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人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2018年8月30日木曜日

石破茂氏の総裁選に向けた主張は理解できない

石破茂氏が、自民党総裁選に向けて挙げた政権構想やキャッチフレーズが気になり、自分の考えを一言書くことにした。

与党の次期総裁は次期総理である。保守合同以来なのだろうが、自民党には所謂リベラルから保守まで、多種多様の議員が所属している。そのため日本の政治は、自民党内の誰が総裁になるかで、大きく変化する。その総裁選に、一般国民に何の参加権もないのが、そして、それを国民が許してきたのが不思議である。この件については先日指摘した。(補足1)

政権選びは、大抵二択問題である。現政権は、この困難な時期にあって、いろいろ小さい批判(補足2)を受けることはあっても、日本の独自の道を探りながらこれまで日本の舵取りをしてきた。この評価に対してYES or NOの札を持たされれば、YESの札を上げる人が多いだろう。日米関係の深化と日本の独自路線の両方(補足3)を実現すべく努力してきたことを、国民の1人として信じようと思う。

安倍政権のこれまでの経済政策についての評価だが、雇用の創出や企業業績の好転を見れば確実にプラスであった。ただ将来日銀が、安全に出口戦略が取れるのかどうかで最終的評価が定まるのだろう。マクロ政策には限界があるので、教育改革の必要性を強調しているのも評価されると思う。

一方、石破氏は、総裁選のキャッチフレーズに「正直、公正」を持ち出し、暗に安倍総裁を批判している。もし、森友問題や加計問題に関して安倍総理を批判するのなら、「今更何をいっているのか?」と言いたい。もっと相応しい時期に、例えば国会で野党が追求しているときに、与党の幹事長として何かやるべきことがあった筈である。 個人的にラジオ等で批判しても、それは大きな力も意味もない。 https://www.youtube.com/watch?v=82f0EyW65y4

また、我々が総理大臣に期待するのは、前提としての「正直、公正」などではなく、結果としての公正、結果として国民の味方であり続けたということである。学校の先生を選ぶのなら兎も角、国家の指導者を誰にするかを考える時、市井の個人の徳目:「正直、公正」を前提条件に持ち出すのはおかしいだろう。要するに、石破氏は国民の衆愚的人気を取りたいだけで、その様なことを言っているのだろう。

産経ニュースによると、石破氏はこの27日、総裁選に地方活性化と社会保障制度改革などで消費を喚起する司令塔「日本創生会議」を創設することが政策の柱だとして発表した。https://www.sankei.com/politics/news/180827/plt1808270038-n1.html

その様な会議を作るのなら、先ず地方活性化の核として具体的に何を考えているのか、社会保障制度をどの様な方向に改革するのか、序論部分を言わなければならない。そのような具体的方向も示さないで、会議を作るというだけでは、公約にもならないと思う。

また、石破氏は、今は憲法改正する時期ではないと言っているが、もし憲法は改正すべきという持論に変化がないのなら、それはどの様な時なのか。早ければ早い方が良いと考えるのなら、そのために自民党幹事長として何をやってきたのか、言ってもらいたい。 完全な案が提出できるように国民の理解が進むまで憲法に触らないというのなら、実質的に憲法改訂反対ではないのか。今は憲法改正する時期ではないというのなら、私は石破氏は自民党幹事長にふさわしくないと思う。 http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2018081802000076.html 

憲法全体を改正するのは困難だが、差し当たり国家の体をなすように国防力を憲法に書き込むという、安倍現総理の方針を支持したい。文言が不完全だという意見もあり得る(補足4)が、ここで改憲の第一歩を踏み出すのが正しい日本の方向だと考える。それほど国際環境は緊迫した情況にあることは、今や明白ではないのか? https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43738227.html

また、石破氏は北朝鮮問題では、東京と平壌に公的な連絡事務所を設けると主張し、「拉致問題の全面解決がなければ、何も進展しないというものからは脱却しなければならない」と述べた。https://www.sankei.com/politics/news/180827/plt1808270038-n2.html

北朝鮮に事務所を置いて、一体何を解決するのか。核兵器保持を国家の誇りとする北朝鮮に対して、核の放棄を迫ることなど、現在の日本にはできない。そして、北朝鮮の核廃絶が進まない今の情況下で、何のための国交回復と経済協力金の支払いなのだ。日本が憲法を改正し、自前の国防軍を持ち、核兵器の米国との共有など核抑止力の体制を整えることで、それを可能にすべきであると思う。事務所開設は、それからのことである。石破氏の案では、自分から経済協力金を強請り取られる為に事務所を拓くようなものである。

補足:

1)この政治の歪んだ姿については先に批判した。「自民党が天皇を日本国元首としたい理由」:https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43735702.html その病根は、GHQにより社会党を育てる占領政策により持ち込まれた。先日紹介したTim Weiner“Legacy of Ashes The history of the CIA”にそれを示す記述がある。私の解釈:日本の政治にとってはあまり好ましくない共産(&社会)主義政党を野党として潜り込ませた。

2)ただし、無視できない類の問題である。従って、石破氏の「正直、公正」というスローガンが安倍総理の批判であるのなら、それは別の場面で出されていたのなら、正しい批判なのかもしれない。

3)米国は、累積赤字がこれ以上になるのなら、世界の覇権国から降りても良いと言い出している。その一方で、世界の半分は我々が受け持っても良いと中国が言っている。これが今尚、世界政治の構図である。現代の世界は、欧米の政治文化を基にして、自由、人権、民主、法治などを重要な骨組みとする体制にある。それが経済のグローバル化とそれに伴う政治的新勢力の台頭で、崩れだしている。その新勢力の代表が、中世的帝国になろうとしている中国である。これまでの政治秩序の崩壊にストップを掛けるのは、欧米特に米国である。その意味で、日米関係の深化は、日本が中世的帝国の衛星国にならないためには必須だと思う。また、西欧型政治文化の一翼を担う国家となるためには、独立国家としての体裁を整える必要があると思う。つまり、今が憲法改正の時だと思う。

4)最初安倍改憲案では駄目だと思っていた。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43265710.html ただ、情況は逼迫しており、第二項の廃止に対する抵抗が大きいのだから、実質上書きで済まそうとする安倍総理の方法が現実的で良いと思う。

2018年8月27日月曜日

白磁技術の西欧への伝達について

陶磁器シリーズの6回目である。今回は中国で始まった白色磁器製造の技術の西欧への伝搬をテーマにしたい。素人の覚書ですので、中途半端です。 白磁技術は中国で古くに始まり、特に宋代(13世紀まで)の景徳鎮で焼かれたものが有名だった。中国から朝鮮、そして16世紀には日本に伝わった。日本では、秀吉が朝鮮に出兵した際、朝鮮人や中国人の陶工(ウィキペディアの伊万里焼参照)を連れ帰ったのが始まりだという。(補足1)17世紀に入り、北九州有田に良い原料石が見つかったとのことで、日本初の白磁の製造が1616年に有田で始まる。https://www.asobo-saga.jp/search/detail.html?id=2

オランダの東インド会社が、伊万里港で磁器を買い入れてヨーロッパに運んだのは、1650年ごろの話である。上記のサイトではマイセンに技術が伝わったのは、伊万里焼経由であると書かれている。それを契機に、ヨーロッパで白磁の開発が始まる。ドイツのマイセンで成功するのは1710年であるが、独自の技術を秘密にした。それがドイツ第二の古窯ヘキスト(フランクフルト)に伝達され、製造が始まったのは1746年である。マイセンを逃亡した陶工が始めた。技術が漏れるのに、36年を要したことから、初期の厳格な技術管理が想像できる。

16世紀は大航海時代なので、その製品は東アジアから西洋各地に持ち込まれただろう。その後、オーストリアのアウガルテン(1718)、イタリア(1720)、フランス(1730)、そしてイギリス(1743)で白磁製造が始まる。夫々の国の現在のブランドでは、リチャード・ジノリ(伊1735)、セーブル(仏1756)、ロイヤル・ウースターやロイヤル・クラウン・ダービイ(英1751;1757)などが有名である。

その後、フランスではリモージュ地方、英国ではスタッフォードシャー(Staffordshire; スタッフォード州)で、多くの著名なメーカーが窯を拓く(補足2)。

下は、日本のイマリを模した、ロイヤルクラウンダービイのImariである。他のメーカーにもイマリを模したモデルがかなり存在することから、伊万里焼(つまり有田焼)が西欧磁器に与えた影響の大きさが伺い知れる。

白磁の窯は、1744年にロシアでも作られたというから、東や北への伝達も早い。しかし、著名なブランドは18世紀末になってから出来る。遅いのは、東や北では経済の発展が遅かったからだろう。市場がなければ技術は発達しないのである。現在のメーカーでは、北方デンマークではロイヤル・コペンハーゲン(1775)、東方チェコではHaas&Czjzek(1792)、またハンガリーではヘレンド(1826)が著名である。Haas&CzjzekとHerendの最近の製品の例を下に示す。

ドイツの南では、オーストリア(1718)やイタリア(最古はVeniceporcelain、1720)で早くから白磁製造が始まった。ただ、イタリアなどドイツから離れた国での白磁技術の再現は、東アジアからの製品や知識を元に独自になされたのかもしれない。

白磁の技術は西の方向にはかなり早期に伝達されたが、アジアから伝達されたにも拘わらず東方には伝達が遅かった。その事実は、ヨーロッパのドイツ、フランス、イギリスなどは非常に蜜な経済交流があったことを裏付けていると思う。

最後に示した写真は、デンマーク第二の古窯であるBing&Grendahlのカップ&ソーサー2点である。図中に1853と記したのは会社の創業年であり、これらのカップは極新しいものである。

補足:

1)ここでも拉致か亡命かで、論争が起きそうである。数百人が来日したといわれており、その全員が拉致とは考えられていない。
2)フランスのリモージュでは、アビランドなど多くのメーカーがリモージュを看板にしている。英国では、スタッフォード州の領域北部に位置するStoke-on-Trent市がロイヤル・ウースター、ウェッジウッド、スポード、ミントンなどが窯を拓いた場所であるが、Stoke-on-TrentやStaffordshireを看板にしていない。Stoke-on-Trent市は英国陶磁器産業の里である。

2018年8月25日土曜日

手の込んだ安倍総理の改憲案

中日新聞8月20日第12版の2面に、安倍総理の憲法9条の改正案についての議論が掲載されている。安倍総理の案は、現憲法9条の1,2項をそのまま残し、9条の2を追加する加憲案である。

9条の2の第一項:
前項の規定は我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置を取ることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。

9条の2の第二項:
自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

この加憲案は、2012年作られた自民党草案とは大きく異なる。

自民党草案では、現在の9条第二項を削除して、「9条第二項:前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」と変更する。更に、9条の2に国防軍を規定し、「9条の3:国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない」を加える。 http://satlaws.web.fc2.com/0140.html

国防軍の設置について、完全なのは自民党草案であるが、安倍総理とその周辺は、差し当たり公明党等の中間勢力の賛同を得る為に、上記独自案を提唱したのだろう。正確には、中間勢力を支持する有権者の賛同を得るためにと言い換えるべきである。

ここで、安倍内閣の案の9条の2は、論理的に現在の9条第二項と衝突する。それは論理矛盾であるという指摘はある。しかし法律論としては、そうではないようだ。つまり、現在の9条第二項の死文化である。中日新聞の記事では、ひとこと:「二項は死文化するとの指摘も」との記述があるだけである。

それを指摘した記事が機関紙連合通信社の23/5/2017にある。そこに東京慈恵会医科大学の小澤隆一教授(憲法学・「九条の会」事務局)の考えとして、『後法は前法に優る』として、現在の9条第2項の「戦力不保持」の規定は、9条の2ができた時点で、無効化するという考えを掲載している。

