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人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2016年4月28日木曜日

日本の核武装:開発期間など

1)評論家の加藤清隆氏は以下の動画において、日本が核武装は現実的に無理だと結論している(追加補足1)。その一方で、日本の安全の危機は、1)中国の軍事的脅威が益々増大していること;2)米国が世界の警察官の地位を降りる可能性が高いことにより、大きく増大すると言っている。

核大国の中国の脅威から日本を守る方法として、核兵器を持つ第七艦隊を借り受けることや、米国との間に核兵器のシェアリングを秘密協定として結ぶこと、などを提案している。ヨーロッパでは、ドイツ、イタリア、オランダ、(トルコ)、ベルギーと米国が秘密協定を結んでおり、それを真似るというのである。 https://www.youtube.com/watch?v=QgZ4YUBeah4

しかし、核シェアリングは幻想だという指摘もネットにはある。http://obiekt.seesaa.net/article/111838149.html 実際、核兵器の管理は米国が行うのだから、核シェアリングと日米安保条約の間に有意の差があるかは疑わしい。ただし、米国への余分な支払いは相当な額になるだろうと思う。

2)これと関連してすでにブログで述べたように、米国の核不拡散政策教育センター(NPEC)に提出した「日本の戦略兵器計画と戦略:未来のシナリオと代案」という報告書が公開されている(Japanese Strategic WeaponsPrograms and Strategies)。その論文の一部を紹介する。著者はProject 2049 Institute というシンクタンクのIan Easton(補足1)である。

日本の戦略と戦略兵器計画と題して、3つの軍事オプションについて述べている。それらは、1)小さいスケールでの核開発;2)大きいスケールでの核開発;3)通常兵器の改善、である。ただし、これらのシナリオは日本が防衛の姿勢と予算においてかなりの変化の意思を示すことを条件としている。日本は長い間の政策の慣性により、僅かGDP1%の防衛予算を維持しようとする可能性もあるが、それとは無関係に日本の防衛環境は確実に、そして致命的なところまで(fatally)悪くなるだろう。理由は加藤清隆氏の動画にあるのと同じである。

更に、米国が東アジアから撤退の方向に向かったとしても、更に、何かの危機により同盟が毀損されるような状況下でも、同盟関係を維持する意思を日本が持つこと、中国や北朝鮮(以下中国等)が大きな軍事的脅威であり続けること、安全保障において合意に至らず、更に、両国の要求に屈するという選択を取らないことなどが条件として、この論文は書かれている。

3)日本にとって一つの魅力的な戦略は、最小限抑止力として、そして抑止に失敗した場合、抑制的な報復攻撃のための小さいスケールでの核開発である。そして、出来るだけ早期に米国の核の傘の中に組み込まれることが、その場合の日本政府の目標となるだろう。それは、中国等に対する抑止と日米同盟の強化の両面に寄与することを期待してなされる。

詳細に目標設定や兵器の大きさや数、考慮すべき中国などの防衛システムなどの記述がある(補足2)。その中で興味があったのは以下の記述である:日本には長距離クルーズミサイルや弾道ミサイルなどを持たないので、また最初の世代の核兵器はそれらに相応しく小型化されているとは考え難いので、差し当たり航空機による攻撃を考える筈である。現在のF-2爆撃機(米国F-16を変形国産化したバージョン)では、中国の防空網を突破できない。F-15sの大編隊(a large fleets)と囮のドローン(無人機)でも、損失は大きい。2020年には新型のF-35統合打撃戦闘機(joint strike fighter)を2飛行中隊持つだろうし、それに独自に開発しているF-3ステルス戦闘機により、状況は相当改善される。

予算についての記述もあり、28-84個の核兵器(5-20 kiloton)を保持するのに、5-10年間に40-90億ドル程度を要すると書かれている。また、新しく核兵器を持ったときの近隣諸国の受け取り方や行動に対するインパクト、特に米国と国際社会の反応を測り、核開発の情報を戦争抑止力が最大になるように、そして、政治的“blowback”が最小になるように情報を流すことになる。日本がどのようにして、戦略的目的(中国等の攻撃抑止と米国の理解)を実現するかについては、計画の情報を公開しないと予想は困難である。(補足3) その他のオプションの説明後、付録として核保持のプロセスに関する予想物語が書かれている。そこに書かれた核兵器開発のスケジュールについてだけ簡単に引用する。

2016年には核開発プログラムは萌芽的段階であるが、事態の急変で2019年の新年のセッションで日本のNSC(国家安全保障会議)は匿名の投票の結果、急ぎ核開発に着手することを決める。約5ケ月後に、11 kilotonの核爆弾を配置する。日本北部の町につくられた兵器庫にF35ステルス戦闘機に搭載するとして保管される。その20ケ月後には35の核爆弾を作り上げる。しかし、これらは核実験を経ていない。

航空自衛隊は、模擬爆弾を用いた演習を行う。そして2022年になり、第二世代の潜水艦発射型の核クルーズミサイルの開発に着手するかどうかの決断の時となる。

4)私の感想:長い論文であり我々素人には読みにくい。大事なのは、どのシナリオを取るかは、日本の政治の決断だけで決められる訳ではないことである。各種情況が影響して、歴史一般に言えるように後になっても明確な理由付けは困難だろう。

この論文は全体的にレベルが高いと判断し、これにより、実験を経ない核兵器の小規模配置でも、2年以上の年月を要すること、それもF-35 ステルス戦闘機を用いて、なんとか多少の抑止効果が期待できることが分かった。そして、ミサイルに搭載できるものは、3年後の第二世代の核兵器開発でスタートすることになるということが書かれており、非常に参考になる。最近、石原慎太郎 氏や青山繁晴氏らが、原爆など1日でできると豪語しているが、如何に日本のマスコミの表舞台が貧弱かを証明していると思う。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42752874.html

米国から核兵器の設計などとノーハウが譲渡されれば、もっとも話は簡単である。共和党の政権でないと無理だろうと思う。ヒラリークリントンが大統領になった場合、あのキッシンジャーが戦略顧問になるとどこかで聞いた(モーニングサテライトか?)。その場合は、日本の防衛環境は最悪になるのではと危惧する。もちろん、素人の考えであり、全く的外れかもしれないが。

追加補足:
1)加藤氏はNPTの脱退は国連からの脱退を意味するから、日本の核保持は無理だと言っている。しかし、それは米国の政権次第だと思う。過去には、佐藤政権のとき核兵器付きでの沖縄返還が提示されたという。(片岡鉄哉著、「核武装なき改憲は日本を滅ぼす」、35頁)ただし、中国からの強い圧力はある。トランプ氏が米国大統領になれば、その話が出る可能性があると期待している。

補足:
1)Project 2049 Instituteの紹介文によると、Ian Eastonはアジアの安全保障問題の専門家。元米国海軍分析センター(Center of Naval Analyses)の中国分析家。2013年夏、日本国際問題研究所の短期フェロー(Visiting Fellow)。2005-2010に台湾在住で、アジア太平洋平和協会(the Foundation of Asia-Pacific Peace Studies)などに勤務。論文は以下のサイトに掲載されている。 http://www.npolicy.org/article_file/Easton_Japanese-Strategic-Weapons-Scenarios_draft.pdf
2)以下のような記述がある。After a period of detailed study, Japanese planers might notionallyselect eight important targets around Beijing and six in greater Shanghai. なぜ8カ所や6カ所が出てくるのかは、明確には読み取れなかった(恐らく書かれていない)。
3)この部分の原文: It is difficult to see how Japan could effectively achieve itsstrategic aims of deterring Chinese and North Korean attacks (and attractingAmerican support) if Tokyo did not make its nuclear program public to thegreatest extent military and security considerations allowed; although a highdegree of ambiguity might be desirable for political reasons.

本音と建前の二重らせん(2)

1)本音と建前について、これまで何度か考えてきた。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/12/blog-post_6.html  そこでは、本音がそのまま大手を振って公(おおやけ)に出てくると社会は崩壊すると書いた。しかし、本音が建前という社会の“骨組み(制度)”にうまく組み込まれなければ、同様に住みにくくなる(補足1)。米国など先進国の政治では、民主主義という建前がうまく本音を組み込み、全体の政治を作っている。本音、つまり現実主義と、建前、つまり既存論理優先(理想)主義とが、互いに持ちつ持たれつの関係にあって、合意点を見出しているのだと思う。

間接民主主義の政治では、政治家が差し出すメニューのなかから、選挙民が選択をする。メニュー作り(補足2)は選挙民が直接関与しない形で行われるが、選挙民の本音が組み込まれなければならない。メニューの中にないものは選択できないので、民主主義といっても直接民主主義とは異なりかなり制限された形である(補足3)。従って、大衆の空気が政治を支配し、政治が暴走することは少ない。

2)建前というが、上述のように二重螺旋的に本音とともに存在するものである。社会全体としての最大幸福を実現すべく、本音を論理的に整理して社会のルールとする。その際、個人の本音の一部は切り捨てられる。しばしば、この切り捨てられた本音の一部を過大視してこだわる人が多い(補足4)。つまり、命の保証、財産の保証、そして個人の自由の確保は、すべて本音の最も重要な部分である。「これらの確保は当然であり選挙民がもはや考えるべきことではない」というのは傲慢であり、歴史的悲劇の原因となる。

上述のように政治では、本音は現実主義に近く、建前は理想主義に近い。本音を建前の中に如何に収容するかという、現実主義と理想主義の戦いが、本来の政治のダイナミックな姿だと思う。日本では言語やそれを用いた論理に弱いため、教条主義に走りやすい。非武装中立と非核三原則という建前に、本来現実主義政党である筈の自民党までが縛られていては、将来は暗い。

東アジアの軍事専門家のIan Eastonが、最近、米国の核不拡散政策教育センター(NPEC)に提出した「日本の戦略兵器計画と戦略:未来のシナリオと代案」という報告書が公開されている。そこでは、日本のこれからの核戦略が3つのシナリオで予測されている。その内の二つは核開発を行う戦略である。日本の現実主義は米国に丸投げなのだろうか? http://www.npolicy.org/article_file/Easton_Japanese-Strategic-Weapons-Scenarios_draft.pdf

3)政治だけでなく、文化においても本音と建前の二重螺旋を意識し、時代に即応した文化の創造へ活かすべきだと思う。今日このようなことを改めて書くのは、日本の「本音」の建前への組み込みが政治だけでなく、文化においても全く稚拙だと思ったからである。

