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人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2026年6月7日日曜日

日本が直面する「ショック・ドクトリン」の危機

--- 小泉防衛相の対中毅然演説の裏に透ける米国追従路線 ---


 

はじめに:

 

5月にシンガポールで開催されたアジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)における、小泉進次郎防衛大臣の振る舞いが注目されている。

 

 

中国側からの「新型軍国主義」という対日非難に対し、「日本は核も戦略爆撃機も持っていない。事実に基づかない主張だ」と切り返した演説は、国内の主要メディア等でも「毅然とした態度だ」と好意的に報じられた。https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA3002Y0Q6A530C2000000/

 

しかし、注目すべきは同会議におけるもう一つの場面である。米国のヘグセス戦争長官(国防長官)が同盟国に対して「自立と責任共有(防衛負担)」を求める冷徹なリアリズム路線の演説を行った直後、小泉大臣は公開の質疑応答に立ち、「米国の関与は揺るがないと感じている」と述べた上で「私の理解は正しいか」と確認した。https://mainichi.jp/articles/20260530/k00/00m/030/136000c

 

中国のレトリックには厳しく反論する一方で、米国に対しては同盟の継続を切に願い出る――この姿勢の落差こそが、現在の日本を覆う「高市・小泉路線」の構造的な危うさを象徴している。

 

米中の間で自律的な立ち位置を見失い、米国の戦略路線に依存しようとする動きは、一見すると堅実な防衛策に見えるが、実は国家の命運を左右しかねない致命的なリスクを内包している。今回はこの件について検討を加える。

 

注記:ショック・ドクトリンとは、戦争などのショッキングな事件の時に国民が思考停止している隙に、通常なら炎上するような規制緩和や社会保障切り捨て等を猛スピードで行わせ、国や国民の資産を合法的に略奪し、政府とお友達企業群が大儲けする手法を意味する。

 

1.米国の実利主義

 

現在の日本政府内や一部の主要メディアの論調では、「米中は、デカップリング(経済分断)に向かっている」という前提に傾きがちである。それは、中国に対して強硬な姿勢をとるピーター・ナバロ上級顧問の言説がトランプ政権の対中姿勢に反映していたころの記憶の所為だろう。

 

しかし、最近明白になった米中関係の本質(実利を重視した本音)を見直すと、別の側面が浮かび上がる。今年5月の米中首脳会談では、トランプ大統領は、アップルやエヌビディアといった主要企業のトップを大勢引き連れて北京を訪問し、ボーイング機200機の購入や米国産エネルギー資源の大量買い付けといった巨額の「ディール(取引)」を中国側と成立させた。

 

トランプ政権の対中姿勢は、①ピーター・ナバロ氏らが主導したイデオロギー的な「全面排除」の路線は表向きであり、米国企業の利益を最大化しつつ競争をコントロールする「管理された競争路線」が本質であると見るか、或いは、②より実利的な戦略に改訂された、と見るのが自然である。

 

こうした米中関係の実態を見誤り、日本政府が“同盟国としての義務”(米国の利益)を重視することだけを考えて、中国市場からの切断を急げばどうなるか。日本企業が手放したシェアの空白を、他ならぬ米国企業を含む他国企業が掠め取っていくという、歴史的な「はしご外し」が再現される懸念を払拭できない。

 

 

2.「相互依存の武器化」:演出された対立と搾取のシステム

 

現在の米中関係の実態は、分断ではなく国際政治学者の ヘンリー・ファレル と エイブラハム・ニューマン が提唱した「相互依存の武器化」(Weaponized interdependence )状態にある。相互依存にある米中の武器は以下のように分析される。

  • 米国の武器(ルールと技術のネットワーク):  米国は「ドル決済網(SWIFTなど)」という金融のハブと、「半導体設計(EDAツール)や基本アーキテクチャ」という技術のハブを握っている。これを武器化し、中国(対立する国や企業)をネットワークの急所から意図的に弾き出すことで、物理的な軍事力を使わずに相手の経済活動を停止または減速させる。


  • 中国の武器(現物と市場のネットワーク):  対する中国は「重要鉱物(レアアース、ガリウム、グラファイト等)の精錬プロセス」と「世界の工場・巨大市場」という実体経済のハブを握っている。これを武器化し、相手国(米国とその同盟国)への重要物資の輸出制限や、自国市場へのアクセス権をチラつかせて外交的な譲歩を迫る。