そこで引用しているのが、米国の憲法改正が修正条項で行われるということである。禁酒法の根拠は憲法の修正第18条だが、その廃止には「修正第18条は廃止する」という修正第21条を付け加えることで行われたという。明らかに論理矛盾する場合、それは上書きと同じであるということである。ただ、安倍改憲案では、9条第二項を廃止するとは書いてない。

自衛隊は戦力か?という論争がこれまで延々と続けられてきた。現在の自衛隊が憲法9条第二項に違反しないのなら、自衛隊は戦力ではない。一方安倍改憲案では、9条の2において自衛隊を自衛のための実力組織と規定している。つまり、9条の2の規定は、これまでの自衛隊をそのまま「自衛隊という名の国防軍」に改組するという内容を含んでいる。

手の込んだことをするものだとつくづく思う。安倍総理の近くに、そのような策略を用いる人がいるようだ。(編集あり:8月26日早朝)

2018年8月24日金曜日

芥川龍之介「藪の中」の真実

1)芥川龍之介の「藪の中」の真理については、以前からいろんな解釈がなされ、どれも反論の余地があり、真相はわからないことになっているようだ。(A) 最近「藪の中」の解釈について、諸説を紹介しながら、自身の考えを記した記事を見つけた。以下の集英社関連のサイトである。(B) 著者は植島啓司という人で、関西大教授をされていた方のようである。(C) 

実は私も、全く独自に藪の中の真実を考え、ブログ記事を書いた。今でもそれが唯一矛盾のない解釈だと思っている。以下に植島氏の記事を横に置きながら、自説の補強を兼ねて議論したいと思う。(D)

(A) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%AA%E3%81%AE%E4%B8%AD
(B) http://shinsho.shueisha.co.jp/column/aikake/080421/index.html
(C)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E5%B3%B6%E5%95%93%E5%8F%B8
(D) https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2017/10/blog-post_14.html
私のブログ記事での解釈の要点は以下の通りである。三人の証言の内二人の証言が一致する部分と、1人だけ語っている部分での「事実」は正しいとする。また、三人以外の人の証言も特に理由がない限りそのまま信じて良いとする。

私が考えた鍵となる仮説の一つは、「真砂を見た時から、多襄丸は出来るのならずっと自分の側に置きたいと強く思った」である。(補足1)真砂を暴行する前に、武弘を殺さなかったのは、抵抗がなければ二人の命は助かると思わせるため、そして、最終目標を意識したために自分を全く粗暴なる人間と思わせたくなかったからだと考える。

暴行した後、多襄丸は真砂を慰めて自分の妻にしようとする。(補足2)それを聞いて、真砂は「二人の男が生きたままでは、自分の恥を他人が知っていることになる。それは死ぬより辛い」という。その時、真砂は既に二人の男から逃げることを考えていたと思う。男勝りで聡明な真砂には、人生を目の前のつまらない二人の男のところで終わらせたくなかったのである。

遺跡の埋蔵物を安値で買い取って大儲けしようと考えた夫の武弘も身の程知らずだが、都の上流階級の美人を妻にしたいと思う多襄丸も、バカで身の程を知らぬ男である。しかし、多襄丸は真砂の言葉を聞いて、決闘して勝って真砂を手に入れようと盲目的に考える。武弘の縄をといて、決闘が始まったとき、真砂はサッと逃げる。多襄丸といえども決闘中は真砂を追いかけるわけにはいかない。真砂の提案の狙いは、そこにある。武弘を突き殺した多襄丸は(補足3)、真砂は人を呼びに行ったと思い、早々と追いかけ捕まえることを諦め、金目のものを奪って逃げた。 

真砂の言葉の真意を理解しない武弘は、真砂を心の底から憎む。そのように考えると全ての謎が解ける。それが先に引用した私のブログ記事の内容である。先ず簡単に上記マークした筋書きの根拠を、補足1−3として以下に書く。(最初は読み飛ばしてもらっても良いと思う。)

—————————————————補足(1−3)——————————
(補足1)武弘を縛り付けるという手間のかかる方法をとっている。これまでの多襄丸の暴行と同じパターンなら、斬り殺して藪の奥に遺棄するだろう。真砂をできるだけ刺激したくないという考えが最初からあったのである。検非違使に問われた放免も、女好きの多襄丸は、昨年も女と童を襲って殺したようだと証言している。多襄丸も、卑しい色欲だけなら、縋る女を蹴飛ばして逃げれば良いと証言している。
(補足2)この部分は、武宏の死靈のことばにある。それは、多襄丸の上記証言、そしてこの話の全体から間違いないと思う。
(補足3)武弘を殺したのは多襄丸である。武宏に刃物が突き刺さる瞬間、武宏の死靈は自分1人になったときと言い、真砂は自分と夫武弘が残されたときと言う。この二人の何方かの証言が正しいとすると、多襄丸は刃物が刺さった場所を知らない筈である。しかし、多襄丸はハッキリと胸を突き刺したと証言している。それ以外のこの場面の解釈は、後で触れるように不自然である。
——————————————————————————————————

2)兎も角、上記上島氏の書いたものを読みすすんだ。しかし、その内容は納得のいくものではなかった。例えば前編三節(主題と論争)の最後の部分にこのような記述がある。

ここで注意したいのは、多襄丸の「白状」、真砂の「懺悔」、武弘の死靈の「物語」を、それぞれ同じ平面で捉えることは出来ないということである。多襄丸の「白状」は、検非違使の前だが、真砂の「懺悔」は清水寺でのもので、いくら告白しても罪に問われることはないのである。さらに、武弘の死靈の「物語」となれば、それがどこで語られたにしろ、武弘自身によるものでも、死靈の手によるものでもなく、あくまでも巫女の口から出たものでしかないのである。

上記文章の最初の文で言いたいことはその通りだと思う。しかし植島氏は、武弘の言葉を語る巫女の言葉を、「死靈の手によるものでもなく、あくまで巫女の口から出たものでしか無い」と切り捨てている。これでは、登場人物などとの巫女との関係、巫女の宗教的立場などが説明されていない以上、小説から省いても何ら問題はないことになる。私は、これにはびっくりである。

小説を書いた人と読む人の間には、一定の約束が予め存在すると思う。非常に稀なケースでは、その約束を後で読者は知ることになる場合もある。つまり、よく読めばその約束が作者から明確な形で渡されているのである。典型例は、芥川著の地獄変である。そこでは、語り手が堀川の大殿の人格をまるで自分が従う主のように記述している。その語り手の歪んだ記述に気がつかなければ、地獄変は理解不能な作品となる。

この藪の中では、そのような約束はない。こまごまとしたことは一切なかったとするのが、この短編を読む際の約束だと思う。小説を読むときの約束について、素人ながら少し考えたので、最後のセクションに以下書くことにする。

兎に角、この小説では事件の当事者三人は、都合の悪いことは隠すか嘘を言っている。そして、もし武弘の霊が語る事ができたなら、多襄丸や真砂と同様に生前の武弘の立場にたって真実と嘘を混ぜて話すだろう。小説の作者は、その言葉を巫女の言葉として記述しているのである。それを認めないで、巫女も女であるという類の捉え方をするのなら、その必要性に説得力が無くてはならない。例えば、それが鍵となって、全ての謎が解けるというような場合である。

3)このセクションでは、最初のセクションで述べた私の解釈の概略に、付け足しをする。少し重複することになるが、それは許してもらいたい。

私の前回のブログ記事では、「真砂は武弘について満ち足りぬものを感じていた」と推測し、それを全体の話の筋を解く主なる鍵と考えた。(従なる鍵は既述の、「真砂を見た時から、多襄丸は出来るのならずっと自分の側に置きたいと強く思った」である) その情況証拠は、一つには真砂は生き残ったことである。当時の文化の詳細は知らないが、恐らく①「女の操は命を懸けて守るべきだ」という強い道徳的要請があった可能性が高い。②真砂は何故生き残る道を必死に探ったのか?これがこの小説の重要な部分だと思う。

私は、真砂は武弘の女房として十分幸せではなかったからだと解釈する。恐らく軽蔑すらしていただろう。その軽蔑の感情は、事件の中で修復不可能なまでに大きく膨らむ。その結果、19歳でこのまま死んではなるものかと、男勝り(母親の証言)の真砂は考えただろう。それは武弘の理解を遥かに超えて居たはずで、相互不信は憎しみになって証言にあらわれている。

武弘が、隠した古墳の埋蔵物を安く譲りたいという多襄丸の話に簡単に乗ってしまったことは、常日頃の夫への不満を一層深くしただろう。そして、自分は道脇で待ったのである。その結果が、盗人に騙されて木に括り付けられて、自分の女房を守れないでいる。その時、真砂は真に武弘を軽蔑しただろう。

①の道徳に囚われている武弘であれば、多襄丸に暴行されるままであり、ことが終わった後も多襄丸と話をする真砂を蔑みの目で見たことが容易に想像できる。元はと言えば、武弘が馬鹿げた儲け話を信じて泥棒の罠に嵌ったからではないのかと、真砂は思うだろう。それが、目の光として鋭く相手を射る様子は想像に難くない。

多襄丸の証言の内、妻を暴行するまではほぼ正しいだろう。何故なら、小説ではその部分について他の人物の証言が書かれていないからである。ただ、悪党の多襄丸が武弘を事前に殺さなかったのには、既に述べた様に最初から出来るだけ穏便に当初の目的を遂げ、その後真砂をそのまま連れ去ろうと考えたのだと思う。捕まった後の証言では、殺すことになった動機を真砂の言葉があったからだということで、死罪を免れようと考えただろう。

自分が殺したと言ったのは、最初から自分以外に殺す人間は居ないとだれもが思うことを承知していたので、そこで嘘をついても検非違使の心象を悪くするだけだと思ったからだろう。決闘場面を殊更大げさに、二十三合目に相手の胸を刺したと言っている。本当は4−5回太刀を交わした後、突き刺しているのだろう。

真砂は①の道徳があるにも関わらず、②何とか生き残りたいと可能性を探った。男にも劣らぬ勝ち気な女という実母の証言通り、短時間で冷静になり一計を案じる。「眼の前で戦って欲しい。勝った逞しい方とその後添い遂げたい」と多襄丸に持ちかける。真砂は、多襄丸は受けるに違いないと思ったのである。それは、多襄丸にも真砂にも、勝つ方は最初から分かっていたからである。戦いが始まったときに逃げるのが、真砂の策略である。多襄丸が見抜けなかったのは、都の貴族の女性を女房にするという自分には本来あり得ない話が目前に来たと思い込んだからである。

盗人の多襄丸が居ないと確信したのち、現場を確かめに行き、その時自分の小刀を拾った。心中をする筈だったというのは、それらを隠すための嘘の懺悔である。その時、夫は深手を負い、既に死んでいるように見えたが、実際はまだ意識があったようである。誰かが胸の刃物を抜き取ったというのは、自刃したという嘘を隠すためである。多襄丸に突き刺されたのなら、もともと刃物は胸には残らないからである。

武弘は、伝統的道徳である、①に従わず、こともあろうか決闘させて勝ち残った方に添い遂げるというとんでもないことを言う真砂を軽蔑し憎む。しかし、元は自分の不甲斐なさが原因であることも自覚している。そこで、蔑みの目で真砂を見た件については隠した。そして、憎しみに震える心は、真砂の「どちらか生き残った一人と添うという言葉(生き残るための真砂の策略)」を、「あの人(縛られた武弘)を殺してください」という言葉に換える。

