テレビでは、所謂お偉方が頭を揃えて下げる様子が毎日の様に放送されている。一昨日は理研の小保方ケースの調査委員長である石井上席研究員が頭をさげ、昨日はiPS細胞の発明でノーベル賞を受賞した山中教授が頭を下げていた。石井氏は、理研研究者2500人いる中で3人しかいない上席研究員の一人だということである。また、山中氏は日本を代表する知性の一人として著名な方である。論理的帰結として、そうしなければならないと思ってした謝罪の筈だと考えられる。しかし、彼らは本当に、何か頭を公衆の面前で下げるほどの悪い事をしたと思っているのだろうか?その後の会見の様子からみて、どうも、悪いことをしたと思っていない様なのである。それなら何故謝るのか?
日本において、このように“組織のお偉方”が行なう謝罪は、単なる儀式であり、自分達が犯した罪を認めて(注1)相応の補償を行なう覚悟を示したものではないのである。(注2)その謝罪に対する文化を、日本固有のものと考えずに、外交の場面にまで持ち込む愚かな政治家が過去何人かいた。「謝ったのだから、これでチャラだろう」と日本側は考え、「謝ったことで、新たな賠償の出発点にあなたは立ったのだ」と考える隣国との間に、国際摩擦の原因を作ってしまったのである。因みに、米国は原爆を広島と長崎に落し、多数の民間人を国際法に反して殺傷したにも拘らず、公式には一度も謝罪していない。
話を戻して、石井氏の件、元研究者の私から見て、ほとんど何の問題も科学的には存在しないだろう。小保方氏のケースとは根本的に異なると思う。(注3)図の切り貼りなどのデータのドレッシングレベルのことは、昔からあった。例えば、スペクトルに何時も出る装置特有のノイズを、加工して消し去る行為は、読者に誤解を与えない為に行なうことであり、好ましいことではないが、許される範囲である。それでは石井氏は何故謝ったのか?要するに、頭を下げておけば、責任は逃れられるし、面白くもない調査委員長も止められると思ったからだろう。日本の謝罪とはそのようないい加減なものであることを、特に、政治家は心に刻み付けて欲しい。(注4)
注釈:
1)本当に大きな罪を犯した場合、公衆の面前に出て会見などしない場合が殆どである。
2)民間企業のお偉方も、自社製品に不備があった場合、テレビの前で頭を揃えて下げる。これはその製品を買った人への謝罪ではなく、それ以外の大衆にたいして、自社の誠意を示し、その他の製品の評判が低下しないように行なうものである。従って、同じ“日本の謝罪”の範疇に入る。
3)その石井氏の切り貼りの件を、まるで小保方氏のケースと同等な捏造のように報道するテレビにも呆れる。将にマスゴミとしか言い様が無い。
4)謝罪は、賠償の出発点にたつ重い行為であるという、国際感覚を身につけて欲しいと言う意味である。
注目の投稿
人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか
1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題 日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...
