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人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2019年2月26日火曜日

トランプの米国は中国と北朝鮮の緊密化に協力し、東アジアから去るだろう:昨今の悪夢

以下は日本の近い将来に関する最悪の予測というか、悪夢です。それが本当にならないように祈るのみです。

1)トランプは、ベトナムと同様の統一朝鮮の建設に中国と協力して進めるつもりだろう。また、それと米中経済戦争の解決案とを絡めて、自国に説明することを考えているのではないだろうか。米中経済戦争を華為技術など5G通信関連と知財関係に絞って合意をし、米国経済や世界経済への悪影響を最小限に抑えるのである。

その為、北朝鮮の核問題などは中国に任せるため、わざわざベトナムやマレーシアを開催地に選び、金正恩に中国の助け請う様に仕向けたのではないか。マレーシアでの第一回会談の時にはそのつもりがなくとも、そのような効果があることに気づいたのかもしれない。その様に考えると、米朝トップ会談をやるごとに金正恩が中国を訪問して、緊密になっていくことの説明がつく。

中国は、金正恩を亡き者にして、その代わりに金正男を北朝鮮のトップに据えることを考えた国である。金正恩にとって、中国訪問は大きな決断の必要なことだっただろう。その実現のためには、米国は中国以上に恐ろしい存在を演じる必要があった。その姿勢もこれで最後かもしれない。

明日、米朝会談が行われる。これまでの米朝交渉のプロセスで、米朝関係は表向きそれほど進展していない。しかし米朝は、完全なICBM開発放棄と、中距離核の「嘘の完全廃棄」ということで最終的に同意すると思う。その嘘に、トランプ大統領も次期選挙に向けた演出のために、大喜びの姿を見せるだろう。

習近平もそれに協力するだろう。所詮、一億人死んでも未だ12億人残っていると言える、骨の太い国のトップだから、北朝鮮の核ごときにビクビクなどしない。一億人が殺される間に、朝鮮半島にはネズミ一匹いなくなるのだから。(補足1)

日本の安倍総理は、それに気がつかないか、気がつかないふりをして、幻の成果のおこぼれと数名の生き残り拉致被害者を、2兆円ほどの経済協力金を支払って手にいれるだろう。それで吉田茂や佐藤栄作などよりも偉大な総理大臣として、歴史に名を刻まれるだろう。その順番は、まさに偉大な売国奴の順位であるという真実を誰も暴かないだろう。

将来の日本国民は、核武装し、経済発展を遂げた統一朝鮮から、嘘で厚く塗り固めた慰安婦問題や徴用工問題というキャッシュカード(補足2)で、なけなしの預金を引き出されることになるだろう。これまで、東アジア諸国には大きな経済協力をしてきた。1967年の日韓基本条約後には韓国に対して、1972年の日中共同声明後からは中国に対して、更に、来るべき北朝鮮の日米による承認の時からは、北朝鮮には2兆円規模の膨大な資金を提供するだろう。

韓国、中国、北朝鮮が、経済大国になる為に大きな資金協力をしながら、尚、これらの国々により日本人はナチスを生んだドイツ人よりも醜悪な民族にされるだろう。

ドイツは徹底的に反ナチスの姿勢をとることで、自分たちが選んだヒットラー政権を自分たちの敵とすることに成功した。しかし、日本は慰安婦問題などで朝鮮の植民地支配や中国での虐殺行為を謝罪し認めたものの、いつまでたっても、心から謝罪の意志を表明していない。謝罪していながら、あれは嘘だという始末だ。(補足3)

地球に気候不順の時が来た時、(補足4)その罪悪の刑として、中国に指示された朝鮮により、中性子爆弾のミサイル投下が、東京などに6大都市にevacuation のためになされるかもしれない。そう、それはevacuation である。対象は“人でなし”なのだから。神がおられれば、かわいそうな民族だと哀れんでくださるだろう。しかし、神は人間のことなど無関心であることを日本人は一番よく知っている。

2)将来、日朝は国交を回復するだろう。その合意に大きな価値を持つのが、生存中の拉致被害者を全て帰国させるという約束だろう。その様に約束をして、北朝鮮は実害のない人を返還し、実害のある人を殺害して遺骨にするかもしれない。すでに死亡していると考える方が自然だろう。

何度も書くが、本来拉致被害者の返還は金を出して実現することではない。彼らは拉致し殺されたシベリア抑留者と同様であり、平和的交渉で返してもらうえると考えるのは異常である。返還要求をしない方が、もし存命中なら彼らのためになるだろう。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/02/blog-post_23.html

何故、政府は吉田茂の政治を永遠に継承するのか? 何故、普通の国のように軍事力をつけて、まともな国家にする努力をしないのか。何故、その必要性を国民に教えないのか? 何故、それを同盟国である米国と話し合わないのか。勿論、米国の都合から、ニクソンは佐藤総理に、そのようなチャンスを米国の要求として呉れた。しかし、佐藤はそれよりも自分の地位の安泰を最優先して、それを捨てた。(補足5)

その本来の国家としての建設を目指さないのか、そもそも、朝鮮併合に関して謝罪し、賠償金を支払う必要などないのである。(補足6)それが、軍事力のない非独立国日本の対韓国土下座外交であることを、何故正直に日本政府は言わないのか。

英国がインドに賠償金を支払ったか?米国がフィリピンに支払っただろうか?オランダがインドネシアに支払っただろうか、そんなことはする筈がない。体制変化と無関係な何らかの明確な損害を与えたのなら兎も角、一般的な植民地支配に対して賠償を要求することは、歴史を遡って賠償等を要求することになる。それは、遡及して事後法を適用し処罰をすることの要求に等しい。

補足:

1)毛沢東の言動「一億死んでもまだ十億残っている」が示している様に、中国人は他人の命を非常に軽く考えている。それが他国の人間の命となれば、なおさらである。最近の例でも、元中国軍の少将で、国防大学教授であった朱成虎は、「世界の人口増加にもっとも良い解決方法は、核戦争による人口抑制である」と発言した。 https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43885198.html参照

2)歴史を厚く塗り固めて固化させるのは、嘘である。嘘という糊がなければ歴史をしっかりと束ねて固定できない。それは史記や日本書紀などの歴史書以来、アジア人、そして人類の伝統である。

3)和を重視する非論理の文化を持つ日本は、東京裁判以降、やっていないことでも謝るという土下座外交を強いられて来たのだろう。尚、本文のこの部分の表現は、朝鮮や連合国側に立ってのものである。この日本叩きに、世界のユダヤ財閥なども賛成だろう。何故なら、あの日露戦争の時のユダヤ資本家の協力、戦争幕引きの時のS.ルーズベルト大統領の協力等があったにも関わらず、あのハリマンとの満州開発の約束を反故にする裏切り民族なのだから。

4)人類が民族の淘汰を経験する可能性:https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2018/09/blog-post_18.html

5)https://blogs.yahoo.co.jp/hetanonanpin/65217286.html参照

6)1910年、日韓併合条約が調印されたが、その裏には1905年の米国と協力して東アジアを支配する協定(桂タフト協定)があった。つまり、S.ルーズベルトはフィリピンを支配する一方、その後の桂ハリマン協定(1905年)でもわかる様に、満州利権を手に入れることを考えていた。英語が読める方は、https://historynewsnetwork.org/article/121083が良いかも。

2019年2月25日月曜日

昨日の辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票についての意見を書く。沖縄県民の感情に配慮すれば、非常に書きにくい内容である。沖縄県民の考えと本土人の考えに或る種のズレがあることは事実だろう。しかし、沖縄県民の考えをどの様に国政に反映するかは、本土の人間も十分に考えるべきことだと思う。ただ、今回のケースを特に法的側面から批判することは、日本を取り巻く現在の非常時に近い世界情勢から考えて、差し当たり必要だと考える。 1)辺野古の米軍新基地建設に必要な埋め立ての賛否を問う県民投票が24日行われた。この投票は、埋め立てに「反対」、「賛成」、そして「どちらでもない」の3択方式により行われた。以下の投票結果は、沖縄タイムズの記事より抜粋。 その開票結果は、埋め立てに「反対」は43万4273票に上り、投票総数の71・7%を占めた。「賛成」は11万4933票で、「どちらでもない」は5万2682票だった。投票資格者総数は115万3591人で、投票総数は60万5385人。投票率は52・48%だった。 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190225-00388970-okinawat-oki この住民投票には不自然さがある。住民投票に法的根拠がないこと、つまり結果に法的拘束力がないことである。それと関連するが、投票の選択項目の建て方が、何を問うているのか分かりにくいこと、つまり、住民投票を考えた人の目的と、質問の建て方に微妙なズレがあることなどである。 質問がこの記事の通りなら、「埋め立てが反対かどうか」を問うている。埋め立てが米軍基地移設に必要なら、何故「米軍基地移設に反対かどうか」を問わないのか。国家が米軍基地の辺野古移設が安全保障上必須であると結論して進めているのなら、地方自治体にはそれに反対する根拠はない。勿論、住民には反対する自由はあるので、別の方法、例えば東京の永田町でデモをするとか、全国の住民に討論を持ちかけるとか、を考えるべきである。また、それを全国の住民は自分の問題として考える義務がある。 「普天間にある基地の移設に反対かどうか」を聞けば、移設には賛成の意見が増加するだろう。今回の「埋め立て賛成」の票よりも賛成派が増加することを危惧したのだろうが、辺野古埋め立て反対派には、サンゴ礁を保護すべきという立場から反対する人も含まれる。一般に趣旨が明確ではなく、立場によって複数の意味が生じるような質問は避けるべきである。また質問の選択肢を、投票者の回答をある方向に誘導するように建ててはならない。今回の住民投票はその禁忌を犯していると思う。 2)国民投票には、法的な裏付けがなければならない。そして、質問形式(選択肢)は、明確に単一の意味しかもってはならない。また、国民は投票にあたって、汎ゆる側面から今後の自分への影響を考えて、厳粛に投票に参加しなければならない。 住民投票も同様である。今回の住民投票が県の公金を用いてなされたからには、法的意味付けがなければならない。沖縄県民条例に基づいてなされたというが、その投票結果に法的拘束力がないのなら、その条例自体に違法の可能性がある。 つまり、法的拘束力のない住民投票は、県の公金を用いた「国政に反対するデモ」ということになる。今回の沖縄のケースは、国家の安全保障に直接関係があるので、住民投票と国政の関係が議論しやすい。今までに行われた他のケース(補足1)も突き詰めれば同じ疑問を生じるのだが、この類の住民投票の合法性は、「地方自治体がその予算を用いて、国家からの独立を問う住民投票を行うことが許されるのか?」という問題に帰する。(補足2) 当然、許される筈がない。その様に考えれば、日本国政府は本来、この住民投票の違法性を裁判で問う必要がある。何故、新潟のケースでそれを行わなかったのか?政治家と官僚の力量に疑問を持つ。 補足: 1)新潟県巻町(現新潟市)で平成8年に原発建設の賛否を問うた住民投票が行われた。このケースも国政に関して賛否を問う住民は皆同じ問題を持つ。 https://www.sankei.com/politics/news/181026/plt1810260036-n2.html 2)この件、クリミヤでの住民投票を思い出す。あの住民投票ではロシアが恐らくそれに関係していただろう。今回の住民投票の背後に中国が存在していないと言えるのだろうか?

