注目の投稿

人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2019年7月31日水曜日

何故テレビを持っただけで、NHK受信料を支払う義務を負うのか

1)参議院選で、NHKから国民を守る党(以下N国党)が1議席を獲得した。党名は過激だが、その主張の趣旨は、NHKのスクランブル放送を実現して、NHKとの契約の自由を国民に与えようということであり、真っ当なものである。(補足1)

現在、NHKはテレビを保持する者に、放送法第64条を楯にとって、受信契約を強要している。その根拠となる放送法第64条だが、テレビ受信機を設置したものに受信契約の締結を義務化し、視聴の有無と無関係に受信料金の支払いの義務を負わせている。https://oshiete.goo.ne.jp/qa/613453.html

この条文は、私にとっては非常に不可解なものである。何故なら、「契約の自由」は近代国家では国民の権利だからである。放送法64条の根拠となるのは、放送の公共性(放送法第一条)である。テレビ設置者だけに経費負担を強いる、公共性とは何なのか。

公共性があるから、その特定の受益者がその利用料金を支払わなければならないという論理が、私には理解できないのである。逆に言えば、テレビを観る人だけが得る利益に、公共性など存在するのか? 本来、公共とは全ての国民を対象とするものの筈である。

例えば、道路や水道、電気やガスなどの物品やエネルギー配給のインフラが、公共的建造物として言及される。それらは全て人間の生命維持活動と直結している。従って、国民全てはこれらの恩恵を受けているので、当然公共性がある。

例えば地震警報などの通知には、公共性があるとする。しかし、それはラジオでもパソコンやスマホでも受信されるので、テレビ保持者に対してのみ受信料支払いを要求する根拠にはならない。その種の公共福祉に関する経費は、別途一般的な税でまかなうべきである。

放送インフラの整備にNHKは貢献しているという意見がある。そのインフラ投資金の内、テレビ受信に必要な部分に限って、テレビ保持者は何らかの形で支払うべきだという意見なら、それは理解可能である。テレビを視聴する利益は、民放受信者も共通であるから、その部分は本来税金で賄われるべきだろう。つまり、自動車の購入時に支払う税と同様に(補足)、テレビ税などを創れば良い。

2)この件に関して、内閣官邸にメイルが届けられている。それを紹介し、N国党の主張と比較してみる。
https://quasi-stellar.appspot.com/mails/km-1/kanteiMail_y-829.html それは、テーマ[号外8971] 放送インフラ整備を国営化しNHKの受信契約義務廃止を求める: と言う表題とともに届けられたメイルである。(補足2参照)この内容は、いくつかの点でN国党の主張と異なる部分があり、その区別化をメイルの主は主張しているが、私の判断では両者の主張内容は、非常に近い。

相違点についての解説を以下に記す。

①メイルの主は、NHK廃止を訴える人とは意見が異なると言っている。それをN国党の主張と照合すると、同党の「NHKをぶっ壊す」という表現が引っかかるる。しかし、N国党はインフラ部分まで廃止するとは言っていない。ぶっ壊すは解体を意味しており、再構成については積極的に言及していないだけである。

②上記官邸に届けられたメイルと異なり、N国党はNHKの放送が偏向しているという主張はあまりしていない。偏向報道だとする批判は、「議員が番組内容について言及するのは検閲となり、違憲となるから行わない」と明言している。(ウィキペディア、「NHKから国民を守る党」参照)

以上から、私は官邸メイルの送付主の意見より、N国党の主張を支持する。私流にNHKの現状を書けば、「そのほんの一部にすぎない公共放送部分をたてにして、非常に有利な条件で経営をおこなっている営利企業である」ということである。放送インフラに対する貢献だが、それは上記官邸に届けられたメイルに書いてある方法が良いと思う。それは、分離国有化である。

以上から、NHKの放送は、スクランブル化して、国民に視聴契約の自由を賦与すべきである。それは公共サービスに支障なく、実現可能な行政改革である。

3)短くもう一つの問題について:

NHKの予算案は、国会での審議および議決の対象になっているので、この問題は日本の政治の問題とも言える。つまり、NHKの視聴契約の強要を支持してきたのは国会である。そこに一石を投じる役割を果たすべく、創られたのがN国党である。

上記、N国党の主張や官邸メイルの主張は、国民のかなりの割合が持つ意見である。私は、それを一顧もしなかった国会議員たちに、出せるものならイエローカードを出したい。その国民の声は、N国党の国会への進出で、益々大きくなるだろう。

家業を継いで国会議員となったもの、親類縁者のコネで国会議員になった人、スポーツや芸能界での人気で国会議員になった人、などに高いレベルの議論など期待できない。日本の国会議員のレベルは、この程度である。

何度も書いているが、一票の格差の完全撤廃と、国会議員から田舎への利益誘導を防止するために、選挙区を道州制にすることが、日本の政治改革の要諦である。
https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2018/12/blog-post_23.html
https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2018/01/blog-post_20.html

補足:

1)N国党のやり方を、シングルイッシューポリティックスといって攻撃する人もいる。しかし、何一つ主張しない政治家よりも頼りになる。N国党は、そのほかのことを議論しないとは言っていないので、その他の問題についても積極的に発言してもらいたい。

2)自動車取得税、重量税、自動車税など、燃料にも揮発油税がある。

3)官邸メイルのコピー: 現在、NHKが国民から支持を得ていないのにも関わらず、強制的に受信料を徴収しています。 中には、これらのことを踏まえて、NHKを解体することを訴える人がいますが、放送インフラ整備等も行っているため、 現実的ではありません。しかし、NHKの番組が視聴できる者に受信契約義務が発生するため、 NHKの番組料として受信料を徴収している契約構造には国民の納得が得られません。 他の民放と同様に政治的な偏向報道ややらせ報道が目立ち、もはや公共放送とは言えません。 また、インターネット配信のためのインフラ投資に受信料を使う検討もされていますが、 Youtubeなどの動画配信サイトがある昨今で、時代錯誤な政策にますます国民の反感を買うばかりです。 ここで、提案があります。 NHKが行っている放送インフラ整備を総務省管轄とし、放送局の電波利用料や税金で賄うことで、NHKの受信契約義務を廃止するよう要望します。(以下略) 参照; https://ironna.jp/article/1240 NHK民営化

2019年7月30日火曜日

再)ヒストリアイと史記:岡田英弘著「歴史とは何か」から学んだこと

以下は、古い記事から比較的閲覧があったものの再録です。グーグルの検索機能が及ばないので、自分で読み返すためにここに再録します。(2014年2月3日投稿)

(以下に岡田英弘著の「歴史とは何か」の感想を書く。「である」口調で書いた文章は、著書からの理解を書いたものであり、現在正統と看做されている歴史として認識されているものとは限らない。)

歴史は、「“政治的集団”(皇帝や王などに率いられた集団;国民国家など)を形成した人々の活動や様子について、各種資料から “真実”を抽出把握及び解釈して、因果関係と伴に、(世代を超えた)時間と(地図上の広い)空間という座標上に、叙述展開した思想である」と定義できる。(注1)

世界中の出来事に関する記録を集めれば、単に記録の山が出来るだけである。その記録から“真実”と思われる出来事やその意味を取り出すには幅広い知性と訓練された技術が必要である。“真実”と定義したのは、その時の知性を集めて得た出来事とその意味であり、本当の意味での真実は誰にもわからないので“真実”と” “をつけた。

従って、それらの因果関係と時間的地理的関係は、解釈する者やその立場により異なるので、歴史は科学ではなく文学である。(82頁)この文学であるとの理解があれば、他国の歴史に対して、歴史認識が正しいとか間違っているとかの批判は本来あり得ない。何故なら、正しい歴史などこの世にないからである。(注2)

歴史を構築するとき、そして、歴史書を読む時に注意を要するのは、歴史の主人公とでも言うべき人の“政治的集団”が、地方豪族のトップである王、そしてより広い範囲を治めた皇帝、そして、国民国家などと時代と伴に変化し、場合によっては混在していることである。例えば、東アジアにおける唐や高句麗の歴史を考える場合、それらの“国”を適正に解釈しなければ、本質的な誤りを犯すことになる。

近代になって現れた、国民国家という人の“政治的集団”は米国の建国(1789年)やフランス革命をきっかけにして広まった(158頁以降)。その国民国家が現れてまだ、200年程度しかたっていない。中世以前の帝国の歴史を分析しようとするとき、”帝国”を現在の国民国家のような感覚で認識すると、何かと誤解をしてしまう。

中国と周辺諸国との朝貢関係を、宗主国と従属国という国家間の関係と一様に受け取るのは間違いであると著者は指摘する(202頁)。この理解は、「琉球は昔中国へ朝貢していたので、琉球政府が消滅した現在本来中国領だ」という暴論を退けるのに役立つ。(注3)

ところで、歴史書としての起源と看做されるものは、中国の司馬遷が書いた史記とヘロドトスが書いたヒストリアイである。二つの歴史書はその性格が全く異なっており、そして、その後の中国周辺とヨーロッパの歴史書はその影響下に書かれており、二つの歴史書は東西の歴史書の遺伝子の由来としての意味も持っている。

史記は中国における前漢(紀元前2世紀ころの中国)の武帝が天命により皇帝になったことを主張する為の物語である。周辺諸国の歴史書は史記のような帝国の正統性を示すという書き方をしている。

日本の歴史書である日本書紀も、史記の遺伝子を継承し、天皇を頂点にして建国された日本国の正統性を示す為に編纂された。つまり、7世紀後半、百済を滅ぼした唐の圧力の下で統一をいそいだヤマト朝廷が、外国への力の誇示と国内での結束を高める為に編纂した歴史書である。

(史記では)秦の始皇帝より古い時代から始まる歴史を書くので、神話の創造とそれを利用した歴史の創作がおこなわれた。一般的に言えることであるが、歴史書はその動機や特殊性を念頭において読まなければならない。日本書紀の中にある、神武天皇の祖先が高天原から下って地上の王となったという物語を真に受けて高天原探しが始まったのは、この東アジアの歴史観と歴史書の性格を見誤ったことが原因である。(注4)また、天皇家が大陸のどこかから半島経由で日本列島に至ったという説も何の根拠もなく、古事記の歴史書としての性格を間違って評価し解釈したことによる。(96頁)

一方、ヒストリアイは紀元前5世紀ころのペルシャとギリシャの戦いについて調査記述したものである。ヒストリアイの序文に、「複数の政治勢力の対立・抗争により世界は変化する。それらがやがて世の人々から忘れ去られるのを恐れ、それらをかき述べる(要約)」とこの書物の性質が述べられている。そして、ヒストリアイが歴史(英語のhistory)の語源となり、歴史という文化の出発点として受け取られている。

現在の歴史書に関する標準的な理解はこのヒストリアイのものである。ヒストリアイの歴史観は、善(ギリシャ、ヨーロッパ)はやがて悪(ペルシャ、小アジア)に打ち勝つというもので、それはキリスト教的歴史観と一致する為にグローバルスタンダード的な歴史観となった。この歴史観と十字軍の関係についての記述も興味深い。

以上の他に、歴史の定義と関連して重要な記述がある。それは、歴史が把握されなかった文明とその特徴である。例えば、インド文明やイスラム文明で、極最近まで歴史というものが文化の中に把握されていなかった。それは、輪廻転生の考えが支配的な文化の下では、出来事を因果関係とともに時間軸に沿って展開することが不可能だからである。

また、イスラム文明では、未来は神の領域にあるため、文化は(上記の歴史の定義の中にある)時間と空間以外に広がっているためである。更に米国が、歴史のない文明として挙げられている。米国は13州が英国から独立したのが18世紀末で、その後米国に移民として入り、自分の意志で米国民になった一世が今なお存在し、二世三世が多くなったのは20世紀の中頃である。従って、文明に歴史を展開する十分な時間軸がなく、“自国の歴史”という感覚がない。そのため、米国民というアイデンティティーは独立宣言と合衆国憲法前文だけであり、その文面をイデオロギー的に意識する。

現代、キリスト教的歴史観とアメリカ的自由主義がグローバルスタンダードとして君臨する時代である。しかし、近い将来、西欧とアジアの間のトラブルが国際社会の大きな問題となる時代が来るだろう。その際、上記国際標準の由来などを始め、歴史に関する知識と感覚が益々重要になると思う。(2014/2/03;修正:2/04)

追補:岡田英弘氏は東洋史学の専門家。1953年東大史学科卒、その4年後の著作物により日本学士院賞を受賞したとウィキペディアにある。東京外国語大名誉教授、2017年没。配偶者は東洋史学者の宮脇淳子氏である。https://www.youtube.com/watch?v=bjaKGer5Kc4 

注釈:

1) 著者の定義、「歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を超えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことである」(10頁)を私の理解した部分を追加して定義した。

2) 韓国が日本の歴史は面白くないという不満の表明があっても良い。しかし、歴史は文学であるから、歴史認識が間違っているという批判はおかしいと思う。実際に被害があれば、損害賠償を要求すればよい。日韓基本条約締結後であるから、条約違反というクレイムはあり得ても、歴史認識が正しくないというクレイムはあり得ない。

3) 朝貢は、周囲の王が中国の皇帝に会い、貢ぎ物を差し出すことである。中国の皇帝が使者を使わして朝貢を要求し、それを歓迎したのは、自分が正統なる中国の皇帝であることを証明する証拠として利用したかったからである。そのため、多くの場合、貢ぎ物より多くのものを朝貢した王は持ち帰ったのである(別の文献)。形式的にその地方の支配者であることを認める冊(任命書)やその印としての印章は、必ずしも宗主国と属国の関係を示すものではない。

4) 日本の騎馬民族征服王朝説などは、日本書紀などにある神話を、西欧の合理主義的観点で解釈した為に生じた。

2019年7月29日月曜日

吉本興業に投資する卑怯な日本政府

現在政府は、各種の経済政策の全面に出ている。国家戦略特区では、特例を特区内で認めてその地域にふさわしいと考える方向に経済活動を加速しようという考え方である。しかし、地域のことは地域に任せる地方分権が本来の地域活性のあり方である。

安倍政権がそのような方向に向かわず、戦略特区という形をとるのは、そこに関係者の利権が生じるからである。その一つの例として、総理周辺の恣意的判断と日本の忖度文化が、合法的にお友達の支援を行なうことを可能にした。加計学園の愛媛県での獣医学部増設問題もその一つである。問題だろうが、合法的だという結論に至るのは目に見えている。法律は、忖度など想定していないからである。

今回も同様な国家の関与が話題になっている。それは、官民ファンド「クールジャパン機構(正式名称は株式会社海外需要開拓支援機構)」である。このシステムでは、総理のお友達の吉本興業がかかわる事業に多額の出資を繰り返してきたというのである。

安倍総理は、どの筋の関係かわからないが、もともと吉本の芸人と仲良しだった。所属芸人と温泉に入ったりする場面が放映されたこと事も印象に残るできごとだった。更にびっくりしたのは、G20の前だったか、吉本新喜劇の舞台に出演する始末である。https://www.j-cast.com/tv/2014/03/04198222.html?p=all https://laughmaga.yoshimoto.co.jp/archives/11664

官民ファンド「クールジャパン機構」は、日本のアニメや食文化などの魅力を海外に発信するほか、インバウンドの増加を促進することを目的に、2013年に安倍政権の成長戦略の目玉として設立された。吉本興業でもどこの会社でも、その中に入れて、事業を展開する理由付けの作文は、頭と忖度に長けた官僚なら訳なくできるだろう。問題は、それが実際に利益を出すかどうかである。しかし、どうもそのようには行っていないようだ。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66126

吉本興業は、非上場企業である。非上場でも、この国では官民ファンドに参加できるようだ。官民ファンドとは、中国の国営事業のようなものかもしれない。

最近、所属タレントが詐欺集団のフロント企業か何か反社会的集団と付き合ったということで、マスコミ報道の格好の材料となっている。2011年所属大物タレントが暴力団組織との付き合いが明らかになり引退した後も、吉本の体質に変化など無いのだろう。また、その報道の中で、労働契約などを交わさないで、6000人に登る芸能人を雇用しているという、前近代的な企業体質が明らかになった。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5d353bb9e4b020cd99457cb6
https://www.zakzak.co.jp/ent/news/190726/enn1907260010-n1.html

更に、若手芸能人を低賃金で酷使しているとの悪評が絶えず、所属タレントの数えきれないほどの不満がテレビで放映された。それでも、官民ファンド「クールジャパン機構との関連で、政府が批判の対象にはならないだろう。森友問題、加計問題、に吉本問題が加わるだけだろう。

いったい、安倍政権にどれだけの実績があって、こんなに長続きしているのだろう。浜田宏一とかの経済ブレインの策を採用し、円安誘導して経済界が一息ついただけではないのか。本質的解決は何もされていない。https://www.asahi.com/topics/word/%E6%B5%9C%E7%94%B0%E5%AE%8F%E4%B8%80.html

2019年7月28日日曜日

Reaction control by spin manipulation

Original title: Reaction-control by spin manipulation (RCSM) and product-yield-detected ESR (PYESR):(1-5)

Reaction Control by Spin Manipulation" is briefly explained here on the photoreduction of xanthone (XO) in SDS micellar solution. UV-irradiation of the system yields xanthone excited in the lowest excited triplet state, 3XO*, from 1XO* via the intersystem crossing process. Then, 3XO* abstracts a hydrogen atom from a hydrogen donor, xanthene (XH2) in the present case, and the "geminate radical pair" in the triplet state 3(XH• •XOH) is formed in the cage (SDS micelle).

