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人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2014年12月30日火曜日

貧富の差の拡大:ピケティ入門の為の本を読んでの感想

==この本、英訳版pdfは以下のサイトで自由に読めるようです。http://resistir.info/livros/piketty_capital_in_the_21_century_2014.pdf イントロを少し読みました。マルサスから始まって、マルクスやエンゲルスなど、資本についての考え方の歴史的なレビューがかかれています。やはり原著をゆっくりと読むべきだと思いました。(2015/1/1)==

池田信夫氏による「日本人のためのピケティ入門」を買って読んだ。これを読めば、英訳本700頁に及ぶ本の概略が判るというのだが、内容はほんの僅かであり、本当にこれで入門できるのかどうかは判らない。昨日本屋でこの本がこの分野の人気第二位だということだった。そこで、その本の大凡の内容と感想を書くことにした。

21世紀の先進国では、資本による収益率(γ)があまり変化せず、一方で成長率(g)が低下する(注1)。そのため、資本の蓄積が起こるが、所得はそれほど増加しない。そして、資本収益は貯蓄の形などで資本に追加される傾向が強いため、このr>gの関係は、資本/国民所得の比率(β)の増大を招く。(図5.3;34頁;以下図は全てピケティのHPに掲載されている)γ(資本収益率)があまり変化しないので、国民所得の内の給与以外による部分(資本分配率、資本収益/国民所得=α)が大きくなり(図6.5;41頁)、富豪と貧民の二分化が起こる。

つまり、このγ>gの関係が資本主義の根本的矛盾としてピケティの主張のエッセンスを為すという(14頁)。尚、ピケティは資本収益として賃金以外の全てをあげ、資本を資産の意味で用い、土地、工場の設備、金融資産などを含むという注釈が著者によりなされている(注2)。

これらの関係は、高度成長した資本主義国では、定常的な成長に近づくという仮定の下に成立する。ここで、資本と所得の比率(β)は、経済成長した国家では、貯蓄率/成長率に近づく。これを資本主義の第二根本法則という(注3)。また、α(資本収益/国民所得)は、(資本収益率(γ)x資本)/所得であるから、α=γxβとなる。この恒等式を資本主義の第一根本法則という(第一、第二法則:52-54頁)。

これが、この本の第三章の一節までをまとめて書いたものである。三章二節では、格差の原因が、三節では格差拡大の防止について書かれている。簡単にまとめると、大きな格差発生の原因は、新保守主義的政策、更にタックスヘイブンの出現である。その格差の固定化は、相続財産の増加とそれによる教育格差が原因である。解決には地球規模での資本課税とタックスヘイブン(オフショア)対策を、国際協調を強めることで実行する事が考えられるが、なかなか困難である。

この後半部分をもう少し詳細に書くと: 確かに、各国の過去40年ほどの資本と所得の比率は(図5.3)、1980年ころより急激に増加している。これは、先進国である英米で成長率が低下した1980年代に、所得に対する累進課税などを緩和したレーガンやサッチャーの新保守主義的政策以来強まったものと解釈される。1960年代には最高税率が80−90%だったのが、この時期に30%代に低下した(図14.1)。これが資本の蓄積とその後の経済のグローバル化で世襲的な富豪と国際的な金融資本が出来た原因である。この異常な状態から抜け出す為に、累進税率を再度高めるだけでは、富がタックスヘブンへ逃げることになる(注4)。ピケティは、グローバルな累進資本課税と、世界の政府による金融情報の共有を提案した。しかしながら、世界の主要な国が高度な協調関係を築くのは現状ではなかなか難しいとのことである(注5)。

これらの理論と富の偏在の説明は漠然とした把握というレベルでは簡単であるが、こんな内容で700頁の本になるのかと言う疑問は解けぬまま残る。「はじめに」に書かれている様に、ピケティの理論は過去の経済理論から導出されたものでなく、恐らくデータから経験的に導かれたものだろう。この理論的な部分は、本の主内容ではなく、膨大な過去200年のデータを取得して分析することなどに頁数を埋めているということである。

私(理系人間)の感想:
1) ユーロ圏は経済だけ一緒になり政治が別々なのが問題だと、昨年のギリシャ危機のときさんざん聞かされた。しかし、同じようなことが世界でも言えるのではないだろうか。経済だけグローバル化して、政治がそれに伴っていないのだ。
2) 今の世界経済に起こっていることは、この本で議論されている高度に発達した資本主義での富の偏在とは別の現象なのかもしれない。つまり、経済段階の異なる多くの国家の共存を考慮した経済モデルで理論を作る必要があるのではないだろうか。

注釈:
1)この不等式が何故成立するかの説明が全くない。おそらく、成熟した資本主義社会では、莫大な資本をもつ巨大化した企業は、資本収益率(資本の取り分)を決定する力が強いからだろう。
2)貸借対照表では資本は資産に一致する。ただ、一般家庭の家や土地は金を生まないので、この本の中での定義である資本に入れるのは無理があると思う。また、株や土地などは貸借対照表で金額に換算する際、実質的な価値と簿価では大きな差があるのが常である。しかし、そのような疑問にはこの本は答えてないし、原著に定義されているかどうかの記述もない。
3)工場の設備などは減価償却により一定年で無くなる。そして経済規模は徐々に増加する。定常的になれば、資本の額は過去の貯金が積み重なったものとなるので、その額は貯蓄率に比例する。国民所得も定常的な成長を仮定すれば、その額は低成長下でも直線的増加し、その額は成長率に比例する。
4)タックスヘブンについては、例えばhttp://www.777money.com/yougo_kolumn/yougo/tax_haven.htmを参照してほしい。
5)国際協調については2008年にBloomberg Businessweekの記事が日経により紹介されている(http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20080602/160101/?rt=nocnt)。

2014年12月26日金曜日

思考のダイナミックレンジ

 人間はある情報を受け取れば、それを頭脳で処理(つまり思考)して、それに対する行動を起こす。その行動の“大きさ”は、通常刺激が大きい程大きい(注1)。従って、限られた範囲ではあるが、人間の行動における情報処理部分の記述として、信号検出器の用語を用いることが出来る。そして、政治家などの評価がこれらの用語で直感的に記述できるばあいが多いと思う。

 信号検出装置の用語として、ダイナミックレンジ(dynamic range)の他に、上下の検出限界、上の検出限界を越えた信号に対する飽和や発振、更に信号の大きさを正しく識別出来る能力である線形性という言葉がある(注2)。これらは全て、人間の行動を考える上で有効である。例えば、発振は思わぬ状況に泣き出してしまい、その状況に対処できない状態の比喩として用いうる。ここでは思考能力において大きなダイナミックレンジを持つことが、最善の選択を得る上に大切であることを述べたい。

 ある事に対するダイナミックレンジの大きな思考は、当然その周辺の広い範囲での緻密な思考を伴う。広い範囲の思考は、想像力の大きさと高い知的能力を必要とする。また、ダイナミックレンジの大きな思考は、例えば政治の場合、悲惨な状況下においても冷静さを保ち、安易な解決に逃げるという誘惑を退ける勇気も条件となる。このあたりの記述には信号検出器の比喩では無理であるので、予め承知してほしい。

 最近の例では、米国Sony Pictures Entertainment社の映画に対する、北朝鮮の米国に対する脅しやサイバーテロの件が参考になる。この映画に関して、既に書いた様に表現の自由を主張するのには無理があると思うが、仮に主張出来ると仮定して話を進める。http://blogs.yahoo.co.jp/mohkorigori/56700446.html

 表現や学問の自由を主張する理由は、真理は広い範囲の中の何処にあるか判らない場合が多いので、人の活動の範囲に枠をはめてはいけないということである。今回の場合、「人命は地球より重い」という理由で、テロ予告に屈服すれば、将来に亘って同じ方法で脅しが行なわれ、結局人間活動において正当な自由が奪われ、大きな損害を被ることになる。そして、テロで失われるかも知れない人命とテロに屈した場合の予想される損害のどちらが大きいか、その損害の大小を思考によって決定しなければならない。両方とも大きすぎて、思考のダイナミックレンジを越えてしまうのでは、大統領失格ということになる。オバマ大統領は、北朝鮮の脅しに屈した場合の予想される損害の方が大きいと答えを出したのである(注3)。

 このオバマ大統領の判断と比較すべきは、日本で1970年に起こったよど号事件の時に福田元総理(父の方)の判断である。テロに屈服した福田さん(父親の方)は、総理の器では無かったことを示している。捕われていた赤軍のメンバーを開放した理由が、「人命は地球より重い」だった。つまり、福田元首相の思考がダイナミックレンジを越えて、発散してしまったのである。「人命は地球より重い」という表現がそれを証明している。もし、特別狙撃隊を用意して用いていたなら、数人の乗客の生命が失われたかもしれない。しかしその場合は、その後北朝鮮に拉致されることになった多くの人々の自由や命の喪失は無かったかもしれない。

==(このハイジャック事件はよど号事件ではなく、1977年のダッカ日航機ハイジャック事件でした。訂正させていただきます。2015/1/12)==

 また、この福田元総理の“決断”とその後の多数の日本人拉致事件は、日本国が国家としての威厳を保持していないことを内外に印象つけた。

 ただ、その福田元総理の判断を国民は激しく非難しただろうか?非難した人は少数であり、世界の侮蔑の声とは裏腹に日本では大きな動きもなく過去のファイルの中だけに残った。つまり、福田元総理は日本人の思考のダイナミックレンジを承知の上で、自分の総理の席と日本の国家としての損失とを測定して、総理の椅子の暖かさを選択したエゴイストだっただけかもしれない。つまり、問題は日本国民の思考のダイナミックレンジなのである。

 思考のダイナミックレンジは、その国の歴史や文化によって大きく異なる。人と人のネットワークの中に埋没する様に行動してきた国民は、生まれてからの行動のレンジが狭く、思考の幅も狭くなる。その場合の思考のダイナミックレンジは当然低くなるのではないだろうか。逆に、予想される人生の幅が広ければ、それによって生じる感情の幅、思考のダイナミックレンジ全てが大きくなると思う。

 日本には、人と人の関係が定常的になる様に、古来独特の道徳規準「和をもって貴しとなす」がある。例えば、日光東照宮にある左甚五郎の彫刻「見ざる言わざる聞かざる」が示す様に、日本人は他人に自分の意見を述べるかどうかさえ、思考の範囲に置かない様に教育されている。人命どころか、人間関係破壊の危険性さえ、思考範囲の外に置くのが日本の文化である(注4)。 最近、「嫌われる勇気」と言う本が売れているとのことである。何と言う閉塞した人間空間に住む人たちだろうか(注5)。 

注釈:
1)行動の“大きさ”は判り難いかもしれない。個人では大きな買物であったり、大きな決断であったりするし、国家であれば大きな予算措置であったり、大胆な政策であったりする。 
2)ダイナミックレンジ(dynamic range)は、識別可能な信号の最小値と最大値の比率をいう。ダイナミックレンジを越えた信号が入力されると、最大の応答を示したままである場合、それを飽和という。また、一定以上の信号入力により、急に出力が最大限になってしまう場合を発散という。線形性とは、信号がA倍になったら、A倍の出力を発生することを言う。
3)相手が中国であったなら、オバマ大統領は別の対応をとったと思う。もちろん中国が相手なら、SPEはそんな映画は作らない。また、原則論で問題を処理するなら、“表現の自由”の原則よりも“人命は地球より重い”の原則の方が、説得力があるだろう。
4)“見ざる言わざる聞かざる”は、身分が上の人の悪しき行為を見たり批判したりしないということであり、儒教の考え方“避諱”だと思う。「避諱」は、孔子が「春秋」を編纂したとき、原則にしたということである。 5)私も例外ではない。反発はするものの、人間関係の重さに苦しんだ経験をもつ。

2014年12月20日土曜日

男性社会でのSTAP騒動:理研は恥に上塗り漆掛け

 昨日から”STAP細胞再現実験終了”、”STAP細胞存在せず”、”小保方氏理研退職”などの見出しのニュースがテレビなどで頻繁に報じられている。半年前に書いた様に、科学研究に多少とも拘った者には、STAP細胞の件は論文を取り下げた段階で、全て白紙になっている。 http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/06/stap.html新しい研究なら兎も角、再現実験として国費を投じるのは馬鹿げている。科学的には幽霊であれ、その存在を否定することは出来ないのだから。残るのは国費の不正使用の疑惑のみである。

 毎日新聞のニュースには、理研の野依良治理事長の「STAP論文が公表されてからこの 10ヶ月間余り、小保方晴子氏にはさまざまな心労が重なってきたことと思います。このたび退職願が提出されましたが、これ以上心の負担が増すことを懸念し、本人の意志を尊重することとしました。前途ある若者なので、前向きに新しい人生を歩まれることを期待しています。」とのコメントが掲載されている。http://mainichi.jp/select/news/20141219k0000e040186000c.html  科学研究費の不正使用と世紀の大捏造事件の疑いの極めて濃い小保方氏に対する、所属研究機関の長の何と暖かいコメントだろうか。しかも研究所の看板研究員がこの疑惑の中で自殺に追い込まれたのにも拘らずである。小保方氏は犯罪者である可能性が極めて濃いのだ。この理事長は何と無責任な発言をする人だろうか。

 中年のうさんくさい男性研究員なら、どのように扱われていただろうか? この熟柿のように成熟し尽くした男性社会の改質なくして、女性登用の拡大を叫ぶ首相の何と愚かな事か。

男性にとっては、この世は氷の世界だ。(井上陽水の歌を思い出す)

2014年12月19日金曜日

ザ・システム日本:「なぜ日本人は日本を愛せないのか」

 カレル・ウォルフレン氏著「なぜ日本人は日本を愛せないか」(和訳)を読んだ。文章は明快であり、多くの示唆に富む記述を含むが、途中から問題の本質を外しているではないかという感想を持った。

(A)日本人が日本を愛せない主な理由として、国民が自国の歴史に決着をつけていないことをあげている。つまり、第二次大戦の総括を行なっていないため、愛国心が芽生えないのだと云う考え方である。最初に結論を言うと、私には、著者の解析には無理があるように思えた。勿論、それも理由に含まれるかもしれないが、それよりも重要な理由は、日本が市民革命を達成して民主主義体制に移るという西欧の歴史の流れの中にないことだと私は思う。それは、以前のブログで日本人に愛国心は育たない理由として書いた通りである。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/11/blog-post_19.html (注1)

 西欧の人だけでなく多くの国の人々は、先の大戦は日本国民の主体的な体験であると考えているが、典型的な日本人の感覚ではそうではない。むしろ、最近の中国周近平主席の演説にあったように、http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM13H2D_T11C14A2NNE000/一部の軍国主義者(つまり、日本の支配階級が作る行政&官僚組織)の行為として解釈する方が正しい認識だと考える。従って、国民にその歴史の消化を強いることは出発点から間違っている。勿論、著者ウォルフレン氏もこの論理の存在について気付いている。

 この本の第二部の中頃226ペイジに「責任と悔恨」というセクションがある。そこで、「欧米国の多くの人は、日本人が過去の行為について何故ドイツ人の様に誠実さと悔恨の情を示せないか屢々不審に思う。(中略)そして、日本人が自分達自身をあの戦争の被害者のように感じていることに怒りすら感じる」とある。つづいて、「真に民主的な政治環境に育った欧米人にとって、ある国民に強いられて行なったことに関しては、その国民全体に罪があるとは言えない場合もある、という理屈を受け入れるのは、極めて難しいことなのだ」とある。

 また問題の本質は、「今日の日本と戦争中の日本政府とは全く別物だということを、世界に向けてはっきり表明できる仕組みがないのである」と分析している。しかし、今日の日本が戦争中の日本政府から改善され全く別ものであれば、著者の期待するような声明が既に首相より出され、問題は解決しているのではないだろうか? 

 つまり、マッカーサーが持ち込んだ新しい日本の姿は、単に戦前の日本に似非民主主義を上塗りをしただけではないのか?。マッカーサーの役割については、第二部において異なった角度から「マッカーサーの不幸な遺産」として言及されている。天皇を戦争責任論から遠ざけたことと、それを本国が了解する様に異常な憲法を制定させて、日本が国家になることを象徴的に否定したということである(180ペイジ)。現在の日本では、憲法により骨抜きにされたものの、元々の”国家の遺伝子”により戦前の日本型システムによる国の姿がしっかりと再生されていると思う。

 本来なら、敗戦の大きな混乱に乗じて、本当の民主主義を日本に移植するチャンスだったが、敵国の将にその義務はない。また、その後の形が定まらない内なら、国家の体を回復して市民意識を醸成できたかもしれない。戦後二十年間程過ぎれば、その可能性が消え去る。当時の自民党政治家たちが、現在の政治家より遥かに優秀に見えるものの、無能であったということだろう。

 何度もこのブログに書いた様に、太平洋戦争前後の歴史を総括することは非常に大切である。しかし、それは日本国改造の第一歩に過ぎないだろう。そして、その第一歩を踏み出しても、日本国民の大半は日本を真に愛する気持ちが生じてこないだろう。それは、日本国民の大半が理屈ではなく、感情として自分達がこの国の主人公だとは思っていないからだ。古代から現在まで一貫して、国民の大多数は披支配者でありつづけた。そして、この統治する側と統治される側の分離、水と油のような関係は、太平洋戦争で一銭五厘の葉書で招集されて一命をジャングルに落した人たちの家族や親戚達の記憶が残る、現在まで続いているのだ。

 第一部の中頃98ペイジにこのような記述がある。「もし貴方が市民でありたいのなら、あなたには、社会の行方に関心をもち、必要とあらば政治的活動に自ら乗り出していく義務がある。」これには全く賛成である。しかし、序論的部分でこの言葉が出てくる所に、著者の分析における限界を示している様に思う。一定の知性ある層にかなりのパーセンテージで市民意識の芽生えを期待するには、日本の権力機構の在処が明確になり、国民と明確につながる必要がある。しかし、この前提が成立するには、次のセクションでも述べる日本型政治社会システム(The System "JAPAN")が破壊されなければならない。安定した時代には、自己無撞着的なこのシステムから脱することは不可能に思える。

書きたいことのエッセンスはこれで終わりだが、以下に、表記本の感想を著者の文章を引きながらより詳細に最初から書く。

(B) 現在、多くの日本人は自国に対する不信感を持っている。また、この国家の将来に、大きな不安感を持っている。知的で有能な人ほどこの傾向が強く、その絶望感や無力感がこの国の将来に対する関与を躊躇わせている。目がよく見え人とほど、目の前の巨大な壁の立ちはだかる様が良く見えるのである。その原因とも結果とも言えるが、日本という国を十分に愛する人が、十分な数だけこの国にいない (p21)。これには、この国の文化とともに、この国のこれまでの歴史が関係している。 

 この様な状態から脱するには、多くの真の愛国心をもつような人材を育てる必要があるのだが、著者はその為に、“日本国民が自らの過去に決着をつけなければならない”(p27)と書いている。そして、それがこの本の第二部(pp147-252)の主題である。著者が“過去に決着”で意味することは、第二部の内容から察するに、主として太平洋戦争前後の日本の歴史的事実を日本自身が明らかにし、それを正しく評価することである(注2)。 

 著者によって指摘された”日本人が受け入れるべき過去”には異論がある。先ず、太平洋戦争時の戦争犯罪として南京の大虐殺や従軍の“性奴隷”について、中国や韓国の宣伝をほぼ認めているのには同意しかねる(注3)。また、太平洋戦争の日本側の原因である、軍事官僚(関東軍)の暴走の原因は、良く言われる様に明治憲法において、日本軍は内閣の下に無かったからである。そして重要なことは、「日本には人民が政治に参加する機会も経験もなく、国を治める側と治める対象である民衆は過去から現在まで分離したままであり、西欧諸国のようにそして米国のように、市民が民主主義を獲得した訳ではない」ということである。

 つまり、決着をつけるべき政治的過去は、日本の国民一般(人民或いは市民一般)には元々存在しない。国民一般が歴史への関与として重要なのは、市民革命的経験の無さをどう克服するかと言う点だと思う。

 第一部と二部に夫々次のような記述がある。“多くの米国人は、国が何をして何をしないかを決めているのは、最終的にはその国の人民だと信じている。一方、日本人の多くは、自分達の個人的行動が日本の統治のあり方に変化をもたらすことはあり得ないと思い込んでいる。”(p71)そして、真に民主的な環境で育った欧米人にとって、ある国民が強いられて行なったことに関してはその国民全体に罪があるとは言えない場合もある、という理屈を受け入れるには極めて難しいことである(pp228-9)。重ねて言うが、“過去に決着すること”が日本国民一般にとって困難なのは、それは自分の体験では無いためである。敢えて決着を付ける為には、新たに創造しなければならない。それが、ドイツと違って、日本での戦争再評価が困難な一つの大きな理由だと思う。

 統治する側は、江戸時代では幕府であり、その下の藩主を中心にした“官僚組織”である。その官僚組織が明治時代には天皇という冠を頂いた軍官僚であり、戦後はマッカーサーを中心にした米国官僚であり、そして、平和条約以後は霞ヶ関の官僚組織である。日本の何処にも何時の時代にも、人民や市民という階層が実際に力をもったことは無かった。この市民に統治する側にたった経験を欠いていることが、皮肉にも戦後民衆が、敵国の将であるダクラス・マッカーサーを新しい統治者として歓迎したことにつながる。

 この統治する側と統治される側の分離、水と油のような関係であり続けたのには理由がある。それは、この日本の統治機構が、統治する主体と統治主の委託により行政を行なう側が建前と本音で逆転するという(特性を持つ)ということである。そしてそれが、日本の統治機構の無責任体制の原因でもある。つまり、行政を行なう側は官僚組織であるが、それには本来説明責任つまりアカウンタビリティー(注4)がない。説明責任があるのは建前上の統治主体である政府である。しかし、官僚組織は本音の世界において統治主体であることを自覚しているため、説明すべき行政の経緯、つまり歴史資料を、日常書類の様に数年後には焼却するのである。それが、官僚組織が歴史の敵となる(P156)理由だと思う。

 このようなシステムになったのは、それが本当に統治する側と建前で統治の主体である側の双方にとって便利だからである。説明責任が無いのだから、何か特別なことが起こらない限り統治する側に居続けられるからである。その結果、統治機構の廻り全てが、それを前提に最適化するようになる。そしてそれらは総合して日本型政治社会システム(The System "JAPAN";日本という政治社会システムの方が良い命名かも)を作っている。 これは島国だからこそ可能になった、世界に類を見ないものだと思う。そして、このシステムはグローバル化した時代に日本が適応する際、その障害となるのだ。

 上記最適化は、self consistentの意味であり、見慣れない言葉を使って良いのなら”自己無撞着化(注5)”と言うべきかもしれない。例えば、三権分立の原則は何処かに消えて、最高裁判所は行政の後を追うだけになっている。具体的には、自衛隊は憲法9条に照らせば、違憲であることは明確であるが、しっかりした軍事力として存在している。また、大きな一票の格差も違憲である。こちらの理屈付けは、「違憲状態であるが違憲ではない。従って、行なわれた選挙結果は有効である。」という、言語的に支離滅裂なものである。マスコミも上記システムと敢えて対立するのは、企業とし得策ではない。従って、裁判所の発表通りに報じるので、国民は法律をお経のように難解なものと考えて納得する。更に、暴力的な人たちのグループも、日本独特のヤクザという組織を作ることになる。ヤクザは従って、一定の社会的役割を果たすとともに警察や公安と一定の距離をとって、共存或いは協力してきた(注6)。それらを含めたシステムは、巨大且つ強大であるが故に、ほとんどの人はそこにすっぽりはまり込むか、遠く距離をとるかのどちらかの態度をとる。これが、島国の社会全体を巻き込んで自己無撞着化したThe System "JAPAN"(ザ・システム ジャパン)の完成された姿である 。因に、元公安調査庁の菅沼氏によれば、21世紀初頭の暴力団の収入額は当時のトヨタの利益と同じ程度、一兆円に近いレベルであったとのことである。