武弘の死靈は、多襄丸が夫を裏切る提案をした真砂を蹴り倒して、武弘に「あの女をどうする?殺すか助けるか?」と聞いたと言う。それは果たせなかった妻への復讐心が作り上げた物語だろう。その後、真砂が一声叫んで逃げたが、多襄丸は捕まえそこねたと言う。しかし、同時に追いかけて捕まえる事ができないというのは多襄丸にしては不自然である。

この当たりの武弘の死靈のことばは、真砂への憎しみで満ちた気持ちによる嘘である。それは、真砂が暴行されても自害もしようとせず、更に決闘して生き残った方と添い遂げるという、夫の自分を見捨てる提案を多襄丸にしたからである。そして、その後どこかへ逃げてしまう。一手に悲惨な結末を押し付けられた不条理に耐えられなかったに違いない。

4)この小説は、男の幼稚さ、女の強かさを描いた作品だろう。武弘は、多襄丸から持ちかけられた大儲けの話に目がくらんだ。そして、自分たち夫婦を危機に陥れたのである。多襄丸は身の程も知らず、都の貴族の美人を自分の女房に出来ると考え、自分が数分前にしたことも思考の外に押しやり、真砂の策略に乗ってしまう。

一方真砂は、下らない男どもから逃れて、自分の人生を19の歳からやり直す気持ちが、心の何処かにあっただろう。清水寺で懺悔するのだが、そこで最後に「観世音菩薩もお見放しなすったのかもしれません」と言っている。上野はこの部分を議論した高田瑞穂の「藪の中論」(1976年)の中の言葉を取り上げている。

“何故「お見放しなすったに違いありません」と言わなかったのか。まさに夫が死んだのだからもはや自分は死ぬ必要が無いと言わんばかりではないのか。彼女のいきることへの執着を感得せざるをえないというのである。”

それを指摘しながら、高田は武弘の自殺説をとっているという。武弘は真砂に対して憎しみの気持ちでいっぱいの筈である。その溢れるような憎しみは、自殺を阻害することはあっても、自殺に導くことはない。憎しみは人に新たな生きる目標を与えるからである。(補足1)

私なら、その生きる執念はどこから来るのかということを、夫婦関係を含めて再考察の材料にする。植島氏の論文の後半部分{特に3)と4)}も、全く理解に苦しむ。

5)植島氏の文章で引用されている多くの方々の解釈は、オリジナルで読んで見たいと思う。ただ、引用された部分では、それぞれ重要なことを見過ごしていると思う。その一つ重要な点を指摘したい。それは、上に少し書いたように、小説にも暗黙の了解として、普通の読み方が在ると思うのである。それを無視して、不要な詮索をしても何にもならないと思うのである。

例えば、上野正彦という方の法医学の立場も取り入れた議論を紹介している。それは胸元を突き刺した場合、その刃物を直ぐに取り除けば、血が飛び散る筈であるという話から、多襄丸殺害説を否定している。しかし、胸を突き刺しても、動脈を切ったり、心室に穴を開けたりするとは限らない。それに、武弘も服を着ており、200ヘクトパスカルの圧力で血が飛び出てきても、服に遮蔽され野原の四方に飛び散らないのではないか。ちなみに、一般の水道水の圧力は数千ヘクトパスカルの圧力で送水されている。パスカルとはN(Newton)/m^2である。http://mizumawari.biz/blog/3rd-floor

また、法医学など専門知識を動員して解釈するべきだとすれは、作者芥川龍之介に法医学の知識も要求することになる。それを言い出すと、小説など書けなくなる。中心的でない部分は、作者の意図を汲み取るような読み方が望まれると思う。例えば、「藪の中」のなかで、地理の知識があれば揚げ足をとることも出来る。

旅法師の証言では、夫婦は当日山科を関山(逢坂の関)の方に向かって進んでいる。何故武弘と真砂は、都から若狭に向かう(真砂の母親の話)途中で、関山つまり逢坂の関に向かう必要があるのか?多襄丸が一緒だという話などない。その点を誰も議論していない。

京都から若狭に向かうには、通常は二つの道を通るだろう。所謂、鯖街道と呼ばれている道である。それらは逢坂の関とは無関係である。それをどう説明するのか?大津に出て、琵琶湖沿いに滋賀県高島町経由で若狭に至る道はあるが、それは大変な遠回りである。何か用事があったのか?しかし、そのような詮索をしないのが、小説の読み方だと思う。

最初に植島氏が取り上げた「藪の中」の考察は、その後の議論の火付け役となった中村光夫の分析である。その中では、中村光夫は「この作品の中の最も重要なテーマは、強制された性交によっても、女は相手の男にひきつけられることがあるのかということ」だと論じているという。別分野の小説と混同して議論しているのだろうか?

また、植島氏の後編3)で取り上げている芥川のメモや、生前三角関係にあったなどという話は、作家を論じる場合にはあり得るが、作品を論じるときには特別の事情がない限りあり得ないと思う。小説は、それ自体で閉じた世界を作る必要がある。その評価や議論で用いるのは、作者が言及しなかった時代背景などだけだろう。

植島氏の文章で「藪の中」についての議論として引用されたのは、以下の通りである。人と発行年などのみ記す。

中村光夫、(『「藪の中」から』、すばる、1970年6月);
福田恆存、(『「藪の中」について』、文学界、1970年10月):
大岡昇平、(『芥川龍之介を弁護する』、中央公論、1970年12月);
高田瑞穂、(『「藪の中」論』、芥川龍之介論考、1976年);
駒沢喜美、(『芥川龍之介「藪の中」』、1969年);
海老井英次、(『芥川龍之介論攷—自己覚醒から解体へ』、1988年)

補足:
1) セクション4の補足1: 溢れんばかりの憎しみは、人を強く生きようとさせる。それは真砂の生きる意思であり、同時に武弘から自殺する気持ちを奪いさるだろう。場違いだが、隣国が日本憎しを宣伝するのは、国民の団結と現体制の維持が目的である。国家に強い生命力をもたせるためである。また、山口県光市の母子殺害事件では、犯人憎しの感情がその夫を強くし、生きる勇気を与えたと思われる。非常に有能な方に憎しみを与えた犯人は、その時点で負けることになったのである。

2018/8/24

2018年8月22日水曜日

自民党が天皇を日本国元首としたい理由

1)自民党の憲法草案は、不合理な点が多い。例えば、第一章天皇の第一条には、「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」と書かれている。

元首とは「国民の首長。君主制では君主、共和国では大統領。国際法上、外部に対して国家を代表する。」(広辞苑、第二版)と定義される。従って、自民党草案の第一条で“天皇は、日本国の元首であり、”と、それに続く“日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく”は矛盾している。

英国に成文憲法が無い理由は、国王(エリザベス女王)と事実上国家元首である首相とについて、国家における役割を言語の定義を保ったまま憲法で記述することが不可能だからだろう。自民党の憲法草案では、それをやってのけたのである。

現在の日本国憲法第一条は、言語上問題はない。それを何故このような言葉遊びのような文章にしたいのか?それは、自民党独裁を天皇の権威を利用して、実現したいからである。つまり、大統領制や首相公選制に移行する機会を日本国から奪い、自民党総裁を日本国首相とし、実質的な元首としたいのである。

主権が日本国民にある政治形態は、英語のrepublicつまり共和国にあたる。Republic (語源res publica)とは一般の人々(国民)の国の意味だからである。現在、日本の政治は停滞している。このままであれば、大統領制或いは首相公選制にすべきという声が挙がる可能性がある。天皇を元首に持つと憲法に明文化すれば、その声をいざとなれば封じることが出来るのである。

9月には自民党総裁選が行われる。現在、安倍現総理の圧勝が予想されている。自民党総裁はほとんど自動的に首相に指名されるから、国の実質的元首を自民党員の上層部という閉鎖的なグループが選ぶことになる。このことを、我々は良く考えるべきである。この形態は、中国とほとんど同じである。中国でも、共産党の一部が共産党総書記を選び、それが全国人民代表大会(全人代;日本の国会にあたる)で国家元首に当たる国家主席となる。

世界史の廻り角にある現在、日本は危機的情況にある。その時、一部の自民党員のみが実権を持つ政治体制で良い筈がない。「内閣総理大臣を選ぶのは国会である」と建前を言う人が多い。それを認めても、国会議員選出の票には大きな格差が設定されている。それは、選挙権において田舎の何も考えない人たちの比重を増し、自民党独裁を守るためである。

2)以下は、余談である。

この国では人事を支配するのは人脈であり能力ではない。(補足1)その結果、未だに薩長政治が続いているのが実態である。そこから脱却しなければ、最終的に日本は崩壊するだろう。では一体、薩長のどのような人たちが実質的にこの国を牛耳っているのか? それについては、前の記事の余談(最後のセクション)で述べたとおりである。

日本国民一般が、この困難な情況を乗り越える為にとり得る一つの方法として、首相公選制が考えられる。それは、国民の政治への距離感を一挙に縮めることになるだろう。勿論、日本にとんでもない首相が出現する危険性が生じ、知識層に危機感が生じるだろう。それは知的階層の積極的な政治参加の切掛になる可能性がある。この停滞した政治からの脱却を図る方法は、差し当たりそれしかないだろう。

これまでのしがらみとか惰性からの脱却を図る方法を考えない限り、日本は今まで通り、米国CIAの企んだように自民党と野党の馴れ合いの国会を見ることになる。(補足2)官僚たちも、その殻の中の日常に慣れきっているのではないだろうか。以下に、カンフル剤注射的な改革案を羅列する。

首相公選制:これについては上に述べた。
道州制の採用:これは橋下徹氏の案のとおりである。国会議員の選挙区もこの道州大選挙区とする。
首都遷都:東京の風土から離れてリフレッシュした方が、頭も冴えるだろう。それに多様な人材が、官僚となるだろう。首都には、北海道や沖縄が良いかもしれない。沖縄を首都にした場合、国境警備の必要性を議員や官僚は身にしみて感じるだろう。

将来の人材を考えた場合、教育改革も大切である。その一つ大学改革(私案)では:
大学教官を教育に専念させる。大学の卒業資格は、大学の成績と全国共通の資格試験(区分は現在の学部よりも少なくする。)の合格者に与える。その内、希望者を成績順に一定数、国立大学院に入所させる。国立大学院をエリート養成機関とし、現在の名称をそのまま用いる。博士号取得まで、一定期間有給とする。私立大学院の設置は認可制とする。大学院には実績に応じて研究資金を給付する。

補足:

1)東アジアでの人脈重視の根源には、家族、大家族のつながりを唯一信用できる人間関係と考える文化がある。そこには公的空間(public space)という考えは根付いていない。人権、自由、平等などの近代社会の基礎は、公的空間の存在により担保される。しかし、東アジアにはそれがないのである。最近の例では、加計学園への便宜は、安倍総理と安倍氏の遠縁にあたる加計氏との人脈で解釈する人が多いと思う。裏を取っている訳ではないが、以下のサイトを引用しておきます。 https://www.sora-ten.com/kake-kishi-mago-gakureki/

2)Tim Weiner著「Legacy of Ashes The history of the CIA」には日本人が知るべき多くの情報が掲載されている。自民党と社会党右派の両方にCIAは金をだしていた。共産勢力の増加を警戒するためだろうが、それは馴れ合いの55年体制を定着させたと思う。

2018年8月20日月曜日

安倍総理が慰安婦問題をもつれさせた=安倍総理とは何者なのか?