2014年4月29日火曜日
2014年4月28日月曜日
韓国船舶事故について
チェジュ島に向かった韓国船の沈没は悲惨な事故であった。そして、その経緯が明らかになるにしたがって、あの事故は人災であったということになりつつある。人災を裏付ける情報は、スムーズには出てこなかったが、昨日の首相の辞任により明白になったと思う。この辞任は、行政が国民の安全を重視する方向で機能していなかったことを、韓国政府が認めたことを意味しているのである。今までの報道から、規制された重量の3倍以上を積載していたこと、そして、それを隠すために出港時にバラスト水を外に排出していたことが、事故の直接的原因であったと私は理解する。そして、このような過積載はこの海運会社の日常的な出来事であったにも拘らず、行政がそれを矯正できなかったことが明らかになったのである。
洋の東西を問わず、当事者が都合の悪いことを隠すのは、よくあることである。しかし、ルールと真実を重んじる文化は西欧には存在する。例えば、米国の国家安全保障局で働いていたスノーデン氏(ロシアに亡命)から、ドイツ首相の電話を盗聴した記録を手に入れ、それを基に記事を書いた新聞社に2014年のピューリッツア賞が与えられたこと等は、それを証明している。一方、日本を含む東アジアの国々に、そのような文化は存在するだろうか?明らかにNOである。(注1)韓国国民の一部は、自国を三流国家と称することで、この事故とそれに対する拙い対応の責任が国家にあると批判している。
この行政の機能不全状態は、そのまま、我日本国にも当てはまるのではないだろうか。そして、都合の悪いことは隠し、議論が沸き上がり自分の政治家としての地位が危うくなるかもしれないことは放置するのである。例えば、憲法9条をどう読んでも、自衛隊が合法であるといえない。一方、国家に軍隊がないのは、歴史を見ても判る様に、スシにネタがないようなものである(注2)。そして、当然の帰結として、なし崩し的に軍隊を持つようになったが、その法的根拠を60年間整備してこなかったのである。
注釈:
1)西欧文化の出発地ともいえる、地中海地方の歴史を書いた世界最初の歴史書ヒストリアは、実際にあったことを記録に残す趣旨で書かれている。一方、東アジア最初の歴史書史記は秦の始皇帝の正統性を示す為に書かれている。日本書紀も、史記を見習って、大和朝廷の正統性を主張する目的で書かれている。(岡田英弘著、歴史とはなにか、文芸春秋刊)つまり、中枢がご都合主義をとるのである。そして、70年も前のことを歴史問題と称して、講和条約締結後に政治に持ち込むのである。東アジアは三流国家の集まりである。韓国だけではない。
2)仙谷氏が自衛隊を暴力装置といっただけで、袋だたきに会う国である。「国家は軍隊という暴力装置を持つ」のは常識だと思うが、一旦国民の一部に議論が起こると、途端に政治家は自分の椅子を意識して、萎縮してしまうのである。橋下市長だけが唯一例外のように見える。
洋の東西を問わず、当事者が都合の悪いことを隠すのは、よくあることである。しかし、ルールと真実を重んじる文化は西欧には存在する。例えば、米国の国家安全保障局で働いていたスノーデン氏(ロシアに亡命)から、ドイツ首相の電話を盗聴した記録を手に入れ、それを基に記事を書いた新聞社に2014年のピューリッツア賞が与えられたこと等は、それを証明している。一方、日本を含む東アジアの国々に、そのような文化は存在するだろうか?明らかにNOである。(注1)韓国国民の一部は、自国を三流国家と称することで、この事故とそれに対する拙い対応の責任が国家にあると批判している。
この行政の機能不全状態は、そのまま、我日本国にも当てはまるのではないだろうか。そして、都合の悪いことは隠し、議論が沸き上がり自分の政治家としての地位が危うくなるかもしれないことは放置するのである。例えば、憲法9条をどう読んでも、自衛隊が合法であるといえない。一方、国家に軍隊がないのは、歴史を見ても判る様に、スシにネタがないようなものである(注2)。そして、当然の帰結として、なし崩し的に軍隊を持つようになったが、その法的根拠を60年間整備してこなかったのである。
注釈:
1)西欧文化の出発地ともいえる、地中海地方の歴史を書いた世界最初の歴史書ヒストリアは、実際にあったことを記録に残す趣旨で書かれている。一方、東アジア最初の歴史書史記は秦の始皇帝の正統性を示す為に書かれている。日本書紀も、史記を見習って、大和朝廷の正統性を主張する目的で書かれている。(岡田英弘著、歴史とはなにか、文芸春秋刊)つまり、中枢がご都合主義をとるのである。そして、70年も前のことを歴史問題と称して、講和条約締結後に政治に持ち込むのである。東アジアは三流国家の集まりである。韓国だけではない。
2)仙谷氏が自衛隊を暴力装置といっただけで、袋だたきに会う国である。「国家は軍隊という暴力装置を持つ」のは常識だと思うが、一旦国民の一部に議論が起こると、途端に政治家は自分の椅子を意識して、萎縮してしまうのである。橋下市長だけが唯一例外のように見える。
2014年4月27日日曜日
日本人の交渉 =国際社会に於ける日本誤解の原因=
外交は国際間の交渉であるが、日本は一般に交渉事に弱いと考えられている。従軍慰安婦問題を例にとると、河野氏が、”その経緯や実態についての調査結果などに十分考慮しないで、慰安婦と呼ばれる方々個人への配慮が表に押し出された謝罪発言”を、国家の中枢から発表した。その河野談話により、その問題は解決に向かうよりも、より大きなものになってしまったのである。そこで、何故そのように相手側の事情を自分の都合よりも優先するような事態に、日本人は陥ってしまうのか?、その理由を考えてみた。
一般的に交渉の進展をステップに分けると:1)Aは、何かを自分の都合や権利などを考えて相手Bに要求する;2)Bは、自分の都合と義務などを考えて、Aの要求の正統性や実行可能性を考えて、YES或いはNOか、3)Aの要求の一部を除いて、或いは、変更すれば受け入れ可能であるなどの返答をする;4)Aは、Bの指摘の正統性や要求変更の可能性を検討して、Bに返答する;5)そして合意或いは拒絶という結論に至るまで、3)と4)の交渉が継続される。(注1)
ここで、日本においてこのような交渉過程が一般的だろうかというのが、今回の主題である。
最初に指摘したいことは:上記1)のプロセスの段階で、Aは相手側Bの都合や実行可能性を、西欧などの場合に比較して重く考えて発言することが、日本の交渉における大きな特徴ではないだろうかということである。当然、交渉事はその成立可能性が無ければ、時間とエネルギーの浪費になるので、ある程度の成立可能性がなければ始めるのは愚かな行為ということになる。しかし、最初から相手側Bの都合を重く考えすぎると、交渉において損をするばかりか、社会全体としての能動性に欠けることになる。(注2)
日本人が、相手側の都合を交渉事が始まる前に、過剰といえる位に重く考えるのは、日本文化の特徴のひとつである。そして、それは日本社会の性質に由来していると考える。幼少期に、親から「言い訳をするな、素直な人間になれ」と叱られた経験を持つ人は多いだろう。この教育上の台詞は、上記交渉事の2)からのプロセスを否定することを意味している。そして、「要求」は上位に在る者から、下位にあるものになされる行為であり、そして、その要求には十分下位の者の事情にも配慮が行なわれている筈のものであるから、答えは「YES」しか本来あり得ないという考え方に基づいている。
つまり、上記交渉事のプロセス1)ー5)は、AとBが個人として対等の立場にあることが前提で成立するのであるが、日本は民主主義を標榜しながら、上位と下位の者が峻別されている儒教社会の国であり、その前提が成立していないということである。今でも、時代劇にあるように、「お代官さんが百姓どもの事情も十分考えた上での“お達し”なのだから、唯々諾々とお達しの通りに振る舞うのが人の道と言うものだ」的な社会なのである。この日本文化の特徴とそれがグローバル社会におけるデメリットになることについては、既に他の場所で「敬語の愚」と題して述べた(注3)。
裁判における検察、弁護、判事の役割分担や、論理学における弁証法などの発想も、上記ステップbyステップの交渉プロセスと同様、人間一人では正しい”神の判断”に近づけないことを知り尽くした集団が考えだした、人類文明の近代化の礎とも言うべき智慧であると思う。これらは、ギリシャなどで開花した地中海文明にその基礎があるのだろう。(注4) そのような西欧の伝統が、地球規模のスタンダードになっている今、社会に層状構造を持ち込んだ儒教の教えに順応してきた日本文化は、現状では賞味期限切れと言わざるを得ない。この儒教社会からの脱却は、幼少期の教育から進めなければでできない難題だろう。私は、この件については、明治維新のときの様に、国家の枠組みから換えなければ解決しないと考えている。突飛な提案だろうが、可能性があると思うのは、大阪都の実現と首都の江戸から大阪に移すことである。それを契機(ショック療法的契機)にして、社会の構造を原点から考え、構築し直すことであると考える。(注5)