 日本におけるこのシステムを解体し、日本国民に市民意識(シチズンシップcitizenship)を植え付けるチャンスは大戦後にあったかもしれない。しかし残念ながら、或いは、当然かもしれないが、マッカーサーは日本の事よりも自分の名の方が大切だったのである(pp188-192)。マッカーサーは日本に向かっては、新しい国を産む苦しみよりも甘い飴玉を与えて徹底的に幼児化する方針をとった(注7)。また、戦争の原因を好戦的な日本人による軍国主義によると評価する一方(東京裁判の人道に対する罪)、それを防止する為の安全装置としての憲法9条を、米国や諸外国に向かっての説明材料としたのである。ここが、この本の中で特に重要で日本人必読の箇所であると思う。
その結果、日本に伝統的な行政システムが官僚と政治貴族との間に保存され、一般国民は統治される側として下に沈んでいる状況は不変のまま残された。

 以上から、何度も繰り返すが、日本の知識人が政治に参加しない原因、愛国者が育たない本質的な原因は、日本に市民革命の歴史がなく、また、それを近くで学ぶ機会がなかったからだと思う。そして更に、日本という社会システムが巨大化複雑化した為(ザ・システムジャパン)、チャレンジするには高すぎる壁となって前に立ちはだかるからであると思う。しかし、全くそのような愛国者が出てこない訳ではない。著者は例として、江戸時代の安藤昌益や植木枝盛などをあげている。私は、最近出来た日本維新の会の橋下氏をあげたい。知識人の一人として立ち上がり、政治家となって果敢に政策を実行している。ただ、平時にそのような人が多数あらわれるだろうか?私は何らかの危機的状況が日本に起こらない限り無理だと思う。

注釈:
(1)書かれている内容を熟読すれば、このような内容もあると言えなくもない。しかし、それが中心的であるような明示的な指摘はなかった。
(2)勿論歴史全体について書かれている。しかし、その中心に太平洋戦争の国民としての"消化"がある。戦後は民主主義国家であると著者は考えているから、著者の考えにおいて『国家として』は『国民として』に等しい。そして、そのプロセスを戦後の政権は妨害しているのである。何故なら、第二部の最初の方に以下のように書かれている。「自民党の政治家たちは、歴史の問題に正面から取り組むのを避けることによって、党内の潜在的な問題から逃げて来た、つまり、かなり多くの自民党政治家、とりわけ1950年代、60年代の彼らは、1945年以前の抑圧的政府の内部に大きな位置を占めていた人々だったという問題から、逃げなければならなかったのだ。」
(3)「南京大虐殺の虚構」という類いのタイトルを持つ本は、たくさんある。また、性奴隷については、米国の日本による戦争犯罪に関する調査資料には、強制連行などの記述は全くなかったことが最近明らかにされている。また、それを発表した朝日新聞の記事は周知の様に最近取り消されている。しかし、これらは日本国あげて再調査し、これらが事実であれば或いは新たな事実が見つかれば、新たな補償等検討すべきである。
(4)アカウンタビリティーは説明責任と訳される。ある政策が立案されたとして、その必要性や実行方法、そしてその結果や評価などを説明する責任である。
(5)自己無撞着というのは、システムが与えられた条件を全て満たして、矛盾を生じない状態をいう。私個人は、量子化学の用語(self consistent field)でこの言葉を知った。
(6)引用したサイトで、元公安調査庁の菅沼氏が、ヤクザの社会的役割について講演している。https://www.youtube.com/watch?v=kr1rvu5vR40
(7)国家の中心にあった天皇に戦争責任を問わないで、温存した。また、日本企業の米国内での経済的活動の自由度を大きく認めた。また、日米安全保障条約で日本の防衛を米国が主に行なう体制をとった。
(12/23; 再度編集)    

2014年12月18日木曜日

日本は北朝鮮との国交回復を目指すべき

 今日のニュースによると、オバマ大統領がローマ法王の仲介を得て、キューバとの国交回復を模索しているということである。共和党要人は、キューバが民主化されてから国交を回復すべきとの声明を出したが、それは間違いだと思う。北朝鮮もキューバも経済の発展がなければ、民主化はできないだろうし、現体制下ではその経済発展はなかなかできないだろう。

 米国がキューバとの国交回復を模索しているということは、日本も北朝鮮と国交回復を模索するチャンスであると思う。そして、それが実現すれば、拉致された被害者をはじめ、北朝鮮にいて帰国を希望する日本人をそっくり取り返すことが出来る。11月に私はブログに「北朝鮮をソフトランディングさせるべき」http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/41810584.htmlということを書いた。北朝鮮問題は、徐々に解決できる問題ではないので、日本、韓国、米国の三か国が協力して、且つ、中国及びソ連の同意を得て、一気に解決すべきであると思う。

 以前のブログで書いた様に、北朝鮮から拉致被害者を取り戻すには、北朝鮮への戦後補償金の意味を持つかなり巨額の経済援助が不可欠である。そして、それを実現するためには日朝間の基本条約締結が不可欠だと思うが、それには二つの大きな障壁がある。それらは、北朝鮮の核兵器問題と日韓基本条約にある“韓国が半島の唯一正統な政府である”とする条文である。

 そこで、北朝鮮が非核化され、且つ、経済発展して民主化の準備ができた段階で統一するというシナリオで、米国と韓国の了解を得る必要がある。米国には、それだけではなく本格的なコミットメントを依頼しなければならない。日本だけの外交力では、北朝鮮の狡猾な外交と対峙することは無理だと思うからである。米国の助けを得て、日本が先頭に立って動く事が出来れば、一兆円レベルの経済支援と引き換えに、北朝鮮は核兵器の廃棄と体制の改革を実行することが出来るかもしれない。如何だろうか?

2014年12月9日火曜日

表通りの法と正義

女子高生がきわどいサービスを男性に提供するJKビジネス(注1)という商売があるらしい。こんな商売を放置することは、日本の社会通念のレベルの低さを世界に宣伝している様なものだ。法整備を含め厳しく取り締まるべきである。危険ドラッグ(以前は脱法ハーブと呼ばれていた(注2))など、灰色領域のハーブも白黒はっきりつけて法を整備し、取締りを厳しくすべきだ。

近代化されていない国家の特徴は、それらに白黒つけることがなされず、出来ず、又は故意に放置され、灰色領域が広く存在することである。そして、そのような前近代国家では、政府も社会も違法行為を灰色領域に押し込んで批判を避けようするのが常である。従軍慰安婦というのも売春が違法でなかった当時でも灰色領域にあり、日本政府が明確に白黒に峻別しないので、欧米では黒と受け取られつつある。「日本政府(軍)の関与は業者に便宜をはかり業者と共生を図っただけで、婦女子を拉致した訳でも強制したわけではない」と日本政府が主張するのなら、上記のような灰色領域も白黒に峻別する姿勢を示して、日本は本当の意味で法治国家である旨主張してほしい。

対馬からの盗まれた仏像の返還を止めた韓国の裁判所の決定、中国の共産党執行部の恐ろしく巨大な腐敗など、東アジアは未だに国家の中枢すら近代化されていない。そのような目で日本が見られない様に、灰色領域の取り締まりを厳しくするように民意を動員して行政に要求すべきである。

ただここで、本当の意味で”法と正義の下に近代化”されている国家などあるのか?深くに真実を隠して、巧妙にメッキがされているだけではないか?という質問はあり得る。しかし、”表通り”はしっかりと法と正義の支配で飾るのが、政治の義務であるとしか答え様がない。12月6日の記事、”建前と本音の二重らせん”もこのあたりの議論の参考にしてほしい。法も正義も表通り(つまり公の空間)に敷きつめるもので、常に表から作用させるものなのだ。

健康な人間でも、体には細菌が常に無数に存在する。細菌はコロニーをつくることもある。しかし、全身にそれらが広がった場合も、そして、全身消毒滅菌した場合も同様に、その人は死ぬ危険に晒される。社会においても、全身を殺菌消毒するように、表裏両面から法と正義を適用しようとすれば死滅するだろう。出来るだけ表から見える様に社会を作り、常に表から法と正義の明かりを照らすことが原則だろう。何故なら、法も正義も所詮人間の創った直線であり、現実も美も曲線で構成されている。それらを直線で近似するように全てにおいて強制するのは無理であり、全エネルギーをそれに注ぎ込めば「角を矯めて牛を殺す」ことになると、古代中国の天才は教えている。

注釈:
1)JKは女子高生(JoshiKousei)の省略形。AKB48のAKBは秋葉からの命名だが、秋葉は秋葉原の省略形。これらを見ても、日本の言語空間が貧弱である事が判る。また、男性は性的な関心で女子高生に接する事が明白だが、それを”きわどい”と言う言葉で誤摩化すのが一般的である。
2)法規制が追いついていないが、精神作用が強くて危険なハーブと言う意味で、脱法ハーブと呼ばれていたもの。しかし、今年これらハーブの名前が、危険ドラッグと改称された。drugは薬品であり俗には麻薬の意味でも用いられる。麻薬で危険でないものはないし、医薬品を危険というのは一寸非文明的である。いままで脱法ドラッグと呼ばれていた物の呼称とするには、”危険ドラッグ”は貧弱な言語空間での産物と言える。

2014年12月6日土曜日

”建前”と”本音”の二重らせん

1)“建前”という言葉の元々の意味は、“家屋の建築で、主要な柱や梁,棟木などを組み上げること”、また、その時に行う上棟式である。しかし、スペースアルク(http://www.alc.co.jp/)という何時も利用させてもらっているサイトで英訳すると、上棟式は出てこないで、注釈(注1)に書いた様に比喩的な用法が全てである。それを参考にすると、建前は殆どの場合、要するに、“公の立場”と“言葉上の理由付け”の二つの意味で用いられている。

 日常の会話では、“建前”は幾分軽蔑的に用いられて、“真理である本音”が大事であると考えられる場合多い。しかし、我々がかなり楽観的に人間関係を築いて、社会の中で一応安心して生活できるのは、人々が“建前”つまり“公の立場”を社会において堅持するからである。つまり、“建前”は元々の意味の通り、社会の骨組みをつくるものであり、人類が混沌の中から作り上げた文化そのものである。そして、この”公の立場”があってこそ、人は平等に生きる権利を得、社会にその存在(生存)を主張できるのである。個人としては、公に預けた“建前”と対を為すように、本音をしっかり心の中に保持して良いのである。

 インターネットやそれに手軽にアクセスできる携帯電話(スマートフォン)が問題視されるのは、その本音と建前の混在した世界をサイバースペース (ネット空間、電脳空間)として人々に提供するからである。つまり、本音と建前は二重らせんのように、同一の個人に存在するが、決して融合してはいけないのだ。この“二重らせん”の融合は、公の文化の下で享受出来ることになった近代文明の崩壊を意味する。
追加(12/8):(本題で言いたい事はこれで終わりだが、何故この文章を書く気になったかというと、DNAの二重らせん構造の発見でノーベル賞を貰ったワトソン博士が、そのメダルを競売に出したというニュースを見たからである。以下にその話を追加する。)

2) 因に、DNAの二重らせん構造を提案したワトソン博士のノーベル賞メダルが競売にかけられ、五億円の値段がついたと言う事である。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimuramasato/20141129-00041084/) ワトソン(以下敬称略)は、ロザリンド・フランクリンが撮影した、DNAのX線回折像を見てその二重らせん構造のモデルを思いつき、論文を書いてNature誌に発表した(1953年)。その後、ワトソンはクリックやウイルキンソンとともにノーベル賞に輝く(1962年)。その受賞後しばらくして発表した、ワトソンの著書“二重らせん”(1968年)で、DNAのX線回折写真を撮影したロザリンド・フランクリンを暗愚な研究者として描いているという。ノーベル賞を得るまでには、醜悪な人間ドラマというべき経緯が存在していたのだ(上記サイト参照)。

 ワトソンが、何故ロザリンド・フランクリンというユダヤ人女性を暗愚な研究者として描いたか? それは、恐らくワトソンがNature誌にその論文を出さなければ、ロザリンド・フランクリンが同じ事を論文にしてどこかに発表していた可能性があるからだと思う(注2)。この場合は、ノーベル賞が彼女にもたらされ、ワトソンのノーベル賞も学会での名誉ある地位も無かった筈である。つまり、その可能性が無い事を強調しなければ、ワトソンが本来の筆頭著者かもしれない彼女を外して論文を書いたことになり、その悪意ある行動の評価が社会に定着してしまうからである。

 現在の日本では、ある研究の為にX線回折像を撮影してもらった場合、その研究成果を論文にする際にはX線写真を撮った人も共著者になるのが当たり前になっている。しかし、本来の科学文化の中では、その論文の全てについて寄与がなければ(内容の主張=presentation=が出来なければ)共著者になってはならない(注3)。つまり、ロザリンド・フランクリンがX線像から二重らせんという長周期構造を思い付かない程に暗愚であったことにすれば、彼女を共著者にする必然性はないのである。私は、ワトソンが“本音”を隠して、その創造した“建前”を自著“二重らせん”に強調した可能性を感じる。

 更に言及したいのは、ワトソンが「アフリカの黒人は、遺伝子の段階から知能が劣るだろう」と発言したことで、学会等から忌避されてしまったことである。ワトソンは「あの発言で社会的に抹殺されてしまった」と英紙フィナンシャル・タイムズに嘆いているとのことである(上記サイト)。つまり、建前として大切にしなければならない事をわきまえず、思わず本音を公の空間で吐いてしまった為に、社会から抹殺されたのである。

 本音は、人権や報道の自由として局限された個人的空間に封じ込め、建前を公としての社会の骨組みとして採用したのが、人間の智慧であり文明の基礎である。ワトソンはこの建前と本音の二重らせん構造を十分わきまえていなかったようだ。

追加:DNA構造発見の経緯について書かれたものがありましたので、以下に参考文献として追加します。参考文献:http://thomas.s301.xrea.com/thinking/20seikisaidainohakken.pdf(12/6/11:05)

注釈:
1)辞書によると:polite face (礼儀的な顔); public position (公の立場); one’s public stance (人の公としての立場); one’s stated reason (人の言葉の上での理由)などが書かれている。 これらから本文章内では、“公の立場”と“言葉の上での理由付け”を建前の二つの側面からみた意味として用いる。関西地方では上棟式の意味ではフラットに発音し、本音と対する言葉で用いる場合と区別している。
2)同じ年に化学者として有名なライナス・ポーリンング博士も独自の3本鎖のDNA構造モデルをNature誌に発表している。その事から、競争の激しいテーマだったことが判る。
3)X線回折のデータをワトソン氏にフランクリンに相談無く見せたのが、ノーベル賞の共同受賞者のウィルキンソン氏ということである。それにも拘らず、ウィルキンソン氏が1953年のNature論文の共著者になっていないのは、この科学文化ではあり得ないことではない。従って、ウィルキンソン氏はロザリンド・フランクリン女史が撮ったX線回折データの意味が十分判らなかったのだろう。(12/7朝追加しましたが、ここで最終稿とし、追加は別途”二重らせん”を読んだあと書きます。) 上記()似ついて追加(12/8):二重らせんを60%位読んだが、興味が続かずギブアップする。その時点は、ワトソンらはポーリングが蛋白のαーヘリックス構造を見つけたのと同じ、分子モデルを用いる方法でDNAの構造を模索している段階である。ロンドンのロザリンド・フランクリンとモーリス・ウィルキンソンとの間の関係が極めて悪いというが、その根拠が明確ではないのが印象的である。しかし、それも答えを知っての事かもしれない。ウィルキンソン自身が第三の男とか何とか言う題で本を書いており、そこでのフランクリンとの関係は大分違うようだ。

2014年12月2日火曜日

民主主義は、まともな政治制度なのか?

 今日は衆議院選挙公示の日である。党首討論をテレビで見ても、まともな事を言っている人は殆どいないと感じる。今朝の(中日)新聞の一面には、各党の主張を掲げた党首の写真が載っている。

この道しか無い:どのみちですか?と聞きたい。この道と指し示す安倍さんの指先には道らしきものは何も出来ていない。もう二年たった。金をばらまいて株価は上がったが、国債の格下げが昨日発表された。皮肉を言いたいのは米国人だけではない。議員定数の削減や一票の格差是正、規制緩和などの言葉が空しく響く。

  軽減税率:そんなこと、手間ひまかけてやる必要がない。小手先のことを看板に掲げるこの党は与党の名に値するのか。
今こそ流れを変える時:流れが変わったことがあったが、貴党は、そこには泥沼しかないことを示されたのでないですか?
是々非々:何が是、何が非なのか?集団的自衛権行使容認とアベノミクスの前半が良くって、アベノミクスに後半がないという事に対して、是是非非といっているのだろう。「貴方の右半分、美人だわ」と言っている様に見える。自民党に戻られたら如何?

身を切る改革:やってもらいたいが、橋下党首が総理にならないとできないだろう。私が政界において応援しているのはこの党だけである。橋下さんによる大阪の市バスなどの民営化は、見事だった。しかし、それを国政でやるまでには、軽い舌を何とかしてほしい。また、身の安全確保を真剣に考えて欲しい。 

国民の生活が第一:当たり前のことを今更。。。日本改造計画は素晴らしい本だった。小沢さんのゼミで学者連中が組上げた本だとしても、小沢さんの思想が学者連中の原稿という形で具現化したものと信じたい。ただ、此の人は命を懸けて政治の世界にいるのだろうか?と何時も疑問に思って来た。小沢さんは碁が得意である。先の先まで読んで、この国を改革することが不可能だと悟りきっているのかもしれない。
暴走ストップ: 共産党にそのままお返ししたい。毛沢東、スターリン、チャウシェスクなど、皆暴走したのではなかったでしょうか?彼らとは違うと仰っても信用できません。
平和と福祉: 社民党さん、その看板は白紙と同じですよ。


 ところで、民主主義とは、日本で可能な制度だろうか?あの戦後どさくさにまぎれて制定された憲法が未だにそのままになっているこの国の異常さから、この疑問が何時も浮かぶ。自民党は田舎の結束した人間関係を利用し、そこで選出されることで安定した政権を維持してきた。都市部に人が集中するようになって、一票の格差が開いても、それを是正すると議席を失うのでやらなかった。最高裁判所判事は自分の席を暖めるのみで何もしなかった。違憲状態と違憲とは異なるという言葉の魔術を用いて、制度である筈の三権分立の原則を無視してきた。

 西欧では、民主主義が機能しているようにも見える。しかし、私は疑う。裏にプロ組織があり、その活発な活動が、国民世論を巧みに誘導しているだけだろうと。論理的思考が可能な言語を持ち、個人が自立した西欧諸国では、国民世論の誘導はそれだけ難しい。その結果、外から見て、民主主義が機能しているように見えるレベルの、緻密に偽造された偽民主主義なのだろうと。

 はなはだ失礼な話だが、一般国民は冷静にサイエンティフィックに見れば、烏合の衆である。それが、国家の行く末を正しく見ることなど出来る筈がない。まともにそのような制度を導入することになった日本が、現在の無責任体制に至るのはむしろ自然である(注釈1)。民主主義は、選挙権以外は無報酬で、国民の命を兵士として差し出させる国民国家と一体化した政治制度である。ギリシャが世界を席巻していたころに出来て、その後使いものにならないとして遺棄された民主主義が、国民国家という国家形態とともに復活したのである。民主主義は、その捨てられたときの遺伝子をそのまま持っているのだ。

注釈1:
日本では官僚組織が国家を運営することで、辛うじて体裁を維持していると思う。不安定な政治家という身分では、そして、民衆に選ばれなければならないという条件下では、政治家はプロフェッショナルな仕事はできないだろう。単に、官僚のつくった曲を、国会や内閣官房で演奏しているだけだ。プロと一般人の差は、例えば体操の白井さんを想像すれば良い。大学を卒業しても、更に大学院を出ても、一人前のプロ(専門家)にはなかなかなれない。国際政治がプロフェッショナルの世界であるなら、現在の日本の政治家の殆どは働く場がないだろう。以上のことは、上の写真のフレーズを見れば、そしてあの無様な大臣辞任劇を見れば明かだ。(本注釈は、12/3追加)

2014年12月1日月曜日

日本国は経済音痴か

 OPECで石油減産の取り決めがなされず、原油安が進むことになった。ロシアへの圧力とか米国のシェールガスの採掘への投資を防止するためとか諸説ある。日銀はこれで物価目標+2%の達成が困難になるとか、言っているらしい。消費者物価の計算には3通りあるので、生鮮食料やエネルギーを除いたコアコアCPI(中核部分の消費者物価指数)というので目標を立てれば良いと思うが、何故そう考えないのだろう。コスト増によるインフレが目標ではなかった筈だ。

日本の企業は純資産が増加しているのに、配当や給与を増加させない傾向が強い。個人だけでなく企業も貯め込む傾向がつよいのは、金は天下の回りものという、市場経済の原則に反する。誰かが貯め込めば、誰かが借金するしかないのがお金というものである。英国の経済学者スミサーズ氏によれば、1998年から今年まで、金を貯め込むのが個人から会社になり、借金をする役割が主に日本国家という構図に換わった。氏の書いたグラフからみて、およそ貯め込む金の3/4が企業による純資産増になっている。毎年、GDPの0.7%くらいの額を貯め込んでいるのだ。現在、労働の流動性が日本では低く、その利益剰余金が給与に回らない。その解決のために、同一労働同一賃金の原則に違反があれば提訴するように政治が制度面からencourageして、労使間の文化を変える様にすべきである。

 外国企業が日本に進出するなんてあり得ないのだから、法人税をこれ以上下げるのは日本人の幸せにはつながらない。法人税を下げれば、株価は上昇するだろうし、ゴールドマンサックスやモルガンスタンレーが投資額を増やすだろう。しかし、外国人による日本株投資を増加させる政策なんて、日本の個人投資家が犠牲になるだけである。外国のヘッジファンドは株価操作と高い情報収集能力で、個人投資家をカモにするだけだ(注釈1)。日本人が日本企業に投資する体制をつくるべきだ。

 たとへば、株主が国内企業の総会に出る場合、法令で旅費相当額を会社が負担すべきと定めるのはどうだろうか。今のままだと、地方の人間は旅費の関係で総会にでることは不可能である。もし旅費の負担を会社にさせれば、物が言えるので、株投資も増加する可能性が高い。ネットで見ている限り、株投資をしている者には、発言したい人が非常に多い。スミサーズ氏によれば、日本では企業の減価償却期間が短く設定されており、税制上企業が有利になっているとのこと。更に法人税を下げるなんてバカげている。

労働賃金の上昇、国内投資家への利益還元こそ、本来の需給関係でのインフレを達成する鍵である筈。

注釈:
1)グリーやディーエヌエーの株の評価が高いころ(2012-2013)、米国ヘッジファンドやドイツ銀行などは、膨大な空売りをかけた。国内のアナリストの評価など、ヘッジファンドの分析より遥かにレベルが低いことを証明するように、株価はある時は徐々に、突然急激(決算報告時)に低下し、膨大な利益を日本の個人投資家から吸い上げた。

2014年11月30日日曜日

日本の経済政策に対するAndrew Smithersの指摘

 本日中日新聞朝刊のなかに、興味あるコラムをみつけた。それは、日本の経済政策に対する英国のエコノミストであるアンドリュー・スミサーズという人の意見を掲載したものである。最初に、“近年の日本経済を悪いと考えるのは間違いだ。日本人は日本が不況だと過剰反応している。”という文章から始まる。そして、

1)15-64歳の生産人口あたりの成長率は、日米英独仏の先進5カ国中もっとも高い;
2)企業の設備投資を促すという方策も検討違いで、既に企業は設備投資をしており、投資でえられた利益の割合は先進5カ国中最低;
3)日本の税制は、企業に多額の減価償却費(つまり、短期間で償却できるということだろう。)が認められ、且つ、内部留保が巨大になっている;
4)単に法人税を下げるのは財政悪化させるだけである;
5)企業の貯蓄を切る様に税制改正すれば、企業は利益を賃金や配当にまわせば、需要も増加し税収も増加する; 以上5点を指摘している。

 そこで、A. Smithers氏のブログを覗いてみた。http://blogs.ft.com/andrew-smithers/そこには、政府、家計、企業、その他のセクションのお金の流れ(キャッシュフロー)が最近の22年間にわたって棒グラフで示されていた。その他の大きな部分は日銀と外国だと思う。(詳細な説明又は誤りがあればご指摘下さい)

 誰かがお金を貯め込めば、誰かがその分、借金しなければならない。昔から、家計が貯蓄をして、企業や政府が借金をするという形でやって来たが、その関係が1998年からガラッと変化している。この大きな変化について、政治討論などで議論されたのをあまり聞かない。共産党は指摘しているが、大昔から大企業を攻撃するのが彼らの習性であり、従って、何をいっても説得力をもって伝わらない。

