注目の投稿

人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2020年9月30日水曜日

中華思想を国際秩序に優先する中国共産党政権

1)中国と西欧の学問と伝統:

 

中国文化の基礎をなす学問は観念論的であり、西欧の合理主義とは大きく異なる。孔孟の思想は、人間社会の基礎を築く知恵を含むが、朱子学など後世の儒学は、自然界や人間界の成り立ちを観念論的に追求している。朱子学の理気二元論では、理は全宇宙を支配する法則であり、気はそれを構成する具体的な要素である。この天の理(天理)として、中華帝国が存在すると考えるのが中華思想である。

 

漢の武帝が司馬遷に書かせた史記は、天命によって皇帝となった漢王朝の正統性を示すための歴史書である。天を最高神とし、皇帝をその命によって地上を支配する神と考えることの要請を、被支配民にはどのように映ったかは分からない。しかし、1000年以上経って、中華思想が出来、それが被支配民を含めた知性の中に固定化したのが朱子学だとすれば、天の理に反する人物が皇帝に座れば、その帝国が滅びるのは当然であるとして、漢の武帝の正統性も易姓革命も自然に理解される。(追補1)

 

つまり、漢民族にあっては、中華思想が皇帝よりも普遍的であることを意味する。何千年も蛮族との戦いの中で、支配された時間の方が支配した時間より長い中国人にとって、中華思想は今や民族のアイデンティティではないだろうか。それは、日本にとっての伊勢神道と天皇のようなもの、或いはそれ以上だろう。

 

中華思想は、自国だけでは完結しない。周囲の蛮夷の族の直接或いは間接の支配が不可欠であるところが、国民の安寧を祈る日本の天皇とは異なる。自分たちにはあまり興味のない土地の国は、朝貢国とし、利用価値の高い土地の国は、直接支配して蛮夷の族として成敗し、土地を取り上げることになるだろう。(補足1)

 

また、高度な観念論的学問は、互いに相容れない学派を為す。そして、それは議論を通して成長するということはない。朱子学と陽明学は、永久に統合されない。つまり、中国の学問とは、宗教と科学が未分離の状態にある。(補足2)従って、議論を通して成長することなないし、より真理に近づく動機も目処もない。成長のない学問では、秀才ほど疲弊し思考力を失う。日本独自の文系学問も同様である。

 

一方、西欧の学問には学派はあっても永続的ではない。真実は一つだからである。世界は、完全に記述可能であると仮定されるが、その本質を一人の思考だけでは決定しない。西欧の学問体系は参加者全てに開かれており、多くの参加者の提案と検証により、徐々に定着し、成長する。 参加者の考えを同じプラットフォームに載せるために、言葉は必ず定義とともに用いられるなど、論理には特に注意を払う。

 

自然界の理解に於いても、無限に近い人数の研究者が、自然に対して実験という手段で教えを請い、大きなジグソーパズルをつなぎ合わせる形で発展した。そのピースそのものも連続的に精緻化される。科学的議論の場では、権威ある人と学生の区別はない。学問の境界も、その分野の権威も、議論に影響する形では存在しない。文系理系という分類もない。(補足3)

 

2)現在の中華思想

 

中華思想は、自国が地上の頂点だという思想である。他国の利益を侵害してまで、自国の利益を追求することは、現代の国際社会の考え方では通常は受け入れられない。現在の中共政府は、中華思想を共産党の世界革命の考え方で強化して、国際的合意を受け入れない。

 

理解を容易にするため、個人の場合を考える。個人が、自分が最も大事だと考えるのは当然である。しかし、その主張が、同じ国内に居る他人の権利を侵す場合には、その権利の主張は抑えなければならない。それを強制するのは、国家権力である。国家権力の及ばない領域では、問題は複雑になる。(補足4)

 

主権国家体制が受け入れられている現代の国際社会でも、国連の常任理事国が関与するケースでは、国家間の紛争を解決する権威も権力も存在しない。従って、外に主張する中華思想として具体化された一帯一路構想や、その手始めに国際条約を無視してなされた南シナ海の岩礁の軍事基地化は、東南アジア諸国等への侵略行為であり、国際社会への挑戦である。西欧文化として成立した国際秩序を破壊する戦争である。

 

西欧文化としての国際秩序を無視するのは、中国のアイデンティティと言うべき中華思想に由来すると思う。それを明確に示す中国高官による発言が幾つも存在する。

 

何度も紹介したのは、国家元首格を有した朱徳元帥の外孫である朱成虎(国防大学の防務学院院長)による、核戦争こそ人口問題を解決するもっとも有効で速い方法であるという発言である。そのターゲットとして考えているのは、どうやら日本やインドのようである。(ウイキペディア参照)

 

もっと、直接的な中華思想を主張する発言もある。それは現在の副主席の王岐山が、2015年に中国を訪問したフランク・フクヤマとの会談で語った言葉である。フクヤマの質問から紹介する。http://heiwagaikou-kenkyusho.jp/china/734 

https://www.zakzak.co.jp/smp/society/foreign/news/20161205/frn1612051530004-s2.htm 

 

フクヤマ: 「法律の精神源は宗教にある。宗派間の衝突から一定の相互監督作用が生まれ、最後に神が真理を判定する唯一の基準となり、統治する力となった。だから法律(神)の前で人は平等である。法の支配、司法の政府からの独立はこのようにして実現された。」 (補足5)

 

そして王岐山に対して、中国で法の支配、司法の独立を実現できるかと尋ねた。

 

王岐山:「それは不可能である。司法は絶対に党の指導下になければならない。これは中国の特色である。憲法は人が書いたものに過ぎない。憲法は神聖でなければならないが、神ではない。公衆の法である。中国の皇帝は神であり、天子と呼ばれた。日本には天皇があり、英国には女王があり、ともに立憲君主であるが神ではない。」と答えた。

 

(編集:本文最初の部分を修正 10/1/5:00) 

 

補足:

 

1)李氏朝鮮の悲惨な状況の一因は、朱子学を受け入れ仏教を排した事だと言われる。支配層の両班以外は、文字の使用などは禁じられ、弱く且つ無学の存在であるべきとして抑圧された。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2017/09/blog-post_27.html

 

2)性善説の孟子と性悪説の荀子もぶつかったままである。善と悪は、社会の安定と機能保持のための概念である。野生動物に善も悪もないのと同様、生まれながらにして、というなら善も悪もない。

 

3)学問とは哲学であり、哲学に境界は無い。哲学者デカルトは数学者でもあったし、多くの箴言をパンセに残したパスカルは、圧力の単位パスカル(気圧では百パスカル=ヘクトパスカル)に名を残す科学者でもある。博士号はPh.D(doctor of philosophy)と書き、日本語で哲学博士である。

 

4)難破船から救命ボートで脱出した3人が、弱った1人を犠牲にして食べ生還した事件があった。結局刑法では裁くことが出来ず当時の国家元首ビクトリア女王の特赦により禁錮刑とされた。https://ja.wikipedia.org/wiki/ミニョネット号事件

 

5)法治が定着する土壌として、一神教があるということである。日本も法治国家とは言えないのは、加計問題などで明らかである。伊藤詩織さんを強姦した山口敬之を、司法を私物化して助けた安倍前首相の悪行は後世に語り継がれるだろう。

https://news.livedoor.com/article/detail/13187244/

 

追補

1)この部分はざっと現在の私の理解を示したもので、深くはない。荒川紘という方(同じく理系の方のようだ)による、世界の「天」に関するより深い解説は、(荒川紘 天の思想史)で検索して見つけてください。


2020年9月28日月曜日

井上陽水の「ワカンナイ」と宮澤賢治の「アメニモマケズ」

1)モチーフ:

 

陽水は日本の産んだ世界トップクラスのシンガー・ソングライターである。サイモンとガーファンクルなど多くの世界的アーティストと同レベル(日本ではそれ以上)の評価がされるべきだと思う。(補足1)以前、「傘がない」と「氷の世界」の歌詞について分析してみた。今回は陽水の歌詞の全体に見える「原点思考」について、考えてみる。(補足2)

 

この視点から最初に取り上げたいのは、「ワカンナイ」である。陽水に「君の言葉は誰にもワカンナイ」と歌われた対象は、宮沢賢治の遺作「雨ニモマケズ」である。今は知らないが、昔は義務教育の中で必ず教育されていたので、多くの日本人はこの詩を覚えているだろう。

 

以上は、最初に浮かんだモチーフである。しかし、ネットで調べ、色々と考えて行くと、途中で計画変更せざるを得なくなった。この部分をそのまま残すのは、以下の文章を含めて、全体としてわかりやすいと思うからである。

 

2) 宮沢賢治の「雨ニモマケズ」について

 

一般には、「雨ニモマケズ」は不完全な形で引用され、議論されている。この詩は宮沢賢治が病床にあっても携帯していた手帳にメモ書きしたもので、発表することを前提に書かれたものとは断定できない、死後発見された作品(遺作)である。この発見に至るまでの情況も、この詩を鑑賞する上で欠かせない。

 

井上陽水が「ワカンナイ」のは当たり前である。60年ほど前に、私もこの詩を学校の国語の授業で習ったのだが、陽水同様に全く理解できなかった。その理由が今漸く解った。上記モチーフを抱きつつ、パソコンに向って

調べ、初めてわかったのである。

 

一般に引用されるこの詩の言語的な内容は、簡単である。つまり、「元気な体を持ち、自分の暮らしは質素で良いから、弱い人、困った人を助け、地域や社会の為に役立ち、目立たない人生を送りたい」という意味の詩である。

 

ただ、この詩を青空文庫でみると、最後に南無無辺行菩薩 南無上行菩薩 南無多宝如来 南無妙法蓮華経 南無釈迦牟尼仏 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 が付け加わっている。しかも南無妙法蓮華経だけ大きく書かれているという。この事実は非常に重要である。つまり、この詩はこれらを含めて鑑賞しないと解らない。不完全な形で提供された詩が理解可能な筈がない。

 

つまり、仏教を信じていた宮澤賢治が、その実践として、清楚な人生を送り徳を積みたいという気持ちを詩にしたのである。その祈りの文章の前半がこの詩であり、それに続いて七行のお経が後半というか本体として存在するのである。この詩の記事や感想文などは多いが、宮澤賢治はこの詩を発表していないこと(発表する気は無かっただろう)、及び、この念仏の七行を無視している場合が多く、それではまともな鑑賞とは言えないと思う。(補足3)

 

ウィキペディアによると、この詩の評価について論争があったようで、戦前から戦中にかけて谷川徹三(哲学者で、宮澤賢治の研究家)は高く評価したが、戦後中村稔(詩人)は、過失のようなものと評した。二人の論争は、ウィキペディアの「雨ニモマケズ」や「谷川徹三」の欄に書かれている。

 

私は、論争そのものを資料で読んでは居ないのでわからないが、恐らく、上記七行のお経を含めないでなされた論争の可能性が高い。もし、手帳のままにこの詩を提供されていれば、論争など起こらないだろう。そして、秀作であるという谷川徹三の評価が多くの支持を得る筈である。中村稔は、後に不毛の論争であったと何かに書いたようだ。

 

資料を探しているうちに、優れた解説を見つけた。「あゆレビ」というブログである。そこには、七行のお経のことも、「宮澤賢治は発表する気がなかったのではないか」ということも書かれている。更に驚くべきことは、宮沢賢治が「こう言う人に私はなりたい」として「雨ニモマケズ」のモデルとなった人が実在したというのである。https://i-revue.com/amenimomakezu-arasuji/

 

その人とは、岩手県東和賀郡笹間村(現・花巻市)出身でキリスト教徒の、斎藤宗次郎であるとそのブログに書かれている。一部を再掲する。

 

斎藤は明治10年2月20日の生まれで昭和43年1月2日に亡くなっており、ちょうど賢治の活躍期と重なっている。斎藤は花巻市で小学校の教員をしていたが、キリスト教徒という理由で職を追われ、のちは新聞取次店を営みながら福音運動に励んでいた。賢治と斎藤は同郷の出身であり、日蓮宗(国柱会)の信者だった宮沢賢治とは宗派を超えた交流があったといわれる。

 

 

3)井上陽水の詩「ワカンナイ」

 

ここで、井上陽水が宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」を取り上げ、「ワカンナイ」という詩にして歌った背景などを考えてみる。非常に”硬い話”から始まるが、最後まで読んでもらいたい。

 

以下は近現代史を視野においた歴史の4段階である。

 

① 言語、社会、宗教は、3点セットで発生発展した。

宗教は社会の形成(別の言葉で、人々の集団としての団結)を目的として作られた。その宗教と同時に発生したのが言語であると私は考えている。それら言語、社会、宗教のセットは、太古から古代に大きく成長した。”眼に見える”社会の成長のみが歴史学として注目されるが、言語と宗教の成長も同時に注目すれば、全体が一括して理解できると思う。(補足4)

 

② 宗教から科学へなど、宗教からの解放の時代:

宗教から科学へ(バートランド・ラッセル)は、近代の合言葉となった。これは、ルネッサンスに始まり、産業革命で加速される。

 

③ 言語、社会、法律という新しい3点セット:

社会が成長して、宗教に取って代わるものが出現した。それが「科学と法」である。このモデルは既に本ブログ全体の基本的考え方として、明確に書いている。しかし、ここでは抜けている重要な視点がある。それは「大衆の反逆」(オルテガ著、岩波)という視点である。(補足5)

 

④ 脱近代化の時代:新しい社会主義が、今後10年間で議論される筈である。資本主義とそのグローバル化は既に破綻の時期である。限界に近い自由主義&民主主義へのアンチテーゼが中国の独裁だろう。トランプ米大統領は、その止揚のプロセスを模索しているようにも見える。勿論、単なる米国のエゴイズムの可能性もある。米国のエゴイズムなら三度目のニクソンショックとして、欧州と日本を驚かす筈であるが、今回は三度目の正直だろう。(23日の記事参照)

 

「科学と法」の論理では、個人の大部分(行動と時間)は社会(法で定められた社会)から解放される(③)。その結果、獲得されたのが「人権と自由」であり、束縛として残されたのが「公共の福祉に反しないという義務」である。井上陽水は、「科学と法」の世界に生まれ育っている。そして、新しい世界(近代と呼ぶ)の中に残る残渣としての宗教臭強い宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」に反発を感じたのである。

 

近代はあくまで近代であり、現代でも未来でもない。「科学と法」が万能かといえばそうではない。法は網に過ぎず、連続した空気のような媒体ではない。科学はモデルあるいは仮説に過ぎず、真実とはいえない。宮澤賢治が歌った宗教的思想は、その弱点を埋める連続した媒体あるいは「空気」として社会に充満させる道徳として存在し得る。

 

近代西欧人は、人類を解放した。宗教改革やルネッサンスである。しかし、その結果作り上げた法と科学の世界は、行き詰まりかけている。大衆の叛逆を裏底の政府(ディープステート)で誤魔化したものの、限界である。人間は神には程遠いからである(②)。その事実を”これでもか”と確認するように見せつけているのが、行き過ぎたグローバル経済であり、それを共に築き上げた中国の共産党政権である(④)。

 

井上陽水の「ワカンナイ」は、「雨ニモマケズ」へ疑問を呈したものだが、陽水のこの詩に返答するべきなのは、我々現代人である。つまり、上記④の段階の歴史構築である。

 

歴史は周る。近代は宗教から人間解放への方向に進んだ。そして、現在の世界の政治経済は原点を通過し、ウォール街の巨大資本などの暴走の結果としてのグローバル化経済と、中国の厚黒学(厚かましく腹黒く生きよ)や超限戦(あらゆる角度から戦争を行うべき)を産み出した。従って、原点に回帰し、再度新しいバージョンの宗教(たかい教え)への方向、或いは、新しい科学的政治の構築を目指すべきである。そうでないと、人類は死滅するだろう。

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=OKHZpLffhZQ

(編集あり、17:12;再度編集、9月29日午前9時)

 

補足:

 

1)本当はビートルズと比較したいのだが、ビートルズの詩は陽水のように斜めに構えた詩ではない。yesterday にしろ、let it be にしろ、楽曲は美しいし、歌詞の意味も明快である。サイモンとガーファンクルの例えば、明日に懸ける橋(bridge over troubled water)は、意味深長だが若干解りにくい。堅牢な常識に挑戦するには、斜めに構えるしか方法がない。従って、ビートルズと井上陽水は比較の対象にはなりにくい。

