米国が根元から揺らいでいる。米帝国は、確かに衰退していっているのだろう。しかし、誰かが米国を倒そうとしているというのではなく、また単純な国力低下でもないように見える。それぞれ異なる目的を持つ複数の国内勢力が、自分たちの利益のために衰退を始めた米国を利用し続けた結果として、米帝国そのものの生命力が失われつつあるのではないだろうか。
つまり、巨大な帝国が衰え始めたことを察知した者たちが、まだ利用できるうちに、その軍事力、金融力、外交力、情報力を自分たちの目的のために使い尽くそうとしている。そのように考えると、現在の米国で起きている不可解な現象の多くが、一枚の絵の中に収まってくる。
それは、命を糧とする数匹の鬼が、巨大な米国の身体に取り付き、その命を少しずつ食い尽くそうとしている絵である。彼らの多くは、その繁栄そのものが米国という国家によって可能になったことを忘れているようにも見える。
1.冷戦の終結と「鏡」の消失――傲慢の始まり
米国の衰退を論じたノルウェーの国際政治学者グレン・ディーセン教授と国際政治アナリストの江学勤氏の対談を聞いていて、非常に興味深く感じたのは、米国にとってのソ連の存在が持っていた意味についての議論であった。
冷戦時代、ソ連はもちろん米国にとって最大の敵であった。しかし敵であると同時に、ソ連は米国に自分自身の姿を映す鏡としての働きを持っていたという考え方である。https://www.youtube.com/watch?v=QEysVg7ftWk
米国は、自由主義を掲げる以上あまり露骨に自由を踏みにじることはできない。資本主義の優越を語る以上、国民の大部分を貧困に落とすこともできない。民主主義を世界に宣伝する以上、政治を一部の富裕層だけの所有物にすることにも限界があった。
何より、巨大な軍事力を持つソ連と対峙しているので、相手の能力を冷静に評価しなければ国家そのものが滅びる。つまりソ連という外圧が、米国に一定の自己抑制を強いていたのである。
ところが1991年、ソ連が突然崩壊した。これは米国にとって単なる勝利ではなかったと江学勤氏はいう。巨大な外圧が突然消えた「急減圧」であり、自分の醜い姿を映し出す鏡の消失でもあった。その結果、急減圧された液体の中に無数の気泡が発生するように、米国社会のあちらこちらに「傲慢」という泡が生まれ始めたのではないだろうか。
ソ連崩壊後、米国は唯一の超大国となった。そこから生まれたのは、「われわれの制度が世界で最も優れている」という確信だけではなかった。いつしかそれは、「われわれには世界を作り替える権利がある、そしてその能力もある」という思想へと変わっていった。
相手の歴史も文化も社会構造も十分知らなくてよい。圧倒的な軍事力と金融力があれば、最後には相手が屈服する。米国が正しいのだから、米国に抵抗する者の方が間違っている。そのような傲慢が、一極支配の時代の米国を少しずつ支配していったのではないか。
江氏がローマ共和国とカルタゴの関係を例に挙げたのは、この意味で非常に示唆的である。強敵の存在は国家を緊張させる。しかし同時に、国家を自制させる働きも持つ。敵が消えれば、その抑制も消えるのである。
米国は、ソ連という強敵を失った後、軍事、政治、金融の各分野がそれぞれ自己の論理で膨張を始め、国家全体としての統制を失っていったように見える。
その後のイラク、アフガニスタン、中東各地への介入、そしてロシア包囲へと続いていく政策の底には、各所で生まれ成長した傲慢が互いに矛盾し、その辻褄を合わせるためにさらに力の行使を必要とするという循環があったのではないだろうか。
つまり、冷戦後に生まれた「傲慢という泡」は、三十年を経て巨大な利益構造へ成長したのである。そして帝国そのものが衰え始めた現在、それらは米国に残された力を奪い合う「鬼」へと姿を変えたのかもしれない。
2.制御不能な「鬼」たちの誕生――権力構造の肥大化
国内政治そのものも大きく変質していった。現在の米国では、Super PACに代表されるように、巨額の資金が選挙に極めて大きな影響を与える仕組みが発達している。
もちろん形式上は、金を払って政治家を直接購入する制度ではない。しかし数億ドル、時にはそれ以上の資金を政治活動に投入できる人間と、普通の一市民の政治的影響力が同じであると考えることは難しい。
こうして民主主義は形式として残りながら、その内部では、巨大資本、軍需産業、金融資本、巨大IT企業、各種ロビー団体などが、それぞれ政治的影響力を競う構造が作られていった。