 つまり、この15年間企業がひたすら金を貯め込み、ほぼ同額を政府が借金をして使っている。この部分を税制で何とかすべきであるとスミサーズ氏は指摘しているのである。あのリーマンショック前後も、全体としてみれば企業は利益をひたすら貯め込んでいるのだ。それにも拘らず、法人税を減額して20%代にするという安倍さんの政策は、何を考えて何を目的にしているのか全く判らない。

 経済の議論は全て、定量的でなくてはならない。このデータ(グラフ)を前にして、経済の議論してほしいものだ。(グラフは著作権にふれるので、直接上記サイトの11/19日の記事をご覧下さい。)

2014年11月29日土曜日

宇宙開発の愚

 マイナーなメディアであるが、中日ホームサービスというタブロイド版があり、そこにホーム春秋(1)というコラムがある。今日11月29日の記事は「紅葉を遅らす温暖化」と題して、9月に開かれた国連気候変動サミットにおける温暖化への警告と、町の寿司屋さんの「季節の魚への温暖化の影響を実感する」という言葉を引用して、対策の重要性を指摘している。そして、環境と経済成長を両立させる切り札として、重点政策として政府のエネルギー基本計画に書かれた宇宙太陽発電所をとりあげ、期待する旨の言葉でコラムを閉じている。

 ただ、ホーム春秋の筆者は、そしてひょっとして、エネルギー基本計画を書いた官僚や政治家も、宇宙太陽発電所が地球温暖化を起こさないと誤解しているのかもしれない。地球外からエネルギーを送れば、直接的に地球を加熱し、温暖化の原因になるのだ。

 更に、二酸化炭素の増加に因る地球温暖化説は、未だに異論も多くあり確定した説ではない。既に本ブログで書いた様に、少なくとも、ICPPなどの国際機関のあげる温暖化メカニズムはナイーブなもので、到底科学的なものとは思えない(2)。

 ただ、地球温暖化を過大視する先進国諸国の思惑は見える。それは地球資源を人類の未来に向けて、出来るだけ残さなければならないという考えである。つまり、今のペースで開発途上国が、地球資源を急速な経済発展の為に低い効率で用いれば、資源の枯渇と人類文明の悲惨な最後が近くなるからである。因に、それは先進国のエゴであるとして中国などの国は反発しており、先の米中首脳会談でも、周近平氏は2030年まで中国で放出するCO2を増加させていくと居直っている。

 更に、宇宙太陽発電所であるが、基礎的研究を学問の範囲で行なうのは賛成だが、国家プロジェクトとすることには反対である。少ない国家予算の浪費になるからである。太陽光発電でもコストがかかり過ぎて、十分増やす事が出来ない今、宇宙に一万トン級の建造物を送り込み、そこで発電するというような、大学教授の打ち上げ花火を真に受けるのは幼稚である。

 ただ、これも別の思惑が脳裏をかすめる。その研究の本質は、宇宙兵器や宇宙基地の開発にあるのではないのか。それは、コストという障壁があまり大きくない軍事産業の特徴と、国家の領土の外に置けるという軍事的利点を考えれば、政府も載ってくるかもしれない(3)。つまり、その教授は研究費という現金獲得を、政府は軍需への応用という企みを持ち、その宇宙太陽発電所構想に基礎研究の仮面を被せて、異なる角度から眺めているのだろう。  スターウォーズという映画の中の出来事が、近い将来現実として現れるかもしれない。

注釈:
1)毎週土曜日に中日新聞に折り込まれて配布される中日ホームサービスのコラムで、なかなか良い視点で書かれており、本紙の中日春秋と同様に必ず読む。
2)http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/08/blog-post_26.html
3)原子力潜水艦とその点(領土外に置く基地)では同じである。ただ、宇宙基地にあるミサイルを想像すると、その脅威は潜水艦のそれに比べて、池のコイと大空の鷹に近い位の差があるのではないだろうか。同様に、「はやぶさ」などを用いて、巨大な経費を用いて宇宙を調査するプロジェクトも、”基礎技術の開発”的な意味はあるだろうが、表向きに発表された生命の起源を探るなどの意味は全くない。恐らく、軍事的意図が裏にあるのだろう。人類は、生命の発生については議論に値する仮説すらないもっていない。また、ウエイク(読売系TV)で今(11/29/8:45)放送しているように、国民の娯楽に寄与するような意味なら、金がかかり過ぎる。

2014年11月27日木曜日

北星学園大学強迫事件について大学がとるべき対応 

 朝日新聞元記者で、従軍慰安婦の件で誤った記事を書いた人が、北星学院大学で非常勤講師として学生に歴史を教えているという。それに不満を抱いた者が、その元記者を首にしなければ、大学の学生を傷つけると大学を強迫した。http://ja.wikipedia.org/wiki/北星学園大学脅迫事件

 今夜のNHKニュースによると、大学の自治或いは学問の自由という観点から、この強迫に屈するべきではないとの意見があるものの、大学は警備を強化するための予算が嵩み、経営上困っているという。

 この件について、大学の方々は学問の自由の観点から、強迫に屈するべきではないとの意見が全国から寄せられているという。しかし、私はこのような意見を持つ方々は学問の自由という意味がわかっていないのではないかと思う。

 つまり、この大学の方々は、学問の自由という観点から、従軍慰安婦問題についてその人が書いた記事を正しいと考えて、その考えや思想をまもりたいのだろうか?(注釈1) もしそうでないのなら、その非常勤講師の、或いは、大学の研究や研究上の思想の何処に政治的圧力がかかっているのか?

 これらの質問にはまともに答えられないだろう。つまり、その方を雇用するかしないかは学問の自由と何ら関係のないことなのだ。

 学生の安全を確保するのは大学の義務である。また、強迫は犯罪であるから、警察は全力で捜査し、出来るだけ早急に犯人を逮捕すべきである。しかし、警察が強迫した者を逮捕するまでは、緊急避難としてその非常勤講師を解雇しても何ら問題はない。

 例えば、熊がキャンパスにくるので、講義を中止し学生を一時非難させることは学問の自由と何ら関係がないのだ。もしその講師を、インチキ記事を書いた経歴はあるものの、学者或いは教育者として評価するのなら、犯人逮捕後再度雇用すれば良い。

注釈:
1)”学問の自由を護ること”とは、研究者の研究(&発表)の方向が、政治的圧力の影響を受けないようにすることである。この場合、研究者やそのグループに対して、真実に最高の価値を置くという善意の仮定がある。つまり、政治的意図をもって捏造記事を書いた人については、この仮定は成立しない。従って、その人の学者としての地位を、その件に関して総括或いは処分が未定の状態で、学問の自由の名の下に護ることは学問の自由にむしろ反することである。
更に追加:「OさんのST細胞捏造が明らかになったのだから、早く首にしないとR研職員が怪我をすることになるぞ」と強迫があったとする。その場合、兎に角急いでOさんを首にするとR研理事長が言ったとしても、学問の自由を盾に反対できない。そもそも、Oさんに学問の自由を訴える資格はないからである。

性奴隷など無かったという米国の調査報告

 産経ニュースによると、米政府がクリントンとブッシュの両政権下で、8年かけて実施したドイツと日本の戦争犯罪の大規模な再調査で、日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や「女性の組織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかったことが明らかとなった。調査対象となった未公開や秘密の公式文書は計850万ページ。そのうち14万2千ページが日本の戦争犯罪にかかわる文書だった。戦時の米軍は慰安婦制度を日本国内の売春制度の単なる延長とみていたという。http://www.sankei.com/world/news/141127/wor1411270003-n1.html

 米側で提起されることはほとんどなかったが、慰安婦問題の分析を進める米国人ジャーナリスト、マイケル・ヨン氏とその調査班と産経新聞の取材により、慰安婦問題に関する調査結果部分の全容が確認された。ヨン氏は「これだけの規模の調査で何も出てこないことは『20万人の女性を強制連行して性的奴隷にした』という主張が虚構であることを証明した。日本側は調査を材料に、米議会の対日非難決議や国連のクマラスワミ報告などの撤回を求めるべきだ」と語った。

 この古森義久氏の報告を読んで、以前テレビで報道されていたチェジュ島(吉田清治のインチキ告白本の舞台)のお年寄の言葉を思い出した。「日本軍による女狩りなどあれば、チェジュ島の男どもが命を賭けて戦う筈だ。そんなこと見た事も聞いた事もない。」

あらゆる手段を通して、この米国による報告を宣伝すべきである。それが国際社会に定着した段階で、新しい、最終的な謝罪談話を出すのが良いかもしれない。無謀な戦争で国民と近隣諸国に迷惑をかけたことは確かであり、歴史問題を出す近隣諸国には、同じ言葉で謝罪し続ければよい。根比べで良いと思う。
 「慰安婦は、拉致され性奴隷にされた女性では無かった」の一点は、日本民族の為に常に明確にすべき。

2014年11月24日月曜日

核拡散防止条約と核保持国の義務について

 核兵器には、通常兵器と比較して圧倒的な威力がある。それゆえ、核保持国と非核保持国との間で、正常な外交関係を維持することは、核保持国の極めてストイックで紳士的な態度が前提でなければ難しい。何故なら、過去の歴史において、平和は戦力の均衡の結果として保たれたのにも拘らず、核拡散防止条約(NPT)は、最初から戦力の均衡を放棄する条約だからである。

 現在、日米安全保障条約が存在するものの、大陸と日本との戦力の均衡が保たれているとは言い難い。米国に核兵器があるものの、日本には核兵器は無い。そして、日本の防衛を目的に、米国が核兵器を威嚇の目的に限られるとしても、中国に対して用いるとは考えられないからである。戦力の不均衡は外交の歪みに通じる。

    NPT体制の維持を加盟国が目指すなら、核兵器保持国は条約に書かれた核兵器の削減を目標設定して着実に目指す義務を果たさねばならない。更に、その条約の目的から考えて、核保持国は他国の脅威となるような外交姿勢を取らない義務がある筈である。その意味でも、日本国はNPTに関する国際的議論を継続的に国連において行なう様、要求すべきである。

 また、NPT体制は、戦後20年たってから出来たものであり、それまでの歴史を踏まえたものである筈である。従って、戦争時とその記憶が鮮明に残るしばらくの間は、感情がもつれる歴史解釈が外交問題として存在しても、戦後20年経った時点でNPTが締結されたのだから、それを乗り越えて過去から視点を未来に向けるのでなければ、その様な国家の命運を核保持国に委託するような条約に署名できる筈がないと考える。(補足1)

   現在、隣国である二つの国は歴史問題と称して、日本国総理大臣が靖国神社に参拝することを過大に問題視している。また、韓国は従軍慰安婦という戦争時にあった制度(補足2)を、日本国政府が奴隷狩りのようにして女性を集めたという虚偽の証言を加えて、過大に核保持国である米国と中国を含め、全世界に宣伝している(補足3)。これらの外交上の諸問題は、日本に核兵器はおろか交戦権のある軍隊も持たないため、中国や韓国に非常に軽くあしらわれた結果、戦後65年以上経った今でも存在し続けるのだろう。核保持国は中立的立場をとって世界の平和に貢献する義務を有すると主張すべきである。

 NPTは、外交の原点にある重要な条約である。インド、パキスタン、イスラエルなどが、核兵器を保持すると思われているが、核拡散防止条約(NPT)に署名していない。これらの国は、NPTの不平等性は独立国として甘受できないことを態度で示している。勿論、条約に署名するかしないかを決める権利が個々の国にある。しかし、1)全ての国が加盟することと、2)核保持国が一定の計画で核兵器を廃絶すること、の二つの条件が揃わなければ、この条約には存在の正当性がないと思う。この問題の解決は核兵器保持国にしか出来ない。その意味でも、国連で常任理事国にたいして、世界から核兵器を減らしていくという義務を果たす様要求すべきである。

 北朝鮮も国家としての存立を賭けて核兵器を開発保持している。上記の国を含めて、これらの国が異常なのではない。核兵器を持っている隣国が歴史問題という難癖をつけて、両国間の緊張を高めることで自国の利益に結びつけようとしているにも拘らず、また、独裁国家の隣国が我国の国民を拉致するという国家的犯罪行為を行い、更に、核兵器を開発して威嚇に用いている現状を見ながら、NPTを日常の問題として議論しない日本国の方が異常なのである(補足4)。北朝鮮の核兵器は、核保有国が責任をもって排除するべきであると強く主張すべきである。

 蛇足だが、一言追加:日本の外交が、何故これだけだらしないのかという問題だが、それは政治家が無能だからである。そのような政治家が国会に出てくることの最大の原因は、日本国民が市民として自覚(補足5)がないことだと思う。つまり、自分が政治的主体であるという意識が極めて低いのが日本という島国の住人である。選挙権を行使するには、国政に対して問題意識を持ち、選挙民としての義務を意識して投票しなければならない。所属団体からの推薦に素直に従って投票したり、或いは格好良いという個人的感覚で、元俳優或いはスポーツ選手に投票したりしないでもらいたい。
 市民という意識が国民に無ければ、民主主義は成立しない。市民と言う意識を保って、機会を見つけて政治的意見を述べる義務が、国民にあると思う。政治家がだらしないのは、国民の責任であると心の底から全ての日本人が思う様になれば、政治家の質は格段に向上するだろう。

補足又は引用)
1)更に、日中、日韓の夫々両国間では、平和条約(又は、基本条約)締結後は、歴史上の出来事は歴史家にまかせることにして、政治的な問題としない義務を双方が負う筈である。過去から目を未来に向ける姿勢を両国が確認するのが、平和条約締結の意味である筈である。
2)この問題は、日韓基本条約で基本的に解決済みであると考える。尚、戦争時の悲惨な隣国での出来事に対する日本国の責任を表明した、村山談話は日韓関係及び日中関係が未来指向で進む様に、確認の意味で出されたものであり、戦後50年を機に出されたこの談話で全て終了させるのが、まともな国家間の関係だろう。
3)後者の問題は、確かに凄惨であったが、それは紙切れ一枚で命をとり上げられた一般召集兵や、ロシアに抑留されて極寒の地で栄養失調と過酷な労働により殺された兵士、原子爆弾や都市部空襲で無差別に殺された非戦闘民などと、一緒にあの時代の“戦時の尺度”で議論しなければならない。
4)その前に、当然のことであるが、憲法9条を改訂しないで自衛隊という戦力を持つという矛盾の解消が先である。
5)市民としての意識は、市民権(citizenship)を持っているという意識である。それは、政治の主体であるという意識である。カレル・ヴァン・ウォルフレン著、「人間を幸福にしない日本というシステム」参照

2014年11月23日日曜日

国連の北朝鮮非難決議を提案した日本の不思議

 今月18日の国連総会第3委員会(人権)は、北朝鮮の人権侵害(他国民の拉致など)を非難する決議案を賛成多数で採択した。第3委員会の北朝鮮代表は、採決を非難し、さらなる核実験を実施する可能性を示唆して警告した。
http://jp.reuters.com/article/JPNKorea/idJPKCN0J22QC20141119
決議案は安全保障理事会に対し、人権侵害について国際刑事裁判所(ICC)に付託することを検討するよう促している。中国は、安保理は人権問題を討議する場ではないとの立場で、常任事理国として拒否権を行使し、ICCへの付託を阻止するだろうと、上記サイトは書いている。

その決議に反発した北朝鮮は、日本やアメリカに対し、「超強硬対応戦に突入する」との声明を発表した。23日朝の朝鮮中央テレビで、「今のような状態が続いた場合、日本は、近くて遠い国程度ではなく、わが方の目の前から、永遠になくなる存在となる」と伝えた。http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00281341.html

 上記ロイターの記事に明確には書かれていないが、北朝鮮の声明を聞いた限りでは、提案国として日本が中心的役割を果たしたと思われる。  私は、このような意味の無い国連決議をして、何になるのか疑問に思う。ましてや、北朝鮮と拉致被害者の返還交渉をしているのなら、尚更である。

 国連安保理においては議論されても、常任理事国の中国の反対で、上記ICCへの付託案の門前払いが見えているのなら、国連人権委員会での決議などあまり現実的な力にならない。北朝鮮という国家による拉致行為を、元々個人的犯罪を裁くICCはどう対応出来るのだろうか?
また、自国民が拉致されたと言って、国連に訴えて解決を図るのは、日本国が国家の体をなしていないことを宣伝しているようなものではないのか。更に、国連は常任理事国全体で行動出来るときは(つまり弱小国を咎めたり虐めたりするときは)、現実的な力になり得ても、それ以外のケースでは国家間の社交場のような機能しかない。それゆえ、今回の北朝鮮による日本国民拉致は、それを解決して被害者を取り戻すのが目的なら、国連は役に立たず、二国間交渉で行なうしかないと思う。今回のように交渉相手に喧嘩を売って、交渉がこれ以上進む筈がない。

 北朝鮮の人権問題に関する報告は、既に国連の調査委員会でなされている。http://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html それに加えて、この議案は何時国連の委員会に提案されたのだろうか。これ以上の議論や決議は、拉致問題の解決には役立たないだろう。これは、1)米国による日本と北朝鮮との拉致問題交渉を止めさせる工作、或いは、2)元々解決不可能な拉致問題交渉を初めてしまった安倍内閣が、交渉の切り上げ宣言が出来ず、この様な形で北朝鮮側から交渉打ち切りをさせるために米国と伴に一芝居した、のどちらかではないだろうか。

 北朝鮮はロシアから援助を手に入れているようで、当分は崩壊しないだろう。http://www.fsight.jp/27498 しかし、崩壊するときには、相当無茶なことを金ジョンウンはする可能性がある。その標的に日本がわざわざ名乗りをあげるのは、馬鹿げた行為だと思う。北朝鮮は出来れば、ソフトランディングさせるべきだと思う(7/06;7/31;11/3投稿記事参照)。

第三の矢?安倍さんにはどう放って良いのか判ってないのだ。

 新報道2001の復習。金融緩和(第一の矢)と公共工事(第二の矢)なら、アホでもできる。何か第3の矢が出たか?規制緩和?何やったか?何もやっていないじゃないか。

 大企業が儲かった金を給与にまわすべき?アホな?
給与は労働市場で決るものである。給与を上げれば税金をまけるなんて、中途半端な社会主義政策は国を益々弱くするのだ。

 安倍総理は、何でも経済学の先生(浜幸さん)に聞いた通りにやれば良いと思っているようだが、経済学理論なんてあてにならない。物理や化学の理論とは違って、ボロ布でつくった袋のような理論が、経済学理論なのだ。

 格差と規制緩和は不可分である。増税見送りという禁断の果実を食った人が、増税など一年半後に出来る筈がない。平井さんの言う通り。  政治が経済に介入するのは制度改正など、最小限にすべき。

浅尾さんの言う、最低賃金を上げるのは賛成。労働力の流動化は中途半端ではいけない。中高年の幹部でも、働きが鈍くなったら首にするようにならなければ、最低賃金も上げられないのだ。それは、日本文化の弱点、儒教的倫理感から改める位のことなのだ。あのイチロウだって、首になるのだ。それが労働力の流動化であり、本当の規制緩和(文化的規制の緩和)なのだ。

 今出席している政治家連中にこんなこと、判らんだろう。危機的状況になって、政治家が総入れ替えになる位でなければ、日本は生き返らないだろう。兎に角、安倍さんは無能なんだから、早く止めさせるべきだ。

2014年11月21日金曜日

日本での貧富の差の拡大:これ以上の円安は恐ろしい

1) 円安が猛烈な勢いで進んでいる。下図に示したのは今年後半のドル/円レートである。これは言うまでもなく、日銀の金融緩和と称する円安政策にある。昔の金融政策は、経済界に通貨の需要が増した時に、緩和するという正常の姿であったが、現在の黒田氏の政策は全く日本の安売り政策だと思う。筈かしげもなく、中央銀行は政治から独立しているといっているが、安倍政権の無謀な経済政策の片棒を担いでいるとしか言い様が無いと思うが、私は間違っているのだろうか。  
10月31日以降のドル/円の急上昇は、黒田総裁の追加緩和発表によるものである。日本の円への信頼が揺らぎ、円の外国への逃亡を示しているのではないだろうか。もちろん、米国では金融緩和によるドルが溜まっており、日本には円が溜まっているので、口先でも相場は大きく変わるだろう。しかし、米国では10月で量的緩和は終了しており、また、下の図に示した様に、11月に入って国債利回りが上昇しており、国債価格の低下、つまり、市場で国債が売られていることを示していると思う。(もちろん、日銀が円安の進行をみて国債購入を控えている可能性もある。)また、同じ10月31日、年金資金の投資先として国内外の株への投資枠拡大が発表された。それに呼応して一時的に株価は上がったが、その後、円安は加速しても株価の上昇は非常に鈍い。
 従って、11月に入ってからの急激な円安の加速は、国債などの円債券は売られて、米国への投資などへ向かっているのではないだろうか。

2)円安が進むと、当然輸入価格が上昇して、国内需要を対象にした企業は不況となる。また、円安にも関わらず輸出が増加しておらず、海外での投資で産まれた金の日本に持ち込む際の円安差益で、辛うじて今まで経常収支を黒字に保っている。トヨタなどの多くの輸出産業は、グローバル企業であり、これ以上の円安は国内産業の復活にはあまり寄与しない筈である。輸出が順調といってトヨタは喜んでいるだろうが、円安によるコスト高を部品を生産している傘下の企業が負担しているからであり、一時的なものだと思う。そして最後まで残るのが賃金のドル換算での低下であり、これがGDPの伸び悩みの原因であると考えられる。
 月曜日に発表された第3期のGDP速報値は、消費税効果がほぼ無くなった筈にも関わらずマイナス1.6%という値であり、アベノミクスの失敗を裏付けた。つまり、円安政策は、単にグローバル企業のトヨタなどの大企業が海外で活躍するための応援にしかなっていないのだと思う。GDP速報値マイナス1.6%にも拘らず、日銀の名古屋支店長は中部では景気は良くなっているという判断を昨日示した。つまり、トヨタの名古屋は景気が良いが、その分、国内産業が中心の地方の景気の落ち込みは、上記数字マイナス1.6%より遥かに大きいことを示している。

 これは、富の配分が一層偏り韓国の様に、国民をサムソンやヒュンダイなどのグローバル企業に所属している一部富裕層とそれ以外の貧困層に別け、不満を国内に充満させる様になりつつあることを示しているのではないか。サムソンやLGなどの大企業が傾けば国全体が傾くという韓国の危険な情況を、ネットで配信している三橋貴明氏に「日本はこのままで大丈夫ですか」と聞いてみたい。

2014年11月19日水曜日

日本人には愛国精神など無い

愛国心とは、その国に自分が帰属しているという感覚が自分の心の中に存在することにより生じる。その帰属意識は、その土地でもその民族でもなく、国家でなくてはならない。米国に占領された時に、愛国心があれば占領に激しく抵抗する筈であるが、多くの日本人はマッカーサー氏を新しい為政者として歓迎した。それが日本人に愛国心など無いことの明確な証明である。

太平洋戦争のとき、徴兵された人の心の底にも愛国心はなかったと思う。あったのは、家族への思いと故郷への思いだけだったろう。故郷が破壊され家族に危害が及ぶなら、徴兵に応じて敵と戦おうと思って戦争に向かっただろう。

明治維新は市民革命ではない。単にクーデターであり、領主が徳川幕府から明治政府に移っただけである。明治政府は一般に国民国家に分類されるだろうが、本当はそうではないと思う。そこで採用された、徴兵制は新しい支配者が人民を奴隷的に兵士として狩り出しただけである(1)。

戦死した兵士が国家の為に命を捧げたと安倍総理は言うが、そんな兵士は居てもごく一部だろう。命を捧げたのは上述のように家族の将来の為であり、故郷の復興を願っての事であった筈で、国家の為ではない。従って、安倍総理のような考え方で靖国に参拝するのなら、参拝を受ける資格がある霊は東条英機以下、江戸時代なら軍神として祀られるような国家の支配者の霊のみである。

靖国においては、形式上は奴隷のように徴兵された兵士の霊も祀っている。しかしそれは、形だけでも普通選挙が行なわれている、現在の国家制度にあわせただけである。本質的には軍神として資格がある、当時の総理大臣、陸海軍大臣、などの要職にあった支配者階級の霊を祀っているのである。そこに参拝する議員達は、多くはその支配階級の人たちの子孫か、彼ら現在の支配者におもねる新貴族(2)出身の議員達である。

