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人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2023年8月31日木曜日

福島第一原発の処理水放水の何が問題なのか?

1)福島第一原子力発電所の現状

 

2011年9月の東日本大震災の直後、福島第一原発は停電し、且つ予備電源も動かなくなったことで、原子炉が冷却できなくなり、1-3号炉の核燃料棒が溶融する事故(メルトダウン)となった。更に、極めて高い温度に加熱された水蒸気から発生した水素が爆発して、装置や建物を破壊し、核反応生成物などを含む水等を空気中にバラまいた。これが原発事故の概略である。


尚、4~6号機は定期点検中、5,6号機は水素爆発の被害を受けず、4号機は隣接建屋での水素爆発の影響を受けた。その後、事故炉に海水を汲み上げて注入するなどの冷却方法で原子炉の核反応の暴走(爆発)が防止された。当時の吉田所長以下所員の命を懸けた努力で、チェルノブイリ事故以上の事故となることが食い止められた。(補足1)

 

現在、3-4号機の使用済燃料プールにあった全ての燃料は建屋外に取り出されている。1-2号機については、使用済み燃料プールからの燃料取り出しも未だ始まっていない。https://www.tepco.co.jp/decommission/progress/about/

 

ここで重要なポイントは、何もしなければ1-3号炉で再度核連鎖反応での加熱が進み大爆発を起こして、チェルノブイリを超える被害を起こす可能性があると言うことである。廃炉を目指して進むしかないのである。何故この重要なポイントに対する言及がないのか? 

 

原子炉事故は未だ終わっていないことを政府はハッキリ言うべきだ。(補足2)

 

 

2)チェルノブイリと福島第一の比較 

 

チェルノブイリでの事故は、4号炉(出力100kW)だけの核分裂暴走であった。13号路は事故後もしばらく働き、5,6号炉は未完成であった。それでも福島第一原発の10倍以上の放射性物質を放出している。http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/Henc.html

 

主な放射性物質放出量を福島第一原発の場合と比較すると;

(放出量はPBq単位)

ヨウ素131

セシウム137

ストロンチウム90

プルトニウム239

チェルノブイリ

1760

85

10

0.013

福島第一

160

15

0.14

極微量

https://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/docs/2013091700016/

 

原発のタイプは異なるが、原発一機の出力はどれも1GW前後であり、一基当たりの燃料の量もほぼ同じ程度だろう。従って、上記会津若松市のHPに掲載さてている結果は、チェルノブイリの事故では、ほとんど汚い爆弾(補足3)のような爆発が起こっていたことを示している。

 

チェルノブイリ事故の場合、残った原子炉の中ではそれ以上の核連鎖反応は殆ど起こらず、核物質の漏洩は石棺で埋めて行なうのは賢明だろう。このチェルノブイリのケースと比較して、福島第一の処理後の冷却水の海中放棄を批判するのは、政治的プロパガンダである。

 

3)冷却水の由来

 

福島原発では後日、冷却水注入に係わる電源やその他の修理がなされ、普通の水が用いられるようになった。何れにしても、冷却水はメルトダウンした核燃料と接触するため、多くの放射性核種を含む汚染水としてタンクに溜め込まれる。

 

冷却水は熔けて底に溜まった核燃料を取り出す(核デブリの処理)まで、注ぎ続ける必要があるが、部分的に破壊された格納容器から漏れ出る大量の汚染水は、海中に捨てる訳にはいかないので、タンクに一時保管されるのである。

 

 

この汚染水の説明は東電の頁にもある: 汚染水とは原子炉を冷やすために注入した水や、破損した建屋から入る雨水、山側から海側に流れている地下水が、原子炉建屋等に流れ込み、溶融した燃料に直接触れたり、原子炉建屋内等に溜まっている放射性物質を含む水と混ざることなどで生成する。

 

この汚染水を、核分裂生成物を分離する装置ALPSで部分的に浄化し、安全性を向上させた水(処理水)として海に放出する。繰り返しになるが、燃料デブリを取り出し廃炉するまでこの作業は必要である。

 

ALPSで処理しても排除できない核種で、最も放射能が高いのがトリチウムであるが、それ以外にもセシウム137や放射性キセノンなど、吸着などの手段で取り出しにくい同位体が少量含まれる。この海上放水を国際的に理解してもらうために、国際原子力機関の臨検を受け入れるのである。

 

 

4)政府によるALPS処理水の海洋放出の決定と中国の反応:

 

ヤフーニュースによると、福島第一原発の処理水放水は菅首相が「海洋放出を2年程度の後に開始します」と2021413日に宣言したことにより日程に上った。この件が中国との外交問題になったのは、その同じ日に中国の趙立堅報道官が以下のような声明をだしたことに始まる。

https://news.yahoo.co.jp/articles/5a51a51578a65d01f39ca1935aff02fbbe48826c?page=1

 

「日本の福島の原発事故の核廃水処理問題は、国際的な海洋環境と食品の安全、人類の健康に関わることだ。国際的な権威ある機関や専門家は、福島原発のトリチウムを含む廃水を海洋に排出することは、周辺国の海洋環境と公衆の健康に影響を与えると、明確に指摘している。」

 

しかし、後述のIAEAと中国では完全に異なった判断をしたこと

2年あまり経って、岸田首相が予定通り今年(2023年)8月後半に放出を始めると決めたのだが、それは、「処理水保管タンク」の水量が98%を超え、作業に支障をきたす可能性が出てきたからである。

 

今日、中国をはじめ諸外国の原発が福島第一原発以上のトリチウム排出を行なっていることが知れ渡り、最近中国は、処理水放水に反対する理由に、福島原発から出る処理水には燃料デブリと接触することにより放射性重元素が入っていることを持ち出すという、論点のすり替えを行っている。

 

ヤフーニュースにあるように、中国はこの再処理水の海中放出への反対運動を、日本の分断の為に行っているのである。中国の本当の攻撃目標は、原発処理水ではなく中国の脅威に備えるための東アジア版NATO類似の日米韓の三国間連携である。

なお、各国の原発排水からのトリチウム排出量は、以下のページに示されている。上述のように各国の原発から排水には、トリチウムが福島原発処理水から出るものより相当多く含まれる様だ。

https://www.cn.emb-japan.go.jp/files/100193104.pdf

 

 

5)IAEAの協力

 

74日には、来日したIAEA(国際原子力機関)のラファエル・グロッシ事務局長が、岸田首相に対して、安全にお墨付きを与える「包括報告書」を手渡した。この報告書を得るまでの経緯とその内容について若干記す。https://www.iaea.org/sites/default/files/23/07/final_alps_es_japanese_for_iaea_website.pdf

 

政府は2年前にIAEAにレビューを要請し、IAEAは原理原則や安全基準などから福島原発処理水の海中排出について検討した。

 

包括報告書によると、日本政府は2021年4月の菅政権による海中放水の宣言後、直ぐに IAEA が関連する国際的な安全基準を適用しつつ、東京電力福島第一原子力発電所に貯蔵されている ALPS 処理水の処分の安全性に関する詳細なレビューを実施することを要請した。

 

レビューを透明かつ包摂的な方法で実施するために、IAEAはタスクフォー ス(検討部隊)を設置した。同タスクフォースは、アルゼンチン、オーストラリア、カナダ、中国、フランス、 マーシャル諸島、韓国、ロシア、英国、米国、ベトナムからの国際的に認められた独立した専門家とIAEA 事務局の専門家を含む。

 

IAEA タスクフォースは、 2021 9 月に第一回会合以降、数多くの会合を開催してきた。そして、ALPS 処理水の海洋放出に対する取組及び、東京電力、原子力規制委員会及び日本政府による関連の活動は、国際安全基準に合致しているかどうかの査察を行った。

 

ALPS 処理水の放出は、放射線に関する側面との関連で、社会的、政治的及び環境面での懸念を起こしていることをIAEA は認識している。しかしながら、包括的評価に基づき、現在東京電力により計画されている ALPS 処理水の放出は、人及び環境に対し、無視できるほどの放射線影響となると結論付けたのだ。

 

6)処理水排水を批難することで中国に協力し、日本に分断を持ち込む人たち:

 

昨日、ある動画を見た。元京都大学原子炉実験所の助教(昭和時代の助手)の小出裕章氏が福島県三春町で行なった、処理水放出に反対する講演会での講演ビデオである。https://www.youtube.com/watch?v=nxpVO0bL5X8

 

この中で小出氏は、大量の処理水が発生するのは、福島第一原発を作る際に地盤を20m程削り取り、海抜を10mまで下げたことで、事故後大量の地下水が原子炉に流れ込むことになったのが原因であると解説している。

 

従って、本来しっかりとした防護壁で完全に取り囲む工事などを行うことが大事で、そのようなことをせずに、汚染水を海中に放出するのは人類に対する罪であると言う。

 

この解説には汚染水の生成についての誤魔化しがある。それは、地下水の流入が全くなくても、格納容器とその下に溶融落下した燃料を冷却するための冷却水の注入が必要だという点に言及していないことである。

 

もし、冷却水の注入がなければ、再度大爆発が起こり、汚い爆弾を落としたような惨禍に福島を中心に日本が見舞われる可能性があるということを隠しているのである。報道する人たちが揃ってこのことに触れないのは本当に無責任だと思う。

 

つまり、廃炉処理はどうしてもしなければならない。燃料物質のウラン235が無くなるまで冷却水を流し込み、その冷却水をため込むことは不可能である。何故なら、ウラン235が半分になる時間だけでも7億年かかるのである。

 

そして冷却水を注入し続けなければ、メルトマトダウンした核燃料物質が更に反応して、チェルノブイリのように汚い爆弾を落とされた情況になる可能性がある。

 

その他、専門家でありながら深く検討もしないで、無責任な発言をする方もいる。例:

 

 

終わりに: 

 

日本人は議論が出来ない文化をもつようだ。この件、専門家は何故沈黙するのだ。原子力工学専攻の方も相当な人数いる筈である。例えば何故、上記小出裕章元京大原子炉助教の講演会場に出向いて、堂々と反論しないのだ。どうして元或いは現教授連中は沈黙しているのだ。

