昨日の維新の会の研修会で、「国会議員には、自民党に対抗する政党を創ってもらいたい」とのべたと伝えられている。(Yahoo news 13日朝)これは、二大政党制を育てるというと聞こえが良いが、橋下氏が彼と石原共同代表とで、日本の政治を刷新するという野望を捨てたことを意味していると思う。
彼の目的は、維新の会が日本全国を制覇し、この65年間積み上げられて来た政治の延長ではなく、全く新しい政治の種を育て成木にするという試みだった筈である。戦後の政治は、脚本は官僚が完成し、政治家である自民党が舞台で演じるというものだった。野党は観客席にいてヤジを飛ばす位の役割しか無かった。そのことは、テレビ中継される予算委員会や本会議の質疑をみていれば解ることである。その戦後政治を、原点に戻って刷新する筈だったと思う。
ここで二大政党制を育てるという、小沢一郎氏が一度失敗した路線に戻ることは、橋下氏が堺市長選での敗北を重く受け止め、維新の会創設時の熱意を無くしたことを意味している。維新の会が、初期に創ったシナリオ通り事が上手く運ぶには、大衆の支援が大きな波として全国に広がることが必須条件であり、その事を橋下氏が十分承知していたのである。元々、橋下氏の手法は、端的に言えば、素人の手法である。(注1)所謂腐敗したプロの政治家が用いる政治手法とその伝統を完全に否定することからスタートしなければ、この国の政治が良くならないことが解っていた筈である。従来のタイプの政治家が大半を占める霞ヶ関で、野党連合を考えることはそれを諦めたことを意味している。
彼はよく頑張ったと思う。大阪府の財政の健全化などは、従来型の地方の首長では出来ない事であり、その手法を大きく展開出来れば、日本の政治も維新を迎えることが出来たかもしれない。しかし、今回の堺市長選の敗北は、日本人は口では不平不満を言いながらも、おおむね現在の政治に満足していて、改革のエネルギーは大衆の中に無い事が明らかになったのである。この事実は堺市長選までにすでに明らかになっていた。最初から、彼の周りに集まった人材は、石原氏を除いて二級品ばかりであり、(注2)大きな助けにはならなかったのである。
国家も人も、落ちるところまで落ちなければ、底を蹴ることが出来ないのだろう。
注釈:
1)プロの弱点は、ゼロベースで考えて、その結論を素直に発言出来ないことである。
プロの弱点の一例を挙げる:最近の「慰安所に婦女子を集めた手法などについて調査し、もし、国家の政策として、強制(親権者と本人の意志に反して)連行したようなケースが明らかになれば、新たに謝罪と賠償を行なうべきである。」という趣旨の橋下氏のテレビ番組での発言が話題になった。「この様な場合、新たな謝罪と賠償が必要だと思いますか?」という質問を投げかけられたプロの政治解説者である大谷昭宏氏は、今後のテレビでの仕事の事か何かを考えたのだろう、何度も繰り返し質問されても答えられなかった。(名前を忘れたが、ある芸能人が橋下氏に小金稼ぎで出演していると言われて、番組を降りた時の一場面である。)
2)最近、東国張氏は再び宮崎知事選に出馬する意志を然るべき筋に伝えていることがニュースにながれた。
==これは理系素人の意見ですので、批判等歓迎します。==
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