普通に考えれば、「強く依存し合っている技術や製品があるのなら、良好な外交関係を築けばいいのではないか」と思うかもしれない。しかし、両国はあえて「根本的に譲り合えない対立」を表舞台で演じている。それは本心からなのか単に演出なのか、すぐには見極めがたい点が、この構造の巧妙なところである。

 

「両国が最終的な武力衝突(熱戦)を望んでいないとすれば、現在の状況は『開戦に向けた過渡期』ではない。むしろ米国にとっては、中国に一定の地域的影響力を許容しつつも、自らは同盟国から防衛費や富を吸い上げることができる『悪くないシステム』として機能しているのである。」

 

当然、中国は米国が最終衝突を望むわけはないと考えつつ、それに必死で対応しているというのが真実だろう。米国が「中国という強大な脅威」を大々的に演出すればするほど、日本や欧州は恐怖から米国にすがりつく。

 

その結果、米国は「守ってやる代わりに防衛費を増額して米国の兵器を買い、最先端技術を差し出せ」と合法的に要求できる。米国は、中国の急所を握り、この冷徹なゲームを中国相手に進めている。中国は、米国と同盟国の急所を握り、必死に米国の仕掛けるゲームに付き合っているのだ。

 

この中で日本が生き残るには、オランダのASML(露光装置)や台湾のTSMC(受託製造)がそうであるように、日本独自のエコシステム(世界の企業環境)の中で「もう一つの不可欠なチョークポイント」を死守するしかない。

 

東京エレクトロンやディスコなどの半導体製造装置、信越化学などの先端素材、TDKなどの電子部品。これら日本の代替不可能なピースを自国の交渉カード(レバレッジ)として磨き続けることが、大国間の「武器化の応酬」に対する差し当たって唯一の防衛力となる。

 

 

3.「ショック・ドクトリン」の罠

 

最も危惧されるのは、日本が米中の演出する劇場型の対立を真に受け、地政学的な最前線(防波堤)の役割を過剰に買って出ることである。その場合、国内経済が破滅的な状況に陥る可能性が高い。日本が対ロシアの代理戦争におけるウクライナの役割を進んで引き受けてはならない。

 

現在の高市路線が掲げる「消費税減税や交付金増強」といった積極財政は、それ単体では国民生活への配慮を謳うものである。しかし、ここに米国からの「防衛費GDP5%」といった法外な増額要求が重なり、それを脅威に思う中国との間に軍事衝突のような事態になれば、その負担は数十パーセントに跳ね上がる可能性もある。その場合、財政構造は一瞬で破綻する。

 

膨張するバラマキ財政と過度な防衛費負担が同時に進行すれば、国債の信用は失墜し、国債利回りの急上昇と日銀の財務諸表の毀損から発生する信用失墜から、制御不能な「スーパー円安」の引き金が引かれる可能性がある。

 

国家が経済的危機に陥り、通貨が暴落した瞬間、国際金融資本は「復興支援」や「構造改革」の大義名分を掲げて上陸する。これこそが「ショック・ドクトリン(大惨事便乗型資本主義)」と呼ばれる手法である。

  • アジア通貨危機の韓国(1997年) 通貨暴落で国家破産寸前となった韓国は、IMFの救済を受ける条件として過酷な市場開放を迫られた。その結果、サムスン電子の外国人持株比率は急上昇し、現在では過半数の約52%(普通株)を外国資本が握る事実上の外資化が起きている。どれだけ企業が努力しても、利益の半分以上が海外へ吸い上げられる構造である。


  • ソ連崩壊時のロシア 通貨ルーブルが崩壊したドサクサに紛れ、欧米のハゲタカ資本や新興財閥(オリガルヒ)が、国家の宝である天然資源やインフラを底値で買い漁った。この強烈な経済的屈辱が、後のプーチン政権による反転強硬策(資源の再国有化と反欧米ナショナリズム)を呼び起こし、現在のウクライナ戦争へと至る致命的な伏線となった事実は、重い教訓である。

平時では日本の外為法に守られている半導体関連企業や優秀な技術ノウハウも、財政崩壊とスーパー円安による「荒廃」の前では無力である。ドルを持つ国際資本によって合法的に買い叩かれ、国家の心臓部を丸ごと握られるリスクを孕んでいる。