If one of the electron spins of this radical pair is inverted by the ESR (electron spin resonance) method, the coupling reaction of the component radicals is accelerated to yield the "cage product" XH-XOH. Instead, when a high power resonance rf-field is irradiated, the spin state of radical pair is locked to the triplet state, and the recombination reaction is inhibited.(6) When the yield of one of these compounds is plotted as a function of the magnetic field strength, the ESR spectra of both the radicals are traced in the overlapped form.

The spectrum thus obtained has been named product-yield-detected ESR or PYESR in short.(4,5) The first paper was published in Nature in1986.5) Until this publication no reaction yield had been monitored to obtain the ESR spectrum of the intermediate radical pair, so we named the method PYESR as usual. Spin locking of the radical pair is rather difficult, since it needs a microwave field much larger than the internal magnetic interactions, such as hyperfine coupling. Therefore, it has been most clearly demonstrated with the perdeuteriated systems.(6)
Reaction Control by Spin Manipulation

Upper:
The process of photoreduction of xanthone(XO) in the presence of xanthene (XH2, a hydrogen donor) can be switched at the stage of intermediate radical pair 3(XOH• •XH) by the spin manipulation technique: spin inversion accelerates the coupling reaction of the two radicals and spin locking decelerates it.2)

Lower: The effect of spin inversion on the HPLC of product solution. The (XH)2 peak decreased to about 1/2 by the "spin inversion".3)

From the quantum mechanical point of view, it is true that similar experiments had been made by several groups, for example, the Nobosibirsk group (ODESR, optical detection of ESR)(7) and also by the Argonne group (FDMR, fluorescence detected magnetic resonance).8) They produced transient ions by ionizing radiation, and detected their ESR spectrum by detecting the fluorescence, which is emitted upon charge neutralization of the two ions upon returning to the original states.

Most of the scientists in the field of "Spin Chemistry" presume that chemical reactions had been successfully controlled by the technique of “spin manipulation” and the technique had been named as the "reaction-yield-detected magnetic resonance".(9,10) However, the authors of these early reports had only observed a process that is not directly related with a chemical reaction or its products.

A few years before the experiments cited above, Frankevich et al. detected the ESR spectrum of a triplet exciton by its annihilation fluorescence in a crystal.11). They named their experiment RYDMR, reaction yield detected magnetic resonance, where "reaction" was used as an analogy for exciton annihilation. This experiment is a modification of the ODMR (optical detected magnetic resonace) method, which had been demonstrated from the 1960's to observe the ESR of exciton occurred in the solid state.9,10,12) Therefore, their naming of RYDMR is misleading.

The important point of our PYESR experiment is that the chemical bond formation is controlled by the spin operations, and this kind of experiment had not been made before ours.12,13,14) In the full article, the application of "pulse-PYESR" is described. This method is very powerful to study the dynamics of the radical pair in micelle as well as the dynamics of micelle itself.

Referece

1) M. Okazaki, Y. Konishi, K. Toriyama, Chem. Lett., 737 (1994).

2) M. Okazaki, K. Toriyama, J. Phys. Chem., 99, 489 (1995).
3) M. Okazaki, K. Toriyama, J. Phys. Chem., 100, 9403 (1996).
4) M. OKazaki, R. Konaka, S. Sakata, T. Shiga, J. Chem. Phys., 86, 6792 (1987).
5) M. Okazaki, T. Shiga, Nature, 323, 240(1986).
6) M. Okazaki, K. Toriyama, J. Phys. Chem., 99, 17244 (1995).
7) O.A.Anisimov, V.M. Grigoryants, V.K. Molchanov, Yu.N. Molin, Chem. Phys. Lett., 66, 265(1977).
8) A.D. Trifunac, J.P.Smith, Chem. Phys. Lett., 73, 94(1980).
9) A.L. Buchachenko, E.L. Frankevich, "Chemical Generation and Reception of Radio- and Microwaves", Wiley-VCH, New York, 1994
10) U.E. Steiner, H-J. Wolff, in "Photochemistry and Photophysics" vol.4, eds. J.F. Rabek, CRC Press, Boca Raton, 1991, Chap.1
11) E.L. Frankevich, A.I. Pristupa, V.I. Lesin, Chem. Phys. Lett., 47, 304(1977).
12) Yu. N. Molin, in "Foundation of Modern EPR", eds. G.R. Eaton, S.S, Eaton, K.M. Salikhov, World Scientific, 1998, Chap. H12.
13) H. Hayashi, in "Introduction to Dynamic Spin Chemistry", World Scientific, 2004, chap.14, section 3 (page 222).
14) M. Okazaki, in “Dynamic Spin Chemistry”, eds. S. Nagakura, H. Hayashi, and T. Azumi, 1998, Kodansha & John Wiley & Sons, Chap.8.

2019年7月27日土曜日

竹島周辺での中露爆撃機などの領空侵犯事件についての日韓の対応の比較:

1)7月23日早朝、中国のH6爆撃機2機とロシアのTU95爆撃機2機が、日本海の竹島(韓国名独島)上空の韓国防空識別圏(KADIZ)内に入った。また、それとは別にロシアのA-50空中早期警戒管制機が独島上空を侵犯し、スクランブル発進をした韓国機が威嚇射撃をした。詳細は、以下の中央日報日本語版に詳細に記載されている。 https://japanese.joins.com/article/851/255851.html?servcode=200§code=200&cloc=jp|main|inside_left

この件に対して河野太郎外相は23日午後の記者会見で、「竹島はわが国の領土だ。領空侵犯をしたロシアに対しては日本が対応するものであって、韓国が何か措置を行うのは日本政府の立場と相いれない」と主張した。 菅義偉官房長官もこの日午後記者会見で「韓国軍用機が警告射撃を実施したことは、竹島の領有権に関するわが国の立場に照らして到底受け入れられず、極めて遺憾だ」とし「韓国に強く抗議して再発防止を求めた」と話した。同時に「ロシア軍用機が二度にわたり、島根県竹島周辺を領空侵犯した」として「(ロシア側にも)厳重な抗議を行ったところ」と明らかにした。 https://japanese.joins.com/article/840/255840.html?servcode=A00§code=A10&cloc=jp|article|related

韓国の記事を引用したのは、日本の新聞では真相も事実も分かりにくいからである。例えば中日新聞の24日の朝刊の記事では、韓国を抗議先の先頭においた領空侵犯事件でしかない。二面記事の解説でも、日韓の対立を探るというトンチンカンな内容である。まともな記事は、国際問題の専門家のブログに頼らざるを得ない。田中宇氏は、ブログ記事(及びメルマガ)で、「中露戦闘機の竹島周辺での領空侵犯は意図的になされた。韓国は威嚇射撃をしたが、日本は何もしなかった。そして、米国も何の動きも見せなかった。竹島や対馬海峡などで日韓の領空や防空識別圏にわざと入ることで、米国や日韓の政府や軍がどのように反応するかを見る作戦が含まれていたのでないか」と書いている。(田中宇の国際ニュース解説 無料版 2019年7月24日 http://tanakanews.com/

特に、トランプ政権のボルトン補佐官が来ている時だったが、この件には何も言わず、米軍に何の動きもなかったことに注目している。ボルトンは、日韓の対立を仲裁するためという触れ込みで日韓を訪問したが、対立の仲裁を全くやらず、イランの件のみ喋って帰ったようだ。韓国の政府や軍は、威嚇射撃や、大使を呼び出して叱責するといった、「きちんとした対応」をしたが、日本は口先だけの形式的抗議をするのみだった。

非常に参考になるyoutube動画があるので紹介したい。ある人が、外務省と防衛省に問い合わせたのである。両方の広報部門が対応したのだろうが、しどろもどろであった。https://www.youtube.com/watch?v=L5SUjSqNynE

2)この領空侵犯事件で、日本の新聞や日本政府の視野の中に存在するのは、「韓国がどう反応したか、どのような姿勢をとるか?」ということであり、日韓の領土問題という視野からほとんど出ていない。読売新聞の25日の社説でも、主たる視野は日韓領土問題であった。https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20190724-OYT1T50340/

その視野を超えた内容としては、米韓両国は大規模な合同軍事演習を中止したこと、日韓の防衛当局の関係も冷え込んでいることに言及し、そして、「この間隙を突いて中露両国が日米韓の対処を見極めようとしたのではないか」と最後の方に書いているのみである。そこに独自な分析は全くない。

  そして、「ともに米国の同盟国である日韓両国は、アジア地域の安定を担う立場である。韓国はその責任を自覚し、日本を敵視するかのような行動を改めるべきだ」と結んでいる。なんという貧弱な内容か。

日本を代表する新聞でも、この程度である。考えるべきは、江戸時代に竹島で日本人が漁をしたこと(読売社説)ではなく、今後この領域が米国の覇権から中露の覇権に入った時、どのようにして日本が独立国としての立場を守るかということの筈。そんな視点は日本の新聞にはないし、日本政府にもない。(順序が逆?)

最初に引用した中央日報の記事は、韓国の元空軍関係者の言葉を紹介している。日本政府の責任者には、この言葉を真剣に反芻してほしい。キム・ヒョンチョル元空軍参謀次長:

「中露両国の戦略爆撃機があらかじめ設定した韓国や日本の目標物を共に核攻撃する手続きを演習したとみられる」。 
この記事では更に以下のように書いている。 中露編隊が東海上空を飛行する際、中国の戦闘艦2隻は離於島南側と浦項(ポハン)東側で航海中だった。訓練状況をモニタリングしたと推定される。

最後に、田中宇さんの記事の中の一節を紹介して、今回は記事を終わる。

極東や日本海は、中露の覇権下に入る。対米従属しか頭にない日本の影響力は低下する。今回の中露軍の飛行演習は、中露の日本海支配の強まりを見越したものだ。中露軍機は今後ますます日本海を飛び回り、独島周辺も通るだろうが、韓国軍から警告射撃を受けない範囲での接近を心がけるだろう。韓国軍は今回、体を張って独島を防衛した。中露は、それに敬意を表しそうだ。対照的に、竹島に対する日本の政府と国民の主張が口だけ(外交重視)であることが露呈した。日本が「素晴らしい平和主義」の国であることが示された。

2019年7月26日金曜日

山本七平:日本教について(2)

以下は、古い記事から比較的閲覧があったものの再録です。表題は、「日本教と日本語について2:私の考えをまとめる」(2014年1月21日投稿)。グーグルの検索機能が及ばないので、自分で読み返すためにここに再録します。

数日前に「日本教について」(イザヤベンダサン著、山本七平訳)の感想とそれに関連したテーマについて自分の考えを書いた。(追補足1)その文章は、何度か改訂したものの依然として読み難いので、私の考えのエッセンスを以下に新たな文章として書く。

山本氏の上記本の20頁に、「日本語には論理はありません。日本人は論理学なるものを全く知りませんでした。日本語とは“ロゴス(論理)なきロゴス(言語)”です」とある。その日本語の下に出来上がっている日本社会の特徴と、その社会に問題が生じたときの対処プロセスに絞って、以下に箇条書きに書く。

  1. 日本人は密な集団で温暖な自然の中で生きてきたため、恐怖は冷害や台風などの自然現象と所属集団からの疎外であった。

  2. 自然の恐怖にたいしては、自然信仰である神道を持つことで、集団からの疎外に対しては、私心を捨てることを美徳とすることで、それぞれ対応する”日本文化”を育てた。

  3. 私心を捨てて集団の中に生きてきたため、「私」や「あなた」などの主格を明確にする言語表現が消え去り、その結果、現代まで論理なき言語しか持てなくなった。論理は、主格と目的格が明確でない文章では組み立てられないからである。(注1)

  4. ある問題が生じた時、論理無き言語とそれに包摂された文化の下では、問題の原因解析と解決への対策が、集団の英知結集と彼らの議論というプロセスを経て提出できない。従って、集団の指導者には論理的考察力のある者よりも、個性が魅力的に見える陰謀家タイプの者がなる。

  5. 従って、その問題に対する直接的関与(実体語)で解決しない場合、間接的或いは根源的原因などは追求されず、精神とか一丸とか云う言葉とともに虚しい解決策、つまり空体語、として提出される。それらは問題が解決しない限り社会の中に蓄積するので、”空体語のバスケット”の中に投げ込まれた虚しい解決策と呼ぶことにする。そして、それらは民衆を不安にするとともに、破滅の道へ導く”空気”の醸成に寄与する。(注2)

  6. その未解決の問題は、当事者の暴発(内乱、クーデター)や外圧(強圧的外交、敗戦)と言う形でカタストロフィックに取り除かれる以外には消滅しようがない。


論理の無い日本語文化で用いられる「空体語」の表現は、解決がそれほど難しくない日常生活レベルの問題でも、「ゴミをすてないでおこう」などという標語のように、“実質的には問題のオーム返しに過ぎない解決策”という形で、”空体語バスケット”に投げ込むレベルのものになる。

国家レベルの例では、戦争時に敗戦が近くなるに従って、勇ましい標語が氾濫したのも同じメカニズムである。孫引きさせてもらった戦時標語のなかから、「一億抜刀 米英打倒」を例にとれば、この標語も”「どうしたら米英を打倒できるか」についてのデータを用いた、論理的思考の末に得るべき作戦”の代わりに、”一億抜刀”が置き換わり、問題の「空体語バスケット」への投げ込みになっている。 誰かが"空体語バスケット"に投げ込むと、その後は多くの人が似た様な同一の原因による困難を空体語にして同じバスケットに投げ込む。それが、上に引用した数多くの標語である。