 

処理水海中放出に反対なら、そのように発言すべきだし、それしかないのなら上記のような無責任な元学者らを批難する文章を何かの手段で発表すべきだ。

 

 

補足:

 

1)米国企業のIBMに勤務していた人が、東京にいては危ないということで、所員を避難させた。その一人が名古屋に逃げてきたと当時勤務していた国立研究所の上司から聞いた。原子炉で働く所員の努力のおかげで、事故を起こした原子炉の中の核燃料では福島(事故炉は3機)の方が3倍近くあるにもかかわらず、チェルノブイリ(事故炉は1機のみ)のケースよりも桁違いに放射性物質の放出が少なかく抑えられたことを先ず知るべきだ。

 

2)私は、放射線の取り扱いには30年ほど前の一時期従事していた(放射線取扱主任者一級免許あり)が、本来は基礎科学者であり、原子炉については素人である。そこで、随分躊躇したのだが、誰もこの重要なことを言わないので、仕方なくブログ記事にすることにした。

 

3)汚い爆弾とは、完全に核分裂反応が進むように設計しないで、核燃料物質をばらまくことを目的にした原子爆弾である。(ウィキペディア参照)

 

午前9:00編集、補足3追加;17:00、爆発として予想されるのは水素爆発なので、誤解の恐れのある部分を3カ所ほど表現を改めました。善9月1日早朝、終わりにの部分の感情的な部分を削除、そのほか数か所の文法的あやまりを修正

ーーーーーーー 終わり ーーーー 

2023年8月26日土曜日

木原氏妻の元夫の変死事件(7): 被害者が在日であることに触れないのは何故か?

木原誠二氏の妻の元夫が200649日東京都文京区の自宅で変死体で発見され、警視庁で捜査されたようだが、その後自殺として闇に葬られた。担当の警部補佐藤誠氏の実名会見によれば、2018年に再捜査が開始され、被害者の義父が犯人だろうとの捜査仮説が不明瞭ながら明らかにされた。

 

その再捜査も、木原官房副長官が自民党の情報調査局長になった日から数日を経て中止されたことで、木原氏の捜査介入という重大犯罪の疑惑が発生した。それが今年20237月になって、週刊文春により報道された。恐らく政治がらみの筋からリークがあったものと思われる。

 

この事件、2006年の時点で一度もみ消しが行われたという点を中心に、ブログ記事を6回書いてきたが、最後の記事にchukaのブログという米国在住のブロガーからコメントを貰った。そこには、以下のような重要な指摘がなされていた。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12817181832.html

 

木原妻元夫変死事件については二つの目的が交差している。まず#1は岸田降ろし。これに木原官房副長官がツールとなっている。#2は変死事件の真相解明です。今回これを持ち出した文春の狙いは#1というのは誰もが反対しないはずです。この事件を持ち出したのはいい事だが、文春の杜撰さが災いして事件は再び闇の中へUターン。遺憾です。この変死事件は木原氏とは全く関係がない、ということをまず前提としなければならない。夫として妻を守るのは当然です。ただ特異なのは木原氏の妻、愛人2人が水商売出身とうことで通常の夫婦観を持っていないようにも見える。被害者安田種雄の妻の父は当時都内の警部であったが、娘夫婦は父所有の家に居住。しかし婿は在日家族出身で父親は母国語が韓国語。会見でも日本語の読みに問題があった。事件発生は2005年なので父親の日本語はもっとまずかったはずです。被害者は法と摩擦で中卒で水商売従事、しかしモデル業ではワルがかった美男子として一時有名だった。若いのに2人も子供がいた。このカップルは通常ではない。被害者の変死が自殺ということにされたのは、妻の父の強力なコネだと思われる。在日の泣き寝入りの例です。

(筆者注:文中2005年は2006年の誤り;)

 

このコメントに対して、私の返答は稚拙であった。一つは、夫が妻を庇うのは当然だというコメントが成立するには、夫が公人でない場合に限られるとの指摘が抜けていたこと。官房副長官は24時間公人であり、市役所の職員とは異なる。そして、もう一つは「在日だからと言って差別的に扱われたことは無いと思う」という粗い返答をしたこと。

 

chukaのブログさんは、更にコメントを追加した。それも全文そのまま掲載する。

 

ではなぜ被害者の父が韓国系移民であることは報道されないのか?被害者身の生い立ちも典型的在日青年のようだ。米国では事件の背景を理解するために最初に報道される。日本では今も臭いものに蓋という考えが強いのだろうか? 警部なら在日子弟が風俗とか暴力団、覚せい剤と大きく関係を持っているということは当然知っていたはずだ。結局弱者、ここでは安田種雄の遺族、が泣き寝入りして事件をうまく収めたということだろう。日本側としては遺児2人への配慮もあった。ここで母親が事件に関連したとされるなら、遺児2人は当然被害者の家族に引き取られることになったはず。

 

この日本文化を解剖するようなコメントに対して、簡単には返答できないので、後にブログ記事として書くと返答して、そのラインを閉じた。以下にその返答を書く。

 

 

2)日本は臭いものに蓋をする文化の国である:2006年の変死事件

 

サブタイトルは、二番目のコメントの赤字で強調した部分に対する私の答えである。何故、臭いものに蓋をするのか? それは臭いという観測から、より詳細な調査分析を開始し、それを元に原因を探し出し対策を施すという図式で問題解決する能力が、日本のあらゆる機能体に無いからである。

 

この事件の詳細は、上のコメントにあるように、被害者が在日だということと大きな相関がある。つまり、在日子弟が暴力団、覚せい剤、風俗と関係を持っている確率はかなり高い。そして日本の社会でも、暴力団、覚せい剤、風俗等は、屡々臭いもの(事件)の近くに存在するのである。

 

この事件に対する筆者の仮説を書く。

 

X子の父であるZ氏は公安畑の警部であり、この事件を真面目に解決するには、多大のエネルギーと犠牲を払う必要があると直観的&経験的に確信した可能性がある。犠牲の一つは、自分たち家族と在日との深いかかわりが世間に明らかにされ、娘も孫もその中で生きていかなくてはならないことである。

 

それらのことから、Z氏はこの件を自殺として処理すべきという方針に至り、警視庁をまとめたのかもしれない。変死者の多くが警察の省エネのために自殺として処理される例は多いと言われる。また、自殺者も同様に変死者として扱われるケースが多いようだ。

 

 

行方不明者についても同様である。そうだとすれば、殺人事件のかなりの部分が自殺者或いは変死者として処理されていても不思議ではない。

 

ただ、再捜査の結果からZ氏が犯人だとする捜査仮説が不明瞭ながら明らかにされているので、問題はもっと隠蔽に近く、その背景は複雑なようだ。それに、X子の一族にあまりにも韓国系の人が多い。第一に、X子もその兄の配偶者も、韓国系のキリスト教会に行っていたと言う話がある。

 

その協会とは東京中央協会であり、主に韓国語で礼拝が行なわれる日本一のコリアンタウン「新大久保」にあるプロテスタント教会である。https://www.tcc.or.jp/ ネット上では、X子の国籍なども議論されているが、船本姓は韓国系ではない。ただ、あまりにも韓国系との付き合いが多い。

 

私が捜査陣なら、捜査仮説としてX子の母も在日或いは元在日だという仮説を置く。X子の母はマルチ商法で、ぼろ儲けをして、不動産などにも投資するやり手だったようだ。そのような活動的な女性は日本人には多くない。それに、その色白の美貌はX子に遺伝しているようで、韓国系を思わせる。

 

つまり、その仮説によれば被害者側も加害者側も在日が絡んでいるという話になる。そうすれば、2018年の再捜査時の捜査仮説:X子父であるZ氏犯人説が、一層真実味を増す。

 

日本という特殊社会で平和に暮らすには、在日だけでも結構大変なプレッシャーを感じる様だが、それに殺人事件が加わると、日本社会では完全に孤立無援の情況に追い込まれる。もし、X子も被害者側に入るとしても、それを日本の「臭いものに蓋」社会は受け入れる訳が無い。

 

コメントは、「在日或いは元在日が被害者の事件を、差別的に省エネ処理するための隠蔽ではないか?」というものだが、私が返答として出したモデルは、加害者側(あくまで仮説による加害者です)も深く在日韓国人と関係しており、事件関係者全員がこの「臭いものに蓋」社会で生きるための防衛的殺人事件だったというものである。

 

殆どの報道で被害者が在日であることに触れないのは、日本社会で在日の方々を区別し、しかも穏やかに摩擦を少なくして報道することが、難しいからである。論理的に考えれば、朝鮮半島と日本は違いを認めつつ、対中国や対ロシアの面で協力して生きる道が最善なのだが、その論理的思考が出来ないのである。

 

機能体における適材適所の原則、労働の流動性向上、外国人の有効的な受け入れ、などが出来ないのは、論理的思考力の欠如が原因である。それが日本社会に迷信が蔓延り、何でも「臭いものに蓋」様式で後ろに送って解決した振りをする原因である。それはどの国でも問題だが、特に日本で著しい。もう一言言ってしまえば、日本語の被論理性にも原因の大きな部分が存在すると思う。

 

以上、chukaのブログさんのコメントに対する返答を記事とした。

 

 

3)日本は臭いものに蓋をする文化の国である:他の深刻な例

 

筆者は、この日本という「臭いものに蓋」という前近代的社会を批判する記事を何度も書いてきた。その日本社会の一症状が、30年間低迷する日本経済である。そしてそれよりも深刻なのは、戦後のサンフランシスコ平和条約から70年経っても、米国の属国から抜け出せないことである。これらは全て、論理的に考察できない「臭いものに蓋」病(日本病)の一症状である。

 

最近では福島原発の処理水の海中投棄でも、この日本病が出ている。それに関する原口一博衆議院議員の動画にコメントを書いた。このコメントが分からない人が殆どのようだ。https://www.youtube.com/embed/xvoSr1yjibw

 

 

そこに書いたコメントとは、日本では問題解決のためにその組織体に話に行っても、誰(原口氏のいう実力があり話の分かる人=サムライ)と話をすればよいのかわからないという原口氏の言葉に対するものである。

