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人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2019年12月29日日曜日

国会はウイグル人権弾圧非難決議を出せ:全ての国民はウイグル人の人権を自分の問題として考えるべき

 

1)国会はウイグル人権弾圧非難決議を出すべき:

 

私は常々、国際社会は本質的に野生のルールが支配する世界だと書いてきた。しかし、中国によるウイグル人などの人権無視に対する世界の国々の立場表明は、この国際社会も多少地球共同体的な面も持ち合わせていることを示している。それが、人類絶滅の前の虚しい夢で終わらないことに期待したい。

 

この国際社会の共同体化の流れ?を確固たるものにするには、世界の各個人(その集積として各国)がその意志を明確に示すことが何よりも大事である。既に、欧州議会は中国のウイグル人権弾圧非難決議をしたという。米国では既に、その件を含めて中国とは准戦争状態にまでなっており、今回、2022年の北京オリンピック開催中止を要求すべきだという国民の意見が、政府に届けられたという。

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=TmKtpM1z-O4

 

日本でも、国会はこの問題を緊急課題として議論し、同様の非難決議を目指すべきである。右派の方々も、習近平の国賓としての招聘中止を要求するより先に、国会での中国のウイグル人権弾圧非難決議を優先して要求すべきである。

 

国会は、この非難決議を出したあと、例えば同じ趣旨の総理談話の発表を要求するべきである。その後、習近平の国賓としての招聘中止に何らかの形に結びつく筈である。それに政府が応じなければ、内閣不信任案の決議を行うべきである。兎に角、招聘は行っても、天皇陛下に会わせるべきではない。

 

2)民主主義と異文化共存の問題:

 

現在民主主義制をとる諸国家において、政府諸機関は全て国民の上に築かれていることは事実である。従って、本物の民主国家にする方法は、理論的には簡単である。国民全てが独立に自分の意見を表明し、その積み上げた結果で政治家が選ばれれば良いだけである。

 

その前提には、国民全てが同じ文化の下に生きているか、生きることに同意しているかの、どちらかが必要である。

 

国家の政策の殆ど全てが、国民の生活向上を目的とするのなら、その政策はその国の文化と不可分である。教育の問題、家族制度の問題、宗教の問題、社会福祉の問題など、全て国の文化と不可分である。

 

その国の国民でありながら、異文化の下で生きることを優先する人々が、マイノリティとして存在すれば、その文化に関係した重大な決断を、国家は民主的に出来ないことになる。それはマイノリティだけでなくマジョリティの権利侵害となる可能性もあるからである。

 

例えば、天皇制廃止をマイノリティが発議し、それに同調するマジョリティの一派が少数でも加われば、可決もあり得る。それは古来の日本文化の下で生きている人々の伝統的生活を破壊することになる。それは、国家が大きな不満、場合によっては抑えがたい怒りのエネルギーを抱え込むことになる。

 

多数決が民主主義の基本であるから、異民族共住は、その国にはその文化に関連した諸問題に関して(つまり上記のように大半の問題に関して)、主張と我慢が同居することになる。そのエネルギーは、別の圧力、例えば不況など、が加われれば、その国を政治的に不安定にし、マイノリティ虐殺などの悲劇の原因になりえる。

 

従って、ある国の主なる文化に同化しないと明確に意思表示した異民族、中国のウイグルやチベットなどは、その民族が多数派である地域において別途国家を形成し、独立国となるべきである。それをその国、ここでは中国が、認めるべきである。

 

人間の文化は、人類絶滅あるいは単一民族による他民族虐殺などの悲劇がなければの話だが、遠い将来には単一のものになるだろう。それは、全ての人の生活向上とインターネットなどの通信手段の発達が駆動力となって進むだろう。もし、個人の好みを残して、単一の文化とみなせるようになれば、世界の国境は意味を失うだろう。

 

それが本来のグローバリズムのあり方である。これまでのグローバリズムは、新しいタイプの植民地主義に過ぎなかった。その方向に向かって、中国も米国など主要国は先頭にたって努力すべきである。


(14時編集)

2019年12月27日金曜日

大中華圏構想に日本は参加すべきではない:RCEP反対論の動画を見ての感想

最近、私は朝起きて最初に見るのが、及川幸久氏のBreaking news である。情報の確かさ、分析と論理の正確さなど抜群であると思う。(補足1)

 

今朝も、及川版Breaking newsを見て、深く納得したのだが、それを要約し自分の短いコメントを後ろに付け加えて紹介したい。今日のテーマは、この24日開催された日中韓首脳会議の主要議題でもあったRCEPについてであった。(補足2)RCEPは日本に不要であるという趣旨の話である。https://www.youtube.com/watch?v=Y1t3oPPBmRM

 

RCEP (Resional Comprehensive Economic Partnership)は、二階俊博が2006に提唱した東アジアEPAから始まったという。オセアニア、インド、東アジアの国々の間の自由貿易協定である。現在の加盟国は、ASEAN諸国に、日中韓、オーストラリア、ニュージーランドとインドを加えた国々である。

 

TPPとの大きな違いとして、及川氏は中国を含む点と規定が緩いことであると解説する。内容は一般の自由貿易協定と同じで、関税を無くすこと、サービス分野の規制緩和や投資障壁の除外、国を跨いだ広域のサプライチェーンの実現、通関コストの大幅な低減などである。

 

元々インド、オーストラリア、ニュージーランドはやる気があまり無い。中でも、インドのモディ政権はRCEPから抜けると言っている。その理由は、安い中国製品の流入で多くの失業者が出るからだという。インドが抜ければ、完全に中国主導の協定になってしまう。

 

TPPも、一般の自由貿易協定と同じく締結が大変だった。その日本における反対論の根拠は、米国の安い農産物が輸入され日本の農業に打撃になるからである。しかし、RCEPに関しては、中国の安く安全性が米国産以上に疑わしい農産物や工業製品が無関税で輸入される危険性があっても、マスコミは沈黙しているし、国民運動にもなっていない。何故なのか?

 

RCEPを締結したら、中国が米国の同盟国である日本、韓国、豪州と自由貿易協定を結んだことになる。それは政治的にも大きな問題を将来抱えることになるだろう。及川氏は更に、中国や韓国は、現在日本と最も関係が悪い国である。RCEP締結は、敵に塩を贈ることになるではないのかと言う。全く同感である。

 

私は、コメント欄に以下の文をかいた。

 

控えめに言っておられますが、すぐに連想するのは大中華圏構想です。その片棒を二階氏が担いでいるように見えます。類似した協定としてTPPをあげておられますが、中国が目指すのは、EU連合のアジア版だと思います。そう考えれば、危険きわまりない。安倍氏は、そこから、インド太平洋構想という言葉を思いついたのでしょうが、何とか安倍氏から政権を取り上げるべき時期だと思います。

 

このように安倍氏は、昨年10月以来、非常に中国寄りの姿勢を強めている。それを、憲法改正に対して中国から大反対運動が起こるのを防止するためだと分析する人もいる。私も嘗てそのようにかんがえたことがあった。しかし、それは全くの間違いである。

 

何故なら、主権国家が、自衛戦争をする権利は自然権であり、どこの国も反対できないからである。敢然と、その反対運動に立ち向かうことができなければ、そもそも最初から自衛権を放棄した事大主義の国であることを認めることであり、憲法改正を主張するのは自己矛盾である。

 

安倍氏や二階氏が、あの李氏朝鮮のような事大主義に徹するつもりなら、彼らはまさに売国奴である。彼らを頂点に戴く自由民主党は売国奴集団であるということになる。

 

補足:

 

1)昨日紹介した武田邦彦氏の動画の対局にあると言える。因みに、及川氏のBreaking Newsの次に毎日見るようにしている動画は、妙佛 DEEP MAXである。二人とも、海外在住で金融関連の仕事に従事していた方々である。金の動きを見ていた人の分析の方が、人を見てきた人の分析より確かである。元外交官という人たちは、諜報関係でなければ、海外在住の時に見てきたのは、本当の人の姿かどうかも怪しい。

 

2)先日の日中韓首脳会談でもRCEPへ向けた積極姿勢が再確認された。https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2019122401002680.html

 

 

2019年12月25日水曜日

日中韓サミットは大中華圏構想の一つ?

 

日本の安倍総理は四川省の中心成都市で3ヵ国の首脳会議に出席した。朝日新聞の報道を少し引用する。https://www.asahi.com/articles/photo/AS20191224001377.html

 

安倍晋三首相は24日、中国・成都で中国の李克強(リーコーチアン)首相、韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領と日中韓首脳会談を行った。日中韓協力や北朝鮮情勢といった地域・国際情勢について議論する。首脳会談に先立ち、3カ国の経済界が集う「日中韓ビジネスサミット」も開かれた。

 

 

この日中韓首脳会議は、3カ国が持ち回りで開催する。アジア通貨危機を機に1997年から始まった「ASEAN+3」(東南アジア諸国連合の枠組みで開かれた日中韓首脳会議)より独立する形で2008年から始まった。麻生首相の時に第一回が日本で開かれたのである。漢字もろくに読めない麻生という無知な政治家が、どうせ何処かの国の誰かに乗せられたのだろう。(補足1)

 

日本と韓国からは国のトップが、中国からはNo2が出席する。元々、経済の安定を主眼に開かれたので、中国の国務院総理がその部分で実権を握っている場合、それで良いようにも思える。しかし、現在は国際的な外交問題も話し合っている。

 

今回も、北朝鮮問題などが議題になっている。北朝鮮問題の鍵は中国の習近平主席が持っているにも拘らずにである。サミット終了後の記者発表で李首相は、北朝鮮の非核化をめぐる問題について「対話と交渉が朝鮮半島の問題を解決するための唯一の有効な方法だとの認識で一致した」と述べたと、産経新聞が伝えている。

https://www.sankei.com/world/news/191224/wor1912240013-n1.html

 

この日中韓サミットは、私には大中華圏の地域担当者会議に見える。大中華圏のトップとして習近平は北京にふんぞり返っている。昨年から大中華圏入りの姿勢を示している安倍総理には、ふさわしい会議だろうが、日本国民の一人としてはこのような会議は作るべきでは無かったと思う。私には、麻生太郎は祖父の吉田茂とともに、売国奴に見える。

 

現在の中国を想定した大中華圏構想に日本は参加すべきではない。中国の傘下に入れば、日本人全てがウイグル人のように、或いは、それ以下の境遇になるだろうと私は考える。

 

以下は、収容所で強制労働させられている外国人が、こっそりと販売用のクリスマスカードの一枚に助けを求める文を書き、英国で販売されたものである。

 

https://www.bbc.com/japanese/50889026

 

現在、かなりの数の日本人も同様の境遇に居る。尖閣問題も益々深刻になっており、日中間には日本にとって致命的な未来が横たわっている。

 

それでも尚、文在寅が帰国したのち安倍総理だけが中国に残り、今日李克強首相から四川省遺跡の観光案内を受けるという。来年の習近平の国賓としての来日を成功させたい中国側の思惑があるとメディアは分析する。安倍総理は、そんなことをしている場合か?

 

人権も論理も国際慣習も無視する、宗教を持たない国を相手に出来るのは、米国やロシアなどの軍事強国しかない。そのロシアも中央アジアで勢力を増している中国に神経質になっているという。

https://foreignpolicy.com/2019/12/23/china-russia-central-asia-competition/?utm_source=PostUp&utm_medium=email&utm_campaign=18854&utm_term=Editor#39;s%20Picks%20OC

 

世界から警戒される中国に、日本の安倍政権が深く取り込まれる可能性が非常に高くなってきた。そのように感じる。

 

補足:

 

1)漢字もろくに読めなくても総理大臣になれる国。そして、それが国民にバレても、副総理になれる国が日本である。https://www.j-cast.com/2008/11/21030808.html?p=all 

2019年12月24日火曜日

再録)マッカーサーと吉田茂

2016年3月の記事からの再録である。12月20日の記事「国家の没落を我々は食い止められるのか:ロックインモデルを用いた考察」に吉田茂の罪について書いたので、その点を補強する意味で掲載します。

 

戦後史の本である片岡鉄哉著「日本永久占領」(講談社α文庫、1999; さらば吉田茂—虚構なき戦後政治史、文芸春秋1992)を読んだ。その前半に書かれている米国の占領政策と日本の政治は、連合国最高司令官であるマッカーサーの独善的な個性に大きく依存した。そして、それに協力した吉田茂の役割も大きかったと思う。憲法と天皇に関する部分についてまとめ、感想なども追加して書く。(引用は文庫版の頁で行なった)

1)天皇制と憲法

ポツダム宣言にも、占領軍により通知された「降伏後初期対日政策」にも、天皇制維持の保障は何も書かれていなかった(補足1)。実際、米国国務省からマッカーサーの下に政治顧問として送られたジョージ・アチソンは、「天皇を処刑するのも一つの選択肢である」とトルーマン大統領に助言している。(54頁)一方、マッカーサーは敗戦国の元首の処刑には武人として抵抗がある上に、円滑な占領政策の遂行には天皇の協力が不可欠であると考えた。

マッカーサーは天皇を救うために、天皇制を明記した憲法に改定することを考え、幣原内閣に新しい日本国憲法草案の作成を命じている。国務省から憲法問題への干渉をなくすこと、具体的には、アチソンの憲法への関与を取り上げる目的で、それをGHQ民政局(GS、Government section)の専管事項とした(補足2)。1946年2月1日に、内閣の憲法問題調査委員会委員長である松本烝治国務大臣が作った原案が毎日新聞にスクープとして出た。松本案は天皇を立憲君主制の元首と位置付ける草案だった。マッカーサーはそれを却下し、二日後民政局に1。天皇を国民統一の象徴とする、2。戦争を放棄する、3。華族の廃止を骨子とした草案作成を強引に指示する。しかしこれは、ポツダム宣言第12項の規定を無視したことになる。(補足3)

松本草案の却下と民政局作成の草案を示された時、内閣を構成する人々は茫然となった。特に外相・吉田茂の顔は憂慮に満ちていたと書かれている(補足4)。民政局に説明されても内閣では受け入れるという結論に達しないため、又も最後は天皇の聖断(2月)を仰ぎ、受け入れることになる。その後、幣原内閣は総辞職する。(補足5)

そして、6月20日開催の国会で憲法が議論されることになる。幣原の後に総理大臣になった吉田茂は「これは自由に表明された日本国民の意思に基づいたものであります」と説明する役割を担うことになる(補足6)。マッカーサーのその後の異常とも思える日本統治は、すべてこの憲法を守り抜くことが縦糸として存在すると考えれば、説明がつくと「日本永久占領」には書かれている。

マッカーサーは、「日本の憲法を書く機会をつかんだときに、これでシーザーになれると思い込んだのだった」と著者は書いている。そして自分の作った憲法に強い執念をもち、全てにおいて憲法が出発点になった。(148頁)この考え方は一般的ではないかもしれないが、マッカーサーの性格などをウィキペディアでみると分かるような気がする(補足7)。https://ja.wikipedia.org/wiki/ダグラス・マッカーサー

憲法改正を言い出さない社会党を執拗に育てようとしたことも、その考え方で納得が行く。そして、1949年の選挙で大勝するまでは、吉田茂はマッカーサーのしつこい虐めの対象であった。吉田が選挙で大勝したあと二人は緊密に連携するようになったことの裏に何かあるはずである。つまり、憲法を守る二人の約束があったとすれば説明がつく。(153頁)そして、吉田は憲法改正よりも経済優先の政策を始めることになる。憲法は1946年の11月3日公布、翌年1947年5月3日施行された。

東京裁判は1948年に閉じられ、天皇が罰せられる危険性は消えた。1951年4月マッカーサーは司令官を首になり、その年の9月8日にサンフランシスコ平和条約の調印が行われた。しかしその後、吉田政権及び吉田学校の出身者の内閣からは、憲法改正の話はでなかった。

2)マッカーサー統治の評価

マッカーサーが天皇陛下を救ったのは、円滑な武装解除と新しい日本の構築が目的であった。大規模な要人追放(パージ)で、社会党などの左翼を一大政治勢力にしたのは、日本の政治を大きく左方向に旋回させるためであった。新憲法を含む大規模改造は、天皇の命を救うことと引き換えになされたため、日本国内での強い反対を封じることになった。国民一般にも非難の声が広がらなかったのは、厭戦気分と日々の生活で精一杯だったからだろう。ひもじい思いをしていた日本人に食料を放出し、DDTをかけてシラミ退治をしてくれたことも、寛大な占領軍を印象つけたのだろう。

