石破茂首相は、11日夜の記者会見で半導体や人工知能(AI)分野に複数年度で10兆円以上の公的支援をする方針を明らかにした。自民党政治家の典型的な積極財政政策であり、人気取りと幾らかの実質的キックバックを狙ったものだろう。
このことについて少し独自の考えを書いてみたい。素人こそが自由に述べることができると思う。コメントを期待します。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA115JH0R11C24A1000000/
先ず指摘したいのは、日本がAI分野への進出が遅れ、且つ半導体分野でのシェアが小さいからと言って、政府が大規模にそれらの分野に資金援助するというのは、社会主義経済の国が行うことである。
日本は自由主義経済の国であるから、私企業の競争力は本来は独自に付けるべきであり、政府が直接支援することではない。石破首相ら自民党の政治屋たちは、社会主義国の経済が自由主義国のそれに太刀打ちできなかったという歴史をどのように考えているのだろうか?(補足1)
AI分野は、今後成長が期待される分野であることは確かだろうが、世界には既にトップも二番手もおり、それらの中で追いついて勝ち残るのは非常に困難だろう。それらと互角に勝負するには、資金力だけでなく人(技術)と組織(情報の上下双方向の流れ)と伝統(知的技術的蓄積)など本当の意味での実力が必要である。政府による資金支援は、それら「実力の充当」にはならないと思う。
そもそも半導体王国だった日本が、経済低迷の30年とともに没落したのは、それら企業が国際競争力を失ってきたからではないのか?政府が何か貢献するのなら、その原因を分析しその結果を企業の活動環境の整備に活かすことである。それは一分野ではなく、もっと多くの分野にプラスになる筈。
政治は、人や法人への直接投資は出来るだけ避けるべきだ。つまり、日本社会の中からオリジナルな技術や産業が生まれるような土壌(補足2)を作るのが政府の役割であると思う。経済低迷の30年は政府が経済発展のステップアップ(補足3)に応じて、経済環境の整備をこの30年間やらなかったということである。
既存分野に政府が多額の金を支援するには、例えばその技術が安全保障に強く関わるなどの別の説明が必要である。
2)古い日本の人事文化と解雇規制の緩和について
人も企業も生き物である。生き物には生命力がなければならない。半導体やAIの分野に限らず、生命力ある法人を創るにはどうすればよいのかを、全体的視点に立って考えるべきだ。
西欧型の企業では、個人の専門家的能力がその法人でのポジションおよび報酬を決めるだろう。専門家的能力は、専門的知識を有する上にそれを法人組織の中で活かす能力である。西欧の経済的文化は、法人がそのような人事で成り立ち、それを機能させる伝統である。
日本型の企業では、従業員には共同体の一員としての意思が要求される。その結果、報酬は労働の対価の他、共同体の一員としての支給(給与)の意味が強い。つまり法人組織が、封建領主と旗本や御家人との関係に近い。このような組織の場合、上下間の意思と情報の伝達は上意下達が自然であり、従って双方向には円滑ではない。(再度補足3を読んでもらいたい)
何年も前から書いてきたことだが、この組織における差が、日本の労働の流動性を小さくし、企業内での適材適所の実現を阻害し、最終的に日本が先端分野において遅れを取る主要な原因の一つだろう。(補足4)
したがって政府がやるべきは、この労働市場に封建文化を醸成している法的根拠を取り除く工夫ではないだろうか。例えば、解雇規制の緩和は労働の流動性を否が応でも高めるだろうし、日本の封建的な人事関係を破壊することになるだろう。
くどいようだが繰り返す。近代的法人における上司と部下の関係は、役割分担でありそれ以上の関係はない筈である。(補足5)それにも拘わらず、日本の場合は封建社会のような上下関係となっている。それが法人における上下の情報の流れにおいて抵抗となっている。西欧型の経済をまねるなら、人間関係もある程度江戸時代の形から脱却する必要があると思う。
小泉進次郎が10月の自民党総裁選の時に解雇規制の緩和或いは撤廃を言い出した時、小泉氏をバカにしながらその副作用ばかりを強調する人物が多かった。それが過ぎ去っても、相変わらず労働の流動性確保が大事だと平気でいうのが日本の評論家と自民党議員たちである。
日本の政界にはお経文化が存在する。労働市場に関しては、労働の流動化を「色即是空」のようにお経として唱えるのである。北朝鮮との関係においては、「拉致被害者救出」というお経を唱えて青いバッジを胸につけるだけである。具体性も科学性も何もない。それで政治の世界は通用するのだ。
3)日本の低い輸出依存度について