 

日本には原発は無理という言葉を深刻に聞きました。何か重要な話をする時、何故サムライを探すのですか?(動画の14分頃の発言) 本来、その部門の受付に行って、要件を言えば良い筈ではないのですか? 私は、日本には社会の中に人材を適切に配置する文化が無いことだと思います。人物の評価も表の世界ではおおざっぱな評価しかなく、そのくせ裏の様々なグループでの非客観的な評価或いは単なる好き嫌いの共有がなされます。また、層状構造を為す社会の機関において、階層間での情報の共有や議論の文化がない。人を良い人と悪い人、有能な人と無能な人と言うレベルの評価しかできない。世界の国々を親日的な国と反日的な国に分類して、それらの国を知った気になるのと同じです。原発の問題だけではありません。

 

このコメントの意味するところは、あらゆる近代的な機能体組織は層状構造を為す。一方、発生する問題は常にローカルである。問題を解決する方法の最終決定は、その機能体のトップである。従って、ある問題が発生したとき、その問題の分析結果や解決方法の議論は、最下端の係からトップまで共有されなければならない。

 

それが全く出来ないのが、日本社会である。カルロスゴーンはそれを見事に証言している。「社長が何か決めると、フランスでは議論が始まるが、一方日本では沈黙が広がる」(内容はゴーンさんのものですが、文章は筆者が改変しています。) 

 

それは機能体組織において適材適所の人事が為されないという問題であるが、その根本に日本人は公の空間で他人を評価できないという文化がある。他人を評価するポストにある人たちに、一般的にその能力が無いのである。従って、日本には優れた個人は多く出ても、優れた組織は存在しない。

 

エリート集団であると言われる警視庁、その中でもエリート警察官の集まりである捜査一課でも、その組織は日本病の患者である。以上疲れましたので、書きなぐり状態のまま投稿しました。今日中に修正が何回か入る予定です。

 

(午前中3度ほど編集、12:40 全体を編集し、最終稿)

ーーーおわりーーー

2023年8月22日火曜日

木原官房副長官配偶者元夫の変死事件(6):週刊文春は公安の極秘技を恐れて手を引くのか? 

8月最大の国内ニュースは、木原官房副長官の政治権力による刑事捜査妨害疑惑である。木原氏の妻の元夫が20064月に変死した事件の再捜査が2018年に始まったのだが、三重県まで出かけて犯人と疑われるZ氏(週刊文春の標記)の家の捜索までやりながら、同年10月に早々に捜査陣が大幅に縮小されその後実質的に中止された。この捜査中止の背後に木原官房副長官の政治権力が働いたのではないかという疑惑である。

 

『木原官房副長官配偶者元夫の変死事件(5):公安警察官Zは“活躍”したのだろうか?』

 

この件を、今年20237月~8月に週刊文春が記事に、8月に当時捜査にあたった警視庁警部補が実名で記者会見したことから、国民の関心を引き話題になった。その際、露木警察庁長官が「この件は正しく処理されており、事件性はなかった」と態々火消しの発表をしたことが、2018年の再捜査中止の背後には大きな存在があることを暗示したことになった。

 

 

この事件を追いかけているのは週刊文春だけではない。Webマガジンのアクセスジャーナルもその一つである。そのアクセスジャーナルが重要な情報源から今後情報提供出来ないとの通知を最近受けたと言うのである。以下がその通知に書かれていた理由である。

 

「私は『週刊文春』報道を契機に、再捜査されれば、遺族の無念が少しでも晴れるのではとの思いで情報提供して来た。だが、もはや再捜査はないことがハッキリしたからです。警察庁長官や警視庁捜査一課長の『事件性なし』の見解あったこともだが、何より決定的と思ったのは、2006年の事件発生時の捜査が、上の判断で潰されていたことがハッキリしたからだ。公安絡みでもあり、それで突いたら本当に消されかねない。実は同じことに気づいた大手紙も、警察の報復を恐れて報道しないことを決めている」https://access-journal.jp/73343 

 

その後、この露木長官を訴える勇気ある人物が現れたとの報道が同じアクセスジャーナルに現れた。先日、月刊紙を出している「日本タイムズ社」(東京都千代田区、川上道大社長)が、露木長官を刑法103条(犯人隠避罪 )と国家公務員法第100条違反(秘密漏洩)で告発したというのだ。https://access-journal.jp/73364

 

筆者がこの”勇気ある告発”を知ったのは、以前引用したyoutubeの巫女ねこチャンネルの動画からであるので、一応下に引用しておく。

https://www.youtube.com/watch?v=T8jaSgALnPo

 

ただし筆者は、この告発状には不可解な点がいくつかあり、一般人が期待したような働きをしないのではと思っている。尚、告発状は、日本タイムズ社のページに提示されている。https://nippon-times.net/news/#t14-1

 

因みに、この事件の最新情報は、佐藤章氏(元朝日新聞記者)も取り上げて説明している。以下の動画、特に50分あたりから聞いてもらいたい。

 



2)日本タイムズによる露木警察庁長官の告発状について

この告発状の宛先は、「東京地方検察庁検事正 山元裕史殿」となっている。そして、告発の趣旨として:被告発人の所為は、1.国家公務員法第100条違反、2.刑法103条に夫々違反すると記している。

そして、告発事実として以下のように記している。

被告発人の警察庁長官・露木康浩(以下「露木」という)は安田種雄さん不審死事件について令和5年7月13日、当時現場捜査官は立件を視野に事件に関して捜査を継続して実施している真っ最中であった。

にも拘わらず、「露木」は業務上知り得た秘密である事件性有無について、大胆にも令和5年7月13日、「法と証拠に基づき、適正に捜査、調査が行われた結果、証拠上、事件性が認められないと警視庁が明らかにしている」と記者会見の場で発言した。

この告発状に対する本ブログ筆者の考え:


この告発状は、どのように処理されるかわからないが、恐らく東京地方検察庁は却下するだろう。その後、告発者により検察審査会に再審査申請がなされるだろうが、そこでも却下されると思う。何故なら、この告発状には不思議な稚拙さがある。却下を想定して提出されたのではないのか?

告発事実に、「令和5年7月13日まで現場捜査官は立件を視野に事件に関して捜査の真っ最中であった」とあるが、それは事実だとは思えない。2018年10月の国会が始まった時に捜査陣の縮小が発表され、翌年の春には殆ど中止されていたという話がネットで報道されていた筈である。その中止の決定に木原氏の圧力が働いたのではと疑われているのである。

 

「露木」は業務上知り得た秘密である事件性有無を、警視庁の報告(秘密情報)を引用する形で事件性なしと発言したという部分は、言い換えれば、「事件性は無かったという秘密」を喋ったということになる。そうなら、捜査の真っ最中である筈がない。(追補1)

また、露木長官の発言が秘密漏洩に当たると仮定しても、事件性無しとの情報漏洩が犯人隠避にあたることは論理的にあり得ない。事件性がない、つまり殺人事件が無かったという情報を漏洩しても、殺人事件の犯人を隠避したことになり得ない。

兎に角、謎の告発状に見える。失礼だが、この事件の幕引きのために仕組んだ芝居ではないのか。つまり、被害者家族は、何らかの告発がなされた場合、新たに告発する勇気を削がれる可能性が高い。

 

つまり、被害者が容疑者不詳のまま殺人罪で告発したり、木原氏夫人を要保護者遺棄致死罪で告発した場合、検察審査会では確実に被害者側の希望にそった判断がなされるだろう。それを防ぐために、検察を含む政府側の要請で、日本タイムズが一芝居したと考えられる。


終わりに:

木原官房副長官は、岸田首相について米国での日韓米の参加国首脳会議に随行した。この件はもみ消し成功と岸田氏とともにたかをくくっているのだろう。因みに、今年春の叙勲で、桑名市在住の義理の父に当たる船本賢二氏は瑞宝単光章を授賞している。https://www.city.kuwana.lg.jp/hisyokoho/shiseijouhou/kouchoukouhou/jyokun.html

この国は、支配層と被支配層一般国民とに明確に分かれている。それを守るのが選挙においては、一票の格差と、一般人が選挙に出ないように設定した高い供託金である。日常では、情報の隠蔽とマスメディアのプロパガンダ放送で、正しい情報が国民に流れないようにしている。

 

そしてイザとなれば戦前のように警察やヤクザも動員してもみ消すのだ。

 

尚、手前みそになるが、この事件の真相は本ブログでの最初の記事が正しくその大筋を指摘していると思う。コメントとそれに対する返答(その日時も)なども読んでいただければ、この記事がその後の編集されたものでないことが分かっていただけると思う。

官房副長官の奥さんの元配偶者の死の不思議:2006年の捜査時に最初のもみ消しがあったのでは? | Social Chemistry (ameblo.jp)

 

 

追補:

 

1)露木長官の発言が秘密漏洩に当たるとして、その秘密は捜査陣と共有する秘密だとすると、上記議論のように辻褄が合わない。秘密漏洩の秘密(内容とどの範囲の公務員で共有する秘密なのかなど)を明確にしてもらわないと、意味不明の告発状となる。

 

2)以前記載したように、木原氏の義理の父(桑名在住のZ氏)は警視庁の公安部門に所属していた。恐らく、その部署は戦後でも米国CIAのような工作に従事してきた可能性が高い。その活動の陰で、命を落とし不審死として片づけられた政治関係者もかなりいた可能性がある。Zがそのような公安警察の秘密を握る人物だったら、あの事件ももみ消さざるを得なかった可能性がある。国民の警察に対する信頼感を守るというような、漠とした目的ではなかったかもしれない。

 

(午前8時50分追補1の追加;11時0分、編集あり; 8/23/早朝、「終わりに」に残存した消し忘れを消し一文を追加;更に追補2を追加)

 

2023年8月21日月曜日

全く信用できない欧米日マスコミの国際情勢報道:ウクライナ&アフリカを例として

民主主義の成立条件には個人の自立などいろいろあるが、中でも大事なのは、客観的で真実に基づいた報道である。ところが、民主主義国を自認する欧米日のマスコミは全く信用できない。

