイケル・グリーンが、米朝会談が行われない可能性が40%、会談が行われても殆ど何の結果も出ないのが40%、会談が行われて結果が出た振りをするのが18%だと分析しているという。https://www.youtube.com/watch?v=V7dx8lvYScg&t=644s

今回の共同声明を聞いたら、マイケル・グリーンという人は、上記予想が自信から確信にかわったというかもしれない。しかし、CSISなどは、従来の米国政府なら、政策への影響力が大きかったかもしれないが、現在では全くわからない。これでも、トランプが前向きな内容だったと言う可能性がある。

「核のない朝鮮半島の実現を共通目標にする」とか、「統一に向けた定期的な会談を開催する」などというセリフは、発表しない方がましなくらいである。何故なら、朝鮮半島の非核化を目標にするということは、現在北朝鮮が核保有国であることを南北首脳は前提としているからである。

非核化を世界にアピールするつもりなら、5年以内に廃絶するとか、最低でも具体的には米中等との会議で議論するとかいう言葉がなければならない。金正恩の朝鮮半島の非核化の論理は、オバマ大統領の核廃絶運動と同じ論理である。

明日のトランプ大統領の話しを聞いてみようと思う。それでだいたいわかるだろう。

2018年4月26日木曜日

TOKIOの山口氏が世間に詫びる理由

1)“人は生かされているのか生きているのか?”という表題の投稿で、「自分の主人が自分であるのなら、自分の成果は自分のものである。周囲はあくまでその成果に対し、従なる貢献をしたに過ぎない。それが、自立した人間とその社会での出来事に対する然るべき見方である」と書いた。

主従を峻別する文化は、仕事とその責任の在処を決定する際に必須である。この仕事を犯罪に置き換えても同様の論理が成立する。

先ほどのテレビで、人気グループTOKIOの山口とか言う人が、記者会見を開いて自分の犯した行為「女子高生に対する強制わいせつ」について、釈明会見をしていた。NHKを始め公共の電波である筈のテレビ各局で、南北朝鮮会談の予想と同程度の時間をとって報道されていた。

更に私にとって不思議なのは、その主人公はそのような行為に至ったことについて謝っている。「世間を騒がせて申し訳ない」と言って謝っている。いったい彼は、誰に謝っているのだろうか。

被害者がいるのなら、被害者に直接謝るべきである。無関係の一般人に向かって謝るのに公共の電波を使うのは迷惑である。裁判で判決が出たのち、記者が居れば一言静かに社会の一員としてふさわしくないことをしたとコメントを出せば良い。謝罪は刑務所などでの罪の償いの形でするものである。

2)業績を上げた場合、「皆さんのお陰でこのような栄誉を与えられました。これはみなさんの応援を力にして頑張りました。これは皆さんの応援に対する栄誉なのです。」と会見を開き世間に向けて発言するのなら、犯罪で書類送検された場合、「みなさんの応援は、私をのぼせ上がり、ついには犯罪者になってしまいました。この送検は、みなさんが共に背負うべき不名誉です」と何故言わないのだろうか。

そう言えば、その人の芸能人としての将来は完全に抹消されるだろう。つまり、「世間により生かされている」というイカサマの種は、このようなケースを考えれば明らかなのだ。素人の手品師以下の種の仕込み方である。

日本の世間は西欧の社会(society)ではない。議論し、問題の核心を洗い出し、対策モデルを組み上げるべく、公論を行う場所ではない。「広く会議を興し、万機公論に決すべし」の明治時代の丸暗記の知識は、日本国の知恵になっていないのだ。五箇条の御誓文など、右から左に手渡され、最後はゴミ箱の中だったのだろう。

世間はその種の事件について、騒ぐだろう。しかし、何故そのような事件が生じるのか、その事件の原因は何なのか、それを防ぐにはどうしたら良いのか、などは議論しない。三流週刊誌のレベルの駄弁りで終始するだろう。

騒がせてはならないのが日本の世間であり、従って常時沈黙が支配している。(補足1) そして何よりも、有名人の醜聞に飢えている。(補足1)世間は山口氏に感謝しなくてはならない。週刊誌は売れ、日本の下らない分野のGDPは増加するだろう。

日本の世間とは、社会と違う。明治の時代にsocietyが「世間」という言葉と意味が違うことを知って、「社会」という言葉を作ったのである。(前記事の補足参照)現在の日本人はほとんどそれすら知らない。

補足:
1)万機公論に決すべしと言ったものの、公論で政治問題など支配者の政治を議論してもらっては困るだろう。世間をそのように沈黙の世界にし、エログロナンセンスを欲する世界にしたのは支配者の陰謀なのだろうか。

自立しない日本と日本人:人は生かされているのか生きているのか?

1)自立しない日本人:

日本国が自立しない理由は、自立しない日本人の集合だからである。日本人が自立しないのは、日本人は生きているのではなく、生かされているからである。

この後の文には反論があるだろう。しかし、「自分が独力で何か優れた成果をあげても、判で押したように“皆さんのおかげです。皆さんの応援があったから、この成果をあげることができたのです。”とコメントするでしょう?」と言えば、「いやいや、それは本心ではなく、周囲を丸く収めるために言っているだけですよ」と再度反論するだろう。

確かに個人の力は限られている。仮に何か歴史に残るような業績を挙げたとしても、その環境や条件のほとんどは過去から現在までの周囲の人たちが作ったのは事実だろう。しかし、その果実を摘み取ったという成果は、紛れもなくその業績の主(ぬし)のものである。もっと素直に、自分の成果を主張した方が、社会の風通しが良くなると思うのである。

自分の主人が自分であるのなら、自分の成果は自分のものである。周囲はあくまでその成果に対し、従なる貢献をしたに過ぎない。それが、自立した人間とその社会での出来事に対する見方である。主と従の峻別がなくては、論理が成立しない。

主従を峻別する文化は、仕事とその責任の在処を決定する際に必須である。それなくして、人々が協力して何かをすること、その延長上の”共同社会としての国家を国民の総意で運営すること”、などは無理である。日常のテレビのニュースなどを聞いていると、責任の在処が明白でない出来事であふれている。それが、日本社会の特徴だと感じる。

2)人は生かされているのか?

「人は生かされている」は筆者のオリジナルではなく、テレビなどでもよく聞く。結婚式などでの挨拶には欠かせないセリフだと、思う人も多いかもしれない。ネットで検索すると、すぐにそう主張する文章の良い例が見つかる。例えば、松下政経塾のHPにある以下の文章である。人は「生きる」のか「生かされている」のかと題する文章である。

書いた方が政治の世界の人であり、日本の防衛大臣の秘書をやっておられた方なので、失礼な言い方だが敢えて言う。最初の方だけ読んだのだが、後の方を読む気がしない文章である。https://www.mskj.or.jp/report/3172.html

松下政経塾のHP管理人は、この文章が素晴らしいと思うのだろう。そして、同じように思う人が日本人に多いだろう。この塾で政治家として育った人間が、日本の政界に35名ほどいる。これらの方々が、上記のような考えに染まっているとは思わないが、万が一そのような考えで日本のリーダーになったのなら、日本は当に破滅への坂を転げ落ちるだろう。

日本人は本当に「人は生かされているのだ」と思う時があるだろう。他力本願など仏教とよく調和する考え方である。そして一人になった時、その人が普通の人なら、「本当は、自分は生かされているのではなく生きているのだ」と思うだろう。

西洋風に言えば、日本人はその両方の姿勢をずる賢く使い分けているのだが、日本人の立場に理解を持てば(つまり、日本文化に理解を持てば)、日本人は二つの世界、つまり世間(補足1)と一人の世界、の両方に生きているのである。つまり、世間(せけん)にいる時には「自分は生かされている」のだが、一人になると「自分で生きている」のである。

世間にいる時にも、「自分で生きている」人間は、支配者とはぐれ者である。「非支配者は、世間つまり”社会”(補足2)に棲息している間は、自分の意思を前面に出して生きてもらっては困る」というのが、日本社会(日本文化)の要請である。

上記政経塾HPの文章の筆者は、「人は社会を作って共同で暮らすという約束の下に生きている」ことを強調したかったのかもしれない。しかし、“社会”や“共同”という言葉が明治以前の日本に無く(補足3)、日本人の思考パターンに組みこまれていないため、いつの間にか意図が正しく伝達される文章にならなかったのだろう。何よりも、主と従が逆転してしまっては元も子もない。

3)日本の政治システム:

日本人は、①其々自分の意志で生き、②共同社会である国の形成し、そして③優れたリーダーを選び、その運営を委任する。非常時には命を賭けてその指示で共同社会である国家を護ために戦いぬく、という三連立方程式が解けなかった。

次善の策として、②と③を重視して、民族の国家(国民国家)をつくり、民族のリーダーの下に協力して国を運営することを考えた。その場合、天皇の下に集まるまでは比較的簡単に出来るが、各人が主人公として共同体を作るという考えが無いため、優れた実務リーダーを選ぶことができない。

そこでは、構成メンバーは自立し主張する個人ではない方が、政治システムに摩擦を起こさない。その代わりに、リーダーは、下々(しもじも)を思いやる姿勢が大事であり、それを為政者の道徳にする。「和をもって尊となす」とはそのような考え方だと思う。明治になって、その日本に西欧風の思想「広く会議を興し、万機公論に決すべし」を移植しても、竹に木を継ぐことになるだけである。

この場合、異なる部族や民族と接触しない限り、安定した時代が続くだろう。それが現在でも日本の姿のように思える。突出したリーダーに恵まれない状況と、国際的摩擦の時代に世界が入るようになったため、日本の将来を案じるのは、政治に関係する人なら自然な成り行きだろう。

なんとか現在の日本の旗印をより強力にしたいと考えたのが、天皇元首制や旧皇室復興などを主張する所謂右翼の方々である。

明治以前に戻るのでは、日本に将来はない。根本的解決に備えて取り敢えずすべきことは、まともな教育である。一流の大学を出て、大臣秘書までやった方が上記のような文章を書くようでは、日本の将来はない。個人を批判しているのではない。その程度の教育しか、今の日本にはないということが言いたいのである。

