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人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2018年1月25日木曜日

西部邁さんの安倍批判は非現実的

今月21日に評論家の西部邁氏が多摩川に身を投げて死亡した。最近、チャネル桜などでしばしば、氏の話を聞いていたのでやっぱりと思った。「相当痛みがキツかったのだろうか」とか「精一杯生きて、日本の政治やマスコミの批判などやって欲しかった」という思いも同時に心の中に生じた。

1)ここで、西部氏と村本大輔という芸能人との対談で、西部氏が話した内容について批判しようと思う。死した後も議論をふっかけられるというのも、西部さんなら嫌な気がしないように思う。この対談、西部氏は相当楽しんだようで、予定をだいぶ超えて3時間に及んだと何処かに書いてあった。 https://dot.asahi.com/aera/2017121300053.html?page=4

その議論のなかで、村本は「芸人はもともとオオカミ。でも、途中から犬になるのです。最初は絶滅したオオカミのように魅力的なところがあったのに、テレビに出だすと首輪をした犬になってしまう。」と言った。

それに対して西部氏は、「インテリも同じ。自分の昔の原稿を読むとオオカミとして書いている。それがわずかと思うけど少しずつおとなしくなっている。ワンワンに読んでもらうためにね。」と答えた。

村本氏の芸能人についての言葉は、2-3年前のピース又吉による芥川賞受賞作の「火花」のなかで、漫才師「徳永」の姿勢として描写されているので、意外性は全くない。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2015/08/blog-post_18.html

西部氏の言葉の前半も「インテリ」の定義によるが、「インテリ=学者」と考えるのなら、その通りだろう。(補足1)しかし、後半の言葉は無知蒙昧の大衆の対義語としてインテリを用いているのだろう。西部氏の持つ優越意識、大衆蔑視、劣等感の混合から生じた言葉に聞こえる。本を購入してくれた読者を馬鹿にしたことばである。又吉氏の小説では、漫才師徳永は自分の漫才と大衆受けする漫才の間で苦しんだが、学者と大衆の間で苦しむ姿は西部氏の言葉の中には無い。

なお、学者が論文を書く場合、仲間或いは同業者を対象に書き、同業者の審査を経て学会誌に掲載される。あくまで仲間を対象に文章(理系では実験をした上で)を書くのが学者の仕事であり、それは専門書の場合も同様である。上記のような言葉は口から出ない筈である。それが啓蒙書でも、将来仲間になり得る若い人を対象に書くのだから、そのような言葉はあり得ない。

人を狼型と犬型の二種類に分けて、犬(大衆)用に本を書いたというのなら、それは芸の世界と同じであり、決して客を犬呼ばわりしてはいけない。そしてその金儲け(芸人なら入場料)が目的の行為を、学者たる自分が恥じて居るのなら、普通の学者連中がそうであるように、黙っているだろう。それでも犬用に書いたというのなら、単に目立つようにベンツの高級モデルを下町にある自宅の前に路上駐車させるのと同じ類の行為だろう。

2)西部氏は以前、「60年安保闘争のとき安保反対を叫んでいたが、学生たちは安保条約をまともに読んでいなかった」と言っておられた。出典を示せないのは残念だが、非常に印象的だったので明確に頭の中に叩き込まれている。あれは、感覚的反米闘争であり、現実的闘争ではなかったと思う。

岸政権の安保改定は、少なくとも条約の改善であった。また、当時米国支配の中から抜け出ることは不可能であり、もしそれをクーデターでも起こして実行したのなら、日本国により多くの悲劇をもたらしたと思う。

西部氏は、村本氏との対談で安倍総理と安保法制について以下のように語っている。
「安倍さんとは彼が最初に総理を辞めた後、1年間研究会を開いて正しい保守についてレクチャーをしていました。そのうえで気に入らないことを言わせてもらえば、日米同盟の下で安保法制をつくったことです。
僕は安保法制自体には何の問題もないとの立場で、自衛隊が行く必要のある特殊事情があるなら、地球の裏側でも行け、鉄砲も撃てと思う。だけど、それを米国のような国とやるな。米国は北朝鮮の核武装はけしからんと言っておいて、自分たちの友好国のイスラエルなどには、どんどんやれと言っているような国です。
」