一方、国務省から視察に来たジョージ・ケナンはマッカーサーの日本統治を厳しく批判している。「マッカーサー将軍のこれまで(1947年4月)の占領政策は、一見して共産主義の乗っ取りのために、日本社会を弱体化するという特別の目的で準備されたとしか思えないものだった」と回想録(George F. Kennan,”Memories” p376)に書いているそうである(補足8)。

つまり、世界は冷戦の時代に入っており、米国本土では日本との講和条約の締結と再軍備が考えられていた。戦争放棄の憲法には国務省は懐疑的であり、国防省と統合参謀本部は絶対反対していた。裸の独立国家にはあり得ないからであり、従って、講和条約の交渉で日本の首相が改憲と再軍備を主張すれば、両省は支持するのに決まっていた。(149頁)

マッカーサーは日本の再軍備に反対であった。「それまでおこなってきたことと矛盾し、日本における我々の威信を傷つける」と言ったという。つまり、日米の政治よりも自分のメンツを優先したと考えられる。その他、再軍備は極東の諸国を離間させる;再軍備しても植民地なしでは5等の軍事パワーにしかなれない;コストが高すぎて日本には賄えない;日本人自身が反対している;そして、最後に”日本の軍国主義を復活させる”が後日付け加えられた。

そこで、マッカーサーは講和条約と同時に米国の日本防衛義務を考えていた。これらは全てマッカーサー憲法を守るために考えられたというのが、この本に書かれた戦後史のモデルである。とにかく、日本の現在まで続く異常な政治の原点がここにある。

3)以下感想を混ぜて書く。

その後マッカーサーは、米国議会での証言で「ドイツ人は45歳だが日本人はまだ12歳くらいである」という言葉を、日本と自分の政策の弁護のために用いた。

私には、日本人はマッカーサーにより20歳の青年から、12歳の少年にされてしまったと思う。それまで20歳の未熟な青年レベルだったというのは、明治憲法における国家の形が、権力と権威を分離するものであり、国家の方向を決めるシステムとして不完全だったからである。そのため、肝心な場面で内閣だけで決断ができない。また、戦争で負けてもその責任の在り処が明確に出来ず、同じ間違いを何度も繰り返すことになる。

立憲君主制に拘れば、天皇処刑の理由を米国国務省やロシアなどの他の連合国に与えることになる。それでも、内閣で象徴天皇制の受け入れを決められず天皇の聖断を仰いだ(86頁)ことも、明治体制の不完全性を証明している。明治憲法は明治維新後、明治時代の早い時期に象徴天皇制に改正すべきだったのではないだろうか。それができなかったことは、明治維新も日本独自で成し遂げたのか疑わしいということになる。(最近、西鋭夫はそう講演しているらしい。(例えば: http://mickeyduck.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-f92d.html

吉田茂は、憲法ができ象徴天皇制として天皇の地位が安泰となったのち、マッカーサーの下で権力を振るうことになる。再軍備と憲法改正に反対だったマッカーサー路線を、マッカーサーが帰ったのちも引き継ぐ。経済発展が先ず大事だというのはわかる。しかし国家の骨組みである憲法をまともな形に改正できないことはない。既定路線を走る官僚的政治家だったのだろう。

この本の210頁に書かれている文章をコピーする。
吉田とマッカーサーは何をやっていたか。彼らは、米国政府の政策と日本の国益に反して戦後体制を温存していた。逆コース(まともな独立国に日本を戻すこと)をサボタージュしていた。マッカーサーは追放の解除を引き延ばして、吉田内閣の安定をはかっていた。吉田は再軍備阻止のために社会党と裏取引をやっていた。吉田は1949年の総選挙以来、官僚を政治に登用して、追放中の職業政治家のお株を奪おうとしていた。(後日、これが吉田学校となる。)そして、もっとひどいことに、二人だけで日本の将来の外交を恣意的に決定しようとしていたのである。

マッカーサーが朝鮮戦争の方針でトルーマンの意向に反したことで、1951年4月司令官を首になる。日本を離れる時に、沿道に20万人の日本人が詰めかけて見送り(補足7)、毎日と朝日の両新聞はマッカーサーに感謝する文章を掲載したとのこと、更に、衆参両議院がマッカーサーに感謝決議文を贈呈すると決議し、東京都議会や日本経済団体連合会も感謝文を発表した(ウィキペディア参照)。

一般市民は何もわからないだろう。しかし、新聞や国会のこの姿は非常に情けない。日本国のまともな政治家などを根こそぎ追放され、国家の骨組みを破壊されたことを感じてさえいないのだろうか。その後、マッカーサーが行った米国議会での証言を聞いて、マッカーサー記念館の創設などの話は立ち消えになったという。騙す方も悪いが、騙される方にも責任があると思う。

補足: 1)ポツダム宣言には天皇の地位に関する記述はなかったので、政府は「天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含し居らざることの了解の下に、帝国政府は右宣言を受諾す」と8月10日(1945年)連合国側へ回答した。しかし、12日に米国から「降伏の瞬間から、天皇と日本政府の国家統治の権限は連合国最高司令官に従属する」という回答が届いた。従属するという文章に議論が起こりまとまらないので、天皇は14日の御前会議で宣言の受諾を確認された。内閣書記官長の書いた終戦の詔勅には、国体の護持に成功して降伏するとの一節が入っていた。しかし、皇室の安泰について、米国政府は何の約束もしていなかった。


2)マッカーサーの資格は連合軍最高司令官(SCAP)と米軍の極東司令官であった。SCAPとして行うことには、米国国務省の力は及ばなかった。


3)ポツダム宣言第12項「日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める。この項目並びにすでに記載した条件が達成された場合に占領軍は撤退するべきである。」


4)この時、民政局長のホイットニーから、他国からの天皇を処罰せよとの圧力が強くなっているので、この案を作ったという説明がされた。


5)「天皇が統治するが、各省大臣は天皇を補弼する」という権力の在り処が分からない憲法では、最も大事な場面で天皇の聖断を仰ぐという形になる。これではまともに国家の運営などできないことは何度も学習してきた筈である。それでも、この形に拘る幣原首相や吉田外相などの日本の官僚出身政治家は、性根から自分は一ミリのリスクも取らず、長いものには巻かれるのである。 新憲法に関する人民投票は4月10日行われた。幣原内閣は22日に総辞職し、その後の選挙で鳩山一郎の自由党は第1党となるが、直後に鳩山は追放される。マッカーサーはまともな政治家は徹底的に追放するのである。


6)これは「日本国国民の自由に表明した意思」というポツダム宣言第12項の体面を繕うためである。そして吉田は、「国体が維持されるという保証があったから日本はポツダム宣言を受諾したのであり、この憲法で国体は事実上維持されたと言明した。しかし、民政局から「日本の降伏は無条件降伏である。発言を訂正せよ」とのクレイムがついた。つまり、GHQはポツダム宣言にこだわっていないことになる。因みに、吉田はこの時第9条について「これは自衛の戦争も否定するものだ」と言っている。


7)3代前は英国人(スコットランド)だったというが、名誉欲が強く、制服を嫌い格好つけることに熱心、絶対に自分の間違いを認めない性質など、この人のキャラクターが日本統治に濃く反映されたのではないだろうか。マッカーサーが解雇されて米国に帰る時、20万人が沿道で見送った。それを、マッカーサーは回顧録で200万人と書いているという。このエピソードも、この人の性格をよく表していると思う。


8)ケナンは、「パージは全体主義的だ」と決めつけている(111頁)。更に、東京裁判についても、「戦争指導者に対する制裁は、戦争行為の一部としてなされるべきであり、正義とは関係ない。またそういう制裁をいかさまな法手続きで装飾すべきでない」と言っている。


米国の政治勢力も一枚岩ではなく、政治や外交においても、多くの勢力のせめぎあいの結果であると思われる。

2019年12月23日月曜日

教師間のイジメについて:被害教師は自身の尊厳を守るべく行動すべきだった

1)事件の概要と問題提起:

 

凄絶な教師間のいじめが発覚した神戸市東須磨小学校の件、昨夜のサンデーXというテレビ番組で放送されていた。そこでは橋下徹元大阪府知事や太田光さんなどが議論していた。彼ら出演者の議論は、若干未整理なように思えたのでここで議論してみたい。

 

その事件を報じたある記事からその概要を書く。主犯格は40代の女性教師。彼女に30代の男性教員ら3名が加わって、20代の男性教師に激辛カレーを無理やり食べさせたり、目に入れたり、被害者所有の新車の上に土足で乗ったりするイジメを繰り返したようだ。

https://www.j-cast.com/tv/2019/10/08369515.html?p=all

https://waon-guam.com/sumashou-ijime-hasegawa/

 

その被害男性教師は新任教師であり、主犯格の40代女性教師(A)が彼の世話係となり、二人はよく行動を共にしていたと言う。週刊誌報道によると、被害男性がAに交際相手の女性を打ち明けたことが、暴行が始まる切掛だったようである。従って、原因は明らかである。ただ、それが事件化した背景には日本の現代の文化がある。(補足1)

 

上記テレビ番組では、この事件について口角泡を飛ばして議論していたが、問題の核心を外れていた。何故なら、出演者の方々はイジメとは何かについて定義もなにもしないで、自分勝手に議論の対象を決めていたからである。

 

イジメとは、上の身分の者が、下の身分の者に対して行う暴力である。従って、民主主義を採用する法治国家の日本において、対等の関係にある大人の間では本来あり得ない。ある記事には、教師カーストが関係していると書いている。https://www.j-cast.com/tv/2019/10/08369515.html?p=all

 

日本には本来あり得ない教師カースト(職員室カースト)の存在は、公務員制度全体の問題として重要だが、その議論は別の機会にしたい。今回は、本来善良なる市民である筈の大人の間で、所謂イジメが生じることの異常さを考えたい。それは、職場でのパワハラやセクハラとも同根であるが、より本質的な問題を明確に示しているからである。

 

2)日本人と現代日本文化に欠けたもの

 

教師間のイジメは正に日本病の症状を分かりやすく示している。それは、現代日本文化の中に、人としての尊厳或いは威厳(英語でdignity)という概念が殆ど無いことである。それは人権とはことなる。人権は外に向かって主張するものであるが、ディグニティは防衛するものである。

 

勿論、人としてのディグニティ(補足2)を守るために人権を主張する場合もあるのだが、人権は生活の利便性などについても対象とするので、より広い意味をもつ。

 

ここで、上記教師間のイジメで、事件が大きくなったのは、被害者側にも法的責任ではないが自分自身に対する重大な責任がある。それは自分の人としてのディグニティを守る行動に出なかったからである。早期にその行動に出ていれば、深刻なイジメには発展していなかっただろう。何故なら、加害者達も本来は善良な人たちだったからである。(補足3)

 

教師は公務員である。その職場を追われることがないので、会社の内部でのパワハラとは違い、解決はより簡単である。自分のディグニティを守る行為で終わっていた筈だからである。勿論、その後被害男性には苦しい後始末が残るだろう。それは、無視や執拗な告げ口の類にイジメが変質する可能性が高いからである。それを跳ね除けることが、自身のディグニティを守るコストである。(補足4)

 

「和を以って尊しと為す」の日本文化では、このような断固とした行為を取り得ない人が多いだろう。筆者もその一人だろう。しかし、個人の独立と自己の人としての尊厳を守ることは不可分である。もし、近代国家の中で生きることを主張するのなら、自己の尊厳はまもらなければならない。

 

この個人の自立は、日本文化が欠いているもっとも重要な因子であり、それを明確に指摘したのがあの小沢一郎の「日本改造計画」である。ゴーストライターの手によって書かれたとは言え、その内容は非常によく出来ている。もし、日本国が国際的地位を確立したいのなら、そして、独立国としての地位を失う可能性を取り除きたいのなら、今からでも「個人の自立」を学校教育の柱とすべきである。

 

同じことを繰り返すが、日本の非武装中立という馬鹿な憲法を改正できないことも、この日本文化が原因である。

 

補足:

 

1)この暴行事件の発覚が遅れたのは、校長の姿勢も関係しているようである。校長は、「(加害教師たちは)指導力も、力もあり、校長である私自身も教えてもらうことが多かった」と釈明したという。校長の無能さも、この件が大きくなった原因の一つだろう。

 

2)ディグニティと英語のカタカナ表記をここで用いるのは、日本には正しくこれに代わりうる言葉がないからである。その意味は、「自分自身を神聖な領域或いは存在として考えること」である。尊厳が近いが、日本人の語感ではdignityとは異なると思う。筆者自身(戸籍上は純粋な日本人らしい)が、この日本文化が嫌いで、その言葉を使いたくないだけかもしれない。

 

3)日本国の防衛問題と同じ構図である。

 

4)デビ・スカルノ氏が、米国で売春婦呼ばわりされ、相手を殴った事件があった。いつもこの種のイジメやパワハラの類のニュースが出ると思い出す事件である。彼女は、敢然と自分のディグニティを守る行為として、平手打ちを相手に見舞った。この件だけで、彼女が米国で有罪になったのなら、米国も馬鹿な国である。因みに筆者はデビ夫人に全く好意はない。別の件(北朝鮮関連)で、日本に好ましくないことを行なっているからである。

2019年12月22日日曜日

米国による韓国と日本への中距離核ミサイル配備計画?

1)再韓米軍の駐留経費負担額大幅増の話し合いは12月18日から米韓で行われたが、その結果について及川幸久氏の動画が紹介している。非常に重要な話なので紹介したい。本文では、一部本ブログ筆者の考えも加えている。及川氏のブログを視聴されれば、以下の文章を読む必要はないかもしれない。https://www.youtube.com/watch?v=oOUyCeBh5Oc

 

この米軍駐留経費の大幅増額要求は、実は米国の対中国防衛計画と絡んでいることが明らかになった。むしろ、米国の考えの中心にあったのは自国防衛計画であり、その交渉戦術として、駐留経費5倍増の要求が最初韓国に突きつけられたようだ。

 

今回の米韓の交渉は、合意には至らなかった。そして、来年1月に再度交渉されることになった。今回の会議後、米国の担当官により以下のような話がなされた。「当初の要求には拘らない。最終合意においては駐留経費の韓国負担額は、これまで言及していた額から変わるだろう。その代わりに、韓国が米国から武器を買うことが重要な交渉のポイントになってきた。」

 

韓国に対して、米軍駐留経費5倍増の代わりに、本来の要求を持ち出してきた様なのである。その解釈の為に及川氏が言及したのは、先月(11月)に韓国を訪問したエスパー国防長官の韓国に対する要求内容である。エスパー長官が要求したのは、日韓でのGSOMIA維持だけではなかった。米軍の韓国駐留経費の大幅増と、対中国の中距離ミサイルを韓国配備を承認することである。韓国はそれら米側の要求全てを拒否した。

 

エスパー長官の訪韓後直ぐに、中国の王毅外相が5年ぶりに韓国を訪問した。そして、中距離ミサイル配備の交渉が本格的に開始されていないにも拘らず、米国によるその配備を許さないと警告した。中国がこの件に非常に神経質になっていることを示しているが、それは逆に、米国が対韓国の交渉において中距離ミサイル配備を非常に重要だと考えていることを表している。

 

エスパー長官の訪問後に、駐留経費5倍増の話が米国によって持ち込まれた。そして、その交渉は短時間に、米側担当官は怒って椅子を蹴る形で終了している。このパーフォーマンスは、今回の12月18日からの米韓交渉の布石だったのである。

 

 

2)中距離ミサイルの日本配備計画について:

 

及川氏の解説によれば、この米国による中距離ミサイルの東アジア領域への配備計画は、日本も対象にするとして、既に今年10月末ロシアに通告されているという。日本での候補地は北海道と沖縄である。日本では殆ど報道されていないが、沖縄では報道されたようである。(補足1)

 

今年8月に米露間の中距離核ミサイル制限条約が失効したことを受けて、米国は戦略構想を新しくしたのだろう。その一環としての、中距離ミサイルの東アジアへの新規配備だと考えられる。オーストラリアにも配備されるようである。それらは、中国を念頭においているし、中国は上記のように相当神経質になっている。(補足2)

 

及川氏は、この中距離ミサイルの配備を、ここ2,3年に尖閣などで予想される限定的な軍事衝突に備えた計画だろうと推理している。そして、トランプは、それらは日本や韓国を防衛するために配備するのだから、日本や韓国がその費用を負担するのは当然であるというだろうとしている。

 

この話は非常に重要である。これまで日本の核抑止力に関して、米国の核の傘という表現が用いられて来た。そして、それは純粋に日本の防衛のためというのなら、破れ傘だろうと考えてきた。しかし、今回の米国の対韓国の要求として予想される中距離ミサイルの配備は、米国の核抑止のドームの端を韓国に置くという話のように聞こえる。