第一歩は、教育の現場から一人で生きる姿勢を徹底することだと思う。そして、お前はどう思うかと問われて、自分の考えが言える人間を育てるべきである。的を得た答えを出せないことが恥ではなく、沈黙が恥となる教育を16年間、小学校から大学まで継続すべきである。そこに、閉塞した日本政治の出口があると思う。

補足:

1)世間とは共同体意識のない社会である。日本の、お上(おかみ)と一般大衆との間の空間。其処は、お上の命(めい)と大衆の視線が往き来する空間であり、人々が共に話をし、議論を交わす空間(社会の公の空間)ではない。
2)日本の世間という言葉は普通「社会」に置き換えられる。しかし、前の補足に書いた通り、厳密には英語のsociety=社会という意味ではない。しかし世間以外には、特殊な例を除いて社会に代わる空間を持たないので、ここでは漠とした意味で用いている。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E9%96%93 特殊な例とは、例えば「日本化学会」のような学会である。
3)和製漢語は明治時代に西欧の言葉の翻訳として作られた。有名なのは正岡子規の作った「野球」などである。和製漢語のリストが以下のサイトにある。 http://www5b.biglobe.ne.jp/~shu-sato/kanji/waseikango.htm

2018年4月24日火曜日

道徳とは何か:社会、宗教、政治との関係

1)道徳と道徳教育のあり方:

「道徳」を辞書(広辞苑第二版)で引くと、「ある社会で、その成員の社会に対する、あるいは成員相互間の行為を規制するものとして、一般に承認されている規範の総体。法律のような外面的強制力を伴うものではなく、個人の内面的なもの」とある。(補足1)

道徳は、ある社会における善の基準である。その道徳による善の基準とそれに対する人々の忠実度が、その社会全体の性質を決める。道徳はその国(その地域)の現実社会と固有の伝統的文化(歴史)が決め、家庭や学校で教育される。日本のような多神教の国では、道徳を宗教に頼ることは出来ないため、家庭と社会が道徳教育を意識的に行うことが大切だと思う。

子供が社会の成員となる前に、何が善で何が悪かを学び、どのように「善」が個人の生活を豊かにし、社会(とその枠組みとしての国家)を安全で暮らしやすくするか、個人の生活と社会を守るのにどのように役立つかを、出来れば論理的に修得するべきである。(補足2)

「論理的に教えることが大事である」ということは、18世紀の哲学者カントの定言命法という考えを否定している。つまり、「人を殺すことはいけない」という道徳の存在理由を聞かれた時に、「悪いものは悪い」と答えることは知の堕落だと思う。(補足3)また、「戦争は絶対悪だ」と言えば、それは自軍の戦意を無くする効果しかない。しかし「戦争にもチャンスを与えよ」(ルトワック著)と論理的に自衛軍の戦意を鼓舞すれば、情況は全く違った方向に進むだろう。

2)道徳と宗教と社会の関係:

一神教の国では、道徳教育の骨組み或いは底辺に流れる精神を、その宗教の聖典が中心的に記述するだろう。一神教の聖典は、ある民族の生き残る戦いの歴史と、そこで確固とした基礎を作った統率者の言葉を、神の言葉として記述したものである。指導や戒めの言葉や社会のルールも、神の言葉として記述されているだろう。勿論、その細部まで記述した法典は、別途存在するだろう。

多神教の国では、宗教は明確な道徳基準を与えない。そこでは別途、先人の知恵や哲学を記述した本が存在するだろう。インドの仏教や中国の儒教や道教などは、本来その類のものだと思う。この場合、仏教の哲学はローカルな多神教と結びついて、道徳の底流をなす宗教となる可能性がある。日本仏教はその例だと思う。

一般に神を想定することは、個人の増長を抑える意味がある。従って、多神教でも一神教でも、自分(の欲望)を小さく抑えることを要求する。つまり、社会を生物に例えれば、その中の様々な器官を作る一つの細胞のように生きることを個人に教える。しかし一般向けの道徳は、社会をリードする立場を得るときには障壁となる。

多神教の場合、その壁を超えるには、蛮勇を振るう場合と周囲から押し上げられるかの何方かが必要である。蛮勇を振るう場合、その人が本当に野蛮であるに過ぎない可能性がある。周囲から押し上げられる場合、その人が大衆受けすることと優れた知的能力の両方を持たなければ、優秀なリーダーになれない。従って、社会が優秀なリーダーを得る可能性は低い。つまり、多神教の日本では、優秀なリーダーを得ることは至難だろう。

無神論が支配する国家の場合、リーダーは権力闘争の結果として決まる。従って、一定以上の優れた政治能力が保証されている。中国がその例だろう。

一神教国のリーダーの選ばれ方の詳細は知らないが、そのエッセンスを想像する。この場合、神との対話というプロセスが大事だと想像する。一神教の聖典は、現在まで残ったという事実が、優れた内容を持っていることの何よりの証明だと思う。それは神の言葉であるから、神との対話は可能である。神の答えは、聖典の中にある筈である。米国大統領が、就任の際に聖書に手をおいて誓いの言葉を述べるのは、それを示していると思う。

対話を聴いた周囲の人間は、神と対話するものがどの程度の人物であるかが直感的に分かる。言語感覚(ランガージュ)が人類共通だとすれば、リーダーを得るという点では、一神教の民族は有利である。また、民族の言語能力を磨くという点でも、聖典を持つ有利さは圧倒的だろう。(補足4)

3)世界の政治環境と日本の道徳教育(愛国教育)のあり方

人間の知恵のはじめに言葉がある。(補足5)言葉を用いて「地球に棲む人と、人が作る社会」を論じ、人に知恵と戒めを与えたのが一神教の神だろう。それは古代の書物であるので、道徳、政治(歴史)、学問(哲学)の三つの分野の全てが、未分離のまま総合的統合的に語られていると思う。

多神教の国である日本の道徳は、古来、他人特に弱者に対する思いやり(仁、情)、正しい行いによる社会への貢献(義、和)、家族間の協力(愛、慈、孝)など様々な言葉で語られ、教えられてきた。それらは主に、利己的になりやすい個人を戒めるためのものである。人々は様々な本や社会の慣習から学ぶが、それらを学ぶ際に一神教の場合と違って神の人格を感じることはない。道徳教育がないのなら、それら道徳の個人の心の中での支配力は、非常にバラツキが大きいだろう。

政治の道徳に対する影響は、封建時代の忠孝、絶対主義国家の時代の忠君愛国、国民国家の時代の愛国と、時代に応じて変化してきた。戦前までの日本で行われていた修身敎育は、敎育の最重要項目とみなされていた。 https://kotobank.jp/word/%E4%BF%AE%E8%BA%AB-77070 修身は、国家主義(補足6)の時代の道徳教育であり、個人主義(補足7)の時代になり廃止された。

第一次大戦直後に一旦国際社会と呼べるシステムが、まともに機能すると期待された時期もあった。しかし現代の国際環境は、独裁国家の性格を強めつつある国(中国やロシア)、どこから見ても独裁国である国(北朝鮮や中東やアフリカの諸国)、民主国家を標榜しながら非合法行為も行いうる国家機関を持つ国(英米イスラエルなど)などが混在し、野生の世界の様相を呈している。
過去の歴史の中に、支配者や為政者が人々を政治的に支配する上で都合の良い人格形成を目的として進めたという、悲惨な歴史を日本国民は記憶している。しかし、上記国際環境の悪化を考えれば、国家の枠を軽視することは、将来国家の滅亡と国民が生きる空間を無くする可能性が大きいと危惧される。それは、道徳教育として愛国教育が将来の国家の生存のために必要であることを意味する。

その意味でも(過去の歴史を繰り返さないためにも)、道徳教育(愛国教育)は論理的に行うことが非常に大事だと思う。

補足:

1)因みに、「倫理」を辞書で引くと、「人倫の道、実際道徳の規範となる原理。道徳」と書かれている。辞書では道徳と論理に明確な差は記されていないので、ここでも区別しない。

2)教えるべきは、何が善で何が悪かという、行動と善悪の判別表ではない。教えるべき知恵は、人間と社会と社会の改善の三つに関しての理解である。 ①我々はか弱き人間であり、一人では現在使っている物の何一つも作り出せない存在であること、②社会や国家は、我々が現状において相互扶助的に生きる機能を既に備えていること、③今生きている人間一人一人が、その社会と国家を世界の変化に即応させ、更に世界の変化をリードする責任を持つこと、などである。

①毎日利用している便利さの0.1%も、一人では独力では作ることが出来ない。我々の毎日の生活が成り立つのは、我々が社会をつくり国家を形成して、相互扶助的に生きているからである。②相互扶助の原則において大事なのは、自分に相応しい量を受け取ることと、貢献することである。どれだけが自分に相応しいかを見つける為には、他人から意見を聞くことも必須である。人とその種の情報交換をする際に必須なのは、ウソをつかないこと、そして正しく理解し易い言葉を用いることである。二枚舌が支配しては、健全な社会形成は不可能である。③その社会や国家は、頭脳と行動力に優れた先人達の努力の成果であり、それを無条件に大切に思うべきである。この国もその一つであり、この国の興亡は今生きる国民の知恵と努力にかかっている。そして、この国を時代とともに変化する世界に適応させ、更にこの世界の流れを良き方向に導くことが、今後に生きるエネルギーを持った人たちの責任である。

3)数学者を名乗る藤原正彦という人が、テレビ番組で「人を殺すことは悪いのは何故?」という問には、「悪いから悪いのだ」と教えるべきだと言っていた。この人のレベルが知れるというものだ。「国家の品格」という本で人気を得たが、あまり勧められた本ではない。
4)日本の知は、中国の書物(仏典、四書五経、老荘の類)に完全に依存している。しかし、言語が母国語でないので、知や言語能力を磨くことには役立たなかった。 5)“はじめにことばがあった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。”戸口に立つことで有名なキリスト教のある一派が来た時、このヨハネによる福音書の出だしの言葉について聴いた時、その方は言葉=キリストと読み換えれば良いだけと信じていて、非常に驚いたことがある。