更にもう一つ例をあげると、江戸末期開国も止むなしと悟りながら、島津藩などは攘夷を叫んだことが「日本教について」で紹介されている。そして、実体語での“開港は必要である”とバランスをとる為の空体語“攘夷を叫びうる状態も必要である”であったと言う記述である。(文庫版26頁)空体語と実体語の間の支点としての『人間』が存在し、両者間のバランスをとることは、日本教についての中心的教義ではあるが、判り難いと思う。(追補2)

むしろ、”開港は必要である”は同じでも、それに付随した新たに生じる問題、例えば、幕府の崩壊や、日本の植民地化の可能性など、にたいして、論理的な考察が出来なかっただけではないだろうか。つまり、上記5)に述べたように、これらの問題を論理的考察なしに“攘夷論”という“空体語バスケット”に投げ込んだだけではないのか。

論理的な言語環境を持つ体制であれば、それぞれの考え方を持つ智慧者を集めた討論などを通して、現在採るべき対策と、今後生じる問題とその解決法などが、探せたかもしれない。

以上、日本教の中心的教義の『人間』(=空体語と実体語の支点)を用いないで、同じ問題を考察してみた。私は、橘玲氏の著書『(日本人)』(括弧日本人と読む;幻冬社)にあるように、日本教のような特別な概念を用いなくても、日本人の文化や行動は解析可能だと思う。

このような文化は、人治国家的な東アジア全体に見られる。大陸の半島北にある国も、勇ましい言葉でテレビ放送がされる時、それらの言葉は実際には苦境にあることを物語っているのである。「特に日本教という程のものではないのではないか」というのが私の最終的な結論です。

注釈)

1)英語でもドイツ語でも主格、所有格、目的格には、それぞれ別の言葉が用いられている。一人称及び三人称では、それぞれの単数と複数の区別も明確である。一方、日本語ではこれらは助詞を用いて区別しているにすぎず、英語やドイツ語(私はこれら以外を知らない)と比べて差は明らかである。たぶん中国語も日本語と同様だろう。例えば、我の所有格は我的であり、助詞と思われる”的”がつくのみである。

2)著者は、江戸時代の鎌田柳泓の「心学奥の桟」の中から、「がんらい神は、本質的には「空名」であるが、その名があることはすなわちその理があることで、その応はまたむなしくない」を引用して、この空名(なばかりのもの)を空体語と同じとしている。ここで、我々にとっての「神」を考えると、現実の生活で本質的に解決出来ない「生命」に由来する問題を全て、「神」という「空体語バスケット」に投げ込んでいると考えれば、この項目は判りやすくなると思う。ただ、日本人は、論理的な議論を通して緻密な議論を繰り返せば、解決可能或いは問題を縮小させることが出来る問題すら、この「空体語バスケット」に投げ込んでしまうのである。

追補足: 1)2014/1/18の記事:https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2014/01/blog-post_18.html

2)「支点として人間がある」というのは、実体語と空体語の間でバランスをとって存在するくらいの意味だろう。空体語に近い人は純度の高い人(価値の高い人)であり、実体語に近い人は濁った人である。

再)建前と本音の二重螺旋

以下は、古い記事から比較的閲覧があったものの再録です。グーグルブログの検索機能が及ばないので、自分で読み返すためにここに再録します。(2013年9月1日投稿)

(2020/1/25,表題を変更)

1)“建前”という言葉の元々の意味は、“家屋の建築で、主要な柱や梁,棟木などを組み上げること”、また、その時に行う上棟式である。しかし、スペースアルク(http://www.alc.co.jp/)という何時も利用させてもらっているサイトで英訳すると、上棟式は出てこないで、注釈(注1)に書いた様に比喩的な用法が全てである。それを参考にすると、建前は殆どの場合、要するに、“公の立場”と“言葉上の理由付け”の二つの意味で用いられている。

 日常の会話では、“建前”は幾分軽蔑的に用いられて、“真理である本音”が大事であると考えられる場合多い。しかし、我々がかなり楽観的に人間関係を築いて、社会の中で一応安心して生活できるのは、人々が“建前”つまり“公の立場”を社会において堅持するからである。つまり、“建前”は元々の意味の通り、社会の骨組みをつくるものであり、人類が混沌の中から作り上げた文化そのものである。そして、この”公の立場”があってこそ、人は平等に生きる権利を得、社会にその存在(生存)を主張できるのである。個人としては、公に預けた“建前”と対を為すように、本音をしっかり心の中に保持して良いのである。

 インターネットやそれに手軽にアクセスできる携帯電話(スマートフォン)が問題視されるのは、その本音と建前の混在した世界をサイバースペース (ネット空間、電脳空間)として人々に提供するからである。つまり、本音と建前は二重らせんのように、同一の個人に存在するが、決して融合してはいけないのだ。この“二重らせん”の融合は、公の文化の下で享受出来ることになった近代文明の崩壊を意味する。

追加(12/8):(本題で言いたい事はこれで終わりだが、何故この文章を書く気になったかというと、DNAの二重らせん構造の発見でノーベル賞を貰ったワトソン博士が、そのメダルを競売に出したというニュースを見たからである。以下にその話を追加する。)

2) 因に、DNAの二重らせん構造を提案したワトソン博士のノーベル賞メダルが競売にかけられ、五億円の値段がついたと言う事である。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimuramasato/20141129-00041084/) ワトソン(以下敬称略)は、ロザリンド・フランクリンが撮影した、DNAのX線回折像を見てその二重らせん構造のモデルを思いつき、論文を書いてNature誌に発表した(1953年)。その後、ワトソンはクリックやウイルキンソンとともにノーベル賞に輝く(1962年)。その受賞後しばらくして発表した、ワトソンの著書“二重らせん”(1968年)で、DNAのX線回折写真を撮影したロザリンド・フランクリンを暗愚な研究者として描いているという。ノーベル賞を得るまでには、醜悪な人間ドラマというべき経緯が存在していたのだ(上記サイト参照)。

ワトソンが、何故ロザリンド・フランクリンというユダヤ人女性を暗愚な研究者として描いたか? それは、恐らくワトソンがNature誌にその論文を出さなければ、ロザリンド・フランクリンが同じ事を論文にしてどこかに発表していた可能性があるからだと思う(注2)。この場合は、ノーベル賞が彼女にもたらされ、ワトソンのノーベル賞も学会での名誉ある地位も無かった筈である。つまり、その可能性が無い事を強調しなければ、ワトソンが本来の筆頭著者かもしれない彼女を外して論文を書いたことになり、その悪意ある行動の評価が社会に定着してしまうからである。

現在の日本では、ある研究の為にX線回折像を撮影してもらった場合、その研究成果を論文にする際にはX線写真を撮った人も共著者になるのが当たり前になっている。しかし、本来の科学文化の中では、その論文の全てについて寄与がなければ(内容の主張=presentation=が出来なければ)共著者になってはならない(注3)。つまり、ロザリンド・フランクリンがX線像から二重らせんという長周期構造を思い付かない程に暗愚であったことにすれば、彼女を共著者にする必然性はないのである。私は、ワトソンが“本音”を隠して、その創造した“建前”を自著“二重らせん”に強調した可能性を感じる。

更に言及したいのは、ワトソンが「アフリカの黒人は、遺伝子の段階から知能が劣るだろう」と発言したことで、学会等から忌避されてしまったことである。ワトソンは「あの発言で社会的に抹殺されてしまった」と英紙フィナンシャル・タイムズに嘆いているとのことである(上記サイト)。つまり、建前として大切にしなければならない事をわきまえず、思わず本音を公の空間で吐いてしまった為に、社会から抹殺されたのである。(追加補足1)

本音は、人権や報道の自由として局限された個人的空間に封じ込め、建前を公としての社会の骨組みとして採用したのが、人間の智慧であり文明の基礎である。ワトソンはこの建前と本音の二重らせん構造を十分わきまえていなかったようだ。

追加:DNA構造発見の経緯について書かれたものがありましたので、以下に参考文献として追加します。参考文献:http://thomas.s301.xrea.com/thinking/20seikisaidainohakken.pdf(12/6/11:05)

注釈:

1)辞書によると:polite face (礼儀的な顔); public position (公の立場); one’s public stance (人の公としての立場); one’s stated reason (人の言葉の上での理由)などが書かれている。 これらから本文章内では、“公の立場”と“言葉の上での理由付け”を建前の二つの側面からみた意味として用いる。関西地方では上棟式の意味ではフラットに発音し、本音と対する言葉で用いる場合と区別している。

2)同じ年に化学者として有名なライナス・ポーリンング博士も独自の3本鎖のDNA構造モデルをNature誌に発表している。その事から、競争の激しいテーマだったことが判る。

3)X線回折のデータをワトソン氏にフランクリンに相談無く見せたのが、ノーベル賞の共同受賞者のウィルキンソン氏ということである。それにも拘らず、ウィルキンソン氏が1953年のNature論文の共著者になっていないのは、この科学文化ではあり得ないことではない。従って、ウィルキンソン氏はロザリンド・フランクリン女史が撮ったX線回折データの意味が十分判らなかったのだろう。

上記(3)について追加(12/8):二重らせんを60%位読んだが、興味が続かずギブアップする。その時点は、ワトソンらはポーリングが蛋白のαーヘリックス構造を見つけたのと同じ、分子モデルを用いる方法でDNAの構造を模索している段階である。ロンドンのロザリンド・フランクリンとモーリス・ウィルキンソンとの間の関係が極めて悪いというが、その根拠が明確ではないのが印象的である。しかし、それも答えを知っての事かもしれない。ウィルキンソン自身が第三の男とか何とか言う題で本を書いており、そこでのフランクリンとの関係は大分違うようだ。

追加補足:

1)この発言にも、裏があるかもしれない。もし、ワトソンが本音を簡単に吐く人間だったことになれば、フランクリン女史を愚鈍だったと書いたことも、本音をそのまま書いたのだろうということになる。従って、「アフリカの黒人は、遺伝子の段階から知能が劣るだろう」との非科学的発言は、社会から干されることを覚悟の上でなされたもの、つまり、思わず本音を吐いてしまったということでなかった可能性もある。

2019年7月23日火曜日

京都アニメ放火事件の動機について

1)

京都アニメ放火事件ほど残忍な事件はない。個人的犯罪としては、過去最悪なケースだろう。我々日本人の中に、このようなことが出来る人が居るとは信じられないほどの事件である。

動機については、自分の書いた小説、或いは、自分の考案した言葉を、アニメに無断利用されたことに対する恨みだとかいう説が多い。しかし、単なる経済的不利益に関する恨みなら、このような大犯罪にはならないだろう。ただ、犯人がもし意識を回復して警察に動機を語る場面があったのなら、そのような話をして誤魔化す可能性もある。

そこで直ぐに浮かぶ動機がテロである。実際にそのような主張がネットにある。 https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/entry-12496761121.html

しかし、私はテロではないと思う。テロならもう少し周到に準備されていた筈だと思う。ガソリン40リットルを撒いて火をつけるという泥臭い手法は、テロの手口ではないと思う。テロなら、強力な爆薬や毒ガスを使う可能性がたかい。

テレビでは、ルサンチマンという言葉で、この事件を語る人も居る。ルサンチマンとは社会の上層部などに対する恨みという意味だろうが、集合すれば大きな社会的事件或いは政治テロなどに繋がるだろうが、個人では、上層社会などへの恨みと訳されている以上のものではないだろう。

片田珠美という精神科医が、ネットニュース(Business Journal)の記事で「この放火事件は無差別殺人と考えられる」(記事5行目)としている。その記事のなかで片田氏は以下のように書いて居る。https://bizjournal.jp/2019/07/post_110279.html

無差別殺人犯は、長年の欲求不満を他人や社会のせいと思い込んで怒りと恨みを募らせ、復讐願望を抱く他責的傾向も強い。何らかの精神疾患によって被害妄想の可能性もある。しかし、犯行は引き金がなければ起こらず、それは本人が「破滅的な喪失」と受け止めるような喪失体験であることが多い。犯行後に「パクリやがって」と声を荒らげたというので、かつてアニメに何らかの形で関わっていたのかもしれない。あるいは、アニメに強い思い入れや執着があるのかもしれない。

私は、無差別殺人でなないと思う。従って、引き金としての「破滅的な喪失」など、他人の目に見える体験など無かった可能性が高いと思う。ただ、この最後の「アニメに強い思い入れや執着がある」という言葉に注目した。

2)

私がこの事件を考えていて思いついたのは、三島由紀夫の小説「金閣寺」の放火との類似である。その考えが正しければ、この事件は無差別殺人事件ではなく、京都アニメ破壊事件である。犯人には、働く人たちを数人殺害するだけでは物足らず、京都アニメそのものを消し去ってしまおうと考えたと思う。それが40Lという大量のガソリンを撒いて放火した理由だろう。

先ず、小説「金閣寺」放火の解析を振り返る。勿論、小説上の話であり、実際の放火事件には必ずしも当てはまらないかもしれない。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2014/07/blog-post.html

小説では、主人公の溝口は、生まれながらの吃音のハンディを、凝り固まった劣等感として持ってしまう。その所為で、消化し切れない欲求不満を溜め込むが、その心理を自分が僧侶として弟子入りをしている金閣寺の美への憧れで心理的バランスをとる(誤魔化す)。そして、徐々に募る不満とバランスをとるように、金閣寺の美が心の中で拡大する。(補足1)

そのうち何度か訪れた、人生好転の機会と思われた時に、決まって心に金閣寺の幻影が浮かぶようになり、そのチャンスを逃すことになる。そして、何時の間にか心の中で金閣寺の空襲による焼失を願うようになる。しかし、空襲は結局無かった。(補足2)

そこで、逆に邪魔で憎しみの対象となった金閣寺に放火し、悩みふかい自分の青春時代と一緒に消滅させようとした。その時、自分の人生が終わっても仕方がないという覚悟があっただろう。(実際、現実の金閣寺放火犯はその後自殺を試るが、未遂に終わる。)

今回の京都アニメの事件でも、犯人は京都アニメの作品に強い執着をもっていたのだろう。それは、本来の自分の趣味の対象としての執着から、自分のままならない人生で蓄積された欲求不満と心理的バランスを取るための存在としての意味を持つようになったのだろう。しかしその愛着は、際限なく大きくなることなどはあり得ない。

もはや京都アニメへの憧れなどでは抑えきれなくなったとしても、京都アニメはそのまま存在し多くの人に愛し続けられている。そして、徐々に強い憎しみに転換されたのだと思う。心理学でいう“同一化”(補足3)が不可能になったのだろう。

実際の引き金はいろいろ考えられる。その中には社会的なものもあるかもしれないし、アイデアを盗まれたと思い込むこともあったかもしれない。しかし、それらは単に引き金であり、爆薬ではない。つまり、動機をいくら探しても、その犯行の本質的動機を探し当てることは、警察本来の発想では無理だろう。

大量無差別殺人などの事件では、全て直接的動機は引き金でしかない。被害の大きさは、爆薬の大きさで測られるべきである。引き金をいくら眺めても、その大きな被害の原因としては不釣り合いだろう。

補足:



1)この蓄積する不満と何かに対する憧れをバランスさせるのは、心理的な代償行為だと思う。全く異なる様に見えて同類の代償行為に、何かへの恨み、抵抗、憎しみなど負の価値で、バランスを取る場合もある。この負の感情を、心の中の異なった場所(天秤の反対側の様な場所)に置く事で、バランスが取れる。不満が大きくなった場合、前者の代償行為から後者へのタイプの転換が起こる場合が多いと思う。つまり、可愛さ余って憎さ百倍のケースの一つである。
小説「金閣寺」の中では、「金閣寺の美」への憧れが、空襲による焼失を願う気持ちに変わったのも、心理的代償の変換だろう。