 

例えば、欧米日のマスコミは、ウクライナ戦争に関してその原因から現状まで全く真実とは反対の報道をしている。本ブログでもそれらの報道に惑わされ、トルコがウクライナのNATO加盟に賛成するような動きをした時、一日弱だが、戦況を見誤まったこともある。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12811198754.html

 

岸田政権下の日本では、戦況はウクライナ有利との報道が殆どである。しかし、山中泉さんの今日の動画によると、米国大手マスコミでも、ウクライナの敗北の可能性が大きいという論調に変わりつつあるという話である。明確に出た結果に対する辻褄合わせが始まったのである。https://www.youtube.com/watch?v=uM3zXPtdxHs

 

 

つまり、欧米日の大手マスコミの放送はプロパガンダであり、情報源としては役立たないということになる。プロパガンダに対してお金を支払っている一般市民は、愚かとしか言いようがない。毎朝朝刊を待つ日本人は、本当に愚かだ。

 

そしてそのプロパガンダは、全ての分野に亘る。私も、毎朝のネットで情報収集をやっているが、今朝印象的だったのは、上記山中泉さんの動画と、以下の原貫太さんの動画である。後者では、中国のアフリカ進出に現地のアフリカ人たちがどう思っているかを報告している。https://www.youtube.com/watch?v=FDS5YQ9GTIQ

 

 

日本人の我々は、中国はアフリカに進出して新しい植民地支配を展開しているという話や、中国の仕掛ける債務の罠の話などで、アフリカ人の間で中国が嫌われているという印象を持っている。これらは欧米日の大手マスコミの報道で作り上げられた我々の共通した認識である。

 

時たま参考になるのがBBCの報道だが、そこが定期的に実施しているworld service pollという世界の主要国の人気調査がある。その結果(2014)では、調査対象となった最近経済発展が著しいアフリカのナイジェリア、ケニア、ガーナでは、中国がプラスの影響を与えているという評価が6585%だったというのである。

 

日本人のほとんどは、「そんな話は聞いていないぞ」と思うだろう。欧米の大手メディアやそれらのカーボンコピー的な日本の大手メディアでは、世界の動向を殆ど知ることは不可能であることを知るべきである。

 

動きに決着がついた時或いは真実が明らかになった時に、辻褄合わせの報道があるだろうが、それでは民主的な政治参加など不可能である。

 

21世紀は情報革命の時代であり、皆がパソコンやスマホを持てる時代になってきた。それらで複数の視点を代表するメディアを探し出して世界の情報を集め、それらを総合して自分の考えを作り上げることが可能である。

 

有権者の例えば半数以上が、自分の意見をそのような手段で構築出来た時、欧米日のようなどこかのだれかというごく少数の金儲けに強い人たちの軛から逃れることが可能となるだろう。

 

最後に、ウクライナ戦争に対する最も大きな影響力を行使している人間二人についてのマクレガー大佐の記述(山中泉氏のブログ:https://ameblo.jp/sen-0077/entry-12804683414.html)を引用して、本記事を終わる。

 

マクレガー大佐:

欧州と米国をベースにして巨額の資金を動かしている二人の人間がいる。

それはジョージ・ソロスとブラックロック社のフィンクなどだ。

彼らはウクライナの人々のことなど何の興味もない人間たちだ。

彼らの興味は唯一つ。

ウクライナの東からカムチャッカまでの全ロシア領土にあるゴールドなど希少金属からほぼ無限ともいえる”水資源”だ。

それをプーチン打倒後の混乱に乗じて、それらの膨大な天然資源の奪取が目的だ。

戦争を始めたこれらグローバリスト勢力が、既に莫大な復興の金儲けもすでに狙っている。

ーーーーー

 

追補 マクレガー大佐によれば、ジョージソロスなど米国ネオコンが広大なロシア資源を狙っているとのことだが、実は彼らは一度成功しかけた。伊藤貫氏によると、ソ連が崩壊したエリツィン政権の時、IMF(国際金融基金)の指導でロシアの国営企業を民営化する時、イスラエルとロシアの二重国籍のユダヤ人がほぼ独占的にそれらの支配権を得たという。

プーチンが政権を担った時それをロシアのものに取り戻したため、それ以来彼らはプーチンを不倶戴天の敵と考えるようになった。ウクライナ戦争の目的はロシア潰しの中のプーチン排除である。

このあたりはウクライナ侵攻の11日前に書いた以下の記事をお読みいただきたい。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12726626308.html 

(追補は13時0分に追加)

 

 

 

2023年8月18日金曜日

戦争と平和は二者択一問題か:8月15日NHKスペシャルのクリティカルレヴュー

終戦の日にNHKのゴールデンタイムに、所謂Z世代の若者とゲストを交えて戦争について議論するテレビ番組:NHKスペシャル(815日放映)が放映された。何時もの様に、現政権に忖度する内容であった。(補足1)なお、この番組についての素朴な感想が下の動画で語られている。

 

https://www.youtube.com/watch?v=etxUXUpAi9M

 

今回は、その放送内容を簡単にレビューし、それを引用する形で戦争について思うところを書く。結論を一言で書く:過去150年余の日本の近代史を細部にまで徹底的に明らかにし反芻することで、戦争の本質が分かる。また、それによってのみ日本という国が21世紀中存在可能となるだろう。


 

1)8月15日のNHKスペシャルの内容について
 

ゲストとして参加していたパトリック・ハーラン氏(芸名パックン)が、番組の最初の方で、「アメリカでは、“オイルの為の戦争に反対”とか、“お金の為の戦争に反対”とか言うのが普通で、日本のように単に“戦争反対”ということはない。戦争に対する考えに日米で大きな差があるようだ」と言った。

 

また、元自衛隊員の若者が、戦争で敵兵士に向かって銃を発射できるかと考えた時、自分にはできそうにないので自衛隊をやめたと発言(発言1)し、更に取材映像の中で戦争経験者の90代の老人の言葉「戦争してはいけない。戦争は人殺しだから」(発言2)が紹介された。

 

上記二人の言葉が日本人の典型的な考え方だろう。日本では外交的困難などの有無と無関係に、“人殺し”と直結させる形で「戦争」という抽象的概念を作り、平和との間の2者択一問題を設定した上で、戦争反対を叫ぶ人が多い。それは、先進国では日本にしか見られない特異な光景である。(補足2

 

パックンは日本の若者の戦争に関するこの考えを、「新しい戦争の視点」と表現し、幼稚或いは明らかに異常と言わなかったのは、単に日本に対する儀礼的配慮なのだろう。

 

この「戦争」に対する風変りな理解の根底には、この国では国民と国家の関係が一般には十分理解されていないことがあると思う。他のゲストから、国際関係は野生の関係に近いという指摘はあったものの、そこから国家の役割や防衛に対する議論はなかった。

 

国連に関する話も、未完の世界政府のような存在との言及があったものの、ほとんど議論の対象にはならなかった。唯一重みのあったのは、実体験から来る上記の言葉であった。ここでは、何故このような発言が現れるのか?について考えてみた。

 

尚、放送ではウクライナ人の方と現在進行中のウクライナ戦争に関する話もあったが、それはこの戦争に関するNHK(つまり日本政府)の理解を前提に置いているようであり、完全に間違っているので省く。これについては第3節の後半に少し記述している。

 

ウクライナ戦争の理解には、ソ連崩壊からの東欧とロシアの歴史を学ぶ必要がある。先ず本コラムの2022/2/13 (ロシアのウクライナ侵攻の11日前)の記事をお読みいただきたい。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12726626308.html (補足3

 

 

.戦争の本質と日本の戦争

 

太古の昔、人類は族長が大家族を率いる部族集団を作って生きた。他集団との争いや戦いの時に、大きな集団ほど有利だからである。部族間の争いは、有限の土地と資源のなかで生きる生物全てに見られる生存競争の一つである。この部族間の殺し合いを善悪判断の対象にするのは愚かである。

 

時代が下り、人はもっと大きな国家と呼ばれる集団を作るようになる。それと並行して、経済や文化も発展する。武器の開発や軍団の組織化、国家間の付き合い方(外交)の発展などもあり、西欧では17世紀に“主権国家”が定義され、19世紀の終わりに主権国家間の戦争ルールまで整えられた。

 

西欧では、「戦争」は外交の最終手段として新しく概念化されるようになった。それでも、戦争は有限の資源と土地をめぐって、国家(民族)間で争う「生存競争」であるという本質に変わりはなかった。

 

つまり地球上の土地と資源が有限で、技術の発展も有限がある以上、そして人口が世界的に減少傾向にならない以上、これからも生存競争は無くならない。従って、「戦争は人殺しだから、やってはいけない」を金科玉条にしていては、自分たちが死に絶えることになる。

 

まとめると、戦争は生存競争の延長上にある以上、生き残るのなら、人殺しであってでも戦争しなくてはならない場合もあるということになる。これを短く表現したのが、「国際社会は野生の世界である」という言葉である。

 

明治天皇が日露戦争に入る前に詠まれた「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」には、島国の日本に住む人が持つ世界中が一つのコミュニティであるべきだという夢が表現されている。それは又、天皇は政治的力を持たないということを国民に告白する意図もあっただろう。

 

昭和天皇も太平洋戦争開戦前に、多分同じ思いでその歌を引用された。その戦争の結果は、民族の消滅直前の悲劇となった。グローバル化の今、その幻想に過度にこだわることは、生きる自然の権利を半ば放棄するに等しい。これが昭和の敗戦から学ぶべき重要なことの一つだろう。

 

ここで、何百万人という死亡者を出したあの戦争は、日本民族にとってやむを得ない選択だったと結論するのは間違いであり、日本政府のごまかしであることを指摘したい。このごまかしは、戦争の中で命を失った将兵たち、空襲で殺された一般市民等に対して失礼になる。

 

過去の戦争の歴史をまともに再評価することが、その犠牲者に報いる唯一の方法である。その再評価つまりレヴューに当たっては、具体的に全ての出来事に細部に至るまで拘り、それを踏まえて全体を総括すべきである。

 