注釈:
1)このプロセスは、研究者が論文を学会誌などに投稿して、編集者(とその手助けをする査読者)との交渉を経て、発表に至るプロセスと全く同じである。尚、甘利大臣のTPP交渉は、この範疇には入らないようだ。
2)社会は様々な問題を、指摘する側とされた側の交渉というプロセスを経て、解決する。それが、社会の”枠組み”がより実態にあった形に変化していくことにつながるのである。
3)敬語の愚
4)これは理系人間の浅い考えかも知れませんので、コメント期待します。 5)大阪の本音文化と東京の建前文化の違いを、積極的に利用すべきだと言う趣旨です。日本は官僚組織が支えている国家ですが、そこへ西日本の人間を多量に送り組むことで、新しい発想を持ち込むことが可能かと思う。関西圏の本音文化は、儒教的な江戸文化から脱却するチャンスを日本に与えるかもしれない。
[4/27投稿、4/30修正]
一般的に交渉の進展をステップに分けると:1)Aは、何かを自分の都合や権利などを考えて相手Bに要求する;2)Bは、自分の都合と義務などを考えて、Aの要求の正統性や実行可能性を考えて、YES或いはNOか、3)Aの要求の一部を除いて、或いは、変更すれば受け入れ可能であるなどの返答をする;4)Aは、Bの指摘の正統性や要求変更の可能性を検討して、Bに返答する;5)そして合意或いは拒絶という結論に至るまで、3)と4)の交渉が継続される。(注1)
ここで、日本においてこのような交渉過程が一般的だろうかというのが、今回の主題である。
最初に指摘したいことは:上記1)のプロセスの段階で、Aは相手側Bの都合や実行可能性を、西欧などの場合に比較して重く考えて発言することが、日本の交渉における大きな特徴ではないだろうかということである。当然、交渉事はその成立可能性が無ければ、時間とエネルギーの浪費になるので、ある程度の成立可能性がなければ始めるのは愚かな行為ということになる。しかし、最初から相手側Bの都合を重く考えすぎると、交渉において損をするばかりか、社会全体としての能動性に欠けることになる。(注2)
日本人が、相手側の都合を交渉事が始まる前に、過剰といえる位に重く考えるのは、日本文化の特徴のひとつである。そして、それは日本社会の性質に由来していると考える。幼少期に、親から「言い訳をするな、素直な人間になれ」と叱られた経験を持つ人は多いだろう。この教育上の台詞は、上記交渉事の2)からのプロセスを否定することを意味している。そして、「要求」は上位に在る者から、下位にあるものになされる行為であり、そして、その要求には十分下位の者の事情にも配慮が行なわれている筈のものであるから、答えは「YES」しか本来あり得ないという考え方に基づいている。
つまり、上記交渉事のプロセス1)ー5)は、AとBが個人として対等の立場にあることが前提で成立するのであるが、日本は民主主義を標榜しながら、上位と下位の者が峻別されている儒教社会の国であり、その前提が成立していないということである。今でも、時代劇にあるように、「お代官さんが百姓どもの事情も十分考えた上での“お達し”なのだから、唯々諾々とお達しの通りに振る舞うのが人の道と言うものだ」的な社会なのである。この日本文化の特徴とそれがグローバル社会におけるデメリットになることについては、既に他の場所で「敬語の愚」と題して述べた(注3)。
裁判における検察、弁護、判事の役割分担や、論理学における弁証法などの発想も、上記ステップbyステップの交渉プロセスと同様、人間一人では正しい”神の判断”に近づけないことを知り尽くした集団が考えだした、人類文明の近代化の礎とも言うべき智慧であると思う。これらは、ギリシャなどで開花した地中海文明にその基礎があるのだろう。(注4) そのような西欧の伝統が、地球規模のスタンダードになっている今、社会に層状構造を持ち込んだ儒教の教えに順応してきた日本文化は、現状では賞味期限切れと言わざるを得ない。この儒教社会からの脱却は、幼少期の教育から進めなければでできない難題だろう。私は、この件については、明治維新のときの様に、国家の枠組みから換えなければ解決しないと考えている。突飛な提案だろうが、可能性があると思うのは、大阪都の実現と首都の江戸から大阪に移すことである。それを契機(ショック療法的契機)にして、社会の構造を原点から考え、構築し直すことであると考える。(注5)