ここで重要なのは、これらの勢力を一つの秘密組織のように考える必要がないことである。むしろ問題は、誰も米国全体を統制していないことと考えるべきである。それぞれが自分の目的だけを追求し、その結果として国家全体の利益が失われていくのである。
それぞれが異なる目的を持ち、ときには互いに対立しながら、米国という巨大な国家装置を自分たちのために利用しようとする。これこそ、あちこちで発生した傲慢さが作り上げた利権勢力と統制を欠いた米国の姿である。
肥大化した利権勢力(鬼)の一つは、イスラエルの安全と中東における優位を最重要視するイスラエルロビー、そしてシオニスト勢力である。彼らにとって重要なのは、イスラエルにとって最大の脅威となり得る国家や勢力を弱体化することであり、その中心に長くイランが位置してきた。
もう一つの鬼は、米国の力を利用して世界そのものを新しい秩序へ作り替えようとしてきたネオコン勢力である。彼らにとって米国は単なる一国家ではなく、世界秩序を設計する主体である。
米国の軍事力、NATO、制裁、国際金融制度、情報機関などを使い、米国に抵抗する国家を弱体化し、最終的には米国を中心とした世界秩序へ組み込んでいこうとする。
それらの巨大化した勢力の背後には、軍産複合体が存在する。彼らにとって重要なのは、必ずしも一つの思想ではない。世界に脅威が存在し続けることである。彼らは、冷戦時代の遺産として静かに縮小することを受け入れなかった。むしろ、新しい敵、新しい脅威、新しい戦場を必要とした。そして上記の二つの利権勢力(ここでは鬼と呼ぼう)と利害を重ねながら成長を続けることになった。
脅威があれば軍事予算が増える。戦争があれば兵器が消費される。同盟国が恐怖を感じれば、米国製兵器を購入するのである。これらの膨張する構造に資金を循環させるのが金融装置である。ただし金融勢力は、必ずしも戦争そのものを必要としているわけではない。
彼らが巨大な利益を得てきたのは、ドル決済、米国資本市場、米国債、国際金融制度の中心に米国が位置し続ける構造そのものからである。しかし、統制を欠いた米国においては、金融もまた独自の論理によって利益を追求し、実体経済や国民生活とは別の方向へ膨張していく。
これらの利権勢力は同じではなく、目的も違う鬼たちである。しかし、ある地点では奇妙なほど利害が一致する。戦争である。イランを敵とすれば、イスラエルの安全保障には有利である。ネオコンにとっては米国中心の世界秩序に抵抗する国家を弱体化できる。軍需産業には兵器需要が生まれ、湾岸諸国は恐怖から米国製兵器を購入する。
ロシアを敵とする場合も同様である。ウクライナを代理とした対ロシア戦争は、米国中心の世界秩序の障害のロシアを弱体化できる。同時に欧州とロシアの経済関係を切断し、欧州を安全保障面で米国へさらに依存させることができる。イスラエルロビーもエゼキエル書を思い出して或いは歓迎するかもしれない。
中国を脅威として位置づければ、日本、韓国、フィリピン、オーストラリアなどを米国の安全保障体系へさらに深く組み込むことができる。軍産複合体にとっては巨大な市場が維持される。ただ、現在のライバルであっても、ネオコンもイスラエルロビーもそれほどエネルギーがわく理由が無いのかもしれない。
これは、一種の「共有地の悲劇(コモンズの悲劇:ウィキペディア参照)」に似ている。米国の軍事力、外交力、金融力、情報力を巨大な共有資源と考えれば、それぞれの勢力にとっては、それを温存するより自分が使えるうちに利用した方が合理的である。しかし全員が同じ合理性に従えば、その共有資源そのものが消耗する。
上記の比喩を用いれば:鬼たちは相談して巨人を衰退させているのではない。それぞれが自分の欲しい部分を勝手に利用して(食べて)いる。しかし全員が合理的に食べ続ければ、最後には巨人そのものが命を失うのである。
3.建前を捨てた帝国――トランプ時代の顕現
そこへトランプが登場した。トランプは最初アメリカファースト或いはMake America Great Again(MAGA)と言って、これらの鬼たちと対立するように見えた。しかし、トランプは、米国を衰退させている鬼は、米国に安全保障を頼っていた国々や、米国の金融システムの中で貿易を行って富を築いてきた友好国をはじめとする各国だと考えていたようである。