日本の経済界は、未だ世界経済の発展に取り残されていない立派な企業がたくさん存在している。しかし、それら企業は外国に工場を建てて、そこから第三国へ輸出することで利益を得ているようだ。それが日本経済の輸出依存度が小さい主要原因である。下に各国の輸出依存度を示す。
ここで東南アジア諸国の輸出依存度が大きいのは、それらの国のGDPにおいて、比較的安い労働賃金を目指して進出した外国企業が生産物を海外に輸出することで稼ぎだした分の割合が大きいからである。一方オランダの大きい輸出依存度は、農業国としてヨーロッパ圏への食糧輸出が大きいからだろう。
オランダに限らずヨーロッパでの高い輸出依存度は、国際的分業体制が進んでいることによる。一方、日本の輸出依存度が小さいのは、一つにはほとんどの工業生産物を自国で賄う体制が出来ているからと考えられる。この点は米国と似ている。
この日本の何でも国内で調達できるというのは便利だろうが、前のセクションで見てきたような全体として国際競争力の低下と無関係ではないだろう。得意なところに人材とエネルギーを集中して、21世紀に生き残る製造業とすべきではないのか? https://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je10/pdf/10p03032_1.pdf
もう一つの原因としては、最初に少し書いたように、日本の優良企業は海外での収益を海外に投資する傾向が強い。優良企業にとって日本が活動しにくい国なら、その原因を前セクションにおいて書いたことを含めて明らかにし、企業が活動しやすいように環境を整えるべきである。それが政府の仕事だと思う。
日本は米国やロシアなどの覇権国家と違って食料とエネルギーの輸入が必須である。それらの確保のために、外交での国際協調関係に気を配るだけでなく、国際競争力のある産業(担当する企業)を育て維持することが大切である。しかし最近ではそれが怪しくなってきている。
それは円安の進行し、それが海外からの旅行者への恩恵となり、京都などの観光地は外国人観光客であふれている。それは日本の製造業が世界との競争力をなくしつつある証拠である。
貿易赤字の状況は常態化し、そして経常赤字になれば、日本経済は先進国としては末期となり、途上国型に転落することになる。政府はほとんど意味のない積極財政という麻薬を止めて、この状況を重く考えるべきである。
政府の積極財政は、政府の財政収支を悪化させて国債金利の上昇を招き、それが物価高と円安につながる。それは既に経験していることである。政府は庶民の数少ない頼りとしている僅かばかりの金融資産が紙くず同然となるまで、日銀に国債の市中からの買い上げを強要するだろう。
何故、このような外国の言うことばかり聞く政権を維持させるのか? 日本人はバカなのか? せめて新ニーサは国内株のみとするという改革(円安防止に役立つ)を政府にさせたらどうか? 国民民主や民主党は本当に野党なのか?
終わりに:
個別の事業に多額の援助を考えるのは、社会主義的政策に堕する可能性が高いので、注意が必要である。積極財政を考えるのなら、消費税の廃止或いは軽減を第一に考えるべきだろう。
補足:
1)子供が一流大学に入る実力がないのなら、親が札束を持って米国のアイビーリーグと直接交渉するというのは日本の与党政治家なら考える事かもしれない。それは政治家を実力よりも氏素性と学歴で選ぶ社会なら投資になるかもしれないが、まともな民主国家では結局金の無駄遣いになるだだけだ。特定分野の企業に多額の支援をすることは、それと同じ愚に見える。
2)このオリジナルな技術や産業が生まれるような土壌として重要なのが教育改革である。これまでの記憶重視の教育から思考力をつける教育、社会や自然にたいする探求心を持つような教育をすべきである。
3)日本経済は最初安い人件費を武器に途上国型の発展を遂げた。そこから成熟型の経済に移行するにあたって、労働時間の短縮や労働環境の改善などの他に、企業の組織を軍隊型からCompany (仲間)型にステップアップするための環境整備が不可欠なのだろう。儒教的な人間関係から解放され紳士的関係に移行することで労働の流動化も進むのである。
4)何度も引用してしまうのだが、ここでもカルロス・ゴーンの言葉を引用したい。フランスでは社長が何かを決めれば部下の間で議論が生じるが、日本では同じ状況で部下は黙ると言った。上意下達では、大勢の意見を吸い上げて法人としての優れた決定など期待出来ないだろう。
5)人間の臓器である頭や胃腸や手足を考えた場合、頭が偉く胃腸や手足が卑しいわけではない。それぞれの役割を果たしてこそ、生命力が維持できるのである。会社の上司と部下の関係も同じでなくてはならない。日本のように儒教的上下関係を持ち込むことは、企業の活力を削ぐことになる。