最近、不倫騒動をテレビが独占したことがあった。宮崎議員や乙武議員らの騒動は、社会をつむじ風のように騒がせて過ぎ去った。かつて、石田純一の「不倫は文化」という発言があり、それも消化不良のままに忘れ去られた。

進化論的心理学によれば、人間の心理も環境への適応のために進化してきており、その変化は現在進行形であると考える。それは進化という非常に遅いプロセスであるため、現在の我々の行動を支配する「心理」は、未だに原始時代の狩猟生活に適合したものとして、取り残されているのだ。

石田純一の発言が、ボスが大家族を支配している旧石器時代の社会に適合した我々現代人の心理から出た本音であるなら、それも社会は建前としての制度の中に何らかの形で取り込まなければならない。日本には全くないが、しかし米国にはそれらしい制度が定着しているようである。それは、不倫そのものではなく、婚外子に対する養子制度である。

婚外子の養子制度をしっかり持つことが、現代社会がこの件への対応として為すべきことなのだろう。当然のことながら、不倫を文化として認めることは既に出来上がった社会制度(これまでの建前)により、否定されたのである。

良く知られている様に、i-Phoneやマックブックなどでデジタル文化の一翼を担うアップルの創業者、スティーブ・ジョブズは養子であった。彼の生みの親は女子大学生だった。養子先を予約するシステムがあり、二番目に名乗りを上げた夫婦が育ての親になった。育ての親は、養子の条件となっていた大学進学に向けて精一杯努力したが、ジョブスはそれ程の価値を大学に見出せず退学する。その後、講義に紛れ込んで習得した知識などで、アップルの創業者となった。

現役の女子大生が、生まれた子供を養子に差し出すまでは理解できたが、それに「大学進学させること」という条件をつけることができるシステムを持っていることに、改めて米国の凄さを感じた。

日本なら、その様な大器を公園のトイレに置き去りという形で失っていたかもしれない。人の命が大切だという本音中の本音を、そして、一定数の非嫡出子でしかも養子に出す以外に助けることができない命があるという現実を、社会がそのシステムの中に組み込むことが出来ないのである。それは、本音を論理的に展開して建前としての文化の中に組み込む能力が日本社会に欠如しているからである。

その原因なのか結果なのかわからないが、“公の空間”が社会に定着していないことを指摘したい。つまり、公空間がないので、「万機公論に決すべし」と言っても、公論など戦わす場所がないのである。社会に公の空間がなければ、本音と建前の二重螺旋も自前のものは成長しないし、持てないのである。現在機能しているほとんど全ての制度は、従って、輸入品である。

補足:
1)本音と建前の意味が、若干日常的に用いられる場合の意味と違うかもしれません。建前とは、ルールやルールで定められた制度の意味、本音とは、現実的な要求の意味で其々用いている。 
2)米国では多くのシンクタンク(戦略国際問題研究所、ハドソン研究所など)が政策決定に間接的に係わっている。更に、幾つかのインテリジェンス機関があり、いずれも選挙民の直接関与はない。これらが優秀であり、且つ、政治のシステムのなかに有効に組み込まれていなければ、民主主義は成立しない。 
3)選挙民が直接意思を表明する機会として、デモがある。しかし、それは議員の意見に反映することはあっても、直接の因果関係はないし、あってはならない。(一部の選挙民のデモが政治に直接影響した場合、平等の原則が崩れる)
4)託児所に落選したとき「日本死ね」と書き込むのは、切り捨てられた本音の“相対化”ができていないことが原因である。日本が死ねば、自分と愛する子供の命の保障も全くないことすらわからないのである。自前の、本音を建前の中に組み込むシステムを持たないため、現在持っている制度についても理解できていないのである。そこでは、本音がそのまま大手を振って公(おおやけ)に出てくると社会は崩壊すると書いた。しかし、本音が建前という社会の“骨組み(制度)”にうまく組み込まれなければ、同様に住みにくくなる(補足1)。米国など先進国の政治では、民主主義という建前がうまく本音を組み込み、全体の政治を作っている。本音、つまり現実主義と、建前、つまり理想主義とが、互いに持ちつ持たれつの関係にあって、合意点を見出しているのだと思う。

2016年4月24日日曜日

田中角栄は天才か小物か

1)石原慎太郎氏が田中角栄は天才だとする本を書いた。一方、最近買った本のタイトルには、「田中角栄こそが対中国売国者である」(鬼塚英昭、成甲書房、2016/3)と書かれていた。天才か小物かは、科学者でも政治家でもその業績を分析すれば解ることである。鬼塚氏の本には、中国の周恩来は「田中角栄を小物と断じた」と明確な根拠とともに書かれている。(以下「頁」はこの本での記述箇所を示す)

その証拠とは、日中国交回復を決めた後、周恩来は田中角栄に「言必信、行必果」という孔子の言葉を色紙に書いておくったことである。この孔子の子路篇については、インターネットにも多く書かれている。http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/classic/rongo013_2.html

周恩来は、その中の「言必信、行必果、脛脛然小人也」から上記言葉をとったのである。それは、「士」とはどういう人かと「士の資格」を問うた子貢に対して、孔子が言った言葉である。士は古代中国では支配階級の最下層であり、それも最低の士を定義した孔子の中の言葉を田中角栄に送ったのである。

それについて新聞は、「周総理から田中首相に、“言えば必ず信ずる。行われれば必ず果たす”と揮毫した書が送られ、田中首相も“信は万事の元”との所信をしたためてお返しした」(毎日新聞)と書いた。新聞は言葉の意味を解説せず、中国の完全な言いなりの日中国交回復を、田中角栄の偉大な業績とする「正史」の完成に協力したのである。

儒教は共産主義と相容れない思想である。周恩来は、その中から「君である中国に仕える小物の日本首相」という意味を込めて、「言必信、行必果」という言葉を色紙に書いたのである。因みに、孟子の中に「孟子曰、大人者言不必信、行不必果、惟義所在」という言葉がある。その訳は、大人(たいじん)は言うことを必ずしも実行しない。またやっている事業を必ずしも貫徹しない。ただ、義のあるところに従ってなすことだけがその原則なのである。

この言葉も、当然秀才の周恩来の頭の中にあったはずである。それと対比すれば、周恩来の意図は明確である(117頁)。この孟子の文章の中の“義のあるところに従ってなす”の「義」は、日中共同声明の二条と三条に照らしてみると、台湾との友好関係は守るということだと解る。台湾との日華平和条約を破棄し、共産党の支配する中国の一部として認めたことは、池に落ちた人を棒で叩くことに等しい。米国の対中国国交回復とは根本的に違うのである。(補足1)

2)当時の中国経済は、大躍進運動の失敗や文化大革命で疲弊の極限にあった。ニクソンとキッシンジャーが中国と国交を結んだ際、中国が唯一外貨を稼げるのはアヘンの密売であったという。キッシンジャーは、そのアヘンの密売に協力することで中国経済に協力したと書かれている(64頁)。中国は、日本との国交回復を早く済ませ、日本の経済協力を得ることに焦っていたのである。

米国のニクソン大統領は、経済の方でブレトンウッズ体制を崩したことと、政治の方で共産中国と国交回復するという発表をしたことで二つショックを世界に与えた。米中国交回復は歴史の必然であったが、日中国交回復も同様だと思う。ニクソンショックで狼狽えた、時の佐藤栄作総理大臣は急ぎ自民党幹事長の保利茂の書簡を訪中する美濃部亮吉東京都知事に手渡すが、取りつく島もなく拒絶される。

その一方、朝日新聞社長の広岡知男を通して、水面下で田中角栄と交渉していたという。野党の中では、共産党(ソ連の下にあった)は嫌われていたが、社会党や公明党は相当日中国交回復に向けて動いていたようである(92頁;113頁)。

実際、田中総理訪中一ヶ月前に、中国アジア貿易構造研究センターが日立製作所、富士銀行、三井物産、出光興産などの首脳を集め、稲山嘉寛新日鉄会長が団長となって訪中している。その経済協力として、おそらく最大のものは新日鉄が中心となり進められた、上海の宝山製鉄所の建設だろう(補足2)。これは日中回復の2年後の調印であるが、何も知らない日本政府(佐藤政権の時)をよそ目に、準備は着々とに進められていたことになる。何という情けないことだ。日本の新聞やNHKなどの報道機関は、いったい何のために存在するのだろうか?

補足:

1)ベトナム内戦を中国に任せること、それと引き換えに米兵向けのヘロイン納入を認めることだった(63頁)と書かれている。台湾については、米国は台湾法を制定しており、それは事実上の台湾との間の軍事同盟となっている。
2)この製鉄所は、山崎豊子著の「大地の子」の主な舞台の一つとなった。文庫版第二版から稲山の名前が屡々現れる。

2016年4月22日金曜日

NHK放送を見ない人に受信料支払を強制するのは違憲だ

放送法64条は、「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない」と規定している。ここで協会とは、NHK(日本放送協会)のことである。民間放送を受信するのにも同じ装置を用いるので、この法律は民間放送のみを見てNHKは見ないでおきたいという自由がないか、或いは受けないサービスに対しても契約を強要することになる。(補足1)

日本国憲法第十三条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定している。つまり、何を見て、何をみないかという自己決定権を含めて、個人の自由は公共の福祉に反しない限り最大限尊重されるのである。

 また、日本国憲法第二十九条は、「財産権は、これを侵してはならない」と書かれている。そして、第二項は、 「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める」で、第三項は、「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」と、それぞれ定めている。

つまり、NHKが受信できるテレビを持つ限り、「私はNHK放送を見ません」と宣言しても受信料を奪い取られることになるので、その「私はNHK放送を見ませんと宣言すること」が“公共の福祉に反する”のでなければ、放送法64条は、自己決定権を保障する憲法13条に違反するか、或いは、受けないサービスに無理やり金を支払わされることになるので、財産権を保障する憲法29条に違反することになると思う。

この問題を上記憲法13条や憲法21条の表現の自由との関連で論じた文章が弁護人の代表からブログにて公開されている。http://www.azusawa.jp/comit/20091219.html 因みに、憲法21条とは表現の自由をうたった条文である。

しかし、不思議なことに裁判では、上記主張は認められていないのである。その理由を、この問題を網羅的に議論したサイト(http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n24263)にあったので、そこから引用する。この文章が正しいという保証はないので、そのつもりで読んでもらいたい。