東京裁判は勝利国による敗戦国の人間を裁くという不当なものであったのは事実である。しかし、無謀な戦争に国家を導いた人たちの裁きを国内で一切行なわずに名誉回復したのは、戦犯として裁かれた多くの下級兵士と抱き合わせで名誉回復するという支配階級の企みの結果である。そして、靖国宮司が強引に合祀したのだ。

この支配階級と披支配階級の構図は、中世の構図である。その構図が未だに日本国にあるのは、本当の市民革命を経験していないからである。市民革命は西欧の歴史にあったが、アジアにもアフリカにもなかった。従って、民主主義は西欧以外では機能していない。市民階級がないのに、愛国心などある筈がない。

東アジアも同様だろう。中国や韓国で、愛国教育と言っているのは、単に反日教育に過ぎない。つまり、外敵を育てて愛国心らしいものを創ろうとしても、一部の国民を右翼にするだけである。日本でも愛国=右翼という等式が成立することでも判る様に、民衆は国家を信用していないし、国家が我々民衆のものであるという感覚などないのだ。

注釈:
1)徳川時代には兵士には特権が与えられていたが、明治政府の兵士には特権などなかったからである。
補足修正:明治の日本は国民国家である。しかし、国民主権はない。(2015/3/24) 2)マスコミで取り上げられる芸能人、スポーツ界、財界、官界出身の有名人は、新貴族として新しい日本国の支配階級を形成している。そのような支配階級になることを日本では、出世という。

2014年11月18日火曜日

日本のマスコミは政府に操られている

 今朝の中日新聞の一面トップ記事の表題は、「増税延期、解散きょう表明」である。しかし、安倍総理はこの記事が書かれる段階で、解散や消費税について公にしていないのである。そして、今夕の19:00からのNHKニュースにおいて、安倍総理の上記表題通りの表明がなされ、記者会見があった。このような報道と発表の時間的逆転現象はいつものことであり、日本人は何の疑問も抱かない。

これまでにこの種の記事で、間違っていたことはほとんどないので、一寸頭を使えば、今朝の記事は明らかに官邸からのリークに基づいて書いていることが判る。ずっと前の読売系テレビ番組「たかじんのそこまで言って委員会」で、現在内閣参与である飯島勲氏により、この総選挙の情報が私的メモという形で明らかにされており、一部にニュースとして流された(1)。

何故、日本国政府はそのようなリークを新聞社にするのか。それは、マスコミが政府による抱き込みを、リークを餌に許しているのである。この近代社会の政府とマスコミの関係としてあるまじきことが、日本では完全に慣例化しているのだ。日頃、民主主義とか人権とか言うマスコミが、安易に情報を政府からのリークに頼っているのである。なんという情けない国か。あの戦争時のことをわすれたのか?大東亜共栄圏とかいう活字で国民をたぶらかし、敗戦が近くなったら、本土決戦一億玉砕などの表題の記事を、筈かしげもなく書いたことから何も学んでいない。

このようなインチキ民主主義の国家に発展などある筈がない。マスコミは国民と政府などの機関との間にあって、健全な両者の関係を支える社会的役割がある筈なのだが、全くそれを自ら放棄している。現在もっともまともなメディアは、NHKや新聞各紙ではなく、エロ記事も載っている週刊誌である。今週発売の習慣ポストに、ウォルフレン氏(「人間を幸福にしない日本というシステム」、1994毎日新聞刊、の著者)による、この3年間ほどの日本政治のインチキを暴いた記事が載っている。(2)

補足:
1)その時同時に、横田めぐみさんの遺骨として北朝鮮から送られた骨の鑑定について、日本政府が三流大学の講師に捏造させたことが飯島氏により暴露された。噂はあったが、政府の人間から明らかにされたのはこれが初めてであると思う。飯島氏によるとその鑑定を行なったとされる大学の教官が、警視庁に(鑑識部門にスカウトされて)“隔離されている”とのことであった。これがニュースにならないのだ。日本のマスコミには、これがニュースに値するという感覚などないのだ。これについては、以前のブログに書いている。
2)その中で、ウクライナ問題について、日本の報道と全く異なる側面にふれている。それは、既にブログで指摘した内容とかなり重なる。
12/19/7:00 ウォルフレン氏の紹介部分と補足2を追加

「アリの命、鶏の命、人の命、これらの命に違いはありますか?」という問題について

昨日のテレビで、子供を対象にした素朴な疑問に対する答えを集めた本が紹介されていた。その一つの疑問が表題のものである(正確には記憶していないので、文章の組み立てに少し差があるかもしれない)。

大人が「命は皆おなじだ」と答えると、「いつも人の命は大切に考えないといけないと言っているのに、何故人は同じ命をもっている鶏を殺して食べてもいいのですか?」が子供から返される。この質問に答えられない大人が多いのではないだろうか。

この疑問に答える為には、命とは何か?を考えてその答えを用意することが大切である。その答えの用意を理系の言葉で言えば、「命を定義すること」となる。因に、科学が発達したのは、西欧文化が論理的な議論に耐えられる言語を持ち、定義という準備段階をつくって、それを基に議論したことによる。

命の問題に入る前に、言語を注意して用いること(特に日本語では大切)、及び、定義(注1)が大切であることを次の文章を例に説明する。 例えば、「このカバンは5000円です。」という文章の本当の意味は、「このカバンの値段は5000円です」である。日本語では安易に”値段”という鍵となる単語を通常省略してしまう。数式を使って表現すると、[このカバン]=5000円ではなく、[このカバンの値段]=5000円なのだ。

つまり、「このネクタイの値段は3000円です」と値札がついたネクタイがあったとして、値段を比較した場合、明らかに[そのカバンの値段]と[そのネクタイの値段]は違う。しかし、値段という単語の意味(定義)は同じで、「売り主が品物などを買う人に、対価として要求する金額」のことである。

本論に戻って、同様に命を私風に(学会の定義を調べていないので)定義すると、命とは「他の物質を吸収同化(注2)して、自己の内部に外部と異なる固有の環境を維持し、ある時期に自己と同じ種の別個体を再生産する能力」となる。そう考えると、「命」は異なった文章の中でも同じ意味を持つが、人の命と鶏の命は、ネクタイの値段とカバンの値段が違うのと同様、異なることになる。つまり、”人の命”と”鶏の命”の違いは、人と鶏の違いによる。命が同じだからといって、”人の命”と”鶏の命”が同じにはならないのだ。

このような定義を用いた文章の意味の分解は、子供に理解させるのはむつかしい。それが、簡単そうに見える子供の疑問に大人が手こずる原因である。蠅の命も同じ命と考える傾向は、「やれうつな 蠅が手をする 脚をする」という俳句でも判る様に、日本文化の特徴をつくっている。仏教において、虫の命でも大切にしないといけないと考えるのも、命とは何かという定義が難問だからかもしれない(多分定義できなかったからだろう)。

キリスト教圏では家畜の命と人の命は、明確に難なく区別される。それは、神によるこの世の創造の段階から家畜と人は異なるからである。具体的には神は6日間でこの世を創られたが、6日めに獣と家畜と人は夫々別に創造されている。人は神の形に似せて創られ、全ての創造物の中で特別の位置をあたえられている。つまり、キリスト教圏では表題の疑問は既に神により解決済みなのである。

最後に、英語では命はlifeである。生活と同じ単語なので、表題の疑問文は最初から子供の質問としては存在しないだろう。

注釈:
1)定義とは、別のより基本的概念を表わす言葉で表現すること。”歩く”を定義すると、「脚を使って空中に全身を瞬時とも上げないで移動すること」となる。逆に難しくなった様に見えるが、定義によりよりその言葉の意味を厳密に示すことができる。”歩く”が定義できれば、”歩く”と”走る”の違いが説明可能となる。
2)同化は自分の中に自分の物質とすること。”炭酸同化作用”の中の同化である。反対語は異化である。
<12/19/19:00 最終稿>

2014年11月12日水曜日

日本の将来を考える:安倍総理は日本国を脆く、国民の富を減額する

1)円安政策について
 安倍総理の経済政策は、現在のところ、日銀が国債をどんどん買い取り、その金で公共事業をばらまき(地方創生)、更に年金資金も動員して株式を上昇させるためにつかうことである。公共事業に絡んだ土建屋や日経225や400の株を大量に持つ者には、株価の上昇で差し当たり資産額が増加して嬉しいだろう。

 この政府と日銀の金融政策は、世界の基軸通貨を基準に計算した国民の預金額や国債残高の額を減額する政策である。また、労働賃金も同様にドル換算で減額し、国内コストを下げることで輸出企業の競争力をつけようとする政策である。つまり、輸出企業の競争力の無さを、実質賃金の値下げなどで回復させようという政策なのだ。勿論、ヨーロッパや米国での金融緩和による行き過ぎた円高の是正は必要だろうが、その目安は米国の金融緩和前の1ドル100-110円(2008/1ー2008/9の値)くらいではないだろうか。(注1)

 自由主義経済の利点は、競争力なき企業から競争力を獲得した企業への入れ替えがスムースに行なわれることである。ぬるま湯人事などが原因で、競争力の衰えた輸出企業を生き残らせて、健全な内需企業の経営を圧迫することは日本経済の回復に寄与しないのではないだろうか。また、これ以上の国債残高は危険ではないだろうか。

 国民の賃金を開発途上国の賃金に近づけることで、貧民化する政策はグローバルに展開する大企業には、国内生産のコスト低減や外国で得た利益の円換算による見かけの増加など、メリットが大きい。しかし、内需関連企業では、円安は原料やエネルギーコストの増大などによるコスト上昇と、一般国民の実質賃金低下による国内需要の低下という、デメリットの原因となる。従って、円安政策はこれ以上進めるべきではないと思う。更に、家計においては、輸入食品などは値上がりにより、今後益々貧民化を実感する人が増加するだろう。

2)地方創生という政策について

 地方を経済的に元気にする政策を地方創生というらしい。しかし、地方が自力で立ち上がる様に、地方のことは地方にまかせるのが本来のあり方であり、中央政府で地方の企画に口出しするのは愚なことである。多くの権限を移譲して、小さな中央政府を目指すことが大切だと思う。そして、金を使う主体を政府から地方と国民に戻すことが大切である。中央政府の、独立行政法人などは大学を含めて廃止し(地方政府に移譲する)、地方創生は道州制を採用して一極集中の国家を地方分散国家に変換すべきだと思う。

 国民の不安は、政府の無策だけにあるのではない。自分の老後の心配などが非常に大きなウエイトを占めるだろう。近代経済とその一極集中により、親族間の関係、地域社会での人間関係などが希薄化されたのが、その主な原因の一つである。それは、全人口が全国に再配分されたことの結果だろう。そして、地域社会への帰属意識(注2)という人間が本来持つ重要な心的要素も破壊された。その結果、例えば隣地で殺人事件が起こっても、警察より後に知ることになる。

 そのような症状を軽減する出発点としても、道州制は役立つと思う。それにより、人材の全国規模での再配分を減少させることが出来るからである。そして、家族や親族がより近くで生活することになり、人々に自分の地域への帰属意識が育つだろう。また、その地域に芽生えた独立意識は、各地方にオリジナリティーに富んだ、産業や社会風俗などを創りだすことになるだろう。

   道州制の短期間での定着を図るためには、色んな方法があると思う。例えば、大学教育においては、同じ州の出身者の学費は無料或いは大幅に減額するなどして、優秀な人材の他州への流出を防止する。その為に、奨学金制度を大幅に充実させて、同じ州出身の学生には成績順に奨学金を与えるのが良い。教育効果の少ない大学は奨学金付きの学生が集まらず、結果として廃止に追い込まれるだろう。勉学が得意でなくても、他の分野で実力を発揮する道を用意することも大切である。現在の”誰でも大卒”という風習が、熟練技術者など色んな職種に人を配分することを、邪魔しているのである。熟練した技能者の育成は、若いときの訓練が欠かせないのだ。

 一極集中的な社会では、政府の中枢で働くような優秀な人材を育成する能力が、中央にある一つのヒエラルキーの中に限られる(注3)。過去にあった様な国家のカタストロフィックな崩壊は、優秀な人材の枯渇が一つの原因かと思う。州の指導者達は夫々のヒエラルキーの中で互いに競争し能力を磨き、そのまま中央政府のリーダーにもなり得る実力を獲得するだろう。そして、明治維新の時の様に各州から優秀な人材が豊富に社会の表に顔を出すことになる。結果として、道州制は脆い国家から二枚腰の国家に変えることが出来る可能性が高い。

注釈:
1) 中央銀行による通貨供給量(マネタリーベース)中央銀行の当座預金を含むので、実際に市場に流通しているとは限らない。
 ここ10年程の日米欧のマネタリーベースを示す。米国の金融緩和が如何に巨大なものであったかが判る。日本はゼロ金利であるにも関わらず、マネタリーベースを既に2倍以上に増加させている。ゼロ金利ということは、そもそも市場に日銀券の需要がない事を示している。それは、企業が創造性を失い、設備投資などを新たに行なう元気をなくしていることを示している。そのミクロな視点での情報を無視して、マクロな金融政策で景気を回復しようとするのは邪道に見える。ただ、ジョージソロスの作った図で考察すると、円安効果はマネタリーベースの比である程度決る様である。しかし、それは片方の国の金利がゼロの場合、成り立たないのではないだろうか。
2)人があつまり、集団で生きることで、文明が産まれた。(ジャレド・ダイヤモンド著:「銃・病原菌・鉄」)そして、神と祭祀の発明により、地域での人の繋がりが強化されたと思う。そして、人間が文明の家畜なら、我々はその環境に適応しており、現在の団地文化に不適応なのは当然の結果である。
3)現在は中央政府への優秀な人材補給路は、東大法学部卒だけに限られている。
以上は、元理系人の考えです。不十分な点が多くあると思いますので、ご教授歓迎します。

2014年11月9日日曜日

外交文書は玉虫色ではいけない=出来れば原本を英語で書くべき 

Short Comment: 今回の日中の合意文書(昨日のブログ参照)についての議論が新報道2001で行なわれていた。その中で、平井解説員が、「外交文書は玉虫色で良いが、政治家の発言がブレてはいけ無い」と言う趣旨の発言をしていた。

 私は、現在の日本に関する限り、外交文書も玉虫色ではいけないと思う。日本語のように何を言っているのか判らない言語で玉虫色の表現を許せば、相手の思うままに解釈されるし、相手にへつらう日本の政治家が率先して相手方に有利な解釈を披露するだろう。出来れば、全ての外交文書は英語で書くべきだと思う。その上で、なお玉虫色の表現は避けるべきである。

 玉虫色の表現を行なうべきなのは、強い国の方であり、弱い方の国は厳密な表現を目指すべきである。 日中を比較した場合、GDPを見ても、軍事力をみても、中国の方が強国である。

みなさん、何を勘違いしているのだ。

満開のピンク色のサザンカ:赤でも白でもありません。

2014年11月8日土曜日

今回の日中間の合意で、尖閣諸島は中国支配となるだろう

中日新聞一面の記事や朝のテレビニュースなどによると、日中両政府は「尖閣諸島の領有権問題について異なった意見があることを確認した」という合意文書(1)を発表した。それに満足した中国の周近平主席は、APEC開催の北京において安倍総理と会談を持つことになった(2)。日本政府は、「尖閣諸島領有権に関して異なる見解があることを”両国が”確認した」と「尖閣諸島に関して日中間に領有権問題がある」には本質的な差があると言っているが、何処に差があるのかさっぱり判らない。異なる見解があることだけではなく、それを両国が認めたのだから、領有権問題の存在を認めてしまったことになる。あまり論理的議論に向かない日本語(3)で、明晰でない頭脳の主が外交文書をつくるとこういうことになる。

これで、中国は「(異なる見解があることを認めたのだから、)一方的に日本が実効支配するのは問題であり、両国が議論する必要がある」という発言を始めるだろう。

  その次に、話が進まないことに対する不満を定期的に発表する。

そして、最後に次の様なプロセスで占領するだろう。
プロセス1:前回ブログに書いた様に、大漁船団を天候の怪しげな時に出漁させ、避難としょうして上陸させるだろう。それら避難民を救助するとして公的な船(警備艇や軍艦)が出て、そのまま居座るだろう。
プロセス2:「尖閣諸島には貴重なーーーが生息するので、その保存の為には調査する必要がある」と称して、調査隊と称する船団を派遣する。そして、「独自の保護の為の工事を開始することにした」として、実効支配する。(中国の政治家は日本の政治家よりもずっと賢いので、プロセス2を採用するだろう。)

その後、何度か日中間で尖閣諸島領有権問題の話し合いをすれば良い方だが、「領有権問題はある」という日本の主張は認めるが、実効支配を続けて、竹島同様の状態となるだろう。

注釈:
1)中日新聞11/8朝刊2面の記事によると:「双方は、尖閣諸島など東シナ海の海域において近年、緊張状態が生じていることについて異なる見解を有していると認識し、対話と協調を通じて、情勢の悪化を防ぐとともに、危機管理メカニズムを構築し、不測の事態の発生を回避することで意見の一致をみた。」とある。日本外務省の発表したこの文書には4項目書かれており、実質的な意味を持つのは第3項目のこの文章である。
2)会談をすることがそんなに大切なのか?「これらに合意するのなら、会談しましょう」という中国の主張をまともに受けて、(既に合意したのだから)議論する必要の無い会談をすることになった。だいたい、「ーーに合意するのなら、会談しましょう」なんてふざけた条件を飲むのは属国以外にあり得ないのだ。今回の合意は日本の政治家がバカであることを証明したようなものだ。ただ、私は尖閣諸島だけで中国が満足するのなら問題は小さいと思う。しかし、中国は次に沖縄の独立を煽動するだろう。
3)既にホームページは本ブログで、日本語は未発達な論理的な議論や思考に向かない言葉であると、何度も書いた。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/02/part2.html及びその中で引用した記事参照

2014年11月5日水曜日

尊厳死を考える=日本などでは法制化すべきでない

以下の文章で尊厳死と安楽死の定義が通常のものと逆転しているようです。(11/9追記) 米国の女性が余命6ヶ月という医師の診断を受けて、尊厳死を認めているオレゴン州に移住し、医師の処方により自殺した。昨日尊厳死を認める制度について、ローマ法王庁は非難の声明を出した。キリスト教によれば、神の披創造物である人は、それぞれ目的を持ってこの世に産まれる。途中で自殺することはその目的の放棄になるから罪であると考えられる。

末期ガンで余命僅かと宣告されたとき、その苦しみは他者には想像すらできないだろう。その残された日と命について、他者には何も言う権利はないと思う。ただ、社会が制度として、その人の自殺に尊厳死と称して協力する事には反対である。何故なら、その自殺幇助のプロセスにおいて、想定していない犯罪やその自殺者への強制が入る危険性が大きいからである。

個人主義が根付いており、且つ、神が自殺を禁じている国では、自立した個人が自分の決断として尊厳死を選択出来るかもしれない(1)。実際に尊厳死が認められているのは、スイス、ベネルックス3国、米国のワシントン州や隣のオレゴン州など、ほとんどキリスト教圏である。キリスト教などヤハヴェ神を信仰する社会では、人は神と一対一の強い関係を持ち、人と人の関係は同じ神の下に位置する関係として築かれ、個人主義が成立する。しかし、人と人の関係が直接的なその他の国では、個人主義は根付いておらず(2)、個人的なケースでもその決断に他の人が関与する可能性が高くなる。

例えば、老齢になった患者では、家族の負担、そして地域社会や国家などの行政の負担が大きくなる。そのような環境下では、その患者に尊厳死を選択するような心理的強制が働く可能性が大きくなる。家族の負担に関しては、介護疲れが配偶者への暴行や殺人の原因になる場合が時々報道されていることでも、容易に想像できる。後者の行政の負担は、限られた医療資源の効率的配分という点で、老齢で不治の病の患者はそれを受けるプライオリティーが低く判断されるという意味である。

以上の諸因子を考えると、日本国などヤハヴェ神を信仰していない国では、尊厳死は決して制度化すべきではない。

注釈:
1)キリスト教圏の国でも、以下に述べる尊厳死への心理的強制が無いとは言えないが、その強制力はかなり小さくなる。
2)日本でも個人主義を国家としては標榜している。個人の権利や個人情報保護を神経質な程に拘るのは、本質的にそれらを持っていないからである。

2014年11月3日月曜日

北朝鮮をソフトランディングさせるべき

北朝鮮の崩壊は日本の利益にならない。

 拉致問題は、北朝鮮が欧米諸国や日本などを含めた国際社会で承認されるという形でしか解決されないと思う。つまり、日曜朝のテレビ番組で元外務省の田中均氏が「大きな図で考えるべき」と言っていたのが正しいと思う(1) 。

 日本の評論家は、北朝鮮による拉致を犯罪だと捉えているが、その理解はイスラムのテロリズムを犯罪だと考えるのと同じで、一般人の誤解を産む。北朝鮮と日本の間に国交がない以上、通常の法治国家内での犯罪と捉えるのは間違いで、戦争時の民間人被害に近いと思う。実際に、拉致被害者は韓国へのスパイ養成の為に使われている。

 つまり、日本にまともな国防意識がなかった事が、自国民を他国に拉致された原因である。日本政府はその責任に言及しないし、日本のマスコミは正常に機能していないので、そのことを避けて通る。拉致被害者を取り戻すとすれば、戦争再開か平和条約(2)締結による終戦しかないのではないか。平時国内での犯罪行為のように考えて、その対策として拉致被害者奪還を考えるような構図は、本質的におかしい。

 国連において北朝鮮の拉致問題などを非難し、北朝鮮を追い込むのは良いが、それに対する逃げ口(核兵器放棄後に米国、日本などによる国家としての承認、経済支援)を用意することも大切である。もし、北朝鮮が崩壊(3)した場合、その前に小型化した原爆が何カ所かに飛ぶかもしれない。また、難民流入や日本の治安悪化、北朝鮮の再建過程までの経済的負担等は、相当なものになるだろう。

 日本は、北朝鮮をソフトランディングさせることを、拉致問題よりも優先して考えるべきだと思う。それには、米国や中国の力、そして、韓国の同意が必要である。韓国は、まともな国家となりある程度経済発展した北朝鮮と合併して、統一朝鮮という民族の夢を果たす為に、日本や米国と力を合わせるべきだと思う(4)。拉致問題は北朝鮮の国際社会への完全復帰で自動的に解決すると思う。

補足:
1)確か、11月2日の時事放談だったと記憶している。
2)ここでは、日本と北朝鮮との間の基本条約である。この締結には、韓国との基本条約の中の、「韓国を半島唯一の政府とする」という条項を変更しなくてはならない。
3)ここでの崩壊の定義は、クーデターではなく、キム王朝が玉砕的手段で韓国やその他の敵国に攻め込むことと、その戦争に敗れることである。北朝鮮も、日本の戦争末期やイスラムのテロリズムから、玉砕的攻撃を学んでいると思う。
4)韓国の一部に、クーデターか何かをきっかけにして統一し、核保持国になろうとする野心があるかもしれない。日本はそれを最も警戒すべきである。その為にも、北朝鮮の核抜きでの承認と経済援助を目指すべきである。 =素人の考えですので、コメントなど歓迎します。==

2014年11月2日日曜日

日本政府は横田めぐみさんの遺骨鑑定について嘘の発表をしていた!!