6)ここでは、国家主義を「個人よりも国家に優位性を置く政治的考え方」と定義する。全体主義を極端な国家主義と定義し、対義語として全体主義の対義語である個人主義を採用する。国家主義の対義語を検索して探せば、国際主義やグローバリズムとするサイトが多い。しかし、それらは国家主義の対義語にするほどの実体性がない。国際連合中心主義を叫ぶ政治家は、現在では夢想家でしかない。グローバリズムを目指した共産主義が、全体主義に堕したことを考えてもそのことは分かる筈である。 7)個人主義とは、国家や社会の権威に対して個人の権利と自由を尊重することを主張する立場。民主主義は個人主義が政治思想となったものと考える。

(4月25日午前6時編集)

2018年4月22日日曜日

二つの拉致問題

 北朝鮮による拉致被害者を救出する問題は、日本にとって大きな問題である。しかし、この問題は十分理解されていないと私は思う。その証拠だが、この問題は一般に拉致問題とだけ呼ばれていることである。

実は拉致の問題は二つある。それは、この問題は既に終わった「北朝鮮国家による日本人拉致事件」と、これから日本政府がやらなくてはいけない「日本人拉致被害者救出問題」の二つである。

前者の責任は日本政府にあるのだが、不思議なことにその追求をだれもしない。日本国憲法に違反して、日本政府は日本人の基本的人権を保証することに失敗したからである。その責任は日本国政府が取らなければならない。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43631245.html

北朝鮮政府が日本人を拉致したのだが、北朝鮮とは国交はない。従って、それの原因は第一に日本の沿岸警備力がなかったことである。そのほかに、容疑者に協力できる人間がそのままで国内に多数在住していることも今や常識であり、それをそのままに放置したのも大きな問題である。

それを北朝鮮の責任だというのは、「戦争に負けた責任は、相手国が取るべきだ。なぜなら、相手国が強過ぎたからだ」というのに等しい論理である。

後の問題も、日本の防衛力の問題と関係している。つまり、拉致被害者救出は、普通の戦争をできる国としての体勢を整えて、北朝鮮と交渉すべき問題である。戦争も外交の一環であるとするクラウゼウィッツの戦争論を正しいとすれば、軍事力は外交、特に独裁国家との外交、のために必須である。

従って、憲法9条第二項の廃止に反対する与党の一部と野党の連中が、拉致被害者救出を大問題のように言うのは、論理的におかしい。野党の政治家と与党の一部には、米国戦略国際問題研究所のエドワード・ルトワックが書いた「戦争にチャンスを与えよ」(文春新書)を読んでもらいたいと思う。

補足:この文章は前投稿の補足を独立させたものです。

追補(4月23日午前):

1.上記議論についていけない人がいる可能性もあり、追補を書く。国際関係について一点だけ丁寧に書いておくべきだったことがある。それは現在の国際環境は、法と正義の支配する社会を形成していないという点である。国際法や国際司法裁判所などは、国内の法や裁判所に似ているが、超国家的な権力がないので形だけの制度である。つまり、国際環境は突き詰めれば、野生の世界である。

2.(蛇足)日本国はボスである米国の作る群れの端に居るに過ぎない。現在、適当に境界らしきものを認識して、幾つかの群れが棲み分けているが、いつ何時群れ同士の争いに発展しないとも限らない。もっとも、現在の群れのボスらも、争いは好まない。しかし、群れを乗っ取る力をつけた若いサルが現れれば、その危険性が増す。

北朝鮮は核放棄しないという意見とその信憑性:日曜討論について

1)フジテレビ系の番組で北朝鮮問題を議論していた。ゲストは宮家邦彦、武貞秀士、有本香の三氏である。武貞氏は、「北朝鮮は核保持を憲法に唄っているので、廃棄は困難である。従って、米朝交渉の入り口で核を捨てさせるという戦術は取りえない。北朝鮮は核兵器を朝鮮半島統一のために持っているのだから、出口で捨てさせるようにするしかない」と言っている。更に、「統一のための核兵器だから、統一してしまえば役立たない」という発言は、日本人とは思えないものである。

私には、武貞氏が何人でどこの国の利益を考えてこのようなことを言っているのかわからない。武貞氏は拉致問題の解決を最大の成果として、今回の北朝鮮問題の幕引きを受け入れる考えのようである。それは、韓国の意見の代弁のように聞こえる。武貞氏に対する似たコメントがあったので引用する:https://snjpn.net/archives/31057

武貞氏、そして、ホスト側のパックンが言うように、トランプは北朝鮮の核放棄を諦める路線を取る可能性が高い。一方、宮家氏は米国の利益を代表するかのように(日本国民を騙すことになると思われる)、米国の強硬姿勢を宣伝している。両者の意見は対立するように見えるが、実は同じ将来を違う角度から見ているに過ぎないと思う。呉越同舟とはこのような時に使うのだろうか?

チャンネルを替えた時、毎日テレビ系の放送で寺島実郎氏が、日米首脳会談の中身を議論していた。そこで、「安倍総理とトランプ大統領は蜜月関係を演じているが、外交関係で重要な問題の議論はほとんどしていない。朝鮮半島問題では、日本側を納得させるために拉致問題解決と貿易問題での譲歩で終わるのではないか」と言っていた。

これらの番組出演者の姿勢で共通しているのは、核兵器を持つ統一朝鮮の出現を(渋々か積極的かは別にして)認め、日本から独自核武装の議論を排除するという、米国並びに日本以外の極東アジア諸国の戦略に沿っている点である。

その為の有効な日本国民を対象にした目くらまし手段は、拉致問題である。つまり、拉致問題を、これらの問題と同じかそれ以上に大きく見せかけて、その解決を日本国民に見せるのである。つまり、日本もこの朝鮮半島問題の解決に関して、蚊帳の外ではなかったと、日本国民を騙すのである。

拉致問題(拉致被害者救出問題)は比較的小さい問題であることは、既になんども書いてきた。4月9日、4月18日のブログ記事もその趣旨で書いた。(補足1)

2)米国のトランプ大統領は、朝鮮半島統一の時に、完全、検証可能、且つ、不可逆的に除去する(complete, verifiable, and irreversible dismantlement; CVID)形で核兵器を放棄するという類の約束を例によってするだろう。しかし、その約束は、完全で検証可能な形で後々テーブルの上に置かれないだろう。そして、その約束は単に幻の出口に置かれたゴミ箱の近くの紙テープに過ぎないだろう。

これまでごまかし外交を常としてきた北朝鮮と米国の歴史を考えれば、数年後の約束など風化消滅する可能性大である。宮家氏や有本香氏の言う通り、二度あることは三度あるだろう。これまでの北朝鮮の約束反故は、北朝鮮だけの責任ではない。それを許した米国の責任も同程度非難されるべきであると言う人も、トランプ大統領を含めて多いだろう。それを攻撃しながら、これだけのパーフォーマンスをしながら、同じことをトランプ大統領はするだろう。これまでを非難して、脅しの格好をして、新たな約束をするだけなら、誰でもできる。実行は他人任せなのだから。

そこまでは、共演者としての日本のトップが安倍総理であってほしいというが、本音だろう。安倍氏との外交なら、なんとなく格好がつくのである。野田聖子氏や石破茂氏が仮に俄か総理になったとしても、この演技は無理であり、米国が日本に押し付けたという印象を四方八方に与えてしまう。

これらの放送で、日本の防衛をどうするかの議論が欠けているが、それは元々これらの放送局は日本の自立など視野にないから当たり前かもしれない。日本は朝鮮戦争の当事国ではないので、この北朝鮮問題について直接的に拘らない。宮家氏が言ったように、本来蚊帳の外で良いのである。しかし、事が東アジアの政治的安定性、そして、日本国の防衛問題にまで影響するのなら、日本も積極的にその部分で関与すべきだろう。 それと同時に、事の成り行きを睨みながら、日本の防衛体制を独自に考えなければならない。その話を今回首脳会談で、安倍総理とトランプ大統領がしたのなら、評価されるべきである。従って、いつも政治の問題と同様、安倍外交の評価は歴史がするだろう。兎に角、憲法9条第二項を変えるべきではないという意見の政党が、与党に加わっている現状では、日本の将来はないし、その日本の現実を金正恩の所為にするのは、迷惑な話だとキム氏は言うだろう。

補足:

1)この拉致被害者救出問題を、一般に呼ばれるように単に拉致問題と言及するのは非常におかしい。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43631245.html それは、この問題は既に終わった「北朝鮮国家による日本人拉致事件」と、これから日本政府がやらなくてはいけない「日本人拉致被害者救出問題」の二つを一緒にしているからである。前者の責任は日本政府にあるのだが、不思議なことにその追求をだれもしない。(上に引用の記事参照)後の問題は、日本の防衛力の問題であり、防衛軍を背景にして北朝鮮と交渉すべき問題である。憲法9条第二項の廃止に反対する与党の一部と野党の連中が、拉致被害者救出を大問題のように言うのは、論理的におかしい。西部邁さんの、彼ら等を非難するジャップドットコムという声が無くなったことが、非常に悔しい。

2018年4月20日金曜日

無神教、一神教、多神教、其々の文化圏でのトラブル解消法の違い

1)無神教は、神がいないと信じる人たちを分類するための言葉である。神など存在しないと言い切るのも宗教の一種と思われるからである。何故なら、科学的には神が存在するとも、しないとも言えないからである。(補足1)

一神教はユダヤ教、キリスト教、イスラム教などを指す。同じヤハウェ神の信仰なのに教義に違いがあるのは、宗教改革の結果だろう。また、その間、神は沈黙されていたのだろう。

無神教と一神教は似て居る。それは価値や善悪の基準を原点に置くからである。善悪で言えば、原点にあるのが善であり、そこから離れるのが悪である。その原点に自分が居ると信じるのが、二つの宗教の共通点である。

二つの宗教の違いは、無神教では神が居ないことであり、一神教は自分が神と同じ処に居ることである。

多神教は両者とは異なり、価値や善悪の基準は自分の外にある。自分も他者も、何かあればその基準を探すという努力しなければならない。多神教の信者が作る国で私が知って居るのは、我が日本国である。