「控訴人らは,控訴人らが放送受信料の支払を免れようとすると,必然的に民放のテレビ番組の視聴を妨げられ,民放のテレビ番組を視聴することにより情報を取得する自由を侵害される旨主張するが,法32条(現64条)及び放送受信規約9条(https://pid.nhk.or.jp/jushinryo/kiyaku/nhk_jushinkiyaku_260401.pdf)は,放送受信契約の締結及び被控訴人の放送を受信できる受信機を廃止しない間の放送受信料の支払を義務づけるだけであって,民放のテレビ番組を視聴することを制限するものではない。したがって,控訴人らの上記の主張は理由がない。」

 このような訳のわからない判決文を書く裁判官は、現在の権力におもねることで、職業としての裁判官の地位にへばりつく自分をどう感じているのだろうか(補足2)。もっとも、自衛隊が軍隊でないし、交戦権は認めないという憲法を持ちながら、自衛隊を用いて集団的自衛権を認めるという法律を通す国だから、さもありなんと言えなくもない。

 補足
1)このNHK受信料不払いの問題は、有料放送が行っているように受信契約をした人だけが放送を受信できるようにすれば、簡単に解決する。しかしそうすると、ほとんどの人が受信契約をしないことがNHK関係者はわかっているのだと思う。
2)この判決文は訳がわからない。NHKが映らないテレビで民放が映るようなテレビが存在しなければ、これは屁理屈である。

2016年4月21日木曜日

田中角栄の政治を再評価すべき

最近、石原慎太郎氏が田中角栄を天才政治家であるとする本「天才」を書いた。アマゾンの同書に関するコメントを読むと、田中角栄の発想力や実行力を高く評価した内容のようである。田中角栄が行った政治では、日本列島改造計画や日中国交回復が有名だが、これらは確かに時代の要請にうまく答えたように思う。

田中角栄は、日本の昭和にとって大きな存在であったのは言うまでもないが、良い面だけではなく、その後の日本政治に大きな悪影響を残したという指摘もある。最近読んだ本の中にも、戦後政治を決定的に劣化させたという指摘があった(補足1)。

吉田茂の時代から始まり続いていた官僚と官僚政治家のエリート支配の戦後政治を破壊し、大衆の支配するドブ板政治にしたというのである。田中内閣以後、日本の政治にポピュリズムが定着したという。その指摘を頭に入れると、小沢一郎氏の政治は理解できる(補足2)。小沢ガールズなど、永田町を衆愚の大集団で支配する政治である。更に、小泉純一郎内閣もその流れの中にある。小泉チルドレンという未熟な政治家を大量に永田町に押し込んだ。

例えば、米国の政治では、大統領をはじめ政治経済のエリート集団が政治を率いている。日本の政治に、ドブ板選挙とポピュリズム政治が定着してしまっては、今後予想される危機には対応できそうにない。

  ごく最近、鬼塚英昭という人が、「田中角栄こそが対中売国者である」という本を書いた。まだ届いていないので詳細はわからないが、ジャーナリストの大高末貴氏がその中身について動画にアップロードしている。https://www.youtube.com/watch?v=DfU0ac64M2I

日中国交回復で始まった3000億円対中支援金の中から、300億円のリベートをとったというのである。それを資金にして、ポピュリズム政治を日本に定着させた。中国が、空港、地下鉄、などのインフラを日本の援助で作っても、何も感謝も表明しない裏には、そのような日本の秘密を知り尽くしているからだという。

その日中国交回復だが、朝日新聞の広岡元社長が日中国交回復に熱心で、村松謙三が訪中する際に友人の資格で同行(異例の中国訪問;現役社長でありながら株主総会を欠席)、日中国交回復を仕掛け、田中角栄をスターに押し上げたという(補足3)。

日本の現在のポピュリズム的政治を、より健全な間接民主主義に戻すためにも、日本は戦後政治の流れを復習することが大切である(補足4)。その中で、田中角栄の政治を再度検討し、それを有権者が消化吸収することが不可欠だろうと思う。上記鬼塚英昭の本はそのために欠かせない資料となるだろう。(まだ読みもしないで、こんなことを言うのには気がひけるが、直感的に正しいと確信する。)

補足:
1)片岡鉄哉、「核兵器なき改憲は国を滅ぼす」中、“1972年・日本の政変”(ビジネス社、第1章、p38)
2)小沢氏の「日本改造計画」は良書だと思った。個人主義の定着が民主主義には不可欠であるという指摘は正しいと思った。この本の内容と小沢ガールズ大量投入という政治手法は調和しない。実際、この本は御厨貴氏ら小沢氏の周りに集まった知識人がゴーストライターとして執筆した(御厨氏自身がテレビで語った)。
3)歴史的出来事は、いろんな角度から見ることで初めてその真相に迫ることができる。歴史は、単にAからBという理由でCになったという類の、単純な因果関係の鎖ではない。朝日新聞がこのような場面で現れることにビックリしたが、それも別の側面からみた日中国交回復の姿なのだろう。
4)戦後政治どころか、日本は未だに昭和の大戦の評価をしていない。極東国際軍事裁判を戦勝国による敗戦国への復讐と批判しながら、独自にはなにもしていない。戦争末期に、大都市空襲の指揮をとった「皆殺しのルメイ」に対してさえ、戦後の日本国は勲章を与える始末である。 否、大戦の評価だけでなく、明治維新の再評価さえしていない。孝明天皇から明治天皇に代わった時に、何が起こったのか? 日本の支配層が恐れるのは、この件と天皇制の議論にあり、それを避けることが近代日本を暗闇に置く企みの原因なのではないだろうか。

2016年4月16日土曜日

ネットを荒らす知識人の動画等に対して、専門に詳しい知識人はコメントすべき

ネットを荒らす知識人の一人のyoutube画像を以下に引用する。専門外のことに、いい加減で偏った解説を撒き散らしている。かなり豊富な知識があるので、全くの素人は完全に手玉にとられるだろう。それに対して、近くにいる筈の細川さんも他の知識人も何もしない。 https://www.youtube.com/watch?v=eswZk_tUlbM

上記は日米の開戦に関するものだが、いたずらに日本側の右側の人を鼓舞するように話している。人間の歴史は、弱肉強食の”野生の原理”が支配している。日本が朝鮮や台湾を併合したのも、日本がアジア唯一の近代化した軍隊を持つ強国だったからである。ロシア、英国、ドイツなども中国への進出(侵略)を狙っていたが、そこに日本も加わり第二次大戦になったのだと思う。米国も中国利権を狙っていたので、戦争になったが一定の条件で戦争回避の合意が可能だった筈である。

武田氏の言うような、「黄色い猿は皆殺しにしなければいけない」(補足1)というような動機での、一方的な米国による日本攻撃ではなく、戦争は日米の利害の対立で起こったのである。そして、開戦の数ヶ月前のギリギリの状況下でも、戦争を避ける調整が日米で続けられた。野村大使とコーデル・ハル国務長官との話し合いで“日米了解案”が作られたものの、外遊中の松岡外相を待ってから受諾を決めようという近衛文磨首相の決断力のなさが、日米開戦を避けられなかった直前直接の原因と半藤 さんは書いている。(昭和史、半藤一利、第11章、“雲散した日米了解案”参照)

次の動画も同じ武田氏のものである。「小保方氏の研究が正しかったと証明」と題しているが、全くその主張は間違っていると思う。コメントを見ても動画の主の後追いをするようなものばかりである。 https://www.youtube.com/watch?v=ypcfe--rvag

間違った図を中心的な実験結果として作為的に入れ、論文のつじつま合わせをした。ネットなどでの指摘を受けて、著者一同が話し合って論文撤回に合意した。その厳然たる事実は、この方の頭の中でどこへ行ったのか? もちろん、早稲田大学の博士論文の取り消しは異常であり、裁判でもすれば小保方さんは勝つだろうと思う。

STAP (Stimulus-Triggered Acquisition ofPluripotency cells;刺激で誘起された多能細胞)現象だが、それは最近米国で再現されたとしても、それは万能細胞の作成ではない。その様な現象は、すでに小保方さんがバカンティー教授と共著で、2011年に書いた論文にも述べられていると思う。そして、その論文は上記米国の学者が発表した論文に引用番号13として引用されている。小保方さんの2011年の論文のアブストラクト(要約)を示したサイトを以下に示す。

http://online.liebertpub.com/doi/abs/10.1089/ten.tea.2010.0385(Tissue Engineering part A Volume: 17Issue 5-6: February 26, 2011) 

そこには、”Mature adult tissues contain stem cells that express many genes normally associated with the early stage of embryonic development, when maintained in appropriate environments. (成体組織が適当な環境の下では、初期の胚の発生段階の遺伝子を発現する幹細胞(stem cell)を含む。)”と書かれている。

この小保方論文でも、その幹細胞は三つの胚葉のどこにでも分化をすると書いてあったと思う(補足2)。この”適当な環境の下”が、筋肉が傷を受けた時と読み替えれば、米国の論文の主張になるのではないだろうか。もちろん、どちらも万能細胞ではない。

米国の論文は以下のサイトで見ることができる。http://www.nature.com/articles/srep17355 上記の様に、2011年の小保方論文を13番目に引用している。

その要約中に、”These injury induced muscle-derived stem cell-like cells (iMuSCs) are partially reprogrammed from differentiated myogenic cells and display a pluripotent-like state. ”(傷により誘導された幹細胞様の細胞は、異なった筋原性細胞から部分的に再プログラムされ、多能性に似た性質を示す)と書かれている。これも万能細胞ではないと思う。

とにかく、武田さんの主張はおかしい。自分の高い知的能力(記憶力)を利用し、日本のネット社会をかき混ぜて、テレビへの出演機会を増やすことを考えているのかもしれない。或いは、どこか他の国の利益を考えて、日本の世論をかき混ぜているのかもしれない。私はそのように考えてしまう。もちろん、同意できる部分も多いのだが。

補足:
1)戦争の直前や最中には、そのような発言があるのは普通のことである。また、心の中にそのようなことを密かに持つ人も多いかもしれない。そんなことを言い出したら、日本にも言葉にできないような雑言を吐く人がたくさんいる。外交は心の中ではなく、顔と言葉(論理)でするのだ。
2)専門外で、しかもアブストラクトのみ読んだのであり、間違っている可能性もあります。その部分の英語です:When implanted in vivo, in association with biodegradable scaffolds, into immunodeficient mice, tissue containing cells characteristic of the three germ layers was generated. オリジナル論文でご確認ください。