「真実は常に細部に宿る」というのは以下のような意味がある。当事者の説明(ここでは日本政府の作った官製の歴史解釈)は多くの場合自分に都合よく纏められている。細部にこだわることでのみ、そのヴェールを剥がすことが出来るのである。

 

300万人余の犠牲者の魂は、「戦争=人殺し」(つまり、戦争=無駄死に)として戦争に反対することを、疲れ切った人には兎も角、若者には許容しない筈である。

 

日本政府の国民に対する無責任は、太平洋戦争での民間犠牲者に対し補償を一切しなかったことにも現れている。例えば、広島と長崎の原爆投下などの都市空襲による一般市民の被災者には、日本政府が大日本帝国の連続線上にある以上、しっかり補償すべきである。

 

それを要求する市民に対して、都市空襲は戦争犯罪であるから米国に補償要求すればよい。講和条約で政府が交渉する権利を放棄しているので、独自に米国相手に訴訟してもらいたいと日本政府は宣言した。補足4)(追補あり;16:00)

 

このような日本政府の過去の戦争に対する姿勢を考えれば、そして広島と長崎、そしてシベリア抑留などの不条理な虐待や虐殺を考えれば、国民一般にとって戦争は自然災害と同じように考えるしかない。

 

90歳を越えた老人の「戦争は止めるべきだ。人殺しだから」は、本来の議論では完全に間違っている。しかし、妙に重く感じる背景には、以上の様な理由があったことを知るべきである。それは深く心に刻まれた実際の体験から漏れ出た言葉である。国民に愛国心を期待するには、日本政府はあまりにも杜撰である

 

 

3)過去の戦争が、日本国民生存の為の戦争であったのか?

 

この問題を考えるには、過去200年ほどの歴史を考える必要がある。西鋭夫(スタンフォード大フーバー研究所フェロー)氏は、「白村江の戦いから1200年間、徳川時代だけでも250年間、日本は外国と戦争していない。 何故、明治から昭和の75年という短い間に3回も4回も外国と戦争したのか?」(筆者の再構成)と大日本帝国政府の好戦性を指摘している。

 

大日本帝国は、日清と日露の戦争を戦った。これらの戦争は、シベリアから南下するロシアから日本を防衛するためであったというのが正統派の歴史解釈だが、本当にそうだろうか? 

 

これらは、態々大陸まで出向いての戦争であり、その延長上に満州事変、シナ事変、そして太平洋戦争があった。大陸進出は、①名誉白人(Honorary whites ;ウィキペディア名誉人種参照)を自認する日本帝国による、西欧の植民地支配を見習った侵略と考える方が自然だろう。

 

 

日本は国家予算の7年分を使って、日露戦争を戦ったのだが、そんな博打のような政策が日本国民の生存権の確保と言える筈はない。また、米国のシフによる公債買い上げや、Sルーズベルトによる講和条約に向けての支援などから、上の①のような独自の判断ではなく、米国ユダヤ財閥の長期戦略に協力させられたと考える方が自然である。

 

その長期戦略にずっと乗るのも或いは一つの戦略だったかもしれないが、日比谷焼き討ち事件などで日露戦争の決着に不満を持つ日本の民意がそれを許さなかった。それが恐らく桂ハリマン協定無視となり、日本が米国により敵国としてロックオンされることになったのだろう。その結果が、太平洋戦争への誘い込みである。

 

日露戦争は現在のウクライナ戦争とよく似ている。日露戦争とは日本が米国の代理でロシアと戦った戦争なのか?:日本に真実を見る文化が欠けている | Social Chemistry (ameblo.jp)

https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12795459148.html

 

週末思想が世界に充満する現在、日本は東海の藻屑と消え去ると考える人も多い。つまり、台湾有事の際には、米国とその敵との代理戦争をウクライナのように戦う可能性がある。その際、中国は西欧文明の一角に位置するロシアと違って、核兵器の使用に躊躇などしない可能性が高い。

 

ウクライナ戦争も台湾有事もともに米国ネオコン、ユダヤ系グローバリストの企みであることは、既によく知られている。これも日本政府は隠し通している。このままでは、ウクライナのゼレンスキーと同じ間違いを岸田首相はする可能性が高い。

 

ウクライナ人の青年の殆どが戦死するような戦いは、決してウクライナの国家防衛の為とは言えない。ウクライナ戦争の実態は、腐敗したウクライナのユダヤ系オリガルヒの支援で大統領になったゼレンスキーが、米国グローバリストの代理でウクライナ人の青年の命を使ってウクライナ市民の犠牲のもとに、ロシアと米国の代理として戦っているのである。

 

 

終わりに

 

皇紀2600年の日本とか言って自慢している右翼の人が多いが、それは日本国が無くなる可能性など想像の世界にもないという日本民族の致命的ともいえる弱点の別の側面である。それを意識しない人ほど、熱狂的右翼となるので、彼らは日本国存続の道を国民が探す上で邪魔ですらある。

 

外国の民、例えばユダヤ人は、国家が滅びることが何を意味するかを太古の昔から民族として記憶している。異民族と戦って多くの戦士が殺されたり、異民族の国に奴隷として連れ去られたりした。その中で生き残った歴史を、聖書(旧約)と言う形にして纏めて何千年と読み続けている。

 

彼らのかなりの部分は、元々の土地から逃亡して世界中を渡り歩き、差別と偏見と戦いながら今日まで人的ネットワークを頼りとして生き続けてきた。彼らディアスポラのユダヤ人は、国家を維持した経験に乏しいのでグローバリスト勢力となって、主権国家体制を現状で保とうとする民族主義的勢力の敵対勢力となっている。その点でイスラエルに残ったユダヤ人とは考え方も大きく異なるだろう。

 

日本にはそのような聖なる書物も伝統もない。おまけに義務教育で日本史と世界史を分離して、歴史を単なる暗記物としてしまった。その結果が、最初に紹介したNHKでの若者(Z世代)の浅い議論である。彼らを教育するという視点も全くなく、不真面目なNHKのためだけの番組だった。

 

 

補足:

 

1)NHKは歴史や政治に関する放送をする時、NHKの生命線である放送法とそれを変更することが出来る政権与党を常に意識しているので、まともな内容は期待できない。NHKは純粋な国営放送とするか、民営化すべきである。

 

2)ここで元自衛官の若者が「銃で人が打って殺すこと」が出来ないことを自衛官退職の理由としたが、その「」内の言葉に「銃で撃たれて殺されること」も含めている筈である。同様に、老人の戦争は「人殺しだから」、戦争をしてはいけないという言葉の「」内の語句には、「人に殺されるから」も含めている筈である。それら表現における狡さは、誰でも持つものだろう。

 

3)ウクライナ戦争に関する説明を聞くとき、2014年のマイダン革命と称される米国が深く関与したクーデターと、東部地区の自治に関するフランスとドイツの仲介によるウクライナとロシアの合意(ミンスクII)に言及がなければ、それらは殆どインチキである。詳しくは、本文に引用した2022213日の記事をご覧いただきたい。ウクライナ侵攻の当日にも小文を投稿している。ウクライナの件:ウクライナは武装中立の立場をとるべきだった | Social Chemistry (ameblo.jp)

 

4)サンフランシスコ講和条約でも日韓基本条約でも、国家及び民間の財産・権利等における請求権を互いに放棄するという記述がある。日本の個人(法人を含む)が相手国に国際法上の請求権がある場合には、講和条約の交渉にその個人が参加する訳ではないので(日本政府が請求権放棄をした以上)、相手国に代わって日本政府がその請求権に対処しなければならない。

この論理で、原爆による被災者が米国の国際法違反によって受けた被害の補償要求を日本政府に対して行ったのだが、日本国は補償を拒否した。日本政府の回答を要約すると:原爆被災者の米国への請求権を日本国が代わって放棄した訳ではない、放棄したのは日本国が被災者に代わって米国に請求する権利(外交保護権)である。従って、被災者は直接米国に要求すれば良い。

http://justice.skr.jp/seikyuuken-top.html

 

追補: 原爆被災者には平成6年に原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律ができ、部分的には救援と言う形で償いがなされているようです。(16:00追加)

語句の編集あり(18:00)

2023年8月13日日曜日

第三次世界大戦の危機は米国への隷属から逃れる時

昨日の及川幸久さんのyoutube動画で、ポーランドからフィンランドの対ロシア国境にNATO軍が終結しつつあることから、現在世界は第三次世界大戦の危機にあるとの解説がなされていた。NATOグローバリストの手先としてポーランドの大統領が動いているという話であった。

https://www.youtube.com/watch?v=UTgB5G7bDEo

 

 

第三次世界大戦になればポーランド国民のかなりの数はロシアの戦術核で殺されるだろう。ポーランドのアンジェイ・ドウダ大統領の言葉は、「今こそロシア帝国主義に歯止めを懸けるべきだ」は米国グローバリストのプロパガンダのオウム返しであり、日本の岸田首相の言葉と殆ど同じだ。

 

今日のポーランド国民の危険な情況は、明日の日本国民の危険な情況でもある。米国グローバリスト(ネオコン)勢力の仕掛けた危険な罠に、ポーランドも日本も落ちようとしている。宗主国米国によって利用され滅びる家畜の様な国々である。

 

ポーランドの危機は米国との軍事同盟NATOに入った時に始まったと言える。NATOは一見東欧の安全確保の為にあるように見えただろうが、本当は米国が東欧を思い通りに利用するための同盟である。ポーランドも日本も、キッシンジャーの次の言葉を思い出すべきである。

 

米軍が南ベトナムの傀儡政府を見捨てて撤退する時、キッシンジャーは「アメリカの敵になることは危険かもしれないが、友人になることは致命的である」と言ったという。南ベトナム政府は命をかけて戦うが、米国は利害を考えて戦う。敗戦の可能性が大きくなったところで撤収するからである。

 

第二次大戦後、殆どの戦争は米国の利益のために工作され、実行された。従って、米国との軍事同盟は将にキッシンジャーが言う通り、致命的なのだ。何故そのようになるのか? それは米国と友人になることは、米国に隷属することを意味するからである。

 