1)8月16日ジュネーブで開催の国連人種差別撤廃委員会において、対日審査会合を開き(4年ぶり)旧日本軍の従軍慰安婦問題を討議した。その中で、2015年の日韓政府間合意では問題解決にならないとの見方を米国のマクドゥーガル委員(人権活動家https://en.wikipedia.org/wiki/Gay_McDougall)が示した。

マクドゥーガル委員は、「何故元慰安婦らの満足の行く形で日本政府が謝罪と保障が為されていないのか、理解できない」と指摘したという。また、ベルギーのボシュイ委員も「被害者目線を欠くとの指摘がある」とのべ、日韓合意を「最終的解決」とする日本政府の姿勢に疑問を投げかけた。(補足1)

これらに対して、最終日の17日の会合で大鷹正人日本政府代表が、「日本はお詫びと反省を表明するため、償いに取り組んできた」と反論、また「問題を次世代に引継がないことが重要だ」と述べた。人種差別撤廃委員会は、30日に日本への勧告を公表する予定だという。(補足2)(以上、中日新聞8月18日号朝刊12版3面の記事から要約)

2)慰安婦問題はこれまで何度も書いてきた。私の理解は、慰安所つまり売春施設の運営管理については官憲の関与はあったが、官憲及び、官憲から直接的な依頼に基づいての第三者による所謂”強制連行”はなかったというものである。慰安婦は、家族に裏切られ売却されたり、高給を目的に自らの意思で参加するなどの経緯で参加することになった人がほとんどである。(補足3)

一部日本軍の意思に反して、犯罪的に連行されたオランダ人などもいたが、関与した者は犯罪者として処罰されている。この件、時代背景などを抜きに考えれば、非常に悲惨である。従って、国家、この場合は韓国、或いは民間ボランティアが(村山内閣時代に発案のアジア女性基金が存在する)による、何らかの支援があることは望ましいことである。(補足4)

しかし、この件には戦争の中での悲劇という側面は存在するが、本来事件性はない。事件性の有無は、強制連行があったかどうかで判断されるのである。この幻の事件は、最初朝日新聞の吉田清治が自著を出版し、そこに「慰安婦狩り」を捏造して書いたのが始まりである。それを、政治利用するために韓国が騒ぎ始め、それを鎮めようと考えて発表された、河野談話や2015年の安倍総理と李恩恵韓国大統領の日韓合意が裏書きしてしまったのである。その背景には日本人の曖昧に事を収めてしまう、国際的に誤解を招く「和を重視する宗教」があると思う。ただそれは、彼ら(河野洋平と安倍晋三)があまり知的でない善意の日本人と仮定した場合の話である。(補足5)

この幻の慰安婦強制連行事件については、良識ある韓国人にも捏造を認める人も多い。中でも「帝国の慰安婦」を書いた朴裕河韓国・世宗大学校日本文学科教授の研究は説得力がある。朴教授によると思われるブログ記事は、私が同書を読んで信憑性が高いと判断したので、和訳しブログ記事として掲載した。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2017/07/blog-post_15.html

そこにはほとんど全ての真実が語られている。官憲による強制連行などなかったのである。時の日本軍も、朝鮮を植民地として差別し、そこの若い女性を強制連行して戦地に性奴隷として“運搬”するのなら、慰安婦などという名称:「軍への間接的応援を女性とその家族に依頼するという感覚で付けられた名称」など用いないだろう。欧米人マクドゥーガル委員やボシュイ委員には、このような繊細な言語感覚が無いだろうから、慰安婦という名称の意味は理解不能だろう。(補足6)
朴裕河さん以外にも、良識ある韓国系の人がボストンに居ることが最近報告されている。韓国での犯罪や違法行為を眺める立場にあった人(日韓併合条約後、朝鮮で検事の最高位にあった人)を父親に持つ人(88才で戦争末期には十分理解力があった)が、慰安婦問題の詳細について証言し、その中で「強制連行など聴いたことがない」と断言したという。それは上に掲載した米軍に捕虜になった元朝鮮出身日本兵の証言にもある通りだし、済州島で老女等から聞き取りした研究者もいる。詳細は、以下のサイトを見ていただきたい。https://www.sankei.com/west/news/180718/wst1807180005-n1.html

この問題については、これ以上は書きたくない。あまりにもバカバカしいからである。なお、日韓慰安婦合意についての批判は、次の記事を読んでほしい。「櫻井よしこ氏による、慰安婦問題合意(2015/12/28)は大きな外交的勝利だという愚かな評価」https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42609855.html

ただ、「一国の官房長官や首相が、果たしてそのような国際感覚が無いものなのか?」という反論があり得る。特に、慰安婦問題が十分認識された3年前の安倍政権のときに、どうしてあのような日韓合意がなされたのか全く理解に苦しむ人が多いだろう。それは、隣国の文化的影響下にある人達以外の共通した感覚である。

3)以下は余談的であり、読み飛ばして頂いても良い。

GHQが日本国を骨抜きにする計画を実行する際、何故自由党(当時)の議員達は協力的であったのか? 何故、自民党と旧社会党との協調的な政治怠慢が延々と続いたのか?それらの疑問と共に、最近、自民党議員の中にも半島出身者或いはその子孫が大勢居て、彼らが反日政策に裏から協力して居るのではないかと思う時がある。

そう思う切掛になったのが、石川久遠という人のブログに紹介されていた本、“Legacy of Ashes The History of the CIA”(2007)とそこから引用されたある事実である。この本は、NYタイムズで20年以上もCIAを取材してきたTim Weiner記者が、膨大な資料と関係者の証言を元に、CIAが決して公表してこなかった裏の歴史を描いた本だという。日本語にも翻訳されているようだ。(文春文庫)。http://the-soliloquy-of-ishikawa-quon.blog.jp/archives/1072114176.html

「日本人として注目しなければならないのは、安倍晋三の祖父である岸信介が児玉誉士夫と並んで、CIAが戦後の日本政府を意のままに操作する為に採用した最も有力な工作員であると明記している部分である。」そう上記ブログには書かれている。(近々確認をするので、もしこの点に間違があれば、このブログサイトに書く予定である。;8月20日午前、本が届いたので見たところ、Part II, P133からのセクションに明確に書かれている。そこには自民党や社会党にも資金を出していたという記述もある。)

何故、日本の政治を牛耳るひとたちのほとんどが、日本を裏切るような人たちばかりなのか?この疑問は、日本国には主に日本人が住み、統治していると考えると解けない。むしろ、現在政界やマスコミ界など、日本の中心には半島出身者が大勢居て、むしろ彼らが日本政治を支配していると考えると分かりやすい。どう考えても、この種の問題を議論するには幕末に戻る必要があるようだ。

明治維新は、最初倒幕というクーデターに始まり、その後近代的革命に発展したと考えている。強固だった武士階級を破壊することが、その「革命」には必須だった。その初期、幕府が実権を天皇家に渡した(大政奉還)後、孝明天皇は薩長側に反対して幕府の官僚組織を利用して政治外交を行うことを主張した。それらの障壁は、通常の感覚では超えられるものではない。

その障壁を乗り越えられたのは、一つには英米仏などから外圧と中国の体たらくについての知識、更に英国の指導(または干渉)などがあったこと、それに薩長下級武士という原点から物事を判断できる人が主導したからだと思う。最後の主導者の気質の違いは、話が進まない小御所会議における西郷隆盛の一言に現れている。(補足7)

その他、この乱世の様子は、孝明天皇をたまたま病床に伏された機会に暗殺し、長州田布施村の大男を明治天皇として身代わり即位させ、革命軍の旗頭にしたという話(噂?)などから伺い知れる。(田布施システム参照;補足8)この秘史には、急いで江戸へ遷都したことや孝明天皇の御陵が作られなかったことなどが状況証拠として存在する。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43461422.html

これらの大きな歴史のうねりと、和を大切にする気の小さい日本人とその文化は、どうも不釣り合いである。

その後、その極めて聡明な明治維新の元勲達が、10年程度経過した時点で当時意のままに操れる天皇から、軍の統帥権などを何故内閣に取り戻すことを怠ったのか非常に不思議である。それが半世紀後、日本国を破滅に導く関東軍の暴走や、太平洋戦争の敗戦の伏線になった可能性があるからである。

この一連のことは、朝鮮人たちの被差別部落村だった田布施が未だに日本を支配しているのが原因だという風に説明されると、反論出来るのだろうか。この陰謀論は、正史からは程遠い。

しかし、何故日本のマスコミのほとんどを半島系が支配するのか、何故未だに在日朝鮮半島人達が大勢日本に住むのか、何故それら外国人が生活保護を受ける権利などの日本国民しか持ちえない筈の特権を持っているのか?それらの疑問が、明治維新以降の歴史に朝鮮半島出身の日本人や子孫(つまり田布施の出身者)が深く関与しており、現在の日本もその影響下にあるという考えを用いると多くが氷解するのである。

薩長土肥という外様大名の支配していた藩が、明治維新を成し遂げて旧来の日本勢力を支配層から追い払った。そして、戦後も吉田茂、岸信介、佐藤栄作などの同じ4藩の出身者が、対米従属路線で、日本を自分たちの勢力下に置くことに成功した。その中心が長州出身者であり、朝鮮半島出身者の田布施システムが日本を支配するという陰謀論が真実を綴った日本外史ではないかと疑いたくなる。何故、近代史を日本の学校で避けてきたのか?その疑問も氷解する。

また、安倍総理の外国人の受け入れ法案、憲法9条の1,2項をそのままにして、自衛隊を明記するという人間の使う言葉そのものを破壊するような憲法改正案、それにあの日韓慰安婦合意、それは全て日本破壊工作なのかと言われれば、頭を抱えてしまう。日韓慰安婦合意をオバマ大統領の日本脅しの結果だと思っていた。しかし、そうではなくオバマの要望を簡単に受け入れる形での安倍総理の決断だとしたら、我々の安倍総理に対する理解は180度変えなければならない。

そう言えば、この世界史の曲がり角という重要な一年間、国会を占拠したのは安倍総理のスキャンダル:加計&森友学園疑惑であった。日本は何か大きな力で、国会の空転など配慮せず、この問題を疑惑の中心に触れないで抑え込んだ感じである。その加計学園に、朝鮮人留学生枠がつくられているという話がある。一体、これをどう解釈するのか? https://blog.goo.ne.jp/j4goocast/e/39f4c8c8c1415c063d9368e250461d08

補足:

1)両委員は慰安婦問題を全く知らないで議論しているのか、韓国のロビー活動で利益のある方に加担して、このような発言をしたのか分からない。多分、専門家なら後者の方だろう。ただ、「日本政府が”広義の強制制”なる訳の分からない言葉を使って何やら言っているが、強制連行を認めている以上、被害者の利益を重視するのは当然である」は、正論である。

2)日本側委員は、河野談話や安倍総理の日韓合意が在る以上、「強制連行など無かったので、あの合意案は日本の大幅譲歩である」とは言えない。そのような発言を委員がするには、政府が新たに河野談話を否定する発言をしなければならない。それは、日本側も韓国同様、安易に事実を無視して動く国との悪評を覚悟しなければならない。結論として、慰安問題全体は、日本政府に居る獅子身中の虫の仕業である可能性がたかい。

3)その当時の時代背景を考えて、物事は判断すべきである。当時の半島は非常に貧しく、人身売買はそれほど珍しくなかったという証言がある。日本でも女性は小学校を出たとき、口減らし(食料節約)のために奉公に出るのが普通であった。

4)外交問題としては、日韓基本条約において決着している。韓国は経済協力金を受け取っており、その他の賠償要求は一切放棄している。しかし、問題を複雑にしたのは村山内閣時代のアジア女性基金(政府出資金を含む)である。ここで、日本政府は日本側の法的(外交上)責任を認めている様に見える。兎に角、何もかも滅茶苦茶であり、日本の政府はアホか日本破壊工作員で構成されているように見える。