2016年4月15日金曜日

地震予知法開発と運用における問題点

昨日の熊本地震は震度7を記録し、大きな被害を出した。東南海地震と根尾谷断層地震で被害を受ける地域に住むので、改めて地震予知の現状を考えた。下記サイトの記事を読み、現在地震予知の名目で予算をもらって研究の中心となっている人たちには予知は不可能であるが、それ以外の分野の人の知恵を集めれば、可能性大という結論に至った。 http://www.jiji.com/jc/v4?id=20130911_earthquake_prediction0001

上記記事は、地球物理学者の上田誠也東大名誉教授に対する取材記事である。地震学が専門の上田名誉教授によれば、実用的な地震予知法は地震学以外のところにあるという。つまり、これまで政府は地震予知に役立てるという名目で年間数百億円という大金を地震学の研究補助に使ってきたが、地震学者たちは地震予知よりも地震発生のメカニズムに専ら興味があったのである。そして、地震予知を真正面から研究する地震予知学を立ち上げて研究すれば、予知はかなりの精度で可能だろうと発言しておられる。

地震予知のための情報は、①測地学で地殻の微小な上下などを観測すること、②地殻での電気現象の異常を観測すること、などで得られるという。前者の方法を用いて地震予知をしている村井俊治東大名誉教授はすでに実績を上げておられる。http://dotounokensaku.org/earthquake_murai_0908 そのほかに、琉球大の木村教授の地震の目による予知http://kimuramasaaki.sakura.ne.jp/の方法もこの①に分類できるだろう(補足1)。両先生とも地震学が専門ではない。

この地殻の歪みの観測による地震予知は、すでに東海地震予知のために気象庁が利用しているという。「1944年の東南海地震の直前に御前崎周辺の地盤上昇を陸軍が観測したことを根拠に、大観測網を敷いている」(上田東大名誉教授)とのこと。

このほか、有力と思われるのが②の地殻における電気的異常の検出である。以前から、地震雲の発生、地を這う或いは地中の動物の異常行動、更に、電波の伝達異常など、地電流や地面の電位変化などと関連する現象が、地震の一週間程前に観測されている。この地電位や地電流の観測で地震予知が出来るという報告が、既にギリシャの物理学者から出されており、それをVAX法というらしい(上田東大名誉教授)。

尚、電気的現象の観測を地震予知に利用されている方に、電磁環境学が専門の早川正士電通大名誉教授が著名なようだ。http://dotounokensaku.org/earthquake_hayakawa_1201

これらの方法を総合して一定数の学者が集まって地震予知研究をすれば、地震予知は可能だろう。現在まで地震予知研究を邪魔してきたのは、地震予知をネタに数百億円の予算を継続的に受け取る“地震村”(上田名誉教授の言葉)とそれに丸投げして仕事を終わっていた政府官僚組織の怠慢だと思う。東日本大震災のあとも、内閣の調査部会、日本地震学会ともに地震予知は無理との見解を発表した(上田東大名誉教授の記事参照)。そのような経緯を考えると、政府にそのまま任せておけば次回の大地震に対する予知は期待できないだろう。

仮にかなりの確度で地震が起こるとの予知情報を得ても、政府がそれを元に警報を出すには一定の困難が伴う。例えば30% の確率程度で大地震が起こる可能性があるとのデータを得た場合、政府は電車を止め、銀行を閉め、学校も休みにし、病院も対応するよう指示しなければならない。警戒警報を出すだけでもその損害は相当なものであり、地震が起こらなかった場合には、地震予知など出来ないと言ってきた人たちや、それを信じてきた一般の人たちの非難を受ける。それを覚悟の上で早期に警戒警報を出すには、政府高官に高度な決断力が必要である。そうでない場合は、時計の針が予定時刻を過ぎるまで議論に時間を費やすことになるだろう(補足2)。 

兎も角、地震予知学会ができなければ、文科省はこれまで通り地震学会の有力者、つまり“地震村”、から出た”地震メカニズムの研究”に金をだすだろう。したがって、上田名誉教授など定年退官して視野が広がった人たちと現役研究者が協力し、市民のためにも地震予知学会を立ち上げるべきである。 

予知情報を得た時に、官に的確な警報発令などの措置が出せなければ、民がやれば良い。例えば、警備保障会社などが地震予知学研究者と連携して、地震予知情報を通常警備契約のオプションなどとして、提供するのも一つのアイデアだろう。現在すでに、地震科学探査機構という会社が、村井教授の地震予知情報を有料で配信している。http://www.jesea.co.jp/  この場合の有料配信は賢明である。何故なら、無料でネットで公開すれば、場合によってはデマを流したということで裁判沙汰になり兼ねないからである。一定の権威が伴って発表できるようにならなければ、自分の身を地震から守るには自分が情報を集めて自分で守るのが基本である。

補足:
1)地震の目は、毎日ほど起こる群小地震を地図に描いて、エネルギーの蓄積した位置を見出す方法だと理解する。
2)上田名誉教授も、「仮に気象庁が御前崎の地殻変動に異常発生をとらえたとしても、政府は警戒宣言を出さないでしょう。何かシグナルが出ても、これは何だと言っているうちに終わってしまうでしょうし、警戒宣言を出したのに、もし何も起こらなかったらどうなるかと誰でも考えてしまうでしょう」と仰っている。我国の政府官僚組織には無責任体制がはびこっており、結局は何もできないだろうというのである。

2016年4月11日月曜日

原爆ドーム碑文の意味を考える:米国国務長官と日本国外務大臣と原爆ドーム

G7外相会議は、広島宣言を出して終了した。ニュースには、広島宣言の中で“原爆投下を「極めて甚大な壊滅と非人間的な苦難」と表現し、核軍縮の必要性を訴えた”とある。そんな宣言を日本が中心となって出して何になるといいたい。日本語もラリっている。「非人間的な苦難」とは、どこの国の言葉だ。そんな日本語はない。「非人間的な(米国による)攻撃」だろう。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160411-00000053-mai-int

それに、核廃絶などできるわけがないし、核兵器を持たない日本が中心になって出すべき宣言ではない。格兵器廃絶宣言を出するのなら、多数の核兵器を保持している米国、ロシア、中国などが集まり、明確に廃絶プログラムを示してから出すべきだ。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42726855.html

拡散は物理現象であり、それに歯止めをかけるのは不可能に近い。世界政府が出来れば別だが、できるわけがない。そんなことで、カッコをつける外務省や外務大臣の行為は、日本国民から核兵器保持の権利を奪い取り、日本国民を永遠に核兵器の脅威の下におく裏切りである。

岸田外務大臣は、ケリー国務長官の提案で原爆ドームを見ることになったとニュースは報じた。そして、その場面をテレビで見た瞬間に、私は原爆ドームの碑文の意味がわかったような気がした。

碑文は、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と書かれている。多くの人は、この碑文を見て、「原爆を落とされた側が何故詫びなければならないのか」という疑問がわくという。しかし、広島市から依頼を受けてその碑文を書いた広島大の雑賀教授(ご自身も被爆者である)は、その時の気持ちをそのまま碑文としたのだろう。「過ちはくりかえしませぬから」の主語は、当然我々日本人である。

敵軍が残酷な殺戮をするのは、大昔から歴史の常である。備えもなく無謀な戦争を始めたのが、原爆犠牲者を生んだ原因である。敵軍に「市民を殺戮するな、紳士らしく戦争をしろ」というのは、そして、国際法違反などという丸暗記した教科書の理屈を声高に持ち出すのは、歴史を真面目に考えない者たちの行為である。現在でも、国際法など守られてはいない。

戦争に負けた側が、敵軍が卑怯な方法を用いたと思う場合には、それを心の中に仕舞い込み、民族のエネルギーの源とすべきだ。その事実をそのまま碑文になどにして、卑怯な敵軍の行為を宣伝し非難するのは負け惜しみというものであり、卑しい行為である。従軍慰安婦の像を世界の至る所に設置して、併合された悔しさを嘘を創造してまで世界に宣伝する卑しい行為と同じ類ではないのか。

雑賀教授は、そのような卑しいことを避けて、武士らしく自分たちを責める碑文を書いたのだろう。しっかりせい、日本人と言いたい。

昨日の敵は今日の友というのが、国際社会の厳しい現実である。米国は現在日本にとって大切な同盟国である。米国の国務長官や大統領が、広島で何か発言すれば、それは一部の米国人を反日感情を起こさせるだろう。http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20160411-00000296-fnn-intそれは、慰安婦問題を創り出して、本来同盟国である筈の日本人の感情を逆なでする韓国の行為に似ている。(最後の節は、4/12朝追加)

2%程度の消費増税で右往左往する政府の頼りなさ

2%程度の消費増税で右往左往する政府の頼りなさ自国の経済政策を決定する際に、世界の経済学者に意見を聞くのは良いが、頼るべきではないと思う。経済学など科学ではないのだから、学者の予想は当たらない可能性も大きい。しかも、外国人の発言は自国の利益を考えている可能性が高い。

だいたい、米国連銀が利上げを発表する前に、ドル/円レートが利上げ後下がると予想した経済学者がいたのか? 少なくともマスコミなどでそのような発言を発表した人はいない筈だ。昨年夏から秋にかけて、経済番組であるモーニングサテライトなどでは、122-3円だったレートが年末には130円を超える可能性が高いとまで発言していた経済アナリストが多かった(補足1)。

予測が充にならないのなら、原点に戻って考えるべきである。

多額の借金を抱える日本政府が新たに財政出動し、且つ、約束したはずの消費税を上げないのは、大きな経済危機を招く可能性が出てくるような気がする。野口悠紀雄氏とか参議院議員の藤巻健史氏とか、そのような心配をする日本の経済学者も多い。政府は、意見を聞くのなら異なる立場に立つ両方から聞くべきである。

政治家が学者に意見を聞くとき、真面目に意見を求めるというより、決めた政策の裏書を得たいという場合が多い(補足2)。そのような学者の利用は避けるべきだと思う。

3%の消費増税が、本当にそしてどのようなメカニズムで、国民の消費に大きく影響したのかは未解明な問題である。「ヨーロッパの付加価値税がそれほど大きな影響がなかったのに、日本の消費税の影響が大きいのは何故か?」と安倍総理が著名な外国人経済学者に聞く場面が、今朝のモーニングサテライトで放映されていた。(オフレコだった筈が、何故出てきたのか?)その学者の答えは「わからない」だった。