以下、日本の米国隷属について考える。

 

 

1)日本の米国隷属へのロックインプロセス

 

日本のこれまでの政権与党は、「民主主義と自由を途上国に移植する米国」という米国のプロパガンダと諸外国への侵略行為を無条件に崇拝してきた。そしてそれを、著名な評論家やマスコミ人たちは言論の面から(補足1)、野党政治家たちは国会での慣れ合い政治でそれぞれ支持してきた。

https://www.youtube.com/watch?v=IpK8qqA96eo

 

 

米国は、第二次大戦後、ベトナム、アフガニスタン、イラン、イラク、リビア、シリア、ウクライナなど世界中で内戦を引き起こし、或いは内戦に介入して来た。(補足2)CIAと米軍が行ってきたそれらの工作を、日本政府は100%支持してきた。(詳しくは動画参照)

 

この米国政府への隷属は、戦後の占領政治の連続線上に徐々にロックイン(固定;補足3)された日本の政治路線である。米国追従さえしていれば自分の地位が安泰であるという自民党政治家の利己主義と成功体験がそのロックインの谷底に導くエネルギーであった。

 

その自民党の拝米姿勢採用は、当初は日本国民にまともな生活を与えたいという動機からだったとしても、そのロックインの過程で金と力のみが意味を持つという米国の政治姿勢も取り入れ、現在の売国政治となって結実した。

 

米国への隷属政治を「自主憲法制定は党是」と語る自民党に、憲法9条で世界平和に貢献するという空論を掲げて反対するという国会での慣れ合い議論(補足4)で隠蔽して、国民に見せて来たのが戦後の日本政治であった。従って、日本社会党などの野党も同罪である。

 

現在のようにインターネットがある訳ではなく、両政党の御用新聞(例えば読売と朝日)しかない過去の日本人は、それをなれ合い漫才ではなく真剣な政治の議論として聞いてしまった。その後の世代は、生まれながらにその環境にあり、米国グローバリストの戦略通りの道にロックインされた。

 

 

2)アンロックのチャンスは20世紀に二度あった:

 

終戦直後、日米安保体制に完全依存することは必然だった。しかし、それを主権国家として不健康であると常に意識するまともな政治家なら、そこからの主体的な脱出(アンロック)を歴史が流動的な時に考えるだろう。

 

実際、その後の78年間にチャンスは二回あった。最初のチャンスは、サンフランシスコ講和条約直後である。日米安保条約は、相互防衛条約として維持すると言い訳でき、差し当たり解消の必要はない。1952年に直ちに行うべきだったのは、憲法改正である。

 

それを怠ったのは、吉田内閣の犯した日本の歴史上最大の罪である。吉田の父親(育ての親)はジェイソン・マセソン照会の横浜支店長であったので、生まれながらのグローバリストだった可能性が高い。つまり、元官僚の吉田は、日本の味方ではなかったのかもしれない。

 

もう一回のチャンスは、冷戦が終結した1991年からの数年間だった。しかし、その1991年から宮沢、細川、羽田、村山、橋本と、リーダーシップのない人たちが総理大臣を務めた。そして最重要な憲法改正が、小沢一郎の政治改革にすり替えられたのである。

 

その時、小沢一郎の面接を受けて総理大臣になった元官僚の宮沢喜一は単なる学校秀才であるが、自分で思考の枠を設定し直すなど、場合によっては原点からの思考(哲学的思考)が出来るレベルの能力を持ち合わせていなかった。元官僚にはこのタイプが多く、大改革など出来ない。

 

日本はドイツとは異なり、大日本帝国の延長上にあったので、敗戦の責任を政治家全員がとるべきなのだが、戦前の政治家たちが引き続いて政治を担当した。能力を具えた者たちは、占領軍のパージにあっていたのだが、それ以外の者たちは占領軍の意を汲んで、隷属する道をとった。

 

日本の戦後の政治家は敗戦の教訓を生かすことなく、戦死者300万人を無駄死にした。そして占領軍は、まるで除草剤を散布するように日本社会から国家意識を奪い取る政策をとった。その結果日本国民も、政治家同様に完全に米国隷属路線にロックインされてしまったのだろう。

(以上、伊藤貫氏の動画を参考に素人ながら独自に再構成した)

 

 

3)日本存続の危機と米国隷属からの脱却

 

伊藤貫氏は戦後日本の外交は、護憲左翼の5歳児と親米保守の10歳児の間の議論の結果として、決定されたきたという。https://www.youtube.com/watch?v=pwDkY3uOA_Y 

(最初の5分ころまで)

 

つまり、日本の米国隷属の道での政治も、賛成側と反対側の議論の結果のような形でなされた結果、その政治の異常さが国民によって殆ど見破られなかった。新聞などマスコミを支配するのは、日本国民ではなく、日本のこのような政治を支持する勢力だった。

 

ただ、政治家のレベルはこの程度であるので、米国隷従路線からのアンロックは国民の多数が政治に目覚めれば可能な筈である。現在、多くの国民はインターネットにアクセス可能になっているので、判断能力さえ持てば、無数の情報源から様々な有益情報を得ることができる。

 

一般に長期間ロックインされていた情況から逃れるには多大のエネルギーを要する。しかし、その固い障壁が混乱の時代には不完全となる。現在の国際政治は終戦後最大の第三次世界大戦の危機にあると言われ、混乱の時期を迎えている。

 

最初に書いたように、日本にとっても非常に危険な情況だが、それは日本にとって米国隷属からの脱却の機会でもあるだろう。この危機を乗り越えるために、そして危険な米国隷属から脱却するために、優秀で自己の利益を越えた政治を志すような人材を政界に送らないといけない。

 

今朝の原口一博衆議院議員の動画を引用する。立憲民主でもこのような人がいる。かれらの党を超えた連携に期待したい。「自分が第三次世界大戦を止めてみせる。」トランプさんが言っている事を本気で考えなかった世界に…。そこにある危機。2023/08/13 - YouTube

 

 

補足:

 

1)代表的人物に、佐藤栄作のアドバイザーの高坂 正堯 、中曽根政権の時の佐藤誠三郎、元外務省の岡崎久彦、日本会議の田久保忠衛、産経新聞の小森義久などの人々がいる。彼らはそれぞれ知的に優秀であるとされる。例えば、高坂正堯は政治学者の猪木正道に師事。猪木は高坂の没後に、「高坂は僕が教えた中では、ピカイチの天才だった」と回想している 。(ウィキペディア参照)

 

2)例えば、大量破壊兵器を作って保持しているとの嘘を付いてイラク戦争を始め、善政下のリビアに内戦を引き起こしてリーダーのカダフィ大佐を殺した。また、民主的に選ばれたヤヌコビッチ大統領が統治するウクライナに内戦を引き起こして介入し、大統領を追放した。

日本のマスコミは米国政府のプロパガンダを常にオウム返しする。現在ウクライナは有利に戦争を戦っていると嘘の報道をしているが、「あと3か月程たてば、日本のマスコミもウクライナは勝てないと認めだすと思う」と伊藤氏は語る。

 

3)ロックインは英語のlock inからきている。経済の分野でのロックイン効果とは、消費者があるメーカーの商品を購入した場合に、商品を買い換える場合にも引き続いて同じメーカーの商品を購入するようになり顧客との関係が維持される効果をいう。

 

4)自民党の考える自主憲法には自衛軍が書かれることになっているので、社会党は非武装中立を掲げる憲法を守る護憲政党として、自民党と対峙する姿勢を演じる。それは慣れ合いであり、国会議員としての職を維持するための方便である。そのような与野党のなれ合いが、日本を米国への隷属政治にロックインした。

(8月14日am、3節の表題を「おわりに」から変更;表題の一部変更;最後の節をstrike out)

 

 

2023年8月10日木曜日

78年前の7月9日深夜の御前会議について:

 

日本は敗戦から78年目の8月を迎えた。79日は長崎に原爆が投下(補足1)され、皇居では深夜御前会議が開かれた。(ウィキペディアには、710日午前03分開始とある)そこでの会議の様子を紹介した動画が、百田尚樹さんにより提供されている。

 

 

この御前会議の参加者は、昭和天皇を筆頭に、陸軍参謀総長、海軍軍令部総長、陸軍大臣、海軍大臣、外務大臣、枢密院議長、総理大臣(司会)である。その他、随伴者として書記官長などが居た。ポツダム宣言を受諾すべきかどうかの決定を行う会議である。

 

ポツダム宣言受諾は最終的には814日の全閣僚が出席する御前会議で決定されるのだが、その内案を作り上げるためである。(補足2)議論の詳細は紹介されていないが、受諾賛成が外務大臣、海軍大臣、枢密院議長の3名、反対が陸軍大臣、陸軍参謀総長、海軍軍令部総長の3名であった。

 

その二時間程の会議中、昭和天皇は一切口を挟まなかったので、その対立は全く収まる気配がなかった。そこで、司会役の鈴木貫太郎内閣総理大臣の判断により、天皇の「聖断」を仰ぐことになった。

 

天皇が会議において一切口を挟まなかった理由を、百田尚樹氏は「天皇が会議に口を挟めば、立憲君主制の国体が崩れて、絶対君主制になってしまうと昭和天皇は考えられていた」と 解説している。

 

しかし、この解説はちょっとおかしい。大日本帝国憲法第一条には、天皇が統治すると明確に書かれている。この会議は天皇が決定するために軍と外交の責任者に意見を聞くために開催された。会議出席者の意見が大日本帝国憲法の記述する輔弼行為であり、それを受けて、天皇が憲法の規定通りにポツダム宣言受諾を決定したのである。

 

昭和天皇が会議において議論に参加しなかったのは、その強い影響が参加者の意見を歪めてしまう危険性を考えたからである。

 

個人が十分に独立した人格を持ち、発言と行動の自由が保障されなければ、政治権力は集中する。明治当初は、天皇の地位もそれほど高くなかったのだが、昭和の大日本帝国では実質的に絶対君主のように高くなっていたのだろう。

 

その実質絶対君主が無理やり立憲君主制の利点を生かすため(所轄大臣の輔弼を意味ある形にするため)に、天皇は会議での議論に参加しなかったのである。(#)