一神教の国とは、例えば英米などヨーロッパ、無神教の国はどこかはここでは敢えて言わないでおく。

2)人間は互いに協力することで社会を造って生きて居る。この協力とは、自分の権利の一部を公に預けることである。その段階で、ともかく原点から部分的であれ自分が退去しなければならない。(補足2)

社会を造り生きているとしても、トラブルはつきものである。しかし、トラブルの解決をしなければ、正常な社会を回復できない。その解決のプロセスに、これら3つの宗教信者で、大きな違いがある。

トラブルの解決は、原因を探すことから始まるのだが、無神教と一神教の信者は、必ず相手側にその原因を押し付ける。それは、原点に自分がいるのだから、トラブルが生じるとすれば他者が原因である筈と考えるからである。

一方、多神教の信者は、トラブルの原因を探すとき、自分と相手側の両方を含め、その間を探す。そのため、同じ宗教の信者の間のトラブルなら、その解決が一番早いのは多神教信者の間のトラブルである。(補足3)

無心教の信者間でトラブルが生じた場合、その収束は極めて困難だろう。力での解決以外にないだろう。運良く国家が存在した場合、国家権力がその収束に当たるだろう。

一神教信者間のトラブルでは、当事者双方ともに必ず自分が善であると思うので解決に時間がかかる。つまり、何方が原点である神の位置に近いか、その決定を第三者に委ねることになる。

つまり、裁判制度を一神教信者が考え出すのは、必然である。多神教信者は、裁判をする前に当事者双方が解決に至る可能性が高いから、そのような面倒なことでGDPを嵩上げする必要がないのである。

あと一点だけ指摘して、話を一応終わる。

最後の一点:それは、以上の点を日本は外交上常に頭に置くことが必須である。一神教の国は未だ良い。公平に判断できる第三者を探せば、トラブルの解決は可能である。しかし、無神教の国とは、力しかトラブル解消の方法がないことである。(補足2参照)

補足:
1) 人間が作った知的体系として、科学は最高の緻密制と整合性をもつ。従って、科学的認識法は最も広い範囲の人々が共有できる。 2) 一神教であれ多神教であれ、人間は宗教を信じる前に社会性を持っている。従って、自分を絶対的な神の原点に置くことに抵抗感が残っている筈である。従って、ここでの議論はあくまでも単純化したものである。 念のため、補足します。
3)所謂落とし所を双方が探す。この時、どうしてもゴネ得が発生する。それが多神教信者の侵しやすいミスである。 (18:00編集)

2018年4月19日木曜日

ハラースメントと犯罪を明確に区別すべき、また、セクハラ防止には男女双方向が努力すべき

人間社会は、色んな人がいて成立する。人間社会は非常に広く、その中で生きる人たちも様々な性格をもつ。職業により人の性質が変化していく場合もあるし、人の性格が幅広く分布しており、様々な職業に就くときに適当に性格に従って分配されるのかもしれない。

粗野な人、温厚な人、厳格な人、気の長い人、短い人、人が好きでやたらと距離を縮める人や、孤独を愛する人などなど。それら別種の人格(性格)を持つ人たちは、それぞれ気のあったグループを作って職場でその他の社会で生きて居るのが人の世界ではないだろうか。

それらの別種の人間が、ちょっと袖触れ合った瞬間に、片方は普通の言動や態度であっても、他方は非常に腹立たしく思う場合があり得る。それが、所謂ハラースメントと呼ばれる“イザコザ”だろう。それに対して国会が出しゃばって、更に、報道機関が金になるからという浅はかな動機で問題にしたのが、今回のセクハラ騒動ではないだろうか。

ハラースメントは原則関係者間で解決すべき問題である。この種の個人間の問題解決に法が出てくるのは、第二の段階である。つまり、法は最小の道徳であり、法で罰せられる以外の所謂ハラースメントは、第一に個人間で解決すべきである。

一方、法に触れる行為は処罰され、犯罪と呼ばれる。そのような行為なら、ハラースメントというわけの分からない外国語を使うべきではない。迷惑行為で、国会が占領されたり、行政府の事務次官を解雇したり、辞任を強要したりするのは異常である。野蛮国か、多数の他国のスパイが国家機関の機能を妨害するようになった、病的国家の出来事だろう。

また、職業にふさわしい人格、場所にふさわしいマナーはある。しかし、女性と男性が同じ空間で生活をし、仕事をする場合には、男性に相当の配慮が必要だが、女性にも同様の配慮が要求されるべきである。

セクハラは双方向から防止を考えるべきである。若い女性が、天下の公道をスケスケルックのミニスカートで闊歩するのは、男性に対するセクハラである。女性側にセクハラ防止の努力が足りないことを指摘したい。女性がセクハラで訴えられたという話を聞かないのは、単に行為の方向性によるのだろう。

また、仮にセクハラ等が発生しそうな場所に、それを起こしそうな人を採用した場合、そのセクハラ1-2件でただちにその人を解雇したりするのは、選任した側の責任を選任された側に押し付ける行為である。

兎に角、迷惑行為で人の人生を破壊するような仕置をするのは、独裁国家のやり方である。日本はマスコミ独裁なのか?

2018年4月18日水曜日

拉致問題を政治利用する日本政府は卑怯である

日本政府によれば、拉致問題が日米首脳会談の重要な項目としてあげられている。これは非常におかしいことである。なぜなら、拉致問題は日本政府独自の問題であり、その他にどこの問題でもないからである。(補足1)日本政府のトップが、今後も政権を維持できるように、日本国民の方を横目で見ながら、トランプ大統領に拉致問題を訴える姿は異様である。

日本政府は、そして、日本国民は、まるで米国が日本の保護者なのだから、子供である日本がその被害を保護者である米国に訴えるのが本来の姿であると考えているのだろうか。

日本がまともな国ではないのなら、自分たち政権与党が先ずまともな国にすべきである。そして、その様に憲法改正などの法整備を進めるべきであると、日本国民に訴えるべきである。それに日本国民が同意しないのなら、政権を降りるべきである。

その結果、どのような被害にあったとしても日本国民の自己責任である。その被害の中で、日本国民は目覚める筈である。自民党政府は、その日本国民を半覚醒のままに戦後75年間維持するという、トンデモナイ悪政を敷いてきたのである。それは自分たちが政治屋としての職業を維持するためである。(補足2)

日本人が外国人により、白昼日本国内から連れ去られたことは、100%日本政府の責任である。外国人は国交のない国の人間であるから、その外国人を射殺するなりして、拉致を防止すべきであった。それが出来なかったことに対して、日本政府は被害者家族に保障をしたのか? 謝罪をしたのか?そして、今後そのような事にならないように日本国を作り直そうと、拉致問題との関係を明言して提案したか?

この問題で、社民党のみを批判する声が多い。例えば、下の記事などである。辻元清美氏は北朝鮮に占領時の保障していないのに、拉致被害に関して北朝鮮を非難するのはおかしいなどと言っているようだ。これもトンデモナイ言葉であることは確かである。https://ameblo.jp/matsumotokyosuke/entry-10603683375.html

しかし、この種の記事では社民党を批判するだけで、自民党やその政党員が一貫して作ってきた日本政府を批判する声がない。

更に、拉致されたこととその国名や場所がわかったのなら、彼等を奪回すべく軍をもちいて、取り返すように行動すべきであった。その準備のかけらもしないで、何が拉致問題だ。そんな問題は、その行動を日本国がとらないと決めた(実質的に決まった)段階で消滅しているのだ。

ソレにもかかわらず、拉致問題を事あるごとに出して、日本国民を誤魔化している。誤魔化す方、誤魔化される方も、そして、憎まれ役を買って出て、日本国民を半覚醒状態にする自民党に協力してきた日本社会党も、全て問題である。三方全て悪質である。

今回の首脳会談では、北朝鮮が核兵器をもったまま政権維持をしそうなら、日本は核武装を考えて、そのための相談をトランプとするぐらいが本来の国家の姿である。一体何をしにワシントンに行ったのだろう、親分への北朝鮮対策についての陳情? 北朝鮮のCVID(補足3)だけを訴えることと、拉致問題? 冗談ならやめてほしい。 

蛇足:
米国は米国の利益の為に動く。それはCVIDをごまかして、ICBM抜きでの核保持を認めて和平を築くことである。その後の対策には日本に金をださせることである。これはすでにブログに書いたように佐藤優氏の分析である。https://www.youtube.com/watch?v=Oc0t8EgvE2I&t=338s 

一方、馬渕睦夫氏は完全にCVIDでの北朝鮮の核放棄を信じて居る。最近の謎の一つである。https://www.youtube.com/watch?v=xwhTg32W8CA

補足:

1)この件は何度も指摘してきた。例えば、https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43212986.html を参照してほしい。

2)日本社会党と自由民主党が、悪玉と善玉を演じて、日本国民を永遠の半覚醒状態に置く体制を55年体制という。

3)CVID=complete verifiable and irreversible dismantlement;完全、査察付き、不可逆な核廃棄

2018年4月17日火曜日

パワハラやセクハラは犯罪なのか?