  2)それまで憧れの対象として心の中心に置いてきたのだから、その最高のものに入れ替わる何かが視野に入った時、幻影として現れるのは、特別なことではないだろう。ただ、小説「金閣寺」に書かれたような場面で、幻影が現れたとしたなら、その憧れも相当レベルの低いものだったのだろう。実際、小説の最初の方に、元々、金閣寺をそれほど美しく思った訳ではなかったと書かれている。

3)同一化とは:「自分が尊敬する人物などに対して自分自身の存在を重ね合わせていき、相手に対して強く感情移入していくことによって、その人物が経験するすべてのことを我がことのように感じて一喜一憂すること」https://information-station.xyz/10576.html

2019年7月22日月曜日

「憲法改正」の前に「憲法改正の議論」が大事:YoutubeやBlogで各議員は意見を出せ‼︎

1)参議院選挙が終わり、その結果が明らかになりつつある。その中で新鮮なのは、「NHKをぶっこわせ」の動画配信で有名な立花孝志氏や、小池東京都知事との関係で注目された元若手都議の音喜多駿氏などの当選確実の報道である。日本の歩みは遅いが、しかし、確実に動いているようだ。

そんな中、注目されたのが「国会による憲法改正の発議に必要な2/3の議席を与党プラス維新が獲得するかどうか」である。これは、無理な様だとヤフーニュースは報じている。今朝の中日新聞も、「改憲勢力3分の2割れ」という大きなヘッドラインと、空疎な中身の対比が非常に印象的である。

しかし、国会での憲法改正発議に本当に必要なのは、与党である自民党と公明党、それに憲法改正に賛成の日本維新の会の議席数を加算して3分の2を超えることではない。それには、国民がその必要性を自覚し、その賛成数が多数になることが必要なのである。各国会議員は、国民の代表として改憲の必要性を議論しなくてはならない。

国会議員の方々にお願いしたい。ホームページかブログで、現行憲法で十分なのか不十分なのかについて、各人の意見を4000字程度で述べてもらいたい。出来れば、youtubeでその意見を直接国民に訴えてもらいたい。

  どれ一つもできない人たちは、国会議員を辞職してもらいたい。原稿があれば誰でもアップロードできるので、パソコン使ったことがないなんて言い訳は通らない。その主張を、原稿を読む形でなく、自分の言葉で国会や各種メディアで議論してもらいたい。それ位できなくて、“家業の国会議員を継ぐ”なんて有権者は許すべきではない。(補足1)

2)「国会による憲法改正の発議に必要な2/3の議席を与党プラス維新が獲得するかどうか」がニュースのヘッドラインとなり、その結果で全てが決まると考える国は日本だけだろう。改憲が必要だと考える議員も、不要だと考える議員も、何故国会でホットな議論をして、各人の考えを国民の前に提供し、理解を得ることことに期待しないのか。

まともに意見を述べないないままで、改憲派あるいは護憲派として数えられることに、何の抵抗も感じないのか? それでも“国会議員”なのか?

何故、改憲案を発議しないのか? 国会で投票する前から、その改憲の発議が国会で否定されると決められるのか? 各種マスコミは、何故自民党、公明、維新が改憲派であると、決めつけるのか? 全てに議員に、現行憲法に関する「国会議員としての意見」を聞いたのか? なお、憲法改正のような重要案件で、否一般に国会決議で党議拘束など許されるべきではない。

こんな馬鹿げた選挙報道&国会報道が垂れ流される国が、我が日本である。

そんな中で、国会でまともな議論がなされる可能性がないわけではない。それが冒頭に述べた方々の当選である。

立花孝志氏は、NHKの視聴料徴収のあり方が、契約の自由を基本理念にもつ国家にふさわしくないという自説をyoutue上で訴えて今回の選挙で当選確実になった。立花氏は、今後NHKの問題を国会で議論するだろう。それに期待したい。(補足2)また、国政に関するその他の問題点についても、動画配信してもらいたい。 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190722-00000016-jij-pol

東京都議として活躍された音喜多駿氏にも期待したい。国会が議論の場であることを、国民に示してもらいたい。

補足:

1)五輪及びサイバーセキュリティー担当の大臣が、私はPCを使ったことがないと言って話題になった。PC使えなくても、サイバーセキュリティーの重要性が理解できていれば良いでなないかという意見はあるが、PC使えなくてどうしてその理解ができるのだろうか? https://togetter.com/li/1288544

2)数回、立花孝志氏の動画を見た。そのときの印象を書いただけである。間違っていれば、指摘してほしい。NHKを受信できる設備をもっただけで、NHKに対して視聴料支払い義務が生じるとする放送法第64条は、私は憲法や民法のどこかに違反していると思う。どう考えても、「契約の自由」が保障されている筈の近代国家の規定ではない。(国営放送なら国家予算の一部として予算計上すべきである。)

2019年7月20日土曜日

日本人は外敵を意識できない:幼稚な平和主義には歴史的理由がある

「人命最重視の理想主義、戦争絶対反対の平和主義、「日本の本来の姿」という復古主義などの宗教に埋没する国には、崩壊しか無いだろう」と題したブログ記事にコメントをもらった。その中の一文が非常に気になった。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/07/blog-post_13.html

戦争は如何なるものも悪である、という信念の人々に囲まれて暮らしています。

これに対して、私は取り敢えず以下のような返答を書いた。

「この「信念」ですが、それは念仏の間違いです。信念は事実の集積とそれを基礎にした深い考察が無ければ持てません。日本人大衆は、敵の原爆も天災と捉えてしまうほど、思考能力を喪失しているのです。(以下略)

その後、表題の命題を設定し、それを数日考えた。その結果、 日本人一般の戦争絶対悪という信仰の背景に、”日本人は外敵をシリアスに意識すること、及び、その必要性を現在でも認知できなくなっている”という事実があると思うに至った。

外敵をまともに意識したのなら、そして、日本国という国家とその恩恵を意識しているのなら、戦争絶対反対は有りえない。日本の庶民にとっての国家は、国内の威圧的な勢力であり、恩恵を実感する対象ではない。それらに片棒を担がされて外国へ命をかけて侵略することには絶対反対ということになる。

つまり、日本庶民の心中に、国内の敵(戦前に負ける戦争に大勢の国民を駆り出した連中)があっても、海外の敵は身近に存在する敵の敵であっても、自分達の敵として実感できないのである。

それは米国の占領政策として進められたWGIPよりも根が深いと思う。それを裏付ける現象が既に歴史に刻まれている。

74年前、マッカーサーは非常に警戒して、それをわざとらしく隠して日本の土を踏んだ。しかし、その警戒は思い過ごしだった。何故なら、日本人一般は原爆も戦争も何もかも、愚かな国内勢力の所為で招き込んだ天災のように感じていたからである。(補足1)恐ろしいのは(国内の)特高などであり、敵国の将マッカーサーではなかった。マッカーサーが帰国するとき、20万人以上の日本人が沿道で見送った。マッカーサーは日本復興の英雄だった。こんなことがWGIPで起こり得るだろうか?私は、絶対にNOだと思う。

今回の記事の結論を先に書く。

日本は硬直したピラミッド構造の身分制度を持ち、そのピラミッドは堅牢な層状をなしている。各層に所属する人間は、上の層を考えても超えられない壁に跳ね返されるだけであるので、一切考えない。下の層があれば、それを考えて鬱憤を晴らすだけである。明治以来の富国強兵策は、半ば奴隷的な一般国民により支えられた。庶民の青年は、一銭五厘(補足2)の命であった。マッカーサーと比較すれば、どちらが好意的だったかは明らかである。

この歴史を一顧もせず、憲法改正を主張する人たちは無知の極みである。もちろん、憲法改正は必要である。しかし、それ以前にすることがある。それは、未だ残存する層状構造の身分制度の破壊である。それには、先ず、一票の格差全廃と、選挙区制度の改革により、長州とその人脈で占められた政界の改革が必要である。

更に、厄介なのは、国民の意識改革である。その自ら超えられない壁を設定する文化を如何に克服するかは、強烈な怒りか何かがないと短時間には無理かもしれない。次に、その層状ピラミッド構造の歴史の概略を書いて、今日は終わりにする。

2)日本は島国である。白村江の戦いを最後に、大陸とはほぼ切れた。その後、外敵との戦いはなくなり、存在したのは内戦のみになった。ギリシャの昔から島国は敵を意識することが不得意であった。(補足3)

全軍を率いる総大将或いは軍神という天皇のイメージが失われ、御簾の奥で十分権威を保てるようになった。そして、民族全体を「戦う生命体」として機能化するメカニズムが消失した。(補足4)支配層はその地位を守るため身分制度を持ち込み、社会を層状ピラミッド構造にした。

層状の身分制度は、団結を防止する為である。これも古代からの支配層の知恵である。更に、儒教などの御用学問が層状構造の安定化に寄与した。貴族階級の権威を、武士階級の力から守るために、武士にも貴族としての位、官位の授与を行なった。その官位の権威の根拠が、官位の頂上の天皇である。

更に、その天皇の権威を特別なものにするのが、伊勢神道である。伊勢神道は天皇を神とする根拠であり、その正統性を示したのが日本書紀である。日本書紀には、ユダヤの聖書のような民族の教訓などはない。17条憲法は統治者に対する教訓であり、民族の知恵ではない。権力安定のために宗教を用いるのも古来常道であった。

外敵の脅威を日常的に感じない島国の支配層は、内部に分裂を持ち込むことと、その天皇や宗教を用いた安定化で、彼らの安全を確保してきたのである。

幕末から明治の日本において、武士階級と庶民階層の間には、外国人との間以上の不信感が存在する。その証拠の一つに、武士階級と貴族階級以外で明治の革命に指導者として参加した人間はほとんどいない。(補足5)昭和の軍隊でも、一銭五厘の葉書で集められた一般兵は消耗品であった。

この事実を抜きにして、現在の政治の改革は不可能である。日本人の平和主義を、文化の面では徹底的に二度と戦えない国に改造した米国の責任にする人がほとんどである。それは愚かな評論家連中の常であるが、米国の知恵や力だけでは、このような改造は不可能だろう。上記の簡単なレビューだけでも、日本の文化にそれを積極的に受け入れる素地があったことがわかるだろう。

追補(7/22/9:00) この記事、相当考えて書いたつもりだったが、5年前に同じ様な内容の記事を書いていた。(老化⁉️)5年前の記事、カレル・ウォルフレン氏著「なぜ日本人は日本を愛せないか」(和訳)の感想と反論=>https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2014/12/blog-post_19.html

補足:

1)広島の原爆死没者慰霊碑に書かれた言葉「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」は、原爆を投下した米国を避難していない。完全に国内の問題として捉えている。

2)新兵としての召集令状には一銭五厘の切手が貼ってあったことから、自虐的にそのように言うことが庶民の中で広がった。

3)クレタ文明はミケーネ文明に敗れた。クレタの宮殿には城壁がなかった。

4)外敵を意識しなくなったということである。韓国の反日姿勢を思い出せば良い。韓国民の愛国心は日本が支えているのだ。

5)明治の革命をフランス革命とは、全く異質の革命であるが、それでもその類似性を云々する人も多い。この問題を深く考察することも、さしあたりまともな日本を作る出発点として大事だろう。

月面では地表と同じようには歩けない:頭脳に刷り込まれた歩行パラメータを書き換える必要

最近のNASA宇宙飛行士の告白:https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/04/blog-post_24.html

1)歩行は、エネルギー消費をできるだけ避けて、長距離を効率的に移動する方法として人に備わっている。その重要なポイントは歩行の主な要素は重力に支配された振り子運動だということである。振り子運動にはエネルギーは不要であるから、歩くという動作は省エネにできている。従って、歩行で意識の支配下にあるのは:①前方にあった足が踵で着地したのち、体全体の重心を上方に移動する;②後方の足が蹴り上げで地面を離れたあと、振り子運動を開始する;この二つを少しの遅延時間(重心移動の時間)を置いて行うことである。

これを表現したのが次図である。
図の右で、体が真ん中にあるときが重心が一番高い状態であり、それは左の振り子運動をしている足が一番屈曲している真ん中の状況である。重心は赤丸で表現してあり、Δhだけ高くなっている。そのエネルギーの大部分は、後方(右の方の図の一番右端の足)の足による蹴りにより供給される。蹴りは前方にけるのだが、その運動は股関節を支点として、反対側の足(右図で棒線で表した足)を軸とする回転運動で、体を持ち上げるエネルギーに変換される。

ここで、重力に支配されるのは、蹴り上げの力と、振り子運動の周期である。蹴り上げの力は重力に比例する。一方、振り子運動の周期(一歩分の時間)は重力の平方根に反比例する。

数式を用いれば、図の右の重心(円で表記)がΔhだけ高くなるとするには、足の蹴りで、MgΔh だけのエネルギーを供給することになる。Mは体重、gは重力加速度であり、地上では9.8 m^2/sであり、月面では1.6m^2/sである。^2は二乗を意味する。一方、この図で表す半歩分の時間は、T=2π・SQRT(L/g)の半分であり、SQRTは平方根であり、通常は√で表現する。

右の振り子運動のモデル図で、太腿に関する振り子の重心は、ほぼ太ももだけの重心に等しいだろう。それは、蹴り上げから始まる全体の重心移動と膝関節の回転により、膝下部分が太腿部分をほとんど下方に引っ張らないからである。また、太もも部分の振り子運動の周期も、膝関節以下の振り子運動も位相差があるものの、周期そのものはほぼ等しいだろう。

以上から、前回記事では太もも部分の長さの半分を、これらモデルにおける振り子の竿の長さと考えた。もし、背の高い人でこの長さが30cm(太ももの長さの半分位)なら、一歩が約0.55秒、背の低い人で振り子の竿が20cmと短い人では約0.45秒となる。この数値が実際の周期に近いことにより、この二重振り子モデルが支持される。(補足1)

2)ここで、月面歩行を考えてみる。 (アポロ11号の月着陸の捏造説については:ここを参照

月面歩行では、重力が6分の1になるので、地表と同じ距離の一歩とするには、蹴りの力を1/6にする必要がある。一歩の時間も蹴りの時間も長くなり、√6倍(2.45倍)になるので、つま先を着地のために出す時間をそれだけ遅くする必要がある。

従って、地表でゆっくり歩くのと違い、慣れるのには長時間を要する筈である。特に自由な振り子運動は、地表での歩行では意識にほとんどないので、時間を頭で数えながら、あるいは目で太ももの移動を一々確認しながら、着地のために足を出す必要があるだろう。

蹴りの力は、体重と同じ荷物を背負う形でも、尚三分の一である。一方、関節での回転の摩擦は、地表と変わらない。歩行には、これら地表と変わらない部分、重力に比例する部分、重力の0.5乗に比例する部分など諸要素があるため、脳は簡単にはそれらパラメータの書き換えができないだろう。

それは月面にある人に、大きな違和感を与えることになる。それは、青い地球の美しい姿とともに強烈な印象を与える筈である。アームストロング船長の言葉にその実感が欠けている。

前回の歩行モデルの記事:https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/07/11.html をわかりやすく書き直しました。文献等は、前回記事をご覧ください。