終わりに:世論醸成の危うさと、求められる「戦略的自律性」

ネット上には、小泉大臣の対中演説を称賛し、「中国の敵国として堂々と立ち向かうべきだ」と煽る動画(参考:https://www.youtube.com/watch?v=XzDrUpG2DKc )が溢れ、それに熱狂する世論が形成されつつある。しかし、大国が意図的に演出したナラティブ(物語)に乗せられ、自ら地政学的な対立の最前線に身を置くことは、結果として自国を「ショック・ドクトリン」の舞台へと差し出すことになりかねない。

 

 

今、日本に真に求められているのは、米国の指揮下で動くための安易な憲法改定や防衛費の爆上げではない。米中が裏で手を握り合っているかもしれないシステムを見透かし、双方に対して独自のテコを効かせる冷徹な「外交路線」である。

 

そしてそれを支えるのは、武器の購入に国力を浪費することではなく、「日本の素材と装置がなければ世界のサプライチェーンが回らない」という技術的優位性を国家戦略として死守し、国内の製造業基盤を保護・育成する産業政策に他ならない。

 

私たちは今、劇場の拍手喝采から目を覚まし、客観的な事実と論理(ロゴス)に基づいた、国家の自律的な生存戦略を真剣に議論すべき時である。

 


追記: 本原稿はGoogle AIのgeminiの協力を得て作成されました。勿論、本記事の文責は100%ブログサイト管理者にあります

2026年6月5日金曜日

専制主義国家・日本

      ――情報を国民と共有する意思のない行政――


 

阿部前巨人軍監督の暴行事件を巡る騒動を見ていて、私は一つの疑問を抱いた。なぜ日本の行政は、国民に必要最小限の情報を共有しようとしないのだろうか。

 

今回、警察は現行犯逮捕という重い措置を取りながら、その理由についてほとんど説明しなかった。その結果、警察の暴走を疑う声が広がり、わずか二日間で阿部氏の監督復帰を望む十二万筆もの署名が集まった。

 

後になって週刊誌報道によって新たな事実が明らかになると、今度は全く逆の議論が始まった。もし警察が当初から、捜査に支障のない範囲で逮捕の妥当性について説明していれば、この混乱の多くは避けられたのではないだろうか。社会全体が膨大な時間と労力を費やした。

 

その原因は、暴行事件そのものではなく、「情報の空白」にあったように私には見える。私は、この問題は単なる一事件にとどまらないと考えている。むしろ日本という国家そのものが、国民と情報を共有することを苦手としているのではないか。

 

そして、その体質こそが日本の病根ではないかと思うのである。

 

 

1.歴史に学ぶ

 

国家の強さとは何だろうか。軍事力だろうか。経済力だろうか。あるいは技術力だろうか。もちろんそれらは重要である。しかし、それらを正しく運用するためには、まず現実を正しく認識し、それを分析した上で国家の方針を定める能力が必要である。

 

誤った現実認識の上に築かれた軍事力も経済力も、やがて国家を誤った方向へ導く。歴史を振り返ると、多くの国家は敵との戦いに敗れる前に、現実認識に失敗している。例えば、嘗て世界第二の軍事大国であったソ連の辿った歴史を見ればよい。

 

ソ連は、宇宙開発でもアメリカと競い合い、豊富な天然資源も保有していた。しかし、その巨大国家は崩壊した。生産量は誇張され、失敗は隠され、問題点は上層部に届かなくなった。社会全体が真実を語れなくなった結果、国家は自らの現実を認識する能力を失っていったのである。

 

国家とは巨大な知的生命体のようなものである。国民が現実を感じ取り、互いに議論し、その中から生まれた知見を企業や行政が吸収・分析し、その上で政治が方向を定める。 この循環によって国家の知能は形成される。

 

ところが情報の流れが遮断されると、国家は現実を認識する能力を失う。それは人間の脳が目や耳からの情報を拒絶するようなものである。

 

国家を滅ぼすのは敵軍だけではない。現実認識能力の喪失もまた、国家を死に至らしめるのである。

 

2.現在の日本

 

私は現在の日本に、同じ危険性を感じる。

 

例えば:ウクライナ戦争において、日本は巨額の支援を行ってきた。しかし、国民に負担を求めるのであれば、その前提となる歴史的経緯や外交的判断について、より丁寧な説明が必要だったのではないだろうか。