1)最近のニュースでパワハラやセクハラが話題になることが多い。今年のピュリッツァー賞にハリウッドの大物プロデューサーのセクハラ疑惑を報じたニューヨーク・タイムズ紙とニューヨーカー誌が公益賞を受賞したという。 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180417-00000023-jij-n_ame

ここ数日の日本のニュースでも、財務事務次官のセクハラ疑惑が問題になっている。それで公務員が職を失う可能性があるという類のニュースが流れると、刑法か何かに新しい条項が出来たのかと思う程である。今日のテレビのバラエティ番組でも、肩をぽんと手のひらで叩いた場合でも不愉快になる場合もあるので、セクハラにならないように気をつけるべきだという類の発言もあった。http://lite-ra.com/2018/04/post-3955.html

これらの報道に、私は非常に不思議で不愉快な印象を持った。世間知らずの老人と言われることを覚悟の上で言うが、嫌な男に肩を叩かれたら、上司であっても「やめて下さい!」と言えば良いではないか。官庁の事務次官相手でも、セクハラ発言をしたのなら「そんな失礼な言葉は許しません!」とその場で言えば良いではないか。

それをグチグチとセクハラとかパワハラとか言ってその場は何もしないで、後で集計して社会問題化するのは、あまりにも情けない。或いは、その時点ではそのような発言や態度を許すことで、取材等で便宜を得て、ずっと後で週刊誌に記事のネタとして売り飛ばしたとしたら、それこそ犯罪ではないのか。

2)パワハラやセクハラのハラースメントは嫌がらせや迷惑位の意味を持つ言葉である。それらは、その場で相手に指摘するなどして、解消すべきことである。それほどプライドを傷つけられる職場なら上役にその指摘を先ずすべきである。その結果、職場をクビになったのなら、その時点で不当解雇として訴えるべきである。

パワハラやセクハラをした人に対して、一回だけの“嫌がらせ行為”でクビを切るのは異常だし、繰り返しその種の嫌がらせをさせ続けた上で、それをまとめて借金伝票の束を叩きつけるようにしてクビを切るのも異常である。いったいこの社会はどうなっているのか。その異常な社会に関して、報道機関などで発言できる人たちが何も言わないのはどうしたわけか。記事のネタが消えるから言えないだけなのか。

私企業がハラースメントであれ、何であれ、契約に違反しない形でクビを切るのは正当な行為である。その種の解雇は、セクハラやパワハラの問題ではなく、不必要な人間だからパワハラ行為などの証拠を利用してクビを切ったということだろう。多くの人はその職場以外で働く能力は持っているだろうから、その件はセクハラやパワハラの問題ではなく、労働力の流動性を高めれば解決する別の問題ではないだろうか。

一方、実際には法的責任をとる必要がある場合もある。しかしその場合は、刑法に違反する“古典的”な犯罪であり、それには明確な犯罪名がある筈である。つまり、セクハラやパワハラと言われる行為一般で法的責任をとる必要はない。もっと丁寧に言葉は使えないものか。兎に角、西洋語をありがたがって多用することで日本の言語環境が汚染されている。環境破壊の一種である。

2018年4月11日水曜日

国会議員の質の向上のために何をすべきか?

国会議員の質の向上を国家の大計とすべきである。それには、①一票の格差の完全撤廃、大選挙区制の採用と、②国会議員間の双方向の総合的政治討論を公的に行い、それをテレビ放送する。

1)政治議論と政治家の質の現状について:

現在の政治家の議論は、政府の施政方針や予算案に関して、国会議員が質問するタイプがほとんどである。昨年8月に江崎鉄磨・沖縄北方担当相(当時)の発言でも分かるように(補足1)、内閣の方針は概ね従来の方向で官僚が作るか、方向から外れたタイプの方針については官僚のフィルタリングを通してつくられる。

現在日本の政治は”保守政治”とよばれるが、それは官僚独裁政治の包装紙に過ぎない。つまり、今の保守政治とは、日本の与党内閣を精一杯持ち上げて付けた政治名称である。鳩山内閣や菅内閣は、政治の主人公を誤解してしまったため、革新内閣というより自壊内閣であった。官僚のフィルターを通らないことばかり言っていたのでは、自然崩壊するのは必然である。

そんなわけで、国民が聞いている国会の審議とは、官僚対野党議員の討論に過ぎない。国民は、官僚の脚本で喋る内閣閣僚(とそのトップ)を見ているので、政策討論のように感じているが、誤解だろう。また、野党議員がやっていることは、国家の政治を創造的に議論するのではなく、単に政治の粗探しである。

2013年から話がややこしいくなった。それは、俳優である内閣が、官僚の人事権を握ってしまったことである。(補足2)そのために、まともな脚本をもらえなくなった内閣は、外交においてもひどい失態をすることになりそうである。今回の北朝鮮問題で、日本に対する配慮がほとんどされていないのは、外務官僚がまともに働かなかったからだろう。佐藤優氏はそのような解釈をしている(と私は感じる)。https://www.youtube.com/watch?v=Oc0t8EgvE2I&t=157s (動画の最初の7分間)

2)国会議員の質の向上の為の二つの改革:

表記実現のためには、以前書いたように、日本全国から政治家を選ぶ方向で選挙制度を改めることが大事である。それには、①一票の格差の完全解消と、大きな選挙区から議員を選ぶことである。国会議員は国家の政治を考えるのであるから、我が県に新幹線の駅を作るとか、大学の獣医学部を作るなどという下らないことに関わらせないことが大事である。

その次に、国会議員に勉強をしてもらうことである。一旦官僚の支援が得られないと国会答弁がどうなるかを、田中直紀防衛大臣の時に見た通りである。(補足3)https://www.youtube.com/watch?v=3Nj8oqH7G6Q

勉強は、議論を経て身についた知識になる。それは、大学の研究室のセミナーでだれもが知ることである。つまり、そのセミナーに代わる議論の場を現状行われている施政方針とそれに対する質問という形以外で、公的に作るべきだと思う。②それは与野党一緒に、官僚抜きでテーマを決めて議論し、それを電波に乗せて日本中に配信する。

例えば、チャネル桜では、3時間かけて一つのテーマを決め、七人程度の代表が総合的議論している。https://www.youtube.com/watch?v=16qNbZU3yuc&t=7189s そこでのテーマが、広い裾野からの議論を要するために、参加した人の総合的な視点からの論理展開力や専門的知識のレベルが表に出る。国民はそれを見て、一緒に考えるとともに投票すべき国会議員を決めることができる。

現在類似の場として、NHKの政治討論がある。しかし、そこでなされているのは具体的問題に対する国会答弁類似の議論であり、与野党議員の役割があらかじめ決まっており(補足4)、想像力も創造性も発揮される議論の場ではない。上記チャネル桜の議論のように、「激変する世界の真実」などの大きなテーマについて、総合的な議論をすべきである。具体的政治課題についての討論では、あらかじめ脚本がある政治劇に過ぎず、議論とは言えない。

それらの結果、国会議員の力は飛躍的に上昇するだろうと思う。如何でしょうか?

補足:

1)江崎鉄磨・沖縄北方担当相(当時)は、昨年8月、今後の国会答弁で間違いを避けるためとして「役所の原稿を朗読する」などと発言した。
2)官僚組織が自己完結した組織として維持されるには、組織の論理で人事が決定される必要がある。
3)質問者の佐藤正久氏は防衛大学校を出て2009年には自由民主党国防部会長をやっている。防衛問題の専門家が、素人上がりの大臣に、専門知識を問うている。つまり、この時の質疑には別の意図があったとしか思えない。
4)そこでは、犯人が内閣であり、弁護人が与党議員、検事側が野党議員が務める劇に似ている。

2018年4月9日月曜日

拉致問題は比較的小さい問題である:拉致問題とは独立に日本の防衛をかんがえるべき

1)北朝鮮問題をほぼ拉致問題に等しいと考えることで、北朝鮮の核保持の問題を相対的に小さく見せようとする勢力が日本の内外にいる。何度も言うが、拉致問題は日本政府が国民を拉致されたという問題であり、責任は日本政府にある。それは既に起こったことだと認識されるべきである。彼らの家族に対する賠償は、日本政府がすべきである。それが、差し当たり第一の解決である。

もちろん、生きておられる可能性があるのなら、第二の問題として通常の外交的手段により奪還すべきという話になる。過去の問題を、時間の針を元に戻して解決すべきという考えは非現実的であり、過去が現在を左右してはいけないと思う。これを誰も言わないのが、この問題に対するこれまでの議論の決定的な間違いだと思う。(補足1)

その奪還を可能にする為、日本が独自軍を持つように憲法を改正すべきである。更に、北朝鮮などが核兵器を保持するのなら、日本も核抑止力を持つべきである。外交力の第一は軍事力であり、それに大差がある状態で、まともな外交とそれによる拉致被害者奪還は不可能である。外交力の第二が対話による交渉力である。何方も日本は最低だろう。

拉致被害者の会の方々は、拉致された家族の奪還のために、そのような主張をしたか? 一言も日本の憲法改正や核抑止力のことに言及しなかったとすれば、最初の節に述べたように、単に日本政府に保障を要求するにとどめるべきである。つまり、彼らは別の政治運動をしているように私の目には映る。

拉致問題を過大視することで日本の外交を歪め、1億3000万人の将来及びその子孫の将来、つまり運命と、現在の拉致被害者の北朝鮮からの引き取りを、天秤にかけるようなことは絶対に避けるべきである。

2)「トランプ大統領は、北朝鮮の核問題をどのように決着をつけるつもりなのか」について、諸説ある。もっとも、強硬な姿勢をとるだろうと言っているのは、今やマイナーな存在である。

以前のテレビ番組か何かで、米国共和党のスタッフを10年勤めた中林美恵子氏は、「トランプの方針はオバマ政権時の政策を否定することである。オバマ政権の時になされたイランとの核合意は、イランの核開発を凍結すること、それが実行されているかについてIAEAの抜き打ち査察を受ける、と言う素晴らしい内容だが、トランプはこれでは手ぬるいという理由で廃止する意向を既に示している。トランプは核保持のまま北朝鮮と和平をすることはできないのは、このイランへの政策との整合性がとれないからである」と語った。(補足2)

しかし現在、トランプはイランとの核合意を維持している。トランプは一応見直しを主張する一方、イランが核合意離脱を示唆して、トランプ政権を牽制している状況である。 https://mainichi.jp/articles/20180223/k00/00m/030/229000c つまり、トランプは自分の言葉の整合性だけが、北朝鮮に核保持を認める際の障害なのだ。

大統領候補だった時トランプは、韓国も日本も核兵器を持てば良いと言っていた。元々トランプは、東アジアに米国が介入してきた従来のアメリカの姿勢を改め、東アジアは東アジアに任せたいのである。

金正恩が習近平を訪問したのち、トランプは習近平から①「金正恩委員長との会談がとても上手くいったと報告を受けた」②「金正恩が私と会うのを楽しみに待っているとのメッセージを受け取った」③「金委員長が国民や人類にとって正しいことを行う可能性は十分にある。楽しみだ。」と米朝会談への意欲を表している。