5)17条憲法のはじめにある「和を以て貴しとなす」を宗教のように信じる日本文化を、国際問題に持ち込むのは無知の為せる技である。和のためには言葉も曲げて用いるのである。「広義の強制制」などという曖昧な言葉を外交において使用する河野洋平は、政治家失格である。しかし、それは善意の解釈かもしれない。そもそも、彼らは日本国民や日本に悪意を以てそのような合意をしたのかもしれない。

6)慰安婦は、戦闘に参加する兵士を慰安するための女性を意味する。女性が応募する際に、その女性や家族の心理的抵抗を少しでも和らげるため、そしてそれが「聖戦」を戦う兵士のエネルギーになるのだという意味をもたせて作った言葉だろう。

7)「短刀一本あれば片が付く」とドスの効いた薩摩弁で言ったのだろう。つまり、会議に参加している岩倉具視に、大物諸侯であっても反対者は切れと、諸侯に聞こえるように言ったという。出席者は有栖川親王、岩倉具視、松平春嶽、山内容堂、島津忠義、尾張徳川など大物諸侯であった。その他、江戸での薩摩藩士、京都での長州藩士などのテロ行為は、まともな神経では出来ることではない。

8)田布施システムの出発点に、豊臣秀吉が朝鮮半島から連れ帰った陶工などの朝鮮人達が存在するという説が有力らしい。人の寿命60年の4-5倍だけ過去に遡った出来事の影響は、被差別村なら十分残りうる。http://rapt-neo.com/?p=16811

2018年8月16日木曜日

先の大戦から学ぶべきもの:しかし日本は何も学んでいない

昨日は平成最後の終戦記念日であった。先の大戦(戦闘)が終わって70年(講和条約から67年あまり)経つ。多大の被害と犠牲者を出したが、そこから我々の国日本は十分学んでいるだろうか。そのことについて少し書く。

1)「8月15日の終戦記念日とは何があった日なのか」について、評論家佐藤健志氏のラジオ放送「おはよう寺ちゃん活動中8月15日」で解説している。https://www.youtube.com/watch?v=N1l3sHcL8Qc そこで佐藤氏は、1945年8月15日は実は先の大戦が終わった日ではないと指摘する。

つまり、戦争が正式に終わった日、つまりサンフランシスコ講和条約が署名されたのは、1952年4月8日であり、発効した日が同年4月28日である。また、戦闘の終わりが確定した日がミズーリ号上で降伏文書に署名した1945年9月2日、また、降伏の意思を連合国に伝えたのは、1945年8月14日であった。

8月15日は天皇がポツダム宣言受諾した旨を国民に通知した日であり、国際的には対日本戦勝の日としている国は殆ど無い。連合国では、女王の居る英国のみである。因みに、韓国や北朝鮮は光復節として、8月15日を独立回復の日としているが、それらの国々は日本の対戦国ではない。

佐藤氏は、あの戦争から得るべき最大の教訓は、「国際戦略を考える場合、自国の都合や価値感を考慮に入れるだけではいけない。相手方の考え方も知る(相手側の視点に立つ)ことが、戦争などのときに勝利を得るには必須であると理解すること(内容の要約)」と話す。そして、「天皇陛下の終戦の勅で戦争が終わったという印象を、国民に与えることに最後までこだわるようでは、あの戦争から教訓を得ることは無理だろう」というのである。つまり、歴史の歯車を回す資格や能力は、日本政府にも天皇にもなかったのであり、何らかの教訓を得るとしてもそれを受け入れることが前提となるのである。

勿論、当時国体護持(天皇制を守ること)にこだわり、一億玉砕や本土決戦などを唱えた人たちがかなり居たことを考えると、10年間位は終戦記念日を戦争が終わった日とすることも良かったかもしれない。しかし一定期間後に、それを戦争全体の考察を通して、最も相応しい日に変更する柔軟性が日本にないのが、日本の最大の欠点だろう。ましてや、戦争全体のレビューなど国家の視野の端にも無いとしたら、何をか言わんやである。

2)一昨日書いたブログにおいて、先の戦争を大東亜戦争と呼ぶことに拘る人たちが作った番組:「【討論】もし大東亜戦争の開戦が無かったら?」[チャネル桜H30/8/11]で展開された戦争に関する評価を批判した。中でも、出席者の小堀桂一郎(東大名誉教授)、髙山正之(元産経新聞)、田中英道(東北大名誉教授)らは、「実は、大東亜戦争に負けていないのだ」という主張を展開した。https://www.youtube.com/watch?v=mZ0_wOxSUyY

その根拠は、大東亜共栄圏構想で描いたように、戦後続々と東南アジア諸国は欧米の植民地という立場から脱却することに成功したことである。勿論、それは事実であるが、日本が世界に誇るべきことではないし、世界の正史に日本の業績として殊更強調されることでもない。

また、そこで引用されたマレーシアのマハティール首相の「もし日本なかりせば」という言葉は、彼の支配するマレーシアは、日本の友邦であることの証明であるが、それは第三国との外交の基本を決定する要素ではない。http://www.carlos.sakura.ne.jp/essay-j/mahathir-jp.html(補足1)

昨夜、NHKでノモンハン事件に関する放送があった。その放送で指摘されたように、関東軍のソ連軍に関する甘い把握と暴走、そして参謀本部にそれを止める能力がなかったことが、大敗の原因である。同様のことが、半島一利著の「ノモンハンの夏」にも書かれている。(補足2)

参謀本部から関東軍に人を派遣しても、互いの情報から一つのより高度な作戦に止揚するという意思など双方に無い。そのような思考回路そのものが、日本文化にはないのだろう。その日本文化の欠点は、別の表現を用いれば、思考の過程で抵抗なく他人の視点に立つということが出来ないことである。上記佐藤健志氏が指摘したことである。

これらを比較すれば分かるように、現在の日本も当時の日本とほとんど変わっていない。つまり、日本はほとんど昭和の戦争から何も学んでいない。自国の都合と価値観に拘る言論界の重鎮達の姿は、客観的視点に欠けた関東軍の参謀などの姿と重なる。(補足3)

3)この日本文化の弱点は、換言すれば、“日本人は、自分の言葉は自分自身であるという感覚を持っている”ということだと思う。(補足4)それは、所謂“言霊文化”を一つの角度から見た記述である。その結果、日本人は自分の意見に最後まで拘るか、完全に撤回して沈黙するかのどちらかしか知らないのである。

日本人が数人集まったとしても同様である。一つの意見にまとまるとしても、それは数人の誰かの意見であり、議論による考え方の成長など生じない場合がほとんどである。日本に“討論”があったとしても、それは個の意見を集め精査し止揚して、真理へ向け集団で努力するのではなく、言葉で勝ち負けを競う論争でしかない。従って、討論番組と言いながら、番組が成立するように同じような意見の持ち主を集めて開く場合が多い。

日本文化における自己とは何か? おもて(表面)に現れる像(その一つが自分の言葉である)以外に自分が存在しない。言葉や外見、そして、学歴や職歴以外に、確固とした自分(内なる自分)が存在しないのである。従って、他人の視点で自分を見ると、自分が常々意識している醜い姿や弱い姿が映る可能性が高い。その像を対象としてみる余裕がないので、直ちにその像を抹殺し、その(他人の)視点を放棄するのである。それは陸軍大学校軍刀組の辻少佐(補足3参照)も同様ではないのか?

自分が自立した生命体なら、自分の命と生活を第一に考える。他人にどの様に写ろうと、たとえ殺人鬼と写ろうとも、その第一にゆらぎがないのが本来の生命体である。その自己(自分)のままであれば、他人の非難や中傷も、単なる一つの自分に対する表現であるとして、冷静に受け止める事が可能である。そして、他人の言葉は、その言葉の主とは区別して考えることも出来る。それが言葉をコミュニケーションの道具として用いる条件である。

敢えて繰り返す。自立した個が形成する社会においては、自分の主張(言葉)は自分自身ではない。言葉はコミュニケーションの道具であり、魂を持つ訳ではない。従って、議論の結果、目の前の他人の言葉を取り入れて自分の言葉とすることも可能である。日本の言霊文化の下では、自己主張の言葉を発したのち、他人の言葉を受け入れることは、自己消滅となってしまう。(補足5)

国際社会は個の自立を前提とした「野生の原理」で動いている。昨日有用だと引用した記事“日本の国益を無視した白色人種への憎しみ/髙山正之の限界”の中で、筆者は以下のように書いている。 http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68310281.html 

日本人にとって大切なのは、日本の国益であって、アジア諸国の利益ではない。極端な言い方をすれば、日本人にとって有利なら、帝国主義者の西歐白人と提携し、アジア人を踏みつけたって構わない。血も涙もない仕打ちだが、国際政治は冷酷非情の原理で動いているのだ。(補足6)

その思想の下でしか、リアリズムは存在しない。真の保守主義も存在しないと思う。日本がどのようなことをしたかという世界史の上での評価が大事なのではない。日本が存続し繁栄することが大事なのである。アイヴァン・モリスというアイルランド出身の人が書いた「高貴なる敗北—日本史の悲劇の英雄たち」という本が上記チャネル桜の討論番組の中で話題に上がっていた。高貴なる敗北とか、高貴なる死滅などは、suicide bomber を賛美する言葉であり、ある意味非常にふざけた題名である。

しかし、その番組では高く評価していた。異論は何も出ない。最後に、あのような本は日本人が書くべきだったという始末。救いがたい。

補足:

1)非常に参考になる文章が、以下のサイトに書かれている。http://www.carlos.sakura.ne.jp/essay-j/mahathir-jp.html 英語の諺:繁栄は友人を作り、逆境は友人を試す。(Prosperity makes friends, adversity tries them.)を引用して、日本の友人マハティールを紹介している。そして、彼の東アジア経済協議体構想を事も無げに無視した、日本の政治(外務大臣、河野洋平)のレベルの低さを、戦後政治の問題の核心として指摘している。

2)戦後、ソ連の損害は日本の損害以上であるというデータが明らかになった。しかし、戦争は白旗を揚げた方が負けである。時間が経った今、「実はノモンハンでは日本は負けていなかった」という話をする人まで現れている。これも上記三人の大東亜戦争に関する間違った評価の図式と良く似ている。

3)半島一利著「ノモンハンの夏」第二章。「満ソ国境紛争処理要項」を起案推敲した辻政信参謀(陸軍大学校の軍刀組)は、事件の「前後を通じて、当時の関東軍の司令部程上下一体、水入らずの人的関係はかつて無かった」と言ったという。秀才にも、頭は切れるが総合的視点に欠ける人間も大勢いるだろう。グループの内部で議論があれば、その感覚の異常さを見つけることができる。個人評価をしないのが日本病の重要な特徴であるが、それは機能的組織の中でさえ議論がないことが原因だろう。その辻政信は幾つもの失敗の責任をとるでもなく、戦後は国会議員になった。その後、自分から国際紛争に惹かれて飛び込んだようである。魚住昭「日本陸軍の腐ったリンゴ~悪魔のエリート参謀・辻政信はいかにして軍を懐柔したのか」(ウィキペディアの記事も参考になる)。 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/46896

4)言葉と人格が一致するのは、キリスト教の神のみである。(新約聖書、ヨハネによる福音書の冒頭)

5)イジメへの加担など日本独特の多くの現象が、このモデルで説明可能となる。日本においては、ある社会に実力者が現れたときに、独裁に向かう可能性が高い。イジメも独裁も同じ現象である。