安倍さんにレクチャーしたことを述べた上で、「気に入らないことを言わせて貰えば」というのは、先生が生徒の習熟度に関して採点するという趣旨で使っているのだろう。それは、上記の狼と犬を持ち出した発言を思い出させる。その様な形で安倍政権の政治を批判するのは、間接的だが安倍総理を選んだ国民に対して失礼だと思う。

西辺氏の米国に関する記述はその通りだと思うし、それは伊藤貫氏を招いての議論でも、下記の講演などでも明らかである。https://www.youtube.com/watch?v=_5uUlM_w0_4&t=3s 尚、その他の伊藤貫氏の講演も非常に勉強になる。(補足2)

憲法改正及び集団的自衛権を持つことは、独立して普通の国になる第一歩であるので、保守系の政治家なら誰もが考えることだろう。そして、そのような第一歩がようやく安倍政権になって踏み出せる可能性が出て来たように思う。岸信介総理の時代には、そして、その後の池田、佐藤、中曽根など保守本流の長期政権でも為し得なかったことである。現実問題として、他のだれがそれを実行出来るのか?

真の保守とは、現実主義でなくてはならないと思うのだが、保守を看板にする西部氏の上記言葉は、単に理想論を述べただけで現実性がない。例えば、「総理候補の岸田氏や石破氏ならこのように外交ができるから、安倍総理の間の憲法改正などには反対だ」というのならわかる。しかし、思想家西部氏の考えは、安倍総理は理想の総理からかけ離れているので、安倍総理の下での集団的自衛権法制化には反対だったと言っているように聞こえる。

しかし、日本国は、米国、中国、ロシアに囲まれて、どこかと同盟関係を結んで生きる道を選ぶ以外に道はない。(補足3)その3カ国の中で同盟国として選ぶ場合には、米国が依然として選択肢のトップにある。その上で、中国やロシアとの友好の道も、将来の同盟も視野に入れつつ考えるのが政治家の使命であり、それを安倍政権は行っていると思う。それも国民のバックアップがあってこそ可能なことである。石破氏や岸田氏では、そのようなバックアップはないだろう。何故なら、政治家と政治屋は狼と犬の関係にあるからだ。

補足:
1)インテリとは知識階級のことであり、対義語は大衆である。
2)慶応大学で行われた昨年の講演などでは、米国の現状とトランプ政権との関係が良く分かる。https://www.youtube.com/watch?v=Y_oD0ZWfWz4&t=4225s
3)伊藤貫氏は講演で、近代西欧はウエストファリア体制を維持してきた。その根本は、独立国は互いの内政には介入しないで節度を保とうと言う考えであると説明している。現在、米国、ロシア、中国、ヨーロッパ、インドの5大政治勢力があり、米国一極集中していた世界の覇権が、この5グループに移りつつある。そのなかで、どこかと同盟関係を築く方向で、日本は将来の安定した位置を探るのである。それは、毛沢東が自宅に田中角栄を招いた際に言ったことと同じである。その時インドは眼中になかったかもしれないが。

2018年1月20日土曜日

中川一郎の死の謎(2)とドブ板選挙:日本の政治文化

国の政治家はどのような仕事をするのだろうか? そんな疑問が、内藤國夫著「悶死 中川一郎壊死事件」を読んだ時心に浮かんだ。教科書に記述があれは、「政治家の仕事は、国家の政策と予算を議論及び決定すること」と書かれているだろう。国民の議論がそこまでなら、氷山にぶつかるかもしれない日本国という船を救えないと思う。

1)一週間ほど前に、たまたま中川一郎の死の謎を議論したyou—tube動画を見た。その動画は、14年後の検証というふれこみでテレビ朝日から放送された「驚き桃の木20世紀」(1997/4/18放送)からの抜粋である。しかし、中途半端な推理は逆に謎を深めるだけだったので、その批判文を数日前にブログにかいた。先ず、それに補足することで表記の私の持った問題意識を説明したい。( 13日投稿の記事参照) 

中川一郎の死の謎をもう少し追求すべく読んだのが、上記内藤國夫氏著の本である。この本でも、最終的な真理は闇の中という結論なのだが、一定の枠の中に問題を追い詰めている。つまり、中川、中川の妻、鈴木宗男筆頭秘書のいわば“三角関係”と日本の政治の特殊性が、中川を死に導いた原因である。(補足1)テレビ朝日が上記番組で紹介したCIAやソ連の工作などとの関連は、中川の死のドラマを一般にも面白くするために、番組が持ち込んだものだろう。