その上で④「残念ながら、最大限の制裁と圧力はあらゆる手段で続けなければならない」ともツウィターに書き込んでいる。https://www.youtube.com/watch?v=CIWVG7xFbsg (3月29日、ANNニュース)

金正恩は習近平との会談で、「南朝鮮(韓国)と米国が善意をもって応じ、平和実現のために段階的、共同歩調の措置を取るならば、非核化の問題は解決できる」と表明したと報じられている(3月28日午前13時の毎日新聞)という話を知っているのなら、なぜ上記②や③の内容のツウィートができるのか。つまり、④は申し訳程度に付け加えたものと断言できる。

北朝鮮問題は、かなり以前から習近平、文在寅、トランプの間で綿密な協議がなされており、中朝会談でそこに金正恩が加わったとみなすべきである。上記ツウィートがそれを示している。これで、北朝鮮の核保持のままの和平が確実になったと思う。つまり、完全、常時査察、不可逆な核廃絶(CVID)は条件ではなくなるだろう。

ただ、イラン合意と同じ内容の同意を米朝でするわけには行かないだろう。そこで、表だけ、相当強い表現の核廃棄案をまとめて合意するだろう。しかし、その見張り役として、中国を当てることで、実質無査察に等しい合意となるだろう。私は、素人ながら、そのように思う。

日本は元から、独自の核抑止力を含んだ軍事力をどのように構築するかを議論及び交渉すべきである。しかし、そこに拉致問題など割り込ませてはいけない。トランプ会談は、本音を話し合う場であり、まどろっこしい外交的やりとりなど不要であり、トランプはそんなことに無関心であると思う。トランプに、日本の核武装に対する助力の開始を迫るべきである。

しかし、そんな芸当はできそうにないだろう。もうこの国は、北朝鮮の財布に成り下がるのだろう。白紙小切手を渡せといわれて、「はい。拉致被害者を十人ほど返してください」というのが関の山だろう。

補足:

1)以下、何度も同じことを書くことになる。外交関係にない北朝鮮は、日本にとって自然の脅威と同然である。日本政府が本来対策を立てられる立場にあると言う点で、通常の自然の脅威ではなく、むしろ“山のクマ”に似ている。それが人を襲ったとしても、それは防げなかった日本行政府の責任である。
安倍内閣は、その喩えを延長すれば、「今後クマが人を襲わないように、山に餌場を造って大量の餌を置く。その為に、住民の非常食が少なくなっても仕方がない」という解決をする可能性がある。つまり、北朝鮮に事実上核兵器保持を認める米国トランプ政権の政策を追認し、その指示で北朝鮮の経済開発に多額の資金援助をする可能性がある。

2)以下の文章は昨年10月1日に書いたブログの内容から抜粋した。テレビ放送というのは、その中に引用したyoutube画像である。しかし、そのサイトは現在アクセスできない。(想像するのは、テレビ朝日の朝まだ生テレビである)

2018年4月8日日曜日

北朝鮮と米国は完全な核撤去なしの和平に合意するだろう:日本政府は拉致被害者救出を目眩ましにして国民を騙し、それを黙認するのか?

(4/8/15:40 最終版)

1)北朝鮮との体制維持の約束や平和条約の話し合いとその合意は、完全且つ検証可能で不可逆的な核解体撤去(補足1、以下CVID)が条件だというのが、米国の公式見解であった。そのことを報じた中央日報の記事が書かれたのが、3月3日の午前中である。http://japanese.joins.com/article/185/239185.html

その後、3月13日にティラーソン国務長官の更迭が、更に23日にはマクマスター安全保障担当補佐官の更迭が、報道された。新しい安全保障担当補佐官は超強硬派のボルトン氏だということで、日本の関係者もビックリしたようである。これで誰しもCVIDの原則を米国は絶対に曲げないと信じただろう。しかし、それは以前のブログで書いたように演出の可能性がある。

その流れの中で、金正恩は中国を訪問した。(補足2)この中朝会談で金正恩は、「南朝鮮(韓国)と米国が善意をもって応じ、平和実現のために段階的、共同歩調の措置を取るならば、非核化の問題は解決できる」と表明したと報じられている。(3月28日午前13時の毎日新聞)つまり、CVIDなんてとんでもないと考え、米国との間で貿易戦争を始めそうな中国の助力を得るべく訪中した様に見える。

しかし、金正恩が考える核廃絶の最終的な状態やそこへの具体的なプロセスなど、詳細は全くわからない。トランプ大統領を始め米側当事者は自信ありげだが、確かな見込みを持っているのだろうか。

実際には、米朝の考え方に相当の開きがあるように思える。それが下の記事にも書かれている。https://thediplomat.com/2018/04/north-korean-denuclearization-one-goal-different-interpretations/

記事によれば、駐韓大使代理(acting ambassador)のマーク・クナッパーは2日(月曜日)ソールでのフォーラムで、「米国のポジションは全く変わっていない。また、北朝鮮との会談の主なる目的は、CIVDは必要条件であり議論の余地の無いことを強調することである」と発言している。

更に、北朝鮮への接触に際しても、「米韓同盟は完全である。米国は文在寅大統領の“非核化の進展なくして北朝鮮との関係の進展はない”という方針を信じ且つ強く同意する」と言っている。

しかし、進展だけではCVIDを意味しない。これら代理大使の言葉は、全くの公式見解にしても、一貫していないように思える。

2)最近配信されたメルマガで、外交評論家の田中宇氏は、米国もCVIDを要求しないことは明らかで、米朝会談は彼等にとって成功するだろうと書いている。習近平もトランプも、CVIDは軍産共同体支配の米国が外国の政権転覆の道具として来たという見方で一致しているというのである。 http://tanakanews.com/180404korea.htm

田中氏は、北朝鮮は核弾頭の一部を隠し持ち続け、中国やロシアは、それを黙認せざるを得ないと現実的に考えている。そして、トランプも同様だというのだろう。田中氏は、米国の政治を裏から眺めるプロである。9.11についても米国の公式見解とは全く異なった見方をしている。つまり、いつもの英米特有の二枚舌外交をする可能性が大きいと見ているのである。

一旦開発した核兵器をCVIDという形で放棄するのは、リビアのカダフィの二の舞いになるので、非現実的だと田中氏は書いている。リビアと、ロシアと中国を近くに友邦として持つ北朝鮮は、かなり違う環境にあるのだが、それでも「核と政権と米国」の基本的力学は同じだろう。

日本としては、田中氏が考えているような米朝合意になりそうなら、少なくともその事実を国民に広く知らしめるべきである。

4月2日の虎ノ門ニュースの最初の方で、青山繁晴氏は米朝会談の開催の可能性が出た段階で、南北朝鮮の会談が具体化したという。つまり、それらの順番が最初だれもが思ったものとは異なるというのである。青山氏の言う通りなら、米韓は密接な連絡のもとに一貫した方針で、この問題の解決について話を進めていることになる。

青山氏もやはり、北朝鮮は核兵器の完全廃棄はしないだろうと言っている。https://www.youtube.com/watch?v=77z1JM2CrA4&t=2770s

この話は韓国代理大使の言葉の中にある“完全な米韓同盟”と重なる。米国は、既に裏では常識になっている“儀式的核廃絶合意”で話をまとめて、日本にはCVID、つまり完全且つ検証可能で不可逆な核廃絶、に北朝鮮が合意したという表看板をトランプの笑顔とともに見せるだろう。

その表看板を裏から補強する枠を打ち付けるために、首脳会談は全て米国主導で計画されたものだと言っているのだろう。

3)日本がなすべきことは、事実の把握である。そして、米国が表と裏を使い分けて、日本には裏を隠し通せると思わせないことである。つまり、米国に核廃絶の確認なしで(CVIDの原則に拘らず)北朝鮮を承認させないことである。

外交評論で著名な佐藤優氏も”口先だけ核廃棄”付き米朝合意を予想しており、米朝合意後に北朝鮮の経済開発のために、米国は日本に対して白紙小切手を北朝鮮に渡すよう要求するだろうと言っている。https://www.youtube.com/watch?v=Oc0t8EgvE2I&t=157s

その可能性があるのは、政権に近い青山氏が最初の動画で拉致問題の重要性を強調していることで想像がつく。(補足3)つまり、安倍総理が裏で、米国のCVIDの原則を放棄した上での北朝鮮の承認を黙認する代わりに、拉致被害者と言われる人たちを白紙小切手(補足4)と交換に北朝鮮から返してもらうという、合意をする可能性がある。

それで安倍政権は盤石になり、日本の安全が根底から毀損されるというシナリオである。吉田茂や佐藤栄作の対米盲従の姿勢を、その孫や兄の孫が繰り返すのである。

ただひとつ不思議なのは、佐藤優氏は上のyoutube動画の中で、文在寅政権の中の人が、トランプ大統領の政権内の人と上手くコネを創って、今回のCVIDなき核廃絶プランで話をまとめただろうと言っている。しかし、韓国の人たちは、核兵器を影で持つ北朝鮮が米国の政権保障を得ても、安心なのだろうか?