昨日の辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票についての意見を書く。沖縄県民の感情に配慮すれば、非常に書きにくい内容である。沖縄県民の考えと本土人の考えに或る種のズレがあることは事実だろう。しかし、沖縄県民の考えをどの様に国政に反映するかは、本土の人間も十分に考えるべきことだと思う。ただ、今回のケースを特に法的側面から批判することは、日本を取り巻く現在の非常時に近い世界情勢から考えて、差し当たり必要だと考える。

1)辺野古の米軍新基地建設に必要な埋め立ての賛否を問う県民投票が24日行われた。この投票は、埋め立てに「反対」、「賛成」、そして「どちらでもない」の3択方式により行われた。沖縄タイムズの記事によると、開票結果は以下の通りである。埋め立てに「反対」は43万4273票に上り、投票総数の71・7%を占めた。「賛成」は11万4933票で、「どちらでもない」は5万2682票だった。投票資格者総数は115万3591人で、投票総数は60万5385人。投票率は52・48%だった。 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190225-00388970-okinawat-oki

この住民投票には不自然さがある。重要なのは、住民投票に法的根拠がないこと、つまり結果に法的拘束力がないことである。それと関連するが、投票の選択項目の建て方が、何を問うているのか分かりにくい。住民投票を考えた人の目的と、質問の建て方との間に微妙なねじれがあることなどである。

質問がこの記事の通りなら、「埋め立てが反対かどうか」を問うている。埋め立てが米軍基地移設に必要なら、何故「米軍基地移設に反対かどうか」を問わないのか。国家が米軍基地の辺野古移設が安全保障上必須であると結論して進めているのなら、地方自治体にはそれに反対する根拠はない。住民には反対の意見を本来の方法で表現してもらいたい。

つまり、国政選挙での意思表示などは勿論だが、住民には他にも多くの方法で自分たちの考えを訴える方法があると思う。例えば東京の国会議事堂前でデモをするとか、全国の住民に討論を持ちかけるとか、を考えるべきである。また、当然のことだが、この問題は全国民が自分の問題として考える義務がある。

県民投票の質問形式に戻る。「普天間にある基地の移設に反対かどうか」を聞けば、移設には賛成の意見が増加するだろう。今回の「埋め立て賛成」の票よりも賛成派が増加することを危惧したのだろうが、辺野古埋め立て反対派には、サンゴ礁を保護すべきという立場から反対する人も含まれる。一般に趣旨が明確ではなく、立場によって複数の意味が生じるような質問は避けるべきである。また質問の選択肢を、投票者の回答をある方向に誘導するように建ててはならない。今回の住民投票はその禁忌を犯していると思う。

2)国民投票には、法的な裏付けがなければならない。そして、質問形式(選択肢)は、明確に単一の意味しかもってはならない。また、国民は投票にあたって、汎ゆる側面から今後の自分への影響を考えて、厳粛に投票に参加しなければならないと思う。(補足1)

住民投票も同様である。今回の住民投票が県の公金を用いてなされたからには、法的意味付けがなければならない。沖縄県民条例に基づいてなされたというが、その投票結果に法的拘束力がないのなら、その条例自体に違法の可能性がある。

つまり、法的拘束力のない住民投票は、県の公金を用いた「国政に反対するデモ」ということになる。今回の沖縄のケースは、国家の安全保障に直接関係があるので、住民投票と国政の関係が議論しやすい。今までに行われた他のケース(補足2)も突き詰めれば同じ疑問を生じるのだが、この類の住民投票の合法性の問題は、「地方自治体がその予算を用いて、国家からの独立を問う住民投票を行うことが許されるのか?」という問題に帰する。(補足3)

当然、許される筈がない。その様に考えれば、日本国政府は本来、この住民投票の違法性を裁判で問う必要がある。何故、新潟のケースでそれを行わなかったのか?政治家と官僚の力量に疑問を持つ。

14:10 編集あり(補足1を追加;従来の補足の番号付け変更)

追補(2月27日20時):

沖縄県は、「普天間にある基地の移設に反対かどうか」を聞けば違法になるから、県知事の権限内にある、ある「海の一部を埋め立てること」に反対かどうかを問う選択肢にしたのだろう。
しかし、埋め立ては既に国行政の一環として実施しているのだから、その選択肢の建て方は論理的におかしい。意味のある選択肢としては、「国による埋め立てを中止すべきかどうか」が考えられるが、それも国政への干渉となり違法となるのでできなかったのだろう。何という姑息な知事だろうか。どこかの国のスパイのように見える。

補足:

補足: 1)英国は国民投票でEUからの脱退を決定した。しかし、その経済への影響などが明らかになってくるにつれて、国民は戸惑っているように見える。もし、今再度国民投票をすれば、脱退反対が多数を占める可能性が高いという観測も多い。それが間接民主主義の国で、国民投票を行うことの危険性を示している。国民一人一人が十分な知識を持っていない時、そして、その無知の状態からの脱却をする努力が十分成されていないと考えられる時、直接投票で国政上の判断を問うのは、間接民主主義で選ばれた大統領や国会議員たちのサボタージュに等しい。

尚、国民投票をやり直すことは、民主主義の自殺行為である。唯一ありえる方法としては、前回の国民投票に何らかの欠陥を見つけて、最高裁判所が論理的に国民投票の無効を宣言することが出来れば、再投票は可能だろう。(14:08追加)

2)新潟県巻町(現新潟市)で平成8年に原発建設の賛否を問うた住民投票が行われた。このケースも国政に関して賛否を問う住民は皆同じ問題を持つ。https://www.sankei.com/politics/news/181026/plt1810260036-n2.html

3)この件、クリミヤでの住民投票を思い出す。あの住民投票ではロシアが恐らく背後に存在しただろう。今回の住民投票の背後に中国が存在していないと言えるのだろうか?

賢い政治家を誕生させる方法:トランプ大統領を平和賞に推薦した安倍総理を批判する或る記事について

山田順という人(ジャーナリストらしい)が、安倍総理がトランプ大統領を平和賞に推薦した事を国会で質問され、あり得ない答えを出したと言っている。そして、「そこには、日本国をどうしていくかという戦略も、定見もない。このような総理は、もしかしたら日本の最大の不幸ではないだろうか。アメリカと渡り合うには、もっと狡猾かつ利口な総理が必要だ。そうでないと、日本は今後どんどん衰退するだけだろう。」と嘆いている。https://news.yahoo.co.jp/byline/yamadajun/20190221-00115679/

しかし、どうすればよいかについては何も述べていない。嘆き節なら、だれでも言える。このようなジャーナリストしかもてないことは、日本の不幸ではないだろうか。

賢い人を政治家にする方法は、選挙制度の改革である。せめて選挙区だけでも日本国を道州制にする。そこに完全に人口比で定数を割り当てる。立候補出来る人は、生活基盤が過去10年間ほどそこにあった人のみとする。更に出来れば、その地方出資でシンクタンクをつくり、月一回位のレベルで政治のレビューとその選曲選出の議員の活動を報告する。

そうすれば、議員のレベルは良くなるだろう。つまり、戦後の経済発展で都市部に集まった知性ある人々の意見を政治に反映するのである。そして、田舎に住んで危機感を抱いている人を代表に国会に送るのである。東京在住数十年で山口県が選挙区なんて、インチキをゆるすべきではない。

ところで、安倍総理のどの発言が、馬鹿な総理としての評価に繋がったのか? 18日の衆院予算委で、元民主党の小川淳也議員が、米国大統領トランプを「ノーベル平和賞に推薦するなんてことはありえないし、日本国として恥ずかしいことだと思いますが、総理はどう思われますか」と質問した。

安倍総理は「いま、同盟国の大統領に対して口を極めて批判をされたわけでございますが、米国は日本にとって唯一の同盟国であり、その国の大統領に対しては一定の敬意を払うべきだろうと、私はそのように思うわけであります」さらに、「まあ、御党も政権を奪取しようと考えているんであれば、ですね」

これは、山田順氏でなくても本当に驚愕である。その理由は山田氏の言う通りである。ただ山田氏は、小川議員のトランプ大統領批判も当然であると評価しているが、それは間違いだろう。

上記質問の前に、小川議員は、INF条約やパリ協定からの離脱、移民排斥の壁の建設などの例を挙げ、トランプの数々の“暴挙”を指摘したという。山田氏は、”いずれも、誰もが「トンデモない」と思っていることだから、そんな大統領をノーベル賞に推薦するなんてどうかしていないかと言いたかったわけだ。その気持ちは、痛いほどわかる。”と書いている。

しかし、私は上記トランプの政策を「トンデモない」とは思っていない。INFには、ロシアが遵守しているかどうかの問題や中国が入っていないという問題がある。https://www.sankei.com/world/news/190203/wor1902030004-n1.html また、パリ協定には地球温暖化説の根拠や、出てきた背景に一定の疑念がある。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2014/08/blog-post_26.html 更に、移民排斥の壁は選挙公約であった。

従って、安倍総理が、「トランプ大統領は、廻り角に差し掛かった世界をいち早く察知して、新しい方向に導こうとしているので、平和賞に相応しいと考えた」と言えば良かったと私は思う。トランプ大統領は、混乱する世界の中で自国民のトランプ支持派の利益のために、もがいているだけかもしれない。しかし、世界が廻り角にあることだけは確かであるからである。

2019年2月23日土曜日

北朝鮮の拉致問題とIS拉致殺害事件の類似点

以下は、youtube上の西岡力氏の北朝鮮問題に関する意見に対するコメントと、その問題に対する筆者の考えである。https://www.youtube.com/watch?v=j6bx4tabJfc 西岡力氏は、北朝鮮や韓国と我が国との政治問題について非常に詳細な知識をもち、日本のために活発に活動されている。しかし、北朝鮮に対して今後我が国が取るべき方針として、上記動画でなされた発言は、誤解を招く内容なのでコメントをする。

1)西岡氏が主張する、北朝鮮への経済協力と引き換えに拉致被害者を取り戻すという考えは、筋違いであると指摘したい。国交のない北朝鮮により行われた拉致は、戦争行為或いはテロ行為と見なされる。それへの対応が、結果として北朝鮮の経済的利益になってはならない。つまり、その被害者を取り返すためにすべきは、軍事的圧力を含めた外交的圧力である。そのための軍事力が不足しているのなら、日本は核武装を含めた軍備増強を先ずすべきである。