 北朝鮮から拉致被害者の横田めぐみさんの遺骨として送られた骨を日本政府が鑑定して、めぐみさんのものではないと結論された。そして、声だかに日本のDNA鑑定の技術の高さが報道された。しかし、今日中部地方で放送された「たかじんのそこまで言って委員会」において、内閣参与の飯島勲氏は、次のようにこの件について発言した。それらは、1)鑑定者本人がイギリスのNature誌の取材に”偽物とも本物とも言えない”と答えたこと、そして、2)その事実が広がらない様に、鑑定者の学者を隔離したこと、そして、3)それらの手配は日本の外務省が行なった、の3点である。

 この発言に驚き、ネット検索をしてみたところ、その件に関して国会の外務委員会で質疑されていたことを知った。それを記したサイトは、http://deztec.jp/design/06/07/02_science.htmlである。そこでの記述によると(第162回国会 外務委員会 第4号(平成17年3月30日(水曜日))、質問者は民主党の首藤信彦氏で答弁は町村信孝氏である。国会質疑の記録はクリックしても読めない(これも変だ)ので、上記サイトに引用された文章を読むしか無い。それによると、首藤氏の質問は論理一貫しているが、外務大臣の町村信孝氏は:

「ネイチャーが立派な雑誌であるということは私も承知をしておりますが、一々の報道等には、それは必要があれば反論してもいいのですが、私どもは一々それについて言う必要はない、こう考えております。  御指摘の取材を受けた関係者に対しても、これは私ども、直接というよりは捜査当局の方から事実関係を確認したわけでございますけれども、その関係者は取材の中で、焼かれた骨によるDNA鑑定の困難性一般論を述べたにとどまっておりまして、当該鑑定結果が確定的ではないんだという旨を言及したことではないということをその方が言っておられると私どもは聞いております。  いずれにいたしましても、この当該報道が今回私どもがやったこの鑑定結果に何らの影響を及ぼすものではない、私どもはそう判断をいたしております。」と答弁しているが、説得力はない。

 最初に引用したサイトによると、鑑定を担当した帝京大の吉井氏は警視庁に引き抜かれたという。これが今日のテレビ番組で飯田勲氏が「鑑定した学者を隔離した」の人事的な表現なのだろう。そして、質問した首藤信彦氏は衆議院議員選挙で落選した。

 2005年のことであり、私は仕事に集中していた為深く考えなかったが、火葬した遺骨からDNA鑑定したということに疑問をもった記憶が甦って来た。そして、上記サイトによると、Nature誌はEditorialつまり、新聞で言えば社説にあたる部分で、この鑑定に疑問を呈したという。この件、日本の研究者の声も聞こえてこなかったため、不思議だと思いながらも深く考えなかった。しかし、私の専門である化学の常識によれば、火葬すれば核酸はすべて、二酸化炭素、酸化窒素、そして、リン酸化合物(リン酸塩)になる筈である。

 この核酸の火葬による焼失は常識であり、鑑定者によって出された、横田めぐみさんのものではないという結論は、デッチあげかもしれないと思った。しかし、科学者は一般に自分の論文は、専門外の者は容易に理解できないと思っているから、逆に、専門外の分野の研究者が出した結論、つまりこのDNA鑑定には安易に口出し出来ない。ただ、上記サイトにある町村氏の説得力の無い答弁、鑑定した学者の警視庁への引き抜き、そして今回の飯田氏の発言から考えて、今はっきりと日本政府の捏造と言える。

 日本政府のこの愚かな行為は、日本政府の体質を表わしており、全ての今までの政府声明に疑いを抱かせるものである。戦中戦後の様々な出来事について、韓国や中国ともめているが、それらのことについても日本政府が事実として発表していることは国際的にも国内的にも信じられないことになる。従って、私も今後ブログ等でこれらにことについて発言しないことにする。

  一般の人は政府発表を信じているようである。例えば、ヤフーは次のサイトを拉致問題の記事を読んだ人向けに類似記事としてreferしている。http://blogs.yahoo.co.jp/tncfn946/30415411.html 化学に無知な人は、この記事にあるように火葬した骨からDNA鑑定できるという政府発表を信じてしまうのである。しかし私の記事は決してヤフーのreferenceに掲載されないだろう。

2014年11月1日土曜日

日本人拉致問題は、大きな枠組みで解決策を考えるべき

 今週の週刊ニュース新書でゲスト出演した田中均氏は、拉致問題は東アジア全体の大きな絵の中で解決すべきという話をしていた。私も、今年5月のブログに書いた様に (http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/05/blog-post_6146.html)拉致問題は元々存在する6カ国協議のような大きな枠組みのなかでしか解決出来ないと考える。久しぶりにまともな話を聞いた気がする。

 今回の東アジア局長という事務方を北朝鮮に送る意図は、何か具体的な成果を目的としたのなら、全く理解出来ない。局長には政治的な話等出来る筈はないので、単に御用聞きの役割しか果たせない。最終的な打ち合わせの話なら兎も角、政治的な話が始まったばかりの現段階で、事務方を団長に送るのは時間稼ぎの為だけなら兎も角、意味がない。そして、この様な極めて困難な問題の解決に向けて、不思議な対応をする安倍内閣の意図をかりかね、北朝鮮の何らかの謀略に安倍内閣が乗った可能性を疑った事もあった。 (http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/07/blog-post_31.html

   私は、全くの素人ではあるが、官僚と政治家の役割における質的差位は理解しているつもりである。時間稼ぎの局長訪問だとしたら、北朝鮮も時間稼ぎの対応をするのは当然である。

   以前にも書いたが、北朝鮮に核兵器を完全放棄すれば、国家体制の現状維持、米国や日本などによる承認、そして、日本からの戦後賠償金に相当する経済協力金が得られるという包括的な解決策を作るべきであると思う。北朝鮮が、国家経済の立て直しと国際的地位の両方を手にすることが出来るという約束を手にすれば、米国や中国の支持で日本が追加事項として含ませる筈の、拉致問題の全面解決案もそのまま受け入れられるだろう。

 この場合、半島統一を国是としている韓国の困難な同意を得なければならない(注1)。それは、日本の出来る仕事ではない。「北朝鮮の核の脅威や東アジア全体の混乱を防ぐため」という、米国と中国の説得(つまり、強い圧力)がなければ実現しないだろう。日韓の壁は、経済的な民間交流、文化的交流と深めること、に加えて無限に近い時間が必要だろう。

注釈:
1)日韓関係では、日韓基本条約の中の「韓国を朝鮮半島における唯一の国家として承認する」という条項を改正しなければならない。

2014年10月27日月曜日

最高裁のマタハラ判断はおかしい=判事の女性はわかっていない

少子化対策と女性の社会進出の矛盾をどう解消するか?

 女性の社会進出を加速することは少子化対策と矛盾する。こんな単純なことを正面から議論しない現在の政治は不思議だ。配偶者控除や配偶者手当の廃止は少子化を加速する。当然のことではないか。

 能力のある女性が社会に進出するのは、社会の活力を増し、歓迎すべき事である。そして同様に、女性が子供を産み育てることも、日本の将来を考えた場合歓迎すべき事である。しかし両方を同時に実現することは、結論として、日本女性が優秀な就労者に成ることと、社会が労働市場の高い流動性を文化として獲得することにかかっている。政治や司法のトップにいる方々は、そのようなことが判っていないようだ。

 先週の金曜日だったと思うがニュースショーでもマタハラ(会社が妊娠した女性を降格するなどの不利な処遇をすること)が話題になっていた。日経新聞の記事:http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG18H13_U4A900C1CR8000/ によると、「妊娠を理由に管理職から降格させられたのは男女雇用機会均等法に違反するとして、広島市の理学療法士の女性が勤めていた病院を訴えた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(桜井龍子裁判長)は18日、当事者双方の意見を聞く弁論を開いた。女性側は「違法な降格で尊厳を傷付けられ、経済的にも痛手を負った」と主張した。 判決は10月23日に言い渡され、降格を適法として女性側の訴えを退けた一、二審の判断が見直される見通し。」とある。最高裁の女性裁判長や女性判事の方々は、どうも判っていないようだ(1)。

 会社は働きが悪くなるであろうと相当の確率で予測される人を、重要なポストから外すのは当然である。それが違法なら、差し当たり仕事に期待がもてる女性でも、将来妊娠する可能性がある女性は昇格しないでおこうということになる。会社の人事は会社の権利であり、司法とか政治がとやかく言う事ではない。我国は社会主義の国でないのだから。
 野球の試合でも、調子の良い人をメンバーに揃えて試合をする。体調を崩したからという理由でその選手を試合に出さないのは、監督のパワハラだといいだしたら、プロ野球は潰れる。

 繰り返しになるが:要するに、プロとしての力をつけた女性が一線で活躍する社会は、女性達が力をつけることと、社会が労働の流動性を高める文化を獲得することで実現される。それ以外に司法や政治が口出しをするのは、日本の停滞につながる。

 それが判っていない女性が、最高裁判事という司法の最高ポストについているということ、そして、上記のようなバカな判断をしたことから判る様に、現状では日本の女性は自分の力で高い地位を得ていない。バカな女性でも高い地位にいる男の眼鏡に敵って恣意的に引き上げられている。そんな情況でマタハラが違法だと言い出したら、益々日本崩壊の進行を加速するだろう。

注釈:
1)雇用均等法を良く読んでいないが、一審と二審で妊娠した女性の降格は違法ではないとの判断が示されているのだから、法解釈上はグレイゾーンなのだろう。数日中に上記法文を読んでみて、訂正事項があれば訂正します。 2)27/2/13修正:何故かここがコミッショナーとなっていた。不思議である。監督に修正。

2014年10月26日日曜日

歴史の中には加害者も被害者もないーあるのは勝者と敗者である。

 ジャレド・ダイヤモンドの銃・病原菌・鉄を読んだ。そして、新しく得た考え方の一つが上記表題である。(注1)スペインによるインカ帝国の殲滅も、アメリカによる北米インディアンの殲滅も、オーストラリアによるアボリジニの殲滅も、中国による(秦の始皇帝以前に)中国語を話さない民族の征服も(注2)、壮絶な殺戮行為の繰り返しだったろう。日本も広く分布していたアイヌ民族などを大和朝廷が征服していった(蝦夷征伐)歴史を持つ。これらの大量虐殺を含む民族の戦いは先史時代から極最近まで存在し(3)、それは未来に続く可能性もあると思われる。

 我々現存民族は全て、他民族を虐殺して生き残った者の子孫である。それらの歴史的出来事を現在時制的視点で評価することは出来ない。ただ、我々は自分の命を有り難いと思うのなら、生き残る努力をして勝利した先祖に感謝しなければならない。そして、将来の子孫の為に我々自身も生き残らなければならない。

 韓国大統領の”被害者と加害者という歴史的立場は千年の歴史が流れても変わらない”という、日本を非難する姿勢は、上記視点からは全く間違っている。中国も、過去の歴史問題を平和条約締結後に現在の政治に反映させることは、国際的慣行に反している。被害者と加害者の関係は、あったとしても講和条約を締結して戦後処理をするまでの話である。つまり、直近の過去をお互いに乗り越えたからこそ平和条約を結んだ筈である。過去と未来を混同して二国間の歴史を被害者と加害者の関係で論じた場合、世界中の外交は破綻する。そのような愚かさを知らない人や国は、可能ならば相手にすべきでない。

注釈:
1)表題の言葉はその本には直接書かれていない。書かれた歴史の“科学的記述”を読んで得た結果である。
2)秦王朝の時代に歴史書を焼き尽くそうとしたが、残存する周王朝時代の歴史書にそのような記述がある。また、中国南東部にまだらに存在するミャオ・ヤオ語ファミリーやタイ・カダイ語ファミリーを話す人の存在がそれを裏付けている。
3)1928年、アリススプリングという所での31人のアボリジニの虐殺以来、大量虐殺はない。(下巻15章)ただし、これは戦争以外の場面での話である。戦争を入れれば、現在も中東などで虐殺行為は頻発している。戦争を国際法的には外交の一形態だというのは、相互に了解して居る場合だけの話である。

2014年10月25日土曜日

韓国系市民や韓国政府の反日行為は、日本国民に対するヘイト行為である。

 10月20日大阪市役所で行なわれた、在日特権を許さない市民の会(在特会)会長、桜井誠氏と橋下徹・大阪市長の、意見交換会のやり取りなどについて一言コメントを書く。これは、橋下市長側からの視点では、在特会が朝鮮学校の前でヘイトスピーチを行なったことを非難し、そのような行為を止めさせる為に開いたものだろう。

 橋下市長の桜井氏への意見は、「民族とか国籍を一括りにして、評価をするような発言は止めろ」である。ただ、最初から怒鳴りあいであり、会談というにはほど遠いものだった。桜井氏を市役所に呼んで議論し、解決の方法を模索するべきであったが、橋下氏の方も最初から興奮していて議論する雰囲気ではなかった。この会談の前に、取材に来たマスコミ各社とのやり取りで、既に興奮状態にあった桜井氏であるから、雰囲気を冷やす様に、大人の対応をして欲しかった。

 詳細は、以下のサイトに全文書かれているので参照してほしい。http://logmi.jp/25539 その中に、会見が始まる前に、桜井氏が取材に来たマスコミ各社に対する発言も記載されている。

 その中で注目されるのは、NHKの記者に対して、“橋下市長が記者会見行なった時、「在日韓国人・朝鮮人へのヘイトスピーチは許さない」その後、「日本人へのヘイトスピーチも許さない」と言ったが、その「日本人へのヘイトスピーチも許さない」という部分を何故NHKは編集でカットして放送しなかったのか”という言葉である。

 桜井氏が言いたいのは、「韓国から日本人や日本へのヘイトスピーチが流れてくるから、その報復として、同じ民族の子弟が通う朝鮮学校の前でヘイトスピーチをやっているのだ」であろう。これは八つ当たり的(注1)であり、許される行為ではないのは確かである。

   しかし、慰安婦の像を米国に多く設置して、現在の日本国を国際的に侮辱する韓国系市民の行為も、八つ当たり的で許されない行為である。実際、ワシントンポスト紙は社説で、連邦下院議員候補が韓国系住民に迎合しすぎていると批判、そして、韓国系団体によって「慰安婦碑」が設置されたことも問題視している。http://www.j-cast.com/2014/08/21213715.html その反日行為が韓国系市民の票につながるということは、現在日本軍の当事者がこの世に居ない以上、日本民族全体を一括りにして批判していることになるのではないか。

 例えば、その遠く離れた米国での韓国系市民に対して、政治家は兎も角、一般市民は何も出来ないのだから、それに対するいらだちをどう解消できるのか? 為政者による在特会のヘイトスピーチ批判は紳士的で感心するが、もし、具体的に韓国系市民や韓国政府の反日行動への対策とセットで行なうのでなければ、韓国系市民の日本へのヘイト行為を間接的に支援していることになることを知るべきである。

 そのような韓国系市民や韓国政府の反日ヘイト行為を間接的に支援してきたのが、朝日新聞やNHKでなかったか。いまや、日韓冷戦である。それに対して、戦意の無い今までの自民党政府や為政者一般に対するいらだちは、在特会だけのものではない。(注2)

注釈:
1)“八つ当たり的”は、本来批判すべき方向ではなく、関係の薄い方向へ鬱憤晴らしの行動を形容したつもり。
2)http://thepage.jp/detail/20131210-00000004-wordleafを見ての感想。韓国大統領の”被害者と加害者という歴史的立場は千年の歴史が流れても変わらない”という、日本に対する基本的姿勢は、もはや日韓の和解はこの大統領の下ではない事を示している。この中の、そもそも被害者と加害者とはどういう意味か?勝者と敗者の関係と、加害者と被害者の関係は全く意味が異なる。この人は、言葉の意味がわかっていない。日本による朝鮮王国併合を加害者と被害者という把握しか出来ないのなら、そして、その加害者の国(民)が被害者の国(民)に誤り続けなければならないというのなら、そんな人を大統領に仰ぐ国家と付き合う必要なないと考える。
 地球上の歴史を、時間の進行を無視して現在に投影し、現在の価値観や常識で、しかも敗者を被害者とし、勝者を加害者と置き換えて、二国間関係を論じるということの愚かさを知らない人なんか、相手にすべきでない。

2014年10月22日水曜日

100年間に巨大噴火が1%の確率で起こる?NHKは、科学成果の放送に関する常識がない 

 NHK夜7時のトップニュースとして、今後100年間に日本で起こる巨大噴火の確率がおよそ1%であるとの研究結果が放送された。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141022/k10015614021000.html
神戸大学大学院の巽好幸教授らの研究グループが発表したもので、日本の広い範囲が火山灰で覆われ、火砕流が100キロ余り先まで達するような巨大噴火が、今後100年間に起きる確率はおよそ1%だとする研究結果である。その結果を踏まえ、その研究グループでは「地下のマグマの動きを捉える観測方法の開発や人材の育成などに長期的に取り組む必要がある」と指摘しているという。

 その経緯の詳細を、“大量の火山灰が日本の広い範囲に及び、火砕流が周囲100キロ余りに達するような巨大噴火は、噴火後に直径が数十キロに及ぶ「カルデラ」と呼ばれる陥没した地形を作ることが知られ、日本では地形や地質の調査から過去12万年の間に九州や北海道などで少なくとも10回起きていたことが分かっています。
神戸大学大学院の巽好幸教授らの研究グループは、国内の地下の岩石の性質や過去の噴火の時期などを基に、火口の直径が数十キロにも及ぶ巨大噴火が日本で起きる確率を推計し、22日、その結果を公表しました。”と記している。

 ただ、公表をどのような形でしたのか、明らかにしていない。論文なのか、放送局等への持ち込みなのか、学会発表なのか解らない。このことだけで、NHKに科学的研究結果を報道する資格がないと言える。

 本来、科学者の研究結果は、学会(発表会)での報告或いは学会誌への論文投稿という形を経て発表される。そして、学会での批判を受け、科学的研究成果として一定の評価を得て初めて、一般社会へ公表できる。それが、科学者の世界の常識である。更に、それが研究成果として認められても、それは仮説に過ぎない。NHKだけでなく、日本のマスコミ一般もこの常識がない。西洋から輸入した科学文明を、未だに日本は十分消化吸収していない。日本の後進性の一つである。

 ましてや、研究成果として学会に定着していない自分達の研究結果から、「地下のマグマの動きを捉える観測方法の開発や人材の育成などに長期的に取り組む必要がある」と行政への提言までするのは、科学者として下品であり、常識に欠ける。また、それをそのまま日本を代表する放送局が放送するとは!!。

2014年10月21日火曜日

尊敬できない大臣をもつ国民の不幸:大臣はテレビタレントではないのだ

 ここ数日大臣の辞任問題がマスコミをにぎわせている。一昨日のブログ記事に続いて、若干議論を追加したい。

 小渕優子氏(元経済産業大臣)の政治資金の使い方には疑問点が多数あり、辞任は当然である。しかし、松島氏(元法務大臣)の辞任にはビックリした。選挙区の祭りで団扇を配って、自分の政治活動を宣伝する事位、追求する側の蓮舫氏もやっていた。ただ、その厚紙を手に持つ取手部分をつけなかった蓮舫氏が追求も受けず、松島氏が配布したのには取手が付いていたことで、その団扇のようなものに商品価値が生じ、選挙資金規制法にひっかかるのだという。どうせ、官房が独自に辞任勧告したのだろう。どちらにしても、そんなことは証拠書類と告発状を検察にわたして、後は政策の議論に時間を使うのが本来の議会のありかただと思う。

 別の方向から見れば、松島大臣の辞任は、内閣の自信の無さを表わしている。つまり現内閣は、”社会はもっと女性を重用すべきである”との持論を、女性5人を大臣に指名することで実行に移して人気を得たかったのだが、その浅はかな考えが裏目にでたのである。
 もっとも大臣なんて、官僚が協力してくれれば紙を読めば良いだけなので、現状の政治では誰でも何の問題もない。むしろ相対的に優秀な政治家が大臣として来た時、官僚に嫌らわれて目に見える失敗をするだろう。そのような内閣の実態は、初級漢字が読めない人でも大臣が勤まっていることで解る。
 本来、国会議員や大臣などの政治家は、国民から尊敬されなければならない。失礼だが、小渕優子さんの何処に、国民が畏敬し尊敬する姿を見つければよいのか? 地元事務所の職員を直接指導している姿すら想像出来ないし、実際していなかったのだろう。神輿にのるお姫様では、それを大臣として仰がなければならない国民に失礼だろう。

 官僚連中の手のひらで踊るだけの大臣(注1)なんてどうでも良いし、その交代劇の報道を、テレビニュースやニュース解説、バラエティー番組の大半の時間を消費する馬鹿さを、国民は理解すべきだ(注2)。また、たまに見るテレビの国会中継で、例えば何何委員会というのを視聴しても、本来の行なわれるべき議論より、関係のない政治スキャンダルの暴露合戦をして、時間を費やしている事が多い。それをテレビ中継するのも無駄だし、それを視聴するのも時間の無駄である。

 兎に角この国のあらゆる組織が、そのトップが議論を引っ張るような健全な姿になっていない。各省庁のトップは、(官僚からもらった)思い付きを企画案らしい形の文書に作り上げさせ、それを国会で喋るだけの存在である。省庁の担当者と議論して、その政策の有用性やら弱点欠陥などを議論する事は(知識などに差がありすぎて)出来ないだろうし、官僚も責任を取る必要がないと考えて、いいかげんに数値をあわせて立案するのだろう。

 その良い例が、企業に太陽光発電させて、電力会社に高値で買い取らせる制度の失敗だろう。10年で設備投資の元金が回収できて、あとの10年の売電料金はそのまま利益になるなんて、そんな制度を作ればどうなるかが議論もされていなかったし、予想もできなかったのだ。内閣官房の政治家たちと具体的な政策案として文書に纏める官僚達の、発想力の無さ(注3)を証明している。
 残念ながら大臣などの政治家のレベルは年々低下し、国民は政治家をバカにし始めている。本来国家の為に働くべき官僚は、国民からは税金を無駄使いする犯人と思われ敵視されている。この国の将来は危うい。

  注釈:
1) この国には民主政治などない。官僚独裁の国家である。その官僚連中も専門的知識と実力に乏しく、米国などの同等の地位にある者とは比較にならない。つまり、なんとか霞ヶ関を小さくし、出来れば最初から官僚を目指している東大法学部卒という発想力のない人たち(注2参照)から政府機能を取り戻すべきである。
2)この種のスキャンダルの報道が、娯楽番組となっているとしたら、本当に情けない事である。
3)官僚や官僚卒の政治家には東大法学部出身者が多い。職業を意識して法学部を選ぶ人に発想など期待できるのだろうか。文系の法学部は、理系では数学科に相当する。どちらも感覚よりも論理を優先する世界の学問を対象とする。法学部卒を第一選択肢にする人に、政策立案には必須の、社会や人間に対する鋭い感覚なんて期待できないのかもしれない。

2014年10月19日日曜日

小渕優子経済産業大臣の供応疑惑について=脇の甘い二世議員=

小渕政治会社の二世経営者の無知: 

 安倍総理が女性閣僚登用の看板にした小渕優子氏だが、おそらく本人は何も知らないうちのことだと思うが、政治資金規制法違反の疑惑で経済産業大臣を辞任せざるを得なくなった(注釈1)。小渕優子さんは小渕恵三元総理の娘だったから小渕家政治団体などの持つ神輿に乗っただけであり、小渕氏個人の能力で政治家とか大臣になったのではないことは明らかである。 

 この国では、多くの議員は夫々昔からある“政治会社”の後継社長であり、その廻りに関係する多くの受益者の纏める票によって当選している。政治家事務所と地元後援会という表の顔はあるものの、結局国家から利益を吸い取る闇会社群がトップを国会に送っているのであると思う。斡旋と供応や“寄付という名の賄賂”がセットで、その政治会社の営業の主たる要素となり、それがあるからこのような無法”会社”が存在できるのである(注2)。

 つまり、特別に何の能力も無い小渕氏が40歳の若さで、国会議員から経済産業大臣になったのは、単にその政治会社が名門であり、巨大であったからに過ぎない。そして、今回の供応疑惑もその本来の姿が、少しだけ表に出てしまっただけである。殆ど全ての自民党議員は同様の疑いがあるだろう。小渕氏の場合、何も知らない内に経済産業大臣という大きなポストについたことと、そのような裏のしきたりについて親から十分教育を受けておらず、所謂脇が甘かったことが今回の件が明らかになった原因だろう。

注釈: 
1)辞任すれば無罪放免になるだろう。検察も裁判所も国会も内閣も、全て同じアナの狢である。狢に害が及ばなければ、如何に重大な違法行為であろうが、辞任で幕が引かれる。上記4機関は国民から浮いている。第二次大戦後、日本国民は敵将マッカーサーを熱烈歓迎したことがそれを証明している。つまり、日本には国民の為の政府などない。(何処の世界にそんな政府があるかと言われれば、答えに窮するが。。。) 
2)その為に、政府は地方創生とかいって、予算のバラマキ政策を行なうのである。今朝の時事放談で、丹羽元中国大使が言っていた様に、金と権限を中央が握っていて、地方創生など出来る訳が無い。そんなことは、霞ヶ関も、上記政治闇会社も十分知っている。丹羽さんが特に秀才だから知っているというわけではない。 
=これは元理系研究者の想像であり、独り言です。批判等多いに歓迎します。= (11:30編集)