 

つまり、米国の「日本や韓国の防衛の為におくミサイルだから、日本や韓国が経費を出すのは当然だ」という及川氏が予想するトランプの言葉とは裏腹に、それらは第一に米国の防衛の為だと考えられる。そして、韓国及び日本における米軍の存在は、今後、両国の防衛だけでなく米国本土の防衛のためという意味を一層明白にもつことになる。

 

その理由だが、中国の軍事力増強が進み、西太平洋においては、米国よりも中国の方が有利な情況にあることが考えられる。これは、チャネル桜の「日本核武装論」という番組での矢野元陸将補の発言である。(https://www.youtube.com/watch?v=l3WVHGBNC68 13分あたりから)そのアンバランスにより、中国による南シナ海での国際法を無視した基地建設が可能になったと、矢野氏は語っている。

 

更に、矢野氏は同番組で、中露のミサイルの質量ともに近年格段に上がっていることに言及している。元々、多弾頭の大陸間弾道弾は、多弾頭が攻撃目標に鉛直上方から落下するので、迎撃は困難である。そして、最近開発された極超音速ミサイルが米国本土に発射された場合には、迎撃は不可能である。従って、中国に対して抑止力を十分に維持するには、その近くに相応の抑止戦力を配備する必要があるという。https://www.fnn.jp/posts/00406810HDK (補足3)

 

そのため、米国は今後同盟国である韓国、日本、オーストラリアなどに広く中距離ミサイルを配備する計画のようであり、それにより西太平洋において中国との軍事バランスを釣り合いの取れた形にすることを、米国は第一の目標と考えているのだろう。

 

トランプ大統領は、今後米軍駐留費として、80億ドル要求する話がくるだろう。その後の話の展開で、上記中距離ミサイルの北海道と沖縄への配備の話が出てくるだろう。もし、安倍総理の訳のわからない親中姿勢が、韓国の文在寅大統領と同じ方向の姿勢なら、日本は将来既に述べたようにウイグルのようになる。つまり、最大のピンチと自主独立の最大のチャンスが同時に訪れる様に見える。もしその件で解散総選挙になるようなら、日本国民は亡国の選択をする可能性がたかい。

 

 

補足:

 

1)このような話し合いは、おそらく日本政府との間でなされていただろう。そして、その内容が沖縄で新聞報道されたのだから、国会議員は当然知っていなければならない。それにも拘らず、日本の国家では質問にも登らなかったようである。何故なら、桜を見る会で忙しかったからである。何という異常な国だろうか。

 

2)韓国と中国の間がギクシャクしだしたのは、高高度迎撃ミサイルシステムTHAAD   の韓国への配備だった。米国の中距離ミサイルを配備すれば、中国は当時以上の反応を示すので、韓国は拒否するだろう。その後、米軍は韓国を撤退することになると思う。その布石として、11月18日韓国の国防長官は、中韓両国の国防長官の間で軍事ホットラインの数を増加するなどの協定に合意したと発表している。

 

3)素人の予想だが、国境付近への配備が可能になれば、ICBMなどでも発射直後の破壊なら可能ではにだろうか。更に、相手国の軍事情報収集や、敵基地攻撃を効率よく行うことが出来るのではないだろうか。

2019年12月20日金曜日

国家の没落を我々は食い止められるのか:ロックインモデルを用いた考察

中野剛志氏の「没落について」という30分程の講演を聞いた。その内容は、国家の興亡は一旦方向が決まると運命のように進むというもの。例えば、今の日本のように没落の道に入れば、そこから脱出することは非常に困難で、現状ではどうしようもないという話であった。中野氏は、それを経済用語の「ロックインモデル」(補足1)を用いて説明している。https://www.youtube.com/watch?v=OoduEx7tl2k

 

ただ、その中で運命の反転のチャンスを待ち、自分に出来ることを探し、努力するのが人の気高さであり義務だと、偉人の言葉を引用して講演を閉じている。当たり前のようで有りながら、それなりに新鮮だったので、ブログ記事として紹介したい。尚、下記の2)と3)は殆ど、本ブログ筆者のオリジナルである。また、ロックインモデルを用いた歴史解釈に対する私の評価は、2)の最後に書いた。

 

1)ロックインモデル

 

ロックインモデル(ロックイン効果)は、例えば、スマホなどの契約を考えると理解しやすい。非常に有利な条件を提示されたと思って、一旦その契約をしてしまうと、その後他社との契約に乗り換えることが困難になる。それが、ロックイン効果である。その契約に縛られてしまう理由の一つは、乗り換えのコスト(スイッチングコスト、違約金や手続の手間など)が大きいことである。

 

他に、パソコンを一旦アップルに決めてしまうと、その後もウインドウズに乗り換えるのが困難に(或いは嫌に)なる。この場合の乗り換えコストはパソコンの価格ではなく、最初の何年かの使用で、アップルの操作に慣れてしまい、ウインドウズ機が使いにくいことである。ロックイン戦略は、経済の方で顧客固定化と訳される。

 

中野氏は、英国のブレグジットの困難さを、ロックイン効果の例として説明している。つまり、現在の英国経済は、EUの一員としての英国を前提に活動しており、ブレグジット後にはそれら条件を全て新たに書き換える必要がある。そのスイッチングコストは膨大なので、細部まで考察すればするほど、ブレグジットは簡単でないことが分かる。

 

例えば、関税等に関しても新たに交渉が必要だが、EUとのFTA交渉には数年というレベルの時間がかかり、一旦はその部分が空白になるだろう。(その場合、WTOのルールが適用され、貿易障害が残る)その結果、海外資本は英国から去ることを考えるだろう。それでも、今回の選挙の結果から、来年1月に確実にEUから脱退することになるだろうから、大混乱は不可避である。

 

EUに残留した場合の移民増加の問題などと、EU離脱のスイッチングのコストの両方の間で、英国は悩み続けてきたのである。それがEU加盟に関するロックイン効果である。

 

他の国家間の関係(TPPなど)でも、同様にロックイン効果が生じるので、条約等の取り決めには、事前に出来るだけ細部まで慎重に検討すべきである。もし、それら条約等の発効後に非常に不利な状況が明らかになった場合には、できるだけ初期段階に元に戻さなければ、スイッチングコストが増大し、ロックインが完全になる。

 

中野氏はもう一つの例として、日米安保体制を取り上げ、簡単な議論をしている。米国依存状態へのロックインを解消するのは、遅くとも2000年〜2010年に憲法改正を済ませ、米国依存からアンロックの道を探るべきだった。米国はこの時期にイラク戦争などで疲れ切っており、日本はこのロックインを外す最後のチャンスだったと話す。

 

今となっては、もはや日本は北東アジアから米国の覇権が無くなっても、独立国としての体裁を整えることは出来ないだろう。日本には没落の道しかのこされていない。このように中野剛志氏は悲観論を提示している。この悲観論そのものは、現在の知識層では広く意識されているが、没落は不可避だとは考えていないだろう。(補足2)

 

2)安全保障のおける米国依存体制からのアンロック

 

この問題は我々日本人にとって特別なので、私の乏しい知識と調査で、もう少し考察してみたい。日本は2000年代(2000〜2010)には既に、安全保障を米国に頼る体制にロックインされており、もはやそこからの主体的な脱出(アンロック)は不可能だったと、私は思う。

 

終戦直後の防衛力が殆どない情況下では、日米安保体制に完全依存することは当然だっただろう。しかし、その後の75年間の日米関係において、米国への完全依存からの離脱を試みるチャンスは二回あったと思う。最初のチャンスは、サンフランシスコ講和条約直後、つまり、日米安保条約締結直後である。

 

それは、直ちに日米安保条約の解消に取り掛かるというのではない。日米安保条約は、相互防衛条約として維持する限り、日本の安全保障に役立つので解消の必要はない。1952年に直ちに行うべきだったのは、憲法改正である。それを怠ったのは、吉田内閣の犯した日本歴史上最大の罪だと思う。

 

石原慎太郎は吉田茂の側近中の側近であった白洲次郎から、そのような指摘を直接聞いたという。(補足3)吉田は、「軍隊の無い独立国家日本」をどう思っていたのだろうか?軍隊のない独立国は、歴史上なかったのだから、吉田茂は直ぐに憲法改正をしなければならなかった。国家と軍隊の関係が全く分かっていなかったのだろうか?

 

憲法改正のチャンスを逸した時点で、独立国として必須の防衛力を米国に完全依存し、米国の属国状態への道にロックインされるのは必定だっただろう。朝鮮戦争やベトナム戦争に巻き込まれたくないという事情で、憲法改正をしなかったのかもしれないが、その考え方は根本的に間違っている。(補足4)

 

それ以後の総理大臣が憲法改正を口にすれば、「吉田茂が憲法改正をしなかったのは、日本が再び戦争をする危険性を心配したからだ。それにも拘らず、何故お前は憲法改正するのか」とか言って、野党は反対するだろう。そして、そのような野党に戦争の惨禍の記憶が残る日本国民の支持が集まるだろう。実際、日本社会党は、米国により育てられた日本を骨抜きにする装置であった。(補足5)

 

もう一回のチャンスは、冷戦が終結した1991年からの数年間だったと、中西輝政氏が書いている。(救国の政治家、亡国の政治家)しかし、その1991年から宮沢、細川、羽田、村山、橋本と、リーダーシップのない人たちが総理大臣を務めたのは、日本の不幸だったと思う。

 

日本のチャンスを潰したのが、その時自民党の実力者だった小沢一郎(補足6)が主導する政治改革だった。つまり、憲法改正という最重要な話が、二大政党制を目指して小選挙区制を導入するという政治改革にすり替えられたのである。小沢一郎の面接を受けて総理大臣になった宮沢喜一にとっては、憲法改正は大胆で無謀なことであり、頭の片隅にもなかっただろう。

 

ロックインモデルでの解釈は俯瞰的なもので、それだけでは何の役にもたたない。

 

複雑なプロセスでロックインが完成していても、鍵となる小さなフックがそれを留めている可能性がある。もしも政治家によるゴーストライターを利用したプロパガンダ(「日本改造計画」という本の出版)を罰する法があったなら、政治家小沢があのような人気を得ることはなかっただろう。そして、小沢の正体がその時既にバレていれば、歴史は変わっていた可能性がある。「歴史の細部に神は宿る」というアンチテーゼを同時に意識することがなければ、ロックインモデルは有害でさえあると思う。

 

3)政治におけるロックイン効果:エネルギーの谷間を世界は動く

 

世界の片隅で何かが起これば、その局所的高エネルギー状態は、波紋のように地球を一回りして隅々まで色んな効果を与える。ただそれだけなら、その後一定期間後に世界は、近くの別の安定状態に移動するだけだろう。しかし、その効果が、どこかの大きな変化の引き金になったとしたら、その効果も地球を回って隅々まで新たな効果を与えるだろう。

 

従って、世界の一つの現象を完全に説明するには、厳密には世界の過去から現在までの全ての情報が必要だということになる。例えば、以前書いたことだが、ゴルバチョフによるペレストロイカが、中国に伝播して天安門事件発生の切掛を作った。このペレストロイカにも歴史的背景が有り、また天安門事件の影響も今日の世界に及んでいる。

 

その中で一個人の果たす役割はいかほどのものなのだろうか?例えば上記考察で、吉田茂を批判して、いったい何になるのだろうか?世界はなるようになるし、なるようにしかならない運命のようなものに支配されているという考え方が、今回のロックインモデルである。

 

つまり、世界は全てのメンバーの相互作用を考えれば、エネルギー(補足7)極小の一本道、エネルギーの谷間を進む。そこで一個人が何らかの影響を及ぼしたとしても、一つの谷間からもう一つの谷間に移行する程の大きな影響でなければ、世界の歩む方向は変わらない。世界の動きは、世界に蓄積された政治的エネルギー(人々の不満など)の蓄積とその分布などで決まる。

 

上の例では、ゴルバチョフの代わりに誰か他の人がソ連共産党書記長になっていたとしても、多少の時間的空間的変更があったとしても、最終的にはソ連崩壊という道を離れることはないだろう。また、上記日本の防衛の問題では、仮に吉田茂ではなく、別の人物が時の内閣を組織していたとしても、日本の進む方向を決めるポテンシャルは、日本国民全てと日本の歴史や政治文化が決めると考えれば、同じエネルギーの谷間、つまり米国への完全依存の道を歩んだだろう。

 

つまり、世界の動きが着実に一方向に進むのは、エネルギーの谷間の一本道にロックインされているからだと考える事ができる。人が変われば、様相が全く代わるのなら、そのようなモデルは成立しない。ロックインモデルは、その「メカニズムを含めた運命論的モデル」である。世界は、これまでの歴史の延長上を、世界の全ての構成員がリアルタイムで作り上げるエネルギー面に谷間を掘るように進む。

 

順調に進む間は、ロックインされた状態である。突然に、エネルギーが世界に湧き上がるか降りそそぐかした時、別のエネルギーの谷間に移る事はありえる。それは、特別に賢明な大きな能力があれば、そこでの運命の選択は可能かもしれない。上に書いた「鍵となる小さなフック」を外すチャンスがあるかもしれないのである。

 

4)人類の運命を考えて、人はどうあるべきか

 

このどうにもならない歴史の流れをどう考え、どう対処すべきかについて、中野氏は西欧の偉人の言葉で締めくくっている。一部だけを簡単に紹介するが、全体は元の動画を参照してほしい。

 

「人間の事柄全ては、流転してやまないものである。我々は、多くの事柄を行うのに、理性に導かれるのではなく、必要に迫られてやっているに過ぎない。」

「運命が何を企んでいるかわからないし、いつどんな幸福が飛び込んでくるか分からないので、希望を持ち続け、投げやりにならないことである。」(ニコロ・マキャベリ)

 

「我々はこの時代に生まれたのであり、そして我々に定められているこの終曲への道を勇敢に歩まなければならない。これ以外の道はない。希望がなくても、救いがなくても、絶望的な持ち場で頑張り通すのが(人間の)義務なのだ。」(オズワルト・シュペングラー)(括弧内は私の追加)

 

自分の運命の方向がどうあろうとも、自分にできることに努力し、自らを助ける努力を継続するのが、人間の義務だというのだろう。

(12月20日午前6時20分、編集;12月21日午後6時、セクション3に最後の一文を追加)

 

補足:

 

1)鍵をかけて閉じ込める(lock in )という意味でロックイン効果と名付けたのだろう。ある方向を選択すれば、周りの環境との相互作用できまる「ポテンシャルの底」に閉じ込められという意味だろう。理系用語の位相検波を思い出すが、それとは無関係である。

 

2)日本国民が”何かの切掛”で目覚めれば、没落へのロックインが解かれる可能性がある。例えば、国会議員の選挙制度が道州制の様に一新されれば、現在の無能な政治屋が一掃される可能性がある。そして日本の政治に戦略性が持ち込まれれば、例えば日露平和条約から、日本の没落もアンロックされる可能性がある。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12560038074.html

その第一歩は、日本国民が「自分たちの生命が、国家の命運と連結していること」を理解することであり、それは今日でも教育可能なことである。

 

3)鬼塚英昭氏の本には、吉田茂の側近中の側近と言われた白洲次郎が、米国のスパイだと書かれているようだ。その一方で、石原慎太郎氏は白洲次郎と知り合うことになり、白洲から直接、「吉田茂の犯した最大の間違いは、自分も同行していったサンフランシスコでの講和条約の国際会議で、アメリカ制の憲法の破棄を宣言しなかったことだ」と聞いたと書いている。

https://www.sankei.com/premium/news/170503/prm1705030021-n3.html

 

4)ベトナム戦争に参加を要請されたのなら、日本はどろ沼にはまり込むだろう。しかし、自分の戦争ではないと主張して、最小限の協力に止めることは可能だと思う。その交渉能力が、日本の政治家にはないから、最初から最も大切な事(憲法改正)を犠牲にして、その場から逃げる道をとるのである。

 

5)1989年に死亡した社会党の勝間田清一はソ連のスパイだったことが明らかになっている。(ウイキペディア参照)兎に角、社会党や共産党は外国(コミンテルン等)の指示で動いていた。社会党をGHQが育てたのは、ルーズベルトが最初から日本での共産革命を考えていたという説がある。マッカーシーの赤狩りまでは、米国の中枢は共産主義者が大勢いた。このグローバリストでもある共産主義者を米国政府中枢に送り込んだのは、ユダヤ系資本であると考えられている。https://www.sankei.com/premium/news/170205/prm1702050009-n2.html

 

6)小沢一郎はその後宮沢内閣不信任案に賛成し、自民党を離党して新生党を結成した。その後紆余曲折があって、2009年12月、民主党鳩山内閣の時、小沢一郎は同党幹事長として訪問した中国で、胡錦濤主席に対し「こちらのお国(中国)に例えれば、解放の戦いはまだ済んでいない。人民解放軍でいえば、野戦の軍司令官として頑張っている」と述べた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B2%A2%E8%A8%AA%E4%B8%AD%E5%9B%A3

 

7)ここでエネルギーと書いたが、実は“自由エネルギー”(仕事に変換する事ができるエネルギー)である。世界のプロセスは、自由エネルギー極小(エントロピー極大)の道を選んで進行するのである。その道は、運命の道と言える。

2019年12月17日火曜日

新「チャイナ・シンドローム」:中国は国家資本主義により世界支配を目指すのか?