  それが出来れば良いが、出来るわけがないという反論は当然予想される。しかし、その意見を国内的に主張し、且つ、国際社会に公表することなしに、次の段階に移るのは邪道である。外交は国民のためのものであり、国民に考えるべき課題を提供すること無しに、次の手段に映るのは、間接民主主義においても政府の越権的行為である。

自国民を拉致されたのは、日本政府が十分な国境警備を怠ったのが原因であり、第一の責任は日本政府にある。拉致された段階では、その被害者は戦災での死者と同様である。その原理的理解が日本には全く欠けている。

以前にも書いたが、国際関係、特に国交のない国との関係は、野生の関係である。北朝鮮による日本人拉致は、山から熊が現れて人を連れ去ったのと同じである。それを熊の犯罪だとか、悪だとは言わない。何故なら、熊は日本国の法を守るべき存在ではないからである。善悪は社会において存在し、社会の外に善悪など存在しない。

  日本国家の枠外にある存在にたいして、経済協力などを絡めて何かを取り戻す類の処理は、将来別の被害を発生する可能性がある。 

この北朝鮮による拉致事件は、その本質において、ダッカでの日航機ハイジャック事件やイスラム一派による日本人拉致事件と似ている。ダッカ事件は日本人過激派による行為だが、それも法で裁くべき犯罪と見るのは間違いであり、テロリズムと考えるべきである。(補足1)  2)ダッカ事件では、時の首相福田赳夫が、「一人の生命は地球より重い」と述べて、身代金の支払いおよび「超法規的措置」として、収監メンバーなどの引き渡しを行うことを決めた。この処理は国際的に非難されたが、その結果、同様の人質解放を諸外国も採用した。後者の金による人質奪還は、福田の問題処理の結果起こったと考えられなくもない。つまり、経済的利益を目論むテロリズムという武器を、福田は世界のテロリストに与えた可能性が高い。

  北朝鮮の問題では、日本人拉致というテロリズムを経済支援で解決することは、北朝鮮による今後の拉致や核開発を奨励することになる。それは、将来日本に数十万人或いはそれ以上の被害者を出す可能性すらある。

  日本政府は、テロリズムの被害者を救出するための、経済的対価を支払う以外の一貫したプロセスを確立すべきである。最近の例では、何故、後藤健二さんが殺害され、安田純平さんが解放されたのか?日本政府の対応には、疑問が残るのではないだろうか。

  後藤健二さんのケースでは約20億円の身代金が要求されていた。問題解決が長引く間に、安倍総理がISILと戦う周辺諸国に経済支援を呼びかけた。その結果、ISIL側の反発を買い、身代金も約200億円に上がり、後藤さんは最終的に殺害された。 

一方、安田さんのケースでは、16億円程の身代金を要求していたという。日本政府は支払を否定したが、おそらく、何処か別の国が交渉して支払い、その国に対して日本政府が別の名目で支払ったのだろう。その結果、安田さんは開放された。 

後藤さんの遺族の声はマスコミには流れていない。しかし、激しい政府批判の言葉が聞かれるだろう。

日本政府の対応の仕方は、一貫性が全く無い。もし、後藤さんの事件の時に、米国国務省の報道官の言った言葉「(身代金の支払いは)誘拐の危険やテロ組織の維持を助長するだけです」「国民を危険にさらすことになるため、身代金の支払いはすべきではない」との考えに従ったのなら、最後までそれを日本の政策として貫くべきである。(上記引用ウィキペディア参照)

それと同じく、北朝鮮による拉致事件も、その原則を用いるべきである。現在、日本人1億3000万人は北朝鮮の核の脅威の下にある。それは、北朝鮮に拉致された1億3000万人の命に似ている。この考え方は、次節に紹介する元中国軍の少将の言葉を思い出せば、荒唐無稽ではなく正しい比喩である。

批判を覚悟で言えば、過去拉致された数十人よりも、後者の1億3000万人の拉致状態にある命を重視して、外交すべきである。

3)西岡氏は北朝鮮の核兵器保持の問題に関して重大な間違いを冒している。上記動画(8:00ころ)の言葉は、核兵器の一部を隠してでも、一部を廃棄をして、完全廃棄の宣言をすることが、北朝鮮の対応として必要、且つ、十分であるという風に聞こえる。https://www.youtube.com/watch?v=j6bx4tabJfc

そして、一旦核廃棄宣言をすれば、それが核の脅威の消滅を意味し、日本も国交正常化して、経済協力をすることが可能となるという趣旨の発言である。拉致被害者を取り戻すことが、何よりも大事な課題だと考える人の台詞である。

  西岡氏は、上記発言の根拠として、「核兵器は使えない兵器であり、抑止力としてのみ意味があるからだ」という。従って、一度無いといったなら、隠していた核兵器をチラッとでも見せてしまえば、嘘をついたことになるといっている。(その時に北朝鮮が大国になっていたらどうするのだろうか?) 

核兵器は使えない兵器と考えるのは、大きな間違いである。それに、外交で嘘をつくことがまるで禁忌のように言うのもとんでもない間違いである。国際社会は野生の世界であり、強国の人命は地球よりも重いかもしれないが、弱小国の人命はホコリよりも軽い。そして、「真実」も同様である。

軍事強国の嘘の主張は、真実として国際通りをまかり通るが、軍事的弱小国の真実は嘘として片付けられる。マイケル・ヨン氏が説得力のある本を書いても、従軍慰安婦の強制連行が真実として米国で未だ語られ、韓国も中国も声高に語ることが可能なのは、日本に何の軍事的対応力がないからである。

核の脅威に戻ると、例えば、「日中近現代史」という本があるが、そこに記載されている毛沢東の言動「一億死んでもまだ十億残っている」が示している様に、中国人は他人の命を非常に軽く考えている。それが他国の人間の命となれば、なおさらである。最近の例でも、元中国軍の少将で、国防大学教授であった朱成虎は、「世界の人口増加にもっとも良い解決方法は、核戦争による人口抑制である」と発言した。(補足2)

これらの恐ろしい発言は、おそらく北朝鮮の指導者の頭にも浮かぶだろう。これまでの粛清とよばれる数々の殺人行為を考えれば、西岡氏の理解が間違いであると証明されていると思う。

補足:

補足1)ここでテロリズムを定義すると、テロリズムとは国家の枠組みを超えた軍事的行為であり、宣戦布告なき戦争行為である。最近、バイトテロなど、テロリズムという言葉を乱用している。テロリズムの定義は未だになされていないが、これまでイスラム過激派などの宣戦布告なき戦争行為や内戦行為に対して使われてきたのだから、そのような意味に限定して使うべきである。バイトテロと言われる行為は、行為者が人権を放棄する場合以外は明確な犯罪であり、テロリズムと呼ぶべきではない。国家の枠外に出て、戦争行為を行う者は、裁判を受ける権利を失う。つまり、てろりすとは直ちに射殺しても問題はないことになる。 2)先進国の人口増加は止まっているが、人口増加の問題はイスラム圏や発展途上国で深刻になるはずである。その”解決”として核兵器が用いられる。恐らく、中性子爆弾はそのために開発されたと思う。インフラをあまり破壊することなしに、人を殺す方法として有用だからである。(この補足は、2月25日朝追加)

2019年2月22日金曜日

天皇家と国家神道について

以下の文章は、断定的に書いた部分を含めて筆者の理解を記したものであり、学説として定着している保証はありません。尚、11日の記事と重複するところがかなりあります。

1)明治維新における天皇の利用:

日本は島国であり、江戸時代以前には交通手段の制限により、外国は遠かった。そのため、人々の感覚では日本列島は国というよりも天下そのものだった。しかし、幕末期(19世紀)に外国の存在感が増し、防衛上の必要から主権国家としての体裁を整える必要性を強く感じ、薩長の武士たちがリーダーとなり日本国の骨組みを作り上げた。

諸外国から独立を守るには、近代的な軍事システムが必要であり、それには武士の存在はむしろ障害になった。そして、国民全員が主権国家体制の一員となることが必要だった。(補足1)その為の求心力として、新政府は天皇を利用した。(補足2)

明治23年(1890)に大日本帝国憲法が制定され、天皇の政治関与を制限した立憲君主制に近い政体が作り上げられた。帝国憲法第55条の輔弼制度の制定などが、天皇独裁の歯止めである。その一方、天皇に軍神且つ戦死者の慰霊の役割を持たせることで、兵士の士気を高める工夫をした。帝国憲法第1条で、天皇を最高権力者と規定すること、そして、第11条の統帥権の独立などである。そして、具体的且つ中心的な手段、戦死者の慰霊のための靖国神社は、明治2年(1869)に創建された。

靖国神社とその利用形態は、後に国家神道と呼ばれた。元々伊勢神宮は天皇が国家鎮護などの祈祷を行うために造られた神社であったので、靖国神社が上記特別の意味を持った伊勢神宮の分社として存在することに、全く違和感がない。天皇と伊勢神宮及び靖国神社を一体と感じるように教育することで、兵士の士気が高められたと思う。国家への忠誠心、天皇への忠誠心、更に神道的宗教心を、国民の心の中の無意識の領域に統合させることが出来たのだろう。

つまり、天皇の“伊勢神道”(補足3)トップという地位を利用することで、簡略化した身分制度(四民平等)の下での主権国家の建設が可能になったと思う。それは、後の自由民権運動などを経て、民主主義の準備ともなったのだろう。

国家神道と呼ばれる部分は、本来の神道には全く無い性格である。また、伊勢神道も上記のように直接的ではないが、国家神道的性質をもった神社である。現在、日本人の多くは伊勢神宮を神道の中心に存在すると考える人が圧倒的多数だろうが、それは間違いである。神道が日本古来の宗教と考えるのも同様に怪しい。(補足4)

尚、このように天皇の権威を利用できたのは、平安の昔から武士が統治する時代を経て現代まで、日本は天皇が君臨する国という意識が全国民にあったからである。それは、恐らく「君臨すれども統治せず」という姿勢を採ることで、天皇は安定な地位に長期間座ることに成功し、一般民も厳しい統治の権力から、天皇が離れて存在することを知っていたからだった。

2)神道とその変形である伊勢神道について:

2月11日の記事に書いたように、自然を怖れ、自分の生命及び生活などが自然と不可分であると考える神道では、太陽、山、川、海、大木など凡ゆる自然存在が神体となり得る。その神道の核に創造神的なアマテラスを据えたのが、ここで言う”伊勢神道”である。