そこでも引用しましたが、NASAが公開している月面歩行の動画は、倍速再生すると地表での歩行やスキップに非常によく似ている。例えば、動画の48分以降の数分間の画像を倍速再生してみてほしい。 https://www.youtube.com/watch?v=S9HdPi9Ikhk

補足:

1)不動産屋の広告で、駅から歩いて10分というような場合、通常1分で80m歩くことを想定している。つまり、歩幅70cmなら、歩数114歩であり、歩く周期(2歩)は1.05秒となる。これらの数値は、実際とかなり近い。

追補:

1)走るときには、太ももの前後運動は、振り子運動ではなく意識的に筋肉を前後させて行う。この前後運動の周期と、宙に浮いた体の落下が、同期しないといけないので、月面で走ることも非常に慣れるのに時間を要する。蹴る方向と蹴る力で、落下時間が変化するので、タイミングが合わないのは歩行の場合と同様だろう。

2)ロシアで宇宙飛行士になった秋山豊寛さんに、佐々木敏という方がインタビューして、アポロの着陸捏造説を聞いたという。その記事のサイトを引用します。http://naotatsu-muramoto.info/utyuu/utyuu4.html

3)追追補(7月29日)NASA の現職宇宙飛行士が、現在月に人を送る技術を持たないと告白。https://www.disclose.tv/nasa-astronaut-admits-we-dont-have-the-technology-to-go-to-the-moon-316389

2019年7月17日水曜日

韓国文在寅政権の対日姿勢は日本の現状を反映している

姉妹サイトで15日に投稿の記事ですが、ここに再録します。当初、書きなぐり的記事なので、ここへの掲載をためらいました。 https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12494405919.html

1)日本のネットには、韓国大統領の文在寅を笑う者や怒る記事が多い。それらは何れも、「目くそ鼻くそを笑う(に怒る)」の類に見えてしまう。あるブログ記事にコメントを書いた。

近代法治国家には考えられない韓国の対日姿勢が、何故これまで続いたのか? その原因は日本側にもある。その対日姿勢が、国際的には通用してきたということを、日本人はもっと真剣に考えるべきである。捏造した慰安婦像が世界の通説になったのにも、理由がある。(補足1)

それは、日本に国家としての存在感、威厳がないからだ。つまり、国家の体をなしていない日本の姿が、韓国という鏡に写っているのだと思う。韓国に腹を立てるのなら、日本が潰れる前に、そのエネルギーを日本の改造に使うべきだろう。(補足2)

今の日本のどこが異常か? その根本は日本文化にある。指摘したことは、その根本的欠陥が夫々の部分に具体化し反映されたものである。

2)日本の国政選挙において、一票の格差が2倍程度もあること;国会の主役が田舎の利益を代表する者達で構成されていること。この二点に先ず気付くべきである。しかし、日本国民が主権者としての尊厳を踏みにじられても、現在の支配機構に従順に従う家畜のようなら、如何ともし難い。

香港のようなデモで暴れる大学生は居ない。有名進学校の高校生たちは、医者が最高の職業だと思っている。つまり、優等生と雖も、日本の政治や歴史には無関心である。「日本の建て直しという大義」を果たす姿を、想像する自分の将来の中に発見できないのだろう。

その原因が、日本の教育のなかにもある。

明治以降、西欧列強はアジア進出を実行した。アジア各国は、それに翻弄されたと思う。アジア諸国の中で特異な存在のように見えるが、日本も例外では無かったのだろう。必死になって西欧諸国に混じって、列強の一角を占めようとしたが、そのために受け入れた西欧政治文化は未消化のママだったと思う。

おそらくその事実に日本は気づいていない。その証拠に、明治以降の日本の歴史の中で中心的役割を演じた筈の英米が、正しく記述されていないと思う。その前半部分では東アジアへの進出を企んでいた英国である。歴史を再解釈する(書き換える)のなら、英国が中心的役割を果たしただろう明治維新から始めるべきだ。日露戦争で英米の国策として勝たせてもらったことを理解していたのなら、日米戦争は無かっただろう。

まともに歴史を教えられていない日本人に、政治的に振る舞えというのは無理がある。

その結果、日本人は自分だけのことだけを考える人間になった。そして、長生きと健康が専ら日本人の関心事項になった。年寄りは、老後が不安で金は使わない。企業は、多額の利益剰余金を抱えていても、デフレが怖くて投資が出来ない。自分以外に頭とエネルギーを使う方向が発見できないのである。それは、上記進学校の高校生や、進学したあとの東大生が明確に示している。

補足:

1)これは西部邁と伊藤貫両氏の話にある通りだと思う。以下のブログの7分まで参照。(7分以降は聴いていないので、引用できない。) https://www.youtube.com/watch?v=MNNeUirop3Y

2019年7月16日火曜日

乾正人『令和を駄目にする18人の亡国政治家』:宮崎正弘氏による書評に対する感想

宮崎氏のメルマガには教えてもらう部分が多く、非常に有益なのでほぼ毎回読んでいる。無料で配信されていることに先ず感謝したい。今日はマレーシアが前政権時代に中国と結んだパイプライン工事に関する話であるが、その話も非常に面白いのだが、それに引き続いて、表題の本に対する書評が書かれていた。上記書評に関して、一言書きたくなったのである。

著者の乾正人氏は産経新聞論説委員長で、30年に渡って永田町を見つめてきたという。その乾氏が、平成日本政治の「A級戦犯」を語ったのがこの本である。

宮崎さんは、この本を「中味はすこぶる面白い」と高く評価されているのだが、その引用された面白いという部分は、私にはあまり面白く無かった。上記本の内容は、本質的な面で貧弱だと思った。日本の為にも、現在と将来の日本国民のためにもなる本とは思えなかった。

1)先ず書評の概略とそれに対する簡単な私の意見を書く。 

①そもそも日本の政治評論というのは政局を論じるだけで、そのうえ人物論に傾きがちなため、大局的な政治姿勢や外交戦略に関しては語られることが少ない。テレビなどに出る『政治評論家』の多くは「政局解説屋」とでも呼ぶべき講釈師である。

この指摘には100%賛成である。政局ばかりで本質に切り込む場面を見たことがない。

②政治を動かす要素の一つはカネである。理想で奔走する政治家はまれにしかいない。「小沢一郎は権力とカネを掌中に置くことを最大の目的に永田町を半世紀にわたって歩んできた。目的がぶれない、という点でこれまた端倪せざるを得ない」と著者はいう。(補足1)だからこそ、小沢は「大変節を恬として恥じない」ことが出来るのだ。

また、「『平成の戦犯』の東の横綱が小沢一郎なら西の横綱は河野洋平である」(補足2)とし、更に宮沢喜一に関し以下の指摘をしている。

「宮沢喜一というエリート臭丸出しの男は、天安門事件で人権批判が巻き起ったが、国益を損なう行動に出た。かれの国賊的裏切り行為は西側が中国を制裁している最中に、正常化と天皇訪中を認めてしまったことである。宮沢は実行力のある政治家ではなく、問題を適格に把握できる評論家に過ぎなかった」

私は、『平成の戦犯』の東の横綱にこの宮沢喜一を推薦したい。その他この部分の紹介にも賛成であるが、宮沢評の“評論家”は、“生まれながらの官僚”にした方が良いと思う。そして、以下の安倍評を最後に終わっているようだ。

③これら悪習をぶち破り、ようやく再生の道を開きかけたのが安倍晋三だった。安部はカネに群がる政治を断ち切ろうとして、理想を掲げてカムバックした。岸信介以来、久しぶりの信念の人、だから底力を発揮した。ただ、安倍長期政権にも疲れと錆が生じており、消費税増税容認、中国への再接近、靖国神社不参拝、加憲改正議論などは、賞味期限が過ぎたのではないかと示唆している。(要約)

  この部分への反論はセクションを改めて書く。

2)中国への再接近が何故なのか、その分析がなければ、現時点での評価は出来ないと思う。つまり、トランプは本気で中国制裁をするのか、米国の本流の人たちも世界経済の大混乱を覚悟して中国制裁を続けられるかについて、安倍さんは強い疑いを持っているのだと思うからである。

米国が変節したとき、米国に盲従した日本は、両国によりゴミ箱に捨てられることになる。安倍さんの中国接近は、その可能性の方が大きいと考えた保険なのかもしれないのである。また、靖国神社不参拝は、安倍さん自身不本意かもしれない。しかし、日米戦争(15年戦争)での大失敗の責任者も合祀されているとしたら、靖国神社への参拝はどうかと思う。15年戦争の責任を明らかにするには、明治維新からの歴史の再考察が不可欠である。

100万人近い民間人の虐殺と200万人の兵士を死に追いやった責任を誰かが取るべきである。それを抜きにして、靖国参拝を要求する無神経は腹だたしい。ほとんど馬鹿だ。

更に、消費税増税だが、それに反対するのは分からないではない。しかし、日本の景気低迷を財政出動しなかった政府だけの責任に押し付ける無神経には、同意しかねる。政府参与の藤井聡氏や三橋貴明氏らは、MMT(現代貨幣理論;補足3)を引き合いに出して、消費税引き下げまで言い出す始末である。https://www.youtube.com/watch?v=0B-wvXt86Zw

基軸通貨発行国なら兎も角、このような理論を引き合いに出すのは、責任ある態度だとは思えない。そのような活動をする内閣参与を放置する安倍内閣の姿勢には反対である。日本企業の創造力の減退、日本型人事の欠陥、日本型価値観などの再考、行政の改革軽量化など、企業側にも政府側にもやるべきことが多いと思う。

3)著書を読まず、宮崎氏の解説から中身を判断して意見を書く。

この本の著者は、「日本の政治評論は政局を論じるだけで、大局的な政治姿勢や外交戦略に関しての議論が少ない」と日本の政治評論を評価し、更に、「政治を動かす要素の一つはカネである。理想で奔走する政治家はまれにしかいない」と政治家たちを評価しているようだ。

宮崎氏の評にその原因に関する議論が引用されていないところを見ると、そして、その本の表題から判断して、この本もその種の政治評論ではないだろうか。そうなら、正に目くそ鼻くそを笑うの本である。

日本の政治が本来の姿を失ったのは、日本の政治の不連続性にあると思う。それは、明治の革命である。明治の革命が、日本独自の政治としてなされておれば、折れ目や一時的断裂があったとしても、その連続性が回復出来たと思う。

つまり、明治の革命は英国などの強い影響化で行われ、日本の伝統をほとんど捨てることからスタートしたのだろう。その上、西欧の政治哲学などに学ぶことがなかったので、或いは消化不良で日本の歴史の中に同化出来なかったことが、本質的原因だと思う。そこの議論を曖昧にして、政治家だけを非難し笑うのは、おろかの極みだろう。

そして、明治の新政府の重鎮は、恐らくそのことは知っていただろう。しかし、そこで江戸時代と明治時代の間を接続することを嫌ったのだと思う。その原因は、彼らの革命は大いなるインチキだったからではないのか。つまり、天皇挿げ替えである。明治維新は日本の革命ではなく、長州の日本乗っ取り(日本の植民地化)に過ぎなかったのではないのか。

補足:

1)小沢一郎著の本「日本改造計画」は一応名著の範疇に入ると思う。それは、日本文化の中に日本政治の貧困の原因を探ったからである。ただ、この本は政治学者の御厨貴氏が暴露したように、当時小沢氏が組織した勉強会のメンバーがゴーストライターになって書いたようである。また、この本の根本的欠陥は、米国などは二大政党制で民主主義が機能していると解釈した点である。馬渕睦夫氏が度々述べているように、表舞台で二大政党制を演じていても、米国の支配層は一つである。その誤った認識の下に作った比例代表制は、政治家の質を低下させた第一の原因だと言われている。

2)韓国の捏造に基く慰安婦問題は、河野談話により火に油を注ぐ結果になった。河野談話のかなりの部分は問題ではないが、ただ、「甘言と弾圧で本人の意思に反する慰安婦集めに、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」と述べた部分は、韓国の捏造をそのまま受け入れる内容であり、その後の日韓外交を捻じ曲げてしまう結果になった。

3)政府が財政に必要な紙幣を発行し、税金での徴収は行わないという貨幣の在り方を言う。孤立した経済の国では、税金は集めなくても行政経費は全て発行紙幣で賄うので、インフレは必然である。この考え方は、世界政府が実現したときには可能だと思う。その際、資産課税(相続税を含める)だけは導入すべきだと思う。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E7%90%86%E8%AB%96 尚、現在この方式を採用出来るのは、米国などの基軸通貨発行国だけである。 もし、日本などでそれを行うと、著しい円安が始まり預金及び債権が2−3年で紙くずになるだろう。これを提唱するひとたちは、それを狙っているのかもしれない。

2019年7月13日土曜日

人命最重視の理想主義、戦争絶対反対の平和主義、「日本の本来の姿」という復古主義などの宗教に埋没する国には、崩壊しか無いだろう

小沢一郎の本「日本改造計画」では、民主主義政治がまともに機能するためには個人の自立が大事だということを明らかにした。この日本国を支えるのは日本国民各個人であり、その個人が自分の正当な権利を主張することが、民主主義(民主共和制)の原点だからである。

その民主主義の原点は、ギリシャやローマの時代に遡る。そこで、貴族的共和制から民主制への移行は、一般民の兵士としての活躍があった。日本で武士が政治の実権を握ったのも、夷狄や内乱に対応出来るのは武力だったからである。

生物の方でも、単細胞から多細胞生物、更に哺乳類への進化の背景には、常に外敵との戦いの歴史があったことは明らかである。従って、理想主義、平和主義はそのまま民族の崩壊に繋がるということになる。

つまり、国家の中で平和主義や理想主義が席巻するときには、その国家をコントロールする企みやその国家を崩壊させる企みが裏に存在する。それは、下記の馬渕睦夫氏の動画が解説しているとおりである。 https://www.youtube.com/watch?v=xxC2giu1bjk&list=LLfAlDzY3ieElTXtmdKHY84Q&index=7&t=551s

馬渕氏が言っているのは、タフトに代わって何故あの理想主義(インチキ)のウィルソンが大統領になったかという話であった。この当たりから世界政治は、表層の理想主義と深層の現実主義という二重構造において、後者が主になった。

現在の日本は表層がほとんどであり、この点からも崩壊の前夜にあると考えても過言ではないだろう。その時限爆弾的装置の組み込みは、平和憲法やWGIP(war-guilt information program; 日本は悪いことを考え実行したので戦争になったという布教活動)として、米国が企んだのだろうが、その宗教を払拭できなかったのは、日本人とその文化に原因を求めるべきだろう。

その文化とは、学ぶことは重視するが、自分で考え主張することは軽視(蔑視)するという特異な文化である。明治の革命も自国(自分たち)で考えて為し得たことではない。主として英国の影響が大きかっただろう。最初は、薩長の攘夷運動とそこから派生した討幕運動に過ぎなかった。その革命の動力(エネルギー)の出処や経緯をその後考えなかったことが、自己過信になり昭和の国家崩壊に繋がった。

2)日本文化において、“自国(自分)で考え主張することの軽視”とは、自分で考える人物にリーダーとしての地位を与えないことによる。それは、念仏重視、論理軽視、「和を持って尊しと為す」、人命最重視などの文化に原因がある。

それは、別表現では人柄重視、頭脳軽視の文化である。責任や説明などを軽視し、思いやりや忖度を重視する文化である。節約を重視し、大胆な切り捨てや投資を忌み嫌う文化である。恒常を好み、変化を嫌う文化である。