 

この会議が終わるころ、参加者全員が涙を流すか、或いは号泣したと百田さんは話す。その解説を聞きながら、日本人の本質がわかったように感じた。その性質は、実はほとんど全ての人間が持っているのだが、日本人において非常に顕著なのだ。

 

つまり:人間は本質的に家畜である。犬や猫のような愛玩的家畜となって、個人の枠の中だけで自由に振る舞いたい。その方が楽だからだ。その時本会議の参加者たちの全面を支配したのが、その人間の一側面である。その涙が、その瞬間だけだろうが、彼らの重い責任を流してくれたのだ。

 

日本人の殆どの人たちは、天皇の家畜となり、天皇に愛されたい。そして、天皇に神のような力があれば、日本国民すべての生活と将来は保障されるだろう。昭和天皇は見事にその役を引き受けたのだろう。

 

 

補足:

 

1)日本が降伏しない場合、米国はその次の原爆を用意していた。年内に恐らく2-3発投下されただろう。3発目の原爆はどこに落とされる予定だったのか【東京、新潟、皇居】 - YouTube

 

 

2)天皇が考えをまとめるために開いたのが8月9日~8月10日御前会議であり、それを告知したのが8月14日の御前会議だろう。全閣僚がオープンに議論して、その結果を参考にして天皇が決断するという会議の在り方に程遠い。

(編集 9:10; 8月11日早朝、#までの2つの節を編集;8月19日7時、本文最後の方に青地で“日本人において非常に顕著なのだ”を追加し、あと一カ所微修正)

 

 

2023年8月8日火曜日

空虚な広島松井市長の平和宣言

 

8月6日は広島原爆の日。記念式典では、松井市長の平和宣言で「核抑止論からの脱却を」という核兵器廃絶の訴えがあったと、中国新聞他多数のマスコミが報じている。(補足1)

https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/343165

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230806/k10014154771000.html

 

 

この平和宣言文の中心は、「核による威嚇を行う為政者がいるという現実を踏まえるならば、世界中の指導者は、核抑止論は破綻しているということを直視し、私たちを厳しい現実から理想へと導くための具体的な取組を早急に始める必要があるのではないでしょうか」という主張である。(以下赤字は平和宣言中の言葉)

 

この文章中の「核の威嚇の存在は核抑止論の破綻を意味する」という部分は、理想論展開のためのごまかしであり、その論理こそが破綻している。それは、歴史と現実に学び、論理的に自国に平和を実現する方法を考えるというタイプの宣言ではなく、所謂空理空論の類である。

 

「核兵器を持てば、他国から核爆弾を落とされる可能性は低くなると同時に、核兵器で脅されることも防止できるだろう」という核抑止論は、核兵器の廃止が出来ないということを踏まえての現実論である。

 

核兵器廃絶がほとんどあり得ないのは、デジタル機器の廃絶やAIの廃絶があり得ないことと同じで、時間を過去に向かって進めることが出来ないということである。

 

 

2)広島に核廃絶は無理である:

 

ビーカーに一滴のインクを撤下した時の光景を思い出して貰いたい。インクは徐々にビーカーの隅々まで拡散し、一日も経てば全体を薄く色づけるだろう。世界に核兵器が広がるのは、インクの拡散と同じ自然な現象である。

 

インクを水から分離するには、吸着剤を投げ入れる必要がある。強力に吸着する化学的力を利用することで、インクの着色分子を取り除くことは可能である。単に平和文化や非核三原則をお経の様に唱えるだけで出来る訳が無い。強力な力が必要である。

 

広島が核廃絶の中心的力となると言うのなら、その巨大な力をどのようにして獲得するかを考えるべきである。もっと厳密な論理を用いて広く深く思考しなければ、仮に神が核廃絶のプロセスを用意してくれても、見つけることは不可能だろう。

 

一歩下がって頭を冷やし、貴方は何のために核廃絶を望むのですか?と自問自答すべきである。(補足2)それは、①「私と家族が平和に豊かに暮らすため」なのか、②「我が民族が平和に豊かに暮らすため」なのか、それとも③「全人類が平和に豊かに暮らすため」なのか?

 

それぞれの目標設定に対して、核兵器に関する別々の答を思いつくだろう。核抑止論は、②の目標設定での一つの答であるが、③の目標設定ではない。③の目標設定に対する答えは核廃絶である。つまり一つの敗戦国の地方都市の市長が、出来もしない③の目標設定を宣言しているのである。それは、広島と救世主イエスとを同一視するナルシシズムの所為なのか?

 

人間の歴史は、先史時代から部族と部族の殺し合いで始まり、主権国家間の戦争という形に変化している。歴史とは、それら多くの殺し合いが、章や節で区切られた文書である。どのように目標設定するにしても、先ずは、その歴史を冷静に復習することから始めるべきである。

 

 

3)平和への道

 

近代は、人種差別を乗り越えて世界中の多くの民族を主権国家として独立させ、民族自決の原則を各国が確認することで終わった。その中で、多くの戦争と犠牲者を出した。その後の世界の歴史としてグローバルな社会を考えるのは自然である。しかし、それは個人ではなく主権国家を構成員とすべきである。

 

つまり、全世界を単一の政治権力で束ねることは、〇〇〇の恐怖政治を想定しない限り無理である。その理由は、地球は均一ではなく、その表面で生きる人間の生活と歴史も広く分布しているからである。

 

政治制度で考えても、社会主義をとる国、“皇帝”による独裁国、民主主義を標榜する国々などが存在する。その地球世界を、例えば50年位の短期間の内に単一の政治権力で統合するには、恐らく、核戦争で人口の50%程度が死滅する位の恐ろしい歴史の一章が必要だろう。

 

そのような大変革を目指しているのが、〇〇〇の一派でありグローバリストと呼ばれている人たちだろう。それと対立している勢力が、民族主義者と呼ばれる人たちである。米国ではトランプ、ロシアではプーチン、中東サウジのムハンマドなどである。

 

インドのモディやトルコのエルドアン、そして 日本の安倍元総理なども、思想的には民族主義者だ。現在、多くの民族主義者は、暗殺の対象となっているだろう。実際、安倍元総理はグローバリストが牛耳るある国のCIAにより殺されたと国際政治評論家の田中宇氏は言う。

 

 

 

現在、グローバリスト勢力は、これまでにため込んだ金融資産を使って、民族主義者を疑似民主的インチキ選挙などで落選させ、戦前の大日本帝国や米国FBICIAを用いる米国現政権のように、司法を武器化してグローバル単一政権樹立を目指している。

 

このような巨大政変では、気が付いた時には殺される時か籠の中の鳥状態にされているかのどちらかだろう。今世紀の戦争から平和への道は、次期権力者が不要な人と国を破壊しつくして、更地にすることである。

 

中国の少将であった朱成虎は、世界の人口削減のために、人口密集地であるインドや日本を先制核攻撃するべきだと言った。それが朱成虎が考えた中国の為の平和への道である。

(ウィキペディアの朱成虎の項目参照)

米国民主党政権にとっての平和への道は、広島を原爆で破壊することだったことを知るべきだ。(補足3)

 

 

4)インド独立の父、チャンドラボース

 

平和宣言の中で松井市長は、かつて祖国インドの独立を達成するための活動において非暴力を貫いたガンジーは、「非暴力は人間に与えられた最大の武器であり、人間が発明した最強の武器よりも強い力を持つ」との言葉を残していますと言った。

 

その紹介の前に、松井市長は次のような歴史を勉強すべきだ。ガンジーは、イギリスが掲げていた植民地支配の正当性を砕くため武力によらない抵抗運動を行ったが、結果的にはイギリス軍によるインド人の無差別虐殺が発生した。(ウィキペディア参照)

 

一方、チャンドラボースは、「真に自由を欲するものは、自らの血をもって戦い取らねばならぬ」と言って、武装により独立を勝ち取るべく旧日本軍とも協力して英国と戦った。インドが伝統的に親日

的なのは、インパールなどで共に戦った歴史があるからだろう。

 

因みに、チャンドラボースは1945年に日本の敗戦直後に飛行機事故で死亡し、台湾で荼毘に付された。インドでは、"いまだボースは生きている"と信じている人が多く、その所為か彼の遺骨は 東京都杉並区の蓮光寺に眠っているという。

 

 

ガンジーの理想論を母とし、チャンドラボースの現実論を父として、インドは、独立を成功させたといえる。両者とも、血を流す覚悟の上での独立運動だっただろう。そのインドの政治段階を日本は未だに回復していない。

 

平和宣言では、「平和文化」を世界中に広め、為政者の心に届かせることで、武力によらず平和を維持する国際環境の醸成を目指していると言う。それは、米国によって日本を無力化する戦略の一環として強要された“平和憲法”の思想そのものである。

 

 

終わりに:

 

日本民族が50年後に平和裏に存続するためには、上記のような幼稚な“平和思想”を乗り越えなければならない。しかし、それはなかなか困難なように思う。何故なら、松井市長の平和宣言を批判する記事、この国のマスコミには皆無であり、彼らは全て山本七平が言う”日本教”の信者だからである。

 

日本人の殆どは、式典の中でも日常の中でも、空虚な言葉のなかで生きている。山本七平は実体語と空体語ということばでこの日本の言語文化を表した。実体語は現実的な言葉で空体語は理想論である。日本人がその二つに頼るのは、理想と現実の橋渡しを論理的に行えないからだろう。

 

山本七平によると、全ての人間はこれら実体語と空体語の支点に位置し、その支点が空体語に近い程価値の高い人間だと見られるという。その結果、日本人の殆ど全ては、葬式や法事での坊主のお経(音読み漢文)をありがたく聞いているのである。私はこの習慣が嫌いである。

 

(8:00 編集;12:15 編集、補足3に数行追加)

 

 

補足:

 

1)以前にも平和宣言について書いたことがある。少し異なった議論が出来たと思う。

 

 

2)平和の実現などの方法ではなく、「核兵器が憎いのだ。従って、核廃絶が最終目標なのだ」とは言わないだろう。しかし、今回のような平和宣言や核廃絶を訴える人たちの話を聞くとき、そのような心理で発言されているのではないかと疑ってしまう。

 

3)米国の圧力団体として有名な米国サイモン・ヴィーゼンタール・センターのアブラハム・クーパー副館長が、新潮社編集部の取材で広島と長崎への原爆投下について語った以下の言葉が「その冷酷な現実」を示している。「率直にお話ししますが、個人的に言うと、私は原爆投下は戦争犯罪だと思っていません」(「新潮45」2000年12月号)

米国のユダヤの人たちが日本を嫌う原因は、原爆投下の罪悪感の所為なのか、満州でのユダヤ人虐めシモン・カスペの誘拐殺人事件が原因なのかはわからない。

米国のユダヤの人たちが日本を嫌う原因は、原爆投下の罪悪感の所為なのか、満州でのユダヤ人に対する対応;シモン・カスペの誘拐殺人事件が原因なのかはわからない。 もう一つの例を追加する。8月6日の日曜日のザ・プライムで、被爆者の小倉桂子さんの言葉が紹介されていた。米国を訪問した際、ある方から「原爆を落とされてよかったね。一億の人が自決しないで済んだもんね」と言われたと話していた。(15:30、編集)

 

2023年8月4日金曜日

木原官房副長官配偶者元夫の変死事件(5):公安警察官Zは“活躍”したのだろうか?