自然を怖れる神道において、無事は感謝の対象であり、従って感謝の行為が次の無事の条件と考える傾向が強い。”伊勢神道”のアマテラスは唯一神的であるので、神殿は一箇所ということになる。その結果、参拝のためには神殿のある伊勢神宮まで旅をする必要がある。

伊勢神宮は一般には遠いので、一つの地域の全員がお礼の意思を伝達するために、代表を送り込む組織が伊勢講である。それを含めた伊勢参りが日本全国の習慣となった。それが、日本のコミュニティの団結力の装置ともなった。その日本文化の中心に位置する天皇家には、江戸幕府と雖も逆らうことが出来なかったし、統治しない天皇家に対して、逆らう必要もなかったのである。

3)伊勢神道の発生のプロセス:私の想像

伊勢神宮は、天皇家が日本を統一できたことを、神道の神(つまり自然)に感謝する意味で建立されたのだろう。伊勢神宮と有力な分社において、戦勝記念の品である“三種の神器”が納められている。もし、神道が伊勢神宮の大元にあるのなら、建立当初それらは“御神体”ではなかっただろう。(補足5)天皇の権威が大きくなるに従って、それらが御神体となり、アマテラス神話が出来ることで、”伊勢神道”と呼ぶべき本来の神道から多少異質な神道が出来上がった。

ここで定義する”伊勢神道”は、天皇家の祖先アマテラスを崇拝し、伊勢神宮を本来唯一の礼拝所とする、一神教的性格を帯びた「神道」である。天皇家が権威と権力の両方を保持して、日本の相当の広い地域の領民を支配していたころに、伊勢神宮を参拝する習慣が領民に定着したのだろう。

その後、いわゆる8世紀末からの平安時代になり、それ以降天皇家が権力闘争の前面に立つよりも、天皇の下で実権を握る者たちの間で主に権力闘争が行われるようになる。統治しない天皇という地位と伊勢神道が継承されたのは、それが権力者の正統性を証明する機能をもったからであり、更にその背後に住民一般に広く行渡った伊勢神道を中心とする文化があったからだと思う。

周囲を海に守られた日本列島ゆえ、キリスト教などの明確な教義を持つ宗教が入り込まない間に、この宗教文化が定着できたと思う。農業、地域の警備、インフラ維持、災害からの普及、などでの地域の協力関係を確認する為のコミュニティ組織の中心に伊勢講(補足6)が定着したのは、元の自然を怖れ自然に感謝する意味の宗教の役割を併せ持つだらだろう。尚、仏教は内省的な宗教であり、あまり神道とは衝突しない。

補足:

補足1)士族という呼称は第二次大戦後(1947年民法改正により廃止)まで存在した。しかし、1873(明治6)年の徴兵令(陸軍省が発布)や1876年の廃刀令(太政官が発布)により、武士の特権は廃止された。それを不満に思った武士の暴発として西南戦争が1877年に起こる。

補足2)求心力を国内の歴史に求めるのは普通であり、健全である。共産主義革命や長期に亘り属国であることなどは、歴史を抹殺してしまう。例えば、私が出会った中国人留学生数名は、論語を知らなかった。その結果、東アジアの日本以外の国々は、反日を国の求心力に利用しようとしている。例えば、韓国の文在寅政権は、国家のスタートを抗日の拠点として上海にできた(1919年)亡命政府においている。https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12302320425.html

補足3)ここでの伊勢神道の定義は、ウィキペディアに掲載されている伊勢神道(外宮神道)とは異なるかもしれない。

補足4)本州西半分の日本海側に多く存在する白山信仰は、朝鮮半島由来であるという説が有力である。

補足5)八咫鏡が伊勢神宮の神体とされ、草薙の剣が熱田神宮の御神体とされている。これら人工物が神体となるのは、本来の神道の姿ではないと思う。自然の存在が崇拝の対象であるのが、本来の神道である。

補足6)伊勢講は江戸時代には全国的になったとウィキペディアに書かれている。

2019年2月21日木曜日

一島返還で日露平和条約を締結することは、日米関係に悪影響を及ぼし、禍根を残すだろう

ロシアとの平和条約交渉は国境線の線引きで折り合いがつかずに難航している。2月17日の記事において、ロシアは中国圏でナンバー2の位置に甘んじるとすれば、日本との領土交渉は強硬だろうと書いた。つまり、単に日米の間に楔を打ち込むためのパーフォーマンスであり、ロシア当局は「注文の多い料理店」である。(補足1)

一方、もし真剣に地域の覇権国、或いは仮に現在のロシアの領域だけの完全独立国を目指すにしても、一定の譲歩をして、日本と平和条約を締結する筈である。それは2島返還での合意を意味する。ロシアがあくまでも一島変換で合意を目指すのなら、今回はあえて領土を確定しての平和条約締結にこだわる必要などない。

世界がロシアをソ連解体後のソ連との関係をそのままロシアとの関係とみなし、改めて対露平和条約を締結していないのなら、日本も日ソ共同宣言を、領土確定を含まない日露平和条約とみなして良いと思う。日ソ共同宣言は両国で批准をしており、領土問題以外において平和的関係を確認し、国交は樹立されているからである。

つまり、日露の交渉におけるロシアの態度は、今後の東アジアにおいて、ロシアはどのような地位を想定しているかによる。もし、中露関係を最重要な関係と考えているのなら、日本は日米同盟を更に強化する方向で、米国と交渉すべきだと思う。

シベリアにおける人口の大きな非対称性と世界一長い国境線から考えて、米国の著名な戦略家が言うように、中露は本来仮想敵国として互いを想定すべき関係にある。ロシアと中国が、それぞれの文化において多少の異質性を持つのなら、これらの条件は、互いに仮想敵国としての強いポテンシャルとなる筈である。

ロシア文化は、西欧文化の端にあるものの、西欧文化の中に包含される。中国文化に染まり国民が満足することなど有りえない筈である。両国が互いに融和的になり、将来長い国境線が消滅する位の最重要同盟国と考える場合においてのみ、日露の経済協力関係はロシアにとって不要だろう。それが有りえない話なら、日露経済協力が両国にとって最重要課題の一つの筈である。

プーチンが一島返還での平和条約締結を考えているとの説が、一定の説得力をもって語られている。つまり、近似的に昨年晩秋にプーチンが言及した、条件なしの平和条約である。時事ドットコムのニュース解説に、エリツィン政権初期の外務次官として対日外交を担当したゲオルギー・クナーゼ氏の言葉が引用されている。「これほど侮辱的な提案は、ソ連のレオニード・ブレジネフ時代ですら日本に行わなかった。」

日露が本当の友好関係を築くには、ロシアが第二次大戦時にソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄し、千島と樺太を強奪したことを思い出す必要がある。何故なら、自分の利益が目の前に現れた時に、あのように簡単に条約破棄をする国と新たに条約を締結しても意味がないからである。

安倍総理は前のめりになることは絶対に避けるべきである。米国に対して日本不信感を与えることになり、日米関係の破壊を誘発して日本破壊につながるからである。

補足: 1)「注文の多い料理店」は宮沢賢治の代表的小説の一つである。その小説の中での注文書は、客として入った人の注文を聞くためではなく、客を料理するための前準備を、その客自身にさせるためのものだった。

2019年2月17日日曜日

日本が「米国の51番目の州」に成る以外に、国民に安全な未来があるのか?

1)自民党の丸山和也参議院議員が2016年2月17日の参院憲法審査会で、「日本が米国の51番目の州になった場合」を仮定して持論を展開する一幕があった。審査会後、丸山氏は緊急記者会見を行い「誤解を与える発言をして申し訳ない」と謝罪。発言を撤回し、議事録の修正・削除をする考えを示した。(補足1)https://www.j-cast.com/2016/02/18258878.html

最近、レーダー照射問題と哨戒機低空飛行で韓日間の対立が深まる中、防衛省のある幹部は2019年1月25に、「韓国疲れだ。日本列島をカリフォルニア沖に移したい」「そうすれば北朝鮮ともさよならできる」と語ったという。 この幹部は「私は反対だが…」と前置きしながらも、日本と米国が同じ国だったらよいという考えにも言及したと、同紙は伝えた。https://s.japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=249581

表題は、日本国防衛を真剣に考える人の本音ではないだろうか。憲法改正も核武装も不可能だとすれば、そして、現在の国際環境の変化の傾向を前提と考えれば、日本の将来は、考えれば考えるほど、暗くなり、上記のアイデアが心に忍び込むのである。

現在、かなり多くの知的日本人は、米国などに移住し外部から日本の貧困な政治をリポートしている。その在外日本人には、自分に関する危機感はない故、客観的に日本の政治を評価できる。その予測は、説得力があり且つ極めて厳しい。(補足2)

彼らが話題にするのは、日本の弱点であり、具体的に「沈没しつつある日本をどう救うか?」ではない。もし本音を引き出すことができたら、「それがあれば日本に残っている」と言う可能性が高い。つまり、彼らは表題の道を答えに出した結果、移住という道を選択した可能性がある。

伊藤貫氏は、この10年間日本の保守評論家が雑誌などに発表する論文を見ていないという。何故なら、保守の評論家は中国や朝鮮の悪口をいうことで満足しており、日本の安全保障における米国の役割は、未来永劫果たされると完全に信じているからだという。

2)伊藤貫氏が年末のチャネル桜に出演した際に語ったことを以下に書く。伊藤氏は、結局トランプの対中政策は取引で終わると、トランプの幼少期から暮らした環境とそこで作られた性格などに言及しながら結論した。それを、民主党のマイケル・モレルが考えた対中国対策のモデルを引用し説明した。

取引とは、中国が東シナ海や南シナ海で覇権を取り、米国は西半分(ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ大陸)の覇権を取るという合意である。そこでは、日本は中国の覇権の中に含まれ、米中が何を決めても日本は泣き寝入するしか、手がなくなるだろうと予測している。

マイケル・モレルが考えた米国に考えられる対中政策の選択肢は、以下の4つである。1、戦争すること;2、封じ込め政策;3、米国が#2の国の地位に甘んじる;4、中国との取引、である。そして、最後の中国の取引にトランプは終わると考える根拠は以下のようである。

1。は、戦争になればグアムも沖縄も吹っ飛ぶことになり、あり得ない。
2。は、開始のタイミングが遅すぎ、うまくいかないだろう。中国は、2010年に世界一の貿易国になった。貯蓄率も世界1、2018年の実質経済規模は世界1である。米国よりも、中国が第一の取引先の国のほうが多い。ソ連封じ込めとは全くことなる。やり続けても結果が出るには3-4年かかる。従って無理だろう。

3。中国の経済成長(5%程度以上)>>米国 (3% 実力は1%台)であるので、地球規模で覇権争いをすれば、米国は#2の地位に甘んじなければならない。それを米国は受け入れられない。