 

中東情勢についても同様である。日本のエネルギー安全保障に直結する重大問題であるにもかかわらず、日本として何を目指し、どのような立場を取るべきかについての国民的議論はほとんど見られない。ただ同盟国に追従するだけで国家の将来が開けるとは、私には思えない。

 

少なくとも、この地域の歴史的概観無くしては、イラン戦争の真実はわからないし、それに基づいた日本の外交姿勢も本来決定不可能な筈である。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12959876080.html

 

少子高齢化問題についてもそうである。政府もマスメディアも人口減少を国家存亡の危機として語り、その延長上で移民導入が語られている。しかし一方で、AIの急速な発展によって中間層の仕事がかなり消失することが殆ど自明であると言われていることを無視している。

 

AI革命の進行によって社会がどのような姿になるのか、その中で雇用構造がどのように変化するのか、それらを抜きにして人口減少とその対策など、まともに議論できる筈がない。

 

私はここで特定の結論を主張したいのではない。なぜ政府は、国民が判断するために必要な情報や論点を共有しないのか。そして英知を国民の中から集めないのか? 限られた人たちの意見、そこには往々にして既得権益に縛られた人の意見が強く反映される。そのことを問いたいのである。

 

重要な問題について、国民は結論だけを知らされる。しかし、その結論に至るまでの情報や議論は共有されない。それでは国家全体の知恵は集まらないのだ。

 

3.情報循環を担うべきマスコミ

本来、民主主義国家において情報共有は政府だけの責任ではない。国民の不安、疑問、そして意見を吸い上げ、それそれを行政との対話につなげる役割を担う存在が必要である。そのために存在するのがマスコミである。

 

インターネットやSNSには、多様な意見や疑問が日々あふれている。もちろん誤情報も存在する。その中には専門家や行政が真剣に向き合うべき重要な問いや、参考にすべき意見も数多く含まれている。本来であれば、報道機関はそうした声を社会の議題として整理し、専門家による検証や公開討論の場を提供するべきである。

 

ところが現在の日本では、そのようなマスコミ本来の役割が見えなくなっている。重要な国家課題についての継続的な議論よりも、芸能や事件報道、消費情報や娯楽コンテンツが優先されている。

 

もちろん娯楽も社会には必要である。しかし国家の進路を左右する問題について国民的議論の場を提供することは、報道機関にしか果たせない重要な使命である。放送法第一条に記載されている役割を殆ど果たしていないのだ。

 

もしマスコミがその役割を放棄するならば、国民と政府を結ぶ情報循環は失われる。その結果、政府は国民の声を聞かなくなり、国民は政府を信頼しなくなる。そして社会全体の現実認識能力と将来の方向が見えなくなっていく。

 

国家の知能とは政府の知能だと考えるなら、ソ連が辿ったような現実認識能力の低下という問題から逃れることはできないだろう。国民、専門家、企業、行政、そしてマスコミが形成する巨大な知的ネットワークの維持と活用が、高度に発達した現在の情報化世界で生き残る資格である。

 

 

おわりに

 

情報公開は道徳論ではない。国家の生存戦略そのものである。国民を信用しない国家は、自らの目と耳を閉ざしているのと同じである。

 

今、日本が直面している危機を乗り越えるために必要なのは、さらなる管理や統制ではない。政府が客観的な情報を国民と共有し、国民との間に健全な情報循環を取り戻すことである。そしてマスコミは、政府の広報機関でも娯楽産業でもなく、国民と国家を結ぶ知的な媒介者としての役割を取り戻さなければならない。

 

二十世紀後半の世界は、金融と軍事を中心とする巨大なシステムによって支えられてきた。しかし今、AIの発展と情報技術の進歩によって、文明そのものが新しい段階へ移行しつつある。これからの時代に国家の命運を決めるのは、どの国家がより多くの情報を隠し持つかではない。どの国家がより正確に現実を認識し、社会全体の知恵を結集できるかである。

 

国家の強さとは権力の強さではない。社会全体が現実を認識し、学び、修正し続ける能力の強さなのである。

 


(注)本稿は、筆者とChatGPTとの対話を通じて論点を整理しながら作成したものである。ただし、文中の主張や見解についての責任はすべて筆者にある。6/6早朝編集:おわりにの「誰」を「どの国家」に変更