また、米国から安全保障や自由市場の恩恵を受けながら、その恩に報いることを拒否していると考えたようだ。そして、その過度に“ジェネラスな政策(!)”を行ってきたのは民主党であるとして民主党を批判し、その逆方向の政策をとるべきと考えたようだ。
彼は、国内に鬼が育っているとは思っていなかったのだろう。MAGA政策が“傲慢な諸外国の所為”で旨くいかないと考えたトランプは、強引な方法でヨーロッパ諸国や東アジアの同盟国から富を収奪しようとした。トランプは、その為に、米国に「建前という衣服」を捨てさせたのである。
それまで米国は、自由、民主主義、人権、国際協調、同盟国との友情、ルールに基づく国際秩序という美しい建前を身にまとっていた。もちろん、その衣服の下では軍事力も制裁も圧力も使われていた。しかし、少なくとも表面には建前の理念が存在していた。
トランプは、その建前を取引の損得へ置き換えた。「守ってほしければ金を払え。米国製品を買え。米国の兵器を買え。米国内に工場を建てろ。従わなければ関税をかける。必要なら制裁する」などと、同盟国を脅してきた。
トランプはアメリカ帝国を作った人物ではない。むしろ、帝国がそれまで隠してきた論理を、誰にでも見える言葉で語った人物である。トランプ政権下で、米国が以前から持っていた巨大な力が、裸のまま現れたのである。
建前をかなぐり捨てた帝国には、依然として世界最大級の軍事力がある。核兵器がある。世界各地の軍事基地がある。ドルがある。金融制裁能力がある。情報機関がある。巨大IT企業がある。世界に広がった同盟関係がある。
そんな中で、トランプは「国際関係は野生の関係である」と、中学生でもわかるように見せたのである。恐れる国は多いだろうが、狡猾な国や組織は利用しない手はないと考えるだろう。
衰退しているとはいえ、これほど巨大な力を持つ国家は他に存在しない。だからこそ、その力を利用しようとする者にとっては、今が最後の好機なのかもしれない。帝国が完全に崩れてしまえば、その力は使えない。そこで、崩壊を恐れて帝国を救おうとするのではなく、崩壊する前に可能な限り利用してしまおうという行動が合理的になるのである。
4.「鬼」に育った“傲慢バブル”の発生メカニズム
以上のように考えると、米国を食い尽くす鬼が育つ環境を作ったのは、江学勤氏の指摘のように、ソ連が消滅してしまったことだろう。ただ、江学勤氏は「ライバルを失った米国は、自分の醜さを映し出す鏡を失った」と言ったが、米国の戦略各部門の拡大と暴走の始まりについては、かなり表現を変えた方がよいだろう。
ソ連が存在した時代にも、米国には国家本来の姿として国民を豊かにしておく必要があった。ソ連と対峙する同盟国とともに産業を発展・維持させる必要もあった。米国中心体制の恩恵を同盟国にも分配し、同盟国からの富の循環も受け、リーダーとしての一定の尊敬を受ける必要があった。
ただ、その中で育った米国の各部門と、米国と同盟国との諸関係を担当した諸機関は、冷戦期間中に当然のことながら既得権益化している筈である。しかし、ソ連崩壊でそれらの多くは存立の危機を迎えることとなったのである。
これまで「圧力から解放されて生じた傲慢というバブルが鬼に育った」と表現したが、ミクロに見れば、それはソ連崩壊によって存立の危機を迎えた諸機関の生存欲求とそれを明確にする活動が、結果として、それら組織と外国との諸関係を強化し膨張させたと言い換えられるだろう。
軍事力は平和に向けた備えという口実で拡大可能であるが、それには限度がある。軍隊と軍需産業が協力するには、国民への説明責任を果たす意味で、その目的を具体化する必要がある。それら軍事行動などを支えるのは、政府が巨大な軍事予算を組み多額の国債を発行することで賄われる。
その一方で、金融部門が巨大化するにつれて、米国経済の重心は次第に製造業から金融へ移った。製造業は西欧や東アジアへ広がり、米国内では産業空洞化が進行した。
辻褄合わせの政治では、上記諸機関との関係で大きくなった富裕層やロビーの影響を強く受けるのも自然である。
5.食い尽くされる国民――国家共同体の解体か
しかし、ここでもっと重要なことは、米国民の困窮状況がある。製造業が国外へ移動する。かつて工場で働いていた中間層の仕事が失われる。地方都市が衰退する。金融市場では巨額の富が生み出される一方で、普通の労働者の生活は苦しくなる。
医療費、住宅費、教育費、食料価格は上昇する。ホームレスが増える。薬物依存が社会を蝕む。