結論として、米国は第4の取引オプションを採用し、5-10年後に中国とサミットトークをすることになるだろう。それは、第二のヤルタ会談となる。その勢力圏の分配により、中国は東シナ海と南シナ海の領域をとるということになる。

それが現実になったとき、日本が買っている、ミサイル防衛システム、イージス艦、F35などは全く機能しなくなる。その時、米中の派遣で色分けされた地球の上で、日本は無力となる。その可能性を世界で一番考えず、米国にしがみついているのが、日本の保守政治家だと伊藤氏は言う。

つまり、表題の「51番目の州」の話は、日本の保守系評論家のいい加減な議論に付き合わず、伊藤貫氏の客観的な観測と予測を評価し、日本脱出が可能な日本人は、米国移住すべきだという考えである。

3)上記伊藤貫氏の考え方で抜けていたのは、ロシアの存在である。おそらく伊藤氏は、ロシアには発展の遺伝子はなく、ロシアは、どう考えても中露連携の中で、存在感を高めるしかない。つまり、日露平和交渉も、ロシアにとっては中露連携の一環であると考えているのかもしれない。

もしそうなら、安倍総理が行おうとしているのは、戦前の松岡洋介の役柄を演じていることになってしまうのだろう。或いは、安倍さんは中国、ロシア、日本、朝鮮という、中国圏のなかで、ロシアとともに日本も存在感を持つというシナリオを描いて、日露条約を急いでいるのかもしれない。

日本のことがよく見えているモスクワ在住の方に、北野幸伯氏がいる。北野氏は、日露平和条約締結をスタートとして、日露関係の改善が中韓露の三国による反日同盟計画を妨害する方法であると言う。https://diamond.jp/articles/-/66110?page=3

北野氏はその為に「日米同盟を確保しつつ日露平和条約を締結し日露関係を強化」する考えが日本にとって必要だと説く。その場合、北方での中国包囲網を米国、日本、ロシア、ヨーロッパで敷くことを考えているのだろうが、そのモデルが有効に働くためには米露の緊密な連携がなければならない。

米露は未だ仮想敵国同士である。ウォール街を牛耳るユダヤ資本家たちが米国支配を継続する限り、米露和解はないのだろう。(補足3)その場合、日露和解は日米緊密化を阻害することになる。

プーチン大統領に、ロシア国民に色丹島などの日本譲渡を説得する様子が、全く見えない。プーチンにとって日露平和交渉条約は、中露連携の一環の中で、中国との関係改善の一手段(日本は手土産)の可能性も、日本は考えるべきかもしれない。

中国が今のまま習近平の独裁国であり続けるのなら、そして日露平和条約と日露連携が大きく進歩する可能性が薄いのなら、例えば比喩的表現として「米国の51番目の州」(補足4)となるのは有望な一つの選択だろうと思う。

つまり、日本が成し遂げるべきは、日米条約の軍事的側面を新しいより緊密な段階に強めるのである。それは、日本へ戦術核を持ち込み、第一列島線をほとんど日本独自に防衛するのである。それを米国との共同作戦として行えば、日本は外国から非難されることはあまりない。

以上、素人のメモです。議論お願いします。

補足:

1)丸山議員の言った「51番目の州」は、屡々登場する言葉であり、ウィキペディアにもその記述がある。この言葉が用いられる対象は、ヨーロッパやカナダ・オーストラリア・日本・イスラエル・イギリスなど相当ひろい。米国に従属している国を批判的に言うときに「51番目の州」が使われてきた。因みに、ハワイとアラスカが米国の州になる前は、「49番目の州」という言葉が同じ意味で用いられたという。歴史の古い言葉である。

2)評論家の伊藤貫氏は、昨年末米国から一時帰国し、チャンネル桜に出演した。そこで伊藤貫氏は、非常に楽しそうに真っ暗な日本の未来を語る姿が非常に印象的であった。伊藤氏には、米国に住むことで、「一個人としての中国と朝鮮の脅威」などないのである。https://www.youtube.com/watch?v=0bwlpoETjxQ&t=5069s

3)トランプには反露感情はない。馬渕睦夫氏によると、ケネディにも反露感情がなかったという。当時の外務大臣グロムイコの回想録に、グロムイコがケネディーにこっそり聞いた話として紹介されているという。日露平和条約を模索する安倍総理や日本に対して、イスラエルは良い感情を持っていない可能性がある。靴にもったデザートの件、杉原千畝を記念するイスラエルの植樹林の伐採など、それを示しているのでは?

4)実際には米国は日本を51番目の州にはしない。あくまで比喩的表現としての「米国の51番目の州」である。ここでは、核兵器を配備した米国への従属性(連携性とも言う)を高めた新しい日本である。

2019年2月12日火曜日

心愛事件について:両親が小学校4年生の娘を殺害した事件の原因と対策

1)小学校4年生の女の子が、両親に虐めの末に殺害された事件について、武田邦彦氏がネット動画で議論している。武田氏は、戦後教育基本法が、親や家族を大事にする方向から、個人を大切にする方向に変えられたことが、その主な原因だと言っている。 https://www.youtube.com/watch?v=MG51knR5FzI

この事件は、児童相談所の対応に問題があったのは事実であり、その詳細は個別の事件の分析において重要だが、その他にマクロな問題として、親子の絆や家族間の絆が壊れやすくなっていることも大きな問題である。武田氏は、そのマクロにみることの大事さを指摘しているのだが、問題の核心に迫る事には失敗していると思う。

一般に人の性格は、遺伝的なものと幼少期の環境により作られる部分に分けられる。人の場合、他の動物に比較して幼少期の性格形成による部分が大きい。しかし、教育基本法などの法律で、それほど簡単に変わるわけではない。それよりも、経済の発展により家族構成が大家族から核家族に変わったこと、それによる家庭環境と子供社会の変化の影響の方が大きいだろう。

この子殺しの親は、子供時代に上記両方の環境において、十分親族の愛情等を感じ咀嚼することがなかったのだと思う。つまり、忙しい両親に育てられ、他の親族からも遠く離れ、大事に育てられた記憶がないのだろう。更に、そのような子供たちの多い人が集まった地域、例えば団地などでは、子供社会の雰囲気も、人間社会から野生の猿社会に近くなるのではないかと想像する。

つまりその両親は、子供時代には虐めを受けたり、虐めたりする子供社会を経験して大人になったのだろう。子殺しや親殺し、更に、大人の社会でのパワハラやセクハラ、などが増加したとすれば、殆どこの家族や子供社会など社会の変化が原因だろう。

その根本的解決はなかなかできないが、このような家族環境と子供社会の環境を考えて、それらを大きく変える方向の対策を施さない限り、この種の事件を減少させることは無理だろう。

2)この裾野の大きい問題の根本解決或いは低減は容易ではないが、ただ、一つだけ思い当たることがある。それは、日本の社会全体を元気にする為の対策としても非常に有効だと思われるが、この問題にも大きな効果を及ぼすと考えている。東京一極集中の政治経済から地方分権(道州制)型に変えることである。

戦後、日本の田舎から職を求めて、東京、横浜、大阪などの大都会に移動した人たちの多くは、核家族化して大規模団地に住んでいるだろう。そのような家族形態から、再び故郷に土着した大家族の方向に家族形態を誘導することである。その方法として、道州制などは非常に有効だと思う。どちらが先なのか忘れたが、大前研一氏や橋下徹氏が提言したと思う。

現在の日本に元気がないのは、殆どの個人が無責任体制的、あるいはマニュアル人間的になっていることが原因である。個人が、所属する社会あるいは会社など組織において、とるべき役割を自分の頭で考えて、自分の責任でそれを実行するということが、トータルな組織の実力を大きくする。

社会主義経済がうまく行かないのは、殆どの個人が頭を使わず配布されたマニュアルに従って手足となって動き、ほんの一部が頭を使って経済の計画を立てるからである。中国の大躍進運動の失敗など、その典型である。

地方が独自に資本を蓄積し、その地方の特色を考えて、政治経済モデルを立てる。中央は、米国の連邦政府のごとく、国家の枠組みを如何に保つかを考えるだけに集中するのである。それが、日本国全体としての活力を取り戻すことになると思う。世界規模でも、グローバリズムが世界の調和を破壊しつつあることが問題だが、日本国内だけをとっても似たような状況があらわれている。

3)心愛事件に戻る。この事件は非常に特殊だと思う。親が実の子供を虐めの末に殺してしまうのだから、動物にも見られないケースである。それから何を学ぶかは非常に難しい。安倍総理が児童福祉司の増員などの対策を発表しているが、それは所詮政治的パーフォーマンスに過ぎない。https://www.sankei.com/west/news/190208/wst1902080019-n1.html

私は、このようなケースでは慌てて対策を取らないで、事件のプロセスや原因を十分調査研究してから、落ち着いてその対策を考えるべきだと思う。非常に特殊なケースでは、被害者は可哀想だが、上記(2)で述べたような一般的な対策以外は何もしない選択もあり得る。

新聞報道によると、心愛ちゃんの母親は、父親が娘を虐める様子をスマホか何かで動画撮影していたという。そのことを知るだけでも、この事件は非常に特殊だということがわかる。https://www.sankei.com/affairs/news/190209/afr1902090019-n1.html 

むしろ、対策をとるべきなのは、報道機関特にテレビ局である。このような非常に猟奇的なケースを、連日朝から夜まで興味本位で報道することは、異常であり好ましくない。地上波テレビの免許授与の可否の審査を、放送法第1条を遵守しているかどうかに照らして、もっと厳格にすべきである。

報道関係者とそれを視聴する人たちは、心を痛める自分を優しい普通の人間と考え、心のなかで残酷な両親に石を投げつけるように非難しているつもりだろう。しかし、彼らはそれを娯楽にしているように見える。その、自分の残酷さ或いは軽薄さには、決して気づいてはいないだろう。社会の劣化を煽る放送であると思う。

付記:心愛という名前と、その娘の運命の残酷な結末の組み合わせは、神が日本人に与えた強烈な皮肉なのかもしれない。日本語という劣った言語が、日本人から論理的な思考を奪い、川柳、俳句、ダジャレのような慣習を与えたのだと思う。日本語をよく知る学者らを中心に、日本語教育や日本語の改良など、考えるべきである。

2019年2月11日月曜日

天皇制について

昨日午後の「そこまで言って委員会」で天皇制に関する議論があり、その一部を視聴した。天皇のあり方は憲法第1条に記述されているので、憲法問題として重要である。また、その話に入る前に、日本書紀に書かれている天皇家の神話時代からの由来や、天皇家と神道の関係に関する議論などもされていた。

出席者としてレギュラーの他に、宗教学の方から島田裕巳氏や逆説の日本史などの本で有名な井沢元彦氏らが参加していた。そこでの議論を少し引用しながら、天皇制と日本の明治以降の政治の関連、天皇制のあり方などについて私の考えを書く。コメントなどがいただければと思う。