6)念の為補足する。マハティールもアジアの為に日本が犠牲になることを要求していない。彼のLook East政策は、東アジアの中で生き残りのチャンスを探るのが、日本にとって大きな利益をもたらすというサジェスチョンだろう。https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/malaysia/toho.html

2018年8月14日火曜日

【討論】もし大東亜戦争の開戦が無かったら?[桜H30/8/11]の感想

8月11日配信されたチャネル桜の上記表題の討論番組は、先の大戦である太平洋戦争について、そのプロセスや原因について議論したものである。出席者は、小堀桂一郎(東大名誉教授)、高山正之(元産経新聞)、田中英道(東北大名誉教授)、宮崎正弘(作家、評論家) 西岡力(救う会)、上島嘉郎(元正論編集長)、林千勝(戦史研究家)、岩田温(大和大講師)であった。 https://www.youtube.com/watch?v=mZ0_wOxSUyY

1)この番組では、先ず一時間目に出席者が表題に関連した自分の意見をまとめて述べる。その後、一時間目の残りの時間から議論が始まった。最初の意見提供の場面で、年長者3名が、「日本は大東亜戦争に負けては居ない。実質的には勝ったのだ」という意見を披露したことに驚いた。以下この点について私の考えを書く。

大東亜戦争という名は、大日本帝国政府が国民を、この戦争には大義があるのだと説得し、動員するための呼称である。その名称は、「西欧白人の支配下にある東アジア諸国を日本の支配下におさめることで、それら諸国を植民地支配から開放し、その中で日本の国益と国家の安定を実現するのだ」という主張を表現している。その主張からは、国家存亡の危機を乗り切るための戦争という感じを受けない。従って、まともな国であったなら、多くの選択肢があった筈である。例えば、米国に満州利権を分けるという戦略等である。

江戸末期から、日本は不平等条約を西欧諸国に押し付けられたが、薩長下級武士を中心とした人たちのクーデターとその後の国家体制の改革により、それらの国々が作った国際環境を生き抜くことが可能な近代国家に成長した。その際、重要な役割をしたのが、対ロシアという点で利害の一致する英国との日英同盟であった。

国体護持という観点なら、当然最も近くで満州など当時の日本の覇権域を狙うソ連を仮想敵国と意識するのが本来のあり方だろう。しかし日本軍は逆の方向に進んだ。この辺に関して以下のサイトが参考にな ったので、引用する。 http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68310281.html

その後、日本も帝国主義的性格を強くして、防衛線を引いてその内部で権益を守るという発想はなく、南進か北進かの議論のみになったように思う。大東亜共栄圏というのも、現在中国が提唱している一帯一路と同じく侵略的視点のもとに作られたと思う。しかし、この討論会で議論する人達は、若い岩田氏以外は、侵略という言葉を使うことに強い抵抗を感じているようであった。

先の大戦に日本は敗戦したが、植民地支配されていたインドシナでは地域の民が団結して国家を成し、支配国のオランダやフランスをおいだすことへの道を開いた。それは、西欧白人中心の世界史の曲がり角に位置するが、それを日本の手柄のように誇るのは筋違いだろう。あの戦争が起こした上記世界史上の効果は、副作用的なものである。(補足1)

それを、「日本は大東亜戦争に実際は勝ったのだ、何故ならその後次々とアジア諸国は西欧諸国の白人達の軛から開放されたからだ」というのは、負け惜しみというべきだろう。

2)3時間目の最後のまとめのところで、上島氏が言った言葉に反論しておきたい。上島氏が正論の編集長時代に「あの戦争を誇りに思って何が悪いのか?」という座談会を行ったのだが、その記事に対する読者の反応に驚いたという。その反応とは、「負けた戦争を何故誇りに思うのか、正論の編集長は気が狂ったのか」というものであった。

その反応に対して、上島氏は「戦争の勝ち負けは道徳の優劣ではない。敗れた戦争でも我々には誇りに思うことがあるのだという考えが、日本から消えている。我々人間にも命を懸けて成し遂げないといけないことがあるのだという考えがある。国家も同様であり、その思想と価値を継承して、現在の日本がある。」と主張している。(補足2)

読者の反応についてはその座談会の記事の内容を読まなければ詳細は分からないが、名誉ある敗北(補足3)を否定している訳ではないと思う。つまり、戦後約50年を経て、今更あの戦争を誇りに思って良いところを殊更強調するために、座談会を開く意図が分からないということだろう。本当にやるべきは、戦争の総合的評価であり、敗戦したのだからそこでは誇ることよりも反省することの方が多い筈である。また、その後の日本建設に役立つのは、その反省の方だろう。読者の批判の論点はそこにあったと想像する。

それに引き続いてこの討論会では、この上島氏の意見に賛同する声が続いた。これが日本病の正体である。何をどう議論するかとか、その議論がどうまとまるかよりも、この議論や考え、そして雰囲気の短時間での一点収斂が日本の病気である。そのように感じた。

3)最後に、この動画に書き込んだコメントを再録する。

コメント1:
最後の小堀さんの意見について; 情報戦に負けたとおっしゃるが、情報の前に意思がある。その意思が変わらなければ、遅かれ早かれ同じ結果になる。例えば、北海道をアイヌ州にするという中国の意思は明確である。それを破壊するのは、情報戦ではない。意思そのものの破壊である。

学ぶべき言葉は:「歴史は物語であり、事実の集積ではない」(岡田英弘著作)。韓国問題:事実は違うと言っても、それが韓国の得になる限り、問題は解決しない。韓国対策は、その種の捏造は損になるような仕組みを日本が創ることです。それは違うと何回言っても、意味はありません。

コメント2:
2時間45分まで:皆さんの話は要するに、米国には中国を育てて、日本をつぶすという明確な意思があったということになると思います。その意思は米国世論ではないという話もパールバーバー前の米国世論を考えれば明らかでしょう。

それでも、米国はユダヤ資本による疑似的独裁国家だったというところに踏み込まないのは何故でしょうか?それから、民主主義とは米国がその国の世論を乗っ取り、その国を支配するための道具であるという明らかな事実を避けている。兎に角、足らないものを埋めることを議論しているが、何か新しい道具を作り出すことしか、日本を救うことはできないのではないのか。

何かを明らかにしても、それを使えなければ何の役にもたたない。東京裁判史観など既にひっくり返っているという見方もある。しかし、それが具体的な政治的力になるのか、ならないだろう。

補足:

1)インドネシア、ベトナム、フィリピン、ビルマの4カ国には、二国間の賠償協定を結び、賠償金を支払っている。もし、日本がそれらの国の独立を視野に戦ったのなら、そんな要求など出てくる筈はない。従って、彼らの考えは間違っている。因みに、毛沢東は日中国交樹立に際して、我々はむしろ日本に感謝していると言い、賠償要求をしていない。 http://news.livedoor.com/article/detail/12555533/

2)「人間にとって命は大事であるが、その生命を懸けても成し遂げなければならないことがある」という考えを国家に当てはめるのは間違いだと考える。何故なら、道徳や善悪という概念は人間が形成する社会内部に適用される概念であるが、それは本来野生の原理が支配する国際問題には適用されない。つまり、国家を善や悪で裁くことは出来ない。たとえ話を安易に外挿するのは、インチキレトリックである。

3)アイヴァン・モリスというアイルランド出身の人が書いた「高貴なる敗北—日本史の悲劇の英雄たち」という本が話題に上がっていた。是非読みたい本である。日本人としての誇りは、外に向かって主張するのではなく、内に秘めて持ちたいものである。

2018年8月11日土曜日

米国対中国の冷戦の行方と日本の取るべき戦略

以下は国際政治や経済に全くの素人が、自分の考えをまとめる意味で書いた記事です。そのつもりで読んでほしい。批判的な方は是非コメントをお願いします。

1)中国と米国は新しいタイプの冷戦に入った。米国の大きな貿易赤字と貧富の差の拡大により、経済的に厳しい状況に追い込まれた白人ブルーカラーの声が、政界に届いてトランプ大統領の誕生となったが、その時、(動機は兎も角)その方向は決まったと思う。大統領になったトランプは、その庶民の声を、かなり直線的な形で米国の主張として、世界各国に投げかけている。最初は移民問題をやり玉に揚げて、メキシコなど隣国に、そして最近は貿易赤字問題として、中国、ヨーロッパ、日本など同盟国もやり玉に揚げられている。

そんな中、習近平中国の大胆な将来計画とその内外へのアナウンスメントが、まるで地震の本震のように、今になって米国議会を揺るがせた。トランプの方針と合体するように、米国の対中国政策の全体が姿を現した。その真の目的は、一帯一路と「2025 made in china」にストップをかけることのように見える。ただ、トランプ大統領の視野の中心にあるのは、中国の覇権国家への道の封鎖なのか、貿易赤字解消と米国第一主義という孤立主義なのか、未だ明確ではない。

米国が、日本やヨーロッパという同盟国も対象にして、例えば自動車の輸入関税を25%にするなどの政策を実行すれば、米国の政策がピンぼけとなり、中国との新冷戦の比重が減少し、早い時期に頓挫する可能性が出てくる。

米国は、中国に対する厳しい姿勢に、ルールと公正の問題であるという逃げ道を用意するため、同盟国にも一定の範囲でこのような政策を取る可能性があるが、それは世界経済の混乱を大規模にする可能性が高い。その重大な影響を避けるために、上記中国たたきも何もかも、それを理由に中途半端な形で中止になる可能性も残されている。それは、北朝鮮の核問題に対する米国の姿勢と同じパターンである。(補足1)

6月下旬、トランプ大統領は一時中国の通信機器大手で、世界シェアトップのZTEと和解合意をまとめた。さっさと目先の利益を得ようとしたことは、トランプの対中国戦略として単に貿易赤字解消や米国ブルカラーへの仕事の確保が中心であるのかもしれないと思う理由である。 上院はその和解案見直しを要請した結果、現在、米国は概ね中国からの輸入品全てに関税をかけることになった。トランプ大統領は変わり身の早い人であり、議会の方の考えに沿うようになったのだろう。https://www.youtube.com/watch?v=jVW1DPGn6wM

米国議会は、先月末に国防権限法案を上下院が調整の末一本化し、中国の通信大手のZTEとファーウエイの利用を米国政府機関が用いること禁止し、海外資本の対米投資の監視を厳格化するなどを決定した。「2025 made in china」にブレーキをかけるためである。新冷戦が米国議会の方針として本格化したことになる。

2)最近、一帯一路とAIIB、2025 Made In Chinaなど、世界の覇権を狙った戦略をあからさまにする習近平主席に対する風当たりが中国国内でも強くなっているようだ。(c.f.墨汁革命)おそらくその進路に異論はないのだが、本来こっそりとやるべきところを大号令とともにやったものだから、米国に早々と対決姿勢を取らせてしまったのを批判されているのである。

習近平は、北戴河会議を無事乗り切ったものの、今後どうなるか注目される。ただ、米国は習近平追い落としが目的ではなく、中国の覇権狙いを潰すのが目的なので、それを知っている中国共産党組織は、習近平を今後サポートする可能性もある。つまり、独裁に歯止めをかけたところで内輪もめは止まる可能性が高いかもしれない。(補足2)米国も、世界経済の大混乱を避けなければならないので、それほど大きな争いにならない可能性がある。

下記動画は、経済評論家の渡辺哲也氏のこの件に対するコメントである。ここで渡辺氏は、米国自由法と国際緊急経済宣言法という二つの法律で、中国が保有する米国債を無効化する事ができると言っている。https://www.youtube.com/watch?v=A8Uj2z4jS3A しかし、私はそのようなことには絶対ならないと思う。それが、本当に発動された場合は、ただちに米国は金融破綻し、ドルは紙くずとなるだろう。(補足3)その結果、世界の政界経済もなにもかも大混乱となる。核兵器と同様、これらも国家存亡の危機に際する非常ボタンであり、あまり早く押すボタンではないからである。