注釈:
1)このプロセスは、研究者が論文を学会誌などに投稿して、編集者(とその手助けをする査読者)との交渉を経て、発表に至るプロセスと全く同じである。尚、甘利大臣のTPP交渉は、この範疇には入らないようだ。
2)社会は様々な問題を、指摘する側とされた側の交渉というプロセスを経て、解決する。それが、社会の”枠組み”がより実態にあった形に変化していくことにつながるのである。
3)敬語の愚
4)これは理系人間の浅い考えかも知れませんので、コメント期待します。 5)大阪の本音文化と東京の建前文化の違いを、積極的に利用すべきだと言う趣旨です。日本は官僚組織が支えている国家ですが、そこへ西日本の人間を多量に送り組むことで、新しい発想を持ち込むことが可能かと思う。関西圏の本音文化は、儒教的な江戸文化から脱却するチャンスを日本に与えるかもしれない。
[4/27投稿、4/30修正]
2014年4月25日金曜日
オバマ氏の尖閣諸島発言とTPP
日米中の関係:
オバマ大統領の訪問とTPP交渉の同時進行は、経済関係における米国の利益抜きに日米安保もあり得ないことを示している。
オバマ大統領は、日米の同盟は太平洋における米国の安全保障上も重要であると発言して、尖閣諸島の名前を明言する形で日米安保条約の重要性に言及した。しかし、米国の新聞フィナンシャルタイムズのネット版は、この同盟には見返りが無ければならない(注1)と指摘している。つまり、米中経済関係の大きさを考えれば、米国に経済的見返り抜きに日本や韓国の防衛にコミットするメリットがないということである。
TPPに関しては、裁判でとんでもない判決(注2)が出る可能性のある米国とISD条項に合意することなど(注3)の危険性があるが、これは安全保障を考えて選択しなければならない問題かもしれない。今となっては、日本国は前門の虎に後門のオオカミ遺伝子を持った親分の状態に置かれている様に見える。ただ、被害者意識を持たなければ、TPPはEUの前段階にあったEECの様なものと考えることも出来る。そのような場合、安全基準や裁判制度を含む社会制度も同じ方向を目指す必要があるのだから、そして、経済規模の差や片務協定的な日米安保を考えれば、日本の歩み寄りは米国のそれより大きくなるのは当然だろう。
今まで、一人前の国になるという努力を怠って来た我国が、グローバル経済の中で生きて行く道を今探しているのである。その自覚を政府とともに国民も持たねばならないと思う。共同宣言を何とか出すべきである。出さなければ、オバマ大統領の尖閣諸島に言及した発言も霞の彼方に遠ざかるだろう。
注釈:
(1) Asian allies need to give something backと書かれている。
(2) マクドナルドのコーヒーを膝にこぼしてやけどしたことで、何億円も賠償金をとった人が話題になったこともある。理由は、コーヒーの温度が高く、やけどの可能性について注意が十分されてなかったことである。
(3) 「米国の安全基準を満たしていれば、米車を日本は受け入れる」というのが、豚肉の関税とともに、今回TPPが合意に至らなかった主な項目である。
追加:宮崎哲弥さんがどこかの番組で、「安全保障などの外交と経済とは別の問題で、リンクさせて考えるべきでない」と発言していました。しかし、国家とは経済活動の枠であり、その枠を守るのが安全保障だと考えます。外交と経済交流は従って密接に絡んだ問題だと把握すべきです。思いつきで発言されるのはよろしくないと考えます。(27/22:00)
追加:宮崎哲弥さんがどこかの番組で、「安全保障などの外交と経済とは別の問題で、リンクさせて考えるべきでない」と発言していました。しかし、国家とは経済活動の枠であり、その枠を守るのが安全保障だと考えます。外交と経済交流は従って密接に絡んだ問題だと把握すべきです。思いつきで発言されるのはよろしくないと考えます。(27/22:00)
登録:
投稿 (Atom)