 

2026年6月4日木曜日

阿部前巨人軍監督の暴行事件(4):情報の空白が招く分断と行政の不作為

 

阿部慎之助氏の辞任劇は、週刊文春による凄惨な暴行実態の報道により、新たな局面を迎えたようだ。昨日youtubeにアップされた清水有高氏と安冨歩氏の解説が事実に基づいていると信頼し、このシリーズ最後の投稿とします。https://www.youtube.com/watch?v=3fKiictsUXk

 

 

私を含めて多くの意見は警察の現行犯逮捕は行き過ぎだったのではないのかというものだったが、安富氏らの解説にあるように、行政の介入は正しかったようだ。 それなら、警察は書類送検の予定等を含めて早期に説明責任を果たすべきだと思う。

 

現在、国民と警察を含めて行政との間には、根強い不信感が存在している。国民との間の信頼感保持も行政の大きな責任であると思う。

 

1.「5時間の釈放」が招いた国民の疑念

今回の騒動で、多くの国民が行政への不信を抱いた最大の要因は、逮捕からわずか5時間余りで行われた「スピード釈放」にある。警察が物理的な現行犯逮捕という強硬手段を選びながら、数時間後には「証拠隠滅の恐れなし」として釈放する。

 

この一貫性のなさが、国民の目には「有名人を巻き込んだAI時代の過剰介入」あるいは「法を恣意的に運用する警察の不手際」と映ったのである。

 

もし警察が、安冨氏が解説したような「首絞め」や「多量飲酒による暴行」という、逮捕に足る重い客観的事実を掴んでいたのなら、釈放の時点でその概要(書類送検の予定や逮捕の妥当性)を説明すべきであった。

 

この「情報の空白」こそが、警察への根強い不信感と相まって、12万筆もの復職要求署名という巨大な熱狂を生み出したと言える。

 

2.署名活動の中止と「見えない事実」の恐怖

5月26日から2日間で12万通もの署名が集まり、管理者が「大混乱が怖くなった」として5月28日に署名活動中止に追い込まれた事態は、異常という他ない。以下の動画のコメント欄に署名活動中止の理由が書かれている。しかし、この時点では動画管理者は、週刊文春の記事は読んでいなかった。https://www.youtube.com/shorts/7qpvQaU8uqw

 

 

これは、行政一般に対する国民の信頼がいかに乏しいかを物語っている。過去の事件もみ消しなどの記憶が、「警察の言うことよりも、長女の(抑圧下にあったかもしれない)手紙を信じる」という選択を国民にさせたのである。

 

行政側が沈黙を守る一方で、加害者側は「仲直りした」という手紙を盾に有利な情報を発信する。この「情報の非対称性」が生み出す歪んだ構造に対し、行政は書類送検の概要説明など、民主主義社会における最低限のアカウンタビリティを果たすべきであった。

 

過去の事件のもみ消し疑惑に関する私のブログ記事を一つ紹介する:この木原元官房副長官と警察によるもみ消し疑惑に関しては、合計7回ブログ記事を書いたほどである。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12817181832.html

 

3.管理社会の病理から、コミュニケーションの病理へ

文春が報じた児童相談所(児相)のメモが事実であれば、長女の会見内容は、圧倒的な権力者である父親への恐怖心から綴られた「偽装された円満」であった可能性が高い。

 

安冨歩氏が指摘するように、加害者も被害者も「何が起きているか認識できない」空間が家の中に作られていたとすれば、行政の介入は、家族を壊すものではなく、むしろ「家族という閉鎖空間における物理的破滅」を食い止める唯一の手段だったことになる。

 

しかし、その正当性が国民に共有されない限り、行政は単なる「強権的なシステム」に過ぎない。何故、行政は国民の方を向き、国民と必要最小限の対話をしないのか?