2%程度の消費増税で消費が冷え込むというのには、従って疑問がのこる。むしろ、その問題で右往左往する政府の頼りない姿を見ると、元々心配性の日本人の心配が膨らむ。元々政府を信用していないので、日本の国民は益々財布の紐を締めるのではないだろうか。

つまり、漠然とした不安感が消費低迷の原因だろうと思う。将来、年金が出なくなるのではないか?という恐れが一番大きいだろう。そのような不安の根本は、日本政府の頼りなさと、「日本政府は多額の借金をしていて、財政破綻の危険がある」という心配である。

外国人学者ではなく、日本文化や日本人の気持ちを知っている、日本の経済学者から広く意見を聞くべきであると思う。意見を出す能力のある国立有名大学経済学教授は、たくさん居る筈だ。彼らにマスコミで喋らすべきである。このような時に沈黙を決め込むことは、経済学で飯を食っている人間として恥ずかしい筈だ。

消費増税は法令に従って行い、2-3年分の税収分を財政出動にあてれば良いと思う。元々財政出動で世界経済を牽引するのは、日本の役割ではない。AAAの国債格つけを持つ米国やドイツなどがやるべきだと思う。

<これは、全くの経済には素人の元理系研究者の日記です。失礼しました。12:00編集>

補足:
1)一番説得力のある解説者と思っていた、バークレイ証券の北野一氏は、利上げなどできないと言っていた。田中宇氏は当時米国は経済指標を粉飾しているとブログに書いていたと記憶している。何かおかしい。
2)そのためにノーベル賞受賞者を呼んできたのだろう。経済学賞とか平和賞とかは、ノーベル賞でも別格ではないのか?

2016年4月9日土曜日

北朝鮮の核武装と日本と韓国の反応

1)韓国は、北朝鮮が核攻撃をしてくるとは思っていない。北朝鮮から流れてきた水爆開発のニュースにも韓国国民は冷静だった。しかし、韓国大統領は中国に米国のミサイル防衛システムの配備を脅しに用いて、北朝鮮の核への対処を要求している。佐藤優氏の動画参照:https://www.youtube.com/watch?v=16YLCwFN0CE

この韓国民一般の”北朝鮮は韓国を核攻撃しないという認識”と大統領の中国への要求との認識のズレは、上記佐藤優氏の話によると、韓国における核装備の声の高まりにパク大統領がどう対処すべきか、中国へ探りを入れているとして説明されるようだ。つまり、韓国政府や議会の近辺で、北朝鮮の核の脅威を理由にして、韓国も核装備をしたいという声が大きくなっているのである。

本音はパク大統領も同じで出来れば核装備したいだろうが、それを実行するのに超えるべき高い外交的バリアーは容易に想像できるため、中国に「貴国も我が国が核装備を検討することを好ましく思わないでしょう」と探りを入れていると解釈される。核武装は、国家のトップに重大な決意と、核大国への工作がなければ不可能だということである。

核不拡散条約(NPT)の第10条には、国家存亡の危機が説明できれば、条約を脱退して核装備する権利を認めている。したがって、北朝鮮が”水爆”まで製造しているというのは、それを理由に核兵器保持を強引に進める韓国にとってのチャンスであると考えたのだろう。韓国の政治家と国民はまともな感覚を持っており、日本よりも上だと思う。

この動画で、佐藤氏の「韓国民は北朝鮮の核保持を民族の誇りだと思っている」という把握は重要である。北朝鮮が核兵器を持っているのだから、韓国は統一朝鮮が出来た時に核武装できるだろうと考えている人も多いだろう。いずれにしても、韓国は核武装するだろう。その時慌てても、日本には核武装のチャンスはないだろう。日本は目覚めるべきである。

韓国の棚ぼた的核保持の可能性の有無はともかく、この最後のチャンスと思われる機会を(既に遅すぎるかもしれないが)日本こそ真剣に考えるべきである。中国、ロシア、北朝鮮の核兵器に包囲され、それらの国の棍棒外交から国益をどのようにして守るかを深刻に考えるべき時である。しかし、平和ボケの日本人は牧場の腐りかけた柵さえ越えられない羊のような情けない姿になっている。

明治以来、日本はいち早く西洋と対峙できる国家を建設すべく、多くの血をながして改革を成し遂げた。不平士族もそれを撃つ政府軍の血も、国家の形を確立するための貴重な犠牲であった。太平洋戦争はその大きな成果の賞味期限が切れているのに、継続して体制改革を行わなかったのが原因だろう。(補足1)明治維新の頃からの歴史を視野に入れて、国民は国家の形をもう一度考えるべきだと思う。

2)木曜日のBSプライムニュースでは、石原慎太郎、堺屋太一、渡辺昇一の三氏がゲストであった。その堺屋太一氏の「一旦どこかが核兵器を使ったら世界核戦争になる」「そんなことはありえない。従って核武装など必要ではない」という発言や、 石原慎太郎氏の「日本のロケット技術は素晴らしい。核兵器を持とうと思えば瞬間的に持てる。」発言など、楽観的なのかピンボケなのかわからない。両人とも米国の核の傘など存在しないということを知りながら、なぜこんなバカバカしいことを言うのか。

ロケット技術と核兵器の技術は違う。完全に核分裂の連鎖を起こすには、TNTと核物質の配置など、爆弾の幾何学的形をシミュレーションで一応決めても、ロケットに乗る程度に小型化するには、実験が数回必要だと言われている。瞬間的に持てるなんて、ミスリーディングなことを言う人(国粋主義者には超楽観主義者が多い)は、無責任な評論家だと思う。米国からの技術供与がなければ短期間での核兵器開発などできないのだ。(補足2)

米国は、過去何度か日本に憲法改正と核武装を勧めたという。(片岡鉄哉、「核武装なき改憲は国を滅ぼす」、ビジネス社)米国は自軍の負担軽減を考えたのだが、日本にとっても一人前の国に戻るチャンスであった。それに乗らなかったのは、自民党官僚政治家特に佐藤栄作の無能なところだと思う。

米国からの改憲と核兵器保持の進言であるが、上記本では小泉内閣の時にもあったと書かれている。しかし、可能性があったと信じても良いと思うのは、ニクソンが大統領の時が最後だったと思う。

ニクソンは1953年に来日した際、日本に非武装を押し付けたのは失敗だったと言った。(上記本35頁、補足3)そのニクソンが大統領になった時、時の総理の佐藤栄作に憲法改正と核保持を進言したと書かれている。佐藤はそれを拒否したという。これは佐藤元総理の首席秘書官が出版した日記にも書かれているとのことである。(補足4)

この時、日米繊維交渉で日本側が譲歩をすれば、核武装と憲法改正は可能だったと思う。それ以降の米国からの核保持提案は、十分能力のある政治家が政権を担っていた訳ではないので、日本側の敷居が高いことを織り込み済みでの提案(義理的及び儀式的提案)ではないかと思う(補足5)。日本がまともな国になるのは、例えば北朝鮮からの一撃を三沢かどこかに食らわないと無理だろう。

補足:

1)どのような成果でもそれを味合う喜びは、賞味期限内で終わらせなければならない。明治憲法で天皇を権力の前面に出したのは、倒幕と明治維新を成し遂げる上で必要だった。しかし、軍部と内閣を分離した国家の形は、明治時代の中期以降に憲法改正をして改めるべきだったと思う。それができなかったのが、太平洋戦争の原因だったと思う。
日本人は、与えられた条件下での最適化問題を解く能力に優れるが、ゼロからの思考や無限の空間で自分の位置を定めるような問題に弱いのである。明治維新も所詮、強制された改革だったのだと思う。
2)ウィキペディアによると、2006年の政府の内部文書には「小型核を持つまでに3-5年かかる」と書かれているとある。https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の核武装論
3)これは常識だろう。しかし、本などに書かれた詳しい記述が手元にない。ネットのブログにはたくさんあるので、一つだけアドレスを紹介したい。 http://d.hatena.ne.jp/ken3jyo/20130611/1370899687
4)片岡氏の本に引用された文献は、楠田實日記(中央公論社、2001年、776頁)である。楠田實は1967-1972の間佐藤栄作の首席秘書官だった。
5)小泉元総理や福田康夫官房長官では、強制されたのならともかく、核武装などできる筈がない。なお、1996年片岡氏がフーバー研究所に居た頃、CIA高官と日本が核武装すべきときがきたという結論を得、「日本の核武装」について討論する国際会議を開こうと、日本の首相経験者数人を招待するために来日したことがある。しかし、誰一人としてこの企画に賛同するものは居なかったという。(上記片岡氏の本の第2章参照) また、2006年に北朝鮮が核実験を行った時、G.W.ブッシュが大統領の下で国務長官だったC.ライスは急ぎ来日して、安倍総理と会談した。この時にはテレビなどを見ていても、核保持を日本に許すような雰囲気は全くなかった。

習近平の弱体化

BSフジのプライムニュース(20:00-22:00)をみた。習近平が中国共産党の中で人気(権力)を失いつつあるのではないかというのがテーマである。習近平の腐敗摘発政策と、それを利用して政敵を追放し、毛沢東的に個人崇拝的な政治を目指しているのではないかという疑いが、共産党の中で人気がなくなりつつあることの原因だろうという内容だった。

腐敗摘発は、人民の人気を獲得するかもしれないが、共産党幹部の間では孤立することになる恐れが強い(補足1)。それは、昨日から頻繁に報道されているパナマ文書の件でもわかるように、習近平自身も腐敗にまみれているからである。習近平の蓄財は10年も前から把握され、外国でも話題になっている。以下は4年前のBloombergの記事である。http://www.bloomberg.com/news/articles/2012-06-29/xi-jinping-millionaire-relations-reveal-fortunes-of-elite

また、腐敗とは直接関係しないが、習近平一族の多くが外国籍を取得している。姉はカナダ国籍、弟はオーストラリア国籍、娘は在米でグリーンカードを取得していると言われている。前妻はイギリスに逃げ(補足2)、習近平夫妻だけが中国に残っている。 パナマ文書で出てくるのは義兄(姉の夫)である。(冨坂聡「習近平と中国の終焉」角川、2013)