韓国の大衆も、日本の大衆同様真実を知らされていないのだろう。ただ、 文在寅氏は満足だろう。これで、文在寅氏は大統領を退いても、朴槿恵氏や李明博氏のように刑事訴追をうけることはないだろう。相当頭が良い人なのかもしれない。

補足:

1)この用語は、complete, verifiable and irreversible dismantlementの訳であり、CVIDと省略形で見出しなどに用いられる。
2)トランプ大統領が中国や日本からの鉄鋼やアルミに25%の関税を掛けると発表したのが、3月1日である。米国の強硬姿勢演出と米中貿易摩擦が金正恩の中国訪問を容易にしたのではないかとブログに書いた。本当のところはわからない。一時は以下のBBCの記事を正しいだろうと書いたが、これも全くわからない。 http://www.bbc.com/news/world-asia-43564834
3)何度も言うが、日本人拉致は日本政府が国民を拉致されたのであり、責任は日本政府にある。それは既に起こったことであり、遺族に対する賠償は日本政府がすべきである。取り返すのなら、憲法を改正して、軍事力を背景に交渉すべきである。その為に、日本の外交が歪められ、1億3000万人の命と子孫の命を天秤にかけるようなことは絶対に避けるべきである。
北朝鮮は日本にとって、外交上山のクマと同然である。クマが人を襲ったとしても、それは防げなかった行政の責任である。安倍内閣は、その喩えを延長すれば、「今後クマが人を襲わないように、山に餌場を造って大量の餌を置く。その為に、住民の非常食が少なくなっても仕方がない」という解決をする可能性があるのだ。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43611478.html
4)比喩的表現であり、白紙小切手など渡す訳がない。実際は日韓基本条約で韓国に渡した金を現在価値に換算した額程度の”協力金”だろう。

2018年4月7日土曜日

中国の朝鮮半島及び日本に対する最近の企みについて

今日、青山繁晴氏出演の虎ノ門ニュースから取り出したと思われる、重要なyoutube動画を見た(聴いた)。そこには中国に関する二つの重要な話が含まれている。https://www.youtube.com/watch?v=7oN7iK3uGVk

1) 最近尖閣諸島近海において、中国海警の船が多数活動している。そのことと関連して、行政組織に属する海警局を、中国政府は今年中に軍組織に編入する。その組織改変が、中国の尖閣を含め沖縄諸島を日本から奪い取る戦略に関係するというのである。 https://mainichi.jp/articles/20180323/ddm/007/030/111000c 

その戦略の背景として、中国は毛沢東の時代に尖閣諸島を日本の領土と認めていたことがある。これも青山氏の話の中に出て来るが、詳細は中国研究家として著名な遠藤誉氏(補足1)により報告されている。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130219/243926/?P=1

この記事は遠藤誉氏による日経ビジネス誌上の連載「中国国盗り物語」の一部であり、我々素人にはこのシリーズ記事は非常に勉強になると思う。

青山氏の発言の主旨は、“中国は過去毛沢東の時代(1950年代)に、尖閣が日本の領土であると認めてきたので、直接軍事行動で奪いとることは国際世論を考えると出来ない。そこで、日本海軍つまり海上自衛隊と尖閣周辺で軍事衝突を起こし、その成果として占領する”ことを考えているというのである。

日本の海上保安庁に相当する海警局を軍の中に編入するのは、日本から海上自衛隊をおびき出すためだという。つまり、日本は中国軍による尖閣占領が明確になるまで、軍事衝突を避けるのが最良の策である。それが沖縄を盗られないための策だということになる。

更に、当然のことだが、軍事的抑止力と経済力を持つことが中国との衝突を防ぐ為に重要になると思われる。

2)もう一つの重要な情報は以下の通りである。3月9日のトランプ大統領との電話会談で習近平は、朝鮮戦争の主要当事国の米国、中国、韓国、北朝鮮の4カ国で、平和協定の締結を含む「新たな安全保障の枠組み」を構築するように提案していたことが、共同通信の記事として紹介された。 https://this.kiji.is/352860349210477665

それは、東アジアの安全保障体制を朝鮮戦争終結とその延長として、日本とロシア抜きで決めてしまおうという、中国の米国への提案である。朝鮮戦争の終結に関することだけなら、国連軍として参加していた他国の意向次第であるが、当然4カ国でやってもらって良い。しかし、東アジアの安全保障体制に関しては、それだけでやろうという提案は非常に不愉快である。(補足2)

この話は、最終的にはトランプ大統領側の同意が得られなかったようだ。報道の通り(青山氏の説明通り)なら、それを提案した習近平の対日姿勢が明らかであり、中国は簡単には外交関係を深められない国であることが分かる。自民党の二階氏や公明党などに突きつけなければならない情報だと思う。

また、その話のなかで青山氏は、中国が日本の憲法改正阻止のために、自民党議員を含めた日本の国会議員への、広範な工作を行っていると言っている。つまり、森友問題などで1年以上も国会が占領されているのは、この工作が大きく働いているというのである。

補足:

1)満州生まれの女性物理学者、社会学者、作家。著書として、「チャーズ」が有名。中国共産党軍に包囲された長春では、餓死者が数十万人出たという。そこから共産党軍の検問を経て外に出るための関門がチャーズである。遠藤氏は、その生き残りだとウィキペディアに書かれている。山崎豊子著「大地の子」の中にも、主人公の陸一心と養父母がそこを潜り抜けるところが記述されている。ここは前半の感動場面であった。
2)外交を天ぷらに喩えると、種も大事だが衣を如何につけるかが大事だということだろう。知らぬ間に、重要な項目が衣に絡めて揚げられ、一丁上がりとなってしまう。

2018年4月6日金曜日

大相撲の土俵上は女人禁制である:何が悪い?

京都府舞鶴市での大相撲巡業で、土俵上で挨拶をしていた舞鶴市長が倒れた。土俵上に数人の男が上がったものの手を拱いていた。見かねて土俵に上がり、最初に心臓マッサージをして市長を助けたのは女性看護師であった。その後、①:“女性の方は土俵から降りて下さいというアナウンスが場内に流れた”が、女性看護師は救助隊員に救命行為を引き継ぐまで続けた。 https://www.asahi.com/articles/ASL456G6ML45UTQP021.html

②“相撲が再開となったときに、大量の塩を土俵にまいて、穢を清める儀式が行われた。”上記①と②に関して、その後批判が殺到した。相撲協会は①については謝罪をし、②については、力士が流血した際にも清めの塩撒きは行うので、女性が上がったことに対して行ったのではないとの言い訳をした。

土俵の上に女性が上がっては行けないというのは大相撲の伝統であり、それは周知のことである。当時官房長官だった女性の森山真弓氏が、優勝力士の表彰をしたいといって断られたのが1990年のことだったし、少年相撲で勝ち進んだものの女の子だったために蔵前国技館で決勝大会に出場出来なかった10歳の子供の話は、1978年のことだという。 https://www.news-postseven.com/archives/20160313_392117.html

テレビ報道でも話題になっているが、今朝のとくダネ!でもゲスト出演したやくみつる氏は、②については相撲協会の言い分に100%尻馬に乗る形で支持した。①については、マニュアル通りの行動で、緊急時には臨機応変に対応すべきだったと言っている。私は、嘘つき日本人の典型を見る思いで聞いていた。

しかし、やく氏は「緊急時は女性が上がっても良いとマニュアルに書くのも変だ」とも言っており、何が言いたいのか訳がわからない。ただ、別サイトには、「女性禁制を撤廃しろと言いたい」とか、「そもそも女性が不浄という感覚がおかしい。女性はよく、そんなこと言わせておくなと、当時(補足1)も思いました」とある。

本当に相撲を理解しているのだろうか? 後述の内館牧子氏の本(補足2)を読んでいないのだろう。それで相撲に詳しいなどとよく言えたものだ。http://news.livedoor.com/article/detail/14536670/

要するに、彼は何も分かっていない。私は、相撲において最初から女性が不浄だという感覚はないと思う。不浄なのは「女性のことを、勝負すべき土俵の上でも考えてしまう男のこころ」なのだろう。大相撲における土俵の上の女人禁制は、「土俵の上で、相撲以外のことは一切心から排除して、戦え」という意味だと思う。

つまり、土俵上の女人禁制は、「男同士で純な気持ちで戦いたいので、どうか遠ざかって見ていて下さい」というお願いであり、女性が汚らわしいという意味ではない。男にとって女性は魅力的な存在であり、それは筋骨隆々な力士にとって尚更のことである。女性が土俵に上がれば、一点の曇りもなかった男の闘争心に陰りが現れる可能性がある。女性の皆さんには、そう考えてほしい。

この件、海外でも話題になっていると、報道機関や新聞は騒ぎたてる。そんなことを国内に報道せずに、海外の同業者にしっかり説明すべきだ。勿論、市長は命の恩人である女性には感謝すべきだし、その後多量に塩を撒いて女性の気配を打ち消す儀式の意味も、新聞社など報道機関はしっかり説明してやれば良いと私は思う。(補足3)https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180405/k10011392311000.html

例えば、作家の内館牧子氏は、次のように説明しているという。(二番目に引用したサイト)「伝統の『核』を成す部分の変革に関しては、当事者にゆだねられるべきものと私は考えている。たとえば歌舞伎の女形や宝塚歌劇のあり方に関し、現代の考え方で『男女差別に怒りを覚える。男女平等に舞台にあげよ』という訴えがあったとする。そしてもしも、それが受け入れられたなら、その時点で歌舞伎でなくなり、宝塚歌劇ではなくなる」(要点のみ)

素晴らしい説明である。この内館牧子氏の言葉は、朝日新聞(2001年3月17日付)に掲載されたと上記サイトの文章にある。何故朝日は、内館牧子氏の意見を聞いて記事に書かないのか? それでは、火事が簡単に消されて面白く無いからなのか?

