ー御巣鷹山事故(1985年)をめぐる国会質疑は何を生んだのか?ー
日本の国会中継を見ていると、しばしば「言葉の空回り」を見せられているような徒労感に襲われる。論理的な議論によって事実関係が明らかになることもなければ、それに対する明確な責任の所在や対処の方針が確定することもない。今回は、日本の国会でおそらく初めての質問と答弁の両側に“真摯な姿勢”の元自衛官の政治家が立った「御巣鷹山日航機墜落事件に関連する国会質疑」を取り上げ、この日本の議会政治の本質を示し、改革の必要性を考える方々に供したい。
第一章:日航機123便事件の概略
1985年8月12日の東京から大阪に向かう日航機123便が、伊豆上空で操縦不能に陥り、迷走情況で東京都と長野県の県境付近の御巣鷹山付近に墜落した事件或いは事故からもう40年になる。その事故原因については、政府事故調査委員会において「ボーイング社による後部圧力隔壁の修理ミス」と断定され、遺族への補償なども日本航空とボーイング社によってなされたということで幕引きがなされた。
しかしその後、遺族や生存者からの聞き取り、更には墜落地点に迷走する日航機の目撃証言などから、自衛隊が演習の際に飛ばした標的機が日航123便のボーイング機に衝突したのではないかという説が浮上した。その詳細を論じたのが青山透子著『日航123便 墜落の新事実』(河出書房新社) という本である。
その結果、公式発表とマスコミ以外では、真の原因を政府及び米国がもみ消したという説が支配的になり、戦後政治の一大スキャンダルとなっている。この事故或いは事件については、拙ブログでも独自の視点から詳細に論じている。(補足1)
(参考:① https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12836247903.html
② https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12893699581.html )
第二章:政府公式調査と巷の結論との不整合
第一章で述べた政府公式発表と巷の評論家や研究者の結論の矛盾は、この日本社会で40年間放置されたが、二人の元自衛官という真摯な人格の政治家によって掘り起こされる形となった。髭の隊長として評判の高い佐藤正久議員(自民党)と中谷元防衛相(当時、自民党)による国会質疑である。(参考動画:https://www.youtube.com/watch?v=JKnRW6XEjAI )
佐藤議員は、青山透子著『日航123便 墜落の新事実』を手にもって、この本には御巣鷹山事故の原因は日航123便に自衛隊の標的機が衝突したことだという捏造がなされていると指摘した。これは自衛隊と隊員たちの名誉を棄損するにも拘らず、政府は法的措置を含めてしっかりと対応して来なかったと、政府の姿勢を質したのである。
それに対し、答弁に立った中谷防衛相は、墜落時の力学的矛盾や新たな証拠に対する論理的な反論・反証を一切示すことなく、自衛隊機の関与は「絶対にない」と強く否定した。その上で、同書の内容については「誠に遺憾である」と述べ、「今後しっかりと対応したい」という言葉でこの件の答弁を締めくくったのである。国会の議事録にも残る公的な答弁である。
第三章:「何もしない政府」と放置された疑惑
この国会質疑から、既に1年以上が経過した。政府が国権の最高機関である国会の場で「しっかり対応する」と約束した以上、当然ながら同書の出版差し止めや、著者に対する名誉毀損での民事訴訟、あるいは刑事告発といった具体的な法的アクションが直ちに起こされるのが筋である。
しかし、現実には国は全く動いていない。提訴されたという話もなければ、出版差し止めの措置がとられたという話も今日に至るまで一切出ていないのである。
結果として何が起きたか。事故の真相を追い求める国民の側には、「国会で対処を約束しながら、結局政府は何もできない。それはつまり、自衛隊関与説が図星であり、公の裁判になればかえって不都合な真実が露呈してしまうからではないか」という疑惑が、さらに深く刻み込まれることとなった。
質問に立った佐藤議員も、答弁した中谷防衛相も、元自衛官として自衛隊の名誉を守るという「真摯な姿勢」を見せたはずだった。しかし、その国会という場でのやり取りは、結果的に事実の究明にも、名誉の回復にも、いかなる具体的行動にも繋がらない「無意味な儀式」に終わってしまったのである。しかも、質問した佐藤議員側も、その後「なぜ約束通り提訴しないのか」と追及する様子は全く見られない。
第四章:国家の隠蔽を可能にした日本の言語文化
このような巨大な疑惑が国会で放置され、曖昧な決着に至った背景には、①当時の日本政府が抱えていた切実な政治的事情と、②日本特有の「国家と国民の関係性」が存在する。