 

2)このモチーフで進めば、「夢の中へ」を取り上げる筈だった。「探しものはなんですか?」尚、斜めからという視点ではない名曲に、「少年時代」や「心もよう」などがある。

 

3)先日のテレビ番組「プレバト」で、俳句に前文をつけることがあると言っていた。この「雨ニモマケズ」という詩では、後のお経が前半の詩の理解に不可欠だと思う。

 

4)この「言語の進化論」については、このブログでも書いている。:

「言語の進化論(1)」https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12482529650.html

この着想は、既に5年以上前にあった。そこには以下のように書いている。

 

人間の進化も、言語と文化および社会の進化と、不可分だと思う。その人間と文化(文明)の相互進化は、人間の文明(文明化社会)に対する家畜化という形で理解できる。(2015年3月12日のブログ記事:「文明により改造、家畜化される人間」)https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2015/03/blog-post_36.html

 

 

5)重要な誤解があれば、後に記事として書きます。二冊の本を読んだ次期が10年以上離れており、検証するには多少の時間を要しますので。

2020年9月26日土曜日

菅首相の中国習近平主席との会談内容に失望

追補:

この件、30日の大紀元ニュースによれば、菅氏は日中首脳会談で香港問題に触れたと報じています。

https://www.youtube.com/watch?v=uNtOIyG1yGg

 

 

 

 

「Microsoft News」がネットで報じたニュースから日中首脳電話会談の内容を紹介する。

 

共同通信(2020/9/26/0:31)によると、習近平の来日問題は協議されなかったようだ。その記事掲載の会談内容を書く(菅首相側からの表現):

 

①尖閣周辺での領海侵犯を念頭に東シナ海情勢への懸念を伝えた。

②拉致問題を含む北朝鮮への対応について提起し、日中が連携することを確認した。

 

一方、産経新聞(2020/9/26/0:35)によると、新華社通信が以下のような報告をしているという:

 

習近平主席は電話会談で、中国が日本の新政権とともに「歴史などの重大な問題を適切に処理」し、「新時代の要求に合致した中日関係の構築に努めていきたい」と述べた。

 

また周氏は、来年予定されている東京五輪の開催を支持。自国第一主義を掲げるトランプ米政権を念頭に、「中日双方が積極的に多国間主義を提唱・実践しなければならない」と主張した。

 

感想:

 

非常につまらない会談内容である。菅氏は日本国の将来を明るくするレベルの首相ではない。非常につまらない永田町界隈の人物だ。

 

なぜ、香港、ウイグル、チベットなどでの非人権的政治に対して、マイルドな表現で良いから、懸念の一言が言えなかったのか。相手に対する非難でなくても、せめて「香港での出来事に関心を持っています」くらい言っても良い筈である。

 

拉致問題を中国相手に出すのは、国際感覚ゼロだ。それは北朝鮮と日本の問題であり、中国は無関係である。習近平にもバカにされている筈である。一昨日の記事にも書いたが、中国は日本を非常に軽く見ている。理由は、日本はまともな軍事力を持たないからだ。

 

オリンピックなどどうでも良い。中国と話し合うべきことではない。習近平の来日問題について話さなかったことなど、菅氏は自慢すべきではない。「俺は強盗はしなかった」という言葉が自慢にはならないのと同じ論理である。第一、習近平は国内に敵を多く抱えており、外に出られる状況ではないと言われている。

 

更に、習近平が言った歴史問題とは何か、まさか、一昨日紹介した人民解放軍の空軍を作った日本人や、第四野戦軍で蒋介石との戦いに参加した万を超える日本人の話ではあるまい。そうでなければ、歴史問題は、日中平和友好条約で解決済みの筈だ。この情況でも、強請り道具の確認をしてきているのに、それを黙って聞いているとは、最低だ。(9時50分編集)

 

補足:

 

習近平の「トランプ政権は自国第一主義」も今や時代遅れの批判である。現在は、東ヨーロッパを含む欧州全域と連携して、中国の中世的覇権主義に対抗しようと言っている。

2020年9月24日木曜日

日本と中共との隠された歴史と二度のニクソンショック

1)中華人民共和国建国後の日中交流

 

日中国交回復のとき、毛沢東は日本に感謝すると言った。その意味の詳細を田中角栄は知っていたのだろうか? 年齢から考えると知っていただろう。しかし、戦後生まれの我々には、知らない歴史があったようだ。私は、毛沢東によるこのお礼の言葉は、単に日本軍が蒋介石と戦ったという事に対する謝意の表明だと思っていた。しかし、今回そうではないということが解った。(関係する日本の首相及び米国大統領については補足1参照)

 

一言で言えば、日本の敗戦後、満州在住の旧軍人や医師ら一部は、毛沢東の共産軍と一緒になって蒋介石軍と戦ったのである。その事実を中国のユーチューバーのMOTOYAMA氏が語った。https://www.youtube.com/watch?v=RhNiF7_shN8

手元にある中島嶺雄著の「中国(中公新書)」の中には一切書かれていない。しかしそれは事実である。中国の政権幹部はこの事実をよく知っていたようだ。

 

1990年4月に、人民解放軍47軍団のトップの「ろう」という人(以下老と書く)が、特別な任務を受けた。それは、日本から久しぶりに中国を訪れた、中共軍と伴に戦った人達を接待するという任務である。

 

戦後の国共内戦の際、中国人民解放軍の第4野戦軍に大勢の日本人が参加していたのである。その日本人が久しぶりに中国を訪れるというので、人民解放軍の上層部からの指示で、老氏が接待することになったのである。中国の国民はそれまで、日本軍人が蒋介石との戦いに参加していたことを知らなかったという。老が連絡をとった人たちは、現在の陸軍病院院長など軍の幹部であった。

 

彼ら日本人は、1956年にも一度訪問しており、そのとき周恩来が言ったという:「日本の方に感謝します。解放戦争のとき、たくさんの日本の方が参加してくれました。このようなことがあり、中国人民は日本人民と仲良くなる自信があります。」と。周恩来は、日本のその人たちを戦友と呼んだという。

 

周恩来死去から30年たった現在、中国共産党はそのようなことは言わなくなった。1990年の訪問のとき、中国の老陸軍病院院長は、「もう年を取りました。会いたいです。もう合う機会が無いかもしれないです。この歴史は隠してはいけないです。」と言った。日本から来た同志とは、中村義光さんをリーダーとする17名だった。

 

1972年の国交回復後初めて、自腹で中国を訪問したという。「里帰りという感覚だ」という言葉は、その事実と整合性がある。そして、中国側もその実現に協力する重大な意味があった。天安門事件による国際社会からの孤立と、それによる経済の疲弊である。

 

日本は中国の悲惨な状況を見て、そして、鄧小平の要請もあって、G7で中国制裁を解くことを提案したようだ。そして、その先頭にたって、中国支援を再開した。この件、現在では、日本側の「弱腰或いは愚かな外交」と理解されているが、その背景には「卑怯な米国」の存在もあった。後者が表題の二度のニクソンショックの意味である。

 

それを上手く利用して、日本から支援を引き出したのが当時の最高実力者(つまり、中国共産党中央軍事委員会主席)鄧小平であった。党総書記には、民主化要求に同情的だった胡耀邦が死亡し、天安門事件で後任の趙紫陽が失脚し、江沢民が就任していた。中国も動乱の次期だった。

 

2)日本人の共産軍への参加:

 

MOTOYAMA氏の語り以外で独立した文献を探した。それによると、中国共産党は、日本の敗戦後満州(現在の中国東北部)に残留した日本人に蒋介石と戦うことを要請し、それを受けてその戦いに青春をささげた若者も大勢いたという。http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/fangtan/200601.htm

 

この記事は2006年に書かれ、その記事の著者である武吉次朗氏は、その後中国の中日関係史学会の編集した本を翻訳している。『新中国に貢献した日本人たち』の題で出版されたのは、2019年10月1日である。この日付も何か中国の国際社会での位置を反映しているようにも見える。それは兎も角、上記記事は以下の文で始まる。(補足2)

 

「留用」という言葉をご存知だろうか。「一定期間留めて任用する」という意味の中国語だが、「留用」に人生を賭け、青春を捧げた日本人が、60年前の中国東北部におおぜいいた。

そして、「中国側の史料によると、東北に進駐した八路軍の医療要員は千600人だったが、「留用」された日本人の医師・看護師など専門職は3000人いたという。「留用」者は全部で1万数千人、家族を含めると2万数千人にのぼった」と書かれている。

 

それに続いて:

人民空軍創設のためパイロットと地上勤務要員の育成に協力したのは、林弥一郎氏の率いる元関東軍第四錬成飛行隊の300人だった。また民主連軍の蕭勁光副総司令官の運転手は元日本兵だったし、筆者の友人も、ある兵団司令官の運転手を務めた。

 

上記林弥一郎氏は、MOTOYAMA氏の動画では、中国人民解放軍で初めて空軍を作った人として紹介されている。そして、中国空軍の指令官の王海(ウイキペディア参照)という人は林氏の生徒だという。http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/200603/zhuanwen64.htm

 

この歴史は日本も中国も喋りたくない歴史のようである。ただし、国交30周年を記念して2002年にNHKで放送されたという。

 

 

3)天安門事件後の中国に対する日本及び米国の姿勢

 

中国人民解放軍第4野戦軍で戦った日本人17名が中国を訪れ、中国側からも篤い接待を受けたのは、1989年6月4日の天安門事件の次の年の事である。日本記者クラブのサイトに、その直後の日中関係の動きを解説するある記事を見つけた。その一節を紹介する。https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/35017

 

7月、フランスで開かれたG7アルシュ・サミットでは、中国を非難し制裁を実施する政治宣言(閣僚などその他ハイレベルの接触、武器貿易停止、世界銀行の新規融資の審査停止)が採択された。賛同した日本は第3次対中円借款を凍結した。宇野政権が短命に終わり、海部政権の下で、対中制裁に加わった日本と中国との関係は当然ながら悪化した。こうした中、日中修復への第一歩として白羽の矢が立ったのが、伊東正義だった。

 

伊東正義の訪中は、事件から約3ヶ月後(9月17日)のことである。その日、李鵬首相と会談したが、そこで李鵬は以下のような内容の話をした。① 米国が対中制裁の先頭に立つ一方で、「友好のシグナルを送ってきている」こと、②「西側の対中封鎖を打破するのに日本は大きな役割を果たせる」ことの二つだった。

 

前者は、ブッシュ米政権が天安門事件後いち早く送った大統領の親書であり、それをもって極秘裏に進められたブレント・スコウクロフト(米国家安全保障担当大統領補佐官)の訪中(7月1日)を指していた。その前日、米政府は対中制裁措置として「政府高官の接触禁止」を世界に向けて高らかに宣言したばかりだ。自らその「禁則」を破ったのである。

 

中国は、西欧諸国の作る制裁網の中に孤立していたが、最も修復したい米中関係の前に、西欧先進国の輪の中で、最も連携の弱い日本を標的にして、制裁網の破壊を企んだ。(補足3)日本は中国の積極的なアプローチに応え約2年後、他国に先駆けて対中円借款の凍結を解除する。中国の戦略は、1992年の天皇訪中までも視野に入れたものだった。当時の外交部長(外務大臣)銭其琛の回顧録にそう書かれているという。 

 

現在の日本では、この宮澤喜一など自民党の一連の対中政策を愚かなことと一刀両断にする。しかし、この米国の動きを見て、この記事の筆者である鈴木美勝氏は、三度目のニクソンショックもあり得ると書いている。

 

1度目は言うまでもない1972年のニクソン大統領の電撃訪中(2月21日)であり、同年9月田中角栄は中国を訪問した。https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/25230

毛沢東は田中に、「日本には4つの敵がある。米国、ロシア、ヨーロッパ、それに中国である。それでは今後大変だ。我々と手を組まないか」と言ったこと、ニクソンに随行したキッシンジャーが日中国交回復を知って「ジャップめ‼」と怒りと憎しみに震えたことなど、過去のブログにも書いた。

 

そして、2度目のニクソンショックとは、今回のテーマの「天安門事件の後でいち早く裏で動き出した米国のブッシュ政権」のことである。そして、あり得るかもしれない三度目とは、今年或いは来年のトランプ或いはバイデンによる米中の電撃和解である。

 

全てに関係するのは、キッシンジャーなる人物と、その背後の「ロックフェラー+ユダヤ系グローバル資本」などだろう。米国を、第一の反日国家にしてしまった不幸は、日本民族が滅びるまで続くのだろうか?その原因は、やはり満州利権を米国に一歩も譲らなかった明治の藩閥政治なのだろうか? 吉田茂の売国奴的政治も、破滅へロックインされた日本歴史の一里塚に過ぎないのだろうか?https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12560835048.html

 

 

補足:

 

1)日本の総理大臣とその任期: 竹下登、1987/11/6〜1989/6/13; 宇野宗佑、〜1989/8/10;海部俊樹、〜1991/11/5; 宮澤喜一、〜1993/8/9;

米国大統領とその任期:George H.W. Bush, 1989/1/21〜1993/1/20; William J. Clinton,1993/1/20~2001/1/20;

 

2)『新中国に貢献した日本人たち』中国中日関係史学会編、武吉次朗訳、日本僑報社刊 http://duan.jp/item/57.html この本の推薦の言葉として、日本から後藤田正晴氏の言葉と、中国からが厲以寧氏(中国中日関係史学会会長)の言葉が掲載されている。

https://www.value-press.com/pressrelease/229202

 

3)中国は日本となら、政治的に配慮すべき借り貸し関係を無視して利用できると考えた。しかし、中国側が弱みを抱えたまま米国と制裁解除の交渉をすれば、その外交的貸し借り関係が発生すると考えたのである。如何に軽く日本を考えているか判るだろう。(日本を軽く見る第一の理由は、日本の非武装中立主義であり、非核宣言である。軍備は基本的に野生の関係で動く国際関係において絶対的である。)

2020年9月22日火曜日

何故数学を勉強するのか?チコちゃんは間違っている

毎週金曜日にNHKが放送する番組「チコちゃんに叱られる」は、日常生活で不思議に思う問題を取り上げて、チコちゃんと専門家が解説するバラエティ番組である。https://www.nhk.jp/p/chicochan/ts/R12Z9955V3/

 

先週金曜日の番組で注目されたテーマは、「なぜ数学を勉強しなければならないのか?」であった。チコちゃんの出した答えは「論理的な思考が身につくから」であった。(補足1)

 

この番組の内容が話題となり、紹介したネット記事も多い。その一つが、nifty ニュースで、その記事ではテレビ放送での解説を以下のように要約した。https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12189-20162412063/

 

小学校のときには算数、中学以降は数学と似ているようで全く違う学問である。算数は、日常生活で使うレベルの計算力を養うもの。対して、数学は問題を整理して答えを導く学問で、論理的思考を身につけるものであると解説した。

 

一般の人の感想として、納得したという声が相次いだ一方、「意外と普通な回答で拍子抜け」「もっとすごいのが来ると思ったけど普通だな」といったコメントもみられたという。

 

この後者の不満足に思う感覚には、根拠があるだろう。上記回答が間違っているとは言わないが、本筋の数学教育の目的からはズレているからである。それは後に書くとして、上記記事で面白い統計が紹介されているので、それを先ず紹介したい。

 

この記事の編集部が主要9科目のうち「最も嫌いなもの」を、全国の10代~60代の男女1,847名を対象に調査を実施したところ、数学が2位以下とかなりの票差をつけ1位となった。そのデータが別の記事にあったので示す。

 

そして記事は以下の文章で閉じている。

 

なぜ数学を学ぶのか疑問に感じる人も、チコちゃんの回答に納得した人は少なくないのではないだろうか。今学生の人は、数学への考え方を少し考えて取り組んでみても良いかもしれない。

 

番組の進行にそった内容を、詳細に紹介した記事もある。

https://tmbi-joho.com/2020/09/18/chikochan-reg106-3/#i

https://himantorend.com/chiko-sugaku/

 

2)数学だけでなく、中学校での義務教育の目的は何か?