 

4.結び――信頼を回復するために

今回の事件から我々が学ぶべきは、行政にもAIが広範に導入されると予想されるが「AIやシステムに従って動くマシーン」であってはならないということである。介入するならば、その重みに見合う説明責任(アカウンタビリティ)を果たさねばならない。

 

阿部氏の涙が、もし自らの暴力への反省ではなく自己憐憫であったとするならば、それは極めて残念なことだ。だが、それ以上に、事実を曖昧にしたまま社会を二分させ、署名活動を恐怖で中止させるような「情報の不透明さ」を残した責任は重いと行政側は考えるべきである。

 

真の知性とは、自らの過ち(暴力)を認め、反省できる力である。と同時に、行政に求められるのは、国民の不信感を払拭し得る「誠実な情報開示」である。この双方が欠落したままでは、日本の家族も、そして法秩序への信頼も、再生への道は遠い。

 

真実の把握には週刊文春の発行を待たなければならないという日本は、本当になさけない。

 


【編集後記】 今回の改訂稿を作成するにあたり、AIを対話パートナーとして活用しました。筆者が感じた「5時間での釈放への違和感」や「行政への不信感」を論点として投げかけ、Geminiと共に論理を組み立て直しています。情報の空白が招く社会の分断を、AIの冷静な整理能力を借りて描写しました。筆者の直感とAIの論理的フレームワークの共同作業による一考です。

2026年5月31日日曜日

現代は人類史の奇跡であることを知るべき

      ーー 危機は歴史の無知から生じる ーー


はじめに:我々が享受する「日常」という名の奇跡

現代の日本において、蛇口をひねれば清潔な水が出、スイッチ一つで明かりが灯り、コンビニエンスストアには世界中の食材が並ぶ。この光景を「当たり前の日常」と捉える感覚が、今の日本社会を支配している。この繁栄が恒久的なインフラであるという感覚は、実は「傲慢な鈍感さ」なのである。

 

自己の生存を最優先するのが当たり前の人類が、自分たち民族の生き残ることが可能なように、領域と方法を争ってきたのが数万年の人類の歴史である。その全体を俯瞰すれば、この現在の状況は「極めて特殊で危うい奇跡」に過ぎない。

 

我々の日々生きる足元の下は、強固な岩盤などではない。近代以降に、精緻に組み上げられた「動的平衡」のシステムである。内部の矛盾や外部環境の変化によって脆く崩れる脆弱性を持っている。その奇跡の構造を理解しない限り、現在の日本が直面する危機の正体を捉えることは不可能である。

 

現在の繁栄を奇跡と感じる感覚こそが、現在の危機を国民全ての英知で乗り越えるために必須であると思う。また、過去においてその感覚を欠き、傲慢さと熱情の中で悲惨な歴史を経験したこと、その歴史から何も学ばなかったことも知るべきである。
 

1.生存の原点――「食料」が人口を決めた時代

土地の収容力と「人口」との真実

明治初頭の日本の人口は約3,500万人。江戸後期から150年以上、日本の人口はほぼこの水準で横ばいだった。当時の合計特殊出生率(一人の成人女性が生む子供の数)は、推定で4人から5人程度であったと言われている。本来であれば人口は爆発的に増えるはずだが、現実は違った。

 

人口が横這いだったと言うことは、この4人、5人の子供のうち、成人まで育つのは平均して2人に過ぎなかったことを示している。残りの半数以上は、成人する前に低栄養や劣悪な生活環境の中で、病死、餓死、あるいは人災や天災などによって命を落としていたのである。https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2006pdf/20061006090.pdf

 

これが、数万年間の人類の歴史の真実であり、近代以前の日本における「土地の収容力の限界」という冷徹な実態である。当時の人々にとって、飢えや疫病は「日常」の隣り合わせにあり、人口は増えようとしても食料生産の壁に阻まれ、過酷な自然淘汰によって一定数に抑え込まれていたのである。

 

ここで読者の方に聞きたい。この歴史の原点を学校で学んだことがありますか?江戸や安土桃山時代の大河ドラマに、このような冷厳な歴史の真実が含まれていましたか?