1)神道と天皇家の関係:

天皇は、神道の行事をされるだけでも非常に多忙だと言われている。この神道は、伊勢神宮を頂点とする神道の一派である。私はこれを伊勢神道とよんでいる。何故なら、我々日本人のほとんど全員の心の中にある神道は、伊勢神道とは異なると思うからである。オリジナルな神道には経典はなく、社殿も元々ない。しかし、伊勢神道にはアマテラスの神話が用意されているし、社殿も偶像的なものも存在する。

オリジナルな神道における信仰心は、アマテラスを主神とする伊勢神道のそれとは違い、「大自然に対し畏怖の念をもつ」がその核心にあり、それのみである。従って、信仰の対象は人により様々である。太陽であったり、山であったり、滝であったり、或いは、大空であったりする。

この自然に対する畏怖の念は、自然がもたらす農作物を日本人が食するとき、「いただきます」という言葉となって現れる。また、日の出の太陽を見た時、ありがたいと思う。その古来日本人の信仰心を、アマテラス信仰と一緒にするのは間違いである。(補足1)

アマテラスは天皇家の祖先として日本書紀に登場する。それは天武天皇のときに編纂された歴史書であり、その時の体制の正統性を主張するために書かれた。つまり、漢の武帝の正統性を示す(主張する)ために書かかれた「史書」の日本版であると考えられる。天武天皇に至る皇統を、当時の主なる宗教であった神道に結びつけることは、その正統性主張の重要なポイントだったのだろう。

伊勢神道と日本国とを強く結びつけたのは、明治の革命政府である。その目的は国家神道、具体的には靖国神社を創建し、戦死者を受容する器とすることで、徴兵を容易にし、兵士を勇敢に戦わせるためである。現在の左派系の人たちは、その方針を個人の人権と自由を蔑ろにする卑劣な手法と考える人が多い。しかし、それは間違いだろう。

西欧では、日本の江戸時代に主権国家の時代(ウェストファリア体制)となり、更にフランス革命後には国民国家の時代が始まり、日本も同様の国家体制を急ぎ整える必要が生じた。日本が西欧の植民地となるのを避けるために行った、国家神道の創製とその利用は必要だったと評価されるだろう。何故なら、明治新政府は権威を天皇に頼り、兵士の士気高揚も天皇に頼らざるを得なかったからである。

倒幕の評価は別問題として議論する必要があると思うが、それを前提にすれば明治政府による国家神道の利用は、日本が生き残る上で必要だっただろう。(補足2)この点を国民が理解することなしに、日本が再び国家としての体裁を整えるのは困難だろう。つまり、江戸末期から昭和に亘る近代史の総括は、日本の緊急の課題である。

現在、その歴史を直視せず未だに伊勢神道と靖国神社の存在意義を、明治時代のように考えるのは時代錯誤だと思う。私は、靖国神社の建物などは国営墓地として改組すべきだと思う。日本国民なら、国の為に戦って死亡した人々に対する尊崇の念には、いささかも変化は無いはずである。

2)天皇の政治的位置について:

憲法第1条:天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

「国民統合の象徴」という表現は分かりにくいが、 要するに“日本国民は天皇を中心にまとまる”ということだろう。明治憲法ではその第1条で明確に、日本国(大日本帝国)は天皇が統治すると謳っているが、現在の憲法には天皇は国家元首であるという表現はない。

上記TV番組では、国家元首は天皇であるという考えが、「実質的に」或いは「諸外国はそのように考えている」という形容とともに語られていた。儀礼的な場面では、天皇は国家元首的な役割をしているように思う。しかし、それだけでは本当の意味での国家元首ではないだろう。

内閣総理大臣が国家元首であると考えると、国家元首が実質的に与党内で選ばれるということになるので、制度的に問題である。また、国権の最高機関と規定されている国会に指名されるので、国会の方が内閣総理大臣より上位の存在であり不自然である。国会の議決で最重要な決断をするのは良いが、それでは非常事態などには対応できない。

つまり、日本には明確な国家元首は居ないのである。この深刻な主権国家としての欠陥を本質論から論じないのは、誠に不思議である。日本は占領軍憲法により骨抜きにされたままなのである。

天皇の機能を具体的に考えてみる。戦前の大日本帝国憲法第55条では、国務大臣は「天皇を輔弼し、その責に任ず」とある。一方、第11条に「天皇は陸海軍を統帥(指揮監督)する」とある。それら2つの条文は整合性に欠ける。そのことが陸軍大臣の指揮を離れて陸軍が暴走する原因となったのは周知である。(補足3)明治憲法では、特に軍を指揮する場面において、権力の系統が不明確であった。

現在の憲法第3条には、「天皇の国事行為には、内閣の助言と承認を必要とする」と書かれている。これを誰でも理解出来るように説明すると、国事行為の脚本を内閣が書き、それを天皇が演じるということになる。天皇は国家元首を演じるだけであるから、現時点では内閣総理大臣が実質的或いは代行的な国家元首としての役割を果たすしかないと思う。

非常事態宣言を出さねばならないような時、日本国はどうなるのだろうか。憲法には非常事態宣言の規定がないのだから、勿論、そのような宣言をする国家元首の規定もない。このような権力の在り処がさっぱり分からない国では、主権国家とは言えない。憲法9条の改正だけでは、日本の憲法はまともなものにはならない。まともな国を目指すのなら、憲法は全面改訂或いは一旦破棄するしかないと思う。

日本の政治家は世襲の政治屋である。日本国民は、天皇という元首のような元首でないような分かりにくい存在をいただく無言の集団である。論理的思考になれた外国人には、不気味な存在だろう。外交的議論する以前に、既に述べたように近代史の総括と、それを基に日本国家のあり方そのものを議論するのが急務の筈である。

3)明治維新と天皇制の関連:

明治の時代に薩長の下級武士たちが新政府を作り、その要人となった。その権威に欠ける新政府が、天皇の地位を非常事態的に過度に利用して、戦時体制的な国家を作り上げた。(補足4)その国家の枠組みを、国難と言える情況を克服した段階で、平常時のものに改めるべきだった。

しかしその時既に、天皇の地位が明治の始めと異なり、絶大になっていたのである。それを示す大事件が、例えば226事件だったと思う。それを国家組織の欠陥と捉えた人は政府要人にも多かっただろう。しかし、天皇ご自身からの発案でなければ、畏れ多くて議論など出来なかったのだろう。

改革の必要性を、身を賭して天皇に具申できるような人物は、明治の初めのときならともかく、昭和の時代には居る筈はなかった。天皇直属の陸海軍を、天皇から切り離して内閣の下に置くことなど、天皇ご自身におかれても深い考察と強い決断の末でなければ出来ないだろう。

その天皇と内閣の関係の残渣が、現在の憲法にも存在している。憲法における日本国統合の象徴という規定である。憲法が占領軍の天下りだとしても、それでは大敗戦という犠牲を払いながら、何も学んでいないことになる。この日本国憲法の条文は「天皇は、唯物的に日本国を支えるのではないが、精神的な日本の中心である」と規定しているのである。(補足5)

それが日本を国際的に分かりにくい国にしている。天皇は日本国の故郷的存在だとしても、現在の日本国は都会に住んでいる。日本国は、40歳過ぎても故郷の親から仕送りを受けて都会で暮らす人に似ている。

補足:

1)私が理解する神道は、この大自然の中に生まれ育ったことに感謝し、起こること全てを大自然を司る神の意思と考える宗教である。しかし、その意思の在り処や法則性は人間の知るところではない。神への祈りも、祈れば成就するという確証など全く信じていないが、口に出すときは信じていると言うしかない。反対の事が起これば、神を畏れる気持ちを新たにするのみである。受け身の宗教だと思う。

2)幕末の孝徳天皇は、薩長勢力よりも徳川慶喜の幕府を能力ある政治組織と考えていた。その急死に疑問を持つ人は多い。

3)最高戦争指導会議は、首相、外相、陸海軍の大臣、陸海軍のトップ(参謀総長と軍令部総長)を構成員とした。しかし、その下に実際に軍を指揮する大本営が存在する訳ではない。

4)陸海軍とその兵士の士気を高めるため、両軍を天皇直属とし、皇軍とよんだ。戦死した兵士の霊は、靖国神社に神として祀られるという国家神道を作り上げた。

5)人の人たる所以は、物理的な(physical)人体にあるのではなく、精神にある。先に紹介した昨日のTV番組で、明治天皇の玄孫という武田恒泰氏が言ったことば「明治憲法の天皇に関する規定と、現在の憲法における規定に差は殆どないのです」が、何よりも明快に天皇の位置を語っている。しかし、日本人は歴史に学ばない国民ということになる。
ただ、この日本国における天皇の存在を薄める試みが、いままでに幾つかなされている。その一つは女系天皇容認論であり、最近の例では新入国管理法である。私はそれらよりも、天皇を江戸時代以前の姿に戻すのが、日本人の大人化に最も良い方法だと思う。そのような江戸時代への回帰は、天皇ご自身の発案がもっともスムースに行くと思う。前回の譲位の声明のときのように、憲法の規定など無視して発言されれば良いと思う。

2019年2月7日木曜日

アイヌ新法に中国、韓国、ロシアの陰?