 

義務教育の目的は、大きく分けて二つある。①国民を社会生活が送れるように、その社会での基礎的な文化を教育すること。②専門的知識を身に着けるための高等教育の準備として、その基礎を習得すること。小学校教育では、①の目的を主とするだろう。

 

中学校で各教科を学ぶ目的としては、①も当然だが、②の目的が大きいと思う。つまり、日本国が安全で豊かな経済力と自由と法的平等を維持するには、政治、経済、法学、軍事、科学、技術など、様々な専門分野での人材を育てる必要がある。数学教育は、その後半部分の人材教育における基礎となる。

 

人生の中で、社会に一定のレベルで貢献するには、自分の生きる専門の方向を見いださなければならない。中学教育は、得意の科目は、将来の高等教育や専門的仕事での基礎として学び、嫌いな科目も得意分野を知るために格闘すると考えて良い。それが②の目的の個人の視野からの解釈である。

 

繰り返すが、高等教育の基礎を学ぶ学校が、中学と高校である。その中で、数学は理系分野において必須の学問である。全ての人が夫々の価値観で、数学を勉強する目的を考えることは良いことだ。しかし、数学を忘れてしまっていても、その代わりに、人には負けない知識や技術を持つべきであるし、実際持っている人が多い筈である。

 

サイン、コサイン、タンジェントとか、2次方程式の根の公式なんか、忘れてしまっても良いのだ。中学の時、数学を嫌い違う道を探して大成した人にとっては、数学を嫌いになるために数学の授業があったと考えて、差し支えない。

 

3)問題の建て方にそもそもミスがある。

 

このテーマである疑問文とチコちゃんの答えが、論理的に噛み合っていない。この程度の論理的な齟齬は、日常生活ではそれほど問題にならない。しかし、科学や法学の議論では大問題となる。①「何故(中学で)数学を勉強しなければならないのか?」の答えは、日本国民の義務だからである。

 

この番組の趣旨に沿った疑問文は、②「数学は一般人に関して(或いは対して)何の役にたつのか?」であり、答えは「論理的思考力がつく」である。別表現では、③「(中学での)数学教育の目的は何か?」であり、答えが「論理的思考力をつけること」である。(補足2)この種の食い違いは、日本人にとって本当は非常に深刻である。

 

先週金曜日の「チコちゃんに叱られる」での疑問は「①の疑問」であり、その答えとして「②の答え」を持ってきたのである。論理的な数学に関する番組で、最初から非論理的な話になってしまったのである。

 

その非論理に引きづられてこの記事を書いたので、最初の読者の反応は「何理屈言っとるのだ!」というものだろう。「論理の無い国日本」の姿が浮き彫りになったような気がしている。

 

4)論理的思考力を身につけるには、英語を学んで日本語との違いを勉強すべき:

 

論文を書く仕事の人が、最初に先生から注意を受けるのは、たとえば、「美しい水車小屋の娘」という類の言葉(句)を書かないようにということである。何故なら、この句では美しいのは水車小屋か娘かわからないからである。

 

ここで一言言いたい。論理的思考力を身につけるには、言語をしっかり学ぶのが大事である。特に、日本語と英語の違いを知ることは、有益である。

 

英語で「美しい水車小屋の娘」を訳するとき、a beautiful girl in a water millか、a girl in a beautiful water millの何方かである。英語では美しいという形容詞は、その名詞の前にくるので、日本語のような誤解はない。つまり、英語は日本語よりも論理的思考に適している。過去のブログにこのような日本語の欠点については何度も書いた。その記事の紹介をしておく。

 

比較的最近のものとして5年前に書いた「日本語は真実を隠す:慰安婦という訳の判らない単語」という題の記事がある。その最初のセクションに、日本語の非論理性について書いたものを紹介している。この記事の全部を読んで欲しいのだが、その最初の部分を以下に転載する。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466514487.html

 

 

 

日本語を母国語とする人間だが、日本語の出来の悪さにはウンザリである:http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/07/iii2013.html

既に、(何度も)書いて来たことだが、煩雑であり論理の展開には全く不便であり、議論に向かない。従って、日本人は一定の知性を持つと無口になる傾向がある。そのため、(日本では)能弁より寡黙が人徳の要件である。つまり、沈黙は金、能弁は銀なのだ。しかも、緻密でない銀は、直ぐ黒く錆びるのだ。自分の能弁に溺れて多弁となり失言・詭弁の罠にはまってしまう可能性が高いのである。

 

 

(9月22日、7時半最終編集)

 

補足:

 

1)高校で学ぶ集合論は、論理的思考に欠かせない数学の一部門といえるかもしれない。そこで、積集合と和集合を学び、必要条件と十分条件を勉強する。しかし、別に数学で勉強する以前に、英語では「and」 と「or」の解説で学ぶことである。因みに和集合から積集合を除いた部分を、「exclusive or」とよぶ。

 

2)中学や高校での数学教育の目的は、理系教育一般の基礎技術としての数学を教えることである。

2020年9月18日金曜日

再度「人類が民族の淘汰を経験する可能性」を考える

システムからサジェストがあったので、再投稿します。ヤフーブログ時代の記事です。再投稿の動機を追加しておきます。
 
INTRODUCTION:
 
日本という国に、まともな政治はありません。大量の枯葉剤の散布された土地に、まともな木が生えない土地の様です。”政治家ごとき”が中央と地方の行政に居ますが、彼らは八百屋や魚屋同様、家業を継いでいる人が殆どです。以下の写真を見て欲しい。これで仕事をした気になっているのが、日本の地方行政です。
 
 
日本民族の将来を考えておられるのは、現在では、上皇様だけのような気がする。それも、誤解してほしくないのだが、日本の天皇家の"家業"だからです。安倍総理が能力はそれ程でもなかったのですが、総理大臣らしい思考法を持っておられたのは、岸信介元総理(戦後唯一のまともな首相?)から続く家業だからです。殆どの人が政治を考えないのは家業ではないからです。
 
菅さんが総理大臣になったのは、家業でなくて出世なら、一族と周囲は栄えますが、それは国民には及ばないでしょう。総裁候補のインタビューのときも、首相就任後のそれでも、最大の仕事として新型コロナ肺炎との対決を上げた。今日たまたま本屋で月刊WILLの表紙を見たら、そこには「新型コロナはただの風邪です」というタイトルと上久保京大教授の名前があった。
ただの風邪対策が日本の首相の最大の仕事でしょうか? それほど、発想がプアなのでしょうか?
 
今日聞いた及川幸彦氏のyoutube動画では、バイデンが米国大統領になれば、最終的に日本は中国と米国に分裂統治されるだろうという、大川隆法氏の予言が語られていた。日本は20年後、中国の東海省になるか、米中の分割統治となるか解らない。その国難の時に、ただの風邪にオロオロしているのか? 勿論、ただの風邪というのは言い過ぎだろう。しかし、今日本民族にとって何が大事か、20年程度の時間と、地球規模の視野のない人物が、総理になって良い筈はない。何と情けない国なのか、我が日本国は。
 
以下再投稿の記事:
 
朝方、非常に不愉快な夢というか考えが頭に浮かんだので、それをそのまま書きます。整理をする忍耐も最近はありませんので、雑然としたまま、ブログ記事とします。素人ゆえ、間違いも多いかも知れませんが、指摘があれば遠慮なく行なってください。(18:20編集あり
 
1)非核宣言をした日本の傀儡政権:
 
人類の未来には重要な二つの真理がある。その一つは、「核兵器は拡散する」という真理である。(補足1)現在の核保有国は、米国、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、北朝鮮、イスラエルの9カ国である。その他、旧ソ連のウクライナやカザフスタンなどは核保有の可能性が皆無とは言えない。南アフリカは核兵器を廃棄したと考えられている。
 
核兵器でも科学技術でも、強力に封じる力が無ければ確実に拡散する。南アフリカの核兵器放棄は、将来の黒人政権の誕生を考えて、米国などからの圧力があったというブログ記事がある。https://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/4539642.html もし南アフリカが国家としての体をなしていると仮定すれば、圧力がなければ放棄しなかっただろう。
 
イメージ 1
 
イスラエルは核兵器を持つと考えられている。恐らく米国から導入されたのだろう。米国上層部を牛耳る勢力がユダヤ資本家だとすれば、簡単に理解できる。アラブの国々に囲まれて独立を守るのは大変だろうから、当然の対応だと言える。
 
インドは一貫してNPT(核拡散防止条約)やCTBTに反対したようだ。その理由は明快である。核保有国による、将来にわたる核兵器の独占を可能にする片務的内容だからである。
 
日本が非核三原則を国策として掲げ、NPTにも反対の世論など皆無の状態で加盟したのは、一貫して売国奴的人間が国家の中枢に座り込み、その体制を維持してきたからである。その与党体制維持の方法は、社会主義政党を反対勢力として育成することであった。日本の戦略ではなく、米国の優秀な戦略家の立案であることは明白だろう。日本は、国家としての体をなしていないのである。
 
2)地球上可住人口の減少について:
 
人類に予想されるもう一つの重要な出来事は、気候の大変化による食料不足と居住可能地域の減少、資源の枯渇などによる、地球上可住人口の減少である。それは人類に、中世の民族的エゴイズムを復活させて、国際的騒乱となるだろう。それは人類の宿命だろう。
 
今後世界の人口は増え続けるだろう。多少の少子化は、先進国に共通しているとしても、人類全体としては、その減少分を遥かに上回る人口増加が起こるだろう。また、原理的には全ての物質的資源は再利用し、全てのエネルギーを太陽光に頼ることは、将来的には可能であるが、それは遠い将来のことだろう。(補足2)
 
兎に角、不足する食料、エネルギーや資源は、人類に人口の減少を強制するだろう。既に世界は国民国家の体制が整っているため、民族(国家)間の淘汰が起こる可能性が高いと思う。その民族的間引きの対象となるのは、人種差別と自衛力の乏しさで選ばれる民族(国家)である。
 
それは、邪悪な民族に対する善良なる民族連合の防衛という形をとるだろう。そのプロパガンダの準備は既に始まって居るかもしれない。自衛力には、核兵器と通常兵器の両方が関係するが、圧倒的に核ミサイル技術が意味をもつだろう。ただし、高度な攻撃能力を持った核ミサイルはほとんど使われないかもしれない。ただ、国家の順位を決定するだけのもの、生存するための権利を担保する意味だけを持つ可能性が高いと思う。
 
実際に使われる可能性が高いのは、経済封鎖と内戦の誘発である。核攻撃と異なり、勝ち残る国家の人間は、その惨劇を直接観たり実感したりすることがなく、悪を為しているという実感を持たなくて済むだろう。大多数が殺された民族の国には、多少の売国奴的人物が残るだろうが、数十年後にはその他の地域から移り住んだ人間の中で存在感が全く無くなるだろう。歴史の中には、邪悪な一派は掃討されたと記載されるだけだろう。
 
善と悪は便利な概念である。(追補1)人は個人のレベルでも、善と悪を勝手に定義してもそれに気がつかない。ましてや、国家に於いてはプロの戦略家が善と悪を創造して、敵国に如何様にも適用できるだろう。それは、韓国や中国の対日プロパガンダを見るだけでも明らかであるし、中国の最古の歴史書以来の正史を見れば、明らかである。諸外国はそれを経験し、且つ、熟知している。
 
日本は2000年の単一王朝の国(補足3)であり、日本書紀を破棄して歴史書を書き換えた経験がない。それを自慢げに言う人が右の方に多いが、本当は日本の大きな弱点である。
 
「慰安婦の日本政府による強制連行」のような明らかに捏造した歴史が、世界で事実のように扱われているのは良い教訓の筈だが、日本政府が先頭にたって歴史捏造に加担している状況では、まともにその悪業に説得力のある異論が出せるのは、外国人ジャーナリストのみである。(e.g., ヘンリー・S・ストークス著、「連合国戦勝史観の虚妄」)
 
追補1:善悪の勝手な峻別はキリスト教圏等(一神教の国)が得意とするところである。それ以外の国では、善悪は峻別されない。日本でも「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人おや」という親鸞の言葉が示すとおりである。
 
3)「北朝鮮の非核化」は「日本の非核化」である。
 
昨日の記事で、日本の政治担当者は、日本国民の為に働いていないのではないかと書いた。United Nationsを国連と翻訳したのは、米国(国連の中心)の指示で日本を利用しやすくする為だろう。その与党を攻撃するのは、中国やソ連などの支配下にあった人物である。つまり、戦後日本の政治は、米国の為に働く与党議員たちと東アジアの外国の為に働く野党の人たちが、日本の政界で何やら演じて居るだけに見える。(補足4)
 
北朝鮮は多くの困難を克服して、核武装に成功した。それは、北朝鮮国家の視点に経てば立派なことである。朝鮮半島の歴史を少しでも知ればわかる様に、朝鮮は中国の衛星国としてその支配に苦しんで来た(補足5)。もちろん、一部の国家支配層(両班)は隣国の力を借りて、難なくその地位を保持できただろう。
 
朝鮮の一般民は、多段階に設けられた社会的階層に封じ込められ、その境遇からの脱却を諦めるために儒教を押し付けられていたのである。一方、一般民が政治的力を次第に得るのは時代の趨勢であり、北朝鮮が真の独立国を目指すのも当然である。国家が苦しい国際環境から脱却し独立国としての体裁を整えるには、そして米国の支配下にある韓国に対して優位に立つためにも、核武装は必須であると考えたのだろう。
 
そのプロセスは、米国の銃社会を考えればわかることである。左右に銃で武装した集団が居る中で、安全と自由を得るには銃を保持するしかない。ましてや隣から銃口を向けられている環境下では、銃以外に頼る手段などない。国家としての北朝鮮の安全保障環境は、このような環境に置かれた個人のものと同様である。一旦もった核兵器を放棄するには、周囲が核放棄をすることが条件なのは当然である。或いは、放棄しない限り確実に殺される(キム王朝が潰される)と確信したとき以外にはあり得ない。
 
現在の北朝鮮の視野には、国際法も国連も雲散霧消した野生の世界が露呈しているだろう。しかし、それは北朝鮮に限らず、幻を見なければ、本質的に全ての国家に共通したものである。そのような光景が再び我が国の前に露呈する時が必ず来るだろう。それは既に上に書いた通りである。その時、どこの国が友邦として自衛のための核兵器を呉れるだろうか? そんな国は野生の環境には存在しない。
 
核兵器は、防衛に役立つ限り世界に拡散するが廃絶はされない。日本にとっては、北朝鮮の核武装は、否、それ以前の中国が核実験に成功したときには、日本も核武装する時だと考えるべきだった。(補足6)少なくとも、中国や北朝鮮が核武装するのなら、我が国も核武装を考えないのは、自滅への道であると、堂々と国際社会に向けて発信すべきだった。
 
NPTCTBTへ率先して、加盟し批准するというのは、もし日本政府が本当に日本国民のために存在すると仮定したなら、本当に愚かな政策である。日本がまともな国になるには、現在の政治家全てが入れ替わる必要がある。それには道州選挙区で一票の格差完全撤廃が、唯一の合法的手段である。この方法にトライしたのが橋下徹であるが、彼は失敗している。(補足7)非合法の手段も考えるべきだと、三島由紀夫は命を張って訴えたが、それは自衛隊員にすら真夏のセミの声程度にしか聞こえなかった。(補足8)列に並ぶのが得意な日本人は、ホロコーストの列であってもその列を乱すことができない愚かな民族なのだろう。何が原因?それは何時か慎重に議論してみたいと思う。
 
 
NPT: Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons (核兵器の非増殖に関する条約:核武装国の非増殖に関する条約:通称は、核(兵器)拡散防止条約)
CTBTComprehensive Nuclear-Test-Ban Treaty 包括的核実験禁止条約 (現在未発効;発効要件国のうち未署名及び非批准国として、インド、パキスタン、北朝鮮、中国、米国、エジプト、イラン、イスラエルなどがある。)
 