1)チャイナ・シンドロームとは、原子炉の炉心溶融を意味する言葉である。事故で溶融した核燃料が、原子炉の底から高温のまま地球の裏側の中国まで到達し、世界をパニック状態にすることを想像して、米国の技術者がジョークを交えて作った。(補足1)

 

現在、米国のグローバル資本主義経済のシステムが、地球の裏側の中国に波及した結果、新しいタイプの混乱が世界に生じている。表題は、それを原子炉溶融に準えて、「新チャイナ・シンドローム」と呼んだのである。

 

「法の支配と個の自由」を中心的価値とする西欧諸国が、無警戒に共産党独裁の中国と資本主義的経済交流を行い、国家資本主義の中国を大きく育て上げた。その必然的結果として、西欧諸国は上記”中心的価値”を脅かされる情況に陥っている。そのことに、漸く欧米は気付いたのである。

 

その地球規模の混乱は、西欧諸国の個別的な防衛行動、米国と中国の間の経済を戦場とする覇権戦争、新東西冷戦など、色んな側面とそれに対する形容はあるが、それらは総合的に上記「新チャイナ・シンドローム」的な混乱と呼べるのではないだろうか。

 

米国から見て地球の裏側にある中国は、共産党一党独裁の国である。共産党とは言うまでもなく、労働者である人民が平等に政治権力を持ち、その政治・経済活動の成果である生産物や、個人としての権利を平等に享受する、そのような社会を目指す政治勢力である。その夢物語は、ソ連崩壊とともに消えた筈である。

 

しかし中国は、1970年代のニクソン訪中の数年後から、“民間資本”の蓄積を許すように方針転換して、昇竜のように復活した。共産主義独裁国家を標榜し続けながら、そのような方針転換をすることは、毛沢東から鄧小平に至る中世帝国的な恐怖政治により可能となった。それは、共産党独裁の国の共産主義の放棄であった。

 

共産主義の放棄が国家トップの決断一つで可能だったことは、そこでの共産党思想はその標語だけが重要であり、だれもその中身など考えもしなかったからだろう。中国とは、何ものにも縛られない野生の自由に近い自由を持つ、軍事的にも経済的にも巨大な国家となったのである。

 

民間資本とはいうものの、共産党独裁政権下の中国の資本は、国家の土地の上に建造した私設ビルのようなものである。つまり中国の民間資本つまり株式会社とは、一党独裁の政治体制の上に構築された資本主義経済構造体の一枝であり、独立した民間会社ではない。現在の中国は、全く新しいタイプの資本主義的帝国である。国家が野生の自由に近い自由をもつのなら、その一枝である企業も、同類の自由を持つ。それが欧米先進国との関係において、トラブルの原因となっている。

 

その中国を育てた中心的勢力が、上述のように米国のグローバル化を進める政治勢力と、そのバックボーンにある巨大民間資本であった。この共産党員を名乗る人たち(補足2)の国家資本主義体制は、天才鄧小平の発明だとされるが、その環境を整備したのは米国であり、そのアイデアを与えたのは米国の政治中枢に居た、現在高齢のあの天才かもしれない。(補足3)

 

2)中国の海外企業買収戦略:

 

その中国の政治は、共産党独裁から中世の専制国家の方向を向いており、人類の歴史を逆行しつつ巨大化していると考えることも可能である。(補足4)歴史は繰り返すのだから、時間軸の周りの螺旋上の一巻き上の段階を、中国は歩み始めたと見ることも、また可能である。(補足5)

 

中国首脳は、当然後者の考え方である筈。中国の体制とこれまでの政治経済のグローバリズムとが一体化することにより、世界が「開放」されるだろうと言うかもしれない。(補足6)ここ数年の間に、欧米各国の保守系の人たちは、前者の考えにたち、中国による世界史を逆行するような世界制覇の野望に気付いて、警戒感をもってその戦いを開始した様に見える。

 

以上のような世界情勢の理解に導いて呉れたのが、今日も及川幸久氏のyoutube動画であった。その表題は「中国製造2025に向けた海外買収戦略」である。https://www.youtube.com/watch?v=8q8VbPJrBZU

 

 

 

この動画で及川氏は、2014年より中国による欧米先進国の企業買収が急増しており、それを警戒すべきだとする、米国のForeign Policyという雑誌の記事の解説をしている。そこで注目されたのは、中国ゲーム会社によるGrinderというゲイとバイセクシャルのための出会い系サイトアプリの提供・運営企業の買収と、それを米国のCFIUS(米国への外国投資監視委員会)が強引に取り消したという出来事である。

 

CFIUSは通常、軍需産業、エネルギー産業、SNSなどの買収を監視しているが、ゲイ等の出会用アプリの運営会社の、しかも既に終了した買収を強引に取り消させたことの背景に、300万人に及ぶ個人情報の保護であると及川氏が解説している。つまり、その個人の中に、もし米国軍や政府の高官が含まれていると、中国に利用される可能性が高いからである。

 

つまり上記買収は、単なる経済活動の一環ではなく、中国という国家による米国の国家組織へ介入する目的の一環として、中国“民間企業”が国家の手足となって実行したと、CFIUSは見做したのである。

 

この中国の民間資本による、中国の国策のための西欧諸国内の企業買収は、ドイツやスウェーデンなどで急増しており、既に両国は警戒態勢をとっているという。これらは、中国の「中国製造2025」のための買収だと分析される。

 

つまり、先端技術の工業製品の全てを中国国内で製造する体制を2025年までに完了するという国策国策のために、中国の各民間企業は、一体となって西欧先進国の先端企業を食い荒らしているというのである。自国での短期間での技術開発は無理なので、会社ごと買い取って、技術を全て中国に移転すれば良いと考えたのだと推測している。

 

上記ゲイやバイセクシュアルの出会系サイトの買収では、むしろもう一つの政治目標である一帯一路構想、つまり世界制覇、の実現と大きな関係があるだろう。21世紀の一帯一路構想が想定する領域が、13世紀初頭のチンギス・ハーンの制覇領域で終わるわけがない。

 

米国と覇権争いにおいても、平和共存ではなく最後は勝つことを目標にしているのだろう。その中国覇権バブルは、地球を覆うか破裂するかの二つの路しかないだろう。

 

このように考え、我が日本国を振り返ると、暗澹たる気持ちになる。日本には国家防衛の意思は、憲法にも国民にもなく、従ってスパイ防止法もない。実際、中国に北海道を始め要所を買収されて、将来北海道や沖縄で独立騒動が起こる可能性もある。その後の経緯は、クリミヤの歴史を想像すれば自ずと明らかである。

 

自分の政権を犠牲にしてでも、現在の国際情況についてありのまま紹介し、国民に強力な「目覚ましコール」を送るのが、安倍氏の最もやるべき仕事だろう。国民が目覚めれば、次の政権がその民意を吸収する形で体制をまともなものにすれば良い。一つの政権で全てを行うことは所詮無理である。何故、そのように安倍氏は考えずに、中国に媚を売るのか。

 

以前、伊藤貫さんは、西部邁さんとの討論で日本の危機を心配しつつ笑って話していた。その気持ちが分かるような気がしてきた。動かない政治を前にして、笑う以外に手がないのである。

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=L5biijJUQ6o&t=1200s

(12月18日早朝、最終編集)

 

補足:

 

1)溶融した炉心の核燃料が高温のまま地球の裏側の中国まで到達すると想像して作られた言葉であるが、当然重力の法則により地球の中心より中国側には進む筈はない。福島原発の炉心溶融でも、溶融状態で地殻に浸透はしなかった。

 

2)中国の共産主義体制は、ブルジョア市民革命を経ることなしに出来上がったので、借り物の共産主義である。20年ほど前までは、国家のトップを「同志」と呼ぶならわしが中国にもあった。その欺瞞は流石に現在の中国からは無くなった。現在その言葉を用いるのは、北朝鮮のみである。

 

3)鄧小平の支配の時期になる少し前に、その人がニクソン訪中に随行した。そして、その数年後にあの「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」という鄧小平のプラグマティズムが開始された。ただそれだけの二人の時間的空間的関係から推理しただけである。

 

4)中国「元」の皇帝チンギス・ハーンが東ヨーロッパに至るまで、その支配下に収めた。その新しいバージョン、新シルクロード構築が、一帯一路構想である。

 

5)国家資本主義の中国の経済が、世界の脅威ではないとする意見も勿論存在する。その文章は、中国の国有企業の割合が年々減少しているという図を、その先頭に掲げている。これだけで欺瞞的内容だと分かる。純粋な国有企業なんか問題ではないことは、上に述べた通りである。https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57658

https://jp.reuters.com/article/usa-trade-china-msci-idJPKBN1X42D6

 

6)米国と中国の資本の往来を妨害すると、世界はパニックになると主張する声も米国に多い。つまり、反グローバリズムは単に共和党トランプの政策であり、大統領が民主党になれば、これまでの米中関係が復活する可能性もまだ残っていると思う。

2019年12月16日月曜日

日本は領土問題を棚上げしてでもロシアと平和条約を締結すべき

前回ブログで、米中は適当なところで互いの覇権地域を確認し、世界の二強としての地位を認めあう可能性が濃厚となってきたと書いた。その延長上で、日本や韓国は、米国が主導するインド太平洋構想の弧の中に含まれる可能性が低くなり、中華圏の国として、共にひどい待遇を受ける可能性が高い。(補足1)

 

伊藤貫氏が言う通り、米国の経済力の相対的低下と、日本の平和ボケにより、その未来はこのままでは避けられない。安倍総理は早々と中華圏入りの準備を始めたような気がする。今年の5月19日の「対露外交に行き詰ったからと言って、この時期対中親和外交を進めるのは、日本を破滅の道に誘い込む可能性大が高い」と題する記事で、その安倍総理の姿勢について批判した。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/05/blog-post_19.html

 

その記事の第2節で、以下の用に書いた:

 

プーチン大統領は安倍総理をもう少し能力のある人物と考えていたのだろう。何故なら、世界が歴史的な大混乱に向かいつつある今、日本はその中心となりつつある中国の隣国である。ここで、日本は生き残るためには米国との関係を第一にするだろう。ただ、日中関係の破局状態を避ける支え棒的装置として、日露関係の改善を考える筈だと思った可能性が高いと思う。

現在、日本の脅威は中国と北朝鮮である。従って、その脅威に対応するために利用すべきは日露の友好関係樹立である。プーチンは、それを期待して日本政府が接近してきていると思ったのだろう。

 

ロシアと中国はシベリアに長い国境線を持ち、それを挟んでの人口密度に大差があり、しかも過去に多くの領土問題が生じた歴史がある。本質的に友好関係を深めることが難しい。最近では更に、北極圏の資源や、北極圏航路が出来る可能性が高まり、シベリアは資源や海運の両面からも重要性が増す。

 

従って、中露間には現在経済力に大差がある。その差が軍事力まで及べば、両国は上記利権を巡ってた困難な問題を生じる可能性がある。そのロシアにとっての危険性は、ウラジオストクは固有の領土だと言い出した中国を見ればわかる。共産党一党独裁から習近平独裁になりつつある中国は、日本だけでなく全ての近隣諸国にとって、更に世界にとっての脅威なのだ。(補足2)

 

この様な情況下で、プーチンはこの中ソ関係をできるだけ平等にしたいと思っている筈である。その鍵は、経済力と軍事力である。軍事力は、経済力が維持発展すれば、ロシアは優位を保てるだろう。

 

現在、ロシア経済はその多くを天然ガスなど資源に頼っている。そこからの脱却は、なかなか難しい。しかし、ロシアには近くに日本という資源のない絶好のコンビを組める相手がいる。そして、日露の平和条約から始まる蜜な協力関係の樹立への自由エネルギー(Free Energy)は十分大きいと、プーチンは考えただろう。(補足3)

 

中国の脅威を考えると、日本は歯舞や色丹にこだわっている時ではない。既に北海道は近い将来の中国の農園のように、李克強や王岐山は視察している。日本全体がウイグル化しないように、“前提なしに”日露が手を結ぶのは正しい選択である。領土の確定は、その後の協力関係を見て決めればよい。

 

それは既に多くの知識人が言及していることである。過去のブログにも、田中宇氏、大前研一氏などの意見を引用したと思う。ここでは、及川幸久氏の動画を紹介したい。

 

 

 

 

 

2)日本には、まともな言論がない。右派と呼ばれる人たちは、勝手に自分たちだけで「日本=永遠の善」なる公理から出発して、自分たちだけで通じる歴史認識と将来の日本のマッチ箱モデルを作っている。左派は、単なる馬鹿か、表から見ても裏から見ても売国奴なので、話にならない。

 

地上波TVは、売国の輩の支配下である。昨日も、辛抱次郎氏が司会する政治バラエティ位を自称する番組が、殆どくだらない内容の放送をしていた。XX陽子のような本当に愚かな元参議院議員や、XX邦彦とかいう元外交官が、国民を煙に巻くためなのか、訳の分からない平和教の経や対米従属教の経を唱えるのがこの番組の常である。(補足4)

 

それに比べて、まともな人達は国際経済を経験した人に多いように思う。右派系のyoutubeに良く出ているが、渡邉哲也氏の話が分かりやすいのは経済通だからだろう。私の狭いネット経験でも、伊藤貫氏、上記の及川幸彦氏、渡邉哲也氏、日本から関心がかなり離れているが大前研一氏など、論理的且つ話に定量性が確保されたわかりやすい話をされる方は皆、経済の人である。それは多分、政治は金に対する感覚と金の流れを把握する能力が無ければ、分からないからだろう。

 

このような問題は、上記のようなプロが互いに議論をして、日本の戦略を作り上げるべきだと思う。日本には議論の文化がないので、十分国際的な上記方々で日本文化の悪弊を乗り越えているとは思うが、出来れば「日本戦略研究会」のようなシンクタンク或いは学会を作って、日本の戦略を提案してもらいたい。そしてその成果を、NHKを解体して新しいテレビ局を作りそこから周知すれば、日本を救うことが出来るかもしれない。

 

補足:

 

1)日本は韓国右派と協力関係を復活或いは強化すべきである。勿論、優先度は日米関係や日露関係よりも低いが、韓国が李氏朝鮮の腐敗と低迷から学ぶ姿勢を示すなら、日韓は最良の二国間関係になる可能性をもっている。日韓は、神が互いに自分の悪い面を鏡に映してくれていると考え、相手を眺めるべきである。

 

2)最近、ウラジオストックは中国領土であるべきと言い出した。その他、中国とロシアとの間の火種について、今朝の産経は言及しているようだ。https://www.sankei.com/west/news/161004/wst1610040001-n1.html

 

3)米国が、東アジアからの後退したとき、競争相手と手を組むよりも、相補的な相手と手を組むのが良い。シベリア地域の工業化を考えているプーチンと、資源小国の日本はやはり絶好の相性である。それが安倍とプーチンの仲を作った筈である。安倍さんにはもう一度、その相性を思い出してほしい。

 

4)官僚の殆どは政治家にふさわしくなくない。何故なら、子供の頃から安定な職業として、公務員を選ぶのが日本人の常だった。日本の政界には元官僚が多い。かれらが世襲の政治屋よりも圧倒的に優れた知性を持っていても、彼ら政治屋に使われるだけの人が多いのは、元々使われる人の遺伝子を持っているからである。たまたまトップになっても吉田茂や佐藤栄作らがそうであったように、米国に使われる人になったことがそれを証明している。

2019年12月15日日曜日

中国の手下として働く北朝鮮と中国覇権下の東北アジアの将来:日本の天皇制はなくなるだろう

1)朝鮮中央通信によると、北朝鮮の国防科学院報道官は14日、北西部・東倉里の「西海衛星発射場」で13日に「重大な実験」を再び実施したと発表した。北朝鮮は7日にも同発射場で「非常に重大な実験」を行っており、大陸間弾道ミサイル(ICBM)に使われるエンジン燃焼実験の可能性が指摘されている。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019121400356&g=int