その一例は天皇元首制である。太平洋戦争時の特攻隊員には、国体護持つまり天皇陛下のために死ぬことを要求した。その愚かな政治形態を未だに日本の本来の姿だと信じている人が自民党などには多い。時代は変わった。天皇は伊勢神道の中で、天皇家の論理で永続的に維持されれば良いのである。(補足1)

そもそも、「日本の本来の姿」など有る訳がない。存在するのは、日本に済む住人であり日本国民である。その繁栄を考えるのが、日本の目指すべき政治である。「本来」という恒常的なものを求める愚者は、政治の舞台から降りるべきである。

また、北朝鮮といえば拉致問題、韓国といえば必ず馬鹿にするなど、思考停止する日本人には将来はない。拉致問題は日本の沿岸警備などの行政ミスであり、今となっては(戦争で取り返す以外の)外交問題として考えるのは間違っている。

韓国や中国が反日反日帝で国内を引き締める方法を馬鹿にするのは愚かなことである。日本がそんな方法が通用する国だということに気付くべきである。

(素人が直感で書き殴った文章です。批判と議論は大いに歓迎します。)

補足:

1)天皇家は外交の表層で非常に大きな力となる。その天皇家が日本の宝でありえるのは、それにより生じる弱点も意識し避ける方法を確立した後である。もし、現実的・深層的外交ができなければ、戦前のような天皇に頼り、天皇とともに倒れる日本国になるだろう。

2019年7月12日金曜日

日常の自然科学:歩行の振り子モデル&アポロ11号月着陸捏造説

比較的簡潔で平易な解説については、

7月20日の記事

をご覧ください。

歩行は、人の最も基礎的な移動手段である。車も馬も利用できない原始の時代から、エネルギー消費をできるだけ避けて、長距離を効率的に移動する方法として人に備わっている。その目的の為に、歩行の各ステップは非常によく出来ている。素人ではあるが、思いついたことがあるので、今回は歩行の基本的性質について、非常に粗いレベルであるが考察してみる。

結論として:
①歩数は、振り子の原理に支配され、重力の平方根に逆比例し、足の長さの平方根に比例する。

このモデルでは、足が膝で折れ曲がるように出来ているのは、時間当たりの歩数を稼ぐためである。また、急ぐ時の歩行で、大きくなるのは歩幅であり、単位時間あたりの歩数ではない。(補足1)http://www.training.co.jp/nf/mWWJJ.html

つまり、この足を前方に動かすこの部分では、人は力を使わず単に重力による振り子運動で行われるということである。(補足2)その結果、歩数は脚の長さと重力によりほとんど決まる。この歩行の振り子運動で足が運ばれるということ、およびその数値的解析などから、NASAが公開しているアポロ11号船員の月表面での歩行は、地表での歩行の映像操作したものであるとの疑惑に至る。

②月の表面での単位時間あたりの歩数は地球上でのおよそ40%に減少する筈。

この歩行モデルでは、月面では2歩(振り子運動としての一周期)歩くのに約2.5秒かかる。しかし、慎重に歩いている筈の月面歩行なのに、2歩2秒以下で歩いている。<U>また、何十年間も地表での歩行に慣れた人間は、容易には月面歩行できないだろう。この困難に対する、明確で実感のこもったコメントが飛行士からなかったのなら、地球上での撮影の証拠だろう。(補足3)

最初から、非常に慣れた感じでフィルムに収まっているのは、非常に不自然である。 https://www.youtube.com/watch?v=S9HdPi9Ikhk (尚、動画の48分以降の数分間の画像を倍速再生すると、地表での歩行やスキップによく似ている)

おそらく地表での歩行の映画を、半分速のスローモーションをNASAは公開しているのだろう。その疑惑は以前どこかのサイトで見た記憶がある。尚、アポロ11号の月面着陸ねつ造であるとの指摘は、既にこのサイトで行なっている。以前の記事は:=>https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2016/12/11.html

1)歩行のプロセス



下図は歩行のプロセスを考える際のものである。足の骨を線で、関節は円であらわしている。
 (図中の関節の動きは無視してください)

上図右は人の首から下の骨格を表している。左は歩行プロセスの半周期分について、片脚の形の変化を示している。

A) 歩行の駆動力は体が前かがみになることで、後方にある太ももを前方向に振り子運動させる。この動きが左の図の①と②の部分である。この間に、太もも部分は支点Aの周りに振り子運動を行う。この振り子運動に膝以下は取り残される。この部分で約1/4周期分である。

B) ②と③の間は膝部分以下の振り子運動である。この時、もう片方の後方に残された脚は、地面を蹴る。その蹴りでの加速と太腿の振り子運動で加速された太腿の運動のエネルギーは、足の下面が地面につくと同時に全身を上に持ち上げる為に用いられる。そして、もう片方の脚の振り子運動の開始点に至る。歩行のためのエネルギーはほとんどこの体の持ち上げ(後方の脚の蹴り)に消費されるだろう。

C)その後の半周期には、反対側の脚がA)とB)の運動を繰り返す。

ここで、人の歩行の周期を決定するのが、上記振り子運動であるとすれば、A)での太ももの動きやB)での膝以下の動きは、他の体の部分に影響を与えずに地球の引力とその部分のみの力学的関係で解析可能である。つまり上半身の水平方向の等速並進運動は、地表と接触する反対側の足による蹴りで維持される。この蹴り運動によるエネルギー消費は、上体の上方向への持ち上げに用いられ、A)での太腿の振り子運動が可能となる。

この二つの振り子的運動は、位相がおよそ90度ずれている。また、A)の振り子運動の周期とB)の振り子運動の周期はほぼ同じになっているだろう。つまり、支点Aから重心Cの距離と、支点Bと重心Dの距離はほぼ等しく設計されているようだ。これは絶対的要請ではないが、少なくとも、片方の脚のA)の太腿の振り子運動の部分を時間の関数として抜き出せば、それは全歩行を通じて同じサインカーブに乗らなければ、歩行のエネルギー効率は下がるだろう。

全体の歩幅を大きくするには脚の長さを長くしなければならない。一方、歩行の周期を短くするには振り子運動における長さを短くしなければならない。その要請を実現するために、脚を二分割してその質量の大部分を太腿に集結し、その部分の振り子運動を主要な脚の運動にするように、脚は設計されているのだろう。

B)の振り子運動で足が地面に着く時、足による突っ張りともう一方の脚による地面の蹴り、太腿の前方に加速された運動のエネルギーにより体全体が持ち上げられる。この全身の上部への持ち上げによる位置のエネルギーが、もう一方の脚による一連の運動の出発点に体をセットする。後の半周期C)は、もう一方の脚が同様の動きをするが、先に考えた側の足は、上体の前方への動きによって振り子運動の右側(後方)に送られる。尚、後ろの脚による蹴りは、急ぐときほど大きいようだ。

この振り子運動の周期は、T=2π・SQRT(L/g) で与えられる。SQRTは平方根の意味であり、LはAからCまでの距離(振り子の長さ)、gは重力加速度であり、地球上では9.8 m/s2、月表面では1.62m/s2である。この式にL=0.25m; g=9.8を入れると、周期は約1秒、g=1.62を入れると、2.47秒となる。この1周期で、左右一歩ずつの計2歩となる。

2)月面歩行のインチキ:



以上の纏めると、脚の長さが1m近くあっても、上記振り子運動を周期約一秒で行うように設計されている。脚を二分割し振り子運動のLを半分にするのである。式を再録しておく。

 T=2π・SQRT(L/g)   (1)

この式を眺めると、歩行のスピード(時間当たりの歩数)は重力に大きく依存することが分かる。我々は地表の重力での歩行になれているから、おそらく月面に立ったのなら、最初の歩行時には、転んでしまう程の大きな違和感を感じる筈である。(補足3)

もし、宇宙船の船長が最初の偉大な一歩を月面で踏む時、その異常な感覚について何も言わなかったのなら、その一歩は捏造の一歩である。そして、その最初の不自然な一歩が、中継された画面で全ての人に分かるはずである。そのような場面がなかったのなら、そして、月面にくっきりとした靴跡を残すようなしっかりとした一歩なら、その着陸の場面はやはり捏造疑惑を払拭できないだろう。

無重力の状態での歩行は不可能なのは実験するまでもない。月表面の1/6の重力下でのゆっくりとした歩行も、慣れるまでに数日かかるほど難しいだろう。そして、その予測が出来ても、人間の感覚を予測し、それを地上で再現することは非常に難しいだろう。上記youtube画面で見る限り、そのような困難は見られないし、飛行士によるコメントもない。これは捏造を強く示唆している。

上記解析は、我々が日常の歩行における、ある事実を示している。それは、ゆっくり歩く場合と急ぎ足で歩く場合で異なるのは、歩幅であり歩数ではないということである。http://www.training.co.jp/nf/mWWJJ.html

このサイトによると、ゆっくり歩く場合の歩幅は身長の約0.37倍、普通歩きの場合は約0.45倍、早歩きの場合は約0.5倍である。身長が175cmだとすると、普通歩きの場合の歩幅は約78cmであり、上記の足の部分の長さが約1m;振り子運動のLが0.25mだとすると、一分間歩く距離は約94mということになる。

これは実際の歩行に近く、上記モデルが正しいことを示している。

この歩行を月面で行うと、進む距離が約40%に減少する。月面での歩行とされる上記動画https://www.youtube.com/watch?v=S9HdPi9Ikhk

の46分20秒以降の歩行は慎重にゆっくりと成されているが、上記歩行のモデルを頭に入れて観察すると、やはり地表でのもの(そのスローモーション動画)と言わざるを得ない。また、上記歩行モデルとは必ずしも関係しないが、46分41秒付近の向かって一番右側の飛行士の両足ジャンプのような動きは地表でのものである。

補足:
1)振幅が大きくなると、時計の振り子も単振動の周期からずれる。従って、歩数も急ぎ足とそうでない場合は少しは異なる。

2)上記歩行の振り子モデルの解析は独自に考えたのだが、歩行と振り子でgoogle検索するとリハビリ関係の分野で既に研究されていた。その文献として、以下のサイトを見つけた。https://pt-matsu.com/gait-analysis/#i-19 このサイトの図に上に描いたのと同じ様な図がある。上記のような数値的解析もどこかにあるだろう。

(振り子モデルの図は、どこかから取った。解析はそこにはなかったと記憶する。「独自に考えた」は誤解を招く表現なので、訂正しておく。2020/7/6) 3)人類初の地球周回で、ガガーリンは「地球は青かった」という印象的な言葉を発した。本当に月面歩行したのなら、この大きな違和感がアームストロング船長などの口から、何らかのメッセージとなっている筈である。歩くというが、こ図の1〜2の足の運びは、自分の意思で行うのではなく重力による自然な揺れである。その地上では意識しない足の運びの部分を意識してしまえば、非常に不自然な足の運びになるだろう。 「これは人間にとっては小さな一歩だが, 人類にとっては大きな飛躍である」などというのは、臨場感がなく地球上で考えた台詞に違いない。月に降り立った後の最初の一歩で、上記モデルのA)のところで、太腿の振り子運動が遅く、普通なら前のめりになるか前に倒れるだろう。

2019年7月10日水曜日

日本から輸出したフッ化水素が韓国で一部行方不明になっているのなら、その明確な証拠を公開すべき

1)本当に日韓両国民の和解を望むのなら、そして、日本国の名誉を守る気があるのなら、日本から輸出されたフッ化水素の北朝鮮への横流しの証拠を出すべきである。

この疑惑、ヤフーニュースで引用されたデイリー新潮の記事に掲載されている。それによると:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190709-00570667-shincho-kr

7月4日: ①萩生田幹事長代行が7月4日のBSフジのプライムニュースで、「過去輸出した分の行き先がわからないような事案が見つかっている」と韓国向け輸出規制強化の動機を話した。

7月5日: ②フジテレビLive News it!で与党幹部は「軍事転用可能な物品の韓国からの行き先は北朝鮮である」との話を伝えた。 ③BSフジ・プライムニュースで小野寺前防衛大臣は「行方不明になったウラン濃縮に使える物質に関し、韓国政府に問い合わせたが返事がない」ことを明らかにし、それが対韓国輸出管理の強化の理由だと話した。

7月7日: ④フジテレビ「日曜報道The Prime」で、安倍総理は、「(韓国側に)不適切な事案があった」と韓国向け輸出管理強化の背景を説明した。しかし、「大量破壊兵器の製造に転用される物質が北朝鮮に流れたのか」という質問には、「この場で個別のことについて、申し上げるのは差し控えたい」と逃げた。

以上の自民党及び政府のこの件に対する姿勢は、理解に苦しむ。証拠があるのなら、全部しっかりと出すべきである。 「“個別のことについて、明らかにできない”と言うだけでは、上記①〜④は自由貿易の精神に反する決定だとの印象を差し当たり払拭することが目的のデタラメではないのか?」 と意地悪な解釈をされる可能性がある。

日本人は事実を明らかにして、議論或いは口論するのを何故か嫌う。その口論の末に、本当の和解があることが分かっていない。政府要人もその例外ではないのだろう。

国際関係も同様である。もし、それが戦争に発展するとしても、(核戦争に発展しなければ)その戦争が和解のプロセスである。戦争ができない国の間では(例えば、日米の間など)、本当の和解もできない場合があるだろう。

2019年7月6日土曜日

言葉が人間をつくるのか、人間が言葉をつくるのか?