追補:(15:30)

上に書いたのは、土俵に女性を上げない理由についての一つの考え方である。一方、日本相撲協会の公式見解は、「土俵に招いた女神の嫉妬を招くため」の様である。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180405-00010025-fnnprimev-soci しかし一般には、「女性は汚れた存在だから」という説明を良く聞く。 

「女性は汚れた存在」という理由は、月経との関係で女性に加えられた制約と関係しているだろう。例えば月経の時には、プールにも、公衆浴場にも入れない。その常識があるので、土俵に登って欲しくない理由として、分かり易く(しかし男の身勝手として)利用したのだろう。 

何れにしても、土俵といえども治外法権の空間ではないので、緊急事態には相撲は停止され、土俵上も一旦相撲場のルール支配から、社会一般のルール支配に変更されることになる。ローカルなルールの設定は、公共の福祉に反しない範囲で自由だと思う。 

同様の理由により、男性も女性用シャワー室や女性用更衣室を緊急時に使うことは、実害のない範囲で許されて良い。人に男女の区別がある限り、平時におけるローカルなルールの設定は、いちいち非難されることではないと思う。 (公益法人であることとの関連はここでは議論しない。)

補足:
1)大阪府知事だった太田房江氏も、土俵の上に上がって優勝力士の表彰をしたいと言って断られた。当時とはこの2000年の出来事が議論された頃を指す。
2)内館牧子著「女性は何故土俵にあがれないか」(幻冬舎新書)読んでいないので、コメントはできないが、後述の内館氏の意見が書かれているだろう。
3)http://www.bbc.com/news/world-asia-43652428 何も分かっていないと誰か言ってやれ。この種の新聞は、政治問題でも全てこの程度の理解で記事を書いているのだろう。BBCだろうが、ワシントン・ポストだろうが、情報提供しているのか、プロパガンダをしているのかわからない。

2018年4月4日水曜日

北朝鮮と現時点で情緒的付き合いをすべきでない:韓国芸術団とIOC会長の愚かな訪問

北朝鮮の非核化問題から、米朝戦争や第三次世界大戦の勃発が危惧されて久しい。しかし、韓国文在寅大統領のオリンピックを利用した宥和作戦で、南北朝鮮トップ会談から米朝トップ会談までがスケジュール化されており、朝鮮半島の核排除と和平への期待が高まっている。実現すれば、文在寅のノーベル平和賞の声も聞かれる。http://www.sankei.com/world/news/180320/wor1803200044-n1.html

この動きに対して、一条の光がさしたように感じる人は多いだろう。ただ、この延長上に北朝鮮の非核化があるとは到底思えないことは、多くの専門家が語っている通りだろう。そして米朝トップ会談が5月中という準備期間をあまり置かないでスケジュール表に乗せられたことは、軽挙妄動だと考える人も多い。http://www.hochi.co.jp/topics/20180309-OHT1T50043.html

最近のトランプ大統領の政策を見て、彼を評価してきた日本の政治評論家の一部(補足1)は、淡い希望を見出してトランプに飛びついただけで、本当はテレビでデーブ・スペクター氏らのこれまでのトランプ批判が正しかったのかもしれないと思う。(3/30; 4/1の記事参照)

そうは言いながら、”瓢箪から駒”という言葉もあるので、これらのトップ会談から北朝鮮の非核化と米朝和平の実現に期待している人が殆どだろう。それを望むのなら国際社会が忘れてはならないことある。それは、北朝鮮の金正恩がこれらの会談に向けて、非核化の意志を表明したのは国際的圧力で疲弊した結果であり、その圧力を国際社会が一致して継続するのが平和への唯一の道だということである。

歴史的経緯はともかくとして、現在世界の秩序を破壊する方向に進んでいるのは北朝鮮の金正恩政権である。(補足2)それを止めさせる難しい交渉に向かうのは、米国のトランプ大統領である。その両者の“会談という戦い”の背景にあるのは、北朝鮮の核兵器と米国の武力及び経済力である。中でも、北朝鮮への圧力の本体は、米国の武力攻撃の可能性である。

その米国の武力攻撃の可能性という「刀」に対して、それが鋭利な光を保つように、当事者だけでなく国際社会は一致して協力しなければならないと思う。

それに反する行為が、表題に挙げた韓国芸術団とIOCバッハ会長の北朝鮮訪問である。韓国芸術団の北朝鮮公演を止めることが文在寅に出来たのなら、何故止めなかったのだろう。バッハ会長は何故、あのような会談を行ったのだろう。おそらく彼ら、特に後者は、ノーベル賞狙い(文在寅氏と共同受賞?)の気持ちが強いのだろう。愚かな行為だ。

付録:殆ど全ての賞には、嘘が伴う。その中でもノーベル平和賞ほど、馬鹿げた賞はない。ノーベル賞は諸分野の歴史教科書に付けられた付箋紙のようなものかもしれない。しかし、それは選考委員が私的な判断でつけたものである。その付箋紙だけで歴史を勉強したような気になる人が多いと私は危惧する。

付箋紙をつけることや、重要箇所に線を引くのは教科書を持つ人の自由だが、それは教科書を汚すことになる。他の人も利用する図書館の本なら、付箋紙をつけたり線を引いたりすべきでない。付箋紙には本来価値などないことを人は知るべきだ。 (なお、日本の褒賞制度や国民栄誉賞は、もっと悪質である。)

補足:

1)米国の金融資本家がグローバル世界の成立を目指して、米国の政治を支配してきたというモデルで、世界政治を考える人たちである。ロックフェラーの回顧録に、そのようなグローバル化の活動を誇りに思うという言葉が書かれていると、政治評論家の馬渕睦夫氏は言っている。
2)朝鮮戦争の休戦協定にあるように、早期に和平の話し合いを始めなかった米国に、これまでの朝鮮半島の混乱の責任がある。それについては何度も書いてきた。

2018年4月1日日曜日

トランプの米国とどう付き合うか? 北朝鮮問題と貿易戦争

1)トランプと金正恩の駆け引きをマッドマン理論で考えてきた。マッドマンの勝負は、何方の化けの皮が剥がれるかで決まるのだが、それはあくまで理論が当てはまる場合に限られる。マッドマン理論で分析が可能な前提は、両方ともまともな人間だということである。片方が本物のマッドマンなら、結末は予測できない悲劇的なものだろう。

最初にマッドマンの仮面を脱いだのは、北朝鮮の金正恩であった。その正体は、老練とも思える政治家であった。一昨日夜、NHKの21時のニュースで報道された、ロシアプーチン大統領の評価の通りである。金正恩を成熟した政治家だとプーチンが評価した理由は、あの情況下で世界のどこにでも届く核兵器を開発し、外交力を得た実績である。

しかし、トランプ大統領は未だにマッドマンの仮面を脱いでいない様に見える。米国は正面から、そして中国は背後から、北朝鮮に非核化の圧力を掛けていた筈だった。しかし、予定している米朝会談の一ヶ月少し前に、その戦略を台無しにしている。貿易戦争を中国と始めてしまったのである。そのチャンスを見て、金正恩は恐らく以前から進めていたと思われる中朝会談開催交渉をひと押しして実現し、中国を味方に引き入れた。

ティラーソン国務長官のクビを切り、マクマスター安全保障担当補佐官を超鷹派と言われるボルトンに換えることで、北朝鮮に最後の圧力を掛けたと思った矢先、それを打ち消すことになる貿易問題を持ち出して、圧力を掛ける役割だと思っていた中国を反対側に向かせてしまった。 これでは、トランプは本当にマッドマンであり、米国の余剰武器を使うために戦争をやりたいのかもしれないと、思う人も多いだろう。本物のマッドマンなら、マッドマン理論で上手くやっているとトランプを評価していた人たちの立場は根底から覆ることになる。

2)モノゴトがわからなくなった時、すべきことは視野の拡大である。つまり、思考の前提や自分の眼も疑う方向で、思考範囲を拡大すべきだろう。我々日本人は、どうしても北朝鮮非核化を最重要課題という前提で考えてしまうが、本当はそうではないのかもしれない。

そのように考えると、直ぐに一つのモデルが頭に浮かぶ。つまり、米国のトランプにとって重要なのは、北朝鮮問題よりも、貿易赤字問題の方だということ、そしてそれを言い出すことで次期選挙を有利にすることである。(補足1)

その場合、トランプは北朝鮮と和平を実現し、金正恩はその代わりに今後ICBM開発に向けた核兵器開発の放棄と、絵に書いた核兵器全廃プロセスを差し出すだろう。それをトランプは大成果として国内で宣伝するが、日本は核保持国の北朝鮮と付き合って行く最悪の結果になるだろう。その事態に対する対策を考えるべき時に、日本で出されている蚊帳の外論とか乗り遅れなど全く意味のないどころか、有害無益だと言うことになる。

今回の米中朝韓の外交問題は、元々日本に無関係な朝鮮戦争の後始末であり、蚊帳の外が当然である。それよりも、米朝和平後に核保持国となった北朝鮮が実質的に韓国を併合する(補足2)時、日本の防衛をどう実現するのかを考えるべきである。

この時点でも、日本はトランプの米国と友好関係を深める努力をすべきだと思う。友好関係とは両者にとって利益となる関係であり、それを冷徹な計算で実現すべきだと思う。日本人は、外交まで情緒的に考える傾向があるが、それは間違いだろう。

そして、米国の支援を得て、核抑止力を出来れば自前の核武装により、当面は米国の核配備により実現すべきである。友好を深めるためには、米国の貿易赤字の解消に一層の努力をすべきである。牛肉などの農産物の輸入、シェールガスやオイルなどの輸入など方法はいろいろあるだろう。

日本人は、米国の車をもっと積極的に評価すべきである。(補足3)また、レクサスで十分なのに、下らないドイツ車を輸入する悪癖を改めるべきだ。それらの草の根運動を始めるのも良いだろう。


トランプはマッドマンかもしれない。しかし日本がすべきことは、自分のことは自分でするという基本中の基本をより強く自覚することだろう。そして、マッドマンならそのマッドマンを如何に利用するかを考えるべきである。

最後に繰り返しになるかもしれないが、短くまとめる。

日本はこれまで北朝鮮と外交はなかった。一方、米国とは濃厚な外交関係にあった。そこで第一に考えるべきは米国との外交であり、それに比較した場合北朝鮮問題など小さい。拉致問題は存在するが、それは一億三千万人の生死よりも遥かに小さい問題であり、外交が拉致問題に拉致されてはいけない。米朝開戦となれば、日本で数十万人死亡するだろう。それを回避すべく行う外交は、北朝鮮相手ではなく米国相手の外交であると思う。 (以上は、素人のメモです。)

補足:

1)トランプはアマゾンを攻撃している。アマゾンはこれまであった中小の商店などを破壊し、それにも拘らずまともに税金を支払っていないと言っている。つまり、経済構造の変化或いは進化を否定するような発言をしているのである。本当のマッドマンの可能性は残っている。
2)おそらく、中国と香港のような一国二制度で、連邦制を取るだろう。そして、韓国民にとって、香港人のような苦しい時代が始まるだろう。文在寅は、戦争を避けるべく米朝の間を取り持つことに成功したが、主役としての出番は無くなった。金正恩の方が、役者が一枚も二枚も上だった。
3)どうでも良いことだが一言。これまで私が乗った最高の車は、1980年代に買ったシボレー・マリブ(two door coupe)であった。その次が今乗っているトヨタのアベンシスである。