補足:
1)核兵器拡散の防止や核兵器の廃絶は、世界政府が樹立されれば実現可能である。しかし、異なった人種間の文化的ばらつき、文明進展の程度におけるばらつきなどを考えると、その可能性は非常に小さい。もしそれが遠い将来実現し、人類がその恩恵を受けるとしても、それは必死に自国の生き残りを模索し続けた民族だけのものだろう。
2)離島に太陽光発電、風力発電、潮力発電などで電気を発生させ、それを人の住む地域に電気あるいは水素で送る。イワタニとトヨタは、それを標準的な未来のエネルギー調達法として考えて居るのだろう。それは賢明に思えるが、技術で遅れをとるのが覇権国などの大国であれば、それは標準とはならない。
3)単一王朝が維持できたのは、宗教を支配したからである。つまり、天皇家が(不完全ではあるが)人格神として天照大神を創造し、それを神道の創始者のように仕立てたからである。本来の神道はアニミズムであり、大きな山や川などあらゆる自然の存在が神体である。
4)北朝鮮の日本人拉致の問題を、堂々と「そのようなことはあり得ない」と言ったのは、戦後一貫して野党筆頭であった日本社会党から名称変更した社民党である。(社民党機関誌『月刊社会民主』19977月号:私は、読んでいないので、“裏をとった”わけではない。)
5)両班(ヤンバン又はリャンバン)から白丁(ペクチョン)まで多段階の社会的階層があった。白丁は、皮革製品を作る職人や芸能人など最下層の賎民である。(資料はウィキペディアなど多くあるが、以下を推薦する。https://www.y-history.net/appendix/wh0802-046.html
6)田中宇氏の解説を引用する。http://tanakanews.com/g1024japan.htm ひねくれた見方と思われるかもしれないが、この田中氏の考えが正しいのなら、自民党政権は当に米国の傀儡政権である。外国の傀儡政権ならそのうち正体がばれるから、退治されるだろう。しかし、日本の傀儡政権は厄介だ。なぜなら、日本人は言葉を聞いただけで、その霊に怯える民族である。核や放射線とは、恐ろしい悪魔の言葉なのだ。昔(60年ほど前の話)、ある大学の教授が放射線化学関連の予算要求する際、その霊を払拭するのに苦労したという記事を読んだことがある。
 
7)彼の失敗は、優秀な人材が十分得られなかったからである。本来、優秀な人材を得て、2-3度脱皮を繰り返さないと、この種の組織は成虫にはなれない。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2015/04/blog-post_4.html
8)ここに麻原彰晃を入れるのは、完全な間違いなのだろう。
 

2020年9月17日木曜日

混乱する米国:米国大統領選における不正選挙の可能性

米国で最大の関心事は、11月の大統領選だろう。新型コロナ肺炎(以下新型コロナ)は、大統領選の行方にも影響する可能性が高い。それは、新型コロナの感染防止という理由で、郵便投票を取り入れる州があるからである。本人の意思を十分確認しないで、ポストに投函する形で投票することもあり得る。

 

例えば、意識が朦朧としている寝たきりの老人でも投票できる。つまり、親族が意思を確認したということにして、その老人の名で投票しても解らないなど、グレー領域の不正が多く発生する可能性がある。膨大な投票の極一部、例えば十万件にその種の不正があったとしても、件数は膨大で選挙結果に十分影響するが、事実上捜査は不可能である。

 

ここで、郵便投票を選挙の方法に考える時、以下の点を十分自覚することが重要であると私は考える。

 

① 「選挙で民主政治」というシステムの弱点の一つは、選挙では投票数の差で競争するというところにある。従って、極一部の不正でも、選挙の機能が破壊される可能性がある。

② 選挙での投票は、選挙権の行使であり、権利の行使には明確な意思が必要である。明確な意思なき選挙権の行使は、その選挙の公正性を破壊する

 

これらの考え方は、民主主義の弱点を克服する上で大事だと思う:

民主主義の弱点は、よく考えた一票も、何も考えない一票も、同じ一票だという点である。大統領の選挙でも他の選挙でも、上記二つの観点から、不正投票がゼロであること、そして、良く考えた明確な意思の表明としての一票を投じることで、民主主義の機能が辛うじて維持される。

 

更に、民主政治が機能する上での必要条件は、公の空間での有権者や候補者の政治に関する熱意ある議論である。バイデンとトランプも、その政策論争を十分な時間をとって公開で行うべきである。その上で、選挙人は議論と思索のあと、明確な意思をもって投票することである。今回の米国の大統領選の場合、やはり投票所に出向いて、立会人の前で本人確認の機会を作り、その後自分の意思で投票することがその意思の証明であり、大事なことである。

 

十分考えない役所の人たちは、選挙に際して「投票に行きましょう」と呼びかける。しかし、私は敢えて言いたい。明確な意思の無いものは選挙権を行使するべきでない。個人の意思ではなく、団体の意思で投票するべきではない。

 

 

2)郵便投票をトランプが警戒する理由について

 

新型コロナ肺炎の影響を考慮して、或いは利用して、多く州において郵便投票で大統領選挙に臨むことになったようだ。トランプ大統領は、この郵便投票で不正が行われる可能性を危惧して、反対運動を行っている。

 

勿論、厳格に管理された形で、郵便投票を行う場合、不正が入り込む可能性は少ないという意見もある。例えば、ニューズウイーク日本語版の9月15日の記事では、「米大統領選、トランプが猛反対する郵便投票で不正がほぼ不可能なワケ」と題する記事を書いている。https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/09/post-94439_1.php

 

その一つの根拠として、2016年の選挙でも有権者の25%は郵便投票或いは不在者投票をしていることを上げている。また、なりすまし投票の件数は、過去の投票では非常に少ないとある専門家が証言している。

 

そして、以下のように書いている:

コロラド、ハワイ、オレゴン、ユタ、ワシントンの5州は現在、選挙を主に郵便投票で実施するが、不正はほとんど記録されていない。オレゴン州は2000年以降、1億通を超える投票用紙を郵送してきたが、不正が立証されたのは12件ほどだ。

 

しかし、この記事は全体的にバイデン支持の姿勢が明確にあらわれており、客観的な視点で書かれた記事ではない。記述不正が立証されたのは少ないだろうが、立証されない不正も合計して、トランプは恐れている筈。問題がないのなら、当の候補者が異常な位(補足1)に恐れる筈はない。その理由を視野を広げて考察すべきなのに、むしろその恐れを攻撃材料にしている。

 

トランプが恐れる理由は、幾つか存在する。その一つ目は、選挙が非常に接戦となると予想しているのだろう。つまり、上に書いたように、「選挙は得票数の差で戦うことである。従って、不正が検出されたのは極めて稀だというのは、トランプに反論する場合、無力である。

 

3)中国による選挙介入の警戒

 

トランプが警戒する本命は、郵便投票を利用した国内反トランプ派や中国の工作だろう。中国は何とかバイデンを米国大統領にしたい。その理由は書くまでも無い。(補足2)オバマ大統領の時代に副大統領だったバイデンは、中国共産党政権と非常に親密な関係を築いたからである。中国を息子と訪れて、息子の経営する投資会社は中国から巨額の投資を得ている。https://www.epochtimes.jp/p/2019/10/48157.html

 

他にもハンターバイデンと中国で検索すれば、たくさんの例が出てくる。息子は、まともなビジネスをやっているというセリフは、通常のセンスでは説得力を感じない。

 

中国は国を上げて不正でもなんでもして、選挙に介入し、バイデンを勝たそうとしているようだ。その例だが、香港当りから何万という偽造の運転免許証を米国に送り込んだ事件があった。勿論、何処の誰が行ったのかは発表されていない。FBIによると、偽造免許証は郵便投票に参加できるように偽造されたものだという。https://wasegg.com/archives/2903

 

上の写真の標語:なりすまし投票はありますか? 2万人分の偽運転免許証の持ち込み

 

これらの危惧を取り上げないで、郵便投票では不正が起こり得ないと記事に書くのは、ニューズウイークがバイデン支持であることを示している。代表的なマスコミが、このような悪意に満ちた記事を書くようでは、米国全体が今や内戦状態に近いと言えるだろう。

 

昨日の”chukaのブログ”さんの記事では、トランプが大統領選投票後にクーデターを計画している可能性にふれた。https://ameblo.jp/chuka123/entry-12625308891.html

この可能性は低いだろうが、米国はそのような緊迫した雰囲気にあることは事実だろう。このブログ記事には上記のような内容を短くしてコメントさせてもらった。

 

その最後に以下のような文章を書いた:

投票所の設営と管理をしっかりすれば、感染の危険性はPCRを受ける時より少ないでしょう。

日常生活をほぼ正常に行い、買物にもでかけるのに、何故、大統領を選ぶという大事な権利行使が、新型コロナ肺炎の流行で出来ないのか不思議です。

 

クーデターの記事がかなり存在する。それほど、米国は分裂の危機にある。それらを引用だけしておく。https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57849

尚、トランプは郵便投票を違法なクーデターだと攻撃している。

https://www.yomiuri.co.jp/world/uspresident2020/20200804-OYT1T50143/

 

 

補足:

 

1)異常に郵便投票を警戒するトランプは、ノースカロライナで支持者に二重投票を呼びかけたという。勿論、これは悪い冗談の筈だが、それをニューズウイークは、真面目に取り上げている。何方も、今回の大統領選は、米国の重大事であることを示している。

 

2)米国の大統領選挙の日本の国会議員などの選挙との大きな違いは、テレビの利用である。今回の大統領選でも、テレビのコマーシャルとして、トランプの共和党はバイデンを批判するコマーシャルをテレビで流す。同様に、バイデンの民主党はトランプを批判する内容のコマーシャルを流す。https://www.youtube.com/watch?v=cMW334BQZXo

 

菅新内閣は対官僚人事権を振りかざして日本を潰すのか?

日曜日の朝のTV番組「ザ・プライム」で、自民党総裁選候補三人が出演して、橋下徹氏の司会で政策について語っていた。政策全体を語る場面で、石破氏の地方創生の考え以外は、総合的な視点に欠けたものであった。勿論、石破氏の地方創生も、今の国難のときに言う必要があるのかと思って聞いていた。

そこでもっと驚いたのは、三候補とも今は国難の時だと言いながら、国難の理解が私のものとは全く違っていた。三人とも、新型コロナ肺炎流行が「国難の正体」だというのである。「世界支配を超限戦で目指す中国に対して、米国が宣戦布告に等しい態度を表明し、その対立の中で世界経済と世界政治が大嵐になるが、日本はどうするのか?」という類の話の欠片も無かった。

日本のために社会のデジタル化を進めるとか、自分が良かれと思うところをドシドシやっていくと菅氏は語っていた。その中で気になる一言があった。抵抗する官僚は、内閣の人事権を使って飛ばすと明言したのである。内閣による官僚人事の承認対象は、審議官レベル以上の600名ほどらしい。

内閣人事局を創ったのは安倍政権であったので、菅氏は積極的に人事権という刀を振り回すつもりのようだ。残り二人は内閣が対象とする部分を縮小すべきだとか、積極的な発言はしなかった。ここで、この点との絡みで、菅政権の考えられる危険性を、三橋貴明氏が解説している。今回はそれを紹介する。 https://www.youtube.com/watch?v=F-A7Go5Sbv8
上図は、三橋氏が語る日本の政治のメカニズムを表す。このタイプのメカニズムは1997年頃から(橋本内閣?)の自民党政治で始まったという。米国や中国、或いは経済界からの要請を汲み上げる装置として、総理の諮問機関(左)や特定の側近官僚たち(右)があり、その要請を空虚な器の内閣総理大臣という機関に取り込んで行政を行ってきたというのである。(補足1)

その執行を円滑にするために、立法府の議員に対しては、公認権や政党助成金分配権を、そして官僚たちには、内閣人事権(2014年以降)を用いてきたというのである。(補足2)つまり、内閣総理大臣は空虚な器であれば、政治は側近官僚や内閣の諮問会議が政治を動かすので、大きな進歩は無いが大きな間違いもない。

今回菅氏が首相になり、空虚な器という性質を返上するかもしれないと三橋氏は心配するのである。もし、官僚の人事権という刀を振りかざせば、訳の解らないプロセスで選ばれた首相(補足3)が強権を発揮し、非常に恐ろしいことになる。その日本没落のプロセスは既に始まっているというのである。

菅氏がテレビ等で喋った経済政策は、緊縮財政と中小企業改革(地方銀行再編)など、元ゴールドマン・サックスのデイビッド・アトキンソン氏(補足4)の影響が強く見られると三橋氏は言う。日本人官僚の反対を人事権を振りかざして抑え、外国人のロボットとなって、日本経済を潰す危険性があるという。

三橋氏の話は経済中心だが、米中覇権戦争の最中における日本を考えると、自分の頭で考える能力の無い首相を抱えて、日本は難破する可能性が高い。

ここで何故か、韓国のセウォル号沈没事故を思い出した。その時、本来の船長に代わって非正規社員の臨時船長が船を操縦していたのだ。荷物を過剰に積み上げ、その分バラストを減らして(1/4に減らしていた)航行する危険性など、臨時船長なら殆ど知らなかっただろう。真っ先に船から逃げるあの場面を思い出す。将に、内憂外患の日本である。

補足:

1)「安倍総理=空虚な器論」は、オバマ政権末期にオバマに脅されて慰安婦最終合意とやらを行ったとき、チャンネル桜で盛んに言われていた。安倍総理の毅然とした態度を信じていたチャンネル桜の社長などの言葉であった。その後、いつの間にか習近平国賓招聘などが決まり、安倍総理=空虚な器論は決定的となった。三橋氏は、この動画でもっと以前、1997年ころ(橋本龍太郎内閣のころ)から、「総理大臣=空虚な器」制が始まったと言っている。

2)内閣人事局が2014年に出来た。それ以前は族議員や官僚OBの介入があったという。内閣人事局は、不適切な人事を監視する役割に徹するのが筋だろう。何故なら、官僚は政治をしてはいけないからである。忖度は、官僚が政治に介入することであり、それでは「官僚の無謬性」が成立しなくなる。つまり、官僚にまで政治責任が及ぶことになれば、官僚を国民が選ばなければ、民主政治でなくなる。

3)日本国家のトップを、二階の老獪で不透明な働きが決めたように見える。本来、日本国のトップは国民の投票で決めるべきである。その議論がマスコミになかった。

4)元ゴールドマン・サックスの社員で英国人のデイビッド・アトキンソンは、日本の文化財の修繕をする会社を経営しているとテレビに出ていたことがある。変な活動はしないで欲しい。

2020年9月16日水曜日

石破茂氏を首相にしない方法:30年前のピンクトラップ疑惑を流せば良い?