2014年10月18日土曜日

日本での企業研究者の待遇:ノーベル賞学者の苦言

 NHKニュースウエブによると、http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141018/t10015499691000.html:ノーベル賞決定後初めて帰国(注1)した中村修二氏がNHKのインタビューで、独創的な成果を出す人材が育ちにくい現在の日本の研究環境に苦言を呈した。また、基礎研究については、民間では時間がかかることに関われないので、国が支援体制をもっと充実すべきであると発言した。

   企業の研究者の待遇に関して、プロスポーツ選手と同様に成果に見合った報酬を出すべきだという発言は面白いと思う。研究者の待遇に成果報酬を入れるのは簡単で、特許出願人を会社とその発明に関係した研究者にするか、研究者の給与に特許料金の何パーセントかを加算すれば良い。各企業が、優秀な研究者を獲得する手段として今後考えるべきことであると思う。

 ただ、米国の様に、流動性の高い労働市場であれば実績を給与に大きく反映できる。しかし、研究者としての能力は10年程度の長期雇用の結果を待って決められるのである。無能かもしれない人を定年まで雇用するリスクを持つ日本企業では、改良の余地はあるものの、中村氏の考えておられるような所までの実績に対する報酬配分は困難である。これは、日本の文化の問題であり、変化するとしても、ゆっくりだろう。

 中村氏は、プロスポーツ選手は成果に報酬を受けていると語っておられるが、それは間違いである。プロスポーツの給与は成果報酬型ではなく、投資型である。つまり、今年度の成績に対して、来年度の給与が支払われるのではない。来年度の給与は来年度の予想された活躍に対して支払われるのである。今年度の活躍は、来年度の活躍予想に使われるのである。

   また、プロスポーツ選手は成績によっては次期解雇の危険性がある。中村氏のような優秀な研究者に育った人でも、入社時には今回授賞対象になったような立派な研究を完成できるという自信はなかっただろう(注2)。実際、中村氏も別のところで、研究者として力をつけたのは入社後の苦しかった10年間であったと発言されている。

 つまり、会社にとっては研究者の雇用は投資であるが、研究者は通常の就職の気持ちで入社する。その思惑の違いを理解しないと、この種の話は本質に迫れない。成果が出なくても10年間給与と8億円とも言われる研究費を支払った会社の言い分(http://biz-journal.jp/2014/10/post_6311_2.html)も理解できる。

 尚、研究者の大発明についての一般社会の理解は、かなり実体とずれていると思うので、数日前(10/8)の記事、の考察を参考にして欲しい。

注釈:
1)どうでも良い事だが、米国籍の方なので日本訪問とすべきである。
2)野茂選手が米国に行った時、年俸は近鉄時代の1億4000万円からわずか980万円になった。迎えはトラックを運転する人一人であったとのこと。その名声とか過去の実績などにドライな文化の下でのみ、中村氏の様な企業研究者に対する待遇が可能であると思う。

2014年10月15日水曜日

益々社会主義化する日本=地方再生「ミニ東京」をつくる総務省の構想

 官僚たちは多額の国家予算を獲得して自分の属する省庁を大きくし、自分達の出世と退官後の天下りを模索する。それには、いろんな国家プロジェクトを提案して、日本国を非効率な社会主義国家に導くことが肝要。しかし、政治家は日本国全体のことを考えなめればならない。政治家がバカだと、どうしても日本国は官僚達により社会主義化してしまう。
 東京新聞の記事、 (http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014100702000119.html)及び本朝のモーニングサテライトの報道によると、地方の人口減少を食い止めようと、総務省は2015年度に「地方中枢拠点都市圏構想」を本格化させる。人口20万人以上の拠点都市と周辺市町村が協力して雇用や生活環境が整った都市圏をつくり、東京をはじめとする3大都市圏への若者の流出を防ぐという。
 下図は総務省の役人が描いた地方中枢拠点都市圏のイメージである。絵に描いた餅という批判が直ちに出てきそうな、知性の欠片も感じられない図だ。



 候補都市は全国に61カ所あるが、今年度はモデル事業に9都市を選定している。要するに、地方交付税でそれらの都市を優遇するということであり、地方都市は今後総務省にお参りして、地方中枢拠点都市の指定を獲得しなければならない。私が市長なら、担当する市の幹部にこう言うだろう。”具体的にどうする?そんなこと、適当にこの絵にあわせて作っておけ。それより口先の訓練とお上にたいするマナーを磨け。” 要するに、如何にごまをするか、誤摩化すかが大事である。
 こんな政策を考えるのは、余程のバカかと思っても、たいていは東京大学という日本でランクの一番高い大学の出身者だろうから、市民一般に向かって何を言っても説得力はないのかもしれない。維新の会の橋下氏も江田氏も何か言うだろうが、1.4%の支持率ではどうしようもない。明治維新の時には、地方分権していたから、優秀な人材が絞り出されて日本を救った。全てが東京を向いている今の時代にあって、更にその傾向を助長しようとしている安倍自民党では、最終的に日本を潰すことになるだろう。
 官僚機構がソフトが搭載されているコンピュータだとすれば、政治家はそのコンピュータを用いて日本国のプランニングをしなければならない。しかし、何もしないと、私のマックのように勝手に自然の美しい絵とか、模様を画面に描く。今の日本そっくりだ。

2014年10月14日火曜日

誇張された発明家の功績:”銃・病原菌・鉄”の中の文章の考察

 ジレッド・ダイヤモンド著の「銃、病原菌、鉄」(日本語訳)を読んでいる。文明の発展の歴史を科学的視点で詳細に述べた本であり、大変興味深い記述があちこちに見られる。その中の第13章”発明は必要の母である”(注1)の中に、私も日頃から思っていることに関する文章があり、それを基に本文章を書いた。
 それは、今回日本人3人がノーベル物理学賞を授賞した際にブログに書いたこと、“科学技術文明は無数の研究者の努力により現在の形になっている。そして、応用研究では特に膨大な数の研究者や投資者の努力(注釈4)で、商品にまで至る。その中でたまたま一里塚的な位置にあった研究者をノーベル賞委員会が選び授賞する”と関連することである。上記本にあった文章の引用し、更に私の考えを加えて先のブログの補足を書く。

 上記本の13章の中の「誇張された天才発明家」のセクションで、ワットの蒸気機関の発明の経緯を用いて、そのサブタイトルの意味を説明をしている。下にネットでの調査を加えて蒸気機関の発明経緯を書く。
 
 蒸気機関と言えば、ワットがヤカンから上がる蒸気が蓋を動かすのをみて、発明したという話を信じている人が多いかもしれない。しかし、蒸気自動車や蒸気機関車に至るには、上記のような長い歴史があったのである。しかも、ピストン運動を回転運動に換えるプロセスも、ワット以外の何人かが決定的役割を果たしているのである。
 更に、エジソンが発明した白熱電球も、1841年から1978年の間に色んな発明家が特許をとった白熱電球の改良型だった。ライト兄弟の有人動力飛行機も、その前にオットー・リリエンタールの有人グライダーやサミュエル・ラングリーのエンジン付き無人飛行器があった。
著者は結論として、“あの時、あの場所で、あの人が産まれていなかったら人類史が大きく変わっていたという天才発明家は、これまで存在したことがない。功績が認められた発明家とは、社会が丁度受け入れられる様になった時、既存の技術を改良して提供できた人であり、有能な先駆者と有能な後継者に恵まれた人なのである”と書いている。それが、「誇張された天才発明家」の意味するところである。

 ノーベル賞に輝いた3名の功績で誰もが知る様になった青色発光ダイオードであるが、それも量子力学とそれによる半導体の研究、半導体内での電子とホールの再結合蛍光の研究、点接触ダイオードや接合型ダイオードの発明、赤色発光ダイオードの発明、青色発光ダイオードに相応しい結晶の研究などが既にあった。そして、それを基にして、赤崎教授と天野博士が初めて青色発光ダイオード作成した。また、工業利用を可能にした中村博士の研究であるが、徳島の中小企業である日亜化学工業の創業者が、博士課程を修了していない中村氏に、米国留学のチャンスを与え、その後の研究に5億円の投資をし、青色LEDの開発研究を進めた結果である。このような長い経緯を知って、初めてこの成果が正当に評価できるのである。
 ところで、中村教授は米・現地時間の7日、自らが勤務するサンタバーバラ校で会見を行い、 学生からの“(研究に対する)モチベーションは?”という問いに対し、「怒り(anger)。とにかく怒りだ」と回答し、日本の研究環境について、「日本の会社で発明したとしても、ボーナスをもらうだけ。米国では会社を立ち上げられる」と苦言を呈したという。(http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1413083146/
 中村氏は、開発当時勤務していた中小企業のトップの理解を得て、研究者としての修行の機会と、多額の研究費を出してもらっている。その厚遇にたいして同僚先輩などから多少の妬みなどは当然あり得る(注2)。望み通りの研究成果を得ただけでなく、訴訟したとはいえ、8億円の報奨金を手にし、更に、今回ノーベル賞の栄誉を得た。上記のような発言は、私には全く理解できない。

 研究者と言えるレベルの人は知っていると思う: 分野が科学研究でも工業技術研究でも、その発展はまるで潮が満ちる様に、文明全体と相互関連して進むものであり、特定の個人が現在のノーベル賞授賞で受ける栄誉に相当する程に目立つ功績を上げて、進むものではないことを(注3)。将にそのことを、”銃・病原菌・鉄”の中で、ジャレド・ダイヤモンドが第13章の中で書いているのである。

注釈:
1)通常良く言われるのは、「必要は発明の母である」である。しかし、この言葉で語られる発明は、大発明の中では少数派で、例えば米国による核兵器の開発がある。(”銃・病原菌・鉄”日本語文庫版、下巻、61-65頁、”発明が用途を産む”)
2)サイトにこの辺りの経緯が説明されている。http://biz-journal.jp/2014/10/post_6311_2.html しかし、ここで書かれている怒りは、本分中の講演後の怒りとは本質的に違う。
3)現在、日本のノーベル授賞者数が中国や韓国に比べて大差があることを、まるで日本国とそれらの国の文化や文明に大差があるような報道が週刊誌等でみられる。敢えて言えば、ノーベル賞なんてそんな大した問題ではない。サルトルは1964年にノーベル文学賞に選ばれるが、「いかなる人間でも生きながら神格化されるには値しない」と言って、これを辞退。もし、ノーベル賞授賞が特定の個人の神格化なら、文明にとって意味がないか有害かのどちらかである。
(10/14投稿、10/16本文の語句修正と最後の節追加;10/20最後の節と本注釈に追加)

2014年10月13日月曜日

広告における非科学的表現が見えない消費者庁役人と、科学界が解らない文部科学省役人

 中日新聞の10月12日の日曜版に、遠赤外線のお日様暖房と題して、ヒーターの宣伝が掲載されていた。冬の我が家では、健康重視という理由もあって、寝室の暖房にオイルヒータを用いており、その電気代に悩んでいる。「これに買い替えたら電気代がたすかる筈」という女房を説得することに大変苦労した。以下にその宣伝を抜粋して掲載する。

 このような非科学的宣伝を掲載する新聞社と、それを放置する消費者庁をここに避難する。
紙面に掲載されているという権威によって、説得力を持つことを新聞社や消費者庁はしっかりと自覚してほしい。朝日新聞に掲載されたインチキ記事が国連人権委員会を動かすのも、新聞紙面に掲載されるという権威が原因である。


日向ぼっこの優しいぬくもり;自動運転モード搭載の8畳対応型!
部屋中をムラなくポカポカ!遠赤外線暖房器“サンエク(仮名)”は遠赤外線を室内にくまなく放射、人体を始め、、、、室内を均一に暖房します。しかも、サンエク(仮名)の魅力はそんな快適暖房を省電力で実現するエコ性能。一日8時間使いっぱなしでも電気代約98円。
電気代は自動運転モードで8時間使い続けても約98円(自動運転モード時、新電気料金目安単価、27円/kwhとして計算)という安さ。灯油代と比べてもお得です。


 電気エネルギーで直接加熱(注1)する場合、暖房効率はオイルヒータでも電熱器でも同じであるのは、科学では常識である。しかし、一般人の中にはこのような宣伝に惑わされる人が多い事が、消費者庁にはわからないのか。役人どもは、仕事などろくにしないで結構な給与を取るというのは世の常、世界の常識(注2)だが、あまりにも酷すぎる。

 そんなおり、筆者が大学にいたころの教授から電子メイルで、“こんな文章を文部科学省の役員が作った。役人ごときが、研究者をこども扱いするとは、失礼千万だ“というお怒りの言葉を伺った。その先生の引用サイトhttp://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/26/08/1351568.htmをみると、


新たな「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」動の不正行為に関する基本的考え方
【不正行為に対する基本姿勢】 ●研究活動における不正行為は、研究活動とその成果発表の本質に反するものであり、 科学そのものに対する背信行為。個々の研究者はもとより、大学等の研究機関は、 不正行為に対して厳しい姿勢で臨む必要。
【研究者、科学コミュニティ等の自律・自己規律】
●不正に対する対応は、まずは研究者自らの規律、及び科学コミュニティ、大学等の 研究機関の自律に基づく自浄作用としてなされなければならない。
【大学等の研究機関の管理責任】
(筆者注:以下赤字で書かれている)
●上記に加えて、大学等の研究機関が責任を持って不正行為の防止に関わることによ り、不正行為が起こりにくい環境がつくられるよう対応の強化を図る必要。特に、 組織としての責任体制の確立による管理責任の明確化、不正行為を事前に防止する 取組を推進。 ◆共同研究における個々の研究者等の役割分担・責任の明確化 ◆複数の研究者による研究活動の全容を把握する立場の代表研究者が研究成果を適切に確認 ◆若手研究者等が自立した研究活動を遂行できるよう適切な支援助言(メンターの配置等)


 このようなガイドラインを作って、仕事をしたつもりでいる文部科学省の役人達は、およそ科学研究やその文化がどういうものかが解っていない。あまりにもばかばかしくて、一々批判する気にならない。(注3) “科学研究における不正を如何に防止するか”は、文部科学省の役人に出る幕があるとしたら、それは小中学校での社会生活全般における教育位である。国家が金を出している研究者で不正が明確になれば、解雇などの処分を黙ってすれば良い。
 プロ野球のレベル低下を如何に防ぐかを考えて、文章を12球団に送ったとしたら、だれでも文科省の仕事ではないことがわかるだろう。研究者で一応のレベルにあるものは、同様のプライドを持っている。理研の研究者の処分も出来ないくせに、役人がとやかく言うべきではない。

注釈:
1)電気で直接加熱する場合、電気エネルギー(電圧と電流及び力率の積)が100%熱に変換される。エアコンではヒートポンプ式なので、効率は100%を越える可能性がある。
2)昨年のユーロ危機は、ギリシャの労働者の40%が公務員であったことによる。
3)最初と最後だけ以下に批判する。最初の文章、「うそは本当でない」と言っているだけ。最後の文章、若手研究者は幼稚園児であるといっている。

2014年10月11日土曜日

火山噴火特に富士山噴火の対策を急ぐべき=激論コロシアムを観ての感想

 今夜の激論コロシアムは火山噴火がテーマであった。観測データから数日の範囲で噴火が起こることを予知するのは非常に困難なのは当たり前である。ただ、御岳山の噴火の場合、いままでなかった位の頻度で火山性地震が起こっていることから、通常より噴火の危険性が高まっていることを登山者に知らせなかったことについて、行政のどこかが責任を問われるべきであると思う。

 今回の噴火の場合、気象庁から出た有用なデータが十分利用されていなかったのが残念だった。
そこで対策だが、火山噴火や地震についての国家の機関を、学問としての研究する機関(大学など文部科学省傘下の機関)と、行政の中で住民の危険を出来るだけ少なくする為に働く機関(その他の省庁に属する機関)とを明確にわけたらどうか。そして後者の国家機関は、火山噴火に関して行政の末端である町役場までを監督の範囲とすべきであると考える。既に産業技術総合研究所のなかに、昔地質調査所という研究所があったのだから、そこの関連部門や気象庁の関連部門を中心にして、完全に行政の機関を作り、今まで使っていた予算をその目的に振り替えて使えば良い。そして、如何に地震や噴火による市民や国家の損害を少なくするかを、仕事の中心にして頑張ってもらうのである。

 今回の番組で、富士山の噴火の危険性についての話があったが、木村琉球大教授(注1)の予言によれば2022年までに噴火が始まりそうである。そして江戸時代にあったような噴火の場合、関東地方の多くの火力発電所がストップし、ジェット機が飛べないそうである。その他に、パソコンの動作の異常など多くの問題が指摘されていた。そうすると、日本の首都機能が完全にストップする上、経済的な打撃は計り知れない。

 政府は、この富士山噴火の件について、上記機関に全力で観測と対策の立案などの仕事をしてもらったらどうか。また、首都機能の引受先として、近畿圏に副首都を作るべきだと思う。丁度大阪に適任者がいるので、彼の主張通り大阪都をつくり近畿州の首都としたらどうか。この際、道州制のパイロットプラント的役割を持たせるのである。やる気がある人にやってもらわないと、出来る仕事ではないと思う

注釈:
1)東北大震災の2−3ヶ月前に、テレビのそこまで言って委員会に出演され、2−3ヶ月位のうちに東北地方で大地震があると予言されたのを見た。辛坊治郎氏が「本当ですか」と何度も問い返したのを記憶している。御岳山の噴火も著書の中で、2010-2016年の間に噴火するだろうと予言されていたという。ただ、地震の目や噴火の目(漢方のつぼに当たる)といった、医学で言えば漢方医的な予言であり、一般の西欧医的地震学者らから異端扱いされているみたいだ。今回も声が小さかった。

地方創生=ウエークをみていての感想

 ウエークを見ている。同じ事を同じ様に下らん議論をしているので、こちらも同じ事を書く。
 石破地方創生大臣や益田元岩手県知事(元総務大臣)らを招いて議論している。今回の安倍内閣の看板政策の一つである地方創生も、竹下内閣時代のふるさと創生の二の舞になるだろう。

 石破さんは、「役場は忙しくて何も出来ない。そこで、国から大学教授とか知識人などの支援を得るため、地方から人の要求を出してもらい、霞ヶ関で調整を行なう」とか言っている。益田さんや橋本さんも賛成しているが、この方達の発想はこの程度だ。
 地方創生(注1)の為には、要するに、地方分権しかないのだ。中央で、林業とか農業とかについて、幾つかのことを断片的に考えた所で、何の足しにもならないだろう。

 参考にすべきは、江戸時代だとおもう。諸藩が半ば独立して、”行政担当者”(つまり武士たち)もその土地に住み、その土地の人間として生きていた。それが、あの明治維新の際に、長州藩、薩摩藩、土佐藩などからでも、優秀な人材が出て来た理由なのである。今、地方から人が出てくるか?
 政治活動費の不正使用がバレて、号泣記者会見を行なった元兵庫県議を見れば解るに様に、地方に人材などほとんどいないだろう。国がダメになったとして、平成維新だといっても誰も出てこないだろう。

 今のうちに、霞ヶ関を縮小し、道州制などの地方分権を行なわなければ、日本の沈滞は日本の消滅によって幕を閉じるだろう。  ウエークも下らん議論は止めた方が良い。

注釈:
1)創生なんて日本語はない。たぶん地方を元気にするくらいの意味だろう。

2014年10月8日水曜日

日本人3学者のノーベル賞について:

青色発光ダイオードで赤崎、天野、中村の3教授がノーベル賞を受賞:

 青色発光ダイオードの完成及び商品化で、名古屋大の赤崎元教授(名城大終身教授)、その大学院生だった現在名古屋大の天野教授、そして元日亜化学工業の研究者で現在米カリフォルニア大サンタバーバラ校の中村修二教授の3氏に、ノーベル物理学賞が授けられることになった。ノーベル物理学賞では、基礎でなくて応用の分野に与えられることは少ない。(注釈1) 青色LEDの商品化が、世界に与える影響はそれ程大きな出来事であると、ノーベル賞委員会が評価したのだろう。実際、現在どの家にも使われている白色LEDライトにも、主なる部品として使われていることでも解る様に(注釈2)、世界の省エネ技術としても偉大である。日本人として、日本国のブランドが上がり、大変良かったと思う。

ただ不思議なのは、最初にLEDを発明したNick Holonyak, Jr.博士(昨年までイリノイ大教授、83歳で存命)が受賞できなかったことである。Wikipedeaによると、此の人はダイオードレーザーなども開発しており、米国応用物理の分野では非常に有名らしい。またHolonyak元教授は、物性物理の分野で著名なJohn Bardeen博士(ノーベル物理学賞を超伝導理論とトランジスターの発明で二度受賞(注釈3)した)の最初の博士課程の学生であったという。もちろん、授ける側が決めることであり、文句を言う筋合いはだれにもないが、愚痴ともとれる文章がネットに見られる。 (http://bigstory.ap.org/article/e48f1b28d0614585ac46d2ce7df43c3f/led-inventor-feels-work-bypassed-nobel) 

 科学技術文明は無数の研究者の努力により現在の形になっている。そして、応用研究では特に膨大な数の研究者や投資者の努力(注釈4)で、商品にまで至る。そして、その中でたまたま一里塚的な位置にあった研究者をノーベル賞委員会が選び授賞する。
 別の喩え話を用いると: ある技術を取り上げた時に、その系図を辿ると1本の樹の様な形をしている。その木になった一つの美しい実にノーベル賞が与えられるのだが、その実は、根っこや茎や葉がなければ、そして、地中に栄養と水分がなければ決してならない。そして、その樹には多くの実がなっており、どれを選ぶかは委員会の主観による。この喩え話は、特に応用研究の場合にぴったり当てはまる。

 基礎研究では、例えば物理の分野で、アルバートアインシュタインを例にとっても、ハイゼンベルグを例にとっても、一里塚に居た人とは決して言えない。しかし、それらの天才的な学者も、科学の伝統の中に居なければ、何もできなかったことは確かである。

注釈:
  1)応用物理では、例えば、CCD(charge coupled device)という受光素子の発明でノーベル賞があたえられている他、核磁気共鳴を利用した、MRIの発明にもノーベル賞が与えられている。
2)紫外線LEDも開発されており、それと蛍光材料を用いた方式も有力である。
3)ノーベル物理学賞を二度受賞したのはこの人1人である。
4)中村氏は日亜化学という小さい会社の創業者から5億円の投資を受け、留学などを経て、この技術を完成した。

2014年10月6日月曜日

South Korea should show the evidences for the forced entrainment, if any: Comfort-woman case

 According to the Sankei-News, http://www.sankei.com/world/news/141005/wor1410050023-n1.html the ministry of foreign affairs of South Korea expressed a serious concern to the address of Mr. Abe, the prime minister of Japan, that worldwide misunderstanding has been spread on “the comfort-woman case” to defame Japan. Mr. Abe said in the budget committee that the fake story that the government of Imperial Japan planned and executed entrainment of many Korea women by force as the sex slaves in the World War II has been maliciously spread in the world.

 Now that the dispute on this case between the two countries is in the last stage, the Republic of Korea should open their files to show the solid evidence that Korea women were kidnapped by the Imperial Japan and sent to the military bases as sex slaves. If the files are persuasive enough, then most of the Japanese citizens will support the insistence of South Korea, and instruct the Japanese government as sovereign of the country to make apology and payment of reparations to the women who suffered from the barbaric plan. On the other hand, if the government of South Korea cannot show any evidence, then the negative campaign should be terminated immediately.

 In any case, the two countries had better share the information on the comfort-woman case and the researchers of modern history of the two countries should cooperate to explore the exact nature of “comfort woman”. The nations of the two countries should be cooperative to each other as the neighbors, and thus the two governments should remove the serious conflict on this case.