また、共同通信によると、北朝鮮軍の総合参謀長は14日、金正恩朝鮮労働党委員長の決心次第でどんな行動も取る準備ができていると強調、「われわれを刺激する言動を慎んでこそ年末を安心して過ごせるだろう」とけん制した。

本来、国連決議に反するようなミサイル実験などは、大々的に発表しないのだが、最近の北朝鮮は、米国を意図的に刺激しているように見える。つまり、12月8日の重大実験の発表などを含め、これら一連の実験や声明は、米国を刺激することが目的の一つであることが明白である。

米国を刺激する理由だが、米中協議に際してトランプ大統領に圧力を掛けることが目的だろう。その期限である15日を意識して、計画されたとすると、わかりやすい。つまり、北朝鮮は中国の手下として働いていると思う。

その米中協議だが、CNNによると、 トランプ米大統領は13日、中国との通商協議で「第1段階」の合意に達したと発表した。中国が「多くの構造改革と、農産品やエネルギー、工業製品の大量購入など」に合意したとしている。北京でも中国当局者が記者団に合意を発表した。

米国のダウ平均株価は、12日の始め少し(100ドル程)上昇し、その後通常の上下があったのみである。日経は金曜に大幅に上昇しているので、日本では多少意外に思った人も多かっただろうが、米国ではこの合意は既に計算済だったのだろう。

2)米国トランプは、強硬派を近くにおいて脅し役とし、自分は取引のポイントと時期を考えて、最終的に側近の言動を裏切る形で外交して来た。マッドマンの理論(Mad man theory)のメッキは剥がれ、中身が露呈したようである。

それは、ボルトン補佐官の件を考えれば分かる。今後もそのトランプ流外交を続けるだろうが、中身が単なる利己主義では、安物のまんじゅうみたいだ。

上記北朝鮮の米国に向かって吠える姿勢は、そのポルトンの姿勢と相似である。表題は、そのような意味を込めて付けた。トランプは決して北朝鮮を爆撃したりはしない。北朝鮮の中距離核は、黙認する筈である。

つまり、日米安保は非常に軽くなりつつあり、米軍駐留費としてトランプの米国に80億ドルを支払うことを日本の政権は拒否するだろう。韓国の文在寅政権が50億ドルの要求を退けるだろうが、その後追いを日本はすることになる可能性が高くなってきた。

問題は、2018年と2019年の10月に行われたペンス演説、2019年ペンスに引き続いて行われたポンペオの演説における、対中国姿勢は、最終的に米国の対中姿勢となるのかどうかである。まだまだ先は長いと考えて、両演説の意味を強調する人は、特に日本に多いだろうが、結局ボルトンと大して変わらない役割を果たすだけだろう。

勿論、両者の考えが米国全体の考えを代表しているのは事実だろう。しかし、もはや米国に出来ることには限界があると思う。それが、伊藤貫氏の一貫した考えである。中国は既に大きくなり過ぎており、米国も本格的に対立出来る時期は過ぎているのである。

そのことを安倍総理は知っているか知らされているのだろう。10月29日の記事「安倍総理は、米国の敵に廻ることを選択したのか?」で、私は、以下のように書いている。
https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/10/blog-post_29.html

最近の安倍総理の発言、「日中関係は完全に正常化した」は、米国に突きつけられた2択問題において、安倍総理は自分の意思で、中国独裁政権を選択するという決断を行った事を示している。その理由には深いものがあるかもしれないが、その間違いは、確実に日本を破壊するだろう。

その深い意味とは、上記のように米国は適当な所で中国と折り合いを付けること、そして、最終的に米中は太平洋を二分し、東アジアは中国の覇権域となるということである。それは、伊藤貫氏の考えの通りであり、安倍氏もそのように米中関係の将来を把握しているのだろう。

更に、11月12日の記事「安倍総理は何故親中策に舵を切ったのか」において、以下のように書いている。
https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/11/blog-post_12.html

ただ、副大統領や国務長官が中国非難をしても、肝心のトランプ大統領はこれまでの習近平とは信頼関係が出来ているという態度に、変更を加える発言をしない。トランプのこれまでの外交は、米国の利己主義を100%他国に押し付ける極めて身勝手な姿勢を、見せたり隠したりしてきた。つまり、トランプにとっては、日本などどうなっても構わないかの様である。

ヨーロッパ諸国は、中国は第二ではあっても第一の仮想敵国ではないので、そして、米国とのNATOも(フランス大統領は批判したが)、トランプ退任後はまともになるだろうから気楽である。しかし、非武装中立の日本は、米中対立の中でどちらにも付かないで独自路線を取るのは、両側に絶壁を持つ稜線渡りと同様に困難である。そこで、トランプを信じられない安倍政権は、中国との関係を改善する方向に少し向かったのだろう。


トランプという人は、完全な利己主義者であり、彼が米国大統領になったことは、日本に現実の厳しさを教えることになった。しかし、その教えに多少学んだのは2-3人の保守系議員だけだろう。

3)伊藤貫氏は、日本は核武装して独立国としての体裁を保つべきだと主張するが、それは容易なことではない。北朝鮮から核兵器の一発が日本に落とされる位でないと、諸外国は承知しないだろう。平和教に毒された日本の大衆は、それでもただ涙を流してオロオロするだけで、核武装など考えもしないだろう。

それよりも、中華圏の末席を確保することを考える方が、大衆の考えに沿うだろうし、その選択は政治屋として賢明かもしれない。その結果、天皇家が潰されるとしても、それにはあまり関心はないだろう。大衆は、もう一度涙を流し、次の日には何もなかったかのような表情になるだろう。マッカーサーが日本に来たときのように。

どうせなら、あの時、マッカーサーがもう少し日本のために、米国国務省の考えの通りに日本を料理してくれていれば、このような日本にはならなかっただろう。「どういうことだ?」という人がほとんどだろう。それも分からない人に、説明しても仕方がない。日本のことを心から心配してくれている伊藤貫先生に聞けば何か教えてくれるだろう。

このブログを本格的に書き始めて6年ほどになるが、それまではもう少しマシな連中が日本の政治を担当し、評論家ももっとまともかと思っていた。しかし、今となって思うのは、日本在住の評論家たちや政治学者たちは、本当に愚かな連中だったということだ。おそらく、日本に本格的なシンクタンクが無いことが致命的なのだろう。

2年ほど前まで時事放談をやっていた東大政治学の元教授など、日本の政治学の権威だった筈だが、小沢一郎の「日本改造計画」のゴーストライターが精一杯だった。ホストを務めていた「時事放談」では、元北朝鮮のスパイの武村正義元官房長官(米国からの指摘)を屡々ゲストにしていたのだから。

兎に角、ぐちゃぐちゃの日本である。先が長い人は日本脱出を考えるべきだが、そのような実力のある人が大勢いるのなら、このような日本にはなっていなかっただろう。この先はわからない。第二のウイグルになるのか、それとももう少しましな境遇を得るのか、さっぱりわからない。まあ、私が死んでからのことだろう。XXにつける薬はない。(おわり) 

2019年12月12日木曜日

日本の景気低迷と情実人事

1)景気低迷と金融緩和の効果:

日本のGDPはこの30年間殆ど増加していない。数の緑色の線を見てもらえばわかるように、1995年あたりでピークになり、それ以降25年間全く大きくなっていない。

対策として良く取り上げられるのが、政府のマクロ経済政策である。それを果敢に実行したのが、安倍政権下で行われた黒田日銀総裁の“異次元の金融緩和”である。しかし、市中銀行に渡ったお金は、日銀当座預金に積み上がるだけだった。

副作用的に生じた円安効果は日本に幸いだったが、それ以外には、国内での本質的な景気刺激にはならなかった。日銀がお金を出せば本格的な経済成長が可能だという考えは、正しくなかった。(補足1)

経済成長には、市中銀行から民間企業などに金が回り、それが新規産業創業や労働生産性向上のための投資に向かうことが大事であるが、そうは成らなかった。民間企業に金がなかったのではなく、個人同様に日本の将来に不安を感じて、新規投資には慎重だったようだ。

以上から、経済低迷の原因はマクロ政策にあるのではなく、経済主体である会社など法人に、全体としての能力がなかったという見方の方が正しいだろう。(補足2)実際、上図をよく見ると、日本がゼロ成長の25年の間、その他の先進国は一定の成長を続けている。

2)企業の能力:

1960年代からの高度成長が可能だったことなどを考えると、人々は概ね技能にも優れ、真面目に働く優秀な労働者である。しかし何故、優秀な労働者から優秀な会社が出来ないのか?

その答えの一つは、日本文化の下では「組織の階層構造の中に個人(の適性)を置くことが上手く出来ない」のだと思う。共同体において平等に存在する成員を、組織の上下構造の中に配置することは困難だからである。また、出来上がった本来機能体組織であるべき会社が、結果的に共同体的組織の性格を帯びてしまうことになる。

更に、日本人は「自分の適性を限られた時間だけ提供し、会社はそれに対して給与を支払う」という考え方が、今でも出来ないことにある。日本での会社と労働者個人(正規雇用)の伝統的関係は、全てを会社に捧げるという江戸時代の殿様と家来の関係である。(補足3)(補足3)

嘗て、「仕事は人生の全て」という人が多い事を、エコノミックアニマルという言葉で形容し流行ったこともあった。実際にそのような人が多い事実は、「仕事は人生の全てではない」という議論が、ネット上に山ほどあることから判る。

上記日本の組織の欠陥による症状を、至るところに見ることが出来る。例えば、日本の多くの生え抜き社長は、共同体的組織の一部を切り取って、解雇することなど簡単には出来ない。また、何か問題が発覚したとき、それが一人の従業員個人の犯罪によるとしても、共同体の長として役員の中央で揃って頭を下げる。

以上の日本診断が正しいことは、日産の低迷とカルロス・ゴーン氏を迎えてからの復活、そして、それに対する日本の反応を見れば明らかである。ゴーン氏が日産の社長になって行った最も大きな対策は、不採算部門の閉鎖と人員整理だったという。大前研一氏は以下のように書いている。

1990年代に経営破綻の危機に直面した日産が今日のように復活したのは、たしかに“奇跡”である。しかし、ゴーン氏は大規模リストラによるコストカットで日産の“負の遺産”を清算しただけであり、「GT-R」や5代目「フェアレディZ」などの人気車種を生み出して奇跡をもたらしたのは、もともと日産が持っていた技術力である。 https://www.news-postseven.com/archives/20181210_820786.html/2

「負の遺産を清算しただけ」と語るが、その「だけ」が出来ないのが、当時の経営トップを含めて日産という会社だった。つまり、不採算部門の閉鎖と人員整理は、上に記したように共同体的組織として出来上がった会社内では円滑には進まないのである。

しかし、異なる企業文化の中で育った優秀なゴーン氏には、それが当たり前のこととして出来たのだろう。そのゴーン氏のやり方は、日本文化の中では血も涙もなき“覇道の猛牙”の仕業となる。首を切られた労働者は、それは約束が違うと、悔しい思いをしたことだろう。https://www.asahi.com/special/carlosghosn/

会社を組み上げる際から、日本企業と西欧企業とでは、人事様式はことなる。非効率な組織から脱却するために、会社組織は西欧的に機能体組織として組み上げるべきでは無いだろうか。そのようにすれば、労働の流動性は格段によくなるだろう。そして、多様な人生も、そして、そこからの多様な発想も生まれると思う。

そのようなことは直ぐには出来なくても、少なくともその考え方の違いは、把握すべきである。

3)その他雑感:

大学の劣化について:

日本の人的関係に依存した人事は、教育界にも見られる。日本の大学の低迷の大きな原因は、教員人事にあるだろう。以下は、私の知るある有名大学の或る学科の話である。設立された時の教授(第一世代)は、東京帝国大学から溢れ出た若い学者で構成された。彼らは、その後各分野で出身大学の教授を超える程の学者となった。

しかし、第二世代から第三世代になるに従って、教授選考は、同じ講座の助教授の昇任人事が多くなり、教授の質は劣化していった。この情実人事は、日本の至るところの大学で行われ、日本の大学全体の質の低下の原因となった。大学という学問の世界でも、この“ていたらく”である。

また、大学の独立行政法人化は文科省の天下り先を増やすことを目的に行っただけであり、小泉内閣の大失敗というか悪事である。大学や研究機関を独法化しても、霞が関の安物官僚の下に置くのは、百害あって一利なしである。

政治の劣化:

政治屋の人事も、特に安倍内閣の場合、自分の勢力拡大のための手段に過ぎない。パソコンもろくに使えない者や歯舞や色丹という漢字も読めない者も、待てば大臣に成れるというひどい情況である。それでも国民は怒らない。日本は本質的に怒りを忘れた、性善説の国なのだ。

因みに、外務官僚のスクール制も、鈴木宗男議員が質問したように、大問題である。外務省に入省後1-2年で中国などに将来の幹部候補生として留学した場合、殆どが中国贔屓になるのは、その弊害のひとつだが、その裏にXXXトラップが無かったと誰が断言できるだろうか?(補足4)このトラップは最強のコネ形成法である。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b166193.htm

(これは専門家の記事ではありませんので、コメント、悪口、何度も遠慮なく書き込んで下さい)

補足:

1)第二次安倍内閣の経済財政諮問会議での意見を取り上げて、日銀の黒田総裁が物価目標2%を掲げ、マネタリーベースの拡大に努めた結果、円安になり貿易収支が改善した。景気拡大は、民間預金などのマネーストックの拡大と、その潤沢化した資金を新規事業や設備投資などに使い、事業の拡大や改廃、生産性向上などを実現することで可能となる。そのために市中銀行等が、企業の健全性や将来性を見抜き、そこに積極的に融資することが、景気浮揚には大切な要素である。そのような経営コンサルティングを含めて、融資を引き込む営業活動において銀行の実力が無かったのだろう。証券販売や国債金利に頼る経営は、無能と言わざるを得ない。

2)1995年までの成長は、日本にあった基礎的能力と外的要因、つまりグローバル化経済、がうまく噛み合った結果だと思う。

3)日本と西欧の人間関係の違いは、個の独立の程度と関係がある。西欧では、唯一神の存在下、人々は独立している。従って、自由主義の下では、人間の協力関係の範囲は、契約として明示される場合が多いと思う。しかし、日本の宗教は神道であり、全ての個は自然の中に溶け込んで一体として存在する。従って、人の間の協力関係は、西欧的な「一定時間この技術に関する部分だけ」という類のは無理であり、全面的に成らざるを得ない。

4)元経済産業省の官僚だった岸博幸氏が、中国を訪問した際にXXXトラップを中国側が用意していたという話を、岸氏自身がテレビで語っていた。=>「中国にピンク&マネートラップされた多くの米国政治家たちと中国の長期戦略」: https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466515026.html

2019年12月11日水曜日

悪口を言えない文化の国は滅びる

1)「なんじ自身を知れ」は古代ギリシャの格言である。「彼を知り己を知れば百戦殆からず、(以下略)」は、中国の孫子の兵法にある言葉である。しかし、己を知ることは、難しい。猫は鏡に写った自分の像を、自分の姿だとは認識出来ずに、攻撃する。人間も似たようなところがある。他人に対して怒っているようで、よくよく分析すれば、自分の不満を他人に押し付けている場合が多い。

人も自身を知るには、普通”鏡”が必要だ。自分の姿なら一枚の鏡で十分だろうが、後ろ姿を見るには二枚必要だ。自分の行動や性格となると、鏡の役割をするのは何だろうか?それは周囲を注意深く観測し分析する知性である。しかし、周囲に誰も居なければ、自分の知性も役立たないだろう。また、周囲が反応しないと約束していれば、自分を知る手立てがなくなる。

周囲が反応をしないように約束している様な社会、それが表題の”悪口を言えない文化”の日本社会である。悪口を控える「思いやり」、我慢をしての「お・も・て・な・し」は、社会における潤滑油としての役割があるのは確か。しかし、表面だけ潤滑油で覆っていても、社会が円滑に動くためには、多くの機械がそうであるように、歯車としての個人の役割がしっかりと噛み合っていなければならない。

ある個人と社会の関係が十分ではない場合、明確なメッセージが、その社会において近くに居る他の人達からその人に発せられるべきである。そのようなメッセージは、一般には批判というが、“ざっくり”言って悪口とも言える。その個人の社会における正常な役割と、現実との間の乖離が度を過ぎれば、悪口になっても良いと思う。