江学勤氏がロサンゼルスで見たという光景は、その象徴であろう。片方には2000万ドルの豪邸がある。そこから少し移動すれば、路上で生活する人々がいる。同じ都市であり、同じ国家である。
しかし、もはや同じ社会に属しているとは思えないほど生活世界が分断されている。
これは単なる所得格差ではない。国家という共同体そのものが崩れ始めているということである。かつて米国の力を支えたのは、世界最大の軍隊やウォール街だけではなかった。工場で働き、家を買い、子供を育て、自分の生活は明日もう少し良くなると信じることのできた膨大な中間層であった。
その人々を冷遇しながら、世界最大の帝国だけを維持することができるのだろうか。帝国の上層にいる者たちは、世界の覇権、金融市場、軍事戦略、地政学について語る。その足元では、米国国民自身が苦しんでいる。
家を失った者がいる。医療を十分に受けられない者がいる。働いても生活できない者がいる。薬物に沈む者がいる。未来を失った若者がいる。しかし、その声は帝国の上層には届かない。いや、届いているかもしれない。ただ、それを自分たちとは関係のない音として聞いているのだろう。
飢える者の叫び。家を失った者の嘆き。戦場へ送られる若者の悲鳴。爆撃される異国の人々の声。
それらは聞こえているのかもしれない。しかし、それぞれの鬼が自らの利益だけを追う限り、その声によって行動を変える理由はないのである。ここに、この構造の本当の恐ろしさがある。
鬼たちが残酷だから帝国が滅びるのではない。誰も全体について責任を負わなくなったことによって、帝国が滅びるのである。国家の生命とは、究極的には国民がその国家に未来を感じることである。軍事力がどれほど巨大でも、ドルが世界中で使われていても、GDPが世界最大級であっても、国民が「この国には自分と子供たちの未来がある」と信じられなくなったとき、その国家の生命力はすでに大きく損なわれている。
その意味で、米国を食い尽くしている鬼たちが最後に食べているものは、軍事予算でもドルでもない。米国民自身の未来なのである。
おわりに
ここまで描いてきたものは、一つの歴史画像にすぎない。この絵が主張するのは、米国の衰退とは単純な国力低下ではなく、冷戦後に生まれた「傲慢という泡」が、それぞれ巨大な利益構造へ成長し、やがて帝国の残された力を奪い合う「鬼」へ変わったという米国の困難に対するモデルである。
しかも恐ろしいのは、それら利権構造を表象する鬼たちが一つの意思で米国を破壊しようとしているわけではないことである。それぞれが自分にとって合理的な利益を追求しているだけである。
しかし、米国という巨大な国家能力を誰もが自分のために使い続ければ、最後にはその国家能力そのものが失われる。そして国家の生命とは、軍事力でもドルでもGDPでもない。その国の国民が「この国には自分と子供たちの未来がある」と信じられるかどうかにかかっている。
その意味では、米国を本当に食い尽くしているものは、外敵とは言えない。ソ連という鏡を失った後、米国社会の内部で膨張した無数の傲慢が、互いを抑制する力を失った結果なのだろう。
私は米国の崩壊を望まない。何故なら、米国の崩壊は米国人だけの悲劇ではなく、日本を含む世界全体を巨大な混乱へ巻き込むからである。
そこで問題となるのは、米国がまだ自らを立て直せるかどうかである。そのために必要なのは、失われつつある世界覇権へさらにしがみつくことではなく、一極覇権という帝国から降り、一つの巨大な大国へ戻ることなのではないだろうか。
米国が覇権国であることをやめることと、米国が滅びることは同じではない。むしろ、一極支配を諦め、自らを世界の一大国として位置づけ直すことこそ、米国自身を救う道なのだろう。次稿では、出来ればその可能性を考えたい。
中国との対立を破滅的な戦争へ向かわせるのではなく、「管理された新冷戦」として秩序化することは可能なのか。さらにその先に、米・中・露・欧州などの大国が互いを抑制する多極世界を作ることは可能なのか。
また、その世界の中で、日本はどのように破滅を避け、自らの意思を持つ国家として生き残ることができるのか。それを次の問題として考えてみたい。
追記 本稿は、グレン・ディーセン教授と江学勤氏の対談を出発点とし、筆者がChatGPT(OpenAI)との対話を通じて論点を整理し、独自の歴史像として発展させたものである。8月17日午前6時、編集あり。