1)昨日報道されたニュースによると、政府は、アイヌ民族を「先住民族」と初めて明記したアイヌ新法案を今国会に提出するという。朝日新聞デジタルによると、自民党の国土交通部会などの合同会議が5日、法案を了承した。

法案は差別の禁止や、観光振興を支援する交付金の創設からなる。政府には、アイヌ文化を観光資源とし、訪日外国人客数の目標達成の一助にする狙いもある。近く閣議決定し、今国会での成立をめざす。

政府は新法により、生活向上のための福祉や文化振興を中心にしたこれまでの施策から、地域や産業の振興、国際交流を見据えた総合的なアイヌ政策へ転換を図るとしている。

法案の背景には、アイヌ民族をめぐる過去の経緯や、先住民族への配慮を求める国際的な要請の高まりがある。加えて政府が狙うのは、東京五輪・パラリンピックが開催される2020年に4千万人達成の目標を掲げる、訪日外国人客へのアピールだ。
https://www.asahi.com/articles/ASM254H84M25UTFK00L.html

この最後の法案の背景と記した部分は、非常に浅い理解しか示されていない。まともなメディアなら、何故今なのか、何故急な可決なのか、国際政治を睨んだ探求が必要である。日本のマスコミは非常に知恵が浅いか、反日であると言わざるをえない。

2)この新法に危惧を示したのが、評論家の藤井源喜氏である。もはや日本人として完全に同化しているアイヌ民族を殊更取り上げる意図に外国、特に中国の陰を感じるからだろう。https://www.youtube.com/watch?v=AlLsCmbcKkc(1:46頃から)

つまり、中国を中心とした反日連合(セクション3で言及する)は、アイヌを先住民族として国際的に強く印象つける第一の段階が終われば、次に日本民族によるアイヌ虐殺の歴史をデッチ上げる可能性がある。そのことに政府与党の多数は気づいていないか、無関心である。

大部分の自民党政治家は単なる政治屋であり、田舎を票田とする給与と歳費を受け取るだけの家業継承者に過ぎない。彼らが関心を持つのは、現在2倍以上の一票の格差で守られた自分の議席のみである。(補足1)その為、内閣や自民党幹部の意のままに動く結果、あの新入管法も殆ど何の議論もなく可決成立したのである。

藤井氏は、昔北海道周辺にアイヌ民族が棲んでいたものの、統一した民族という意識はなかったと指摘している。そして、この数百年間日本人と雑婚状態であり、現在では完全に日本民族に同化していて、アイヌ民族がアイヌ文化の下で独立して生活している訳ではない。

このあたりのことは、今後勉強したいと考えているが、差し当たり以下のサイトを紹介する。このアイヌ民族とアイヌ問題全体について、小林よしのり氏と香川リカ氏が議論している。これは、新しく問題を考える人の全てにとって一読に値する文献だと思う。https://ironna.jp/article/1552?p=1

藤井氏が述べるように、そして、上記小林・香川の議論にあるように、アイヌであるという認定は自己申告から始まり、アイヌ協会が認定する。つまり、アイヌ関連のかなりの予算が計上される今回の法律制定により、その団体は今以上に巨大な利権を握ることになる。

実際、藤井氏の紹介にあるように、昨日(5日)の衆議院予算委員会でも、日本維新の会の丸山穂高議員は、現在既に存在するアイヌ文化振興法(補足2)も乱用され、それによる福祉詐欺などが横行しており、問題があるのではないかという質問があった。

陰の勢力が、アイヌ記念館の創設などにより、日本民族がアイヌの国を侵略したという歴史を作ろうとしている可能性が大きい。

3)重ねて言うが、このアイヌ新法の動きには複雑な裏がありそうである。過去になんども言及したことだが、2012年11月、中国は、ロシアと韓国に「反日統一共同戦線戦略」を提案した。http://rpejournal.com/rosianokoe.pdfもしや、これが第二次大戦のときのヤルタ会談に似た役割を持っていないかどうか、日本国民は真剣に考えるべきである。(補足3)

注目すべきなのは昨年12月、ロシアのプーチン大統領が、アイヌをロシアの先住民族と呼ぶ提案に賛成したことである。提案に賛同する模様は、プーチン大統領と露大統領人権評議会のメンバーとの会合の逐語記録に残されているらしい。https://jp.sputniknews.com/russia/201812185720111/

在日朝鮮人・韓国人(在日)がアイヌ利権を手に入れる活動をしていたことも事実である。そのような在日を呼ぶ言葉「ザイヌ」が存在することから、相当話題になっていることがわかるだろう。

また、中国人は北海道の土地を買い占めていることは周知であり、それは前々回の記事の中に引用したチャンネル桜の番組「日本の自死」の中で、最初に小浜逸郎氏が問題視したことである。この番組の3時間目でも、この件に関して議論がなされているが、中心的話題にならなかったのは残念である。兎に角、中国が北海道大きな関心を持っていることは、中国首相李克己強が訪日した際、特別に北海道を視察したことでもわかる。

アイヌ問題をテコでこじ開けて、日本列島をアイヌから取り上げたという侵略史観を作り上げようとするのは、米国が東アジアから撤退したのちの日本を料理するレシピの一環の可能性が高い。

慰安婦問題よりも大きな問題となるかもしれない。慰安婦像設置などで主な舞台となったのは、言論の自由が保障された米国であり、その国には、「官憲等による強制連行の捏造」を暴くマイケル・ヨン氏のようなジャーナリストが現れる余地があった。しかし、今回のケースでは、そのような可能性は皆無だからである。(マイケル・ヨン氏の本については:https://ironna.jp/article/1355) 


補足:

1)野党議員には、辻元清美議員のように、外国人から資金協力を得て、明らかに外国の利益のために国会に議席を持っていると多くの日本人が感じる人が多い。また与野党ともに、反日スパイのような議員が多いように思う。日本の政治は、韓国の政治同様に迷走している。

2)1997年制定。同時に、北海道旧土人保護法(明治32年)および旭川市旧土人保護地処分法(昭和9年)は廃止された。この法律は、アイヌ文化の振興とアイヌの伝統等に関する国民の理解を通して、我が国における多様な文化の発展に寄与することを目的としている。

3)私は今回の法制定で、安倍総理は日露平和条約の締結に前のめりにならない方が良いと思うようになった。或いは、以前書いたように、日露平和条約は安倍総理が退任後にした方が良いと思う。(https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/01/blog-post_23.html) 国際情勢が非常に流動的な現在、安倍総理は米国中心であるべき外交の軸足を、不安定な方向に動かしているように見える。

2019年2月6日水曜日

チャンネル桜での「日本の自死」についての議論とダグラス・マレーの著書「西欧の自死」

1)文化系学部を出た人は、言葉の定義に無関心或いは怠慢な人が多い。特に、日本でその傾向が強いと思うのは私だけだろうか。それが、最近のチャネル桜での「日本の自死」についての議論を視聴しての感想である。この3時間に亘る議論は、一般に良心的でありレベルも高いと思うのだが、そのかなりのレベルの人たちの議論においても、言葉の定義を疎かにしていると言わざるを得ない。 https://www.youtube.com/watch?v=QLm78cpJaNg&t=1969s

理系の議論の場合、例えば重さ、質量、力、エネルギーなどの言葉(概念)の定義は、議論の前に準備されている。質量とは真空中に浮遊した物体の動かしがたさを表す量である。また力とは、真空中に浮遊する物体に作用した場合、与える加速度に比例したベクトル量である。(補足1)このような定義が終わったとすれば、具体的問題はコンピュータが人よりも早く問題を解いてくれるだろう。これらは、たかだか高校教育レベルの知識である。

一方、文化系学部を出た人では、日本を代表するレベルの人でも、議論の前に言葉の定義を疎かにする。「日本の自死」の議論では、「日本」と「死」の定義が必要になる。この言葉の問題は、恐らく日本の特別な弱点だと思う。日本人は、言葉を論理的ではなく感覚的に用いる。

2)チャネル桜の2月2日の「討論」表現者クライテリオンスペシャル「日本の自死」

上記議論の題目は、始めに司会者から説明があったように、中野剛志氏が監訳したダグラス・マレー著「Thestrange death of Europe」の訳本「西欧の自死」から借用して立てられた。しかし、上述のようにその論題「日本の自死」についての統一的理解がなされず、各人が最初に自分のおおよその考えを述べる段階で齟齬をきたすことになった。その原因は、「日本」「死」「自死」などについての定義が予めなされていなかったことである。

最初に発言した小浜逸郎氏は、与えられた論題“日本の自死”という言葉を、大量の移民流入による異なる文化を持った民族がスポラディックに日本中に生じ、やがて日本民族がマイノリティーになる危険性と考え、それを論題と考えた。具体的問題点として特に、在日外国人として暮らしている人達による日本の土地の大量取得から、移民による恐ろしい日本分断の可能性について注目した。小浜氏は、ダグラス・マレーが指摘するヨーロッパの情況を意識して話を始めた唯一の出席者である。

しかし次の佐藤健志氏は、上記ダグラス・マレーの本の訳本の題名である「日本の自死」について、30数年前に経済の停滞を打開すべきという「グループ1984年」著の「日本の自殺」(PHP文庫)の話から始めた。佐藤氏は、論題“日本の自死”を、より一般的な日本民族の停滞と捉え、グローバリズムと同時に進められる新自由主義の、特に日本人のマジョリティーの福祉(幸福度)に与える危険性について、話を始めたのである。

次の藤井聡氏は、保守主義は現象学的思考を取り入れて机上の空論に陥ることを防ぐとして、平成時代に何が起こったかの羅列から話を始めた。平成9年の消費税導入が経済に最大の悪影響をもたらしたとして、財政拡大によるデフレ脱却が「日本の死」を防ぐと話した。藤井氏も、ダグラス・マレーの本の内容から立てられた今回の論題を無視して、“日本の自死”という論題を、単に「日本の経済的低迷」として話を続けた。(補足2)

更に次の室伏謙一氏は、「日本の死」を日本の伝統、慣習、社会などの破壊と考え、その考察には明治維新以降の歴史のレビューが必要だと話を始めた。室伏氏の論点も、ダグラス・マレーの本の中の「西洋の死」から取った「日本の死」とは遠い。そして、日本人は何故か愚直に時の支配勢力の姿勢をそのまま受け入れてきたのは何故かという、新たなしかし重要な問題点に言及した。

その後、議論はまとまりを欠いたものとなり、3時間延々と続いた。部分的には面白い議論であっても、雑談風の話からまともな結論など出るはずはない。それは、何度も繰り返すが、論題“日本の自死”の「日本」及び「死」の両方とも、まともに定義されずに、議論を開始した結果だと思う。

3)ダグラス・マレーの「西欧の自死」に戻る。この題名中のstrange deathを「自死」と翻訳した段階で、出版社は読者をバカにしている。以下に引用の長文の書評を読んだ感じでは(補足3)、反グローバリズム特に「反移民受入」の本である。その本の本来のタイトルを借用しての議論であれば、もう少し焦点を絞って、意味のある議論が出来たはずであると思う。 https://blog.goo.ne.jp/komamasa24goo/e/70cf9e7c1daf3cfc31030011d182edbc

その本の内容について上記書評から更に要約すると以下のようになる。

移民や難民(以下移民とする)を短期にしかも大勢受け入れた欧州では、欧州の文化やアイデンティティに同化せず、自国の言葉で話し、独自の習俗で暮らす人々による並行社会が存在するようになった。それは、多分に「多文化社会を築き、隣り合わせに暮らし、互いの文化を享受する」という理想論を掲げて、単に安い労働力を得るためにエリート層が進めた無知による、或いは、欺瞞的な政策の結果であった。

従って、大量に且つ短時間に移民を受け入れることが不可避の場合は、移民の対し移民先での同化を条件とすべきである。その個別の見極めは国外で行うべきであった。これらが、もはや手遅れになったドイツなどヨーロッパの教訓である。出生率の低い先進国のヨーロッパ諸国は、出生率の高い移民たちに乗っ取られる結果となるだろう。