この件は、次のように考えると説明可能だと思う。中川とその筆頭秘書である鈴木宗男の作る政治家チームは互いの弱点を補って優秀な政治チームとなった。しかし、そのチームが日本の政治で頭角を現すに伴って、周囲の欲望と期待は、坂道を転げる雪だるまのように大きくなった。坂道を転げる雪だるまは、最後は分解してしまうように、中川は自分で死を選ぶことになったのだと思う。つまり、中川一郎個人の実力を超えるスピードで出世街道を走ってしまったと言うことになるだろう。

中川の仕事は国の政治であるが、地元の期待に答えることもそれと同様或いはそれ以上に、大切に考えなければならないのが日本民の政治家の宿命である。その欲望と期待は、後援会を構成する有力者の私的な利益とも絡んだ地域のものであり、その政治チームでは担いきれないものが多かった。そして、その地元にとって不満足な処理をするのは、秘書の役割であった。そこで地元後援会周辺が、秘書の鈴木を中川との間の障害として憎んだ。そして、次に彼等が利用しようとしたのが中川の妻貞子である。妻は、中川の分身として自分も偉くなったと勘違いするのは、想像に難くない。地元後援会周辺の声が中川に届かないのが、筆頭秘書である鈴木宗男の出しゃばりの所為と考えて、夫の仕事上の分身を夫から切り離そうとした。それが、夫婦仲が険悪になる原因だったのだろう。(補足2)

中川の妻は、美人であり人並み以上の頭脳を持っていたが、その能力は上記のような環境で夫の中川を助ける方向ではなく、潰す方向に働いたのである。中川は睡眠のために抗うつ剤を妻から受取り、アルコールとともに常用することになった。元々見かけとは逆に繊細な神経を持つ中川は、総裁予備選での惨敗とそれによる派閥の減少を一時的な現象であると知性で理解する一方、沈み込む感情と荒んだ身辺の環境とを持て余したのだろう。(補足3)

秘書鈴木を切れば “評価の高い政治チーム”は破壊されるし、鈴木を切らなければ家庭が破壊されるのである。家庭の破壊は、人気商売の政治家の命取りになる。デッドロックである。

その中川の自殺の場面では、直接的或いは間接的に中川夫人や後援会の中心人物が重要な役割をしている可能性もある。しかし、真実は道警を巻き込んだ死因隠しにより闇の中に葬られた。(補足4)謎の死の方が、将来の総理の死として相応しいのかもしれない。尚、前回紹介したテレビ朝日の放送は、新たにソ連の中川への工作を取り上げて面白く番組を作り上げたのだろう。(13日のブログ記事参照)

2)次に日本の政治家のあり方について少し書きたい。ドブ板選挙という言葉がある。各戸の前の側溝を跨いで直接有権者一人一人に会って支持を訴える選挙戦術である。現在、戸別訪問は禁止されているので、徒歩で街頭を回り通行人に握手を求める等も、ドブ板選挙の範疇に入る。

ドブ板選挙を推奨した元首相田中角栄の言葉に、「歩いた家の数しか票は出ない。手を握った数しか票は出ない。」がある。現在では角栄の影響を強く受けた小沢一郎などの政治家が、自グループの候補者にドブ板選挙を積極的に勧めている。(補足5)上記田中の言葉は、田中の鋭い感覚と経験からくるのだろうが、政治そのものには無関心な大衆の本質を形容した言葉とも考えられる。

日本の政治を現す言葉「地盤、看板、カバン」がある。この、地盤を固めるために田中はドブ板選挙が有効であると主張したのである。地盤とは、後援会組織である。看板とは有名であること、そしてカバンは選挙資金である。政治化二世、芸能人、スポーツ選手などが有力候補となるのは、このことばから自明である。政治家が地盤を利用して当選するのなら、その地盤が政治家を利用しようとするのは当然である。

その日本的政治の遺物は至る所に見つかるだろう。例えば、中川一郎に政治家の道を開いた大野伴睦の銅像が新幹線岐阜羽島駅近くに作られている。その駅が大野伴睦の働きで出来たからである。その地盤は、大野伴睦の死後息子により、息子の死後、その妻により夫々継承された。