その批判或いは悪口は、その対象に自分を知る機会を与え、逆に、その対象からの反論とそれらの往復(つまり議論や口論)により、その社会全体におけるその個人の役割の確認や調整と、メンバーの入れ替えなどを含めた、その社会の改善の機会となるだろう。全体主義や独裁の社会では、その様な現場での構成員間の相互作用がないために、社会全体が非効率化して、崩壊する可能性が高い。

悪口(評価)を抑制する日本社会でも、悪口が全く無いわけではない。裏に潜って陰口として悪質化するのである。その結果、社会のその部分が硬化する。これが全体主義社会生成の硬化メカニズムである。そして、社会に地雷が埋め込まれたような情況になる。この全体主義の最大化したものが、戦前から戦中の日本であり、毛沢東の中国(大躍進運動や文化大革命)である。

日本では、公的には近代史の評価を全くしていない。存在するのは裏に潜った左派の陰口と、やはり裏での右派の「日本は自衛のために戦った」論である。その理由は、既に指摘したように、その近代史を一貫して、一部の人たち(薩長と彼らと結託した下級貴族)が、支配階級として現在も存在するからである。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/01/blog-post_14.html

地域社会で上記“地雷”が爆発した例として、6年前の山口県の山村で5人が殺された事件がある。都会から限界集落に戻った男を、長年の影口で、集落全体で異質な存在として阻害し、地雷化したのである。小さな硬化した全体主義集団の誕生である。結局、地雷は爆発し、その男の大量殺人となったのである。(補足1)https://www.sankeibiz.jp/econome/news/130804/ecc1308041438005-n1.htm

2)悪口、或いは批判を避ける文化の国は、入口社会の国である。例えば、一緒に働く前に、”ふさわしい人材”を選べば、その後批判や悪口を言わなくて済む。その結果、会社の業績を下げなくて済む。大学の場合も、入試で”正確に選考”すれば、落ちこぼれを最小限にできる。そして、落ちこぼれに卒業証書を渡すという、嫌なことを最小限に出来る。

それは、出口までの場面で、なるべく客観的評価をしたくないことが原因である。別の表現では、全ての評価をプラスにして、「和を以って尊となす」の原則を守りたいことが動機である。

しかし、人を事前の試験や面接で評価できると考えることは愚かである。大学入試に業者テストを入れるとか入れないとかの国会での議論は、その類の愚かな議論である。

そんな愚かな議論が国会で長々と為されたのは、政治家の家系に生まれただけの愚かな議員(政治貴族、前に触れた支配階級)が議会を占めるからである。何故、その日本文化の異常性に気が付かないのか? それは、国全体が「見ざる言わざる聞かざる」の文化にどっぷり浸かっているからである。

そのような社会からの脱却というか、社会の変革は、明治の始めとか、敗戦後などの時に可能だった筈である。それが出来なかったのは、おそらく、全て英米のシナリオで国家が設計されたからだろう。つまり、日本は社会や国家ということを深く考えた上で設計され建設された国ではないのだ。マスコミまで別の勢力に抑えられてしまえば、鏡を奪われた女性のように、滑稽な化粧をするだけになってしまうだろう。

以下に、米国在住のチュウカさんの記事に引用された、バイデンと元農夫の口論の動画を見てほしい。元農夫の臆面もなく元副大統領を攻撃する姿、そして痛いところを突かれて、逆上するバイデンなど、それらを清々しく思うのは私だけだろうか。
https://ameblo.jp/chuka123/entry-12554184107.html

私は、このような米国の姿が好きである。そして、そのような性格が日本全体に(そして自分にも)欠けているのは残念である。(補足2)

(12・11早朝編集)

補足:

  1)この事件は、その後本にまとめられたようである。その紹介が、以下の記事でなされている。高橋ユキが山口県『つけびの村』殺人事件取材で見た限界集落の闇:https://friday.kodansha.co.jp/article/67625

2)類似の視点の過去の記事:「和を貴ぶ心」は、実は日本文化の病的側面である。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466516408.html

2019年12月6日金曜日

天安門事件と中華思想:世界は中国の本質を知らない

天安門事件は、1989年6月4日に中国北京の天安門の広場周辺で起こった大虐殺である。それから30年経過した。その前後の出来事を含めて、及川幸久氏の解説動画を観た。わかりやすい解説であるので、推薦したい。
https://www.youtube.com/watch?v=kLxrCrV_H6w
https://www.youtube.com/watch?v=0mLddz38twA

上記二本の動画に触発されて、記事を書くことにした。ここでは、蛇足になるかもしれないが、その前後の中国や日本をもう少し広く見て、まとめてみたい。

1)天安門事件(六四天安門事件)



1985年にソ連共産党書記長になったゴルバチョフが、グラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(再構築)を唱えて、民主化の方向に舵を切った。それに呼応する形で、中国の共産党総書記だった胡耀邦が民主化の方向に舵を切るが、共産党保守派の反撃で1987年1月失脚し、1989年死去する。

胡耀邦の追悼集会から始まった民主化要求の集会は、ゴルバチョフ訪中の5月15日頃、50万人規模になり、北京市内の移動さえも困難になる。しかし、鄧小平は渋る趙紫陽を無視して、戒厳令布告を決定する。ゴルバチョフが中国を離れたあと、19日李鵬首相を責任者にして戒厳令が布告される。

その日、温家宝を連れた趙紫陽は、天安門広場でハンガーストライキを続ける学生を見舞う中で、これから起こる惨劇を想像し、涙を見せて学生たちにハンストの中止を促したが、学生たちには真意が十分に伝わらなかった。(以上Wikipediaから)

趙紫陽は事実上5月20日に解任され、6月4日大虐殺が人民軍兵士によって行われた。なお、鄧小平は総書記などの最高のポストにはつかなかったが、党中央軍事委員会主席のポストは放さなかった。名目上の最高指導者は、何か失敗をした場合には命も危なくなる。しかし、軍を握るものが、結局、最高の権力者だからである。鄧小平のそれまでに得た教訓なのだろう。

1989年の天安門事件のあと、鄧小平は、「中国では100万人が死んでも大きな暴乱とはいえない」と語ったという。これは毛沢東のことばを意識した発言である。毛沢東は、中国を1949年に建国したのち、大躍進運動や文化大革命で、一億人近くの死者をだした。そして、「1億や2億死んだとしても、どうってことはない」と言ったと言われる。鄧小平の上記発言は、自身の政治活動における死者全てを合計しても、大した数ではないと自己を弁護しているのだろう。(補足1)

中国の恐ろしさを何よりも端的に表現した、それまでの最高実力者二人の言葉である。

 

2)天安門事件でいったい何人が殺されたのか?



天安門大虐殺(Tiananmen Square Massacre)での死者数については、謎のままである。それどころか、中国政府は、事件を隠蔽し続けるだけでなく、歴史から消し去るつもりのようである。天安門大虐殺の30周年記念日を前に、Wikipediaの閲覧を、これまでの中国語だけでなく、全ての言語で禁止したという。(上記及川氏の動画)

ある記事には、党はこの事件のあと、兵士を含む241人が死亡し、7000人が負傷したと発表したと書かれている。https://www.businessinsider.jp/post-192112

しかし、それは少なすぎる。この事件を目撃した日本人ジャーナリストが証言している。

  フジテレビの平井文夫氏である。平井氏によれば、中南海の塀の上から数十名の軍の兵士が自動小銃カラシニコフで、天安門の群衆に向かって銃撃し殺害していったという。その銃撃だけでも、相当数の死者が出た筈である。

平井氏は、「中国共産党は事件による死者が319人と発表しているが、その後の報道を見る限り1000人単位の人が犠牲になったのは明らかだ」と記事に書いている。https://www.fnn.jp/posts/00379830HDK

この現場を取材した記者の証言、学生たちを説得する趙紫陽の涙と、事件後の鄧小平の上記言葉などから、数千人規模或いはもう一桁上の死者が出ただろうと、想像される。数百人の死者なら、「100万人死んでも」という表現は使わない。

BBCの報道によれば、約一万人が殺されたと言う。この数字は、当時のアラン・ドナルド駐中国英国大使が1989年6月5日付の極秘公電で英国政府に報告した。大使は、「中国国務院委員を務める親しい友人から聞いた」と説明している。
https://www.bbc.com/japanese/42482642
https://www.bbc.com/news/world-asia-china-42465516

因みに、NHKのクローズアップ現代という番組では、天安門広場での死者数はなかったと放送したという。NHKは、日本国民から多額の視聴料を奪いながら、どこかの国のプロパガンダを流していたのである。(補足2)

3)西欧社会の中国制裁と、その解除に努力した日本政府



欧米民主主義の国々は、天安門事件に対して経済制裁で応じた。日本も短期間、西側の制裁に加わるが、1年でその民主主義社会の輪からいち早く離脱する。

あの海部総理は、西側首脳として初めて事件後の中国を訪問し、その上ODA(政府開発援助)を再開した。(1990年7月)更に、あの宮沢内閣は天皇を訪中(1992年10月)させ、中国の国際社会への復帰に尽力した。

これらの背後にあるのは、何なのだろうか。戦争中のことに関しては、日本は中国に対して負い目があったのは事実である。しかし、それは中国共産党政府(中共政府と略記)に対してではなく、中国の人たち一般に対してである。もし、天安門で起きたことが全ての中国の人に良かれと思うのなら兎も角、単に、その時の政府に擦り寄る外交は間違いだと思う。

第一に、すでに中共政府とは、日中平和条約が締結されている。平和条約は、その時点で、双方が未来志向の関係に切り替えるという合意である。その後は、対等の関係で外交を展開することが可能な筈である。

平和条約に先立つ日中共同宣言締結の時、周恩来は「日本人民と中国人民はともに日本の軍国主義の被害者である」として、「日本軍国主義」と「日本人民」を分断するロジックによって「未来志向」のポリティクスを提唱し、共同声明を実現させた。

この周恩来の言葉は、何時の時代でもどのような国家間の関係でも成立する素晴らしい言葉である。少なくとも平和条約締結後には、両国間の外交は両国の人民のためになくてはならないと思う。海部と宮沢は、上記の件を含めて、愚人と評価されてしかるべきだろう。

そして、これは言うまでもないが、過去の戦争で日本帝国が戦った相手は、中国国民党政府であり、中共政府ではない。毛沢東は、日本軍の国民党政府との戦いに対して感謝の言葉を述べたと、何かの書物で読んだ記憶がある。

日本はその後も過去の戦争に対する負い目からか、中国や韓国に対して卑屈な外交を続けた。この日本政府の国際政治に関する常識の欠如、戦略的思考のなさに、腹立たしく思う。日本の政治家の質が劣悪なことが原因の一つだろう。(補足3)自民党政府は、町内の人間関係である「外交」と同様の感覚で、国家間の外交をしているのだろう。国益とか戦略とかいう言葉をオーム返し的に用いるが、実際の外交にはそれらは皆無に近い。(補足4)

現在、中国は西欧的近代社会のルールを長年無視し、世界で第二の経済大国になり、世界における覇権を主張するようになった。知的所有権の無視、技術の不正な取得、借金付け外交と恫喝外交など、国際ルールを無視する姿勢や、国内問題とは言え、ウイグルやチベットなどでの人権無視も、世界のルールに違反している。それに米国や欧州の国々は、団結して対決する姿勢を示している。

それにも拘らず、今回も西側諸国で例外的に、日本が日中関係の緊密化に動いている。来年には習近平主席を国賓として、日本に招待するようである。将来、日本を支配下に収めれば、天皇家は消えるだろう。その天皇に、習近平を会わせるとは、安倍は一体どこの国のために働く総理大臣なのか。

4)中国の政治文化の特徴とその理由



中国では、自分とその一族が全てである。この一族の横の繋がりが全てであるので、一族からの出世は一族に潤いをもたらす。汚職や不公正な人事は、一族への還元行為としても当然のことである。このような話は、小説「ワイルド・スワンズ」にも描かれているし、以前テレビに良く出ていた柯隆氏も語っていたことでもある。

従って、法は権力者の道具であり、一般民にとっては手かせ足かせに過ぎない。また、政治などを議論する私的空間はあっても、「公の空間」はない。公の空間での政治の議論や示威行動は、従って、時の政権への敵対行為である。それは、国家の政治を支配するのは中央の権力が全てであるからである。

しかしそれでも、一般民にとって国は、自分たちの生命を守る存在として大事である。その外部にある夷狄は、城壁内の全てを殺す機会を狙っているからである。そして、この夷狄に対する敵意と蔑視が、中華思想の根源である。

この様な境遇の被支配者であるから、“夷狄は文化を持たない人間以下の存在であり、自分たち「中華」のみが本当の人間である”という、「中華思想」が出てきたのである。中国史の歴史学者岡田英弘は、その様に書いている。「誰も知らなかった皇帝たちの中国」参照。

同書には、今でも“自分たちが唯一の人間であり、「夷狄」などは人間ではなく、殺しても奪っても構わないというのが、中国人の固く信じているところである”と書かれている。上に書いた毛沢東や鄧小平の言葉の背景には、このような人命軽視の中国文化があることを我々日本人は肝に命ずべきである。

(写真家有賀正博氏は、「中国で偉大な指導者として崇められる人は、自国民の命を軽く考える人である」と解説をしている。https://www.photo-yatra.tokyo/blog/archives/219)

中国の政治的秩序は、天安門マサカーが示すように、恐怖政治により担保されたものであり、倫理や法といった、人の心に内部基準として設定されうるものには依存しないのである。西欧社会も日本のそのことを十分知らないと思う。

一方、西欧社会や日本には、人々の心には「公(おおやけ)」が存在する。一般民までが「公の空間」を意識するには、神を信仰するという宗教的背景がなければならない。

法や倫理は、神の代理的なもの(proxyという単語がふさわしいのだろう)として、心のなかにセットされる。それが、近代西欧社会の秩序の源である。

しかし中国の人たちは、儒教や道教はあっても、神を持たない文化に生きてきた。そして、親や支配者に対する忠義はあっても、第三者の困難を防ぎ思いやりを強いる「公」という神のプロキシはない。(補足5)従って、日本と中国の間の秩序ある平和的な互恵関係は、細部にわたる文章となった契約で築くのが正しいだろう。

長い人類史のなかでは、一般大衆は食べることに汲々としてきたのが現実である。その大衆に、経済的に一定の余裕が出てきたというだけで、政治文化の中に「公空間」が生じると期待するのは、元々無理な話である。公空間の発生は、民主主義社会の前提である。

「経済発展により中国は民主化の方向に進むと期待した」と、米国を中心とするグローバリストたちは言うが、それは非常に浅い理解か自分たちの強欲に基づくものである。

5)南京大虐殺のプロパガンダ:



その中国が西側の制裁緩和での結束を破る方法として行ったのが、南京大虐殺のプロパガンダである。1997年、米国在住のアイリスチャンにThe rape of Nankingを書き、天安門事件に対する世界の記憶を希薄化させることに成功する。

それは中国の考え方からすれば、一つの自然な選択だろう。日本から多少の不利益を被るとしても、それよりも大きな世界からの利益があると考えた戦略である。そこには、「真実は歴史に残ったものが真実であり、プロパガンダは真実を創造する手段である」という思想に基づいている。それは、司馬遷の「史記」以来不変の真理である。つまり、国際社会においても、生き残った方が善であり、滅んだ方が悪である。

既に上に書いたが、日本政府や経済会の人たちが、同じ文化の内部での人間どうしの付き合いと、価値の物差しが全く異なる国家間の付き合いを同じ様に考えるのは、致命的な間違いである。

補足:



1)鄧小平は、1931から毛沢東が率いる共産党グループに所属する。1952年、毛沢東により政務院の重要ポストを得て、1957年に、数十万人を冤罪で迫害する反右派闘争の指揮をとる。「100万人が殺されてもたいしたことではない」の裏に、もう一つこの件もあるのだろう。

2)翌日帰還する戦車の最前列で、戦車の進行を妨害する男性の映像が有名である。このピューリッツア−賞受賞の映像は静かな抗議であり、前日早朝の惨劇を忘れさせる危険性があると思う。この映像しか知らない人は、NHKの報道を信じる可能性がある。天安門事件といえば、この写真や動画が出されるのは、中国共産党には幸いなことである。

3)日本政界を劣悪な人材が牛耳るのは事実ではある。田園部出身の政治を家業とする二世、三世が、その地方の利権と直結した形で国政に参加するように選挙制度ができており、中央政界において安定な地位を確保するからである。