何れ米国は強硬策を軟化させるのではないかと思う。それは、世界経済が傾きかけた時に明らかになると思う。それに、中国経済が何れ世界一の規模になるのは何をやっても変わらない。今回の米国の反応は、激しいアレルギーであり、戦略的にも未だ練られていない。米国にその戦略を練る能力がない可能性もある。その疑いは、トランプが大統領に成ったことで濃くなっている。

日本の評論家には、「グローバリズムからナショナリズムへの回帰」といって、トランプを持ち上げる人は多い。代表的なのは、馬渕睦夫氏である。しかし、その回帰は時計の針を逆に回すことであり、うまくいく訳がない。中国を、外から環境を作ることで民主化させるとしたら、もっと別の高度な戦略が必要だろう。勿論、そのために圧力をかけているのだろうが、破裂したときに米国経済も世界経済も吹っ飛ぶとしたら、その圧力は安全弁が作動して中途半端に終わるだろう。

習近平体制崩壊から、共産党一党支配体制の崩壊が、ベルリンの壁崩壊からソ連崩壊に至ったときのように、ある小さな出来事を切掛にした自然現象のように起これば非常にラッキーだが、そうはいかないだろう。ヨーロッパと中国では歴史も文化も何もかも異なる。中国には帝国が相応しいのであり、その国が欧米の経済環境で肥大したのである。中国が変わるのは、中国内部からである。

3) この件で、習近平が北戴河会議などで早々に失脚することなど無いという予測をしたのは、自民党参議院議員の山本一太氏である。https://www.youtube.com/watch?v=j0wvBLczKbM 

山本議員は、世界を4つのグループに分けて考えている。一つは米国、自由主義の騎手でありながら米国第一主義の方向に揺れている。二つ目は、権威主義国家というくくりで、中国、ロシア、北朝鮮、イランなどを揚げている。この両者で新冷戦が始まっていると解説する。山本議員の日本の取るべき方針として述べたことについて少し考えてみる。

山本議員の分析で、三番目のグループが日本、ヨーロッパ諸国、豪州などの自由主義国、4番目がイスラムやアフリカなど中立国である。最後のグループはどちらが有利になるか風向きを見ていると云う。この新冷戦は、イデオロギー対決ではないので、互いの政治経済システムの有効性を、知恵を使って競うというタイプのものであり、その分、静かに深く進行するという。ここまでの解釈は全く正しいと思う。

そのような分類のあと、日本は、平和主義を表に出し、国際貢献を行うことで、自由主義の立場を貫き、地道に存在感を確保するというような主張している。全体的に聞き取りにくい録音なのだが、更にこの部分の内容は分かりにくい。新冷戦において、資金を使って国際協力をし、平和主義を貫くのは、如何にも効率が悪い。私は全くこの主張が理解できない。

私は、その4つのグループ分けを、遺伝子による分類のように定めてしまっているのは間違いだと思う。日本国は、トランプの大統領府だけでなく、米国議会などと広く連携を深めることで、米国を自由主義の考えで行動できる国のリーダーとしての道にもどすべきである。つまり、4つのグループを何とか3つにすべく努力すべきである。更に、山本議員の云う権威主義国家群を切り崩し、先ずロシアを自由主義圏に組み込む様に誘導すべきである。

習近平の方針には無理がある。つまり、中世的独裁政治の下で、経済だけ自由主義を採用することは無理である。現在の新冷戦は、その無理が中国において顕在化したのが、主原因の一つである。習近平独裁体制と一帯一路などの方針、更にその高らかな宣言は、その中国経済の陰りを乗り越える方針として出されたものである。しかし、それは本来中国が取るべき方向からは益々遠ざかることになる。(補足4)中国経済が自由主義経済体制の中でこのように大きくなってから、このような事になったのは、世界歴史の悲劇だろう。

その世界地図を色濃く塗り分けして、真正面から対決する姿勢では、何れ失敗する可能性が高い。せめて少しづつ自由主義経済圏の方に色を塗り替えていく”姑息”な方法を取るべきである。

計画経済はうまく動かないことは毛沢東の時代に十分学んでいる筈である。一帯一路の方針も良く出来ているようで、やはり一人の人間の知恵に過ぎない。現在、中国がその方針で投資した多くの国で不満が湧き上がっている。中国のための一帯一路に過ぎないという足元が露呈したのである。

繰り返しになるが、ロシアを権威主義国家という形で、中国と連携を強める様に仕向けるのは愚策である。ロシアは一応、大統領制を取っている国である。しかも、地政学的に中国とは潜在的に争いの種が存在する。トランプ大統領の考えのように、自由主義陣営の中に軟着陸できるように誘導すべきだろう。それが、中国を時間はかかるかもしれないが、民主化の方向に動く動機となると思う。その際、特にロシアに関して日本は重要な役割を果たせる可能性が高い。

山本議員のいう中立国への国際貢献を大きくすることは、ブラックホールに金を吸い込ませることになるだろうと想像する。

補足:

1)北朝鮮の核問題は有耶無耶になっていないと主張する人もいる。しかし、中国との対立は北朝鮮と中国の間を緊密にし、その問題の単独解決などあり得ない状況になっている。

2)日本のネットでは、習近平失脚間近という解説が多い。北戴河会議で、習近平が主席から降ろされる可能性を示唆した人もいる。「ハエも虎も叩く」として、多くの政敵を葬り去ったので、その恨みは共産党の中に深く存在するのは確かだろう。しかし、憲法改正をして、終身国家主席の皇帝のような地位を手に入れた人である。また、北戴河会議の直前に悠々とアフリカ訪問をしている。そんなに簡単には失脚しないだろう。

3)米国債の暴落が起こり、それは連銀の破綻につながると思う。

4)中国国内の経済がおかしくなったから、外国に経済進出してそれを解消しようというのは、そもそも厚かましいのである。

2018年8月7日火曜日

原爆で殺された人は犠牲者なのか?:日本の言語ヒステリーについて

以下に書いたのは昨日の記事の延長で、日本の言語文化についての議論である。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43723387.html 

1)昨日朝NHKで原爆忌の実況放送が始まった時、NHKのアナウンサーが原爆による死亡者数を紹介した。そのとき、死亡者数と言わないで“犠牲者数”という言葉を用いた。原爆で殺された人を何故犠牲者と呼ぶのだろうと疑問というか不快感を持った。

それは、“米国憎し”の感情を持ったからではない。(補足1)アナウンサーは単に死亡者の意味で使ったのだろうが、その言葉の使い方が老年の私には違和感があったのである。広島で殺された人たちは何かの「犠牲」になった訳ではないからである。

犠牲とは神に捧げる生贄のことである。 “犠牲者”を単に事件や事故による死亡者に言及する時に用いるのは、30年前なら明らかな間違いである。その証拠に、犠牲者という言葉は広辞苑(第二版)の項目にない。(補足2)

現在では、goo辞書https://dictionary.goo.ne.jp/jn/などで「犠牲者」の項を見ると、事件や事故の死亡者の意味と掲載されている。そのような急激な言葉の変化は、日本ではよくあることであるが、特有の現象である。それは言語の進化というよりも、混乱と言ったほうが正しいと思う。 そのテレビ放送のとき私が持った感情は、「広島の人たちはいったい何のための犠牲になったのか」という疑問とそんな言葉使いをするNHKに対する不快感である。(補足3)広島原爆での死亡者を犠牲者と言い換えるのは、その死を“無駄死”として扱うことに抵抗感があったのかもしれない。

しかし、神か何かの犠牲となったのでなければ、そのような言葉は使うべきではない。死亡者という言語に過敏な日本人は、犠牲者ということである種の重苦しさから開放されるのだろう。亡くなった人たち一人ひとりの命は、等しく大切な命であっただろう。そしてその人たちの辿った運命を、単に死亡という冷淡な言葉で言及する自分に、耐え難い気持ちになるのだろう。

しかし、その言い換えは事実の隠蔽につながる。悲惨な場面であればあるほど目を見開いて見るべきであり、その意思で事実と対峙することこそ、その死亡者への礼儀だろう。そこで言語の言い換えに逃げるのは、幻の言霊に怯む弱い日本人の姿である。それは信仰というより、人間としての弱さとそれが招いた言葉アレルギーやヒステリーだろう。

2)日本人の言霊信仰論を唱える人は、悲惨なことをそのまま語ると口にした言葉が現実となると感じる(信じる)からであると分析する。日本人は、言葉には霊的な力があると信じているようである。その言語文化は、言葉の使用を困難にし、人々を沈黙に導く。NHKこそ、その旧弊を打ち破らなければならない筈である。

言葉に対する過剰反応は至る場面に存在する。例えば、結婚式の挨拶では「切れる」「別れる」「死ぬ」などの言葉は避けるべきであると、教えられた経験を持つ人は多いだろう。(補足4)受験生の居る家庭では、落ちるとか滑るとか云う言葉を避ける。本当に下らない文化である。

日本人の言葉は、霊により湿っている。人に対する、細やかな心使い、おもてなしの心など、その霊に湿った言葉と一体となって人の社会の空気を作る。その空気の下で、国民の独立心は抑え込まれ、相互に優しさフェロモンを放出する義務を感じる。

そこには新奇性を尊ぶ雰囲気や、独立して自己主張する生命力、創業の精神などは育たないだろう。それが現在日本を覆う暗雲の一つの原因だと思う。普通、生命はエゴイズムに体を付けたような存在である。個々のエゴイズムを調整するのが言葉を用いた会話や議論である。会話と議論があれば、そして人の立場に立つという視点を持てれば、原点としてのエゴイストは自然ではないか。(補足5)

私は、先ず小中学校の国語教育を改革すべきだと思っている。古い文学などを教える教育は控えて、議論と論理を重視する教育にすべきである。それが独立した人格をもった人間を育てるだろう。そして、個人の自立を前提とする本来の民主国家に、日本が成長できる可能性が出てくる。

井沢元彦氏の著書に「言霊、何故日本に本当の自由がないのか」がある。その本の巻末に大前研一氏が「言霊の弊害を知らずして、日本の再生はあり得ない」と題する短い解説文を寄せている。その最後に、「日本人は言霊故に、人前で多くを語らない民族になってしまった。」と書いている。

3)言霊ヒステリーの生じる背景:

日本の言霊信仰、つまり、言語的集団ヒステリー文化が何故生じたのか?以下に一つの仮説を述べる。

日本は自然災害が多い国である。地震に台風がその典型であり、日照りや冷害など異常気象も昔から多かっただろう。日本の民にとって、命の危険は外敵ではなく、自然からもたらされるのである。その予測出来ない自然に対して、武器をとって戦うわけにはいかない。ただ自然を司る神に祈りを捧げるだけである。それが古来の神道の姿である。(補足6)

神を信じる動機は別に存在するのだが(補足7)、自然災害を神の意思と考えて、神に通じる祈りの言葉と儀式を考え続けただろう。そしてその祈りの言葉にも拘わらず、自然災害に見舞われた場合、その言葉に神が怒りを覚えたと考えるのは不思議ではない。

その神へ祈りを捧げる風習の中で発生したのが言霊だろう。日本の”言霊信仰”と呼ばれる現象は、自然災害に会わぬように祈りの言葉を神々に捧げる風習の中で、その言葉選びに神経をすり減らした結果の言語ヒステリー現象だと思う。

