―― 善悪は国境をまたがない ――
【はじめに】日米首脳会談をめぐる違和感と、漂う危うさ
先日の日米首脳会談をめぐり、高市氏がトランプ大統領に対し、ICC(国際刑事裁判所)所長である日本人女性(赤根智子氏)らに対する米側の制裁措置について批判・苦言を呈したという趣旨のニュースが報じられている。この報道に接して、強い違和感と懸念を抱かざるを得ない。
もし、このような国際司法機関の一幹部を巡る瑣末なメンツ論で日米関係に不要な亀裂を生じさせ、その後に控える米中首脳会談などで日本が外交的・安全保障上の不利益を被るような事態を招くのだとすれば、それは戦略的外交としてあまりに愚かであり、バカげた話と言わざるを得ない。
あるいは、「米国に対しても物言う毅然たるリーダー」を演じることで、内閣や自身の人気回復を狙った国内向けパフォーマンスとして行ったのだとしても、地政学的現実を度外視した軽率極まりないポピュリズムである。
さらに最悪なのは、トランプ氏に対して「国内向けの人気回復策として批判するポーズをとらせてほしい」と裏で話をつけ、了解を取り付けた上で茶番劇を演じていたのだとしたら――それは外交を私利私欲に利用した、国民に対する明白な背信行為である。
そもそも、日本の政治家やメディアは「ICC」という機関の正体をどこまで理解して議論しているのだろうか。私たちは、外来の「正義」や「法の支配」という耳当たりの良い言葉に思考停止させられているのではないか。本稿では、この問題の根本にある「国際司法の虚構」を解き明かしたい。
尚、赤根所長の米国による制裁については:
https://www.youtube.com/watch?v=2JIuQrF_yPM
1. 戦場の英雄と、国内の殺人犯
国内において、刃物や銃で他人の命を奪えば、それは疑いようもなく「殺人」であり、社会秩序を破壊する極悪非道の重罪として死刑や無期懲役に処される。
しかし、ひとたび国家同士の戦争となれば、戦場で多くの敵兵を撃ち倒した者は「英雄」と称えられ、国家から最高の栄誉である勲章を授与される。
同じ「人間の命を奪う」という行為でありながら、評価が180度反転するのはなぜだろうか。それは、「善悪」や「犯罪」という規範は、決して普遍的な神の真理などではなく、国家という主権共同体の生存の論理によって定められているからに他ならない。
自らの共同体を守るための暴力は正義とされ、共同体を内側から壊す暴力は犯罪とされる。善悪や犯罪の概念は、本質的に「国境の内部」にしか存在し得ないものなのである。
2. 「International Criminal」という言語的矛盾
この前提に立ったとき、オランダ・ハーグにある機関の名称――ICC(International Criminal Court / 国際刑事裁判所)――がいかに危ういフィクションであるかが浮き彫りになる。
国内で刑法(Criminal Law)が機能するのは、以下の前提が揃っているからである。
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憲法と議会による合意された法体系
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違反者を逮捕・勾留する警察組織と刑務所
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国内の暴力を一手に独占する「国家主権」
しかし、国境をまたいだ国際社会には「世界政府」も「世界警察」も存在しない。それぞれが固有の歴史、宗教、生存戦略を持つ無政府状態(アナーキー)の世界において、西欧近代法の「Criminal(刑事犯罪)」に「International(国際)」を冠することは、言語的にも制度的にも成立し得ないはずのものである。
それはあたかも、「地球全体を統べる普遍的な法と主権がすでに存在している」かのような錯覚を人々に植え付ける看板に過ぎない。
3. 「見えない工作」と「法の武器化」
「世界共通の善悪がある」という建前が掲げられるとき、国際司法は必然的に「大国が敵を叩くための政治的武器」へと変質する。
ICCは独自の軍隊や警察を持たないため、捜査も証拠集めも、資金や諜報能力を提供する大国に依存せざるを得ない。その結果、極めて露骨な二重基準が生じる。
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法の網をすり抜ける工作: 2014年のウクライナ・マイダン政変のように、他国の政権転覆を狙った政治工作や資金支援、内政干渉は、ICCが規定する「現場での残虐行為の指揮」という枠組みから巧妙に外れるため、刑事責任を問われることはない。
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都合の良いときだけの「正義」: 米国は自国の将兵や指導者が裁かれないようローマ規程を批准せず、トランプ政権のように自国の同盟国に刃が向いた際にはICC職員への制裁すら辞さない強硬姿勢をとる。一方で、ロシアのウクライナ侵攻のような事案ではICCを熱烈に支持し、敵対勢力を追い詰める道具として活用する。
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放置される都合の悪い犠牲: 2014年以降のウクライナ東部(ドンバス地方)での民間人被害や人権侵害についても、ICCは予備調査で問題の存在を認識しながらも長年放置し、ロシアの全面侵攻後に欧米の後押しを受けて一気にロシア指導部追及へと舵を切った。
「目に見える武力を使った側だけが裁かれ、背後で情勢を動かした側や大国の同盟国は不処罰のまま温存される」。これが国際司法の冷酷な現実である。
4. 「法の支配」という美名に酔う日本の危うさ
民主主義社会において最も危険なのは、一般大衆が「世界には共通の善悪があり、客観的な法の支配が国際社会を治めている」という幻想を真に受けて、思考停止に陥ることだ。
とりわけ、自前の防衛力や主権行使に強い制約を課している日本において、この毒性は致命的である。日本はICCに対して世界第1位(全予算の約14〜15%、年間40億円以上)の資金を拠出し、日本人として初めて裁判所長も送り出している。
しかし、その「法の支配への貢献」を自賛する裏で、周辺の核保有大国(中国、ロシア、北朝鮮)や、同盟国である米国が国際司法をどう冷徹に使い分けているかという現実感覚を見失ってはいないだろうか。
戦場で敵を倒す行為が英雄とされるのは、自らの生存を自分たちの力で守っているからである。国境を越えた普遍的正義の法廷など存在せず、国際社会は剥き出しのパワーポリティクスで動いている現実を、全ての日本人はハッキリと把握すべきである。
その冷厳な事実を直視しないまま外来の「正義」にすがり、内政のパフォーマンスや薄っぺらいプライドのために国益を危険に晒すことは、国家の自衛の覚悟と主権意識を内側から麻痺させることに他ならない。
【追記】 本稿の執筆にあたっては、ICC(国際刑事裁判所)とICJ(国際司法裁判所)の機能的相違、歴史的設立経緯、国際刑事法の言語的・哲学的限界、および大国間における政治的運用実態の整理について、AIアシスタント「Gemini」との対話を通じたファクト確認および論点整理を活用しています
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