上記本の第二章にこのような記述がある。「中川事務所で秘書たちが休めるのは、年に10日前後しかない。平日には他の事務所では考えられないほど、凄まじい数の陳情客や来客、それに殆ど鳴りっぱなしの電話で忙殺される」(p58)国家と世界のことを考えるべき国会議員の事務所が、地元の陳情客の対応に忙殺されるのである。しかも将来の総理大臣候補の事務所こそが、そのような情況に追い込まれる。

多くの政治家(特に自民党の政治家)たちは秘書たちと共に、コネを利用しようとする地元の人たちへ対応する日常にありながら、天下国家のことを考えるべき総理大臣の椅子を目指すのである。それは、優秀なる政治家そして総理総裁を一億の国民から選び出すという民主政治の理想形とは、程遠い政治文化である。カバンは政治資金規正法と政党助成金により相当存在感が薄くなったかもしれない。しかし、地盤と看板とは依然威光を放っている。

米国やヨーロッパ等でもそれぞれ独特の政治文化が存在するだろう。欧米など先進国でも民主政は形式的に成立しているに過ぎない。完全な民主政治など世界の何処を探しても存在しない。その形式的民主政のトップランナーの米国では、支配層が大衆は愚鈍であるとの前提で動いているのである。それを思わず口にしてしまったのが、米国のブレジンスキー元大統領補佐官である。 https://www.youtube.com/watch?v=Us9hLRvZ5uc

著名な政治学者であったブレジンスキーは、政治に目覚めた大衆を恐れた。それは、上記サイトでの発言を見れば分かるように、自分たちが政治の実権を失うからである。しかし、大衆が政治に目覚めれば、別のメカニズムで世界の政治が混乱する可能性があると私は思う。政治に目覚めた大衆は、個を主張し始めた羊の群れのように統制を失って迷走するのである。(補足6) 

インターネットは個人に処理能力以上の情報を供給する。そして、基礎的知性を持たないままで、偏った分野において詳細な情報を獲得する人が多くなるだろう。その結果、人間は太古に獲得した協調的社会からも放逐されて、大声で噛み合わない主張を繰り返すバラバラの集団となる可能性がたかい。最終的に生き残るのは、中国のような独裁制を残した国ではないだろうか。

補足:

1)一般に何かが生じたとして、それを「原因と結果と背景」で記述するのはなかなか困難である。例えばサーカスの綱渡りで落下死亡する事故があったとして、その原因を昨夜の疲労に求めることも可能だが、観客の一声に気持ちが揺らいだのかもしれない。また、物理学者なら地球の引力に根本原因を求めるかもしれない。昨夜の疲労も、足の水虫も、靴の出来具合も、観客の様子も、全てを記述して始めて、その事故を知ることになる。しかし裁判では、上記「原因と結果と背景」のパターンに事故或いは事件を押し込むことが不可欠である。

2)自殺の2年後に出た「文藝春秋」85年1月号には貞子夫人が死の引き金は鈴木氏だとし、「鈴木、よくも、この俺を刺したな!!お前に、俺は殺された。俺は死ぬしかない」と怒鳴り、20~30回殴り続けた、といった内容の手記を発表。また、中川一郎の長男である中川昭一氏の妻の中川郁子氏が、貞子さんが明かしたのと同じ光景を目撃したと、「文藝春秋」2010年10月号の中で「義父中川一郎、昭一『親子連続怪死』の全真相」に書いているという。これらの文章を読んでは居ない。しかし、より客観的視点で書かれた上記単行本を読んだ私は、彼女らの手記は信憑性に欠けると思った。14年目に放送されたテレビ朝日の放送も、上記手記を否定するのには十分だろうとさえ思う。 確かに鈴木宗男が参議院選に出るといったときに中川一郎に殴られたという話は、上記内藤國夫の本の7章に出てくる。しかし、その参議院選の話は年内(1982年)に解決している。さらに、上記本には参議院選へ立候補するように鈴木を仕向けたのは、後援会の工作であったと書かれている。尚、上記中川郁子氏の手記に対する鈴木宗男氏の反論が新潮 2010年11月号に掲載されたという。何方が正しいのかは、明白だろう。https://www.j-cast.com/2010/10/18078488.html?p=all

