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2013年10月13日日曜日

日本維新の会が、堺市長選に敗北したことが意味するもの

産経の記事:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131010-00000529-san-pol は堺市長選後の、維新の会の低迷する状態を報じている。そこには、既存政党の醜い姿が報じられている。既存政党には、政治を職業とする政治屋が集まっているのであり、自分の職業を維持することが市民へのサービスに優先することを示している。また、このような状態に維新の会が追い込まれたのは、橋下氏の維新の会があまりにも安易に、同士として人材を登用ししてきたことを示している。堺市長選の結果は、仮に多少日本維新の会の目指す方向を理解したとしても、一度手にした特権を手放すには、相当の人材(品性知性ともに)でなかればならない事を示している。維新の会が人材不足であり、かなりいい加減な基準で同士を集めて来た事は、既に指摘して来たが、今回も東国張氏が次回の宮崎県知事選に出馬する意向を示した事でも証明されている。
 更に、今回の堺市長選の結果は、堺市民がおおむね今の日本国と堺市に満足していることを示している。海の表面温度が27度以上にならなければ、強烈な大気の渦巻きが生じないように、市民の鬱憤が山の様に蓄積しなければ、大衆は動かないのである。大衆が政治に与えるのは、単にエネルギーであり、政治の方向ではない。エネルギーだけでは、政治は改革の方向に進まない。能力とカリスマ性を備えたリーダー及びそれを取り巻く優秀なる人材が必要である。そのようなリーダーの出現が遅れれば遅れる程、政治改革が望ましい方向に進みだすまでに、大きな犠牲を伴うのである。
 ギリシャで衆愚政治と堕落し、そしてアラブの春で証明されたように、元々民主主義は政治形態として最善かどうか疑問に思われて来た。所詮、大衆のエネルギーを日常的に吸収するメカニズムに過ぎないのである。もし、民主主義体制で政治が円滑に機能しているとすれば、民主主義が政治の表に現れる部分に過ぎない筈である。完全な民主主義体制になってしまえば、そして、自立した知性ある個人が選挙民でなければ、国は滅びるだろう。日本が、辛うじて平和と繁栄を維持できたのは、裏打ちするメカニズムとして、いままで親米官僚機構であったことを、昨年まで3年程続いた民主党の政治における数々の失敗が証明している。その官僚機構を破壊するなら、それに変わるものが必要である。その代わりは別途何らかのエリート集団でなければ、この複雑なグローバル化した政治経済社会で反映した国家を築くことは不可能だろう。

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