今回の自民党総裁の決定が、実質的に日本の首相の選出になることに釈然としないものを感じる。つまり、田舎重視の昔の選挙区のままで、しかも一票の格差が倍以上もある状況で選ばれた立法府の一部議員達により、行政府の長が実質的に選ばれることの理不尽。

 

しかし、マスコミでこの事を論じた場面に、全く気付かなかった。購読している新聞にも無かった。国民の多くは、総裁と総理の区別さえ出来ていないのではないのか?総裁になっただけで、菅氏は内閣の人事を考え、マスコミにリークしている。

 

そしてまた、今回の選挙で石破茂氏の人気のなさに驚いた。何故なら、第二期安倍政権が発足する時の総裁選では、石破氏が地方票で安倍氏を大きく引き離していた事実、更に第一回目の投票で1位になった事実を記憶しているからである。

 

約8年前の選挙では、石破氏は第二回の投票で1位2位連合に敗れ、その結果安倍氏が選ばれた。総裁は、最も多く票をとっても成れないのである。

 

三人がテレビで政策などを議論したときには、満足な政策を論じた人はいなかったが、最もまともに喋っていたのは石破氏だった。しかし、何を言ってもダメなのが日本という国である。今回の総裁選では、安倍と麻生両氏が連携して、しかもその石破氏を落とす連携が効果的に働いて、候補3人の内の最下位に落とすことになった。何故、安倍や麻生両氏らは石破氏を嫌うのか。

 

その理由を論じたデイリー新潮の記事が、ヤフーニュース(9/6(日) 8:00)として配信されている。その記事を少し引用する。

https://news.yahoo.co.jp/articles/4ce81840880c8a41556243ec26232a38763754ed

 

政治ジャーナリストの田崎史郎氏は、二人が石破氏を嫌う理由について、出演したテレビ番組で次のように語っている。「安倍さんも麻生さんも石破さんが嫌いです。石破さんは、お二人が総理だった時、退陣するよう迫った。あの時のことを、俺の足を引っ張りやがったと、今も恨んでいるのです」。

 

何らかの不祥事があったとき、その責任追及を石破氏が行ったというのである。しかし、不祥事があったのなら、例えば加計問題でも森友問題でも、更に、河井あんり議員の公職選挙法違反(買収)で逮捕された件と、安倍氏の決断として他の自民党議員の10倍の選挙費を党費から支出した件の関係など、追求しない方が国民に対する裏切り行為になる。

 

この記事は次の文章で終わっている:

 

田崎氏は「当時の石破さんの判断は間違っていなかった」とも解説している。自民党総裁は、政策は二の次で、所詮好き嫌いで決まってしまうというわけである。これが日本によって良いのかどうか……。

 

2)ピンクトラップ疑惑

 

更に、右翼の代表的なyoutube動画配信の場であるチャンネル桜の中だと思うが、石破が北朝鮮でピンクトラップに”自分が望んで掛かった”という信じられない内容の動画が配信されている。日頃の石破氏のイメージからはありえないような場面が語られている。しかもその話の件は、何と30年前の所謂金丸訪朝団で石破氏も参加した時の出来事だというのだ。

https://www.youtube.com/watch?v=pE_FO9m8U10

 

この疑惑は方方で面白おかしく書かれているが、真相はヤブの中というより、30年前の闇の中である。石破氏を嫌う連中が日本の右方向に居て、その古いネタを利用して、石破氏を政界から消そうとしているのだろう。しかも、その手の方法が、日本では相当有効なのだ。https://decopachi.com/entry/ishiba-shigeru-honeytrap

 

中国や北朝鮮の方からこの現象を見れば、そしてそこの諜報機関の人たちなら、日本の政治家が気に入らなければ、そしてその政治家がそれらの国を訪れたことが一度でもあれば、この手を使えば政界から消すことができると思うだろう。噂を新潮や文春などの何時も不倫や汚職などを報じている週刊誌に流せば良いのである。安上がりな工作である。

 

大衆はそれに気づかない。上記動画のコメント欄には、それを本当だと信じる卑怯な連中、反日の連中、全く知性を欠く連中たちの書き込みであふれている。情けない。民主政治が堕落しない条件は、公空間での幅広い分野の人たちの間での議論が、文化として定着することである。

 

日本は、そのレベルから程遠い。今の自民党を含めて政界の連中も、そのレベルから程遠い。マスコミも同様。南無阿弥陀仏。

2020年9月15日火曜日

菅新総裁は西欧的価値観が現代国際社会の基礎であることを肝に命じるべき

前回の記事で、橋下徹氏と宮家邦彦氏の間での、対中国問題についての議論を紹介した。橋下徹氏が、習近平政権による国家安全法の香港への持ち込みやウイグルでの政策を支持する国が、反対する国より多いことを、国際世論の変化として考慮すべきではないかという考えを披露した。

 

この考えは、「中国の内政問題として、あまり干渉すべきではない」という習近平政権を擁護することになる。商談を進めるには、その方が上手く行くかもしれない。しかし、それは中国を危険な国と考え始めた他の西欧先進国の中で、不利な立場に追い込まれるだろう。

 

つまり、西欧先進国が作り上げた国際関係には、①「自由、人権、法の支配」というルールと、②主権国家体制の尊重というルールとを含む政治文化が根底にある。それは現在まで、平和で円滑な国際社会の連携を進める上で、重要な働きをしてきた。しかし、②を最優先し、①を完全に内政問題の範疇に押し込めるのは、暴論である。

 

あくまでも西欧政治経済文化の底の部分の基礎は①であり、その上に国家という家を建てる場合の玄関等の仕様が②である。この全く常識的な話を捻じ曲げる橋下徹という人は、変人ではないのだから、中国に取り込まれた人と考えざるを得ない。(補足1)

 

トランプ政権は、ポンペイオ国務長官のニクソン記念館での演説や最近の対中国共産党政権(中共政権)に対する姿勢を見ると、その政権の遺伝子として、世界制覇の達成が存在することを確信したと言える。

 

2)フランケンシュタインを育てた米国

 

1972年、米国は中国との互恵関係を考えて国交回復に向けて交渉をスタートしたことになっている。しかし、本音としては、共産圏の間に楔を打ち込むという企みもあった。この本音の部分ではソ連の崩壊(1991年)があり、目論見どおりの成果を得た。その時、経済的に大きくなり始めた中国の遺伝子を真剣に考えるべきだった。

 

天安門事件(1989年6月4日)で、流石のニクソンやキッシンジャーも中国の本質的な姿を見たはずである。1989年のベルリンの壁崩壊、1991年のソ連崩壊で、米中関係についても建前と本音の壁を破って、再考することが可能になった。間髪を入れず、行うべきだった。

 

しかし、米中の互恵関係が、ロックフェラーや他の巨大資本の本音の座をしっかりと専有して仕舞い、議論に持ち込むことが出来なかったのだろう。ポンペイオ国務長官のニクソン記念館での演説では、遅すぎる。

 

何故なら、ニクソン大統領は、気付いていたからである。晩年、「我々はフランケンシュタイン(のような国)を育ててしまったかもしれない」と、フォックスニュースの記者に語ったというのである。

https://www.sankei.com/premium/news/151102/prm1511020005-n1.html

 

しかし、その後、米政権の中で、或いは影で、隠然たる影響力を発揮したキッシンジャーやウォール街の資本家などが、上に書いたように、その後20年以上に亘って中国を巨大な国に育てた。いよいよ、育ての親を食う時がきたのだ。

 

現在、米国を中心とした自由主義経済は、殆ど世界に広がったサプライチェーンを為し、その中で中国の占める位置は非常に大きい。それでも、トランプとその側近、更に議会の多くの議員たちは、中国を特に先端産業部分で、サプライチェーンから外す動きを始めている。

 

それは、可能かどうかも分からない位の難事業である。おそらくバイデンが大統領になれば、米国は中国に食われるために、中国を大きく育てる路線に戻るだろう。トランプ位の変人でなければ出来ない難事業である。

 

トランプ政権の視点で言えば、中国を“デカップル”するのは、大きく発達した癌の切除手術を、死を覚悟して行うようなものだろう。もし、民主主義を取り入れた先進諸国の協力が無ければ、(或いはあったとしても?)米国は分裂してしまうだろう。

 

天安門事件も忘れ去られ、実利主義にひた走っているとき、米国の多くが、本当にwin-winの関係を信じていただろう。クリントン、ブッシュ、オバマと続いた政権で、斜めから中国をみるとフランケンシュタインに見えることに気付いたのは、第二期のオバマだろう。

 

そしてオバマは、戦々恐々として南シナ海で航行の自由作戦を行った。国際法などゴミ箱に捨てることが出来る国だと気づいても、もう遅いかもしれない。航行の自由作戦がせいいっぱいの示威行為だったのだろう。所詮、言葉だけの秀才なのだろう。(副大統領のバイデンはとっくに、息子ともども中国に食われてしまっている:補足2)

 

トランプがそれに気付いたのは、強烈なアメリカ第一主義の副産物としてだろう。鉄鋼などの過剰生産力、不動産バブルのなど、経済が陰りだした中国は、いよいよ世界の侵略に生きる道を探す時期に来た。一帯一路作戦とアジアインフラ投資銀行は、世界制覇の第一歩を踏み出したということである。

 

3)欧米と協力して、欧米の対中国姿勢を十分理解した上で、中国との経済関係を考えるべきである。

 

日本政府は、中国相手の経済政策、つまり中国の内需に期待して工場を進出させたり、中国人観光客を誘致したりする事は、再考すべきである。つまり、日本政府にとっては、規制緩和ではなく規制強化の時である。

 

先程のテレビ番組「ゴゴスマ」に、菅政権に何らかの形で協力すると考えられている橋下徹氏が出演し、外国人観光客を様々な規制緩和で増加させたのは菅官房長官の努力によると言っていた。そして、これから本来のアベノミクスのために、規制緩和を行うことが必要だと言っていた。真逆である。

 

今、緊急に我々が確認すべきことは、そもそもこの我々の「近代文明はどの様に発展したのか、その中で西欧文化はどのような働きをしたのか」である。そして、日本国やその他の東洋の国々はどのように、この近代機械技術文明に参加してきたかを考えるべきである。

 

西欧の科学は、神がこの世界を論理的に創った筈であるという信念がなければ、発展しなかっただろう。「真実は一つであり、再現性がある」という信念である。神は言葉を大事にし、約束を守るという、キリスト教的信念である。魑魅魍魎に怯える東アジアの人間には、論理的科学的思考でこの世界の仕組みを知ることなど出来ない。

 

「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」という思想がなければ、ハーグ陸戦協定のような取り決めは出来なかっただろう。法治の理念も、キリスト教が底にある。日本にあるのは大岡裁きであり、全く法治の理念には遠かった。

 

つまり、我々の国、日本は「西欧に学び、西欧に追いつけ」という覚悟で、明治以来努力してきたのである。そこで、敢然とその思想を採用しない中国という国が現れた。その姿は勇ましい。流石中華5000年の歴史を思わせる。しかし、そうなら、現代の科学技術に頼るのは止めるべきだ。(補足3)

 

この近代文明に合わない中国の考え方は、許されるべきではないのだ。キッシンジャーやウォール街の資本家達の多くが気づき始めた危険な中国共産党政権相手の実利主義を、これから始めようとする橋下氏は、異常と言って良い。

 

菅政権は、その彼を登用して、経済回復に共産国中国との関係強化に向かうべきではない。中国からの旅行者を受け入れようという類の政策も、採るべきではない。

 

補足:

 

1)私は、橋下徹氏を大阪府知事時代から高く評価してきた。橋下氏の道州制の主張に対しても、同様であった。本当に残念である。

 

2)昨年10月15日のブログ記事に書いたように、ジョー・バイデン氏の息子のハンター・バイデン氏と、前オバマ政権時代の国務長官のジョン・ケリー氏の義理の息子デバン・アーチャー氏は、共同で投資会社ローズモント・セネカという会社を経営している(又は、していた)。

この会社に、ウクライナのエネルギー企業のブリズマから90万ドル振り込まれたという話は、テレビ東京でも放映されている。ウクライナ疑惑である。https://txbiz.tv-tokyo.co.jp/nms/news/post_187727/

そのローズモント・セネカという会社は、中国に巨額投資する代表的米企業である。大紀元時報によれば、ハンター・バイデン氏は、株式未公開の中国の投資会社の取締役を務めるなど、巨万の富を中国で得ている。

また、ローズモント・セネカが設立した米中合弁の会社「渤海華美」は、中国の新興企業Megvii(北京曠視科技有限公司)が開発した顔認識プラットフォーム「Face++」に投資している。Face++の顔認識技術は、中国公安当局が監視システム構築のために採用している。https://www.epochtimes.jp/p/2019/10/48157.html

 

3)中国は西欧の科学技術は、西欧の文化の産物かもしれない。中国は、その産物を利用し、文化は受け入れない。それが厚黒学の極意だ。そのように言うかもしれない。

2020年9月13日日曜日

中国に取り込まれた橋下徹と習近平の日本人総家畜化計画

1)橋下徹氏について:

 

今朝のテレビ番組ザ・プライムにおいて、司会者と橋下徹氏が、ゲスト出演した自民党総裁候補に、新型コロナや景気対策など内政問題について質問をしていた。そこで奇異に感じたのは、外交問題、特に、中国にどう向き合うかについて殆ど何も聞かなかったことである。現在の日本にとって、新型コロナ肺炎はインフルエンザ+アルファ程度の脅威だが、中国の驚異は桁違いに大きい筈である。(補足1)

 

三人が去ったあと、橋下徹氏と宮家邦彦氏の間で、中国問題について少し議論があった。橋下氏が、中国共産党政権が香港に国家安全法を持ち込んだことを支持する国が50数カ国あり、反対する20数カ国の倍程度ある。国際世論の変化を日本も考えなくてはいけないと、中国側に配慮する発言をした。

 

宮家氏が、「中共政府のウイグル人に対する人権侵害的政策などは、自由と法の支配という人類の普遍的価値に反する」と言ったことに対しても、橋下氏は「ウイグルでの中共政府の政策を支持する国は、反対する国より多い」と返した。西欧諸国が現代までに作り上げた政治文化とその中の外交文化を、絶対視するのは問題ではないかという趣旨の発言をしていた。(補足2)

 

橋下氏は、8月下旬に紹介した記事で、「若い人にも、二階氏のように中国とパイプを持つ政治家がもっと出るべきだ」と発言したことを紹介し、彼は中国に取り込まれていると書いた。今回の発言からもそれが裏付けられたと思う。

 

2)中国の社会信用システムと周辺国への利用

 

中国共産党政権は、世界の全ての領域を中国が支配することを目指している。その中間点として、覇権を米中二国で分け合うことを考えているかもしれないが、最終目標は米国も中国の支配下に置くことである。その終着点での人類社会の姿が、専制と差別の世界、恐怖が支配する世界であることは明白である。西欧の「個人の自由や人権、法の支配、裁判を受ける権利」などの文化は無くなっているだろう。

 

その姿を予言する記事が9月12日のMAG2NEWSに掲載されている。表題は「日本人総家畜化」計画である。https://www.mag2.com/p/news/466197

 

中国は既に、全国に膨大な数の監視カメラを設置し顔認証システムを利用して、全ての国民のデジタル支配を目指している。既に一部に使われており、「社会信用システム」として世界に知られている。この信用スコアが低いために航空券が買えなかったりする人も出ているようだ。https://wired.jp/2018/06/26/china-social-credit/ 

 

国民総背番号制と社会信用スコアなどのハイテク技術は、国家と国民の間に信用があるという前提で、社会の安定と要求の汲み上げなどに利用されるだろう。しかし、その運用は極めて慎重に議論をして、上記「普遍的価値」と整合性をとる形を樹立して用いるべきである。その際、高度な暗号システムが利用されるだろう。

 

MAG2NEWSの記事では、以下の用に書いている:

 

強権主義、独裁主義で非民主的な政府が、ハイテクに通じていたらどうなるのか。その地獄のような世界は中国を見れば良い。中国共産党政権はウイグルやチベットで全国民を監視して、少しでも中国共産党政権に反抗的な人間であれば、片っ端から逮捕して強制収容所に放り込んでいる。(原文をお読みください。)

 

中国共産党政府は、9月から内モンゴルでの初等教育で、モンゴルの歴史教育を禁止するなど、モンゴル人の民族抹殺の計画を本格的に進めているようだ。その光景は、10年後の日本かもしれない。実際、日本への侵略も沖縄や北海道で徐々に始まっている。MAG2NEWSの記事を再び引用する:

 

侵略は現在進行形で進んでいる。日本が侵略されたら、日本人も中国共産党政権によって監視下に置かれるということだ。漢民族ではない私たちは、もちろんカーストの一番「下」の劣等市民の扱いに押し込められるだろう。(補足3)

 

(今回も上図を出す。チャネル桜が入手した情報である)

 

中央政界にも魔の手が延びていると、怯える人もいるだろう。今回の総理辞任も「何故今なのか」と思う人も多いだろう。安倍さんはどうして総理を辞任することになったのか、それが病気だとしても、そのプロセスを追跡するべきである。

 

今朝のザ・プライムで、菅氏は、首相になったと仮定して、内閣に歯向かう官僚は移動してもらうと明確に言っていた。その際、橋下氏を総務大臣にする可能性がある。「デジタル庁」の設立も、新しいことで具体的なことを殆ど言わなかった菅氏が明確に喋ったことが気になる。

 

デジタル庁と橋下氏の豪腕は、中国の方針に従って利用される可能性がある。国民は、過敏だと言われるくらいになるべきときに来ている。

 

 

補足:

 

1)マスコミ各社は中国や韓国の支配下にあると多くの人は感じている。新型コロナ肺炎の恐怖を煽るのは、日本国民の目が大陸に向かうのを防ぐためと考えられている。

 

2)宮家氏は国の数で判断するのはおかしいと反論をしかけたが、それ以上のことは言わなかった。中国は国際社会の考えや姿勢が一国一票で統計される場合が多いことを想定して、アフリカなどの小さい国に経済援助をして多く味方につけてきた。アフリカの小国とアメリカやブラジルなどの国とを同じ一票で考える橋下氏の考えは、明らかに中国に配慮した姿勢の反映である。

 

3)日本人総家畜化とは刺激的なタイトルだが、ウイグル人などを見ると言い過ぎではないだろう。中国での反日教育から考えて、ウイグル人やモンゴル人以下に扱われるだろう。

2020年9月11日金曜日

ピーチ機でのマスク拒否の乗客を途中で降ろした件:搭乗員(CA)のミスだろう

ピーチ・アビエーション社(以下ピーチ社)の飛行機にマスクをしないで搭乗した客(以下乗客A)が、途中立ち寄った空港で飛行機から降ろされた件について考える。この件、航空中に機内搭乗員(以下、CA)によるマスク着用要請とその拒否が、何度も繰り返された挙げ句、乗客Aの激高となったようだ。その後、機長により機内の秩序が維持できないとの判断に至り、乗客Aは途中の空港で降ろされた。