最近では、腐敗摘発に当たっている王岐山中央規律検査委員会書記の力が増し、習近平に対して同僚的な(部下に相応しくなく)態度を、党大会で周囲に見せつけたという話が、ゲストの石平氏により紹介されていた。

また、以前同じ番組に出演した富士通総研経済研究所の柯隆氏は、中国の経済慣習(文化)として賄賂は根付いており、過度な腐敗摘発運動は経済活動に支障をきたしていると発言していた。習近平の打黒作戦は行き詰まりなのかもしれない。

その代わりに、権力掌握を確かにしようとしている手段が、南沙諸島や西沙諸島での強硬な対外姿勢なのではないだろうか。石平氏によると、それも墓穴を掘る行為だということである。

中国の西太平洋(第一列島線から第二列島線を目指す)と南シナ海への海洋進出は日本にとって脅威となる。中国の具体的な目的であるが、東南アジアでの国益確保(棍棒外交)や、中東からのエネルギー補給路を支配するためだと思う。

現在石油は安価であるが、人類は今後エネルギー危機を迎える可能性がある。その時には中東の石油も奪い合いになるが、その際に中国の競争相手は日本である。その時になって慌てては遅いので、日本にとってシーレーン確保の為の外交と原発や自然エネルギーなどの利用によるリスク分散などが大切であると思う。

中東の政治環境は益々流動的になり、エネルギー源の確保も北朝鮮の核兵器と同様に、日本の安全保障の問題である。(山内昌之氏と佐藤優氏の討論:https://www.youtube.com/watch?v=50OFAKWWitE)

補足:
1)2007年の第17全国代表大会で、若い習近平と李克強が次期政権を担う地位につき、重慶市書記にしかなれなかった薄熙来には、政権を担う可能性はほぼなくなった。そこで挽回を図ったのか、歴史に名を残したかったのかはわからないが、薄熙来が行ったのが重慶市での打黒、つまり腐敗撲滅である。それは市民の間で人気が高かったが、薄熙来の政治寿命を縮める結果になった。(富坂聡氏の著書、第1章)
2)前妻(元駐英大使、柯華の娘) は、共に英国への脱出を提案したが、習近平が断った為に離婚して逃げたという。(富坂聡氏著書、114頁)

2016年4月7日木曜日

防衛大学校卒業生の任官拒否についての小川和久氏の意見とその分析

1)防衛大学校では授業料、生活費はただで、月額10.8万円ほどの給与にボーナス31.9万円ほどが出るという(補足1)。そこを卒業しても自衛官にならないで民間に就職することを任官拒否というが、無料で授業を受け、食と住を提供され、しかも給与は貰いっ放しである。これをそのまま放置するのは如何なものかと思う。もちろん、任官拒否を許してはならないと言っている訳では無い。授業料相当分か給与分を返納する制度を導入すべきであると言っているのである。

しかし、軍事アナリストになった小川和久氏(補足2)は、「任官拒否者を対象に、教育費等の返還を制度化する必要性はない」と、全面的に現行制度を擁護している。https://www.youtube.com/watch?v=Uh5xzvBvこの動画を先ず見てもらいたい。

小川氏の現行制度擁護の理由は、全く非論理的である。東大などの学生経費を700万円以上と割りまし計算をし(補足3)、防衛大学校の教育経費約400万円と比較して、防衛大学校の教育費が割安だという、全く訳のわからない理由を披露している。教育にかかる金額の問題ではない上に、防衛大学校と東大を比較して任官拒否を問題視しないというのは、二重に誤魔化しがあり全く説得力がない。

東大と防衛大を比較する理由であるが、小川氏は東大を国家公務員及び裁判官養成のための大学校と決めつけている(誤魔化している)様だ。つまり、小川氏は東大卒業生の内、公務員試験を受けて公務員になる数と司法試験を受けて裁判官などの司法公務員になる人の合計数が、全卒業生の5パーセントに過ぎないが、防衛大では任官率が90%を超えていると主張している。つまり、防衛大は任官率が高いのだから、任官拒否を問題視してはならないというのである。

要するに、防衛大学校卒業しても無料教育と給与をもらいっぱなしで、任官拒否する制度で良い。日本国はケチなことを言わない方が良いと、これもその辺の魚屋のおじさんの安売りの理屈のようなものを持ち出して、現行制度を弁護しているのだ。この小川氏は、日本で唯一自衛官の任官拒否に関する本を出版された方であると仰っている。それだからこそ、動画を引用し個人名をあげて反論しているのである。

2)もちろん、私は任官拒否をしても良いと思っている。ただし、その場合は教育経費の一部を返還すべきであると考えている。任官拒否を当然だと思う理由は、小川氏のおっしゃる通りである。つまり、18歳のときに決意して任官しても、途中で迷いが出る可能性は当然あり得る。その場合は、その時点で自衛官になるのを止めて、別の道を歩めば良い。それは職業選択の自由の観点から当然である。しかし、防衛大学校の教育は、任官を前提として行なっているのだから、授業料相当分か給与相当分を返納する様に制度化するのは当然だろうと思う。

一度返納させる法案が出されたが、廃案になったという。したがって現行制度の下では、任官拒否者してもこれまでの給与や教育費用を返納する必要は無い。合法的食い逃げであるが、制度がそうなっている以上、任官拒否者は大手を振って他の企業に就職するなりすれば良い。後ろめたい感情を持つ必要など全く無いし、それは動画の中で紹介されている小泉進次郎氏の挨拶にある通りだ。

ここで議論しているのは、返納すべく法の整備をすべきかどうかということである。制度の問題と、任官拒否する個人の問題を混同しているから、話が分かりにくくなっているのである。しかし、それを分かりながら、小川氏はこのような誤魔化しの論理を展開しているのではないだろうか。

3)「返納を制度化すると、どうせ、返せばよいのだろうと開き直って途中でやめる人が増える。これはおかしい」と小川氏はおっしゃる。その小川氏の言葉も理解に苦しむ。任官しないと決めた時点で、堂々とやめれば良いのである。そして、それで自衛官の数が確保できないのなら、一定の任官数を確保すべく入学定員を増やすしかない。その場合、只で教育と食と住を供給され、更に給与ももらえ、自衛官という危険な現場に出なくて良いし、更に、卒業しても任官拒否できるという、世界一恵まれた待遇を求めて、多くの高校卒業生が入学を目指すだろう。

小川氏は、今年任官拒否が前年比で倍増したのは、集団的自衛権を明記した安保法制が施行され、防衛大生の母親方が危機感をもったのも原因だろうと話しておられる。それは、自衛官は警察官より安全な職業だと思って応募している学生がかなりいることを意味しており、大きな問題である。つまり、この問題は日本の安全保障のあり方と直結しているのであり、根が深いのだ。

小川氏の現行制度の弁護は、自衛隊や防衛省の本音から出ているのだろう。つまり、できるだけ入口を大きく広げ、曖昧な覚悟で入ってきた人たちも、調教すれば自衛官幹部として任官させることが可能だろうという考えである。「任官拒否の場合には授業料相当額か給与相当額の返納を要する」と明記すれば、そこで希望者が激減すると予想し、それを危惧されているのだろう。

制度を曖昧にしておき、入り口を広げ、「任官拒否は卑怯ではないのか?」という素朴な世論の圧力と日本人特有の卒業生の心に生じる良心の呵責に期待して、一般社会への出口を締めるという方法を考えておられるのだろう。それは、本当の国家防衛を考える端緒を自分で捨て、本来の国家のあり方に日本国が戻ることを遅らせるとになると思う。これは、それを心配して投稿する文章である。

補足:
1)防衛大学校に入る時の試験は入学試験ではなく、通常の会社と同じ採用試験である。そこでの勉学は、教育というより任官した後の自衛官としての仕事のための訓練である。支払われる月額10.8万円とボーナス31.9万はその仕事に支払われる給与である。したがって、防衛大学校卒業後に任官しないと決断した時点で、退学すべきである。
2)小川氏は15歳で自衛隊に入隊後、陸上自衛隊生徒教育隊や航空学校を修了している。その後、同志社大学神学部へ進学するも除籍になり、新聞記者や週刊誌記者を経て、軍事アナリストになっている。https://ja.wikipedia.org/wiki/小川和久 
3)東大での学生一人当たりの教育費は、運営交付金(840億円)/(大学生数14000+大学院学生数13300)で、約308万円である。(2013年)

2016年4月6日水曜日

美容整形と建国神話:韓国の場合

1)昨日テレビ愛知(テレビ東京、テレビ大阪)の放送”ありえへんー世界スペシャル”で、韓国での”整形モンスター”なるテレビ番組を紹介していた。応募した整形希望の醜い女の子が、美女に変わる一部始終をテレビで放送する番組である。

整形前の容姿と家族の様子、整形手術、そして、その後の容姿と家族の様子をテレビで映し出すのである。日本では企画できない凄い番組であった。その中で印象にのこったのは、美女に変わるということが本当だった(だろう)こともあるが、醜い容姿を憎む女の子が、①父親など家族からも恥だといわれていたこと(補足1)、そして、②当人が「この顔が他人の顔であれば良いのに」という趣旨の発言をした場面であった(補足2)。

これら二つの反応は同根であると思う。それはこの国の人たちは嫌なことを共有できないで、他に押し付けようとすることである。上記①は嫌なことの共有の拒否であり、②は嫌なことの他人への転嫁である。日本では、良いことも悪いことも共有するのが、人として持つべき徳であると考えられ、それは国民性となって根付いている。それが当たり前であると思いがちだが、国境を跨げばそうでないようである。

それは中国人にも共通している性質かもしれない。何故なら、中国人たちは列に並ぶことを知らないからである。列に並ぶのは、”順番を待つという嫌なこと”を共有するという姿勢である。もちろん、韓国の方々は列に並ぶかもしれない。それは韓国がその西の国よりも先進国だからである。しかし、心の内部は両国とも同じだろうと推測する。 

上記考察は、サンプル数が少なすぎるという反論は当然である。個人差が大きいのは日本でも大陸でも同じである。当然、大陸にも他人の嫌なことや苦痛を進んで共有する人格者も大勢いるだろう(補足3)。日本の嫌なことの共有の精神は、中国の「己の欲せざる事を人に施すこと勿れ」から学んだのだから。ここで話題にしているのはそれぞれの国に根付いている”文化の違い”である。 