4)国益を第一に考えて戦略構想を創りあげ、それを下に外交を展開するという、戦前に作り上げた政治文化とシステム(シンクタンクなどを含めた)など全てが、過去の戦争と戦後の占領政策で奪われたままなのだろう。その再建が、吉田、岸、池田内閣あたりまでに行われなければならなかった。しかし、それが出来なかったのは、池田内閣あたりから、完全に金儲け主義に堕落してしまったからだろう。(或いは、戦前からそのような政治文化を学んでいなかった可能性もある。)

5)日本文化には神道や大乗仏教が根付いている。「お天道様」や「阿弥陀仏」は、ほとんど全ての日本人が心に持ち、通常は損得ではなく善悪や真偽を優先し、公のルールに従順である。そして、人を疑うことは罪悪であり、善意の推定が文化として根付いている。それは日本人の平和的だがひ弱な人間性の原因となり、戦略的思考などは特別な訓練を受けた者にしか存在しない。

2019年12月5日木曜日

再録)二つの陰謀論:佐藤優氏と宮家邦彦氏の対談を読んでの感想

前置き:

以下は2015年2月28日のブログ記事である。一定数の閲覧があったが、現在では検索にかからないので、再録することにした。陰謀論には二つあり、一つは戦略的な陰謀論であり、もう一つは撹乱戦術としての陰謀論であるという主張である。他国の陰謀を推測することは外交上大事であるが、それを否定する元外交官二人を批判した内容である。

「従軍慰安婦という性奴隷説」や「南京事件での大虐殺」では、その主張により利益を得ようとする者は、最初には発言しない。特に基本条約(平和条約など)を締結して、過去を清算して未来志向を約束した国家間では、それらは陰謀とみなされる危険性が高いからである。そこで有効なのは、その主張が成果を収めた場合に大きな損害を受ける側、或いはその近くから、主張させるという企み(陰謀)である。

そのような企みは、国家間の外交とコミュニティの人間関係を指す時に使う「外交」の区別が、十分できない国、日本、を相手にする時、成功率が極めて高い。そのように考えて、ここに再録し、陰謀論の意味を表裏二面から考えることが重要であると改めて主張したい。

[ 以下、再録記事 ]

Voice 3月号の巻頭討論「ユーラシアの地政学」を読んだ。テレビでおなじみの佐藤優氏と宮家邦彦氏の対談をまとめたものである。二番目のセクションからは面白く読ませていただいた。二番目からのセクションタイトルは、「プーチンの思惑」、「日豪関係の重要性」、「韓国との付き合い方」、「中国こそ韓国の脅威」、そして「21世紀のグレート・ゲーム」である。例えば、最後のセクションでは、宮家氏が”やはり日本人にとって大切になるのは、四方を海に囲まれた我国が地政学的に如何に恵まれているか、翻って各国が地政学的にどんな状況にあるのか、という想像力でしょうね。”と発言している。この点は本当にその通りであると思った。

しかし、最初のセクション「反知性主義の病理」には一部納得し難い箇所があり、その点に絞って感想を書く。最初に佐藤優氏が、“日本の言論界では反知性主義が席巻しだしている"として、ヘイトスピーチを行い、排外主義的な書物を出版する人たちを非難している。この点には同意するが、そこからの二人の意見には同意しかねる。佐藤氏の反知性主義の定義は、「客観性や実証性を無視もしくは軽視して、自分が望む様に世界を理解する態度のこと」である。そして、”反知性主義は学歴の高い人でも陥る危険がある。外務省をやめた途端に反米主義者になったり、陰謀論者になる人がいて情けないですが、日米同盟は日本の外交に欠かせない要件です。この点が崩れた人の本は読まなくて良いでしょう”と発言している。

私はこの部分の発言で、この人の限界を見た気がする。“外務省を止めたとたんに反米主義者になった人”と非難しているのは、孫崎享氏なのだろうか。また、陰謀論者になった人とは馬淵睦夫氏なのだろうか。両氏の本を読んだが、非常に示唆に富んだ内容であり、日本の戦略を考える上で役立つ筈だと思った(注釈1)。

もちろん、日米関係は日本外交に欠かせない要件であると思う。しかし、孫崎享氏の考えを反米主義として、馬淵睦夫氏の分析を陰謀論として葬ることでしか、彼らと対峙出来ない人は、そもそも外交専門家としては貧弱に思える。そのような姿勢で、夫々自国の利益をしたたかに追求する外交の場に臨むのは、自国の手足を縛ってしまうようなことになると思う。勿論、現場に居る人は米国の思惑と推理できることがあっても、それを本に書くことはできないだろう。しかし、退職したのなら、国家機密保護の原則にふれない範囲で自由に発表してよい筈である。

続いて宮家氏が、“我々が対峙しているのは、歴史学ではなく、現実としての国際政治です。過去の価値ではなく、現代の価値で戦っている、ということです。現代の価値とは、自由、民主、法の支配、人権、人道という普遍的価値を意味します。こうした普遍的価値に背を向けて、過去の価値体系で議論しても、国際政治の場では何の意味もありません。”と発言している。

表舞台で、これらを普遍的価値と看做すのは当然だろう。しかし、日本が関係を大切にすべき国家である、米国を始めとする西欧諸国が、本当に「自由、民主、法の支配、人権、人道」で動いているのか? 現代的価値というが、その現代は何時から始まったのか?第二次大戦後なのか、それ以前なら何時頃なのか?それを明らかにしなければ議論にならないと思う。そして、何よりも、米国のCIAやM何とかという英国の秘密情報機関、米国と結びつきが強い、イスラエルのモサドなどが、その現代的価値を重視して動いているのか?

本音があるのなら、もう少し本音を出して話して欲しい。本音があっても出せないのなら、そのような発言をしないで欲しい。世界が上記現代的価値で動いていると思う人が多くなるのは、日本の有権者を全体的に幼稚にしてしまう。

佐藤氏による反知性主義の定義は、「客観性や実証性を無視もしくは軽視して、自分が望む様に世界を理解する態度のこと」であった。諜報機関が裏で活動することも多い外交の世界では、当然秘密裏に(宮家氏の定義した)”現代的価値”を無視したことが起こり得て、それが外交を考える上で鍵となることも多い筈である。サイエンスではないので、客観性や実証性に縛られると、非常に外交における思考の幅を狭めてしまうと思う。

陰謀論を披露する人々だが、二つに分類出来ると思う。真面目な陰謀論者と陰謀で陰謀論を語る者である。真面目な方は、例えば上に挙げた馬淵睦夫氏である。彼が著した「国難の正体」は、私を含め素人の読者には非常に参考になる本である(注釈2)。もちろん、それを100%信じるのは反知性主義かもしれない。しかし、そのような考え方を披露するのは、反知性主義では決して無いと私は思う。

陰謀で陰謀論を語る者とは、「東日本大震災(地震)は、地震兵器で某国がひき起した」などと語る人である。“陰謀で陰謀論を語る人”は、真面目な陰謀論者を抱き込んで、一緒にゴミ箱に捨てられる役を引き受けているのだろう。もちろん、そのような陰謀があるかどうか客観性も実証性もない。しかし、外交とはそのような世界ではないのか?

注釈:
1)1)孫崎享著「アメリカに潰された政治家たち」と馬淵睦夫著「国難の正体」は、有益な本だと思う。そのような考え方があることを、日本人は知るべきである。
2)このように具体名を挙げると、「馬淵さんはちょっと極端な意見を述べただけで、反知性主義者ではありません」と反論されるかもしれない。しかし、彼らには反論の資格がない。何故なら、彼らは反知性主義者の具体名を挙げていないし、且つ、外務省を退職した馬淵睦夫氏が書いた「国難の正体」は、あるグループの陰謀をのべたものであるからである。

2019年12月4日水曜日

米国で証明されたトヨタやホンダの車の耐久性

トランプ大統領は米国の車が日本で売れないことを、貿易不均衡の一つに挙げているが、日本人が米国産の車を買わないのは、満足できないからである。(補足1)つまり、米国の車メーカーが、日本人の求める車を製造し、販売していないだけである。一方、日本メーカーは、米国において米国人が求めている車を製造し販売している。

その日本車の“長所”の一つは、おそらく故障しないことだろう。その結果、新車購入後15年以上元のオーナーが保有し続ける車の上から10位までの全てが日本車である。これは以下の米国のサイトでの統計の結果である。https://www.iseecars.com/cars-people-keep-longest-study#v=2019

上記記事では、その一位がトヨタのHighlanderで、写真でみた印象では、おそらく日本のトヨタ・ヴァンガードのようなSUV車だろう。この車は18.5%の保有率である。中古車の購入者の保持も入れた場合、15年以上動き続けるHighlanderの%は、ずっと高くなるだろう。

私は、トヨタの社員でも株保有者でもないが、この日本車の特徴は、日本の工業技術が産んだものであり、日本の誇りの一つである。この頃は儲け第一主義が蔓延りだしたが、本来、他人の役に立つものを作り販売することが、日本の製造販売業の文化である。それが空気のように当たり前に日本社会に存在して居た(又は居る)。それは大きな日本の資産であり信用(credit)である。

因みに、中古車のネット販売のサイトを見つけ、このHighlander(limitedというタイプ)の価格をみた。2013年製(つまり、6年落ち)の65350マイル(約105000km)走ったのが、なんと16500ドル(役180万円)で売られている。更に、同じタイプの2008年製で、走行距離132202マイルの車が9533ドル(約104万円)であった。この両者の差をとると、5年間で58000マイル走る際に支払う車本体の代金が、76万円だったことになる。 https://www.iseecars.com/used_cars-t5989-used-toyota-highlander-for-sale

つまり、1リットルのガソリンで仮に9.3km走るとすれば(本当はもっと短い距離だろう)、1万リットル消費する。アメリカでもリットルあたり76円位(日本では130円ほど、ハイオクなら150円位)は支払うだろう。本体価格と比較して、エネルギー代と同程度或いはそれ以下の機械は、自動車位しかないだろう。別の表現では、この車で1日52km走って、422円支払ったことになる。これがレンタカーの原価だとしたら、それは物凄く儲かる商売になる。(補足2)技術の極限、State of the art、だと思う。

因みに、米国においてこのタイプの車で人気が高いのが、韓国のHyundai(現代自動車)、Kia(起亜自動車)である。 同じサイトで、SUVだけのリストがあった。それが、次のテーブルである。

ここには、ヒュンダイの車が9位、キアの車が10位にランクインしている。このデータから想像すると、耐久性は、トヨタやホンダの車に劣るように思う。

補足:

1)スタイル、価格、耐久性の他に、日本では燃料消費量が、車を買う際の大きな決定因子である。それが考慮された車なら、GMやFordの車は日本で売れると思う。スタイルは一般に日本車より良いし、ブランド力もある。外国車としての価格は欧州車よりもむしろ安いだろう。 2)一例だけ拾い上げて、ここまで言うのは、本当は科学的ではない。本来、最低でも20位のサンプルをとって、標準偏差を示すのが科学的姿勢である。本格的なデータ解析の結果ではないことをお断りしておく。

2019年12月2日月曜日

中国による日本の属国化(II):安倍総理は売国奴?

このシリーズ(I)は:ここまで来ている!日本の中国属国化[桜R1/11/29]を観ての感想

1)安倍総理の売国行為

米国による経済制裁で苦しい情況に追い込まれた中国は、何らかの方法で、安倍総理を完全に取り込むことに成功した。取り込まれた背景の一つには、安倍総理はトランプ政権の利己的東アジア政策に、対応できなかったことがあるだろう。

具体的には、「自分達で防衛するのでなければ米軍駐留経費はこれまでの倍出せ」とか、「貿易不均衡は、二国間で完全にバランスしなければならない(つまり物々交換的でなければならない)」などの要求である。

しかし、それは交渉事であり、値札通りの値段で購入しなければならないという類の話ではない。それらは、本質的問題を議論するための背景作りに過ぎない。絵の中心に来るのは、目的を共有する同盟関係を新しく樹立することである。背景と中心とは、相互にふさわしく作り上げられるべきである。

その目的の共有として重要な項目は、「インド太平洋構想を北東アジアにも展開できる様な協力体制を作り上げること」である。

この点については、米国は半分腰が引けている。中国及び北朝鮮という中世的帝国と、米国の同盟国として存在してきたものの、独立国としての意識の弱い二つの国を相手にしなければならないからである。

後者の一つである日本が、独立国としての精神を失ったことの原因の一つは、米国の占領政治にある。しかし、いつまでもそれを言い続ける姿は、韓国が日本に対して、慰安婦とか徴用工の問題を言い続ける姿にそっくりである。トランプは、そんなグジグジした話を最も嫌う。

現在の米国大統領は、過去にとらわれない現実主義者である。もし、短期間に相応の覚悟を示すことが出来たのなら、今後も法の支配や民主主義を共有する同盟国として協力的関係を維持したいが、そうでないのなら、まとめて中国に任せることが賢明であると考えているのだろう。 その覚悟の確認を、トランプ大統領はわかりやすいがかなり乱暴な形で行っている。それが、文在寅の韓国に要求した50億ドルの米軍駐留経費の要求であり、今後日本にしめされる同様の要求だろう。 その日米韓の間の政治的雰囲気は、既に其々の国の首脳が十分感じているだろう。韓国の文在寅政権はいち早く中国の支配下に入るという選択をした。次に、日本の安倍政権も同様の選択をした模様である。それは、今年4月に成立した新入国管理法とアイヌ新法(補足1)である。

この二つの法律は、北海道の10分の1の土地を購入済の中国は、そこに農場をつくり、中国向けの食料を中国人の手で生産するために用いるようである。つまり、上記二つの法律は北海道に大量の中国人労働者が、先住民を名乗る日本人(補足2)を利用して、円滑に入植するためとも考えられる。(水島氏談;下記引用動画、チャネル桜「中国の日本属国化シミュレーション」の55分から1時間あたり)(補足3) https://www.youtube.com/watch?v=PnE-XGKqWnQ

これが、岸信介の孫であることを誇りにしている安倍総理の外交である。

2)米国の同盟国防衛に対する基本的方針:

米国のGDPシェアは毎年低下している。その上、米国の経常赤字は一方的に膨らんでいる。更に、ロシアと中国の武力増強は著しい。例えば、超音速ミサイルや原子炉搭載型の潜水艦開発などの研究が進み、今や一旦空中に上がったミサイルを撃ち落とすのは困難である。 その結果、米国は本土防衛すら危惧される情況になっている。

この様な情況下での米国の方針は、同盟国であるヨーロッパや日本などには独自防衛を要求することである。今年6月に出た米軍のアジア地域における戦略構想において、米国海空軍の戦略的配備地域は、オセアニア、東南アジア、南アジアのみであり、北東アジアにはその展開拠点はない。(チャネル桜の「日本核武装論」https://www.youtube.com/watch?v=l3WVHGBNC68;2時間45分ころからの矢野元自衛隊陸将補の話;補足4)

この米国の戦略構想は、以前から議論されていただろう。しかし、もう一つの構想として、上記基礎的バージョンに、北東アジアの自主防衛能力を高めた日本軍と韓国軍を組み入れて、インド太平洋構想の大きなバージョンがあっただろう。米国は、出来るならその拡大版を実施したかっただろう。その最終的な選択のために日本の希望と覚悟の程を確認することが、昨年11月、ペンス副大統領の訪日の目的だったのではないだろうか。

そのことは、以下の日本政府の公開した動画(下記のアドレス)を見れば分かるかもしれない。私には、この中のペンス副大統領の会談要約と日本国民に向けたメッセージの中に、米国の上記拡大バージョンのインド太平洋構想に対する日本の協力と、それにふさわしい日本の覚悟に対する期待があったことが表明されていると思う。 https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/actions/201811/13hyokei.html

上記サイトの上に表示された動画は、会談前の挨拶と互いに会談の意味を話す部分(8分弱)と、会談後の記者会見で二人が会談の要約を述べる部分(16分あまり)からなる。下は、会談後の16分の動画だけである。

安倍総理の、日本だけが、短時間に何度も訪問の相手国になったことに重要な意味があるような最初のコメントに、私は大きな違和感を持った。安倍氏は「外交」を日常の個人間の「外交」意味で理解している様に感じる。つまり、仲良く付き合うが、互いに相手の内部に深くは入り込まないのである。(補足5;前回投稿文の補足3と同じ)

安倍総理の説明の中心は、北朝鮮核問題や拉致問題であり、最も長く言及している。それに続いてインド太平洋地域構想についての言及があったが、これまでの協力が進んでいるという評価と、今後もインド、豪州、ASEAN諸国と日米が協力していくという方針だけであった。中国問題については、習近平との会談について報告し、日米の連携が大事だと一致したというだけであった。(10秒程度) 経済関係に於ける日米交渉について、自由で開かれた関係が大事だということで一致したとだけ付け足され、具体的内容に欠けた短い時間(4分弱)の要約だった。