 

この件、ネットニュースとしても報じられ、朝のテレビ(グッドラック)でも話題になった。日本独特の現象として面白い展開を見せている。この乗客は、ひょっとしたら、現在のように話題になることを期待していたかもしれないと思う。

 

ピーチ社の広報担当者は「マスクの着用は義務ではなくお願いベースなので着用しないからといって搭乗拒否できない。今回は大声を出すなど、機内の秩序を乱す行為があったので男性に降りてもらった」と話した。https://www.asahi.com/articles/ASN986THPN98PPTB00B.html

 

これだけの情報だと、この件はピーチ社のCAに第一の責任がある。搭乗拒否しなかったのだから、乗客の権利侵害となり得るような形で、つまり乗客の自由な時間を侵害するような形でのマスク着用の要求は、すべきでないからである。途中で席の移動を依頼したようだが、乗客にはそれに応じる必要もない。

 

仮に、乗客Aが激高したとしても、この権利侵害との前後関係及びテレビで報道された乗客Aの言い分から、喧嘩を売った方に第一の責任があると思う。機長は、そのCAと乗客Aの二人を飛行機から下ろすべきだった。

 

テレビ番組グッドラックを司会する立川志らく氏は、徹底して乗客Aを非難していたが、そこで「堀江貴文氏が、ピーチ社が悪いと言っているのが面倒だ」と紹介していた。そこで、ネット検索したところ、堀江氏の文章がヤフーに紹介されていた。https://news.yahoo.co.jp/articles/2f57a57ef4203b27b29575b863908f70b1551c8d

 

2)堀江貴文氏の考えに賛成する

 

堀江氏は「クソ航空会社だな」「しつこくクソ真面目なCAが注意しまくるからこうなる」「私の知人はノーマスクでも無注意でスルー。スルーすりゃいいのに」などと連続投稿して航空会社側の対応を批判している。私は、この意見に賛成である。

 

ここで、敢えて新たな文章とするのは、以下のことが言いたかったからである。それは、全ての公空間での行為は、法的に規定されているということである。つまり、飛行機に搭乗する場合には、ピーチ社と乗客Aの間に搭乗契約が結ばれているのである。

 

そこに、マスク着用が条件になっていないのだから、しつこく「マスクをしないのは他の乗客に対して迷惑になりますから」とマスク着用を要求されるのは、面倒なことである。勿論、しつこく言われたのなら、マスク着用すれば良いのだが、乗客Aは切れてしまったようだ。

 

グッドラックでコメンテーターのアンミカさんが言っていたが、こちらが腹を立てているのに、正義の側にいると言わんばかりに冷静にマスク着用を要求したCAの態度は、その怒りを激高にまで高めた可能性がある。

 

乗客Aも堀江貴文氏も、西欧の文化に慣れているので、マスクの問題も自粛で解決する日本の文化に違和感を感じた可能性が高い。「マスク着用をお願いします」が「マスク着用が義務である」と頭の中で、翻訳するのが空気の支配する日本文化なのだろう。西欧風の思考法になれた人には、鬱陶しい空気に思える。

 

日本が国際社会の中で、その一員として存在するには、西欧の契約と法の支配の文化に慣れるべきである。その教材として、今回のトラブルをかんがえるべきである。(終わり)

 

追加: 未だ読んでいない人には、山本七平の「空気の研究」を推薦したい。

 

補足の追加:わかりやすい言葉を用いれば、ピーチ機のキャビンアテンダントは、”マスク警察”をやってしまったのです。(18:10追加)

天皇機関説と解釈改憲

先日、「日本人の国家意識欠如の歴史」と題した記事において、現在の日本国民に日本国を自分たちが統治するという意気込みが全くないこと、その理由として、戦後日本政府として明治以降の近代史の総括なしに、専制政治の憲法である大日本帝国憲法(明治憲法;1889/2/11公布)から民主主義の日本国憲法に改憲したことを指摘した。

https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12622220577.html

 

明治憲法は専制政治の憲法であるというのは、伊藤博文は王様が統治するプロイセン(今のドイツ)の憲法を手本に書いたのだから当然である。ドイツでは、1919年の革命によりワイマール憲法に替わった。(補足1)しかし、日本は革命によらず敗戦と米国の占領とにより、明治憲法の手続きに則り新憲法に改憲された。この天下り的に民主主義体制を得たことが、先に指摘したように、国家意識の薄弱な理由である。

 

先日の記事の中で、国民の政治意識が高まった時期として、吉野作造の民本主義などが喧伝された大正デモクラシーの大正時代(1912-1926)に言及した。吉野作造は、東京帝大法学部で政治史を講義していた。同時期、憲法論から民本主義を支えることになったのが、美濃部達吉であった。天皇機関説である。しかし、美濃部達吉は東京帝大で憲法学を講義する教授ではなく、行政法が担当であった。

 

東京帝大法学部で憲法学を講義したのは、美濃部が学生の頃は穂積八束であり、その後を継いで、天皇主権説を主張した上杉慎吉であった。この天皇機関説の美濃部達吉と天皇主権説の上杉慎吉の論争は、美濃部の”解釈改憲”の主張と上杉の言葉通りの憲法解釈の衝突である。この”天皇機関説論争”について、少し調べたので書く。

 

これらの情報は、原田武夫著「蘇る上杉慎吉」による(以下頁数はこの本のもの)。この原田氏の本を読んだ限りでは、美濃部と上杉の論争は、行政法担当の美濃部による“世間に媚びたような憲法解釈”と憲法学担当の上杉の“厳密な憲法解釈”の衝突である。それは、原田氏の本を読んだ限りでは学問的論争という風には見えない。

 

2)民本主義&天皇機関説と大日本帝国憲法

 

吉野作造は、憲法の天皇主権には抵触しない形で民主政治を主張したので、「民本主義」と呼ばれた。中央公論に1916年に発表された論文の題は、「憲政の本義を説いて、其有終の日を済す(なす)の途(みち)を論ず」である。つまり、大日本帝国憲法の本義は、最終的に民主政治の実現にあるというのだろう。

 

これは、国家体制(国体)は天皇主権であるが、統治権の運用形式である政体は一般人民の為に機能するとう考え方である。確かに、大日本帝国憲法には、居住の自由、裁判を受ける権利、信書の秘密保持の権利、信教の自由、結社の自由など、現在の憲法と変わらない記述がある。しかし、憲法において内閣総理大臣の地位に関する記述はない。単に国務大臣の一人に過ぎない(第55条)。陸海軍は天皇直属であり(第11条)、行政権は完全に天皇の下にある。立法権も第5条と第6条により、天皇に属する。この憲法から、民本主義を読み出すことは言語学的に不可能だろう。

 

実際、この民本主義を、東京帝大法学部で憲法を講義する上杉慎吉は、明確に否定している。上杉は、「大日本帝国の国体即ち国家としての形態は、君主国体であり、絶対的な命令権である統治権を唯一人の自然人が有している」と考えた。(47頁)自然人とは、普通の意味での天皇を意味する。

 

一方美濃部は、「天皇は最高機関として、内閣をはじめとする他の機関からの輔弼(ほひつ)を得ながら統治権を行使する」と説いた。(補足2)天皇が機関なら、そして自然人としての好みや恣意的判断が殆どないのなら、輔弼という形式で民主主義が実現できると考えたのだろう。それは、民本主義を歓迎する日本の空気を読んで出されたのだろう。したがって、憲法論争になる筈はない。

 

東京帝大法学部教授二人による論争だが、この言い争いが学術論争のように扱われたのは非常に不思議である。日本という国の言語環境の悪さが、其の根底にあるような気がする。そこで、上記原田氏の本から、天皇機関説が作られた経緯を書く。

 

美濃部の東京帝大教授への出世のキッカケとして、時の文部大臣の娘との結婚があったという。そして、広い人脈を得た美濃部は「権力に魅入られたプリンス」となった。(p86)しかし、美濃部は憲法学の講義をさせてもらえなかった。憲法学の講座は、美濃部の目には自分とは比較にならない地味な上杉慎吉が担当していたからである。

 

その美濃部は、学生たちが一年の時に上杉の講義で聞いた「天皇主権説」を、二年と三年のときに担当する行政法の講義の中で否定し、憲法学を講義させてもらえなかった苛立ちもあって、天皇機関説を熱の入った喋り方で講義した。(補足3)

 

その後の大正デモクラシーの嵐のなかで、美濃部の天皇機関説も力を得た。そして、1920年東京帝大に憲法第二講座が開設され、美濃部は担当教授となった。著者は、ここで美濃部が上杉に勝ったと書いている。また同時に、美濃部は最初から天皇機関説を完成していたのではなく、それは上杉との激しい”論争”の中で創られていったと記している。(P93)

 

3)私の考え

 

吉野作造の主張は、「主権者は一般民衆の利益を重んじことを方針とすべき」である。その空気が日本社会に醸成されたのは、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦の三度の戦争で、命を犠牲にしたのは一般大衆だからである。明治の自由民権運動もあったが、この大正デモクラシーの時期こそ、憲法改正の必要性を考える人は多かっただろう。しかし、民主主義の必要性を感じる人の数とそのエネルギーの成長よりも、天皇の権威が高まるスピードの方が早かっただろう。

 

大日本帝国憲法は、どう呼んでも天皇が君主であり、国民は臣民である。明治の改革が軌道に乗った早い時点で、天皇は国家元首であるという条文を置き、それとともに、内閣総理大臣を行政の長とし、軍隊を例えば防衛省の下に置くなどの憲法改正が行われるべきだったと思う。

 

天皇は、薩長土肥と京都の一部下級貴族が、倒幕と戊辰戦争で担ぎ上げた存在である。それ以前には、神道のトップとして存在し、現実の政治に関与する存在ではなかった。従って、天皇を国家の統治者に担ぎ上げた薩長の維新第一世代の人たちなら、立憲民主制にふさわしい憲法への改正は可能だったと思う。

 

その憲法改正の必要性を阻害したのが、美濃部の天皇機関説の主張である。上杉が天皇主権論を講義しており、それが大正デモクラシーの要求と衝突することで、生みの苦しみとして世情不安の時期が訪れるだろうが、憲法改正ができた可能性が多少ともあったかもしれない。

 

美濃部は「憲法に触らないで、民本主義をその中に読みとる」という結論を設定し、無理矢理に論理の組み立てを行った。そして、天皇や臣民の定義すら、その結論のために歪めようとしたのである。一方、上杉の天皇主権論は、自然に憲法を読んだだけであり、おそらく「美濃部は何を訳の分からないことを言っているのだ」というのが最初の正直な感想だっただろう。外部からは論争に見えただろうが、最初から議論がかみ合っていなかった筈である。

 

美濃部の言語学的にはほとんど誤魔化しのように聞こえる不思議な説は、上に述べたように、一種の解釈改憲である。解釈改憲は、言語の厳密性を毀損することになり、国民の政治全般に対する信用を失わせることになる。現在も似たような状況にある。自衛隊は、集団自衛権の行使も出来る軍隊になっているが、それでも憲法9条はそのままである。解釈改憲は、肝腎なところでボロが出る。明治の天皇機関説という解釈改憲は、1935年(昭和10年)天皇機関説事件で葬り去られた。

 

どのように読んでも、憲法9条は自衛隊という軍隊の保持を禁じている。その判決を避けた最高裁判所は、思考力や想像力の乏しいやる気のない秀才たちの城に見える。東大(昔の東京帝国大学)の憲法学の石川健治教授は憲法9条の改正に反対している。しかも、「ユートピアニズムが制度化された中での、より強靱なリアリズム。戦後の国際政治、安全保障がめざすべきはそれであって、安易な同盟政策のリアリズムではないように思う」と馬鹿なことを言っている。

https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2017/06/blog-post_21.html

 

日本という国では、政治と近い所に大学などを置くべきではないのだろう。しかも、そこが政界や官界で活動する人間の供給元になる場合、尚更である。効果的な日本改革の一つの方法は、東京大学の移転かもしれない。

 

補足:

 

1)その民主主義故に、ドイツはヒットラーの全体主義を生んだことにも注意が必要。この弱点克服には、日本人全てが国家の統治者であるという意識を持ち、常識的判断ができるように努力することである。(民主主義の欠点:https://www.youtube.com/watch?v=rGLCZKSxBz0&t=915s

 

2)この辺りの言語の使い方は、訳の分からない経を読む坊主の姿に似ている。大日本帝国憲法をどう読めば、そのような意味になるのだろう? 確かに大日本帝国憲法第二章(18−32条)には、臣民の権利と義務が書かれ、兵役の義務を記した第20条以外は、現在の憲法に似ている。しかし、第一条「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」と、第20条「臣民として兵役の義務を負う」とを合わせば、民主主義を完全否定している筈である。民主主義であれ民本主義であれ、憲法改正以外に実現の方法はない。

 

3)この部分は、土方成美「学会春秋記 マルクシズムとの抗争三十余年」中央経済社を引用して記述している。

2020年9月10日木曜日

米国トランプ大統領がノーベル平和賞に推薦されるのか?

イスラエルとアラブ首長国連邦の国交樹立は、今年の大きなニュースだった。その発表が、米国のホワイトハウスで行われたのは、仲介者が米国のトランプ大統領だったからである。この件により、米国トランプ大統領がノーベル平和賞にノミネートされる可能性が高い。その推薦者の第一号は、おそらくノルウェーの国会議員Christian Tybring-Gjedde氏だろう。以下の短いメモを、アップしておきたい。

 

このニュースはBBCに取り上げられた。表題は「Trump Nobel Peace Prize nomination - what you need to know」(トランプのノーベル平和賞への推薦:あなたが知るべきこと)である。

https://www.bbc.com/news/world-us-canada-54092960

 

ノルウェーの国会議員であるChristian Tybring-Gjedde氏は、米国FOXニュースに「トランプ大統領の功績は、他の殆どのノーベル平和賞の候補者よりも、民族間の平和構築に努力したことだと思う」と語ったという。

 

更に、トランプ(の政治)を強く支持する者ではないとしながら、彼は「ノーベル委員会は、彼の時々見せる仕草ではなく、彼の実際に行った事を見て判断すべきだ」と加えた。

 

通常の選考では、受賞年の2月1日までに受け取った推薦依頼を受理するそうだが、選考プロセスは50年間秘密にされるので、2月1日までの推薦にどれだけ意味があるかわからない。ただ、現実の政治への影響を考え、今年の受賞はないだろう。(私の予測)

 

実は、Christian Tybring-Gjedde氏によるトランプ大統領の推薦は、今回するとすれば2度目である。彼は、自国への移民受け入れに反対する政治家であり、その点で右翼と見なす人が多いようだ。しかし、ウィキペディアによると本人はリベラルだと語っている。https://en.wikipedia.org/wiki/Christian_Tybring-Gjedde

 

BBCの上記表題の「あなたが知るべきこと」とわざわざ表題に付け加えた言葉は、今年の通常のノミネーションが終わっていることや、米国の政治への干渉にならないように意識した結果だろう。

 

追加だが、このアラブ首長国連邦とイスラエルの和平に関して、及川さんがyoutube 動画で興味ある解説をしている。この和平の理由として、産油国のアラブ首長国連邦がイスラエルが持つ石油パイプラインを利用したいからだろうというのである。そして、オマーンがイスラエルと同様の和平を発表するだろうと予測している。https://www.youtube.com/watch?v=jbnuloqEzO8

2020年9月8日火曜日

国会議員にネットでの討論を義務付けて、不適格者は落とすべき:拉致問題を例に解説する

自民党議員には既に二世三世議員が多い。中には、幼少期から政治家である親を見て、優秀な政治家に育つ場合もあるが、それはおそらく100人に1人いるかいないかだろう。ちょっと賢い人なら、自分の実力を考えて躊躇う人も居るだろうが、饅頭屋が家業を継ぐ感覚で、引き受ける人が殆どだろう。

 

現在大臣をやっている人にも、首相や副首相を始め、かなりの二世三世四世議員がいる。リーダーと元リーダーの他にも、将来のリーダーとなるべく中心的な閣僚を務めている人もいる。その一方、期待をもっぱら知的に洗練されていない方々から集めている人もいる。