3)向精神薬をアルコールと共に飲むのは絶対タブーである。自殺をしてしまった背景として、その影響が大きく存在すると思われる。

4)縊死が完全に自発的だったのか、それとも強い教唆によるものなのか、半ば強制的だったものなのか、その疑問が残る。それは死体の状態を側近で長い間の友人であった佐藤尚文氏らが、中川の死体を人に見せないようにしたからである。自宅に戻した後も、普通なら棺から出して北枕に寝かせ通夜を行うのだが、一切棺から出さず顔もあまり見せないようにした。更に、荼毘を繰り上げて行う工作を、佐藤尚文、中川貞子、鈴木宗男が行い、死の翌日午前10時に荼毘に付された。(内藤國夫著の本、第8章)縊死の場合、首に二重跡がのこる場合、何らかの異常がそのプロセスにあった証明となる。しかし、内藤の本にもその跡が一重だったか二重だったかなどについての記述はなかった。死因隠しに協力した北海道警察の幹部はその後処分された。

5)日本改造計画の前書きに、グランドキャニオンに垣が設置されていないことを紹介している。予め垣を施して、事故を防いて個人の自由を侵害する日本と大違いだ。そして、個人の自立こそ真の民主主義社会の成立に不可欠だと書いている。この本を読んで、小沢ファンになった人がおおいだろう。しかし、小沢氏の推奨するドブ板選挙とは思想的に正反対ではないかと戸惑ったのだが、この本には数人のゴーストライターがいたということで納得した。

6)大衆の政治に於ける目覚めは、小沢一郎著の「日本改造計画」でも民主政の必須条件である。そして、民主政治のトップランナーの国の重鎮であるブレジンスキーの考え方は、それを否定している。しかし、大衆が本当に政治に目覚めれば、民主政が上手く機能するか? 答えはNOだと思うし、ブレジンスキーもそう考えているだろう。つまり、本来高度な専門職である政治が、大衆が如何に政治に目覚めたとしても、大衆の手の届くところには降りてこないのである。それは、政治よりも単純な物理学や化学、生物学や医学を考えても同様である。つまり、民主主義政治は、理想形に近づけば近づくほど、弱点をさらけ出すことになると思う。(補足6は1/21早朝追加)

2018年1月19日金曜日

雑談2題

1)フローとストック: フローとストックという言葉がある。流量と蓄積量という意味で使われる事が多い。会社の場合、一年間どれだけお金を稼いで、それをどこに投資したり長期債務の返済にあてたりしたかを示した書類をキャッシュフロー計算書という。そして営業純益というフローが蓄積されたのが、利益剰余金というストックである。

国家の場合は、プラスのキャッシュフローは税収や国営事業の益金などと国債発行により調達した金額である。マイナスは、社会福祉や軍備など様々な事業に用いた金額である。ストックは、固定資産や国債残高など債務である。ストックを仕分けた表が、貸借対照表であり、これまでの金の出処が債務(liablities)であり、その金がどのような形で存在しているかを示すのが資産(assets)である。債務=資産が貸借対照表の基本式である。

この両方、ストックとフロー、をみなければ国家財政の健全性は議論できないというのが、西部邁氏と藤井聡氏(内閣参与)の話であった。https://www.youtube.com/watch?v=6D3AX75K78w&t=113s そして、その話があまり良くないとしてコメントを書いたのが、数日前の記事である。その第一の理由は、西部邁氏は国民の貯蓄と国家(財務省)の債務をごちゃ混ぜにして議論していること、更に(それは西部氏の考えと同じなのだが)、藤井氏らの財政拡大派の意見は要するに国民の貯蓄はインフレで消失しても構わないという考えが根本にあるからである。

因みに、このフローとストックの関係は、色んな場面で出てくる。食べた食物がフローで、それが脂肪となったり筋肉となったりするのがストックである。フローの大きさは欲望により決まるとすれば、食べる前の食欲と食べている時の満足感は食べる速度(フロー)に比例する。数学の言葉で言えば、フローをFとすれば、ストックはFの積分であり、食べている時の満足感は、Fの微分だろう。 

それは人間関係でも言えるだろう。良い付き合いと、それにより築き上げた良い関係は、フローとストックの関係となる。(勿論、マイナスの関係も同様である)男女間、同性間、友人間、家族間、会社の付き合い、近所の付き合いなど、色んなバリエーションがあるが、夫々にフローとストック、フローの微分などを考えると、意外と人間関係の理解が深まる可能性がある。