1)同じようなことを書く人だと思われるだろうが、今回も「言葉の謎」についてこだわって文章を書く。きっかけは、6月27日に書いたブログ記事「持続的鎮静は法的議論を経ぬままに拡大加速化されるだろう」(Abemaブログ上)に対してもらったコメントである。

米国在住のハンドル名chuka氏からもらったそのコメントを以下に記す:

ご紹介されたNNK安楽死の一コマでは、同病で悪化し、喉チューブで呼吸している女性に医師が「おやつとる?」と話しかけていました。静脈からの全栄養注入におやつという幼児語を使うなど、バカにしています。また患者が幼児並みなら判断力に問題がありますが、この医師は、はい、いいえを目の反応で理解することが出来る?と主張!エンドオブケアの目標は人間としての尊厳の維持です。大体において日本ではまだ自分を神様と見なして勝手な判断する医者が多過ぎる。問題です。

このブログ記事についてのコメントのやり取りを読むと、改めて面白い内容だと思い始めた。その結論を書いたのが、表題の「言葉が人間を作る」という文章である。つまり、我々は教育を受け、あらゆる角度から日本の言葉を学ぶ。それが、個性により屈折したり増幅されたりするが、夫々の人間性となって、“社会の中での衣”として織り込まれることになるのである。つまり、言葉により哺乳動物の一つの「人」が、社会性を帯びた「人間」となるのである。(補足1)

日本の医者が傲慢だとすると、その傲慢さの源流を辿れば、日本語に突き当たると思うのである。ここで日本語とは、日本社会の“空気”が書物の上に“凝縮”したものである。逆に、日本社会の空気は日本の多くの書物から“蒸発”したものである。ここで凝縮と蒸発という理系の言葉を用いたが、それは著作となること、及び、そこから人々が学ぶことを意味する。自分勝手な評価かもしれないが、面白い比喩だと思う。

上記のコメントのやり取りで、chuka氏は「エンドオブケアの目標は人間としての尊厳の維持です。日本ではまだ自分を神様と見なして勝手な判断する医者が多過ぎる。」と指摘しているが、その文章のキーワードは「尊厳」だと感じる。 そして結論として、医者だけでなく、日本人の多くは尊厳という言葉を理解していないのだと思うのである。

「尊い(とうとい)」と「厳しい(いかめしい)」が一つの単語「尊厳」を作る。そんな単語が日本人一般に理解できる訳がない。ここで理解とは、言葉が自分の頭脳の中を通り、消化吸収されて、自分の心に響く形で自分の語彙となることである。テストで漢字が書けることではない。

私が理解する尊厳は、英語のdignityである。つまり、英訳することで英語圏での個の自立の習慣を思い出し、なんとか理解しているのである。Chuka氏は米国在住故、私の理解とは若干異なるだろう。しかし、やり取りが成立しているとすれば、尊厳という言葉に似た理解をしているからだと思う。

2)病院での患者と医者の関係は、社会的関係である。患者はベッドの上に一人でいるときには、“自分に戻る”だろう。しかし、医者や看護師(補足2)が来た時には、体の自由は効かないが社会人として対面する。従って、医者も患者も、人間性という衣を着た状態での関係を保つ。

患者は自分の病の説明のとき、そして直接体を見せて診察を受けるときには、自分の私的部分の一部を開示する必要がある。その微妙な関係のときに、医者は自分自身の人間性が問われる。患者のdignityを侵害しないことが、医者としての義務である。その自覚は、医者としてのイロハだろう。(補足3)

上記chuka氏のコメントは、その医者が、医者としてのイロハすら学んでいないことを指摘しているのである。医師は、日本では学業成績の最優秀な学生が目指す職業である。それ自体も異常なのだが、それでも尚十分に社会性を持てない医者が(多分)多くいることは、日本文化の弱点なのだろう。

ある人の人間性とは、その人が社会で見せるその人の制服のようなものである。社会での人と人の関係は、人間性という衣を来た形での関係である。(補足4)「自分に戻る」とは、その衣を脱いだ状態である。この両方の状態を峻別する能力が、私の云う「個の自立」である。

人は社会を作って生きている。社会なくしては、一片のパンも手にする能力もない。従って、人は社会的存在としての自分と、私的自分との峻別をしなければならない。人間と言う言葉は、社会に生きる人の意味である。

日本の文化の弱点は、個の自立が十分確立していない点である。個の自立は民主主義社会を作る上で必須である。それを指摘したのが、小沢一郎のゴーストライター達が書いた「日本改造計画」である。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2014/12/blog-post_2.html

補足:

1)人間とはもともと「世の中」「世間」「人の世」を意味する仏教語に由来すると書いている記事がある。http://ot7.jp/archives/693 私の「人間」の定義は元々このような理解を背景にしている。つまり、「人間とは、社会性を持った人」である。人とは、哺乳動物の一つのホモ・サピエンスを指す。

2)看護婦が女性差別用語だというので、看護師という言葉が使われている。しかし、何故「看護士」という漢字を用いなかったのか、非常に不思議である。日本の病気を指摘するのは、看護師という言葉だけで十分である。勿論、医師も本来医士がふさわしい。士と師の区別さえ出来ないにも係わらず、漢字検定などで漢字の能力をテレビなどで競っている。これらの言葉は、無知な或いは卑怯な人間が、この言葉を決める立場に出世していたからである。日本医師会の票を当てにする自民党議員が直接関係しているか、その自民党議員を忖度した文部官僚の可能性が高い。

3)医者としてのイロハだというのは、非常に厳しい評価である。今後、介護などを受けることになれば、個人の尊厳という言葉を知っているので余計に、その境遇を地獄だと感じるだろう。

4)「社会での制服」は、人間全てが着る。警察官や裁判官、医師や看護師などの職業では、文字通り制服を着る。制服は、その人の社会での振る舞いに大きく影響する。

2019年7月4日木曜日

議論なき国家の直情的な対韓国経済制裁:今回の国家的決断は広い視野での議論を経由していないのでは?

現在西欧文化圏にある国々が世界の中心的プレイヤーであるのは、議論の文化を持つからである。西欧はギリシャの昔から、議論を通して優れた知恵を育てる方法を知っている。その代表的成果が科学である。現代科学は、西欧の自然哲学者(科学者)が議論し、それを長期にわたり継承し積み上げた結果である。

日本は幕末から明治初期に掛けて、西欧政治文化を輸入して大きな成功を収めた。しかし、その方法論の底にある哲学を継承せず、明治の元勲亡き後は、議論の無い闇の坂道を転げ落ちたと思う。

韓国への半導体製造のための原料禁輸措置を知り、その日本の国家的決断が、広い視野の中での議論の結果として出されたのだろうかと言う疑問が心に浮かんだ。

1)ある問題が生じたとする。中心的な人物がその解決法を提出したとしても、大抵は最善策からは程遠い。それを優れた知恵にまで高めるには、別の視野を持つ人が議論に参加し、最初の意見の部分的否定と新しい方法の提出があるべきである。その議論に参加する人が多いほど、幅広い視野から優れた知恵が育つ可能性が高い。

日本には残念ながら、そのような議論の文化がない。日本における至上の価値は静寂である。慎み深い人や“有徳の人”は、意見を述べて静寂を破ることを慎む。(”世間を騒がす”は、拙い行いの形容となっている。)その為、人物の評価は極めて困難であり、人事は主に出自、学歴、家柄などの肩書でなされる。そして、ある人の意見の重要性は、その内容よりもその固定化された肩書による。その結果の検証も議論がないので成されない。

したがって、有力者の発した言葉は重く、その分身の如く受け取られる。それは言霊文化の背景でもある。一つの意見に対する反論は、そのままその意見の主に対する人格攻撃に近くなる。そのため、ほとんどの人は言葉で何かを主張することや、人の意見を批判することを危険な行為だと考える。

  日本が、20世紀の前半に国家が一度ほとんど滅んだのは、その議論を避ける文化の所為であると私は考えている。この場合、その議論の舞台は御前会議である。

2)日本は当時、重要な国策を天皇が臨席する御前会議で決定していた。そこで、天皇はほとんど自らの意見を出すことはなかった。御前会議で天皇に何らかの役割があるとすれば、議論(口論から闘争に発展する可能性が高いので)を抑制することにあったと私は理解している。そして、御前会議が終われば、原案に修正がほとんど成されずとも、重さを大きく増す。

「和を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ」が、御前会議における天皇の視線による指示であっただろう。決して、「万機公論に決すべし」では無かった筈である。それが外交の場面でどれだけ不利か、知的な人なら直ぐに分かるだろう。もし後者なら、天皇は自らも発言した筈である。発言しない有力者の出席は、他の出席者の議論には有害無益である。

今回の対韓国経済制裁は、G20の会合で議長国としての総理発言に矛盾するだろう。(補足3)自由貿易の重要性とか開かれた国際関係とかを強調しながら、数日後に自分の言葉を否定するような外交は、日本に対する信頼感を減じる可能性が高い。その経済制裁という手法は、トランプ流に似ている。日本は、世界一の経済大国、世界一の軍事大国、そして国際決済通貨を発行する世界のリーダー米国の大統領の真似はすべきでないと思う。

しかも、現在の米国大統領は明らかに多極化の世界を目指している。トランプは、日本に米国の核の傘も、安保条約も、対米輸出の利益も、これまで通りには許さない方向に日米関係を導くだろう。その近い将来を念頭に、今回のようなドラスティックな外交政策は疑問である。

今回の対韓国のフッ化水素などの禁輸措置の準備は、政府の一部で綿密に成されただろうが、所詮狭い視野の下での議論しか経ていないだろう。勿論、条約の意味も理解しない隣国による日本資産の差し押さえは暴挙である。しかし、それに対抗して、全世界のサプライチェーンを不安定化する類の経済制裁は、世界から非難を浴びるかもしれない。そして、自国の国際的信用を毀損するという大きな損害が伴う可能性が高いと思う。

3)このような唐突な決定は、過去にもあった。小泉内閣のときの強引な皇室典範改訂の動きもその一つである。あの議論ではなく権威付けのためだけの有識者会議を思い出せば、日本の病根を見るような気になる。元東大総長が座長を務めたが、彼は工学を専門とする日本文化に全く無知な人間であった。

最近、IWCから撤退して商業捕鯨が開始された。食の文化に干渉する諸外国の姿勢は、不合理である。そして、捕鯨禁止運動の活動家らは、恐らく豪州などの食肉関係者の支援で動いている可能性がある。しかし、そのプロパガンダは、今や世界世論のなかで相当な地位を得ている。正論を翳しても、多勢に無勢である。

それを無視しての、IWCからの脱退は、一人の広い視野で外交を考える能力を持たない地方出身の有力議員の仕業だろう。ほとんど日本人全体にとって価値のないローカルな利益のために、日本全体が大きな損をすることになる。 https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2018/12/blog-post_21.html

善悪を争い、感情にうったえるのではなく、利益を考えて戦略的に外交を行うべきだと、ある本に書いてある。一人の有力者の個人的感覚や利害が、それが如何に善悪と論理に叶っていても、損得を広範な議論で評価した後でなければ日本外交に採用してはならないと思う。

補足:

1)明治の革命のとき、五箇条の御誓文が明治天皇により出された。その第一条「万機公論に決すべし」は、この議論の文化を継承すべしという戒めである。残念ながら、それは元勲の死後空文化した。
2)議論の文化に乏しい民族の中では、歴史上の有徳の人も、その後の研究で評価がひっくり返ることが多い。徳川綱吉や水戸光圀などがその例である。
3)WTOに提訴された場合、安全保障の観点からの措置であるとWTOで説明するだろうが、その理屈が通るだろうか?
もちろん韓国の徴用工問題に関する姿勢は、日韓基本条約と付属する協定に違反する。しかも、徴用工が奴隷的な扱いを受けたと嘘を前面にだした非常に悪質なものであるから、日本側の「安全保障的観点からの措置である」と言う考えは支持する。しかし、その実施には反対である。多勢に無勢の現状では、正論は通らない。折角韓国の学者が、国連で「軍艦島での徴用工は厚遇されていた」と事実を話してくれたのだから、もっとその線でのプロパガンダを積極的に行うべきであった。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190701-00000587-san-pol

(再)丸山圭三郎著「言葉とは何か」を読んで: ソシュールの言語学への入門(再録)

以下は、古い記事から比較的閲覧があったものの再録です。グーグルブログの検索機能が及ばないので、自分で読み返すためにここに再録します。(2013年9月1日投稿)

 人は言葉を話す唯一の動物である。私は、言葉に関する感心は昔から強く、日本語の特徴や成立についても特に感心が高かった。そこで、表題の本(ちくま学芸文庫、2008年)を見つけて早速購入し読んでみた。この本は主に、近代言語学の父と呼ばれるフェルナンド・ド・ソシュール(フランス、1857-1913)の言語学を中心とした近代言語学の入門書である。ソシュール以前の言語学は、 第I期:世界に色んな物や概念の存在は先験的なものであり、それに名前をつけるのが、言語であると考えられていた。その後19世紀になって、第II期: インドの古語、サンスクリットの発見に伴って、言語の歴史と起源を探ったが、結果は惨憺たるものだったということである。ソシュール以降が第III期であり:ソシュールの新しい言語論を出発にして、言葉のあり方とその構造についての考察が主な主題になった。

 ソシュールは言葉の“概念とその具体的な存在形式”を厳密に考察した。そして “人間の持つ普遍的な言語能力、抽象化能力、象徴能力、カテゴリー化能力、及びそれらの行動”をランガージュ(Langage)と呼び、色んな地域(言語共同体)での国語体をラング(Langue)と呼んだ。そしてラングは体系をなしている。ソシュールの意味する体系をなすラングとは、他(の単語)との関係において個(の単語)が意味を持つような相互依存型の体系である。そして言葉の状態とその変遷を、共時態と通時態という概念で解析した。(注1)

 ソシュール言語学で重要な点は、言葉に依存しない概念も事物(もちろん、人間が知覚し把握する事物や概念)もないという考え方である。そして、『言葉の体系は、カオスのような連続体である“世界”に、人間が働きかける活動を通じて産み出され、それと同時にその連続体であった“世界”もその関係が反映されて不連続化し、概念化するという“相互異化活動”が言葉の働きである』(103頁)と要約される。つまり、言葉は既に存在する概念にたいする表現ではなく、言葉は表現であると同時に内容(概念)であるということである。ソシュールは、その表現をシニフィアン、内容(概念)をシニフィエと呼ぶ。両者は言葉のユニットの両面であり、統合的にシーニュと呼ぶ。

 その他、言語の恣意性(つまり日本語では牛はcow, ox, beefも牛という言葉を用いるなど、国語により言語(概念)体系が異なること)、更に、言葉には外示的意味(最大公約数的意味、denotation)と共示的意味(個人的、情況的意味、connotation)があるなどの記述がある。しかし、それらは言語学的には大切であっても、私にはそれほど興味はない。

 私が最も興味があるのは、その言語の発生と人間が言語を習得する過程である。前者に関しては、言語学は既に書いた様にヨハネの福音書のことばを持て余している状態である。つまり、言語学第II期を教訓として言葉の発生に関しては議論出来そうにないとして避けた。私は、最初に書いたヨハネによる福音書の中の「始めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」という言葉の定義は、人間の智慧では否定できそうにないと思う。(注2)

ソシュールの言う相互異化過程も、その過程を仮定しただけで、我々はその結果としてのことばしか知らない。(注3)一方、後者は教育学か発達心理学の領域なのかもしれないが、恐らく未開拓領域だろう。それは、私がHP上(注4)にかいた、生物学的ヒトが人間になる過程と定義したものである。(注5)結論として、言語学は言語の発生および習得過程(人類として、そして、一人の人間としての両面での)に何も言えないのなら、未だ萌芽期の段階に留まっていると言えると思う。

注釈:

1)ある一定の時期の言葉の体系(共時態1)と次のある一定の時期の言葉の体系(共時態2)の変化、つまり体系全体としての変化を研究するのが通時的研究ということになる。その変遷のあり方を通時態というのだろう。この第5節(82-89頁)の最後に突然、共時態と通時態という言葉があらわれたので、それを用いて、自分でこの節の解釈を要約してみました。

2)あるネット記事(http://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/kenkyu/99s1/saussure.html)には「諸言語の起源の問題は一般に認められているような重要性をもたない。そんなものは、存在すらしないのだから」(『一般言語学講義』)と書かれている。言語学を理解していないのだろう。しかし、丸山圭三郎のこの「言語とは何か」には、「この問題(言語の起源)の重要性を否定したからではありません。逆に、言語の起源を探ることが、あまりにも大きな問題であるだけに、言葉そのものの本質を究明したあとでない限り下がつけられないという、方法論上の反省に基づくものでした」(48頁)と書かれている。

3)もちろん、国によって概念の区切りがことなるという、言語の恣意性はその異化過程の結果だろうとは考えることは一つのモデルとして可能である。

4)私は福音書の文章についての感想及び日本語と英語の比較について、HPにアップロードしている。

5)これについては、HPの上記文章で、幼少期に母親とその周囲から獲得する言葉によりヒトは人間に生まれ変わると書いた。
= 2014/6/18pm; 6/19am, edited;=