 

永田町は実力だけで動く世界でなく、悪貨が良貨を駆逐する場合も多いので、選挙の段階で送り込む人材を選ばなければならない。つまり、一旦議員になっても、不適格者は振るい落とすべきである。このネット社会の特徴を活かし、全ての代議士にランダムに選ばれた複数の組み合わせで、ネット討論に参加することを義務付け、それを有権者が観て、投票する候補選択の材料とすると良い。

 

議題は国民から募集し、希望の多い議題から採用すれば良い。国会議員からランダムに5人ほど選び、5回ほど合計25人ほとに議論してもらう。勿論10回、50人位でも良い。司会とアシスタントは、関係が深い内閣各省庁のトップなど二人位に担当させる。そうすると、参加した議員とともに大臣の実力も明らかになる。

 

例えば、「拉致問題を解決できないのは何故でしょうか」という議題が国民から多く出されたとする。司会とアシスタントは、国家公安委員長(担当の国務大臣)、防衛大臣、外務大臣、法務大臣、拉致問題担当大臣などが関係深いので、彼らにやってもらう。

 

因みに、拉致は国交の無い北朝鮮により行われた。この第一の責任は、自国の国民の安全を守れなかった日本国政府にある。従って、国家公安委員長を兼務する自治大臣が第一回の討論の司会を担当すべきである。

 

採用されるべき解決方法は、話し合いではない。何故なら、拉致は明らかに国際法にも国際道徳にも違反する犯罪であるから、解決方法としては、本来「威嚇と戦争を含む外交」によるべきである。従って、第二回目の司会は外務大臣が妥当だろう。

 

戦争になった場合、勝ち目があるのかということが非常に大事であるので、防衛大臣は全ての討論において、行政側からの参加者として参加すべきだろう。

 

拉致問題を話し合いと経済支援で行うという馬鹿なことを、嘗て試みた総理大臣がいた。おそらく米国に叱られて中止したのだろう。このような総理大臣を生む政治文化では、これからの10年間の内に日本は巨大な隣国の自治州になるだろう。

「主権国家が国際社会つくり、国際法や国際慣例などにそった外交を行う」というのは、17世紀から20世紀にかけて作り上げられた欧米の国際政治文化である。その文化が万能でないことは、既に中国と米国の対立で明らかである。つまり、国際政治は本質的に野生の関係である。拉致問題と中国問題を議題にして、本質的な部分から議論を10回程試みれば、そして、国会議員や国務大臣がまともな知性をもつならば、この自覚が日本国民にもたらされることが期待される。

2020年9月5日土曜日

ユニクロ柳井会長の日本批判に熱くなる言霊の国の住人「日本人」

1)先ほど投稿した記事で、言霊の意味がわからない人が多いと思い、たまたま見つけたユニクロ会長の言葉とそれに対するコメントを材料に再度「言霊の国、日本」を解説する。

 

ユニクロの柳井会長が韓国誌に話した内容の紹介がヤフーニュースで公開された。表題は、ユニクロ会長の指摘「言うことを言えないという日本文化ゆえに、“日本は滅びる”」=韓国報道である。(9月5日、Wow Korea)

https://news.yahoo.co.jp/articles/f19e623137d4c35fb672e0ca72c07ea6e82e9559

 

4日、柳井会長は最近のインタビューで「企業と個人たちが正しいことを言えなければ、日本は滅びるだろう」と語った。

 

その中から抜粋: そして、国際関係について以下のように語った。

 

①「日本は中国と共存しなければならず、米国とは同盟国関係を維持しなければならないが、度が過ぎた同調は問題だ」

「米国と中国の間で二者択一を迫られた時、信念にしたがって語ることのできる勇気がないゆえに、何もできていない」

 

この記事との関連で去年の10月に同じメディアから転載された記事が引用されていた。そこでの柳井発言;

 

②「日本が韓国を敵対視するのはおかしい」「日本が韓国に反感をもつようになったのは、日本人が劣化したという証拠だ」

「今までの30年間、世界は急速に成長してきたが、日本はほとんど成長できず、先進国から中進国になっていって、もしかしたら開発途上国に転落してしまうかもしれない」

 

そして、具体的に2つの改革案を提示した。一つ目は、財政支出を半分に減らし、公務員の数も半分に減らすこと、二つ目は、参議院と衆議院がきちんと機能していないとし、議会を単院制に替えること、である。

https://www.wowkorea.jp/news/korea/2019/1016/10243554.html

 

後者の記事には、日本人読者の反感に満ちたコメントが掲載されている。例えば、

 

(匿名ID: 78f59c)気が狂ったとしか思えない柳井会長。今までユニクロをそれなりに利用して居りましたが、もうお店には行きません。

 

数百のコメントのうち、上から20ほど見た限りでは、ほとんどがこの類の感情的な反応のものだった。このコメントには理性的な返信がついていた。しかし、それを支持する人は少数であった:

返信:(仮帯ID: f8aab3)気に食わないからユニクロ行かないという短絡的行動自体、やっていることが反日と同じですよね。(サムアプ;3、サムダウン:28)

(以上、要約と引用終わり; 詳細はオリジナルをご覧ください)

 

2)記事と投稿されたコメントに対する私の考え:

 

言霊の国の言語文化の特徴は、言葉にそれを言った人の霊が伴うと感じることである。

日本人では、この柳井会長の意見をまともに聞けない人が殆どである。柳井会長の意見の殆どは正論だが、そこに親韓国のスパイスが少し入ると、完全に拒否してしまうようである。

外交に関する意見①など、全く正論である。考えたことを、自然人も法人も、自由に発言し、それを全ての日本国民が思考の材料として、まな板の上に置けなければ、日本は滅びるだろう。

 

②の日本人の韓国への反感だが、それは日本の所為というより、韓国の所為である。韓国は、慰安婦問題のデッチ上げをしつこく行っているし、「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」を制定して、親日というだけでその方の資産を没収するというとんでもないことを事後法適用で行なっている。

 

ただ、②の意見そのもの(日本の韓国敵対視はおかしい)は正しい。本来、日米韓で協力しなければ、中国や北朝鮮の脅威に対峙できないからである。柳井氏は私の上記反論を否定しているわけではない(韓国の反日が正しいと言ってはいない)。

 

本当は、韓国の反日の深層に、李氏朝鮮時代に対する強いコンプレックスがあるのだ。それを直視すべきだと、私は韓国に言いたい。反日でごまかすなと。

 

ただ、日韓問題を悪くするのは、どちらにとっても得ではないと思うので、柳井会長の意見が間違っておれば、それを指摘し、柳井会長が更に反論するのなら、それを思考の材料にすれば良い。

 

議論は、より正しい結論を得るための複数の参加による思考である。そこで、貴重な思考の材料をアクティブに提供してくれる人を、人格が嫌いだとか言って拒否するのは愚かである。その拒否のメカニズムが、言霊の国の正体である。つまり、その人の言葉とその人とを同一の存在と考えてしまうのである。その言葉が、それを言った人の霊を伴っていると受け取るのである。今回のその人の言葉は、議論の末には、間違いだったと訂正されるかもしれないのに、である。

(18:55編集)

街中を汚くする看板:言霊の国日本

高脂血症のため、できるだけ散歩をしている。熱帯夜でなかったので、今朝は清々しい中、2.5km歩いた。新興住宅地のあちこちに様々な標語が掲示されているので、写真をとった。今日見た看板や掲示の一部を下に示す。(本当に今日撮ったもの)

 

今朝は、気温が低かったので、散歩する人が多かった。人々はひたすら無言で散歩しているのが面白い。右下の標識が示すように、幅2m程の自転車道と散歩道が並行して作られているのだが、遠くに同じ筋を逆方向に進む人を見つければ、自転車道を歩いていれば、歩行者道に筋を替えて無言で衝突を防ぐ。因みに、バイクは日本では自転車を意味しない。モーターサイクルを意味する。(補足1)

 

バイク(エンジン付き)乗入禁止なら、何らかのオーソリティからの警告だと受け取る人がほとんどだろう。また、上段左端の政党のプロパガンダビラには、それなりの効果がある。そのほかの看板や掲示には、なんとも奇妙な感じがする。設置した者たちは、これらの看板や掲示が、近くの人に語りかけることを期待するのだろうか?

 

「交差点 急ぐ気持ちが 事故のもと」という看板は、川柳か何かの展示と見てしまう。それを見る多くの人は、急ぐ気持ちがいけないと自分に言い聞かせるのだろうか? その作品を見て不注意になり、むしろ車に跳ねられる危険性があると思うのは私だけだろうか。

 

「空き巣にご用心 声掛け鍵掛けしっかりと」も75調の作品のようだ。こんなもの街角に置いて何になるのだろうと思う。ただ、設置する側の感覚では、町中に緊張感を持ち込んで、犯罪を減らすことが出来ると言うのだろう。

 

更に、上段の「ぼくの飼い主はグッドマナー」なんて、笑ってしまう。勿論、犬の散歩のときに排泄物を放置するのはマナー違反ですと書く、隣の掲示と同じ効果を考えている。ただ、「あなたもマナーをわきまえた紳士・淑女ですよね」と勝手に決めつけているのである。

 

下の段の左端の掲示は、小学校の校門近くに設置された掲示板である。「心豊かなたくましい子供に育てよう。究める子、温かな子、鍛える子」と書かれている。地元のロータリークラブの寄贈した看板である。これも不思議である。この看板にいったいどのような効果があるのか?

 

この看板を寄贈したロータリークラブの方々は、「心豊かなたくましい子供、究める子、温かい子、鍛える子」とはどのような子供であり、それを育てるにはどのような教育をすべきか、答えてもらいたい。答えなど用意していないだろう。

 

以上の看板や掲示のほとんどは、当事者が何らかの報酬を得るために仕事として行った、街中へのゴミのバラまきにすぎない。

 

2)言霊の国日本:

 

 看板に書いてそっと置くのは、日本人は目の前の人に注意など怖ろしくてできないからである。何故なら、注意することはコミュニケーションではなく、言葉による攻撃だからである。日本人が議論できないのは、言葉の交換(つまり議論)は、言葉による格闘になるからである。従って、議論から新しい見方を手に入れることが非常に苦手である。それは日本病の一つだと私は思う。(石破茂氏の評価に関するバトル:https://www.youtube.com/watch?v=b4-7o4MR_-s&t=112s

 

例えば、チャネル桜などで右系の方々が議論しているのは、本当の議論ではない。単に、話の合う人達が意気投合して気分を盛り上げる井戸端会談にすぎない。言霊の国日本を副題にしたのは、そのような意味を込めた。

 

(17:00、2番目のセクション追加)

 

補足:

 

1)災害の時の逃げ込む場所である小学校の体育館に、避難場所、evacuation areaと書いてある。本当は、a place for refugeの意味だろう。それなら退避所位が適当な言葉だと思う。ポルトガル語らしき、local de refugioという掲示が最も正しいのではないだろうか?

2020年9月4日金曜日

自民党総裁候補者は明確な対中国及び対米の外交方針を示せ

自民党総裁選について今回は、現実的な発言をしたい。今回の選挙は、ほとんどそのまま安倍首相の後任を選ぶ選挙となる。従って、候補者たちには、それに相応しい施政方針を提出し、それを元にオープンな会場で、質問時間も入れて、短くとも3時間程度議論をしてもらいたい。

 

現在、日本の同盟国の米国と日本最大の貿易相手国の中国は、軍事衝突もあり得る位の緊張関係にある。この時期の”総理大臣”に立候補する人物は、この外交関係に関する自分のスタンスを明らかにすることが一番大事である。https://www.youtube.com/watch?v=GGMzo1A4RK0&t=3s

 

米国ポンペオ国務長官のニクソン記念館での演説などで、米国は中国との共存共栄関係から、米国中心の自由社会の経済から中国を分離する方向に方針を替えている。米国国防権限法によるファーウェイなど先進5企業の制裁、香港人権法や香港自治法などによる、香港行政長官など具体的な人物の制裁を発表している。その中で、日本はどうするのか?

 

現在の自民党総裁3候補からは、この点での明確なメッセージはない。石破氏から具体的な政策メッセージが無いのはいつものことだが、菅氏もアベ政治の継承だけではわかりにくい。岸田氏も、「日米同盟を基軸に主要7カ国(G7)や(米英豪など)ファイブアイズなどと連携。科学技術や文化・芸術などの「ソフトパワー」を活用する」というのでは、この日本にとって危機的状況下での外交方針とは思えない。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63402340T00C20A9PP8000/

 

このような日本の政治家と異なり、ヨーロッパの政治家は命を懸けて明確にメッセージを出す。

 

中国から「台湾を訪問するな」と圧力を受け、心臓発作で死亡したチェコのクベラ前上院議長の後任のビストルチル議長が、この度議員団80人を引き連れて台湾を訪問した。この圧力に屈しないという政治家の姿勢こそ、一国のトップに不可欠な資質である。そして、台湾で感動的な演説を行った。

 

それに反発した中国王毅外相は、「高い代償を支払うことになるだろう」と脅迫した。中国共産党政権がヤクザ的な組織であることを証明するこの脅迫に、ドイツやフランスも反発の声明を発表した。

 

日本は、このような明確なメッセージを発していない。そのような体たらくでは、米国との関係も数年でカスミのなかに消え去るだろう。その後日本は、昨日示した地図のように、東海省と日本自治区に分断統治されることになるだろう。

 

上記感動的なビクトルチル上院議長の演説の紹介とこの件の全般的な解説として、及川幸久氏の動画を引用する。https://www.youtube.com/watch?v=6zeNTmcwVOo

 

 

補足:

 

1)親北京派のチェコ大統領と中共大使館がヤロスラフ・クベラ前上院議長を脅迫して、最終的に死に至らせた疑いがもたれている。チェコ上院は2019年、クベラ氏の任期中に法輪功などの信仰団体を支持する決議案を可決し、中共に迫害停止を求めるよう大統領に呼びかけた。 クベラ氏は2月に台湾を訪問する予定だったが、1月20日に突然心臓発作を起こし、亡くなった。https://www.ntdtv.jp/2020/05/43292/

2020年9月3日木曜日

日本人の国家意識欠如の歴史

一昨日、「不思議の国の首相選び」と題して、次期首相選びの非民主主義性を主題にして記事を書いた。そして、マスコミも、評論家も、それを話題にしないという情けない現状を指摘した。今日は、何故日本がそのような情けない姿になったのかを考えてみたい。非常に深刻であり、公表を躊躇う気持ちもあるのが正直なところである。

 

日本国民のほとんどすべては、心の中では日本国民であることに誇りと愛着を持っている。しかし、日本国を自分たちが統治するのだという意気込みが全くない。その理由は、主権者であるという実感がないからだろう。主権獲得は、多くの国では長い戦いの後、感激を伴って達成される。日本国民にはその戦いと達成感がなかったのである。

 

戦後1946年日本国憲法は、明治憲法の手続きに従って改定された。1952年には独立を回復して、いつの間にか国民主権(民主主義)の国になった。棚ぼた式に民主主義が転がり込んだが、日本国民はその重要性と貴重さに気づかなかった。そして今も十分気付いていない。何故なら、米国マッカーサーの国民甘やかし政策(補足1)をその後の自民党政府も継承したので、日本国民は未だ外界の厳しさを知らないのである。

 

喩えて言えば、現在は秋であり心地もそれ程悪くない。しかし、冬は近い。食料や燃料の蓄えもない。昆虫から脊椎動物まで、ほとんど全ては、来年の春まで生き残るように本能で対策をしている。日本は、冬になって初めてその厳しさを知り、飢え死ぬのかもしれない。一昔前までは、日本人も冬を知っていたのに。 

 

2)大正デモクラシー

 

日本にも、“民主”の大切さに目覚めた次期があった。大正時代である。その中心にいたのが吉野作造である。吉野は、憲法の天皇主権には抵触しない形で主張したので、「民本主義」と呼ばれた。中央公論に発表された論文の題は、「憲政の本義を説いて、其有終の日を済す(なす)の途(みち)を論ず」である。つまり、大日本帝国憲法の本当の意味を解釈すれば、その有終の美(最終の成果)は、民主政治の実現だというのだろう。

 