2014年10月5日日曜日

近現代史は、英米による世界宗教の確立過程か:「銃・病原菌・鉄」に学ぶ

「銃・病原菌・鉄」(ジャレド・ダイアモンド著)上巻に学ぶ:

 人類の歴史を、アフリカでの旧人の出現と全世界への拡散、そして5万年前の現人類の出現、その後の農業技術開発や野生動物の家畜化の起こった場所と時期、そして、それらの地域的不均一性などを、大陸の形と場所毎の地形や気候などを基に、大きな視点から考察している。農業習得と集団の住む地理的特徴から、社会形態とその発展時期に差が生じ、それが民族の繁栄と絶滅という運命の差を決定した。広い面積において農業を営む部族は人口密度を増加させ、人の集合に階層や専門化(武装集団など)を備えた、”社会”を発生させる。農業の次に鉄器の発展が重要で、必然的に鉄は武器に用いられる。南米のインカ帝国の数万の軍を相手に、スペイン、ピサロ軍が征服出来たのは、銃とキリスト教(注釈1)で武装していたからである(この部分は他書にもあるが)。このような世界の歴史を、深部(下部構造)から解説した集大成的な本だと思う。

 買われた方には先ず、第二章の最初に記載されている19世紀の出来事である、マオリ族によるモリオリ族殲滅の物語(2頁ほど)を読むことを勧める。この本を読むエネルギーが一気に充電されるだろう。クロマニヨン人(現人類、ホモサピエンス・サピエンス)が西ヨーロッパで先住民だったネアンデルタール人(ホモサピエンスの中の別種)を約四万年前に全員虐殺したであろうことから、19世紀のモリオリ族の消滅まで、歴史は現存民族による他の民族の殺戮(皆殺し)の歴史であった。それから未だ200年も経っていない。

 この本は(注釈2)、科学的姿勢で人類史を語ることで、我々をこれまでの暦史の教科書から開放してくれる。それは、この本から人間の価値感や正義感も歴史の進展とともに変化することを学べるからだろう(注釈3)。そして、我々日本人が22世紀に向けて生き残るには、人が持つ正義感を絶対不変なものでなく、時間(歴史)軸と例えば宗教軸(或いは世界地図)などの多次元空間の上に広げることが大切であることまで理解が広がった。その理解は、近代史を考える上で、そして現代政治に生きる上で、非常に大きな武器となるだろう。例えば、ヒットラーを絶対悪とする事は、正義の問題と言うよりも宗教の問題であることが解ってくる。つまり、英米の現在の国際社会における活動を、キリスト教をベースとした世界的宗教を確立し、それを全世界に広げる宗教活動であると見る事も可能である。そう考えると、米国は何故、アラブまで出かけていってイスラム国を名乗る人たちと戦うのかが解ってくると思う。(注4)

 その枠内に入っていない国として、イスラム圏があるが、非常に微妙な位置にあるのが日本国である。韓国による従軍慰安婦像の米国においける建設は、この英米世界宗教の外枠にへばりついている日本を、ヒットラー一味とともに蹴落とす極めて現代政治的な活動であることが解る。ドイツは、完全にヒットラー政権を悪魔の政権であったと評価することで、外枠から中に逃げ込もうとして、ほぼ成功している様に見える。

 兎に角、歴史的出来事を考える時に、壮大な視野を与えてくれる良書だと思う。上巻で感想文の一部を書こうと思ったのは、本書の書き方に鮮烈な印象をうけたからであることと、下巻を読んだ後では、そのエネルギーを失う可能性があるからである(注5)。

注釈:
1)キリスト教が植民地政策に重要だったことはよく知られている。人間を盲目的な武器に変化させることが可能だからである。イスラム国で英国人やフランス人を殺害する際、イスラム兵士の言葉の中に頻繁に”神”が出てくることを聴けば、この事が理解出来る。一神教において、異教徒は人間と看做す必要がないからである。
2)ここからは、自説の展開になります。
3)世界史の教科書には動く価値観に関する記述がない。そのため、教える先生方も生徒も、現在的価値観で歴史的出来事を評価してしまう。人は考える存在であるから、体型や頭の能力(ハードウエア)に変化がなくても、時代とともに変化(ソフトウエアを含めた進化)している。それを考慮しなければ、歴史的事実は正当(つまり、将来へ向けて有益な様に)には評価できない。
4)経済的見地からは別の見方も可能である。つまり、基軸通貨を発行する米国の連銀は、世界の中央銀行と考える事も可能である。その場合、世界の中心にある米国が、遠くてもアラブの出来事に関与することも当然である。
5)つまり、私が期待するのは、多くの言語の発生と、それらの質に大差があることの原因、そして、現在の奇跡的とも言える科学技術が何故発生したか? それについて、書ききれてない可能性が大だからである。
(一部ヤフーブログに掲載済み;10/5午前7:30投稿; 19:20編集;21:00最終稿) 補足:最初この文章の表題として、「銃・病原菌・鉄」の感想文としていました。しかし、文章の内容は編集により、本の感想文から自説の展開へと、重心が移ってしまいましたので、タイトルを現在のものに変更しました。統計からは、読まれた方が未だおられないことになっていますが、もしそうでないのなら、お詫びしなければならないと思っております。

2014年10月1日水曜日

御岳噴火の予兆を観測しながら何もしなかった行政府と被害者家族の紳士的態度

 先ず、今回の御岳山噴火で被災し死亡された方々のご冥福をお祈り致します。また、ご家族の方々に、謹んで弔意を申し上げます。
以下に、前半は気象庁が注意喚起を怠ったことに対する私の怒りの気持ちを、後半は被害者家族の方々の紳士的姿勢と日本の行政能力との関係を書きます。

1) 御岳山の噴火で今日現在47人の死者が出た。御岳山は火山であり、2007年にも噴火している。その10程前にも水蒸気爆発で怪我人をだしている。2007年の噴火の前に、前兆として火山性地震が多数回あったことが知られている。そして、9月10日から2007年の噴火以来となる多数回の火山性地震が観測されていた。http://www.sankei.com/affairs/news/140927/afr1409270050-n1.html 以下は、そのことを記した記事の一部である。

『御嶽山では噴火の約2週間前に地震活動が活発化したが、気象庁は前兆現象と判断できず、予知できなかった。噴火の記録が乏しく観測網も手薄だったためで、経験則に基づく噴火予知の難しさを示した。  気象庁によると、御嶽山では9月10日ごろに山頂付近で火山性地震が増加し、一時は1日当たり80回を超えた。しかし、その後は減少に転じた。マグマ活動との関連が指摘される火山性微動は噴火の約10分前に観測されたが、衛星利用測位システム(GPS)や傾斜計のデータに異常はなく、マグマ上昇を示す山体膨張は観測されなかった。  噴火は地震と比べると予知しやすいとされるが、過去の噴火で観測されたデータに頼る部分が大きい。気象庁火山噴火予知連絡会の藤井敏嗣会長は「今回の噴火は予知の限界」と話す。』

 もし、10日以降にその事実だけでも登山口や山頂近くのロッジに掲示し、気象庁から関係者に通知していれば、この被害のある程度防げたのではないか。産経の記事から解る事は、気象庁は、噴火予知が出来なくても、注意は出せた筈である。御岳山は噴火警戒レベルが設定された全国30の火山の一つである(気象庁HP)。特に入山禁止(噴火警戒レベル3)にしなくても、火山性地震が2007年の噴火以来となる程、多数回観測されているという事実を登山口や山小屋などに掲示出来た筈である。レベル設定などどうでも良いのだ。大事なのは、自分の判断で入山を止める選択肢を、登山客に与えることなのだ。

 テレビで、気象庁火山噴火予知連絡会の幹部は、「完全に予知できる訳ではないので、発表できない」という上記記事と同じ趣旨の言い訳をしていた。それは全くレベルの低い言い訳である。誰も、完全な予知など期待していない。天気予報でも、台風情報でも、特別警報を含め完全にはほど遠くてもそれらを発表しているではないか。気象庁の責任を調査し、責任者を処分するべきである。

2)被害者の家族の冷静な対応を、テレビのインタビューなどで見て、何と言う礼儀正しい人たちだろうと感心した。そして、次に、この礼儀正しい冷静な態度を、同じ日本人として誇りに思っていて良いのだろうかと考えてしまった。隣国に大きな船の事故があったとき、原因が究明される前でも、家族の激しい政治に対する怒りがテレビに映されていた。
 つまり、多数の火山性地震を観測しながら、何の対応もしなかった気象庁の職員の対応に対して、声を震わせて怒るのが自然ではないのか。確かにレベル1−5の2と言うにはデータが十分でなかったという言い訳はあるだろう。しかし、レベル設定などどうでも良いのだ。要は、情報を公開して、あとは自己責任で登山するかどうかを決めてもらえばよいのである。

   香港で、返還時に約束された50年間の自由主義があやうくなっているとして、大規模なデモが行なわれている。一国二制度を守れるかどうかのターニングポイントであるとして、嘗て日本にあった安保反対のデモレベルの規模で怒りを表現している。

 ところで日本の現在の政治であるが、消費増税、配偶者控除の廃止、高額医療の負担増など、次々と国民負担を増加させる傾向にある。また、円安政策により、国内物価の上昇はこれから大きくなってくる筈である。新自由主義的政策、産業の空洞化、円安による実質給与の減少などと、極めて悪化した政府の財政体質が原因なのだが、人々が大きなデモをするどころか、目立った反応は何もない。
 この静かな国民性と、ある時点で制御出来ないレベルまで沸騰する国民性は、実は日本人の政治ストレス応答曲線の典型である。 社会を変えるのは人民の意志、つまり悪政に対する怒り、であるとすれば、政府の小さな失敗や悪政には小さく怒り、大きな失敗や悪政には大きく怒るべきである。その大衆の意志と国政を預かる為政者との間の“感情交換”というべきものが日本には欠けている。それが、優秀な政治家が育たない素地なのだろう。
 政治家にこの日本の体質を変えることは出来ない。有権者の怒りしかないのだ。カタストロフィックな出来事が無いと、この国は変われないのかもしれない。
 

2014年9月30日火曜日

御岳山への登山者に、何故注意情報を与えなかったのか

 御岳山の噴火で多数の死者が出た。御岳山は火山であり、2007年にも噴火している。その10年程前にも水蒸気爆発で怪我人をだしている。2007年の噴火の前に、前兆として火山性地震が多数回あったことが知られている。そして、10日からそれ以来となる多数回の火山性地震が観測されていた

 もし、10日以降にその事実だけでも登山口や山頂近くのロッジに掲示し、気象庁から関係者に通知していれば、このような被害はある程度防げたのではないか。気象庁は噴火予知は出せなくても、注意報は台風でも津波でもだしているのだから、警戒レベルを一段階上がることは出来た筈である。或いは、火山性地震が2007年の噴火以来となる程、多数回観測されているという事実だけを登山口や山小屋などに掲示しても良い。

 兎に角、日本の行政は責任を取らないくせに、ずさんである。最初から仕事をする気がないのか、と疑いたくなる。テレビで、気象庁火山噴火予知連絡会の幹部は、「完全に予知できる訳ではないので、発表できない」という趣旨のことを言って言い訳をしていた。それは全くレベルの低い言い訳である。誰も、完全な予知など期待していない。天気予報でも、台風情報でも、特別警報を含め完全にはほど遠く住民の信頼を得ていないではないか。気象庁は全てのデータを出し、自分達の責任を調査し(或いは第三者委員会を組織して国会が)、責任者を処分するべきである。
 今後、大雨が降った場合、泥流が予想される。その際の被害予想などもシミュレーションして、対策を検討しておくべきだと思う。

追加:
東北に大震災のあった数週間前に、あの地方で大きな地震が近いうち(数ヶ月程度)にあると、テレビで予言した琉球大の地質学者の木村教授は(注1)、御岳山で2010-2016年の間に、噴火が起こると2013年に出版の本に予言していた。木村教授は、”東海地震は起こらない、富士山噴火は起こる”など、大胆と思われる予知を出しておられる。教授の予知は、後だしジャンケンが可能なように含みを持たせたような出し方ではないので、信頼出来ると思う。  ただ、日本と言う国では、昔から権威が実力よりも重視される(注2)ので、地震学者でない木村教授のような方の予言は無視される。 注釈; 1)”たかじんのそこまでいって委員会”だったと記憶している。たしか3ヶ月程度の短い間にという話だったので、司会の辛坊治郎氏が、本当ですか?と何度も念を押していたことを記憶している。 2)全く関係ないですが、明治時代、画壇の長老の黒田清輝に評価されなかった、レオナール藤田を思い出す。近い例では、天皇陛下の心臓手術の際、執刀者は順天堂大の人でも、場所は東大病院でという奇妙なことになった。

2014年9月29日月曜日

"Comfort Women" were not sex slaves : A fake story made by Korea

With hoping a good relation between Japan and Korea:

1) On August 5 and 6 in 2014, Asahi Shinbun (a major newspaper of Japan) has withdrawn the article published in 1982, which reported that the army of Imperial Japan abducted many woman of Jeju (South Korea) as comfort women (1). The story had been taken maliciously from the book written by a forger Seiji Yoshida(2). Later, a researcher of modern history, Prof. Ikuhiko Hata, visited Jeju to find out the evidences and testimonies to check the Yoshida’s story, but nothing was found (3).

This fake article of Asahi Shinbun (4) made an essential role in the international community (United Nations, USA, China, etc) to give the basis to accuse Japan of abusing many Korea women as sex slaves in the military bases. Since South Korea has been very active in lobbying in the foreign countries for the Comfort Women Issue, it has appeared at the United Nations in 1994 (Commission on Human Rights Resolution 1994/45 ) and resulted in the so-called “Coomaraswamy Report” (Addendum) in 1996. Now that the Seiji Yoshida's testimony has been identified as a fake, there is no "sex slave in Japan military", and the sex-slave scandal to Japan should be erased.

2) It is true that many crimes including rape occurred around the military bases near the battlefields. It was also the case for the Japanese soldiers. For example, Japanese soldiers sent to Indonesia abducted women forcibly as comfort women. Since the incident was a crime against the rules of Japan Military Force, the soldiers were punished as the result of military tribunal and the brothel there was closed (5). In addition, military personnel involved in the matter actually convicted in the International Military Tribunal for the Far East, and has been sentenced to death by hanging.
Since most of the intellectuals of Japan had been affected by the sprit of Bushido (the sprit is still alive in Japan as many foreign visitors admit) (6), Japan army had prohibited filthy conducts such as entrainment of women by force, even though they helped the managers of the brothel.

The original cause of war is poverty of people in the corresponding area. This is similar to the chemical reaction: a chemical reaction, including combustion, occurs because a large free energy change accompanies. (7) A small flame of a match triggers it, which is not the real cause. In the 1940s, Far East Asia was covered with poverty and many girls were sold or solicited by their family to save other members lives. The Comfort Women Issue should be analyzed with taking into account of these miserable situations.
Comfort women were sent from all the territories of Imperial Japan, including Korea and Taiwan. Most of them (70% or more) were from the whorehouses of Japan. Comfort-woman system was invented by the Japan army for the soldiers to prevent raping of citizens, and to keep their fighting sprit high by removing the risk of STD. In addition, those who run a brothel was able to collect the customers easily. All these are realized with the sacrifice of many miserable women. It was really a sad story. However, I would ask to the peoples who blame Japan and keep living in peace and rich environment: Are you all qualified to condemn those who were involved in this filthy affair, "comfort woman"?.
I would like to point out that the comfort woman case has not come out from either Japan or Taiwan. I also lay stress on the fact that the most miserable fates were of the soldiers, who killed in the battlefield by their enemy or by hunger.

3) From the political point of view, it is very important to recollect that Japan and Korea had signed Japan‐Republic of Korea Basic Relations Treaty in 1965. The comfort women issue should be the domestic issue after that in both countries. During the negotiation for the treaty, the sovereignty over a small island Takeshima was discussed and left shelved for the future resolution, but no serious discussion was made on the "comfort woman". No women had claimed compensation to their miserable experiences even after 20 years of that time. After the publications of the book written by Seiji Yoshida and the following articles in both Asahi News Paper, both referred above, and the weekly “Asahi Journal”, the government of Republic of Korea employed the "comfort women issue" to redirect the dissatisfactions of peoples with the policy of the president(8). In fact, the propaganda to condemn Japan with the “comfort women issue” has been intensified recently by both presidents of Korea Lee Myung-bak (李明博) and Park Geunin (朴槿恵).  The presidents know well that this method is very effective, since Korea has been suffering from national inferiority complex, which was planted when they lost their national regime and they could not avoid occupancy by Japan. Before Japan's annexation of the Korean Peninsula, Korean people had enjoyed a superior complex, because Korea had been authorized by China, but Japan was, they considered, merely a barbaric country. The direct proof, indicating that the comfort women were actually sex slaves, was lost completely now as mentioned in 1) and 2). They now totally rely on the concept of "force in the broad sense". However, this phrase, “the force of a broad sense”, belongs to the world of sophistry.

4) In the World War II, many Japanese conscripts died in South East Asia without any awards from their country and also without any military effect to the enemy. In the final stage of the war many students of universities, including Seoul University in Korea, were drafted and killed in vain. In the final stage of the war, USA dropped the atomic bomb on both Hiroshima and Nagasaki and hundreds of thousands of citizens were burnt to death. These tragedies were partly due to the incompetent leaders of the Imperial Japan, and also due to the ugly nature of human being including that of USA and other western countries.
After Japan notified the acceptance of Potsdam Declarations, the Soviet Union sent many soldiers to the territory of Japan after discarding unilaterally non-aggression pact. Many soldiers of Japan alive were taken to Siberia, and engaged in forced labor. As the result a lot of soldiers were frozen to death or died of malnutrition.

All the historical events should be assessed by taking into account of the circumstances and values of that era, and they should not be interpreted in the modern sense and values. The modern people should be more humble before these harsh events and facts. Here, I condemn of the damn act of Korean presidents who take advantage of the old harsh history to improve their present political situation, and also to improve the relative international position of Korea by disgracing the honor of Japan. It is really an ugly conduct of Korea to build the statues of comfort woman in a foreign country, i.e. USA, with the false statement "she was abused as sex slaves by the Japan Army".

5) Speech of the President of South Korea made last week in the United Nations did not address specifically on the comfort women issue. Some people say that it has a certain consideration towards the Japan-South Korea relations. However. the compromise on the bilateral relation is the issue of South Korea, and not that of Japan. Prime minister Abe should not respond to the wink of President Lee, "Please throw the words for the improvement of Japan-Korea relations". He had better wait the word of President Lee that "I am very glad to meet you, Prime Minister Abe. Lets resume the spirit of the basic treaty between our two countries, and celebrate the 50th anniversary. I think that improvement of Korea-Japan relationship should be very fruitful to both countries” after they have removed all “the sex slave statues” in USA.

Reference:

1) A special type of prostitute. Brothel and prostitutes moved with the army. The army was cooperative to the manager of the brothel in every aspect, but the army was not the manager. Most comfort women are sent from Japan and the rest from Korea and Taiwan. They fought with the soldiers when enemy attacked the base.
2) Seiji Yoshida, “My crime in the war time (私の戦争犯罪)”, San-Ichi Shobo (1983);”Korea comfort women and Japanese (朝鮮人慰安婦と日本人)” Shin-Jinnbutu Ohraisha (新人物往来社) (1977)
3) Ikuhiko Hata, “Comfort Women and Sexual Life in the Battlefields (慰安婦と戦場の性)”, Shincho-Shinsho, 1999 (ISBN:9784106005657 (4106005654)). Several years later , Prof Ikuhiko Hata (秦郁彦)went to Jeju to gather up the testimonies and evidences to make check the content of Yoshida’s book, in which he wrote that he joined the group to abduct many women. However, no evidence was obtained. Recently some reporters of a TV station went to Jeju and got an interesting response of men there, who said that they should have fought against Japanese soldiers if their wives or children were going to be abducted.

4) Asahi News Paper (daily), Sept.02, 1982. withdrawn on Aug.05, 2014.
5) Koichi Sugiyama, “The arm against the sex slave scandal is facts (唯一の武器は「事実」)”, Will (a monthly journal of japan), pp230-239, No 8 (2007).
6) Inazo Nitobe, “Bushido, the soul of Japan”, The Leeds and Biddle Company, Philadelphia, 1899. 2’d edtiton; G. P. Putman’s and Sons, New York, 1905.
7) For example W. J. Moore, “Physical Chemistry”,3'rd ed., Prentice Hall, N.J., chap.6
8) == will be edited ==

2014年9月23日火曜日

日本の戦後政治に左派はなく、反日政党が左派の仮面をかぶっていた。

 右派は国家主義、自由主義経済などに立場の重心を置き、左派は社会主義、人民重視、労働者の権利に立場の重心を置く。この伝統的な議会構成で政治を語ることが、西欧先進国で冷戦時代まで有効であった。しかし、日本では、そうではなかったと思う。

 日本では左派と言われていた政党は、実は反日政党だった(注1)。日本共産党はコミンテルン(ソ連が中心の国際共産党の組織)の日本支部であったし、元社会党委員長の勝間田清一氏はKGB(ソ連の機密情報組織)の工作員であった(注2)。左派は、学生達には知的な印象を与え、一流大学は、当時の自民党政権の愚かな指導者の下で、優秀なる反日分子を育てる役割を担った。

 彼らが、日本の中央地方の行政組織や政界、そして、マスコミ関係に進出した結果が、今日の日本の姿を作った。その最も解り易い例が、日本のマスコミを代表していた朝日新聞が、反日捏造報道を繰り返し、それを読む事が知的なこととされていたことである。

 つまり、日本は左派、右派の他に、反日、民族主義の4つのベクトルで、政治の空間が作られていた。敗戦国となったこと、その結果日本独特の住民構成が出来たこと、などが相互に関連した独特の政治環境も原因になり、反日は左派の面をかぶり、民族主義は右派に合流して右派の面をかぶった。そして、日本にまともな革新政党(左派)も保守政党(右派)も出来なかったのではないかと思う。

 下は、サウンドオブサイレンスの歌詞の一部である。日本を唱っているような内容なので、直接関係ないが、引用。 Ten thousand people, maybe more
  
People talking without speaking 
People hearing without listening
 
People writing songs that voices never share
 And no one dare Disturb the sound of silence.
 “Fools” said I, “You do not know
 Silencelike a cancer grows” (映画“卒業”の中での音楽、サイモンとガーファンクルのSound of Silenceの歌詞)

注釈:
(1)共産主義国家は、実際にはスターリンや毛沢東が皇帝である中世的帝国だった。国外の帝国の手先であった日本共産党は、従って反日政党であったと言える。(11:40追加) (2)1982年のソ連から米国に亡命したレフチェンコは、勝間田氏はKGBの工作員であったと米国議会で証言した。そして、1986年勲一等旭日大授章を受けた。1989年死去。
 

2014年9月12日金曜日

塩野七生氏の「朝日新聞の告白を越えて」を読んで

 文芸春秋10月号に掲載された、塩野七生さんによる上記表題の記事を読んだ。朝日の8月5日に出された、慰安婦誤報に関する検証記事に、どう日本(注1)は対処すべきかについて書いたものである。朝日新聞を虐めることで鬱憤を晴らすレベルの低い話ではなく、それを好機として世界に広まりつつある、「日本軍は性奴隷を伴って行軍していた」という誤解を、如何に解くべきかについての塩野さんの考えである。以下は私が理解した内容を“である口調”で書く。

 先ず、朝日の記事を分析すること、そして、朝日側からオリジナルな情報を全部提出させること、それに加えて、他の情報源からも集めることが大切である。その一例として、元オランダ兵士でインドネシアジャワ島に於いて日本軍捕虜になったウィレム・ユーケス氏を探して、当時のインドネシアでの日本軍の様子や、性奴隷と日本軍の拘わりなどについて、証言を得たらどうか。朝日の記事に「インドネシアでは現地のオランダ人も慰安婦にされた」とあったが、この部分は特に注意して対処しないと、日本国の本質に拘る形で(つまり、政治的だけでなく本質的に)欧米を敵にまわしてしまうことになるからである。ユーケス氏は、現地で日本軍の通訳として働くが、その後スパイ罪で終戦まで服役することになった。氏は、インドネシアでの日本軍と現地の両方の情報に詳しい筈の数少ない存命中の知識人だからである。