「今回の台風の犠牲者は数十人に登った」という言葉を聞く時、上記の原爆の犠牲者という言葉を聞いた時ほどの違和感を感じないのは、我々は神道の信者だからである。被害者を犠牲者と言い換えることで、神の怒りを鎮める効果を感じているからだろう。しかし、その言葉の使用法はなるべく避けるようにすべきである。科学技術文明を駆使して、死者が出るのを防ごうという意思の発生にマイナスとなるからである。

一方、外敵が命の危険の第一の原因なら、外敵の動きとその理由、防御の方法と体制を論理的に考える事が可能である。そこには言霊の入る余地はないのである。

補足:

1)米国の一部勢力が憎いとしても、その中心に居るのは原爆投下を命令したトルーマンではない。戦争を始めたルーズベルトを頂点とした勢力だろう。その裾野は広く、ヤルタ会談に出席した人々も入るだろう。更に、近代日本を無謀な軍事国家にした無能な戦前の日本政府も入るだろう。

2)広辞苑の第二版には犠牲者という項目はない。単に犠牲になった者の意味であり、“犠牲”と“者”の和(加算の意味)に過ぎないからである。野球における犠牲打は犠牲の解説の後ろにサブ項目として存在する。
人が犠牲になった例としては、神の怒りが過ぎ越すように命を捧げた(と信じられている)、イエス・キリストがある。その血と肉により、信者は神の怒り(不埒な人間どもに対する)から生き残るのだろう。

3)原爆投下により日本の降伏は早まった。その結果、北海道へのロシア侵攻ができなくなった。広島と長崎での虐殺人数と同程度の人命が、助かった可能性がある。従って、身代わりになったということはできるが、しかしそれでも犠牲者とは言えない。

4)言葉に乗せる付加的なものを霊と一言で片付けることも可能だろう。ここはその“霊の構造”を議論したのである。この言葉と霊の複合体が一般の言葉である。僧が仏壇や墓石の前で上げる経は、中心となるべき言語の概念が抜けた霊のみの言葉だろう。日本では、南無阿弥陀仏の南無の意味すら知らない仏教徒がほとんどだろう。

5)宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」にある。その生き方を、学校教育では素晴らしいと称賛する。しかし、何故理由も無いのに、人にやさしく自分の欲望を抑える人生を素晴らしいと礼賛するのか? 私は、その日本文化が鏡の自画像を見るように嫌いである。それを歌ったのが、井上陽水の「わかんない」という歌である。

6)伊勢神宮を中心とした伊勢神道は、天皇家が神道を利用して権威の中心に育てたものであり、オリジナルな神道とは全くことなる。

7)神を考える動機、或いは宗教が存在する理由は、人が神などの助けなしに死を乗り越えられないからである。
尚、先の大戦では、おそらく米国を牛耳るユダヤ資本の考えを重視できずに、国家の存亡をかける戦いに負けてしまった。それは、明治の元勲たちが国家の運営から身を引いたことが切掛だろう。天皇を現人神にして、国民の間の言語ヒステリーを逆手にとって、国難に臨み一時は成功した。明治の元勲たちは自分たちの仕組んだ国家の弱点を知っていた筈である。天皇を利用するとい万能の剣の使い方が、分からなくなったのだろう。

2018年8月6日月曜日

原爆忌記念式典における欺瞞的挨拶や報道について

今日は73回目の原爆忌である。今朝のNHK総合テレビで記念式典の実況放送が始まった時、その最初に「原爆の犠牲者(補足1)となった人たち」というアナウンサーの言葉を聞いた。その後直ちにテレビのスイッチを切った。欺瞞の式典など見る気がしないからである。

時事通信配信のニュースでは、安倍総理の挨拶の内容に触れて、「核兵器の無い世界を主導すると言いながら、核兵器禁止条約に触れなかった」と批判的に報道した。安倍総理の挨拶に対して批判をするのなら、その根拠を具体的且つ論理的に説明すべきである。説明などできまい。

安倍総理に対して反平和主義的烙印を押すことが、本意か不本意かは分からないが、前者なら時事通信社も反日的であり、後者なら無知である。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180806-00000018-jij-pol

また、広島市長の挨拶は「核兵器廃絶を目指すため、核兵器による悲惨な被害を人類の記憶とするため」という内容だったと思う。遠い国の話に対するような内容であり、市長に「殺されたのはどこの国のどの都市の民なのですか?」という質問をしたいという気持ちになった。

何という情けない国だろう、この日本という国は。日本国の行政が本来目指すべきは、日本国民の安全と繁栄である。他国民の(世界人類)の平和と安全や核兵器の廃絶を目指すのは、それ(日本国民の安全と繁栄)に抵触しないことを前提としての話である。そんな単純な論理さえ、理解できていないのだろうか?

広島での虐殺を犠牲と言い換える無知蒙昧(補足2)さ、広島での虐殺を忘れないための式典において、世界平和や核兵器廃絶を他国事(他人事)のように挨拶で訴える無神経さ、それに何の疑問も感じないで聞き流す国民の鈍感さ、その全てに呆れる。

日本国及び広島市のトップなら、以下のような内容の挨拶をすべきである。「世界平和に陰りが生じている現在、自国の平和と安全をどう確保すべきか考える時、この広島での虐殺とそこへ至った歴史から学ぶべきである。日本国民の一人一人が具体的に、その方法や戦略を考えてほしい。」

日本国民の利益を考える報道機関なら、虐殺を犠牲と言い換えるようなふざけたことは止めろと言いたい。日本国が言霊文化圏だとしても、せめて報道機関は言霊に支配されない言葉使いをすべきである。

追加:8月6日午後11時過ぎ
1)「戦争での犠牲者」という表現の場合、それが正しい日本語であるためには、天皇(或いは日本国の神や人類の神)という絶対者に命を捧げたと見なされる場合でなければならない。従って、単なる身代わり(補足2に記述のケース)の場合には、犠牲者と呼ぶのは無理かもしれない。
2)補足1に広辞苑の第二版に、犠牲者という項目は無いと書いた。しかし、野球における犠牲打(通常犠打という略称を用いる)という項目は、犠牲という項目のサブ項目として存在する。その略称が犠打であるとも書かれている。広辞苑第二版におけるこれらの言葉の取扱を勉強すべきである。(漢字を覚えてクイズに強くなることにエネルギーを注ぐ無駄も指摘しておきたい。)

補足:
1)犠牲者とは本来、犠牲となった者の意味である。広島の人たちはいったい何のための犠牲になったのか?それを一切言わないで、何が犠牲者だ。自然災害で死亡した人を死亡者と呼ばないで犠牲者と呼ぶのは、自然を司る神の怒りを買う(神は殺し屋ではないので)可能性があるからである。この言葉上のごまかしは数多くあり、その原因は日本に根強く残る言霊信仰である。尚、広辞苑第二版には犠牲者という項目はない。
2)広島と長崎の原爆投下により、日本の降伏宣言はロシアの予測よりも相当早くなっただろう。その結果、日本はドイツのような南北分断の悲劇に会わないこととなった。更に、米国支配層はその惨劇を見て、日本に多少とも同情的になり、日本の復興とその後の日米友好の礎となった可能性もある。その様な意味で犠牲者という言葉を使うのなら、そのような経緯が正しい理解なのかどうかについて日本国民とともに徹底的に解明すべきである。しかし、仮にそうだとしても、広島、長崎、東京、名古屋、大阪などでの大虐殺の被害者を、その理由の解説抜きに犠牲者と呼ぶべきではない。

2018年8月3日金曜日

今年の夏の暑さと気圧配置

<気象学の素人だが、今年の暑さの原因を少し考えたので、ブログ記事とする。以下は全くオリジナルな内容であり、第三者の批判を経ていない。しかも中途半端な議論に終わる。その点は承知置きの上、お読みください。>

この国では、二酸化炭素の空気中濃度の増加を主原因とする地球温暖化説を信じる人が多い。今年のような暑さは異常であり、頭に血が登った世論がこの酷暑の原因を空中二酸化炭素の増加に押し付ける考えで固まる可能性があるので、一言コメントを書くことにした。

勿論、この暑さの原因が何らかの形で二酸化炭素濃度増加と関係がある可能性も否定はしない。しかし、もしあったとしても間接的関係であり、直接的なものではない。大気温度が徐々に上昇しているのは事実だが、それは100年間に2度足らずであり、この20年間の上昇は誤差の範囲内であるが、あったとしても1度以下である。

この異常な酷暑は、簡単に言えば、フェーン現象と同じ効果である。それを以下解説する。
上に示したのは、今日(2018年8月2日)の日本周辺の気圧配置である。日本は周囲に比べて気圧の尾根に当たり、晴天である。図中に赤丸(H)で示したのは、例年の太平洋高気圧の位置である。次の図の例年の気圧配置と比較すれば分かるように、盛夏8月にも拘わらずこの気圧配置は異常である。

下の図では、等圧線間隔が倍である点に注意して、上の気圧図と比較してもらいたい。例年の図では日本は高気圧の端の方に位置することに注目してほしい。http://www.tenki.jp/dic/word/%E5%A4%8F%E5%9E%8B%E3%81%AE%E6%B0%97%E5%9C%A7%E9%85%8D%E7%BD%AE/
  例年の気圧配置では、高気圧で上空から降下した空気が日本に向かう途中で海をわたりかなり冷却されるだろう。それでも暑いのだが、最高気温が32-3度近辺であり、今年よりは涼しい。この大気の対流と空気温度の関係を図示したのが次の図である。
高気圧は、下降気流を意味し、低気圧は上昇気流を意味する。そして、空気が下降すると言うことは、空気が圧縮されることを意味する。この圧縮される段階で、空気は加熱されるのである。これを理科の方で、断熱圧縮と呼ぶ。この効果は、ピストンを使って空気を圧縮するときに力が必要であり、その空気を圧縮するエネルギーが熱に変わると考えれば良い。(必ず補足として書いた次のセクションを読んでください)

この下降気流の空気は、既に低気圧の領域近くで雨をふらせており、乾燥している。そこで太平洋上を本土に向かう途中で、蒸発させた空気を含み少し冷やされている。例年なら、その幾分冷やされた空気が日本にやってくるのである。上の図で例年の日本の位置をオレンジ色で示している。

一方今年の日本は、上図で赤文字で示したように、高気圧領域にある。モンゴル地方で加熱され上昇した空気が、そのまま日本上空にきて下降気流となったのなら、異常な暑さは当然だと思うのである。

2)以上の説明には補足が必要である。高気圧の真下が周りと比べて暑いというのではない。通常、下降気流ができるのはそこが周囲と比較して低温だからである。対流は元々低温の領域を温め、高温の領域を冷ますように生じる。ここでの説明は、その元々の温度差の原因のほとんどはそのまま存在すると仮定した上での議論である。

ほとんどというのは、高気圧の位置などが例年と異なるという、空気対流の異常を引き起こす原因を除いてという意味である。つまり空気対流が例年に比べて異なるというのは、単に日本が例年より数度暑いという現象を一段階原因の方向に遡って表現したに過ぎないのである。

通常高気圧が、小笠原に位置するのは、そこが同緯度の周りと比較して低温になっているからだろう。従って、この位置に高気圧ができない原因は、その位置の海水温が高すぎるのではないかと思う。そう考えて、最初の図をよく見ると、高気圧であるという表示はないが、北海道から北東方向に1000km位離れた位置に高気圧が存在するようである。

つまり、親潮による冷たい海水が小笠原周辺まで南下してこないというのが、もう一段階原因の方向に存在する現象だろう。その先に考えられるのは、北極海の海水温などの議論だろうが、残念ながらその様な知識も情報もない。更に遡れば、全体的な地球温暖化が存在する可能性もある。

以上、中途半端ではあるが、ここで終わる。