2)自分の顔を美容整形して全く別人の顔に変わることの決断に驚いた。更に、全く別人になった双子の娘の顔を、家族は手放しで歓迎している様子にも驚いた。自分の顔を全く別人のものにすることは、自分のアイデンティティーつまり原点を失う或いは放棄することになると思う。

それに対する抵抗はないのだろうか?と最初は思った。しかし、抵抗はあった筈である。彼女たちは、自分たちのアイデンティティーを捨てて、つまり、一度自殺して生まれ変わる道を選んだのだと思う。自分の醜い姿で生きることに、それほどの苦痛を味わったのだろう。韓国の美容整形の背景がわかったようにおもった。

そこで思い出すのは、東アジア圏で特にひどい歴史の改竄である(突然の発想飛躍が、このブログの特徴である)。歴史は民族のアイデンティティーである。

史記は、漢の武帝が司馬遷に書かせた、前漢の帝国としての正当性を示す歴史書である。それは、ヘロドトスのヒストリアイと対比される(補足4)。両方とも出来事をつなぎ合わせて物語にしたものであるが、前者には出来事のでっちあげが多く含まれる。

その前者の伝統の上に、日本の歴史書である日本書紀もある。西暦2016年は日本国建国から2656年目に当たる。つまり、2656年前の天孫降臨という大嘘(つまり神話)から日本の歴史物語(日本書紀)が始まるのである。実際の建国は、倭国が白村江の戦いに百済と戦ったものの破れ、完全に韓半島から追い出された後、唐の脅威から日本列島を護る為に他の幾つかの国を束ねたのが、大和朝廷(つまり日本国)の最初だろう。(補足5)

このように民族のアイデンティティーの出発点に歴史書があり、それは民族の顔と言えるだろう。出発点には神話という形で多くの捏造が含まれるが、途中で全く別のものに換えることはできない。それは民族のアイデンティティーの喪失となるからである。

ただし、国が滅んでしまった場合は別である。その時には別の国が改めて建国の神話を書くだろう。それが、ひょっとして、韓国の反日の歴史ではないだろうか。つまり、朝鮮王朝が滅んだ後、韓半島は日本に併合された。その断絶は整形で修正できる範囲を超えている。そこで最初から、慰安婦や安重根を用いて新しい建国の歴史を作っているのではないだろうか。日本が事実関係を照らし合わせて抗議するという形では、およそ解決する問題ではないのである。(補足6)

補足: 

1)テレビに出たら、「お前が俺の子であることが世間に出て、恥になる」と父親に言われ、弟には「友達が遊びに来るから、隠れていてくれ」と言われる。同年輩からはアンコー顏といわれて苛められる上に、家族からもこのように言われては、あの国で整形が流行るのはあたりまえだろう。 
2)より正確には、アンコー女と言われイジメられている場面で、「なんで私がいじめられるの。他の人だったらよかったのに」と言っている場面が再現されていたと記憶する。
3)大地の子の主人公の育ての父親、陸徳 志を思い出す。
4)岡田英弘「歴史とはなにか」文藝春秋社2001(文春新書)p55 ヒストリアイは、善と悪が戦って最後は善が勝つというスタイルで書かれており、史書は最初から一つの正統なる帝国という形で書かれている。
5)我々が小中学生の時には、任那日本府が地図とともに歴史の本に掲載されていた。倭人は韓半島に広く住んでいたことを示している。同様に、中国語を話す民族も日本に住んでいたという記述が歴史書にあった。(魏書の解説だったと思う)
6)池上彰氏がテレビ番組で同じ趣旨の発言をして、ネットで韓国民から攻撃されていたと記憶する。

2016年4月4日月曜日

”リオ会議で最も衝撃だったスピーチ”について

1)地球サミット2012 (リオ会議)でのパラグアイ大統領の挨拶が衝撃的だとして、昨夜のテレビ番組のMrサンデーで取り上げられていた。早速、日本語訳のサイトがあったので見てみた。http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/

ムヒカ大統領が指摘するのは: この地球は、現在の西欧型消費社会では全世界の人口70億人を養うことができないこと; 現在の資本主義経済は、大量消費を駆動力にして“無駄に”資源を浪費していること; そして、世界中の人たちはその社会の仕組みに疑問を持たない上に、それをグローバルに広げてしまっていること、などである。

“我々は幸せを求めているのであって、大量消費を求めているのではない。残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄の議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?”とムヒカ大統領は問いかける。

ムヒカ大統領は結論として、“水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということです”と主張する。

テレビでは最も衝撃的なスピーチという紹介だったが、このムヒカ大統領の指摘と疑問は昔から言われていることであり、特別新しいことではない。2004年にノーベル平和賞をもらったケニアのワンガリー・マータイ氏は、モッタイナイという言葉を利用して、大量消費社会を批判した。その原因を我々の生活スタイルと社会システムに求めたところは、表向きにはマータイ氏の主張と異なるが、それは既にだれしも気づいていることだと思う。

それを解決するシステムとしては、既に“共産主義社会”(補足1)という考えが人類にプレゼントされている。しかし、不均一に経済発展し、且つ、既に定員越えの地球では、物理的に採用不可能である。更に、物理的に可能な情況下でも、人間の遺伝子が、食欲や性欲と同様に労働欲をもっていない以上、そして、他人の幸せを自分の幸せと同等以上に考えられるように作られていない以上、その導入は無理である。具体的な社会像がない限り、ムヒカ大統領のスピーチは先進国批判以外の何物でもない。

2)この種の思想の標的になって具体的な攻撃があった場合、大きな打撃を受けるのは、資本主義社会の恩恵をどこの国よりも受けている日本国である。日本の人口は明治初頭で3500万人位であった。人口増加の問題解決のために日本政府は、外国への移住推奨と植民地の獲得という解決法をとった。しかし、それは失敗に終わった。

その歴史や現在の食料自給率(約50%)やエネルギー自給率(原子力を除くと、約5%)を考えると、”ムヒカ大統領式”の近代的な耐久消費材や住居を諦め、且つ、抑制した消費生活をおくる生活パターンでも、日本国内で養える人口は、その明治初頭の値以上ではないだろう。そこで、明治以降西欧先進国に倣って、資本主義経済における発展を戦後の国策として採用した。それは、現状成功していると言える(補足2)。

我々日本人が、十分な食料を得、水洗トイレとユニットバスを使い、一人一部屋の住居に済み、冷暖房を用いて暮らすためには、資本主義経済の競争で世界の市場のシェアを一定以上獲らなければならない。その結果としてのみ、十分な食料とエネルギーを海外から得るために、”日本円”の価値を一定以上に保つことが可能なのである。

人は社会において、より良い待遇を求めて他人と競争し、より良い暮らしを求めて働く意欲を生み出す。そのような競争における敗者、個人、部族、そして、民族を切り捨てて来たのが人類の歴史のミクロな姿であると思う。現在でもそれは続いており、地球温暖化や地球環境破壊の防止における国際協調は、エネルギー消費を増加させないという経済競争の枠組設定であり、経済における国際協調の枠組み設定ではない。

「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄の議論は、そもそも歴史上も遺伝子上も存在しない。残念だが、人間を含めて生命の本質は自分の子孫を残す生存競争であると思う。世界の指導者たちは、“友好”とか“協調”という言葉は、競争や攻撃の為の時間稼ぎに使われてきたことを忘れてはいないだろう。現実主義の世界の指導者たちから無視されても、ノーベル平和賞はもらえるかもしれない。

補足:

1)大量消費を抑えるような協調を、国レベルが単位となって国際的に行うには、共産主義社会しかないだろう。他にあれば教えて欲しい。ムヒカ大統領は共産主義運動の再開を言っているのだろうか。
2)保育所の抽選落ちた女の人が、「一億総活躍社会をめざす筈じゃなかったのか?日本死ね」などと不満を言って話題になった。しかし、彼女は、現在日本の経済情況は既に諸外国と比較して非常に恵まれており、それは我々の祖先が必死に頑張って築きあげたものであることを、全く知らないのである。

2016年4月2日土曜日

世界を知らないのはトランプ氏ではなくオバマ氏では?

“トランプ氏「世界知らない」=日韓核武装論を批判―米大統領”という記事がヤフーニュースに掲載されている。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160402-00000027-jij-n_ame

オバマ大統領は、日米・米韓同盟が「国家間紛争が核(兵器使用)の可能性が出るまでエスカレートするのを防いできた」と意義を強調した。第2次世界大戦の犠牲と米外交政策のおかげでアジア・太平洋地域が戦後、破滅するのを避けられたとも説明。「そうした重要性を認識していない人物が大統領執務室にいることを望まない」と述べた。 

核兵器の使用の可能性は、広島と長崎以後なかった。朝鮮戦争のときにマッカーサーが考えて進言したが、トルーマンに脚下された経緯がある。それ以降、核兵器は外交的圧力の道具であり、米国など有効に利用してきた筈である。上記発言は、米国らの核保有国が、独占して外交的に有利な立場を占有したいという(核抑止力が有効でなくなる相手国を多く作りたくないという)エゴイズムの表明に過ぎない。

核削減でノーベル賞というクダラナイものをもらったのだから、米中ソの核兵器全廃計画を示してからそのような発言はすべきである。佐藤栄作氏もノーベル賞をもらったのだが、あのような賞は国家元首或いは国家行政のトップたるもの、もらうべきではない。あんなものを貰って、自分の政策に権威付けできるのなら、世界平和を考える最高権威がノーベル賞選考委員に存在することになる。バカバカしい。

監禁された女子中学生と日本国家の類似点

1)女子中学生監禁事件、「なぜ逃げられなかったのか」という「理由」を明らかにすることは、この犯罪の実相に迫る上で欠かせない。少女は、検査入院していた病院を28日に退院していて、東京・中野区の寺内容疑者のアパートから逃げた理由について、「両親と会いたいという気持ちが高まった」と話しているという。警察は、“情報提供を求める両親の姿を伝える報道を、インターネットなどで少女が目にして、逃走を決意した可能性もある”とみているらしい。 http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00320101.html

これが事実であるとした場合、少女の発言内容は重要である。つまり、その犯人との生活が日常化しており、その生活を異常に感じる感覚が、監禁が長期になるに従って弱くなっていったのだと思う(補足1)。ストックホルム症候群という言葉で説明できるのかもしれない。つまり、暴力的に監禁したのだが、生活をともにし時間が経過するに従って、心理的連帯感が生じたのである。