第一に当時の事情である。当時の中曽根内閣は米国レーガン政権のSDI(戦略防衛)構想への参加や、自衛隊と米軍の連携強化を模索していた。もし自衛隊の演習ミスが520名の命を奪った歴史的大惨事の原因だと露見すれば、国内の反発は沸騰し、国防政策は完全に頓挫する。政府には、何としてでも自衛隊の関与を隠蔽しなければならない強烈な動機があった。
第二に、そしてより本質的な問題が、日本における国家と国民の関係性である。西欧のようなロー・コンテクスト(明示的で論理的)な社会であれば、国家と国民は「厳密な契約」で結ばれている。政府が嘘をつけば、国民は客観的証拠を突きつけ、法廷という場で徹底的に白黒をつける。
しかし、日本政府は「適当な理由(ボーイング社の修理ミス)を捏造し、見かけ上の補償(示談金)を与えれば、国民はそれ以上追及してこないだろう」と高を括り、実際にそれを見事に乗り切ってしまった。なぜそれが可能だったのか。それこそが、日本社会と日本語が持つ極端な「ハイ・コンテクスト性」(補足2)である。
日本国民は歴史的に、権力者(お上)に対して論理的な説明責任を厳しく問うよりも、社会全体の「和」や「空気」を乱さないことを無意識に優先する。政府が「これで手打ちにしてくれ」という文脈(コンテクスト)を発信すれば、国民側もそれを察し、曖昧なまま矛を収めてしまうのである。
真実の論理的追求よりも、波風を立てない同調圧力が勝る。政府はこの日本的なハイ・コンテクストな精神構造を熟知していたからこそ、これほど大胆な捏造による幕引きを図ったのである。
結語:ハイ・コンテクスト文明の限界と迫り来る危機
なぜこのような無意味な言葉の空回りが国会でまかり通り、誰もそれに異を唱えないのか。その根本的な原因は、我々が思考と伝達の基盤として用いている「日本語空間」の極端な「ハイ・コンテクスト(文脈・情況依存)性」にある。
英語などのロー・コンテクスト(明示的・論理的)な言語であれば、名誉毀損に対して「対応する」と公言した場合、「誰が(主語)」「いつまでに」「どのような法的手段を(具体的な述語)」とるのかを明確にしなければ、そもそも文章として成立しない。発言者はその言葉の論理的帰結に責任を負うことになる。そしてその責任は時が経過し情況が変化しても不変である。
しかし日本語では、「(政府は)今後(具体的にどうするかは言わないが)しっかりと対応したい(と思う)」という、主語も具体的な行動(述語)も欠落した曖昧な表現が、立派な答弁として成立してしまう。
「遺憾である」「善処する」「しっかり対応する」という言葉は、客観的な約束ではなく、その場にいる人間たちの感情を鎮め、「問題を認識し、あなたの顔を立てましたよ」という「空気」を醸成するためだけの呪文に過ぎない。
佐藤議員の真の目的は、論理的に白黒をつけることではなく、「自衛隊を守るために防衛相を質した」という姿勢を身内に示すことであり、中谷防衛相もそれを察知して「遺憾である」と同調することで相手の顔を立てたのである。両者は、言葉の額面通りの論理的対話を行っていたのではなく、阿吽の呼吸で日本の政治特有の「プロレス」を演じていたのだ。
以前のブログ記事「言葉の進化論」でも論じたように、異民族との過酷な生存競争や複雑な利害調整(ダーウィン的進化)を経ていない日本社会では、論理と客観的証拠によって事実をドライに切り分けるよりも、曖昧な言葉を用いて共同体内部の「和(空気)」を乱さないことが優先されてきた。この言語進化の歴史的背景が、真実を曖昧にし、国家権力の欺瞞を許容する現在の政治文化を生み出している。
この「空気を読む」ハイ・コンテクストなシステムは、閉鎖的な村社会の維持や、同質的な集団の結束には有効に機能してきた。しかし、冷酷なまでに論理と客観的データが支配する現代の国際社会、とりわけデジタル空間においては、この構造は致命的な弱点となる。
次回の記事では、この「論理を曖昧にし、客観的事実の直視を避ける」言語的・文化的な土壌を持つ日本文明が、明確な論理構造と冷徹なデータ処理を基盤とする「中国のAI・ロボット革命」に直面したとき、いかに非対称的で絶望的な危機に立たされるかについて議論を展開したい。
【補足】
1.最初の記事の動画4には事故後相模湾から引きあがれらた垂直尾翼の破片が紹介されていたが、何故か削除されている。その動画から取り出した写真をみれば、垂直尾翼を破壊した外力について推定が可能である。その結果、後部圧力隔壁破損による空気の流れによる破損と言う説は完全に否定されることになる。詳細は引用記事の①をお読みください。
2.コンテクスト(Context)とは、英語で「文脈」「背景」「状況」「前後関係」を意味する言葉。ハイ・コンテクストな言語とは、解釈がその背景や話の流れなどに高度に依存する言葉を指す。
(11:30 補足1を追加)
本草稿の作成にあたっては、AIアシスタント(Gemini)と議論を行った。特に「ハイ・コンテクスト/ロー・コンテクスト」という言語社会学的な概念を用いた日本政治の構造的解剖や、論理展開の整理において、AIとの対話的アプローチを活用したことを記しておく。