2019年7月3日水曜日

(再)「アメリカに潰された政治家たち」感想

以下は、古い記事から比較的閲覧があったものの再録です。グーグルブログの検索機能が及ばないので、自分で読み返すためにここに再録します。

 先日、孫崎亨著「アメリカに潰された政治家たち」(小学館、2012年9月)という本を、西友春日井店にて買った。早速速読した。この本が主張するもっとも重要なポイントは、日本の戦後政治は吉田茂、池田勇人らの対米追従路線と鳩山一郎、岸信介らの独自路線とのせめぎあいで進んで来たこと、そして、後者を米国はCIAなどの諜報機関とその手先になった人々を用いて潰してきたことで解釈できるということである。その潰された政治家として、鳩山一郎、石橋湛山、重光葵、岸信介、佐藤栄作、田中角栄、小沢一郎、など12名の名前が書かれていた。(注1)また、その手先として、政治家の他に、官僚、新聞などマスコミ、財界などに広く存在する、“人脈”(注2)を用いて来たと書かれている。

 中でも印象的なのは、60年代安保闘争に関する記述である。総理大臣岸信介の時、不平等条約である旧安保条約(吉田茂が調印した)を日本の立場を盛り込んだ形へ改定する際、安定多数の自民党政権下においては、社会党や共産党の安保破棄の主張があったとしても、国内的には容易なことと思われた。しかし、自民党の池田勇人や三木武夫は安保条約とそれに付随する日米行政協定の同時改訂を主張して、岸の安保単独改訂に反対した。(注3)

この安保改定を困難な事業にした池田勇人や三木武夫の一派による反対は、米国の工作によると言うのである。何故なら、安保改定後総理になった池田勇人は、日米地位協定(旧日米行政協定であり、内容をあまり変えることが出来なかった。)には手をつけなかったからである。米国は徐々に独自路線を歩みだす岸信介を警戒するようになり、彼を退陣させ、もっと有利な形で日米間の関係を進めたかったのである。

一方、国会の外では、左翼的思想に染まった学生たちの激しいデモが組織された。このデモの本質を示す話がある。それは過激な反対を行なった全学連(ブント)の中心的人物の一人、西部邁氏(当時全学連中央執行委員:ウィキペディアによる)は後に、こう言ったという。「60年安保闘争は安保反対の闘争などではなかった。闘争参加者の殆どが国際政治及び国際軍事に無知であり、無関心であった」と(38頁)。(注4)

この本では、安保反対デモが大きく展開されたのは、米国の意向に沿って、右翼(注5)や財界を通して、全学連へ支援があったからだということである。また、女子学生(樺美智子さん)の死亡とともに混乱が過大になると思われた時に、新聞社7社が連携して沈静化を呼びかけたことも、米国の工作によるということである。(39-40頁)兎に角、岸信介退陣により米国の目的は大部分達せられた。初めて孫崎氏の本を読んだ私には、この60年安保闘争などの解釈は驚くべき内容だったが、この時の政治の流れに関する著者独自のモデル(42頁)と具体的な名前を挙げての詳しい説明により、十分説得力があると思った。
 
 米国が嫌う日本の独自路線であるが、それは、東アジアの一員として、米国抜きの政治経済圏をつくることだろう。そして、その中心にあるのは、中国と日本の接近である。日中接近の企てを、著者は「虎の尾を踏む」(74頁)と表現している。つまり、田中角栄が失脚したのは、米国に先だって、日中国交回復を成したことである。米国は、諜報機関を使って政治家が失脚するような情報をストックし、必要な時にそれをリークして、”虎の尾を踏んだ”政治家を失脚させるというのである。小沢つぶしも、同じような解析で理解可能である。小沢氏秘書の告発やそのタイミング、執拗な強制起訴などの出来事は、三権分立近代法治国家としてはあまりにも不自然である。(注6)我々素人の国民も注意して政治の動きを観察すれば、孫崎氏の書かれた米国の対日工作を確信できるのではないだろうか。(注7)
 
 結局外交は、自国の国益を最大限優先するのであるから、米国は日本の国益など本気で考えてはいないだろう。(68頁)また、それは国際社会において正常なことである。従って、日本政界の対米追従派は、比較的無能な政治家で形成されていると思う。有能なる政治家を戦争時に失い、戦後も有能な政治家を米国の工作により潰されているということになる。対米追従は、日本国の改善すべき体質か不治の病かのどちらかである。どちらになるかは、今後有能なる政治家を我々国民が選挙で選ぶことが出来るかどうかにかかっている。私は、以前にも書いたが、一票の格差の完全撤廃がその為に必須であると思っている。
 
 この本も、発表後1ヶ月の間の3回刷られているが、その後の印刷は無い様で、テレビなどのマスコミにはそれほど取り上げられていない。(一度、テレビでみたことはある)その後、時間が経てば図書館の奥に消え、何時もの様に国民は何も学ばないだろうと思った。
 
注釈:
1)他の5名は、芦田均、竹下登、梶山静六、橋下龍太郎、鳩山由紀夫である。
2)必ずしもエージェントとまでは言えないものが多いと思う。例えば、米国の文化や政治の崇拝者や、米国との関係で経済活動をしている人など。
3)国会が紛糾することで、元々無知であった学生(注4参照)に反対の空気醸成と運動高揚の為の時間を与えるだろう。
4)西部邁は高校時代にはマルクスなど全く勉強していなかったという。一浪後東大に入り、三鷹寮に入寮して一年生の年末に共産主義者同盟(ブント)に加入している。秀才でも、国際政治などには詳しくはなれないだろう。大勢の闘争に参加した一般学生に至っては、尚更のことだろう。
 
5)戦前の日本共産党の指導者で60年当時は「反共右翼」としての活動を行っていた田中清玄から資金援助を受けていたということである。(wikipedia参照)にもこのことは記述されている。
6)東京地検特捜部は、GHQの管理下で日本国内に隠匿された物資を探し出す部門として組織された「隠匿退蔵物資事件捜査部」が前進だということである。(102頁)
7)鳩山由紀夫氏は、日ソ共同宣言に調印しソ連との国交を回復した鳩山一郎を意識して、無理な独自路線を走ったのではないだろうか。なお、長期政権を作った元総理大臣は全て、対米追従派ということである。

(再)潘基文(パン・ギムン)による国連事務総長時代の日本批判について

以下は、古い記事から比較的閲覧があったものの再録です。グーグルブログの検索機能が及ばないので、自分で読み返すためにここに再録します。(2013年9月1日投稿)

潘国連事務総長は、「日本のリーダーには(歴史問題に関して)深い省察と、未来へのビジョンが必要だ」(http://www.j-cast.com/2013/08/29182501.html)と韓国で帰省中に発言したということである。これは、明らかに国連事務総長という立場を忘れた発言であり、潘氏のその地位への適性が問われるべきである。

 安倍総理は、しかしながら、「歴史の問題については専門家の議論に任せていくというのが安倍政権の基本的な方針だ」という逃げの姿勢を貫いており、官房長官も潘事務総長の中途半端な訂正発言を有り難く頂戴して、早々に矛を収めてしまった。国連事務総長に、あなたの仰る「未来のビジョンとは何ですか?」「ひょっとして、日本が中国や韓国のプロパガンダ的歴史認識をそのまま認めることですか?」と強く問いただす機会であったのに、それを逸した内閣の無能さにはあきれる。これでは、「詳しく調査すれば、事務総長の言ったことが正しいということが解る」ということを認めたことになるが、それで良いのか?中途半端な和は問題をもっと深刻な形で将来に送ることになることが未だに解らないのか。(注1)

 彼ら内閣の政治家と比較して、橋下氏は明確な立場をとっている。例えば、「当事国を含めた国際的調査団を組織し、例えば、当時の日本国家が朝鮮半島の女性を強制連行して、所謂“従軍慰安婦”としたとの証拠が得られたのなら、日韓の講和条約とは別に、公的な謝罪と当事者への補償をすべきである」である。私は、この様な方向が、日韓の歴史問題、日中の歴史問題の未来志向な解決策であると思う。この際、潘国連事務総長に、東アジア歴史問題調査団を、西欧諸国やアジア諸国の中立的立場をとりうる当時の政治家や歴史家を中心に組織し、詳細に調査研究することにより、東アジアの近代歴史の確定を行うよう提案したら良かったと思う。

 ここで一つ追加したいのは、日本のマスコミのレベルの低さである。先日日本維新の会の政党パーティーが開催され、橋下氏が憲法問題などについて演説したとのことである。しかし、日本の全てのマスコミは取材しなかった。その理由は、明らかにしないか、政党パーティー券購入することは特定の政党支持につながる、という下らない理由である。何らかの協定を水面下で行ったのかと疑う。パーティー券15000円が、特定の政党支援につながるというのは、東証一部上場の企業の台詞ですか?取材費に計上して、日本維新の会の主張を橋下氏の演説から汲み取り、疑問点があれば質問を堂々とする良い機会だったと思う。どうせ、Ohさんレベルの解説委員を使っている会社なので、そこから選りすぐりを派遣しても、かえり撃ち質問が怖かっただけだろう。(注2)

注釈:
1)「歴史的事象に関する評価は、当時の感覚を取り入れて行わなければならない。」というのは、部分的に正しいと思う。政治家は、歴史書はどのように書かれて行くかをもっと研究すべきであると思う。つまり、政治をリアルタイムで進めて行くために、一定の時間内に歴史の評価を一旦暫定的に決めるのは政治家の仕事であると思う。その後、現実の政治とその歴史的事象が深く拘らない時代になって、詳細に歴史を確定するのが歴史学者の役割である。つまり、先の大戦の歴史は、未だ、現代政治に影響を持つ、政治家が関与すべき段階であるので、歴史家に任せるという発言は、”単に逃げている”ととられても反論できない。
注2) 「たかじんNO マネー」の番組で、水道橋博士の番組降板で話題になったシーン直後の、大谷氏と橋下氏の議論が非常に印象的だった。強制連行があったとして、その際の慰安婦の方に補償をすべきだと思いますか?「YESですかNOですか」という質問を何回も繰り返す橋下氏に、Oh氏はYESともNOとも答えられなかった。
ーーこれは元理系研究者の素人としての意見ですので、専門に近い人の厳しい批判をお願いします。ーーーー

(再)ワイルド・スワンズ(Wild Swans)の感想;古い中国と毛沢東の圧政について

以下は、古い記事から比較的多く閲覧があったものの再録です。グーグルブログの検索機能が及ばないので、自分で読み返すためにここに再録します。(2013年10月27日投稿)

 ワイルド・スワンはユン・チャン(張戒;Jung Chang)が著した、19世紀後半から20世紀の中国で生きた3代、祖母、母、著者の記録(ドキュメンタリー)である。親族や公人については本名で書かれている。(注1)祖母は纏足をしており、古い中国の大家族制の社会で生きた。(注2)母は中華人民共和国の成立過程の中で成人し、やがて共産党員になった。父は、党の高級幹部になったが、やがて毛沢東の圧政に押しつぶされることになる。著者は、そのような家族の中で生まれ育った。

文化大革命の初期に、一時紅衛兵になったものの、その後“造反組”による父母に加えられた、意図的誤解に基づく根拠の無い残忍な仕打ちや、既存社会の価値の破壊は、毛沢東の革命の名を冠した欺瞞的運動によると気付くことになる。そして、毛沢東の死後、ロンドンに脱出する。この本は、人類の歴史の中で培った文化という上皮を捲れば、人間は獣よりも醜い存在となり得ることを教えてくれる。(注3)

毛沢東は、国民党との戦いを指揮して勝ち、中華人民共和国を1949年に設立した。その後、農産物や鉄の増産を杜撰な計画により国民に命令した大躍進運動で数千万人の餓死者を出すという大失政を行なう。その結果、政権中枢での力が一旦失われる。その後、ソ連のフルシチョフにより批判されたスターリンが、歴史の中で負の評価とともに残ることになったのを見て、文化大革命という壮絶な権力奪回の闘争を計画実行した。

国民の中に残っている、中華人民共和国創立の英雄としての尊敬の念を利用し、“新しい体制の確立には、古い価値を全て否定する必要がある”という言葉で総括出来る、多くのスローガンを立てた。(注4)そして、最終的に劉少奇や鄧小平などを古い価値の中に含ませることで、権力を奪回しようとしたのである。しかし、毛沢東は巧みに貧しい時代の中国大衆の不満に由来する膨大なエネルギーを利用したため、破壊すべき古い価値の中に現政権の組織とその中で地位を得ている優秀なる幹部らだけでなく、人類が長い間に築いた文化や学問、多くの知識人に加えて中堅幹部から中学校レベルの優秀な先生までが含まれることになった。

そして走資派と看做された攻撃の対象は、批闘大会と呼ばれる吊るし上げに呼び出され、大衆の不満と怨念とによる復讐の対象となった。結果として、広範なレベルで中国国民、文化的施設や財産、それらの組織に、多大の犠牲を出すこととなった。それは、自分以外の全ての範囲に膨大な犠牲者を出してもかまわないという、極めて利己的な計画であった。

著者の両親も、特に優秀なる共産党の幹部であったが故に、塗炭の苦しみの中に放り込まれることになった。多くの悲惨なる挿話は、読者に人の醜さを嫌という程反芻させる。毛沢東が創った中国は、人民共和国とは言いながら皇帝毛沢東の独裁国家であり、人と人の信用や社会の信用を一挙に破壊するものであり、その回復は現在も尚なされていないことを著者は示している。

人は他人である人との間にも、信用を築くことで社会を構成し、生き延びてきた。しかし、この人と人の間の親和性による社会の信用は、生きる為のあらゆる作業の能率を協力によって向上させることを駆動力として築かれるので、非常に不均一である。我々が現在理想とする社会は、その信用が人と人との親和性から、「法と正義」により構築される社会である。(注5)法と正義による人と人の協力関係は、空気のように均質で解放的な信頼性の高い社会に必須である。中国でも他の東アジア諸国でも、法と正義による国家形成の考え方は西欧から輸入されているが、未だに十分な形にはなっていないと思う。(注6)
 
注釈

1) この感想文は、ワイルド・スワンに書かれた内容を事実と捉えて書いたものです。

2) 纏足や大家族性(数代に亘る家族や妾とその子らの同居)は、極端な男女差別により可能になった。

3) 他の動物の生態を見ても、自然の中で生きる厳しさを感じるが、ルールとは言えないが、型にはまった生き方をしており、あまり汚さを感じない。人は知恵を持つ動物であり、欺瞞と暴力を巧妙に用いた手段で有利に生きる姿は、他の人(或は神)から見て、汚いと映る。

4) 古い価値とは、「古い時代の優秀なるもの」ということになる。そして当時の劉少奇や鄧小平の、大躍進運動で疲弊した中国経済の立て直し政策の中心となった政権を、古い時代のものとすることで、彼ら指導者を失脚させるのである。

5) 経済構造の変化により、古代には既に貴族と農民などの身分社会が出来ていた。西欧では、その貴族の間に法と正義という概念が産まれたのは、おそらく人が神と直接つながる一神教の役割が大きいのではないだろうか。つまり、ユダヤーキリスト教では、神(聖書)以外にオリジナルな権威を認めないのである。そして、善良なる人は全て、神の下に平等(経済的や知的には平等ではないが)であるという考えが、「法と正義による社会」の誕生に必須であったのではないだろうか。

6) 文化大革命の時代には、毛沢東の写真が掲載された新聞紙は、包装紙として利用できないだけでなく焼却さえも出来なかった。現代でも、韓国の裁判所は対馬の寺からの盗品を国内に保持して返却しなくて良いとの判断をしている。日本では、一票の格差は2倍以下なら、憲法に違反しないという判断を最高裁はして来た。最近では、国家公安委員長が、制限時速60kmの表示があっても、流れに乗れば70km/hで走っても良いという発言をしている。東アジア全体が、或は儒教圏と言っても良いが、人治国家(法治国家といいながら)の伝統から完全に抜けきれていないのである。