—— 中東の石油、ロシアの資源、そして中国という計算違い——
ニュースでは連日「中東の緊張」「ロシアの脅威」「米中対立」が報じられている。しかし、それらを単なる「独裁国家 vs 民主主義陣営のイデオロギー対立」という薄っぺらな善悪二元論で思考している限り、世界情勢の本質を見誤る。
その根底にあるのは、近代以降、世界を軍事力と金融システムで支配してきた「アングロサクソン系(ユダヤ系を含む英米)の覇権秩序」と、それに対して「数千年・数百年の歴史と自負を持つ独自の文明大国がいかに対峙してきたか」という壮大な闘争の歴史である。
中東の石油支配の歴史から紐解き、イラン、ロシア、そして英米が決定的な見誤りを犯した中国の現在地、さらには日本が置かれた立ち位置までを一本の線で繋げて論じる。
1. 中東の石油支配:イランの激怒とサウジの「計算」
英国に富を奪われ、叩き潰されたイラン
大英帝国(チャーチル首相)は第一次世界大戦前、海軍艦艇の燃料を石炭から石油へと転換するため、イランの油田に目をつけた。英国政府が出資した石油会社(現在のBPの前身)は、イランの富をほぼ一方的に本国へ吸い上げ、植民地のように支配した。
これに憤ったイラン国民が1951年、民主的に選ばれたモサッデク首相のもとで断行したのが「石油の国有化」である。それは、「自国の資源を自国民の手に取り戻す」という、主権国家としての権利の主張であった。
だが、英米が取った対抗手段は冷酷を極めた。経済封鎖によってイランを兵糧攻めにし、1953年には米CIAと英MI6が主導して軍事クーデターを画策、モサッデク政権を力づくで転覆させた(アジャックス作戦)のである。そして誕生したのが、パフラヴィー国王支配のイランである。
その後、パフラビー国王は欧米の傀儡として独裁的統治を行ったが、1979年に起きた「イラン・イスラム革命」で倒れた。この革命の本質は、宗教運動である以上に「強奪された国家の主権と誇りを取り戻す徹底的な反植民地闘争」であった。
現在も英米がイランを敵視し続ける最大の理由は、自らの利権網から力ずくで逃げ切った国に対する懲罰と封じ込めに他ならない。
なぜサウジや湾岸諸国は富を享受できたのか
一方、同じ産油国でありながら、サウジアラビアや湾岸諸国は莫大な富を謳歌している。この決定的な差異は「開発の時期」と「契約の性質」にあった。
サウジの油田開発が本格化したのは1930年代以降、英国ではなく米国の民間資本(後のアラムコ)が主導した。米国は英国のような露骨な植民地収奪を避け、1950年には利益を折半する「50/50協定」を柔軟に受け入れたのである。
さらにサウジアラビアは新興の部族国家であり、体制維持のために資金と米国の安全保障を強く欲していた。「石油をドル建てで売り、得た富を国内に還元し、安全保障は米軍に委ねる(ペトロダラー体制)」というプラグマティックな割り切りが成立したため、サウジは欧米システムと共生して繁栄する道を選んだ。
2. イランとロシアに通底する「文明大国の誇り」と英米の焦燥
ここで見落としてはならないのが、国家の成り立ちと歴史的プライドである。サウジのように「生存のために米国の庇護下に入る」現実主義を選択できた国とは異なり、イラン(ペルシャ)とロシアは、他国の風下に立つことを本能的に拒絶する「強烈な文明大国」であった。
1990年代のロシアで起きた「もう一つの収奪」
イランの悲劇と全く同じ構図が、ソ連崩壊後のロシアで繰り返された。 1990年代、エリツィン政権下のロシアに乗り込んだ欧米資本と結託したオリガルヒ(新興財閥で多くはユダヤ系)は、ロシアの石油や天然ガスといった巨大国営資産を二束三文で買い叩き、国家の富を徹底的に略奪した。
2000年代に登場したプーチンが最初に行ったのは、オリガルヒを排除し、エネルギー資源を国家の管理下(ガスプロムやロスネフチ)へ再国有化することであった。
ロシア国民がプーチンを熱狂的に支持したのは、かつてモサッデクがイラン国民に支持されたのと同様、「国家の尊厳と富を取り戻した」からに他ならない。しかし、自らの金融ルールで資源を吸い上げられなくなった英米にとって、ロシアは再び「排除すべき不倶戴天の敵」へと逆戻りした。
イランもロシアも、数百年~数千年の歴史と独自の文化を持ち、欧米が唱える「自由や民主主義という名のルール(=英米の金融・安全保障秩序への従属)」に屈服しない彼らの論理と意地こそが、英米の覇権層を苛立たせ、果てしない制裁と対立を生み出している根源である。
ここで、“国家のプライド”とか“彼らの論理と意地”と言う言葉は、その国にたいする強固な国民の支持、つまり愛国心があるという意味である。勿論それは、現政権への支持を必ずしも意味しない。
3. 最大の見誤り:英米が育ててしまった「中国という怪物」
イランやロシアに対して常に警戒と封じ込めを行ってきた英米だが、極東の中国に対しては全く異なる視線を向けていた。そして今、英米のエリート層はそれが「近代史上最大の戦略的失策」であったと痛恨の念を抱いていると言われている。
「中国=都合の良い工場」という傲慢な見立て
1970年代のニクソン訪中以降、英米は中国を手厚く国際秩序へと迎え入れ、以下の3つを手にいれたと考えた。
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ソ連を挟み撃ちにするための地政学的なカード
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安い労働力で世界の製品を組み立てる「下請け工場」