科学技術という名の福音

この「多産多死」の地獄から日本を救い出し、12000万人が生存できる社会へと変貌させたのは何か。それは、西欧を中心に発展した近代の科学と技術、そしてそれを「開かれた政治及び経済の文化」の力で世界に普及させていった人々の営みである。

 

化学肥料の量産による農作物の爆発的増加、医療・公衆衛生の飛躍的向上、そしてエネルギー革命。これら科学と政治と経済の総合としての成果が、土壌の生産性を高め、それまで「自然淘汰」の対象であった命を救い上げた。

 

日本民族も、この「西欧発の知と文化」を迅速に吸収し、自らのシステムへと展開させた。そのプロセスが、現在の繁栄の出発点である。我々はこの文明的恩恵を享受することで、本来の国土の収容力を大幅に超えた「奇跡のフェーズ」に到達したのである。

 

上に過去の悲惨な失敗について記しているが、今回はそこには深くは立ち入らない。詳細は過去の記事を参考にして、この原点思考を適用して思考してみてほしい:https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12965187857.html

 

以下に石油の調達というone issueだけを取り上げて、議論を進める。

 

2.エネルギーと材料科学が紡ぐ「奇跡の連鎖」

① 1万キロの生命線と石油の流れ

現在の日本の生活を、エネルギーと材料科学の側面から見れば、その核心には「石油」という資源とそれが血管を流れる血液のように日本に運ばれるシステムがある。中東のペルシャ湾から日本までの距離は約12,000km。この長大な海上交通路(シーレーン)を、タンカーが絶え間なく往来することで、日本の心臓は鼓動を続けている。

 

 

この地図に示された「チョークポイント」の一つでも閉鎖されれば、日本経済という巨体は即座に窒息する。この脆弱なルートが維持されているのは、戦後、米国を中心として築き上げられてきた国際秩序という人類の政治と経済の「公共財」が存在するからに他ならない。

 

この石油の流れを維持するシステムには、シーレーンの保護に関する協定の他、この図には見えないが石油の流れと逆の方向への決済通貨(主に米ドル)の円滑な流れがなくてはならない。後者のシステムの利用も当然と考えることが出来ないことを、例えばロシアの資産凍結というニュースなどが教えてくれた筈である。
 

加工貿易という精緻なシステム

この国際秩序を前提として、日本は「加工貿易」で米ドルを獲得する方法を完成させた。まず、中東から届く原油やナフサ、オーストラリアからの天然ガス、そして中国からのレアアースといった原材料を、世界共通の決済通貨である「米ドル」で調達する。これらを国内の高度な材料科学と製造技術によってプラスチックや電子部品、高性能な製品へと加工し、付加価値を創出する。

 

こうして生み出された製品を再び全世界に売り、その対価からその付加価値分の外貨(米ドル)を純益として獲得するのである。そして、この稼ぎ出した外貨を使い、カロリーベースで6割を海外に依存する「食料」を買うことや、生活環境の改善などにより、12000万人の人口を維持しているのである。

 

かつては国内の食料生産の限界によって「成人となれるのは45人に2人」だったこの島国で、その3倍以上の人口が“飽食を享受”しているのは、まさにこの精緻な連鎖があるからこそである。現在、ドル決済網の中にいるものの、安全なシーレーンの確保が出来ないと言う理由で、経済的危機に面しているのである。

 

3.原点を欠いた認識の危うさ

我々が毎日手にするプラスチック製品や安価な食料は、この壮大な「奇跡のリレー」の産物である。日本のある部分からナフサ不足が指摘されたとき、現在の政権や言論界などには、ホルムズ海峡の通過障害というチョークポイントしか頭にないように見える。

 

リレーのバトンを繋ぐ国際秩序の変容や、ドル決済システムの揺らぎといった、システム全体の根幹に対する危機感が著しく欠如していると思う。

 

「このシステムが、誰によって、何を目的に、どの時点でなされたのか?」という、このシステム構築の歴史に対する原点からの再現があってこそ、そのどこにおける変化が、表層としての戦争と海峡封鎖につながっているのかが理解出来るのである。

 

奇跡の時代の終焉:

 

現在、先進国であっても、その奇跡を一様に享受する時代が終わりに近づいている。それに気づかなければ、悲惨な地獄のツボに投げ込まれることになるだろう。

 

日本がこの「奇跡の物語」を次世代に継承するためには、国民全体が「自分たちの繁栄がいかに複雑で脆弱な土台の上にあるか」を歴史の原点から復習することで、その知識と感覚を心に刻み込まなければならない。

 

かつての「多死」の時代を人類史の標準として見つめ直すとき、そして、過去の歴史の過ちを再履修することで初めて、我々は、現在の危機を克服するための冷徹な理性を研ぎ澄ますことができるのである。

 


追記: 本原稿はGoogle AIのgeminiの協力を得て作成されました。勿論、本記事の文責は100%ブログサイト管理者にあります