一方、ペンス副大統領の12分以上の話の中心は、対中国姿勢であった。自由で開放的なインド太平洋地域の確保とその繁栄を目指す構想の障害として、権威主義と攻撃的な中国の存在が明確に言及されている。そして、この地域(日本を含む北東アジア)に対する米国の姿勢は不変であること、日本の防衛努力に対する評価(という形で本当は期待)が表明されている。その中に、埋め込まれた形で、日米の経済不均衡の問題と北朝鮮の非核化の問題に関する言及があった。拉致問題への言及は全く無かった。二人の話は、噛み合わなかったと思う。

安倍総理は会談のなかで、ペンス大統領が話す米国の構想に於ける幾つかのオプションの中に、深く切り込んでいないのだろう。一定の切迫感と迫力を感じないなら、深く議論することはないと、副大統領は感じただろう。その会談の経緯を12分の話の中で、ペンス副大統領は日本国民に対して直接述べているように感じられる。

3)安倍政権の考え方についての推察

安倍総理とその周辺は、米国による中国封じ込めに同調したとしても、その後、米国は東アジアにおける覇権を放棄するだろうと考えているのだろう。はしごを外された日本は、それまでの反中外交の報復として、中国の核の脅威に晒され、永久に中国の奴隷状態に置かれるだろうと考えるかもしれない。

米国の方針は、上記の読みとほぼ同じだろう。しかし、米国のシナリオには二つあっただろう。①1つ目はこの重大な危機を必死に考えて行動する国家用である。その場合、独自防衛能力の獲得と対等な国家間での日米同盟であり、そこに至るまでの一定期間の米国の協力継続である。(これについて、「日本核武装論」(2:50以降)の中で矢野准将は日本や韓国にも核兵器保持を認めるつもりだろうと言っている)

もう一つは、②あくまでも運命に身を任す受動的な国家用である。トランプ大統領は、そのような国を相手にするつもりはないだろう。韓国の文在寅政権は、嘗ての李氏朝鮮の皇宗のように②を選んだ。日本が前者を選ぶ場合には、相当の覚悟と頭脳を使う必要がある。その選択をペンス氏は確認にきたのだと私は思う。トランプが来なかったのは、安倍にそのような覚悟も頭脳もある筈がないと読み切っているのである。それが東アジアサミットやAPEC(中国、日本、韓国が主要メンバー)に興味を無くした理由だろう。https://www.sankei.com/world/news/180901/wor1809010006-n1.html

ペンス副大統領とトランプ大統領の間の会話を想像する。「日本が、真の独立と自己防衛を目指すなら、米国はそれに協力しなければならない」というペンスに、トランプは、「安倍にそんな話をしても無駄だ」と言ったのではないだろうか。そこで、ペンスは「じゃあ、私が一度本音で話をしてみる」と言って、三度目の日本訪問をした。(補足6)

その時、既に中国の甘い話に乗りかけていた安倍は、ペンスの話の中に深く入って来なかった。その結果、安倍は国民向けに記者発表をする時、北朝鮮問題以外は、項目を読み上げるだけの話で短く終わった。ペンスは、「インド太平洋構想の概念とそれに対する妨害勢力の存在、そして、その妨害勢力に日本が主体的に対抗する覚悟を示してくれるなら、東北アジアに対し米国が深く関与する覚悟があることを明確にした」と日本国民に向けて、安倍が使った時間の3倍以上の時間をかけて説明した。しかし、ここは日本である。日本国民に対して、十分説明する義務が安倍にはあるはずだ。

前者の方針を明確に示せば、米国が東アジアでの覇権の維持に、十分な武装をした独立国日本を期待するだろうし、一定の協力をするだろう。しかしその道は、日本にとって平和教に毒されている日本国民の覚醒という、難しいプロセスを乗り越えなければならない。

後者の方針をとれば、日本に泥沼の対中親和外交を選択するままに放置し、米国は、経済問題で厳しく迫ることで日本を米国からの離反に導く。最初から、北朝鮮から核兵器剥奪が不可能なことだろうと、米国は予測していた筈である。

安倍総理は、日本の選択肢として「核武装と憲法改正をして、まともな独立国になること」も一応考えただろう。しかし、短時間にそのようなまともな国になるには、何か特別の手法を用いない限り無理なことは明白である。国民は平和教(広島を訪問したローマ教皇やオバマ大統領のような無責任な理想論に、感激する宗教)と健康教を唱えているのみであり、テレビはクイズ番組、健康番組、下劣な週刊誌ネタに集中している。 日本国民は、政治的には堕落の極致にある。そこからの覚醒には、長期的には近現代史の総括とその国民への教育が最も大事だろう。しかし、短期的には北朝鮮の核兵器の脅威を宣伝する方法もあるが、そんな芸当が出来る安倍総理ではない。

そこで、この中国が困った時期に、恩を売るかたちで関係を良くすれば、日本は生き残れるかもしれえないと考えたのかもしれない。しかし、それは致命的な間違いである。安倍氏は、国家と国家の関係を、同じ社会に生きる個人と個人の関係と同様に考えてしまう愚かな人物ではないだろうか。(既出の補足4)対中外交を戦略的に考えることなど出来るわけがない。

中国では、騙し騙されるという人間関係は日常的であり、騙された方が悪いと考えるのが普通である。その結果、家族以外は信じないのが中国人である。そのような文化の中では、国家は中世的な形が最も安定である。その場合、周辺国は単に搾取の対象でしかない。

宮沢賢治の「注文の多い料理店」のように、安倍政権は、自分の意思で食べられるように準備を始めている。中国は現在、沖縄と北海道を日本におけるフロントと考えている。先ず、そこに中国の支局のようなものを作る素地を用意する。そのための法整備を安倍総理にサジェストしたのだろう。それが入国管理法改定とアイヌ新法の二本である。今年の4月19日に成立した。

中国は日本人を10人以上拘束しているらしい。それらの行為は、日本の親中姿勢が本物かどうかのリトマス試験紙なのだろう。野党も日中関係には何も質問しないし、新聞や地上波のテレビの殆ども同様である。日本は確実に消える。それは李鵬が1993年、訪問したオーストラリア首相に言った通りである。「40年後には、日本は消えている。」



4)中国の考えと安倍総理考えのすれ違い(私の想像):

韓国の文在寅政権は中国への隷属を決めている。情況は、丁度李氏朝鮮の末期のそれに似ている。韓国は要するに強い国に隷属する習性がある。(補足7)安倍政権の日本が、同じ様に中国に隷属する方針でも、日韓が連携をとったままでは面倒である。米国による米韓日の連携再構築の方針が出されれば、その方向に逆戻りする可能性すらある。

そこで、韓国の文在寅には、徴用工でも慰安婦でも良いから、日本を困らせてやれと命令する。日韓を協調不可能なように分断するためである。文在寅の要求に対して、やはり中国のサジェストがあって、安倍政権は韓国への経済制裁を行った。その結果は中国の目論だとおりである。獲物は、一匹づつ獲るのが賢明である。

将来、日本から上納金を取り立てるのに、韓国を使えばよい。彼らは取税人(聖書の世界では悪人)として最適だろう。韓国と日本は、中世の下級役人と農奴の関係になるのだ。そして、中国、韓国、日本の安定な中華秩序ができる。これまで何ども中国経済の発展のために日本を利用した。利用できるものを、利用するのは自然なことだ。

ここで安倍総理を含め、日本側の根本的間違いについて一言書きたい。上では、北朝鮮問題をほとんど書かなかった。日本にとっても、米国にとっても、北朝鮮の核開発問題は、中国の東アジアでの覇権掌握に比べれば小さい問題である。

しかし、安倍政権は、更に小さい拉致の問題を、日本にとって最大の問題と間違って考えているようだ。無能の極限にある人物と言える。以前のブログ記事に書いたように、日本は“拉致問題”に拉致されている。拉致問題の話になると、思考停止に陥ってしまう。

5月の日米首脳会談では、安倍総理は日本の最大の問題であると言って、トランプ大統領に協力を請うた。トランプ大統領も適当に話をあわせていた。1億3,000万人の日本国民がウイグルの人たち以下の境遇になる将来を問題にせず、10人ほどの拉致被害者の問題を、最重要課題のように取り上げたのである。

以前、書いたことを繰り返す。平和ボケの日本国民は、拉致問題を「日本国家が彼らを守ることが何故できなかったのか」という視点ではなく、「悪人による犯罪」と考える愚を犯してしまった。北朝鮮は、国交のない常に日本と戦争状態にあるとも考えられる国である。そして、国際関係は、本来「野生の原理」が支配する世界である。

日本国民の他国による拉致は、犯罪ではない。日本国への戦争行為である。戦争行為に対しては戦争で解決する以外に方法はない。それを明確に国民に言えない者は、国政政治家たり得ない。ましてや、そんなヤツが一国のリーダーになる可能性が高いことが、民主主義の根本的欠陥である。米国で民主主義が成立しているように見えるのは、実は一部のエリート層の独裁だからである。本ブログでも何度も引用した、ブレジンスキーの言葉が証明している。中国共産党幹部も、自分たちの政治制度が西欧の民主主義に比べて優れていると言うのは、正にこの民主主義の欠点故である。

補足:

1)アイヌ協会の代表、中国及び北朝鮮のメンバーが、主体思想研究会を日本で創設している。因みに、アイヌが北海道に現れたのは、13世紀のことだという。下記サイトの50分辺りから、水島氏が解説している。苫小牧、稚内の市長は大親中派であるという。 チャネル桜、「中国の日本属国化シミュレーション」:https://www.youtube.com/watch?v=PnE-XGKqWnQ

2)北海道に入植するには、元アイヌの協力を得るのが最も大きな力となる。アイヌであることと最近のマイノリティーの権利重視の文化が、黄門の印籠のような役割を果たすからである。そのため、アイヌ協会の会長は中国と北朝鮮が共同で作り上げた日本のチュチェ(主体)思想研究会の創立メンバーであり、アイヌ協会と中国の協力体制は準備されている。

3)新入管法は日本の労働不足を解消するためのものとも考えられる。しかし、新入管法とアイヌ新報が、国会での審議を省いたような形で、非常に短い時間に同時に成立したことを思い出してほしい。更に、李克強首相や王岐山(実質NO2)という中国首脳が訪日した際、特別にふたりとも北海道を視察していることに注目すべきである。

4)「そのような情況だから、トランプは、宇宙軍創設とかを言い出している」と矢野准将は言っている。(「日本核武装論」https://www.youtube.com/watch?v=l3WVHGBNC68;2時間45分以降)キューバ危機の時、ケネディが大統領が月旅行を言い出したことにそっくりである。

5)安倍総理の外交能力はゼロである。それは日露外交で証明されている。おそらく、安倍氏は「外交」という意味を日本の日常語の意味で理解しているだろう。つまり、日常語の外交とは、仲良くおしゃべりをすることで、互いに相手の内部に深くは入り込まない。日露外交では、何度プーチンに会っても話が具体的なところに行かない。あるのは、笑顔と握手と総論だけである。米国CIAに聞けば分かるだろう。トランプは、安倍氏との話には飽き飽きとしている筈だ。

6)ペンス副大統領がこの会談後に出席する、東アジアサミットやAPECの会合をトランプ大統領が欠席した理由は、既に米国の方針が出ていて、話すべきことが無かったからだろう。また、2019年5月の日米首脳会談では、米中覇権戦争についての話し合いは記者会見の中に無かったので、何もなされなかたようだ。安倍総理の関心は、日本の国体護持よりも拉致問題でトランプ大統領の協力を得ることのようである。 https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2019/0527usa.html

(追補:記者会見でトランプ大統領が話す時、原稿のプロジェクターから目を話す時は、正面に向かって話し、安倍さんの方は向いていない。また、安倍さんはドナルドとファーストネームで呼ぶ場面が何回かあったが、トランプ大統領は、フラットにprime minister Abeと、目を見ないで言っている。二人の間の微妙な雰囲気を感じ取ってもらいたい。)

7)李氏朝鮮は、どこか強い国に隷属することで、国王と両班層の地位を安泰に保つという外交政策をとった。その際、一般民は貧困の極に放置された。(イザベラ・バードの朝鮮紀行。https://www.youtube.com/watch?v=Nrl1kogZbkQ&t=31s 第26代の朝鮮王の高宗は、ロシアがつよいと考え、乱れた市内からロシア公使館に移り、朝鮮王朝の執政をとった(露館播遷という、1896/2~1897/2)。

2019年12月1日日曜日

ここまで来ている!日本の中国属国化[桜R1/11/29]を観ての感想

チャンネル桜の水島社長が、中国による日本の属国化の進展を憂い、そして、それに対抗しない安倍政権を批判している。以下に、水島社長の発言内容の概略に、私の想像を含めた解釈を加えて記す。

水島氏は先ず、自分たちの石垣島漁協と協力してやって来た尖閣諸島周辺での漁業活動を紹介している。実効支配の実績をつくるためである。しかし、そのような漁業活動も、現在では中国の公船(多分、領海警備の船)の警備活動により、出来なくなっている。現在では、尖閣近海は、海上保安庁の船と中国の警備船が互いに行ったり来たりして、日本が実効支配する領土でなくなっている。 https://www.youtube.com/watch?v=__plLpNJMFc

自民党は、衆議院議員選挙の公約として、尖閣に公務員の常駐、または公安施設の拡充を約束したが、何一つ実行していない。更に、日本国民が10人以上も、中国に拘束されている。この人たちの拘束理由の説得力のある説明は未だ公開されていないにも拘らず、日本政府は彼らの釈放を要求していない。(補足1)このような情況にあっても、安倍総理は「日中関係は完全に正常化した。これからは発展あるのみだ」と言っている。

  日本は昨年10月の安倍総理の訪中以来、習近平の国賓としての招聘など、親中政策を実行している。総理訪中に備えて準備をしていただろうと思われる最中の10月4日、米国ペンス副大統領による“中国との対立を明確にする演説”がハドソン研究所でなされた。

それまで、トランプ大統領なら適当なところで中国に妥協するだろうと思っていた人も多かったので、経済戦争から覇権戦争に変質した米中関係に戸惑っただろう。しかし、これまで積み上げた外交方針を、急激に変えるわけにはいかない。いつもの事なかれ主義で、そのまま惰性で親中の方向に進んでしまった様だ。

ヨーロッパなど世界中の国から、日本は同盟国の米国等を裏切って、中国を相手に金儲けに精を出していると非難されるだろう。米国に対する敵対行為ともとれる現在の安倍対中外交は、第二次大戦のときにドイツと手を組んだときに似ているという人もいる。(北野幸伯氏)

  歴史的演説の後の昨年11月、訪日したペンス副大統領に、安倍総理が半月ほど前の訪中の説明をしている。ペンス氏の「米国は、自国の安全保障にとって東アジアが重要であると認識している」という声を上の空で聞いたのか、その意味も確認せず(<=これは想像です)、東アジアを含むインド太平洋構想の実現に向けて、二人の意見の一致を見たような声明を出している。(補足2)総理は、その中での日本の位置について、具体的且つ十分に確認していなかっただろう。https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/actions/201811/13hyokei.html

それから1年経った。一年間で、習近平の国賓としての招聘など、日中関係は大きく前進した。米国は、それでも日本に抗議や重要な問い合わせなど、何もしない。しかし、それは米国トランプ大統領と申し合わせて、中国外交を進めているという事ではないだろう。(補足3)

尖閣に中国軍が上陸した時、慌てて米国に協力を求めても、日本側が自ら招いた事であり、米国は何にもできないというだろう。米国はその瞬間を待っているのだろう。

補足:

1)スパイ活動や薬物所持などの理由は告げられているだろう。その様な場合、日本は抗議する理由はない。中国人が日本国内の犯罪で、日本に拘束されたとしても、同様である。

2)昨年11月に来日したペンス副大統領と安倍総理との会談後の記者会見の冒頭の動画は、最近見つけた。探す努力をしなかったのは、ペンス演説の重要性について十分認識出来ていなかったからだろう。その解釈については、近いうちに書く予定。

3)安倍総理の外交能力はゼロである。それは日露外交で証明されている。おそらく、安倍氏は「外交」という意味を日本の日常語の意味で理解しているだろう。日常語の外交とは、仲良くおしゃべりをすることで、互いに相手の内部に深くは入り込まない。日露外交では、何度プーチンに会っても話が具体的なところに行かなかった。あるのは、笑顔と握手と総論だけである。米国CIAに聞けば分かるだろう。トランプは、安倍氏との話には飽き飽きとしている筈だ。