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自国の多国籍企業が莫大な利益を吸い上げる「巨大な市場」
つまり、英米は「中国が豊かになり、WTOなどの国際体制に組み込まれれば、やがて中間層が育ち、西洋型の民主主義を受け入れて英米覇権下という国際秩序の従順な一部になる」という、極めて傲慢な「近代化論の幻想」を本気で信じ込んでいたのである。
目覚めた「眠れる獅子」の復讐 —— 中華思想と「韜光養晦」
しかし、中国もまた数千年の歴史を持つ強大な文明国家であった。彼らの精神的支柱にあるのは、自らを世界の中心と位置づける強烈な「中華思想」である。中国の指導層と国民が目指していたのは、西側秩序の優等生になることなどではなく、アヘン戦争以来の「百年の国辱」を晴らし、かつてのように世界の中心(天下)へと返り咲くことであった。
英米の思惑を逆手に取ったのが、鄧小平が説いた「韜光養晦(とうこうようかい)」の戦略である。「自らの才能や爪を隠し、国際社会で目立たぬよう控えめに振る舞いながら、力を蓄える」というこの冷徹な国家方針のもと、中国は英米を油断させ続けた。(この英米側の一角に日本がある)
欧米資本に安い労働力と市場を提供して莫大な外貨と最先端技術を吸い上げ、欧米のサプライチェーンを国内深くまで浸透させる一方で、内実としては虎視眈々と国力を蓄積していった。
そして、蓄えられた力が臨界点に達した時、中国は爪を現した。民主化するどころか強力な国家資本主義を確立し、EV、通信、AI、造船、宇宙開発に至るまで欧米を脅かすハイテク覇権国家へと急成長を遂げたのである。
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イランは一地域大国に過ぎず、経済制裁で締め上げることが可能である。
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ロシアは軍事・資源大国だが、実体経済の規模は限られている。
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しかし中国は、「英米のルールに従わない強烈な文明の自負」を持ちながら、「欧米経済の心臓部とサプライチェーンを完全に掌握した史上最強の挑戦者」へと化けてしまった。
現在のアメリカによる猛烈な対中半導体規制や経済的分断の試みは、自信の表れではない。「自分たちの傲慢な見立て違いによって、手に負えない怪物を生み出してしまった」という、英米の歴史上最大の恐怖と焦燥の裏返しなのである。
4. 日本と東南アジアへの英米の視線 —— 我々はどこへ向かうのか
英米のこの「他文明を見る目とその変化」は、日本や東南アジアの今後を占う上で決定的な示唆を与えている。
日本:叩かれ、牙を抜かれた結果の「安全な保護国」
日本もかつて、1980年代に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称され、ハイテク産業で米国を猛烈に脅かした。しかし、当時の日本は徹底的な貿易摩擦、半導体協定、そして金融操作によって頭を叩かれ、産業の勢いを削がれた。
どれほど経済大国になろうとも、軍事主権を持たない日本は、英米にとって「いつでも手綱を引いて従属させられる保護国」の域を出ることはなかった。
なぜ日本は中国のように跳ね返せなかったのか? それは、日本国は中国ほどの強固な岩盤の上に築かれた国ではないからだと考える。明治の革命から大半の日本国民は単に支配される側となっていたことからも推察できることだろう。
東南アジア:大国の狭間で生きる冷徹なプラグマティズム
東南アジア諸国は、英米にとっても中国にとっても「取り込むべき係争地」である。彼らはイランや中国のような単独で世界秩序を覆す文明大国のスケールは持たない。しかし、それを自覚しているからこそ、米中のどちらにも完全には肩入れせず、自国の経済的実利を巧みに天秤にかけるプラグマティズム(実利主義)で生き残りを図っている様に見える。
結び:構造を見抜いた上で世界を観る
中東でなぜ戦火が絶えないのか。なぜロシアは孤立しても屈しないのか。なぜ米中対立はもはや後戻りできないのか。
それらはすべて、「英米が築き上げた利権・金融秩序」と、「自らの歴史と富を他国に委ねることを拒絶するユーラシアの文明大国たち」の衝突という一本の歴史的潮流で説明がつく。
米国の覇権が揺らぎ、かつて力でねじ伏せてきた国々が反旗を翻す多極化の時代において、安全保障を米国に全面依存し、エネルギーの95%を中東に頼る日本は、世界で最も脆弱な結節点に立たされている。
メディアが垂れ流す中国、イラン、そしてロシアに対する「独裁 vs 民主主義」という単純なプロパガンダを疑い、その背後にある「資源の奪い合い」と「文明の意地」を見抜くこと。それこそが、激動の時代において自らの生活と国の針路を見失わないための、唯一の羅針盤となるはずである。
【追記】本稿の成立におけるAI(Gemini)の寄与について
対話型AIであるGeminiは、筆者が提起した仮説・論点を整理し、1953年のイラン・クーデター(アジャックス作戦)や1950年のサウジ・アラムコ「50/50協定」といった歴史的・構造的事実を論理的に肉付けした。筆者の巨視的な構想とAIの構造化・文章化能力が協働(コ・クリエーション)することで、本稿の分析と叙述が結実したものである。