フローとストックは、時間による微分或いは積分の関係にある。つまり、フローの積分がストックであり、ストックの微分がフローである。同様に、距離による微積分の関係もある。多くの文系の方が理解していないかもしれないのが、力とエネルギーの関係である。ある物体に働いた力を動いた距離で積分したのがエネルギーである。

このように理系の基礎的知識は、社会現象においてもその理解の助けになると思う。以上、下らないかもしれない雑談でした。

2)次に、非常に重要な日本の政局について書くが、この文章は米国の人向きではない。それは、最近の小泉元総理の脱原発の動きが気になるという話である。この動きは、日本から核武装の可能性を永久に排除する米国の策略に、”国賊小泉”が協力しているという事だろう。そしてこの政治運動は、米国が北朝鮮の核廃絶を諦めて、中距離核を残し和平の道をとる(と予想される)ことと関係していると思う。http://www.mag2.com/p/news/347302?utm_medium=email&utm_source=mag_news_9999&utm_campaign=mag_news_0119

米朝和平のとき、核武装の話が日本国内で出るだろう。その声が大きくなり実際にその選択を日本国民が考える前には、日本からプルトニウムを無くさなければならないと米国は考えていると思う。オバマ同様トランプも、日本が蓄積しているプルトニウムを引き取ると言うだろう。(補足1)

勿論、北朝鮮の和平後すぐに核武装の動きが日本で具体化する恐れはない。国民の多数は、原爆を落とした米国よりも原爆そのものが憎いという、訳の分からない知的情況にある。日本人の殆どは、原爆が数十万人を殺したという情報から、その決断をした一人の人間の存在を、そしてそれが「友邦」米国の大統領であるということが、どうしても信じられないのである。(補足2)

それはまた、唯一神を信じない日本民族の宗教観から来ているのだろうし、そのような宗教文化は他民族から酷い仕打ちを受けた記憶に乏しい民族のものだろう。原爆を戦争の道具としてではなく、霊を持った存在のように感じてしまうのは、短く言えば太古からの平和ぼけが原因の一つだとおもう。(補足3)

それどころか、中途半端な知識を得たために、国民は原子核や放射線などの言葉にまで強烈なアレルギーを示す。それが抜けるには、北朝鮮或いは中国やロシアによる核兵器を用いた脅しや攻撃が具体的になるまで、相当の時間がかかるだろう。米国や周辺諸国は、その時までにプルトニウムが持てないように日本を導いておけばよいと考えているだろう。

日本国が将来に亘って存在するためには核武装は必須であるという、伊藤貫氏や片岡哲哉氏(「核武装なき改憲は国を滅ぼす」の著者)の考えは正しいと思う。例えば、これも西部邁氏が登場する動画だが、伊藤貫氏らとの討論を聞いて貰いたい。https://www.youtube.com/watch?v=2JV_UPDjW0U&t=665s

もう一つの狙いは、安倍政権潰しである。小泉元総理の脱原発の動きが定着した場合、その是非を問うのが次回の総選挙の争点になる可能性が高い。その場合、自民党の中の国会議員を父祖からの家業だと考える層が、安倍おろしに動くからである。

米国は、安倍政権の長期化を警戒し始めたのだろう。小泉と細川は国賊である。細川は祖父近衛文麿と同じく、日本潰しを扶ける役割を買って出たのだ。

(過激な言葉使いで申し訳ありません。「素人のくせに」という反対意見を期待しています。)

補足:
1)原爆にはウラン型とプルトニウム型がある。高純度のウラン235を得るには、遠心分離機を何段にも用いてやらなければならない。それよりも、原発から得られるプルトニウムの化学処理による抽出の方が簡単だろう。勿論、完全爆発がプルトニウムの方で難しいが、それは技術の問題である。
2)戦勝国米国が敗戦国日本に進駐したとき、日本国民の多くはむしろ歓迎した。それは、大切な家族を兵隊に取られ無駄死にさせずに済むからであった。その後の米国の政策は計算しつくされており、日本国民は全て(私も含めて)親米にした。その日本国民の意識は、米国だけでなく、戦時日本政府(それを敢えて薩長政府と言いたい)と、戦後吉田自民党政府の三者の合作である。
3) I CANとういグループが、核保持国の核兵器独占のための工作を請け負っているのか、それとも日本人的な核兵器アレルギーなのか分からない。善意に解釈すれば、日本人と同じように平和ボケの一種なのかもしれない。平和が長く続けば当然平和ボケも多くなるのが人間の常だからである。ただ、ノーベル財団があるスウェーデンで、戦争に備えよという声が上がっているというのだから、ノーベル財団には皮肉の一つも言いたい気持ちでいっぱいだ。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180118-35113335-cnn-int