2)ここから突飛なことを言い出すが、是非読んでいただきたい。つまり、この少女の置かれていた状況と現在の日本国の状況が似ていると言いたいのである。

米国に占領されたあと、独立国として再出発するべき最初の段階において、日本国は国家機能の大きな部分である「防衛と外交」を、米国に「日米安保条約」という形で渡した(補足2)。日本は、独自の外交ができなくなったのだが、その状況は自由に外出できない少女の状況に似ているのである。「少女は、途中で逃げ出すことができただろう」と対応するように、「日本は、安保条約を止めることが1970年にできたのである」。

しかし少女は逃げなかったし、日本は“日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約”の解消を通告しなかった。そして、日本と米国の間には“奇妙と言えなくもない連帯感”が生じた。その結果、独自軍を持つことに反対或いは無関心な勢力が、国会において多数を抑えた。彼らにとって、米国大統領候補のトランプ氏が言及している“日米安保条約の解消と核兵器の保持容認”など論外である。官房長官も、「米国の大統領にだれがなろうとも、日米安保体制を中核とする日米同盟は、我が国外交の中核をなす」と言い出す始末である。米国大統領が日米安保条約を止めると言った場合、どうしてそれを日本外交の中核とするのか? http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42722848.html

安保条約は、独自に核兵器を持たなくても良い(米国の視点では、核兵器を持たさない)ことと対になっている。そのことを明確に指摘した文献として、例えば米日財団のジョージ・パッカード氏による安保改定50周年セミナーの予稿集がある。http://www.nids.go.jp/event/other/just/pdf/03.pdf その講演でパーカード氏は、安保条約は永遠には続かないことを強調している。いろんな昨今の情況もあるが、その理由の第一は、日米安保条約は二つの主権国家間の条約から出発したわけではないことである(補足3)。 

従って、核保持反対は安保解消反対とほとんど同義である。この反核兵器の感覚を、田中宇氏の今日のブログ記事http://tanakanews.com/160402trump.htm にあるように、自民党多数も民主党などと共有しているのである。つまり、日本政府はストックホルム症候群になっている。上記日米安保改定50周年セミナーでは、興味ある講演が多いのだが、日本人の講演においてこの条約の廃止が全く触れられていないことを、指摘しておきたい。

3)核兵器に対する強固な忌避感情は日本人に特有である。その理由の一つは、広島と長崎における被曝体験である。その結果、核兵器を落とした米国ではなく、その原因となる戦争に踏み切った日本政府を、そして核兵器そのものを憎んでいるのである。この核兵器を憎む、或いは、聞いただけで恐怖を覚えるというのは、言霊に怯える民族の遺伝子の所為である。しかし長くなるので、井沢元彦氏の文献を引用することで、この文章を閉じる。(井沢元彦、「なぜ日本人は、最悪の事態を想定できないのか—新言霊論」、祥伝社新書2012)

補足:
1)ある社会学の教授⁉による”女子中学生監禁事件、「なぜ逃げられなかったのか」という「理由」を問うことは暴力である”という記事もある。http://bylines.news.yahoo.co.jp/sendayuki/20160330-00055993/ しかし、私にはトンチンカンな考えに思える。
2)防衛は外交を決める基本要件である。防衛を米国に頼った以上、自主外交は存在しない。
3)つまり支配下にある少女と拉致犯人との約束のようなものである。講演要旨の中から抜粋する。
But I would suggest to you that we cannot simply assume that it will survive into the indefinite future. I say this for the following reasons:
● The original treaty that entered into force in 1952, predecessor tothe current treaty, was negotiated between a victor nation and a vanquished,occupied nation, not between two sovereign states.
安保条約は未来永劫続かないことをあなた方に言いたい。その幾つかの理由は以下の通りである。その第一:1952年の元の条約は勝利した民族と占領された民族の話し合いの結果持たれたもので、二つの主権国家の間のものではないことである。 日本の国会議員はパッカード氏の講演要旨全文を読むべきである。

2016年4月1日金曜日

G7外相会合で日本が核軍縮運動の先頭に立つ意味はない

1)3/31の読売新聞によると: 岸田外務大臣は4月10日から広島市で開催される先進7ヶ国外相会合で、核軍縮・不拡散を推進するための「広島宣言」を発表することを明らかにした。G7外相会合では、核兵器を保有する米英仏を含む各国外相が平和記念公園で献花し、平和記念資料館を訪問する方向で調整を進めている。 岸田外相は「広島宣言という文書を発表したい。初めて被爆地で開催されるG7外相会合なので、今しぼんでいる核兵器のない世界に向けての機運を盛り上げるメッセージを発信したい」と述べた。

私が最初にこの記事を読んだ感想は、「この外務大臣は政治家なのだろうか? 単なる夢想家ではないのか?」というものであった。なぜなら、核兵器廃絶は世界政府ができない限り実現しないと思うからである。現実を見ればそれは明らかである。核兵器が米国で発明されて以来、核保有国が増加し続けている。そしてその理由は、ちょっと考えれば直ぐ解る。つまり、核兵器保有国を近くに持つ場合、核兵器の保持以外の方法で核抑止力を持つことが極めて困難だからである。また、出すのなら、英米仏の核削減計画と、中国やロシアなどの核兵器をどのように削減させるかの、それぞれ具体策を添付しなければ全く意味がない。言葉を虚空に投げるような宣言を出して、何の意味がある。

外務大臣は、G7(英、米、仏、独、伊、加、日)の中で、最も核兵器の脅威に晒されている国は何処だと思っているのだろうか。それは明らかに、中国や北朝鮮の核兵器の脅威に晒されている日本である。その二カ国が参加しない会議で、そのような声明を出すことにどのような意味があるのか?インドやイスラエルは日本国民を気の毒に思ってくれるかもしれないが、中国や北朝鮮は薄気味悪く笑うだけではないのか。

また、そのような宣言を出すことは、日本が核保持のオプション放棄を宣言することになる。現在最も核抑止力を必要としているのは日本、韓国、台湾の順である。そして、核兵器の脅威は核保持でしか除去できないのだ。もし、米国が孤立を目指し、且つ、世界の多極化を許すのなら、日本の核抑止をどう実現するのか?ミサイル防衛スステムは、米国の専門家も完璧には程遠いと証言している(以下に引用する)ので、それ以外のオプションを具体的に示すべきである。

2)G7外相会合でそのような「広島宣言」を出すのなら、岸田氏は中国と北朝鮮の核の脅威に対して、どう対処するかを明らかにしてからにしてもらいたい。米国のミサイル防衛システムが完璧には程遠いだろう。湾岸戦争で米国のパトリオットはスカッドミサイルを全く打ち落とせなかったこと、細長いミサイルが軌道上で回転して的が絞れないこと、THAADでも囮弾と実弾の区別がつかないなどの弱点が議論されている(ウイキペディアのパトリオットミサイルと下記サイトを参照)。http://english.hani.co.kr/arti/english_edition/e_international/697543.html

韓国でも最近の新聞にTHAADなどのミサイル防衛システムがたとえ配備されたとしても、システムそのものの有効性に対する疑問とともに、多額の負担金に関する心配などが報道されている。http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/23681.html

米国が核兵器に対する防衛の基本としているのは、当然核兵器による反撃だろう。米国に核反撃を受ければ、当該敵国の滅亡は確実なので、通常の場合は核兵器保持だけで核抑止力がある。しかし、国家的な自爆テロ(国家滅亡を覚悟の上での攻撃)には、核兵器保持だけでは核抑止力にならない。そのような彼らの視点で異常な国家(北朝鮮、補足1)を対象にした核抑止力が、ミサイル防衛(MD)システムであると思う。最初の一撃をMDシステムで打ち落とせば、あとは核報復で敵国を完全破壊できる。米国は、この二つの抑止力で完璧を期しているのだろう。それは米国などの核保有国の理屈だろう。

そもそも、鉄砲の玉から身を守るために、発射された鉄砲玉を撃ち落とすという技術が完璧に働くと考える方がおかしい。最新型であるTHAADシステム(補足2)を、日本や韓国などの同盟国が買うことは、米国の防衛産業の防衛には非常に有効だろう。そのためには、北朝鮮の脅威は好都合である。北朝鮮から核兵器開発を朝鮮戦争の終結という形で阻止できたにもかかわらず(補足3)、放置して北朝鮮に核兵器を持たせた魂胆はそのあたりにあるのではないだろうか。

3)何故、日本の政治家はこれほど頼りないのか?その答えは、マッカーサーにより無害と判断された政治家の二世三世議員が日本の与党の政治家群を構成するということにある。他のタレントやスポーツ選手出身の政治家は、更に頼りにならないだろう(補足4)。

例えば、岸田外務大臣は3世議員である。父の岸田文武(以下敬称略)は元衆議院議員で、祖父岸田正記も元衆議院議員。参議院議員の宮沢洋一は従兄弟であり、伯父の宮沢喜一元首相の地盤を継いだ。宮沢喜一元首相の弟の宮沢弘は元法務大臣で、お祖父さんは元鉄道大臣の小川平吉。小川平吉の長男の小川一平は元衆議院議員で次男小川平二も文部大臣などを歴任。(以上ウイキペディアによる)宮沢喜一元総理は、非武装を宣言した憲法を守ると証言している(片岡鉄哉「日本永久占領」472頁)。

このような世襲政治家が非常に多いことを、国民はどう思っているのだろうか? 一国の大臣はその国の天才的人物がなって然るべきであるが、世襲でどんどん天才を生む家系などこの世に存在しない。第二次安倍内閣が出発した時の大臣の50%が二世議員だったという記事がある。http://blogos.com/article/96845/ バカバカしい限りである。

補足:
1)米国は、その他にイスラム国などや昔の大日本帝国などを想像するだろう。米国(など覇権国)は、「完全降伏か、それとも死か」という選択を相手に迫ることは、自爆テロ的反撃を生む可能性があることを想像できないのだろうか?
2)米国軍需産業のロッキードマーチン社が開発。高度100kmから高速で落下してくるミサイルにも対応できるという。しかし、囮と本物の区別ができないなどの弱点があるという。
3)菅沼光弘「守るべき日本の国益」5-6章、特に230頁参照
4)例外もある。アントニオ猪木議員のイラク人質解放での功績は忘れてはならない。また、北朝鮮からの人質解放でも相当努力されたようだ。https://ja.wikipedia.org/wiki/アントニオ猪木

これは素人によるメモです。適当に読み飛ばしてください。