この辺りの言語の使い方は、訳の分からない経を読む坊主の姿に似ている。大日本帝国憲法をどう読めば、そのような意味になるのだろう? 確かに大日本帝国憲法第二章(18−32条)には、臣民の権利と義務が書かれ、兵役の義務を記した第20条以外は、現在の憲法に似ている。しかし、第一条「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」と、第20条「臣民として兵役の義務を負う」とを合わせば、民主主義を完全否定している筈である。民主主義であれ民本主義であれ、憲法改正以外に実現の方法はない。


そして、同じく東京帝大の美濃部達吉から出されたのが「天皇機関説」である。この説は、統治権は法人たる国家にあり、天皇はその最高機関として、内閣をはじめとする他の機関からの輔弼(ほひつ)を得ながら統治権を行使すると説いたものである。(補足2)

 

しかしである、大日本帝国憲法をどう読んでも、天皇が機関であり、(国)民が本来の主権者であるという解釈はできない。前文に当たる部分は全て天皇が第一人称で(自然)人格的に語る言葉から始まる。

 

民本主義や天皇機関説は、無理やりに憲法を解釈したつもりだろうが、どう読んでも憲法はそのようには読めない。https://www.jacar.go.jp/modernjapan/p11.html 彼らは、直接憲法改正を言い出さなかったが、彼らの考えを実施するには、憲法改正以外にはない。憲法改正は勅命で議案を提出する形式で可能であり、新憲法もそのようにして改正された。

 

日本の言語環境の悪さは、常々指摘してきたが、その一つの証拠が、民本主義とか天皇機関説だろう。しかも、これらの声をあげるのは、遅すぎた。上杉慎吉とかいう人物が天皇主権説を唱えて、美濃部を抑えに掛かったのである。

 

明治の改革が一通り終わった時点で、天皇主権を謳った憲法条文の廃止などを含む近代立憲主義への憲法改正が行われるべきだった。それは、天皇を国家元首に担ぎ上げた薩長の維新第一世代の人たちなら可能だったと思う。天皇は、江戸時代まで、伊勢神道のトップとして日本の精神的主柱であった。天皇を担ぎ上げた者たちは、天皇をその江戸時代の姿に戻し、現実の政治への利用は終了すべきであった。

 

大正デモクラシーでもう一つ主張されたのが、藩閥政治の廃止である。つまり、“明治維新”と呼ばれるクーデターを為した薩長土肥の者たちが、政治権力を独占した結果、政治家の質が著しく低下していたことの指摘と非難である。この二つとも、“明治維新”の負の遺産である。その負の遺産に依然として苦しんでいるのが、現在の日本だろう。

 

3)家畜的立憲君主国家

 

大正デモクラシーが目指したのは、憲法には触らないという中途半端な姿勢で、民主化を実現することであった。プロイセン型の君主制国家から、近代的立憲君主国家への脱皮に失敗したのは当然だろう。その結果、欧米の主権国家制度やそこでの戦争文化も吸収することなく、国家にとって命がけの戦争を昭和になって初めてしまった。明治から約75年後、国が実質的に滅んだ。

 

敗戦により、主権国家のエッセンスを取り除いた家畜的立憲君主国家を米国から与えられた。しかし、講和条約後も国家主権の意味を十分理解出来なかったのだろう。(補足3)そこから75年後の今、日本国は再度国家の命運が掛かる危機に面している。国民は、日本が戦争により失った国家としての権威と権力を再興する責任が、自分たちにあることに気付かない。それは、近代史の再考とその教育が国民に対してなされていないからだ。近代史は、日本ではほとんどタブーであった。(補足4)

 

新憲法第一章は天皇であり、第一条には天皇の役割が書かれている。主権在民は、天皇の役割の記述文の中に添えられている。吉野作造や美濃部達吉のような憲法の読み方があるのなら、新憲法においても国家元首は天皇である。それを否定するのなら、昭和天皇は少なくとも敗戦後に退位すべきだった。それに代わる形で、国民主権を謳う新憲法制定を行うべきだった。

 

その後のマッカーサーによる占領政治については、補足に多少追加するに留める。(補足5)米国は融和的な占領政治を演出した。こどもは、「give me chocolate」と言えば、チョコなどをもらえるという噂は、米国が意図的に流したプロパガンダだろう。米国の態度は宮沢賢治の「注文の多い料理店」のものである。この小説と違うところは、完全に料理して食べることに成功した点である。

 

日本の敗戦によって、いつの間にか日本国民は主権者となった。この天皇から国民への主権者の移動に際して、誰一人として犠牲者はいない。しかし、この移動のための犠牲者として、あの戦争での死者300万人余があると考えられないこともない。もし、そのように国民が実感したのなら、日本国はもっとしっかりとした国になっていただろう。

 

転がり込んだ国民主権故、その使い方を全く知らない。そして、それまで主権を担っていた(昭和天皇;補足6)が、骨身に染みるほど知っていた筈のこと「本来の姿の国家が、国民の安全と生存に不可欠であるということ」を、新しい主権者である国民は理解していない。

 

4)江戸末期以降の近代史のレビューの必要性

 

戦後75年間、片務的日米安保条約の下で、国民一般が兵役を負うこと無く、侵略も虐殺も受けずに、何となく無事生活が維持できた。国家など税金ドロボーのように感じる人も多いだろう。この家畜的平和が、主権国家の平和であるかの如く国民を騙し続けたのは、無能で売国奴的な自民党政治家たちである。この主権者たる国民がその義務と責任を感じない国家は、中国首相の李鵬が1993年に予言したように、崩壊するだろう。(補足7)

 

本節の主題に戻る。日本の再生は、近代史のレビューが不可欠である。日本の敗因は、日本国の組織が明治のクーデター或いは革命時の臨時的体制(つまり錦の御旗の偽造と天皇の政治利用)を、そのまま70年以上放置したことである。当時世界有数の軍隊だった日本帝国陸軍と同海軍は、天皇直属の軍であり、大正デモクラシーは特権的な陸軍や海軍の地位を下げるという理由もあり、潰された。

 

天皇には、実質的な意味で戦争責任はなかったとしても、大日本帝国憲法の規定により形の上では戦争責任を負う。近代国家への脱皮には、この天皇の政治への関与を除外することが必要だと多くの人が気づいている。それが形を替えて出ているのが、女系天皇容認論だろう。(補足8)それらを唱える人達は、大正デモクラシーが天皇という思考の柵に阻まれて、本来の目的を論理的に述べることすら出来なかったことに学ぶべきである。日本を救うつもりなら、政治家は先ず自分の命を捨てる覚悟を持つべきだ。

 

伊勢神道のトップである天皇家の伝統には、介入すべきではない。それよりも、もう明治以来150年たったのだから、天皇の統治力に頼らない日本を作るべきである。精神的支柱としての天皇を、江戸時代までの元々の形で残す。そして、国家元首としての首相を選ぶ制度を国家行政の柱とするのである。憲法の第一条には、この首相公選制の定義を書くべきである。

 

(終わりに) この文章は、民主主義が政治形態として先進的であり可能であるという前提で書いています。勿論、大衆に政治を議論する知性など無いという考え方もあります。「大衆の反逆」というオルテガの本には、それに関して悲観論がかかれていたと思います。(今回チェックはしていませんが。)天皇機関説に反対した穂積八束の論文『民法出デテ忠孝亡ブ』や、上杉慎吉を論じた本(アマゾンで販売)を入手し、読む予定をしています。何か新しいことが浮かべば、再度文章をアップします。

(21:00編集;9月4日午前6時30分、加筆編集;9月7日早朝、天皇機関説の紹介の次の文章を行替えし、「しかしである、」を挿入。)

 

補足:

 

1)占領軍は日本国民特に子供には優しかった。そして、日本国(民)は「Welcome」という幕を掲げて歓迎した。それを象徴する様に我々の記憶に残るのが、「Give me chocolate」という英語である。米兵にそう言えば、チョコレートがもらえるという噂が広がったのである。これらは全てマッカーサーのプロパガンダだろう。その貴重な写真を紹介しているのが、以下のサイトである。https://ima.goo.ne.jp/column/article/2642.html

 

2)天皇機関説とは、「天皇というのは国家の一組織であり、そこに昭和時代なら裕仁という方が所属されている」という説である。天皇現人神説の否定である。天皇機関説に対して、穂積八束・上杉慎吉らが主張したのが天皇主権説である。美濃部達吉の天皇機関説は明らかに無理な憲法解釈である。つまり、革命なくしてはこの憲法第一条:「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」を替えることは出来ないということである。

 

3)マッカーサーは帰任後の国会証言で、日本の民主主義は未だ12才レベルであると証言した。主権国家体制の中での国家主権のあり方など、17世紀から欧米で形成された国際政治文化を日本は十分知らなかったことを意味しているのだろう。(戦争は外交の一つという欧米の思想があれば、あのような深刻な戦争にはならなかった。)

 

4)昭和から平成・令和の自民党政治は、明治の藩閥政治の延長上にある。近代史の再考(レビュー)がなされないのは、天皇やその重臣たちを戦争責任の考察対象としてしまうこと、維新の志士たちの天皇の政治利用も明らかにし、明治維新に関する「正史」を曇らせてしまう可能性など、薩長出身の政治家には心地悪いからだろう。(原田伊織著「明治維新という過ち」など参照)

 

5)占領軍によるWGIP(戦争罪悪感植え付け計画)は、日本のアジア侵攻と東南アジア等からの宗主国追い出しを、日本政府による悪行と教え、日本国民を洗脳した。また、マッカーサーは対米開戦に反対していた者たちを含め、占領終了後の日本の指導者になるべき者たちを、東京裁判と公職追放により追放した。更に、WGIPによる洗脳、天皇を温存することによる国民一般の懐柔などにより、日本国民は国家を担うことや其の意味がわからないままに、主権者となった。その結果、日本人は歴史のレビューの動機も失った。

 

6)1946年1月1日、昭和天皇は人間宣言された。(ウイキペディア参照)

 

7)「30年後、日本は崩壊し、40年後には、日本は消えている。」は李鵬が1993年、訪問したオーストラリア首相に言った言葉である。2023年、本当に日本は崩壊しそうである。そして、40年後、日本は東海省と日本自治区に分断するのが、中国首脳は今でも考えているだろう。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/12/ii.html

 

8)自民党の憲法草案でも、多くの右派の方々は、天皇を国家元首とすべきと考えている。今だに、明治以降の日本の失敗が分かっていないようだ。かれらの地位のある方々、政治評論の名士たちの頭の中身が私にはわからない。

2020年9月1日火曜日

不思議の国の首相選び

1)テレビ番組:

 

現在、自民党総裁のあり方について、テレビ等で色々議論されている。今(午後3時頃)もテレビ番組「ミヤネ屋」で、党員も含めた選挙で決めるべきだという趣旨の放送をしている。

 

しかし、今現在、国民のほとんどは、親中派の二階幹事長(補足1)が支持する菅官房長官が、自民党両議院議員だけの選挙で新しい自民党総裁に選ばれ、日本国の総理大臣になることが分かっている。

 

それでも、自分たちの国のリーダーが数百人の談合で選ばれることに納得がいかないのだろう。解説者の野村修也氏も、党員を排除した形で総裁選挙を行うのは、政権が弱くなるという話をしている。

 

司会者のミヤネ屋も、政策論争してほしいと言い、ゲスト出演の石破茂氏も政策論争を聞くことが国民の権利であると言っている。ここで「国民の権利」が出てくる理由が、今ひとつわからない。党員と国民を間違える程の老齢ではない。

 

私が「訳の分からない」というのは、自民党という政治団体が、団体のルール(綱領)に従って、党のトップを選ぶことに、何の不都合もない筈である。国民一般には、それに口出す権利などないからである。

 

チャンネルを替えると(直撃ライブグッディ)でも、平井文夫氏は、菅さんが総理になって良いと国民が考えているかどうか、総選挙すべきだと言っている。橋下徹氏は、野党がしっかりしないのがいけないとか言っている。これらも訳がわからない話である。

 

皆、背中がかゆいが、どうも痒いところに手がとどかない苛立ちを、訳のわからない言葉らしきうめき声のような音を出している様に見える。江戸川乱歩の短編小説「芋虫」を思い出した。失礼!

 

2)youtube動画:

 

馬渕睦夫氏もyoutube動画で、現在の総裁候補はほとんど親中派であり問題だと言っている。馬渕氏は、「国民の間では、唯一親中ではない河野太郎防衛大臣を推す声が多いが、彼は日本のリーダーに相応しくない」と結論している。その理由は、彼の「女系天皇でも良いではないか」との発言にあるようだ。https://www.youtube.com/watch?v=rAL--v8u66o&t=127s (補足2)

 

チャンネル桜の社長と、ファイブアイズ(five eyes; 米、英、豪、加、NZ)を中心とした(自由主義)同盟国連合から切り離されることが心配だと、嘆いている。

 

私も、米国が中国とのデカップリングを行い、日本が中国側に取り残されることを心配している。そうなれば、日本は中国の東海州になり、国民は三級国民として、場合によっては臓器提供者としてリストされる危険性がある。

 

3)話を整理しよう:

 

しかし、話はどうもズレている。上に述べたように、痒いところに手が届いていない。

 

自民党総裁が自民党の綱領に沿って選ばれることに何の異議があろうか。我々有権者が選べるのは国会議員一人である。その議員の同窓会が、会長選挙をどう選ぶかについて、我々選挙民が意見を言う立場にはないのと同様である。

 

しかし、憲法第67条の規定「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先立って、これを行う」により、国会で首相を選ぶ時、自動的に与党である自由民主党の総裁が選ばれるようである。そこが問題点である。そこでコメントを投稿した。

 

自民党総裁は党が勝手にルールを作って選ぶ。そして、自民党総裁はほとんど自動的に首相になる。

 

首相は実質日本の元首である。従って民主主義を採用するのなら、公選制にすべき。勿論、米国のように地方に代議員と定数を割り当てるのは良いが、政治家(国会議員)2世、有名人、元官僚には代議員資格を与えない事が大事だろう。彼らは既に、相当の票田をもっており、新しい制度には相応しくないからである。(デスマス調をデアル調に返還)

 

今行うべきは、首相公選制である。そして、この国の国家元首はだれなのかの議論である。一月前に独立した国でも、1ヶ月後にはこの議論はしている筈である。

 

補足:

 

1)二階俊博氏は、中国に完全に取り込まれている。中国の習近平国家主席を国賓として招聘する時期を延期することになったとき、自民党一部議員団から中止にしたらどうかという要望が出された。その時も、二階氏は激怒したと報じられている。

 

2)「彼は政治家というよりNGOタイプの人物なので、許されるのだ。彼が中国や韓国に厳しい発言が出来るのは、何か背景がある筈だ」と言っている。この河野太郎NGO説は妙に合点の行く形容であるが、背景を見つけてもらわないと単なる妄想になってしまう。

(再録) 恐ろしい中国の反日教育

下の記事は、2014年8月22日発表のものです。姉妹サイトで米国又はフランスで今日早朝閲覧があり、読み返したところ現在の日本人用として相応しいと思いました。そこで、ここに再録します。

https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2014/08/blog-post_75.html

 

 

再録部分:

 

 先ず、この記事を読んでもらいたい。http://www.recordchina.co.jp/a81672.html 丁寧に最後まで読めば、そこに中国の反日教育がどのようなものかはっきり書かれている。ここまで徹底しているとは正直知らなかった。あの核兵器を持ち、ミサイルを日本に向けている中国が、このような反日教育を受けた世代が成人したとき、何をするだろうか。恐ろしい。本当に恐ろしい。

 何と言う非人間的な教育をする国家だ、中国という国家は(国民とは言いません)。そしてふと、ワイルドスワンズに書かれた毛沢東の文化大革命を思い出した。自分の失敗(大躍進運動)を隠すために、自国民1000万人を犠牲にしたあの中国の”英雄”である。第二列島線以西を支配下に治めるという中国の計画は、ひょっとして日本殲滅計画かもしれない。

 教育は恐ろしい。何故なら、ライオンだって教育すれば、動物園を訪れた客と直接ふれあうことも出来るようになる。http://gigazine.net/news/20120325-argentina-zoo/ それは逆に、社会を作り協力しあう人間を、殺人鬼に変えることも出来ることを示している。中国が、そのような反日教育をしていると考えると、日本もまともな国家意識を回復して中国を注視しないと、22世紀はないかもしれない。日本は特別に強力な軍備を隠れてでも行なうべきである。

 日中友好というのは、毒を持つこの恐ろしい花のようだ。

 

(12:00最終版)