2018年1月15日月曜日

日本はプライマリー・バランスに拘らなくて良いのか?:藤井聡内閣参与と西部邁氏の議論について

藤井聡内閣参与の西部邁氏との討論を見た。税収内で国家の予算を組まなければならないという考え、つまりプライマリー・バランス(補足1)の黒字化、を重視する財務省などの姿勢に対する反対論を展開している。しかし、素人の私にもその正確さは低く感じられたので、ここに少し書く。https://www.youtube.com/watch?v=6D3AX75K78w

1)最初に西部邁氏が、財政拡大策を用いて経済成長を目指すべきだという考えのあと、「この4半世紀の間、フロー(つまりプライマリーバランス)だけを考えていては駄目であり、ストックも考えるべきであると、大蔵省の幹部クラスに言ってきたが、誰も聞いてくれない」と言っている。しかし、株をやっている町中の男性を捕まえて聞けば、「ストック(貸借対照表:BS)だけを考えては駄目だ、フローが大事だ」と言うだろう。

つまり、資産の数値化には注意を擁するのである。預貯金ならそのまま数値化が可能だが、米国債など債券になれば数値化が多少或いはかなり困難になってくる。(補足2)そして、道路や湾岸施設などになると、それを数値化してどれだけの意味があるのか。国でも会社でも、資産の数値化には大きなバラツキがあるだろう。会社の場合、公認会計士がチェックしていても、東芝だけでなく不正会計がかなりあった。(補足3)国家(財務省)の作ったバランスシートをチェックする法的根拠やチェック方法を国会がもたないとすれば、更に信用できない。

元財務官僚で最初に日本政府のBSを作ったと公言している高橋洋一氏が、「現在発表されている日本政府のBSに、国の徴税権も資産として加えれば、債務超過ではない。国の徴税権は、税収の15倍ほど(補足4)つまり900兆円位の純資産として計上できるからだ」と言っている。しかし、今日気がついたのだが、これは資産の二重計上である。つまり、財務省の作った貸借対照表(BS)にある有形固定資産(つまり道路や湾岸施設など)があるから、その中で企業等の経済活動が可能であり、徴税ができるのである。

勿論、プライマリーバランス(PB)を死守する必要はないし、国家のバランスシートの拡大は経済発展とともに大きくなるのは当然である。そして、現在の日本が従来型のデフレ下にあるのなら、確かに財政拡大策は必要だろう。一時的な財政拡大が破綻に繋がるほど日本のバランスシートは悪くない様である。(日本政府と米国政府のバランスシート:https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43416690.html)

従って、国家の防衛に不安があるのなら、そこに予算を倍付けたとしても、それは当然の決断である。しかし、地震に備えて防潮堤を築くなどの国土強靭化は、地震が予測出来ない以上、無駄遣いである。そのような無駄使いができる情況には、日本はないと思う。尚、国債の信用と日銀のバランスシートについては、昨年ブログで紹介した。 https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43424501.html)

2)現在のデフレ的経済情況は経済のグローバル化による先進国に共通した現象であり、従来型不況ではない。日本は現在殆ど完全雇用にあり、企業は最高益を上げているところも多い。財政拡大で偏った部門、例えば建設業、に需要を起こしても、人手不足が深刻化して政府が外国人労働者受入枠を拡大するだけで、消費財での継続的な需要拡大に繋がらないのではないだろうか。

政府が議論すべきは、如何にして国民が感じる将来への不安を減少させ、国民の貯蓄性向を減少させるかということだろう。企業の設備投資を増加させて労働生産性を向上させるのは、企業が独自に判断することであり、国家が口出すことではない。企業も自社の実力と将来に不安を感じているので、設備投資や新規展開を控えているのだろう。将来に向けて考えるべきは、日本の企業の体質や能力の改善である。