上に引用した表現者クライテリオンスペシャル「日本の自死」は、このようなヨーロッパの二の舞にならないように、日本はどのような政策を取るべきかについて、もっとまとまりのある議論をする筈だったと思う。イスラム教徒のようにほとんど同化しない移民を大量に受け入れ続けてれば、欧州の現在の様に並行社会が日本国内につくられ、人口増加率の大きい彼らに日本を乗っ取られるようになるだろう。そんな具体的な問題に一歩も進むことが無かった。重要な問題を提起しながら、上記番組ではまともに議論出来なかったと私は評価する。

兎に角、日本人は議論の仕方を知らないとつくづく思った。議論は、論点を明確にすること、そのために言葉の定義を確認すること、そして、ブロックを積み上げるように行わなくてはならない。そこには日本語の壁があるのだが、それについては何度もブログに書いた。上述のように日本人は、日本語を論理的にではなく、感覚的に用いる。俳句などはその典型であり、それがあるテレビ番組で大人気なのは日本人の言語感覚を象徴している。また、意味も理解しないで般若心経を唱えて、一種の恍惚感にひたる姿を、私は幼少時に目撃している。更に、現在の子供達の名前が、音だけでつけられている。例をあげれば山ほどある。

補足:

1)質量には慣性質量と重力質量の二種類があるが、一致するように定義されているので、その点はここでは考えない。この話の延長でエネルギーを定義すれば、エネルギーとは物体に加えられた力とそれを移動させた距離の積である。この場合のエネルギーは、同じ座標系で見れば、動かされた物体に運動エネルギーという形で保存される。ここでは、物体を点(質点)と見做しており、実際の物体の場合には、他に回転運動についてのエネルギーなども考える必要がある。
物理学など自然科学は、自然現象に関する哲学(自然哲学)である。社会の議論でも自然の議論でも、一般に議論は言葉の定義をしてからでなくてはならない。言葉の定義で、哲学の半分以上は終わる。

2)日本がこの平成10年頃から“自死”(低迷の意味で用いている)が進みつつある情況を原因として、小選挙区制度が平成8年導入され、グローバリズムや新自由主義に繋がる悪しきポピュリズム(つまり政治の貧困)が始まったと指摘する。そして、緊縮財政によるデフレが日本の自死の背景にあると主張し、土木業界への金の流れを主張した。この人の主張は、滅茶苦茶と言って良い。

3)言葉もしっかりしたよくできたブログであり、従って十分信用できると判断した。

2019年2月3日日曜日

北朝鮮問題の落とし所と極東アジア全体の平和について

1)米朝会談が近づいているが、金正恩は核を放棄しないし、できないだろう。仮に米国と完全核放棄を約束して実施すれば、北朝鮮国内の政治力学の結果として金王朝は滅びるだろう。その地位を確固たるものにするために、金王朝がその象徴として核兵器を開発し保持した事実を重視すべきだと思う。

一般に核兵器でも何でも、部分的であってもオープンな空間での拡散は必然である。実際、鉄器も鉄砲も、世界に拡散した。ある地域で、その拡散したものを再び平和裏に局在化させるには、権力によるエネルギー行使が必要である。諸国家に広がった核兵器の場合、“世界政府の警察機構”による力の行使が不可欠だろう。

従って、北朝鮮の核保持によって高まった政治的リスクの解消について、韓国や日本なども巻き込むような悲劇的な事件に繋がる可能性の少ない現実的な方法は、米国など国連の常任理事国を始めとする国際的に指導的立場にある国家が、以下のような合意をすることだと思う。それは、全ての一定の資格をクリア出来た国家に、“基本的国家の権利”として核保持を認める合意である。(補足1)その“一定の資格”とは、核兵器を平和的に維持管理できる中央政府の能力である。

核兵器でも何でも武器は、攻撃のためであると同時に防御のための道具でもある。北朝鮮が、国家としての独立を確保すべく、武器開発を行ったこと自体は自然であり、その権利を侵害する“権利”は他国にはないと思う。(補足2)

国家が他国の侵略を防止する為に武器を持つことは、各人が暴漢に襲われたときに反撃可能なように体を鍛え、且つ、各戸が戸締まりをして一定の防御具を置くことと等価である。しかし、社会に「公という権威」とその権力が発生したときには、その防御具を軽く出来る。防御具を全廃するのは、豊かで平和な世界と、速やかな警察力が行使出来る背景が必要だろう。

一般に非武装があり得るとしたら、世界政府が出来て地球上に平和が達成された場合である。非武装を平和の為の方法だと、ある政治家が宣伝したとする場合、その政治家が低知能の極限にあるか、その言葉が悪巧みの手先であることの表明である。

以下繰り返す。力づく以外の方法で北朝鮮など各国から核兵器を無くすることは、世界国家的な公権力が出来るまで不可能である。核兵器は、金王朝のシンボルであるから、核兵器全廃を宣言し且つ実行すれば、金王朝は潰れるだろう。その直前には、核兵器を管理する能力がなくなり、日本の米軍基地所在地が、核の標的になる可能性があると思う。

2)国々が夫々独自の文化を持ち、固有性(identity)を保って地球上に存在する前提では、非武装主義は偏った宗教であり平和の敵である。非武装中立は、良からぬ目的をもった勢力の政治的プロパガンダのセリフである。それは治安の悪い土地で富を保有しながら、防御の為の道具や武器を持たないことを表明する行為と同じだからである。

平和を愛するスイスの人たちが永世中立を宣言すると同時に、スイスという国家は武装し、各戸が核シェルターを備えることは論理的に整合している。しかし、核の恐怖から逃れる目的で、各戸に核シェルターを備えるのは、非効率且つ不完全である。頭上で核爆発が起これば、被爆者に対しては多少の延命効果しか無いと思う。前のセクションで述べたような取り決めがあれば、スイスはいち早く核武装するだろう。

一方、日本の非武装平和主義は、国際社会が国家に基本的権利を認め、国際間の争いの極少化に、その基本的価値を置けば、国際的お荷物の筈である。勿論、日本が将来滅びることを、国際的な暗黙の了解事項と考えるなら、日本国のその政策は称賛されるだろう。ここで、国家の基本的権利とは、「国家の独立、存続、そして反映を追求する権利」である。

日本国は、日本国民の将来の安全と福祉のために、そしてアジアのお荷物にならないように、政策を改めるべきである。そして世界はそれを認めるべきである。日本国民は、核兵器を道具と考え、それと同居するために核アレルギーを克服すべきである。それは、外に出て春を楽しむために花粉アレルギーを克服するのと同様である。

日本国が核アレルギーを無くし一定の核抑止力を何らかの方法で実現すること(補足3)、そして北朝鮮の中距離核までの保持を権利として認めることが、この地域に政治的安定をもたらすだろう。そして、平和条約を締結することが、拉致被害者の帰国を実現する唯一の道であると思う。

また同時に、米国、中国、ロシアを含む国際社会からは、異常で不安定な状態にある、韓国、北朝鮮、日本、台湾からなる東アジアの4つの国に対して、その“国家の基本的権利”を回復する様に、援助と理解がもたらされれば良いと思う。それが世界的混乱を事前に防止することになり、国際的な利益となると思う。

3)核兵器を発明してしまった人類が、どのようにして平和を維持するのかという問題を考えた場合、その被害を最小にするための方法は上で述べたように世界政府を作り上げることだと思う。

強力な武器の発明により、一つのオリジンを持つ権威と権力の及ぶ範囲が拡大したことは、人類の歴史の基本的なストーリーである。(補足4)その視点でみれば、核兵器は世界政府と共存することで、やっと安定的に世界政府の倉庫に収めることが可能となる特別な兵器である。

ある国の資本家が抱く“思索の崇高な部分”に、政治のグローバル化つまり世界政府の実現がある。そして、経済のグローバル化とそのための人の移動が進められたのは、その下部構造(唯物弁証法的概念)の発達のためだと主張されるだろう。

しかし現在のところ、それを推進する人たちのみが巨大な純資産を蓄積する富者となり、それ以外は貧者となった。その結果、世界は混乱の入り口にある。それは、上記思想が自分たちの利益のために作り上げられた不完全且つ偽りのモデルだからだろう。それは、元ウクライナ大使の馬渕睦夫氏の主張する通りだと思う。

彼らが、世界戦争なしに、政治のグローバル化つまり世界政府的組織を実現したいと思ったのなら、急速な経済のグローバル化と人の移動の自由化は悪い選択だと思う。貧富の差の拡大と異文化の人たちの混住は、国内政治を混乱させ急進的ナショナリズムを喚起するからである。

世界政府が出来上がった場合でも、恐らく国家という枠組みが自治政府の枠組みとして残る筈である。現在のグローバル化は、その前に国家の障壁を破壊する可能性がある。その後には、世界政府という秩序ではなく、世界的混乱が残るだろう。

世界政府樹立には、独立した国家間の同盟関係を世界に広げることと、世界に拡散した戦略兵器の一元管理を実現することが重要な部分だと思う。その原始的な形は既に国際連合やその周辺機関として存在する。その発展には、加盟国特に常任理事国の意識改革を始め、広い範囲での国連の改革が必要だろう。

ある特定の国に対する核廃絶の要求は、その国にしかるべき受け皿が用意されない限り、単に局地的に歴史の逆流を目指すことである。それを無理矢理実現したときには、多大の犠牲者がその国とその周辺国に出る可能性が高いと思う。その選択は愚かだと思う。それよりも、その地域(つまり極東アジア)全体での核兵器のマネージメントの問題と考えるべきであり、北朝鮮の核問題の緊迫化は、現在がその時期であることを示していると思う。

以上は、国際政治に素人である人間の私的なメモです。前提は、世界の中心的な国家の指導者の方々に善意と誠意が存在することです。批判等議論いただければ幸いです。

補足:

1)一定の資格を満たさない国、つまり核兵器を乱用する可能性のある国には、核保時を認めるべきではない。その判断には、世界的な権威の樹立が必要であり、それには、国際連合を世界国家に育てるのが一番の近道である。

2)米国が中距離核の全廃条約を破棄したのは、米国の主張の通り核兵力の分布がアンバランスになったのなら当然である。

3)差し当たり、日米同盟の新たな緊密化と石破氏の言う非核三原則の放棄である。そのセットで東アジアの安定に寄与できるのなら、米国には協力してもらいたいと思う。

4)強力な鋼の剣や火縄銃の発明は、大きな領域の部族や城郭都市の範囲に及ぶ権力を作った。連発式ライフル銃、大砲、軍艦などの武器の発明は、単一根源の権力が支配する範囲を城郭都市レベルから国家という枠組みまで拡大した。ミサイルとそれに搭載可能な核兵器の発明は、それに相応しい権力とその広い支配域を確立していない。それが、現代の世界である。その様な場合、米国が個人に銃保持を認めるように、国家が暫く核ミサイルを保持し管理する体制を持たなければならないだろう。