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2017年6月23日金曜日

日本民族と日本国民、そして憲法の中の天皇

1)先日、勝谷誠彦著「ディアスポラ」を読み、民族とは何かについて考えた。上記小説の中で、ある組織の研究員の言葉として、次のような内容のセリフが書かれている。 “海にかこまれているという地理的理由から、「日本人」という考え方は自然に成立していた。しかし「民族」という概念は19世紀になって初めて出来たのである。近代になって、国家として島から外に押し出していくにあたり、まとまりを作ろうと慌てて作ったのが「民族」なる言葉なのだ。”

ここで、「日本人」と「日本民族」との違いは何なのだろうか。「日本人」と言う言葉は、言語学的には日本列島に住む人たちの意味で理解されているだろう。近代になって、「国家」「国民」という概念が出来、日本国籍を持つ者の意味が加わった。一方、「日本民族」という言葉は明確ではなく、それを言い出した人には単一民族であるという確認をその構成員に要求し、そこに意識を向けさせるという政治的意図があったと思う。

明治以前には、倭人とかアイヌ人という言葉はあったが、日本民族という言葉は無かった。「民族」という言葉自体、英語nationの翻訳語として1880年代に作られた言葉である。(補足1)学者が作った日本民族の構成図は以下のような6つの人種からなるものである。

つまり、天皇を頂点とする日本民族という思想は、明らかに明治維新以降の日本の国家としての統一(及び海外進出)のためと考えられる。これが、我々が天皇を考える時に最も重要なポイントである。江戸時代までは天皇はまさに天上の存在であった。しかし、明治以降は日本民族の頂点という人間の世界の存在となったとも言える(現人神)。つまり、新政府は天皇と一般国民とを接触可能な同じ空間に置き、しかも強固な上下の関係にあるとすることで、一般国民を天皇の為に働く存在にしたと思う。そのための具体的な装置が靖国神社である。

2)日本国が独立国としての軍隊をもち得るように憲法を改訂するには、日本国民に国家の意思決定の権利と責任が無ければならない。国家の意思がどこにあるのか、誰が日本軍の軍事行動の責任を取るのかが明確でないような国のまま軍隊を持てば、周辺諸国に迷惑な存在であると言わしめる根拠を与えてしまうことになる。

日本国の意思は日本国民の意思であるべきであり、それは上図の曖昧な定義しかない日本民族の意思で有ってはならないと思う。何故なら、外国から日本に帰化した人や自分がマイノリティーだと意識する人は、日本民族とは言えない可能性が高いからである。一方、過去の歴史において天皇に取り入った一部の人たちが、天皇の意思が日本民族(=日本国民)の意思だとして国家を動かしたことに十分注意すべきである。(補足2)

自民党の憲法草案の第一条に「日本国の元首は天皇である」と明確に書かれている。(補足3)国家の意思は元首の意思であるので、日本国民が選挙で選ぶことの出来ない天皇の意思が、国家の意思となる。内閣は天皇の権威の下で政治を行うことになり、内閣総理大臣が一旦政権をとると天皇の権威を着て国民の前に現れることになる。それは戦前と同様の無責任体制を生む可能性が高い。そのような企みが成立する以上、自民党草案の第一条は危険である。憲法改正にはその点を慎重に議論してもらいたい。

つまり、国民の意思で選ばれた、国会議員が総理大臣を選ぶ段階では、総理大臣は国民の意思を代表すると考えられなくもない。しかし、その後天皇の認証を経てその権威を着ることになれば、それは天皇の意思のincarnationである。この「日本民族」と「日本国民」の違いと、天皇の存在との関係を議論し明確にしていないところが、国論のねじれの原因になっているのではないだろうか。

我々日本人は独自軍を持ち、出来れば諸外国から一定の承認を得て核武装すべきである。そのためには、この国家の権力と責任の在り処を明確に国民におく憲法の制定が必要である。そして、その必要性を明確に意識するためには、明治維新以降の近代史の総括がなければならないと思う。

補足:
1)日本人内部の民族意識と概念の混乱、岡本雅亨、福岡県立大学人間社会学部紀要2011, vol19, 77-98. http://www.fukuoka-pu.ac.jp/kiyou/kiyo19_2/1902_okamoto.pdf
尚、ウイキペディアの民族の項目に以下の注意が書かれている。
日本語の民族の語には、近代国民国家の成立と密接な関係を有する政治的共同体の色の濃いnation の概念と、政治的共同体の形成や、集合的な主体をなしているという意識の有無とはかかわりなく、同一の文化習俗を有する集団として認識されるethnic group(ジュリアン・ハクスリーが考案)の概念の双方が十分区別されずに共存しているため、その使用においては一定の注意を要する。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E6%97%8F
2)明治維新は中央集権的な日本国家の創造であった。外様の薩長がその中心に位置するには、天皇の錦の御旗が必要だった。そして日本国での求心力を天皇に頼ったのである。中央集権国家の内閣や議会の権威が高まったところで、陸海軍の統帥権を内閣に戻さなかったことが、その後の大きな困難の原因となった。一定の時期が経過すれば、薩長が天皇の権威の遥か下になってしまうことは判っていた筈である。時期を逸すれば、何もできなくなるのである。
3)第一条 天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。 因みに、今上天皇が昨年のテレビ放送で「象徴としての天皇のあり方」という言葉を何度も使われたのは、この自民党草案では駄目であると意識された結果だと想像する。

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