 その上で、朝日新聞社の関係者を、更に、この問題に関係した与党現議員や元議員をも召喚して、国会において証言させ真相解明をすべきである。また、そのプロセスを、全て公開すべきである。言論の自由との関係で、国会召喚に慎重になることは間違っている。例えば米国において、クイズ番組での不正な番組作り(つまり、やらせ)が問題になり、上院で査問委員会が開かれた例がある。その結果、コロンビア大学の著名教授の息子で同じ大学の講師であったその番組の回答者の一人が、大学から解雇されたという。報道の自由には報道の責任を伴い、その責任に拘る今回の件は、国会召喚してでも解明すべきである。この問題で、日本は徹底的に膿みを出し切るチャンスである。

 この問題は日本人が考える以上に重大である。それは、官憲が組織として、若い女性を性奴隷とした(しかも白人を)などという事実があれば、西欧諸国はくちに出せないレベルの深みから(注2)、日本人(文化)を侮蔑忌避することになるだろう(注3)。これは、長い間の在外経験から、キリスト教徒である彼らの心理の深いところに関する理解による。

 以上出来るだけ短く書いた。私は、全くこの塩野七生氏の意見に賛成である。世界の信用を得るには、日本国も矢面に立って、オリジナル情報と西欧的論理によって全てを表に提出する(裁くと同時に裁きを受ける)ことが必要である。ただ日本は、そのような”世間を波立たせること”を行なう能力に欠けるかもしれない。この国では、中身も持たなくても”人柄がよい”人が出世して、上の地位に就くので、国家の指導者や各方面のトップには、実行力はもとより実行する根拠を示せる人が少ないからである。しかし、幕末の時の様に、日本国の全ての”物を考える習性のある人”が危機感を持てば、何処かからその能力が出てくるかもしれない。そして、そのような危機感を持つ時であると私は過去のブログhttp://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2013/09/blog-post_22.htmlにも書いた。

注釈:
1)日本政府と書くべきだが、政府だけに任せておけばでは何もしないだろう。日本国民、日本の会社、日本の大学、など日本すべての意味である。
2)口に出せるのは、自由(宗教のなど)、人権、平等、男女同権など表の世界に陣取る考え、一方口に出せないのは、表の世界の論理に矛盾してでも優先される、女性、子供、キリスト教、白人を大切にする気持ちである。
3)それは、”表に出ない”大きな損害の理由になりうる(これは私に寄る追加)。

2014年9月6日土曜日

高い経済的地位は国防である。優秀な人材の住み良い国にすべき

 経済の急激なグローバル化は、先進国にはデフレ圧力となって、金融緩和競争となっている。その結果、日本国民の給与は相対的に低下し、富裕層と貧困層の二層化や通貨価値の下落による将来に対する不安などにより、社会を不安定且つ荒廃したものにする可能性が高い。一方、大企業にとっては、国の境を越えて活動出来るため、多くの企業とネットワークを組むことになり、”住み易い”環境となった。

 この経済のグローバル化は、歴史の方向であるので、必然である。また、政治がしっかりしておれば、その環境下でより豊かでより平和な国にすることが出来ると思う。自国軍を持たない我が日本国政府には、以下のことを特に重要な問題として考えて欲しい。

 中国であれ日本であれ、富は主に大企業が産む。二国間での紛争が起これば、それら大企業の活動に支障をきたして、両国だけでなく世界的な不景気の原因に成り得る。つまり、その不景気という脅威が、戦争や紛争のブレーキになっていることに注目すべきである。

 ウクライナ紛争で、西欧諸国とロシアが本格的衝突を避けているのは、その良い例である。西欧諸国のガスを生産しているのはロシアであり、ロシアからのウクライナ経由のパイプラインが止まれば、大変なことになる。また、中国の周近平主席も、日本との関係改善を考えているのは、この大企業の経済環境を破壊したくないからである。

   つまり、日本が高度な技術水準や科学的創造性を失わないことは、世界的な日本企業の地位を保ち、更に、優秀な新しい日本企業を産み育てることにつながり、それが経済だけでなく、国家の防衛にも大きく寄与するのである。その為、日本は知性ある人が海外に去りたくなるような国であってはならない。それを、国家防衛の一つとして考えるべきである。

 昨日(9/5)のモーニング・サテライトによれば、東大経済学部の伊藤隆敏教授が、米国のコロンビア大に転出することになった。その理由は、「年齢が来れば業績もなにも関係なく定年退職になる日本に不満があった」とのこと。物理や化学のノーベル賞受賞者など、日本の研究者で米国在住を選んだ人がかなりいる。
 創造的な人、高度な技術や知性を持つ人が住みたい国になることが、単純労働者を受け入れることよりも遥かに、この国にとって大切であると言いたいのである。

2014年8月26日火曜日

CO2による最近の地球温暖化を完全否定する訳ではないが


2022年12月から追加: 二酸化炭素の収支を考えることが重要です。現在でも人為的に発生する二酸化炭素量よりも、植物による空気中からの取り込みの方が遥かに大きい。その点について指摘した昨年の記事を合わせてお読みください。 https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12712859076.html


はじめに: 先日、広島の土砂崩れにより多数の死者を出した。この件、自然現象が直接原因だが、他に二つの人為的因子が存在する。一つは、危険箇所での住宅建築を許可した行政の責任であり、もう一つは、所謂地球温暖化の問題である。頻発する豪雨とそれによる土砂災害の一因はCO2による地球温暖化であるとの考えを屢々見聞きするので、今回、地球温暖化問題を基本的データを元に再考してみた。データの出所は夫々の図に示した様に、全てネット上である。
 この問題に関しては、アルゴア氏の本の極端な記述に対する批判や世界気温の急上昇を示した“ホッケースティック図”に対するデータ偽造などの疑惑から、資源の温存を狙う西欧先進国による陰謀説なども出て、地球温度上昇を二酸化炭素の増加によるとする説自体が疑惑に包まれた感があった。更に、地球物理や地球環境を専門とする学者からも地球温暖化CO2原因説に否定的な意見が出ており、私はそれに賛同してきた。それらを疑問点を解消すべく、一から少し真面目に自分の意見を作るべく、この問題を考えた。

1)IPCCの地球表面温度の観測報告と最近の温暖化停滞について
 地球温暖化(問題)としてウィキペディアで説明されているのは、地球全体の気候が温暖になる自然現象を呼ぶのでなく、近年観測されている「20世紀後半からの温暖化」である。この “20世紀後半の温暖化に関しては、人間の産業活動等に伴って排出された温室効果ガスが主因と見られ、2007年2月に国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が発行した第4次評価報告書 (AR4) によって膨大な量の学術的(科学的)知見が集約された結果、人為的な温室効果ガスが温暖化の原因である確率は9割を超えると評価されている”と書かれている。


 つまり、地球物理の方々が主張している、大きな自然現象としての気候変動とその原因とは別に、この数十年の、地球物理的には小さいが人間生活にとっては大きな意味のある地球高温化は事実であり、その主因は地下資源を燃やしたことなどで排出されるガス、特に二酸化炭素であるとかかれているのである。
 図(1)左図に幾つかの温暖化ガスについて地球温暖化効率が見積もられている。一番効果が大きいのは、従来から言われている通り、二酸化炭素である。右図の世界の気温であるが、図にあるようにこの50年に0.5度ほど上昇している。良く見ると、最近の10年ほどの平均気温は、ほぼ一定しており、これが従来の考え方と合わないとして議論されてきた。これに関しても、最近、海水へのエネルギーの流れで説明する論文が発表されている。(注1)

2)温室効果と温暖化ガス
 図(2)は、マクロな視点で地球温暖化を捉えるための、黒体輻射の法則(注2)を利用した単純化されたモデルである。問題を議論するスタートとして利用される。この図は、文部科学省のHPに記載された名古屋大松井教授の報告書から転載したものである(注3)。地球の空気を含めて黒体と考えるこのモデルでは、温暖化ガスの増加は、空気の層が厚くなることに相当する。太陽から来た可視光線などが地表で熱に変換され、元々の赤外線も加わって地球を暖める、そして平衡状態では受け取った熱は全て地球上から宇宙に放射される。その熱エネルギーの全量が変わらず、且つ上層から地表までの大気の間で、熱のやり取りが十分早いという仮定の下で地表面の温度を考えるのである。


 そこで、太陽から来るエネルギーは例えば太陽を6000度の黒体球とすると、地球に来るエネルギー放射が計算できる。  黒体輻射の放射エネルギー(R)はシュテファン=ボルツマンの法則:
 R=σT^4; σ=5.67 x 10^-8 (Wm^-2K^-4)
を用いて計算される。 そこで、地球の位置で太陽光線と直角に面する時に受け取るエネルギー1366 W/m^2(太陽定数)から、その1/4(342W/m^2)が平均的な地球表面が受ける単位時間当りのエネルギーである。そして、その内の雲や地面から直接反射された分を除いた、240 W/m^2分が吸収され、熱平衡が成立しているとすると同じ分が放出される。黒体輻射の式を地球の熱放射にも利用すると、地表の温度が図にあるように摂氏-18度になるのである。

 空気が酸素と窒素とアルゴンのみである場合、太陽エネルギーを吸収しないので、地球へ届いたエネルギーはそのまま放射される。そこで、地球表面は摂氏-18度になる(一番左)。空気に温暖化ガスがあると、それらが途中で暖められる。また、地表から放射された熱がその温暖化ガスに吸収されて地表にもどされる。その場合、反射されたエネルギーと太陽から受けたエネルギーの和が、平衡状態で放射されるエネルギーと計算される。その結果、地表からは390W/m^2の放射が起こるとすると、それは地表面の温度摂氏プラス15度に相当する(単なる観測結果と合わせているだけである)。これは地表面と空気層を温室のビニル屋根に見立てた”温室モデル”であるが、連続的に空気が存在するので当然定量的な議論としては単純化し過ぎである。

 温暖化ガスがあっても地球外放射は同じであるから、平均的な放射面が温暖化ガスの増加とともに上昇すると考えられる。平衡がなりたっておれば、上空の-18度の空気と地表面の15度の空気を仮想的に入れ替えても変化がおこらない。つまり、摂氏-18度のガスを断熱圧縮して1気圧にしたときに摂氏+15度になると解釈できる。
 図(1)は人工的に排出されたガスをリストしているが、実際には温室効果ガスの大半が水(水蒸気)である。本来脇役である筈の二酸化炭素などが、”付加的な最近の地球温暖化"であっても、その主役であることを主張するには、もう少し緻密な議論が必要である。現状では二酸化炭素濃度増を主原因として、”最近の”地球温暖化が起こっているという説は確定していない。そこで、一度原点に戻ってこの問題を考えることにする。

3)空気に含まれるガス成分の光吸収と太陽から来る光の減衰
先ず、空気成分の光透過率を示す。これは、大気物理学(Atmospheric Physics)のジョージア工科大Sokokik 教授が講義ノートとして公開したものである。

ここで、一番下の図が空気の透過率になる。可視光線は殆ど透過するが、赤外線は相当広い範囲で吸収され、その大部分が空気中で%レベルの濃度を持つ水、つまり水蒸気による吸収である。水の基本赤外吸収は3657/cm; 3756/cm;& 1595/cm(/cmはカイザーつまり1cm当りの波数)であるが、倍波吸収などにより近赤外領域まで周期性を持った強い吸収を示す(注4)。ここで、透過率の高い部分を“大気の窓”と呼ぶ。例えば、最下図の波長8〜13μの領域が代表である。吸収の大きい、つまり、透過率の小さい波長領域は、主に水の吸収によるが、4.3 μと15μ付近に二酸化炭素の吸収が、9.6μ付近にオゾンの吸収がある。その他メタンによる~3μ付近と8μ付近にもかなり強い吸収があることが解る。
 太陽のエネルギー放射曲線と地表からの熱エネルギー放射曲線: 

 図(4)は同じくSokokik教授の講義(講演)資料からとった、太陽からくる放射エネルギーの波長依存性である。破線で示したのが、6000K(絶対温度6000度;摂氏5700度)の黒体放射スペクトルである。上の実線が大気圏外でのスペクトルで、その下が地表でのスペクトルである。紫外線部分が削られているのはオゾン層での吸収だろう。斜線により影をつけた部分は、大気内のガスによる吸収で減少したエネルギー部分である。当然、そのガスは上空で加熱されることになる。  ここでは波長2.5ミクロンまでしか書かれていないので、太陽エネルギーの大部分は可視光線と波長の短い赤外線(近赤外線)であることが解る。ここで注目したいのは、水による近赤外線の大きな吸収である。地上に来るまでに、おそらく15%(後に上げる図で、全大気による吸収は約16%)くらいは吸収されている。
 上記図(3)と(4)を一つにまとめて示した図が下のもので、情報的には何も加えないが、解り易いのでのせておく。

 図の2段目の吸収と散乱の効率を見ると、地上は光線から厚く遮蔽されていることが良くわかる。そして、水蒸気が近赤外から長波長部分を遮蔽する主なガスである。4.3μと15μ付近に炭酸ガスの吸収があるが、それがどの程度最近の人工的原因による地球温暖化に寄与しているか?が本文章のテーマである。 図上段の赤外部分の3本の線は恐らく、310K, 260K, 210Kの夫々黒体輻射を表わしているのだろう。青い部分は、”地球表面から放出された赤外線”を地球外から見たスペクトルだろう。後で説明する様に、実際に地表から大気の窓を通して放射されるのは約6%のエネルギーに過ぎない。また、人工衛星を使った観測では、上空大気からの放射がほとんどであり、このような形にはならない。

4)地球からの熱放射への温暖化ガスの影響

 図(6)上図に示されているのは、人工衛星から観測した地球からの放射スペクトルである。下図は、太平洋上熱帯地域での上空からの赤外線放射である。http://wattsupwiththat.com/2011/03/10/visualizing-the-greenhouse-effect-emission-spectra/ つまり、上のグラフが地球から出て行く赤外線のスペクトル、下のグラフが上空から地上に放射される赤外線のスペクトルである。破線は地表表面温度の黒体放射曲線とだけ書かれているが、ヴィーンの変位則から計算すると300K位である。
 下図の7μから13μまでの凹んだ部分に対応する赤外線は能率良く宇宙に放射されていること、上図の凹んだ部分から、夫々水分子(7μ、13μ以上)、オゾン(10μ)、二酸化炭素(15μ)が、括弧内に大凡の波長でしめした領域の赤外線を宇宙に逃がさないようにしていることが解る。以上は、温室効果ガスが実際に地球の温暖化に寄与していることを示している具体的な証拠であり、重要な結果だと思う。  この図及びこの図の元になった図で気になるのは、横軸である。上図をよく見れば、横軸目盛として波長(μm)が書かれているが、等間隔でも対数表示でもない。そのこと及び縦軸の単位からも解る様に、波数(/cm)が横軸であった図を左右逆転して表示したものである。注意を要するのは、一般に波長を横軸に表現された放射スペクトルと振動数(波数)を横軸に表わしたスペクトルは、ピークの位置も形も異なるということである。(注5)横軸を波数で表示したのは、二酸化炭素の効果を大きく見せたいとの意図があったと思われる。地球からの輻射曲線のピークが、丁度二酸化炭素の吸収域に来るからである。  この図を見て、二酸化炭素の重要な役割を感じるが、定量的議論がなければ近年の地球気温の温度上昇の機構だという決定的証拠にはならない。
(補足:図(6)の原図は縦軸単位を適当にとっている筈であり、科学的には問題が無いと思われる。適当とは、”X軸と曲線に挟まれた部分の積分値が、その波長範囲で観測された放射エネルギーになる”と言う意味である。2015/6/8)

5)エネルギー収支の問題 
 ここまで、IPCCの主張する人工的に放出された二酸化炭素などによる、追加的な地球温暖化とそのメカニズムを、太陽光の入射スペクトル、大気の吸収による地上でのスペクトル、そして、人工衛星で観測した上向き及び下向き放射のスペクトルなどから、考察した。ただ、実際に二酸化炭素などが地球の温暖化に著しく影響しているかどうかは、定量的な議論がなくてはならない。そこで、以下にエネルギー収支の問題を既存の図などを用い考えてみる。

   上の図(図7)はhttp://ja.wikipedia.org/wiki/地球のエネルギー収支 から採った太陽から入射するエネルギーと地表から放射されるエネルギーの入射及び放射経緯である。黄色は可視光線を赤は赤外線を表わしている。本来この全てのプロセスを定量的に考察しなければ、温暖化ガスによる地球温暖化は説明できたとは言えない。大気による吸収は16%あるが、これは図3にある水による吸収が大部分だろう。また、雲による太陽光の反射が20%あるので、雲の生成と地表温度の関係も当然大きい。
 また、地球表面で吸収された太陽エネルギーの割合が、地表面の形状によっても大きくことなること、地表面から空気中へのエネルギー移動には水分の蒸発による潜熱としての移動と直接空気と地面との接触による顕熱としての移動があるが、両方とも風速に依存し、潜熱移動の場合は更に湿度(より正確には比湿と飽和比湿の差)にも依存する。これらのプロセスは、詳細に大気物理学として知られているが、その分野の専門家でも明確な答えは出せない位複雑である。(注6)
 
6)二酸化炭素など温室効果ガスの増加による地球温暖化説への反論:

 図(7)と重なるが、図(8)に示したのは、各プロセスにワット数を直接記したものである。大気と地表との放射の交換が直接書かれていて解り易い部分もあり、相補的に図7−8は用いると、現象に対する理解が進む。図(6)の上のスペクトルは、夫々大気による放射と大気の窓経由の放射の和であり、下のスペクトルは大気による放射である。図(4)の太陽からのエネルギースペクトルは、左の入射する太陽放射342Wと、一番内側のat the sea levelと図中に示されているのが、地表による吸収部分168Wである。
 以上の様に、地球の表面温度に影響するプロセスはたくさん考えられる。従って、人工的に排出された温暖化ガスによる地球温度上昇という幾分単純なモデルに対する反論は多い。その中で説得力があったのは:
(A)地球に届く宇宙線の量が、太陽の磁場が大きくなると減少する。それが大気圏の雲の発生量の減少を招き、それにより太陽エネルギーの反射量の減少が地球温暖化の進行の原因であるという説である(注7)。ただ、2003年のP. Lautらの論文(注8)により、これが否定されたと言われている。つまり、宇宙線量と低層雲の量に相関がないというのである。また、 アラスカ大学教授(地球物理)であった赤祖父俊一氏の講演によると、(B)地球温暖化は起こったとしても1度以下だろうとのことで、大した問題ではないとの話もあった。更に、地球温暖化などの問題は時間的余裕もあり、まだまだ学者の研究する領域であり、政治的問題ではないと指摘している。

7)原点に戻ってIPCC報告等に対する最も基本的な疑問点:
 もう一つ、根本的な問題が東北大名誉教授の近藤純正氏によりサジェストされている。
それは、(C)IPCCの気温のデータは確かかどうかというものである。近藤氏は明確には書かれていないが、読者にはそう伝わる:http://www.asahi-net.or.jp/~rk7j-kndu/kenkyu/ke04.html

 図(9)は、長野県の都市化が進んだ長野市と、都市化が進んでいない飯山市での約100年間の気温変化である。これは代表例で、他にも日本中の都道府県の都市化部と田舎部での気温データのペアが示されている。何れも都市部での温度上昇は、最近急に高くなっているが、田舎部では殆どコンスタントである。http://www.asahi-net.or.jp/~rk7j-kndu/kenkyu/ke04.html
 都市部では人のエネルギー消費が大きくなることのほかに、コンクリートとアスファルトで地表が覆われることが多くなり、図(8)にある潜熱によるエネルギー移動や建物が建つことによる顕熱としてのエネルギー移動の双方が小さくなる。従って、都市化の進行によって観測地点の温度が徐々に高くなるだろう。それがそのまま統計データに入っているのではないだろうか。もしもそうなら、赤祖父俊一氏の言うように二酸化炭素の大気圏での増加による温度上昇はさほど大きな値ではないことになる(注9)。
 つまり、IPCCは世界各地で比較的都市化が進んだ場所のデータを集めている可能性があるのではないかという疑問である。もしそうだとすると、この10年間、あまり気温に変化が無い理由も解ってくる。先進諸国は殆ど日本病とおなじであり、デフレに苦しみだした10年だから、都市化の拡張が抑えられる傾向にあったからである。

終わりに:
 私は、以前から二酸化炭素による地球温暖化説を疑っていた。
http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/01/blog-post_23.html そして、今回、IPCCの考え方を真面目に考えてみた。その結果、図(8)にあるような多くのプロセスで地球の温度が決定され、そのプロセス一つ一つに、大気圏物理学や地球物理学という分野で、気候を含め様々な問題を研究している方々の膨大な研究があることを知った。その中に首を少し突っ込んだだけで、二酸化炭素などによる地球温暖化の進行という問題には、簡単には結論がでないことが解った。理解が進んで、難しさが解ったのである。  一点だけ簡単なことだが最も大切な点が気になった。IPCCは、温度測定ポイント近傍の都市化による温度上昇分を、地球全体の温度を見積もる際に、差し引いているかどうかである。その点について明確にすべきであるとおもう。
(追記2015/6/9:よく知られている様に、火山の大噴火により地球の寒冷化が起こる。それは、放出された微粒子が、雲が発生する際の核として働くからである。太陽光を反射する雲の量が増加すると、温暖化効果の大きい水蒸気が減少するので、その効果も考えなければならない。また、工業化で大気中に増加するのは、二酸化炭素の他に微粒子も放出され、後者は寒冷化の原因に成り得る。地球温暖化説は、よく引用される温室効果で説明出来る程簡単ではなく、非常に多く問題が絡む複雑な問題である。)
注釈:
1)最近、東大の渡辺雅浩准教授により“近年の地球温暖化の停滞は海洋熱吸収の増大によるものか”と題する発表が昨年夏になされた。Watanabe, M., et.al., Geophysical Research Letters (2013, July18)  最近の集中豪雨などは将に海水温の上昇が原因であることを考えると、非常に重要な指摘のように思われる。
2)黒体とは、どのような周波数の光も完全吸収・放出する物体である。その物体が加熱された場合プランク分布の式に従って、あらゆる周波数の電磁波(光)が放射される。プランクの式から、最大輻射の波長がその黒体の温度に逆比例するというヴィーンの変位則や、輻射エネルギーが温度の4乗に比例すると言うシュテファン・ボルツマン則などが導かれる。
3)松見豊、名古屋大太陽地球環境研究所教授 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu3/toushin/attach/1333534.htm 参照。(文部科学省科学技術・学術審議会資源調査分科会光資源委員会の報告書)
4)詳細は、J. Tennyson, et,al., Pure Appl. Chem., vol.86, pp71-83 (2014), and references therein.
5)周波数(ν=c/λ)或いは波数ν=1/λへの独立変数の変換は、(F(λ)dλ=F(ν)dν)から関数形を変換して計算する。
6)この当りの議論は、東北大学名誉教授の近藤純正氏のホームページに詳しくかかれている。http://www.asahi-net.or.jp/~rk7j-kndu/kenkyu/ke03.html アドレスのke03の数字を換えると違う章に飛べる。都会化による温度上昇なども論じられている。大気物理(Atmospheric physics)で検索すれば、専門家の著述がたくさんある。ただ、上記引用の図が繰り返しあらわれるのも印象的である。
7)例えば、http://www.youtube.com/watch?v=sRYXyqg770E 丸山茂徳東京工業大教授による二酸化炭素による地球温暖化説は誤りであるとの解説があった。(現在著作権の問題か何かでyoutubeで観られない)その根拠として、過去1940年から40年間CO2濃度が急激に増加しているが温暖化は全くなかったことや、地質学的データであるが、CO2濃度が現在の50倍であるにも拘らず赤道まで凍った時期があるなどの事実が紹介された。また、地球の気温を決めるメカニズムとして、1)地球表面の雲による被覆率が太陽光の反射率を決め、2)その雲の量を決めるのは、水蒸気凝縮の核となる宇宙線(宇宙から降り注ぐ放射線)の量であり、3)宇宙線量は太陽活動により変化する磁気が決めるという。 過去1000年間の太陽活動、宇宙線量、気温のデータから判るという。
8)”Solar activity and terrestrial climate: an analysis of some purported correlations”, Peter Laut, Journal of Atmospheric and Solar-Terrestrial Physics 65 (2003) 801–812
9)東京の平均気温が1度ほど低くなることになった。気象庁が観測地点を都心ではあるが公園(北の丸公園)にうつしたからである。http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG03H1E_T01C14A0CC1000/(注9は2014/11/30に追加)