米国(マイクロソフト、アップル、フェイスブックなどナスダック銘柄)で為し得たことが何故日本では為し得ないのか?創造性、革新性、攻撃性に欠ける日本文化がその主要な原因の一つであると思う。ダイソン型扇風機のアイデアが東芝の研究現場にあったのに、何故それが取り上げられなかったのか?何故、日本の大胆な経営が外国から帰化された人たちによって主に行われているのか?何故、ダイエー、日産、シャープ、東芝が潰れ、外国の支配下に入るのか?それらが本当の日本の問題である。

それらは、PBに対する考え方で解決する筈がない。経済のグローバル化と共に、独特な労働市場や社会構造に関する文化も根本的原因の主要な部分である。巨額の財政出動とそれによる大幅なインフレは、国民や企業の貯蓄の実質的評価を下げる働きがあり、それは益々それらの経済活動を消極的にするだろう。

また、資源や食料を外国に頼る日本は、円は基軸通貨ではないので、経常赤字になる可能性が予想されたら行き過ぎた円安は防がなければならない。そのため、財政もPBを意識しなければならない。円の価値は、現在日本国債の信用に裏打ちされている。国債の信用低下は、突然の利息上昇と円安を招くことになり、デフレどころか資源価格や食料価格の上昇による大幅なインフレとなり、国民は食えなくなる。

藤井氏の書いた本の表題「プライマリー・バランス(PB)の大嘘」は、日本語的に可怪しい。表題であっても、もうちょっと日本語の正しい使い方が出来る人でないと、意見を聴く気にならない。

3)最初に、会社でも国家でもストックよりもフローが大事だと言う主旨のことを書いた。例えば家計の話をすると、30代に家を買ってローンを組むことは普通である。その年は大赤字であるが、それが許されるのは返却の目途が立っているからである。返却の目途が立っているということは、キャッシュ・フローが黒字だということである。

ここ40年ほど日本の財政収支は赤字である。http://ecodb.net/country/JP/imf_ggxcnl.html また、現在日本の経済は斜陽であると私は感じている。その原因には色々あるが、上にも書いたように日本文化にまで遡る必要がある。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43514249.html この様な時、借金をよりふくらませる方向で予算を組む場合には、明確な理由が必要であると思う。

その是非を議論するには、財政赤字を最少にすること至上命題と考える財務省と、そんなことを気にしている場合ではないと考える、防衛省、経産省、文科省、総務省などその他の省が議論をして折り合いをつけ、その議論の仕上げを国会でやるのが正しい筈である。従って、西部邁氏が財務官僚の幹部を非難する根拠はなく、非難すべきは内閣と国会だと思う。

現在を簡単にデフレというが、今年の物価上昇率は+0.37%である。宅配便の値上げや郵送料の値上げ、時間給の上昇など、現在インフレの気配が出ている。過去20年程のデフレ的経済情況は経済のグローバル化による先進国に共通した現象である。高橋是清の財政政策の猿真似で解決できるのか疑問である。最近の動画で、藤井氏は韓国の経済も財政をどんどん拡大すれば良くなると言っていた。私は、藤井さんの経済の知識を全く信用しない。

追補:西部邁氏の主張の中で、「日本国民の金融資産が1,700兆円あるので、国債残高を差し引いても700兆円あまる」とい話がある。しかし、国家財政と日本国民の金融資産とを合算するわけにはいかない。また、日本国債は円建てであり、殆ど全て日本国内で売られているという話があった。それは、国家財政の破綻を防ぐことは、可能であることを意味している。その場合、激しいインフレになり、国民の金融資産の価値が激減することになる。新円を発行して、旧円と交換することで、実質的に国民の金融資産の国家財政への移転ということになるような気がする。

今回の議論は筆者の専門分野内ではありません。厳しい反論や意見等期待します。(追補以下は21:30加筆)

補足:
1)プライマリー・バランスは、一般会計における歳出額から公債費と税収を引いた収支のことである。
2)トランプ大統領になって、米国の財政破綻の危険性すら議論されている。https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/03/post-4693.php
3)ストックの評価が難しいのは、ソフトバンクの貸借対照表を考えれば分かる。https://biz-kyoyo.link/mba-finance/franchise-softbank/
4)税額の17倍と言ったかもしれない。