田中龍作というフリージャーナリストの方が居る。彼が、安田種雄氏家族の記者会見で、Zが当時警察官だったが、そのことについて知っているかと安田氏の父に質問した。答えは「詳しくは知らない」だった。https://www.youtube.com/watch?v=9quuq5qyIhw (最後の質問)

 

このことが、Xと安田氏との結婚に関する基礎的情報として大事である。もし、双方の父親同志がよく知る中なら、このような事件は起こらなかった可能性が高い。その理由はどうも、Zの所属部署にも関係があるようだ。田中龍作氏は記事の中で、次のように書いている。

 

Zは警視庁公安部の警察官で階級は警部補(退職前に警部)だ。現場付近をトボトボと歩いているのを大塚署の防犯カメラに記録されている。本庁の警部補(退職前に警部)に対して所轄の大塚署が忖度したのか、しなかったのか。定かではないが、自殺扱いとなった。」と。

https://tanakaryusaku.jp/2023/08/00029296

 

週刊文春の8月3日号と8月10日号に記されたこの事件関連の記事では、安田種雄氏死亡直後の情況からも自殺とするのは不自然であると書いている。例えば、刃物の柄の部分の血液が拭き取られていることの他、遺体の位置が移動されていること、廊下にまで刃物からと思われる血液の滴った後が残されていること等が新たに書かれている。

 

そこでは更に、現場に居たZ氏についても重要な点に少し触れている。つまり、事件当日Z氏は大塚署に出かけて、①安田種雄氏の妻X子に対する家庭内暴力について相談している。そして、②安田種雄氏の家を訪れ、「仲良くしなければ駄目だぞ。しっかりやれよ」と言ったというのである。

 

この言葉(直ぐ上の赤字)は、再捜査の時に、佐藤誠氏に対するX子の証言だろう。この辺りの分析は、元朝日新聞記者の佐藤章さんのyoutube 動画が詳しい。

https://www.youtube.com/watch?v=dTRNV5tZkcw&t=1760s

 

 

佐藤章氏によると、家庭内暴力の原因は恐らくX子の愛人であったY氏の存在だろう。何故なら、家庭内暴力で家を出る場合、普通は実家に行く。勿論、一人暮らしをする経済力があれば、それもあるだろう。しかし、愛人を作ってY氏の下に行くということは、あり得ないからである。(補足1)


また、家庭内暴力に何とか対策を立てようと考えている数時間後に、安田種雄氏の殺害は普通考えられない。従って、それはこれから実行することの論理的アリバイ工作ではないかと佐藤氏は疑う。公安警察だった人が、そのような工作を思い当たるのは容易な筈である。

 

ただ、週刊文春の記事では、当日Z氏が大塚署を訪問してX子が家庭内暴力を受けていることの相談を行った時刻が「夜」とだけ書かれ、詳細は書かれていない。窓口が開いている時間である午後4時ごろまでには行く必要があると佐藤氏は推測する。

 

従って、上記①、②、③はこの順番(時系列)で起こったことだろう。(補足2)このように考えると、これが殺人なら、相当計画的だということになる。多くの矛盾点が存在するが、偽造や捏造の類にはそのような矛盾点が存在するのが普通である。

 

家庭内暴力対策を警察に相談するなら、X子本人がもっと早い段階で警察署に行っている筈である。それに、200649日、安田種雄氏がX子さんをYのもとから取り戻した情況を考えても、そのような相談の時期ではない。あの時点で相談するとした場合、離婚と子どもの引き取りの話だろう。

 

事件直前であり、既に緊急事態である。仮に家庭内暴力がトラブルの源だったとしても、その解決の時期ではない。従って、「仲良くしなければ駄目だぞ。しっかりやれよ」と言って、二人を励ます時期からは、程遠い筈である。

 

佐藤誠氏は自分の想像でZ氏犯行説を匂わしたが、佐藤章氏の得た情報では、その考えは捜査陣の殆ど全員が持っていたという。そして、上記Zの発言が、X子の佐藤誠氏への証言なら、X子は嘘をついており共同正犯であった可能性が高い。

 

 

2)事件後の関係者の昇進は?(このセクションは想像による部分が更に多いので、十分注意してお読みください)

 

夫婦のそれまでの諸事情、上記現場の情況、傷の位置と大きさなどからも、自殺だとして隠し通すことは不可能である。

 

また、安田種雄氏の死亡後にYを呼び出して、自殺と見せる工作をやった可能性が高い。また、それが見破られた時にYが実行犯となるように現場のあちこちにYの指紋をつけるのが目的と思われる両面テープを用いたナイフへの工作など、公安警察のアイデアだと思うのは自然である。

 

従って、この事件の真実が上記推測通りだという筋書きで明らかになれば、警察官の犯行というだけでなく、戦後60年を経過しているにも拘わらず、あの忌まわしい特高警察の記憶を再度国民の脳裏に呼び覚ますことになる可能性が高い。

 

権力側としてはこの事件の犯人とその詳細が明らかになることは、非常に拙いことになると考えるだろう。そして、その隠蔽の決断は、警察庁長官のレベルの高位の判断だろう。

 

確かに、明治以降の日本史を、そして昭和の戦争までの歴史を詳細に研究し国民の前に出せば、日本は大混乱となり自民党政権も吹っ飛ぶだろう。その一つが、国民の人権を無視した特高警察(戦後の公安警察に相当)の行った暗黒の歴史である。(補足3)

 

その功績だけかどうかは勿論わからないが、当時の警察庁長官の漆間巌氏は、後に官房副長官となり、その後旭日大綬章に輝いている。警察庁長官から内閣官房副長官になり旭日大綬章に輝くケースは非常に少ない。あの後藤田正晴氏以来である。(補足4)

 

そして、2018年の捜査を強引と思える手段で中止に追い込んだ警察庁長官が栗生俊一氏であり、この方も官房副長官となっている。官房副長官の定員は3名であり、その内の一人は事務方から選ばれるのが慣例のようだ。その候補者としては上がっていたが、順位が3番目位であり、その人事は驚きの対象だったと誰かがyoutube動画で言っている。

 

また、気になるのは、Z氏の警察官としての階級である。確か、百田尚樹氏の動画で紹介された時には、当時巡査部長だったと思う。もし、その後田中龍作の記事にあるように、警部補になり退職直前に警部になったとした場合、捜査一課のレジェンド(元警部補)よりも高い地位になって退職したことになる。その昇進に理由は何なのか?

 

今回の露木警察庁長官も、退職後に内閣官房副長官のポストがチラチラと頭によぎっているのではないかと想像してしまう。このような事件後の人事や、関係者を対象にしたお金の出入りなどは、事件を解くカギになる可能性がある。特に、仮説を立てる段階では有用だろう。

 

 

終わりに:

 

この事件は単なる不審死事件ではない。昭和の闇から現代にまで至る日本の歴史を背景にして考察する必要がありそうである。歴史の中で、深層にあって重要なのが公安警察である。公安警察の闇が国民の前に明らかになることを支配階級と政治家上層部は殊の外恐れるのではないだろうか?

 

X子の父Zが警視庁公安部元警部であるという話が加わると、事件の考察が一変する可能性がある。佐藤章氏が、私の想像だがと記者会見でZの名を挙げたが、その裏にはこの父親が公安警察であったことと、数少ないX子の証言や現場に残された工作の形跡があったことを知るべきである。

 

犯罪捜査を担当する警察諸部門とは、仲が悪いという。そのようなことも、再捜査がかなり進んだ背景にあるかもしれない。

 

 

補足:

 

1) 安田種雄氏、X子、Y氏は、前より知り合いだったようだ。覚せい剤を通しての知り合いなのだろう。ただ、X子が覚せい剤に手を染めていたとする話はこれまで発表されていない。Y氏が刑務所に収監された動機は、覚せい剤不法所持だけなのだろうか? 今回の不審死事件の完全解明には、Y氏の逮捕などについてもしっかりレビューする必要があるだろう。

 

2) 家庭内暴力の相談窓口は午後4時くらいまでしか開いていない。週刊文春の記事には、4月9日の夜と書かれているが、本当は夕刻でなくてはならない。これは週刊文春のミスなのか、何なのか?

 

3) 警察の公安畑がやってきたこととしては、幸徳秋水を明治天皇暗殺の嫌疑を懸けて暗殺した大逆事件、小説「蟹工船」の小林多喜二の拷問死の事件などが代表的。戦前の公安警察は特高警察となり、治安維持法とともに国民を敵に廻したことは周知のとおりである。

 

4)警察庁長官から官房副長官、国家公安委員長、自治大臣、官房長官、副総理などの出世から、カミソリ後藤田と言われた。そのカミソリの中身・材質は、何なのだろうか。

(8/4/16:45&8/5/5:20; 編集後最終稿とする)